美 学
の倫 理 化 か 、 倫 理
の 美 学 化 か
ボー ドレ ー ル の 「モ デ ル ニ テ
」
再考
海 老
根
龍介
1. ボー ドレール に お け るr
モデルニ テ」の アポリア詩の 領域 におい て で あれ、 美 術 批 評の領 域にお い て で あれ 、 ボー ドレー ルの 歴 史的 意義を見定め ようとする試みの 多 くが 、 芸 術 にお ける 「モ デル
ニ テ (modemit6 )」 と は何か とい う問い に つ い て の 考 察を、 その 作業の 中 心に据 えて い る よ うに思 わ れ る。 彼の 詩や批 評の うち に、 そ れ まで 行わ れ
てい た芸 術 的実 践 と は異 なる ある 「新 し さ」 を見 出 し、 そ れ を 「モ デル ニ テ」と名づ ける わ け だ が 、 その 根底には、 ボ ー ドレ ール が芸術の 歴史にあ
る決定的 な断絶 を もた ら し、 その こ とが以後を生 きる私た ちの芸 術 の あ り
よ う を も規 定し てい る とい う認識が ある1
。 美の世界に おい てそ れ まで 通
用 して きた規 範 を 「古 典 性 」 と呼ぶ な らば、 こ こ で 「モ デル ニ テ」はそ の 対概念と して の 「近 代 性 」 を意味 して い る。 た と え ば、 詩が詩 その もの に 対 する反省を含む とい う 自己 言 及 的性 格を 「近代 詩」 に固有の 属 性 と考え、 その 起 源に ボー ドレール の 作 品 を据 える類の議 論は こうした図式に乗っ かっ
てい るの だ し2
、 絵画が 自然や 物 語 とい っ た依 拠 すべ き外 的 要 素か ら次 第 に 自由に な っ てい く過程を もっ て 「近代 化 」 と捉 え、 そ れ を は じめに主張 した批 評 家の 一 人 と して ボー ドレ ール を持ち 上 げる場 合 に も、 同じこ とが
言える3
。
もっ と もこ こ で 問題 と な っ てい るの は、 芸 術の歴史に おい て 、 「近代」
一 43一
と そ れ以 前の 時代 とを区 別 する た めにい か なる変化を真に革新的な もの と 見なすか とい うこ と にす ぎず 、 「近 代 性 」 とい う概 念 自体 をめ ぐる、多少 と も踏み込んだ検討に基づ く議 論で はない こ とも忘 れては な らない 。 多く
の論 者に よっ て繰 り返 し指摘さ れて い る よ うに、 もし 「近 代」とい う語の 持つ 本 来 的 な意 味 を、 そ れ以前の 過去 とは異な る もの と規 定 すれ ば、 その
「近 代 的な る もの」 もま た い ず れは古びて 過 去の もの と な る。 過 去 との 断 絶 とし て の 「近 代 」がそれ 自体 過 去と な り、 さ らに新た な 「近代」に よ っ
て 乗 り越 えら れ る とい う反 復が無限 に続い てい くの で ある4。 実 際、 芸 術
の 歴史にお い て 、 過 去との 差 異 を強調する こ とで 、 自らの 帰 属す る時代で ある 「近 代 」の優 位 を確 認 しようとする試み は繰 り返 し行われて きた。 美
の模 範が古代の ギ リシ ャ や ロ ーマ にある 以 上、 芸 術 家の役割は古 代の 芸術 家の水 準 に可 能な限 り近づ くこ と だ と主張 する 「古 代 派 」 と、 近代 とい う 時代は 、 対 象 を明 晰に認 識 し また表現 する理性の 点に お い て も、 社 会 的慣 行や 礼節、 趣 味の 洗 練の度 合い におい て も明 らかに過去 よ り も進 んでお り、
芸 術 家は こ うした進 歩を反 映させ な が ら古 代 よ りも優れ た作 品を創 造 すべ きだ と説い た 「近代派」 との 応 酬 を軸 とする 「新 旧論 争」が 、 17世紀の フ
ラ ン ス で展 開 さ れ た こ と は よ く知 ら れて い るが5、 その 後18世 紀か ら19世 紀 初 頭に か けて、 理 性 的 なや り方で普 遍 的 な理 想を簡潔かつ 透 明に再 現 ・ 模 倣 する こ と を 目指す美学自体 も、 感覚や感情の解放や 「想像力」の 行使
を通 じての 個 人 的主観 的創 造に基 盤を置 く 「ロ マ ン主義的美 学」へ と次 第
に道 を譲 る こ と に なる6
