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学校教育の階梯と教育の段階

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学校教育の階梯と教育の段階

一教職員免許法の改正と教員養成の未来一 赤 堀 哲 雄*

は じ め に

 茨城大学教育学部教育研究所の研究紀要をアメリカの国会図書館からの要請でワシントンに送ったの は4年ほど前のことだが日本の国会図書館にはまだ送ったことがない。日本の国会図書館には登録番号 がないというのにアメリカの国会図書館の登録番号を持っているというわけだ! だから国際的な視野 で問題を捉える必要があるのだなどというつもりはないが日本の学校教育をその内側からしか見ること ができないとしたら,やがて時代の流れから取り残されることになるのは必定だ。

 「教職員免許法の改正と教員養成の未来」という特集のテーマは21世紀を迎えようとしている現在の わが国の教員養成の問題点を教職員免許法の改正点に沿って点検してみようというわけである。今日の 教員養成大学/学部のカリキュラムが教職員免許法によって左右されているという事実は否定できない が,だからといってわれわれがまるで文部省の教員養成専門学校の教官のような身分になりさがること はないのである。われわれはなおわれわれの大学が「大学」であることに誇りと責任を持ち続けなけれ ばならないのではないだろうか。わたしには茨城大学教育学部の教授会は(教授会の執行部は?)文部 省の係官の意向に沿うことだけに熱心で自分のアタマで教員養成について考えているとは思えないので ある。あらためてその能力があるかどうかを疑う必要がないわけではないが,大学が教員養成に責任を 持つという立場は堅持されなければならないだろう。 「教育学部」と称し大学院「教育学研究科」と称

しているというのに教育学教官の定員を削減しようとするのだからアキレる。自らの身を保つことと教 授会の自治とを混同している教官なら「居ても居なくても同じ」なのではなく「居ないほうがよい」の

だといえる。

 この論稿は1990.7.6.に開かれた教育研究所例会でのわたしの報告を書き直したものであるが,今回 の教職員免許法の改正によって中学校,高等学校の教員免許状を取得するにあたってあらたに履修しな ければならなくなった教職科目と関連して中学校,高等学校の教員養成の問題点を整理することが目的 であった。それは思春期,青年期の教育をどうとらえるかという問題にほかならない。具体的にいえば 生徒指導や進路指導などについての情報と具体的,臨床的な指導方法ということになるのだが,教科の

指導についても教科教育法とは別に教育方法についての単位を必修とすることになったので改正された 教職員免許法から見る限りにおいては教員養成を教科教育の専門家の養成から思春期/青年期教育の指 導者の養成へと転換させようとしているのだということがいえる。社会科と理科の教員免許の種類と取 得のしかたが変わることを問題にすべきだという意見も出されていたのだが,それらは今後の中等教育

*茨城大学教育学部

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のありかたを検討することのなかであらためて問題にすることにしたい。現在のような教員養成大学/

学部や大学院の教員配置のしかたでは取得不能な教員免許状が出てくるのはあたりまえで,もともと無 理なハナシだったのである。

問題はなにか

 一中学校の「中」というのは,どういう意味だろうか?

 と中学校教員養成課程二年次の学生たちに教育方法の講義の冒頭に聞いてみる。これに対する学生た ちの返答は,いろいろオモシmイ。天皇制の学校教育の制度のもとでは女子は中学校に行くことができ なかったのだということなど知らないし高等女学校と中学校とのカリキュラム上の決定的な違いなど知 る由もないのである。中学校はイマもムカシもかわらないのだと思いこんでいるわけだが,そんなわけ はないゾ!と思ったとしても理論的な検:討をする手がかりがないので感性的な経験を告白するよりしか たがないのである。

 そんなわけで,中学校の教育は中途半端で宙ブラリンで,なにがなんだかよくわからないというのが 平均的な実感らしい。この段階では中学校の「中」は「途中の中」ということで正解だといってもいい のであろう。だがそれから後もわたしが出席を取らないのをいいことにして講義に出て来ないくせに単 位だけは欲しがり,その上に中学校の教師になりたがっているというような中途半端な学生のままだと したら,それは教員養成にとって重大な問題だということになる。そういう学生が,いくつかの講座/

