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ル ・ コ レ ク シ ョ ン よ り

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27

図書館員の文献紹介と

      資料の活

ル ・ コ レ ク シ ョ ン よ り 61

海防地理書『三国通覧図説』や、同じく林が天 明六(1786)年に成稿し、寛政三(1791)年に 版行した海防論『海国兵談』を、世を乱す妄説 として版木を没収し、林を禁固刑に処していま した。翌年、林が失意のうちに死去すると、皮 肉にもロシアからエカテリーナ2世が派遣した 使節アダム・ラクスマンが根室に来航して、松 平は自ら江戸近辺の諸藩の海岸防備の実情を視 察し、対応に迫られることになります。

 寛政五(1793)年三月、幕府は目付の石川忠 房らを松前に派遣して、六月にラクスマンと会 談させます。石川は彼が要求した通商関係の樹 立を、国是とする鎖国を理由にして断りますが、

ロシアに滞在していた大黒屋光太夫と磯吉の2 名の漂流民の帰国は受け入れました。鎖国体制 が完成した江戸時代初期では考えられなかった ことですが、外国からの帰国者を死罪とせずに、

彼らを情報源としてロシアの最新の状況を把握 しようとしていた幕府の政策の変化が見て取れ ます。この年の秋、大黒屋と磯吉は江戸へ送ら れ、吹上園において将軍徳川家斉や幕閣が列席 する中で、桂川が主導する取り調べを受けるこ とになります。

■尋問前の予備知識としての『魯

西

 桂川は幕府から2人を尋問する命を受けた時 点で、急遽、準備にとりかかり、自らのロシア に関する知識を高めようとしていました。これ はロシアという国の全体像を把握することに重 点をおいたようです。そのため、地誌の翻訳を 手掛けることとし、その対象となったのが蘭書 であるヨハン・ヒュブネルの著書『一般地理学』

(アムステルダム, 1769)でした。桂川は寛政五

(1793)年の一月に本書のうちのロシア地誌に 関する部分の抄訳にかかり、僅か11日間で『魯 西亜志』として脱稿したといいます。

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桂川甫周訳 『魯西亜志』写本 寛政五(1793)年 

 内容はロシアの国名から始まり、位置、面積、

他国との境界、河川、風土、行政、生産物、政治、

兵制、交易などから成っています。また、後半 部分からは「魯西韃靼」として、ロシアのシベ リア部分が説明されています。    

 本書は作られた目的からすれば版本にする性 質のものではなく、この尋問の終了後に書写さ れ流布したものと考えられます。本学図書館の 所蔵本も同年のものです。

■『 漂

ひょう

みん

らん

〔之

〕記

』とは

 桂川はこのような予備知識の蓄積をもとに尋 問を進め、同時に取り調べの記録を残しました。

『漂民御覧〔之〕記』 は尋問の様子を纏めたもので、

書名の一部の「御覧」は将軍徳川家

いえなり

斉の前で行 われたことを意味します。

桂川国瑞(甫周)著 『漂民御覧〔之〕記』写本 寛政六(1794)年

参照

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