「紫大納言」試論 : 戦時下における坂口安吾の古 典受容
著者 牛窓 愛子
雑誌名 同志社国文学
号 79
ページ 92‑103
発行年 2013‑12‑20
権利 同志社大学国文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013969
「 紫 大 納 言 ﹂ 試 論
戦 ︱
時 下 に お け る 坂 口 安 吾 の 古 典 受 容 ︱
牛 窓 愛 子
私の 一生 は誰 から 影響 を受 けた とい ふや うな 素性 の正 しい もの はな く︑ その くせ 軽率 な模 倣癖 は驚 くほ ど旺 盛で ある から
︑そ の程 度の 影響 は雑 多無 数で キリ がな い︒ 坂口 安吾 自身 が﹁ 処女 作前 後の 思ひ 出﹂
︵﹃ 早稲 田文 学﹄ 第一 三巻 第二 号︑ 昭和 二一 年三 月︶ にお いて
︑右 のよ うに 述べ てい る通 り︑ 安吾 の作 品に は先 行作 に影 響を 受け たも のが 多く みら れる
︒安 吾は
﹁閑 山﹂
︵﹃ 文体
﹄第 一巻 第二 号︑ 昭和 一三 年一 二月
︶を 契機 とし て︑ 古典 的世 界に 興味 を持 つよ うに なる①
が︑
﹁閑 山﹂ の翌 年に 発表 され た﹁ 紫大 納言
﹂︵
﹃文 体﹄ 第二 巻第 二号
︑昭 和一 四年 二月
︶か らは
︑ 古典 の影 響が 色濃 くう かが える
︒ 同時 代に おい てこ の作 品を 評し たも のは 少な いが
︑井 上友 一郎 は
﹁坂 口安 吾著
﹃炉 辺夜 話集
﹄﹂
︵﹃ 現代 文学
﹄第 四巻 第七 号︑ 昭和 一六 年七 月︶ にお いて
︑安 吾が 当時 古典 に興 味を 寄せ てい たこ とに つい
て言 及し つつ
︑﹁ 私に は﹁ 紫大 納言
﹂が 一等 面白 かつ た︒
︵略
︶坂 口 君も
︑﹁ 紫大 納言
﹂の やう な作 を今 後十 も二 十も 書い て貰 ひた いと ねが ふ﹂ と述 べて いる
︒ま た︑ 大井 廣介 は戦 後﹁ 軍国 調の 色濃 くな つて きた 時期 に﹁ 紫大 納言
﹂の やう な奥 ゆか しい 仕事 をす る﹂
︵﹁ 戦 時中 の坂 口安 吾﹂
﹃文 学界
﹄第 九巻 第四 号︑ 昭和 三〇 年四 月︶ と評 して いる
︒井 上の 古典 への 言及
︑大 井の
﹁奥 ゆか しい
﹂と いう 表現 から
︑﹁ 紫大 納言
﹂の 古典 的世 界観 が評 価さ れて いる と考 える こと がで きる
︒ では
︑﹁ 紫大 納言
﹂に 影響 を与 えた のは
︑い かな る古 典文 学で あ った か︒ 従来 の研 究に よれ ば︑
﹃今 昔物 語集②
﹄﹃ 近江 縣物 語③
﹄﹃ 松浦 宮物 語④
﹄な どの 影響 が指 摘さ れて いる
︒し かし
﹃近 江縣 物語
﹄以 外 は︑ 直接 の引 用関 係に ない ため
︑こ れま で﹁ 紫大 納言
﹂と の関 わり につ いて 詳細 に論 じら れて いる とは いえ ない
︒そ こで 本稿 では 特に
「紫 大納 言﹂ 試論
九二
﹃松 浦宮 物語
﹄﹃ 今昔 物語 集﹄ に注 目し
︑安 吾が
﹁紫 大納 言﹂ にお い てこ れら 二作 を取 り入 れな がら
︑ど のよ うに 独自 の物 語を 創り 出し たの かを 明ら かに した い︒ 天女 の探 す小 笛を 大納 言が 拾い
︑そ れを 返さ ない とい う﹁ 紫大 納 言﹂ のス トー リー は︑ 昔話 の天 人女 房譚 に類 似し てい る︒ 天人 女房 譚は 歴史 的に も古 く︑ 地域 的に も広 く分 布し てお り⑤
︑人 口に 膾炙 し た昔 話の 一つ であ ると いえ る︒ 安吾 の生 まれ た新 潟︑ 中学 時代 から 長く 住ん だ東 京︑
﹁紫 大納 言﹂ 執筆 の前 年に 住ん だ京 都に も天 人女 房譚 は伝 わっ てお り︑ 安吾 がこ の昔 話を 知っ てい たと いう こと は想 像に 難く ない
︒ 男が 天女 の羽 衣を 隠し
︑天 に戻 れな くな った 天女 を家 に連 れて 帰 って 夫婦 にな る︒ 生ま れた 子供 が羽 衣の 隠し 場所 を知 り︑ 天女 に教 える
︒天 人女 房譚 は多 少の 地域 差が ある もの の︑ おお よそ この よう なあ らす じと なっ てい る︒ しか し﹁ 紫大 納言
