韓国キリスト教の死後儀礼(追悼式)
―儒教文化との融合と対立―
古田 富建
1.現代韓国の宗教の概観と人生儀礼について
韓国統計庁が2005年に発表した統計によると、韓国の宗教人口は総人口の53.1%、非宗教人口 は46.9%で、このうち、仏教が22.8%、プロテスタントが18.3%、カトリックが10.9%、儒教が 0.2%となっている。単独で見れば仏教が多いが、プロテスタントとカトリックを合わせるとク リスチャンが30%近い数を占めている。 さらに、韓国社会はよく「儒教社会」と語られる。儒教は日本や中国を含む東アジア全体を 特徴づける文化の1つであるが、東アジアにおいての儒教の受容の仕方、しいては現代社会に おける儒教の捉え方には、実は大きな隔たりがある。韓国人は自らのアイデンティティーとし て儒教を語る。統計上の儒教徒数は、1%に満たないにもかかわらず、である。これは、儒教 が宗教や思想哲学などの枠組みを超え、人々の倫理観や生活習慣の根底に根を張っているため である。本家本元の中国を超え、現代韓国社会は儒教を自らのアイデンティティーと認識して いる。 韓国で儒教が裾野を広げられた理由は、儒教受容の歴史の中に隠されている。朝鮮半島で本 格的に儒教(朱子学)が受容されたのは朝鮮時代(14世紀末)のことだ。このとき儒教は、当 代の統治イデオロギー、王権儀礼、科挙制度に導入されただけでなく、教育機関、さらには民 衆の家の構造などに見られる生活慣習、生活マナー、冠婚葬祭などの宗教観にいたるまで、上 は王朝から、下は庶民層までを支配していた。人生儀礼(通過儀礼、Initiation, rite of passage)とは、出生や結婚など、人間が成長する過 程で次のステージに移る過渡期に、新たな意味を付与する儀礼を指す。韓国の人生儀礼も日本 のものと似ており、誕生、婚礼、還暦、葬礼、祭礼などがある1。最近は、結婚式は、伝統的な 儒教式婚礼とウェディングドレスを着たキリスト教的ウエディングの二本立てが主流だが、死 者への弔いや追慕は、儒教式で行われるのが一般的だ。 −15− 1 韓国の場合、成人式に該当する式は定着していない。
2.韓国プロテスタント教会の人生儀礼
2−1.韓国プロテスタント教会の人生儀礼の性格と歴史的変遷(通時的整理) プロテスタント教会の公式儀礼と呼ばれるものは、「洗礼」と「聖餐」の2つのみで、それら は「聖礼」と呼ばれている。ちなみにカトリックでは、7つの人生儀礼をサクラメントと称し 公式化している2。韓国のプロテスタント教会にも結婚式や葬式などの人生儀礼は存在するが、 教理的には重視されておらず、その中身も、伝統的に行われてきた様式を、教義的に容認でき る形に変容させたものであることが多い3。 韓国プロテスタント教会は、18世紀末頃の宣教初期から「説教中心の教会」を特徴としてい た4。そこで、ピューリタン的伝統に強い影響を受けた宣教師は、洗礼や聖餐などのプロテスタ ント固有の儀礼以外には、重きを置かなかった。そればかりでなく、朝鮮半島の伝統的婚礼や 葬礼は迷信扱いし、「改革すべき対象」とみなしていた5。60年代中盤から70年代にかけて、韓 国プロテスタント教会の諸教派では、教派の憲法を制定するなど組織面での整備が進み、その 流れの中で儀礼に対する解説書である「礼式書」が発刊され、徐々に人生儀礼に対しても関心 を示すようになっていった。「礼式書」には、洗礼や聖餐だけでなく、婚約式や結婚式、葬式な どの人生儀礼についても記されていた6。80年代、90年代には、信徒増加に伴い、プロテスタン ト式の儀礼が教会内で定立し、行われる儀礼の範囲も拡大した。それまで伝統的な慣習の中で 行われてきた家庭・社会儀礼である「トル(1歳の誕生日祝い)」や「100日祝い」「還暦」「旧正 月の祭祀」なども、プロテスタント式に形を変えて、信徒の中で執り行われるようになってい った7。 2−2.教派間の人生儀礼に関する認識の違い(横断的な整理) 韓国プロテスタント教会には長老教会や監理教会など様々な教会が存在する。長老教会一つ をとっても100余りの派が存在し、その中にはリベラルから保守まで幅広い派が存在する。その ため、儀礼に対する解釈も教団によって大きな開きがある。保守的な教団では、他宗教ないし 2 カトリックでは信者の一生の中で神の恩寵を祈るための典礼として洗礼、聖体、婚姻、叙階、堅信、告 解、終油を認めている。 3 韓国の葬儀は儒教式で行われることが多いが、クリスチャンの葬儀の場合も、儒教式の葬儀とその式次 第はほとんど変わらず、死者に敬拝を捧げるなど宗教的な死生観で受け入れがたい部分のみ修正が見ら れる。詳細は[拙論:2006]p.275. 4 [パン・ウォニル:1997]p.117. 5 [キム・ハクト:1991]p.317. 6 [リュ・ソンミン:1998]p.125. 7 [リュ・ソンミン:1998]p.125.