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内容を基盤とした教授法(CBI)実践としてのI群科目 : 理念, 実態, そして可能性

著者 北村 文, ソーントン, ピーター, 高松 麻里, 徳弘

洋子

雑誌名 明治学院大学教養教育センター紀要 : カルチュー

ル = The MGU journal of liberal arts studies : Karuchuru

巻 4

号 1

ページ 185‑200

発行年 2010‑03

その他のタイトル Learning with Exchange Students in English : A CBI Case Study

URL http://hdl.handle.net/10723/88

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内容を基盤とした教授法 ( ) 実践としてのⅠ群科目

理念, 実態, そして可能性

北 村 文 ピーター・ソーントン 高 松 麻 里 徳 弘 洋 子

1. はじめに

英語を母語としない学習者に対し, 英語で授業 を行い, 英語を習得させる こうした英語教授 法は長い歴史を持ち, 日本の学制においては, 明 6 (1873) 年, 開成学校が 「英学本位制」 をとっ たことに始まり, 近代の最初期から取り入られて いる。 幕末明治期, 漢学や蘭学の延長にあった

「英学」 において, 「英語で学ぶ」 と 「英語を学ぶ」

は混然としていた。 これが, お雇い外国人に育成 された夏目漱石の世代が教壇にたつと, 一気に

「英語を学ぶ」 学制へと収斂していったのは周知 のとおりである (斎藤, 2007)。

明治維新より150年近くを経て, 近年, 高等教 育機関での英語教育は 「英語で学ぶ」 パラダイム へとシフトしている。 そしてこの動向とリンクす るかたちで, 英語教授法としてのContent-Based Instruction (内容を基盤とした教授法, 以下, CBIもしくはコンテント・ベース教授法) を取り 入れる高等教育機関が増えている。 明治学院大学 の明治学院大学共通科目において英語教育の根幹 をなすEFLプログラムも例外ではない。 北村, ソーントン (2009) が詳細に論じたように, 本プ

ログラムは, 学生の英語能力の段階的な発展を目 指している。 まず1年次必修科目の 「英語コミュ ニケーション」 で基礎的な音声, 文法, 語彙の知 識を習得する。 なお, 明治学院大学のなかでも独 自の英語カリキュラムを擁する文学部英文学科, 国際学部国際学科の学生はこの科目を履修しない。

次に, 2年次以降には, 選択科目 「英語研究」 と して, 1年次での学習内容の延長でさらに英語を 学びたいと考える全学部・全学科の学生を対象に, コンテント・ベースの科目も含めた発展的内容の 授業が提供されている。 この二段階を経て, いっ そうのレベルアップをはかりたい学生に対しては, 留学生を主な対象とした 「Ⅰ群科目」 のなかで, 英語の母語話者とともに日本の文化や社会につい て英語で学ぶという機会も提供されている。 この ような流れのなかで, 学生たちが自身のレベルと 興味・関心に応じて, 徐々にフォームからコンテ ントに重点を移していくことが目的とされている。

留学生が日本について学ぶために英語で行われ る授業に, 日本人学生が加わり英語学習の一環と する ここで目指される 「英語で学ぶ」 という 姿勢は, 無論, 明治期のお雇い外国人による英語 での授業への先祖がえりではないだろう。 英語で 授業をすれば, 学生の英語運用能力が自然と高ま

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るというほど単純なものではないことは, 理論的 にも, また長年にわたる英語教育の現場の実感と しても共有される。

ではCBIはどのような理論的根拠にもとづい ているのだろうか。 そこで学習される 「内容」 と

「言語」 とはどのようなものだろうか。 また, こ うしたCBIの理論的な側面を踏まえるならば, 明治学院大学共通科目のEFLプログラムで描か れている理想像は, 果たしてどれほどに実現され ているだろうか。 本稿は, 以上のような問いに応 えるべく, まずCBIを日本の大学教育の文脈の なかで捉え, そのうえで明治学院大学共通科目の

Ⅰ群科目の理論的位置づけを試みる。 これを踏ま えたうえで, 学生・指導教員への聞き取り調査に 基づき, その現状の分析を行う。 最後に, 今後の 改善点への提言を行いたい。

2. CBI

の理論的射程

本節では, まずCBIの理論的根拠や授業運営 の方法論を概観し, この教授法に期待される成果 を見ていく。

2.1. CBIの現状

CBIは, 1980年代より盛んとなった第二言語 および外国語の教授法で, 「言語」 と 「内容」 を 統合して教えることを特色とする。 1960年代の カナダにおける英仏バイリンガル教育のためのイ マージョン・プログラムから発展し, 現在では中・

高・大学レベルでの語学教育, あるいは法学・医 学・エンジニアリング・ビジネスといった特定領 域のEnglish for Specific Purposesの授業まで, 異なる語学習熟度や幅広い学習対象科目に対応す る授業形態が, CBIに含まれる (Brinton, Snow

& Wesche,1989; Met,2009)。

日本の大学教育の文脈でも1990年代後半より 盛んに論じられるようになったが, 現状では外国 語で開講される授業全般を広い意味でCBIと捉 えることが一般的である (富山編, 2006)。 文部 科学省が平成14年度にまとめた白書によれば, 日本全国の687校の大学機関のうち約46%にあ たる318校が外国語による授業を実施している (文部科学省, 平成16)。 これには外国語と日本 語を併用した授業も含まれるが, さらに平成19 年のデータとして, 日本語を併用しない英語だけ で行われる授業を学部段階で開講している大学機 関も, 全体 (742校) の約27%にあたる194校に のぼる (文部科学省白書, 平成19)。 ここに含ま れる授業のうちどの程度が厳密な意味でのCBI に該当するかは定かではないが, 日本の高等教育 機関において 「英語で学ぶ」 というスタイルが定 着を見せつつあることは確認できる。

