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明治・大正期におけるスミス租税 第1原則解釈の諸類型
−ひ と つ の 接 近−
山 崎 怜
Ⅰ
われわれほ,すでに.他の機会に,スミスをふくむ18せ紀産業資本の立場から
●●●●●●●●
する利益説を全般的租税利益説と名づけ,その理由と問題性とを,ささやかな 声ミらも解明し,いわゆる租税第1鹿則をめぐる長年の論争といわれなき紛糾と
もいいえなくもない諸解釈の乱立とを止扮すべき根拠を試論的に・でほあるが,
し1)
明示しようとした。小論の目的は,そ・うした作業のあとをついで,明治以降の わが国に.おける解釈史を吟味し構成する,われわれの作業プランの準備的部分
〟昭和期をとりあげない点でほ歴史的に,財政思想史の全体像のなかで位置
づけえないという点でほ.論理的に;それぞれ準備的な部分として,とにもかく
(2)
に.も,「解釈」の諸類型を検出することにある。
まず,いうところの租税第1原則にふれなければならぬが,それは全文およ
そつぎのような1パラグラフだけで構成されたものであった−−−「■各国の臣民
ほ.,各人の能力に.できるだけ比例して,つrまり国家の保護のもとでかれらがそ
れぞれ事受する収入にできるだけ比例して,政府を支持するために眉納すべき
である。1大国民に.おける政府経費と個々人のかんけいは,大所有地の経営費と
ジョインI・・テナント
その共同借地人たちのかんけいに似ているのであって,この共同借地人はすべ
(1)小論「個別的租税利益説と全般的租税利益鋭」,『日本財政学会ブレティン.征(Ⅰ),日 本財政学会,17−20ぺ・−汐。
(2)こうした類型化は,むろん対象の歴史的個性の確定にせまるひとつのトク・−ルであ
って,それを自己目的とするのではない。むしろ,小論自体の示すように類型化ほ自己
破砕をもくろむとさえ.いいうる。
第39巻 第2弓 116
ーー2 −
て,この所有地での各自それぞれの利益に.比例して嘉納の義務をおって.いる。
●●イクオ・リティ この原則をまもるかまもらないかということが,いわゆる課税の公平または不
公平である。このさいきっぱりのべておかねばならないのだが,前述の3種の 収入〔賃金・利潤・地代〕のうちのただひとつに.終局的に.負担されるすべ七の
税は.,それがはかのふたつの収入に.影響しないかぎり,必然的紅不公平に・な
る。以下さまざまな租税を検討するさいに.,わたくしほ,この種の不公平につ いてはめったに.これ以上あまり注意をむけないで,たいていのばあいに.考察
を,税の影響をうける特定種類の私的収入紅たいしてさえ.負担の不公平をまね
(8) くような,特定の租税がひきおこす不公平に.,限定するであろう。.」われわれ
は,分析の便宜上これを叙述の順\序に.したがって,以下のように分解したい。
すなわち,〔A〕各国の臣民は,各人の能力に.できるだけ比例して.〔B〕つまり国
家の保護のもとで〔.C〕かれらがそれぞれ享受する収入に.できるだけ比例して二,
政府を支持するため紅嘉納すべきである○〔D〕1大国民に・おける政府経費と個 ジョイント・テナント 々人のかんけいほ,大所有地の経営費とそ・の共同借地人たちのかんけいに.似て
いるのであってニ〔.E〕この共同借地人はすぺて,この所有地での各自それぞれの 利益に.比例して嘉納の義務をおっている。〔F〕この原則をまもるかまもらない
・・イタカーリティ かということが,いわゆる課税の公平またほ.不公平である。〔G〕このさいきっ
ぱりのぺておかねばならないのだが,前述の8種の収入のうらのただひとつに
終局的軋負担されるすべ七の税ほ.,それがはかのふたつの収入に.影響しないか
ぎり,必然的に不公平に.なる。〔H〕以下さまざまな租税を検討するさいに,わ
たくしぼ.,こ.の種の不公平に.ついてはめったに.これ以上あまり注意をむけない
で,たいていのばあいに.考察を,税の影響をうける特定種類の私的収入に・たいしてさえ/負担の不公平をまねくような,特定の租税がひきおこす不公平に.,限
定するであろう,あ8つである。
さて,筆者のかんがえでは,これについておおよそ,みっつの解釈上の異見
(3)Adam Smith,AnInquir.yinto theNature and Causes ofihe Wealth o.f
Ⅳαfわ乃ざ,1776,Cannan s ed.,VOl.fI,p..310.邦訳,水田洋訳『国富論』<下>世界 の大息想15,1965年7月,240−41ページ。傍点ほ,以下ことわりなきかぎり,すべて
引用者による。
117
明治・大正期におけるスミス租税算1原則解釈の諸類型 − β−
ないしは系列が生じたし,現に生じているとおもわれる。その第1類型は, ■ ほ〕および〔E〕を重視し,「国家の保護」と「各自それぞれの利益」とを結合し て,租税をそのいわゆる「保護」または「利益」のみかえりとみなし,みかえ りの方法は〔A〕およぴ〔C〕ないしは〔 E〕′に.おける「比例」の叙述をとりあげ て,租税根拠論としてほ利益説(応益主義)であり,租税配分論としては.比例税 主義であるとするので,特徴的なことは,ひとつに.は,ここにおける「利益」
はわれわれのいわゆる「個別的利益」であること,その「利益」は〔B〕の「保 護」と〔C〕の「それぞれ草受する収入」とを個別分割的に.等置するかたちとな
って,臣民それぞれあ「収入」の大小がただちに,臣民それぞれのうけとる
「保護」の大小に.対応することと,ふたつに.は〔A〕に.おける「能力」のことば や〔G二〕および〔H〕の叙述の意味内容にかんして,はとんど不問にふし七しまう か,あるいはしばしば,〔G〕と〔H〕についてほ引用すらしないで捨象しさるの がつねである。従来,租税原則に・言及されたさいに,ワグナ−のそれととも
に.,スミスの名があげられぬばあいは皆無であるのに.,はとんどのばあい,第
1原則については.〔.C一〕まで,またほ,せいぜい,〔E〕までであったことほ,のち に守旨摘するごとく,第1原則解釈史における根ぶかい病根のひとつであった。
第2類型は〔G〕および〔H〕を捨象する点ではおなじであるが,辛くに〔A〕に‥お
ける「能力」に.留意し,そのうちの,あるものは比例税主義を否定はしない が,「収入」が「能力」と等置され,「保護」が同様に.「収入.」におきかえられるの
をみることに・よって利益説のなかにおける能力原則の懐妊と生誕とを発見し,
