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日本の教員養成教育とアクレディテーションー課題と展望一

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日 本 の 教 員 養 成 教 育 と アク レ ディ テ ー シ ョ ン ー課題と展望­】

岩田康之IWATA,Yasuyuki

(教員養成カリキュラム開発研究センター)

1.日本の教員養成教育とアクレディテーションー背景と経緯一

東京学芸大学では、2009.2010年度に文部科学省高等教育局の先導的大学改革推進委 託事業「課程認定大学における評価団体と連携した教員養成に関するモデルカリキュラム の作成に関する調査研究」を受託し、これを受けて学内に「教員養成教育の適格判定(ア クレデイテーション)に関する研究プロジェクト」(代表:坂井俊樹・教員養成カリキュラ ム開発研究センター長)2を組織して、日本において教員養成機関のアクレデイテーション に関わるネーション・ワイドな仕掛けを導入するに際しての課題の検討を行ってきている。

本稿では、このプロジェクトに関わる中で見えてきた日本の教員養成教育をめぐる課題 を筆者なりに整理し、とりわけ教育学研究にとっての課題を提示することを試みたい3。

①、背景

まずは、日本の教員養成教育に対して「アクレデイテーション」という文脈からの質保 証がいかなる背景をもって求められるようになってきたのか、を概括したい。

日本の教員養成教育は、後述するように「開放制」原則のもと、1953年に導入された課 程認定制度によって、いわゆる「教員養成系大学・学部」(免許状取得を要件とする「教員 養成課程」を持つ)とそれ以外の「一般大学・学部」との双方で、ひとしく教員免許状の 認定.授与が行われている。しかしながら、その後の大学の大衆化によって、2009年度現 在では四年制大学に限っても591校が課程認定を受け、それに対して課程認定制度をはじ めとする既存のシステムが「質保証」として有効に機能せず、教員の免許状認定に関わる 統一的な指標がないことから、「大学における教員養成」の総体に対しての信頼が充分には 得られない事態が生じるに至った。

こうしたことに対して、日本の教員養成・教員資質向上を企図した施策は、基本的に「弥 縫策」の蓄積4を旨とし、基本骨格を変えることなく行われてきた。それに「業を煮やした」

形で、2004年の東京都教育委員会による「東京教師養成塾」を噴矢として、各府県や政令 指定都市の教育委員会が自前で教員養成教育を提供する動き5が具体化し始めている。

また、教員養成教育を行う大学を含めて、高等教育全般の再編動向の中で、「質保証」の 動きが部分的に起こってきている。「教職大学院」の創設6の背景には、「学位」と「資格」

の関係を整理し、「研究者養成」と「専門職養成」の分化を図り、さらに市場原理・競争的 環境を導入して、「事前チェック」から事後の評価という文脈で卒業生の「質保証」を要請 する、という21世紀の高等教育の全体的な動きがある。

このことに関わって近年は、いわゆる「規制緩和」論や、日本政府の財政危機といった、

「教育サークル外」からのプレッシャーが教員養成教育に及んできていることにも注意が

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日本の教員養成教育とアクレディテーションー課題と展望一

必要である。前者は2004年に内閣府に設置された規制改革・民間開放推進会議が、「聖域 なき構造改革」のスローガンのもとに「官業民営化」の可能性を多方面から検討したこと を契機とする。これはその後教育再生会議の第一次報告(2007年1月24日)7において

「20%」という数値目標とともに特別免許状による人材の登用促進が打ち出され、さらに は2009年に政権政党の交代がなされた後の行政刷新会議による「仕分け」においても小 学校等の教員資格認定試験が存続されるなど、「通奏低音」のように「既存の(大学におけ る教員養成教育の)ルートを経ない人材」への要請がある。後者については、とりわけ2009 年の政権交代後に新規施策の財源を確保すべく財務省による「予算執行調査」が拡充され たことを契機とする。2010年度の予算執行調査の対象には「教員養成系大学・学部」が加 えられ、同年5月17.18日に京都・奈良・大阪の三教育大学に主計局担当官が出向いて 視察・ヒアリングを行い、機能分化や授業の共同開講等、三大学の関係の整理を求めた。