2.2. CBIの理論的根拠

とはいえ, 英語でなされる授業を受け続ければ, 英語ができるようになるわけではないだろう。 こ のような現状の中で, 改めて, 何をもってCBI とするか, またCBIにおける 「内容content とは何か, どういう言語学習成果が期待され, そ のためにはどういう運営形態・プログラムが効果 的であるのか, という点については様々な立場か ら幅広い議論がなされてきた。

高等教育の文脈においてCBIを考えた時, そ の根幹をなすのは, 言語学習と各専門教科の学習 を統合し, 母語ではない言語を使って未知の分野 について学ぶことで, 「言語」 と 「内容」 を両輪 とした知的活動を促し, より高度な言語能力の獲 得を目指すこと, と要約できよう。

CBIの授業では, 学習者は, 語学以外の人文・

社会科学や自然科学などの専門教科を, 講義・使

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用テキスト・課題提出といったあらゆる学習過程 で, 学習対象言語を用いて学ぶことになる。 この とき, 語彙・文法・構文・内容を理解するといっ た基本的な読み書き能力にとどまらず, さらに内 容について批判的に考察し, 解釈し, 評価すると いった高度な言語運用能力が要求される。 また授 業においては, 講義の内容を理解することはもち ろんのこと, さらに他の学生と議論したり, より 深く理解するために様々な文献にあたって情報収 集をしたり, 最終的にはレポート提出や口頭発表 といった形にまとめるといったことを対象言語で 行うことが必要となる。 こうした一連の作業によ り, 読む・聞く・書く・話すという4つの言語活 動スキルを統合的に高めるアプローチとなってい る。

この教授法の有効性の根拠となっているのは, 第二言語および外国語は, それがある意味内容を 伝える 「手段」 として用いられることにより, 最 も効果的に習得されるという認識である。 未知の 言語については, まずはそれ自体を 「目的」 とし て学ぶ必要があるが, そうした初学の段階を経た あとは, これを 「手段」 として用いる機会を設け ることで, 運用可能な言語として身に付けるとい うわけである。 事実, Cummins (1986) が言う ように, 第二言語/外国語能力とはそれだけで伸 びるものでは決してなく, 学習者の共通基底能力 (Common Underlying Proficiency,以下,CUP) に働きかけることもまた必要となる。 すなわち, 学習者は表層的には第一言語/母語と第二言語/

外国語という個別の言語を操るが, その深部には 語学能力全般の基盤があり, その強化なくして第 二言語/外国語の発展を期待することはできない のである。 この意味でCBIは, 表面上に現れた ふたつの言語のあいだをやみくもに行き来するの ではなく, 学習者のそれまでの知識や経験を考慮

したうえで 「言語」 と 「内容」 を統合し, 深部で CUPの発展をもたらすことで, より効果的な 言語習得を可能にする。 学習者はCBIを通じて, 言語の正しいusageと同時に, 具体的なuse 習得できるのである (Krashen, 1982; Brinton, Snow & Wesche,1989)。

2.3. CBI授業の運営形態

CBI授業の運営形態としては, Met (2009) が まとめるように, 「言語」 重視と 「内容」 重視を両 極として, 様々なバリエーションが存在している。

その中軸を成すのは, Brinton, Snow & Wesche (1989) が分類した3つのモデルである。 担当教 員の専門性, 受講学生の母語, 評価基準の違いに よって, CBIは次の3つのモデルに分類されうる。

テ ー マ 別 指 導 (Theme-based language instruction)

シェルター式指導 (Sheltered content in- struction)

併用指導 (Adjunct language instruction) このうちは語学教員が, あるテーマに基づい た内容を第二言語学習者に対して指導するもので あり, 評価は主に言語についてなされる。 は, 学習対象言語を母語とする専門教科の教員の授業 を, 主に第二言語学習者が受講するものであり, 評価の基準は教科内容の理解度にもとづく。

これら2つの指導方法に対して, 「言語」 と

「内容」 を均等に指導するとされるのがの併用 指導で, 専門教科の教員と学習対象言語の教員と がチームを組んで指導にあたり, 学習対象言語を 母語とするものと第二言語学習者の双方が同時に 受講する。 第二言語学習者に対しては, 言語担当 の教員がサポートにあたる。

とはいえ, 実際の教室運営においては, このよ うに整然と 「言語」 と 「内容」 が分類できるわけ

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ではなく, シラバス決定に際し, 学習対象言語と 学科内容とのバランスを取ることの難しさが常々 指摘されている (Grabe & Stoller,1997; Kasper, 2000)。

また, プログラムによっては 「言語」 重視また は 「内容」 重視の傾向が表れることは確かだが, CBIにおいては 「言語」 と 「内容」 は対立するも のではないという認識も重要であろう。 どういう 授業形態をとるにしても, 「内容」 を軸にシラバ スが組まれ, また第二言語学習者に対して 「言語」

面の配慮がなされていることが共通している。 そ もそも, 常に指摘があるように, 「言語」 と 「内 容」 は不可分なものであり (北村, ソーントン,

2009), CBIとはそうした内容と不可分である言

語の特性を生かした教授法だということもできる。

言語がその意味作用を発揮できるコンテクストの なかで, 読む・聞く・書く・話すという4つの技 能を統合的に訓練することに, CBIの特徴はある。

2.4. CBIが目標とする言語能力

では, こうしたCBI授業を受けることで, 一 体どのような言語能力の獲得が可能なのだろうか。

この点を考える際に参考となるのが, Cummins (1979) が論じる, 初学者が比較的短期間に獲得 するBasic Interpersonal Communication Skills (会話言語能力, 以下,BICS) と, 長期にわたる訓 練を必要とする高度な能力としてのCognitive- Academic Language Proficiency (学業用認知 言語能力, 以下, CALP) の区分である。 言語活 動において場面依存度と認知力という二つのパラ メーターを設定した際, たとえば買い物をすると いったような言語活動は, BICSを備えていれば, ある程度, 状況から判断するだけで意思の疎通が 可能である。 こうした比較的単純な会話能力に対 し, 一方的になされる大学での講義を理解し, レ

