向精神薬の過量服薬患者に対する 臨床学的な特徴と危険因子
日本大学大学院医学研究科博士課程 外科系救急医学専攻
堀 智志 2014 年
指導教員 木下 浩作
向精神薬の過量服薬患者に対する 臨床学的な特徴と危険因子
日本大学大学院医学研究科博士課程 外科系救急医学専攻
堀 智志 2014 年
指導教員 木下 浩作
目次
概要 ... 1
緒言 ... 7
対象と方法 ... 9
結果 ... 18
考察 ... 24
結論 ... 30
謝辞 ... 31
図表(表
17
点) ... 32引用文献 ... 49
業績表 ... 56
1
Ⅰ.概要
【目的】 近年、うつ病などで処方されている向精神薬を過量服薬し、救急搬送
される患者が増加傾向にある。向精神薬の過量服薬患者の約
9
割が複数の薬物 服薬によることが報告されている。このような患者は、既往に精神疾患があるこ とが多いために一般病院での受け入れが困難とされる症例が問題となっている。向精神薬の種類や過量服薬の患者の病態によっては、急性中毒に対する専門的 な知識とその治療だけでなく、精神疾患そのものへの対応が求められる場合が ある。しかし、夜間等で精神科医師が対応できる施設も限られている。そのため、
患者の約
3
割は、精神科を標榜する高次医療機関に搬送されている。これまで、多種類の向精神薬を同時に服薬した場合の薬物相互作用や相乗効果による臨床 的特徴や合併症について検討した報告は少ない。このような患者は、どのような 救急処置が必要か、治療上の問題点や合併症の発生について不明な点が多い。そ こで、本研究では、救急医療の現場で多種類の向精神薬を服薬した患者の臨床的 特徴を検索し、治療に関わる呼吸・循環管理上の注意点と合併症の発生と服薬薬 物との関係を明らかにすることを目的とした。
【対象と方法】
2010
年1
月1
日~2011年12
月31
日で日本大学医学部附属板 橋病院救命救急センターに搬送された向精神薬の過量服薬患者で、① 抗不安 薬・睡眠薬(ベンゾジアゼピンとバルビツレート)、② 抗精神病薬、③ 抗うつ2
薬(SSRIや
SNRI、
三環系抗うつ薬)、④ 気分安定薬のいずれかの1
種類以上を 含む薬物過量服薬患者とした。過量服薬患者の臨床的特徴を明らかにするために、救急集中初期診療に関わ る因子を抽出した。救急集中初期診療に関わる因子は、年齢、性別、来院時のバ イタルサイン、動脈血血液ガス分析、服薬薬物の種類、服薬錠数、意識障害
(Glasgow coma scale score: GCS 8点以下)の有無および、気管挿管の有無とし た。合併症は、誤嚥性肺炎の発生、頻脈の発生、徐脈の発生、低血圧の発生につ いて検索した。また、これらに関連する因子として、救命救急センター滞在日数 と救命救急センター滞在日数に影響を及ぼす希死念慮の有無を検討対象に加え た。
本研究では、来院時バイタルサインと動脈血血液ガス分析を以下のようにカ テゴリー化した。来院時のバイタルサインは、① 血圧(高血圧;収縮期血圧
135mmHg
以上、低血圧;収縮期血圧90mmHg
未満、拡張期血圧;85mmHg未満と
85mmHg
以上)、② 呼吸回数(徐呼吸;12
回/分以下、頻呼吸;24
回/分以上)、③ 心拍数(頻脈;100回/分以上、徐脈;60回/分未満)、④ 体温(低体温;35.0 度未満、発熱;
37.5
度以上)を用いた。来院時動脈血血液ガス分析では、⑤ PaCO2(35mmHg 未満、35mmHg 以上
45mmHg
未満、45mmHg 以上)、⑥ HCO3(22mEq/L 未満、22 mEq/L 以上
27 mEq/未満、27mEq/L
以上)、⑦ 乳酸値3
(2.0mmol/L未満と
2.0mmol/L
以上)を用いた。統計学的検討として、各連続変数データの比較には
Student t
検定を、カテゴ リー間の比較にはχ二乗検定を用いた。独立因子の決定には、全ての因子を用い て多重ロジスティック回帰分析の変数増加法で行った。統計学的有意の水準をP
value <0.05
とした。【結果】期間中に救命救急センターに搬送されてきた薬物過量服薬症例は、
302
例であった。服薬薬物の種類は、ベンゾジアゼピンを含むものが最多(95.0%;287/302)であった。服薬薬物の組み合わせは全 33
通りであった。気管挿管後に人工呼吸器を使用した症例が
24.5%(74/302)で、その内 2.6%
(8/302)に
ICU
入院後に意識障害の進行を認め、気管挿管と人工呼吸器管理を 行った。中心静脈路を確保した症例は0.3%
(1/302)、動脈圧測定を行った症例が5.3%(16/302)
、酸素投与(人工呼吸器管理を除く)が必要であった症例は1.7%
(5/302)、低血圧に対する治療が必要であった症例は
5.3%(16/302)であった。
血液透析を施行した症例が
1.0%
(3/302)で、1
例は炭酸リチウム中毒の症例、2
例は維持透析目的の症例であった。●気管挿管症例の特徴
気管挿管された症例
74
例(24.5%)の特徴は、心拍数が早く(p=0.036)、呼吸 数が早い(p=0.013)ことであった。動脈血血液ガス分析では、PaCO2が高いこ4
と(p<0.001)であった。服薬薬物では、抗精神病薬の服薬が
56.8%(42/74)
、バ ルビツレートの服薬が50.0%(37/74)で多かった。
気管挿管施行に最も関与した因子は高
PaCO
2血症(オッズ比 15.057, 95% CI;4.036-56.172; p<0.001)であった。服薬薬物では、バルビツレートの服薬(オッズ
比 6.479, 95% CI; 2.741-15.312; p<0.001)が、気管挿管施行に最も関係した。●救命救急センター滞在日数を延長させている症例の特徴
対象患者
302
例のうち、希死念慮を認めた症例は、18例(6.0%)存在した。対象患者
302
例の救命救急センター滞在日数の平均日数は3.4
日で、救命救急セ ンター滞在日数が4
日以上であった症例は、83例(27.5%)であった。そして、救命救急センター滞在日数を延長させていた症例の特徴は、女性が
77.1%
(64/83)、心拍数が早く(p=0.048)、バルビツレートの服薬が
72.1%
