資料
後期ギリシヤ及び初期ローマに於ける
社 會 理 論 と そ の 人 々 不 破 祐 俊
第 一 節 史 的 背 景 第二節 両時代の騎紳 第三節 後期ギリシヤ時代
1︑ストア撃沈
A︑クエノーンの生漣
B︑ストア撃沈の祀愈由諭
2︑エピクロス撃沈
A
︑ エ ピ ク ロ ス の 生 址 B︑エピクロス撃沈の社食理論 第 四 節 初 期 ロ ー マ 時 代 後期ギリシヤ及び初期ローマに於けろ配合堅調とその人々
四七
商 業 さ 経 済
人四
ー︑ポワピウス
Aポリピウスの生涯
B
ポリピウスの祉合理論
2︑v
セ ロ A︑Vセロの生涯 B︑Vセロの枇合理論
3︑セ
ネ カ
A
︑セネカの生涯
B︑セネカの一位AHH理論
第 節 史 的 背
旦口 小
ギyジヤ都市岡家の自由なりし生活はアη
ノス
トア
νスの残する十六年前に︑
ケ ー ロ ヰ
ア1
の
戦に於いて既に終末密告げたさ云ってよい︒アレキサγダ1に依って︑順次ギηノジヤ諸国は征
服されて︑政治的猪立を失ってしまった︒紀元前三二三年︑アレキサンダi
の死
芯共
に︑
ーマ
ケ
ドニア王図の克解は︑
一時
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7ジヤ諸都市をして︑アケイヤ同盟(﹀の
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円3
2 0 ) 及
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トリ
ノ
ヤ同
盟(
﹀足
︒‑ F D
円g
2 0
) を結んで︑立憲制に依ってギリジヤの濁立ぞ回復せんざする最後の試
みそなきしめ︑自治権の維持に努めるごころがあった︒凡そ一世紀竿に亙って︑外観上︑政治
的濁立を維持するが如くであったが︑ローマの征服カの前には如何さもするこご能は子︑アア
ネの滅むに次いで︑紀元前一四六年︑ギ
y
ジヤの最重要都市コηノジ
ト(
向︒
江口
任)
の焼
燈さ
共に
︑
これ等の同盟も崩壊し︑ギη
ノジ
ヤは
ロ
1マの管掌に蹄してしまった︒かくして︑永くして︑華
かなりし古代ギyジヤ文明もその幕を閉づるさころさなった︒
んす
や舞
墓は
イタ
y
ヤ竿島にさ移った︒チペY河昨︑バ‑フチヌス丘の一農村が︑数世紀問に‑フチタ
ム地
方(
門戸
片山
口E
) の人民を惹きつけて強大ぜなり︑有力なる濁立図ざして繁栄を極め︑途に
は地中海統一の主人一公さなるぺき運命を持つこご﹀なったのであるo
紀元前七五三年︑
ロー
マ(
列︒
E P
) の侍説的建園以来︑V
ツグ
ス
(H
WR
王競)ご務する君主の政
治が行はれて︑立憲君主主義的都市図家ざして始ってゐた︒紀元前五O九年に︑第七代目の玉
タY
キニ
クス
・ス
ペ
Yプ
ス(
吋良
心口
一巳
5
∞ 己
唱 ︒
号 g )
の時︑タイラシトたる王は追放せられて︑ここ
に古ロ!?の君主制崩壊し︑共和政が建設された︒
この後約二世紀問︑貴族百毎日巳き
ω ) ご
平民
(盟
各広
告
ω ) さは各々岡家の統制櫨を牧めんさして
の階級闘争を続け︑その結果ざして︑一般曾上︑政治上の諸制度の脱税達に奥ってカあった︒他方
から見ればこれは一肱合平等に謝する闘争であった︒結局︑この雨階絞は卒等の政権及び市民権
を有する共同市民世に融合されたのであった︒
後期ギリVヤ及ぴ初期ロ
I Tに於げる枇AWU浬論さその人々
四 九
商 業 主 経 済
五O
かくして︑共和政躍が完全に打も建てられるに及んでは︑ローマは自己の版同僚張にその注
意を向けるこさ﹀なった︒然しながら︑この目的の谷川に屡々行はれた外征の嘗然の蹄結ごして︑
各都市内に於ける民主政治の後達は阻まれ︑中央集権の必要を成予るに至り︑ローマの版固披
大さ共に︑再び専制政治に逆行したる一箇の帝問主義的政府組織が漸次出来上って来た︒
官lマの膨脹は近隣のイタyヤ諸国の結合に始まった︒これ等諸図のあるものは同盟図ごし
て認められ︑地方政府さして相蛍の自治権ぞ許してゐた︒其他の諸園に謝しては︑統治の権威
は官
