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組織統合と個人に関する研究

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組織統合と個人に関する研究

一自己管理の組織化との関連において一

井  島  宏  幸

目次      2.組織と個人

1. はじめに

2.組織と個人       1)組織と個人の枠組

3.自己管理の組織化      バーナードは,ある人が組織のメンバーとして 4.自己管理と自由      行う意思決定と,その人の個人的意思決定は大き 5.統合と自己確認      な違いがあると指摘している。

6.むすびにかえて      組織というのは人間の活動で構成されている一 つの体系である。その体系はさまざまな人間の努

       力が活動を通じて調整されなければならない。す1.はじめに       なわち,調整されたものは一つの体系になるのだ

今日の企業組織は,変化の激しい時代に対応で  から,その中の人々の努力は個人としてではなく きるように,固定的な展開から流動的なものへと  体系にとって必要な方法や程度,時間で定められ 移しつつあるといわれている。企業内企業の育成, 位置づけられている。だから,調整された人間努 プロジェクト・チーム,タスク・フォースの活用  力の体系である組織にあっては,人聞が行為をし などは,そうした現実に即応できる体制を作るた  ていてもその行為は個人的なものではない側面が めのもので,そこにさらに統合の過程を推進して  ある。

注2

いこうとしているのである。このような目的のも   ところで協働的努力には二つの決定行為が含ま とで,小集団活動や目標管理,ジョブ・ローテー  れる。第1には,個人が組織に対して貢献者とし ションなど多くの自主的管理法が導入され管理体  て参加しつづけるかどうかの個人的選択の問題で 制を強化しているわけである。      ある。それは努力の体系である組織体系の外側に われわれは,さきに,自己管理が組織化される  ある個人的意思決定過程であるが,組織構成を維 ことによって,個人の価値体系を含めた全人的存  持する基本的要素である。

在が,組織管理の過程に取り込まれてきつつある   決定行為の第2には組織行為に貢献する個人は 現実を分析してきた。       私的人格と組織人格の二重性が要求されるという

注1

本稿は,その流れの中で,組織統合の過程を分  ことである。たとえば,組織において決定をする

析する視点を求め,組織と個人の統合に自己管理  とき,個人がそれをすることになる。しかしその

がどのようにかかわるのかのメカニズムを明らか  意図や効果は個人のものではなく組織の要求する

にしょうと試みるものである。         ものであるから,その決定行為は非個人的なもの

で組織的なものである。すなわち組織に参加して

意思決定をする個人は私的人格として行為をなす

が,その内容は組織人格に所属するという二面性

(2)

をいうのである。       協働体系の個人動機が満足されるかどうかは,

注3

このように体系化された組織における個人的側  協働の結果に獲得した生産に依存している。この 面は,それ自身独立しながら全体の中の個人であ  生産成果は,物質的なものや社会的なものがある。

り,同時に個人の中に個人と全体がある複雑な存  個人の動機が生産された成果の分配によって満た 在として理解される。この個人が協働行為を続け, されない場合もおこりうる。そのときは生産成果 組織を維持するためには有効性と能率の2っの条  の拡大をはかるようにするか,もしくは個人の動 件が必要であるという。      機そのものを変えて,成果分配の全体的均衡がは

「有効性」は協働行為の確認された目的を達成す  かられるようにするかのどちらかによって解決を ることであり,その達成程度を示すものである。  はかることになるのである。

注4

協働の永続性のためには,まず目的が協働体系の   協働体系としての組織は,以上のように,組織 目標として決められる。そして全体の協働体系の  としての有効性と個人としての能率を追求する2 中で有効性について決定されるべきである。その  つの側面の有機的統合によって維持し発展させら 基礎として考えなくてはならないのは,その行為  れることになる。

と客観的結果が個人的動機を満足させられるだけ   ところで,組織と個人の全体的枠組としての相 の諸力や諸物を協働体系のために十分確保しうる  互関係は理解したのであるが,有効性と能率の対 かどうかである。そして個人的行為や協働行為は, 立する局面はいまだ不鮮明であるといわざるをえ その目的が達成されなくても満足が得られること  ない。われわれは,対立する局面を明らかにする があるが,継続的な行為にするためには,目的が達  過程として,組織の意思決定過程を分析し,そこ 成するとか,達成されそうであるといった信念が  における個人的動機の概念的枠組を理解すること

なくてはならない。また有効性には,全体の協働  にする。

に占る個人のそれぞれの努力の割合とか配合を最

も有効に配置する,個人の有効性もあるという。    2)組織的意思決定と個人的動機

これらは,有効な協働体系としての組織は,構   われわれは組織と個人の相互関連における対立 成員の個人的動機を満たしうるような体系を作る  の局面を明らかにしていかなくてはならない。な

ことも必要であり,そして同時に全体への配慮さ  ぜなら組織の目的を実現するための効果的手段で れた有効な個人の配置も不可欠な要素として理解  ある統合への過程は,個人の動機を満たしつつも されているのである。       個人を精神的・肉体的に拘束する局面が少なから もう1つの条件である「能率」は,個人動機の  ずあると考えられるからである。そのため対立の 満足に関連したものである。協働体系における能  局面を限定する過程として,先ず相違点の整理か 率は,参加者の努力の合成されたもので,個人的  ら展開したい。

観的からみられるものである。個人は組織におい   組織的意思決定は個人的意思決定と明らかに異

ての行為によって,自分の個人的動機が満たされ  なる局面を持っている。その重要な側面は,組織

ているかどうかによって,協働的努力を続けたり, 的意思決定は他人に委譲することができるのに対

協働体系から脱落したりする。すなわち,個人の  して,個人的意思決定は普通それができないとい

貢献が能率的であると考えれば,貢献を継続する  うところにある。たとえば,ある目的を実現しよ

のである。このことから協働体系の能率とは,そ  うと意思決定したとする。それを現実のものにす

れが提供する個人的満足によって自己を維持する  るためには,方法とか手段とか手順などの多くの

能力であるとするわけである。また,それは個人  補助的な意思決定がなされなくてはならない。こ

の負担と満足が均衡するようにする能力といえる  れが個人的な目的であれば,執行にあたってその後

のである。       の細部の決定を自分でおこなうことになる。しか

(3)

井 島:組織統合と個人に関する研究       61 し組織による意思決定であるならば,その決定を  で「主観的な過程」が特徴となるのである。ここ する立場の個人が基本的意思決定をすることにな  にも1つの対立する局面がある。なぜなら,主観