学科に偏って存在しているということを指摘しておく必要はあるだろう。入学者の選抜方法がうまく機 能していないということだろうか。

 現場の教師たちは中学校で義務教育が完成するのだとか,基礎,基本的な教育が完成するのだとかい っているのだが,それは「中学校」という名称と矛盾していると思わないのだろうか。やがてそういう 授業や生徒指導をしている中学校で小学校教員養成課程の学生の中学校教育実習をさせてもいいものだ ろうかということも問題になるだろう。後にのべるような理由でわたしは(教育実習委員会委員長とし ての立場ではいいにくいことだが,一つには教育実習の業務を縮小させるという意味で)小学校教員養 成課程の中学校実習の協力校実習は廃止してしまったらどうだろうかという不穏な?考えを持っている

のである。

 中学校教員養成課程の学生の中学校教育実習は附属申学校で行われるので,中学校は宙ブラリンなの だという生徒だらけだろうし実習生の宙ブラリン感覚とも合致するだろうから,いずれ附属高等学校を 併設することを含めて教育実習を改革することができるのではないかと考えているのである。茨城大学 教育学部の中学校教員養成課程の教育実習は教職員免許法では2週でよいのに4週になっているのであ る。これは小学校の免許状をとりやすくするためなのだろうが,わたしは中学校教員養成課程の学生が 小学校教員の免許状をとるのなら小学校教育実習を4週やるのが当然で中学校教育実習を余分にやった からといって,それを小学校実習に充てるのは小学校教育の冒漬だと思っているのである。しかし中学 校実習4週のなかに高等学校実習を割り込ませることは理にかなっているし簡単なことだと思う。

たしかに天皇制の時代の中学校と戦後の申学校とは全く別のものだし,戦後の中学校では卒業してす

ぐに就職する者が進学する者を上回っていた時代もあった。その時代には中学校が学校教育の完結/完

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成を意味していたといえる。それは天皇制の時代の小学校の高等科と同じ役割で,それが一年延長され たものとして中学校の教育が捉えられていたということなのである。いっぽう天皇制の中学から戦後の 高等学校への移行期に旧制の中学校に入学した昭和5,6,7,8年生まれの中学生は中学校と高等学 校の6年間を同じ学校で過ごすことができたのである。もともと天皇制の時代の中学校には戦後の中学

と高等学校のような区切りはなかったのである。都会では食糧の不足に悩まされていたものの戦災の焼 けあとのバラックのなかで民主主義と青春を謳歌することができたのである。中学校と高等学校との区 切りができたのはそれ以後のことなのである。

 今日では,ほとんどすべての子どもが高等学校に進学することになったのだから中学校が学校教育の 階梯の一つの区切りになっているとしても,子どもたちにとってはそれは通過点であって完成点ではな いことは明らかである。今日では高等学校の在学者数が中学校在学者数を上回るという史上初めての状 況が出現しているのである。これは生徒数の問題だけではなく教員数の問題をも含んでいる。中学校の 教職員数が上回り,やがては小学校の教職員数を中学校と高等学校を合わせた教職員数が上回る勢いな のである。このことは教員養成にも大きな影響を与えることになるに違いない。

 こうした状況のなかでは名門の進学高校以外では中学校で行われている受験教科の授業よりは高等学 校で行われている同じ教科の授業のほうがズッとレヴェルが低いという逆転現象?が一般化されつつあ

るのである。それは高等学校の授業に間違いがあるのではなくて中学校の授業のほうに問違いがあった ということだろう。高等学校で,それぞれの生徒の学力に応じた指導が行われているとはいいがたいが,

大部分の高校の教師たちは生徒たちが中学校時代に物理的にはともかく心理的には授業の外にいたに違 いないという確証を握っていることだろう。こうした事態をどう解決するかということは学校教育の制 度そのものにかかわる根本的で緊急な課題である。

 これが教員養成大学/学部の教育にまで波及していることはいうまでもないことで,とても大学の授 業だとはいえないことまで教えてやり指導してやらなければならない場面に遭遇することになってしま