1マから法られた移住民の一図に付奥せられ︑或は又︑官Iマの官吏なる長官
(p oF
の 門 ) に
れたのであるが︑ ローマ政府に会一奥する権利は首府ロ
1
?に住する市民に限ら
一部分制限せられた市民権は同盟図のあるものにも奥へられてゐた︒ 付奥せられる芯ころであった︒
カYタゴ共和図(内
R p p m o )
ごの戦争を以て︑官Iマはその西方に於ける唯一の競争者を撃破
して︑こ﹀に海上権を攻め︑以って海外の領地ケ獲得したο紀元前二世紀の中葉までに︑
ア レ'
キア
γダ1のマケドニアの故地の大竿はロIマの統制下に属するに至った︒而して︑紀元前一
世紀の末葉までに︑ローマは更にその権威をば北方及び西方諸闘に及ぼして︑ユ1アラテス河
( 開 口 ち
門 戸 け の
ω ) からイギ
y
ス諸島に至るまで︑又ずでフ砂漠からライン(如何HOE)︑ド
ナ夕
︑河
(ロ
8 2 )
の境界に至るまで支配するに至った︒事賃上︑会西欧文明世界は草一の政治組織に結合された
ので
あっ
た︒
官!?から地方に漣十る道路は永久の貿易路たらしめ︑居州さ首府さを漣絡せし
め︑秩序の維持をも得易からしめた︒
ロ!?共和図の主権者たるロ1マ市民の任務は一公私共に多事ごな
︑大規模ざなっh J
かく
て︑
た︒彼等は一方に長官ざして地方に赴任し︑他方には大地主︑又は御用商人
( z a o ε 5 8 ω
) や︑政
税受
負人
(司
ロヴ
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巳)ごして土地の開後や股税事務に従った︒こ¥A
でロ
!マ
の一
此舎
は一
愛し
た︒
品目は小規模の農業を以て建国したロ1マは︑ムーや商業及び大農を以て︑財政経済を替なこさ︑
ローマの赴舎は漸次資本的傾向に座せられ来ったのであるo園家の公臓を保も︑それ
なっ
た︒
キゲ
﹄箆
断す
る資
本家
の一
耽舎
が起
って
来た
︒
これに一大警告や‑奥へたグラック久
( F s c r g )
兄弟の一肱曾改革運動に次いだ約百年間は︑
甘
!?共和国は内外の危機をはらんたのであるJ
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古
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吋)等が相次いで現はれては内乱含鎮め︑外征を
3
張っ
て︑
ロ!?大帝国の建設者ごして︑奥って動功が多かった︒
オクタグイアヌス
( C の
件 当 日 自
己
ω ) が紀元前コ二年にアクチクム
( k f a z E ) に
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ス ( k p E O E g )
を破b︑闘の内外に勢力を確立して︑紀元前二七年︑アクグ只ヅズ
( k
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m g
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の帝鋭を元老院)
より受けて以来︑共和閥ロ
1
7は帝固化したのであった︒
され
ば︑
このオクタグイアヌスの最
後期ギn︐Vヤ及び初期ロ
I Tに於げる枇合理論さえの人々
五
商 業 さ 経 訴
五
後の勝利は︑図家の統治を確保し︑崩壊しう﹀あった共和制に代って︑この後︑五世紀問︑図
家ざして存続せし︑新しき生命を甘1マに吹き込んだのであった︒
第 二 節 雨時代の精神
アレキサンダI及びケ1ザYの征服は種々雑多なる民族及び文化の融合に依って︑図際的規
模の上に︑ギリジヤ文化を基礎ざする新しき世界文化を創造したのであった︒
アレキサングIの出現はギリ'ジヤ人の地理的領域の抜大を見たさ共に︑その政治上︑一肱曾上
の視野を撰めたのであった︒アレキサング1
に依って植え付けられた世界帝閣の庚大におし
て︑自己本位の人類率に惚れるギηノジヤ人の図民精紳の狭きこ之は︑遂に︑これ以上久しき仁
亙っ
て︑
それケ信やしめるこごは出来なかった︒人々が異民族の真相を識るに及んではーーた