。 た とえば 1823年 に出 版 され たス タ ン ダ ー ル の
『ラ シ ーヌ とシ ェ ー クス ピア』は 、「ロ マ ン主義」が 何 よ りも 「古典主義」
の 対立概 念と して機 能 し た こ との 明確 な証 言と言 えよ う7。 19世紀後 半以 降と もな れ ば 、 自らの独 自性、革 新性 を声 高に主 張 するさまざ ま な 「主 義
(= イズム)」が 生起 ・交替を繰 り返すようにな り、 その 中には 「印象派」
や 「象徴 主義」、 「超 現実主義」、 「未来派」 とい っ た、 実際に芸術史の 重要
一 44一
な 画期を なす運動 も多く含ま れて い た。 の ちに も述べ るよ うに、 ボー ドレ ー
ル の 実践 を もっ て 「近代 性 」の 端 緒 と見なす議 論 は、芸 術 史の 現実の 展 開 と照 らし合わ せ た とき、 た しか にそ れ な りの 説得 力を持ちは するの だが、
芸術に お ける 「近代」とそ れ以前とを画す る数あ る可能な断絶の うちの一
つ を殊更に特権視 し た もの にすぎない と言 っ て し ま うこ ともで きる わけで ある。 実際、 ボー ドレール に は、 詩作にお ける修 辞や韻律 あるい は主 題の レベ ル で も、 理論 にお ける概 念 操 作の レベ ル で も、 そ の後の芸 術が切 り捨
て て しま うこ と に なる古典 主義的 な要 素 に執拗 にこ だ わ り続 けた とい う一 面もあ り8、 そ の こ と を考慮に入れ れ ば、 芸 術 的 近代 の創始 者 と し て遇す
るの に ふ さわ しい 人物 と して、 彼よ り先に多 くの 名 前を挙 げるべ きで さ え あるか も知れ ない 。 い ずれ にせ よ、 「近代 性 」 とい うもの が、 時 間の流れ
の 中で不 断に生起する さ まざまな変化の うちの一つ を決定 的なもの と見な すこ とで歴 史を区切る多分に作為 的な概 念で ある以上 、 さま ざまな形で創 意を発 揮 した他の芸術家、 批 評家 と比べ て 、 ボー ドレール の仕 事だ け が こ
の 概 念 と特別の 親和 性 を持つ とい う主 張は 、 い さ さか強 引に過 ぎる と言わ ざる を得ない Q
それ に もか か わ らず、 ボ ー ドレール とい う名 前に よっ て示さ れ る 厂近 代 性 」が、 多くの 可 能な 「近 代 性 」の うちの 一つ とい うに とどま らず、 歴 史 にお けるある決 定 的な地 殻 変 動 と密接に関わっ て い る とい う印象を与える
とす れ ば、 そ れは ボ ー ドレール 自身が 「モ デル ニ テ」 とい うフ ラ ン ス 語を
もっ とも早い 段階で用 い た批 評 家の 一人で あ り、 この 言 葉を人口に膾炙さ
せ た最 大の 功 労 者で もあっ た とい う事情 に因る とこ ろ が大 きい だろ う9
。
もっ ともボ ー ドレール 自身は こ の 「モ デ ル ニ テ」 とい う語を、 必ず しも
「古 典 性 」 との 対立 に お け る 「近 代性 」 を指 す もの とは捉えてい ない よう
に思われ る。 画 家 コ ン ス タ ン タ ン ・ギ ース を扱 っ た1863年の 論考 (た だ し
執筆は 1859年か ら1860年) 「現 代生活の画 家 (Le peintre de la vie Tnodernc )」
一 45
に お い て、ボ ー ドレ ール は 「モ デル ニ テ 」と題 され た一章を設 けて い るの だが、 その 中で こ の 新語 につ い て以下の 二つ の 定 義 を提示 して い る。
彼 〔コ ン ス タ ン タ ン ・ギ ース 〕の 索め るあ る何 もの か を、 モ デ ル ニ テ と名づ け る こ とを許 してい ただ きたい 。 なぜ とい っ て、 そ うした観 念 を言い 表すの にこれ よ り良い 語は見 当た らない の だか ら。 彼のめ ざす
とこ ろ は、 流 行が歴史的 な もの の裡に含み得る詩 的な もの を、 流行の
中 か ら取 り出すこ と、 一時 的な もの か ら永 遠な もの を抽 出 する こ と な
の だ10
。
モ デル ニ テ とは、一時 的 な もの 、 うつ ろい 易い もの 、偶 発 的な もの で 、 これが芸 術の 半 分 をな し、 他の 半 分 が、 永 遠 な もの 、 不 易 な もの であ
