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「民事裁判における判断過程について」・「安全配 慮義務」についての小報告

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「民事裁判における判断過程について」・「安全配 慮義務」についての小報告

著者名(日) 小野寺  規夫

雑誌名 山梨学院大学法学論集

巻 44

ページ 61‑86

発行年 1999‑12‑25

URL http://id.nii.ac.jp/1188/00000832/

(2)

﹁民事裁判における判断過程について﹂ 告

小野寺 規 夫

61 「民事裁判における判断過程について」

一一

目   次

はじめに 民事判決書の作成について

 判決三段論法︵論理学にいう三段論法︶

  法律要件と法律効果

   不法行為による損害賠償請求事件︵民法七〇九条︶

   判決の要式︵民事訴訟法二五三条︶ 主文︑事実︑

民事の判例とその拘束力について

 判例の拘束力についての実務家の見解

  中野次雄判事と谷口正孝判事の見解

   拘束力を肯定する見解︵中野次雄判事︶

   拘束力を否定する見解︵谷口正孝判事︶ 理由の記載

「民事裁判における判断過程について」

61 

丘 k

I=l 

﹁民事裁判における判断過程について﹂

小野寺

目 次

はじめに 民事判決書の作成について

判決三段論法(論理学にいう三段論法)

法律要件と法律効果

不法行為による損害賠償請求事件(民法七 O

九 条

)

判決の要式(民事訴訟法二五三条)主文︑事実︑理由の記載

民事の判例とその拘束力について

判例の拘束力についての実務家の見解

中野次雄判事と谷口正孝判事の見解

拘束力を肯定する見解(中野次雄判事)

拘束力を否定する見解(谷口正孝判事)

(3)

法学論集 44〔山梨学院大学〕 62

五 四 ぬ

ノ¥

   ︵注︶谷口判事は後に見解を改めています

大学における﹁判例の法源性﹂について

 判例は︑法源となるか

  我妻栄博士︑四宮和夫教授︑星野英一教授の各見解

   いずれも﹁法源﹂であるとされています

  広中俊雄教授の見解

   判例の法源性を否定している

  広中教授の問題提起

判決作成と判例に対する個人としての経験

  裁判実務では判例に拘束される傾向がある

  拘束力ありとするか︑参考資料とみるか

  個人としては︑拘束力は感じていない

おわりに       一九九九年八月=二 ︵於 南開大学︶

一62一

はじめに

本日は︑この南開大学で話をする機会を与えて頂きまして︑有り難うごぎいます︒

私は︑昨年︵一九九八年︶三月に東京高等裁判所民事部の裁判官を退官して︑すぐ翌月の四月一日から山梨学院

62 

44 (山梨学院大学〕

法学論集

(注)谷口判事は後に見解を改めています

大学における﹁判例の法源性﹂について

判例は︑法源となるか

我妻栄博士︑四宮和夫教授︑星野英一教授の各見解

いずれも﹁法源﹂であるとされています

広中俊雄教授の見解

判例の法源性を否定している

広中教授の問題提起

判決作成と判例に対する個人としての経験

裁判実務では判例に拘束される傾向がある

拘束力ありとするか︑参考資料とみるか

個人としては︑拘束力は感じていない

おわりに

.... 

J

一 九

九 九

年 八

月 三

はじめに

本日は︑この南関大学で話をする機会を与えて頂きまして︑有り難うございます︒

‑62

南関大学)

私は︑昨年(一九九八年)三月に東京高等裁判所民事部の裁判官を退官して︑すぐ翌月の四月一日から山梨学院

(4)

63 「民事裁判における判断過程について」

大学法学部と同大学院で︑法学概論︑民法︵債権総論︶︑国際私法︑法律実務︵裁判手続法︶等の講座を担当して

おります︒

 私は︑大学を卒業してすぐに裁判所に入り裁判官になりました︒それ以来︑裁判官として日本の北は北海道の釧

路地方・家庭裁判所帯広支部から南は沖縄の那覇地方・家庭裁判所まで全国の裁判所に勤務し︑三八年余の裁判官

生活をしてきました︒裁判所では︑民事︑刑事︑家事︑少年のすべての通常事件を担当し︑その他に︑裁判所書記

官の養成を目的として設置された最高裁判所の裁判所書記官研修所で教官︵事務局長︑所長︶の仕事をしてきまし

た︒これまでのなかでも︑民事事件の担当が長かったことから︑本日は︑一応民事に関する話題について話をする

ことにしました︒そこで︑﹁民事裁判における判決の判断過程について﹂と題しまして︑私個人の経験を交えてお

話をすることに致します︒

二 民事判決書の作成について

 まず︑民事の裁判における﹁判決﹂ということから始めます︒

 民事の裁判官の主たる仕事は︑多数の事件処理とそこで事件の最終的結論として書くこととなる判決を作成する

ことです︒そして︑この判決書の作成︵私達は﹁判決の起案﹂といいます︶は︑苦労も多いのですが︑裁判官とし

ての生き甲斐を感じる作業と言うことができます︒

民事事件の紛争解決手段として︑裁判所の紛争解決の制度としては︑判決のほかに裁判外または裁判上の和解や 大学法学部と同大学院で︑法学概論︑民法(債権総論)︑国際私法︑法律実務(裁判手続法)等の講座を担当して お

り ま

す ︒

私は︑大学を卒業してすぐに裁判所に入り裁判官になりました︒それ以来︑裁判官として日本の北は北海道の釧

路地方・家庭裁判所帯広支部から南は沖縄の那覇地方・家庭裁判所まで全国の裁判所に勤務し︑三八年余の裁判官

生活をしてきました︒裁判所では︑民事︑刑事︑家事︑少年のすべての通常事件を担当し︑その他に︑裁判所書記

官の養成を目的として設置された最高裁判所の裁判所書記官研修所で教官(事務局長︑所長) の仕事をしてきまし

た︒これまでのなかでも︑民事事件の担当が長かったことから︑本日は︑ 一応民事に関する話題について話をする

ことにしました︒そこで︑﹁民事裁判におげる判決の判断過程について﹂と題しまして︑私個人の経験を交えてお

63 

r 民事裁判における判断過程について」

話をすることに致します︒

民事判決書の作成について

まず︑民事の裁判における﹁判決﹂ということから始めます︒

民事の裁判官の主たる仕事は︑多数の事件処理とそこで事件の最終的結論として書くこととなる判決を作成する

ことです︒そして︑この判決書の作成(私達は﹁判決の起案﹂といいます)は︑苦労も多いのですが︑裁判官とし

ての生き甲斐を感じる作業と言うことができます︒

民事事件の紛争解決手段として︑裁判所の紛争解決の制度としては︑判決のほかに裁判外または裁判上の和解や

(5)

