精神薄弱児の鏡像認知について
相馬 壽明*・久保庭 尚子**
(1986年9月27日受理)
,
qecognition of Mirror Image in Mentally Retarded Children *
soshiaki SoMA and Naoko KuBoMwA**
(Received September 27,1986)
目 的
Wallon(1934)は鏡像に対する乳幼児の反応を観察し,鏡像認知の発達が段階的に変化してい くことを示した。さらにZazoo(1948)は,鏡像における他者像の認知は自己像の認知よりも早く 「、
ャ立すること,目己像の認知が定着するのがほぼ2歳以降であること,自己像の認知がゆるぎない ものになるのが6歳半頃であること,などを明らかにした。また,Bertenthal&Fischer(1978)
や百合本(1981)は,鏡像による自己認知が段階的に成立していく過程を明らかにしている。
ところで,精神薄弱児における鏡像の自己認知にっいて検討した相馬・新井(1986)は,知的遅 滞を示す精神薄弱児においても鏡像の自己認知は可能であるが,ゆるぎない自己像の認知の段階に 至?ていないことを示した。また,その原因として精神薄弱児の象徴機能の未発達や自己中心性が 考えられるとしたが,さらに被験児の条件統制が十分なされたうえで再検討されるべきであろうと いう課題を残した。
そこで本研究では,先行研究(相馬・新井,1986)で得られた知見を再検討するために,被験児 の条件統制を行い,精神薄弱児の鏡像認知を健常児と比較検討することを目的とする。
方 法 、
被験児 被験児は茨城県内のF養護学校児童生徒49名,D保育所幼児30名を対象とした。
課題 鏡像認知を測定する方法として以下の課題を設けた。
(1)Toy−task:被験児の鏡像の左上後方に像が映るように人形が呈示され,「人形はどこにあ りますか?」と問う。
* 茨城大学教育学部障害児教育学科
** 茨城県立下妻養護学校
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(2)Where−the other person−task(以下W−0と略す)二被験児の右後方に実験補助者が立 ち,被験児とともに鏡に映るようにして, 「○○さん(実験補助者)どこ?」と問う。
(3)Where−Self−task(以下W−Sと略す):「○○ちゃん(被験児)どこ?」と問う。
(4)Name−task:被験児の鏡像を指しながら「これ誰?」と問う。
なお,いずれの課題も被験児を鏡に注目させた状態で課せら礼実験者は鏡に映らないよう配慮 した。また,先行研究(相馬・新井,1986)で正答率の高かったRouge−task, Identification一 task, Photograph.taskは,被験児の年齢条件が先行研究よりも高いので本実験では施行され なかった。
実験材料及び手続き 鏡は60c皿×100cmの大きさのものを用い,人形は32c皿x12c皿の大きさのも のが,90cmの細長い棒に糸で結びつけられている。課題の呈示はToy, W−S,Name, W−0の 順序で施行された。なお,実験場所は養護学校内の相談室と保育所内の一室である。
結果の処理 正答の基準は以下の通りである。
(1》Toy :実物の人形に振り向くカ㍉人形を指した場合。
②W−0:他人の実物を指したり,実物の方に振り向くことができた場合。
③W−S:自分自身を指さすことができた場合。
(4)Name:自分の名前か,一人称代名詞で答えた場合。
正答の基準は先行研究(相馬・新井,1986)と一部異なっており,特にW−Sにおいて鏡の自己 像に対する指さしは,実物への反応を重視する観点から正答とみなされなかった。分析の対象とな
ったのは,正答・誤答にかかわらず4課題すべてを遂行できた精神薄弱児23名,健常児27名である。
精神薄弱児(以下精薄児と略す), 健常児ともに4歳児 5歳児,6歳児の群に分けて分析された。
各群の生活年齢にっいてはTable 1に示されている。
Table l CA and MA of the subjects
CA MA Group N ・
@ Mean Range Mean Ran e Mentally Retarded
MA 4−year−01d 6 11:8 8:2−14:7 4:3 3:9−4:9 MA 5−year−old 9 15:1 10:0−17:8 5:6 5:3−5:9 MA 6−year−old 8 16:2 10:0−17:7 6:4 6:0−6:9 Normals
4−year. old 9 4 : 2 3:8−4:11 5−year−01d 11 5 :5 5:1−5:10 6−year−01d 7 6 : 3 6:2−6:4
結 果
各課題に対する正答率を精薄児の4,5,6歳児群と健常児の4,5,6歳児群別に示し,それ らの群間にっいて統計的に処理した結果(x2検定)を示したのがTable 2である。ま劣各年齢 群について,精薄児と健常児を比較してみると,4歳児群ではW−0課題で精薄児の方が健常児よ
りも正答率が高くなる傾向がみられる。5歳児群ではToy課題において精薄児の方が有意に正答率
Table 2 Percentages of subjects who performed correctly in the four tasks
TAS K TOY W・O W−S NAME TOY/WO WO艸S WS蝕ME
Mentally Retarded
MA 4−year−old 100(6/6) 83(5/6) 67(4/6) 83(5/6) 一 一 一
]MLA 5−yea r−old 78(7/9) 100(9/9) 44(4/9) 89(8/9) 一 * 一
MA 6−year−01d 63(5/8)88(7/8) 50(4/8) 100(8/8) 一 一 十
Normals
4−year−old 56(5/9) 22(2/9) 22(2/9) 100(9/9) 一 一 **
5−year−old 9(1/11) 64(7/11) 18(2/11) 100(11/11) * 十 **
6−year−old 43(3/7) 57(4/7) 0(0/7) .100(7/7) 一 十 **
4−year−01d Ret./Nor. 一 + 一 一 5−year−01d Ret./Nor. ** 一 一 一 6−year−01d Ret./Nor. 一 一 一 一
Mentally Retarded
4/5−year−old − 一 一 一 5/6−year−old − 一 一 一
Normals
4/5−ybar・01d + 一 一 一 5/6−year−old − 一 一 一
Not e. **p〈.01,*p〈.05,+p〈.10
%
100
50 M4●一つ
N40一つ
5[Hコ6△一込
0
TOY W−O W−S NAME
Fig.1 Percentages of subjects who performed correctly in the tasks.
