歴史襲展の動力としての入口四〇
歴 史 襲 展 の 動 力 と し て の 入 口
南
ぬ
莞
三
β 良
へた4ロワ
本丈は︑昭和八年十二月上旬第二同杜會政策會議のため上京申︑上田博士の主宰ぜらろ﹂入口問題中心の﹃日本経濟研
究會﹄において蓮べろことなゆうされ穴る一夕の座談な︑多少布術もし資料なも増し加へて︑私自から溺後日にそなへ
んがため書き綴つてみ穴ものであるoけれども本棄が速急に纏められた座談にその端な登すうところへ︑さらにこのテ
ヘヘへもーマに.に︑と云はうよりも私自勇にに︑どこかに無理があろと見を2て︑特に結論的部分ば幾度びもの逡蓮なしには草し
得なかつ表︒改あて想存錬纏直ぽす日彪期し穴いものである︒それにつけても︑座談の當時︑熱心なろ研究會同入諸氏
が忌暉なく加へてくれられ穴質義と批評とは︑本丈な草すろ上に絶セ2ず謬考となり︑ま敦或ろ部分においては大いなる
示唆ともなつ敦ので︑この融︑上田博士以下同入諾氏に深謝の意な表ぜればならない︒(昭和九年一月一日の曉)
醐︑
序 説 日 本 に ゐ け る 人 口 論 議 再 燃
の 特 殊 的 契 機 に 關 聯 し て
周ねく知られてゐる﹃世界経濟年報﹄の著者は︑極東における謂ゆる満洲H上海事件の突畿後間もなく︑そ
の當時から再燃し出した日本人口問題の論議に︑次のやうな観測を下だした︒
﹁日本の諸支配階級の帝國主義的×x政策を美化する根篠として︑いつもながら日本における人ロ過剰︑増
加人ロを自國内で養ふことの不可能︑植民地獲得の必要が︑唱へられてゐる︒
﹁日本人が一般に流布せしめることができた人口過剰の理論は︑彼等の帝國主義的接張政策の美化に役立つ
てはゐるが︑しかしそれは決してこの援張政策の原因ではない︒⁝⁝⁝
﹁人口過剰が日本の帝國主義的x×政策の原因として何の役割をも勤めてゐないといふことは︑日本からの
外國移佳が少しもないといふ事實が全くはつきりと示してゐる︒⁝⁝⁝﹂(・)
(1)﹃世界経濟年報﹄第十七冊︼九三二年第M四孚期七ー八頁o
この観測が肯繁にあたれるか否かは別として︑ともかくも日本の﹁過剰人ロ﹂問題が這般の事件を契機とし
て再び頭を擾げて來たこと︑そればかりでなく同事件の突護そのものを日本の人ロ増加に鋸せしむる論者の鮮
少でないこと︑は疑ひのない事實である︒いま私の偶目せる一二の代表的意見を示すならば︑たとへばこ玉に
津村博士の﹃非常時日本の財政及経濟﹄といふのがある︒その一節に曰く︑
﹁今の世の申に︑延びないといふことは︑其の實︑延びないだけのことではなくて︑縮まるといふことだ︒
日本が此上縮まつては︑どうする︒日本の人口は既に九千萬人以上だ︒本土だけでも︑年々百萬の人ロが増加
歴史襲展の動力としての入口四一
歴史襲展の動力としての入口四二
する勢だ︒平均一方キロの土地に︑百七十人からの人間が密佳してゐるのだ︒こんな窮屈な國が他にあるか︒
イギリス並でゆくと︑今の日本の十倍以上の土地︑アメリカ並でいつても︑やはり今の日本の十倍の土地が入
用なのだ︒だから︑日本が延びるといふことは︑自然の趨勢で︑當然の運命だ︒渡々として湧き出る大噴井の
水は︑絡に盗れ出で玉︑そのあたりの土地を浸し︑侵すが如きものだ︒日本どいふ大噴井の水が︑東の側は︑
アメリカの排日で出口を塞がれ︑南の側は︑白人濠洲で︑その出口を塞がれたからには︑北の側は塞いから︑
せめては西の側︑アジア大陸に︑差當つての盗れ口を求むる外ないぢやないか︒これは議論ぢやない︑物理だ︒
物理學の法則が働き出して︑今同の満洲問題を突護せしめたのだとも謂へる︒﹂(2)
(2)津村秀松﹃非常時E本の財政及繹濟﹄昭和八年刊一五七ー︼五入頁o
だが︑より注意すべきは︑先き頃﹃日本人ロ問題研究﹄といふ一書を編み・なほ績いて同問題のより深き研
究に專念せられつ﹂ある上田博士が︑その書のなかで極めて卒直に問題の起りを述べて居られる個所である︒
すなはち博士は夙に日本の人口問題に着眼し︑その國際的危瞼性に世人の注意を喚起せられたのは早くも昭和
二年の春のことであつたが︑人口の量的増加といふ黙のみからではなく・その質的攣化‑年齢構成の推移1
ーの上から︑すなはち﹁過去二十年闇出産率が上り坂にあつた國においては︑今日以後の二十年間に勢働年齢
に達するもの﹂数は年々増加するに相違ないLとの一洞察から︑﹁人ロと産業との釣合﹂といふ意味における
問題を日本當面の重大問題として究明を開始せられた直接の機縁は︑まこと満洲事件に外ならなかつた︒博士
は日ふ︑
﹁前記の如き問題(入口と産業と釣合の取れない時代が現に我國に來てゐろのでにないか︑少くとも將に來らんとすろ恐
れ溝ありはしないか︑との問題‑南註)を私が考へ出したのは古いことであるが︑最近になつて特にこれにっいて
ヘヤあヘヤヘカヘヘヘヘヘヘヘへあへも關心を深くするに至つたのは満洲事件の突嚢である︒即ち満洲事件は人口の腿力に依つて促されたといふ見方
をしたのである︒﹂(3)
﹁昭和二年に私は人ロ増加の國際的危瞼性を考へてゐたけれども︑五年後にその危瞼性が實際問題になると
は豫想しなかつた︒しかし現在ではまだ職孚が起つたのではなく︑國交上の危瞼が來ただけである︒職孚を如
ヘヘヘヘヘへ何にして遜くべきか讐内外政治家の課題であり︑叉諸國民の課題である︒そこで私としてはこの國交上の危機