他のあるものはこの第1原則以外の箇所における記述,とりわけ,例の累進税 の合理性を論じた1文,すなわち「富裕な人が公共の経費に虎いして,その収 入に・比例しでだけでなく,いくらかそれ以上紅寄与するというのは.,ひじょう
(4) に不合理なことではないのである」とのかんれんなどから,〔A〕や〔C〕におけ
るスミスの「比例」とは,ことさらに税率を論じたもの
(4)′∂柑.,p・327い邦訳く下>,255ぺ一一汐。
第39巻 節2弓 118
−・J −−
前者ほスミスが旧来の利益説を容認しつつも,それをのりこえるものを当の利 益説の内部から用意したこ.と,後者ほそれを一歩すすめて「比例」の柔軟な含 意を主張して累進主義のおなじぐ懐妊と生誕とを予見しうるとするのである。
これらにたいして,第冨類型は〔G〕および〔H〕をふくむ第1原則のすべてを可 能なかぎり生かしたうえでの,歴史内在的かつ総体的把握をほ.たそうとする。
〔G〕ほあきらかに.,さしあたり単税主義を排撃する課税の普遍性の揚言である はか紅.解釈のしようはなく,そこで〔B〕払おける「保護」を「個別的保艶」で はなく「全般的保護」とみて:,「保護」を〔C〕紅おける「収入」と個別的に.対応 させないならば,いいかえると,「収入」の大小を「 国家の保護」の大小による ものとしでではなく,労働や節倹に.よる(経済学の自立と生誕)ものとしたなら ば,〔E〕における「それぞれの利益」というのほけっして「個別的利益」をさ
イクオリティ
すのではなく「全般的利益.」を意味し,したがって〔F〕における「課税の公平またほ不公平」とはこうした「全般的利益」を前提とする課税の普遍性のもん
だいにはかならない。そ・うして,かれは折角にも,〔F〕におけるごとく「原則.」をたからかに.いいざま,「この種の不公平についてこほ.めったに.これ以上あまり注 意をむけない」とする〔H〕をかきくわえるとすれば,そもそ・も,なんのための 第1原則の設定か,とつめよられでも一応は仕方があるまいが,じかし,じつ はスミスではすでにきづかれるように.,普遍性と平等性が混濁し,「上の種の不 公平」とは.事実上,普遍性のもんだいとして「提起されていることこそ,みのが
されてほならない。それであるから,第1原則は.,かかる立場からすれば,租 税根拠論として了ほ全般的利益説の事実上の主張であること,また,したがって 根拠論が同時決定的紅配分論を規定しえないことの表明な甲であり,この事情
こそが〔A〕における「能力」と〔C〕に.おける「収入」のことばの必然的現出を ささえ/ていたのである。つまり,この節1原則がこのあとに.つづく租税各論の 説明に.おいて一定の具体的規準ないし指針たりうるのは,主として〔A〕ならび に(C〕の叙述,ことばをかえていえ.ば,租税負担配分紅かんする部分であり,
逆に.いえば,この節1原則を有意味なものとかんがえ.るかぎり,その根本性格 は租税根拠論に.ではなく,もっぱら租税負担配分論に.あること,だから,〔G〕
119 明治・大正期鹿.おけるスミス租税第1原則解釈の諸類型 −5−
や〔H〕やを捨象してよ.むのほ透る意味ではむしろあやまりでほないとさえいい うるのだが,ただそのばあい,〔B〕や〔E■〕やをふくめて捨象するのが,とくに 要請されるのであって,たとえば〔B〕は声を大に.してあげつらう対象に.なるの に,〔G〕や〔H■〕だけはふせておくというのは卑劣かつ実用主義的無方法である といわなければならない。この立場ほ.,1・さらに,〔B〕紅おける「もとで」
(under),〔E〕に・おける「での.」(in),のそれぞれが国家または「■国家の保護」
の全般的性格を,したがって〔B〕の「保護」と〔C〕の「収入」,〔、E〕における
「所有地.」と「利益」とが,それぞれ,個別分割的な対応かんけいに.ほ.ないこ とを,おのずから明示していること,2.第1原則のそとに.ある由々しい文章の うち,かの累進税の合理化のはかに.,全般的利益こそが「能力」配分原則にれ んけいするという赤裸々な証言,すなわち「社会を防衛する費用および最高為 政者の威厳をたもつ費用は,ともに・その社会全体の−・般的利益のためrに.,投下
されるものである0だから,そ叫らがその社会全体の一腰的貢納によって,す
なわち,すべてのさまざまな成員がそれぞれの能力にできるだけ比例して昌納
(5) (¢) するこ・とに・よって−,まかなわれるのが妥当である.」とする叙述の完全な理解,
台.ひるがえって,〔F〕における「課税の公平」での,「課税」の原文 taxation と〔H〕に.おける「租税」の原文 differenttaxes または aparticulartax′,との
対比から,課税の普遍性と平等性との混濁と,しかし,同時に.両者の差異への
事実上の触感とをみぬきうるし,4.〔A〕や〔C〕や〔E.〕,それにいま引用した1 文などに.おける「比例」について,厳密な比例性のはかに,対応とか即応てい
どのル−スな使用方法を,スミスをふくむ同時代人の用法のなかで十分に傍証 しうること,要するに相税根拠論と租税配分論との分離をこそ,スミ云の秘め やかな意図として,別映しうること,そして,とれに.よってのみ,租税第1原
(7)
則の全文を首尾一・質してあとづけうるのであった。
(5)′∂gd巾,p300.邦訳<下>,232ぺ・−ジ。
(6)したがって,第2の立場のある種のもののように個別的利益と「能力」とが対応す るのではなく,「能力」との対応は,支配的資本(産業資本)にとって,もちろん,ス
ミスにとっても,全般的利益なのである。
(7)以上の諸点については,紙幅の極度の制限によって注(1)にあげた/ト論では十分に展
120
第39巻 第2号
− 6 一
われわれは,むろん,この第3の立場をとる。それに・しても,人ほとうかも 知れない。〔B〕や〔D〕や〔E、〕またはイF〕やぼ,どうみても個別利益説的筆致で はないか,そうであるからこそ,しG■〕や〔H〕やをかきつけたのではないか,と0 われわれは,これにたいして,よくよく分析すれば全般的利益説なのに,表見 上、は個別利益説的根拠論によって−みずからを潤色するこのスミスの方法こそ が,一方では封建制と前期的資本の全般的利益の虚偽性を批判し,そのために 小生産者急進主義の自然権的個別利益説のエネルギ−をくみこみつつ,その逆 手をとっての,みずからを個別利益説的把.粉飾しての納税義務の普遍性の強調