ごへ︑それが車に戦争的接鰯に依るに過ぎ子宇しでも││各種族の長所︑一短所に就いて︑比較
考察が少し忠ひをめぐらす者ならば直もに迫り来るこさは営然である︒而して︑凡そ比較考察
︑︑
︑
の最も著しき効果は︑ぞれがある一民放の﹁唯一無比﹂を信十るこごに濁して︑ざいめを刺す
e T 常ざするこ三である︒
3き心︑プラトン並びにアソストアレユじ依って共に︑高備なる智性ケ否定せられ︑従って
又︑生れながらにギ
y
ジヤ人の隷属者たるべく運命づけられたごする﹁未開人﹂さ彼等が呼ぺる近隣の諸図民が︑群をなして︑アアネへさ移り来b︑且つ︑すぺての哲忠一上の亭振に重きを
なし来るに及んでは︑守って︑この雨哲人に依って︑ギ
y
ジヤの忽に築き上げた高倫なる智性の狗占ぞ根本から放棄しなければならなかった︒
アアネに定住せんざする東方諸岡民は︑己等を排斥するギ
y
ジヤ人の園民的意識の障壁を理智的に紛砕するを以て︑焦眉の個人的関心事ざしたこごは蛍然であるo而して︑彼等が︑rレ
ヨλモポリタンキサノジダーさ共に始まる世界市民時代に於いて︑如何に速に︑且つ徹底的にこれに成功したか
は買に驚異ざするごころである︒
ローマが西欧諸岡民を図際的に結合せしめたこさは︑世界市民に更に一層の基礎?奥へたこ
さであった︒これ等の一肱曾的結果につれて︑地球上凡ての人類は同朋であるごの偉大なる理論
が展開されて来た︒
然れ
も︑時代は一枇合理論争﹄産み出したさは一玄ふを得ない︒寧ろ︑帝国建設の時代であり︑J E
而して又︑常国の勢力は心なく︑哲
mA
寸の敬訪に依って殆んざ影響を受︿るものではなかった︒
ぞれ放に包括的なる一枇合理論の道程に於νて︑我々に期待さるぺきこさはすくない︒我々は唯︑
この時代よb一枇合的学的理論の後反に重要なりぜ見倣さる︑二三の断片的なるものを拾ふこごが
後期ギリVヤ及び初期ローマに於げあ枇合理論てその人々
五
商 業 主 経 済
五 四
出来るのみである︒
この時代の一此曾考察を説明する忽に︑先づ後期ギy
ジヤさ初期ローマさに時代守分け︑前者
よりストア亭波︑エピクロス皐波︑後者よりポη
ノピ
クス
︑
ジセ
官︑
セネカ等の一枇合理論に闘す
る
mA
子設 をや
¥h勝手に撰び出して以下に述べんざするのである︒
第 三 節 後期ギリシャ時代
1
ストア皐波
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の生涯Y
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の鼻加はヅエノ1ン
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︒ ヅエ ノ l
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年頃キプロス島
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Oロ自 民
)に 生れ た︒
プエニキヤ生れの彼の父ムネセア久
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はキプロスの商人であった︒一時ヅエノ
1
は買業に従事してゐたが︑難舵等の結局にY
逆境に陥ち入
b産を失って︑アアネに赴き︑キニ1
ク皐
波(
巳5(
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に就いて皐び︑十年間研究に波頭してゐた︒後︑
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足 ︒
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O年頃彼はアアネのストア・ポイ5 0 ロ)等に師事した︒コ二
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彩色された堂)に拳を講じたので︑
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こ﹀に於いて彼は殆ん芯四十年間︑数育に従事し︑多くの皐徒彼の周固に集まb