﹂に おい ては
︑大 納言 と天 女が 契り を結 ぶ場 面以 後︑ 天女 は大 納言 の語 りの 中に 登場 する だけ に留 まり
︑天 人女 房譚 に見 られ るよ うな 婚姻
︑出 産︑ 探し 物の 発見 とい う要 素は みら れな い︒ した がっ て安 吾は
︑男 が天 女の 探し 物を 隠し
︑天 に帰 れな くな った 天女 を家 に連 れ帰 ると いう
︑天 人女
房譚 の話 型を 取り 入れ なが ら︑
﹁紫 大納 言﹂ を他 の物 語に 作り かえ てい る︒ では
︑天 人女 房譚 では 羽衣 であ る天 女の 探し 物が
︑な ぜ﹁ 紫大 納 言﹂ では 小笛 とい う設 定に なっ てい るの か︒ 安吾 は﹁ かげ ろふ 談義 菱
︱
山修 三へ
﹂
︱
︵﹃ 文体
﹄第 二巻 第一 号︑ 昭和 一四 年一 月︶
︑
﹁想 ひ出 の町 々
︱
京都
﹂︵
﹃ス タイ ル﹄ 第四 巻第 一号
︑昭 和一 四年 一月
︶の 中で
﹃松 浦宮 物語
﹄に つい て言 及し てい る︒ 新津 市文 化振 興財 団編
﹃坂 口安 吾蔵 書目 録﹄
︵平 成一
〇年 八月
︑新 津市 文化 振興 財団
︶を 見る と︑ 安吾 の蔵 書の 中に
﹃松 浦宮 物語
﹄は 確認 でき ない
︒ しか し︑
﹁か げろ ふ談 義﹂ にお ける
﹃松 浦宮 物語
﹄の 説明 が︑ 蜂須 賀笛 子校 定﹃ 松浦 宮物 語﹄
︵昭 和一
〇年 一月 二五 日︑ 岩波 文庫
︶﹁ 解 説﹂ 中の 梗概 の文 章に 酷似 して いる⑥
こと から
︑安 吾が 岩波 文庫 版
﹃松 浦宮 物語
﹄を 読ん でい たと 推測 でき る︒
﹃松 浦宮 物語
﹄は
︑若 く して 遣唐 使の 副使 とな った 少将 と二 人の 女
︱
琴を かな でる 華陽 公 主︑ 簫を 吹く 鄧皇 后
︱
との 恋を 描い た物 語で ある が︑
﹁紫 大納 言﹂ にお いて 重要 な小 道具 とな る小 笛は
︑﹃ 松浦 宮物 語﹄ に影 響を 受け たも のと 考え られ る︒ ここ で︑
﹁紫 大納 言﹂ 中の 天女 の描 写と
︑﹃ 松浦 宮物 語﹄ の華 陽公 主・ 鄧皇 后の 描写 を比 較し てみ たい
︒ま ず﹁ 紫大 納言
﹂に おけ る大 納言 と天 女の 出会 いで ある が︑ 天女 の美 しさ が直 接描 かれ るの は︑
「紫 大納 言﹂ 試論
九三
﹁燈 火の もと で︑ はじ めて
︑天 女の あり さま
︑か ほ︑ かた ちを 見る こと がで きた とき
﹂で ある
︒大 納言 は灯 火の 下で 初め て︑ 天女 の目 覚ま しい 美し さを 発見 する
︒﹃ 松浦 宮物 語﹄ にお いて も︑ 少将 と華 陽公 主が 楼閣 の外 で出 会う 場面 で︑
﹁い てお はし まる さま かた ち︑ なか 〳〵 かの 月か けよ りげ にめ てた きを みる に﹂ とい うよ うに
︑月 光に 照ら し出 され たと きよ りも 素晴 らし い︑ 華陽 公主 の姿 が描 写さ れて いる
︒さ らに 華陽 公主 死去 の場 面で は﹁ かた はら ふし たま へる さま
︑と うろ の火 の光 のほ のか なる かけ に︑ ゝママ
るも のな くて めて た き﹂ と︑ 燈籠 の光 に照 らさ れた 比類 無い 美し さが 描か れて いる
︒ま た︑
﹁紫 大納 言﹂ の天 女は
︑そ の美 しさ と同 時に
︑﹁ 不思 議な 香気
﹂
﹁伽 羅も 及ば ぬ微 妙な 香気
﹂﹁ 天女 の身 につ けた 清ら かな 香気
﹂と
︑ 香気 につ いて の描 写が 印象 的で ある
︒﹃ 松浦 宮物 語﹄ でも
︑鄧 皇后
︵簫 の女
︶に つい て︑ 香気 の素 晴ら しさ が多 く描 かれ
︑特 に簫 の女 の登 場す る場 面や
︑少 将が 簫の 女と 皇后 を重 ね合 わせ て見 る場 面で は︑ 必ず 香気 の描 写が みら れる⑦
︒ さら に︑ 鄧皇 后は 簫の 女と して 少将 の前 に現 れる こと から
︑小 笛 と関 わり が深 く︑ 終盤 では 天女 であ ると いう こと が明 らか にな る︒ 華陽 公主 も仙 人に 秘曲 を授 けら れる とい う設 定や