ヘヘヘヘヘへもヘヘヘヤへリへもヘへもぬヘヘへの根本的原因と︑自分が推定する所の我國人口問題の眞相を研究せねばならぬと考へた次第である︒し(4)
(3)上田貞次耶編﹃日本入口問題研究﹄昭和八年刊五二頁︒
(4)同上五五頁︒傍朧いつれも引用者︒
かやうに上田博士は︑満洲事件の主動因を﹁入口の願力﹂に見︑それが同時に﹁國交上の危機の根本的原因﹂
をなすものと﹁推定﹂せられた︒むろん私のこの一文は︑右と類似の考へ方にその直接の動機を有するのでは
ないが︑かねてより一民族の歴史的喪展とその民族の人ロ蓮動との闇に一定の關聯の存すべきを想ふてゐた私
にとつては︑上田博士の所見は極めて興味ふかきものがあつた︒なぜならば︑満洲事件は日本民族の獲展史上
歴史鰻展の動力としての入口四三
歴史獲展の動力としての入口四四
における軍なる一つの出來事に過ぎないのではあるが︑この出來事の動因を﹁人口の墜力﹂に見るといふこと
は︑私の心ひそかに想ひ浮ぺつ︑あつた歴史獲展と人ロ蓮動との關聯についての︑一つの具髄的︑特殊的な詮
明に外ならぬと思はれたからである︒
そこで私は試みに問ひを立て︑みたい︒一の時代から他の時代への・或ひは一の砒會から他の就會への.歴
史的嚢展に封して︑人口は一罷︑どういふ役割を演するものであるかと︒これはまた︑人口は如何なる意味と
範園とにおいて歴史獲展の動力として考察され得るか︑といふ問題にもなる︒本丈は即ちこの問題への同答の
ための何等かの手懸りを求めようとしたものであつて︑おそらく今は僅かに︑若干關係文献の詮索以上には出
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへもヘへもで得ないであらうけれども︑もしもこの問題が究明ぜられ得て人ロを顧慮しての歴史嚢展の理論が礎立ぜられ
へもへ得るならば︑それはヴァルガの謂ゆる﹁帝國主義的援張政策の美化﹂以上に役立つことだけは確かである︒
=︑
マ ル サ ス の 歴 史 研 究 と ﹁ 退 歩 的 及 び
進 歩 的 運 動 し の 思 想
あらゆる人ロ問題の論議が︑多かれ少なかれ︑或ひは又良かれ悪しかれ︑マルサスの所論との關聯に於いて
読かれるが如く︑歴史獲展の動力として人口を考察する場合にも︑文献史的には一鷹マルサスにまで潮ること
が順序であらう︒事實マルサスは︑人口と食物との關係のうちに彼れの問題の本質を掴み︑そしてこの見地か
ら人類歴史の︑過去・現在及び未來にわたつての獲展諸段階を考察した︒從つて彼れの研究は全艦として︑人
ロ問題の見地よりする人類歴史の一読明とも見ることが出來るのである︒
この見方から︑何よりも先づ重要と思はれるのは︑﹃人口論﹄ーその最絡の第六版について云へばーの
上巻を成してをる第一編と第二編とであらう︒この二つの編は人口問題の歴史編とも稻すべきものであつて︑
彼れの謂ゆる人ロ原理が歴史的に立誰されようとしてゐる部分である︒詳言すれば︑彼れの立てた例の三つの
命 題 i
一︑人口の増加は必然に生活資料によつて制限される︒
二︑人ロは︑ある有力顯著なる障碍によつて妨げられざる限り︑生活資料の増加するところでは︑必す増加
する︒
三︑これ等の障碍︑及び入口を生活資料の水準に抑止する障碍は︑道徳的抑制︑罪悪及び窮乏に蹄する︒
の申︑第一は自明のもの・從つて誰明を要せざるものと考へたが︑後の二つの命題は過去及び現在の人聞甦會
についてそれぞれ立誰されるを要するものと見︑それを企てたのが右に謂ふ二つの歴史編に外ならぬのであ
る︒すなはち第一編は原始民族及び古代融會を︑第二編は近代肚會を︑詳密に討尋してゐる︒
ところで︑右に掲げた三つの命題を通じて我々に襯取されうるのは︑マルサスが﹁人ロ﹂を冨鼠く︒なものと
見︑被規制者としてゐることである︒これに反して﹁生活資料﹂﹁食物﹂が陣a<︒なものと見られてゐる︒す
歴史畿展の動力としての人口四五
歴史襲展の動力としての入口四六
つづなはち右の三命題を約めて云へば︑人ロは三種の障碍によつて食物の範園内に抑止せられ・食物範園が損大す
る場合にのみ人ロは薪たなる水準まで増加する︑といふのであつて︑人口と食物との關係では後者が決定的と
見られてゐる︒從つてこの命題の關する限りでは︑人ロが逆に食物に働らきかける一面があらうとは思はれな
い︒i序七に附言するが︑近時マルサス研究家のうちには︑マルサスの歴史的読明の見地を﹁人ロ史観﹂と
名づける人もあるが︑右に述べたやうな意昧で私はむしろ﹁食物史観﹂と呼ぶ方が︑より適切ではなからうか
と考へてゐる︒
けれども二つの歴史編に就いて見ると︑軍に︑與へられた食物範園の大きさが自然法則の冷酷さをもつて人
ロ増加を抑止する側面ばかりではなく︑逆に人口の不断の増加傾向が食物範園の援大に働らきかける側面が読
かれてあるのを入は見遁がすまい︒そしてこのことは︑第一版についても同じことである︒たとへば右の第一
の側面を要約彊調したものは次の一節で︑これは初版と最終版とで字句の上にも殆んど攣りなきものである︒
曰く︑
﹁⁝⁝⁝まことに紳の力といふ直接の原因がなければ︑一塊の石と錐も落下するを得ず︑一本の草木と錐も
萌え出つるを得ないと信することは︑最も自由なる哲學の精瀞と一致する︒けれども我々は維験によつて︑自
