保険における危険選択と公平性
宮 地 朋 果
■アブストラクト
保険契約における公平性に関しては,保険数理や統計的なデータのような 客観的判断とともに,国民性や価値観などの主観的判断も加わる。本稿は,
これらの要素がいかに組み合わさり,公平性という価値判断が生成されるか 理論的に考察することを目的とした。危険選択は,保険会社や保険数理の枠 組みにおける判断と,一般消費者の認識との乖離が特に顕著となるおそれが ある。したがって,保険数理的公平性と社会的公平性もしくは公共性をいか に図るかという視点が必要となる。逆選択の不利な影響を防ぐための危険選 択や,適正なリスク細分化が求められるが,社会・経済制度も含む様ざまな 環境変化により,その根拠となるべき価値判断の基準も変わる。近年その速 度が高まるなか,社会環境の変化に事後的に対応せざるを得ないという保険 の限界を鑑み,危険選択をはじめとする保険実務の在り方を,実務・研究の 枠組みを超えて,広く検討することが期待される。
■キーワード
危険選択,公平性,リスク細分化
1.はじめに
保険契約を結ぶにあたり,保険者はその申込みに関する危険度の大きさを 測定・評価し,契約承諾の可否および条件を決定する。この一連の過程が危
*平成21年10月25日の日本保険学会大会(龍谷大学)報告による。
/平成22年10月25日原稿受領。
険選択と称される。危険選択においては,リスク細分化をどこまで進めるこ とが妥当かつ合理的であるかという判断が常に必要となる。また,リスク区 分には,統計的な信頼性に加えて,社会的合意を得ることが不可欠とされる。
しかし,何をもって 公平 とみなすかについては,保険数理・経営の枠組 みにおける判断と,一般社会の考えとの間に乖離が生じる場合もある。
損害保険料率算出団体に関する法律 の第8条に, 料率団体の算出する 参考純率及び基準料率は,合理的かつ妥当なものでなければならず,また,
不当に差別的なものであつてはならない とある。ここで考慮すべきは,
不当に差別的なもの の意味するところである。
保険の枠組みにおいては,契約者が負担する保険料は,保険数理的な公平 性に基づき,各自がその保険において保障もしくは補償される危険度に応じ て定められる。しかし,保険制度および保険会社が有する社会的役割や公共 性の観点から,契約者間の公平性の追求よりも,より多くの消費者に保障も しくは補償を供給する姿勢や,リスク細分化の緩和等が求められる可能性が ある。
本稿では,危険選択における公平性を論じるにあたり,遺伝子検査と保険 をめぐる動向,非喫煙者割引の導入,危険度の高い職業に対する保険料の割 増や男女別料率などの事例を挙げて検討する。そのうえで,危険選択におい て,リスク細分化をどこまで進めることが妥当かつ合理的であるかを判断す る際の基準とは何か,また,何をもって 公平 とみなすかについて考察す る。
2.危険選択と市場の失敗
保険市場において情報の非対称性(asymmetric information)が存在す る に も か か わ ら ず,十 分 な リ ス ク の 類 別 が 行 わ れ な け れ ば,逆 選 択
(adverse selection) 発生のおそれがある。一方,保険原理を追求し,リス
1) 一般に保険の仕組みでは,危険度が高いほど受益の機会が多く,標準的な条 件で契約が可能であれば利益が大きくなるので,意識的あるいは無意識的に,
ク細分化を進めることにより発生する問題として,クリームスキミング が 挙げられる。高リスク者が保険料の高騰に対応できない等の要因で無保険者 となることにより,社会的費用が発生する可能性も生じる。影響が過度の場 合,逆選択とクリームスキミングのいずれにも市場の失敗につながる危険性 がある。
生命保険,医療保険等の加入時における高リスク者への対応として,①保 険金額による制限(契約金額に上限を設定するなど),②詳細な告知項目や 医師による診断が不要の保険商品の提供,③リスクに見合った高い保険料率
(割増)や免責条項の設定などが考えられる。
近年,保険会社の商品開発における工夫が進んでおり,高リスク者を対象 とする保険商品も増加している。たとえば,簡単な告知項目のみで加入でき る高齢者対象の医療保険や,仮に療養中であっても,薬品などの摂取により ある程度体調のコントロールが効く場合は加入可能な医療保険などである。
また,HIV陽性者や難病患者など,高リスク者に対象をしぼった保険商品 も開発されている。
