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イタリアにおけるテリトーリオの都市計画的再評価 とその展開に関する研究

著者 植田 曉

著者別名 UEDA Satoshi

その他のタイトル A study on the reevaluation of the territorio concept and its development by the Italian urban planning approaches

ページ 1‑291

発行年 2018‑03‑24

学位授与番号 32675乙第234号

学位授与年月日 2018‑03‑24

学位名 博士(工学)

学位授与機関 法政大学 (Hosei University)

URL http://doi.org/10.15002/00014640

(2)

法政⼤学審査学位論⽂

   

イタリアにおけるテリトーリオの都市計画的再評価と その展開に関する研究

植⽥ 曉  

 

(3)

 

第1章 我が国におけるイタリア都市計画研究の40年とテリトーリオ 9 はじめに

第1節 本研究の背景、語⽤、我が国における既往研究 11 第1項 本研究の背景 11

第2項 本研究における⾔葉遣い 13 第3項 本研究で⽤いる主な⽤語 13

第4項 我が国における建築・都市研究の分野にみる既往研究 16

第2節 本研究の⽬的と組み⽴て 23 第1項 本研究の⽬的・⽅法・起点とする時代 23

第2項 本研究の枠組みと組み⽴て 25 第3項 本研究における留意点 28

第2章 20世紀のイタリア都市計画が再⽣をめざした理想的テリトーリオの特性 33

第1節 テリトーリオにたいする着眼点にかんする整理 33 第1項 理想的テリトーリオの要件 34

第2項 理想的テリトーリオの2つの領域性 35

第3項 我が国における理想的テリトーリオを理解するための⽂献の整理 35

第2節 19世紀まで維持されていた理想的テリトーリオの特性 38

第1項 ニコラ・オットカールが記した中世のコムーネにみるテリトーリオの特性 38 第2項 ルネサンス初期に定義されていた理想的テリトーリオの理念的特性 40

第3項 カルロ・カッターネオが記した

⼈⽂地理学的視点からみた理想的テリトーリオ 41 第4項 ルイス・マンフォードが記した

地域計画学的視点からみた理想的テリトーリオ 42 第5項 20世紀に振り返った理想的テリトーリオの像 43

第3節 リソルジメントをさかいに損なわれていった理想的テリトーリオ 44 第1項 歴史的市街地における変容 46

第2項 歴史的な市街地の近郊や農業地域をはじめとした周辺地域における変容 49 第3項 ⾃然の豊かな地域をめぐって議論されたパエサッジョという価値観 57

第4節 章結 テリトーリオの変容にたいして近代都市計画に委ねられた課題の整理 61

(4)

第3章 20世紀前半におけるテリトーリオの再評価に向けた萌芽的取り組み 69

第1節 歴史的な市街地保存活⽤に向けた20世紀前半の都市計画的取り組み 70 第1項 ジョヴァンノーニによる3つの著作で参照した先⾏的海外事例 71

第2項 ジョヴァンノーニによる都市計画的提⾔ 72 第3項 ジョヴァンノーニによる⽥園都市の啓発と実践 75 第4項 歴史的市街地を対象とした都市計画の2つの動向 76

第2節 歴史的な市街地の保存活⽤に向けた調査や計画の提唱、実践とその広がり 77 第1項 新たに育まれた都市や建造物の研究の視点 78

第2項 都市計画の提案や実践 79

第3節 パエサッジョの保存活⽤に向けた啓発と制度整備 80 第1項 美観を保護する制度が制定されるまでの取り組み 80

第2項 ⾃然に⼈の⼿が加わった中⼭間地域のパエサッジョの啓発 82 第3項 美観を保護する制度の運⽤にあたっての課題と⾒直し 83 第4項 新たに制定された⾃然美保護法とその施⾏令 84

第4節 都市計画法制定に向けた取り組み 87 第1項 都市計画法の制定に向けた⽴脚点 88

第2項 ピッチナートによって進化した「都市の有機性」という展望 88 第3項 公教育省が求めた都市計画マスタープランの性格 89

第4項 ジョヴァンノーニが想定した州域都市・景観調整計画の性格 90

第5節 都市計画法の制定と戦後復興の展望 92 第1項 国⼟全域にたいする⼀般的な規範となる都市計画法の概要 92 第2項 「復興にむけた都市計画と建造物の展望」の編纂 94

第3項 「復興にむけた都市計画と建造物の展望」の共有

都市計画研究院1945年⼤会 98 第4項 チェントロ・ストリコの保存活⽤に向けた取り組みの採択 99

第6節 章結 都市計画界が試みたテリトーリオの再⽣と次世代の都市計画家 100

第4章 歴史的地域資源の保存活⽤に向けたイタリア独⾃の⽅法論の創出 107

第1節 テッスート・ウルバーノという概念が確⽴されるまでの経緯 109 第1項 中世の都市研究とその歴史的重層性にかんする研究の確⽴

都市の形態の分析 109 第2項 イタリア都市計画界におけるテッスートというアレゴリーの登場 110 第3項 テッスートというアレゴリーから

テッスート・ウルバーノという都市の領域的な認識を共有する概念へ 112 第4項 テッスート・ウルバーノという概念の広がり 115

(5)

 

第2節 テッスート・ウルバーノという分析⽅法の確⽴ 117 第1項 エドアルド・デッティによる「都市のかたち」の分析⼿法の確⽴と

都市の形態学的分析 117 第2項 ムラトーリによる建造物の類型学と

テッスート・ウルバーノの融合による都市分析 120

第3節 テッスート・ウルバーノを背景としたチェントロ・ストリコの保存活⽤の実践 137 第1項 チェントロ・ストリコの保存活⽤に向けた⼀般的解法の模索 138

第2項 建造物の類型学とテッスート・ウルバーノの実践における応⽤ 141 第3項 チェントロ・ストリコの保存活⽤の実践と3つの展開 147

第4節 テッスート・ウルバーノの分析と真正性の結びつき 154 第1項 ボローニャ⽅式の拡⼤解釈と詳細な観察が可能とした真正性 155

第2項 考古学的保存という観察⼿法に基づく真正性 157

第3項 類型学的な保存活⽤の限界と物理的な観照にもとづく真正性 159

第5節 章結 都市の有機的⼀体性をあらわす イタリア独⾃に育まれたテッスート・ウルバーノ 162

第5章 都市地域におけるテリトーリオの再評価にかんする系譜的研究 171

第1節 イタリア都市計画が⽬標とした2⾯性の両⽴に向けた課題の整理 172 第1項 歴史的な地域資源の保存活⽤に貢献した3つの団体の特徴 172 第2項 チェントロ・ストリコと近代以降に官⺠がうみだした市街地の状況 174 第3項 第2次世界⼤戦直後の州とコムーネの法定都市計画にみる展望と特徴 178

第4項 改定都市計画法と定性的地域資源の新たな関係の把握 182 第5項 都市地域の再評価に臨む都市計画家の着眼点にかんする整理 186

第6項 本節のまとめ 188

第2節 モデルとしてのチェントロ・ストリコの保存活⽤ 189 第1項 都市計画分野における歴史的地域資源にたいする⼊念な調査研究と

修復マニュアル 190 第2項 チェントロ・ストリコを特区化したローマ市の保存活⽤の展開

ミクスト・ユースの市街地づくりと⽂化が集約する場 191 第3項 チェントロ・ストリコに適した都市デザイン的⼿法の展開

アレード・ウルバーノ 193

第4項 本節のまとめとチェントロ・ストリコ全域のマネージメントの提唱 194

第3節 近代以降の官⺠がつくりだした市街地における課題と解決 196 第1項 農業地域を中⼼に変容した戦後のテリトーリオと都市計画界の取り組み 198

第2項 ⼟地利⽤計画による農業地域や緑地を担保する環境保全を⼿法化した

1960〜70年代の都市計画マスタープランの⼿法 202

(6)