Mand N indicate the mentally retarded and the normal, respectively.
Each figure shows MA in the mentally retarded and CA in the normal.
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が高くなっている。しかし,6歳児群では精薄児と健常児に有意な差はみられない。
次に,精薄児群内と健常児群内における年齢間差をみてみると,精薄児では年齢間に有意な差は みられない。健常児においても,Toy課題で4歳児の方が5歳児よりも正答率が高い傾向が示され たにとどまっている。
さらに,各課題間の差異にっいてみてみると,精薄児では5歳児群でW−0課題の方がW−S課 題よりも有意に正答率が高くなっている。また,6歳児群ではName課題の方がW−S課題よりも 正答率が高くなる傾向が示された。健常児では,5歳児群でW−0課題の方がToy課題よりも有意
に正答率が高く,5,6歳児群ではW−0課題の方がW−S課題よりも正答率が高くなる傾向がみ られ,4,5,6歳児のいずれの群においてもName課題の方がW−S課題よりも有意に正答率が 高くなることが示された。
Table 2の結果を理解しやすくするために図示したのがFig.1である。 Name課題を除けば,
Toy, W−0, W−Sのいずれの課題においても精薄児の方が健常児よりも高い正答率を示している。
さらに,Name課題ではいずれの群でも80%以上の正答率を示している。従って,以下では主とし てName課題以外の3課題について述べていくことにする。
精薄児,健常児ともに4歳児群では他の課題よりもToy課題で正答率が高く,しかもその正答率 は5,6歳児群よりも高いという結果が示された。5歳児群では,精薄児,健常児ともにW−0課 題の正答率が高く,精薄児ではW−0>Toy>W−Sの順に正答率が高く,健常児ではW−0>
W−S>Toyの順に正答率が高くなっている。また,他の年齢群に比べて5歳児群がW−0課題で 最も高い正答率を示している。6歳児群は精薄児,健常児ともに5歳児群とほぼ同様の結果を示し ており,W−0課題の正答率が最も高く,正答率の順序はいずれもW−0>Toy>W−Sとなって
いる。
考 察
これまでの鏡像認知に関する研究は,自己像の認知が定着するのが2歳以降であり,自己像の認 知がゆるぎないものになるのが6歳半頃であることを明らかにしている。本研究の被験児は精薄児
(MA:4−6歳),健常児(CA:4−6歳)ともにその年齢段階からみて,自己像の認知は可能 であるが,ゆるぎない自己像の認知の段階には至っていないと考えられる。このことは,いずれの 年齢段階においてもName課題で正答率が80%以上を示したにもかかわらず,その他の3課題で正 答率にゆらぎがみられたことからも明らかである。従って,以下の考察は主としてName課題以外の3 課題(Toy, W−0, W−S)を中心に述べていくことにする。
まず,各年齢群における精薄児と健常児の差異,精薄児および健常児における年齢間差をTable
2からみてみると,5歳児群において精薄児と健常児に統計的に有意な差がみられたのみであった。 ム
この差異は健常児の正答率が著しく低下していることによってもたらされた特異的なものであり,
他の課題や年齢間に差異がみられないことから,年齢条件や知的遅滞の有無などの被験児の要因に よるものとは考えられない。Toy課題が課題系列の第1課題であることから,実験条件の要因が関 与したとも考えられるが,推測の域を出るものではない。従って,各課題の正答率は知的遅滞の有
無や年齢条件に関係なく,ほぼ同様な結果を示したとみなしてよい。すなわち,各群の課題間の正 答率の変化はFig.1に示されるように,ほぼ同じパターンを示していると考えてよい。
そこで・Fig・1をみてみると, Name課題を除けばいずれの課題でも統計的に有意ではないが,
精薄児の方が健常児よりも正答率が高いことがわかる。精薄児の方が正答率が高くなった原因とし て生活年齢の要因が考えられよう。Table 1に示されているように,精薄児は生活年齢の下限が8 歳2ケ月であり,健常児の上限6歳4ケ月よりも高くなっている。精薄児の精神年齢と健常児の生 活年齢を対応させて比較した場合に差異がみられないことから,精薄児の生活年齢の高さがこのよ
うな結果をもたらしたと考えられる。Merleau−Ponty(1962)は, Wallonが鏡像の習得を認識作 業の問題であり,知的操作という観点から説明していることに対して疑問を呈し,Lacan(1949)