法学論集 44〔山梨学院大学〕64

調停の制度があります︒そこで︑訴訟事件として︑訴えが提起され︑具体的な民事事件の紛争に関して︑その事件

を解決する裁判所の最終的な結論は︑﹁判決書﹂を作成し︑それを判決として︑法廷で判決の結論︵主文︶を読み

あげて言渡すこととされています︵日本民訴法二五二条︑二五三条︶︒そして︑民事裁判では︑民事訴訟法︵手続

法︶に従って審理がなされ︑その判決理由の構成は︑いわゆる判決三段論法による事実を認定し︑その事実に実体

法を適用し︑その結果として裁判の結論がだされます︒その判断過程は︑いわゆる論理学でいう﹁三段論法﹂と似

た判断順序によるとして︑裁判の結論としての判決ついて﹁判決三段論法﹂として説明をされることがあります︒

 論理学でいう三段論法の例としては︑通常︑つぎのような例が挙げられています︒

 まず︑﹃大前提として︑﹁人間は死ぬ︒﹂という提言があり︑これに対する小前提として﹁ソクラテスは人間であ

る︒﹂ということとなると︑その結論は︑﹁ソクラテスは死ぬ︒﹂ということとなる︒﹄ということが言われておりま

す︒  そして︑これと同様に︑それが法の適用について︑どのように行われるかについて︑具体的な例を挙げながら考

えてみることにします︒具体的な例としては︑東京大学名誉教授星野英一先生の﹁民法概論1﹂四七頁以下の例題

を参考とします︒

 たとえば︑﹁道で︑キャッチ・ボールをしていたところ︑球がそれて通行人に当たって怪我をさせた︒﹂という例

によって説明することとします︒

 怪我をした被害者は︑怪我による自己の身体に対する損傷に関する損害賠償を請求することとなりますが︑球を

投げた加害者がそれに応じないときには︑被害者は裁判所に損害賠償請求訴訟を提起することとなります︒この

一64一

64 

調停の制度があります︒そこで︑訴訟事件として︑訴えが提起され︑具体的な民事事件の紛争に関して︑ その事件

44 

(山梨学院大学)

を解決する裁判所の最終的な結論は︑﹁判決書﹂を作成し︑それを判決として︑法廷で判決の結論(主文)を読み

あげて言渡すこととされています(日本民訴法二五二条︑二五三条)︒そして︑民事裁判では︑民事訴訟法(手続

法)に従って審理がなされ︑その判決理由の構成は︑ いわゆる判決三段論法による事実を認定し︑ その事実に実体

法を適用し︑その結果として裁判の結論がだされます︒その判断過程は︑ いわゆる論理学でいう﹁三段論法﹂と似

た判断順序によるとして︑裁判の結論としての判決ついて﹁判決三段論法﹂として説明をされることがあります︒

法学論集

論理学でいう三段論法の例としては︑通常︑ つぎのような例が挙げられています︒

まず︑﹃大前提として︑﹁人間は死ぬ︒﹂という提言があり︑これに対する小前提として﹁ソクラテスは人間であ

‑64‑

る︒﹂ということとなると︑その結論は︑﹁ソクラテスは死ぬ︒﹂ということとなる︒﹄ということが言われておりま

そして︑これと同様に︑ それが法の適用について︑どのように行われるかについて︑具体的な例を挙げながら考 す ︒

えてみることにします︒具体的な例としては︑東京大学名誉教授星野英一先生の﹁民法概論 I ﹂四七頁以下の例題

を参考とします︒

た と

え ば

︑ ﹁

道 で

キャッチ・ボ 1 ルをしていたところ︑球がそれて通行人に当たって怪我をさせた︒﹂という例

によって説明することとします︒

怪我をした被害者は︑怪我による自己の身体に対する損傷に関する損害賠償を請求することとなりますが︑球を

投げた加害者がそれに応じないときには︑被害者は裁判所に損害賠償請求訴訟を提起することとなります︒この

(6)

65 「民事裁判における判断過程について」

際︑裁判所は︑何を調べ︑どのような推論の過程をとって最終の法律判断を下すかのかが︑ここでの問題となりま

す︒  この判断に際してましては︑まず︑その請求に法律的根拠がなければなりません︒つまり︑この事件に対して適

用されるべき法規を探すことが必要となります︒

 この点については︑この事件については︑日本民法七〇九条の不法行為による損害賠償請求の事件となること

は︑法学部の学生諸君であれば︑容易に理解できるであろうと思います︒

 そこで︑日本民法七〇九条の条文をみますと︑そこには︑﹁故意又ハ過失二因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ

之二因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責二任ス﹂と規定があります︒この規定は︑﹁ある者が損害賠償義務を負うの

はどのような場合か﹂ということが書いてあります︒それは︑条文によりますと︑﹁故意又ハ過失二因リテ他人ノ

権利ヲ侵害シタル﹂場合をいうのです︒そこで︑裁判所において︑﹁被告は︑原告に対して金何円を︵損害賠償と

して︶支払わなければならない︒﹂という判決を下すためには︑被告︵加害者︶は﹁故意又ハ過失二因リテ他人ノ

権利ヲ侵害シ﹂ていなければなりません︒法律の規定には︑同条のように︑﹁Aの事実があれば︑Xという法律的

な結果が生ずる﹂と定めているものがありますが︑ここでのXを﹁法律効果﹂と呼び︑Aを﹁法律要件﹂と呼びま

す︒そうすると︑Xという効果が発生するというためには︑要件Aが充たされていなければなりません︒その場

合︑キャッチ・ボールをしていた者に故意または過失があったか︑他人の権利を侵害したのか︑過失によって損害

が発生したのか︑ということが問題となるのです︒そして︑この要件が充たされれば︑加害者は被害者に対して損

害賠償義務を負うことになります︒民事本件の紛争としての損害賠償請求訴訟は︑この法律要件の存在︑それに該 際︑裁判所は︑何を調べ︑どのような推論の過程をとって最終の法律判断を下すかのかが︑ここでの問題となりま

つまり︑この事件に対して適 この判断に際してましては︑ まず︑その請求に法律的根拠がなければなりません︒ す

用されるべき法規を探すことが必要となります︒

この点については︑この事件については︑日本民法七 O 九条の不法行為による損害賠償請求の事件となること

は︑法学部の学生諸君であれば︑容易に理解できるであろうと思います︒

そこで︑日本民法七 O 九条の条文をみますと︑ そこには︑﹁故意又ハ過失ニ因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ

之ニ因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス﹂と規定があります︒この規定は︑﹁ある者が損害賠償義務を負うの