伝統的な慣習に基づく儒教式儀礼を「因襲」として排除し、初代教会の礼拝様式と儀礼のみを プロテスタント教会の固有の儀礼と捉えてそれのみを保持しようとする8。一方、リベラルな教 団では、韓国の伝統的儀礼の様式や式順、その儀礼の意味をプロテスタント式に解釈し直して、 伝統的な慣習に近い形で儀礼を執り行う動きが見られる。韓国基督教長老教会のようなリベラ ルな教団に属す京東教会では、儒教の祭祀に相当する「追慕祭」を執り行い、ここでは死者に 対する敬礼の「節(両手を円を描くようにしながらおでこにつけ、そのまましゃがみながら額 を地面につける)」も認めており9、また「追慕祭」には儒教祭祀を連想させるような手順も含 まれている10。 本論文では、韓国プロテスタント教会11の諸教団の中でも、最も規模の大きいイエス教長老教 会(統合派)を対象に、その人生儀礼を考察していく。
3.先行研究と研究目的
上述した通り、韓国プロテスタント教会では基本的に「洗礼式」「聖餐式」以外の宗教儀礼は 認められていないが、実際には多くの儀礼が執り行われている。教会ではクリスマスや復活祭 のような教会暦を実践する「季節儀礼」が、信者の家庭では結婚式、葬式、追慕礼拝のような 儀礼が執り行われている12。 パン・ウォニルは、神学的な関心がどれぐらい儀礼に介入されているかというレベルによっ て、プロテスタント教会の宗教儀礼を3つに分類している13。一つ目は、宣教師が伝えたアメリ カ清教徒の儀礼を遵守する「定期儀礼と聖礼典14」、二つ目は神学的な関心が前者よりも少ない −17− 8 [リュ・ソンミン:1998]p.139. 9 儒教文化の中では自分の生きている祖先(父母や祖父母)には「節」を1回、死んだ祖先には2回の 「節」を行い祖先に対する崇敬の念を表すのが一般的だ。正月や久しぶりに実家に帰ってきたときなど子 供が親に「節」をささげる光景はよく見られるし、葬式や祭祀では「節」を2回ささげる光景もよく見 かける。しかし韓国のプロテスタント教会は生きている祖先に対しての「節」は認めているが、死者へ の「節」はプロテスタント教会の教義的な問題(詳細は後述する)からそれをほとんどの教団が認めて いない。 10 [イ・ボクキュ:2005]p.271. 11 韓国キリスト教は大きくカトリック教会とプロテスタント教会に分けることができる。カトリックは韓国 社会で根強く残っている儒教式の死者儀礼である「祭祀」の重要性を認め死者への「節」を認めており、 プロテスタント教会とは異なり伝統的な慣習との対立が見られない。 12 韓国プロテスタント教会では冠婚葬祭などの個人的、家庭的な宗教儀礼を「家庭礼式」と呼んでいる。 ここには誕生日やトル、引っ越し祝いなども含まれる。 13 [パン・ウォニル:1997]p.129. 14 定期儀礼と聖礼典は主に日曜日(主日)に行われる礼拝、聖餐、洗礼を指す。これはプロテスタントの 信念体系を直接的に具現する中心的な儀礼だ。「季節儀礼15」、最後に神学的関心はほとんどなく、伝統的慣習が習合している「人生儀礼」であ る。神学的な関心の高い儀礼では伝統的慣習との習合は抑えられ、関心の低い儀礼には習合が 多く見受けられる。人生儀礼は神学的関心度が最も低く、人生儀礼の実践は、神学的介入では なく信徒の自律によってなされていると見ることができる。信徒は、プロテスタント教会的信 念体系を、自らの体に刻み込まれている伝統的宗教儀礼のスタイルを通じて具現化しようとし、 その過程で、プロテスタント教会と伝統宗教や慣習とのシンクレティズムが生まれている16。 外来宗教であるプロテスタント教会は、その高い信徒率から韓国社会に定着したと考えられ ているが、プロテスタント教会も韓国の土着文化と、ある面では対立し、またある面で融合を 果たしている。グローバルに起きているプロテスタント教会の土着化考察の一環として、韓国 プロテスタント教会の儀礼の中でも土着的要素を比較的多く残す「人生儀礼」は、興味深いケ ーススタディーである。 韓国の神学界では、80年代から祖先崇拝をテーマにした研究が増え、それに関する書籍も出 版されている17。またプロテスタントの死後儀礼をテーマにした宗教学的な研究も、少数ではあ るが存在する18。しかし、既存の研究では礼式書のテキスト分析を主流としており19、チョン・ ジンホンが指摘しているように、礼式書の分析だけでは、信者の冠婚葬祭の規範が実質的に統 制されているかどうかを実証することはできない20。そこで、本論文では、上記で言及した「プ ロテスタント教会の土着化」という大きな問題意識を元に、韓国プロテスタント教会における 人生儀礼の中で、儒教の祭祀とよく比較され、宗教的世界観の対立および融合が予想される 15 クリスマス、復活祭、感謝祭などの教会暦の実践がここに含まれる。キリスト教の伝来と共に紹介され、 風俗の次元で導入された。 16 [パン・ウォニル:1997]p.129. 