︑彼
の向
山手
話
を絵承し︑敷街したのであった︒彼は希なる節制の生活?送︑
. 9 ︑妊健なる身睦には恵まれるさ
ころ砂なかったが︑老年に至る迄︑病魔に同円かされたこさはなかった︒二六O年頃︑手指に軽
傷を受けたこさは運命の暗示であるごして︑自己の奉子る哲亭に依って︑進んで自殺し︑自己
の生涯を移ったど傍へられる︒
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スト
ア挙
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一枇
舎理
論
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理論
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山手
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民主
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50 3 犀
SZ E)
であった︒それは一方には自然哲卒︑他方には政治的後展の結果ごして出来たものであった︒
λトア率︑娠は︑その人間観に於いて︑先づ自然に依って我々に植ゑ附けられた根本街勤たる
自己保存の本能から出後する︒彼等が第一の自然衝動さ呼ぶこの自己保存の本能は生殖本能さ
等し︿︑動物さ共に人間にも共︑通なものである︒然しこれは会人類の存綾子確震ならしめんが
念めの手段である︒従ってこれは人間行錯の出後結であり︑本源の動機であるが︑決してその窮
極貼ではないοそこで彼等は自然が我々にこの生れながらの利己主義に謝抗するものごして︑
更に一般合共同の本能をも附奥したさ考へる︒印も︑個人ごしては我々の利己的利害に執着する
後期キリVヤ及び初期ロITに於げ
40
祉合理論さその人々
五五
商 業 主 経 沼
五六
我々
も︑
一度ゐる一肱舎共同睦の理性ある一成員ぜなるに及んでは︑直ちに種族利害の下に個人
的利害をおさへでも悔ひないに至る︒アリストアレスの﹁政治的動物﹂もこ﹀に至って凌駕せ
られ︑深められたのを見るのである︒
かく
して
︑
ストア率波はアηノストアレス及びプラトン流の考守合む一枇合起源論争﹂質詮したの
であった︒集回行動に依って起る類似及び同情はその起源を環境の共通なる客観的要素に調し
て︑個々人の類似の順応作用にありざする︒その結果一種の型が作られるのである︒然しなが
らこの型の精紳は普遍的理性から分化したものである︒人々が赴舎に封し希望を戚じ︑会憾の
一部ごして・︑自己を同化せしめんざするのは︑この理性のカに依ってである︒こ︾仁於いて佃
々人は自己の利害を︑集団のそれ芭合しなければならない︒一此舎を創造し︑維持するものはこ
の共通なる結合意識である︒
か︿の如︿︑種族の利害を第一に置くこ三に依って︑
只ト
ア院
予波
は後
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7 1
ゴ1・グロチ
クス
(出
己向
︒︒
円
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がその﹁新ストア主義﹂に於いて新しき生彩を加へ︑その後二世紀聞に亙
って生気滋訓たらしめたるかの﹁一般舎汲﹂の創唱者ざなったのである︒
一 見 に
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トア
亭波
の世
界観
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いて
世界
なる
概念
は唯
物論
的汎
紳論
(足
与︒
江戸
口注
目︒
E b p s g )
で
あった︒自然は唯一の質在にして︑そのあらはれは因果の一定不勤の過程を示すのであるo故
、
に物の心なる官プス(円omop理)があって︑到る所に自然に統一あるこど診見る︒この能動的原