これら一連の動向の中で、日本において教員養成教育を提供する大学に突きつけられて いるのは、「大学で教員養成教育を行う必要があるか?」「教員養成教育を行う大学に国費 を投じる必要があるか?」という根源的な問いである。現状においては「大学における教 員養成」の意義についての説明責任は、教員養成教育を行う大学人の総体に課せられてい ると見ることができる。このような中で、「教員養成教育は何をもってよしとするか」「教 員養成教育において大学でなければなしえないこと(なすべきこと、なすべきでないこと、

できないこと)は何か」を、ビア・レビューによって検討していく適格判定(アクレデイ テーション)的な仕掛けを構築していくことは、その解決策としての可能性を持つ。

②、経緯

もちろん、日本で教員養成教育を提供する大学について横断的にその「カリキュラム・

モデル」や「到達目標」を検討・策定することを通して、質的向上を企図する動きがなか ったわけではない。その代表例は、日本教育大学協会の一連の取り組み8であろう。

「国立の教員養成系大学・学部のあり方に関する懇談会(あり方懇)」の報告(2001年 11月22日)において、教員養成のカリキュラムについて大学ごとに区々である状況を改 善すべく、「モデル的なカリキュラム」の策定が要請された。これに呼応して日本教育大学 協会では「モデル・コア・カリキュラム」研究プロジェクト(2001〜06年度)を設置し て検討にあたり、2004年には、教育現場におけるく体験〉と、その研究的く省察〉の往還 を旨とした「教員養成コア科目群」をカリキュラムづくりの基軸とする提案を行っている。

同プロジェクトはその後2006年に16大学における教員養成カリキュラム改革の動向を調 査し、その結果を総括する形で、日本で教員養成教育を提供する大学の多様性に鑑みれば、

ひとつの「モデル」を提示するよりは、免許状取得=入職時点での「到達目標」を提示す ることが望ましいと提言している。これは、同年7月に出される中央教育審議会答申「今 後の教員養成・免許制度のあり方について」において、履修履歴の確認を旨とする新科目

「教職実践演習(仮称)」の導入が提言される動きと軌を一にしている。

その後同協会は新たに「学部教員養成教育の到達目標」プロジェクト(2007〜08年度)

を組織し、当時各大学において(その相当部分は地元教育委員会等との連携によって)開 発されつつあった教員養成教育の「到達目標」「スタンダード」的なものの全国調査を行い、

それらを総括する形で2009年3月に「学部(学士課程)段階の教員養成教育の組織・力

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リキュラムの在り方について(論点整理)」をまとめている。そこでは教員養成教育の「改 善に向けての諸論点」を「総論」と「各論」とに分けて整理し、「総論」では教員養成教育 のカリキュラムの目指すところとして、教員としての「知識・技能の水準」それ自体(α)

と「その後の教員としてのさらなる力量形成の基礎となる力量」(β)の二つがあると指摘 した上で、指標化されにくいβについて大学間連合において検討を行うことが喫緊の課題 であるとしている。その上で「各論」では「教育課程・教育内容」(いわゆる狭義のカリキ ュラム)に加えて、「教員養成教育に関する大学の教育・運営体制等」に言及して論点整理 を行っている。これは教員養成教育における狭義の「カリキュラム」(シラバスモデル)の 域を超え、アドミッションから卒業認定に至るカリキュラム・マネジメントと、それを執

り行う大学の組織運営の在り方に及ぶ。

③.なぜ「アクレデイテーション」なのか

ただし、こうした一連の取り組みは、日本教育大学協会の会員の多数を占める「教員養 成系大学・学部」が中心であるという限定性を持つ。

周知のように、日本の教員養成教育は、44の「教員養成系大学・学部」以外に、500を 超える国公私立の各種「一般大学」において行われており、後者の比重が高い点に特徴が ある。つまり、英国(イングランド)を典型例とするような「養成ルートの多様化」(大学 以外の多様な主体が教員養成教育を提供する)が実体として根付いてはおらず、「大学」と いうひとつの養成ルートの幅が広いという形での「多様化」が起こっているのである。そ れゆえ、イングランドのOfStedやTDAのような形で、政府系機関が詳細な基準を策定し て質的な管理を行うというスタイルは、日本の教員養成教育の実態になじまないものであ ることは明白である。ましてや、イングランドにおいても詳細な基準の策定とその運用に おける弊害(マニュアル依存等)が指摘され、運用の緩和や基準の変更が行われている9状 況を鑑みれば、上述のような形で日本の教員養成教育に「カリキュラム・モデル」を設定