「民事裁判における判断過程について

J

はどのような場合か﹂ということが書いてあります︒それは︑条文によりますと︑﹁故意又ハ過失ニ因リテ他人ノ

権利ヲ侵害シタル﹂場合をいうのです︒そこで︑裁判所において︑﹁被告は︑原告に対して金何円を(損害賠償と

して)支払わなければならない︒﹂という判決を下すためには︑被告(加害者) は﹁故意又ハ過失ニ因リテ他人ノ

権利ヲ侵害シ﹂ていなければなりません︒法律の規定には︑同条のように︑﹁ A

の 事

実 が

あ れ

ば ︑

X という法律的

な結果が生ずる﹂と定めているものがありますが︑ここでの X を﹁法律効果﹂と呼び︑ A を﹁法律要件﹂と呼びま

す ︒

そ う

す る

と ︑

X という効果が発生するというためには︑要件 A が充たされていなければなりません︒その場

合︑キャッチ・ボ i ルをしていた者に故意または過失があったか︑他人の権利を侵害したのか︑過失によって損害

が 発

生 し

た の

か ︑

ということが問題となるのです︒そして︑この要件が充たされれば︑加害者は被害者に対して損

65 

害賠償義務を負うことになります︒民事本件の紛争としての損害賠償請求訴訟は︑この法律要件の存在︑ それに該

(7)

法学論集 44〔山梨学院大学〕66

当する事実の認定を巡って進行していきます︒

 このように︑法律の適用とは︑ごく形式的にいうと︑﹁Aに当たるという事実があればXという法律効果を生ず

る﹂︑﹁その事件においてAに当たる事実があった﹂︑﹁故にその事件においてXという法律効果が生ずる﹂という三

段論法の形をとる作業であります︒

 この場合︑法規が大前提となり︑事実が小前提となります︒そこで︑これが﹁判決三段論法﹂の議論と呼ばれて

いるところです︒

 そうすると︑ここには︑二つの問題があります︒第一は︑大前提である法規の意味をはっきりさせなければなら

ないことです︒﹁故意﹂﹁過失﹂とか︑﹁他人ノ権利ヲ侵害﹂するとはどのようなことをいうのか︑がわからないと

議論は次の段階に進みません︒このように︑法規の意味内容を明らかにすることを﹁法︵律︶の解釈﹂といいま

す︒第二に︑その事件において︑どのような事実︑状況があったか︑を証拠によって認定しなければなりません︒

これを﹁事実認定﹂といいます︒裁判において︑この事実認定が難しい作業なのです︒

 このように︑裁判において適用される民事実体法というのは︑大前提としての法律の﹁要件﹂と﹁効果﹂との結

びつきのルールを宣言するとともに︑どのような事実が︑いかなる﹁要件﹂に該当するかという小前提の解釈のル

ールを規定していると言うことができます︒

 そして︑この民事事件の審理の結果︑裁判所の最終的な結論が判決として言い渡されることとなります︒判決書

の要式は︑日本民事訴訟法二五三条の規定があります︒これを規定している民事訴訟法二五三条によりますと︑判

決書には︑その裁判の結論としての﹁主文﹂︵同条第一項一号︶とその事件で争いとなった事実関係を摘示する

一66一

66 

当する事実の認定を巡って進行していきます︒

44 

(山梨学院大学〕

このように︑法律の適用とは︑ごく形式的にいうと︑﹁ A に当たるという事実があれば X という法律効果を生ず

る ﹂

︑ ﹁

そ の

事 件

に お

い て

A に当たる事実があった﹂︑﹁故にその事件において X という法律効果が生ずる﹂という三

段論法の形をとる作業であります︒

この場合︑法規が大前提となり︑事実が小前提となります︒そこで︑これが﹁判決三段論法﹂の議論と呼ばれて

い る

と こ

ろ で

す ︒

法学論集

そうすると︑ここには︑二つの問題があります︒第一は︑大前提である法規の意味をはっきりさせなければなら

ないことです︒﹁故意﹂﹁過失﹂とか︑﹁他人ノ権利ヲ侵害﹂するとはどのようなことをいうのか︑がわからないと

‑66‑

議論は次の段階に進みません︒このように︑法規の意味内容を明らかにすることを﹁法(律) の解釈﹂といいま

す ︒

第 二

に ︑

そ の

事 件

に お

い て

どのような事実︑状況があったか︑を証拠によって認定しなければなりません︒

これを﹁事実認定﹂といいます︒裁判において︑この事実認定が難しい作業なのです︒

このように︑裁判において適用される民事実体法というのは︑大前提としての法律の﹁要件﹂と﹁効果﹂との結

びつきのル 1 ルを宣言するとともに︑どのような事実が︑ いかなる﹁要件﹂に該当するかという小前提の解釈のル

ー ル を 規 定 し て い る と 一 言 う こ と が で き ま す ︒

そして︑この民事事件の審理の結果︑裁判所の最終的な結論が判決として言い渡されることとなります︒判決書

の要式は︑日本民事訴訟法二五三条の規定があります︒これを規定している民事訴訟法二五三条によりますと︑判

決 書

に は

その裁判の結論としてのつ王文﹂(同条第一項一号) とその事件で争いとなった事実関係を摘示する

(8)

67「民事裁判における判断過程について」

﹁事実﹂︵同第二号︶︑その判決に法律を適用して結論に至る﹁理由﹂︵同条三号︶を書くことが規定されています︒

そして︑この﹁事実﹂の記載に付いては︑請求を明らかにし︑かつ︑主文が正当であることを示すのに必要な主張

を整理して記載をするように規定されています︒このような判決の記載事項は︑裁判所の判断形式の過程である審

理のあり方と密接に関係しており︑争点を中心とする審理が行われる場合には︑判決書の記載事項もこれに応じて

争点に対する判断を的確に知らせることとなります︒︵なお︑日本では︑平成八年︵一九九八年︶一月一日から︑

民事訴訟法の改正がなされました︒それは︑これまでの民事訴訟法が︑社会経済の発展︑民事紛争の複雑多様化等

に伴い︑現代の社会の状況に適合しない部分が少なからず生じていたことから︑訴訟手続きを一般市民に利用しや

すく︑分かりやすいものとするために全面的な改正が行われたのです︒その改正のポイントの一つは︑事件の争点

の整理と集中証拠調べの実施と言うことできます︒そして︑民事訴訟は︑訴訟の当事者︑訴訟代理人︑裁判官︑裁

判所書記官その他の裁判所職員等の多数の関係人によって運営される制度です︒この新民事訴訟法の改正とその実

施が︑紛争解決の制度としての本来の目的を達するためには︑これからの訴訟関係人等の努力が必要とされます︒

そして︑今は︑その改正の目的達成のためのスタートが切られたということが出来ます︒今後の裁判所・裁判官・

書記官・弁護士等の動きに注目していてください︒︶

三 民事の判例とその拘束力について

裁判の実務では︑裁判官としては︑具体的な事件における争いのある事実を証拠で認定し︑その事実が︑法の規 ﹁事実﹂(同第二号)︑その判決に法律を適用して結論に至る﹁理由﹂(同条三号)を書くことが規定されています︒ そして︑この﹁事実﹂の記載に付いては︑請求を明らかにし︑かっ︑主文が正当であることを示すのに必要な主張 を整理して記載をするように規定されています︒このような判決の記載事項は︑裁判所の判断形式の過程である審 理のあり方と密接に関係しており︑争点を中心とする審理が行われる場合には︑判決書の記載事項もこれに応じて 争点に対する判断を的確に知らせることとなります︒(なお︑日本では︑平成八年(一九九八年)

