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所得課税におけるいくつかの問題

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所得課税におけるいくつかの問題

‑1955年王立委員会少数派(N.カルドア)意見をめぐって‑

森 俊

Ⅰ.はじめに

N.カルドアは,1955年に刊行された『支出税(AnExpenditureTax)』

の著者として,租税論の分野で大きな業績を残した。理論経済学老であ る彼が租税論に関心を寄せ,その研究に従事するようになった契機は, 1950年設置の「利潤・所得課税王立委員会」への参加であった。同委員 会に,彼は貯蓄非課税の個人支出税案を提出したが,それは委員会の検 討事項とはならなかったので,その案を『支出税』にまとめ,世に問う たのである。また,カルドアは,1955年の『王立委員会最終報告』に同 意することを拒み,『少数派意見』を公表した。これは,所得課税の枠内 で,税負担の不公平を緩和するために当時の所得税制をいかに改革すべ きかについて,多数派の勧告を批判しつつ,みずからの見解を明らかに したものであった。

そこでは,キャピタル・ゲイン非課税こそ不公平をもたらしている主 要な原田の一つであるとの観点から,キャピタル・ゲイン課税の主張が 展開され,会社税のあり方を含め,この問題に多くの貢があてられてい

る。これについては,筆者は既に詳細に検討する機会を持った(1)。『少数 派意見』は,それ以外にもなお重要な問題を論じている。取り上げられ

ている問題は当時のイギリス所得税制に特有のものであるが,カルドア の議論は,所得課税のあり方,ひいてほわが国の税制を考える上で示唆

に富むものである。

(2)

そこで,今回はこれらの問題についてのカルドアの議論を丹念に追い, 彼の考えを整理し検討することで,所得課税のいくつかの基本問題を考 察してみたい(2)。これが,本稿の課題である。

ⅠⅠ.スケジュールDとスケジュールEにおける所得概念 の相違

イギリスの所得税は,所得を各種のスケジュールに分類し課税すると いう独自の様式をとっている。スケジュールEは給与所得を扱い,スケ ジュールDは事業活動とか専門的職業などから得られる所得を扱

う(3)。カルドアは,この二つのスケジュールには課税所得に閲し概念上の 相違があり,それが納税者の間で無視できない不公平をもたらしている

とする。

課税所得に関する概念上の相違ほ,資本減耗の取り扱いを含め,両ス ケジュール間における経費ルールの違いによるものである。スケジュー ルEのもとでは,訓練・教育などへの支出といった人的資本形成のため の投資に対する控除,すなわちこれらの支出によって形成された人的資 本の減耗控除は課税上認められず,職務遂行という目的だけに限って, 全面的かつ必然的に負われるような経費のみに収入からの控除がきびし

く限定される。

他方,スケジュールDでほ物的資本の減耗控除が一般的に認められ, また本来ほ一種の資本支出とみなされるべき宣伝・交際費といった間接 費(開発支出とも呼ばれる)も経常的な経費として収入から控除される というように,経費ルールはきわめて寛大である。間接費を控除可能な 経費として認める経費ルールは,そのような間接費の支出が事業者に

とって租税節約となり,間接費の支出をいわば国庫からの補助により促

進するものであるということから,資源配分上の歪みを引き起こすこと

は明らかである。

(3)

このような経済的な効果とともに重大な不公平をもたらしている両ス ケジュ.‑ル間の所得概念の相違を克服する方策として・スケジュールD の経費ルールをスケジュールEの経費ルールに近づけること,あるいは 逆に後者を前者に近づけることが考えられる。しかし,カルドアは,こ

れらの方策はいずれも得策でほないとする。

はじめの方策では,たしかにスケジュールDの課税が悪意的でなくな り,税務執行もより容易になる。この方策が得策ではないとされたのは, 海外交易に従事している事業者は販売促進費が控除されないことによ

り,他国の競争相手よりも不利な立場に置かれるだろうということから である。また,人的資本の減耗は課税上いっさい認知されないというこ

とが異なる種類の所得の間で大きな不公平をもたらしているのは事実で あるとしつつも,もう一つの方策について,カルドアは,個人の所得獲 得能力増大のための支出を識別し,控除をそれに限定することは税務行 政上執行困難であると考える。さらに,多数派が勧告するようなスケ

ジュールEの経費ルールの緩和は,職務上の経費と個人的経費の区別と いった,スケジュールDの課税を悩ましている事業上の経費と個人的な 経費の区別と同じ問題を,スケジュールEの課税に持ち込むことにな

り,課税が著しく悪意的なものとなるということから,カルドアほ多数 派の勧告に同意しない。

カルドアによると,唯一の解決策は,スケジュールEの所得とスケ

ジュールDの所得の概念上の相違を率直に認め,課税の差別化によって その補償をするということである。そして,カルドアは,そのような差

別化は,1907年に導入された勤労所得控除(earnedincomerelief)と

いう形で既に存在していると指摘する。それは,稼得所得の2/9を控除

するものであるが,導入当初から控除の適用が2,000ポンド(1955年当

時は2,025ポンド)の所得までに制限されてきた(4)。そこで,カルドアは,

勤労所得控除のこのような上限規定が公平という点で妥当なものかどう

(4)

かを問題とする。

勤労所得控除は,そもそも勤労所得と不労所得の課税上の差別化を意 図したものであり,財産からの所得とは違い,労働からの所得は不安定 で,それに頼る人は将来の退職や病気に備えて所得から準備(すなわち 貯蓄)をする必要があることへの配慮から導入されたものであった。ま

た,スケジュールDのもとで課税される非法人の事業者の所得,専門的 職業からの所得も一部は労働から引き出されるので,それらに対しても

勤労所得控除が及ぶものとされたが,一定額以上の事業所得は資本から の所得として扱うべきであるとされ,勤労所得控除を年2,000ポンドの

所得までに限るという上限が規定された。そして,この額の上限であれ ば,それを勤労所得控除を受けるその他の所得に適用しても大きな不公 平は生じないと考えられたのである。これが,イギリスにおける勤労所 得控除の導入と上限規定の歴史的経緯である。

カルドアは,上限規定を導いた上述の想定は今日ではもはや有効では ないと批判し,さらに,勤労所得と不労所得の差別化の根拠は,勤労所 得の不安定性(それによって貯蓄の必要が生じる)だけでないことを強 調する。労働には実質的コスト(アダム・スミスのいう安逸,自由,幸 福の犠牲)を伴うこと,職業上の知識や技量を獲得する費用は経費とし

て課税上何ら認知されないことも,差別化の重要な根拠とされる。そし て,カルドアほ,勤労所得と不労所得の課税における差別化の必要性と, スケジュールEとスケジュールDとの経費ルールの違いを踏まえて,勤 労所得控除の上限規定を見直すべきであると主張するのである。

この点に関するカルドアの勧告は,上限規定を,労働と資本の結合か

ら引き出される複合的な所得,つまりスケジュールDのもとで課税され

る事業者の所得にのみ適用すること,スケジュールEの所得とスケ

ジュールDのもとで課税される専門的職業の所得にほ適用しないこと,

勤労所得控除をスケジュールEの納税者,あるいほスケジュールDのも

(5)

とでスケジュールEの経費ルールをみずから選択した納税者に限ると いうものであった。カルドアは,このような勤労所得控除によって勤労 所得と不労所得との間にみられる担税力の相違と経費ルールの違いから 生じる不公平に対処しようとしたのである。