第4節 近代以降の官⺠がつくりだした市街地における歴史評価の試み 212 第1項 チェントロ・ストリコとその周辺の⼆項対⽴的理解の転換 212

第2項 近代以降にうみだされた市街地を

再評価する視点としてのチッタ・ストリカ 214

第5節 チッタ・ストリカという都市地域全域の制御に向けた都市計画

̶事例としてのローマ市の2003年度都市計画マスタープラン 216 第1項 テッスートというゾーニング 217

第2項 歴史と⾃然からつくりあげる⼤規模な都市施設 219

第6節 章結 テッスートという概念によってチェントロ・ストリコから チッタ・ストリカに広げることが可能となった歴史的地域資源としての市街地 220

第6章 農業地域におけるテリトーリオの再評価にかんする系譜的研究 229

第1節 農業地域を中⼼としたパエサッジョとテリトーリオの複数の定義 229 第1項 審美的視点より定義されたパエサッジョの概念 229

第2項 環境的視点より定義されたパエサッジョの概念 230 第3項 歴史的視点より定義されたパエサッジョの概念 231

第2節 建築計画、都市・地域計画における 農業地域を中⼼としたパエサッジョとテリトーリオの定義 231 第1項 第2次世界⼤戦直後の農業地域における取り組みと

先駆的な都市計画マスタープラン 232 第2項 建築計画学界におけるテリトーリオの定義と

都市・地域計画学界におけるパエサッジョの定義 233

第3節 テリトーリオを対象とした 歴史的地域資源の保存活⽤に向けた分析・計画⼿法の展開 235 第1項 ⼟地利⽤の定性的応⽤という視点の確⽴ 235

第2項 景観構成要素の分析という視点の確⽴ 236 第3項 低密度市街地とテッスート・テリトリアーレを分析する試み 237 第4項 ⼟地利⽤と景観構成要素の分析にかんする3つの考察 237

第4節 テリトーリオ全域の詳細なパエサッジョの分析 238 第1項 テリトーリオ全域の類型学的分析 238

第2項 テリトーリオ全域の形態学的分析 239 第3項 本章の考察 239

第5節 章結 農業地域のパエサッジョの分析⼿法の確⽴と残された課題 239

(7)

 

第7章 テリトーリオ全域を再評価する法定都市計画と⽂化的景観によるマネージメント 247

第1節 都市・地域計画によるパエサッジョの制御をつうじた再評価 249 第1項 都市計画マスタープランによる制御 249

第2項 県域調整計画による制御 251 第3項 本節の考察 252

第2節 ⽂化的景観としてのテリトーリオの再評価 252 第1項 テリトーリオを具現化するEUの景観条約と⽂化的景観 253

第2項 2つの世界遺産地区における⽂化的景観の保存管理計画 256 第3項 2つの世界遺産地区における

⽂化的景観の保存管理計画と景観ガイドライン 259 第3節 章結 新しい理想的テリトーリオに向けた取り組みの可能性 261

第8章 終章・イタリアにおけるテリトーリオの再評価とそこから学ぶもの 267

第1節 各章で記述したテリトーリオの側⾯にかんする検証と考察 267 第1項 「第1章」にかんする考察 267

第2項 「第2章」にかんする考察 268 第3項 「第3章」にかんする考察 270 第4項 「第4章」にかんする考察 272 第5項 「第5章」にかんする考察 275 第6項 「第6章」にかんする考察 278 第7項 「第7章」にかんする考察 280

第2節 各章で記述したテリトーリオの側⾯から得られた知⾒ 281

第1項 各章の考察から理解しえたテリトーリオの範囲にたいする

時系列の理解の変化にたいする理解 282 第2項 テッスートという概念に基づく⽅法論の汎⽤性にたいする理解 284 第3項 3つの定性的価値にたいする研究の先⾏性と将来性の付与にたいする理解 286 第4項 テリトーリオの都市計画的な価値と社会的経済的価値の

連動にかんするマネージメントにたいする理解 287 第3節 終わりに 287

謝辞 289

(8)

法政⼤学審査学位論⽂

イタリアにおけるテリトーリオの都市計画的再評価と

その展開に関する研究

(9)
(10)

第1章 我が国におけるイタリア都市計画研究の 40 年とテリトーリオ研究

はじめに

イタリアにおける歴史的地域資源、すなわち建築や建造物、⾯的な広がりをみせる市街地 や景観の保存の概念は極めて個性的といえる。多くの場合は久しく、これらの資源を培って きた地域のコミュニティや経済活動の維持もしくは再⽣という⽬的に結びついており、その カバーする分野が増え続けているためである。今やこれらの地域資源は、持続可能な社会を

⽀える中⼼的な役割を担っているとすらいえる。しかもイタリアでは保存の対象の真正性を 尊重するからこそ、新しい時代の価値を付加しうるという独⾃の再⽣の思想を⽣み出した。

上記を踏まえると、先達たちによる研究も、

・イタリアの歴史的地域資源の保存活⽤が建築や建造物、都市や景観の真正性を尊重した 成果であること、

・上記の取り組みが、歴史のなかで培われたコミュニティや経済活動に付加価値を与え、

持続可能な社会の再⽣に結びついていること、

以上2 点からなる価値観に⽴脚していると総括しうる。拙論もこれらの知⾒を踏まえる。

この保存の対象の有機的な⼀体性を背景として⾯的な広がりを求める姿勢と、個々の歴史 的地域資源を念⼊りに保護する姿勢の両⽴が、「歴史的な市街地=チェントロ・ストリコi」 や「(歴史的)景観=パエサッジョ(・ストリコ)ii」の保存iiiや活⽤を可能にし、その⽅法論 をより強固なものにしてきたといえる。その実践のために都市計画⼿法が開発され、多⼤な 貢献を遂げてきたことは、先達によって我が国に紹介されてきた。

拙稿では、歴史的地域資源をより広範に捉える近年の傾向に着⽬する。それは、

(1)チェントロ・ストリコやパエサッジョ・ストリコの有機的関係性が顕在化し、双⽅

を合わせた、より広範な地域を認識しえたこと、

(2)従来は個別に⽴地していた建築や建造物、その他の⼩規模な地域資源の有機的な関 係性が顕在化し、例えば街なかの店と農場の家屋と農地の関係を認識しえたこと、

(3)上記の(1)と(2)の状況が⼊れ⼦状の関係として認識され、これまでにない広 範な地域の有機的な関係性が顕在化したこと、

i centro storico. 後述するように歴史的な市街地を都市計画⽤語としてチェントロ・ストリコと呼ぶよう になったのは、遅くとも 1945 年のことだった。当初は「歴史的芸術的市街地(チェントロ・ストリコ・

アルティスティコ)」(centro storico artistico)と呼ばれた。⽂化的資産として啓発する意味合いが込め られていたと考えられる。⽂化的資産としての啓発が⼀定の成果をみせ、市⺠の⽣活の場として住宅政 策の受け⽫としての取り組みが進むにつれて、「歴史的な市街地(チェントロ・ストリコ)」という呼称が