17 プロテスタント教会の「家庭儀式書」の解説と説教例が掲載された書籍はたくさん出版されている。神 学的な研究書としては[キム・ハクト:1991][パク・ピョング:2003][パク・スンピル:2002]などがある。 18 現象学的方法論を使用してプロテスタント教会の人生儀礼を分析した[チョン・ジンホン:1984]、プロ テスタント教会の儀礼を全般について概略的に紹介した[キム・ユンソン:1996]、礼式書をテキスト分 析した[リュ・ソンミン:1998、1999]があり、[ソン・ヒョンドン:2008]は韓国人の葬祭礼における家族 間の葛藤を宗教学的なアプローチでインタビュー調査した。それ以外にもキリスト教と祖先崇拝をテー マとした[イ・ボクキュ:2005][オク・ソンドゥク:2005] [チャ・ウンジョン:1996][パン・ウォニル: 1997]がある。[韓神大学校学術神学研究所:2005]はプロテスタント信者と非信者の文化意識(葬儀文化 など)をアンケート調査によって比較した。 19 [イ・ボクキュ:2005]では学生を対象に書面インタビューを行っている。 20 [キム・ハクト:1991]からチョン・ジホン「韓国キリスト教の生活文化」『中央日報』1982年7月20日6 面を再引用。
「追悼式21」について考察したい。テキスト分析だけに終始してきた先行研究を補完するため、 牧師2名(長老教会統合派)と信者2名(女性執事と男性平信徒)にインタビューを行い、信 徒の実態に迫りたい22。
4.追悼式(追慕礼拝、追慕式
23)
4−1.儒教の祭祀とプロテスタント教会の反応 4−1−1.儒教の祭祀 日本でイメージされる儒教は主に「学問」「倫理」であるが、朝鮮半島では学問の前に郷約、 冠婚葬祭などの儒教式マナーなどの共同体倫理であり、儒教の受容は朱子学一辺倒であった。 朱子学は人倫道徳を重視したが、それを具現化したのが『朱子家礼』であった。朝鮮半島では それを元に編纂された『四礼便覧』が民間流布し、冠婚葬祭の四つの人生儀礼はその形式を忠 実に踏まえて行われた。この4つの中でもとりわけ重きを置かれたのは祭祀である。儒教文化 の象徴といえる祭祀は年長者の奉養という孝思想の延長にあるものである。その趣旨は生前と 同様に食事を死者に捧げて、敬意を表し追慕する儀礼である。祭祀は四代奉仕の原則によって、 父母、祖父母、曾祖父母、高祖父母の四代までを対象として、それぞれ忌日に行う「忌祭祀」 と正月や秋夕の名節にこれらを一括して行う「茶礼」、五代よりも上の先祖を春と秋の吉日に祀 る「時祭」がある。そのため韓国ではお正月休み、秋夕休みには田舎を訪れ祭祀を行うため 「民族の大移動」が繰り広げられる。祭祀は孝思想を具現化した儀礼であるだけでなく、死者は 子孫に祭祀をしてもらうことにより、血統の中で永遠に生きていくという儒教の宗教的な世界 観を表現したものともいえる。そのため祭祀は祖先に対する子供のなすべき義務でもあり、祭 祀の担い手である男子を産むのは祭祀を継続するための義務でもあった。 −19− 21 「追悼式」について日本語で読める先行研究としては[秀村研二:2003]がある。 22 K牧師(年齢51歳)はホームクリスチャンであり、ソウル南部の新興住宅地の小規模教会で担任牧師を している。2006年6月30日午後8時から教会事務室でインタビューを行った。L牧師(年齢39歳)もホー ムクリスチャンであり、ソウル東部の1000人規模の教会の副牧師をしている。2006年7月12日午前11時に 教会の事務室でインタビューを行った。A執事(年齢59歳、大卒、主婦)は祖母の代からのクリスチャ ンでありK牧師の教会に通っており、牧師の資格を有している。夫は教会の長老であり、幼稚園の園長 だ。2006年6月30日午後6時から教会の事務室でインタビューを行った。B氏(年齢41歳、高卒、自営業) は20代から教会に通い始め、家族はクリスチャンだが両親はクリスチャンではない。2006年6月28日午後 3時に食堂でインタビューを行った。 23 [リュ・ソンミン:1999]p.106によれば、イエス教長老教会(統合派)では「追慕礼式」、イエス教長老教 会(合同派)は「追慕礼拝」、監理教会は「追悼式」、基督教長老教会は「追悼式」とそれぞれ呼ぶ。4−1−2.プロテスタント教会の反応 韓国プロテスタント教会では、伝来当初から伝統的祭祀を認めてこなかった。伝来初期には、 先祖崇拝の否定が入信の必須条件になっていたほどである24。そこで、プロテスタント教会の祭 祀に対する態度が、社会的非難を浴びることとなった。カトリックでも、宣教当初には祭祀の 問題で殉教者まで出したが、今日では、祭祀は「伝統的美風良俗」であるとして承認している。 プロテスタント教会が祭祀を禁じる決定的な理由は、その死生観にある。韓国の伝統的な死 生観では、人は死ぬと祖先神になり、子孫を守りながら福を与えると考えられている。