一 月

一 日

か ら

民事訴訟法の改正がなされました︒それは︑これまでの民事訴訟法が︑社会経済の発展︑民事紛争の複雑多様化等

に伴い︑現代の社会の状況に適合しない部分が少なからず生じていたことから︑訴訟手続きを一般市民に利用しゃ

すく︑分かりゃすいものとするために全面的な改正が行われたのです︒その改正のポイントの一つは︑事件の争点

「民事裁判における判断過程について」

の整理と集中証拠調べの実施と言うことできます︒そして︑民事訴訟は︑訴訟の当事者︑訴訟代理人︑裁判官︑裁

判所書記官その他の裁判所職員等の多数の関係人によって運営される制度です︒この新民事訴訟法の改正とその実

施が︑紛争解決の制度としての本来の目的を達するためには︑これからの訴訟関係人等の努力が必要とされます︒

そして︑今は︑その改正の目的達成のためのスタートが切られたということが出来ます︒今後の裁判所・裁判官・

書記官・弁護士等の動きに注目していてください︒)

民事の判例とその拘束力について

67 

裁判の実務では︑裁判官としては︑具体的な事件における争いのある事実を証拠で認定し︑その事実が︑法の規

(9)

法学論集 44〔山梨学院大学〕68

定する要件に該当するか等の判定をしながら最終結論の判決の主文に至るのです︒そこで︑﹁判決﹂と言うのは︑

一つの裁判で争われる一回限りの個別具体的な事案に対する裁判官の個別的な結論をいうのです︒判決の起案で一

番面倒なことは︑その事件についての争点となる事実の整理です︒それは︑原告︑被告の双方の当事者から主張さ

れた事実を法律の条文に規定されている要件に従って整理し︑判決の事実摘示として記載する作業です︒先輩判事

からは︑﹁事実摘示ができたら事案の争点の整理ができたといえるし︑そこで判決の九分とおりは︑完成したもの

と考えてもよい﹂といわれたものです︒最近の判決では︑私たちが任官したてのころに習った判決起案の事実摘示

とは違って︑この事実適示の仕方を工夫して︑直接その事案の争点を書くことが行われています︒そこで︑次の作

業としては︑整理された事実に従って︑理由を書きます︒その理由の書き方は︑具体的な判決では︑審理を経て証

拠によって認定した事実とそれに法律を適用して結論をだすこととなるのです︒その結論にいたる論理構成が一般

化され︑それが規範化され︑それが︑その後の同種の事件の参考となるようになり︑そして︑このような判決が繰

り返し出されるようになると︑それによって︑その裁判例は︑その後の裁判に対する先例となり︑いわゆる判例

法・裁判官法となると言うことができます︒そして︑これがいわゆる﹁判例﹂と言われているものです︒

 しかし︑ここで注意が必要なのは︑そこでの﹁判例﹂というのは︑その判例の要旨として挙げられる判決の結論

ではなく︑﹁その判決で認定された具体的な事実に法が適用され︑その結果だされた結論﹂を判例というのです︒

 そこで︑判決を書く際に問題となるのは︑いわゆる﹁判例の拘束力﹂についての問題です︒すなわち︑裁判官と

して︑判決の起案にあたって︑先例となる判例に拘束されるかという問題です︒裁判官の中には︑﹁判例は法源で

あるとして︑当然に拘束力を有する﹂とする見解があります︵中野次雄編﹁判例とその読み方﹂一〇頁︶︒もちろ

一68一

68 

定する要件に該当するか等の判定をしながら最終結論の判決の主文に至るのです︒そこで︑﹁判決﹂と言うのは︑

44 

(山梨学院大学〕

一つの裁判で争われる一回限りの個別具体的な事案に対する裁判官の個別的な結論をいうのです︒判決の起案で一

番 面

倒 な

こ と

は ︑

その事件についての争点となる事実の整理です︒それは︑原告︑被告の双方の当事者から主張さ

れた事実を法律の条文に規定されている要件に従って整理し︑判決の事実摘示として記載する作業です︒先輩判事

からは︑﹁事実摘示ができたら事案の争点の整理ができたといえるし︑そこで判決の九分とおりは︑完成したもの

と考えてもよい﹂といわれたものです︒最近の判決では︑私たちが任官したてのころに習った判決起案の事実摘示

法学論集

とは違って︑この事実適示の仕方を工夫して︑直接その事案の争点を書くことが行われています︒そこで︑次の作

業としては︑整理された事実に従って︑理由を書きます︒その理由の書き方は︑具体的な判決では︑審理を経て証

‑68‑

拠によって認定した事実とそれに法律を適用して結論をだすこととなるのです︒その結論にいたる論理構成が一般

化され︑それが規範化され︑それが︑その後の同種の事件の参考となるようになり︑そして︑このような判決が繰

り返し出されるようになると︑それによって︑その裁判例は︑ その後の裁判に対する先例となり︑ いわゆる判例

法・裁判官法となると言うことができます︒そして︑これがいわゆる﹁判例﹂と言われているものです︒

しかし︑ここで注意が必要なのは︑ そこでの﹁判例﹂というのは︑その判例の要旨として挙げられる判決の結論

ではなく︑﹁その判決で認定された具体的な事実に法が適用され︑その結果だされた結論﹂を判例というのです︒

そこで︑判決を書く際に問題となるのは︑ いわゆる﹁判例の拘束力﹂についての問題です︒すなわち︑裁判官と

して︑判決の起案にあたって︑先例となる判例に拘束されるかという問題です︒裁判官の中には︑﹁判例は法源で

あるとして︑当然に拘束力を有する﹂とする見解があります(中野次雄編﹁判例とその読み方﹂ 一 O

頁 )

︒ も

ち ろ

(10)