らの精神分析学の知見を取り入れて,鏡像の認知は単に知的操作によって成立する知的総合ではな く,他人との共有に関する総合,すなわち「他人や世界に対するわれわれの生活関係の一切を含む 全体的過程の一面である」としている。このような観点に立っならば1知的遅滞を示す精薄児とい えども,生活年齢が高ければ健常児以上に高い正答率を示すという結果は,これまでの研究結果と 矛盾するものではないといえよう。
次に,課題間の正答率の変化を,鏡像認知のゆらぎがみられる時期(2歳以降6歳半まで)にど の課題が優位に成立していくかという観点からみていくことにする。Fig.1をみてみると,精薄児,
健常児ともに4歳児群と5,6歳児群では異なった正答率の変化のパターンを示している。4歳児 群では,Name課題を除けばToy課題で正答率が最も高くなっている。百合本(1981)は加齢とと
もにToy>W−0>W−S>Nameの11頂序で課題の遂行が可能になっていくという段階的変化を示 したが,Name課題の正答率からみて,自己認知が可能な4歳児の段階では,物の鏡像認知にゆらぎ はみられないが,他者や自己といった人の鏡像の認知はいまだ十分に実物と関係づけて正確に捉え られておらず,不安定であるといえる。なお,先行研究(相馬・新井,1986)と比較してToy課題 で正答率が高くなった原因としては,正答の基準の違いが考えられる。先行研究では言語教示がな
く,30秒以内という時間制限があったが,本実験では時間制限がなく,「人形はどこにありますか?」
という言語教示が与えられた点で,先行研究よりも課題の遂行が容易であったと考えられる。
5,6歳児群では,Name課題を除けばW−0課題が最も正答率が高くなっている。4歳児と異 なり,5,6歳児でW−0課題の正答率が優位になったことは,課題の段階性から考えて矛盾しな い。これまでの研究は鏡像による他者像の証知は自己像の認知に先行することを示しているが,自 己像の認知がゆるぎないものになる前段階においても,他者像の認知はゆらぎが少なく,比較的安 定しているといえよう。しかし,W−0課題の正答率に比べてToy課題で正答率が低下しているの はなぜであろうか。Merleau−Pontyは先に述べた観点から, 「もし鏡像の把握が常に認識の次元 のことがらだとすれば,一度その現象が理解されてしまうと,それの過去は完全に解消されていな ければならないはずである」と述べ,鏡像の認知が不安定なのは「それを構成している操作が本来 の意味での知性だけではなく,その個人の対人関係全体にもかかわる操作だからである」としてい る。従って,各課題の正答率にゆらぎがみられることは,一度成立した(4歳児以前)ものであっ ても・6歳半までは恒常的に成立していることを意味しないという鏡像認知の不安定さを示してい
るともいえよう。
,しかしながら・Name課題の正答率の高さに比べてW−S課題の正答率が著しく低下したのはな
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ぜであろうか。先行研究(相馬・新井,1986)の正答率よりも低くなっていることから考えて,
Toy課題と同様に正答基準の違いが考えられる。先行研究では,鏡像の自己像を指さしても正答と みなされたが,本研究でな自分自身を指ささなければ正答とみなされなかった。本研究でみられた 誤答のほとんどが鏡を指さしたものであったことから,先行研究の正答の基準を適用すると,W−S課 題の正答率はいずれの群でも80%以上となり,Name課題の正答率と変わらなくなる。本研究では,
自己像の認知がゆるぎないものになることを検討する意味で実物への反応を重視し,正答の基準と した。従って,W−S課題の正答率の低下は,正答基準の違いによるといえるが,他者像に比べて 自己像の認知が一層困難であることが示されたともいえる。
ところで,Zazoo(1977)は,反鏡映像,反連動性,顔の拡大の3条件で実験を行い,5歳半か ら6歳半では自己認知をためらう子どもが多いという結果にっいて,自己の鏡像と自己認知の矛盾 に対する推理の欲求が,自己認知の確信を凌駕するために不安を生じ,そのために自己像であるこ とを否認してしまうのであろう,と述べている。また,鏡像認知の研究ではないが,針塚(1979)
は表情図の分類行動に関する研究で,表情図の全体的属性への認知が5歳児において一時減少する 結果が,先行研究(針塚・成瀬,1976)に続いて示されたことに対して, 「5歳児では認知的機能 は4歳児より退行するが検討力は増加しているゆえに認知機能と検討力の両者の発達の準備期にあ ると推測される」と述べている。従って,本研究で示されたW−S課題の正答率の低下は,単に正 答基準の違いによってもたらされただけでなく,4歳児と5,6歳児の正答率の変化のパターンが 異なることを考え合わせると,認知機能の面で4歳児と5歳児ではその様相が異なることが推測さ れる。これは今後検討されるべき興味ある問題であろう。
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