(31/83)、希死念慮が
13.3%
(11/83)であった。最も影響があったものは希死念慮(オッズ比7.244, 95% CI; 2.314-22.678; p=0.001)であった。
●合併症の特徴
薬物過量服薬による合併症の発生は、誤嚥性肺炎が
48
例(15.9%)、頻脈の発 生は77
例(25.5%)、徐脈が25
例(8.3%)、低血圧が16
例(5.3%)、意識障害 が86
例(28.5%)、であった。意識障害が起こっている症例では、誤嚥性肺炎の合併が
41.9%
(36/86)と意識5
障害を合併していない例よりも多く(P<0.001)、同様に、気管挿管の施行率も
68.6%(59/86)と高かった(P<0.001)。
合併症と薬物ごとの関係では、抗精神病薬の服薬した症例の特徴は、① 誤嚥 性肺炎の発生が
60.4%(29/48)、②
頻脈の発生が58.4%(45/77)と多かった。
バツビツレートの服用した症例の特徴は、① 誤嚥性肺炎の発生が
60.4%
(29/48)、② 頻脈の発生が
33.8%(26/77)、③
意識障害の発生が40.7%(35/86)で多か
った。抗精神病薬は、誤嚥性肺炎の発生 (オッズ比
2.749, 95% CI; 1.261-5.992;
p=0.011)と頻脈の発生(オッズ比 2.342, 95% CI; 1.308-4.194; p=0.004)と関連が
あった。バルビツレートは、誤嚥性肺炎の発生(オッズ比
11.766, 95% CI; 5.437-25.504;
p<0.001)と頻脈の発生(オッズ比 3.950, 95% CI; 2.061-7.571; p<0.001)、意識障
害の発生(オッズ比6.976, 95% CI; 3.665-13.276; p<0.001)に関連していた。
【結論】 多種類の向精神薬を過量服薬し、意識障害を合併している例では合併 していない例に比し、気管挿管の施行率が高く、かつ誤嚥性肺炎の合併率が高か った。特に、服薬薬物にバルビツレートが含まれる場合に多かった。
以上より、バルビツレートの過量服薬は、誤嚥性肺炎や気管挿管の必要性が高 まることの危険因子であるため、呼吸状態を経時的に把握し、その管理が最も必
6
要であると結論した。
7
Ⅱ. 緒言
近年、うつ病などで処方されている向精神薬を過量服薬し、救急搬送される患
者は増加傾向である1,2)。本邦の精神科病床を有する医療施設を対象とした鎮静
薬関連障害の実態調査によると、睡眠薬や抗不安薬関連の疾病で医療機関を訪
れる患者の割合は、過去
10
年で約2
倍以上に増加していることが指摘されてい る3)。これらの向精神薬の過量服薬患者の多くは、かかりつけ医から処方3,4) された薬物を使用し、患者の約
9
割が複数の薬物服薬によることが報告されてい る2)。多種類の向精神薬を組み合わせた過量服薬患者の薬物相互作用や相乗効果についての先行研究はほとんどなく、救急現場で副作用などを予想し評価する ことは難しい。それに加えて、このような患者は、既往に精神疾患があることが
多いために一般病院での受け入れが困難とされる症例が問題となっている5)。向
精神薬の種類や大量服薬の患者の病態によっては、急性中毒に対する専門的な 知識とその治療だけでなく、精神科的疾患そのものへの対応が求められる場合 がある。これまでも薬物過量服薬で救急搬送された傷病者の対応等についての
報告6,7) は散見される。しかし、夜間等で精神科医師が対応できる施設も限られ
ていることから過量服薬行動の背景にある精神科的問題点の評価は、不十分な ことなどが問題としてあげられる。また、向精神薬の過量服薬患者は、その行動 が「自殺企図」にあるのか「自傷行為」にあるのかが不明なことが多く、これら
8
を明確に区別することは困難である8-10)。このような理由から患者の約
3
割は、精神科を標榜する高次医療機関に搬送11)されている。
本邦における向精神薬の処方の特徴としては、諸外国と比較してベンゾジア
ゼピンの処方量が多いことが言われている12)。ベンゾジアゼピンは、睡眠障害、
うつ病などの気分障害、不安障害や身体表現性障害等の神経症性障害に様々な
疾患に使用される。気分障害ガイドライン13) によると、大うつ病の軽症・中等
症 で は 、 選 択 的 セ ロ ト ニ ン 再 取 り 込 み 阻 害 薬 (
selective serotonin reuptake
inhibitors
:SSRI)・セロトニン‐ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(serotonin- norepinephrine reuptake inhibitors
:SNRI
)が、重症では三環系抗うつ薬もしく は非三環系抗うつ薬、SSRI、SNRI が第一選択薬がとされている。急性期躁状 態や不眠、不安がある場合などには、ベンゾジアゼピンが追加される。初回薬物 が有効であったが寛解には至らない場合には、炭酸リチウムを加えた増強療法か、他の薬物への変更が推奨14) されている。鎮静効果を期待して抗精神病薬を
併用することもある 15)。統合失調症では抗精神病薬が中心に使用されるが、本
邦では諸外国に比べて抗精神病薬の多剤併用療法が行われてきた 16,17)。吉尾ら
による平成
22
年10
月の時点での全国152
の精神科医療機関の患者23,680
名 に対する処方調査によると、抗精神病薬は平均2.0
種類、抗不安薬・睡眠薬は平 均1.5
種類であった 18)。下剤や整腸剤なども併用で処方されることもあり、統9
合失調症では内服薬が
10
種類以上処方される割合が25.6%であった
19)。また、近年高齢者の増加もあり向精神薬の処方頻度が多くなっており 20)、処方量の増
加に伴い、これらを服薬して搬送される患者の数も増加している。
薬物過量服薬症例では、意識障害を認める例では入院期間の延長や気管挿管
施行が多いことが報告21) されているが、服薬薬物との関連ついての検討はされ
ていない。また、誤嚥性肺炎については、三環系抗うつ薬などを服薬している例
に多いとの報告22,23) があるが、一定の見解は得られておらず、治療上の問題点