へうへしもヘヘヘヘへ然と呼ぶもの﹂諸作用は常に一定の法則に從つて働らくものであることを知る︒從つて人ロを増加せしめ或ひ
ヘヘヘヘヘヘヘヘへぬヘヘヘヘヘヘマヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへは減少せしめる諸原因(昏︒︒碧ω8亀宕切巳註oロ9a貸畠呂昆櫛ま昌)も恐らく︑我々が知つてゐる他の自然⁝法則の
ヘヘヘへももヤヘへももヘへもヘへもへ如く︑開麗以來不断に作用しつぼけて來たものに違ひない︒
﹁爾性聞の情慾はいかなる時代でも殆んど同様であつたと思はれるから︑それは常に︑代激學上の言葉で云
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへもヘヘヘヘヘヘヘヘヘへもヘヘへば︑與へられたる量であつたと考へてよからう︒一國の人口がその生産し叉は獲得しうる食物以上に増加す
ヘヘヘヘヘへも ヘヘへあへあヘヘへることを阻止する必然といふ大法則は︑我々が一瞬間も疑ふことの出來ぬほど︑我々の眼前に展げられた・我
汝の理解力にとつて明々白々の事實なのである︒⁝⁝﹂(6)
・(6)露聾ぼ・㌔旨︒旦・︒h蜀︒旦蝕8みひ︒幽・く・一﹂"℃ワい遷1いいρ榊永氏課春秋祉版三五二頁︑伊藤券尾爾氏鐸
岩波書店版上巻五九六ー五九七頁︒11・O播尻臼o粂でや旨﹃1冒Q︒・高野大内爾氏繹同入杜版一︼七‑一一八
頁︑谷一]氏課弘丈堂版一一}血ー一一山ハ頁O傍黙引用猷贋O
しかるに他方︑人口の増加が食物範園に働らきかける側面については︑たとへば次の如き叙述がある︒すな
はちマルサスは原始及び古代肚會の移植民に關聯して曰く︑
﹁人類初期の移佳及び植民の歴史は︑彼等を騙つて斯かる學に出でしめた動機と相倹つて︑人類が生活資料
以上に増殖せんとする不断の傾向を有する事實を︑顯著に例誰してゐる︒この種の何等か一般的法則なしとす
れば︑畢覚この世界に佳民は分布しなかつたかも知れぬ︒人闇自然の状態はまさしく癩惰であつて︑勤勉活動
では無いやうに思はれる︒そして後者は︑たとひ一旦獲生せる後においては︑習慣により︑またはこれに基づ
いて形成せられた新たなる結合により︑または事業の精帥︑職捷の渇望等によつて縫綾さる玉ことはあるが︑
ヘヘヤヘヘヘヘヘヘヘヘへしかも始めに必要といふ強烈なる刺戟物曾⑦︒︒寓︒5㈹鵬︒&亀昌8窃ω一9がなかつたならば︑決して獲生した筈は
歴史登展の動力としての入口四七
歴史襲展の動力としての入口四入
ないのである︒L(7)
(・7)H≦9潔ず=uq"り臨b良℃一〇〇h℃ob巳鱒識oロ"軌汁げ①幽・<o]︒斜やONw岩波憎腿上巻一〇五一貝︑春漕秋計 版山ハ一二頁︒但し皿後者㎞μ藁翼鼠一
σq§鴇(職捷)な舅緯9包駐o屯(物質的云々)と誤讃ぜる如し︒傍驕引用者︒
右は軍なる一例示に過ぎないが︑そこには明日に︑絶えす増加する人ロに癒じて生する﹁必要﹂が﹁勤勉活
動﹂に封する﹁刺戟物﹂となつて食物範園の擾大を促進するに至るべき一面が︑承認せられてゐる︒この思想
は︑すでに第一版の終りの二章において︑多分の哲學的・帥學的彩りをもつて描爲せられたものであつて︑そ
こには︑﹁必要は嚢明の母﹂とも記され(8)︑また﹁これ等の刺戟物︒︒臥ヨロド三︒︒を人類大衆より奪ひ去つては︑
一般的破滅的嗜眠状態を現出しないとは限らない︑而して若しそんなことが起るならば︑人類未來の進歩の胚
子は悉く破滅守ある﹂(9)とも述べられてゐる︒
(8)寓巴け嘗9憎置昌2覧ooh℃o℃巳巴︒ジ冨け09やいいQ◎・同入祉版三二四頁︑弘丈堂版三二三頁o
(9)§潔ず霧Lび乙・℃・繊O.同人赴版三二五頁︑弘丈堂版三二四頁o﹁
これによつて見れば︑マルサスの思想のうちでは︑人ロ増加には二つの側面が認められてゐた︒すなはち人
ヘヘヘヘヘヘへもへあ口増加が現存の食物範園内に阻止せられるといふ冨ωω冨な一面と︑それがまた食物範園の横大を促進すると
いふ櫛&器な一面とが並び存してゐるわけである︒しかも注意すぺきことは︑マルサスが︑この二つの相反
ヘヘヘヘヘヤヘヘへもヘヘへもももヘへする側面を相互に何等の關係なきものとしてではなく︑一つの蓮績せる︒周期的に繰り返へす蓮動として把握
してゐたことである︒彼れがコンドルセーに徹つて︑幸幅(或ひは人ロ)に關する﹁退歩的及び進歩的運動﹂
器自︒σq量牙講巳肩oσq円︒ω︒︒等o白o器ヨ︒三ψと呼び︑または簡軍に︑人口の﹁梶動﹂08ロ昌o昌と稽してゐるのがそれ
である︒今は冗長を虞れて關係章句(・︒)の引用を略するが︑節するところこの運動は︑今日の砒會歌態のもと
では次の系列において反覆するものとせられてゐる︒⁝⁝人ロの増加與へられた食物範園との均衡の破壌
ー窮乏の深化・賃銀の低落ー人ロ増加の阻碍(μ退歩的)ー生産の刺戟ー食物範園の損大・薪たなる
均衡の恢復ーi人ロ墜力の弛綾(11進歩的)ー再び人ロの増加⁝⁝︒
( ‑o ) 寓 些 ゴ 3 中 ぽ 9 覧 ① o h 弓 o 智 響 δ P ひ 9 0 9 < o ド 同 鳩 唱 や 昌 ー お い く 9 H 同 噛 ℃ ℃ . ひ 1 鉾 ー 6 栖 韓 o P ℃ や 起 ー い ご 毛 ・
回いOー図い轟.