︑﹁ しろ きあ ふき の御 かた はら なる して うち あふ きた まへ るに
︑き むの こと そら にの ほり て︑ はる かに とひ さり ぬる
﹂と いう 神通 力に よっ てか
︑﹁ 想ひ
出の 町々
﹂で は天 女で ある とさ れる
︒以 上の こと から
︑﹁ 紫大 納言
﹂ の天 女は
︑﹃ 松浦 宮物 語﹄ の華 陽公 主・ 鄧皇 后と いう
︑二 人の 女性 の特 徴を 織り 交ぜ なが ら描 かれ た人 物で ある とい える
︒﹁ 紫大 納言
﹂ にお ける 天女 の探 し物 が小 笛で ある のは
︑こ のよ うに 天女 自体 が
﹃松 浦宮 物語
﹄か ら影 響を 受け てい るた めで ある
︒ しか し﹁ 紫大 納言
﹂が
﹃松 浦宮 物語
﹄か ら受 けた 影響 は︑ 天女 の 描写 だけ では ない
︒安 吾が
﹁か げろ ふ談 義﹂ で︑ 華陽 公主 との 出会 いの 夜に つい て﹁ 八月 十五 夜の こと であ つた
︒月 にさ そは れて 唐の 都の 郊外 を歩 いて ゐる と﹂ と書 き︑
﹁想 ひ出 の町 々﹂ では
﹁皓 月に さそ はれ て︑ 歩い てゐ ると
﹂と
︑﹁ 紫大 納言
﹂に も見 られ る﹁ 皓月
﹂ とい う語 を使 いな がら
︑そ の情 景を 説明 して いる よう に︑
﹃松 浦宮 物語
﹄に おい ては
︑物 語全 体を 通し て月 が多 く描 写さ れる
︒
「紫 大納 言﹂ にお ける 大納 言と 天女 の出 会い の場 面を 見て みる と︑
﹁谷 あひ の小 径は
︑そ して よも の山 々は
︑す でに 皓月 の下 にく つき りと 照ら し出 され てゐ るの であ つた
﹂﹁ 羅の 白衣 をま とふ た女 の姿 が︑ 月光 をう しろ にう けて
︑静 かに 立つ てゐ るの であ つた
﹂と ある
︒ また
︑大 納言 が天 女を 山科 の家 に連 れて 行く 場面 では
﹁月 もだ いぶ 上つ たや うで す﹂ とい う描 写が 見ら れる
︒天 女を 几帳 の蔭 に休 ませ た後 大納 言は
︑﹁ 静か な月 の光 を仰
﹂ぎ なが ら︑ この 世に 悲し みと いう もの のあ るこ とを 初め て実 感す る︒ 次に
︑大 納言 が袴 垂れ の徒
「紫 大納 言﹂ 試論
九四
党に 出会 い︑ 小笛 を差 し出 す場 面で は︑
﹁日 が暮 れて
︑月 がで た︒ 山の 端に さし でた 月の 光か ら身 を隠 すよ すが もな かつ た﹂ とあ り︑ 月が 全て を照 らし 出し てい たに もか かわ らず
︑﹁ 暈さ へも ない 皓月 をふ り仰 ぎな がら
﹂笛 を奪 われ た仕 方な さを 月に 訴え
︑﹁ あな たの ふる さと であ ると ころ のあ の清 らか な月 の光 が︑ すべ てを 見て いた 筈で した
﹂と 天女 にも 言い 訳を する
︒最 後に
︑大 納言 が小 笛を 取り 戻す ため に夜 道に さま よい 出る 場面 にお いて も︑
﹁月 はす でに 天心 をま はり
︑西 の山 の端 にか たむ いて ゐた
﹂と 月の 描写 があ り︑ 物語 中の 時間 の経 過を 表現 して いる
︒先 にも 述べ たよ うに
︑﹁ 想ひ 出の 町々
﹂に 記述 され た﹁ 皓月
﹂と いう 語は
﹁紫 大納 言﹂ にも 見ら れ︑
﹁紫 大納 言﹂ に月 が多 く描 写さ れて いる こと は︑
﹃松 浦宮 物語
﹄に 着 想を 得た と考 えら れる
︒た だし
︑﹃ 松浦 宮物 語﹄ では 戦乱 の場 面を 除い て︑ あら ゆる 場面 にお いて 月の 描写 が見 られ るが
︑そ れに 対し て﹁ 紫大 納言
﹂の 月の 描写 は︑ 物語 中の 時間 の経 過を 表現 して いる
︒ また
﹁紫 大納 言﹂ の﹁ 皓月
﹂と いう 語は
︑物 語冒 頭で は﹃ 松浦 宮物 語﹄ と同 じく 天女 との 出会 いの 場面 で使 用さ れて いる
︒し かし 中盤
︑ 大納 言が 袴垂 れの 徒党 に笛 を差 し出 した 後の 場面 では
︑﹁ 私は 笛を とら れま した
﹂と 弁解 する 大納 言の 嘘を
︑﹁ 皓月
﹂は あり あり と証 明し てい る︒ この よう に﹁ 紫大 納言
﹂で は︑
﹃松 浦宮 物語