し、それを国家権力が支える形で質保証を行っていくスタイルは採りにくい。

だとすれば、多様な「大学」を横断的に括る形で、日本の教員養成教育の問題点と課題 を析出し、その向上目標を大学間連合で共有するというスタイルの方が現実的であろう。

東京学芸大学で2009年度より受託した「先導的大学改革推進委託」事業によるプロジェ クトは、こうした状況認識に立ち、教員養成教育に関わる「オール・ジャパン」的な質保 証システム(相互評価による適格判定=アクレデイテーション的システム)の検討を行う ことを企図したものである。

もちろん、日本の教員養成教育において「教員養成系大学・学部」と「一般大学・学部」

を横断的に捉えて質保証を考えるという試みは、部分的には行われてきている。2008年に 発足した教職大学院においては、専門職大学院の一つとして認証評価が義務づけられ、い わゆる私立の「一般大学」も含む形で教員養成評価機構が2010年度から活動を行ってお り、また2006年の中央教育審議会で導入が提案された「教職実践演習」や「教員養成カ リキュラム委員会」といったものも、大学の種別を問わず、各大学で教員養成教育の質保 証とカリキュラム・マネジメントを行うことが要請されており、各大学はこれに対応して 教員養成教育の質保証に取り組みつつある。しかしながら、これはらいずれも政策主導的 な動きであり、大学間連合による質保証については、依然不充分な状況にある'0。

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日本の教員養成教育とアクレディテーションー課題と展望一

2.教員養成機関のアクレディテーションに関わる諸論点

こうして発足した同プロジェクトにおいては、2009年度から日本の教員養成教育に関わ るアクレデイテーション基準の検討と、そのアクレデイテーションを行っていく組織のあ り方についての検討を行ってきている。当然のことながら、それらの策定は、日本の教員 養成教育の実態把握に根ざす必要があり、それゆえ同プロジェクトでは、有識者からのヒ アリング、事例大学の訪問調査、国公私立の課程認定大学を対象とした「教員養成教育の カリキュラム・マネジメント」に関する質問紙調査、フォーラムやワークショップの開催

といった取り組みを行っている。

こうした一連の取り組みを通じて日本の教員養成機関における教員養成教育の実態をネ ーション・ワイドに見れば見るほど、「教員養成教育は、何を以てよしとするか」を検討す る難しさが見えてくる。以下、同プロジェクトの「公式見解」ではないことをお断りした 上で、筆者の目に見えてきた論点(疑問点)をいくつか紹介したい。

①、日本の「大学における教員養成」のアポリア

まずは、いわゆる「教員養成系大学・学部」と「一般大学・学部」を通覧する難しさで ある。教員養成系大学・学部における教員養成課程(免許状取得が卒業要件)と、一般大 学・学部における教職課程(免許状取得はオプション)とは、基本的に教育組織の在り方 や、カリキュラムの構成原理が異なる。そこでは「機能論」との対比における「領域論」

(横須賀薫197611)は意味をなさない。「機能論」をべースにしながら、それぞれの教員 養成教育が具備すべき要件を抽出していく形でしか日本における教員養成教育のアクレデ ィテーション基準はなしえない。当然、通覧する基準や観点は共通の、具体性を持つもの であることが求められるが、その汎用性をどう担保するか。ここに「共通性」「汎用性」と

「具体性」に関わるアポリアが生じる。この解決には結局「大学としてまつとうな在り方」

「その中での教員養成教育のまつとうな位置づけ方」を突き詰めることが求められる。

②、原点への回帰:そもそも、何のために教員養成教育を提供するのか?