理は普遍的理性すなはも︑運命ぜ見倣される︒宗数上の術語であらはすならば︑それは紳であるo
この一元論的概念は種々なる現象を単に偉大なる一つの統一一陸たる自然の成果さ見倣し而し
てこの統一際の本質は理性である︒ぞれ故に︑この理性は軍に宇宙全部を支配するのみなら子︑
あらゆる個々物をも︑その最醜ご最崎ごに拘ら歩及ぽすものである︒従って個々人もその普遍
的理性に充されるこさも山富山然の結果でなければならない︒
これに依って会人類は愛さ︑一般交性ご︑注律さ正義に依って互に結合せられる唯一の大共同
一枇命日さ見られる︒故に我々さ動物さを結び付くる自己本存の本能は︑人間行動の時間的には先
きに来る動機であるごするも︑我々ご紳すなはも世界理性さを結び付くる一肱曾共同の欲求はそ
の順序及ひ倫理的依値よりすれば︑殆ん乞比較を詐ちいる程高きに位するのであるo
それ放に個人は赴曾生活の理性的法則に謝して無保件に従はなければならない︒
九ト
ア閉
山手
波
再興の組織者グソジツポ
λ(
83
1巴
38
)が共同赴舎の基礎をなすごころの自然法則にして︑理
性法則たるものに定義守下したごころに依れば︑
﹁それは紳的並びに人的なる事物に臨む主である︒讃
hu
ぺきもの芝︑尽くぺきものごの王侯
であり︑支配者である︒正邪におする規範である︒自然に依って︑国家的共同一肱舎に創り上
後期ギリ
MV
ヤ及ぴ初期ロ1マに於げる社合理論さその人々
五 七
商 業 さ 経 済
五入
げられたる本躍の行動に就いての命令である︒﹂
主同ω
円 切 片 門
O同円内
OE m5 2m
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‑
人間の生活は二の自然治則ご合致する程度に於いて理想に達する︒それ故︑人間の理性はこ
の一致そ得る手段である︒哲郎Tの目指すさころは情緒的要素を抑制し︑物質上の問題に虚心卒
気であるこさに依つてのみ蓬せられる︒従って︑ストア率波の人々は決して隠者若︿は︑私人
ごして生活を設ら争︑常に人間共同一枇曾に生活する︒孤立せる人間は決して意義ある存在たり
得な
い︒
何故なればその孤立生活に於いては他の勤物より技能の賂に甚だしく劣るが故であ
る
ストア皐波は如何じも異撃に︑一耽舎は人間本来の一耽交性に依って生れたものごかくの如く︑ O
説いてゐるではないか︒
更に
︑
ストア阻子︑振の一般合理論を支配する原則ごして我々の注意を惹くものは︑普遍的人間愛
である︒きさに︑プラトンごア
y
マハ
トテ
Vス芯は﹁正義﹂さこれに件ふ人間ご争以って︑国家
唯一の目的さなし︑彼等の園民的偏狭に累せられて︑普遍的人間愛を輪以想r
にし
なか
った
︒
二え
トア拳振に於いて正にこの問題が前景にあらはれ来ったのであったoもごよbストア亭振も亦
この﹁正義﹂を掲げ来ったが︑これご共に︑人間変を人的関係の調整じ於いて︑第二の根本原
則ごして主張した︒
理性的動物さして人類は本質上等しきものである︒人類は同じ自然法に従ひ︑卒等の権利を
有する︒人類はギ
y γ
ャ人でも︑外国人でも︑また自由民でも奴隷でも皆同一の理性ケ持って
ゐる︒ぞれ故に︑人類はすぺて生れながら同胞であり︑兄弟である︒種族保存ゆ本能は自己保
存のそれより︑徹頭徹尾︑上位に置かれた︒今やこ︑に至って︑人間愛の深き人道主義の思想
が︑正義の冷かなる抽象を照らすに至ったのであった︒世界市民主義的理論の展開ケ見たので
あっ
た︒
九ト
ア阜
︑振
の始
姐ツ
エノ
1ンは恐らく︑彼自身竿ギηノγ
ヤ出
身の
匁に
︑
一層この庚汎なる概
︑︑
︑
ギyジャ人さ非ギyジヤ人ざのけなめを極く念子把握し得るに窓れたる立場にあり︑而して︑
少︿するこごも出来たのであった︒
ヅエ
ラ
1(
No
‑‑
2)
は評
して
一エ
ム︒
後間
湖沼
明 日 γヤ及び初期ローマに於げろ祉合理論さその人々
五 九
商 業 さ 経 済
ム ハ
O
﹁天才的なるマケドニアの征服者が︑国家結令に於けるのみなら子︑
彼の帝園内に合まれた極々雑多なる図民性を統一してより以後︑園民的反目をおさへるに
一般的文化に於いて.