﹄に 影響 を受 けな がら
︑物 語の 中で 効果 的に 月を 描き 出し てい るの であ る︒
さら に安 吾は
︑﹃ 松浦 宮物 語﹄ の少 将と 華陽 公主 の恋 につ いて
︑
﹁か げろ ふ談 義﹂ では 岩波 文庫 版﹃ 松浦 宮物 語﹄
﹁解 説﹂ を参 考に し なが ら︑ 次の よう に述 べて いる
︒ 公主 がこ の世 に生 れた のは 仙人 の秘 曲を 伝へ るた めで
︑契 を結 べば たち どこ ろに 命を めさ れる ので あつ たが
︑命 をか けて もあ はう と思 ふな らば とい つて
︑約 を果 し︑ 華陽 公主 は逝 去さ れた
︒ また
︑﹁ 想ひ 出の 町々
﹂で はこ の箇 所が
﹁麗 人は 仙人 の秘 曲を 人の 世に 伝へ るた めに 生れ てき た天 女で あつ た︒ 男に 契れ ば命 を失 ふ定 めで あつ たが
︑命 をか けた 一夜 の恋 でよ かつ たら と契 りを 結ぶ
﹂と なっ てい る︒
﹃松 浦宮 物語
﹄に おい て︑ 契り を結 ぶと 命を 失う のは 華陽 公主 であ り︑ 公主 は少 将と 契を 結ん だ後 に逝 去す るが
︑こ の
﹁命 をか けた 一夜 の恋
﹂は
﹁紫 大納 言﹂ にお いて
︑次 のよ うに 描か れて いる
︒ 命を かけ ての 恋な らば
︑た とひ 万死 に価 して も︑ なほ
︑一 滴の 涙︑ 草の 葉の 露の 涙︑ くさ むら にす だく 虫の はか ない あは れみ
︑ それ をか けて くれ るも のが
︑何 者か
︑あ るや うな 思ひ がし た︒ この 場面 を﹃ 松浦 宮物 語﹄ の﹁ 命を かけ た一 夜の 恋﹂ と比 較し てみ たい
︒﹃ 松浦 宮物 語﹄ では 少将 と華 陽公 主が 琴を 通し て対 話し 関係 を築 いた 後︑
﹁命 をか けた 一夜 の恋
﹂を 成就 させ る︒ これ に対 して
﹁紫 大納 言﹂ では
︑天 女に 拒絶 され なが らも
﹁命 をか けて の恋
﹂を
「紫 大納 言﹂ 試論
九五
成就 させ よう と一 人決 意し
︑そ こに 憐れ みを かけ てく れる もの の存 在ま でも 期待 する とい う︑ 大納 言の 独り 善が りな 様子 が描 かれ てい る︒ この よう に︑
﹁紫 大納 言﹂ は天 女の 描写 だけ でな く︑ 月を 用い た物 語の 構成
︑主 人公 の恋 物語 とい う点 にお いて も︑
﹃松 浦宮 物語
﹄ を取 り込 みな がら 独自 の物 語を 展開 して いる
︒ 安吾 はま た︑
﹁か げろ ふ談 義﹂ にお いて
︑﹁ 作中 人物 も亦
︑恋 すれ ば泣 き︑ 別れ ては 泣き
︑嫉 妬し ては 泣き
︑嫉 妬の 言ひ 訳を しな がら も泣 き︑ むや みや たら に泣 きす ぎて 却つ てが さつ です らあ るほ どで あり ます
﹂と
﹃松 浦宮 物語
﹄に つい て述 べる
︒﹁ 紫大 納言
﹂に おい ても
︑泣 くと いう 表現 の多 さが 目立 つが
︑こ れも
﹃松 浦宮 物語
﹄に 影響 を受 けた とこ ろで あろ う⑧
︒ま ず天 女は
︑大 納言 が小 笛を 返さ ず︑ 地上 に引 き留 めよ うと いう 態度 を前 にし て︑ 恐れ
︑涙 を浮 かべ
︑つ いに は泣 き出 す︒ 大納 言が 小笛 を盗 賊に 差し 出し た後
︑天 女の もと にた どり 着い た場 面で は︑ 怒り に涙 して いる
︒天 女に つい ては
︑泣 く姿 が描 かれ てい るも のの
︑そ の涙 には はっ きり とし た理 由が ある のだ
︒次 に大 納言 の泣 く場 面を 見て みた い︒ 大納 言の 泣く 姿が 初め て具 体的 に描 かれ るの は︑ 盗賊 に笛 を差 し出 した 後︑ 皓月 に向 かっ て弁 解を する 場面 であ る︒ ここ では
﹁あ つい 涙が
︑頬 を流 れ﹂
︑天
女の もと にた どり 着い てか らは
﹁う ちも だえ
︑う ちふ して
︑慟 哭 し﹂
︑雷 の裁 きを 待っ ては
﹁は ら〳 〵と
︑涙
﹂を 流す