ポート提出といったタスクに対応するには, その 場の状況による判断以上に, 文脈に依存しない言 語認知力, すなわちCALPが必要となる。

日本の大学における英語教育の目標が, 中高6 年間の学習をふまえた上で, BICSの段階から, CALPの習得へと移行することが望ましいとい うことは了解されよう。 そしてこの点で, 知的負 荷の高い内容を, 学習対象言語によって理解させ ようとするCBIは, CALPの発達に効果的であ ることが指摘されている (Met,2009)。 もちろん, 実際的にはBICSCALPの境界線は明らかで はなく, CBIがどちらにどれだけの効果を果たし うるかを厳密に測定することは難しい。 しかし少 なくとも大学での授業という場に焦点を当てるに 際しては, そこで培われるアカデミックなスキル CALPの一種とみなし, その発展をCBIに期 待することができるだろう。

2.5. CBIの 「内容」 とDiscourse Community

こうしてCALPCBI授業の到達目標ととら えたとき, では何がその 「内容」 として適切なの か, という問題が浮上する。 CBICALPの訓 練に有効であるとするならば, その 「内容」 もや はりアカデミックなものでなくてはならないのだ ろうか。

Met (2009) がまとめるように, CBIにおける

「内容」 をめぐっては, 様々な議論がある。Crandall

& Tucker (1990) は学術的専門科目に限定して いるのに対し, Genesee (1994) のように必ずし も学術的である必要はなく, 学習者にとって重要 かつ興味のある, 語学以外のトピックであればよ いとする考えもある。 これらをふまえてMet (2009) は 「学習者の認知力に強く働きかける内 容で, かつ対象言語や文化の枠を超えるようなも の」 としている。 いずれにせよ, CBIの 「内容」

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は, 学習者の興味・関心をひきつけ, その知的活 動に貢献するものであることが重要だと考えられ ていることが了解されよう。

さらに, CBIにおけるこうした 「内容」 は, こ れを教授するために使用される 「言語」 と不可分 であり, CBI授業の 「内容」 が, ある程度, その 授業で使われる 「言語」 を規定することも認識さ れねばならない。 たとえばそれが経済学の授業で あれば, その授業で使用される専門的術語といっ た語彙体系および論理構造はおのずと特定されよ う。 これは 「内容」 により 「言語」 の言説レベル が規定されるからである (Mohan,1989)。

Eskey (1997) が言うように, CBIで教えるの は, 「内容」 そのものというよりも, その 「内容」

discourse (言説) なのである。 分かりやすい 例でいえば, 「文学」 をコンテントとするCBI 教授されるのは, 「文学」 そのものではなく, こ れを分析する方法であったりする。 そして, すべ ての分野が, それぞれ特有の知識体系と理論的枠 組みをもち, それが文語であれ, 口語であれ 「言 語」 によりdiscourseを形成・再生産しているこ とを想起しておこう (Swales,1990)。

したがって, 本稿が焦点を当てる高等教育機関 におけるCBI実践は, 学習者に対して第二言語/

外国語の習得をもたらすと同時に, 彼ら彼女らを アカデミックなdiscourse communityに招じ入 れるという役割も果たす。 そこでは当然, 日常生 活世界とは異なる語彙や理論的枠組みが要求され るし, さらに, それぞれの学問領野が特有のdis- course communityを成すことを考えるならば, 学習者がCBIによって専門的な言説への入門を 果 た す と い う こ と も 可 能 と な る (Krueger &

Ryan,1993; Widdowson, 1993)。 そのなかでも, 人文・社会科学の語彙は汎用性が高いのに対し, 自然科学の語彙は低いが, 自然科学において適用

される論理構造は他分野への応用可能性が高い, という指摘がなされている (Met,2009)。

以上の点を踏まえるならば, 効果的なCBI 践においては 「言語」 と 「内容」 の双方に目配り が必要であることは明白である。 さらにこれを大 学レベルで導入する場合には, ただそのふたつの バランスをとるというだけでなく, それを通じて CUPそしてCALPに働きかけること, およびそ れぞれの専門科目が擁するdiscourse commu- nityに学習者を導き入れるということも可能と なる。

3. 明治学院大学におけるⅠ群科目の CBI

としての特徴

次に, 明治学院大学におけるⅠ群科目が, CBI として, どのような特徴と可能性を持つのかを考 えたい。 Ⅰ群科目は,ISP (International Study Program) 生, すなわち明治学院大学の交換留 学協定校からやって来る留学生が, 日本文化や社 会について学ぶことを目的として開講されている。

2009年 度 は “Postwar Japanese Literature &

Film,” “Art and Visual Culture in Japan,”

“Language, Media and Gender in Japan,” “Edu- cation and Society in Japan,” “Marriage in Contemporary Japan : Anthropological Per- spectives” といった人文・社会科学の講義科目 を開講している。 さらに, 墨絵や茶道といった伝 統文化についての実技科目があることも特筆して おくべきだろう。 Ⅰ群科目は明治学院共通科目カ リキュラムの一環であり, 一般の明治学院大学の 学生も受講可能である。 ただし, その日本人履修 者の人数は, クラスごとの留学生履修者数を超え ないものとされており, この3年間の傾向として は, 1015人の留学生に対し, 23名の日本人

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学生が受講生として加わるというのが平均的であ る。 日本人学生は, 学年・学部・学科のすべてに おいて多岐に渡り, それぞれの専攻と履修するⅠ 群科目のテーマとのあいだには必ずしも関連性が あるわけではない。