なお,包括的所得税の考え方からは,所得種類による担税力の相違と いうことはありえない。同じ額の所得であれば,いかなる種類であって

も,それを得る人の担税力は同じであるとみなされる。その意味で,勤 労所得控除に関するカルドアの勧告ほ,包括的所得税の考えとは相容れ ないものである。所得の不安定性,そこから生じる貯蓄の必要性を担税 力を制約する要田とみると,それは所得税ではなく貯蓄非課税の支出税 を導く。『支出税』でのカルドアの考えが,ここでの議論にも反映してい

るといってもよいであろう(5)。

ⅠⅠⅠ.利潤の課税に関する特定の問題

課税利潤について委員会ではいくつかの新たな譲歩が問題とされた が,カルドアは,課税利潤の概念が譲歩を認めることで浸食されてしま うことに反対する立場から,議論の対象を,既にある譲歩で制限ないし 撤回されるべきであると思われるケース,多数派の勧告に同意できない ケース,多数派の勧告への同意は条件付きであるケースに限定する。

1.事業損失

スケジュールDのもとで課税される事業者等については,ある源泉か

らの所得がある年において負であるということが課税上認められ,この

ような事業損失はその年の他の源泉からの所得,あるいほすべての源泉

からの将来の所得に対して相殺される(6)。カルドアほ,このような規定を

まずはじめに原理的に批判する。

(6)

ある事業について,ある期の所得勘定がマイナスであるとすると,そ れは資本勘定のマイナスよって償われる。包括的所得の定義によれば,

これほ資産価値の減少としてキャピタル・ロスをあらわし,包括的所得 税では発生時において,事業者の課税所得から控除される。しかし,当

時のイギリスの税制ほ,課税所得の決定にあたりキャピタル・ゲイン,

キャピタル・ロスを発生時ほいうまでもなく,実現時でも考慮に入れる ものではなかった。そうすると,カルドアのいうように,事業損失の課

税所得からの控除ほ,このような税制では首尾一貫しないものである。

かくして,カルドアは,(1955当時の)現行税制のもとで,事業者ほ,課 税所得からキャピタル・ロスほ発生時に控除されるが,キャピタル・ゲ インは発生時でも実現時でも課税されないという変則的な特権を享受し ていると論じる。

もちろん,実際の税制では,事業損失はあくまでも経常勘定(所得勘 定)の損失として課税上処理され,資本勘定におけるキャピタル・ロス

として処理されるわけではない。しかし,逆に,本来は資本勘定におけ る支出(資本支出)が,スケジュールDの経費ルールのもとで経常勘定 の支出とされると,そのような支出が経常勘定における通常の収益(純 収入)を超えるとき,経常勘定で事業損失が生じたとみなされる。カル

ドアほ,そのような事業損失の控除は特定タイプの資本支出への国庫か らの補助であるとし,宣伝・交際費などの開発支出(developmental expediture)の結果として生じた事業損失を特に問題とする。

資本支出に対する所得課税の原理は,資本支出を経常勘定における経

費支出として扱うのではなく,すなわち,資本減耗以外の控除を認める

ことなく,資本支出のもたらす将来の成果(経常勘定における年々の収

益と資本勘定における資本自身の価値増加)に課税することである。開

発支出のような支出は減耗する物的資産の購入のためではなく,企業に

対する信用という資産の形成のために行われるものである。そして,そ

(7)

れに対する事業者の報酬は,年々の収益と企業価値の増減という形をと る。よって,事業者が企業を売却するとき,企業の価値増加をあらわす キャピタル・ゲインが彼の課税所得につけ加わり,投資が失敗して企業 価値が減少し,これまでの資本支出を十分回収できないときは,キャピ タル・ロスとして彼の課税所得から控除される。これが,所得課税本来 のあり方である。

しかしながら,カルドアの指摘のように,イギリス現行税制のもとで は,開発支出のような資本支出が経常勘定での支出として扱われると, 事業に対しより急速に資本を投下することが可能なほど,事業損失も大

きくなり,国庫からの補助(国庫の損失)も大きくなるが,その資本支 出から最終的に生じるであろうキャピタル・ゲインに国庫が与ることは ない。また,たとえキャピタル・ゲインが課税されるとしても,資本支 出がそれまでに控除されているならば,他の納税者と比較して,事業者 はなお課税上優遇されていることにかわりはない。

とほいえ,カルドアは,上述のような状況は完全に是正され得ないと 考える。各種の開発支出の促進は一般的利益にかなうとされてきたし,

またすべての支出を所得勘定のものと資本勘定のものに正確に区別する ことは実際上不可能だからである。こうしたことを考慮して,カルドア は,資本減耗以外のいかなる資本支出も所得勘定での支出と認めないと いう所得課税本来のあり方をあくまで主張するのではなく,損失がいか なる理由で生じたものであっても,事業損失の相殺を,それが生じた事 業の将来の所得に対してのみ認め,それ以外の所得に対しては認めない ということを提案する。これが,事業損失に閲しカルドアの提案する一 般的ルールである。

他の所得からの損失控除は,損失が通常の経常的支出が経常的収入を

上回ったために生じたものであっても,国庫の犠牲において,事業に失

敗している企業の存続を助ける。また,損失がある種の資本支出の結果

(8)

生じたものであるならば,資本が投下された事業以外の所得からの損失 控除は,カルドアのいうように,国庫が,事業収入から控除される限り 資本支出を補助することを超えて,当該事業以外の所得にかかわる租税 債務を犠牲にしてまでも資本支出に補助を与えるということを意味す

る。これは,意図的な租税回避の広範な機会を提供することでもある。

多数派は,損失が他の所得でも控除されなかった場合なお残る事業損 失(未利用の控除)は,事業者の将来の課税所得一般に対して無限に繰

り越されるよう勧告するが,この多数派の勧告に対してカルドアは強く 異を唱える。それは,事業者は事業損失を抱えた企業を買収することを 通じて,彼自身の租税債務を減らすことが可能となり,新たに租税回避 の道を開くからである。カルドアの提案する一般的ルールは,これらの

租税回避の機会を実質的に減らすことをねらったものであると考えるこ とができる。

2.資本控除

イギリスで減価償却費の控除が導入されたのは1878年になってから である。資本設備を購入するすべての企業を対象とする資本控除(capi‑

talallowances)の制度が,投資を奨励することを目的に,第二次大戦中

登場した。1945年所得税法による資本支出に対する控除制ほ次の三つか らなっていた(7)。(a)初期償却控除(initialallowance),(b海年の減価償 却控除(annualwearandtearallowance),(C)設備を売却した場合の

差額課税またほ差額控除(balancingcharge,balancingallowance)。

1955年当時,資本控除は事業において使用されるほとんどすべての物 的資本に与えられていた。カルドアは,このような状況は次のような変 則的な事態を生み出しているとする。

(1)控除は物的資産に関してのみ与えられ,教育・訓練などの人的資

本への資本支出には適用されない。

(9)

(2)物的資本にほ資本控除が与えられる一方で,キャピタル・ゲイン にはいかなる負担も課せられていない。

第一の点については,前述したように,勤労所得控除で対処するもの とされる。第二の点に関しては,若干の注釈が必要であろう。というの

は,資本の売却にあたり差額課税が存在しているからである。その場合, キャピタル・ゲインにはいかなる負担も及ばないというのは正確ではな い。もっとも,ただちに説明するように,購入額が資本控除制によって