⼀般化した。

ii paesaggio ( storico )

iii当初は歴史的な市街地の「保存」、景観の「保護」のいずれの⾯でも、「conservazione」という単語が使 われていた。

(11)

以上の3点の特性を有している。とくに、(1)にみる地域の姿は、⻑い年⽉をかけて地域 に育まれてきた社会性や経済活動の表れとして理解することを容易にした。このことが、地 域を歴史的観点から再評価し、維持管理することを可能にしたと考えられる。そこで拙稿で は、こうした再評価の背景となった、地域の歴史的な全体像を読み解くための理論と保存活

⽤の⽅法論の確⽴、そして実践の展開をひもとくものとする。

この課題に取り組む上で、あらかじめイタリアにおける地域資源の保存活⽤の経緯を俯瞰 する。これまでに我が国で発表された論考ivから、以下のような系譜を組み⽴てることがで きる。歴史的地域資源の保存活⽤の取り組みは、20 世紀初頭にさかのぼることができる。

当初は、選ばれた地域資源にたいする⽂化的な価値の付与と、その保存や保護という側⾯か ら着⼿された。歴史的な市街地の保存と活⽤、景勝としての景観の保護に両極化するかたち で、課題の検討や制度化が進められた。都市計画界では都市計画法vが整備されたのちの第 2次世界⼤戦中より、それよりひと⾜早く戦前に施⾏された⽂化財保護法vi、⾃然美保護 法viiの活⽤も含めて、地域資源の保存活⽤という課題を近代的都市計画に融合すべく検討を 進めた。第2次世界⼤戦後の復興の展望とあわせ、20世紀後半に⼊ると歴史的市街地の保 存と景観の保護にたいする本格的な取り組みが始まった。最初にチェントロ・ストリコの保 存が取り上げられ、程なくパエサッジョ・ストリコの保護も議論に取り上げられた。

チェントロ・ストリコの保存活⽤は、1950年代の国⺠的な運動にはじまり、50年台の後 半には我が国の市町村にあたる「基礎⾃治体=コムーネviii」の都市計画マスタープランを計 画的枠組みとして実現され、次々と新しい⼿法が⽣み出された。1980年代後半には不動産 市場で付加価値がつくほど、軌道に乗った。チェントロ・ストリコの保存活⽤に成功したの ちには、⼀般市街地を対象とした歴史を⽣かしたまちづくりを推進する上で、「歴史都市=

チッタ・ストリカix」が肯定的な意味で標榜されるようになった。

パエサッジョ・ストリコの保存活⽤には、

(1)⾃然地域の景観の保護や環境価値の⾼い地域を景観として保護する流れ、

(2)農業地域の歴史的な景観を保護、維持活⽤する流れ、

以上の2つの流れがうまれた。前者は制度的に整備されたが、後者の研究や啓発は20世紀 後半に進んだ。しかしその実践は⽣産の現場を対象としたがゆえに困難を極め、1990年代 以降になってはじめて可能となった。社会的な要求による後押しや、経済的補助の体制が充 実したとはいえ、今⽇でも農業地域のパエサッジョ・ストリコを歴史的な地域資源として維 持し活⽤する主体は、あくまでも事業者であり、その努⼒に委ねられている。

iv 系譜的な研究はパオラ・ファリーニ(1998)、陣内秀信(1978a、1978b)、野⼝昌夫(1993、2008)、宗⽥

好史(1988、1998)、植⽥曉(1998、2015、2016)、以上の和書から組み⽴てることができる。

v イタリアでは 1942 年法第 1150 号「都市計画法」によって、我が国の国⼟利⽤計画上の⼟地利⽤基本 計画における5地域にあたる⼟地利⽤の制御を、都市計画が⼀元的に執りおこなうことが定められた。

州、県、我が国の市町村にあたる基礎⾃治体(コムーネ)の⾏政域であるテリトーリオには、都市地域以 外の4地域も含まれるため、本来であれば、都市・地域計画とすべきだが、拙稿ではイタリアの表現にな らって都市計画と記すこととする。

vi 1939 年 6 ⽉ 1 ⽇法第 1089 号「芸術的歴史的価値のある事物の保護」にかんする法

vii 1939 年 6 ⽉ 29 ⽇法第 1479 号「⾃然美の保護」にかんする法

viii comune

ix città storica. ストリカ(storica)という形容詞は、ストリコ(storico)が⼥性名詞に準じて変化した場 合の単数形である。

(12)

このようにイタリアでは、近年に⾄って、チェントロ・ストリコの保存活⽤、景勝のパエサ ッジョ・ストリコの保護、その他の⾃然地域、とくに環境価値の⾼い地域のパエサッジョの 保護や再⽣に加え、その間に挟まれた農業地域のパエサッジョ・ストリコの保存活⽤が成果 をあげたことが理解できる。

以上の経緯から理解できるのは、

(1)チェントロ・ストリコやパエサッジョ・ストリコから、我が国の5地域区分にあた る⼟地利⽤に保存活⽤の対象地が広がったこと、

(2)我が国の5地域区分にあたる⼟地利⽤ごとに、歴史的または環境的な観点による再 ⽣の取り組みがすすんできたこと、

以上の2点である。⼀⽅、先に述べた歴史をいかした地域の再評価とは、5地域区分を複合 的に「(歴史的)地域=テリトーリオ(・ストリコ)x」として捉えることによって可能とな る。したがって拙稿で明らかにすべき課題は、

(1)各⼟地利⽤におけるこれまでの再評価の思想を再検討し、その⼀致点または⼀致さ せる都市と地域の思想のメカニズムを明らかにすること、

(2)テリトーリオ・ストリコに通底する空間認識の⽅法を論ずること、

をとおして、イタリアの歴史を⽣かした地域づくりの新しい地平を論ずるものである。

第1節 本研究の背景、語⽤、我が国における既往研究

第1項 本研究の背景

本研究の背景として、5つの切り⼝をあげることができる。

第1に、我が国の景観をめぐる状況が変化したことをあげたい。我が国では2004年に景 観法制定、2005年の⽂化的景観を定めた⽂化財保護法改正、2008年の通称歴史まちづくり 法xi制定を経て、歴史的な景観を⽣かしたまちづくりや地域づくりが、公的な政策や計画と して推進することが可能となった。なかでも従来の伝統的建造物群保存地区や景勝地、国や 地⽅⾃治体の定めた⾃然公園などの限られた範囲のみならず、国⼟利⽤計画上の⼟地利⽤基 本計画における5つの地域を政策・計画の対象として横断的に範囲を設定し、⼀つの有機的 なつながりを評価することが可能となった。我が国におけるこの新たな状況は、イタリアで 着⽬されたテリトーリオにたいする視点と極めて近い価値観を有することとなったことを研 究の背景の第1の切り⼝としてあげたい。

第2に、我が国における景観、イタリアにおけるパエサッジョにたいするこれまでの取り 組みに相違があることをあげたい。我が国の都市計画分野では都市景観にかんする議論や取 り組みとして⻑年の蓄積があるものの、農業景観にたいする議論が盛んになったのは、景観

x territorio (storico)

xi通称歴史まちづくり法の名称は、地域における歴史的⾵致の維持及び向上に関する法律である。

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法策定後、あるいは⽂化財保護法の改正により⽂化的景観という分野が確⽴されて以降のこ と、つまり今後の蓄積が期待される分野と考えられる。この点、イタリアにおけるテリトー リオ・ストリコの特徴や魅⼒は、20世紀前半には浮き彫りにされていた。