る 。 昔の 画 家一人一人に とっ て 、 一 佃 ずつ の モ デ ル ニ テ があっ たの だ11
。
ア ン トワーヌ ・コ ンパ ニ ョ ン が指 摘 する ように、 こ の 二つ の 定 義の 間に は 整 合 的 な解 釈 を拒 むかの ような 矛盾が ある。 第一 の 定 義に おい て 、「モ デ
ル ニ テ」 と は 、 流行 とい う一時的 なもの か ら時 間 を超 越 した永 遠 な る もの を引 き出す こ と とされ、 い わ ば一時 的 な もの と永 遠 なる もの の 総 合として 捉 え られ てい る一方、 第二 の定 義にお い て は、 「モ デル ニ テ」はあ くまで も 「一時 的な もの 」、「うつ ろい 易い もの 」、 「偶発 的な もの 」の み を指 し、
「永 遠な もの」、 「不易な もの 」 と結びつ い て は じ めて美を形作る と述べ ら
れ てい るか ら だ12
。 しか し 「永 遠な もの 」を うちに含む か否か とい う決し
て軽 くはない 問 題 を さ しあ た り度外 視 する と したな ら ば 、ボ ー ド レール の
考える 「モ デ ル ニ テ」が、 その 前と後で 歴史を区 分 けする 「近代性」を意 味する の で は な く、 芸 術 家の 眼 前に ある常 に うつ ろ い ゆ く現 実と深 く関わ
一 46一
りあ う概 念である こ とは、 比較 的容易に理解されよう。 なる ほど批評家 と
して の ボ ー ドレール は、最 初の 美術批評で ある 『1845年の サ ロ ン (Salon de 1845)』 以 来、 画 家た ち に向か っ て同時 代の風 俗 こそ を題材とすべ きだ
と訴 え続 け、 その際、 この 同時代の 風俗の こ とを、 アキ レス や アガメム ノ
ン とい っ た ホ メ ロ ス の 英 雄 た ちの 「占代の生活 (la vie anciemle )」 との 対
比 におい て 「近 代の生活 (1a vie moderne )」 と呼んで い るの だ か ら13
、彼
の 提示する 「モ デル ニ テ」の 観念か ら 「古代」に対 する 「近 代」 とい う含 意が完全 に取 り除か れて い る と は言え ない か も知れ ない が 、 「昔の 画 家一
人一 人に とっ て 、
一個 ずつ の モ デ ル ニ テが あっ た」 とい う先の 二番 目の定
義を敷 衍してい け ば、 ホ メ ロ スが 「古代の 生 活」を描 くの は、 当の ホ メ ロ
ス か ら見て うつ ろ い ゆ く現 在 を題 材 と して い る とい う意 味で 、 「モ デ ル ニ
テ」の 実 践で あっ た と解 釈 する こ ともまた可能で ある。 す な わ ちボー ドレー
ル は、 い つ の 時代 に生 きる芸 術 家で あ れ、 目の前に展 開 する現 実 をこ そ相 手 にすべ きだ と考え、 そ れ を 厂モ デルニ テ」の重 要 な条 件 と して捉 えてい
るの で あ り、 そ うで ある以上 、筑摩書房版 『ボー ドレー ル 全集』の 翻訳 を 一手に担っ た阿 部良雄が 「時 と して不便を感 じなが ら も14
」、 こ の語 に 「近 代 性 」で はな く 「現 代 性」 とい う訳 語 を充て るこ と にこ だわ り続 けたのは、
まっ た く正 しい 方 針で あっ た と言わ なけれ ば な らない 。
以 上の こ と を ま と め る な ら、 と りあえず 次の ように言 うこ と がで きる だ
ろ う。 ボ ー ドレール を始ま りと し て芸術 に何か が起 こっ たの だ とい う仮 定
に基づ い て 、彼を 「モ デル ニ テ = 近代性」の 概念 と結びつ ける類の 議 論は 、 はっ き り誤 りと は言え ない に せ よ、 そ れ が可 能な仮 定の一つ にすぎ ない こ とを忘れ が ちで ある とい う点におい て、 しば しば偏っ た もの となる。 ボー
ドレール
自身が 「モ デ ル ニ テ」の 擁護者で あっ た事 実は、 一見する と彼が 芸 術 行 為に お い て意 識 的に何か新 しい こ と を実 践 し、 それに よっ て彼以前 と以後 との 問に決 定 的な断絶を も た ら した と自負 して い たこ とを証 明 して
一 47