これらの場合,保険事故発生の確率は有意に高いが,保険事故発生の時期 や経過など,何らかの点で偶然性を有している( 0<
r< 1)ため,民間保
険の枠組みにおいて対応可能なリスクであると保険会社が判断したものとい える。これにより,保険料負担(支払い)が可能な経済力を有するか否かと いう意味での 保険料負担可能性(affordability) の制約は,依然として 消費者側に残るものの, 保険入手可能性(availability) は満たされる。しかしリスク区分の緩和は,保障(補償)対象の拡大や外部不経済の減少な ど社会的な効用をもたらす一方,過度に進めば民間保険制度の成り立ちや存
保険加入や契約金額の増額を行う傾向が高くなることを指す。主観的な危険度 がある程度,高くなければ,そもそも保険加入の誘因も存在しないため,消費 者からみると,逆選択は合理的な経済行動であるとも考えられる。
2) クリームスキミングとは,保険者が保有する危険選択情報を利用して,低リ スクの場合のみ保険加入を認めることを指す。
在意義の否定にもつながり得ることが指摘できる 。
3.保険市場における逆選択
⑴ 生保分野における逆選択
生保分野における逆選択には大きく,①高リスク者が告知することなく標 準料率で保険に加入する,②高リスク者がより高額の保険契約を結ぶ,とい う2つの形態がある。生保分野における逆選択の事例として広く知られてい るものに,自殺の免責期間と自殺件数との相関がある 。
日本の自殺免責期間は,第2次世界大戦後,2年が一般的であった。経済 成長が続き,自殺による死亡率が低下したことにともない,1974年から1999 年頃まで自殺免責期間は,簡易保険も含めて全社的に1年に設定された。自 殺免責期間が1年であったときには,13月目の自殺件数が12月目の自殺件数 に対して,有意に多いことが指摘されており ,生保分野における逆選択の 事例として,しばしば取り上げられる。
2000年前後に,自殺の免責期間を国内大手生保の多くが2年間,外資系生 保が3年間と設定したことにより,逆選択の負の影響が国内大手生保にみら れるようになった。そのため,国内大手生保も相次ぎ免責期間を変更し,現 在では3年間が一般的となっている。
警察庁の統計によると,日本国内における自殺者は1998年以来,13年連続 で毎年3万人を超えている。社会・経済情勢を背景とした雇用不安や不況,
うつ,疾患などを要因として,次回の調査においても3万人を超えるとの予 測がなされている。今後の状況次第では,免責期間のさらなる長期化の可能 性もあるが,世論や社会的責任などを考慮し,慎重に対処する姿勢が生保会 社に求められるだろう。また自殺については,契約時の逆選択への対策と同 時に,保険契約者や被保険者が契約後,故意に事故率を高める可能性が長期
3) 宮地朋果(2008
a),pp.
42‑44。4) 宮地朋果(2008
a),pp.
32‑33。5) 月足一清(2001) 生命保険犯罪 ,東洋経済新報社,pp.273‑275。
にわたり残るため,モラル・ハザード対策についても十分に留意する必要が ある。
生命保険業における逆選択の例として,他には英国の終身年金保険市場の 事例が挙げられる。これは,終身年金保険加入者のほうが,加入していない 人よりも長命の傾向があるというものである。また,がん保険において通常,
設けられている3ヶ月程度の待ち期間(waiting period)は,保険会社によ る逆選択防止策の1つである。たとえば,乳がんはしこりなどの自覚症状に より,罹患に気づく場合が多いとされるため,待ち期間の存在が有効ながん とされる。しかし,リスクに対する認識とそれらを適切に処理したいという 経済合理性を持つが故に保険ニーズが喚起されることや,保険の持つ社会的 責任の大きさを鑑みて, 逆選択 の呼び方自体を疑問視する向きもある。
⑵ 損保分野における逆選択
損保分野における逆選択の例として,地震リスクが高い地域ほど,火災保 険への付帯率 や世帯加入率が高くなることが挙げられる。地震保険の基本 料率は,建物の構造(木造,非木造)と所在地(全国を1等地から4等地ま で分類。4等地が最も基本料率が高い)により決定される。地震保険の基本 料率は,2007年10月1日に,損害保険料率算出機構により改定された。本改 定は,政府の地震調査研究推進本部による地震発生の最新予測にもとづいた 変更であり,全国平均で木造住宅が9%,非木造住宅が5%,保険料が低減 した。