るが,それにともなって数人の人達がその後の細  的過程をもった個人が,組織に参加すると,合理       注5

伯?閧 しなくてはならないわけである。    性,論理性の過程による組織行動を要求されるが,

これらの意思決定行動における組織と個人の相  「主」と「従」の関係で合理性を前面にださざる 違は,共に個人が意思決定をすることになるのに, をえないことになる。しかも,個人が行動するの 個人行動は自分の動機,目的,手段による選択だ  であるから,そこには主観的過程との関連に困難 けでよいのに対して,組織の場合は複数の個人が  な問題が常に存在することになるであろう。たと 組織目的に準拠した行動様式の下で意思決定の選  えば,自分の好みとか感情的対立とかが個人によ 択をせまられるところにある。すなわた組織の中  る組織の意思決定に少なからず影響を与えており,

における個人は,組織の枠の中で個人的考慮とは  全体の意思決定にゆがみが発生する可能性もあり 異なる意思決定を要求されるわけである。このこ  うる。そうなれば,組織としての締めつけが全体

とから,1つの対立する局面は,個人の中におけ  に対しておこなわれることになり,その方法によ る組織目的と個人目的の相剋に求めることができ  っては個人と組織はさらに対立的側面が強くなる る。そしてさらに個人の行為は組織目的に支配さ  ことも考えられるのである。

れているところの「主」と「従」の関係がそこに   ところで,個人が組織に参加し,個人的動機を満 ある。       足させられる一方では,個人の行動の自由は拘束さ 次に,組織目的と個人目的の性質の比較をして  れることになる。そして組織への参加を維持するか みよう。       どうかは個人的動機が満たされるかどうかにかか

注6

組織目的のうちとくに最も一般的あるいは遠い  っている。しかし組織は個人的動機を満たすため 目的は,意見の一致をあらわしているのであるか  に最大限の努力をはらうが,常に必ず全参加者に ら,非論理的過程できまるかもしれない。しかし  過不足なく満足を与えられるとはかぎらない。そ その他の組織目的は具体i生の強い性質が要求され  の結果,動機が組織によって満たされない個人は,

るし,なん人もの協働を必要とするものであるか  その組織から離脱することになるとバーナードは ら,それを意思決定していく過程では他人の納得  いう。

を得るためにも論理的過程を含まねばならない。   しかしながら,不満が多少発生したからといっ すなわち個人的目的の場合はほとんど定式化され  てすぐに組織を離脱するとは考えられない。そこ

る必要がないのに対して,組織泪的はある程度で  には我慢という精神的対応がその個人の許容量の

はあるが,定式化されることが要求されているの  範囲でお・こなわれるであろう。次の機会には満足

である。たとえば,個人の目的はその場の状況や, が充当されるかもしれないといった期待感があれ

興味,感情によっていくらでも変化していくのに  ば,さらにその許容量は大きくなるといえる。こ

対して,組織の目的は感情による意思決定があっ  のような組織による個人的動機への不充分な対応

ても,それを関係する人達に感情によらない合理  は,個人の中に組織に対する様々な不満を発生さ

的理由によって説得し,了解を得なくてはならな  せる原因となっても,なお・かっ個人は組織に参加

いところに相違点がある。       し続けることもありうるのである。また同じよう

すなわち,組組目的は,たとえ生理的・感情的  に不満をもちながらも参加を続けざるをえない事

なものが非公式にはあっても,公式的には「合理  情があることもあるであろう。たとえば,年齢的

性,論理性による過程」が特徴となるのに対して, に条件が不利になり転職にあたって,今より良く

個人目的は,他人には一切関係ない自分だけが納  なるチャンスがないとかのように,少なくとも他

得すればよい論理(生理的,感情的)でよいわけ  の組織に移るよりは現状維持の方が良いと判断し

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たら,個人は不満はあってもその組織から離脱す  意思決定はメンバーの個人的動機がなんの影響も ることはしないであろう。       及ぼさないで実現可能であるかということである。

この場合明らかに個人的動機を満されていない  もしもなんらかの影響があるとすれば「ただ1つ 組織参加者としての個人がいるわけである。われ  だけの最良の意思決定」はおこりえないことにな

われは,組織に参加しつつも組織に協力的でない  るからである。

人達,場合によっては対立的な心情を持った人達   組織に参加している個人は,組織目的を実現す さえもいると考えるのである。ここに組織の維持・ べく最善をっくすであろう。しかし,組織目的の 発展にとってマイナス的効果のある局面をみるわ  実現過程で,もし個人の地位や目的を阻害するよ

けである。       うな事情が発生した場合,個人はその動機を意思決 このように対立的局面を持ちながらも組織が維  定に影響させないといえるだろうか。それとも反対 持されるのは,個人の動機とその受容領域が関係  に個人動機追求にはしるのだろうか。われわれは,

していることになる。そしてその受容量域の許容  そのような場合でも,ただちに個人はその行動を決 量をこえたとき組織の崩壊がおこるわけである。  定的に転換して,個人の動機のみを優先するとは考

そこで受容領域と関係している個人の行動を次に  えていない。ただ考えられるのは,個人の動機を阻 分析することにする。      害する程度を少しでも緩和できれば,という本人に

とっては些細な保身の為の行為がおこりうるので 3)個人的動機と受容領域         はないかということである。もしそういうことが サイモンは次のようにいう。「管理的選択を支配  あるとすれば,各々の変形は些細なものであって すべき価値体系がひとたび明らかにされたのちに  も,幾人もの補助決定者の手を経るうちに大きな は,1つの,そしてただ1つだけの『最良の』意  ズレを生じてしまうこともある。

思決定が存在することになる。この意思決定は組   われわれは,意思決定を行う基礎となる報告書 織の価値と立場とによって決定され,その意思決  の作成過程で,現場の人達の内容にそのような変 定を行なう組織のメンバーの個人的な動機によっ  形が発生していることは良く耳にしている。そし て決定されるものではない。個人が,その自由裁  て,その実態を観破して事態を正確に把握するこ 量の範囲内で,自身の個人的な動機にもとついて, とが管理・監督者の役割であるという主張もよく ひとたび組織の諸目的の容認を決したのちには,  聞くところである。そのような事実からも,逆にい そのあとの彼の行動は,個人的な動機によってで  えば,個人的動機の組織目的に対する変形作用はお はなく,能率の要求にもとついて決定される。   こりうるし,おこっていると観ることができるの