︒大 納言 は感 情の 赴く まま に涙 を流 し︑ その 姿は まさ に﹁ むや みや たら に泣 きす ぎて 却つ てが さつ です らあ るほ ど﹂ であ る︒ しか し︑ 小笛 を取 り戻 すた めに 夜道 にさ まよ い出 て以 降︑ つま り天 女と 別れ て以 降︑ 大納 言が 涙す る姿 は︑ 盗賊 の私 刑に よる 失神 から 目覚 め︑ 天女 と小 笛に 思い を馳 せる 一場 面で しか 見ら れな い︒
﹁紫 大納 言﹂ は天 女と 別れ て以 降︑
﹃松 浦宮 物語
﹄の 影響 を薄 くし てい ると 考え られ る︒ そし て本 文で は︑ 最後 に大 納言 の泣 く姿 が描 かれ た直 後﹁ と︑ 鼻さ きに
︑ とつ ぜん 物の 気配 を感 じて
︑大 納言 はて のひ らを 外し
︑そ の顔 をあ げた
﹂と いう 一文 に続 いて
︑唐 突に 童子 が登 場す る︒ 小笛 を巡 る話 とし ては
︑当 事者 であ る大 納言 と天 女︑ 小笛 を奪 う盗 人だ けで 完結 でき るは ずで あり
︑童 子の 存在 は一 見不 可思 議で
︑﹁ この 場面 は︑ 作品 完成 度の 上か ら言 えば
︑や やマ イナ スで はあ る﹂ とも 評さ れる⑨
︒ しか し︑
﹃松 浦宮 物語
﹄の 王朝 風の 世界 観を 下地 にし なが ら︑ 雅や かな 雰囲 気に 仕立 て上 げら れて いた
﹁紫 大納 言﹂ が︑ 童子 登場 の場 面を 機に
︑急 速に 結末 へ向 うこ とか ら︑ この 場面 は重 要な 物語 の転 換点 と考 えら れる
︒ また
︑﹁ 紫大 納言
﹂に は袴 垂れ が登 場す るこ とか ら︑ これ まで に
﹃近 江県 物語
﹄﹃ 今昔 物語 集﹄ の影 響が 論じ られ てき た︒ しか し︑ 特
「紫 大納 言﹂ 試論
九六
に﹃ 今昔 物語 集﹄ に着 目す ると
︑﹁ 紫大 納言
﹂は 袴垂 れと いう 登場 人物 だけ に影 響を 受け たの では ない とい うこ とが わか る⑩
︒﹁ 紫大 納 言﹂ より 時代 は下 るが
︑安 吾は
﹁土 の中 から の話
﹂︵ 発表 誌未 詳⑪
︶ にお いて
﹁受 領は 致ママ
る所 に土 を掴 め﹂ とい う表 現を 使い なが ら︑
﹃今 昔物 語集
﹄巻 第二 八﹁ 信濃 守藤 原陳 忠落 入御 坂語 第三 十八
﹂の 話に つい て触 れて いる
︒こ の話 は︑ 谷に 落ち た国 司が 救助 のた めの 旅籠 にま ず生 えて いた 蕈を 乗せ
︑自 身が 救助 され た後 も︑ 蕈の 取り 残し を嘆 くそ の強 欲さ を笑 った もの であ る︒ 権力 を持 つ人 物が 蕈に 触れ
︑笑 いが 起こ ると いう 点で
︑巻 第二 八第 三八 話と
﹁紫 大納 言﹂ は共 通す る︒ この 話に おい て︑ 蕈は 人々 の笑 いを 引き 起こ す契 機と なっ てお り︑ 主人 公は 笑い の対 象に なっ てい る︒
﹃今 昔物 語集
﹄巻 第二 八は 滑稽 譚で ある とさ れる が︑ この 巻で
︑蕈 の登 場す る話 は
﹁信 濃守 藤原 陳忠 落入 御坂 語第 三十 八﹂ を含 め︑ 五話 掲載 され てい る⑫
︒い ずれ の話 でも 蕈は 人々 の笑 いを 引き 起こ し︑ 主人 公が 笑わ れ る対 象と なっ てい る︒ 巻第 二八 第三 八話 にお いて
︑蕈 は国 司の 強欲 を表 して おり
︑国 司は その 強欲 のた めに 人々 から 嘲笑 され てい るが
︑
﹁紫 大納 言﹂ の蕈 は何 を表 して いる のだ ろう か︒ ここ で童 子と 大納 言の 共通 点を 探っ てみ る︒ 一見
︑子 供で あり 粗 末な 衣服 を身 にま とう 童子 と︑ 五〇 の齢 で﹁ 紫大 納言
﹂と いう 名か ら高 貴な 身分 をう かが わせ る大 納言 は対 照的 にも 思え る︒ しか し︑
﹁粗 末な 衣服 を身 にま とひ
﹂︑
﹁髪 の毛 は河 童の やう に垂 れ下 がつ た﹂ 童子 の様 子は
︑盗 賊か ら私 刑を 受け て衣 も裂 け﹁ 芋虫
﹂の よう に醜 い姿 とな った 大納 言の 姿に 通じ るも のが ある とも とれ るだ ろう
︒さ らに
﹁ク シャ 〳〵 と目 鼻の 寄つ た﹂
﹁顔 中︑ 皺で ある
﹂老 爺の よう な顔 立で
﹁か らか ふや うな 笑ひ を浮 かべ
