グローバル化と包摂/排除をめぐって 移民になっ たネパール楽師カースト・ガンダルバの事例
著者 森本 泉
雑誌名 明治学院大学国際学部付属研究所研究所年報 =
Annual report of the Institute for International Studies
巻 19
ページ 77‑80
発行年 2016‑10‑01
その他のタイトル Globalization and Migration:
Inclusion/Exclusion from a Case of the
Gandharbas, a Nepali Musicians' Caste
URL http://hdl.handle.net/10723/2895
グローバル化と包摂/排除をめぐって
移民になったネパール楽師カースト・ガンダルバの事例
森 本 泉
1.はじめに
従来ネパールのヒンドゥー的社会における職業カーストとして低位に位置づけられてきたガン ダルバは、ネパールの「伝統文化」として再評価されるようになった自身の生業とされてきた音 楽を商品化することで経済機会を得てきた。また、近年では国境を越える出稼ぎ労働者の流れに 加わるガンダルバも現れ、グローバルな資本主義経済に組み込まれるようになった。これらの変 化の背景に、1990 年にネパールで達成された民主化以降勢いを増してきたナショナリズムの高 揚や、民主化と同時に進められるようになった経済の自由化とそれに随伴するグローバル化があ る。
本報告では、ガンダルバが生活の糧を求めて移動しながら社会の変化に臨機応変に対応する様 態を明らかにし、そこで経験している包摂/排除の問題について、ネパールの社会変化やグロー バル化と連関させて考えることを目的とする。
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.ガンダルバの概要ガンダルバは、四弦弓奏楽器であるサランギを携え、村々を歩き、歌を人々に弾き語る楽師カ ーストとして認識されてきた。その一方で、職業カーストとして不可触の扱いを受け、公的な空 間や諸機会から排除されてきた。土地という生産手段を持てなかったことも排除の一つの側面で あるが、そのために彼らは自らが持てるサービスを提供することで生活の糧を稼ぐ必要があった。
更に、他の職業カーストと異なり、彼らにはパトロン―クライアント関係のような固定的な社会 関係がなかったため、彼らの歌に見返りを与えてくれる社会関係を求めて歩かなければならなか った。こうした彼らのガウネ(歌う)、ヒンネ(歩く)という生業形態から、彼らはガイネと呼 ばれてきたとされるが、ガイネという呼称には物乞いといったネガティブなニュアンスが含まれ るため、彼ら自身はヒンドゥー世界における神的存在であるガンダルバ1を自称するようになっ た。
ネパール人口に占めるガンダルバ人口は
0.02~0.03%にすぎず、数の上で極めて少ない上に、
ヒンドゥー的カースト社会の低位に位置づけられてきた。他方で彼らの弾き語る歌はネパール国 民文化を構成する要素として再認識されるようになった。具体的には、ナショナリズムを背景と した歴史の再構築過程で「ネパール建国のニュースを歌で(ネパール全国津々浦々に)伝えた」
存在として再認識され、不可触の象徴とされた楽器サランギもまたネパール国民文化に包摂
inclusion
されて再評価されるようになったのである。このことと並行して、とりわけトゥーリズム現象において彼らの芸能や楽器が商品化されていくことになった。
この変化を背景に、ガンダルバの中にトゥーリズム現象に積極的に経済機会を見出す人が増加 するようになった。村々を歩いて食糧や金品を得ていた周縁的経済活動が、今度はトゥーリスト が集中するカトマンドゥをはじめとした都市部の「インフォーマル経済」に包摂
subsumption
さ れ、現金を獲得するようになった。こうして村からカトマンドゥのトゥーリズム空間への出稼ぎ が増加し、この動きはやがてネパールから海外への出稼ぎの流れに合流し、ガンダルバの中から も少なからぬ人々が外国へ出稼ぎに行くようになった。社会文化的には国民文化の担い手として、経済的には周縁的な「インフォーマル経済」に生活 の糧を求めてきた人々として、近年では移民労働者として、彼らはネパール社会の変化とともに 自らの位置づけを変えてきた。
3.文化的側面/経済的側面
先述したように、ナショナリズムの高揚を背景に国民文化が創出され、この過程にガンダルバ も組み込まれていく。ガンダルバは、差別される契機となった彼らにとっての象徴であるサラン ギを自身の子供達から遠ざけてきたが、この過程で「文化」として再認識し、商品化の機会を得 た。ネパール文化の担い手となる一方で、外国人トゥーリストをはじめとした文化の消費者の嗜 好に合わせて彼らの文化も変容してきた。具体的には、彼らの弾き語りから歌がなくなり、サラ ンギの奏でる旋律と太鼓や横笛の伴奏が加わった
BGM