これら一連の授業で用いられる主要言語は英語 である。 ただし, 指導している教員の大半は, そ れぞれの専門分野について英語圏で研究・指導し た経験をもっていることが多いが, 日本語を母語 としている。 また受講する留学生も全員が英語を 母語とするわけではなく, 北米が過半数を占める ものの, アジアやヨーロッパからの留学生も多い。

つまり, 英語は教室内での主要共通言語ではある が, だからといって英語のネイティブ・スピーカー ばかりのなかに放り込まれるという 「サブマージョ ン」 の環境ではない。 なぜなら留学生のなかには 日本人以外にも英語を母語としない学生がおり, また, 留学生との会話は日本語でなされることも あるからである。 と同時にⅠ群科目は, 第二言語 学習者のみが集まる, すなわち, この場合であれ ば英語を母語とする者がいないなかで英語のみを 用いて授業をするという 「イマージョン」 の状況 でもないことを確認しておこう。

以上のようなⅠ群科目のあらましは, 先にみた CBIプログラムの分類モデル (テーマ/シェルター/ 併用指導) のいずれかに単純に分類することはで きない。 授業形態において 「内容」 への傾斜が高 いことは明らかであるが, しかしながら, それぞ れの専門教科プログラムの一環となっているわけ ではなく, むしろ日本人学生にとっては 「英語」

の一般教養科目として設定されている点に矛盾が 生じる。 換言すれば, 実際に教室で行われている 授業内容とEFLプログラムの中にⅠ群科目が置 かれているという理念上の位置づけとの間に齟齬 があることを意味している。 また, 同じⅠ群科目

のなかでも, ここで使用される 「言語」 は歴史学 や政治学といった分野の講義科目と茶道や墨絵な どの実技科目で異なるであろう。 具体的な実技の 指導にはBICSで対応できる部分が多々あるのに 対し, 人文・社会科学分野を研究対象とする講義 科目を理解するにはCALPが必要不可欠となる。

さらに, 先のdiscourse communityの観点を 踏まえるならば, Ⅰ群科目は 「言語」 だけではな く, 「内容」 においても, 履修者にとって困難を 強いる可能性が高い。 確かに学ぶ対象は日本文化 や社会に関することであり, 日本人学生にとって, ある程度, 既知の情報が含まれることが予想され る。 しかしながら, これが文学研究, 社会学, 文 化人類学といった, 学術分野の立場から講じられ る以上, それぞれの学問分野におけるdiscourse を身につけなければ, その 「内容」 を明確に理解 し, みずから運用できるようになるとは言いがた い。

ただし, こうした二重の意味での挑戦は, 必ず しもマイナスの要因とはいえない。 むしろ, そも そもCBIがこうした 「言語」 と 「内容」 を両輪 とする知的負荷によって, 高度の言語能力を得る ことを想定しているのであれば, 双方においてあ る程度の下地があることは, 相乗効果を生み出す きっかけとなる可能性もある。 また, Ⅰ群科目の うち, 特に講義科目は人文・社会科学の教科であ り, また一義的には, 留学生が日本の文化や社会 について学ぶ機会という位置づけであるため, そ れぞれの専門分野の初学者を対象としている。 し たがって, 講義やリーディング, あるいは授業内 でのディスカッションは, 比較的, 汎用性が高い 語彙によってなされることも想定される。 この点 では, 学習者をそれぞれの専門のdiscourse com- munityへ導入する入り口として, 効果的である 可能性がある。

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以上, CBIの理論的射程と, その中でのⅠ群科 目の位置づけを試みてきた。 次に, その実際の授 業運営について分析を試みよう。

4. Ⅰ群科目の現状とその分析

本節では, Ⅰ群科目を履修する7名の学生への インタビュー調査結果より, 彼ら彼女らの履修動 機や教室内外での経験を考察し, 学習者間の主観 的ニーズや問題を中心に挙げていく。 同時に, こ れを本研究プロジェクトに携わったⅠ群科目を担 当する4名の教員の教育現場での観察・見解と対 照し, Ⅰ群科目の授業運営の内実を明らかにして いく。

日本人学生に対するインタビュー調査は, 2009 年度春学期の終了時に行い, 以下の手続きをとっ た。 まず調査対象となる学生に宛てた 「インタビュー 調査ご協力のお願い」 文書を作成し, Ⅰ群科目担 当教員全員に授業内での配布を依頼した。 5科目, 6クラスで協力の申し出があり, そこから募集に 応じた学生7名 (以下, AからGで示す) に対 して表1に示すようにプロジェクトメンバーがイ ンビューを実施した。 なお, このインタビュー調 査において謝礼の支払いはない。

各インタビューは半構造化インタビュー法を用 い, 以下の質問を共通に設けたうえで, 学生の自

由な発言にまかせる方法をとった。

1. あなたはなぜこの科目を履修しようと思い ましたか。 理由を聞かせてください。

2. あなたはこれまでどのように英語を勉強し てきましたか。 課外活動や留学経験も含めて 聞かせてください。

3. この科目を履修するなかであなたにとって 難しかったことは何ですか。 具体的に聞かせ てください。

4. この科目を履修したことであなたの英語力 は向上しましたか。 なぜそう思うのか理由も 聞かせてください

5. 他にこの科目についてあなたが感じたこと, あるいは何か要望があれば自由に聞かせてく ださい。

それぞれ30分から1時間程度にわたる会話は すべて録音し, 書き起こしたものをプロジェクト メンバーで共有し, 分析にあたった。 なお, 本研 究はきわめて限定的なサンプルに基づくものであ るため, いかなるレベルにおいても調査結果を一 般化することを目的としない。 そのため質的調査 の立場をとり, 諸変数による因果関係に言及する こともしない。