一方、 プロテスタント教会では、人は死ぬと肉体と霊魂に分離されると考え、キリスト教信仰の有無 によって天国か地獄へ行く。死んだ信徒はイエス復活の時まで地上には戻らず、あの世とこの 世で交流が行われることは絶対にない。そこで、先祖が子孫の元にやって来てチェサッパプ (祭祀飯)を食し、再びあの世に帰っていくという祭祀が問題になるのである。 祭祀に反対する神学者は、プロテスタントの死生観を挙げて、祭祀の時に行われる「節」を 捧げる行為は「偶像崇拝」であるといって非難する。チョン・ジンギョン牧師は「生きた親と 死んだ親を同一視してはいけない。プロテスタント教会が重視し敬うのは人格である。しかし 死んだ親にはもはや人格は存在しない。生きている時にはその人の人格を尊敬し敬意を表する が、死んだ人間は記憶に他ならない。「節」は人格を尊重し行うのであって、死んだ親に「節」 を行うのは正しい行為ではない。死んだ親に「節」を捧げないのは孝行心がないからではなく、 そこにはもはや親の人格がないから25」だと主張する。 では、一般的な信徒は祭祀についてどのように考えているのだろうか。韓神大学学術院神学 研究所によるアンケート調査26を見ると、先祖に対する伝統的な祭祀と茶礼を行うことに対し、 非クリスチャンは66.5%が賛成であるが、クリスチャンは24.9%が賛成、63.1%が反対となって いる。また反対の理由には、85.9%が「宗教的な理由のため」と答えている。祭祀の機能につい ては、「偶像崇拝(27.5%)」という回答が最も多いが、「家族の親睦の促進(26.1%)」「先祖崇 拝(23.2%)」にも高い数値が見られる。またクリスチャンも、全体のほぼ半数に値する49.1% (非クリスチャンは80.2%)が祭祀に参加したことがあると述べている。アンケート調査の結果 から、クリスチャンは、祭祀について頭では「やってはいけない行為」と知りながらも、実際 には親族との親睦を深め、祖先を敬う儀礼であることを認め、祭祀に参加する信徒が少なくな いことがわかる。 しかし、このような認識の変化はプロテスタント信者だけに見られるものではない。「祭祀や 24 [ペク・ナンジュン:1979]p.30. 25 [パン・スンピル:2002]p.54.から最引用 26 [韓神大学校学術院神学研究所:2005]p.59.
茶礼の時に先祖に対して『節』をしないこと」は「個人の宗教的な信仰と関連した問題として 尊重すべき」という回答が、非クリスチャンが75.5%(クリスチャンは94.3%)をなし、個人の 宗教を許容する雰囲気が社会全体に拡大していることがわかる。また「現在の葬祭礼式の形式」 を問うアンケートでは、伝統儒教式が54.1%、プロテスタント式が25.9%、仏教式が10.6%とな っている27。伝来から100年の間に、プロテスタント式の葬祭礼式が、ある程度定着したことが わかる。プロテスタント式祭祀の定着は、インタビューからも確認できる。 「(宗教間の葛藤は)もうなくなりました。葛藤は30年前の話です。けんかをするような頑固 な人はみんな死に、争わなくなりました。なぜかというと信徒の中に自分たちなりの文化が生 まれたからです。初期にキリスト教を信じて苦労したのは、一世代前の親の世代です。親の世 代は兄弟とたくさんけんかしました。殴られたりしたり・・・(L牧師)」 上記を見れば、家の中の宗教の違いによる対立がなくなって久しいことがわかる。また次のB 氏のインタビューからは、プロテスタント式の祭祀(追慕式)が社会的にもある程度認められ、 韓国人の祭祀の形式が流動化していることがわかる。 「長男が中心になって祭祀を執り行いますが、他の兄弟が『今回は(プロテスタント式の)礼 拝形式でやりましょう』と言えば、そうなるんです。こういうことは家族同士の合意で決まり ますからね。家族同士で決めていきます。形式は大きな問題になりません。」(B氏) 4−2.追悼式 追悼式とは、信徒を追慕しながら神に礼拝を捧げる儀礼のことである28。先祖崇拝の伝統のあ る中国や韓国にやって来た宣教師は、現地人が親や祖父母の命日に祭祀を行うのを見て、祭祀 は偶像崇拝であると危惧した。そこで、プロテスタントの教義に照らし合わせ、許される範囲 の儀礼を探し、模範的な牧師や著名人を対象に行われる追悼式を借用した。先祖「崇拝」を先 祖の「追慕」に変容させたのである。この宣教戦略は、中国と韓国における宣教で大きな効果 をもたらした29。現在、プロテスタントの中でも極めて保守的な教派を除き、ほとんどの信徒が 追悼式を行っている。 したがって、多くの研究者は、追悼式を韓国の伝統的祭祀をプロテスタント式に変容させた −21− 27 [全州大学校歴史社会研究所編:2001]p.312. 1000人を対象に「韓国人の死生観に関する意識調査」を実施した結果報告 28 [キム・ユンソン:1996]p.29. 29 [キム・ユンソン:1996]p.29.