69 「民事裁判における判断過程にっいて」

ん︑これに反対する見解もあります︵谷口正孝・講演﹁裁判における判断基準﹂判例時報=三六号三頁以下参

照︒しかし︑谷口判事は︑その後に出版された著作集の中で︑﹁判例の法源性については︑これを否定していた従

来の見解を改めました︒﹂︹﹁裁判について考える﹂九五頁︺︶︒一般の裁判官も判決の起案にあたっては︑常に関連

する参考となる判例について検索し検討をします︒しかし︑そこで︑判決起案に際して︑見つかった判例に拘束さ

れるかと言うことになりますと︑日本の裁判所の内部での裁判官の考え方については︑各裁判官によって一概には

どちらとも言えないというのが現実であろうと思います︒それも最高裁判所の判例とそれ以外の下級審の裁判例と

ではその拘束力についての答え方が違ってくると思われます︒私の個人的な感覚でい>ますと︑実務家の裁判官に

ついて︑判決の起案について﹁判例の拘束力に縛られるか﹂の問題提起として聞きますと︑この点については︑

﹁判例の拘束力はある﹂と答える人と﹁判例の拘束力はない﹂と答える人がいて︑意見の分かれるところであろう

と思います︒それは︑判決の結論が判例となるのではなく︑その裁判例で認定された事実とそこでの結論が裁判例

として参考になるのであり︑認定された事実は︑個々の具体的な事件では全く異なるからだということだと思われ

ます︒  これについては︑通常︑イギリスやアメリカ等の英米法系の国は︑法律の法典を持たない﹁不文法主義の国﹂と

言われており︑裁判は︑専ら︑判例法を骨子として︑裁判所は上級および同級の裁判所の先例に拘束されることを

法的に義務づける﹁先例拘束性の原理﹂が制度的に確立されており︑判例法が中心的な法源であるといわれていま

す︒  しかし︑日本は︑﹁成文法主義の国﹂であり︑﹁判例を法とする﹂という明文の規定はありません︒そこで︑従来 ん︑これに反対する見解もあります(谷口正孝・講演﹁裁判における判断基準﹂判例時報二一二六号三頁以下参 照︒しかし︑谷口判事は︑ その後に出版された著作集の中で︑﹁判例の法源性については︑これを否定していた従

来 の

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九 五

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一般の裁判官も判決の起案にあたっては︑常に関連

する参考となる判例について検索し検討をします︒しかし︑そこで︑判決起案に際して︑見つかった判例に拘束さ

れるかと言うことになりますと︑日本の裁判所の内部での裁判官の考え方については︑各裁判官によって一概には

どちらとも言えないというのが現実であろうと思います︒それも最高裁判所の判例とそれ以外の下級審の裁判例と

ではその拘束力についての答え方が違ってくると思われます︒私の個人的な感覚でい﹀ますと︑実務家の裁判官に

ついて︑判決の起案について﹁判例の拘束力に縛られるか﹂の問題提起として聞きますと︑この点については︑

「民事裁判におげる判断過程について」

﹁判例の拘束力はある﹂と答える人と﹁判例の拘束力はない﹂と答える人がいて︑意見の分かれるところであろう

と思います︒それは︑判決の結論が判例となるのではなく︑ その裁判例で認定された事実とそこでの結論が裁判例

として参考になるのであり︑認定された事実は︑個々の具体的な事件では全く異なるからだということだと思われ

ま す

これについては︑通常︑イギリスやアメリカ等の英米法系の国は︑法律の法典を持たない﹁不文法主義の国﹂と ︒

言われており︑裁判は︑専ら︑判例法を骨子として︑裁判所は上級および同級の裁判所の先例に拘束されることを

法的に義務づける﹁先例拘束性の原理﹂が制度的に確立されており︑判例法が中心的な法源であるといわれていま

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69 

しかし︑日本は︑﹁成文法主義の国﹂であり︑﹁判例を法とする﹂という明文の規定はありません︒そこで︑従来

(11)

法学論集 44〔山梨学院大学〕 70

は︑﹁判例は法ではなく︑上級審︑下級審を問わず︑裁判官に対する法律上の拘束力を有するものではない︒﹂と理

解するのが有力な説であったと思います︒

 これに対して︑他方では︑﹃判例は︑制定法のように裁判官に対して絶対的な拘束力を持つものではなく︑また︑

その拘束力は︑制定法の場合のように︑それ自体の法としての力に基づくものではないというべきではあるが︑わ

が国で判例の拘束力といわれているのは︑それが﹁制度上の拘束力﹂ではなく︑単なる﹁事実上の拘束力﹂だ︒﹄

という見解があります︒もっとも︑事実上の拘束力というのは︑やや不明確な概念ではないかと言われそうです

が︑それは法律上の拘束力に対するもので︑実状としては︑たしかに裁判官のなかには最高裁判所の判例に従って

裁判をする傾向が多く見られますから︑その意味で判例に拘束力があるといえないこともありませんが︑その拘束

力を裏付ける直接の法の明文があるわけでもなく︑また︑判例に反する裁判をしても︑そのこと自体によって直ち

にその裁判が違法な裁判とは考えられていないことからしますと︑その拘束力は︑法のもつ拘束力に比べて︑かな

り弱いものであるということができるとする考え方です︒そうすると︑現在の実務における判例の実質的機能に注

目すれば︑﹁判例は法である︒しかし︑制定法と同じ意味での法ではない︒﹂という程度のこととして機能している

ということができると思います︒そして︑最近の学説ではこのような見解が有力説となってきていると言うことが

できると思います︒

一70一

70 

は︑﹁判例は法ではなく︑上級審︑下級審を問わず︑裁判官に対する法律上の拘束力を有するものではない︒﹂と理

44 

(山梨学院大学〕

解するのが有力な説であったと思います︒

これに対して︑他方では︑﹃判例は︑制定法のように裁判官に対して絶対的な拘束力を持つものではなく︑

ま た

その拘束力は︑制定法の場合のように︑それ自体の法としての力に基づくものではないというべきではあるが︑わ

が国で判例の拘束力といわれているのは︑ それが﹁制度上の拘束力﹂ではなく︑単なる﹁事実上の拘束力﹂だ︒﹄

という見解があります︒もっとも︑事実上の拘束力というのは︑やや不明確な概念ではないかと言われそうです

法学論集

が︑それは法律上の拘束力に対するもので︑実状としては︑たしかに裁判官のなかには最高裁判所の判例に従って

裁判をする傾向が多く見られまずから︑その意味で判例に拘束力があるといえないこともありませんが︑ その拘束

70‑

力を裏付ける直接の法の明文があるわけでもなく︑また︑判例に反する裁判をしても︑そのこと自体によって直ち

にその裁判が違法な裁判とは考えられていないことからしますと︑その拘束力は︑法のもつ拘束力に比べて︑

か な

り弱いものであるということができるとする考え方です︒そうすると︑現在の実務における判例の実質的機能に注

目すれば︑﹁判例は法である︒しかし︑制定法と同じ意味での法ではないよという程度のこととして機能している

ということができると思います︒そして︑最近の学説ではこのような見解が有力説となってきていると言うことが

で き

る と

思 い

ま す

(12)