以下の分析においては, 調査参加学生の学年,

1 インタビュー調査の実施詳細

対 象 学 生 インタビュワー

A 2009714 明治学院大学白金校舎 ソーントン B 2009713 明治学院大学白金校舎 北 村

C 2009年7月22日 明治学院大学白金校舎 北 村

学生D・学生E 200979 明治学院大学白金校舎 北 村 200986 神奈川県横浜市内カフェ 北 村 学生F・学生G 2009713 明治学院大学白金校舎 高松・徳弘

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専攻, 性別および履修科目などの個人情報はすべ て伏せる (ただし, 引用文中はそのまま)。 これ らは調査結果の提示においてはほんらい必須の情 報であるが, Ⅰ群科目を履修する日本人学生の総 数がそもそも少なく, 各クラスに平均して数名ず つという状況から, 個人の特定を避け, 協力者の プライバシーを保護するためには必要であると判 断した。 また, 引用文中 [ ] 内には, 引用者に よる注を示した。

4.1. 動機 内容, 語学, そして留学生との 交流

EFLプログラムが想定するのは, 「英語コミュ ニケーション」, 「英語研究」, 「Ⅰ群科目」 という 段階的な英語学習の発展であった。 まずはこの理 念型が現実にはどう現れているのかを検討しよう。

実際のところ, Ⅰ群科目を履修する日本人学生 にとって, 英語を勉強したいというのは共通して みられる動機である。

とりあえず卒業するために優先しなきゃいけ ない教科を割りふって, 空いてる所で英語の [科目] ないかなあって調べた。 (学生E)

1年生は必修で英語取らなきゃいけないんで すけど, 2年生になってから英語 [の必修科 目が] ないんだと思って, それで, 自分で動 かないと英語取れないんだということに気づ き……。 (学生F)

また, 時間や資金の問題で留学がかなわないこ とを理由に挙げる学生もいる。

ひとまず日本にいて留学してるような感じを 味わうためにはどうすればいいかと思って……,

じゃあ他に英語で取れるのあるかなって探し ていて, その時に出てきた。 (学生A)

専門科目とは別に教養科目として それはす なわち, 多くの学生にとっては卒業要件外の取得 単位となるわけだが 英語学習を続けようとい う意欲的な参加態度がうかがわれる。

一方で, 調査に協力した学生のなかに 「英語コ ミュニケーション」, 「英語研究」 という段階を経 て 「Ⅰ群科目」 の履修に至ったという学生は皆無 であった。 先述のように, 明治学院共通科目の英 語科目が必修でない学部・学科の学生もいるし, また, 「英語コミュニケーション」 の直後に2 次で 「英語研究」 と 「Ⅰ群科目」 に同時に挑む学 生, そして 「英語研究」 を履修することなく 「Ⅰ 群科目」 を選択する学生もいる。 また, 入学前あ るいは在学中に中短期の留学経験があり, そこで 培った英語力の維持のためにⅠ群科目を履修した という学生もいれば, これからの留学のために, 国際交流プログラムや協定校留学などを担当する 部署である 「明治学院大学国際交流センター」 で 勧められて 「Ⅰ群科目」 を選択したという学生も いる。

さらに興味深いことに, 授業内での留学生との 交流に重きを置く学生もいる。 本学には, Ⅰ群科 目の主たる対象であるISP生と, 本学日本人学 生との交流のために設けられた, 国際交流センター 運営の 「バディ・プログラム」 があるが, Ⅰ群科 目についてもそこでの活動を通じて知った, とい う学生もいる。 ある学生は次のように言う。

全部コンピューターで履修を決めるので, 目 の届かない範囲とかあるじゃないですか。

[Ⅰ群科目のことは] 知らなかったんですけ ど, バディに参加して, 先輩で, 「留学生と

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仲良くなりたかったら一緒の授業取ると良い よ」 と言われて。 「何がいいですか」 って聞 いたら, 「墨絵とかが楽しいからいいんじゃ ない」 って言ってもらったので墨絵を取りま した。 (学生B)

また他方には, いつかバディ・プログラムに参 加したいという思いのもとにⅠ群科目を選んだと いう意見もある。

バディをやりたかったんですけど, 申し込み をする直前にこの英語力じゃ無理だと焦りを [感じた]。 ……まだそんなに自信はなかった んですけど, バディも取れなかったことだし, 留学生と関わるチャンスを授業で取ろうと思っ て, むやみやたらにたくさん取ってみました。

(学生F)

ここでも, 「留学生と仲良くなりたい」 という共 通の動機が見て取れる。

このように学生間に見られるⅠ群科目への期待, すなわち主観的ニーズは, 英語力向上と留学生と の交流というふたつの要素に収斂する。 このとき 学生にとっては, 留学生と英語で 「何を」 習うの かは, それほどの関心事ではないように見受けら れる。 インタビューにおいても授業の感想を述べ るなかで学生たちは, 扱われた内容についてより も, 語学に関する苦労や留学生とのあいだの人間 関係について多く語ろうとする傾向があり, 彼ら 彼女らの関心の比重が授業内容以外の要素に偏っ ていることが示される結果となった。 「内容習得 を通した英語学習」 という客観的ニーズと, 「英 語の勉強/留学生との交流」 という主観的ニーズ とのあいだに, 大きな隔たりがあることを認めざ るを得ない。

これに対して教員間では, 授業のなかで習熟す べき 「内容」 のほうが圧倒的に重視されていた。

「言語」 に対しては, 留学生に対する講義が主と なっているため, 日本人学生に対して英語そのも のについて指導するということは全くなされてい なかった。 ただし日本人学生以外にも, 英語を母 語とせずむしろ日本語の方が得意であるという学 生がおり, 両者に対して, たとえば日本語での発 言を許可するといったことや, レポートを日本語 で書くことをオプションとするといった対応がさ れていた。 この点においても, 英語の習得は全く 授業の目的とされていないことが分かる。 Ⅰ群科 目が留学生を中心とする授業であることからも, 教員の側が日本人学生の英語学習をそれほどに意 識していない, あるいはできないという現実がみ える。 この意味でも, 英語習得のコンテント・ベー ス学習の場としてのⅠ群科目という位置づけは揺 らがざるをえない。