ったのである。多くの大学では授業は授業として成立していないのだから,高等学校もまた,生徒たち にキチンとした教育をしていないことをハッキリと見せつけていることになる。そして教員養成大学/

学部もまた,・現在の中学校,高等学校の状況に対応できる教員を養成することができなかったことと,

さらには中学校。高等学校の現状に対応できる能力を持った教員を供給できないことの責任が問われて もしかたがない立場にあるといえる。教員養成大学/学部は中学校/高等学校の教員養成をやめて小学 校教員の養成に専念し小学校の教育についてだけ責任を持つということにすれば責任はいくらか軽くな

るのかもしれない。小学校の教育はまだいくらかマシな状態にあるということができる。しかし現在の ような大学の状況がそのまま進行すれば小学校の教員の質が低下し,それが小学校の教育をゆるがすこ とにならないとも限らない。

 わたしは小学校教員養成課程の学生に中学校教員の免許状も取得させるという茨城大学だか茨城県だ かの方針は「大学で学ぶとはなにか」ということからすれば認められないことだと思う。教職員免許法 が改正されて取得すべき単位はさらに増加したのである。そのための授業に全部出席していたらとても

「大学生」とはいえない存在になってしまうだろうし,出席しているが寝ているだけというのはヒドス

ギル。出席もせずに単位を盗むというのはもっと教職とはナジマナイ。中学校教員養成課程の学生は少

数だが,学生だけではなく,われわれ教官もまた,わが国の中等教育の現状と未来を危倶する立場から

根本的に中学校教育を問いなおす必要があると思われる。こちらもまた教職員免許法の改正にともなっ

て小学校教員の免許状を取得することは困難になってきているのだから,小学校教員の免許状を取るこ

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とは禁止し,中学校/高等学校の教育の改革の先導者として養成されるべきであると考えられる。中学 校教員養成課程の学生数を大幅に増やすことも必要かもしれない。教員養成大学/学部以外の中等教育 教員の免許状のための教職課程を持っている大学には,真の意味での中学校教員養成を期待することは

困難だからである。

義務教育と中学校/高等学校の区分

 義務教育の年限が満15才の3月31日までとなっているのは労働基準法の年少労働の禁止の条項と対応 しているからであって,それまでは就労してはならないのであって,そこで就労しなければならないと しているわけではない。貧乏な親が幼い子どもを働かせて稼ぐことを禁止する児童保護の問題と,いっ ぽう工場生産が導入され年少労働や婦人労働が大量に投入されることによって熟練労働者が追われるこ

とがないようにしようとした時代の名残りで同一労働同一賃金の実現をめざす労働者の権利の問題なの である。したがって義務教育の期限は可変であり絶対ではないのである。だからそこが国民教育の仕上 げの期限であるという理由にはならないし,学校教育の区切りである必要もないのである。就労しなが ら教育を受けることもできるし,そのほうがよい場合もあるだろう。またもともと庶民大衆のための学 校でないエリート学校は義務教育の年限とは無縁だったのである。

 義務教育というのは英語ではCQMPURSOLY EDUCAT I ON/強制教育であって就労させないでおく からには放置しておくわけにもいかないということで強制的に就学させておくということなのである。

SCHOOL/学校の語源は「暇」であり,遊ぶ暇のある上層階級の子どもだけが学校に行くことができた のである。逆説的にいえば貧乏人の子どもを就労させずに置くとロクなことをしないだろうから,いく

らかでもマシなヒマツブシをさせてやろうというのが強制的義務教育の発想なのである。

 こうした児童福祉や労働者の権利に基づく年齢によって区切られた年齢主義の義務教育の制度とは別 に一定の教育課程を履修し国家試験などの資格認定試験に合格しないと義務教育を修了したことになら ない課程主義の義務教育といわれる制度も存在する。課程主義といっても実際には年齢主義でもあるの だが,こうした義務教育の制度では落第はザラだから義務教育の年限と義務教育の修了の年齢とは合致 しない場合が出てくるのは当然だし学校教育の区切りそのものも義務教育の年限と対応していない場合 がある。フランスの義務教育の場合などがその典型になろう。