という,巧妙な18世紀産業資本の深長な修辞法であることの洞察をむしろよぴ
かシナたい。
ⅠⅠ
ところで,とうした8類型の背後には,もちろん,それぞれ特有の社会経済 思想があったのであり,単純化していえ.ば,第1類型にほ絶対主義(帝国主義)
的,第2類型匿は折衷自由主義的,第3類型に・は本来の自由主義をいわば歴史 化した,立場が,それぞれの型を抽出するものとして背後にひかえて−いた。こ れらを,ふたたび,ドイ・ツ的,イギリス的,ドイツ=イギリス的といいかえて
もよい。絶対主義=ドイツ的立場がなぜ紅第1類型をうむのかの理由咋明白で あろう。なぜなら,みっつのなかでもっとも目的論的構造をもつこの立場は,
父権的国家主義と人倫的国家生存権とを有機体的視角から論拠づけ,このみず からの国家思想を原子論的で功利主義的な政府思想と対比しつつ,後者を個人 主義的かつ唯物的な国家解体論とみて軽蔑するから,国家の「生存権」のコロ ラリたる課税権は「人民の利益」からひきだされるのではなく,もっぱら「臣 民の義務」紅こそ・ささえられるのであり,ここから,さらに.租税負担配分原則 における能力原則と租税根拠論に.おける義務説とが必然的に.連結するものとし て,これを自明の理のように.当然視し,したがって累進主義ですらも義務説の
閲しえ.なかったので,ちかく筆者のかんがえを包括的なかたちで発表したい。
121
明治・大正期におけるスミス租税第1原則解釈の諸類型 −7一
環のひとつとしてみなされ,かくしてこの立場からすれば,功利主義的博統の 正系たるスミスに儲力原則や累進主義やがありうるはずほ.ないし,また,あっ
てはならず,その根拠論は遮二腰ニ,われわれのいう個別利益説でなければな らず,〔 A〕に・おける「能力」や「G 〕や〔H〕が無視されたり,みてみぬふりされ
てしまうのは,ごく当然のことであった。
かかる立場の純粋一腰的なものを例示しよう。まず租税根拠論に言及しつ つ,租瀧利益説にふれて,交換説によれば「国家の行動は個人紅利益をもたら
し,個人は之に対する代償として租税の形に於て励の1部を国家紅納め,国家 の行動に・依って生ずる利益と租税との間に.は交換が行ほれると云ふのである。
此の説を交換説と云ふ。更に・国家行為と租税とを取り遣りすると云ふ見地より 観て,此の説をgiveandtake theory又は売買取引説と云ひ,又取り遣りす
るに贋して隻方の価は相同じであると云ふ考に基づいて均等説と云ふ。又次に
敬わ遣りする−・方を主として観察して,或ひは其の国家行為が人民に利益をも
たらすよりして之を利益説と云ひ,或ひは個人が国家より利益を受くるものと するが故に」比の説を軍楽説と云ひ,更に・又個人が国家より利益を買取ると観て 此の説を代価説とも云ふ0/交換説は民約説に伴ひ発達したものである。即ち 第1に・,1・7世紀紅於てグローーチサス,ホップス,プクフエンドルフ等の民約論 老の租税論に新芽を発し,18世紀にルソ−の説となり,大いに.発達した。…民約説ほ自由説を背景としたものであるから,自由説が経済学に入ってより,
交換説は経済学者の説となった。即ち第1に・チエルゴ−,ミラポー・の如き重農 学泥の説となり,第2はアダム・スミス以下の正統学派の説となって現ほれ
(8) た。正統学派の中で最も明瞭に此の思想を現はしたものほセーニヲールである」
と。みられるように・,租税利益説とは,第1紅国家と臣民との崇高な人倫かん けいをたん紅「 取り退りすると云ふ見地」に.おきかえ,「■売買取引」に.すりかえ る唯物的な「草楽説」となり,欝2にそれは「民約説」という不届きな不穏政
治思想に・あざなわれて進展してきたものとされ,この「民約説」なるものがホ
(8)小川郷太郎・汐見三郎『■財政学』(有斐閣),1933年2月,220−21ぺ一−・ジ。
第39巻 第2号
122ーー・β −
ップズみずからの絶対主権論とどうかさなりあうか,プープエンドルフやルソ
ーでほどうか,などはいっさい論外とされたまま,「民約説」をまともに.否定し
たはずのスミスが自由説の衣をきた,ひとつ穴のむじなとして−,位置づけられ てしまう。そのうえ.,レ−ニョアまで登場する。こうして,かかるものとして の交換説ゐ難点の指摘がなされる。「−交換説ほ民約説,自由説,怯国説を前提と する。所が今日の国家は人民の契約で成立せるものでもなく,又其の目的を人 民の権利自由の保護に限れるものでもなく,実紅歴史の産物である。交換説を 以て,文化国の租税に.適用するを得ない。/更に.交換説を吟味するに.;大なる 誤謬に.陥ゐってこゐる。元来此の説は集合的共同的現象を個人的現象により説明 せんとするのであって,交換と云ふ言莫も厳格なる意義でなく−・の昏喩に.過ぎ ぬ。又此の説に依れば,貧者ほ国家の保護を受くることが多いから租税を多く 払ひ,富者ほ自ら保護し得て国家を煩府すことが少ないから租税を少なく払ふ と云ふ結論に遷す。又戦争其他国家の保護の欠けたる場合紅は,人民ほ和税を 拒絶し得るとも解せらる。然らば此の説は租税正義の概念に反するものであ
る。凄に・進んで云へば峰の説は実行し得ないのである0苦し国家の経費を個人
(9)
に.割当つるに.−・定の標準がないからである。」第1に契約中虚構性,第2に.その 擬制性,第3紅その自己矛盾,第4紅納税拒否権め合理化,そしてさいごに実
行ないし計算の不可能性,に・よる批判である。しかし,国家を自然権と契約の 順構から解放し,それを自然史的過程紅おける「歴史の産物」とみなして,と
りもなおさず納税拒否権をこそ否定したのが,はか∴ならぬスミスではなかった
(10)
か,そもそも利益の代償たる課税の実行ないし計算の不可能性を熟知し,自己 矛盾を知るが故に.こそ,全般的利益と独自の租税転嫁論とをむすぴつけたの が,スミスでほなかったか。あるいは,視角をひろげれば,いったい,古典的
(9)同上,222ぺ・−汐。
(10)ロック主義紅よる納税拒否権への批判のみではなく,スミスは「国家の独立維持」
のための「戦争」のさい,みずからの「租税原則」を侵して「生活必需品に課税」せよ
(A.Smitb,0♪・CiilI,ppl390and414‖ 邦訳<下>,312,332各ぺ一汐)というの だかち,「戦争其他国家の保護の欠けたる場合」云々は,まことに・空々しい叙述でしか
ない。
123
明治・大正期紅.おけるスミス租税第1原則解釈の諸類型 − 9 一