ものと捉えている。追悼式の追悼対象は、父母と祖父母までに限定されている。儒教式祭祀で は本来、四代前の先祖までを自分の血統のルーツとして祀るが、追悼式はあくまでも「追慕」 であるために、面識のある範疇にとどめているのであろう。しかし、最近は韓国社会でも時祭 祀儀礼の希薄化により、多くの世帯で、追慕式と同様に、面識のある先祖(父母、祖父母まで など)に限定される傾向が広がってきている。 「礼式書」に出てくる追悼式の手順は次の通りである30。 ①黙祷 ②信仰告白 ③賛美歌 ④祈祷 ⑤聖書拝読(ヘ:13:7−8) ⑥説教 ⑦祈祷 ⑧個人の略歴報告 ⑨追慕辞 ⑩賛美歌 ⑪祝祷等 ⑫閉会 説教内容:信仰を見習おう ①故人の恩徳を記憶せよ ②故人がどう生きたかを記憶せよ ③故人の信仰を見習おう 追慕式は、信徒の慣習や執行者によって大きな違いがある。故人の忌日に自宅で執り行われ ることが多く、親族が集まりやすい夕食の時間が多い。そして、故人の遺影、遺言書、遺品な ど故人を追慕できるものを準備する31。夕食の準備を整え、追悼式を終えた後に、家族の親睦の ために一緒に食事をするのが一般的だ。祭祀のように「節」を行うことは禁止されている。 A執事の追悼式 「母の命日だけ行います。仏教徒のように秋夕やお正月はやりません。準備するものは特にな く、仏教徒が祭祀の時に準備するような食べ物は用意しません。母が生前に好んで食した食べ 物や母がよく作ってくれたものを用意して、家族や親せきを集めます。生前の母を知る親戚、 4寸、5寸、8寸まで来ます。(中略)親戚の中でもプロテスタントを信じない人が、追悼式風 の祭祀を執り行っても、特に文句を言ってくることはありません。故人がクリスチャンだから です。それに私の妹と姉は牧師です。ですから娘たちが礼拝(追悼式)を執り行います。ある 年は妹が執り行い、ある年は姉がやるといった感じです。代表祈祷は義理の兄が教会で長老を やっていますから…。ですが、叔母の息子たちはクリスチャンではありません。お酒もよく飲 みますし…。そういった人たちでもキリスト教に対して理解がありますし、キリスト教式に祭 祀を行うことに違和感を感じているようですが、反対してくることはありません。」 30 [大韓イエス教長老会教育部編:1993]p.132 31 [キム・ハクト:1991]p.332.
これが典型的なプロテスタントの一家32の追悼式の様子だ。この家では、故人を含め家族のほ とんどがプロテスタント教徒である。儒教祭祀のカラーをできるだけなくし、写真や祭祀の時 に準備される膳もない。プロテスタントの信仰に厚い人が家族のほとんどを占めるために、た とえ個人的には不満があったとしても、家族は追悼式に参加をする。二番目の事例は、クリス チャンホームに生まれ現在牧師をしているが、祭祀の御膳を用意し、御膳の前で食膳に礼拝を 執り行うなど、儒教祭祀との折衷が見られる。祭祀の御膳を用意するのは母親のたっての願い からのようだが、儒教儀礼である節を行わないことを前提にしているという。2つの事例の共 通点でもあり、追悼式でよく見られる風景は、追悼式後に参加者がともに食事をすることであ る。これは儒教祭祀の際に行われる「飲福33」の影響と考えられる。 L牧師の追悼式 「私の家では食卓の上で祭祀を執り行い、食べる。誕生日パーティーのような感じだ。変な折 衷ともいえるものとして、祭祀の時に死者に捧げる御膳を食卓に載せて食べる。食事の前に祈 祷をし、賛美歌を1曲歌い、聖書を少し読んで説教をする。その後、再び祈祷をする。祈祷を する時に、故人が生きていた時に我々をこのように助けてくれて…といった内容で祈祷をし、 ほんの少し故人についての思い出話をする。10分もあれば終わる。」 アンケートによれば、「祭祀の主な意味」について、非クリスチャンの47.2%が「先祖に感謝 し、子孫を守ってもらうための祖先崇拝」だとし、22.6%が「バラバラに暮らす親戚の親睦を促 すための親戚の集まり」と考えている34。また他のアンケート調査でも、1000人の対象者のうち の60.5%が「先祖に対する感謝」、55.8%が「親族間の融和」と答えており、祈福的あるいは宗教 的な動機をもって忌祭祀に臨む比率は少ない。祭祀の意味は、家門の伝統と精神を学び、同じ 血統を持つ親戚が一堂に会して同族意識を高め、生きている親族の和合を成すためのものと考 えられている。 追悼式では、故人に対する節は認められていないが、死者や先祖に対する追慕は認められて いる。先祖に対する感謝の念を抱き、故人を追悼し、たとえ祭祀の御膳がなくても、追悼式が 終われば、あらかじめ準備された食べ物を参加者で分け合い、親戚の交流をしながら同族意識 を高めていく姿が見られる。クリスチャンにおいては、故人がクリスチャンであれば、再び会 える日を待ちながら故人に倣いながら故人を追悼し、故人の子孫として恥ずかしくない行いを していく決意の機会にもなるという35。このように、追悼式は「祖先崇拝」と「親族間の親睦」 −23− 32 クリスチャンが家族の主流をなしている 33 祭祀の終了後に参加者が酒や祭物を共に食する儀式 34 [韓神大学校学術院神学研究所編:2005],p.64 35 [キム・ハクト:1991]p.343.