や合併症の発生については不明な点が多く存在し、救急医療の現場での対応や 患者を搬送するための医療機関の選定を困難にする要因となっている。そこで、
本研究では、救急医療の現場で多種類の向精神薬を服薬した患者の臨床的特徴 を検索し、治療に関わる呼吸・循環管理上の注意点と合併症の発生と服薬薬物と の関係を明らかにすることを目的とした。
Ⅲ. 対象と方法 対象患者
本研究は、日本大学医学部附属板橋病院内の臨床研究審査委員会が、実施計画 書を承認した上で実施された。研究対象患者は、薬物過量服薬患者で、単一施設 での後ろ向き観察研究として計画した。観察期間は、2010年
1
月1
日~2011年10
12
月31
日とした。対象患者は、日本大学医学部附属板橋病院救命救急センター に搬送された患者で、① 抗不安薬・睡眠薬(ベンゾジアゼピンとバルビツレー ト)、② 抗精神病薬、③ 抗うつ薬(SSRIやSNRI、
三環系抗うつ薬)、④ 気分 安定薬24) のいずれかの1
種類以上を含む薬物過量服薬患者とした。「薬物過量服薬患者の定義」は、現場で救急救命士が多量の薬物を服薬したと 判断した症例とした。東京消防庁救急活動基準(平成
20
年3
月10
日改訂版)によると、医薬品による過量服薬の患者の救命救急センターへの搬送基準は、① バイタルサインに異常のある傷病者、② 意識レベル
Japan coma scale II-20
以上、③ 薬物の種類によらず、おおむね
50
錠以上の服薬、④ 有害作用の特に強い医 薬品の服薬(アセトアミノフェン、三環系抗うつ薬等、ただし少量の服薬を除 く。) などである。救急救命士は、必要に応じて東京消防庁勤務の医師の助言・指導を電話で求め最終判断し、医療機関を選定した。
本研究で抗精神病薬は、フェノチアジン誘導体とブチロフェノン誘導体の従 来型抗精神病薬とセロトニン・ドパミン拮抗薬(serotonin・
dopamine antagonist)
や
MARTA(multi-acting receptor targeted antipsychotics)などの非定型抗精神病薬
とした。本研究の除外基準は、① 同時にアセトアミノフェンや市販薬の過量服薬症例、
② 洗剤や農薬、違法薬物を服薬している症例、③ 来院時心肺停止症例、④ 服
11
薬薬物が不明の症例とした。
方法
すべての初期診療には、救急科専門医および薬剤師が含まれる蘇生チームが 担当した。薬剤師の役割は、家族、知人や救急救命士、警察官から現場の状況お よび服薬薬物、薬物空包などの情報聴取し、推定服薬薬物の種類、服薬量、服薬 時間、副作用などをまとめ医師に報告し、治療方法について提案・助言すること とであった。
入院患者のデータは、救命救急センター初療用経過用紙を用いて記録した。薬 物の種類・服薬量は、薬剤師による服薬調査表の項目に基づき収集された入院台 帳および診療録を元に集計解析を行った。これらの集計解析は、薬物過量服薬患 者が搬送された翌日に、救急科専門医からなるカンファレンスによる
peer review
を行いデータベース化した。全例で身体的問題が解決した段階で精神科専門医による診察を行った。その 上で、かかりつけ医からの診療情報と精神科医師による診察時の診断を国際疾 病分類第
10
版(international statistical classification of diseases and related healthproblems: ICD-10)別に分類した。
12
初期治療
呼吸循環動態に注目した救急初期診療を行い、服薬薬物の特徴や患者重症度 を考慮して担当医が治療方針を決定した。服薬内容が不明である症例には、必要 に応じて尿中薬物検査トライエージ
ROA®(シスメックス社,
日本)を用いて服 薬薬物を推定し、治療方針を決定した。血中濃度測定によるモニタリングが可能 な薬物は、薬剤師が提案・測定を行った。薬物過量服薬患者に対する当救命救急センター初療室および集中治療室
(intensive care unit: ICU)内での治療方法を、以下(1)~(5)に示す。
(1) 胃洗浄
胃洗浄の明確な基準はないが、中毒学会で提唱されている急性中毒の標 準治療25)に従い推定内服後
1
時間以内である場合や、胃内残留物に薬物塊 が含まれる場合とした。胃洗浄は、胃管を利用した温水による胃洗浄を行 い、洗浄量は担当医の判断により決定した。(2) 活性炭・下剤投与
活性炭投与は服薬から
1
時間以内が有効26) とされている。成人では50-
100g
を経鼻胃管より微温水300ml
から500ml
に懸濁し投与した。活性炭 投与後に下剤を併用した。13
(3) 薬物毎の治療法
1)ベンゾジアゼピン
ベンゾジアゼピン受容体の特異的な拮抗薬としてフルマゼニルが使 用可能であるが、半減期が
53
分と短いことや痙攣を誘発することがあ る。そのため、ベンゾジアゼピン過量服薬患者に対しては、フルマゼニ ルは使用せず、保存的治療を行った。2)抗精神病薬
拮抗薬は存在せず保存的治療を行った。脳下垂体にある体温中枢を 障害し異常を来すことがあり、体温管理を行った。また、抗コリン作用 による錐体外路症状の出現について観察を行った。
3)SSRI、SNRI
拮抗薬は存在せず保存的加療を行った。
4)気分安定薬
気分安定薬には、炭酸リチウムやカルバマゼピンなどがある。いずれ も拮抗薬は存在せず保存的治療を行った。炭酸リチウムは分子量が小 さく、分布容積が小さく、蛋白に結合しない。血中リチウム濃度が高い 場合は、血液透析が有効とされる。そのため血中濃度
4mEq/L
以上の場 合を血液透析の適応27) の目安とした。14
5)バルビツレート
バルビツレートの過量服薬の場合は、活性炭の繰り返し投与が有効 とされている。また、バルビツレートの中でタンパク結合率が比較的低 いフェノバルビタールに対しては、血液灌流法や血液透析が有効であ る。フェノバルビタールは、腎臓から未変化体として排泄されるため尿 のアルカリ化が有効で、尿
pH7.5
以下の場合には炭酸水素ナトリウム(1-2mEq/kg)の投与を行った。
6)三環系抗うつ薬
三環系抗うつ薬の過量服薬で問題となる心毒性の指標として、心電 図上の
QRS