では「大学としてまつとうな在り方」「その中での教員養成教育のまつとうな位置づけ 方」とは何か。このことの検討は、「そもそも、何のために教員養成教育を提供するのか」

という原点の問い直しにつながる。

教員養成教育は、それを受ける学生たちの学びのサポート(社会的自立の手立てとして の教員免許・資格の取得のサポート)であるとともに、次代に向けての初等・中等教育全 般の基盤整備のため、つまり「子どもたちのため」のものでもある。言い換えれば、大学 にとっての教員養成教育の目的は、学ぶ者の教員免許状取得の便宜を図ることが第一なの ではなく、次代の教育基盤整備のために優れた人材を教育界に送り込むという文脈での社 会貢献が最も重要なのだ、という認識に立つことが重要になってくる。当然そこでは、授 業料と引き替えに免許状を「売る」のではなく、教育基盤整備のための社会的な共同責任 を負っているという「志」ある教員養成機関をどう見極めるか、がアクレデイテーション

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を考えていく上での鍵となる。

このように考えると、「1」に述べたような「教育サークル外」からの多様化圧力や、具 体的な動きとしての「教育委員会による教員養成」的事業に対しても、それが単に「大学 における教員養成」という原則に反するからと批判するのではなく、次代の教育基盤整備 に「大学」が関わることの意義を再確認するという文脈から粘り強い議論を展開していく 途が見えてくる。

③、大学の「主体性」ということ

そこで問題となるのが、「大学」とは何か、ということである。かつて筆者を含むTEES 研究会'2は、「大学における教員養成」を検討する中で、大学という「場」の問題だけでな く「主体性」の観点から問い直すことの重要性を指摘した。この「主体性」の観点からそ の後の「大学における教員養成」を捉えるとき、以下のような問題が見えてくる。

ひとつは大学内の問題として、そもそも「大学における教員養成教育のカリキュラム」

は主体的に考えられてきたのか、ということがある。いわゆる「教員養成系大学・学部」

の教員養成課程においては、免許状取得が要件となるため、「教職に関する科目」「教科に 関する科目」を各教育組織のカリキュラムに組み込むことが所与の前提となる(加えてい わゆる「66条の6科目」=「外国語コミュニケーション」「日本国憲法」「情報機器の操作」

等も)。免許法が変われば、当然カリキュラムも変わるが、それは内発的な要因によるもの ではない。さらに、2004年法人化以前の国立大学設置法によって教官ポストの配置が定め られていた経緯から、そう簡単にリストラも出来ない。いきおい「今いる先生に持てる授 業」を配置することになる。一方、「一般大学・学部」の側では、各教育組織(学部・学科)

のカリキュラムがメインであり(これはこれで「大学のカリキュラム」としてのまとまり を持っている)、時々の免許法の改訂は主にオプショナルに課される「教職に関する科目」

の部分的な変更として作用する。いずれにしても、「大学で学んで教員免許状を取得する」

者のカリキュラムの全体を主体的に考えるという営みは、充分になされてはこなかった。

2006年中教審答申の「教職実践演習」「教員養成カリキュラム委員会」等の提起は、この 点をターゲットとしているとも言える。

もうひとつはいわゆる「デマンド・サイド」との関係である。ある程度以上の規模の大 学では、近隣の教育委員会(多くは都道府県・政令指定都市レベル)と組織的な関係を結 んでいることが多い。ただし、「養成機関の論理」と「デマンド・サイドの論理」は必ずし も一致しない(たとえば、いわゆる交流人事による「実務家教員」など)。また、特定の大 学と特定の教育委員会との一対一の結びつきが強くなることは、他を疎外することにもな りかねず、必ずしも教員養成機関として望ましい在り方ではない。一方、小規模な大学(主 に一般大学)には、こうした組織的な関係から自由に、たとえば校長会の評判などを基に その大学の教員養成カリキュラムに叶った人材を「一本釣り」的にリクルートして効果を 挙げている例が見られる。ただしこれは、ワンマン経営者が自分の知り合いの校長経験者 をコネで雇うのと紙一重である。このあたりをどう捉えるかはなかなか難しい。