全額控除された物的資本を売却する場合,当時のように差額課税の課税 ベースが当初の購入額に制限されていると,カルドアの指摘のように,

売却額と購入額の差としてのキャピタル・ゲインは差額課税の対象にな らない。このことを含め,差額課税について説明しておこう。

ある人がある物的資産を100で購入し,何年か後に120で売却したと する。その間になんらの資本控除もなされていないとすると,売却額120 のうち100は資本回収をあらわすので,売却時の実現キャピタル・ゲイ ンほ20である。その資産がその間に初期償却控除と減価償却控除を合わ せて資本控除を受けていたのであれば,認められた資本控除額だけ資本

は既に回収されていると考えることが出来るので,実質的なキャピタ ル・ゲインは,

実質的なキャピタル・ゲイン=売却額一購入額+資本控除額 として捉えられる。資本控除額が購入額100に等しいときには売却額 120そのものが実質的なキャピタル・ゲインとなり,これが差額課税の対 象となるべきである。

しかし,当時の差額課税では,課税ベースは当初の購入額までと制限 され,それを超える部分ほ課税されない。従って,資本控除額が購入額 に等しいときには,差額課税の課税ベースほ100となり,売却額と購入 額の差としての形式的なキャピタル・ゲイン20は課税から排除される。

これが,(2)でカルドアの述べていることの意味である。この例で,売却

(10)

時までの資本控除額が100ではなく90であったとすると,実質的なキャ ピタル・ゲインは110となるが,差額課税の課税ベースはこのときも100 である。形式的なキャピタル・ゲイン20のうち10は差額課税を逃れる けれども,残りの10ほ課税ベースに含まれる。

差額課税の対象は実質的なキャピタル・ゲインであるべきだが,これ が当初の購入額に制限されると,実質的また形式的なキャピタル・ゲイ ンの一部には課税が及ばなくなるというのが,当時の差額課税の正確な 理解であろう。ところで,この資産の資本控除額は90であったが,資産 が5でしか売却できなかったとしてみよう。このとき,売却時でほ実質 的なキャピタル・ロス5が差額控除の対象となる。すなわち,売却時で の実質的なキャピタル・ロスは課税上全額認知されるのである。

以上の問題点を踏まえて,資本控除についてのカルドアの提案は,資 本控除が与えられた物的資本の売却による実質的なキャピタル・ゲイン に対する完全な課税という条件のもとで,事業において使用されるすべ ての物的資本に資本控除を認めようというものである。なお,これまで の説明から,この条件ほ,物的資本売却時の差額課税が制限なくおこな われるという意味であることは明らかである。すなわち,カルドアほ,

ここで,税制が資本控除を認めた資本の売却に関して課される差額課税 を,当初の購入額に制限する規定の撤回を求めているのであり,この点

では多数派の勧告に同意する。

さらに,カルドアは,同じ条件のもとで,リース代金また鉱山採掘権

購入のための資本支出に同様の資本控除を認めるよう勧告する。ただし, そのさい,リースで提供される物的資本設備また鉱山の所有者の側で, そのような期限付き使用権を売却して得た収入もまた所有者の課税所得 に含められるべきであるとされる。多数派はそれに反対するが,カルド

アはこの点でほ多数派の見解に同意しない(8)。もしこのような資本収入

が課税されず,しかも資本支出に関しては控除が認められるとすると,

(11)

課税所得の無税の資本収入への転換がはるかに容易になり,租税回避が 広範に起こるだろうからである。

3.在庫評価

ある期の営業収益(利潤)を確定するための原理は,当期の収入すな わち販売高(売上高)から,その期に販売された財に正当に帰属される 費用を差し引くことである。もし,アンティークの家具のように,売れ た財の各々に関して費用が個別に識別できるならば,これらの費用が収 入から差し引かれる費用である。このとき,在庫評価(stockvaluation) の必要はない。大多数の場合は,収入に寄与した財の費用が個別に識別 できるということはない。そのときにほ,当期の実際の費用に対し,当

期に販売されなかった財に関して当期に負われた費用を差し引き,当期 に販売されたが費用は当期以前に負われた財の費用をつけ加えることに よって,当期に販売された財についての費用(当期費用)を確定するこ とができる。

よって,前期末在庫の価値を期首在庫の価値と定義し,簡単化のため に仕入以外の費用を無視すると,当期収益(利潤)は,

当期収益=当期売上高

‑(期首在庫の価値+当期仕入高一期末在庫の価値)

=(当期売上高一当期仕入高)

+(期末在庫の価値一期首在庫の価値)

として計算される。そうすると,当期収益の確定にあたっての問題は, 期末在庫の価値をいかに評価するかということになる。

これについて,多数派ほ,次の三つの評価方法①F.Ⅰ.F.0.(先入先出 法),②市場価値,③L.Ⅰ.F.0.(後入先出法)の一変種であるベース・ス

トック原理のうち,もっとも低い評価を与える方法の採用を事業者に認

めることを勧告する。もちろん,その場合,ある期の期末在庫の価値は,

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それがどのような方法で評価されたとしても,次期の期首在庫の価値に 等しくなければならない。

カルドアは,この多数派の勧告を批判し,F.Ⅰ.F.0.の一般的な使用を提 唱する。在庫が保有される必要と,ある期の実際の費用がその期に販売

された財に帰されるべき費用と同一視されないことの根本的理由は,カ ルドアによると,事業活動には時間を要するということである。このこ とから,ある時点での在庫ほ最近の事業活動の成果をあらわすものとみ なすべきであるとされる。L.Ⅰ.F.0.による在庫評価でほ,ある時点での在 庫を構成する財は,企業のもっとも最近の仕入の成果をあらわすもので

はなく,それ以前に仕入れたものから成り立っているとみなされる。

多数派は,F.Ⅰ.F.0.に固有の仮定,つまり事業者はいつも,彼の手のな かに長くあった財から販売するという仮定は悪意的であり,事業のタイ プによってはそれとは別の仮定による評価方法が選ばれてもよいとし, F.Ⅰ.F.0.以外の評価方法として,市場価値による評価に加えて,実質的に

はL.Ⅰ.F.0.に等しいべ‑ス・ストック原理の採用の自由を認めるよう勧 告する。カルドアは,これに対して次のように論じていく。

まず市場価値による評価についてであるが,課税当局ほ当時すでに, 市場価値(=販売価格)が実際のコスト(=仕入価格)以下であるよう

な場合にほ,市場価値にもとづいて在庫評価をすることを認めていた。

カルドアの指摘のように,これほ所得課税の一般原則である実現主義に 反し,発生キャピタル・ロスを課税所得に含めることである。

しかしながら,市場価値が再び上昇すると,より大きな収益が市場価 値上昇期に帰属することになるので,市場価値での在庫評価は短期間の 課税の延期をもたらすだけであるともいえるとして,カルドアは,課税

当局が認めてきた慣行の変更を強いてほ求めないという立場をとる。

ここで,市場価値での在庫評価の意味を簡単な例で確認しておこう。

ボールペソを仕入れて販売する事業を考える。そして,ある期において,

(13)