時間延長があげられる。治療法は、炭酸水素ナトリウム投 与による血液のアルカリ化であり、QRS 時間>0.10 秒以上で炭酸水素 ナトリウム投与(1-2mEq/kg)を行った。(4) 気管挿管
気管挿管の適応は、初療担当医の判断で行った。一般的な適応は初療室 入室後から
ICU
に入室するまでの時点で、① 気道確保が困難な症例、② 誤嚥リスクが高い症例、③ 意識レベルがおおむねGlasgow coma scale score:
GCS 8
以下 の症例とした。当救命救急センターでは、気管挿管を施行した場合、人工呼吸器を用いて呼吸管理を行った。
15
(5) 精神科受診
薬物過量服薬の患者が、薬物自体の副作用や合併症以外に入院・加療 に影響を与える可能性のある因子として、希死念慮があげられる。当救 命救急センターでは、薬物過量服薬の症例は希死念慮の有無を評価する ために、全ての症例で意識が改善した後に精神科医(精神科専門医・精 神保健指定医)の診察を行った。そのため最低
1
日は入院加療として、薬物の影響がなく、診察可能となった時点で希死念慮の有無の評価を行 った。
検討項目
初期診療での呼吸循環系に関わる異常に対する対応が重要であり、過量服薬 患者の臨床的特徴を明らかにするために、救急集中初期診療に関わる因子を抽 出した。救急集中初期診療に関わる因子は、年齢、性別、来院時のバイタルサイ ン、動脈血血液ガス分析、服薬薬物の種類、服薬錠数、意識障害(Glasgow coma
scale score: GCS 8
点以下)の有無および、気管挿管の有無とした。合併症は、誤嚥性肺炎の発生、頻脈の発生、徐脈の発生、低血圧の発生について検討した。ま た、これらに関連する因子として、救命救急センター滞在日数と救命救急センタ ー滞在日数に影響を及ぼす希死念慮の有無を検討対象に加えた。
16
本研究では、来院時バイタルサインと動脈血血液ガス分析を以下のようにカ テゴリー化した。来院時のバイタルサインは、① 血圧(高血圧;収縮期血圧
135mmHg
以上、低血圧;収縮期血圧90mmHg
未満、拡張期血圧;85mmHg未満と
85mmHg
以上)、② 呼吸回数(徐呼吸;12
回/分以下、頻呼吸;24
回/分以上)、③ 心拍数(頻脈;100回/分以上、徐脈;60回/分未満)、④ 体温(低体温;35.0 度未満、発熱;
37.5
度以上)を用いた。来院時動脈血血液ガス分析では、⑤ PaCO2(35mmHg 未満、35mmHg 以上
45mmHg
未満、45mmHg 以上)、⑥ HCO3(22mEq/L 未満、22 mEq/L 以上
27 mEq/未満、27mEq/L
以上)、⑦ 乳酸値(2.0mmol/L未満と
2.0mmol/L
以上)を用いた。また、白血球数(基準値8000- 1000
個/μL)、AST(asparatate aminotransferase)(基準値8-38 IU/L)、ALT
(alanine aminotransferase)
(基準値 4-44 IU/L)、 BUN
(blood urea nitrogen)(基準値 2-8mg/dL)、 Cr
(creatinine)(基準値 0.31-1.10mg/dL)、 CRP
(c-reactiveprotein) (基準値 0.20mg/dL
以下)、血糖値(140mg/dL未満と140mg/dL
以上)、CK(creatine kinase)(基準値
男性:54-253IU/L、女性:40-182IU/L)を用いた。治療に関わる事項として、胃洗浄の有無、活性炭投与の有無、下剤投与の有無、
中心静脈路確保の有無、動脈圧モニターの有無、酸素投与の有無、経皮的心肺補 助装置(percutaneous cardiopulmonary support : PCPS)の使用の有無、血液 透析施行の有無を検索した。なお、薬物服薬量については、救急隊からの情報は
17
錠数のみであることが多いため、含有量ではなく錠数による評価を行った。
東京消防庁では薬物の種類によらず、おおむね
50
錠以上を救命救急センター への搬送基準としている28)。おおむね50
錠が適切か評価をするために、50
錠間 隔でカットオフを設定し、50
錠以上と50
錠未満、100
錠以上と100
錠未満、150
錠以上と150
錠未満で2
群に分類した。来院時の意識レベルは
GCS
で評価し、一般的な気管挿管の適応の目安であるGCS 8
点を基準とし、GCS 8
点以下と9
点以上で2
群に分類した。救命救急センター滞在日数については平均日数を算出し、その値を
2
群に分類した。統計解析
単変量解析には、来院時バイタルサインと動脈血血液ガス分析についての各 連続変数データの比較には
Student t
検定を、各カテゴリーデータ間の比較には χ二乗検定を用いて行った。独立因子の決定には、全ての因子を用いて多重ロジ スティック回帰分析の変数増加法で行った。また、オッズ比とその95%信頼区
間(confidence intervals: CI)を算出した。データは平均値±標準偏差、または患 者数(%)で表した。P value < 0.05で、統計的に有意と判定した。統計解析は、SPSS(IBM Statistics Version 22)を用いて実施した。
18
Ⅳ. 結果
研究期間中に当救命救急センターに救急搬送された傷病者は全
4836
例であっ た。このうち、総薬物過量服薬患者数は、346
例(14.0%)であった。この346
例 中44
例が除外された。その理由は、① 向精神薬を含まない薬物過量服薬の症 例が6
例、② アセトアミノフェン症例を含む市販薬症例が22
例(アセトアミ ノフェンの過量服薬10
例)、③ 向精神薬と同時に洗剤を服薬した1
例、④ 心 肺停止で搬送された2
例、⑤ 服薬薬物が不明であった13
例 であった。最終的 に研究に組み入れた患者302
例(表1)の年齢は、 15
歳から94
歳(平均: 34.7±12.3
歳)であり、男性は56
例(平均年齢: 38.6±13.1歳)、女性は246
例(平均 年齢: 33.7±12.0歳)で女性の方が多く若かった(p<0.001)。服薬薬物の種類は、多種類の向精神薬を服薬している症例は
74.8%
(226/302)に認めた。そのため、各薬物を含むそれぞれの延べ患者数で表記した。そのため、