租税利益説の主潮のすべて−は,もともと利益に対応する和税の計算とか実行 を,租税配分の具体的政策として,めざしていたか。そうではあるまいとする のがわれわれの意見である。それはともかく,こうした諸論点の解明をなすこ
となく,自己の相税根拠論についていう 【 「■最近の学説ほ.国家の課税権を以
七国家の生存権転帰し,租税の負担を以て人民の義務となすものである。此の説の根砥をなす思想はフヰヒテ,レ.ェリング,へ・−ゲル等より出たる国家説で ある。日く,人類が共同生活をなすに.方りては国家を組織することが絶対に必 要である。各人は国家が共同生活軋必要であるからと云って,儲かに.契約して
之を組織したのでほない。国家は人の天性より出でて自然に組織せられたる社会生活の最高形式であって謂ほぼ歴史の産物である。故に.国家生活を厭へばと
て∴之を脱し得ないと云ふのである。此の国家説は国家を歴史的紅且つ有機的に 観るものであるから,之を国家有機体説又ほ.歴史的有機体説と云ふ。/此の国 家説より出発すると,租税の根拠は之を国家と人民との関係紅求めねばなら
ぬ。日く,国家の存立が人生生活の必然的結果で避くべからざるものなる以上,
国家の存立紅必要なる経費は国民全体としで之を支弁せねばならぬ。従ってイ国 人は其の国の1見たるの故を.以て,其の有する財の1部を割いて貢がねばなら ぬキ0スタ−ルの説く所である○/最近の学者ほ国家と人民との関係を経済的
に.観察して,課税権の基礎を所謂強制共同経済組織より説いてゐる。交換経済
は経済単位が自己の有する財又は労働を提供して他の財又ほ労働を自己に収むるものである。然るに.強制共同経済に.於ては,国家が財又ほ労働を提供して1認
体員の財又は労働と交換するものでほない。強制共同経済にありては団員の箇 別の給付紅対して報酬なきを原則とするが故に,租税は最も能く強制共同経済の本質を発揮するものである。./斯の如く強制共同経済組織から立論するとき
は,国家の必要とする財ほ之を組織する団員の供給に待たねばならぬが,而も 其の団員ほ其の給付紅対して特別の報償を得ぺきでないと云ふこと紅なる。之 を個人の側から観察するときは租税ほ個人が犠牲として払はねばならぬものと なるのである。そこで此の説を犠牲説といふ。所が犠牲と云へば直ち紅悪しきものであると云ふ連想が起る。寧ろエーへベルグに.従ひ租税を人民の義務なり
第39巻 第2号 124
ー∫0−
とし,此の説を義務説と名づけて置く。余も亦此の説紅依って租税の根拠を説
(11)
くのである.」と。そして,この義務説から配分論における普遍原則ばかりでな
●●●●●t く能力原則をもひきだすのであった−「応分負担.〔能力原則〕は義務説より出
て来る当然の帰結であって:,国家が強制共同経済たる性質を有する事と,之を 組織する1分子たる個人の地位とより容易紅理解する事が出来る0蓋し個人ほ 強制共同経済の1組織分子として其の強制共同経済の維持発達を資け,之が為 めに暑する資料として租税を供せねばならぬ。故に租税は個人の義務であつ
て,個人が国家より受くる利益に対する特別報償と見てこほならぬ。…既に・租
我が個人の義務なりとせば租税は個人の経済的能力軋応じて之を賦課すべきで(12)
ある」のに.たいして,「比例税=…の説は必ずしも−・致しないが,多くは交換説 に.立脚してゐる。・…交換説に.基づき比例税を主張する学説」のひとつに「■保 護説」があり,「国家の保護を比例税の標準とするものであって,更に消費比例
(1a) 税と所得比例税説と財産比例税説と紅分つ事が出来る」が,「アダム・スミスの
平等の原則に租税ほ国民が其の保護を受くる財産所得に応じて平等ならざるぺ
からずとあるのは,此の思想〔応能負担とあいいれない利益説〕の上に築かれた
(14)
るもの1である」とすれば,スミスの基調は比例税主義で色どられて,〔A〕にお
ける目ざわりな「能力」ということばや〔G〕と〔H〕が度外視されるのは.,こと のなりゆきというよりは,むしろ意図された筋がきであらたのである。
これ紅たいして,折贋自由主義的立場というのは,文字どおり折衷的な立場
から,ドイツ型に.専一・的に.とらわれないで,おおかれすくなかれ,イギリス的
功利主義を冷静に.,かつ,部分的に,とりいれて調和と共存とをはかるとみられるもので,それほ功利主義もまたそれなりに・社会や国家の是認に.かんする独
自の理論であり体系であるとみなすから,「■能力」や「累進」が利益説とかな らずしも両立しえないものとはかんがえない。そこで,スミスに・おける二面的
(11)/J\川郷太郎・汐見三郎,前掲番,224−26ぺノー汐。
(12)同上,282−83ぺ一汐。
(13)同上,288ぺ・一汐。
(14)同上,282ぺ・一汐。
125 明治・大正期におけるスミス租税欝1原則解釈の諸類型 −JJ一
叙述の−・方を機械的に・捨象してスミスを解釈するという,じつほスミス解釈と いうよりもスミスに・,自己に敵対する見解をおしつける第1類型とこ.となり,
こ・れほその双面的叙述の双方をともに生かそうとするために,さきに.のべたよ うに,利益説に・おける能力原則や累進主義やの懐妊と生誕とを率直に.表明しう るのである。だが,他方では,そ.のばあい紅利益説そのものにおける変質をふ
.くむ功利主義や自由主義やの歴史的諸相を総体的かつ批判的に.かえりみないの で,結論はすこぶる形式的であり折衷的であり,ときにほ雑炊的ともいいうる 無概念の叙述に・おちいりがちだし,ばあいに.よってほ.,〔G〕や〔H〕を捨象しさ
るという実用王義的性格を,むろん第1類型のそれよりほずっと稀釈されたも のだとむま.いえ,おびるであろう。
したがって,いわば自己主張の有効な手段として,論難すべき格好の餌食と 化すための,スミス像だけしか欲しないドイツ正統派塾の夢1類型でほ,そも
そもスミ.ス解釈としての正当性がもんだいではなしのだから,それはスミス解 釈の名にすら値いしないといいうるかも知れないし,第2類型でも「能力」や
「累進」の発見なり、予見なりが,たまたま功利主義思想の意義をうけいれる立 場に・あったが故に,即自的紅スミスの叙述に・忠実になったという,怪我の功名 的色彩が濃厚であって,即自的のみならず,対自的に・,つまり歴史的な総体把 握にもとづいて,それらの懐妊と生誕とを明確に論証しえなけれぼ,スミス解 釈として,きわめて不十分の軋ずであり,そこでわれわれは,まず目的論的か つ実用主義的立場をすでて?ドイツ塾やイギリス塾の生成する史的事情の把握 をめざし,小論の主題でし、えば,イギリス塾の源流たる自由主義や功利主義に 重ける社会的なもの,国家的なものの存布状況をさぐることに・より,すぐれて 国家的・公共的なものたる租税範疇の構成方法を内在的紅かえりみなければな らぬ0絶対主義や自由主革の,目的論的かつ実用主義的接近から自由なわれわ れの立場を,女ミス解釈にかぎっていえば,本来め自由主義をいわば歴史化し た立場というのは,こういうわけなのであるし,実崩主義的紅ではなく歴史か