しかしながら,この主張にも限界はある。つま  である。

り,受容領域があって,その範囲でのみ個人は『組   以上のように,自分が不利となるような情報は 織人として』行動するにすぎない。したがって,  できるだけ知られたくないし,たとえ報告するに 組織の要求がこの範囲をこえるときは,個人的な  しても多少のカモフラージュを加えて不利益を回 動機が再び優位を占め,その限りで組織は崩壊  避しようとするのは,自然な人間行動として理解 する。」       できるのである。このように現実の人間の行動を

注7

この主張には多少の疑問がある。確かに,組織  観るとき,サイモンの主張は「たてまえ」として の意思決定はそのメンバーの個人的動機によって  は理解できるが,現実の組織は多少違っていると 決定されるものではないことは理解する。われわ  考えるのである。

れは先に述べたように,組織の決定は主観的動機   また,組織に参加することを決定した個人は,

を持った個人が組織目的を「主」にしておこなう  「個人的動機ではなく,能率の要求にもとついて決

と理解した。疑問に思うことは,はたして組織の  定する」という命題も,以上の理由からわれわれは

(5)

井 島:組織統合と個人に関する研究       63 同じように結論するのである。すなわち,組織参  くてはならない時がある。さもないと多くの人達 加者は能率の要求にもとついて決定行動をするが, が路頭に迷うことになる。自分の信念を守ること そのなかには個人的動機がときとして見え隠れす  と,組織の存続をはかり多くの家族を守ることを る可能性が含まれているということである。    比較したら,多少は自分を犠牲にすることもやむ ところで,個人は「組織人として」行動するの  を得ないのではないかと自分に納得させることな は,その受容領域の範囲のみで,組織の要求が範  どである。

囲をこえると,個人的動機が優位を占め,その限   われわれは,受容領域をこえたら常にだれでも,

りで組織は崩壊するという主張に対し,われわれ  どんな時でも組織の離脱を選択するであろうとは は先に少し述べた。すなわち,個人的動機が阻害  考えられない。それは個人の受容領域自体が,時 されたからといって,ただちに個人的動機のみを  代の流れとともに変化しているものであるし,個 優先するとは考えていないと。ここにさらなる説  人によっては状況にともなう理由によって変化さ

明を付け加えたい。       せることのできる側面も持ち合せているからであ 先ずサイモンのいう「受容領域」の内容を具体  る。もちろん,だれもが受容領域を変化させて離 的に考えてみよう。受容領域とは,個人が他から  脱をしないと主張しているわけではない。また,

の要求を受け容れることができる領域ということ  絶対受け入れられない命令もあるだろう。たとえ である。たとえば,その要求が精神的・肉体的な  ば,「人を殺せ」といった命令はやくざの社会をの 忍耐の許容量の限界以内であるとか,個人の道徳  ぞいて普通の社会ではおこりそうもないが,もし 的・社会的価値体系(宗教・理念・信条・道徳感  あればそれを拒否する個人は圧倒的に多いであろ など)に反していないとか,個人の欲求と基本的  う。その場合,組織目的で正統化できないような なところもしくは重要はところで対立しないな  命令であれば,組織の存在自体に将来がないこと どの領域と理解する。       になるであろう。

次に,「受容領域を組織の要求がこえる状態」に   一般に,組織による命令で個人の受容領域をこえ なると,「個人的動機が優位を占める」ようになる  るような対象とは,法律上・習慣上の常識的意味で ということを考える。これが意味することは,受  の違反をともなうものが多いと考えるべきであろう。

容領域をもった個人の組織行動が,組織の要求に  われわれは,この範囲の命令であるならば,先に よって受容の許容量をこえ,個人的動機が組織目  あげた2つの選択は個人により,どちらでもおこ 的や能率の維持をはかる立場を放棄すること。い  りうると考えるのである。

わゆる組織参加を決定する以前の個人の自由裁量   ところで,人間の意思決定は2者択一でおこる のとれる立場に戻るということである。      ものであろうか。たとえば,命令を受け入れがた

確かにサイモンのいう個人にとっての限界であ  いと思った個人は,その命令を受けるか,それと る受容領域はある。たとえば,個人の道徳・信念  も組織をやめるかの選択しか考えないのであろう

・価値感から受け入れがたい命令がなされること  か。人間行動を観るとき,2者択一は不自然と考 はあるであろう。もしその命令を個人が拒否した  えている。命令を受け入れなくても,他の方法で り放棄してしまったら,本人の組織での将来は暗  解結をはかったり,命令の内容を自分なりに変形 いものとなる。この場合2つの選択が個人におこ  し実行するなど,選択は多様なものがあると考え るかもしれない。1つは,組織から離脱する選択  ている。

である。他の1つは,自分にその命令の意義ある   このことから,組織参加は個人的動機が満され

面を言い聞かせ,自分なりに納得する範囲で行動  なければなくなるという命題も不自然な行動とい

する,妥協の選択である。たとえば,組織の存続  わざるをえない。われわれは,組織参加をすると

のためには,多少無法なことであっても実行しな  きには,個人的動機を満すためのみで決定するの

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ではない。組織は個人的動機を満してくれるかも  ものは,全く自由裁量のできる対象領域を含むと しれないが,その組織に参加したい動機が発生し  考えるわけである。

て始めて意思決定するのである。そこには特定の   ところで,行動の伴わない意思決定は意味がな 組織に参加したい積極的理由としての動機がある  いという説がある。本来,意思決定はそれを実行 はずで,組織参加動機といえるものである。反対  に移す以前には,たくさんの代替案を考え,そ に,個人動機が満されなかったから組織より離脱  れそれの可能性を意思決定していくわけで,行 するのではない。組織から離脱したい積極的動機  動に移す前の基礎的意思決定の積重ねが,現実の があったからである。たとえば,他の組織の方が  環境に対応した意思決定につながるわけである。

良い報酬をもらえるといった動機は,現在の組織  当然,代替案のなかには,空想的・希望的・理想 が個人的動機を満していないからではなく,やめ  主義的なものもあるわけで,行動にはそれが移さ て他の組織へ移った方が自分にとって優利である  れなくても,あるべき姿として個人行動に反映す からである。これは離脱動機というべきものであ  るかもしれず,意味のないものとは考えられない ろう。       のである。

われわれは,以上のことから,組織に参加して   以上のことから,組織に参加した個人行動は,

いる個人の動機と,その受容領域に対するサイモ  個人の動機ではなく組織の能率の論理より行動す ンの考え方は,人間の自然な行動を無視した側面  るという内容は,物理的行動という意味で賛成で があることを指摘しうると考えるのである。    きる。しかし,反面,意思決定における自由裁量

しかし,一方では,個人行動を考える場合,自  がおかされたとは考えていない。個人は主観的範 分の個人的動機に対して,組織に参加する前には  囲にお・いて常に自由でありうるのではないか。逆