けれどもマルサスは︑右の﹁退歩的及び進歩的蓮動﹂が周期的に繰り返へすと読く場合︑どの程度の重要さ
を﹁進歩的﹂側面に認めてゐたのであらうか︒むろん彼れが退歩的・進歩的爾側面を合して一つの連績的蓮動
と把握してゐたからには︑その一つが重覗せられて他が輕覗せられるといふことはあり得ない︒しかし我々の
眼前に横はれる現實の歴史は︑一方にその獲展︑他方に人ロ増加︑を指し示してゐる︒人間砒會は震展し︑そ
して同時に人口は増加したのである︒この事實を前にして︑それを︑右の爾面の蓮動から読明するためには︑
ヘヘヘへあヘヘへも﹁進歩的﹂側面をより重親せねばならない︒マルサス自身も︑むろんこの蓮動を絶えす同一の平面において繰
り返へされるものと考へてはゐなかつた︒蓮動の形態は同一であるけれども︑人ロ野食物關係の新たなる均衡
歴史襲展の動力としての入口四九
歴史登展の動力としての入口五〇
が恢復される毎に︑その何れもが増大せる歌態が現出するものと容認せられてゐる︒恰かもヘーゲル的辮誰法
にとつて︑より低き段階からより高き段階への︑これを一言にして獲展の︑概念が本質的であつた如くであ
る︒從つてマルサス自身の思想を徹底せしめても︑人口増加は絶えす進退爾面の周期的擬動を経過するけれど
ヘへもヘへも結局は︑人口封食物關係によつて表示せらる﹄人間杜會を稜展に導くと謂ひうるのではあるまいか︒
マルサスはしかし︑この結論には達しなかつた︑また達し得なかつた︒なぜならば︑彼れの﹃人口論﹄特に
へもヘへ
そ の 歴 史 的 實 誰 編 は 人 ロ 増 加 が ︑ 從 つ て 人 類 の 幸 薦 へ の 進 歩 が ︑ 過 去 及 び 現 在 の 敢 會 に お い て 如 何 に 阻 害 さ れ
ヘヘヘへてゐたかを討尋するにあつたからである︒それ故に我々は︑進歩的側面を認容する章句に齢なからす出くわす
とはいへ︑彼れの論述からは全膿として︑陰欝なる退歩的側面の彊調としての印象を受取るのである︒要する
にマルサスは︑突きつめれば新境地の拓かるべき重要なる一思想を把持してゐながら︑一には﹁天然の吝膏と
人間の霧多﹂といふ當時の特殊事情に︑また一には彼れ自身の歴史科學的知識の局限性に制約されて︑つひに
人類の歴史を陰曙の色に塗りあげてしまつたのである︒
罠︑エルメター及び毛ムベルトの磯展観
マルサスと同時代︑及びそれ以後において︑前述の如き人口の進歩的側面を張調した論者は決して少しとし
ない︒特に顯著なるものには︑前にはオイゲン・デ議ーリング(II)あ少︑近くはアメリカのパッテン(B)があ
つたと記憶する︒けれどもこれ等の論者は︑人ロ封食物の關係についてマルサスと反封の命題を立てようとし
たに止まり︑歴史獲展と人ロ増加といふ我々の當面の問題には燭れてゐないのである︒この問題については︑
モムベルトは最近の大著﹃人口論﹄のなかで代表的な諸論者︑たとへばコヴァレウスキー︑ラウマー︑シユミ
ット︑ゾムバルト等々を指摘してゐるが(13)︑私がこ玉で先づ學げたいと思ふのはエルスターの所設(14)で
ある︒
(11)国・U熔ぼ貯堕∩韓ω器山臼属9凱oロ巴ム昌島ω8邑α〆08日5轟6レ謂φ.目色℃臥びqお哉℃ω・ゆ◎Q鴇・
(12)℃舞窪℃国︒・捧嶺ぎ同8口o巨o目びoo蔓中に敗録の人口論交o
(13)匡o昌ωさ切①&野2琴碧一〇寓ρ}o影HO起℃ω●罵ーHO・
(14)HL巳琶σq囲mけ9トひヒdo<α節o暑轟︒・℃δびHo導獣鱒国鴛伽毛α洋o吾ロ臼◎興ω叶舞3鼠ψm窪ωo訂津o〜剴↑HH℃轟・曾Pω・Q◎器声
﹃國家科學僻典﹄申のエルスターの一文﹃人口問題﹄は︑﹁諸民族の歴史は場所と食物とのための永久の闘
孚である︒最古の時代から現代に至るまで︑その書面は依然として同じい︒﹂といふ一句をもつて始まつてゐる
が︑その所読はほぼかうであるー
場所と食物とのための圃箏は先づ最初︑しかして特に明白に︑民族移動の姿をとつて現はれる︒それは蕾に
我々の歴史時代においてばかりでなく︑有史以前の時代においても彊烈に現はれた︒しからば何が彼等をして
斯く︑國から國へ︑地方から地方へと移動せしめたかと問へば︑エヂュアルト・マイヤーが唱破したやうに︑
﹁その獲條はこの場合︑より富裕なる︑より佳み心地よき地域への憧れや略奪欲ではなく︑むしろ︑元の佳地
歴史駿展の動力としての入ロ五日
歴更登展の動力としての入口五二
とその生産物とが︑増加する人ロを充分に養ひえないとの激しい窮迫である︒諸歌態が原始的であればあるほ
ど︑ますます容易にこの窮乏が現はれ︑そして釜々ひどくそれが感ぜられるものである︒﹂
その一例としてゲルマン民族の移動の跡を尋ねると︑彼等が史上に現はれたときは︑牛開民族であつた︒尤
も彼等は遊牧の民ではなかつたが︑農耕を組筆な形で行ひ︑家畜の勢働力を耕作に用ひたところの︑極く移動