という側面を見れば、祭祀の現代的な機能を備えた「プロテスタント式祭祀」と呼べるであろ う。 4−3.祭祀と追悼式の世界観の葛藤 しかし、儒教的祭祀と追悼式は、互いに相容れない決定的な対立を内包している。現在実施 されている追悼式に「霊的な物足りなさを感じるか」という質問に、47.7%が判断を留保してお り、「霊的な物足りなさを感じない」は30.5%、「霊的な物足りなさを感じる」は22.1%という結 果が出ている36。イ・ヨンミは、このことについて、プロテスタント教会が、プロテスタントの 教義に立脚した、儒教の祭祀の代案を見いだせていない結果であるとしている37。霊的に物足り なさを感じる者と、それについての判断を留保している者を合わせると、祭祀の代案と思われ ている追悼式にも、多くの課題が残されていることがわかる。プロテスタント信者の抱える葛 藤は、次の二つに集約できる。 一つ目は、韓国の伝統的な死生観や慣習との対立である。 「そうなんです。あの感覚が本当につらい。なぜなら教理上、信者たちは死者との疎通が行え ないことを知っているから…。イエス様以外は、その領域には関与できません(中略)もし先祖 との意思疎通ができるとしたら、それは鬼神だと考えます。つまり雑鬼、雑霊だと考えます。 (中略)だから、死者に対してすごく曖昧な感じがあるし、何か物足りない思いを感じる。なぜ なら、とても重苦しいのです。(先祖が)生きていた時は仲睦まじく過ごしていたのに、死んだ らその交流をストップして、(故人を偲ぶ気持ちを儀礼で表現せず、もしくはできず)故人への 『思い出』しか語ることを許されない。クリスチャンの中でも、祭祀を奉げることが身体化され ている人は、うちのケースのようになってしまいます。私の母は『祭祀の御膳だけは用意してく れ。儀礼は行わないから』と言います。祭祀の時に用意する食べ物だけは、用意しろと言うので す。(中略)私の祖母は亡くなりましたが、私はおばあちゃんっ子でした。ある時お墓参りに行 ったのですが、その時とても節を奉げたくなりました。自分の信仰と自分の中に湧いて出た思い がぶつかって大変でした。しかし、キリスト教神学的な解釈をすれば、亡くなった人に節を行う のは、過去に対して節をするのと同じです。その人はこの世にいないのだから、過去を振り返り ながら亡くなった人に節を奉げることになる。そんなことをしてはいけない。」(L牧師) 上記のインタビューには、かつて親しくしていた人と直接霊的な交流をしたい思いを断ち切 らなければいけない心の葛藤がよく表れている。そして、伝統社会で慣習として習慣化、身体 36 [イ・ヨンミ:2005]p.147. 37 [イ・ヨンミ:2005]p.147.
化している祭祀を、キリスト教の教義に反さない範囲で、つまり祭祀の御膳を用意するだけに とどめ、「偶像崇拝」として禁止されている死者への節は行わないことで、そのやるせない思い を解消しようとしている。 しかし、このような習慣は、韓国のクリスチャンの多くが共有する問題ではなくなりつつあ る。親の代からのクリスチャンの家系や、祭祀が簡素化もしくは衰退した現代社会で育った若 い世代のクリスチャンは、伝統的な祭祀儀礼が身体化されておらず、大きな葛藤を感じないケ ースが増えてきている。 しかし、もう一つは、世代を超えて抱える大きな問題である。それは、非クリスチャンを徹 底的に排除する排他的なキリスト教の救援観にある。追悼式の式次第を見ても分かるとおり、 追悼の対象として設定されているのはクリスチャンである。キム・ハクトは「イエス・キリス トを中心にすえない追悼式は何の価値もない38。故人を追慕することに留まらず、死を超えて復 活したイエス・キリストに侍らなければいけない。そして復活と永生の希望を抱き、生きる意 味と価値を探さなければいけない。また故人が信者ならば、再び会える日を待ちながらさらに 信仰の道を歩むことを決意し、不信者ならば神の審判を恐れ、神と共に生きるきっかけとする べきである39」と言及している。上記の引用から「信者」である先祖と「不信者」である先祖に は越えられない壁があることがわかる。故人が信者であれば神との関係を結ぶことができるた め、その追慕が信仰共同体において有益なものとなるが、故人が不信者である場合は、その追 慕は限定されたものとなる。 不信者の追悼式についてK牧師は次のように語る。 「故人(先祖)が地獄に行く、行かないは関係がありません。その人が地獄にいるとしても、 それも神の恩恵であると考えます。なぜならば、その先祖がいなければ今の私がいないからで す。今自分がここに存在し、クリスチャンとして生きているでしょう。それと自分と血のつな がりのある先祖が地獄にいることとは何の関係もないのです。その先祖の血統的なつながりは あったとしても、その先祖から自分のキリスト教を信じるようになった信仰が始まったわけで はありません。自分が生きている過程でほかの人を通して信仰の世界に入りましたが、しかし 血のルーツ、その先祖がいなければ今の自分はいません。ですからその点について感謝をする のであって、その先祖が私にイエスを教えてくれたわけではありませんが、自分を一人の人間 として、人格者そして育ててくれた両親でもあります。ですから、その人がキリスト教の信仰 の有無を超えて感謝の礼拝をささげるのです。」(K牧師) −25− 38 [キム・ハクト:1991]p.381. 39 [キム・ハクト:1991]p.343.