自由裁量ができるものであるというサイモンの考  にいえば,組織行動は組織の能率を中心に作られ え方には同意する。      た体制であり,システムとしてそのベストの状態 本来,人間の行動を規制するものは,組織にか  を維持すべきものである。しかし,組織は人間に ぎらず社会のあらゆる事象が関与しているといえ  よる体系である事実と,個人は自由で主観的行動 る。たとえば,人間が1人で他人と接触なしに生  をとれるわけであるから,そこに個人による変形 きるならともかく,そうでないなら,他人の考え  がおこる可能性は否定しきれないとみるのである。

方・生活その他が関連していて,なんらかの相互

規制は当然のこととしてなされる。すなわち,人       3.自己管理の組織化間は自由裁量を自分だけの権利で,なにをしてもど

のようにしても良いという意味にはならないことは  組織に参加している個人が組織行動をする過程 自明のことである。しかしながら,同時に個人の欲  で作られていく自己管理の組織化は大別すると2 求・希望・期待など物理的行動をする以前の意思  つに分けられる。個人の意思による組織化と経営 決定は,社会的制約を考慮してなされるといえど  管理の手段による組織化である。ここではそれぞ も,全く自由に考えることができる対象であるこ  れの組織化過程における個人の心理的相違につい とには変りがない。具体的行動が伴う意思決定にな  て分析したい。

れば,他人への配慮,社会的制約,将来の期待より

くる自己規制など拘束要件がふえてくるのは当然で    1)自己管理における自己組織化機能 ある。それでもその意思決定自体は全く自由裁量の   自己管理は,個人のあらゆる欲求や欲望,期待,

もとでできるというのである。実際の行動にその意  など生きていく過程で発生する様々な目的や動機

思決定を移せるかどうかは,その行動の結果の予  の実現のために,自分自身を肉体的・精神的に制

測との関係で決することで,個人の意思決定その  御していく姿勢であり機能である。自己目的の実

(7)

井 島:組織統合と個人に関する研究      65

現のために,組織に参加することが必要であれば,   2)自己管理の組織化 参加決定することになる。組織の中に個人の目的    個人の意思による組織化

の実現を追求するのか,組織は単なる目的実現の   組織に参加することで,始めは強制であっても 手段・道具でしかないのかは,個人の中で次々と  個人は次第に組織の価値や目的を内在化させ,つ 変化していく目的や動機との関係で決まるもので  いには組織人としての心理や態度を手に入れる,

ある。たとえば,個人は自己目的の道具として組  とサイモンは主張する。

織参加を考えていたとする。ところが,そのうち   組織に参加し,組織行動を通じてその価値や目 に組織の中に目的が出現してくる。そのために他  的を個人が理解するということはいえるであろう。

の自己目的や動機などの序列を変化させ,組織内  しかし個人が理解したこととそれを「内在化」さ の目的に重点を移すこともあるということである。 せて,その立場を実行に移すということとは基本

組織参加をどのように位置づけしているかは別  的に異なる機能を必要とする。たとえば,知識を にしても,参加しているかぎりは自己管理自体は  実行に移す場合,明らかに個人の動機にその知識 組織との間に相互作用が働いていることになる。  が作用していないと,個人行動としての組織の意 われわれは,この相互作用のうちで,個人が集  思決定は自動的に組織の価値や目的を実現するわ 団に対して作用するものとして自己組織化機能が  けにはいかないのである。

重要な役割りを果たしていると考えている。自己   しかし,参加している組織に対しては,アイデ 組織化機能とは,ある集団に所属する個人が集団  ンティティをもち,また参加組織の過程に個人的 と意識的な一体感を自己の中に育成していく機能  動機が輻韓したとき,個人は自己組織化機能の働 である。すなわち,自己の中に,組織の一部分に  きもあって,自己管理の組織化を強く推進するこ なるために必要な要素を取り込んで,組織の一員  とになるであろう。そのような,個人の自由意思 として同化しつつも自律的な存在となるべく自己  による自己管理の組織化は,現実の組織には次の を育成するのである。たとえば,学校におけるッ  ような場合に強く現われている。同期に入社した ッパリ・グループ(番長グループ)のように,学  人達の中で一番昇進が早く,しかもさらなる出世が 校の規則を平然と破ることで自己の存在を主張す  期待されている。また本人もそれを当然と考えて

る集団があるとする。このグループに入れてもら  いる場合は,仕事に対する取り組み方はもちろん った新人は,グループが持っている特有の規則(ノ  のこと仕事を離れたときでさえ,組織のために自 ルマ)を意図的に態度で表現することでグループ  己の自由な時間を犠牲にするなど精神的・肉体的 の全員に認められようと行動する。このように,  献身をつくすことがある。

自己を全体の組織の中の一部分として,必要な状   このように,個人の意識や認識によっては,自 態につくりあげる(組織化する)ことを指してい  己管理を組織目的に同化し,すべての自己裁量の

るのである。       自由を組織中心にするような行動がおこりうると 自己組織化機能は,上記の例のように,個人が  考えるのである。

所属したい集団に対する機能であり,公式組織だ

けでなく非公式組織にあっても作用するものであ   経営管理の強制による組織化

る。すなわち,このことから個人のアイデンティ   しかし,上記の例のような恵まれた状況におか ティ(identity)を求める対象の組織にあっては, れた個人は,ごくまれであり,そうではない人の 基本的に個人には同化しよう(同化したい)とす  方が多いのが現実であろう。われわれは,相対的 る心理的作用が自己管理機能として働いていると  にみるとき,組織行動に充分に個人の動機が満さ 考えるのである。       れて行動している人は全体からみれば,少数でし

かないと考えている。反対に,多くの人達は多か

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れ少なかれ不満を持ちながら組織に参加している  しながら自発性の存在は否定しきれない状態がっ と観るのである。この不満をもちながら参加して  くられていくのである。

いる人達の自己管理について,その組織化をはか   個人が組織に参加しているのならば,当然のこ る組織の強制力について考えてみよう。      ととしてこのような方法や指導を受け入れなけれ ところで組織に対して不満をもっている人達は, ばならない。そして,組織によって強制的に作ら 全て同じ状態にいるとは考えられない。不満はあ  れたものであっても,本人は自己管理の組織化を ってもまだ組織に大きな期待を保持している者か  自由にかつ自発的におこなったという意識をもて ら,組織に対して最底の期待(参加に対する反対  るように方向づけられることになる。しかし,そ 給付のみの期待など)を持つだけで積極的に協力  れでも自主性・自発性の意識をもてない人達には する意識が全くない人達まで,広く様々な参加の  さらに連続的に外圧が加わることになる。