し易い民族であつた︒その土地はふかい山嶽をもつて取りかこまれ︑從つて人ロに封しては僅かの維持力しか
もつてゐなかつた︒極く制限された必要だけが︑やつと満たされうる歌態であつた︒人ロ数のあまりに張烈な
る増加は彼等の生存條件を困難ならしめ︑土地はその窮迫を支へ得なかつた︒故に彼等は人口の過剰部分を次
の二つの方法によつて盧分した︒嬰兇・病躬者・老蓑者を殺すことがその一︑人ロの一部分を他地へ移佳せし
めることがその二であつた︒
かくして始まつたのが︑およそ紀元前五〇〇年頃における西ゲルマン人の移動である︒かつてギリシア人が
その歴史の初め︑最初は東へ︑次では西へと移動するを蝕儀なくされ︑またオスカー人がイタリアに押しょせ
て行つたと同じやうに︑過剰人ロ化された西ゲルマン人は薪たな佳地を求めて移動し始めた︒しかしライン及
ヘへび上流ドナウに設けられたローマ人の障壁は固くして︑この移動民族の大部除はこ玉にはたと喰ひとめられ
て︑この附近に植民を始め︑やがては深く閉された森林地帯に入つて︑耕作を開始し︑農耕の改良によつて︑
漸く︑増加する人口に必要なる生活資料を獲得しえたのである︒
しかし人ロは増加してやまなかつた︒今度は︑エルベとウァイクゼルとの聞に佳んでゐた東ゲルマン人が︑
スラヴ人から脅かされるととも手傳つて︑南へ︑南東へと移動を開始した︒これが四世紀の長きにわたつて績
いた・謂ゆる民族移動くα蒙困零彗傷霞§ケΩである︒この移動民族1それは他民族を脅かしたといふよりも︑む
しろ脅かされたものだつたがーしばしば飢餓と窮迫とに憐まされながら土地と食物とを求めて移動し︑かく
して薪たなるヨーロッパ世界を創造するに至つたのである︒
次いで行はれたのが︑ハインリッヒ一世(在位九日九ー九三六年)の意になつた大仕掛の東ドイツ人の植民で
ある︒その後ドイツの諸候達によつて西部においても行はれたが︑これらは華々しい成果をもたらした︒史家
ラムプレヒトはこれを﹁中世期申のドイツ民族の偉業﹂と名づけたが︑その原因は正に︑當時の過剰人口︑す
なはち場所と食物とのための闘争にあつたのである︒数百年の長きにわたつて人々は新しき佳地を求めて國外
に出た︒武士と僧侶︑市民と農民とが︑妻と子と手持品とを携へて東方諸國へと移つて行つた︒我々は今その
数を正確に推算することは出來ないが︑数十萬に上つたことは確かである︒
かやうにして︑ドイツ民族史上の顯著なる三事實f西ゲルマン人の移動︑民族移動︑及び東ドイッ人の植
民が︑すべて同一の原因に齢すること︑すなはち狭阻となつた食物範園i人ロ問題に鯖することを知る︒
次の世紀においても人口はやはり急速に増加して行つたが︑この時代はむしろ︑國内における自然の富源の
開襲利用の時代であつた︒この時代の特徴的な事實としては︑十三世紀頃まで絶えす行はれたドイツ國内の森
歴史襲展の動力としての入口五三
歴史獲展の動力としての人口.五四
林地帯への植民︑地坪の分割︑ドイツ東部における入ロの廣汎なる分布︑都會への人口集中︑等を算へること
が出來る︒その後ペストが流行し︑農民歌態の悪化等のために︑1十四世紀の申頃から國際貿易がドイツに
盛んとなり︑十五世紀にその繁榮期を示したけれどもー人ロ増加の勢ひは一時停滞した︒十六世紀に入つて
初めて︑(農民の蜂起はあつたが)事態は改善された︑そしてこの歌態は三十年職争(一六一八ー四八年)が
起つて土地が恐ろしく荒慶に蹄し人口減退の現はる蕊まで績いた︒十八世紀において人口は改めて増加し始
めた︒
十九世紀に入ると共に︑全く薪たな時代が現はれる︒この時代を特色づけるものは︑再びの大量の移民であ
るが︑その形態は前時代のものとは異なる︒こ玉では密集した部除が故郷を捨てたのではなく︑︑個々の人間或
ひは個々の家族が︑他の地球部分特にアメリカへ︑彼等の幸福を求めて移り行つた︒尤もこの個別的な移佳形
態は︑すでに十七・八世紀において行はれたところであり︑十八世紀の絡りまでにはその歎二十萬に上ると推
算されてゐる︒この勢ひは十九世紀の二十年代から一暦激しくなつた︒尤もこの世紀の九十年代以降には︑ド
イツ國内における商工業が異常の獲展を途げたので︑移民の傾向は停止し︑却つて外國から勢働力の補給を受
けるやうな歌態を現出するに至つたが︑か玉る情勢の同蒋が完了する前に︑十九世紀申に粗國を捨てたドイツ
人は歎百萬の多きに上つた︒これはドイツのみでなく︑他のヨーロッパ諸國においても同じであつて︑十八世
紀末から近年に至るまでの間にヨーロッパ全土からアメリカに行つた移民の総数は五千萬人を超ゆると推算さ
れる︒その数において︑またその形態において︑十九世紀における移民は蕾時の移民と異なつてゐる︑がその
原因は同じであること︑すなはちひとしく過剰人口を遜けんとするにあつたことは︑史家ラムプレヒトも論誰
する所である︒