ストア仮の世界市民主義は哲皐が常に歴史上の
貫戒を反影するごいふ主張の詮明に関して役立ち得るのである﹂ は︑哲皐こそ透かに容易であった︒従って︑
詮1︑
No
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ω0吋 ・ Hロ・吋ぬロデ﹀ヴゲ肘同日円︒出丘町件︒句・
以上の如き論撲から生じ来った只トア卒採の最も重要なる蹄結は︑受勤的なる非抵抗主義的
ち自己の安心立命の教義であった︒自然の成果ざして︑人類の運命は定められた︒霊魂の内的
調和の結果芯して︑金一・一臓は外的状態に依って何等の影響
40
受け得なかった︒貧富︑一枇舎上︑政
治上の
m m 態は無差別の事柄であった③苦痛︑一枇合的不正︑政治的座制等に劃する禁慾主義の忍
耐は異の徳を構成した︒市民が旗康的文化に懸ヘ附けられた結果より股し︑幸福に侠くぺから
ざる安心立命令ぜ持続制するこさの出来たのは︑この程の哲早によるものであるごした︒
ストア拳波はギyジヤ文化の所産にして︑その指護者ではなかった︒官1
マ時
代に
至っ
て︑
セネカ︑及びマーカス・オク
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クス
(包
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ロ
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込山
口
ω ) の指導宜しき子得て︑その買りを得た︒
而して︑その禁慾主義及び世界市民の思想は︑原始キ
y
ザハト殺の教義構成に最も偉大なる影響を及ぼしたのであった︒
2
エピ
クロ
ス率
一以
ストア印字一淑さ同時代にあらはれ︑同一の問題を解蒋し︑同一の時代の要求に膝骨んごして出
て︑而もその立場に於いて︑ストア等振の正反謝に立ってゐるものがエピクロス準採白日比
25 g
mo
Fo
♀)
であ
る︒
A 、
エピグロスの生涯
エピ
クロ
ス亭
一淑
はエ
ピグ
ロス
宙開
)日
付o c
g ω )
に依って創められた︒彼は前惑のヅエノ
I
の誕生Y
さ同
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紀元
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ω ) に生れた︒彼の父ネオクレス
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アアネ人で︑管つてはアテネの貧しき向学校数師であった︒彼の初等数育は等関に附せられたが
放に︑彼の知識は畑御率で待たさ考へられる︒従って彼の哲亭に関する知識も皮相的なものであ
ったごは一式へ︑彼が公民数百家ごして世に立つに至った時︑既にデモクリトス(り
05 ︒
互ぢ
ω ) 及
びプラトンの若惑に泣淑するごころがあった︒十八才にして彼はアテネに赴き︑プラトン皐徒
たるクセノクラアース(凶
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) の‑講義を聞いたのであった︒
一時アテネを去って︑イオニアの爾親の詐に赴き︑その後レλポス島のミチV
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可2
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三
O六年に彼はアアネに蹄って土地ぞ貝ひ︑庭園を作り︑塾を立てた︒
直ちに彼の周回には︑彼の人格の魅力及び率設の奇異なるに依って惹き付けられた数多の異掌
後期ギ
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v ヤ及び初期ロ1Tに於げる祉合理論さその人々
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商 業 さ 経 疏
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なる皐徒が集まり来って︑彼芝生活をも共にするに至った︒こ﹀でエピクロスは中庸を守り︑
質素に平和な家庭じ於ける如︿相睦み合ひて協力し︑畳一心からの友情を以て︑彼の事徒ご共じ
生を過した︒彼の率図の特色は婦人の多︿が入り来ったこさで︑その中には彼の論散が常に非
難せるへタイラ階級(出立与︒)の者もあったさいふこさである︒
エピクロスは三十六年問︑この皐閣をもり立て︑勝目時の諮問学者から痛烈なる攻撃を受けたさ
は雄も︑自己の率徒に強き成化を奥へ︑且つ又︑その後継者に幾百年を経るさも愛らざる影響
を印したのであった︒
苦悩から哲亭的に解脱するものさして︑
ストア皐涙の推奨する自殺の恐なるこさを噺笑し
て︑偉大なる忍耐を以って︑その病苦に堪へ︑二七O年︑七十才を以って天寄を全うして泣く
なっ
た︒
彼の準設は彼に於いて既に組織され︑大成されて︑彼の事徒に依って改修され︑後展せしめ
られるこさはなかった︒
B 、
エピ
グロ
久間
学況
の一
批合
理論
同じ環境の下にストア率一淑さエピグ官ス皐波ごのか﹀る相反濁せる結果ケ生じたこごは︑賞J