レベルがあると考えている。      その結果強制的手段はそれ自体が持っている性 この多様な参加レベルの人達に対する自己管理  質として,個人の心理的状態は,自由な意識のある の組織化への強制力は,各レベルによって対策や  人にはさらに自由を感じられるようになり,強制や 方策が異なっていては実質的に管理できない。事  拘束を感じる人にはさらにそれが強くなるという両 実,方法は同じでありながら,多様な参加レベル  極化の現象が働く。すなわち自己管理の組織化自体 のそれぞれに適当な作用が及ぶような方策がとら  は結果的に自由と拘束の両極化の方向を合わせ持っ れている。       ていることになる。そして,個人は組織に対して,

例えば,目標による管理は,上司の直接的指導  参加か離脱かの選択をせまられるギリギリの所に の下で,個人は自分で目標を定めるように指導さ  おかれることになるのである。参加をしている限 れ,その具体的方法・手段を自分で決め,その実  り,個人はこの圧力から逃がれることができない 現の満足水準も自分で決定する。小集団管理によ  わけである。

るQC運動の場合は,集団の力が加わることにな   以上のように,参加をしている個人にとって強 るが基本的には同じ過程をとる。品質管理の集団  制による組織化は,自発性の認識をもつことが不 としての目標を上司の指導の下で集団で決定し,  可欠のものとなっているのである。

方法や手段,満足水準などを自分達が決める。自 分達で決めたのであるから,自分達でその達成の

@      4.自己管理と自由ための努力を統制する。その目標の達成をさまた

げるような個人行動は集団の力で相互に規制する。    1)自由について

達成できなければ自分達の集団としての責任が発   われわれは自己管理を「自由な意思決定と自由

生し,団結して工夫するように指導される。成功  な行動の選択を可能にする主体的な個人の行動で       注1

すれば,集団内に協力して達成した喜びが発生し, ある」と規定して理論を進めている。先にふれた 集団の団結力がさらに高まる。         ように,自発性が自己管理に重要な意味があるな このように,手段は強制でありながら,方法は, らば,自発性を明らかにするためにもその背景と 自分で意思決定をする。自分のことは自分で決め  なる個人の自由はより明確に規定しなくてはなら る。自分で決めたのであるから,自分で守らねば  ない。しかしながら本稿では自由の概念を一般の ならない。と指導され,そこに自発的意識が作ら  哲学として明確にしようと意図しているわけでは れる。ここでは参加レベルによってそれぞれ異な  ない。組織における個人の行動に関係した自由に った受けとめ方はあるであろうが,高いレベルの  っいての性質を理解することを目的としているだ 人は自発的意識がより自然に発生するであろうし, けである。

低いレベルの人にとってもそれなりの強制を意識

(9)

井 島:組織統合と個人に関する研究      67

物理的拘束と精神的拘束      客観と主観

われわれは「自由」を理解する手段として,反   ここでは拘束があってもなおL自由がある(自由 対の概念である「拘束」(束縛)との対比において  な行動を束縛しない)状態について分析したい。

展開してみたい。マズローは個人の「極めて自由   われわれは次の事例をもとに考えを進めること な立場」が次のような状態からの解放であるとい  にする。縛られた人(拘束されている人)がその う視点をとっている。「障害,抑制,警戒心,恐怖, 縄を解かれる(拘束を解除される)とき自由の状態

注8

疑惑,統制,遠慮,自己批判,制止」がそれであ  が出現する。これは物理的拘束が物理的な自由に る。この項目を利用してこれから自由及び拘束の  変ったと理解できる。次に縛られた人が縄を解か 性質を分析してみたい。これらの項目は個人行動  れたが引続き逃げないように見張られている。こ の自由を阻害する要因である「拘束」としての性  れは物理的拘束は解かれて物理的に自由になった 質を有している。ところで,これらはその性質か  が,精神的拘束はつづいていることになる。この ら2っの範疇に大別できるように思われる。物理  ことからここでは物理的に拘束したときには精神 的・肉体的拘束と心理的・精神的拘束である。障  的な拘束が発生していたことが理解できる。さき 害,抑制,統制,制止はどちらかといえば肉体的  の例の物理的拘束の解除は物理的自由だけでなく 強制や強要の側面が強く物理的拘束を多く内含し  精神的自由も手に入れたことになる。では拘束を ており,他の項目は精神的圧迫などを要因とした  解除された人が自由になったが,自分が見張られ 心理的拘束が多いといえる。もちろん,完全に二  ていることを認知できない場合はどういう意味を 分されるのではなく,それぞれが両方の性質とか  持っているか。そこには見張りが実行されていて

らまっていると考えるべきである。たとえば障害  も,本人は見張りがないのと同じ効果を手に入れ      ■

竦ァ止は,肉体的に束縛されて自由がなくなる  るであろう。すなわち拘束はそれを認識するかし だけでなく,精神的に拘束するような影響があ  ないかによって本人のなかで自由が出現したり,

るし,一方では恐怖や疑惑も心理的束縛が肉体  しなかったりすることになる。くりかえすと自由 的に動けなくなる結果をもたらすことがあるか  という意識は物理的・精神的拘束が存在しなくな らである。ただ,そこには因果律が認められるた  った状態か,それらの拘束を認識しないもしくは め主とした原因となる側面を中心に区分したわけ 感知できない状態のときにおこるといえるわけで である。      ある。

ところで自由は物理的拘束と精神的拘束から解   ところで,自由の意識は対立する概念の拘束と 放された状態として理解すべきであろうか。確か  の関係で理解されるもので,拘束を意識しない状

に個人行動が両拘束から解放された状態は自由と  態にあっては自由の意識も存在しない。われわれ いうべきであろう。しかし,物理的拘束が必ず精  は,なんの圧力や束縛を感じないのに,自分が自 神的拘束を伴うとはかぎらず,精神的な自由はあ  由であると常に意識するわけではない。拘束とか りうる。また反対に精神的拘束も同じことがいえ  圧力を意識したとき初めて自由の意識が芽ばえる るであろう。たとえば恐怖は精神的拘束をもたら  ことになる。すなわち,拘束があるから自由の意 す要因ではあるが,恐いもの見たさに行動を起こ  識が発生するといえるわけである。