仕入 売上 4/1

4/30

100×10

90×5

期首在庫価値:0

①期末在庫価値:100×5=500 収益:90×5‑1,000+500=‑50

②期末在庫価値

(市場価値で評価):90×5=450 収益:90×5‑1,000+450=‑100

仕入 売上

5/1 5/10 5/30

前期末在庫 100×5

120×5

②でほ 90×5

100×5

①期首在庫価値:100×5=500 期末在庫価値:100×5=500 収益:600‑500+500‑500=100

②期首在庫価値:90×5=450 期末在庫価値:100×5=500 収益:600‑500+500‑450=150

表1のように,ボールペソの販売価格(市場価値)が仕入価格を下回っ たとする。本来の期末在庫の価値は500となり,その期の収益は‑50と なる。しかし,期末在庫が市場価値で評価されると,それは450と見積 もられ,その期の収益は‑100と計算される。この場合,損失は本来の損 失50よりも大きくなり,カルドアがいうように,それには末実現のキャ

ピタル・ロスが含まれていると考えてよい。

つぎに,次期においてボールペソの販売価格が上昇し,仕入価格を上 回ったとする。ただし,仕入価格ほかわらないものとする。事業活動が

表2のようであったとすると,この期における本来の収益は100となる。

しかし,今期の期末在庫は市場価値で評価されることほないとしても,

(14)

前期の期末在庫が市場価値で評価されると,前期末在庫の価値が50だけ 小さく見積もられるので,今期の期首在庫の価値も50だけ小さくなり, 従って今期の収益は本来の100よりも50だけ大きく150となる。

すなわち,表1と表2の例でいうと,4/1の仕入10本についてほ,4 月末でキャピタル・ロスが100発生し,そのうち50だけが実現し,5月 末で残る5本についてキャピタル・ゲイン100が実現したとみるのが, 期末在庫の価値を実際の仕入価格で評価した場合である。しかし,期末 在庫の価値を市場価値で評価して4月末でのキャピタル・ロス100の発 生をその期の損失とすると,5月でほ残る5本については,90から120

に市場価値が上昇したので,150のキャピタル・ゲインが実現し,それが 5月の収益とみなされる。このとき,キャピタル・ゲインは50だけ大き くなっており,それは4月末での末実現キャピタル・ロス50と対応して いる。こうして,市場価値での在庫評価は,キャピタル・ロスの先取り を意味し,課税の延期を可能にするといわれるのである。

カルドアは,L.Ⅰ.F.0.の一変種であるベース・ストック原理での在庫評 価を認めることにほ断固とした拒否の態度を貫く。ベース・ストック原 理とは,仕入価格の変動とは関係なく,在庫を一定の固定価格で評価す るというものである。このような在庫評価採用の提案ほ,つまるところ,

仕入価格が上昇する状況の下で,期末在庫の実際の価値(F.Ⅰ.F.0.で評価 した在庫価値)と固定価格で評価した価値との差額を,非課税の特別の

在庫準備(a specialstock provision)として事業者に認めるというこ とである。

仕入価格上昇の時,固定価格による評価は期末在庫の価値を小さく見 積もり,この過小評価によって相殺された収益は,課税されることはな

い。かくして,在庫準備の生じた在庫が保有される限り,いわゆる在庫 価値増加(stockappreciation)に対応する利潤の要素が,課税から除外

される。同じことが,L.Ⅰ.F.0.採用の場合にもいえるので,ベース・ストッ

(15)

ク原理は,L.Ⅰ.F.0.の一変種とみなされるのである。したがって,以下の 説明では,多数派の提案を,期末在庫を仕入価格が上昇するときにはL.

Ⅰ.F.0.で評価し,仕入価格の下落期にはF.Ⅰ.F.0.で評価するものと解釈す ることにする(9)。その方が,論点がより明確になると思われるからであ る。

例として,以前と同じくボールペソを販売する事業を考えてみよう。

4/1に仕入価格100で10本,4/20に仕入価格120で20本を仕入れ,4/

30にある販売価格で16本を販売したとしよう。前期末在庫はないもの とし,販売価格はいまのところ例示しなくともよい。このとき,期末在 庫の価値はF.Ⅰ.F.0.では1,680,L.Ⅰ.F.0.で1,480となり,その結果,L.Ⅰ.

F.0.で評価した場合にほ,F.Ⅰ.F.0.の場合よりも200小さくなる。期末在 庫のこの過小評価分200こそ,在庫準備と呼ばれるものである。すなわ ち,期末在庫を構成する14本のボールペソのうち,L.Ⅰ.F.0.でほ10本に ついては100で評価するが,本来はF.Ⅰ.F.0.のように120で評価すべき であり,そうすると期末在庫の価値は200増加する。このいわゆる在庫 価値増加が,L.Ⅰ.F.0.では期末在庫の価値と収益に反映されず,在庫準備 として非課税になるのである。ちなみに,ベース・ストック原理により 固定価格100で期末在庫の価値を評価すると,在庫準備は280となる。

在庫価値増加の課税上の取り扱いを検討するために,カルドアほ,仕 入価格の上昇を,この財だけにみられる価格上昇か,あるいは一般的物 価上昇によるものかに区別する。前者の場合,事業者が利益マージンを 30とし,それを取得コスト(仕入価格)でほなく再取得コストをもとに 販売価格を設定したとすると,ある期に取得コストが上昇するとき,収 益は確実に増大する。表3は,仕入価格が100から120に上昇し,期末

に150で16本のボールペソが販売された場合を示している。取得コスト の上昇がない表4の場合とくらべて,収益ほ,100で仕入れた10本の

ボールペンが30ではなく50の利益マージンで販売されたことにより,

(16)

仕入 売上 ①収入:2,400 ②収入:2,200

4/1 100×10 ①再取得コスト ②取得コスト

4/20 120×20 での販売価格設定 での販売価格設定

4/30 150×16 130×10+150×6=137.5×16

期首在庫:0

期末在庫(F.Ⅰ.F.0.):120×14=1,680

①収益:2,400‑3,400+1,680=680(=50×10+30×6)

②収益:2,200‑3,400+1,680=480

期末在庫(L.Ⅰ.F.0.):100×10+120×4=1,480

①収益:2,400‑3,400+1,480=480(=30×16)

②収益:2,200‑3,400+1,480=280 表4

仕入 売上

4/1

③取得価格上昇なし

130×16 100×10

4/20 4/30

100×20

期首在庫:0

期末在庫:100×14=1,400 収益:2,080‑3,000+1,400=480

(=30×16)

200増加する。この200は,販売の一部に関する異常に高い利益マージン をあらわすものであることは明らかである。カルドアは,これは事業者 の担税力の純粋な増加であって,それに課税してはならないという理由 はないと論じ,この200を収益に含めないL.Ⅰ.F.0.の採用を容認しな

い(10)。

また,事業者が取得コストで販売価格を設定した場合には,表3のよ

うに販売価格ほ137.5となり,F.Ⅰ.F.0.のもとでは収益は仕入価格の上

昇によって増えることはない。利益マージンは,販売されたボールペソ

ー本あたり平均30となるからである。あるいほ,表4とくらべて,期末

在庫の価値は280増加するが,それは売上増120を差し引いた仕入増

(17)