四 大学における﹁判例の法源性﹂について

71 「民事裁判における判断過程について」

 それでは︑大学の先生方は﹁判例は法であるか︒﹂︑すなわち︑﹁判例は︑法源たりうるか︒﹂の問題についてどの

ような説明をしているのでしょうか︒先生方の教科書を参考にして見て行きます︒日本の大学の法学部における民

法の講義は︑極く一般的に言いますと︑民法典の各条文に従って講義が進められます︒そこで最初に講義で教えら

れます﹁民法総則﹂のなかでは︑まず︑法の存在形式についての話となります︒いわゆる法の存在形式としての

﹁法源﹂についてです︒例えば︑日本の典型的な民法の教科書とされる︑東京大学法学部の我妻栄博士の﹁民法講

義1﹂を読みますと︑その七頁以下に︑法源として︵1︶成文民法︵民法典H明治二九年く一八九六年V四月二七

日公布・同三一年︿一八九九年﹀七月一六日施行︶︑︵2︶民法典以外の成文民法法規︵例えば︑利息制限法︑借地

地法︑借家法等︶︵3︶慣習法︵法例二条︑民法九二条参照︶があると書かれています︒そして︑さらに︵4︶判

例民法の説明があります︒そこでの問題は︑﹁判例は︑法源となるか︒﹂ということです︒この点は︑法の存在形式

としての法源論ということで︑それは︑法哲学の問題でもあるとして︑詳論を避けながらも︑我妻先生は︑一応

﹁判例は法源である︒﹂と言われております︒

 また︑東京大学名誉教授の四宮和夫先生は︑その著書の﹁民法総則﹂九頁の注︵1︶で︑﹁判例という法源を認

めることは︑裁判所が法を創造することを認めることになり︑立法と司法との分化︵三権分立︶に反するのではな

いか︑という疑いを生じよう︒しかし︑法の適用は必然的に法の解釈を必要とし︑この作業は︑制定法の文言に反

大学における﹁判例の法源性﹂について

それでは︑大学の先生方は﹁判例は法であるか︒﹂︑すなわち︑﹁判例は︑法源たりうるか︒﹂の問題についてどの

ような説明をしているのでしょうか︒先生方の教科書を参考にして見て行きます︒日本の大学の法学部における民

法の講義は︑極く一般的に言いますと︑民法典の各条文に従って講義が進められます︒そこで最初に講義で教えら

れます﹁民法総則﹂のなかでは︑まず︑法の存在形式についての話となります︒いわゆる法の存在形式としての

﹁法源﹂についてです︒例えば︑日本の典型的な民法の教科書とされる︑東京大学法学部の我妻栄博士の﹁民法講

「民事裁判における判断過程について」

義 I ﹂を読みますと︑その七頁以下に︑法源として

( 1

)

成文民法(民法典 U 明治二九年︿一八九六年﹀四月二七

日公布・同=二年八一八九九年﹀七月一六日施行)︑

( 2

)

民法典以外の成文民法法規(例えば︑利息制限法︑借地

地法︑借家法等

) ( 3 )

慣習法(法例二条︑民法九二条参照)があると書かれています︒そして︑さらに

( 4

)

例民法の説明があります︒そこでの問題は︑﹁判例は︑法源となるか︒﹂ということです︒この点は︑法の存在形式

としての法源論ということで︑それは︑法哲学の問題でもあるとして︑詳論を避げながらも︑我妻先生は︑

一 応

﹁判例は法源である︒﹂と言われております︒

また︑東京大学名誉教授の四宮和夫先生は︑その著書の﹁民法総則﹂九頁の注

( 1

)

で︑﹁判例という法源を認

めることは︑裁判所が法を創造することを認めることになり︑立法と司法との分化(三権分立) に反するのではな

71 

いか︑という疑いを生じよう︒しかし︑法の適用は必然的に法の解釈を必要とし︑この作業は︑制定法の文言に反

(13)

法学論集 44〔山梨学院大学〕72

する結果を生むことがあるし︑また︑法の欠訣の分野で新しい法を創造することにならざるをえない︒三権分立の

制度そのものが裁判所に法の創造を認めているといえるものである︒﹂と述べておられます︒ほかにも︑星野英一

先生も︑前記著書の﹁民法概論1﹂︵同書三〇頁︶中で︑判例の法源について言及なさっておられます︒

 これらの考え方は︑その効力に強弱に違いはあるとしても︑裁判上は﹁判例は法である﹂というのが多数の先生

方の考え方といえましょう︒

 この点について︑最近︑私の恩師にあたります東北大学法学部名誉教授の広中俊雄先生は︑その著書︵民法綱

要・第一巻上二九頁︑四一−五三頁︶の中では︑﹁判例は︑事実的な拘束力はあるが法源ではない︒﹂と明言されて

おられます︒また︑最近︑﹁判例は︑法源たりうるか﹂ということに焦点を合わせながら問題の提起をなさってお

られます︒﹁民法解釈方法に関する一二講﹂︵一五九頁以下︶のなかの第一二講﹁判例の法源性をめぐる論議につい

て﹂という論文です︒これは︑仙台での法律家の集まりで︑講演したものに補筆したものです︒そのなかの一つの

章では︑﹁判決の文章や裁判官の発言に現われた諸見解﹂として︑﹁ある地裁判決︵東京地裁判決昭和五五年三月一

四日︒判例時報九六七号二五頁︶および高裁判決︵東京高裁昭和六〇年一一月二〇日判例時報コ七七号二八頁と

を引用して︑自説の展開への糸口となさっておられます︒そして︑さらに︑裁判官の有志の私的な集まりである

﹁全国裁判官懇話会﹂︵一九八九年二月開催︶での︑参加した裁判官の発言をも引用しておられます︒そして︑結

論としては︵少し長くなりますが引用させて頂きます︒︶︑﹁判例というものが︑およそ一般的に︑この社会で人々

によって法と観念されるものを作り出す力をもっているということはむしろあたりまえの話であって︑そのことを

理論的に否定すべき理由は全然ないということが明らかになります︒しかし︑判例の法源︑つまり︑そこから裁判

一72一

72 

する結果を生むことがあるし︑また︑法の欠敏の分野で新しい法を創造することにならざるをえない︒三権分立の

44 

(山梨学院大学〕

制度そのものが裁判所に法の創造を認めているといえるものである︒﹂と述べておられます︒ほかにも︑星野英一

先生も︑前記著書の﹁民法概論 I

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同 書

三 O 頁)中で︑判例の法源について言及なさっておられます︒

こ れ

ら の

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その効力に強弱に違いはあるとしても︑裁判上は﹁判例は法である﹂というのが多数の先生