④.「カリキュラム・マネジメント」という考え方

「1」に挙げた日本教育大学協会の一連のプロジェクトの提案に呼応して、特に「教員

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日本の教員養成教育とアクレディテーションー課題と展望一

養成系大学・学部」のカリキュラムの中には、教育現場でのく体験〉的要素を含むプログ ラムが豊富に取り入れられつつある。しかしながら、豊富なく体験〉一く省察〉を織り込 むことが逆に学ぶ者にとってのカリキュラムの自由度を減じてしまうことにもなりかねな いのである。また、〈体験〉が基本的に入職前の、擬似的なものであるがゆえに、それをく省 察>する営みも浅薄なものに堕してしまう懸念は否定できない。こうした問題の解決には、

各大学が主体的に行う教員養成教育のカリキュラムについて、学内における全体イメージ の共有と、その継続についての高い意識を保つ必要が生じてくる。これは恒常的なFD活 動(中でも教員養成教育に焦点づけたもの)を伴う。

また一方では、大学の大衆化と、後期中等教育の多様化は、教員免許状取得を志す学生 の資質にも影響し、各教科の基礎学力が一定程度あることを前提とできなくなっている。

AO入試の導入等、ペーパーテストの比重の低い入試方法が広まっていることもこの原因 になっていると見られる。面接等を課す場合、自らの教員志望の熱意を強く語る18歳が 高い評価を得やすい。これが果たして、将来の教員として優れた人材のリクルートになっ ているのか、という観点からの見直しも必要となってくる。

以上のように考えてくると、教員養成教育のアクレデイテーションの検討に際しては、

単にそれぞれのカリキュラム・コンテンツの在り方だけではなく、その全体を運営してい く組織体制の在り方にも踏み込まざるを得ない。同プロジェクトの言う「カリキュラム・

マネジメント」という考え方はここに通じる。

⑤、これまでの政策に関わる課題

では、日本の教員養成教育に対してこれまでの政策はどう機能してきたか。

ひとつには、既存の評価システムの問題がある。日本の大学評価は、分野別評価および 機関別認証評価を基本とするが、これら機関別評価・分野別評価と教員養成教育の評価と 重なるのは、単科の教育系大学(11大学)のみでしかない。多様な学問分野を背景とする 学部等の教育組織が「開放制」原則の下でひとしく教員養成教育に参画している実態(し

かも教員養成教育を提供する単位が不揃いである)に対して適切な評価を行い得ない。

一方、課程認定制度は、旧制度下の中等学校教員に関わる「無試験検定許可学校」制度 と骨格を同じくするものである'3.この「無試験検定許可学校」制度は、旧制専門学校・

各種学校・高等女学校専攻科といった「大学未満」の教育機関を対象とした外形的指標に よる質保証という側面を持ち、それゆえ「大学」というものに対するチェック機能を持た ない。それゆえ現行の枠組みのまま運用を強化することは、教員養成教育の良質な部分を 阻害することにつながりかねない'4。また、実地視察を行う課程認定委員が、評価者とし

ての十分なトレーニングを受けていないことなどから、評価に統一性を欠く面もある。

さらに、2005年以降に導入されているいわゆる「教員養成GP(goodpractice)」的な 競争的予算配分策もまた、教員養成教育総体の改善に有効に作用していないと言えない部 分を持つ。これらの施策は単発のプログラムに対する時限的なものであるが、教員宇養成 機関に求められるものは、ファカルティ・スタッフの丁寧な合意形成、実習校などの現場 との密なやりとり、教職志望の学生に対する丹念な履修指導などの地道な積み重ねといっ た基本的に「地味」かつ継続性を旨とするものである。そうした「地道な積み重ね」の.