農業地域を含めたパエサッジョ・ストリコの保存とテリトーリオの活⽤にむけた検討は、都 市計画界において戦後復興の⼀翼を担う課題として、1950年代中頃には議論の俎上にのっ た。1980年代後半には、⽣産の現場が⾃然環境や⾷の安全といった未来に向けた価値を担 保する地域資源としても再評価された。この延⻑上に⼈⽂地理学の分野で20世紀初頭に提 唱され、ユネスコの世界⽂化遺産の分野のひとつとなった⽂化的景観の保存管理計画と都市・

地域計画を結びつける取り組みも⽣まれた。イタリアの農業地域においてもチェントロ・ス トリコの成功と同様に、歴史的な地域資源に今⽇的もしくは将来に向けた付加価値を与える に成功した蓄積があることを背景の第2の切り⼝としてあげたい。

第3に、我が国とイタリアの農業地域における変容の過程が類似しており、⽐較の⽴脚点 を築きやすいことをあげたい。イタリアの都市地域と農業地域の密接な結びつきは、19 世 紀末から近代化が進む過程のなかで損なわれていった。とくに

(1)近代化の過程におけるテリトーリオにたいする認識や意識の喪失、

(2)第2次世界⼤戦後のパエサッジョやテリトーリオの著しい変容、

以上の2つの課題は我が国とも共通していた。(1)(2)双⽅の時代をまたいでおこった現 象は、農業地域を空地としてしか捉えなかった都市地域の侵⾷が引き起こしたといえる。(2)

の時代にはさらに、農業という産業そのものの変化、すなわち農業改⾰と働き⼿の流出によ る⼈⼝減少、経営規模の拡⼤、耕地の拡張、耕作機械の導⼊、化学肥料や農薬の投⼊と多岐 にわたる変容の要因が加わった。こうした過程によって引き起こされた⼟地利⽤と⽣産活動 の変化にたいして、イタリアでは早い時期から農業地域を具体的に読み解き、損なわれてい くものに国⺠の注意を喚起する啓発をおこなってきたこと、並⾏して、その姿を克明に分析 し、保存や再⽣を可能な状況をつくりだしてきた蓄積があることを背景の第3の切り⼝とし てあげたい。

第4に、パエサッジョ、テリトーリオという⽤語を、約半世紀をかけて質的な性格をもつ 都市計画⽤語として育んだことに着⽬したい。イタリアでは故郷をさすパエーゼから派⽣し た単語であるパエサッジョには「先⼈の営みが⽣み出した造形」という意味、領⼟をさすテ リトーリオには「都市と周囲の農業地域や⾃然の有機的な結びつきからなる⾃⽴した定住環 境」という意味が込められてきた。しかし近代化の過程を経て、第2次世界⼤戦が集結する 頃、もしくは戦後復興期に、建設業界の著しい発展をはじめとした産業構造の変化が国家規 模で起こり、都市計画的に制御しきれない野放図な開発は農業地域を市街化し、傷跡を残し た。この過程においてパエサッジョ、テリトーリオという⾔葉の意味は都市計画分野で、開 発⾏為を正当化するが如く、矮⼩化されて利⽤されるようになっていた。

パエサッジョは⽤途ごとに細分化された⼟地利⽤の表徴として、テリトーリオは地域計画の 範囲を⽰す⽤語としてのみ理解されていた傾向が指摘されており、歴史的価値の喪失が危惧 されていた。これらの2つの⽤語や、新たに造成された「市街地=チッタ」(città)に残さ れた歴史性をきっかけとしてまちづくりを進めるため、チッタ・ストリカ、テリトーリオ・

ストリコ、パエサッジョ・ストリコという専⾨⽤語を定義したのは1990 年のことだった。

(14)

この経緯、すなわち歴史という定性的な展望を以て国⼟全域を計画する価値観が共有される に⾄った経験があることを、背景の第4の切り⼝としてあげたい。

第5に、失われつつあった伝統的な耕作⽅法そのものを評価の対象としたことをあげたい。

イタリアの第2次世界⼤戦後の復興は終戦後早々に始まり、農業地域の変容もそれに連動し た。都市地域以上に近代農業を実践する農業地域の変容は著しく、歴史的痕跡を残さない。

そのため1950年代中期には特別法の元に、⼀部の農地で永年性作物を栽培する農地を中⼼

とした保護策がとられた。時期を同じくして、伝統的な作付け⽅法である混作を保存活⽤す る意義も分野を超えて論じられ、啓発の対象となった。建築史や都市計画分野はその⼀翼を 担い、地形と農場の関係から作付けに⾄るまで、多岐にわたる農業地域を詳細に分析する指 標を⽣み出した。この蓄積の結果、農業地域のパエサッジョ・ストリコでは、真正性を保っ た保存・活⽤、再⽣が可能となったことを、背景の第5の切り⼝としてあげたい。

以上の5つの背景を元に、我が国との⽐較を意識した視点を設定し、イタリアの農業地域 における取り組みを中⼼に、テリトーリオ・ストリコの保存活⽤を可能にしたメカニズムを 論ずるものとする。

第2項 本研究における⾔葉遣い

本研究では、陣内秀信をはじめとした先達によって啓発的に使⽤された「チェントロ・

ストリコ」という⽤語が、すでに我が国では普及しているという前提にたち、論を進める。

ただしこの⽤語がイタリアで確⽴されたのは1944〜45年xiiという年度のことである。拙稿 ではこれ以前のチェントロ・ストリコにあたる市街地を「歴史的な市街地」と記す。

この顰みに倣うと、「チェントロ・ストリコ」にならって、「パエサッジョ・ストリコ」、

「テリトーリオ・ストリコ」と記すと、拙稿の趣旨を明確に提⽰することができる。ただし これらの⽤語が都市計画⽤語として定義されたのは、1990年のことだった。それより前の 時点では、拙稿で取り上げる各研究者や計画者が、歴史性を強調する場合において、個⼈の 主観により「ストリコ」を⽤いていたため、その意味は⼀定ではなかった。歴史性を意識し ない場合は単に「パエサッジョ」「テリトーリオ」として論じていた。そこで拙稿では本項 以降、20世紀前半に損なわれた「パエサッジョ」「テリトーリオ」を論じるときには、ルネ サンス時代の再定義とその後の安定期を踏まえ、「理想的なパエサッジョ・ストリコ」、「理 想的なテリトーリオ」と記すこととする。

第3項 本研究で⽤いる主な⽤語

拙論で取りあつかう⽤語とその概要を、以下のとおりにまとめる。

xii チェントロ・ストリコは当初、「歴史的芸術的中⼼地=チェントロ・ストリコ・アルティスティコ」(centro storico artistico)と呼ばれていた。チェントロ・ストリコと呼ばれるようになったのは 1970 年代のはじ めのことである。ただし拙稿では 1944 年以降の 20 年間も含めて、チェントロ・ストリコと記すものと する。

(15)

【⾯的な広がりを有する地域資源、市街地】

1.チェントロ・ストリコ(centro storico)

歴史的な市街地。1944〜45 年度に都市計画研究院が国に答申し、活⽤されるようにな った。

1968 年の橋渡し法施⾏令の施⾏以降、都市計画上はA地区として記される。

戦後以降 1970 年代初頭までは、芸術的チェントロ・ストリコ(centro storico artistico) と呼んでいたが、公営住宅供給をチェントロ・ストリコで実践するようになってから、