すこともありうるわけである。すなわち個人行動   また,先に自由を拘束する項目を物理的拘束と

を拘束する原因は必ず自由を束縛するとはかぎら  精神的拘束に二分できるが,相互にからまってい

ないことになる。       る側面もあると指摘した。それについてここで少

以上のことから,物理的・精神的拘束は自由な  し補足しなくてはならない。物理的・精神的拘束

行動を束縛する側面と束縛しない側面があること  はそれぞれに外圧的拘束と内在的拘束を内含して

が理解できるのである。      いる。外圧的拘束とは外部からの圧力による拘束

(10)

であり,内在的拘束とは自ずからが作りあげる拘  ことにつながったわけである。しかし,その欲求 束で,自分自身を自分で縛る心理的自縛としての  の拡大もしくは期待をふくらませるに至る前に,

拘束を意味している。物理的拘束は外圧的拘束で  部分解放でもされることを全く意識していなかっ 精神的拘束は内在的拘束と単純に分類できるわけ  た場合にはその解放が,たとえ短いあいだであっ ではないが,しかしそれぞれは強く対応している面  てもよろこびを発生させる可能性はありうる。そ はある。物理的拘束は精神的拘束を含むことがある  の解放感は自由を得た量と比例しているわけでは と先に述べた。それは縛られているということは  なく,絶対的な意味をふくんだ自由と考えてよい 肉体的にも精神的にも拘束感があるということで  であろう。われわれはこの瞬間的であっても発生 ある。すなわち物理的拘束は外圧的拘束であると  する自由の意識が存在しうることを主張しているの 同時に内在的拘束を発生させているわけである。  である。これは精神的拘束に対する心理的麻痺が

また精神的拘束は恐怖の例のように自縛という内  自由の認識を作りだしたものである。その意味で 在的拘束があるだけでなく,恐怖を抱かせる対象に  限定された範囲ではあるが,精神的拘束が必ず物 よる圧力を感じる外圧的拘束感を伴うのである。  理的拘束に伴うとはかぎらないことになる。これ

薗ところで外圧的拘束は外部からの圧力として客  は特殊な例にみえるが,実際はこの例が多く発生 観的認識の対象になりうるのに対して,内在的拘  していると考えている。われわれは,組織や社会 束は自分を自分で心理的に縛るわけであるから客  の拘束に長期になれてきているがため,意識には 観的認識の対象にはなりにくい。それは主観的に  なくても心理的な抵抗感は麻痺している側面が多

とらえる対象となる。われわれは物理的・精神的  いにあると考えられるからである。

拘束を外圧的拘束と内在的拘束の面より考察した   その例にみられるように,客観的意味において のであるが,そのことから物理的・精神的拘束は  は明らかに縛られている状態にかわりがないわけ 客観的に認識される対象であると同時に主観的な  であるから,そこには手だけの部分的自由はあっ 認識をも含んでいることが理解できるわけである。 ても,個人としての自由はありえない。それにも すなわち,自由を拘束するものは客観的にまた主  かかわらず,自由の認識が発生しているのは本人 観的に認識される対象である。そこでこの物理的  の主観による認識だからである。ここでは客観的

・精神的拘束が解除されたら,自由は客観的にま  に自由はありえず,主観的にのみ自由があること た主観的に認識される対象になるといえるだろう  になる。すなわち外部からの拘束(縛られている か。次の例を考えてみよう。         状態)があっても,手が解かれることをきっかけ

物理的拘束は精神的拘束を含んでいる例を先に  に心理的自縛が解除され自由を感じることになっ あげたが,ここでは反対に物理的拘束があっても  たわけである。

精神的拘束がおこらない例を考察してみる。例え   自由という意識は,物理的・精神的拘束が存在 ば,身動きできないように縛られている不自由な  しなくなった状態か,それらの拘束を認識しない 状況下で,その状態が長期にわたって維持されて  もしくは感知できない状態のときにおこると前に いる。すると本人の心理的抵抗が弱まり,その状態  述べた。このことから,自由という意識は,客観 を受け入れるようになるか,もしくは不自由を意識  的にまた主観的に拘束がなくなったとき発生する しなくなる場合がある。そのとき手だけの部分的な  のと,主観的に自由の認識ができたときにおこる 解放がなされても,本人は自由があるという意識  ことが理解できるのである。

が発生することがある。もちろん,反対に束縛を   われわれは,物理的・精神的拘束があるにもか

部分的に解かれたら,その反応はさらに束縛解除  かわらず,なお自由な行動が束縛されない状態につ

の範囲を拡げて欲しい欲求が強くなる場合もある。 いて考えているわけであるから,以上のことから

その場合,一部の解放が全体の束縛を意識させる  個人の自由の認識は主観的にのみおこりうるもの

(11)

井 島:組織統合と個人に関する研究      69

と理解する。ただそこで忘れてならないことは,  ることになる。この束縛は自分の意思で決定する 拘束があるからこそ自由の意識が発生するという  わけであるから,主観的には自己管理は自分の自 事実なのである。      由な意思決定であるということにかわりはない。

ただ社会的要素が個人の欲求を満たす手段でし 2)自己管理と自発性       かない場合は,自己の目的実現にとって邪魔とな 組織は合目的的行動の下にその参加者を制御し  ることもある。たとえば山に遊びに行きたいが,

ていかなくてはならない。個人が組織に参加するか  その資金源が企業組織であれば,企業組織から賃 どうか,また参加してもやめるかどうかは個人の  金を得るため時間的に束縛されることになる。こ 自己管理の自由な側面として理解されている。合  の場合,束縛は早期に自己目的を実現するための 目的的組織の中に個人が参加することは組織の目 障害とみることもできるわけである。そしてこの 的と個人の目的が関連してくることになるから,  社会的要素は自己管理を攣肘するところの拘束と そこに拘束と自由の問題が含まれてくるわけであ  位置づけられることになり,個人は主観的に物理 る。個人が組織に参加することは,その自己目的  的・外圧的拘束としてそれを感じることになる。

を組織目的との関係で拘束されることを受け入れ   このことから組織に所属することによって派生 たものと考えられている。そこでは参加している  する社会的要素には,自己管理の自由な意思決定 個人の自己目的は組織目的に従属し自由は制限さ  を阻害する要因になると考える場合と阻害要因に れることになる。しかし先にも述べたように組織  はならない場合とが有ることになる。この違いは と個人の一体化には限界があり,個人の独立した  個人の自己管理が社会的要素をどのように位置づ 自己管理はけっして従属という関係にはなりえな  けしたかによって決まるわけである。しかしこの い。われわれは個人の組織参加に伴なって個人の  位置づけはあくまで個人の主観的部分によるもの 行動がどのような自由を所持しているのかを考察  であるだけに,客観的に理解することはできない したいと思う。      が,個人の行動を通して推測するしかないことに