損害保険料率算出機構によると,2009年度の地震保険の付帯率は,全国平 均で46.5%(2008年度は45.0%)となっている。付帯率は,2003年度以降,
7年連続して増加している。また同調査によると,2009年度の地震保険の世 帯加入率は,全国平均で23.0%(2008年度は22.4%)である。
2009年度の地震保険の付帯率が,日本国内で最も高いのは高知県で75.4%
6) 当該年度中に契約された火災保険契約(住宅物件)に地震保険契約が付帯さ れている割合を指す。
(2008年度は72.6%)であり,基本料率が最も高い4等地となっている。た だし改定前の高知県の等地は2等地であり,その当時の付帯率は低かったた め,地震保険の世帯加入率は21.0%(2008年度は20.6%)とそれほど高くな い。高知県に続いて,地震保険の付帯率が高いのは,宮城県で66.9%(2008 年度は62.9%),世帯加入率は32.5%(2008年度は30.9%)である。改定前 後とも2等地であるが付帯率が高いのは,2008年6月14日に発生した岩手・
宮城内陸地震の影響によるものと推定される。続く愛知県は64.2%(2008年 度 は63.3%),世 帯 加 入 率 は34.5%(2008年 度 は33.9%)で あ り,4 等 地
(改定前は3等地)となっている。
一方,地震保険の付帯率が全国で最も低いのは長崎県で29.5%(2008年度 は27.1%),世帯加入率は10.2%(2008年度は9.4%)で,1等地である。続 く群馬県は32.7%(2008年度は31.4%),世帯加入率は12.2%(2008年度は 11.7%)で,1等地である。その次は長野県で33.9%(2008年度は30.7%),
世帯加入率は12.1%(2008年度は11.3%)となっており2等地である。
このように,等地と付帯率や世帯加入率には相関が指摘できる。県民性や 過去の地震による影響度の大きさ等,様ざまな要因により若干の幅があるも のの,総じて,地震リスクの大きな地域ほど,地震保険に加入する傾向,す なわち逆選択がみられることが明らかになっている。また地震保険の基本料 率に関しては,2011年3月に発生した東日本大震災に伴い,再検討の必要性 が指摘されている。
4.危険選択における差別
⑴ 危険選択における遺伝子検査と家族歴の位置づけ
危険選択において,許されざる 差別 と妥当かつ合理的と考えられる 区別 とは,表裏一体となっている。その境界線は,保険数理のみに基づ かず,時代・社会環境,法律,国民性や文化・慣習,人びとの価値観や保険 制度への理解度ならびに許容度といった諸要因により変遷する 。リスクの
7) 宮地朋果(2008
a),pp.
33‑35。高低によって差を設けることのすべてが,差別につながるわけではない。た とえば先天性の心奇形については,危険の類別の対象となっているし,医療 保険等における非喫煙者割引や優良体割引も日本において既に行われている。
危険選択における差別を論じるうえで,ここでは,遺伝子検査と家族歴の 位置づけについて検討する 。危険選択における遺伝子検査結果の利用可否 は,少なくとも現時点では日本の保険計理に大きな影響を与えておらず,遺 伝子検査の受診を保険加入の必要条件とする保険会社もない。したがって,
遺伝子検査と保険をめぐる問題は,日本においては保険経営の実際的な問題 というよりも,保険契約者間の公平性を保険学の視点から論じる理論的なも のとなっている 。
現在,日本では,危険選択において遺伝子検査結果を利用することに関し て,反対の声が圧倒的である。患者や家族のためのカウンセリング体制や経 済的な救済制度が不足していることに加え,プライバシー保護や遺伝子差別 などに関する問題が山積しているので,社会的な合意や理解が得られないか らであると考えられる。
米国においても, 歴史的に,生命保険申込者に対してその人の死亡また は就業不能に関連する危険に応じた料率を賦課する慣行は,社会の大多数の 人びとから公平であると考えられてきた。しかし近年,危険分類を行うこと の公平性について社会の受けとめ方は変わりつつあり,公平であるとする人 の割合は低下してきている 傾向がある。
またデータは少し古くなっているが,米国生命保険協会(ACLI)の1994 年
MAP
調査によると,遺伝子検査の受診日,受診場所,受診理由がいかな るものであっても,保険会社がその検査結果を利用することは認められるべ8) 宮地朋果(2008
a),pp.