﹂る とい う童 子に つい ての 表現 に注 目し てみ ると どう だろ う︒ 大納 言が 天女 を地 上に 引き 留め よう と言 い寄 る場 面に おい て︑ 大納 言に は﹁ 不遜 な笑 みを 鼻皺 にき ざん だ﹂
﹁顔 をに た〳 〵さ せて
﹂と いっ た表 現が 用い られ てい るが
︑ これ は童 子の 顔立 に類 似す ると いえ る︒ 大納 言の 五〇 とい う齢 を考 える と︑ 童子 の﹁ 老爺 のや う﹂ な顔 立と 大納 言の それ が共 通し 得る とも いえ るだ ろう
︒ま た︑
﹁大 納言 の鼻 さき を︑ 二本 の指 でち よい とつ まん だ﹂ かと 思う と︑ 次の 瞬間 には
﹁手 をう ち︑ 自分 の頬 をピ シャ 〳〵 たた き︑ 彼を 指し
︑大 きな 口を 開い て﹂ 笑う とい った 童子 の﹁ 予測 しが たい 素早 さ﹂ で︑ 大納 言の 身体 に接 触し よう とす る動 作は
︑大 納言 が天 女を 饒舌 に口 説く 際に
︑天 女の 隙を 見て
﹁天 女の 頬つ ぺた を弾 きさ うな 様子
﹂や
︑﹁ 食指 をし やぶ つて
︑意 地悪 く︑ 天女 の素 足を つつ く﹂ とい った 動作 につ なが る︒
「紫 大納 言﹂ は﹃ 炉辺 夜話 集﹄
︵昭 和一 六年 四月 二〇 日︑ スタ イル 社出 版部
︶収 録の 際に
︑大 きく 改稿 され てい る︒ この 改稿 後の 特徴 を見 てみ ると
︑大 納言 が天 女を 口説 こう とす る場 面に おい て︑ 大幅
「紫 大納 言﹂ 試論
九七
に大 納言 の台 詞が 加筆 され
︑大 納言 が饒 舌な 人物 とし て描 かれ ると 同時 に︑ 童子 の表 情に つい ては
﹁ひ どく 大き な口 だつ た﹂ とい うよ うに
︑口 とい う部 分が 強調 して 描か れて いる⑬
︒し たが って
︑改 稿に より 強調 され た童 子の 大き な口 は︑ 同じ く強 調さ れた 大納 言の 饒舌 を反 映し て描 かれ てお り︑ ここ にも 大納 言と 童子 の共 通点 が見 られ る︒ 以上 のこ とか ら︑ 童子 は大 納言 が天 女に 言い 寄る 際の 官能 に酩 酊し た姿 を写 し取 った もの
︑つ まり 大納 言の 肉欲 の象 徴で ある とい えよ う︒ さら に童 子の 姿が 忽然 と消 えた あと に残 った 蕈に つい て考 えて みる と︑ この 場面 では 他の 登場 人物 の姿 は見 られ ない こと
︑童 子の 消え た叢 の上 に蕈 が残 って いる とい う前 後の つな がり から
︑蕈 は童 子と 同等 のも ので あり
︑そ の後 に起 こる 笑い 声も 童子 と共 通す るも のと 考え られ る︒
﹁紫 大納 言﹂ にお ける 蕈は 童子 の化 身︑ つま り大 納言 の肉 欲を 象徴 して おり
︑大 納言 は童 子に 笑わ れて いる のだ
︒ 大納 言が 思わ ず蕈 に触 れよ うと した 行為 は︑ 童子 が突 然地 下に 吸 い込 まれ た場 所に 蕈が 残っ たと いう 現象 の不 思議 さに 誘わ れた もの かも しれ ない
︒し かし 蕈が 男根 の象 徴で ある と考 えれ ば⑭
︑蕈 に触 れ よう とす ると いう 行為 は︑ 大納 言が 盗賊 の私 刑に よっ て失 った 自ら の肉 欲を 回復 させ よう とし た意 識の 現わ れと も考 えら れる
︒色 欲の 権化 であ った 大納 言が アイ デン ティ ティ を失 い︑ 失っ た男 根の 象徴 かつ
︑笑 いを 引き 起こ す役 割を 秘め た蕈 に触 れよ うと する こと で︑
失っ た肉 欲自 体に 嘲笑 され ると いう おか しさ を生 み出 して いる のだ
︒ こう して
︑か つて は自 らの アイ デン ティ ティ であ った 肉欲 を写 し取 った 蕈︑ すな わち 童子 の嘲 笑の 対象 とな るこ とに より
︑大 納言 の価 値は 消失 する
︒さ らに
﹁毎 夜を ちこ ちの 女に 通﹂ うこ とで
︑人 との 繋が りを 持っ てい たか に見 えた 大納 言は
︑天 女に 拒絶 され
︑盗 賊に も相 手に され ず︑ 蕈︵ 童子
︶に も嘲 笑さ れる こと で︑
﹁紫 大納 言﹂ の全 ての 登場 人物 から 突き 放さ れる