仕入 売上 4/1 前期末在庫100×5

156×9

4/20 4/30

120×10

期首在庫:500

期末在庫(F.Ⅰ.F.0.):120×6=720

収 益:1,404‑1,200+720‑500=424(=(20+36)×5+36×4) 在庫価値増加:100

期末在庫(L.Ⅰ.F.0.):120×1+100×5=620 収 益:1,404‑1,200+620‑500=324(=36×9)

280によって完全に相殺されてしまうので,収益が仕入価格上昇によっ て増加することはないといってもよい。このとき,L.Ⅰ.F.0.を採用すれ ば,収益は200だけ低められるが,カルドアがいうように,ここでも課 税目的のために計算される収益がこのように低められるべき理由はな い。かくして,カルドアの結論は,販売価格が取得コストと再取得コス

トのどちらで決められようと,取得コストが上昇したということを考慮 して期末在庫の評価にL.Ⅰ.F.0.を採用することは,事業者の課税利益を 真の利益以下に押し下げるということである。

つぎに,一般物価水準の上昇に伴って仕入価格が上昇する場合の例と して,表5をみてみよう。表5では仕入価格が100から120に上昇する とともに,利益マージンも30から36に増加すると想定されている。そ れほ,この仕入価格の上昇が一般的物価水準の上昇によるとしたので, 実質価値が物価上昇前の30に等しい利益マージンは36となるからであ

る。前期に100で仕入れたボールペソ5本は,いまや156で販売され, 利益マージンは56であるが,そのうち20は仕入価格上昇を反映したも

のである。よって,このとき在庫価値増加は100となり,それはF.Ⅰ.F.0.

で期末在庫の価値を評価したときの収益に含まれている。しかし,期末

(18)

在庫の価値をL.Ⅰ.F.0.で評価すると,販売されたボールペソは120で仕 入れられたものとみなされ,収益ほ324となり,FエF.0.の場合よりも 100だけ小さくなる。この例では,LエF.0.の場合,販売されたボールペ

ン10本の費用はすべて再取得コスト120で評価され,インフレによる在 庫価値増加100は収益にまったく含まれていない。

ただし,インフレによる在庫価値増加のすべてがL.Ⅰ.F.0.では収益に 含まれず,課税を免れるとほいえない。4/20の仕入を10本ではなく7本 にすると,期末在庫の価値ほF.Ⅰ.F.0.で360,L.Ⅰ.F.0.で300となり,そ の差は(そして収益の差も)60となる。このときには,L.Ⅰ.F.0.において

も9本のうち2本は再取得コストでほなく取得コストで評価される。

よって,インフレによる在庫価値増加100のうち40は収益に含まれてし まう。すなわち,L.Ⅰ.F.0.でも販売された財の費用がすべて再取得コスト で評価されないこともあり,そのときには収益はイソフレによる在庫価 値増加の一部を含むことになる。とはいえ,こうしたことは,今期の期

末の在庫量が前期末の在庫量より減少する場合においてのみ起こり,も し今期末の在庫量が前期末の在庫量よりも同じかそれ以上であれば,決 して生じない。

カルドアは,収益のうちインフレによる在庫価値増加の要素を課税か ら免除すべきであるという議論ほ,再取得コストによる固定資産の減価

償却を支持する議論と同一であるとし(11),多数派が後者の提案を拒否し たことを評価しつつ,前者も同様に拒否されるべきであると論じる。そ

こには,すべての人の課税所得がインフレによって等しく増加するわけ ではなく,インフレで増加したある特定の課税所得に対してのみインフ レ調整を行うのは不公平であるというカルドアの強い信念があると思わ れる。

なお,多数派も,このインフレによる在庫価値増加に対応する利潤要

素が課税から永久に逃れることを認めているわけではない。多数派の提

(19)

仕入 売上 5/1

5/20 5/30

前期末在庫

130×6

(F)120×6=720 (L)120×1+100×5

=620 100×9

F.Ⅰ.F.0.

期首在庫:720 期末在庫:100×9=900 収益:780‑900+900‑720

=60(10×6) 前期424と今期60

L.Ⅰ.F.0.

期首在庫:620

期末在庫:100×3+620=920 収益:780‑900+920‑620

=180(=30×6) 前期324と今期180

案に従うと,このような利潤は,いわば暫定勘定におかれ,物価が下落 するか,持ち越される在庫量が減少したりすると,そこから再び引き出

され,課税の対象となるからである。表6では,物価が下落し,ボール ペンの仕入価格も元の水準100に戻り,販売価格も130となる場合が示 されている。一貫してF.Ⅰ.F.0.で在庫評価がなされるとき,収益は,前期 の424と今期の60となる。

他方,L.Ⅰ.F.0.が採用されるときには,収益は180に増大する。すなわ ち,収益は前期324と今期180となり,F.Ⅰ.F.0.の場合の収益とくらべる と,前期は100小さかったが,今期は120も大きくなる。このとき,前 期に100あった暫定勘定は今期‑20と負になってしまう。L.Ⅰ.F.0.ほ,物 価下落期に収益をかなり過大に見積もるのである。

しかし,多数派の提案は,L.Ⅰ.F.0.の一貫した採用ではなく(12),物価下 落期でほF・Ⅰ・F.0.を用いることを許すものである。そうすると,表6の例

で物価下落期の収益は160となり,F.Ⅰ.F.0.を一貫して用いた場合の収

益よりも100だけしか大きくならない。よって,このときにほ,暫定勘

(20)

定から100が引き出されるだけで,暫定勘定は決して負になることほな い。もちろん,このことは,前期も今期も固定価格で期末在庫の価値を 評価するベース・ストック原理そのものを採用する場合でもあてはまる。

固定価格100で期末在庫を評価すると,収益は前期304,今期180とな り,前期に暫定勘定にあった在庫準備120が今期すべて引き出されるだ けだからである。

このような理由から,カルドアは,多数派の提案を,国庫の利益とな ることはないばかりか,物価の長期的傾向は上昇にあるとすると,国庫 の恒久的な損失と損失の増大の両方を意味するものと批判するのであ る。カルドアによるF.Ⅰ.F.0.の一般的使用の提唱は,以上のような議論を 踏まえてなされたものであった。

4.国際的二重課税調整と海外利潤の課税からの除外

国際的二重課税の問題ほ,各国が課税にあたり源泉地主義と居住地主 義を併用することによって生じる。カルドアはこの併用を主権国家とし て当然のこととし,そこから生じる二重課税が不公平をもたらしている という見解をとらず,国内課税において外国税を控除される経費として 扱うということで十分であると考える。

外国税を経費としてではなく,国内で支払われるべき税からの税額控 除の対象とする二重課税調整(doubletaxationrelef:外国税額控除)

のねらいほ,国際的な投資の促進にある。国際的投資の必要性と,二重 課税調整が各国間の合意として確立されてきたという現状を考慮して,

カルドアは二重課税調整の廃止を提唱しないが,二重課税調整の変則的

な点は是正すべきことを勧告する。対外的な投資に対する課税上の阻害

要田の除去,つまり国内投資と対外投資の間の中立性の確保ということ

を超えて,国内投資に比して対外投資を特権的に取り扱うような二重課

税調整のあり方が問題とされる。すなわち,カルドアは,源泉地国では

(21)

個人の租税債務に対して相殺を認められない法人税のような外国税を居 住地国において外国税額控除の対象とする取り決めを変則的とみなすの である。

二重課税調整のこのような取り決めが,なにゆえ変則的とみなされる のか,例を挙げて説明しよう。イギリス居住の株主が自国の株式を購入 するものとし,受け取る配当に対する付加税を含めた個人課税の税率を 50%とする。また,イギリスの利潤税を20%,所得税の標準税率を33%