4.2. 教室での経験 困難と達成

それでは次に, そうした動機のもとに留学生と 机を並べた日本人学生たちが, 実際にどのような 経験をし, それをどのように表すのかを探ってい こう。 言うまでもなく, ここでは墨絵や茶道といっ た実技科目と, 歴史や人類学といった講義科目で は学生の意見も大きく異なってくる。 前者につい ては 先に引用した学生のバディの先輩が言う ように 「楽しかった」 「おもしろかった」 とい う声が多く聞かれるのに対し, 後者については

「たいへんだった」 「つらかった」 という感想が後 を絶たない。 それは, 教員が言ってることがわか らなくても雰囲気でなんとかなるという実技科目 の特性や, あるいは日本人の学生には教員も日本 語で話すという授業運営方法とも関連しているだ ろうし, さらには, 留学生とのディスカッション

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や英語でのプレゼンテーションやリーディング, レポート提出なども課されないという事情がある。

以下では, コンテント・ベース学習としての 「Ⅰ 群科目」 という観点から, 講義科目を中心に, 授 業内での経験を考察していく。

日本人学生の多くにとって, まず英語での授業 で留学生についていくということは大きな挑戦と なる。 特に授業中に発言する, 議論に参加すると いうことが, 第一の難関であることは共通の認識 のようだ。

でも実際しゃべる機会があまりなかった。 自 分からしゃべらなかったからなんだけど。 ……

もう圧倒されちゃって。 何を言ってるのか理 解するのにいっぱいいっぱいだった。 (学生 A)

いや, 自分からはもう, なんか [話せなかっ た]。 もともと知っている知識っていうのも あって, だからそういうのを自分のなかで確 認しているときに, みんながディスカッショ ンしているのを, あ, こういうふうに思うん だって聞いて。 先生が 「何かある?」 とか

「日本人はどうなの?」 とかなったらちょっ と話す。 (学生C)

[授業内で話せていたのは] たぶん, 第一段階 を突破したからだと思います。 ……日本人は 間違うことがいちばん怖いんですよ。 だから, 英語にしてもぺらぺらじゃなきゃいけないと いう観念があるから, 間違った英語話したら すごい恥ずかしいとみんな思ってる。 それを間 違ってもいいやとか, 開き直りがけっこう大 事なんじゃないかな。 だから私, 間違ってても 言っちゃうし。 そこが第一段階。 (学生D)

Ⅰ群科目を担当する教員間では, こうした感想 は, 実は, 日本人だけでなく英語を母語としない ヨーロッパやアジア圏からの留学生にも多く持た れているという指摘があった。 学生へのインタビュー のなかでは, 語学と内容の双方でハンデを負わさ れた彼ら彼女らを気遣う意見も聞かれた。

また, 教員にとっても日本人学生を含む非英語 母語話者たちの沈黙は気になるところとして示さ れている。 これは学生の英語の習熟度の問題もさ りながら, そもそも自分の意見をディスカッショ ン等で述べるという授業スタイルそのものに不慣 れだということに起因するとも考えられる。 そう した状況を受けて, 必ずしも授業中に発言せずと も意見が表明できるように, 授業の最後にコメン トを書いて提出させるという方法をとっていると いう教員もいる。

このように 「Ⅰ群科目」 は, 英語を母語とする 学生に圧倒的に有利な構造となっている。 講義の 聞き取りだけでなく, 課題であるリーディングや プレゼンテーション, レポート・ライティングな どについても, 非母語話者の苦労はつきない。

「アサインメントが読み切れなかった」 (学生E),

「レポートは [日英のどちらでもよかったので]

語数を稼ぐために日本語で提出した」 (学生C) という声が聞かれるとともに, そうした苦難のな かで単位を取得する必要もあるわけだから, 「評 価的にAを取りたいなら, 早すぎたかなと思い ました」 (学生G) という感想も漏れた。 まさに, サブマージョン環境について言われるように,

「泳がねば沈む (swim or sink)」 という逼迫し た状況のなかでもがいている学生たちの姿が浮か びあがってくる。

だが, 彼ら彼女らの苦労は, ただ英語のレベル が高すぎるということだけにも起因しない。 学生 たちは 「先生の話すことはだいたいわかる」 と口

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を揃える。 より問題なのは, 授業中のディスカッ ションにおいて英語を母語とする留学生の発言を 理解することができない, それで議論に参加でき ないというフラストレーションのほうである。

その話における考え方ってのもあるんだけど, それ以前に, 自分からばーってけっこう長い。

考えてることをそのままばーってしゃべるじゃ ないですか。 日本人は意見求めても一言二言 で終わるじゃないですか。 (学生A)

アメリカ人の子たちが多かったので, ばーっ てみんなしゃべって, それを聞いて, みたい な。 ……大変。 しかもみんな好きなことをしゃ べるから。 今のはどのトピック?みたいな。

(学生C)

でもそうですね, 留学生の英語はすごい速く て全然わからないです。 ……なんか, 入って いくにも入っていけないじゃないですか, わ かんないとみんなが白熱してるのを, わかっ てれば 「だよねー」 みたいな感じで入ってい けるけど, それがちょっとわかんないから, なんか, ちょこん, みたいな。 なんか盛り上 がってるな, みたいな感じで。 (学生F)

英語のレベルに加え, 発言のスタイルなどの違 いから, 日本人学生が内容を把握しきれず, その 結果口をつぐまざるをえない, それでも授業はそ のまま続いていく, という授業風景がうかがえる。