「芸術的」という⽤語を外す傾向が強くなった。

2.チッタ・ストリカ(città storica)

歴史都市。かつてのチェントロ・ストリコのB地区を指し、20 世紀前半にうまれた市 街地をさした。1970 年代初頭には、チェントロ・ストリコと農業地域の断絶を指摘す る啓発的⽤語として使われていた。1980 年代半ば以降、近代以降に官⺠が⽣み出した 市街地において、歴史的地域資源を活⽤した市街地の性格付けを検討するなかで再定義 され、2003 年に施⾏されたローマ市都市計画マスタープランの標語ともなった。今⽇

では 1970 年代初頭の建造物も、歴史的テッスートの⽤途指定の対象となっている。

3.チッタ・ディフーザ(città diffusa)

フランチェスコ・インドヴィーナが命名した、農業地域に⽣まれた⼩規模な市街地。1970 年代〜1990 年代にかけて、数多く分布した。ヴェネト地⽅ではこうした市街地の⽴地 を規制しなかったため、ヴェネト・モデルとも呼ばれる。これらが時には町⼯場を伴い、

点々と⽴地し、幹線道路に沿って線状にスプローし、連結する場合もある。伝統的な都 市の広場のような中⼼となる公共空間がなく、「とりとめもなく広がる市街地」とイン ドヴィーナが評した⾔葉が、そのまま専⾨⽤語として流布するようになった。

4.テリトーリオ(territorio)

「地域」。都市と周囲の農業地域や⾃然の有機的な結びつきからなる⾃⽴した定住環境。

中世の時代に形成された都市国家を原型とし、ルネサンス期には⽂⼈たちの理想的ライ フ・スタイルとなった。その⼟地利⽤は今⽇的に⾒れば、都市地域(チェントロ・スト リコ)、農業地域、⾃然の豊かな地域となる。

1960 年代前半にサヴェリオ・ムラトーリがモデル研究をした。

1990 年に ANCSA のグッビオ憲章ʼ90 において、近代以前のテリトーリオをテリトーリ オ・ストリコ(歴史的テリトーリオ)と定義した。

地⽅⾃治体の⾏政域を⽰す都市計画⽤語として利⽤される場合も多い。

拙稿では、近代化以前のテリトーリオを指す場合には、理想的テリトーリオと記した。

5.パエサッジョ(paesaggio)

「景観」。1960 年代末にヴィットリア・カルツォラーリが都市・建築辞典において定義 した。ついで 1973 年にはテリトーリオで「テリトーリオのエコロジカルな側⾯と歴史 的社会的経済的側⾯がひとつの体系となり、⽴ち現れたもの」と定義した。

1990 年に ANCSA のグッビオ憲章ʼ90 において、近代以前のパエサッジョをパエサッジ ョ・ストリコ(歴史的パエサッジョ)と定義した。

6.⽂化的景観(paesaggio culturale)

起源はドイツの地理学者 O. シュリューター、またはアメリカ合衆国の地理学者 C. サ

(16)

ウアーにさかのぼる。戦後のイタリアの地理学では、⾃国の第⼀次産業地域の景観を⽂

化的景観そのものと理解してきた。たとえばアルド・セスティーニはシュリューターを 引⽤し、エウジェニオ・トゥッリはサウアーを引⽤した。

ユネスコの世界⽂化遺産のいちカテゴリーとして 1992 年に創設された。

「⼈と⾃然のコラボレーション」として総括しうる。

【分析⼿法】

1.テッスート・ウルバーノ(tessuto urbano)

都市組織1。「歴史の中で⻑い時間を掛けて形成されてきた有機体として⾒る。すなわ ち、それを構成する各部分が相互に関係を持ちながら変化、置換を続け、全体として 調和的に緩やかな成⻑、変化を続けていくものとして捉えるのである。都市有機体の 細胞、すなわち都市の構成単位の建築は、それだけで独⽴して形成されるのではなく、

都市のトータルな環境系の中で形づくられるものである。その環境系は厳密には、地 割、街区形態、空地・道路システムの中に建築が集合し、秩序づけられながら織り成 されている都市組織として捉えられる。」xiii、「(歴史地区)を構成している建築、道、

広場等によって織り成される」xiv

都市形態学的な分析⽅法と建造物の類型学的な分析⽅法がある。

2.都市形態学(morfologia urbana)

イタリアの都市形態学はパリ⼤学都市計画研究院の創設者 M. ポエトや P. ラヴダン の研究をルーツとする。グスタヴォ・ジョヴァンノーニはイタリアに伝播したひとり であり、ルイジ・ピッチナートもこの研究に早くから取り組んだひとりである。フラ ンスの研究は都市空間をモデル化する⽅向性を有し、戦前のイタリアでは同様の研究 をしていたが、戦後になってエドアルド・デッティが都市の固有性を記述するための

⽅法として再定義し、今⽇のイタリアの都市分析の⼿法となった。

3.建造物の類型学(tipologia edilizia)

サヴェリオ・ムラトーリが 1940 年代に考案した建造物の分析⼿法。例えば建造物の 機能に基づくビルディング・タイプの分類とは正反対の性格を有している。

⼈類史の過程で形成される建造物の有機的傾向を⽰し、同じ⽂明を共有する⼈々が形 成する、共通の特性をもった建造物とした。その指標は多様であるほど豊かさを⽰す と論じた。建造物を空間と構造(壁体)という地と図の関係として捉え、のちの「室

(細胞)」の配列の研究に結びつき、テッスート・ウルバーノの定義に結びついた。

ムラトーリの「ローマの実践的都市史の研究」は、ローマ市のチェントロ・ストリコ の保存活⽤に際して基礎データとなった。

4.真正性(autenticità)

都市再⽣の場⾯で、多くの計画者が論じたが、ムラトーリにとっては歴史的に原初的 な建造物の特性を語る際に⽤いた。

レオナルド・ベネーヴォロはチェントロ・ストリコの保存活⽤の⼿法を理論化するな

xiii 陣内秀信, (1978a) p.17.

xiv id., (1878b)p.27.

(17)

かで、建造物の外壁保存を否定し、内部も同様に残すことを意図し、その選択肢をカ タストに準拠するとした。この選択⽅法を類型化することによって、⼿法に汎⽤性が

⽣じるとした。

エグレ・レナータ・トリンカナートは、ヴェネツィア・ミノーレ(ヴェネツィアの⼩

建築)も⽂化財と同等の視線で論じるべきとし、アーチ、装飾、階段、井⼾など、あ らゆる部位に⽬を配り、そのものを残すことを推奨した。イタリアの都市再⽣が上記 ベネーヴォロの理念によって推進され、類型学によって損なわれる要素も多いことを 危惧した。ヴィットリア・カルツォラーリも、トリンカナートと同等の発想により、

ローマ市のサン・パオリーノ・アッラ・レゴラ地区の住宅供給で、歴史性を詳細に分 析し、可能な限り残すかたちの住宅供給を実践した。

5.都市の構造(struttura urbana)

カルロ・アイモニーノの提唱した都市分析の⼿法。都市の規模に応じて、2つの解 釈がある。

第1に、パドヴァ市のチェントロ・ストリコを事例にした定義として、⼀括りにチェ ントロ・ストリコと呼んでも、その市街地には歴史が重層しており、異なる都市形態 を読むことができるとした。この都市形態にみる境界が市⺠の市街地の利⽤⽅法の変 わり⽬になることを読み取った。都市形態の異なる市街地の複合の仕⽅を「都市の構 造」と呼んだ。