ベンゾジアゼピンを含む例が
95.0%
(287/302)で最多であり、次いで抗精神病薬 を含む例が45.0%(136/302)
、SSRI・SNRIを含む例が31.8%(96/302)
、気分安 定薬を含む例が21.5%(65/302)
、バルビツレートを含む例が19.9%(60/302)
、 三環系抗うつ薬を含む例が15.6%(47/302)であった。このうち尿中薬物検査ト
ライエージROA®で服薬薬物を確定した症例が 2
例(0.6%)(ベンゾジアゼピン:1
例、バルビツレート: 1例)であった。19
服薬薬物の錠数は、本人の申告と薬包から判明した症例が
91.7%
(277/302)で あた。50錠未満が13.9%(42/302)
、50 錠から100
錠未満が41.1%(124/302)
、100
錠から150
錠未満が17.5%
(53/302)で150
錠以上が19.2%
(58/302)であっ た。東京消防庁の重症の判断基準を満たす50
錠以上の患者は77.8%
(235/302)で あった。来院時バイタルサイン、血算・生化学検査、動脈血血液ガス分析結果の結果を 表
2
に示す。入院経過中に重篤な肝機能障害や多臓器不全、悪性症候群をきたした症例は存在しなかった。血中
CK
値の上昇(基準値以上; 男性54-253 IU/L、
女性
40-182 IU/L)をきたした症例は、17.5%(53/302)であった。
服薬薬物の組み合わせ種類数では
1
種類が25.2%(76/302)
、2 種類が38.4%
(116/302)、3種類が
21.9%(66/302)
、4種類が11.6%(35/302)
、5種類が2.6%
(8/302)、6種類が
0.3%(1/302)であり、組み合わせは全 33
種類であった(表3)
。精神科的診断を
ICD-10
に別に分類すると、F3
が20.9%
(63/302)、F4
が18.5%
(56/302)、
F6
が18.9%
(57/302)で近似していた。次に、F2
が14.2%
(43/302)、 診断のつかない症例が16.6%(50/302)であった(表 4)
。初期治療および集中治療管理と処置を表
5
に示す。302
症例中、初療室で胃洗 浄を行った患者は、26.5%(80/302)であり、活性炭を使用した患者は23.5%
20
(71/302)、下剤を使用した患者は
44.0%(133/302)であった。
気管挿管後に人工呼吸器を使用した症例が
24.5%(74/302)で、その内 2.6%
(8/302)に
ICU
入院後に意識障害の進行があり、気管挿管と人工呼吸器管理を 行った。中心静脈路を確保した症例は
0.3%(1/302)、動脈圧測定を行った症例が 5.3%
(16/302)、酸素投与(人工呼吸器管理を除く)が必要であった症例は
1.7%
(5/302)、 低血圧に対する治療が必要であった症例は5.3%(16/302)であった。
血液透析を施行した症例が
1.0%
(3/302)で、1
例は炭酸リチウム中毒の症例、2
例は慢性腎不全のための維持透析目的の症例であった。バルビツレートの致死量(7.3g)に達する加療服薬の患者
1
例(0.3%)がICU
入院後に血圧の低下から心肺停止となりPCPS
を施行したが、死亡した。この 死亡1
例を除く301
例(99.7%)が生存退院した。●気管挿管症例の特徴
入院時の気管挿管と関連のある因子を表
7-1
に示す。気管挿管施行が必要であ った症例は74
例(24.5%)で、必要でなかった症例は228
例(75.5%)であった。気管挿管施行が必要であった症例の特徴は、単変量解析では、心拍数が早く
(p=0.036)、呼吸数が早い(p=0.013)、高
PaCO
2血症である(p<0.001)、抗精神21
病薬の服薬が
56.8%
(42/74; p=0.021)、気分安定薬の服薬が31.1%
(23/74; p=0.035)、 バルビツレートの服薬が50.0%
(37/74; p<0.001)であった(表6-1)
。これら救急 集中初期診療に関わる因子をカテゴリー化し、その中で気管挿管に関わる独立 因子を全ての因子を用いて多重ロジスティック回帰分析の変数増加法で分析す ると、徐脈(オッズ比 3.802, 95% CI; 1.043-13.857; p=0.043)、頻脈(オッズ比 5.477,95% CI; 2.415-12.424; p<0.001)、頻呼吸(オッズ比 0.004, 95% CI; 1.518-8.814;
p=3.658)
、低体温(オッズ比 4.863, 95% CI; 1.361-17.379; p=0.015)、高PaCO
2血 症(オッズ比 15.057, 95% CI; 4.036-56.172; p<0.001)、抗精神病薬を服薬(オッズ 比 2.303, 95% CI; 1.080-4.911; p=0.031)、バルビツレートを服薬(オッズ比 6.479,95% CI; 2.741-15.312; p<0.001)であった(表 6-2)
。気管挿管施行に最も関与した因子は高
PaCO
2 血症であった。服薬薬物では、バルビツレートの服薬が、気管挿管施行に最も関係した。
●救命救急センター滞在日数を延長させている症例の特徴
対象患者
302
例のうち、希死念慮を認めた症例は、18例(6.0%)存在した。対象患者
302
例の救命救急センター滞在日数の平均日数は3.4
日であった(表7)ことから 3
日以内と4
日以上の2
群に分け、向精神薬の過量服薬患者の救命救急センター滞在日数にかかわる因子の解析を行った。救命救急センター滞在
22
日数が
3
日以内の症例は219
例(72.5%)で、4 日以上であった症例は83
例(27.5%)であった。救命救急センター滞在日数を延長させていた症例の特徴は、
単変量解析では、女性が
77.1%(64/83; p=0.014)
、心拍数が早く(p=0.048)、血 糖値が高い(140mg/dL以上)ことが27.7%(23/83; p=0.004)
、バルビツレートの 服薬が72.1%
(31/83; p<0.001)、希死念慮が13.3%
(11/83; p=0.013)であった(表8-1)
