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左京五条三坊の調査 -

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96 奈文研紀要 2014

1 はじめに

 今回の調査は、個人住宅建設にともなう事前調査とし て実施した。調査地は橿原市木之本町で、藤原京左京五 条三坊にあたり、従前の調査成果によれば、東二坊大路 および五条条間路の交差点の存在が予想される位置であ る(図Ⅱ-24)。調査区はこれらの条坊道路の側溝の検出 を主たる目的とし、東西16.0m、南北7.0mの規模の本調 査区を設定した。その後、五条条間路両側溝を検出する ために、新たに調査区の南側に東西3.0m、南北4.0mの 南拡張区を、北側に東西1.5m、南北5.5mの北拡張区を 設けた。調査面積は本調査区と南北拡張区をあわせて約 132.3㎡である。全体の発掘調査期間は2013年7月1日 から7月19日である。

2 検出遺構

基本層序  調査区の基本層序は、地表面から順に黄褐 色砂質土(現代の造成土)、黒褐色砂質土(現代の畑耕作土)、 明褐色粘質土または褐灰色粘質土(床土)、暗灰黄色粘 質土または褐色粘質土があり、さらにその下層にはオ リーブ褐色粘性砂質土または灰黄褐色粘性砂質土が調査 区全体にわたって堆積する。現地表面は、現代の造成土 が厚く盛られた調査区南側で標高75.0m前後、現代の盛 土がない調査区北側の畑耕作土上面で標高74.3m前後で ある。今回検出した遺構のうち、古代以前に属すると考 えられる遺構は、標高73.8m前後の暗灰黄色粘質土また は褐色粘質土上面、およびその下層のオリーブ褐色粘性 砂質土または灰黄褐色粘性砂質土上面で検出している。

このうち、後述する藤原宮期前後の遺物が出土した溝等 は、いずれも暗灰黄色粘質土または褐色粘質土上面から 掘り込まれていることから、この土層は藤原京造営段階 ないし藤原京期の整地土の可能性が考えられる。

検出遺構の概要  古代以前に属すると考えられるもの は南北溝1条、東西溝4条、斜行溝1条、土坑7基であ る(図Ⅱ-25・26・27)。このほか、耕作にともなう小溝が 南北方向に10条、東西方向に1条認められる。以下、各 遺構の内容を説明する。

南北溝SD₁₁₁₉₀  本調査区中央で検出した南北方向 の素掘溝。溝の幅は1.4~1.8m、深さは最大で0.3m程 度が残る。長さ5.1m分を検出し、さらに調査区外の南 北へ延びる。また、本調査区中央やや南よりで東西溝

左京五条三坊の調査

-第178-3次

図Ⅱ︲₂₅ 本調査区全景(北拡張区設定前。北東から)

図Ⅱ︲₂₄ 第₁₇₈︲₃次調査区位置図 1:₄₀₀₀

五条大路 五条大路 五条条間路 五条条間路 四条大路 四条大路

東二坊大路東二坊大路

178‑3次 178‑3次 178‑3次 178‑3次 178‑3次

0 100m

(2)

Ⅱ-2 藤原京の調査 97 SD11193が接続する。溝の埋土中からは藤原宮期前後の

須恵器、軒丸瓦、軒平瓦などが少量出土している。

東西溝SD₁₁₁₉₂  本調査区東北隅で検出した東西方向 の素掘溝。溝の幅は0.7~0.8m、深さは最大で0.4m程度 が残る。東は調査区外へ延びるが本調査区東辺から2.8 m西で途切れる。溝埋土から須恵器、土師器が出土して いる。

東西溝SD₁₁₁₉₃  本調査区東側で検出した東西方向の 素掘溝。溝の幅は0.7~0.9m、深さは最大で0.4m程度が 残る。東は調査区外へ延びるが本調査区東辺から西へ約 6mの本調査区中央やや南よりで南北溝SD11190に「T」

字形に接続し、そこから西へは延びない。溝埋土からは

7世紀~藤原宮期前後の須恵器、土師器が出土している。

東西溝SD₁₁₁₉₄  南拡張区で検出した東西方向の素掘 溝。溝の幅は0.8~1.0m、深さは最大で0.2mほどが残る。

長さ1.6m分を検出し、さらに調査区外の東西へ延びる。

溝埋土からは須恵器が出土している。

東西溝SD₁₁₁₉₁  北拡張区で検出した東西方向の素掘 溝。溝の幅は1.6m、深さは最大で0.5m程度が残る。長 さ1.0m分を検出し、調査区外の東西へ延びる。溝埋土 からは須恵器や土師器が出土している。