第2に⼤都市においてチェントロ・ストリコと 19 世紀以降につくられた新市街地の、

不連続ながらも⼀体化した状態を「都市の構造」と呼んだ。両市街地を結びつけるた めに⾏うズヴェントラメントは否定すべきではなく、新たなファサードをまとって建 ち並ぶ建造物の質により、その良し悪しを決めるべきと論じた。

第4項 我が国における建築・都市研究の分野にみる既往研究

我が国には先達によるイタリア都市の保存活⽤やパエサッジョの保護にかんする研究の豊 かな蓄積がある。それは

(1)市壁がまちなみを囲むチェントロ・ストリコの保存活⽤にかんする研究、

(2)チェントロ・ストリコの空間の成り⽴ちと、その分析⼿法にかんする基礎研究、

(3)チェントロ・ストリコと⼀般市街地を融合させた都市計画の実践にかんする研究、

(4)チェントロ・ストリコにおける住⺠の⽣活と観光を両⽴させうるマネージメントにか んする研究、

(5)パエサッジョの制御や環境保全の概念を導⼊した制度にかんする研究、

(6)環境保全型農業と農家⺠泊を中⼼とした農業観光にかんする研究、

以上の6つの視点に⼤別できよう。⼀⽅、拙稿の視点となる、

(7)農業地域のパエサッジョの保存とテリトーリオの活⽤にかんする研究

上記(7)にかんする取り組みは少ない。イタリアにおいてこれらの研究が都市再⽣の研究 と並⾏して進められていたにもかかわらず、我が国における研究がこれまで進まなかったの は、その実践が可能となり、効果が顕著に表れたのが1990年代以降だった故と考えられる。

(18)

以下に上記の各視点の概要を俯瞰する。

【1.市壁がまちなみを囲むチェントロ・ストリコの保存活⽤にかんする研究】

この視点は、エグレ・トリンカナートに師事し、かつサヴェリオ・ムラトーリとその学派 の薫陶をえた陣内秀信が1976 年に初めて、「都市の思想の転換点としての保存」の精神と ともに、我が国に紹介したものである2。陣内の功績は「都市形態学=モルフォロジア・ウ ルバーナ」とイタリア独⾃に発展した「建築類型学xv=ティポロジア・エディリツィア」を 組み合わせて「都市組織=テッスート・ウルバーノ」(tessuto urbano)を分析する「都市 を読む」(lettura della cittaʼ)⼿法を我が国に紹介したことにある。イタリアの都市再⽣の 実践について共時的な研究を継続した⼀⽅、都市史の系譜を明らかにし3、その後のイタリ ア都市研究の視座を築いた。イタリアの諸都市を題材にした都市の読み⽅を、ここの建造物 のスケールを拠りどころにしつつ、都市空間の構造的な分析の側⾯から論じた4。また、こ の⽅法を⽇本にも応⽤すべくフィールドワークを展開した。野⼝昌夫の訳によるパオラ・フ ァリーニにとって本邦初の講演録5、宗⽥好史による博⼠論⽂6の第1部から第3部までは陣 内の研究を踏襲しつつ、イタリアにおけるその後の展開を説いたものだったxvi

【2.チェントロ・ストリコの空間の成り⽴ちと、その分析⼿法にかんする基礎研究】

この視点は、河原⼀郎7や⽥島学8が中世都市の空間構成を我が国に紹介したことが早かっ た。本格的な研究としては、フィレンツェ⼤学に在籍したのちにジャンカルロ・デ・カルロ の事務所に籍をおいた加藤晃規による広場の研究9と、エドアルド・デッティに師事した野

⼝昌夫によるトスカーナ地⽅の⼩都市ペッチョリを対象とした研究が草分けといえよう10。 加藤はイタリアの中世の時代に形成された広場について、同時代からルネサンス期を経てバ ロック期に⾄る時系列における変容、チェントロ・ストリコの都市形態を⽴地する地形と街 路という指標に基づく空間的分類、以上の2点から分類した。野⼝はムラトーリが提唱し、

ジャン・フランコ・カニッジャが⽅法論として構築した建築類型学に基づく同チェントロ・

ストリコのテッスート・ウルバーノの形成過程を実践的に研究しxvii、我が国に紹介した。ム ラトーリ学派の分類に加え、これらに当てはまらない住居タイプがあることを実証し、独⾃

の類型を含めて分析したことも貴重な過程だった。⿊⽥泰介によるトスカーナ州ルッカ市の チェントロ・ストリコにある、住居化されたローマ時代の円形競技場の研究11はこの延⻑線 上にあり、⽚⼭伸也によるシエナ市における研究は建築類型を⾜がかりにしながらも、都市 構造を浮き彫りにする試みの成果12いえる。こうした「都市を読む」研究は若⼿の研究者に も継続されている13

【3.チェントロ・ストリコと⼀般市街地を融合させた都市計画の実践にかんする研究】

xv 陣内が建築類型学として我が国に紹介した tipologia edilizia を、拙論では建造物の類型学とした。陣内 による「建築」という⾔葉の選択は建築基準法に準じたものとのことであるが、拙論では⽂化庁における 建造物という⽤語を意識し、我が国の建築意匠界で「建物(edilizio)」「建築 (architettura)」の使い分け を意識した。

xvi 宗⽥(2001)にかんしては pp.11~112.

xvii「⼀定の輪郭や崖、市壁等の境界が厳しく建築⾯積を限定する条件下にある街区を対象とした、形成過程 の新しい研究⽅法を提⽰する」ことを⽬的としていた。

(19)

この視点は、1980年代後半以降に実践の成果⽰しはじめた、チェントロ・ストリコを現 代都市の⼀部の個性的な市街地として再解釈する取り組みに着⽬した研究だった。チェント ロ・ストリコの保存活⽤の推進は、イタリアにおいては「基礎⾃治体=コムーネ」(comune)

の都市計画マスタープランによって担保された。したがってこの事業が軌道に乗った次の段 階として、市街地全体の融合が図られた。この視点では、2003年に策定されたローマ市都 市計画マスタープランについて、宗⽥、ファリーニ、筆者による研究がある。宗⽥は同計画 の社会的背景と戦略を俯瞰し14、ファリーニはローマ市のチェントロ・ストリコを取り巻く 市壁を中⼼とした公園化計画を通じて、チェントロ・ストリコと⼀般市街地の融合を新たな 都市のレクーペロの⽬的とした都市計画15を論じた。筆者は市街地の空間特性に基づくゾー ニングが、機能別ゾーニングの上位にくる新たな計画体系について論じた16。近年のローマ 市の取り組みを論じた⻑⾕部俊治は、ローマ市都市計画マスタープランを実空間の制御と政 策⾯から論じた17。都市デザインの側⾯では、筆者はローマ市全域に点在する100ヶ所の広 場を、現代的なデザインによってレクーペロし、歩⾏者空間化を図る都市プロジェクト「100 の広場」18を取り上げた。ただし本項⽬におけるイタリア都市計画研究は、わが国ではまだ 少ない。

【4.チェントロ・ストリコの⽣活と観光の両⽴を図るマネージメントにかんする研究】

この視点は、上記の(1)(2)(3)で研究された、⼀度は放棄されつつあったチェント ロ・ストリコにおける都⼼居住を可能にしたメカニズムについて、1990 年代の中期以降、