なる。

組織と自己管理      ただしその社会的要素がどのように位置づけら 自己管理は,自分が一番やりたい目的を実現す  れようが,組織に所属する限りにおいて,参加の るために,他の低い目的とか欲望をおさえるなど  レベルはその位置づけに対応した状態を個人の自 して自分自身の肉体的・精神的状態を制御するこ  己管理に付与することになるだろう。たとえば社 とをいう。だから,社会や組織に所属していても  会的要素を阻害要因とは位置づけない場合は,組 個人の欲求の順序によって組織の関連目的を相対  織の目的などを相対的に高い重要度を与えて自己 的に低次に位置づけすることも可能なわけである。 管理の意思決定に取り入れることになり,組織に その意味で自己管理は自由な意思決定と行動の選  自己の目的や欲求の多くを重複させていく結果を 択を可能とする自己制御装置といえるのである。  生むわけである。そこには組織に対して自己管理 しかしながら人間は生活を維持するために経済  を自己組織化した状態が出現していることになる。

的な裏付けが必要である。というように個人が自  また,反対に,社会的要素を阻害要因と考える場

己管理にあたっていくつかの社会的要素を重要と  合は,その位置づけが最悪と個人が判断してなお

位置づけた場合には,それらの要素の位置づけに  かつ,組織から離脱したくないのならば,その行

よって自己管理の意思決定が変わっていくことに  動は組織参加はしていても首或首されない範囲で組

なる。もちろん,個人によってその要素の位置づ  織の目的などに非協力的な態度をとる状態がでて

けは様々に異なるであろうが,その位置づけは自  くるであろうというわけである。ここには明らか

己管理の気ままな決定に対しそれなりの束縛をす  に自己管理が組織化されていない状態がある。

(12)

このように組織に対する参加レベルは,個人の  織はそれ自体の目的と論理性を持っている。たと 自己管理の自己組織化した状態から,反対に組織  えば組織の為にならない事は組織にとって不必要 化されていない状態までの範囲で様々なレベルが  であるという,当然の論理もその一つである。自

あることが理解できる。当然のことながら,自己  己目的と組織目的の重視の選択にあたって,自己 組織化した自己管理は,社会的要素を阻害要因と  管理に制限が加えられ,自由な選択ができなくな みないわけであるから,高い参加レベルのなかで  るとき,そこには組織目的を重視せざるを得ない 自由な意識の意思決定をしているといえる。反対  状況がある。すなわち,組織に参加していることは,

に,組織化されていない自己管理の場合は,組織  誠首される,収入がなくなる,社会的地位を失う,

の社会的要素を最悪の阻害要因とみなしているの  所属集団を失う,左遷や出向させられるなどの不 であるから,それらの要素を物理的.外圧的拘束  安・恐怖を背景にした威曝の要素を個人が認め と受けとめ,組織に阻害された自己管理として自  ていることになる。また同時に,組織に参加して 由の意識はないに等しいといえるし,低い参加レ  いること自体が,昇進・昇給などのより良い状況 ベルになっているのである。      に発展する可能性を大きくする誘因をも合わせも ところで,われわれがテーマとしている組織と  っているわけである。こうした組織の論理のもと 個人の統合ということは参加レベルの高度化を意  で組織目的を重視した自己管理をするかどうかは,

昧しているのである。そのためこの低い参加レベ  自己の安定をえられるかどうかの誘因と威嚇の自 ルから高いレベルへの方向性を組織参加者に与え  発的選択にまかせられているのである。

ることが,組織管理の重要な機能となるわけであ   また今日の組織管理は自主的管理の諸方策を広 る。そしてこの方向は,自己管理の自由の立場か  く導入し実施しているという。目標による管理,

らみると,束縛された自己管理により多くの自由  ジョブ・ローテーション,QC・ZD運動などの の意識が加わるように拡大していく過程であると  小集団管理など,こうした様々な管理的手法は,

いえるのである。      個人の組織行動を自主的に自発的にするよう方向 われわれは先に自己管理における自由とは主観  づける性質を強くもっているのである。すなわち にのみ存在すると規定した。そしてここでは社会  管理手法そのものが個人の自己管理を直接まきこ 的要素の位置づけは同じように主観的なものであ  んで自発性を発揮しなくては組織行動をとれない るとした。その意味において,自由の意識の拡大  ように指向されている。

は個人の主観を管理・制御することによって可能   以上のように体制もしくは制度そのものが個人 となるわけである。      の自発性を要求しているのとは異なるが,組織の ラインの上司が部下に接触しながら直接指導する 自己管理の組織化と自発性         方法がある。上司の直i接的労務管理というべき内 自己管理の組織化は環境のつくる一定方向の累  容のものである。賞賛,叱責,激励,慰労などに 積過程によって構築される。組織行動にかぎらず, よって,上司が個人のおかれた状況に応じた適当 あらゆる社会的行動にはそれなりの累積過程が作  な対応をおこない,組織の要求する個人の自発性,

用している。累積過程とは簡単にいえば良い結果  積極性をできるだけ引き出すように指導するわけ は,次に良い結果を導きやすく,悪い結果は,次  である。

にまた悪くなる可能性を累積していくということ   この直接的指導法は昔からおこなわれていたも である。この累積過程が組織によって意図的に作  のであるが,そこに自主的管理法の導入により以 られていくのが自己管理の組織化なのである。   前よりさらに効果的な結果を期待できるようにな

われわれは,ここで累積過程による組織化を意図  ってきている。これらの諸手段によっても必ず自

的に進めるためのシステムの一端を理解したい。組  発性を引き出せるとはかぎらないのであるが,こ

(13)

井 島:組織統合と個人に関する研究       71 うした自発性を引き出すための2段,3段の育成  の機能によって組織は個人の統合をはかり,激動 システムが,参加レベルを高める過程で主観的な  する環境に対応していこうとしているわけである。

自己管理に大きなインパクトを与えていると考え   このような厳しい環境を背景にした組織は,そ られる。そして,もし自発性の認識が少しでもで  れに即応した厳しさを個人に要求する。それに対 てくることになれば,次のような効果を期待でき  して個人が組織に参加をすると意思決定すること る。すなわち,自由の意識の拡大は個人の主観を  は,組織の要求をのむということになる。個人は 管理・制御することで可能となると先に述べた。  その代償として組織に対して個人的希望や欲求な また自己管理はその自由の意識や社会的要素の位  どの動機を満たしてくれるよう期待するわけであ 置づけで主観的な行動パターンをとると分析した。 る。