35‑40。9) 宮地朋果(2005)
10)
K. Black, Jr. and H. D. Skipper, Jr.
(1996)Life Insurance Twelfth
Edition
(訳 生命保険第12版 安井信夫監訳,江澤雅彦他訳,財団法人生命保険文化研究所),p.504.
きではないとする回答が約80%にも上った 。
国民全員を対象とする包括的な医療保険制度を持たない米国 と比して,
日本の社会・経済的背景は大きく異なると言えるが,上記のような国民の意 識の変換を背景として,2008年5月に米国で遺伝情報差別禁止法(Genetic
Information Nondiscrimination Act : GINA
)が 成 立 し,雇 用 主 や 医 療保険会社による個人の遺伝情報に基づく差別を禁じたことは注目に値するだ ろう。これにより,雇用主が従業員の雇用・昇進に際し,遺伝情報を利用す ることが禁じられる。医療保険においては,特定の疾患にかかりやすい遺伝 子を持つという理由のみで,現時点では健康な人を謝絶することや,割増保 険料を課すことが禁じられる。
保険実務における遺伝子検査結果の利用や検査の要求については,現在,
世界的に禁止や制限の動きがあることは否めない。しかし,今後の環境変化 によっては,現在の危険選択において 差別 と評されることの多い遺伝子 検査結果の利用が適正と認識されることも考えられる。疾病構造や死因構造 の時代による相違や,医療技術・診断技術の発展に合わせて,危険選択にお ける診査手段が変遷してきた ことを考慮すると,臨床で遺伝子検査が一 般的に行われるようになれば,その結果利用の可能性も高まるだろう。
医療技術の発展や,臨床における遺伝子検査の一般化等により,保険契約 者などの行動変化が起こり保険経営に著しい影響が生じれば,遺伝子検査の 扱いに関しても
HIV
抗体検査と同様な経緯を踏襲していく可能性がある 。HIV
抗体検査が危険選択に導入されたのは,1985年で米国が最初である。しかし当初は,高額契約に対してのみ検査が行われたため,逆選択が多く発
11)
Donald C. Chambers
(1996)“U.K. insurance gain ground in genetic testing debates”, Reinsurance Reporter, Issue No.
147,
2Quarter
.12) 2010年3月23日に医療保険制度改革法が成立したことにより,米国の無保険 者は2010年現在の約17%から5%程度にまで低減することが期待される。
13) 佐々木光信(2001) 生命保険の危険選択 保険学雑誌 第574号,pp.48‑
49。
14) 宮地朋果(2008
a),pp.
33‑34。生した。また抗体検査の精度に疑問があるとし,HIV抗体検査を危険選択 に利用することを禁止する州もあった。しかし,後に検査方法や結果に対す る信頼性が確認され,HIVがエイズの原因であることが明らかになったた め,HIV感染者の保険加入を認めることは健康な保険契約者に不当なコス ト負担を強いるものであり,糖尿病や心臓病など他の疾患を理由として保険 加入ができない人びととの公平性を欠くという認識が広まった。抗体検査を 禁止していた州やワシントン
DC
などから,保険会社が相次いで撤退し,1988年末までには,生命保険の危険選択において抗体検査を用いることを禁 止する州はなくなった。ヨーロッパにおいても,1986年から1988年頃にかけ て
HIV
抗体検査が相次いで導入され,現在ではほとんどの国で実施されて いる。しかし日本においては,欧米と比してエイズの患者数が少ないため,費用対効果という観点から現在のところ導入が見送られている。
これらを前提とすれば,現在は差別もしくは不適切とされる危険選択の診 査手段も,合理的かつ妥当なものと評される可能性があり,実際に,告知書 の内容は少しずつ変遷してきている。たとえば1970年代に全米に広まった非 喫煙者割引であるが,日本においても,喫煙と健康との相関が明らかになる につれて,保険商品への導入が増加している。
それとは逆に,従来,保険会社による利用が正当と考えられてきた情報の 入手が制限あるいは禁止される可能性もある。たとえば,米国では1970年代 初頭まで,人種に基づくリスクにより加入を拒否する,あるいは高い保険料 率を課す保険会社が存在した。しかし現在では,人種による料率分類はすべ ての州で禁じられている。