︒結 果的 に︑ 肉欲 とい うア イデ ンテ ィテ ィも 失い
︑自 分自 身の 分身 であ る童 子に さえ 突き 放さ れた こと で︑ 大納 言は 孤独 と絶 望の 淵へ 転落 する
︒大 納言 は物 語に おけ る存 在価 値を 失い
︑跡 形も なく 消え てし まう 水に なる とい う結 末を 迎え るの だ︒ 昭和
一二 年︑ 日中 戦争 が勃 発︑ その 後昭 和一 六年 に太 平洋 戦争 が 始ま ると
︑言 論統 制に よっ て戦 争協 力が 文芸 に強 要さ れる
︒坂 口安 吾を 含む 後の 無頼 派の 作家 たち は︑ 戦中 日本 の古 典や 歴史 に取 材し た小 説を 書い てお り︑ 奥野 健男 はこ れを
﹁戦 時下 の鬱 屈が 古典 や歴 史や フォ ーク ロア に向 かわ せた
﹂た めで ある と分 析す る⑮
︒﹁ 紫大 納 言﹂ も古 典に 影響 を受 けた 作品 であ るこ とは 先述 した 通り であ る︒ そこ で︑ この よう な時 代状 況の 中で 古典 作品 に影 響を 受け た﹁ 紫大
「紫 大納 言﹂ 試論
九八
納言
﹂が
︑ど のよ うな 特質 を持 つの かと いう こと を明 らか にし たい
︒ 昭和 一〇 年前 後︑ 国粋 主義 の高 まり を契 機と して
︑新 聞や 雑誌 で
﹁日 本的 なも の﹂ に関 する 議論 が起 こる
︒伊 豆公 夫は
︑﹁ 伝統 と古 典 の問 題﹂
︵﹃ 人民 文庫
﹄第 二巻 第七 号︑ 昭和 一二 年六 月︶ にお いて
︑
﹁日 本的 なも の﹂ に関 する 議論 の活 発化 によ って 古典 が重 要視 され 始め た事 態に 対し
︑﹁ 日本 でも 古典 に対 する 尊重 が︑ ひろ く問 題と され つゝ ある のだ が︑ それ が日 本フ アシ ズム 運動 の文 化形 態に ほか なら
﹂な いと 述べ る︒ 前述 した よう に昭 和一 二年 には 日中 戦争 が勃 発し てい る︒ この 時期 に﹁ 日本 的な もの
﹂に 関す る議 論が 活発 にな り︑ 一部 で古 典を 尊重 しよ うと いう 動き が見 られ たの は︑ 国際 間の 緊張 が高 まり
︑国 家で 一体 とな り戦 争に 向お うと する ファ シズ ムの 風潮 が強 まっ たか らで あろ う︒ つま り昭 和一
〇年 代に おい て︑ 古典 は日 本人 の結 束を 強め るた めの
︑政 治的 な道 具と して 認識 され てい たと 考え られ る︒ さら に国 語教 育に おい て古 典が どの よう に取 り扱 われ てい たの か︑ 国定 国語 教科 書を 参考 にし なが ら分 析し てみ たい
︒﹁ 紫大 納言
﹂が 執筆 され た当 時使 われ てい たの は︑ 第四 期国 定国 語教 科書 であ る
﹃小 学国 語読 本﹄ であ った
︒井 上敏 夫は
﹃国 語教 育史 資料
﹄第 二巻
︵昭 和五 六年 四月
︑東 京法 令出 版︶ にお いて
﹃小 学国 語読 本﹄ を
﹁時 勢が
︑国 家主 義体 制に 急回 転し てい く局 面に 際会 した ため
︵略
︶︑
上学 年に 進む に従 い︑ 国粋 主義
︑国 民精 神作 興的 方向 に傾 斜し てい かざ るを えな かっ た﹂ と評 して いる
︒実 際に 文部 省﹃ 小学 国語 読本 尋常 科用 巻九 編纂 趣意 書﹄
︵昭 和一 二年 六月 一四 日︑ 東京 書籍
︶を 見て みる と︑ 巻八 まで は教 材に つい て軍 国的 な解 釈が あま り与 えら れて いな いが
︑巻 九か らは
﹁編 纂上 特に 注意 した 点﹂ とい う章 が設 けら れ︑ 軍国 主義 の風 潮の 下︑ 児童 の愛 国心 を育 てる ため に教 科書 が編 纂さ れた とい う意 図が 記述 され てい る︒ 特に
﹁紫 大納 言﹂ にも 登場 する
﹁袴 垂﹂ が掲 載さ れて いる 巻九 の﹁ 編纂 上特 に注 意し た 点﹂ には
︑説 話教 材に つい て﹁ 武士 的精 神︑ 軍人 的精 神に 中心 を置 き︑
︵略
︶以 て児 童の 英雄 崇拝 に適 応さ せる こと を期 した
﹂と ある
︒ 続い て使 用さ れる 巻一
〇で は次 のよ うに 述べ られ てい る︒ 説話 教材 は︑