に変わり、楽器であったサランギは小型 化して持ち運びしやすく装飾を施し見栄えのする土産物へと、その姿と意味を変えていった。こ うした変化を受けて、ガンダルバの中には文化の「真正性」を求める人も出てきた。文化的な側 面から見るとガンダルバがネパール文化の保持者として再評価され、社会的文化的に包摂された ことになるが、同時に経済的には、全員ではないにしても、外国人トゥーリストという新しいパ トロンを見つけ、より良い経済機会を獲得することに成功したことになる。外国人トゥーリストを対象とした「ビジネス」は、彼らの村にも影響を及ぼした。彼らが手に するようになった現金は、村に消費文化をもたらした。外国人トゥーリストと昵懇になることで 金品を貰うだけでなく、子供の学費を出してもらったり、土地や家を買ってもらったり、更には 外国に連れていってもらうガンダルバも現れるようになった。こうした諸機会を獲得できた人の 中には、家族とともにカトマンドゥに移住し、土地を買い、家を建てた人もいる。次に見ていく 事例は、ガンダルバの中でも成功した例である。
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.国境を越える:移民になったガンダルバネパールのラムジュン郡出身の
H
とR
の二人兄弟は、カトマンドゥでトゥーリズムが成長し 始める頃から、カトマンドゥに生活の糧を求めて来るようになった。外国人トゥーリストが増加 すると、トゥーリストにホテル街の路上でサランギを売り、サランギの弾き方を教え、ライブ演 奏をする等して生計を立てるようになった。カトマンドゥに来る以前は、サランギを携えて村々 を歩き、歌を弾き語っていた。この二人の兄弟は、彼らがいつものようにトゥーリストを対象に「ビジネス」をしていた時に偶然知り合ったアイルランド人の音楽家によって、アイルランドに 連れていってもらえることになった。
1999
年のことであった。彼らがアイルランドで訪れたのは、アイルランドの中でも民俗音楽が盛んな西部であった。初めて訪れた時に、街角に立つ辻音 楽師が人々から差別されていないことに驚き、彼らと共に演奏し交流することを通じて、音楽家 としてのアイデンティティに誇りをもつようになっていった。アイルランドでは実際にサランギ に触れる時間が減っても、彼らはネパールの伝統的音楽師というアイデンティティを強めていく ことになった。
アイルランドに渡った当初、渡航手続きをしてくれたアイルランド人の友人に仕事を紹介して もらい、ホテルやレストラン、パブのスタッフとして、スモークハウスの従業員として、仕事を するようになった。ネパールの彼の村では送金によって家が立派になり、その当時村では珍しか ったシャワーを浴びられる施設やトイレを家に併設した。やがてカトマンドゥに土地を買って家 を建て、家族はカトマンドゥに移住し、子供たちはそこで学校に通うようになった。彼らがアイ ルランドで暮らして約
10
年経った頃、アイルランドの市民権を取得することに成功した。アイ ルランドに来たばかりの頃は、他の選択肢がなく安価な長時間労働を受け入れていたが、今は「良い」仕事2がなければ無理して働かずとも失業保険が支給され、とりあえず食べていくこと には困らなくなった。彼らにとって「求職者」として生きることは、失業保険の他に住宅補助や 光熱費補助が受給され、職業訓練の機会や就労機会を与えられる上に、二人の補助金をあわせて 同居すれば生活費を引いても幾ばくかはネパールの家族に送金することが可能である。こうして、
「求職者」として生きることが彼らの選択肢の一つとなった。
彼らはネパールにおいては出稼ぎの成功例として羨ましがられるが、彼ら自身はアイルランド では移民として、アジア人として、その中でも「肌の黒い」ネパール人として差別されることを 不満に思い、ネパールでかつて不可触の扱いを受けてきたことに通じるジレンマを抱えている。
しかしながら、アイルランドで働くネパール人の中でも彼らは成功した例とみなされ、不法滞在 等により家を借りることのできないより立場の弱いネパール人に住む場所や食事を提供している。
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.おわりに1996
年から2006
年にかけて「人民戦争」が繰り広げられたネパールでは、和平合意後、社会 的包摂を掲げた「新しいネパール」の国づくりが目指されてきた。包摂をめぐる問題は、同時に 排除の問題でもあり、これまで諸機会から排除されてきたマイノリティ集団がこぞって具体的要 求を掲げるようになった。しかしこの状況は、結局は包摂する人/される人という二項対立の構 図を免れえず、またマイノリティからの要求を全面的に受け入れて「新しいネパール」をつくる ことも極めて困難である。他方で、H
とR
はアイルランド社会において社会保障を得られるよ うな「市民」の一員となることに成功した。ネパールに家族を残し、送金することでネパールと 繋がっている彼らのような「市民」の存在の顕在化は、「市民」概念が国家との関係において必 ずしも規定されきれないという問題を突き付けている。移民がどこでいかに包摂されるのかとい う問題を考える時、国民国家は国境という閉曲線で囲われた領域に収まりきらないものに見えて くる。<注>
1 歌手という意味の「ガエク」やヒンドゥー高位カーストにも見られる「ネパリ」という姓も、ガイネという呼称にまつ わる差別的なニュアンスを避けるために、自称として用いられてきた。
2 求職期間中に斡旋される仕事よりも高い賃金の仕事という意味。