これらのことから,自己管理がまさに主観的であ

るがために,個人の組織行動が自発的になされて   組織参加の持続と個人動機

いるという主観的認識とオーバーラップし,自己   ところで,組織にとって組織構成員の確保は個 管理の組織化が自発性の高い行動として展開され  人の動機が満たされていると考えるだけで充分と ることになるのである。      いえるのであろうか。われわれは,個人の立場か

このようなことから,組織の管理による自発性  ら組織参加の持続について考えてみたい。

の育成こそが,自分の意思で自発的に自己管理の   厳しい組織の要求に対して,参加を意思決定し 組織化をおこない,参加レベルを高めているとい  た個人は,当然それなりの満足を得られることを

う自己認識をつくりあげる基本的条件となってい  期待していることは確かであろう。すなわち,参 ると考えるのである。       加によって自己の満足がえられる。精神的・肉体 的に安定しているし,安心感をもてるなど個人の

      動機が満たされていることが,組織参加を続ける条5.統合と自己確認      件になるであろう。ところで組織は当然のこととし

1)組織の統合と個人       て全員に満足などを充分に与えられるとは考えら 組織と統合      れない。そこには,組織に対して個人の中に不満 組織が個人の統合を求める理由を次のように考  や不安が発生していることがある。これらの不満 える。経済社会の環境が激変する現代の組織経営  や不安は個人の自己管理のなかで,耐える方向で にあっては,組織のサバイバルをかけて環境に適  解決をはかられているか,それとも限界に達して 応しようと組織はより高い活動能力を求めている。 耐える意思がなくなっているかによって,組織参 もし環境適応に失敗すれば,組織は消滅してしま  加を続けるかどうかにつながる。さらに,自己管 うことになる。組織の求める活動能力とは,柔軟, 理が組織化されてくるにしたがい,本人に自主性 強健,機敏といった組織特1生をもった総合的な高  という自由による満足があったとしても,精神的・

い組織能力である。そして,その組織に参加して  肉体的疲労が増大するであろう。その結果,限界を いる個人は,組織の触角であり,プランナーであ  感じるか,耐えるかの意思決定につながるのである。

り,実行者として組織の実態をささえる高い活動   ところで個人が参加を意思決定するのは,個人 能力の実現をめざすよう期待されている。このよ  の動機を満足させるためというよりは,いくっ

うな集団能力を高める作用を果たすのが組織によ  かの要因をまとめた結果参加をしたいという動 る個人の統合なのである。すなわち,統合とは,  機に発展したからではないかと考える。逆に言え 組織目的を効果的に実現するために,参加してい  ば,参加を続けたくなくなるのは,組織を離脱し

る人々の能力を有効に凝集し,それを最大限に発  たい動機が発生しているとなるわけである。この

揮させる機能をもったものといえるのである。そ  ように考えると,組織の維持に必要な個人参加を

注10

(14)

持続させるための条件は,単に個人の動機を満足   われわれはここに書かれた内容を意図的に強調 させるといった単純な理解で満たされるわけでは  を加えながら,2つの面において確認しておこう。

ないのである。      1っは,自己概念は,その人の行動の結果を誘 このことから,統合への過程は単に個人の動機  導する作用をもっていることである。たとえば,

を満たすだけで出発できるとは考えられないこと  自分はそれほど判断能力があるとは思っていない がわかるであろう。すなわち,組織の統合にとっ  し,思われていないと自己概念をもっている人は,

て個人の参加を確保することは基本的な問題の1  判断を要求される地位とか状況の中に自分を入れ つとなっているわけである。         ようとしない。逆に,能力があると自己概念され

ている人は,積極的にそのような状況に自己を導 2)自己概念と自己確認       くし,失敗しても,結局最後には成功することに 組織に参加している個人は,それぞれ自分の仕  なる。このように自己概念は自分の行動を規定し,

事能力,職務適性などに対して特有のイメージを  仕事の範囲や可能性を限定したり方向づける作用 もっている。これは個人が現在までに育成してき  を果たしていると思える。

た自己のイメージが基礎となっており,そのイメ   このことは,心理的拘束についても考えられる 一ジを「自己概念(self−concept)」という。わ  のではないか。平地であれば直線に歩くことが容 れわれはこの自己概念が,組織参加の維持に直接  易くできる人であっても,断崖絶壁の上に立った 関係しているとは思っていない。しかし後に説明  時は,落ちる恐怖でその端を直線に歩くことがで する自己確認は自己概念と密接に関係しっつ,組  きない人もでてくる。逆に,そのような場所で平 織参加の維持に影響を与えるものと考えている。  気で歩ける人もいる。ここには心理的拘束の有無 そのため,自己確認を明確にするためにも自己概  が行動に作用しているためと思われる。これと同 念を理解しなくてはならない。         じように,失敗するかもしれないという不安は,

S.J.キャロルとH.L.トシは次のように説明  それがなければ普通にできることを失敗につなげ している。      てしまうことがある。

「人間の自己概念は,人が自分自身を認め評価   このような心理的拘束の有無は経験(生活体験 する方法である。ひとり1人は仕事に対して,彼  など)によって左右されるもので,その経験の傾 らがどのように成し遂げるのかに影響をあたえる  向(成功とか失敗の傾向であり,自己概念の傾向 ような自己概念をもっている。ある人達は自分自  でもある)が本人を拘束したり,開放したりする 身を有能なものとみなし,不確実な要素を持って  と考えられる。すなわち,できると思っている人 いる仕事を喜んで引きうける。他の人達は自分を  は,困難であっても最後には実現してしまうのに,

リーダーとしてみなし,人と人との関係を支配し  不可能だと思っている人は,実現する前に諦らめ ようと試みる。他の人々は彼らの能力をそれほど  てしまうのでできない結果になる。これらの差違 高いものとは評価していないかもしれない。彼ら  が生じるのは,自己概念にはその中に形成されてい はある程度の責任をとることをも恐れているかも  る内容が原因となって,結果をあらかじめ想定し しれない。このような自己認知(self−perception) てそこに自分を送り込もうとする心理的働きがあ は,主として他の人が彼にどのように反応するか  るからである。

の基礎の上に,人の一生を通して形成されるのは   もう1つの確認は,自己概念は累積過程によっ もちろんである。個人は他人に対する彼の影響に  て常に新しく形成される性質をもつということで ついて人々からのフィード・バックによって知り,  ある。

そしてこの情報は彼自身にっいて発見するために  先ほど述べた,できると思う人は最後に実現し

注11

使われるのである。」       て,不可能と思う人は諦らめてできなくなるとい

参照

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