。これら救急集中初期診療に関わる因子の中で救命救急センター滞在日数の延 長に関わる独立因子をカテゴリー化し、全ての因子を用いて多重ロジスティッ ク回帰分析の変数増加法で分析すると、発熱(オッズ比 4.241, 95% CI; 1.361-
13.216; p=0.013)
、高PaCO
2血症(オッズ比 3.788, 95% CI; 1.312-10.940; p=0.014)、 バルビツレートを服薬(オッズ比 2.208, 95% CI; 1.101-4.428; p=0.026)、希死念慮(オッズ比 7.244, 95% CI; 2.314-22.678; p=0.001)であった(表
8-2)
。 最も影響があったものは希死念慮であった。●合併症の特徴
薬物過量服薬による合併症の発生は、誤嚥性肺炎が
48
例(15.9%)、頻脈の発 生は77
例(25.5%)、徐脈が25
例(8.3%)、低血圧が16
例(5.3%)、意識障害 が86
例(28.5%)、であった。23
意識障害が起こっている症例では、誤嚥性肺炎の合併が
41.9%
(36/86)と意識 障害を合併していない症例よりも多く(P<0.001)、同様に、気管挿管の施行率も68.6%(59/86)と高かった(P<0.001)
(表9)。
合併症との関係について薬物の種類ごとに検討した(表
10-14)
。抗精神病薬の服薬した症例の特徴は、① 誤嚥性肺炎の発生が
60.4%
(29/48)、② 頻脈の発生が
58.4%(45/77)と多かった。抗精神病薬は、誤嚥性肺炎の発生
(オッズ比
2.749, 95% CI; 1.261-5.992; p=0.011)と頻脈の発生(オッズ比 2.342, 95% CI; 1.308-4.194; p=0.004)と関連があった。
バツビツレートの服用した症例の特徴は、① 誤嚥性肺炎の発生が
60.4%
(29/48)、② 頻脈の発生が
33.8%
(26/77)、③ 意識障害の発生が40.7%
(35/86)で多かった。バルビツレートは、誤嚥性肺炎の発生(オッズ比
11.766, 95% CI;
5.437-25.504; p<0.001
) と 頻 脈 の 発 生 ( オ ッ ズ 比3.950, 95% CI; 2.061-7.571;
p<0.001)、意識障害の発生(オッズ比 6.976, 95% CI; 3.665-13.276; p<0.001)に関
連していた。ベンゾジアゼピン、SSRI・SNRI、気分安定薬、三環形抗うつ薬は、合併症と の関連は認めなかった。
服薬錠数と合併症との関係は、
50
錠未満と50
錠以上では、いずれも有意な関 係を認めなかった。気管挿管施行および救命救急センター滞在日数4
日以上に24
ついては、50 錠以上では有意差は認めないが、100 錠以上で有意に多い結果で あった(表
15)。
Ⅴ. 考察
向精神薬の過量服薬により高次医療機関に搬送される患者の特徴は、ベンゾ
ジアゼピンを含む
2
種類以上の向精神薬を服薬していることが多い。服薬薬物 に抗精神病薬やバルビツレートが含まることで気管挿管の危険因子となってお り、バルビツレートが含まれることで入院期間の延長の危険因子となっている ことが明らかになった。特にバルビツレートの過量服薬は、意識障害発生、気管 挿管施行、誤嚥性肺炎発生に有意に関与し、これらのことが入院期間の延長と関 連している可能性が示唆された。また、服薬薬物の種類に関係なく、心拍数に異常を示すような症例や、頻呼吸や高
PaCO
2血症のような症例では呼吸障害を合 併することが多いとが考えられ、気管挿管の危険因子となっていた。本邦は、ベンゾジアゼピンの処方量が多く、欧米の
6-20
倍であるとの報告が ある29)。向精神薬の過量摂取による自殺企図で救急搬送される患者の8
割近く が、ベンゾジアゼピン系の睡眠薬・抗不安薬の過量服薬であり 30)、本研究結果もベンゾジアゼピン内服は
95%であった。これらベンゾジアゼピンは、過量服
薬による致死性が低いが、脱抑制作用により、過量服薬を含めた自傷行為や自殺25
企図あるいは攻撃的行動を惹起する可能性が示唆されている 31)。一方、精神科
治療下にありながら自殺既遂に至った者の多くが、縊首などの致死性の高い自 殺行動におよぶ直前に、ベンゾジアゼピンをはじめとする様々な向精神薬を過 量摂取したことが報告されており、過量服薬によって惹起された脱抑制が自殺
行動を促進した可能性を指摘されている 32)。このような問題から、過量服薬に
よる影響の少ない薬物であっても身体的な問題点以外があげられ、現在厚生労
働省も向精神薬過量服薬対策に向けた検討をはじめている33,34)。
本研究結果では、ベンゾジアゼピンに加えて、抗精神病薬、SSRI、気分安定 薬、バルビツレート、三環系抗うつ薬の順に服薬種類が増加していた。多種類の 向精神薬を過量服薬している患者の薬物種類の組み合わせの特徴には、一定の 傾向は認められなかった。本邦における一般外来での向精神薬処方の特徴は、抗 うつ薬(64.7%)、抗精神病薬(27.2%)、気分安定薬(13.9%)、抗不安薬・睡眠 薬(37.5%)であり、抗不安薬・睡眠薬の処方量の多さが問題にされている35)。
バルビツレートに分類されるフェノバルビタールは、一時期は確実な催眠作 用を有するため睡眠薬として汎用されていた。しかしフェノバルビタールは、過 量服薬による呼吸抑制による死亡や、臨床用量と中毒量との安全域が狭いこと などから、近年では比較的安全なベンゾジアゼピンが処方されている 36)。フェ
ノバルビタールを含む薬物としてベゲタミン製剤が代表的である。ベゲタミン
26
製剤は
1950
年代に精神病の治療完了間近に残存する不安、不眠、焦躁等の神経 症様症状を治療する目的で開発された我が国特有の薬物である。ベンゾジアゼ ピンの開発により処方機会は減ったが、現在でも精神疾患に伴う不眠に対する治療薬として処方されることがある 37)。フェノバルビタールの薬理学的作用の
特徴は、脂溶性が低く血液-脳関門を緩徐に通過し、作用の発現は遅く、作用時 間が長いことである。本研究結果から、バルビツレートを過量服薬している患者 の特徴は、来院時の意識障害を示す症例が多く(40.7%)、誤嚥性肺炎の発生が 多く(60.4%)、気管挿管の施行が多い(50.0%)ことであった。バルビツレート に限らず、来院時に意識障害による気管挿管の必要がない例でも、入院後に意識