評価は、課題として残されている。

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⑥.アクレデイテーションシステムの構築に関わって

アクレデイテーション機関を設けるとするならば、当然のことながら一定数の評価者を 育成する必要がある。専任の評価員をその機関で雇用するか、あるいは他の教員養成機関 に本務を持つ者がビア・レビュー的に行うか等の条件にもよるが、日本で導入するならば 数百人〜千人規模の必要があろう。その確保と育成をどうするかという課題も残っている。

さらには、そうしたアクレディテーション機構を作ったとしても、それだけでは対応し きれない問題は数多い。たとえば、小学校教員の認定課程を持つ大学の人文系・家政系シ フトのような、全国規模での偏在'5をどう扱うか。やはり政策的なグランド・デザインが 求められるところであろう。

3.日本の教育学研究に関わる課題一まとめに代えて­

では、このような「教員養成教育のアクレデイテーション」をネーション・ワイドに行 っていくことに関わって、日本の教育学研究(者)にとっての課題は何か。以下、いくつ かのポイントを挙げることで本報告のまとめに代えることとしたい。

まずは、教員養成教育と大学教育一般との関係を研究課題とすべきであろう。もともと、

教員養成教育というものは、近代国家の公教育システムと不可分であるがゆえに、ドメス ティックに閉じやすい傾向を持つ。このことを強く意識しないと、教員養成教育は高等教 育一般から取り残されるのみならず、排他的な国家主義に陥る危険性を常に持つ。また、

このことに関わって、日本の教員養成教育の現場で求められるものが、「日本の、2010年 時点の、一条校で、教諭としての仕事を、とりあえずこなすこと」に倭小化しつつあるこ とへの警戒も必要であろう。「日本」「2010年」「一条校」「教諭」等を可能な限り広げて捉 えて教員養成カリキュラムに位置づけること、が教育学の課題になろう。

続いて、課程認定行政そのものに対する研究も、大きな課題として残っている。これま での教育学研究者の関わりは、課程認定制度それ自体に対する批判や、逆に課程認定の運 用への対応といった事柄にとどまり、そもそも課程認定制度とその運用が日本の教員養成 教育にとっていかなる意味を持っていたのか、という内在的な研究は乏しかった。この点 の克服も今後の課題であろう。

また、教員養成教育に関わって何らかの「基準」の策定が政策的に不可避だとするなら、

どこに焦点化し、どのような基準を設けるか、を教育学の課題として捉える必要がある。

そこで大切なのは、「学びつづける主体」としての教員の位置づけである。入職時点で最低 限必要なこととして、「対子ども」の諸要素の到達度を項目化するのみならず、将来にわた って学ぶ素地のようなものを入れ込むことは出来ないか。その上で「教員養成教育に入り ながら入職しない者」「教員養成教育を終えて入職する時点」「入職後一定のキャリアを経 た時点」等々の具体的なイメージを作っていくことが望まれよう。

これらのことに関わって、教員養成教育に関わる教育学研究者の立場を超えた「連帯」

と共通理解が求められる。日本の場合、教育学研究者の相当数は「開放制」原則下の教員 養成機関で教職関係の科目を担当している。そのため、昨今の競争的環境下では、研究者

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日本の教員養成教育とアクレディテーションー課題と展望一

として冷徹に教員養成を取り巻く状況を見通す以前に、自ら属する機関の立場・利害に規 定されているのが現状であろう。ネーション・ワイドなアクレデイテーションの仕掛けを 大学人の手で設けるならば、それぞれが立場を超え、「教員養成教育は、何を以てよしとす るか」の共通理解を求める「志」を持っていくことが望まれる。

1本稿は、日本教育学会第69回大会特別課題研究(2010年8月21日・広島大学教育学部)において筆 者が行った同タイトルの報告内容に、加筆・修正を加えたものである。

2同プロジェクトの活動については①『教員養成教育におけるアクレデイテーションの可能性を求めて』

(中間報告書)2010年3月、②『教員養成教育のカリキュラム・マネジメントを考える』(ワークショ ップ報告書)2011年2月、③『教員養成教育のカリキュラム・モデルと「質保証」体制の構築』(最終 年度報告書)2011年3月の三冊の報告書に詳しい。これらは以下のサイトからダウンロード可能である。

httl)s://www.u-gakugei.ac.ip/̅currict/about/accredit/accreditDi.html

3本稿は、同プロジェクトの中で、筆者が主査を務めた「教員養成教育のアクレデイテーション基準に 関するワーキンググループ(基準WG)」の検討の成果に負うところが大きいが、同WGの合意に基づく