方の考え方といえましょう︒

この点について︑最近︑私の恩師にあたります東北大学法学部名誉教授の広中俊雄先生は︑ その著書(民法網

法学論集

要・第一巻上二九頁︑ 四一ー五三頁) の中では︑﹁判例は︑事実的な拘束力はあるが法源ではないよと明言されて

おられます︒また︑最近︑﹁判例は︑法源たりうるか﹂ということに焦点を合わせながら問題の提起をなさってお

‑72‑

られます︒﹁民法解釈方法に関する二一講﹂(一五九頁以下) のなかの第一二講﹁判例の法源性をめぐる論議につい

て﹂という論文です︒これは︑仙台での法律家の集まりで︑講演したものに補筆したものです︒そのなかの一つの

章では︑﹁判決の文章や裁判官の発言に現われた諸見解﹂として︑﹁ある地裁判決(東京地裁判決昭和五五年三月一

四日︒判例時報九六七号二五頁) および高裁判決(東京高裁昭和六 O 年一一月二 O 日判例時報一一七七号二八頁)﹂

を引用して︑自説の展開への糸口となさっておられます︒そして︑ さらに︑裁判官の有志の私的な集まりである

﹁全国裁判官懇話会﹂(一九八九年二月開催) での︑参加した裁判官の発言をも引用しておられます︒そして︑結

論としては (少し長くなりますが引用させて頂きます︒)︑﹁判例というものが︑ およそ一般的に︑この社会で人々

によって法と観念されるものを作り出す力をもっているということはむしろあたりまえの話であって︑ そのことを

理論的に否定すべき理由は全然ないということが明らかになります︒しかし︑判例の法源︑

つ ま

り ︑

そこから裁判

(14)

73 「民事裁判における判断過程について」

規準を取りだすべきであるとされるものだと考えるか︑どうか︑という話は︑別の話なんだと考えなければならな

い︒判例法というものを特に取り出して制定法と並べて法源だというのは︑見ようによっては︑あまりにも判例の

実質的な機能を小さくとらえた考え方だとも言えましょう︒むしろ︑法と呼ばれるものの全面にゆきわたるような

そういう広さをもったものなのだ︑制定法と並び慣習法と並んで一種の法源であるとされるようなものにとどまる

のではないと考えながら︑裁判官の方々には裁判に取り組んでいただく必要があるのだと︑私は思います︒﹂と述

べておられます︒これは︑まさに﹁法源﹂についての一つの考え方を示しているのだと思います︒実務家の立場で

読みますと︑﹁法源と法﹂についてどのように考えるかと問題の提起をなさっておられます︒なかなか示唆に富ん

でいる論文であるということができます︒

五 民事判決起案と判例に対する個人としての経験

 判決作成中で︑﹁裁判官として判例に拘束されるか︒﹂との問に対しましては︑私個人としましては︑﹁判例とし

て︑その拘束力は意識していません︒﹂と言うことになると思います︒もちろん判決の起案に当たっては︑関連す

る判例の調査は致します︒しかし︑その判例は︑いまある事件の解決のためには︑単に一つの参考資料にすぎない

ということができると思います︒さらに︑自分のだす判決が先例となるとの意識は全くありません︒判決を書く場

合に︑その事案の解決に的確な判決理由の書き方に苦心しているというのが実状です︒例えば︑判例の検索につい

ての苦労は︑私事になりますが︑私が裁判長を務めた事件で︑判例が全くないと思われた予防接種事件︵東京地裁 規準を取りだすべきであるとされるものだと考えるか︑どうか︑ という話は︑別の話なんだと考えなければならな

い︒判例法というものを特に取り出して制定法と並べて法源だというのは︑見ようによっては︑あまりにも判例の

実質的な機能を小さくとらえた考え方だとも言えましょう︒むしろ︑法と呼ばれるものの全面にゆきわたるような

そういう広さをもったものなのだ︑制定法と並び慣習法と並んで一種の法源であるとされるようなものにとどまる

のではないと考えながら︑裁判官の方々には裁判に取り組んでいただく必要があるのだと︑私は思います︒﹂と述

べておられます︒これは︑ まさに﹁法源﹂についての一つの考え方を示しているのだと思います︒実務家の立場で

読みますと︑﹁法源と法﹂についてどのように考えるかと問題の提起をなさっておられます︒なかなか示唆に富ん

でいる論文であるということができます︒

「民事裁判における判断過程について」

民事判決起案と判例に対する個人としての経験

判決作成中で︑﹁裁判官として判例に拘束されるか︒﹂との聞に対しましては︑私個人としましては︑﹁判例とし

て︑その拘束力は意識していません︒﹂と言うことになると思います︒もちろん判決の起案に当たっては︑関連す

る判例の調査は致します︒しかし︑

そ の

判 例

は ︑

いまある事件の解決のためには︑単に一つの参考資料にすぎない

ということができると思います︒さらに︑自分のだす判決が先例となるとの意識は全くありません︒判決を書く場

ム 口 に ︑

その事案の解決に的確な判決理由の書き方に苦心しているというのが実状です︒例えば︑判例の検索につい

73 

ての苦労は︑私事になりますが︑私が裁判長を務めた事件で︑判例が全くないと思われた予防接種事件(東京地裁

(15)

法学論集 44〔山梨学院大学〕 74

昭和五九年︵一九八四年︶五月一八日判決・判例タイムズ五二七号一六五頁︑判例時報一一一八号二八頁︒この事

件についての判例評釈﹁予防接種事故と補償請求﹂ジュリスト︵憲法判例百選︶一三〇号二一四頁・常本照樹︶に

ついての例が一つの例と言えます︒この裁判例は︑控訴審︵東京高等裁判所︶では破られましたが︑私としまして

は︑ここでの理論構成は間違っていなかったと思っています︒却って︑東京高等裁判所の理論は︑被害者の救済方

法を閉ざしていると思っております︒この判決に対する判例評釈では︑この判決が一つの先例となっていると言わ

れております︒

 私個人としましては︑在官中の自分の仕事としての民事判決の起案について振り返ってみますと︑先例となる判

例の拘束力を意識しながら起案をしたことはありません︒事件は各事件ごとに特徴があり︑その事件に対する適切

な結論が最も大事であり︑その結論の落ちつけ方が一番大切なことだとの問題意識で起案をして参りました︒そこ

では︑判例は先例として︑自分の事件処理にあたって参考とはなりますが︑それに拘束力を感じると言うことはあ

りませんでした︒いや︑却って︑拘束力を持たせることは間違いであるとの考え方の方が強かったように思いま

す︒これは︑第一審の事件を担当した東京地方裁判所や那覇地方裁判所︑新潟地方裁判所等での各地方裁判所と第

二審での東京高等裁判所民事部においても同様でありました︒

 しかし︑退官した現在は︑判決の拘束力については︑下級審の裁判官として︑もうすこし﹁判例の拘束力﹂につ

いての︑理論的な検討が必要であり︑そのための勉強が必要とされていたことを考え直すように示唆されたのかも

知れません︒その点は勉強不足で現在では︑少し心残りの点があります︒しかし︑この点に関する理論的な問題

は︑これからさらに勉強することとしたいと考えております︒このような研究に対する意欲を与えられた機会を作

一74一

74 

昭和五九年(一九八四年)五月一八日判決・判例タイムズ五二七号一六五頁︑判例時報一一一八号二八頁︒この事

44 

(山梨学院大学〕

件についての判例評釈﹁予防接種事故と補償請求﹂ジュリスト(憲法判例百選)

一 三 O 号二一四頁・常本照樹)