らまなぶこ・とに・よって,すなわちドイツならびにイギリスをともに肯定する,
両者の折衷をでなく,それぞれの純粋型を肯定することによって,ともに否定
126
算39巻 第2号
−Jご・一一
しようとするわれわれの立場をドイツニイギーリス的といいかえてもゆるされる
にちがいない。
さて,結論をさきまわりしていえば,第1に,「絶対主義」型政商資本主義 を土台とする,わが国の支配的な類型は,ヨコのかんけいでいえは,官学・帝 大系を中心に第1類型が,私学・商大系を軸として第2類型が,それぞれ有力 であったとすべきであろうが,第2にリ タテのかんけいでほ,明治・大正期の 第1類型のおおくほ第2類型に接近し,第2類型もまた時代をとわず,第1類 型にちかいものをもつという,特殊日本的交錯状態や時代別の独自性がうかび
あがる。第3類型は皆無であったが,のちに讃己す理由により,あえて第2類型 のなかから,特定のものをえらんでそ・の萌芽としたい。
以下でほ,主として,ヨコのかんけいを中心に.,明治・大正期紅おける3類 型紅ついてこ叙述し,タテのかんけいについては,かんたんにふれるに.とどめよ
うとおもう。
ⅠⅠⅠ
第1類型 スミス阻税第1原則をみずから「租税ほ平等ならざるべから ず」と規定していうー−イ租税は果して悉く平等なるを得るや否や,蓋しアダ
ム・スミス氏の平等とは納税者の資産又は所得に.比例し,偶に10の財産を有す
る者1の取税を納むる老とせば,100の財産を有する者は,其10倍を負担すべ
(1い しと言ふにありとすべし」と〔B〕の「保護」と〔C〕の「収入」とを個別分割的
に等置して,自明のものとする比例税主義を個別利益説的紅説明したうえ,「然●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●● るに魂今の実例を見れば,漸々累進税行ほれ,比例税の過半は漸々収縮せらる
…・・・(16)
るの有様なり」とのべて,その現実との軍配をあばき,すすんでは「況んやア
●●●●●●●●●■●●●
ダム・スミス氏は租税の根拠を説明するに.方り,納税者が国家より受くる財産
(15),(16),(17),(18)松崎蔵之庖「アダム・スミス氏の租税の4大原則」,訂劇界』節 8巻第2号,1907年11月,15ぺ−・汐。この短文は,明治期によくあるように,黒圏点や 自圏点,三角印など,むや争匿うたれているが,ここで傍点をふした部分はすぺて原文 では白圏点の,博士みずからの強調した箇所であって,他は今日からみれば装飾的なも
のであるから,いっさい省略した。
127
明治・大正期に.おけるスミス租税第1原則解釈の諸類型 −J3−
●●■●●●●●●●●●●●●●●●●●
■● の保護に比例するを以て−平等の意に.解するが故に.,氏の説は到底実行し得ぺか
……=(17)
らざること軋属す」と。利益と平等との同時決定論を内実とする個別的利益説 と,利益に.比例するという比例税主義との理解に.たって−,その非現実性と実行不 可能性とをつくのが唯一・のねらいであり,他の8原則をふくめておなじく以下
…………=●=■◆■
のように批判する。「アダム・スミスの4大原則ほ学理上に.於ける程にほ実際上
………=◆●●●●●●●●
に.歓迎せられざりしものなり。そは.其説の最も行はれたる最中に・於ですら尚且
● ● ● ● ● ■ ● ● ● ● ● ■ ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
つ之に反する租税制度ほ㌧比々行はれたる事実の之を明にする処なり」,「実際に
=…=…==(18)
徹するときほ,殆んど行はれ難きことあるを如何せん。.1批判は,なぜか,「学理
上」の,利益説の背景をなす国家論の虚構性を避けて,もっぱら「実際上」の実
施不能性に凰良をおく怯儒を有する。それだから,さいごに,つぎのような譲歩
をおこ.なわざるをえない…「吾人の批評」は「勿論酷評なりと云ふべきも,然か
し該原則が常に.悉く実行し得べきものにあらざるほ明白疑がふべからざる所考… … = ‥ ◆ … ● .● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
り。唯若し周囲の事情に.して之を行ひ得べき場合には之を実行するの優れるに
…==…‥(19)
如かざるは=言を倹たぎる所なり」と。それにしても,松崎博士は〔A〕の「能力・」や
〔G〕や〔H〕にまったく言及しないし,ましてや「−累進」についてこも不問にふし てしまうし,「実際上に.歓迎せられざりし.」とか「之に反する租税制度は比々行
はれたる事実」というのもわれわれに.ほ理解できないが,周知のように・ワグナ
−をほじめとして,スミスの原則が「■実際」とはちがうとするのが,これを批
〈20)
評するドイツ流の常道であり,博士は忠実に・それをならったのであろう。
(19)同上,16ぺ一一汐。
(20)なお,「形の上ではぼくも松崎さんの後継者だといえないことはない。が,ぼくは そう考えたことはない。ぼくは.彼の弟子または後継老では断じてない」とされる大内兵 衛教授は′,「松崎は金井の次の時代を代表する学者で,『最新財政学』という本がある。
それほ講義を本紀したものである」が,「多分エー,エペルヒか何かの焼き直しであった ろう」その講義は「全く面白くなく,しかも不真面目で」「つまらぬ先生であったけれ ども,・一噂は日本の経済学界を代表し」「金井時代に次ぐ松崎時代というのが……多
分,明治35,6年から40年ごろまで」あって,「日露戦争は彼を経済学財界のボスとし た。京都大学の神戸正雄,小川郷太郎,河上肇,東京大学の河津過,松岡均平の諸氏は 彼の門 ̄F■であるといわれた。そ・ういう地位において彼は東大教授でありながら,′一噂,
−・橋の高等商業の校長でもあった。そして彼は桂(太郎)総理大臣にも近より‥……あまり 上等な部類の男ではなカ;った。い川近ごろの財政学史にも,また東大の『学術大観』に