家族歴の扱いにも変化が生じている。危険選択において遺伝子検査結果の 利用が禁じられても,正確かつ詳細な家族歴が入手可能であり,かつ保険金 額に上限を設定するならば,逆選択の影響はそれほど大きなものにはならな いとされた。実際に,欧米では多くの国が,近年まで危険選択に際して家族 歴情報を利用しており,家族歴は医的選択における一般的な質問項目となっ ていた。しかし,利用を疑問視する動きが顕著になり,欧米において家族歴
は利用されなくなった。また,日本では既に,保険会社は通常,家族歴情報 を危険選択に利用していない 。
家族歴に基づく危険の類別を必要とする一般的な根拠として,以下が挙げ られる。
①家族歴は,生命保険業の危険選択において伝統的に聴聞されてきた。
②正確かつ詳細な家族歴が入手可能であり,保険金額に上限を設定するな らば,逆選択の影響を小さなものにすることが可能となる。
一方,家族歴に基づく危険の類別が妥当ではないとする根拠は,以下のと おりである。
①記録の不備,記憶の曖昧さなどによって,家族歴情報自体の正確性に問 題がある。
②家族歴に基づくリスク評価の信頼性に問題がある。
③日本のように家族歴を通常は用いない国でも,危険選択が適切になされ ている。
④既に不利な状況にある個人や家族を更に不利な状況に追いこむ恐れが指 摘される。政府・保険業界の対応について,差別を是認するものとして 非難する動きもある。
⑤離婚の増加や家族形態のあり方の変化によって,父性に関する問題が生 じる。
欧米の危険選択において家族歴が聴聞されなくなった要因の一つとして,
英国
HGC
(Human Genetics Commission)が2002年5月に提出した報告 書 が挙げられる。本報告書では,すべての遺伝情報が同様に保護される 必要はないが,その情報が持つ機密性の程度によって,要求される保護の水15) 1974年まで日本の告知書には,実父母,実子,配偶者についての家族歴の欄 が設けられていたが,現在は業界の自己規制により情報収集がされていない。
16) 個人の遺伝情報の利用や管理をめぐる利害調整を目的とする広範な報告書
(Inside Information−Balancing interests in the use of personal genetic
data)である。詳しくは,HGC
のホームペー ジ(http://
www.hgc.gov.uk
) を参照されたい。準が定まるとしている。そのうえで,家族歴を個人の遺伝情報の一つとみな し,家族歴の利用を正当化する基準の見直しを推奨していた。英国大手保険 会社の調査によると,生命保険における保険料割増のうち家族歴を要因とす るものは1%以下,重病保険における保険料割増のうち家族歴を要因とする ものは1〜3%であり,家族歴情報のみでの謝絶はないとされていた。
⑵ 男女別料率をめぐる動向と婚姻状況による差異
現在,日本では,生命保険,年金保険,医療保険,自動車保険など多くの 保険商品に,男女別料率が導入されている。しかし国によっては,差別とし て禁止する動きもみられる。たとえば,2011年3月1日の欧州司法裁判所の 判決により,男女別保険料率は差別とみなされた。これにより,EU各国に おいては2012年12月21日以降,自動車保険や生命保険,年金保険などに男女 同一料率の適用が求められることになった。
日本の生命保険実務において,男女別の生命表を採用する男女別料率が採 用されたのは1981年4月のことであり,保険の歴史上,実はそれほど古いも のではない。したがって日本においても,保険の危険選択に関して男女別料 率は絶対不可欠なものではないともいえる。また,日本においては通常,自 動車保険の料率分類に男女別料率を用いているが,リスク細分化が日本より 進む米国においても,男性が女性よりも事故率が高いという事実にかかわら ず,州によっては男女別料率を利用しなくなっている。これは,無保険者の 発生にともなう外部不経済や社会問題に対処するためである。
保険実務における新しい動向として,性同一性障害と特例法による戸籍の 性別変更,およびそれが保険実務に与える影響をいかに考えるかについての 議論がある 。これらは,既に保険実務における具体的な課題となっている。
たとえば,2008年10月27日に,岡山地裁倉敷支部が出した判決は,今後の保