ついての例が一つの例と言えます︒この裁判例は︑控訴審(東京高等裁判所) では破られましたが︑私としまして

は︑ここでの理論構成は間違っていなかったと思っています︒却って︑東京高等裁判所の理論は︑被害者の救済方

法を閉ざしていると思っております︒この判決に対する判例評釈では︑この判決が一つの先例となっていると言わ

れ て

お り

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︒ 法学論集

私個人としましては︑在官中の自分の仕事としての民事判決の起案について振り返ってみますと︑先例となる判

例の拘束力を意識しながら起案をしたことはありません︒事件は各事件ごとに特徴があり︑ その事件に対する適切

‑74

な結論が最も大事であり︑ その結論の落ちつけ方が一番大切なことだとの問題意識で起案をして参りました︒そこ

では︑判例は先例として︑自分の事件処理にあたって参考とはなりますが︑ それに拘束力を感じると言うことはあ

りませんでした︒ いや︑却って︑拘束力を持たせることは間違いであるとの考え方の方が強かったように思いま

す︒これは︑第一審の事件を担当した東京地方裁判所や那覇地方裁判所︑新潟地方裁判所等での各地方裁判所と第

二審での東京高等裁判所民事部においても同様でありました︒

しかし︑退官した現在は︑判決の拘束力については︑下級審の裁判官として︑もうすこし﹁判例の拘束力﹂につ

いての︑理論的な検討が必要であり︑そのための勉強が必要とされていたことを考え直すように示唆されたのかも

知れません︒その点は勉強不足で現在では︑少し心残りの点があります︒しかし︑この点に関する理論的な問題

は︑これからさらに勉強することとしたいと考えております︒このような研究に対する意欲を与えられた機会を作

(16)

っていただいた︑本日の南開大学の学生諸君に感謝したいと思っております︒

六 おわりに

75 「民事裁判における判断過程について」

 以上で私の話は終わりにいたします︒論点の整理が十分でなかったと思いますが︑民事の判決の起案にあたっ

て︑判例の拘束力について︑一裁判官であった私の仕事に対する感想めいたことを述べることで︑今日の話につい

ての責めを果たしたことにしたいと思います︒

 ご静聴をいただき︑有り難うございました︒ っていただいた︑本日の南関大学の学生諸君に感謝したいと思っております︒

...&

ノ、

おわりに

て︑判例の拘束力について︑ 以上で私の話は終わりにいたします︒論点の整理が十分でなかったと思いますが︑民事の判決の起案にあたっ

一裁判官であった私の仕事に対する感想めいたことを述べることで︑今日の話につい

ての責めを果たしたことにしたいと思います︒

ご静聴をいただき︑有り難うございました︒

「民事裁判における判断過程について」

75 

(17)

﹁安全配慮義務﹂についての小報告 告

小野寺 規 夫

77 「安全配慮義務」についての小報告

二 三 四

目   次

日本民法は一八九八年七月一六日に制定・施行され︑現在に至っている︒

  但し︑親族法・相続法の部分は︑敗戦後全部改正された︒

民法典の構成  民法総則︑物権︑担保物権︑債権総論︑債権各論         親族・相続

債権総論︵民法四一五条︶

  債務不履行  履行遅滞

         履行不能

         不完全履行

債権の意義    債権者が債務者に対して︑ある行為︵給付行為︶を請求する権利

  債務者の義務  一定の行為をする義務︵債権関係における給付義務︶

      その他に︑信義則上の義務として︑付随義務︑保護義務

一77一

「安全配慮義務j についての小報告 7 7  

丘 k

J:I 

﹁ 安 全 配 慮 義 務 ﹂

についての小報告

小野寺

目 次

日本民法は一八九八年七月一六日に制定・施行され︑現在に至っている︒

但し︑親族法・相続法の部分は︑敗戦後全部改正された︒

民法典の構成民法総則︑物権︑担保物権︑債権総論︑債権各論

親族・相続

債権総論(民法四一五条)

債 務 不 履 行 履 行 遅 滞

履行不能

不完全履行

債権者が債務者に対して︑ある行為(給付行為)を請求する権利

一定の行為をする義務(債権関係における給付義務)

その他に︑信義則上の義務として︑付随義務︑保護義務 債権の意義

債務者の義務

‑77‑

(18)

法学論集 44〔山梨学院大学〕 78

五 山

1¥

信義則上の義務  付随義務主体的な給付義務に付随する義務

         保護義務債権者・債務者間で相互に相手方の生命・財産を侵害しない

       義務

安全配慮義務  労働者が労務の提供をなす際に︑使用者が労働者の健康・生命の安全を守

        る義務

最高裁判所の判決の先例的意義

  一九七五年二月二五日言渡︵民集二九巻二号一四三頁︶

安全配慮義務の民法上の位置付けをどのように考えるか

  民法総論︵信義則︶としての議論

  不完全履行の一態様としての議論

  不法行為としての議論      一九九九年九月一日︵於 南開大学︶

 私は︑現在︑山梨学院大学法学部で︑債権総論の講義を担当しております︒

 そこで︑今日は︑日本の大学における民法に関する講義として︑小報告として﹁安全配慮義務﹂について︑話を

することといたします︒これからお話をします民法に関する事項は︑本問題に関連のある部分に限定して話をする

ことといたします︒

 ご存知とは思いますが︑日本の大学の民法講座は︑民法典に従ってなされているのが実状といえます︒日本民法

は︑成文法で構成されており︑当時のドイツ民法典を参考にして︑明治三一年︵一八九八年︶七月一六日に制定・

施行されて現在に至っています︒

78 

付随義務日主体的な給付義務に付随する義務

保護義務日債権者・債務者間で相互に相手方の生命・財産を侵害しない

義 務

労働者が労務の提供をなす際に︑使用者が労働者の健康・生命の安全を守

る 義

最高裁判所の判決の先例的意義

一九七五年二月二五日言渡(民集二九巻二号一四三頁)

安全配慮義務の民法上の位置付けをどのように考えるか

民法総論(信義則)としての議論

不完全履行の一態様としての議論

不法行為としての議論 信義則上の義務

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(山梨学院大学〕

........ 

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安全配慮義務

七 法学論集

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・ ¥

一 九 九 九 年 九 月 一 日 ( 於 南関大学)

私は︑現在︑山梨学院大学法学部で︑債権総論の講義を担当しております︒

そこで︑今日は︑日本の大学における民法に関する講義として︑小報告として﹁安全配慮義務﹂について︑話を

することといたします︒これからお話をします民法に関する事項は︑本問題に関連のある部分に限定して話をする

ことといたします︒

ご存知とは思いますが︑日本の大学の民法講座は︑民法典に従つてなされているのが実状といえます︒日本民法

は︑成文法で構成されており︑当時のドイツ民法典を参考にして︑明治コ二年(一八九八年)七月一六日に制定・

施行されて現在に至っています︒

参照

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