ゐ異常なる事の如くあるけれピも︑ある黙に於いてか﹀る分裂は火を視るより明かなこさであ
った︒世界市民主義におする反動の結果は蛍然個人主義であった︒ストア主義さ同様︑
エピ
ク
ロス主義は二個の重要なる根披を持ってゐるo一つはエピクロスの個人的性格に︑他は政治上
一肱合上の環境じ劃する反動に於いてである︒
エピクロ只の生涯の頭初に於いて︑彼はデモグ
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トザハの準設の影響を受けて︑営時の紳々に劃する迷信的行翁に濁して懐疑を抱くに至った︒人間の孝一臓にごつての最大の障害は紳々及び
未来を恐れるこさであるさ彼は認めた︒唯一度亨楽するを得る生命令﹄不確震なる未来の免じ拾
て去り︑犠牲にするは蛍を得た策ではない︒それだからさて︑人は放逸なる行局︑又は忌しき
快楽に耽けるべきであるさ云ふこさを暗示するの?はない︒これご反謝に︑幸福こそ人生の異
の目的で︑希望であるが故に︑理性が認なが如き快楽に依って︑幸福は得られるのである︒あ
らゆる種類の奈修放逸は却って苦痛ぞ招くに至る恐れあるを以って︑我々の理性に依って︑
カ3
﹀るものを︑避けなければならない︒単純にして︑自然的なる政喜は心に平静を奥へるのであ
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ザハトア亭波も論性るが如く︑満足が得られるのは︑ぞの戚官の知識を砕くこごに依るにあ
ら十
して
︑
ぞの戚究機関の訓練さ調整に依るのである︒九トア撃波の目指すごころご同一なる
ものがあるけれざも︑それに至る過程ケ異にするのである︒
これがエピクロ只の一般的立脚地であって︑彼のあらゆる経験がこの主張の下にあらはれて
後期学習日γヤ及び初期ロ
I に於げろ一枇合理論さその人々T
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商 業 主 経 汚
六回
来る︒彼は功利的魁曾理論の典型的代表者であった︒彼は功利的ならぎる数百及び殺養?賎め
た︒直接人間の幸一臓に貢献するさころなければ︑それは率んでも債依なきものであった︒科皐の
研究はそれ自身の忽ではなくして︑自然の過程に光明そ投げかけるが怨であって︑それに依つ
て世界が令理的に解秤され︑人の心は迷信の桜橋から股するこさが出来る︒超自然的干渉の介
在するこさ︑並びに未来存在の仮設を許すこさは自然に関して無智の致す所である︒漠たる希
望︑及び心を迷はし︑現在の享楽を不可能ならしむる不安なる恐怖心を除くは科皐の職分であ
る︒享楽が一柳及び死の恐怖の結局になかったならば︑科町内予の研究は不必要ごなったであらう︒
倫理及び徳に就いても同じ功利的観念を以って論争る︒徳はぞれ自身の匁には何等魅力を持
たない︒徳の賀行よりして誘き出される快楽が︑徳にその重要性を奥へるのである︒人生をし
て平静且平和にせしむるのが倫理の目的である︒此安静な心の放態︑をアタフクジア
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)
さ呼ぶ︒ぞれ故に彼の倫理設の中心は個人であり︑而して彼は快楽の迄求に濁しては便宜主義
や利害得失を考慮するケ要する如き道徳的抑制に濁して反抗する︒背徳行匁は唯
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る心の卒静を妨げるの理由に依つてのみ禁やられる︒
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) がこの貼を瓶括して﹁快楽さ徳之はエピグロスにあっては同意義の語
である︒賢しこ︿︑善く︑正しく生くるにあら︑ざれば捻快に生活するこさは不可能であるo
除快に生きやJしては︑賢しこ︿︑善く︑正しく生活するこさは不可能であるよ
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さ迷ぺたる如きは正に然りさ一玄へるであらう︒
エピクロス卒︑振の一枇合理論はストア率︑仮のそれさ氷山灰相入れ玄るものであった︒一肱曾は個人
の結局に存し個人に依って創造3
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o一枇舎上︑注律上の関係は全く個人的利己的である︒か︿
して︑アy
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及びユトア町内子波の亭設ごは相反したのであった︒赴舎は個人を創造し︑
形作るにあら十して︑個人が一般合併}創造し︑形作るのである︒人は元来離反的である︒離反的
であるから令聞が絶えない︒然しながら︑
か ︑
hる争闘の煩に絶えなくなって︑非一枇合的又は先
赴曾的放態の下じ存在するこごの災なるこ乏を知b︑それを避けんが免に︑意識して赴曾関係
に入ったのである︒
この
立球
で︑
プラトンの功利主義が再びよみがへり来って︑一枇合契約設への基礎がおかれた
のであった︒赴舎は個人的利盆の須の結令にして︑市民は利盆の獲得さる﹀範囲内に於いての
後期ギ
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I Tに於げる一位合理論さその人々
六五