かくして我々はーと︑エルスターはこのドイッ民族史の素描に締めく玉りを與へる︑1最古の時代から
現代に至るまでドイツ民族の移動の跡を一瞥するにおいて︑常に恢に︑過剰人口に錦せしめらるべき場所と食
物とのための闘争といふ一事に面接するのである︑と(︑5)︒
なほエルスタtは次の個所でかうも概括してゐる︒曰く︑我々は︑二千年以上にわたるゲルマン民族の移動
ヘヤへもぬゐうぬへももへもらを瞥見したが︑これを一例として我々の観取することは︑人口の増加は経濟的襲展に導くが︑それが不充分と
なるか或ひは不可能となる場合に選ばれた途は︑生活維持の制限か或ひは外に向つての移動であつたといふこ
とである︑と(16)︒
(15)類碧◎乏2臼宮︒ゴ恥2Q︒仲聾︒︒註︒︒︒・︒暴︒ぽ常炉臣・図H℃↑卜島・◎Q・Q︒這1◎︒困い・
(16)国ぴ窪魯ω●◎◎覗●傍黙引用者o
以上エルスターの所読によつて見れば︑彼れは民族の歴史をとにかく一貫的に読明し︑﹁場所と食物とのた
めの永久の岡孚﹂として描爲した︒けれども第一︑こ玉で取扱はれてゐる歴史的事件は高々︑民族の移動や移
民で︑全般的歴史の設明では元よりない︒第二に︑人口増加が維濟的後展に導く動因とされてはゐるが︑その
歴史襲展の動力としての入口五五
歴史爽展の動力としての入口五六
﹁維濟的獲展﹂の内容は明かならす︑そのうへ歴史上種々異なる肚會的獲展段階の移りゆきが毫も読かれてゐ
ない︒むろんエルスターはこの小論稿においてか玉る意圖を果たさうとしたのではなく︑軍に人ロ問題の永久
性すなはち人類と共にある所以をゲルマン民族の歴史に徴して墨謹せんとしたのに過ぎないから︑それ以上を
求めることは求める者の無理である︒だが︑それにも拘らすエルスターの所読は︑前にマルサスを尋ねて満足
なる同答を與へられなかつたところの・かの人ロの﹁進歩的﹂側面を︑たとひなほ︒器虫号畠な歴史叙述の形
を透してであるとはいへ︑かなりはつきり前面に持ち出してゐると謂はねばならない︒すなはち︑人口の不漸
の増加傾向が民族の獲展に⁝封する主動力となるといふ一面が描出されてゐるのである︒
エルスクーと共に︑マルサスの正系を縫ぐ人口論者にモムベルトがある︒前に指摘した彼れの近著﹃人口論﹄
は︑謂ゆる﹁人口と経濟との關係﹂の歴史的︑理論的研究としては正に近年における最大の牧穫と稻しうる︒
その所論は到底この一文において紹述し得ないが︑右の問題に封する彼れの態度だけを指摘するならば︑やは
りエルスターと同じやうに︑﹁すべての歴史において人ロ増加はすべての輕濟的並びに技術的進歩の最強の動
力であつた﹂(︑7)ことを承認し︑この黙に關するリストやオイゲン・デェーリングの不當なるマルサス攻撃を
辮じて﹁これらの論者が主張したこと︑すなはち個々の生産段階は種々異なる人口維持力をもつとの考へは︑
たとひそれほど嚴密な表現を得たのではないにしても︑マルサスが夙に知悉してゐたところである︒何はおい
てもマルサスは︑人ロ増加そのものが張く経濟を促進するの傾向を︑不充分な仕方で考察した︒この關聯を彼
れは重覗しなかつたのである﹂(・8)と述べてゐる︒
(17)野ヨび①呂bd雲α貯o︻暮σq鮎95QD・爵◎
(18)周げ9魯ω・ミ目●
か玉る根本的態度を持するモムベルトの詳密なる歴史的叙述(その著の前牛を成す)から︑我々が多くの便
釜と示唆とを受けうることは云ふを倹たない︒けれどもこれを通讃して受ける印象は︑おそらくエルスターの
場合と左程大きい隔たりはあるまい︒いかにもモムベルトは︑個々の民族・個々の時代について︑その時々に
ヘへ存したる人口と経濟との相互關係を明かにし︑しかも時代と共にこの爾封手が相互に制約し合ひながら︑より
ヘへ低きよりより高き段階へと人類砒會を押し進めて行つた跡を示してはゐる︒けれども︑彼れはむろん︑人類歴
史の嚴密なる獲展段階を旺劃したわけではなく︑まして一の段階から他の段階への︑或ひは同じことである
が︑一の肚會から他の肚會への焚展過程において︑人ロ増加がどういふ役割を演すぺきかを定式化したのでは
ないのである︒
四 ︑ ボ グ ダ ー ノ フ の 歴 史 解 羅 と 磯 展 動 力 観
ところが︑こ﹂に一見不思議と思はれることは︑以上の論者とはその學問的立場を全く異にするボグダーノ
フが︑右に述べたやうな意昧において歴史護展の動力として人ロを認めてゐることである︒彼れの一著﹃経濟
歴史機展の動力としての入口五七
歴史装展の動力としての入口五入
科學概論﹄(19)は︑周知のとほり︑比較的程度の低い讃者圏の需めに態じて維濟學の大綱を傅へんとしたもの
であるが︑外見的にはむしろ一つの歴史書たるの観を呈してゐる︒といふて︑それはむろん年代的な歴史書で
はないが︑原始肚禽より現代に至る・いな將來靴會に至るまでの・あらゆる耽會の基本形態を捉へ︑生産關係.