 中学校の特殊学級の子どもたちは義務教育および義務教育の年限についての誤解の犠牲になることが 多い。中学三年で義務教育が終了するのだから,それまでに就労できるだけの能力を身につけなければ ならないということで追いたてられるのである。特殊学級にいるために中学で卒業させられ就労させら れてしまうのである。特殊学級にいると高校に進学することは困難だが特殊学級にいなければ高等学校 と名のつくところへ進学することはできる。就労することができる年齢になったということと,本人が 就労できるかどうかということは別のことであって,その能力が整っていないというのであれば教育を 継続すればいいのであって,義務教育の終了年齢にムリヤリ合わせることはないのだし,義務教育の年

限が来たからといって学校から追い出されるべきではないのである。

 小学校では特殊学級にいたのだが中学校では特殊学級に行くのを拒否して普通学級に行くというのは

高等学校に進学するのには好都合だが現在の中学校,高等学校のなかで得るものはほとんどないといっ

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ていい。ただ,そういう子どもにとってもイゴコチガワルクナイぐらい中学校も高等学校も勉強のデキ ナイ子どもだらけだということであれば,そのほうが問題だろう。実際,高等学校卒業の証明書を手に 入れることだけが目的で通学している子どもが大部分を占める高等学校もあるらしいのである。こうな れば義務教育は年齢主義ではなくて課程主義でもなければならないことが理解されるだろう。義務教育 の「終了の宣告」ではなくて「修了の宣言」が必要なのである。そのためには学校教育の階梯と義務教 育の年限とを分けて考えることが必要で,就労の資格を認定されるまで中学校の生活を延長することで もいいし,高等学校の卒業資格と就労の資格認定とを統合することでもいいだろう。それは当然,高等 学校卒業という単一の資格ではなくて非常に多様な資格認定になることだろう。

 天皇制の時代の中学校は,非常にハッキリとした性格を持っていた。男子だけが入学できる五年間の 進学コースで,中学校だけで卒業するということは完成を意味せずエリートコースからの脱落を意味す るものであった。いっぽう同一年齢の良家の女子のための学校は高等女学校と呼ばれ,それは花嫁修業 としての一応の完成を目指すものであった。消化すべき受験科目の水準は中学校の三年までに相当する ものでしかなかったから男子のエリートコースであった旧制の高等学校への受験資格もなかったのであ る。つまり高等女学校の「高等」は男子の高等学校のように高等教育の一部であることを意味するもの ではなく大部分の子どもたちが行くことになっていた小学校の高等科の「高等」と同じくコレデオシマ イという完結/完成を意味するものであった。こうした複線型の学校教育の体制にはいろいろな問題が あったが,名称を高等学校と統一一一・Tして体裁を単線型にしても実質は変わるものではなくて,むしろ完結

/完成の意味を失ったことが問題になるのである。

 旧制の中学校の入学者はすでに選ばれた者であったから,その教員もまたそれぞれの教科についての 教養/知識を備えた者であればよく,そのための教員養成機関がなかったわけではないが教員の免許を取 るためには相当する学歴があればそれでよく教育実習をする必要もなかった。「知識人」であることが 求められていたのである。地域の教育者たちの集まりでは名門中学の教師は実業学校教師より上席であ り小学校の校長よりも上座に座わらせられた。研究者としての業績が認められて大学教官になった中学 校教師もいたし作家や芸術家として認められるようになった者もいた。こうしたエリートコースの教師 は教員養成の課程でではなく学問の研究をする学部で育成されるのであって,研究者としての力量と人 格識見が問われるべきなのである。こうした教師を勉強のデキナイ子どもの揃っている学校に配当する のは子どもにとっても教師にとっても不幸なことである。大部分の中学校や高等学校に必要なのは,こ

の種の研究者タイプの教師ではない。

思春期/青年期の教育と教師教育

 フランス語での教育をあらわすコトバは,いくつもあって,それぞれに固有の意味を持たされている ようである。日本語の教育というコトバは一つのコトバでいろいろな意味を表しているということだろ