とし,利潤税引き配当80,会社税として前取りされる所得税を差し引い た受取配当を47とする。そうすると,株主が支払う個人税ほ7(=40‑

33)となり,個人課税後の配当は40となる。

この株主が外国の企業に投資し,外国の株式を取得するものとしよう。

外国の法人税率20%,所得税源泉徴収税率10%とする。さらに,イギリ スと外国との株価は,法人税引き(利潤税引き)配当に対する株価収益

率が等しくなるように定まっているとし,外国株式からの法人税引き配 当は80で,所得税源泉徴収額10を差し引いて,受取配当が70であると

しよう。ここで,外国の所得税源泉徴収額を外国税額控除として認める と,居住国イギリスでの個人税額は,30(=40‑10)となり,個人課税 後配当は40となって,国内企業に投資した場合と等しくなる。このとき, 二重課税調整によって対外投資への課税上の障害が取り除かれ,国内投 資と対外投資の間での中立性が確保されたといってよい。しかしながら, さらに外国税額控除として外国法人税も認めると,外国税額控除額は 30,個人税額10となり,個人税引き配当ほ60となる。すなわち,イギ

リス居住の外国企業の株主ほ,国庫の犠牲により,外国の法人税からまっ たく解放されることにより,対外投資が投資家にとって有利となる。こ

うして,外国の法人税まで外国税額控除の対象として個人に認めること

は,カルドアのいうように,イギリスでの納税者間での不公平をもたら

すだけではなく,外国企業への投資に対する不健全な誘因を与える。こ

(22)

のような取り決めが各国間での互恵主義的合意によるものであれば,投 資の歪みほ弱められるものの,互恵主義は各国において生じる納税者間 の不公平を決して緩和するものではないのである。

以上のことから,源泉地国において利潤に間接的な税が課せられると き,それをイギリスにおいては外国税額控除の対象とするという多数派 の勧告が批判され,源泉地国でそのような税の個人税からの税額控除が 認められていない場合にほ,当該外国税をイギリスの所得税から税額控 除すべきではないというカルドアの勧告が導き出される。また,源泉地

国で課された地方税についても,外国税額控除の対象とすべきでないこ とが勧告される。

さらに,カルドアは,会社課税と個人課税の完全な分離がなされれば, 外国税額控除に関して,より簡単で合理的なルールを採用することが可 能になると論じる。イギリスの会社課税は個人課税と完全には分離され ておらず,当時は会社利潤には利潤税の他に,標準税率で所得税が課さ れていた。この場合には,カルドアの指摘のように,二重課税調整を受 ける会社の抹主が年金基金のような免税株主であるときにほ,そのよう な株主は会社に対する二重課税調整から利益を受けることができないと いう変則的な事態が生じる。このことも,例を用いて説明してみよう。

会社の配当には,会社段階で利潤税20%と所得税33%の会社税が課さ れるものとする。また,この会社は,外国子会社から配当を受け取ると する。そして,外国子会社の配当には,源泉地主義により,外国の法人 税率20%,所得税源泉徴収税率10%が課されていたとする。外国子会社

が得た利潤100から会社が受け取る配当ほ70(=100‑(20+10))とな

る。これを限界税率50%の株主に配当する場合を考えよう。外国税がな

ければ,会社は100の利益を受け取って,利潤税20,所得税の前取りと

して33の計53の会社税を支払うが,会社が支払う税に外国税額控除が

認められたとすると,会社税の支払いほ23(=53‑30)となるので,株

(23)

主の受け取る配当は47となる。株主の個人税額ほ7(=40‑33)となり,

課税後配当は40となる。このとき,株主は外国税を完全に免れている。

もし株主が免税株主であり,会社段階での所得税の前取りなしに配当 を受けるとすると,この配当に対し会社が支払う税は外国税額控除の結 果ゼロとなるにすぎないので(13),受取配当は70となり,それには個人段 階で税の支払いを要求されない。しかし,このとき,この株主ほ外国税 を免れていない。外国税を免れるためには,国庫は免税株主に10の租税 還付をしなければならない。そのような還付がなければ,会社に外国税 額控除を認めたとしても,免税株主は外国税負担から解放されないので

ある。

こうした変則的事態は,カルドアによると,会社課税と個人課税との リンクを取り除くならば,おのずと解消する。ここで,前例において, 会社利潤税率を40%とし,会社には所得税の前取りとしての課税はされ

ないとしよう。外国税がなけれは,この会社は100の利潤(外国子会社 からの配当)から,利潤税40を支払うが,外国税30が課されていると, 外国税額控除によりそれは10となる。株主が受け取る配当は60となり, 外国税額控除がないときの42(=(100‑30)×(1‑0.4):外国税は経費

として控除されるとして)と比べ,18だけ増加する。そして各株主の段 階で受け取る配当に所得税が課される。この場合,免税株主も,会社に 対する二重課税調整から他の株主と同額だけ利益を受けることは明らか である。

こうして,カルドアは,個人課税から独立した会社課税とともに,二 重課税調整の原則として,個人に与えられる外国税額控除は外国で個人 に課される税に限定され,会社に対する外国税額控除は外国で会社に課 される税に限られるべきであることを勧告するのである。

また,多数派は,特定の海外交易法人(0VerSeaStradecorporations)

に限って,海外利潤の課税からの除外を勧告する。カルドアほ,課税か

(24)

らの除外が認められる海外交易法人の概念が限定的で明確であるなら ば,このような課税上の譲歩にあえて反対はしないけれども,海外交易 法人が輸出産業を含む場合,その概念の曖昧さほ深刻な結果をもたらす

と,多数派の勧告に強い懸念を表明する。この点に関しては,イギリス で外国販売を請け負う販売子会社は非課税の特典を持つ海外交易法人の 範疇から排除されねばならないというのが,カルドアの提案である。と いうのは,輸出企業が移転価格といわれるもので販売子会社に利潤を集 中させると,輸出部門だけではなく,製造部門に帰されるべき利潤もまっ たく課税を逃れてしまうことになるからである。

多数派の勧告がそのまま採用されるとイギリスは優遇税制によって輸 出を補助し促進しているという国際的な非難にさらされるであろうとい

う判断から,カルドアは,海外交易法人の概念をより限定的で明確に定 められたものにすべきことと,海外利潤の課税上の取り扱いについて国 際的な協定の採用にイギリスは努力すべきであることを主張する。

Ⅳ.所得課税に関する他の論点

1.経費手当と現物給付

1948年に特別の法が導入される以前では,被用老が自身の給与から支 出したときには必要経費として控除を認められなかったであろうような 経費でも,雇用者がそれに対して手当(expenseallowances)を支払う

と,その手当は被用老の課税所得とはならなかった。そのことは,手当

のつく経費はいかなるものでも,いわば自動的に被用老の側で控除の対 象となることを意味するものであった。

このように,被用老によって負われた経費がどのような収入で賄われ

たかに経費の控除可能性が依存するならば,被用老への報酬を経費手当

の形で偽装することによって租税回避が可能となる。1948法ほこうした

(25)