の攣遽︑及びそれに鷹じたる襯念形態の攣革を叙述したもので︑謂は穿一つの﹁歴史的﹂経濟學︑或ひは﹁理
論﹂経濟史の一罷系である︒然らば彼れは︑いかなる仕方で歴史を読明し︑いかなる意味で重鮎を人ロに置い
てゐるのであるか?・
(9王)ボグダーノフ﹃経濟科學概論﹄林房雄・木村泰一両氏鐸改造丈庫版︒
同上イギリス版i¢⇔O㈹α聾Oh酒︾OQゲO﹁一〇〇葺器Oh国8冒5ヨドω9①⇔8℃窪聾匹・げM国庁Φび窪σq"器く・O自畢ピO旨餌O⇔図O悼い●
彼れは先づ人間肚會の獲展を三大時代に匠劃し︑それを更に諸段階に細別してゐるが︑これを表示すると次
のとほりになる︒
崩︑自継自足歴會完讐葺匙ω包やQ︒・融︒轄㈹oQo9⑦な
ー︒原始種族共産主義甲巨三くo貞︑凱び﹄Ooヨ導舅尻8
2︒権威的種族肚會卜昌ぎ葺舞宣嵩撃ま巴O︒日餐琶$
3封建祉會国¢鼠巴ω︒簿蔓
昌︑商業肚會O︒ヨヨ窪︒巨ω8弼団
﹂奴隷制度o︒一奨o還ω遂冨5
a都市手工業制度目o≦昌︼田普亀︒養津oD鴇︒・冨ヨ
3商業資本主義寓︒器,讐旨O唱・犀9♂目
4︒工業資本主義H巳口脊醒9覧邑冨ヨ
㌻金融資本主義踊昌醤80毛鍔壽ヨ
留師︑肥禽的に組織され海融曾ω︒︒芭ぐ9碧・蓼gω8凶①屯
(即ち証會主義杜會oD︒︒芭聾ωo︒陣︒受)
第一時代の自然自足靴會は︑総じて﹁自然に樹する闘孚における杜會入の微力︑個々の肚會團罷の狭少︑杜
會關係の軍純︑交換の訣如叉は未獲達︑及び肚會形態の極めて緩慢な攣化﹂等によつて特徴づけられてゐる
が︑そのうちの﹁原始種族共産主義﹂が次の﹁樫威的種族杜會﹂に獲展する動力は︑技術でもなければ思考の
焚達でもない︑むしろそれは極めて泪極的・保守的だつた︑その保守性を打破せしめたもの︑それを嚢展的な
らしめたものは人ロの増加であつた︑とされてゐる︒すなはち臼ふ︑
﹁故に生産形態の組織物たる思想及び観念の一般的保守性が︑経濟的獲展が極度に遅々として進まなかつた
ことの原因であつたことは︑全く明らかである︒た窒︑人間に封する自然的な強大な力のみが︑原始的イデオ
ロギーの不活濃性︑保守性を打破して︑將來の褒展の刺戟となることを得た︒その力は即ち絶封的人ロ過剰
餌肝oξ需o<巽壱oロ巳註8であつた︒﹂(改澄杜版四七頁︑同bαq濠げ・g℃・潔)
﹁原始肚會の獲展の原因は次の如くである︑すなはち生産形態が不活澱である結果︑早晩不可遜的に︑絶野
歴史襲展の動力としての入口五九
歴史獲展の動力としての入ロ六〇
的人口過剰が起こる︑そして逆に︑後者が前者の不活濃性を打破する︒原始的肚會心理の極端な保守性のため
に︑技術の進歩は︑殆んど常に︑人ロの増加に曳きすられて行き︑生活資料の不足は︑一般的に言つて慢性的
である︒L(改造杜版四九頁︑国謁諒げ9・℃﹄ひ)
かやうにして︑絶えす人ロの増加に促されて當時の生産手段ー狩独の武器と方法とが徐々に完成される︒
同時に農業と牧畜とが始まつて︑從來はた壁偶然に且つ一時的に存し得たにすぎない飴剰勢働が︑今や永久的
の現象となつてしまひ︑肚會の一部のものが肉髄的勢働から解放されうる條件が完備する︒こ曳において成立
したのが﹁灌威的種族肚會﹂であつて︑この肚會の生産關係は前の原始的共産主義のそれと比較すれば︑﹁勢
働の組織と實行との分化︑集團の内部(及びこれより程度は少いが集團と集團との間)における︑協業と分業
との獲達︑及び飴剰勢働の存在の結果としての無組織的分業形態(すなはち交換)の役割が次第に眼立つて來
ること﹂等によつて特徴づけられる︒だがこの時代の嚢展力は︑やはり人ロ過剰である︒當時のあらゆる杜會
意識は襲展を妨げたが︑この障碍を打破したのが人口増加である︒
この﹁時代の麿會意識が︑本質的には︑人類生活の前段階におけると同じく嚢展の自然的な障碍であつたこ
とを思へば︑肚會進化の原動力もまた同じく絶封的人ロ過剰といふ自然力でなければならなかつた︒人ロ増加
が生活資料の不足を惹き起した程度だけづ玉︑保守的慣習は滅びざるを得なかつた︒技術は改良され︑肚會關
係は攣化した︒﹂(改逡肚版六七頁︑国ロσQ躍いず巴・℃やもーお●)
人口増加が技術を促進し︑構威的(族長的)種族冠會を獲展せしめたが︑その肚會はまた同じ動力で﹁封建
肚會﹂に推移せしめられる︒念のために云ふが︑ボグダーノフがこ曳で封建枇會と構するのは︑東方及び古代
世界においてはキリスト紀元数世期前に︑西欧では五世紀から九世紀にかけて︑すなはちローマ帝國の末から
シヤールマン帝國の滅亡期にかけて︑獲達したもので︑その最盛期はむろん十︑十一世紀の頃とされてゐる︒
この就會の経濟的構造は︑概括すればかうである︒技術の嚢達の低い農業生産(工場制手工業は未だ嚢達
してゐない)を基礎として︑小さいが併し甚だ緊密な自然経濟的(自足的)組織たる農業コムミユーンを生じ
た︒そしてその場合の生産及び分配の組織者は領主であつた︒領主は軍事的必要から他の領主に條件付の服從
をなし︑複雑なしかし不安定な君主制を構成した︒他の一般的祉會的組織機能は僧侶によつてみたされた︑特
に分配の領域でさうであつた︒しかし彼等の立脚する基礎は諸候と全く同じであつた︒交換は集團と集團との
間に︑時には國と國との間に︑行はれた︑が規則的ではなかつた︒
かくてボグダーノフは︑封建肚會における獲展の原動力とその傾向を指示して日ふ︑
﹁封建時代の極端な保守主義は︑種族團燈の保守主義ほど頑強ではなかつたが︑やはり同じやうに︑強大な
力の作用の前には屈服せざるを得なかつた︒この力は絶封的人口過剰であつて︑これは技術の進歩がなかつた