障害が進行し、気管挿管を要した症例が
8
例であった。このことは、初療時のみ ならず入院後も呼吸状態の経時的な観察の重要性を示している。向精神薬の副作用軽減のために抗コリン薬を同時に処方されている場合には 薬物の胃内停留時間が延長するため、作用発現の遅れが意識障害の遅延に関係
しているかもしれない38) との報告がある。
抗精神病薬を過量服薬している患者の特徴も、気管挿管施行(56.8%)と誤嚥 性肺炎の発生(60.4%)が多いことであった。抗精神病薬の副作用としての錐体 外路症状があり、咀嚼機能や嚥下機能が障害されると報告されている39)。また、
ドパミンの遮断作用により頸部神経節からの
substance P
の分泌が低下する。27
substance P
は咳誘発物質として知られており 40)、その分泌低下により咳反射が低下することが報告されている 41)。これらが気管挿管の施行や誤嚥性肺炎の
発生に影響していると考えられた。
救急隊員が現場で過量服薬した服薬薬物の相互作用や重症度を判断し、搬送 医療機関を選定することは極めて困難である。そのため、東京消防庁では薬物の 種類やバイタルサインによらず、おおむね服薬錠数が
50
錠以上を救命救急セン ターへの搬送基準としている28)。本研究では、服薬錠数が50
錠から100
錠の間 では、有意な特徴はなく、100
錠を越える症例で気管挿管の頻度が高まることや 救命救急センター滞在日数が延びることが明らかになった。しかし過量服薬の 患者は、医療機関搬入前までに長時間が経過している症例があることや、嘔吐を 繰り返している症例などのため、服薬錠数のみではこれらの危険性を判断でき ない。従って、気管挿管の適応や循環器系の異常を早期に捉え、患者発生現場や 初期診療のなかで的確に判断することが重要と考えられる。向精神薬の過量服薬による問題点は、通常使用で生じた薬害作用とは異なる
可能性がある。本邦における診断群分類包括評価での検討(
DPC/PDPS:
diagnosis procedure combination / per-diem payment system)
を 用 い たOkumura
らの報告 11) によると、気管挿管を行っている割合は約12%であっ
た。しかし、本研究結果では、初療時に気管挿管施行された症例が
66
例(21.9%)28
であり、ICU入室後に気管挿管が必要となった症例が
8
例(2.6%)存在し、全 体として気管挿管の必要性は高かった(24.5%)。多種類の向精神薬を過量服薬 した場合、意識障害を合併している例では気管挿管の施行率が高く、かつ誤嚥性 肺炎の合併率が高かった。特に、服薬薬物にバルビツレートを服薬している場合に多かった。しかし、全体の
73%が 3
日以内に退院になっていることや、人工 呼吸器管理を除くと、全体の90%以上の症例で酸素投与の必要性や動脈圧測定、
中心静脈路の確保などの集中治療管理は必要ないこと、また、循環作動薬や血液 透析の必要性は低いや、全体からみた死亡率は、1%未満であったことは、これ までの報告と一致している11,42)。
一方、抗精神病薬、バルビツレートは頻脈を起こす頻度が有意に高いことが明 らかになった。バルビツレートとしては、ベゲタミン製剤の症例が多く、ベゲタ
ミン製剤にはクロルプロマジンを含むため、抗コリン作用により頻脈43,44) とな
り、交感神経刺激作用のため、低血圧の発生頻度が少なかったのかもしれない。
これらのことから、初期診療から
ICU
入院後の管理では、個々の薬物の中で も、バルビツレートを服薬している場合には、呼吸状態を経時的に把握し、その 管理が、最も必要であると考えられた。意識改善時に希死念慮を認めたのは全体の
18
例(6.0%)に存在し、継続した 精神科診療が必要であった。一般的に向精神薬過量服薬患者のすべてに希死念29
慮が認められるのではなく、自殺企図と見なすのか自傷行為と見なすのかにつ いては、専門医でさえも一定の見解はない。本研究では、薬物過量服薬の原因が 希死念慮によるものではなく、単に「眠れないため」などを理由に結果として服 薬量が増量し、必ずしも中毒量に達していなくとも救急搬送されている症例が 含まれる。これらのことは救急現場や初療室での判断は困難である。そのため、
救命救急センター滞在日数の延長には薬物作用以外の問題点が含まれることを 認識する必要があった。
当救命救急センターでは、向精神薬過量服薬患者は、全ての症例が精神科専門 医の診察により退院時期を決定している。本邦の急性薬物中毒について検討し
た報告 11) では、約
30%の患者しか専門家のコンサルトを受けていない。しか
し、自殺企図で搬送された患者の約
1%は、その後に自殺を完遂すると報告
45) されている。薬物過量服薬患者は、自殺行動のハイリスク群である可能性を考慮 すると、急性期治療後には、精神科医師による診察による評価が必要であると考 えられた。本研究は、いくつかの限界点が存在する。研究対象患者は救命救急センターに
搬送された症例での検討であり、気管挿管施行例が全体の
25%であったことか
ら、重症例の特徴を検出しているもかもしれない。今後、より軽症例もあわせた 検討が必要である。また、向精神薬と同時服薬した向精神薬以外の薬物の詳細に30
ついては、種類多彩であることや、それぞれの薬物の服薬量が常用量から過量ま で様々であることなどから、検討対象から除外した。向精神薬の過量服薬患者は、
同時に服薬した薬物の種類によっては、薬物の効果・作用時間の変化から、症例 毎に検討する必要がある。
Ⅵ. 結論
多種類の向精神薬を過量服薬し、意識障害を合併している例では合併してい ない例に比し、気管挿管の施行率が高く、かつ誤嚥性肺炎の合併率が高かった。
特に、服薬薬物にバルビツレートが含まれる場合に多かった。
以上より、バルビツレートの過量服薬は、誤嚥性肺炎や気管挿管の必要性が高 まることの危険因子であるため、呼吸状態を経時的に把握し、その管理が最も必 要であると結論した。
31
Ⅶ. 謝辞