事態の発生を防ぐために,受け取られたすべての手当を被用老の課税所 得につけ加え,控除はこれらの経費がスケジュールEの経費ルールを満 たしている限り,被用老によって実際に負われた額だけ控除を認めると 規定した。

ただし,この法の規定ほ,会社の重役と年2,000ポンド以上の報酬を

受ける被用老にのみ適用されるものであった。経費手当による租税回避 が予想されるのは,この二つのグループであるということから,カルド

アは,税務行政上の負担軽減のために規定の適用範囲をこのように制限 することにあえて異を唱えない。

ところで,多数派はその適用範囲をさらに一層制限し,報酬が年2,000 ポンド以下で自社株をわずかな比率でしか持っていないような重役,た

とえば非常勤の重役は,1948年法の規定から除外されるべきであると勧 告する。多数派の,1948年法の規定は差別的で非常勤重役にとってきわ めて不公平であるという意見にカルドアほ同意しない。かりに,重役で ないので経費手当に1948年法の規定が適用されない報酬2,000ポンド 以下の人々が多数いるとして,重役であれは報酬が年2,000ポンド以下 であっても1948年法の規定を受けるのが不公平であるというのであれ ば,改善策は1948年法の規定の適用範囲を拡大することであって,それ を一層制限することではないというのがカルドアの主張である。また, カルドアは,非常勤の重役こそ報酬の一部を非課税の経費手当で受け取 るであろうような人々であるとし,彼らを1948年法の規定の適用から除 外するのは不当であるとする。

多数派はさらに,職務遂行に伴う支出のうち,どれだけが職務以外の

自己の個人的利益のために支出されたか,あるいはそれによって個人的

な利益のための支出がどれだけ節約されたかを決定するための満足のい

く手段はないということから,控除を職務遂行のために被用老によって

実際に負われた額に制限しようとする課税当局の試みは放棄されるべき

(26)

であると主張する。カルドアは,この多数派の主張も受け入れない。そ

もそもスケジュールEの経費ルールは,全面的にかつもっぱら職務遂行 のために負われたとはいえない支出を控除可能な経費として認めていな い。とほいえ,課税当局は,税務執行上の一つの譲歩として,一部は職

務遂行のための支出を,控除可能な部分と不可能な部分とに分割するこ とを認めてきた。このような譲歩の論理的帰結は,経費手当についても, 控除可能な経費の大きさは人が職務遂行において実際に負った額である べきであるということになる。明らかに個人的な利益のための支出の節

約が無視できる場合もあるが,すべてがそうでほない。これが,多数派 の考えに対するカルドアの見解である。

こうして,カルドアは,1948年法の規定の適用範囲を一層狭めまた経 費手当の全額控除を主張する多数派を批判し,1948法の厳格な執行を勧 告するのである。また,現物給付(benefitsinkind)について,カルド

アは,非課税の現物給付は税制の悪用を招くという多数派の見解に同意 しつつ,現物給付の提供が租税回避の手段として広範に利用されるなら ば,それへの対抗策として,雇用者の側での利潤課税にあたり,そのよ

うなおそれのある現物給付に伴う支出の控除を認めないということを考 えるべきであると提案する。

2.退職年金租税優遇措置

1955年当時のイギリスの税制でほ,退職年金の掛け金(superannua‑

tioncontribution)ほ非課税とされ,所得から控除されていた。こうした 退職年金租税優遇措置(superannuationtaxrelief)の主たる根拠は,

多数派によると,労働から所得を待ている人にとって退職のための準備

は所得の負担と考えられたことにある。ここから,多数派ほ,公平のた

めには,このような優遇措置を所得が一部でも労働から引き出されるす

べての人に利用可能とされるべきであると勧告する。

(27)

退職年金租税優遇措置の根拠についてカルドアは多数派の意見に同意 するが,多数派のように広い範囲の人々にそれを拡大することで公平が 達成されるとは考えない。とくに,自営業者と会社を支配している重役

にまでそれを拡大することにほ反対する。カルドアほ,退職年齢と資産 保有に注目する。まず第一に,一般の被用老とは異なり,自営業者や支

配的重役には事実上退職年齢というものがない。また第二に,彼らは,

大多数の場合,事業用資産あるいは自社株といった資本資産を保有して おり,それを実現することで,老齢期の生活を支える資金を手に入れる ことができる。

第二の点について,カルドアは,さらに,資本資産の保有者に退職年 金租税優遇措置が利用可能とされると,退職年金掛け金という形での貯 蓄は彼らの所得からなされる純粋の貯蓄を必ずしも意味しなくなると論 じる。資産保有者は,財産を取り崩すことによって,または財産を担保 に借り入れをすることによって,退職年金掛け金を支払うことができる からである。その場合,年金権を含めると彼らの財産価値はかわらない が,退職年金掛け金ほ控除の対象となるので,租税回避が可能となる。

こうした事態が生じる危険性があるので,カルドアは,資本資産の保有 者に対しては退職年金掛け金の形での貯蓄の非課税を認めるべきではな いとするのである。

このように,退職年齢が事実上ないということと資本資産保有という 点で,退職年金租税優遇措置の自営業者と支配的重役への拡大が批判さ れるのであるが,自営業者のうち専門的職業から所得を得る人は,強制

的な退職年齢はないとしても,資本資産を十分保有しているわけでほな いので,これらの人々に退職年金租税優遇措置を拡大することほ容認さ れる。

ともあれ,カルドアは財産を保有せず労働から所得を得る人々にのみ

退職年金掛け金という形での貯蓄に対する非課税を認めるのである。し

(28)

かし,特定の形態の貯蓄に限るにせよ,貯蓄非課税は明らかに所得課税

の原理に反している。この退職年金租税優遇措置ほ支出税の考えそのも のである。支出税のもとでは,いかなる人のいかなる形態の貯蓄であっ

ても,非課税となる。ただし,他方で,貯蓄によって形成された資産の 取り崩しにほ課税が及ぶ。したがって,負の貯蓄は課税されない所得税 制に,貯蓄非課税という要素を大幅に取り入れることには慎重でなけれ

ばならない。財産保有者に退職年金租税優遇措置を認めないのは,カル ドアにこうした判断があったからだと思われる(14)。

また,掛け金控除の認められる退職年金計画が,年金給付のかわりに 一括退職給付金を退職時に支払う場合,最高一万ポンドという条件のも とで,退職年金総給付額の1/4は非課税とすることができることに対し て,多数派は,このような非課税は変則的であることを認めながら,そ れをただちに全面的に覆すことは実際上できないとする。多数派が勧告 する妥協策ほ,年金計画の将来の加入者に対して,はるかに少ない限度

額2,000ポンドを適用することであった。

これに対して,カルドアは,退職年金計画ほ将来の加入者に対しては 年金給付だけを行うということを掛け金控除認可の条件とすべきである

と主張する。一括退職給付金の一部非課税は,累進課税のもとでの平均 化措置であるとも考えられる。しかし,平均化のためとすると,一括給 付金の大きさによって,非課税額は異なってくる。非課税を寛大に認め

れば,それは平均化措置を超えるかなりの譲歩となるし,厳しく制限す

れば平均化措置としての意味がなくなる。こう考えると,カルドアの提

案は領けるものであろう。解雇補償金,退職慰労金についても,2,000ポ

ンドに至るまで支給額の1/4は非課税にすることを多数派ほ勧告する

が,これに対し,カルドアは5年にわたる平均課税で全額課税されるべ

きであると主張する。

(29)