「公式見解」ではなく、あくまで筆者の責任においてまとめたものである。なお、筆者以外のWGメン バーは、小林稔(京都教育大学教育学部附属教育支援センター准教授)・佐藤仁(福岡大学人文学部講師)・

嶋中道則(東京学芸大学教育学部教授)・高旗浩志(岡山大学教師教育開発センター准教授)・武田信子

(武蔵大学人文学部教授)・田幡憲一(宮城教育大学教職大学院教授)・玉井康之(北海道教育大学釧路 校教授)・森山賢一(玉川大学教育学部教授)・大和真希子(福井大学教育地域科学部附属教育実践総合 センター准教授)の9名である。

4岩田康之「日本の教員養成と公教育システムー教員養成改革における『公』性と『私』性一」、日本教 育学会『教育学研究』75.4,2008年12月、368-380頁。

5瀧本知加・吉岡真佐樹「地方自治体による『教師養成塾』事業の現状と課題」『日本教師教育学会年報』

18,2009年9月、48-60頁。

6岩田康之「『教職大学院』創設の背景と課題」『日本教師教育学会年報』16,2007年9月、33-41頁。

7教育再生会議「社会総がかりで教育再生を(第一次報告)」、2007年1月24日、18頁。

8ここで紹介したものを含めて日本教育大学協会の各種報告書は、同協会ウエブサイト

u皿よりダウンロード可能である。

www.u-RakuRei.ac・ip/̅i;

9東京学芸大学教員養成カリキュラム開発研究センター第9回シンポジウム記録集『高等教育機関とし ての教師教育の質保証を考える』(教育目標・評価学会共催、2008年11月30日)、佐藤千津報告参照。

10中央教育審議会「学士課程教育の構築に向けて」(2008年12月24日)に以下のような指摘がある。

「我が国では,国際的比較の観点からは,大学団体等を含め,教育研究活動を支える社会的基盤が十分 とは言えない。

まず,国公私立といった設置者間の壁を超えた包括団体が存しない。

第二に,学協会については,細分化され,零細なものも多い。

第三に,活動内容のうち,教育・学習支援が必ずしも中核ではない。

第四に,構成員に対する資格審査の厳正性などが必ずしも十分に備わってない。

第五に,協同が求められる分野・領域等において,例えば,分野別の評価団体や,個別分野の教育に 関する学協会等,いまだに大学団体等の形成に至っていないものが少なくない。」

11横須賀薫「教員養成課程の教育課程について」『教師養成教育の探究』(評論社.1976年)、56〜75頁。

「教員養成一一特に幼児教育、小学校教育、障害児教育の教員養成を考えれば、これを『機能概念』と みることは、教育実践における技術的体系性の否定ないしは軽視をみちびくおそれが強い」(同書67頁)。

12TEES研究会(編)『「大学における教員養成」の歴史的研究一戦後「教育学部」史研究一』(学文社・

2001年)、特に「終章『教育学部』の課題と展望」(411〜421頁)。

13TEES研究会前掲書、および船寄俊雄・無試験検定研究会(編)『近代日本中等教員養成に果たした私 学の役割に関する歴史的研究』(学文社.2005年)参照。

14課程認定の実地視察の報告は、文部科学省ウエブサイトを通じて公開されている。これらを見る限り、

少数の外形的指標(免許状発行数や就職者数、ピアノの台数、蔵書の数、実践経験を持つ教員の数や比 率など)を除けば、横断的な視点での検証が充分とは言いにくい。これは評価者(課程認定委員)の鮭 的な面でも、また質的な面(評価者のトレーニング)でも、不充分なことに起因するものと見られる。

2008年度http:"www.mext.go・jp/b̲menu/shingi/chukyo/chukyo3/002/siryo/attach/1280005.htm 2007年度http://www・mext.go.jp/a̲menu/shotou/kyoin/menkyo/shisatu/08082805.htm

2006年度http://www・mext・go.jp/a̲menu/shotou/kyoin/menkyo/shisatu/08062611.htm

l5岩田康之「小学校教員養成のメカニズムと『理科離れ』」,日本物理学会『大学の物理教育』10.2,2004

年、76〜80頁。

参照

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