商 業 さ 経 漉
六六
み関係を持つであらう︒
又 ︑
エ.ピグロス卒︑振の人々は岡家︑社舎の基礎をなす法律はその起源より見れば相互の利盆
を促進し衝突を防ぐぞ目的ざする協定であるごした︒国家の功利前一枇合契約設はこkA
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芽を殺したので︑後来︑
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) 等幾多の後継者を喚起したこごは注目すぺきこさである︒
彼は功利的打算に由来して︑一枇舎の存在を認め︑赴曾生活は孤濁生活よりも便宜多い︒而し て︑友情は最も貴重な財貨に数へ得ぺく︑否人生の財食中最も貴重なものであるが故に︑
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ヒ ー クロスも亦人間さの共同生活営放棄するこさは出来ない︒唯︑
エピグロスに従へば︑この共同
生活の統制せられるこごはストア率︑娠に於ける如き︑
世界理性すなはち世界治則に依ってで
はなくして︑
全然功利的考へに依るのである︒
かくの如き考へは︑
遡つては
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この向学説の政治上に於ける怠義はダシニジグ(ロロロロ宮内)の強調するごころである︒すなはも︑
﹁エピクロス主義は平和之秩序さに心を用ふる政治的機戚の如何なる形式にも服従するこさ
︒伊賀際上に数へたのであった︒この亭徒にさつて︑彼が要求した卒静の
m m 態が︑隠かに天下
を治める立憲政府か︑或は殺果ある専制政治かに貫現したか否かは全然別筒の事柄であっ
た︒それ故にマケドニアの守備隊は彼にごつては其他のものさ同様に︑よき政治的主権であ
った︒ァレキサシダ1以後のギ
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ジヤ人の生活にか﹀る哲亭の趨合せるこごは自明のこさで︑ .
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更に
︑
ヅエラーはストア早一以ごエピクロλ
苧汲さの類似及び相異の貼を概括して︑次の如き
適切なる評論をしてゐる︒
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とも
︑
ストア及びエピクロλの雨睦系が究極に於いて一枇曾の結局の活動を推挽するさ雄
も︑雨者は一肱合生活に何等異の関心を持たなレ︒ストア亭涙は人類同に自然赴舎を認め︑閥
家及び家族に謝するある積極的関係ぞ認め︑就中︑主義ざして明言せる山吹田介市民主義ケ認め.
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ご た勅にその特徴があ
b︑ してゐる︒これ等の特質を総括するならば︑そこに共通的特性の存するを無視し得ない︒雨
礎を符んが匁に︑ 者は政治的特質であって︑古き道徳を放棄し︑人ど人ぜの純粋なる関係じ道徳の普一過性の基
︑ ノ
内οその最も深き関心事争︑一公共生活から他ヘご轄じたのである︒﹂
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第 四 節
一初 期ロi
マ時代
ローマ人の心は哲率的に考へるさ云ふより︑寧ろ描潟的に外面のみを考へたのであった︒そ れは法律上︑又は貫際上の性質の事柄に関係したこさであって︑普率上の陛系争創るには係り
興味を持たなかった︒
ローマ人は征服さ同化ごに依って︑外民族の貫情及びその勢力に閲して
自己より俊れた知識を得た︒然しか︾る知識を利用しても.それは法律的乃至一此合理論争}構成
するより︑寧ろぞの武力さ組織的才能さに依って︑政治上︑法律上の組織を進歩
3せようごす
るにあった︒
ローマの卒者は一此合理論に殆んざ貢献するごころはないけれぎも︑一此舎内子徒にさって債値ゐ
る資粋︑印ち諸問民及諸民族に関して多くの記過をなし.ぞれ争二分析してゐるのぞ我々は児
る︒この通例はヶIザ
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の物した﹁ガソヤ戦記
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元前
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明書
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Yマニア風土記﹂
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紀
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元後
九八
年頃
苦か
れ士
どで
ある
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ローマ諸問学者中に見出さる﹀が如き一肱合理論に閲する断片的なるものも︑ぞれは後期ギη
ノ ジ
ヤの向学設を縫承し︑若くは廿!?ざいふ放件の下に︑その皐設に多少の綾更を加へたに過ぎな