こと︑及び杜會の要求を満足させる手段が不充分だつたこと︑の結果として生じたものである︒(改造祉版九六
頁︑穿塾昏︒9,曾)ー人口の過剰︑すなはち土地の不足から封建時代の戦争は起こつた︒それが國際的な
歴史機展の動力としての入口六一
歴史駿展の動力としての入口六二
規模にまで行はれたのが十字軍である︒この戦宰はどういふ結果を生んだか︒先づ被征服國の生産力を破壌し
た︑そして新たなる過剰人ロをその國で生んだ︑が征服國ではその吐けロになつた︒と同時に交換が獲展し︑
東方の諸丈明國民から新技術︑特に農業技術や工業化學や航海術やが傳來した︒この生産力の獲展は︑交換の
擾大と相侯つて︑やがて自然自足就會の最絡段階たる封建肚會を覆へして行くのである︒
以上はすぺて自然自足枇會に薦する三つの段階についての獲展動力の詮索であつた︒そして我々は︑その何
れの段階についてもボグダーノブが︑人口増加を究極の爽展力としてゐるのを見た︒今や進みて商業就會の各
段 階 ー 奴 隷 制 度 ・ 都 市 手 工 業 制 度 ・ 商 彙 資 本 主 義 ・ 工 業 資 本 主 義 ・ 金 融 資 本 主 義 に 關 す る 設 明 を 一 瞥 す
るのであるが︑こ玉では︑前の自然自足就會におけるとは一見異なつたる磯展力が指摘されてゐる︒それは競
争である︒すなはち都市手工業制度の章下でボグダーノブは日ふ︑
﹁都市手工業制度の時代に︑一つの新しい原動力が獲生したー即ち競争である︒個々の企業は市場におい
て︑それぞれ自分に好都合な地位を確保しようと努めた︒そのためには︑その商品の生産に必要な轡働量を切
りつめること︑換言すれば︑勢働の生産力を増加すればい玉︒このことから︑維濟的爽展の最も重要な原動力
たる技術の獲展が起こる︒尤も杜會生活のこの獲展段階においては︑競争の獲展は微々たるものであつた︒そ
れは手工業ギルド制度が︑あらゆる方法によつて競孚を制限してゐたからである︒しかしギルドが競孚を防ぐ
ためにそんな方法を探つてゐたといふこと自身がすでに競争が存在してゐたこと︑及びそれと職ふためにこれ
らの方法をとることを必要とする程に競争の勢力が大であつたこと︑を示すものである︒ギルドの構造は︑競
孚を全然防止するといふことは出來なかつた︒競争は次第にこの構造を堀り崩して行き︑つひに破壊してしま
貞ツたoL(改造祉版一七五‑一七山ハ頁︑国ごσq甥り降げO伽︒℃・印いN)
次に商業資本主義時代ー﹁商業資本家杜會の根本的原動力は︑すべての交換肚會(H商業就禽)における
と同じく︑競孚であつた︒途上に横たはる障碍ー封建的・ギルド的勢力︑國家による極端な商工業の干渉等
ーが弱くなり浩滅するに件ひ︑競争の作用は︑ますます明瞭となり尖鋭となり︑肚會の獲展は一暦急速とな
つた︒﹂(改渣瀧版一二三頁︑国昌σq房げ巴.℃.呂い)
更に工業資本主義及び金融資本主義の時代においても︑やはり競争が獲展の主動力として前面にもち出され
てゐる︒けれどもそれは企業家・資本家の側におけるものであつて︑それと同時に勢働者階級の反抗階級
ヘヘヘへ闘箏ーが重覗されてゐることは言ふまでもない︒試みに︑階級闘争には直接に鰯れない一二の關係章句を引
用すれば︑
︑﹁それ自身︑生産力の彪大な稜展の當然の蹄結であつた近世資本主義は︑自己の嚢展の道を開拓して行く︒
産業を追ひ進める最も有力なる力は果して何であるか?・我々は︑それは資本主義が未だ最近の段階に入つて
ゐない各地を支配してゐる・無制限の競争であることを知つた︒この競争において︑勝秘は最も低廉な財貨を
市場に供給し得る人のものであり︑且つ︑生産費の低減は︑第一に技術の稜展並びに︑生産商品量の増加によ
歴史登展の動力としての人口六三
歴史機展の動力としての入口六四
つて成就される︒であるから︑競争は生産の鑛張︑從つて生産力の増大に封する有力な刺戟として役立つので
ヘへある︒競争は塵止され︑産業が濁占状態に入るや否や︑稜展は妨げられ︑技術的改良の進歩は抑制される︒﹂
(改造赴版四五九頁︑国昌σq冨ゴ︒画・や噂.い禽iいαO)
﹁競争は資本主義獲展の機關車である︒もし競争が休止するならば︑獲展は行き詰り︑資本主義は沈滞す
る︒ウラル工業の場合は即ちこれであつた︒が︑このことは現在︑世界資本主義制度を通じて到る虚に起こつ
てゐる︒﹂(改造砒版四六〇頁︑国5σq房げa・℃・い8)
最後にボグダーノブは﹁就會的に組織された就會﹂(11杜會主義耐會)を取扱ひ︑そこでの獲展の動力をも論
じてゐるが︑これは︑資本主義就會から杜會圭義肚會への推移過程の読明と共に︑省略しよう︒そして以上二
つの︑人類史上の大きい時代別︑すなはち自然自足肚會と商業杜會とについてのボグダーノブの護展動力観
を ︑ 彼 れ 自 身 の 言 葉 を も つ て 要 約 す れ ば ー ﹁ 自 然 自 足 肚 會 ︑ 種 族 杜 會 ︑ 封 建 就 會 等 の 嚢 展 の 原 動 力 は ﹁ 絶 封
ヌ
的人ロ過剰﹄であつた︒それは自然と肚會︑すなはち人口の増加から生する生活資料に封する需要の増加と︑ぬもうヘク自然が一定就會に供給し得る資料の額との聞の外的矛盾︒暮≦碧偶8葺目巴惹δ霧に基づいてゐる︒﹂しかるに
﹁交換就會(H商業肚會)の獲展の原動力は﹃相劉的人口過剰﹄(μ産業豫備軍)︑競事︑階級闘争︑すなはち
セへも實は肚會生活の内在的矛盾写7巽⑦暮8昌言巴§δ昌切である︒﹂(改造杜版四八二頁︑国危誓︒昏,い︒︒o)
豪イギリス版ににこの語^.目⑦響囲くoー.︑とあ・り︑む︑うん..9切9募︒ー︑︑の誤記なるべし︒