この点においても, 実技科目では個々での作業中 は英語と日本語を混ぜて使うことができるため, 日本人学生がフラストレーションを抱えることは 少ない。 事実, 以下のような声も聞かれた。

先生が英語でこうやりますよってハウツーを 説明してる時に, わかんなくても, たぶん, 先生こういうこと言ってるんだろうなってい うのがわかったりとか, 知らない単語とかが あっても, そんな沈まずに, 気持ちが落ち込 むようなことはなくやっていけました。 (学 B)

このように, 「Ⅰ群科目」 を履修する日本人学 生の多くが, ディスカッションのなかで話せない, 聞けないという苦労を口にするが, しかし同時に 彼ら彼女らは, そうした経験から学びとることも あったと言う。 第一に, 英語に関しては, 時間を 経るにしたがって 「リスニングが上がった」 (学 B), 「耳は慣れた」 (学生G) という声がある。

これについては, 授業前に与えられたリーディン グや, 授業中にパワーポイントで示される視覚情 報が助けになったとの意見があり, それぞれの教 員による言語面でのサポートが功を奏していると 言える。 また同時に, 母語話者に囲まれてもがく うちに, 英語に挑むうえでの新たな気づきを得た と言う意見もあった。

もうわからないところは諦めましたね。 しか もディスカッションをすべて網羅しても, ま, 理解するだけだなと思って。 もう, 授業の内 容 [が重要] だと思って。 (学生C)

全部聞き取らなくてもいいんだっていうのを すごい思いました。 ……聞き取れなくても, 一瞬の単語単語で, 今の状況とか考えて, た ぶんこういうこと言ってるんだろうなって。

(学生G)

教員のなかからも, ディスカッションでは活躍

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できない非母語話者でも, プレゼンテーションを 課されると準備を重ね達成感を得ているという指 摘があった。

第二に, この経験がただ自信喪失だけでなく, さらなるモチベイションにつながったという声も ある。

[来学期は] もうちょっと自分の意識も変え て, 適当でもいいからしゃべれるように。 文 法とか間違ってもいいからしゃべるっていう 意識をもうちょっと持ってたほうがいいかな, こういう授業取るのだったら。 (学生A)

英語でディスカッションする機会がなかなか なかったし, なんかおしゃべりとかそういう のしかなかったから, そういうのに物怖じし ないで入っていこうっていう気持ちはついた かな, 前よりは。 (学生E)

このように思いを新たにし, 目を輝かせる学生に は, 今後のステップアップが期待される。

いっぽう 「内容」 については, 先述のように, 学生たちが積極的に語る様子はみられなかった。

「ある程度そのことについての知識はある状態で, それを英語で聞く感じだった」 (学生G) と受け 身の態度があるいっぽう, Ⅰ群科目が扱うのは日 本の文化や社会という日本人学生にとってはなじ み深いとされているトピックであるにも関わらず,

「興味も知識もない, 全くゼロの状態」 (学生A) とか 「一緒に勉強してる感が強かった」 (学生C) とかいう感想も聞かれた。 この意味では, それぞ れの学術領野における専門知識を教授しようとい う担当教員の思惑に反して, 日本人学生がⅠ群科 目を通じてそれぞれのdiscourse community の参入を果たせたとは言い難い。

しかし同時に, 日本の文化や社会について留学 生と議論する あるいは留学生の議論を理解す る, 理解しようとする なかで, 英語に限定さ れない収穫があったという学生もいる。

日本人と日本のジェンダーを語る授業では得 られないものを得られた。 英語力とかじゃな かったけど, 私の場合は。 単語とかね, そう いうのじゃないけど, でも考え方はほんとう に広がって。 (学生D)

「あ, 今の日本人は違うんだ」 とかね。 「実際 はやっぱいろんな子がいるんだ」 みたいな, 崩せたというか。 それで, こっちもこっちで, いろんな意味であったものが崩れたり, 広がっ たりしたから。 そういう面では, 英語という よりは, あ, でも, 英語を使ってそういうこ とをできたのはすごい良かった。 (学生E)

英語力は上がらなかったかもしれないけど, いろんな価値観を吸収できたのは。 ……いろ んな, 自分と全然違う価値観持ってたりする のを, こうなのかって。 それは, ネイティブ の先生の授業受けててももらえるものじゃな いから。 そっちのほうが大きかった気がしま す。 (学生G)

英語力そのものに直接かかわるわけではないが, 授業で学ぶ 「内容」 に導かれて自分の視野を広げ, また自分なりの意見を言うというプロセスを経た ことに対する自覚と, さらにそれらを英語で行っ たことに対する満足感がうかがえる。 こうした達 成は, コンテント・ベースだからこそなし得たも のであると同時に, 英語の母語話者と非母語話者 の双方を含む多様な履修生と机を並べるⅠ群科目

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の特性にも基づくものと言えるだろう。

最後に, 「留学生との交流」 を動機としてⅠ群 科目を履修した学生たちがいたことを思い出して おこう。 授業内外での交流 クラス全体でのディ スカッションから, 授業前後のおしゃべりに至る まで は実際に, 日本人学生たちに多くをもた らしている。 それは 「キャンパスのなかにこんな に留学生がいたんだ」 (学生B) という発見であ り, 「いっしょに協力してプレゼンをやった」 (学 C) という達成感であり, 「留学生のおかげで 脱落しなくて済んだ」 (学生G) という連帯感で もある。 教員のなかにも, そうした学生間のコミュ ニケイションを増幅させるために授業内で母語話 者と非母語話者をペアにするという工夫をする者 がいる。 こうしたきっかけからも, 次なる段階へ の挑戦が生まれることもあるだろう。