17) 性同一性障害と生命保険実務への影響については,佐々木光信(2004) 性 同一性障害と性別変更 生命保険経営 第72巻第4号,pp.39‑57を参照され たい。
険実務に影響をもたらすと考えられる。戸籍上は女性であるが男性として生 活する性同一性障害者が,交通事故による後遺症を負ったとして,事故の相 手に損害賠償などを求めた訴訟であるが,岡山地裁倉敷支部は,男性労働者 の平均賃金を基準に算定した逸失利益を支払うよう命じる判決を出した。性 同一性障害に対する認識や理解が広まりつつあり,日本においても保険実務 における男女差のあり方について,より関心が高まることが予測される。医 学における技術や知識の向上により,社会や個人の生活実態が危険選択に反 映されることを示す事例といえる。
しかし一方で,戸籍上は男性であるが女性として生活する性同一性障害者 の場合,女性として逸失利益を計算すると,戸籍上の性よりも低く見積もら れる。消費者にとって不利な場合の扱いをいかにするか,社会的な性差を評 価することの難しさが検討課題となるだろう。また,戸籍上は女性であるが 男性として生活している場合と,その逆の場合における整合性をいかに図る かという問題も生じるかもしれない。
そもそも,女性の社会進出など社会経済環境の変化に鑑み,逸失利益の計 算における男女差のあり方については再考の時期にあるといえる。5年ごと に実施される総務省の全国消費実態調査(2009年)によると,勤労者世帯の 可処分所得は,30歳未満の単身世帯の女性が21万8,156円,同じ条件の男性 は21万5,515円となり,1969年の調査開始以降,初めて男女の可処分所得が 逆転した。昨今の不況や,業種の相違などの要因も挙げられるが,逸失利益 における男女差を考えるうえでの一つの材料にはなるだろう。逸失利益の算 定は,将来発生する損害を対象とするために,あくまでも,虚構や想定(い つまで生きるかや収入など)を前提としなくてはならない。また,専業主婦 や収入のない子供の逸失利益の計算のあり方,現実に存在する男女間の生涯 賃金格差をいかに考慮するかなど様ざまな実務上の課題が存在する 。
18) 交通事故により娘を亡くした当事者として,また保険学の専門家ではないが 研究者として,逸失利益の持つ様ざまな問題について早くから警鐘を鳴らした 書に,二木雄策(1997), 交通死 岩波書店がある。
一方,婚姻状況による平均余命には明白な相違がみられるものの,料率設 定において,特段の差異は設けられていない。国立社会保障・人口問題研究 所の 人口統計資料集 2008年版によると,1995年における男性40歳時の平 均余命は,未婚30.42年,有配偶39.06年,死別34.95年,離別28.72年である。
女性40歳時の平均余命は,未婚37.18年,有配偶45.28年,死別43.32年,離 別40.49年である。この調査は,1955年から1995年まで5年ごとになされて きたが,男女とも有配偶の属性を持つ者の平均余命が,その他の属性と比し て有意に高くなっている。しかし現在,日本の保険実務において,婚姻状況 による保険料率の相違はない。このように,統計的に明らかな差異が認めら れても,リスクの類別を行うことが社会から容認されない,もしくは社会政 策的な意味合いで制限される場合もある。
5.危険選択が内包する課題
危険選択においては,保険会社や保険数理の枠組みにおける判断と,一般 消費者のそれとの乖離が顕著となるおそれがある。保険数理的には公平で合 理的な区別であっても,社会的見地および倫理的側面から受け入れることの できないものもある。したがって保険実務においては,保険数理的公平性と 社会的公平性もしくは公共性をいかに図るかという視点が必要となる。
保険の役割や機能は,経済制度・社会保障制度を含む社会環境の変化や技 術革新,価値観の変化,保険をめぐる知識・情報の多寡などの諸要因に対応 し,姿をかえてきた。同様に,危険選択のあり方も,保険会社の方針が先行 するのではなく,世論や環境変化への対応により変遷する。
ただし 保険の限界 により,それらの変化に保険会社が事後的に対処 せざるを得ないことや,一般社会の概念と保険原理における常識とに乖離が 存在することなどにより,様ざまなずれやゆがみが生じてくると考えられる。
保険の限界 の他の要因としては,①採算がとれないリスクは保険の対象
19) 保険の限界 という言葉やその概念をめぐっては,前川寛(1982), 保険 の限界 保険学雑誌 ,第496号
pp.