宗⽥が精⼒的に研究を進め、学位論⽂第4部以降をはじめとして多くの論考を発表した。従 来のコミュニティを維持することと新しい住⺠が流⼊することの両⽴、⽣活の質を変えない ための⼯夫、そのための商店街にたいする業種別の出店規制を含むコミュニティの維持の仕 組みづくり、観光にたいする都市の顔づくりを兼ねた商業施設のサインやデザインの規制、

などを研究の対象19として、複合的なマネージメントのあり⽅を紐解く内容の研究といえる。

【5.パエサッジョの制御や環境保全の概念を導⼊した制度にかんする研究】

この視点として、眺望を景観視円錐を設定して制御する⼿法について、宮脇が紹介した20。 またこの制度的な強制⼒については、対象の違いによって⽂化財保護法と⾃然美保護法が担 保することを、⿅野陽⼦が簡素かつ明快に論じた21。パエサッジョに環境保全の概念を導⼊

した制度にかんする研究、具体的には、1985年に制定された法第431号「環境価値の⾼い 地域の保全のための緊急措置例の法律家措置法」xviii(通称ガラッソ法)にかんする研究22で ある。イタリアでは本法が制定されるまでは我が国同様に、都市地域は農業地域、⾃然地域 にたいして著しい勢いでスプロールしていた。1939年に制定された法第1497 号「⾃然美 保護法」に基づいて守られていたのは国⼟の9%の⾯積に過ぎなかったところ、ガラッソ法 によって国⼟の52%を保護しうることが担保されたxix。⾃然美保護法は4つの美の概念を定 義した上で、審美的景観を保護する制度だったのにたいし、ガラッソ法は国⼟の⾃然環境の

xviii 本法の名称は宗⽥訳に準じた。

xix APAT - Agenzia per la protezione dellʼambiente e per i servizi tecnici による 2006 年の資料に基づく 割合。

(20)

⾻格をなす地域xxや際⽴った特徴を⽰す地形xxiという地理的な環境、⼈⼯的な対象としては 農業⼤学の実習地や公共団体所有の農地、考古学地区を保護する性格をもった制度として制 定された。宗⽥、温井享、宮脇勝はそれぞれイタリアのパエサッジョを保護する制度を通時 的に論じた上、パエサッジョを⾃然・歴史・⽂化を包含するするとした本法が脱⼯業化社会 の新たな社会投資の道筋を⽣み出しうること(宗⽥1988)、パエサッジョの制度的概念に基 づく公共性が我が国とは異なる点を浮き彫りにしたこと(温井1993)、従来の限られた⾯積 の⾃然保護区域以上に⾯的な広がりをもつ景観計画の策定の推進⼒となりうること(宮脇

1994)を論じた。これらの景観や⾃然を保護する20世紀の制度的系譜は、ダリオ・パオル

ッチ23が俯瞰した。同論⽂は、イタリアの制度の系譜を追い、その評価基準をユネスコの世 界遺産における⽂化的景観の保存管理計画に応⽤する可能性について論じた⼀⽅、国⼟の⾯

的な保護範囲を数値的地図資料的に⽰しつつ、俯瞰的に取りまとめた。また欧州景観条約に も⾔及した論考だった。

【6.環境保全型農業と農家⺠泊を中⼼とした農業観光にかんする研究】

この視点は、EUにおける環境保全型農業への切り替えから、農業の担い⼿にとってサイ ドビジネスと位置づけうる、とくに農家⺠泊を中⼼とした農業観光にかんする研究である。

宗⽥はECの共通農業政策(CAP)xxiiが, 1985 年から「農業と環境の新しい関係」を構築 し直し、「1991 年には「共通農業政策の発展と将来(1991年258号)として発表された」こ と、セット・アサイドという補助⾦制度をはじめとした環境保全型のメニューが準備された こと、⼀⽅で(5)に述べたガラッソ法が義務付けた景観計画が農業地域の環境保全を担保 するであろうこと、都市住⺠と農業者の交流のツールとして農家⺠泊の有⽤性などを構造的 に報告した24。近年にも農家⺠泊に加え、多様化した農業観光の豊かさを豊富な事例ととも に報告している25

なお、陣内の監修のもと、ファリーニと筆者は1960年代から90年代を中⼼として、網 羅的な研究をおこなった。歴史的地域資源の保存活⽤を⽬的とした都市計画が、その対象を チェントロ・ストリコからテリトーリオ・ストリコに広げた経緯を、計画の特性ごとに事例 研究26をおこなった。具体的には第1章で約30年の成果を概観し、第2章、第3章で上記

(1)、(2)と関連するチェントロ・ストリコの保存活⽤の着眼点の進化を論じた。第4章 で上記(3)と関連するチェントロ・ストリコにおける都市デザイン的な取り組み、第5章 で⼀般市街地における歴史を⽣かした都市計画を紹介した上、第6章で(7)にあたるパエ サッジョ・ストリコの再⽣や保存活⽤を論じた。すなわち都市計画がテリトーリオ・ストリ コの課題解決に向かった流れを初めて俯瞰した研究だったといえる。

【7.農業地域のパエサッジョ・ストリコの保存とテリトーリオ・ストリコの活⽤】

(7)の視点は、河原⼀郎がイタリア中世都市の成り⽴ちを時系列に俯瞰した際に、都市

xx ⽔域(海岸線、湖沼、河川、疎⽔、ダム)に沿った地域、⼀定の標⾼以上の⼭岳地、国⽴もしくは州⽴

公園または⾃然保護地域、ラムサール条約の対象地をさす。

xxi 氷河とカール、森林(⽕災により損なわれた森、伐採や植林が⾏われている森を含む)、⽕⼭をさす。

xxii Common Agricultural Policy

(21)

と農業の⽋かせない関係について⾔及したことが早かったxxiii。その約10年後に、⽥島27

「都市と農村の⼆元性」について、ニコラ・オットカールを参照し、ゲルマン系諸国とイタ リアの理解の⽐較に⾔及した。さらに約 10 年後に、ヴィットリーニxxivは端的かつ明確に、

テリトーリオ・ストリコの全体像を描いたなかで、都市と農業酪農の密接な関係に⾔及した。

さらにその約10年後に加藤による論⽂xxvにおいて、集落の公共空間の研究の前段で農業地 域の成り⽴ちに⾔及したxxvi

我が国におけるテリトーリオの全体像にかんする⾔及も、河原に端を発する。ついでヴィ ットリーニ、陣内xxviiが、チェントロ・ストリコの保存活⽤に関連して、テリトーリオの全体 像に⾔及した。河原とヴィットリーニからは、テリトーリオ・ストリコを再評価しなければ ならない状況に陥った起点とすべき時代が、産業⾰命にあったことを特定できた。このこと は陣内による「…産業⾰命を背景に、近代都市としての発展を開始」し、その結果、チェン トロ・ストリコの改造が相次いだイタリアの状況xxviiiとも符合する。