「大変苦しくつらい思いを抱えています。もしクリスチャンの親がクリスチャンではない場合、 本当に苦しいのです。なぜなら、死んだら神様の前には行けませんから。地獄にいると考えて もいいでしょう。ですがそれは誰も口には出せないタブーです。とても口に出せませんよ。(中 略)クリスチャンではない人の追慕式を行うときが本当に困るんです。参加者の前で語る説教 が難しい。説教の目的は、故人を追慕する内容を語ることもできませんし、遺族を慰労するよ うな方向で説教はします。(中略)われわれ(クリスチャン)がこのような精神的な葛藤をたと え抱えていたとしても罪責感をあまり覚えないのは、神様がこの問題を解決してくださるとい う信仰を持っているからです。われわれは決して(神のみが行う救いに対して)推論したりは しません。神様はわれわれのような罪人を生かしてくださっているのに、非クリスチャンを救 えないということはないだろうという大きな期待はあります。神様は不変な方で神様の愛は終 わりがないといった説教内容で、信者の精神的な葛藤を緩和させようとします。中間の部分を 語らず結論だけを語るのです。故人については一切言及しません。(中略)しかし、キリスト教 会で、こういったキリスト教的な理解で非クリスチャンの死を理解しているのは、おそらく主 流のキリスト教の教派の信者の30%ぐらいでしょうか。残りは、神学から考えるとかなり曖昧な 理解をしているでしょう。」(L牧師) 2人の牧師は、遺族に焦点を当てたり全能である神に焦点を当てて、救いを受けられるかど うか分らない非クリスチャンについては言及を避けている。牧師の立場からしても、おそらく 苦しいのだろう。そしてL牧師は(地獄に行った)非クリスチャンの救いを受け入れているクリ スチャンは30%程度であると語る。では、信者は、クリスチャンではない祖先についてどのよう に理解しているのだろうか。 「父が地獄に行ったのも、私の頑張りが足りなかったからです。しかし、直系の家族がクリス チャンであれば地獄に行きません。故人が信じていなくても大丈夫なんです。直系の子孫が信 じていれば大丈夫だという話を聞いたことがあります。父が天国に行けるように祈祷を捧げれ ばいいのです。しかし、そう信じていますが、ただ信じているだけで事実はどうなのかわかり ません。」(B氏) 「(非クリスチャンの先祖は)天国に行っていないと思います。残念ですが、地獄にいると思 います。われわれには、はっきりしたことはわかりません。神様が哀れに思い、同情してくだ さって、その人のすべての業績を考慮して救ってくださらないかという希望は抱いています。 カトリックが免罪符を売ったように、第二の救いの機会を下さらないかという願いは持ってい ますが、厳密に言うのであれば、(非クリスチャンの)お義父さんは天国にはいません。キリス
ト教を信じていれば、そういった葛藤を抱えることはありません。『福音を受け入れなかった人 には次の機会に審判がある』というみ言葉があります。ですから一生懸命に伝道しないといけ ないということですよね。」(A執事) クリスチャンたちは満たされない思いを抱えながらも、個人的にはどうにかなるだろうとい う淡い希望を抱いている。牧師はこのような信徒の気持ちをある程度は理解しながらも、それ は単なる期待値にすぎないと語る。このような排他的な救援観は、追善供養に該当する霊山齋 や死霊祭のような儀礼を持つ仏教や巫俗、煉獄思想が存在するカトリックとは、大きな開きが ある。 「それは正統なキリスト教の教えではありません。それは信仰ではなく期待値にすぎません。 そういった願い、先祖を敬愛する気持ちの表れとでもいいましょうか。そういった意見は認め るわけにはいきません。(中略)しかしキリスト教側では、そういった信徒の気持ちを理解し認 めようとします。人は自分の親を愛する心を持っていますし、高めたいという心も持っていま す。愛する人が、死後、良い所に行ってほしいと願うのは当然のことでしょう。」(K牧師) キリスト教の世界では、非信者の死に対するまなざしは「クリスチャンの教訓」にしかなら ないという、絶対的に越えられない排他性を持つ。このような問題点からキム・ユンソンは追 悼式を祭祀とは別のものであると理解しているが、その指摘は正しい。 「追悼式は決して祭祀の変形や代替物ではない。それは完全に別種の儀礼である。追悼式では 祖先は祈祷の中、または子孫に聞かせる昔話の中に登場する素材に他ならない。こういった側 面を強調すれば、追悼式は一つの徹底した礼拝であり、追悼礼拝の対象は先祖ではなく神であ る40」 非クリスチャンの救いの問題は、プロテスタントの伝来当初から、信者の間で大きな問題に なってきた。先祖の血筋と共同体の連帯と断絶した故人の救いは、とてつもない実存的な危機 を招来し、改宗と信仰生活の維持に大きな支障をきたしてきた41。この問題を解決するために 「親を敬え」という戒律を提示し、自己の教団を「孝の宗教」と主張しながら祭祀の代案として 「追悼式」という文化を作り上げてきた。また非信者である親は、「宣教の一つの材料」に他な らない現実に、信徒たちは寂しさを覚えている。 −27− 40 [キム・キンソン:1996]p.30. 41 [オク・ソンドク:2005]p.238
5.結語