以上のように, 日本人学生にとってのⅠ群科目 履修は, 一義的には困難と苦渋に満ちた経験であ るように見える。 周りについていけず, 自分の言 いたいことを言えず, 90分座り続けることを重 ねて, 彼ら彼女らがこうした心情を吐露するに至っ たことは想像に難くない。 しかしこういった状況 だからこそ, 英語を主体的に使う場が提供され, コンテント・ベース学習の場として機能している ことも確認できた。 たとえ主観的には大きく感じ られていなかったとしても, 彼ら彼女らは英語に 関するスキルだけでなくそれ以上のものもそこか ら学び取り, その意味では, 国際的場面や異文化 交流に乗り出すための心構えを培うことができた とも考えられる。

4.3. 浮かびあがる問題点

インタビュー調査では, 学生たち自身の経験を 踏まえて各授業およびプログラムへの要望も挙げ られた。 第一に指摘されたのは, Ⅰ群科目の学内

での認知度の低さである。 「もっとこの授業をみ んなに知ってほしい」 と言う学生たちは, いずれ も授業が検索しづらく, また登録手続きが複雑で あることを問題点として挙げた。 実際, 学内に英 語学習に対する高い関心や意欲があるにもかかわ らずⅠ群科目履修者数が伸び悩んでいるという現 状は, こうしたハード面で改善されるべき点が多 いことを物語っている。 と同時に, 英語だけで行 われる授業だということで学生の側にもセルフス クリーニングが起きているようである。

シラバスが英語なのがちょっと。 つっかえちゃ うのかもしれないですね。 (学生C)

加えて授業運営については, 日本人・留学生両 方の英語を母語としない者に対する配慮が要望さ れている。 先述のように, 教員のなかにはそうし た語学面でのサポートに工夫をこらす者もいるが, しかし, 教員の用いる語彙のレベルや授業の進め 方に工夫の余地があることは, 次のような意見か らうかがえる。

扱う単語が難しかった……, 調べてると次に 行っちゃうとか。 もうちょっとフランクな単 語だったら言えたかなと思うけど。 (学生D)

挙手制にしてくれたらもうちょっと。 みんな がどんどん言っちゃうから, 思ってても, や めとこうかな, みたいな。 (学生F)

一方, 教員にとってもっとも大きい課題点のひ とつとして挙げられたのが評価の問題である。 英 語の母語話者と非母語話者とで異なる評価方法を 用いる, すなわちダブルスタンダードを設けてい るという者もいれば, 日本人学生にはレポートを

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日本語で書くことを許しているという者もおり, 言語能力レベルに大きな差があるなかでの評価の 困難がうかがえる。 授業を理解できないのは, 内 容自体が難しくて理解できなのか, 語学力不足に よるものなのか, それともその両方に起因するも のなのか, 判断が非常に難しい。 さらに, レポー トの執筆といった, アカデミックスキルの欠如の 問題も指摘されている。

このタブルスタンダードの問題は, 日本人留学 生だけにかかわるものではなく, Ⅰ群科目そのも のの評価基準という意味でも重要である。 「内容」

か 「言語」 といった問いは日本人学生対留学生と いった構図で捉えがちであるが, 留学生の中にも 非英語母語話者が多く存在している。 前述のよう に, アジア諸国出身の学生の中には, 英語が苦手 で日本語の方が得意だという学生もいる。 これを 考慮するならば, いかに 「内容」 で評価するかと いう問題は, 単に日本人学生をどう評価するかと いうことにとどまらず, そもそも留学生向けの授 業であるⅠ群科目そのものの根幹にかかわる問題 となる。

以上を踏まえるならば, Ⅰ群を担当する教員は

「内容」 を非英語母語話者にも理解できるものと なるよう工夫する責任があるともいえ, また評価 については 「内容」 と 「言語」 の双方について細 心の注意を払うことが必要であると再認識される。

ただ, 多くのⅠ群科目担当者が英語教授法を専門 としないという背景を鑑みるならば, この点につ いては個々の教員の努力に委ねるだけではなくプ ログラム全体での取り組みが必要となろう。

5. む す び

最後に, 今回の調査・分析を通して見えてきた ことをまとめ, 提言を行いたい。

2節でみたように,CBIとは, 「言語」 と 「内 容」 を両輪とすることでその運用能力を高めるこ とを目的とした教授法であり, 特にCALPの開 発に大きく貢献することが期待されていた。 この 意味で, 明治学院大学Ⅰ群科目の特に人文・社会 科学系講義科目は, CBIとして有効である可能性 があった。

しかしながら第4節でみてきたように, CBI 一形態として想定されているはずのⅠ群科目は, 英語母語話者に圧倒的に有利な構造となっており, 英語を母語としない受講生に対し 「言語」 面のサ ポートはほとんどなされていない状況であった。

また, 日本人学生には授業で扱われる 「内容」 が さほど重視されていないこともあいまって, 彼ら 彼女らはディスカッションやリーディング, プレ ゼンテーション, レポートなどの課題をこなすの に苦労をしていたにもかかわらず, 学術的な内容 の習熟に関しては強い達成感を示さなかった。

この問題は, しかしながら, CBIという教授法 そのものに起因するというよりも, Ⅰ群科目に付 された二重の役割に基づくものであると考えられ る。 同じ教室のなかでふたつのことを同時に達成 しようとする すなわち, 留学生が日本の文化 や社会について学び論じるいっぽうで, 日本人学 生が英語力を発展させる 構造が, 軋みを生じ させていることは事実として確認できた。 特に高 度な内容を扱う, すなわち特定のdiscourseの導 入を試みる講義科目は, 日本人学生に 「言語」 と

「内容」 の二重の負担をもたらすことになる。 あ る程度の英語力を擁し, また, ディスカッション 参加に積極的な学生であればそこでの経験を糧に, CALPを伸ばしていくことが可能だが, そのいっ ぽうで, 英語力に不足を感じている学生の場合に は, 常に 「沈み」 そうな状況を強いられることに なるだろう。

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