本研究を遂行するにあたり、終始御懇篤なる御指導、御鞭撻を賜りました日 本大学医学部救急医学系救急集中治療医学分野教授、木下浩作先生に心から厚 くお礼を申し上げます。また本研究に関して直接的に終始多大なる御指導、御 助言をいただいた日本大学医学部救急医学系救急集中治療医学分野主任教授、
丹正勝久先生、精神医学系精神医学分野主任教授、内山真先生に心から深い感 謝を申し上げます。
また、統計学的手法について、直接的に終始多大なる御指導、御助言をいた だいた一般教育学系数学分野教授、宇田川誠一先生に心から深い感謝を申し上 げます。
32
表
1 患者背景
背景 合計 (N=302)
N %
年齢
15-19 19 6.3
20-29 99 32.8
30-39 90 29.8
40-49 65 21.5
≧50
29 9.6
性別
男性
56 18.9
女性
246 81.1
服薬薬物
ベンゾジアゼピン
287 95.0
抗精神病薬
136 45.0
SSRI・SNRI 96 31.8
気分安定薬
65 21.5
バルビツレート
60 19.9
三環系抗うつ薬
47 15.6
服薬錠数
≦49
42 13.9
50-99 124 41.1
100-149 53 17.5
≧150
58 19.2
不明
25 8.3
向精神薬の組み合わせ数
1
種類76 25.2
2
種類116 38.4
3
種類66 21.9
4
種類35 11.6
5
種類8 2.6
6
種類1 0.3
服薬薬物:複数を服薬している場合はそれぞれの薬物に含め延べ患者数で表した。
SSRI;
選択的セロトニン再取り込み阻害薬selective serotonin reuptake inhibiors
SNRI;
セ ロ ト ニ ン ‐ ノ ル ア ド レ ナ リ ン 再 取 り 込 み 阻 害 薬s erotonin-norepinephrine
reuptake inhibitors
33
表
2 来院時バイタルサイン、血液ガス分析、血算生化学所見
平均±標準偏差 最小値 最大値 バイタルサイン
収縮期血圧 (mmHg)
113.4±18.1 63 181
拡張期血圧 (mmHg)69.0±14.6 37 115
心拍数 (回/分)87.5±21.8 40 173
呼吸数 (回/分)18.6±5.9 8 40
体温 (度)36.3±0.9 32.4 40.0
動脈血血液ガス分析PaCO
2(mmHg) 37.3±7.0 23.1 68.7
HCO
3-(mEq/L) 23.7±2.7 13.7 30.9
乳酸値 (mmol/L)
1.9±1.7 0.20 14.6
血算・生化学検査白血球数 (×103個/μL)
7.8±3.3 1.90 28.5
AST (IU/L) (基準値 8-38) 26.8±34.3 10 334
ALT (IU/L) (基準値 4-44) 23.4±26.5 5 294
BUN (mg/dL) (基準値 2-8) 10.2±5.2 2.2 47.2
Cr (mg/dL) (基準値 0.31-1.10) 0.7±0.43 0.34 7.35
CRP (mg/dL) (基準値 0.20
以下)0.6±1.7 0.1 16.3
血糖値 (mg/dL)
114.1±41.2 44.0 407.0 CK (IU/L)
(基準値
男性:54-253 女性:40-182)905.9±4553.9 29 34274
259.8±1131.7 4 16464
AST; asparatate aminotransferase ALT; alanine aminotransferase BUN; blood urea nitrogen Cr; creatinine
CRP; c-reactive protein
CK; creatine kinase
34
表
3 服薬薬物の組み合わせ
1
種類の内服 (N=76)4
種類の内服 (N=35)ベンゾジアゼピン
65
ベンゾジアゼピン+抗精神病薬+SSRI・SNRI+気分安定薬11
抗精神病薬
3
ベンゾジアゼピン+抗精神病薬+SSRI・SNRI+バルビツレート5
SSRI・SNRI 3
ベンゾジアゼピン+抗精神病薬+SSRI・SNRI+三環系抗うつ薬4
気分安定薬
2
ベンゾジアゼピン+抗精神病薬+気分安定薬+バルビツレート6
バルビツレート
3
ベンゾジアゼピン+抗精神病薬+気分安定薬+三環系抗うつ薬4
2
種類の内服 (N=116) ベンゾジアゼピン+抗精神病薬+バルビツレート+三環系抗うつ薬2
ベンゾジアゼピン+抗精神病薬
46
ベンゾジアゼピン+SSRI・SNRI+気分安定薬+三環系抗うつ薬2
ベンゾジアゼピン+SSRI・SNRI
27
ベンゾジアゼピン+気分安定薬+バルビツレート+三環系抗うつ薬1
ベンゾジアゼピン+気分安定薬
9 5
種類の内服 (N=8)ベンゾジアゼピン+バルビツレート
21
ベンゾジアゼピン+抗精神病薬+SSRI・SNRI+気分安定薬+バルビツレート3
ベンゾジアゼピン+三環系抗うつ薬
10
ベンゾジアゼピン+抗精神病薬+SSRI・SNRI+気分安定薬+三環系抗うつ薬5
抗精神病薬+バルビツレート
2 6
種類の内服 (N=1)気分安定薬+三環系抗うつ薬
1
ベンゾジアゼピン+抗精神病薬+SSRI・SNRI+気分安定薬+バルビツレート+三環系抗うつ薬
1
3
種類の内服 (N=66)ベンゾジアゼピン+抗精神病薬+SSRI・SNRI
24 SSRI;
選択的セロトニン再取り込み阻害薬selective serotonin reuptake inhibitors SNRI;
セロトニン‐ノルアドレナリン再取り込み阻害薬s erotonin-norepinephrine reuptake inhibitors
ベンゾジアゼピン+抗精神病薬+気分安定薬
10
ベンゾジアゼピン+抗精神病薬+バルビツレート
9
ベンゾジアゼピン+抗精神病薬+三環系抗うつ薬
5
ベンゾジアゼピン+SSRI・SNRI+気分安定薬
6
ベンゾジアゼピン+SSRI・SNRI+バルビツレート
3
ベンゾジアゼピン+SSRI・SNRI+三環系抗うつ薬
2
ベンゾジアゼピン+気分安定薬+バルビツレート
1
ベンゾジアゼピン+気分安定薬+三環系抗うつ薬
3
ベンゾジアゼピン+バルビツレート+三環系抗うつ薬