3.契約による所得の移転と慈善団体

イギリスの税制は,契約(covenants)に裏付けられた,ある期間にわ たる所得の移転を,支払い者の所得に対する負担と認め,課税所得から

の控除を許すという点で,はとんど独特のものといわれた。それは所得 税が比例課税である限り,何の問題も引き起こすことほなかったが,1909 年の付加税導入後,契約による所得移転の制度が付加税回避の手段とし

て用いられているという疑念が生じた。それは,この制度を利用してあ る人に所得を移転し,その人に自分のための支出を行わせることで,付 加税を回避できるからである。1922年以降いくつかの制限が導入され, 契約による所得の移転が課税目的にとって負担とみなされる条件が厳し

くされ,この制度そのものが原理上の問題として疑問視されるようにも なった(15)。

このように租税回避の手段として利用される可能性が明白な,契約に ょる所得移転制度を正当化しうる理由は何であろうか。これに閲し,カ ルドアは,当時のイギリスには財産の生前贈与に何等の課税もなかった

ことから,所得移転を負担と認めないことは,財産からではなく労働か ら所得を得ている人を相対的に不利に取り扱うと論じることもできると いう。財産を持っている人は,このような制度がなくとも課税上何等の 障害もなく財産を贈与できるが,労働から所得を得る人の場合には,贈 与する所得は贈与者の課税所得に含められ,課税の対象となる。

もちろん,この議論は労働から所得を得る人に契約による所得移転を 認めることを正当化するものであって,財産から所得を得る人にそれを 認めることを正当化するものではない。カルドアもいうように,たとえ

財産を取り崩して贈与しても何らの税もかからないばかりか,彼らに契 約による所得移転を認めると,彼らは,それを所得からなされたものと

することで,税の還付を請求できることになるからである。

こうした検討を踏まえ,カルドアが提起するのは,財産の移転に閲す

(30)

る課税のあり方を見直す必要性である。そして,もし遺産税(Death Duties)が贈与税で補完されるならば,契約による所得移転の制度を正当 化する理由はなくなることを指摘する。なお,それまでの間の暫定措置

として,契約による所得移転の条件を一層厳しくし,慈善団体のための 契約の場合に規定されているように,契約者が行う移転のうち付加税の 課税に対して負担と認められる額を受取人一人当たり一定額に制限する

ことが勧告される。

また,慈善団体については,カルドアは,より限定的でより正確な定 義を税法に導入し,慈善団体の免税を,所得税標準税率のすべてにわた

るのでほなく,たとえばある税率に至るまでは全額免除するが,それを 超える税率については半額免除となるようにすべきであると勧告する。

4.スケジュールAのもとでの居住用家屋からの所得に対する課税

『少数派意見』では,自家用家屋の所有者(家屋の所有一占有者)に ついて,帰属家賃を課税所得のなかに含めて課税することは当然のこと

とされている。借家人(家屋の占有者)の場合,支払う家賃は所得から 控除されない。すなわち,それほ所得の使用であり,所得から賄われた ものである。家屋の所有一占有者の場合も,借家人と同じように家屋が 提供する居住サービスを消費している。この場合でも,その消費を賄っ た所得があるはずである。それは,彼が彼自身に対して支払った家賃で あるとみることができる。そのような家賃,つまり帰属家賃を所得に含

め課税の対象にしないと,居住サービスの消費を賄った所得ほ課税され ないことになり,借家人との間で重大な不公平が生じることになる。こ

のような不公平を防ぐためにほ,所得の包括的定義のように,帰属家賃 を課税所得に含めねばならない。

イギリスでは,スケジュールAのもとで帰属家賃に課税がなされてき

た(16)。そこで問題となるのは,帰属家賃の評価をどうするかである。多

(31)

数派ほ,家屋の所有者に対するスケジュールAの課税は,今ある家屋の 1939年6月当時の賃貸価額(賃料)か,あるいは課税時点での賃貸価額 のうち,いずれか低い方で決められるレイト評価にもとづいて行われる

べきであることを勧告する(17)。それは,すべての自家用家屋の所有者に 対して事実上戦前の賃貸価額で帰属家賃を評価するという提案である。

この提案に対し,カルドアは,家屋の所有に帰される所得を戦前の価 値で捉えることは,他の源泉からの所得が経常的な価値であらわされて いるとき,前者に有利な課税上の差別化であると批判する。そして,こ うした観点から,レイトのために採用される評価額とはまったく関係な く,家屋の実際の賃貸価額(賃料),自家用家屋であれば貸した場合に予 想される賃貸価額にもとづく,スケジュールAの課税が勧告される。賃 料に対する政府による統制のために,カルドア自身,この提案は理想的

なものではないとするが(18),少なくともスケジュールAでの課税がより 公平なものになる見通しを与えるものと考える。こうして,カルドアは, 帰属家賃については,包括的所得税の考えに沿った課税を提唱するので

ある。

Ⅴ.おわりに

『少数派意見』の前半部分は,主としてキャピタル・ゲイン課税の問 題にあてられている。そこでは,所得課税のためには所得概念をまずは 包括的に捉えねばならないこと,当時のキャピタル・ゲイン非課税ほイ

ギリス所得税制の重大な欠陥であることが明らかにされ,キャピタル・

ゲイン課税が主張される。しかし,カルドアが『少数派意見』のなかで

勧告するのは,キャピタル・ゲインに対するフラット税率での分離課税

であり,他の所得と合算した総合課税ではなかった。このような課税を

導いたのは,キャピタル・ゲインの担税力としての特性を考慮したため

(32)

であった。すなわち,『少数派意見』でほ,支出税の採用ではなく,あく までも所得税の枠内での改革が課題であったのであるが,カルドアは, 所得税の原理の重要さを認識しつつ,ある程度ほ所得課税それ自体への 批判を踏まえて,キャピタル・ゲイン課税のあり方を勧告したといって

よい。

今回検討した『少数派意見』の後半部分でも,同じことがいえる。利 潤課税また帰属家賃への課税については,主として所得課税の原理に

立って多数派の勧告が批判される。もちろん,具体的な税制改革という

実際問題への勧告という性格上,税務執行面も考慮して現実的な提案が されるのであるが,それでも租税回避とそれによる不公平の防止には最 大限の注意が払われる。

その一方で,勤労所得控除や退職年金租税優遇措置のところでは,勤 労所得と不労所得の担税力の違い,所得種類別差別課税の必要性もまた 強調される。これは,所得課税の原理,少なくとも包括的所得税の考え とは異なる考えであり,支出税の原理に近いということができる。この 点で,カルドアは,所得課税の原理に忠実ではない。カルドアの『少数 派意見』には,所得税制といえども公平のためには部分的に支出税的な 要素を取り入れねばならないという判断があったと思われる。このこと は,『支出税』でほ所得課税の原理そのものが根底から批判されているこ とからみて,当然のことかもしれない。とはいえ,『少数派意見』と『支 出税』で共通にみられるカルドアの基本的な関心ほ,担税力に応じた公 平な課税のあり方を探るというものであった。

担税力とは何か,その指標を何に見出すべきかということは,これま

で多くの議論が積み重ねられてきた難問であるが,課税の公平性よりも

効率性・中立性が重視されている今日,いま一度課税の公平性に戻って

課税のあり方を捉え直すことも必要であろう。

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