も,松崎さんをたいそう偉い学者のように番いたものがあるが,そうではあるまい」
128 第39巻 第2号
− ム≠・−
この松崎博士の門下生といわれ,ヴュルツプル.ク大学のシャンツ教授に師事 した神戸正雄博士ほ.,「租税の根拠把ついて−は1…瞥ては利益関係又は報償関係
から説明されたが,今日でほ/むしろ−・般に,統治団体員の生存発達の為めに避
くべからざる必要に.属する統治団体に対する其団体員の団体員としてこの義務に
基き,団体の必要とする費用は其各団体貞に於て犠牲として分担するの外なき
(21) もの」であり,「利益関係又は報償関係によりては各員の分担物を説明すること
が難い。斯くて租税は其根拠に.基き且つ利益原則の実行難より推して1能力原
(22)
別に.よりて分配さるる外なきこ.ととなる」といい,′根拠論としては「義務説」,
配分論としては,そのコロラリとしての「能力原則」という例のシュー・マがな
りたつとともに,松崎博士とおなじくイ実行難」を主張し,スミスの4大原則
(23)
ほ「元来,人民の利便から打算し,政府財政上の利益を忽に.した嫌があった」
し,またその4大原則は「何れも彼の経済学体系の土台たる個人主義に.胚胎
(24) し,納税者の利益を計ることを最要の眼目とした」とされ,スミスの打算主義
と個人主義とを非難したのである。他方,博士は1928年6月5日の京都帝国大 学経済学金主催アダム・スミス生誕200年記念講演会に.,その第6席として
「スミスの租税原則」と題して講演され,これを『経済論叢』の同記念号に掲
癒された。それに.よれば,「私は蕊に彼の原則の当否を論難せんとするのではな
い。其は別の機会紅譲り,彼の原則其ものの如何なるものなるかの有の億を吟lごさ) 味して見やう」とされつつも,「彼の理想岬−は簡人主義及自由主義であり,此
(2¢) が彼の原則の上に現ほれて居」七,「此箇人主義の精神から租税原則を演繹的に
(27)
構成したもの又は完成せんとしたもの」といい,第1原則について,「平等原則
一彼が平等を説くのは……・‖簡人の利益を傷はずして其利益を伸ばすが為めで
(大内兵衛『経済学50年』,東大出版会,1960年10月,30−32ぺ・−ジ)と,批評のおおい この苔のなかでも,とくにつよく痛電される。
(21),(22)神戸正雄『財政学要論』(弘文堂書房),1926年9月,205ぺ・一汐。
(23)同上,225ぺ−汐。
(24)同上,213ぺ・−汐。
(25)神戸正雄「スミスの租税原則」,『経済論叢』第1寧巻第1号,1924年1月,アダム・
スミス生誕200年記念号,269ぺ・−汐。
(26),(27)同上,271ぺ・−・ジ。
129 明治・大正期におけるスミス租税第1原則解釈の諸類型 一員5一−
ある。抑もまた彼は国家を以て私的の利益共同と同と考へ随って其共同紅対す
(28) る各箇人の利害の割合紅応じて,費用の分担を為すぺしとしたのである」と規
定されて,しD〕およぴ〔E〕の原文を注記され,さらに「彼が此原則に於て折 角,能力原則を先づ注意しつつ,尚は論理的不徹底に利益原則をも並.行せしめ たのほ」(こ.こで〔A一〕,〔B〕および〔C〕の原文を注記)「畢発するに・,彼が箇人の
(29)
利益観に強く捉はれ,之を附加へざるを得なかったから」とするはかりでな く,租税4原則の全体にかんして二,ふたつの視角から,やんわり冷笑してい る。第1軋「■原則の素性」をあらって,「此スミス原則は果してスミスの独創か といふのに,此ほ彼の独創ではなく,他の先輩よりの借物であったやうであ
(軸)
る」とし,第2に.「■原則の性質」に・ついて,スミス原則は「之を以て独逸学者 の如く政策的なる改長目標としたのでほ.なく,古来実際に於て準拠された所の
し81)
実在としたのである」が,じつは「而かも彼の当時に行ほれた実際が,実は之
と異って居り,彼が共著書に於て屡々他の処でほ自説を立証する為め実例を挙
げて居るのに.,此原則については竜も之を試みて居らない所から見ると,実は 彼が之を史実から帰納的に.纏めたのでほ.なくて,偶々他学者の見解を知って−,
自家の根本的の思想から之紅共鳴し,之を一層其思想,其理想に適合するやう
(82) に変形した.」,「彼は之紅よりて層人の利益を計り,簡<を出来るだけ宥恕しや
(33) ($4)
うとして居る」,すなわち,その「借物」ないしは.「受売り」という非独創性と
($5) その非実際性,「演繹」性,観念性,と。要約すれば,博士の所論は.,「独創」で
ない「借物」の原則を「実在」とのかんけいをとわず,「彼自身の根本思想か ら」「変改した.」,いわば観念の幻影的産物がスミスの原則であり,しかもその
(88) 根本思想とは「箇人主義及自由主義」で,「個人の利益を尊重」するものだか
(28),(29)同上,272−73ぺ・−汐。
(30),(31),(32)同上,270ぺ・−ジ。博士の注記する,この借物説の主張者は,ロ汐ヤ
−ス,カニンガム,ワグナ−,コンー・、エペルヒ,ベラ・フ.ェルデス,ニッチィ,ストルツ などである。
(33),(34)同上,272ぺ・−汐。
(35)博士の言及される,この非実際説の主張者はワグナ■−とカイツルである。
(36)神戸正雄,前掲論文,279ぺ−汐。
130
第39巻 第2号
−−J6−−
(37) ら,つねに.「箇人の利益を傷ふ結果の大小に・意を用ゐ」たり,「箇人の利益を計
(38)
るこ.との熱心なことを示し.」,「彼が納税者の為めを討ることの至れり志せり
(39) で,むしろ度を過して居る」のであって,その結果,「国民経済的原則」を「欠
(40) く」か,ないしほ,この「経済的といふのは箇人的で,国民的ではない」し,
「財政政策的原則‥…に.現はれたやうな政府の立場など考慮すべきでなかっ
(41)
た」のだとされよう。すべては「箇人主義及自由主義」のなせる,反国家的し わざにあるとすれば,これはあきらか軋「論難」そのものであり,「彼の生誕記
(42)
念紅際して,私が彼の霊に.献ぐ心ばかりの供物」とは.,皮肉にも「諾」とある ごとく,葬送の辞であって,「生誕記念」とほおよそかけほなれたものというは
かほない。
「原則の素性」と「性質.」とをあげつらうことに′よって,その非独創性と非 実際性とを指摘する,上記のやり方は,この第1類型のひとつの特徴であり,
たと.え.は,すで紅はやく,「4法則はアダム・スミスの租税の法則として頗る有 名なるものなれども,スミスの創見に.ほあらず,実ほ其以前償既に・モソテスク の称通したる所にして,只スミスに依りて明瞭なる形となされたるのみなり,