う。

個人を主体にして誕生から成人にいたる過程を対象とする場合には教育はEDUCAT ION==エデュカシ

オンと呼ばれ学校の制度を主体にした場合には教育はENSEIGNEMENT=アンセーニュマンと呼ばれ

る。前者は子育て/人間形成と訳し,後者は学校教育と訳せばいいのだろうと思う。しかし,それでは

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面倒だから前者を教育,後者を学校教育としておくことにしよう。教育の目的はオトナを作ることであ る。そして学校教育はコドモが一人前のオトナになることに寄与するためにある。オトナというのは実 にさまざまだから学校教育もまたさまざまな寄与のしかたをしているのだといえる。まったく同じ学校 教育を施してもさまざまなオトナになってしまうのだから,それぞれに合った学校教育が施されるほう がよいに決まっている。それにしてもコドモがオトナになるためには基礎的で共通の課題もあるわけで,

それらを学校教育として組織したものは基礎学校とか初級学校と呼ばれるのが普通だ。それらがキチン と身についていれば,それぞれのコドモがオトナになっていくときに無用な混乱を避けることができる 筈だ。だがコドモがオトナになるためには避けることができない必要な混乱というものもあって,それ が起こるのは混乱の時期というよりは混沌の時期というべき時期で,それは思春期から青年;期にかけて だれもが体験することになる自我の目覚めである。そこでは教育は基礎的で共通なものよりは個性的で.

多様なものへ向かっていくことになるのが当然で学校教育もそれに対応したものでなければならないの

である。

 個人を中心にしてみるとコドモたちにとって基礎的で共通なものであってもピアジュの保存について の認識の発達の観察などでも知られるように,それが確実なものになるまでには個人差があって年齢の はばも広い。個性的で多様なものはその完成までにもつと年齢のはばは広くなるし,そのためのステッ プの幅も高さも等間隔にはならないだろう。

 こうした個人個人での教育の変化の順序とそれに必要な時間的なはばをあらわすためには「発達段階」

というコトバよりは「教育の段階」というコトバを用意したほうがいいだろう。

 わたしの研究室にいる中国人留学生は「中国語ニハ階段アルケド段階ナイネ」というのだが,階段が 等間隔なのに対して段階は階段よりは広く不規則だという意味ではないかという。

 学校教育の階梯は年齢によって階段のように刻まれているが個人を中心にした教育の段階のほうは個 性的で多様なものになるにつれて年齢とは合わなくなってくる。発達の段階が年齢と対応した発達の具 体的な内容をだんだん記述することができなくなるのと同じようだが,たとえばコドモがオトナになり そこなう現象をオトナのほうからコドモのほうへと遡って吟味して行くとコドモがオトナになるまでに 経験することになる共通の課題が見つかるわけで,それが教育の段階だということになる。だからある コドモには殆ど抵抗なしに乗り越えられてしまうことも,あるコドモには断崖のようにみえる場合もあ って廻り道や手助けが必要であったりする。

 教育の段階にせよ発達の段階にせよ,それを年齢の階段として刻んでしまえば段階としての意味を失 ってしまうことになる。今Bの日本での思春期/青年期の教育がうまくいかないのは日本の学校教育の 階梯と個々のコドモの教育の段階とが合致していないことに原因がある。学校教育の階梯に個々のコド モの教育を押し込めてしまう権利はだれも持ってはいないのである。逆に子どもたちは学校教育の階梯 を自由に変更し主体的に利用する権利があるといってもいいのである。年齢で刻んで下から1年,2年,

3年と数えるのではなく珠算の検定のように6級,5級,4級,3級,2級,1級とはばを持たせれば よく最上級まで行かなければならないということではなく3級までで充分というようにしておけばいい

だろう。

 学校が用意しているものを教育課程と呼び,それぞれの子どもが履修したらよいと思われるものをカ

リキュラムと呼んで区別することができるとすれば,青年期にさしかかった子どもたちのカリキュラム

が個別的で多様になるのは当然のことであって,学校の用意する教育課程もまた多様なものでなければ

ならないのは当然で,しかも学習指導や生活指導よりもなによりも進路指導が重要だということになる。

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したがって教育課程の多様さだけではなく学校そのものの形態の多様さやユニークさが求められるよう になるのではないだろうか。