初期のプロテスタント教会では、死者に食べ物を供え、節を捧げる儒教的祭祀を「偶像崇拝」 と捉えて、その参加を固く禁じたが、そのことが韓国人の入信を阻み、クリスチャンと非クリ スチャンで構成される親族間に大きなわだかまりを生んだ。そこで60年半ば頃からは、十戒の 中でも「汝の親を敬え」という戒めを神学的な根拠として、プロテスタント教会自らを「孝」 の宗教であると強調するようになっていった。さらには、本来は牧師や著名人を対象とする 「追悼式」を、信者の父母や祖父母にまで広げることで、プロテスタントの宗教的信条に反する ことなく祭祀を行えるよう整備を進めた。追悼式の導入により、クリスチャンは祭祀の代案を 手に入れ、プロテスタント教会と祭祀との間に発生した諸問題は解決されたと結論付けてきた のが先行研究の概要である。 本稿では、クリスチャンへのインタビューを通して、追悼式は、すでに祭祀の代案などでは なく、独自的な文化として定着し、クリスチャンと非クリスチャンの親族間の対立も弱体化し つつある様子がうかがえた。韓国社会全体の背景として、祭祀文化が簡素化し、その重要性に 対する認識は希薄化しつつあり、一方で個の宗教を尊重する雰囲気は拡大している。さらに、 韓国内のプロテスタント勢力は百年という歴史と約20%を占める宗教人口を持ち、ホームクリス チャンの子弟や、親族にクリスチャンが多い家庭などでは、そもそも儒教祭祀に触れる機会す らなくなっている。 しかし同時に、祭祀の新しい形ともいえる追悼式にも様々な問題が残されていることが明ら かになった。儒教的生活様式(死者に節を捧げることなど)が身体化されている信徒にとって は、儒教的祭祀を頭では否定できても、身体的な衝動を抑えることが容易でないこと。さらに 大きな問題は、両親や祖父母が非クリスチャンであった場合に、儒教的には祖先神として崇め られるはずの彼らが、プロテスタントの教義に当てはめると地獄にいることになるという心理 的な葛藤である。 また、家族が一堂に会する追悼式の場は、家庭内における各構成員の宗教の違いを明瞭化し ていることにも触れておきたい。伊藤亜人は、韓国では、日本の仏壇や檀家などのように「イ エ」と宗教に密接な関係がなく、「個」の主体性が強いと指摘する42。確かに、義母は仏教徒で 嫁はクリスチャンなど、個がそれぞれの宗教を持ち、共存している家庭は多く存在する。とこ ろが、[ソン・ヒョンドン:2008]や[イ・ジョンドク他:1995]などの先行研究によると、葬儀や 祭祀の場においては、クリスチャンと非クリスチャン間の戦いが、いまだに激しく続いている と報告されている。本インタビュー調査においては、家族間の激しい対立は過去のものとなっ ているが、追悼式について、非クリスチャンの構成員の中には何かしら違和感が残されている 42 同じような指摘をキム・ジョンソもしている。「ここがへんだよ韓国人…父は寺、息子は教会通い!?」 『朝鮮日報』インターネット版日本語,記事入力2008年7月24日ことが語られている。本研究ではクリスチャンを対象にインタビュー調査を行ったため、非ク リスチャンの追悼式へのまなざしの詳細は明らかにできていない。今後の課題として、非クリ スチャンへの聞き取りを行うことで、より立体的に追悼式を描くとともに、異なる宗教を内包 する親族関係の実態をより詳細にできるかもしれない。 参考文献 (韓国語文献) パン・ウォニル「混合現象を理論化する−韓国プロテスタント儀礼の定着過程を中心に」『宗教学研究』20 号,韓国宗教学会,1997 キム・ハクト『韓国の伝統葬祭と聖書的葬礼意識』,パルン信仰,1991 リュ・ソンミン「韓国キリスト教儀礼に対する歴史的考察」『宗教研究』16号,韓国宗教学会,1998 イ・ボクキュ「韓国プロテスタントの追悼式の現況」『宗教と祖先祭祀』,民俗苑,2005 大韓イエス教長老会教育部編『標準 礼式書』,大韓イエス教長老会総会,1993 キム・ユンソン「キリスト教儀礼の構造と変遷」『韓国宗教研究会』17号,韓国旧教研究会,1996 チャ・ウンジョン「1960年代以降韓国プロテスタント儀礼の変化に対する研究」,ソウル大学校碩士論文, 1997 リュ・ソンミン「現代韓国キリスト教の死観」『全州史学』7号,全州大歴史文化研究所,1991 チョン・ヒョンレ「葬礼・追慕礼拝このように準備しろ」,アガぺ出版社,2000 チェ・ヒボム「祖先祭祀に対するキリスト教的理解」『ソウル神学大会報』,ソウル神学大,1989 ペク・ナクジュン『韓国基督教史』,延世大学校出版部,1979 パン・スンピル「キリスト教的観点からみる祖先崇拝」,韓南大学校碩士論文,2002 ユン・ギソク「祖先崇拝に対する倫理的研究」『基督教思想』,1969年11月号 韓神大学校学術院神学研究所編『韓国人の文化意識調査』,ハンウルアカデミー,2005 オク・ソンドゥク「初期韓国プロテスタントと祭祀問題」『宗教と祖先祭祀』,民俗苑,2005 全州大学校歴史文化研究所編『韓国人の死後世界観』,全州大学校出版部,2001 イ・ヨンミ「韓国人クリスチャンの葬祭礼および葬礼意識に関するアンケート調査分析−聖書的観点から」 『韓国人の文化意識調査』,ハンウルアカデミー,2005 ソン・ヒョンドン「家族構成員の宗教分布が家族葛藤に与える影響−葬祭礼を中心に」『宗教研究』50輯, 2008 イ・ジョンドク,キム・ミギョン「家族内宗教葛藤に関する研究」『韓国家庭管理学会誌』第13巻4号, 1995 古田富建「韓国プロテスタントの生涯儀礼−追悼式を中心に」『宗教と一生儀礼』民俗苑,2006 (日本語文献) 秀村研二「儒教という伝統」『アジア遊学 特集朝鮮社会と儒教』NO.50,勉誠出版,2003 伊藤亜人『アジア読本 韓国』,河出書房新社,1996 キム・ハンス「ここがへんだよ韓国人…父は寺、息子は教会通い!?」『朝鮮日報』インターネット版日本 語,記事入力2008年7月24日(確認日2009年8月28日) この研究は帝塚山学院大学共同研究費、韓国国際交流財団滞韓研究フェローシップの助成による結果の一部 である。 −29−