而しで何人も此法則に反対する者ほある可からずと離も,此の如きは殆んど自
明の理に.して敢てスミスを待ちて後に之を知るにあらず,.只研究を要す可きも ′
(43)
のほ如何紅して此法則を実行す可きやの問題たるなり」と嫌味をいいざま,「ス
ミスの所論の如きは到底之を応用する事能はぎるに㌧至れり‥……租税論ほ……骨(44)
葦品たるの勧を生ぜり」,「−最早古物と認めざるを得ざるなり」といわれ,さら
(37)同上,274ぺ・−ジ。
(38)同上
(39)同上
(40)同上
(41)同上
275ぺ・−ジ。
276ぺ・−ジ。
277ぺ・−ジ。
278ぺ・一汐。
(42)同上,269ぺ一汐。
(43)星野勉三「アダム・スミスの財政学」,『三田学会雑誌』第5巻節3号,1911年4月,
アダム・スミス記念号,323−24ぺ・−ジ。この論文ほ,㌻諸国民の富j出版を記念して−お こなわれた三周読書会主催の講演(1911年3月9日)を収録したものである。
(44)同上,327ぺ一−ジ。ただし,自由主義国家論紅「到底賛成す尋能はぎる所なり」と するにもかかわらず,「国家万能主義を牽制する反対の極端説として∴頗る有益なるに相
異なし」といい,また,その歴史的「功蹟を観過する老にはあらず」といい,すすんで
131 明治・大正期におけるスミス租税第1原則解釈の諸類型 −ヱ7・一
に,おどろくべきことには,1論説の全部をこの点の解説にあてたものまであ らわれた。すなわち,「有名ナル此ノ原則二付テ,世間二或ハ多少ノ誤解ガアル 様デアル,即チ(1)租税ノ鱒則或ハ格言卜云フモノノ、氏〔.スミス〕ニ至り始メテ言
ヒ表ハサレタトスルノ\第1ノ誤解デアル。(2)又此ノ原則ノ内容ガ氏ノ創見デ氏 二依デ始メテ唱導サレタトスルノ、第2ノ誤解デアル。(3)又此ノ原則共著二付デ モ,其後ノ学者間ニハ多少ノ批評モアツタ,必ズレモ人ノ推服スル所デノ\ナ
(45)
イ。吾人ガ左二述プル所ハ脚力想ヒ浮べル其ノー・斑ヲ示サントスルニアル」と
の視角から,ぺティ、,ヴォ・−バン元帥,チ.ユルゴー,ヒ。.−ム,・ユ・ステイ,ポー モン,ビ−ルフ.ェルドなどの所説を粒々かえりみて,「−以上述べタル所二依リテ 観ルニス戌ノ4原則ナルモノハ,既二氏ノ当時二在テノ、以前ヨリ多クノ学者 ガ述べタル所デアツタ,氏ハ些等ヲ採テ4ノ原則トレテ番イタニ過ギヌノデア ル。…此ノ原則ナルモノガ常識的ノモノニ止マル点ヨリ云フモナウ考ヘラル
(4¢)
ル」とのべで,その「個物」性をなじったあと,節をあらため七.「原則」の観 念性を他人のことばに依拠してこ主張する−「今日ノ財政学者ハ,此ノ租税格 言ノ設立二依テ租税組織ヲ支配セル何等ノ法則或ハ原則ヲ確認スル能ノ、ゲルヲ 知ル」,「予ノ、財政学上此ノ租税ノ原則ノ価値ヲ否認スルモノナ■リ0 何r・ナレ バ,是レ㌧一ノ先天的公理(einaprioristischesPostulat)クルニ過ギズ,事実上 租.税制度ヲ支配スル規則エアラザレバナ・リ」(カイツル)「彼ノ原則ノ実休内容 ハ人間ノ常識上二於テ簡単ナル思想ヲ集合レタルモノニ過ギズ.」(コ・−ン),「ス 氏ノ原則ハ其性賀−・般的ニ・シテ,適用二対スル精密ノ規定或ハ標準ヲ欠ケリ,
コレ恰モ正直ハ最良ノ政略ナリトカ,今日為シ得ルモノヲ明日√ニ延バス可ヲズ
はスミス的経験論の意義を評価して「豊富なる実際的智誠を以て之を説明したりしか ……=◆●
ば,頗る公平にして又実際に適合す可き学説を生じ」(同上,319−21ぺ一−ジ)とのぺ ているのは,慶応という私学における折衷自由主義の,おもわざる露呈として,われわ
れは重視する。
(45)エ藤重義「アダム・スミスノ「租税原則」」,r国家学会雑誌』欝32巻第6号,1918年
7月,18−9ぺ・−ジ 。われわれには(1)と(2)の実質上の差異をかならずしも理解できない
が,それだからこそ,この区分は工藤氏の意欝の,はからざる強調といえよう。
(46)同上,29−30ぺ一−・ジ。・それだけでなく,「ヨリ楷密デアルト言ヒ得ル」点では「20
余年前」のエスティほスミスにまさる(同上,28ぺ一汐)という。
132
第39巻 第2号
ーJβ−
(47)
トカ云フニ等シ」(ウェルズ)と。そして,かんじんのもんだいについてほ,「ス 氏ノ算1原則ハ所謂能力説卜利益説トヲ同時ニ言ヒ顕ハンタ居ル如レ,其ノ臭
(48)
意何レ∵ニ在リヤト云フ如キ議論等種々アルガ,蕊ニハ凡デ之ヲ述べヌ」と逃げ
るのであった。
また,第1類型の他のひとつの特徴ほ.,まえにいったような,第1原則の前 半部分,おおくは〔A〕,〔BL〕,〔Cほでであっ{:,〔G〕,〔H〕などに・はいっさ
(49)
い言及しないばかりでなく,そうした処理の底意にある個別利益説的解釈のた
めに.,〔B〕に.おける under・ をわざわざ誤訳して, より とするば率いのおお
(50)
い点である。たとえば,「国家の保護に依りて得たる収入」,「国家の保護により
(61) (52) て一事受する所の収入」,「周家の保護に依って各人の事有する収入」とか,やや
(53)
意訳して−,「■其保護ヲ受クルノ程度二応ジ各自ノ収入忘比例シテ」,「国家より受
(47)同上,30−31ぺ一汐。
(48)同上,32ぺ−ジ。こうして,この論説は内容を別としても,叙述そのものはぺティ その他の「原則」か,若干のスミ‥スにたいする批評の紹述であって,スミスの「原則」
それ自体の分析ではないのだから,形式的にみても題目と叙述との不一・致を示す羊頭狗
肉ものであるのだが,いささか気がひけたのか,「現今二於ケル財政学蓄ガ,恰モ金科 玉條ナルカノ如クニ見テ租税論二之ヲ掲グルハ時世後レト云ノ、ネバナ■ラヌ」としながら
も,ただちに「併レ乍ラ,ス氏当時二於ル価値r・,現今二於ル価値トヲ混同シテ之ヲ非 難スルモノアリトセバ,正鵠ヲ得タル批評レ、イヘヌ。刷・今日ニチハ自明ナリレ此等ノ 原則モ実現サレテ屠ラナカツタ・・川若シ今ヲ以テ竜ヲ笑フノ筆法ヲ執ルナラバ,プラト
−モアリストートルモユ.ラキ哲学者エアラズト云ハネバナナヌ。要之,ス氏ノ原則歴史 的価値ハ相当二認メデヤラネバナウヌト恩フ」(同上,31−2ぺ−汐)と。だが,これ はたんなる修辞的な弁解にすぎない。なぜなら,まともにそうかんがえるのならば,こ
の論説をかく動機も叙述内容も本来なりたたないからである。
(49)〔A〕,〔B〕,〔.C〕までしか引用または言及しないものをあげてみれば,小川郷太郎・