 現在の日本の中学校が高等学校の入試のためにユガメられているということは,逆にいえば高校入試 に高得点を得ることのできる子どもだけが中学校教育の主人公であるかのように振る舞っているという ことだろう。入試の改善や習熟度別学習よりは,一人一人の子どもが主人公になることができるように 学校教育を改造することだろう。モーリス・ドベスによれば,この時期は不安の時代だという。だれも が自分が何者であり何をなすべきかがわからずにいるという点で不安なのである。こうした不安や怖れ が子どもたちを反社会的な行動や非社会的な行動にかり立てることもある。だが,自分が何者であるか を発見することができれば,それは次に,それらに打ち込むことができる真に青年らしい青年の情熱の 時代を迎えさせることになるというのである。

 本当の意味での個性が発見されるのは,この時期であって,幼児期や学童期のそれらしきものとは違 って共通の課題の授業のなかでではなく,異種の体験のなかで発見されるものであろう。学問に打ち込 むことに情熱を持つ個性はごく少数であって,学問を愛する者よりは芸術を愛するもののほうが多数で あろうし,学問研究に従事するよりは生産活動に従事することを好む者のほうが絶対多数であろう。こ うしたなかで,他人を愛し,他人のために働くことを愛する個性こそ最も高く評価されるべき個性なの

であろう。

 現在のように殆どのコドモが高校生になるのだとすれば,青年というのはつまり高校生のことだとい うことになる。青年/青春というのは老人の記憶のなかにしか存在しない虚像で,多様な高校生の生活 そのものが青年/青春だということになるだろう。週休二画面がとられ長期の休暇があり授業日数も授 業時間数も激減することになれば,若者の生活は活気のあるものになるだろう。そうなれば現在のよう な中学校/高校の教師を養成するのではなく,青年の自己教育を援助する人生の教師を養成することこ そ青年の教育のための教師教育の課題になるだろう。それがどのような教育課程によって可能なのかは 不明だがそれこそ「大学」の教育として相応しいものになるに違いない。

お わ り に

 ユ989年2月1!日付けの朝日新聞の学習指導要領の改訂についての特集記事のなかに教育課程審議会の 委員であった元文部省初中局審議官の奥田真丈と現場の申学校教師との対談があって,奥田が「新学習

指導要領で理解しておいてもらいたいのは中学校のそもそもの性格だ。中学校は義務教育の段階になる

と,むしろ青年前期の段階の申学校という考え方をすべきではないのか。中学は高校との連携を密にす

ることを考えたらいいというのが一点だ。もう一つは青年として生きる生き方を,しっかりと身につけ

させないといけない。その教育を中学でやらなければいけないわけだ。」というのだが,現場の教師の

ほうは「現場の教師たちは義務教育修了にふさわしい力をどうしてつけていくかに悩みながらも必死に

取り組んでいる。そこへ教科の選択の拡大とか,習熟度別授業が入ってくると,いままでの,これが中

学校のイメージだと我々が受け止めてきた義務教育の完結性が根本的に変わってしまう」といって反論

しているのを見つけた。奥田は申学校教育課長もしたことがあるのだから「これまでの小中連携は間違

いで,これからは中高連携に方針変換するのだ」というべきなのに,そうはいわないから,時代の変化

に対応させるなどといいながら,現場の教師が反感を持つような小細工しか示せないことになってしま

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っているのではないだろうか。

 「奥田さん」はわたしが文部省に入ったときの直接の上司であり,大学の先輩でもあったのでずいぶ

ん可愛いがってもらったものだ。わたしが文部省に入ることになったのは細谷俊夫教授の弟子として推

薦されたからで,わたしは細谷/奥田のコンビとは親しい間柄なのである。昭和30年代以降の学習指導

要領の改訂に細谷/奥田派の教育学者たちが大きな役割を演じてきたのは隠しようもない事実だが,現

在の学校教育の制度が,いわば自己運動として悪くなるいっぽうであることについてどう受けとめてい

るのか,そのうち一杯やりながら聞きたいものだ。

参照

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