今⽇のテリトーリオ研究の先駆けといえる動向として、ピエーロ・カンポレージによる「⾵

景の誕⽣」28(1997)が⼀般書籍として翻訳されたこと、「⽇伊⽂化研究」29において⾵景論

(2002)の特集が組まれたことが転機になった。建築・都市計画の分野では、上記のファリ ーニと筆者による研究(1998)を⽪切りと呼ぶことができると考える。とくにファリーニに よる農業地域のパエサッジョ・ストリコの保存を提唱したアッシジの都市計画マスタープラ ン提案30と、ユネスコの世界⽂化遺産のいちカテゴリーである⽂化的景観「オルチャ渓⾕」

xxixの保存計画31は、早い時期から法政⼤学陣内研究室と京都府⽴⼤学宗⽥研究室において、

内容の更新があるたびに繰り返しシンポジウムが開催された。2015年には⽇本建築学会⼤

xxiii 河原(1958) p.90-93. 同論⽂第4章「計画」には、ローマ帝国をゴート⼈が侵略し始めた 6 世紀以降の

都市とその都市を⽀える周辺地域というテリトーリオの関係と、その時代を経るに従って⽣じたテリト ーリオの変容にかんする記述がある。

xxiv ヴィットリーニ・陣内訳(1976) p.05. 都市の成り⽴ちは「天然資源の状態、農業・牧畜業の発展可能性、

商業と職⼈活動」を、中⼼からテリトーリオ全域に分布させることで組み⽴てられている、と論じたうえ で、国⼟全域の状況を描写した。

xxv 加藤(1985), pp.175-187. 同論⽂第 5 章「北部イタリア平地集落の住居と広場(ヴェネト州ファンツォ ー⼝事例研究)」

xxvi 加藤は農業地域の街道沿いに⽴地する、城壁を持たない密度の低い市街地を「集落」と称した。

xxvii 陣内(1978b) p.33-34. 「チェルヴェラーティが指摘するように、歴史地区の真の保存は、本来都市と地

域全体の都市計画、経済計画⽴案と絡む深い政治的根をもっており、都市発展の全般的テーマに真正⾯

から⽴ち向かうことによって初めて解決可能となる。新しい郊外の市街地を⼤量に絶え間なく建設し続 ける限り、都市の中⼼部の構造的変化は避けがたく、保存もありえないというわけである。」p.43. 「…

⾼度成⻑で⽣じた歪みを修正し、安定した国⼟全体の調和的発展をとり戻せるというわけである。こう して今⽇、⼤都市では、⼈⼝流⼊制限、郊外へのスプロール抑制、歴史地区の再⽣・活⽤が、地点都市・

集落では、農業、地場産業、各種⼿⼯業の振興、歴史地区の再⽣・活⽤が重要な政治的課題となってきて いる。」

xxviii 陣内(1978b) p.11-12. イタリア統⼀によってもたらされた「産業⾰命を背景に、近代都市とし開始し

たのである。それまで都市の⽣命を守り続けてきた城壁を打破り、統⼀の取れた形態を崩しながら郊外 への都市拡⼤をおし進め、同時に、既存の都市内部では、新たな時代の要請する都市活動と⽣活様式に

⾒合った都市の改造を⾏った。」

xxix 「オルチャ渓⾕」とは公益社団法⼈⽇本ユネスコ協会連盟の訳による名称である。しかし当地の実態は 幾つかの尾根に囲まれた⾕底平野である。そのため拙稿では「オルチア川流域」と記述することを基本と し、必要に応じて同連盟による「オルチャ渓⾕」を⽤いることとする。

(22)

会において、農村計画委員会農⼭漁村⽂化景観⼩委員会xxxの主催により、ファリーニのオル チア川流域の保存計画と景観整備機構の取り組みにかんするシンポジウムが企画されるに⾄

った32。2000年代の初頭には、野⼝33による「トスカーナ州における43のチェントロ・ス トリコとテリトーリオの関係を、複数のチェントロ・ストリコの社会的な相互関係、河川流 域における相互関係にかんする研究をあげることができるxxxi。また筆者は、パエサッジョ・

ストリコを都市計画⼿法によって維持する⽅策にかんして、2つの研究を発表した。第1に、

ウンブリア州における都市計画関連州法の改正を背景とした、新たな都市計画マスタープラ ンの可能性、農業地域のパエサッジョ・ストリコの保存活⽤の可能性に着⽬して研究した34。 事例対象として、同州のグッビオ市の都市計画マスタープランを取り上げた。第2に、⼟地 利⽤計画や建築規制を保存管理計画に反映する⼿法に着⽬し、オルチア川流域における世界

⽂化遺産⽂化的景観の第1期保存計画を研究した35

これらの講演や研究から明らかになるのは、冒頭にも述べたとおり、テリトーリオ・スト リコの保存活⽤という取り組みが(1)〜(6)の視点を内包する点である。すなわちテリ トーリオ研究においては、先達たちの研究に新たな視点や固有の研究領域を⾒出して、より 深化させるというよりは、それぞれの視点を結びつける同⼀の⽅法論の確⽴が問われている と考えられる。具体的には、⼟地利⽤区分という近代に確⽴された都市計画⼿法と、歴史的 な地域資源の定義づけと保存の枠組み、活⽤⽅法の開発というアプローチから、リソルジメ ントと期を同じくして損なわれていった「かつてのテリトーリオ」の像を再⽣し、補うため の汎⽤性の⾼い⽅法論の研究が求められていると考えられよう。

⽇本のイタリア研究者によるテリトーリオ研究は⽇が浅いものの、⽂献調査とフィールド ワークを組み合わせたかたちで進捗をみせている。そのルーツは、陣内36とフランコ・マン クーゾによるヴェネト州の4県を巡ったテリトーリオ研究だろう。当時はまだ、イタリア都 市計画界の⼀握りが肯定的に捉え始めていたチッタ・ディフーザの⽣き⽣きとした魅⼒を、

チェントロ・ストリコとの関係に結びつけて研究した。ついで野⼝37は、歴史的⼩都市と地 域の形成に関する研究を継続しているxxxii。近年では陣内研究室におけるイタリアのテリト ーリオ研究は稲益祐太、樋渡、筆者が異なる州を対象として進めている。各々が浮き彫りに するテリトーリオの姿が異なり、興味深い。稲益38を中⼼としたカンパーニャ州アマルフィ 地⽅を対象としたテリトーリオ調査では、海沿いの漁業のまちと⼭の⼿の農業のまちの結び つきを紐解いたxxxiii。アマルフィを単なる⾵光明媚な海沿いの集落群としてのみ捉えるので はなく、狭隘な⾕地形と侵しがたい豊かな森林を⽣きるための資源として理解し、数百年に わたり、製紙業をつうじて維持し利⽤してきたことを顕在化しえた。稲益39によるプーリア

xxx ⽇本建築学会農村計画委員会に農⼭漁村景観保存⼩委員会は、景観法の制定、⽂化財保護法の改正、

2004~5 年に⽂化庁が実施した⽂化的景観保存活⽤モデル事業を契機として、2006 年に設置された。同

⼩委員会では、持続可能なコミュニティを形成し維持することによって「農⼭漁村の⾃然・⽣業空間・

集落等を⼀体として景観の保存・形成にかかること」を重視し、その結果こそ⽂化的景観と位置づけた 研究を進めてきた。同委員会は 2010 年度より農⼭漁村⽂化景観⼩委員会に改名した。

xxxi 野⼝(2008) p.151-159. 野⼝は同研究の概要を同書に記した。

xxxii 野⼝は「トスカーナにおける歴史的⼩都市と地域の形成に関する研究」(2001-2003)を⽪切りに、中・

南部トスカーナの歴史的⼩都市(2006-2009)、トスカーナの歴史的海洋⼩都市(2010-2013)、トスカーナ・

リグーリアの歴史的海洋⼩都市(2014-2017)とそれらの後背地域に関する研究を継続している。

xxxiii 陣内研究室は稲益を筆頭の研究者として、2003 年から調査を開始した。

参照

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