汐見三郎,前掲苔,228ぺ・一汐;屋野勉三,ノ前掲論文,323ぺ−汐;小林丑三郎『比較財
政判(同文館),上巻,1906年10月,36ぺ−ジ;馬場鉄−『財政学講義』(巌松堂),19 21年7月,42ぺ・一汐;エ藤重義,前掲論文,22ぺ−汐;土方成美『財政学の基礎概念』
(岩波書店),1923年12月,206ぺ」一汐などであり,これに・〔D〕,〔E〕をくわえて引用し たのは,原文のままであるが,神戸正雄,前掲論文,273ぺ一−ジであって,〔F〕以下,
とくに.〔G.〕以下にふれたものほまったく存在しない。なお,ここではじめてとりあげ た,小林,馬場,土方の各氏の著畜のもつ意味紅ついては,Lのちをみよ。それらは,小
川・汐見流の純粋第1類型とは,むしろ同一・でない。
(50)星野勉三,前掲論文,323ぺ」−汐。
(51)小林丑三郎,前掲音,36ぺ・一汐。
(52)小川郷太郎・
(53)馬場鉄−・,前掲苔,42ぺ・一汐。
133
明治・大正期におけるスミス租税第1原則解釈の諸類型 −ヱ.9−−
(左4) くる保護に応じて」というのが,それである。
第2類型 みずからの著書の基調について,「著者ほ一・派の論者の如く現 代の社会組織経済制度を極端に/悲観するものに非ず,国民経済の発展充実が
●●●●●●●●●●●●●●●
営利的流通経済の発展充実に負ふところ秒しとせず,結局健全なる財政ほ健全
●●●●●●●●●●●●●●●
なる市場組織を前提とすべきことを信ずるものなり。従て国家が財政観閲を避
■ ● ● ◆ ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
… = … ● 用して現時の経済組織紅無理解なる干渉を試みるが如きは決して.国民経済の終
=…………‥(55)
局の利益に適する所以を知らざるなり」と折衷自由主義の立論を表明するぐら
(56) いだから,経費論でほ経費再生産力説を否定して消費説を力説し,租税の第1 r57) 定義を「人民の共同利益を目的とする所謂一腰的経費を支弁するに.在り」と
する,国家生存権説の事実上の否認がひそかに.ではあるが,きっぱりと提起さ れているとともに・,自己の折衷主義を説明して,「−・般に.独逸学者ほ租税に於 ける強制的要素を高調し,英米学者は負担の任意的方面を考慮するものの如し
と難も,両者必ずしも矛盾するものに・非ず。今や政治上に.軋立意制度確立し,
社会上に・は共同連帯の観念行ほれ,崩政上に・於け■る国民の負担に.就き国民自ら 参加し,自ら評論し,自ら充当するの風習盛なるを以て,租税の本質紅任意自
(54)土方成美,前掲苔,206ぺ−ジ。
(畠5)内地廉書『財政学概論』(同文館),1927年11月,序1−2ぺ−ジ。
(56)同上,59−61ぺ−ジ。あるいはつぎのよう紅すらいう−「アダム・スミスが国王
と商人程性格の矛眉せるもの他に・類例を見ずと喝破せること千古の金言」(同上,147ぺ・−汐)である,と。
(57)同上,156ぺ−ジ。内地博士と第1類型匿属する論者との,租税の意義づけに.おけ
る,大きな相違は,前者にあっては節1定義に「利益」のことばをさしいれて人民によ る自発的な分担という共同分担説を強化したこと,およぴ,「強制的性格」を第1定義
からずらして,さいごの第4定義転格下げしたことのふたつであった。たとえば,租税 ●●●●●●●●●●●を定義して,第1類型では,「(1)租税は国家公共団体が財政権によりて強徹するもの壱
ある」「(2)租税は一・般人民より徴収するものである」「(3)租税は−・般人民より徴収する 財である」「(4)租税は国家が−・般の在役を支弁する目的を以て徴収するものである」(小
川郷太郎・汐見三.郎,前掲昏,214−16ぺ−ジ,傍点は原文において白田点により強調
された部分)とされるが,内地博士では,「節2,租税は人民の私有財産より徴収せら
る」「第3,現代に於ける租税の形式は貨幣なり」「第4,.租税は人民の提供する強制的負担なり」(内地廉ま,前掲章,157−60ぺ−ジ)といわれる。むろん,こう対比し てみると,この定義をめぐる内地博士の折衷自由主義的立場は,上記ふたつのはか紅
も,このふたつを主掛転 そのコロラリとして種々かぞえられよう。これについては別
の機会にのべたい。
第39巻 第2号
134ー・ごクー
発的の要素あるを看過すべからず。1・〔他方では〕人口増加し,経済錯綜し,
貧富の懸隔多大となるに.及んで,租税の配分を公平ならしむること困難となる
のみならず」「租税遺脱の危険大となるに及んでは,欝3着たる国家の見地よ り配分を計画し,且つ其の賦課を強制するに.非ざれば到底其の目的を達する能 はぎるべし。之れ国家が強制的なる課税権を以て人民紅臨む所以に・して,其の
強制たる米国学者の所謂法律上の強制…に過ぎずして法を以て国民本然の自
発的提供を監督促進するの趣旨に外ならず。されば租税に.於ける強制的負担は
(58)
昔日に於ける暴君の誅求とは全然其の類を異にするものなり」という○したが って功利主義と共同経済とを調和させる内地博士に.とっては,「租税制度の結
構に.関する根本的法則」たる租税原則の「樹立は先哲アダム・スミスの創意に
●■●◆●●●●●●●●●●●
負ふところ多く,其の所謂租税の4大法則は今尚斯界に重きを為しつつあるな
●(59) り」となるのであって,ここでほ第1類型で非難された非独創性と古物性とに
かわってニ,第1に.,「創意」がたたえられ,第2に,過去における「歴史的価 値」ばかりでなく「現今ニ於ル価値」の「重き.」がみとめられるのである。も っとも,これにつづいて,「然れ共.スミスの法則ほ当時の時事に適切なる極め
て実際的の価値を有するものなりしも,文辞如何にも簡単にして,事情変化し
経済進歩せる現代の財政を支配するにほ充分なりと謂ふを得ず。爾来独仏日等
(60) の学者は次第紅此の原則を拡張してり其の内容を豊富ならしむるに威めたり」と ただしがきがなされており′,前言をとりけすようにもみえるが,われわれはそ
うはかんがえない。というのほ,「当時」ですら「実際上に.歓迎せられざりし
.(61) 」「実行難」と「骨蕾品」とせいぜい「当時モ於ル価凰」しかみない第1類型
とは反対に.,まず「当時の…刷一極めて実際的の価値」がたかくかかげられるの みではなく,こ.の方がより重要だが,「簡単忙しで1‥…充分なりと謂ふを得ず
」とあるごとく,スミスの「法則」は過去左しで過去たらしめ為歴史的遺物ま