1‑19を参照されたい。とならないこと,②所得や資力の不足のために保険に加入できない,あるい は十分な保険契約ができない者が生じること,③老後の生活などに対して,
事前に備えようとしない者が存在すること等が挙げられ,これらにより,セ ーフティネットとしての公的保険制度の必要性が説明される。保険実務をめ ぐっては常に医療技術や社会・経済制度,司法等における環境変化があり,
そのスピードも近年高まっている。社会環境の変化に事後的に対応せざるを 得ないという 保険の限界 を考慮すれば,尚更それらへの対応を急ぐ必要 がある。
リスク類別の根拠や合理性は,企業の営利性・経済的合理性と倫理との相 克という問題を提起する。また,保険(共済)を供給する団体の立場により,
望ましい料率分類は異なってくる 。一般的に共済は,民間保険と比して緩 やかなリスク区分をとっている。たとえば,都道府県民共済グループの生命 共済における 一律保障・一律掛金 に代表される考え方が基礎にある。
共済には民間保険が追求する保険原理とは異なる,互助や連帯のような価値 基準が働いており,そのことが両者の相違につながるとみることもできる。
また,保険や共済を供給する団体によって,リスク区分や危険選択のあり方 に関する相違がみられる。たとえば,力士やパイロット,タクシードライバ ーなど危険度の高い職業に就いている人の加入に関する扱い等である。各団 体のリスク区分,危険選択のあり方は,公平性と相互扶助のあり方をその団 体がどのように考えているのか,いかなる方向性を目指しているのかをみる 指標の一つにはなるかもしれない。
保険におけるリスク分類はいかに細分化しても,あくまでも確率によるも のであるため,特定の個人・団体などに関して正確かつ詳細な予測をするこ とは不可能である。これは,保険制度がもつ限界や不合理性の一つである。
また,保険料の負担についても,ある程度の不公平を免れることはできない。
20) 宮地朋果(2008
b),pp
.189‑201。21) 年齢により保障内容が6段階にわかれるが,それぞれの年齢群団内では 一 律保障・一律掛金 が実現されている。
たとえば,保険集団の同質性が何らかの要因により維持されない場合,高リ スク者の費用を低リスク者が負担する内部補助(cross subsidization)が生 じる 。保険加入のメリットが内部補助のデメリットを上回る場合は,合理 的な判断として保険が成立する。内部補助の許容度は, 保険 の定義や意 味合いをいかなるものと考えるかによっても決定される。
6.むすびにかえて
リスク細分化と,リスク区分の緩和のいずれもが,その傾向が過度の場合 には問題を惹起する。危険選択と公平性をめぐる考察は,保険の社会的役 割・意義やその限界についての検討に続き,最終的には,保険の定義に関す る本質的な問題に展開する。
また,一般社会の希望や価値観と現実との乖離をめぐっては,保険以外の 多くの分野,制度にも同様の問題が存在する。本稿は,考察範囲を保険にお ける危険選択という狭い対象としているが,この意味において,他の学問領 域と共通するような普遍性や一般性を有する問題意識に基づくものと考えら れる。その意味で,今後,保険学の視座からのみならず,他学問分野との連 携や整合性を考慮しつつ,深耕すべきテーマと位置づけることができるだろ う。
本稿で論じた危険選択とその公平性をめぐっては,アクチュアリーや社医 をはじめとする専門職による研究が既に行われており,それぞれの団体をも とにする学会も存在するため,研究論文数も多い。しかしそれらの研究は,
各論的かつ実務的なものが多く,専門性の高いものとなっている。保険学は,
法学,経済学,医学,工学,心理学など多くの学問領域を結集させた社会制 度であるが,それゆえに専門化が進む分野であるともいえる。
ひるがえって,保険契約をめぐっては,保険金等の不払いに代表されるよ うな,保険会社と契約者とのあいだの意識,知識,情報などの乖離に起因す
22) 保険における内部補助の詳細については,堀田一吉(2003), 保険理論と保 険政策 東洋経済新報社を参照されたい。
る問題が近年,発生している。保険における公平性の価値判断には,客観的 な統計データに基づく分析のみならず,主観が大きく働く。そのため,危険 選択の実務においては,社会環境や世論の変化に留意し,消費者の視点に常 に配慮するとともに,実務や研究の枠組みを超えた知識や情報の共有が従前 以上に求められるだろう。
(本稿は,財団法人かんぽ財団から受けた平成22年度調査研究助成による研究成果 の一部である。)
(筆者は拓殖大学商学部准教授)
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