斜行溝SD₁₁₁₈₉  本調査区東側で検出した素掘溝。北 で東に約45°振れて斜行する。溝の幅は、0.3~0.9m、深 さは0.4m以上が残る。長さは8.0m以上を検出し、さら

図Ⅱ︲₂₆ 第₁₇₈︲₃次調査遺構図・土層図 1:₁₅₀ 北拡張区 北拡張区

SD11191 SD11191

SD11192 SD11192

SD11189 SD11189

SD11193 SD11193

SD11194 SD11194 11190

11190SDSD SD11190

SD11190 SD11189SD11189

SD11191SD11191

SD11194SD11194SD11193SD11193 SD11192SD11192SD11189SD11189

0 5m

北拡張区北拡張区南拡張区南拡張区 B′B′ B′B′

BB BB

CC C

C′C′ C′

A

A A

A′

A′

A′

X‑166,330

X‑166,340

X‑166,340X‑166,330

Y‑17,145 Y‑17,135

H=74.00m

H=74.00m

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98 奈文研紀要 2014

に本調査区外の北東-南西へ延びる。溝は調査区全体に 堆積する灰黄褐色粘性砂質土またはオリーブ褐色砂質土 から掘り込まれており、藤原京造営段階ないし藤原京期 の整地土と考えられる暗灰黄色粘質土および褐色粘質土 によって覆われていたため、東西溝SD11192・11193や 耕作にともなう小溝の埋土を完全に除去した溝底面で検 出した。したがって、これらより明らかに古い時期の遺 構である。調査区内からは、古墳時代の土器や埴輪も出 土していることから、古墳時代に属する遺構である可能 性を考えておきたい。

土坑群  本調査区東側および南北拡張区を中心に7基 の土坑を検出した。このうち一部の土坑は遺構の重複関 係から東西溝SD11193より古いと判断されるものあり、

溝掘削以前の遺構が含まれている。ただし、各土坑の性 格は不明である。  (清野孝之・山野ケン陽次郎/熊本大学

3 出土遺物

 調査区から、土器、埴輪、瓦類、木製品、獣骨、獣歯 等が出土した。

土 器  遺物整理用木箱3箱分の土器類が出土した。

床土出土の近代の陶器を除くと、古墳時代から中世まで の土師器、須恵器、瓦器、埴輪などがある。多くが小片 であり、図化可能なものはほとんどない。

 南北溝SD11190、東西溝SD11193・11191から出土し

た土器には、杯A、杯C、杯H、甕、ミニチュア土器な どの土師器や、杯A、杯B蓋、杯G、杯H、高杯、器台、

壺、甕などの須恵器がある。これらの土器には、飛鳥Ⅲ 以前と考えられるものや、藤原宮期以降のものもみられ るが、かえりのない須恵器杯B蓋など、藤原宮期前後に 属すると思われる資料を確実に含む。同様のことは、藤 原京造営段階ないし藤原京期の整地土と考えられる土層 の上面から出土した土器にも指摘できる。  (大澤正吾)

瓦 類  今回の調査により出土した瓦は、軒丸瓦1 点、軒平瓦2点、ヘラ描き平瓦1点、丸瓦8点(0.820㎏)、 平瓦19点(2.50㎏)と少ない。床土から出土した少量の 近世瓦を除くと、ほとんどが7世紀後半~藤原宮期ごろ の瓦と考えられる。軒丸瓦では、粗く砂粒の多い胎土(N/

Pグループ)でつくられた6275Aが南北溝SD11190から出 土した(図Ⅱ-28-1)。

 軒平瓦2点のうち、1点は重弧文で藤原京造営段階な いし藤原京期の整地土と考えられる土層の上面から出土 した。顎部分のみであるため、正確な弧線の数は不明だ が、四重弧もしくは五重弧とおもわれる。弧線は凹凸が 低く断面が三角形状を呈する。もう1点は偏向唐草文軒 平瓦で南北溝SD11190から出土した(図Ⅱ-28-2)。貼り付 け段顎をもち、顎の長さは6.5㎝、深さは2.3㎝。凹面の 瓦当際を横方向に削る。硬質で灰色、胎土には石英・長 石粒が多く含まれる。脇区の界線が瓦当上端から下端ま

図Ⅱ︲₂₇ 本調査区南半および南拡張区の状況(北東から) 図Ⅱ︲₂₈ 第₁₇₈︲₃次調査出土瓦類 1:4

0 10 ㎝

1

2

(4)

Ⅱ-2 藤原京の調査 99 で延びる点で既存の型式に該当するものがないため、新

型式の可能性があるが、焼成・技術・文様からみて時期 は藤原京期前後とみられる。  (森先一貴)

そ の 他   東 西 溝SD11193か ら ウ マ の 臼 歯、 南 北 溝 SD11190から燃えさし、木片が出土した。

4 ま と め

  今 回 の 調 査 で 検 出 し た 南 北 溝SD11190、 東 西 溝 SD11191・11193は、これまでの藤原京における調査成 果と比較すると、藤原京の条坊道路の側溝である可能性 を指摘できる。南北溝SD11190は東二坊大路の東側溝に、

東西溝SD11191・11193はそれぞれ五条条間路の北およ び南側溝にあたると想定される(図Ⅱ-29)。

 東二坊大路については、これまでに左京四条三坊・

七条二坊、紀寺跡の東側で東西両側溝が検出されてい る 1・2)。南北溝SD11190はこのうちの東側溝の北側延長 線上に位置しており、埋土中に藤原宮期の土器や瓦類 を含むことや、五条条間路南側溝に比定される東西溝 SD11193と「T」字形に接続する点などから、東二坊大 路東側溝の可能性が高いと考えられる。

 五条条間路については、先行条坊(西方官衛下層)を含 めこれまでに、右京五条四坊、右京五条五坊で南北両側 溝を確認しているが、左京では同一地点で両側溝を確認 した事例がない 3~5)。このうち右京五条四坊で検出し た五条条間路南側溝がやや南に位置するものの、その他 の南北側溝の東側延長線上にSD11191とSD11193がほぼ 重なってくる。このため東西溝SD11191が五条条間路北 側溝、東西溝SD11193が五条条間路南側溝に該当する可 能性は十分に考えられる。その場合、五条条間路の路面 幅は4.8m、溝心々幅は6.1mとなる。

 ところが、これまでの調査で検出されている五条条間 路の幅は、右京五条四坊で路面幅が9.6m、溝心々幅が 10.5m、右京五条五坊で路面幅が5.4m、溝心々幅が6.6 mである 6)。ややばらつきはあるものの、いずれも今 回検出した東西溝SD11191を五条条間路北側溝、東西溝 SD11193を五条条間路南側溝とした場合の五条条間路よ り幅が広い。今回の調査区では五条条間路北側溝の可能 性を指摘した東西溝SD11191の検出長が短い点、加えて これまでに左京で五条条間路の両側溝を確認した事例が ないことを考慮すれば、今後の左京での調査成果をあわ

せ、慎重に検討を重ねていく必要がある。

 このように、今回の調査で検出した東西溝SD11191・

11193を正確に評価していくためには、今後の資料の蓄 積、研究の進展を待つ必要がある。しかしながら、五条 条間路南北側溝の可能性を指摘できる遺構を、左京にお いて同一地点で検出したことの意義は大きい。東二坊大 路東側溝と推定できる南北溝SD11190の検出も含め、今 後の藤原京の条坊研究を進展させる上で貴重なデータを 加えることができたものといえよう。  (清野・山野)

1) 橿原考古学研究所編「紀寺跡第7次発掘調査概報」『奈良 県遺跡調査概報』1992。

2) 「東二坊大路・宮東面・東方官衙地区の調査(第75-13次)

『藤原概報 25』。

3) 奈文研『飛鳥・藤原宮発掘調査報告Ⅱ―藤原宮西方官衛 地域の調査―』奈文研季報 第31冊、1978。

4) 橿原市千塚資料館編『平成4年度埋蔵文化財発掘調査速 報展 かしはらの歴史をさぐる』1993。

5) 橿原市千塚資料館編『平成8年度埋蔵文化財発掘調査速 報展 かしはらの歴史をさぐる 5』1997。

6) 奈文研『藤原京研究資料』1998。

図Ⅱ︲₂₉ 今回の調査と関連する条坊遺構検出位置

■:両側溝を検出、▲:いずれかの側溝を検出

0 2㎞

北六条大路 北六条大路 北四条大路 北四条大路 北二条大路 北二条大路 横   大   路 横   大   路 二 条  大 路 二 条  大 路 四 条  大 路 四 条  大 路 六 条  大 路 六 条  大 路 八 条  大 路 八 条  大 路 十 条  大 路 十 条  大 路 十二条大路 十二条大路 十四条大路

十四条大路西坊大路 坊大路

西坊大路 坊大路

西坊大路 坊大路

西坊大路 坊大路   雀    大  路

藤 原 宮 藤 原 宮

178‑3次 178‑3次

178‑7次 178‑7次

参照

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