︵略
︶国 民的 偉人 の発 揮し た崇 高な 精神
・優 美典 雅な 性情
・創 作的 苦心
︑其 の他 国民 性の 種々 相に 亘る こと を期 した
︒さ うし て是 等説 話教 材の 精神 は︑
︵略
︶国 民精 神の 諸相 を具 現し
︑以 て本 巻の 主題 たる 観を なし てい る︒ ここ から 説話 は児 童の
﹁国 民精 神﹂ を培 うた めの 教材 であ った こと が分 かる
︒ま た︑ 東京 府青 山師 範学 校国 語漢 文研 究会
﹃新 制小 学国 語読 本出 典文 抄下 巻﹄
︵昭 和一 四年 一月 三一 日︑ 子文 書房
︶に は
﹃小 学国 語読 本﹄ の特 性に つい て︑
﹁我 が民 族の 独自 性を 表現 した る 神話
︑伝 説︑ 童話 等の 文学 的教 材が 多く 採択 せら れて
﹂お り︑
﹁学
「紫 大納 言﹂ 試論
九九
童の 心性 を日 本的 に統 治し
︑皇 国的 に錬 成す る上 に至 大の 価値 を持 つて 居る
﹂と ある
︒以 上の こと から
︑国 語教 育に おい て古 典は 忠実 な皇 国民 を育 成し
︑戦 争に 向わ せる ため の政 治的 な手 段と して 利用 され てい たと いえ る︒ では
﹁紫 大納 言﹂ に影 響を 与え たと 考え られ る﹃ 今昔 物語 集﹄ は どの よう に受 容さ れて いた のだ ろう か︒
﹃今 昔物 語集
﹄の 全体 の特 徴に つい て︑ 藤田 徳太 郎は
﹃続 民族 文学 の歴 史﹄
︵昭 和一 七年 二月 一一 日︑ 愛国 新聞 社出 版部
︶に おい て﹁ 豪毅 で朴 訥﹂ であ る﹁ 日本 的な 国民 の生 活を 描き 出し た﹂
︑﹁ 民衆 社会 の力 に満 ちた 文学
﹂で あ ると 述べ る︒ また
︑﹁ 袴垂
﹂の よう な剛 健な 武士 の話 が多 く登 場す るこ とや
︑日 本全 国の 物語 が集 めら れて いる こと に注 目し
︑﹁ 健康 的な
︑同 時に 明朗 な︑ 力強 い国 民生 活の 息吹
﹂が
﹃今 昔物 語集
﹄に 感じ られ ると して いる
︒藤 田は 当時 の社 会と
﹃今 昔物 語集
﹄の 関係 につ いて 言及 して いな いが
︑フ ァシ ズム 下で 戦争 に向 う時 代の 中︑ 昔の 力強 い日 本の 民衆 を描 き出 した
﹃今 昔物 語集
﹄は
︑国 粋主 義を 高め るも のと 捉え られ てい たと 考え られ るの では ない だろ うか
︒ さら に﹁ 紫大 納言
﹂に おい て重 要な
︑童 子が 登場 する 場面 に影 響 を与 えた と考 えら れる 巻第 二八 につ いて の研 究を 見て みる
︒ま ず︑ 芳賀 矢一 は﹃ 攷証 今昔 物語 集﹄ 上巻
︵大 正二 年六 月一 六日
︑冨 山 房︶ で巻 第二 八に つい て﹁ 主と して 滑稽 譚﹂ とだ け述 べ︑ 坂井 衡平
は﹃ 今昔 物語 集の 新研 究﹄
︵大 正一 二年 三月 一〇 日︑ 誠之 堂書 店︶ にお いて
﹁滑 稽譚
﹂と した 上で
﹁妙 筆往 々快 哉を 呼ば しむ るも の多 し﹂ と簡 単に 巻第 二八 の印 象だ けを 述べ る︒ これ らの 研究 は大 正時 代に 発表 され たも ので はあ った が︑ 昭和 に入 って から も﹃ 今昔 物語 集﹄ 研究 の基 礎と して 認識 され てい た︒ また
﹁紫 大納 言﹂ と同 時代 にお いて
︑巻 第二 八の 各話 まで 詳細 に研 究し たも のに は︑ 片寄 正義
﹃今 昔物 語論 集﹄
︵昭 和一 九年 三月 二五 日︑ 三省 堂︶ があ げら れる
︒ 片寄 は巻 第二 八の 各話 を大 まか に分 析し た上 で﹁ 今昔 物語 集巻 廿八 の滑 稽譚 は︑ 当時 の一 般庶 人の 偽ら ざる 生活 の一 面を 現は すも ので
︑ そこ には 人間 の慰 安が あり
︑休 息が ある
﹂と 結論 づけ てい る︒ しか し﹁ 紫大 納言
﹂に おい て︑ 童子 登場 の場 面で は蕈 が笑 いを 引き 起こ すき っか けと して 描か れて いる もの の︑ ここ での 笑い は﹁ 人間 の慰 安﹂ や﹁ 休息
﹂を 表わ すた めに 利用 され ては いな い︒ 当時
﹃今 昔物 語集
﹄は 民族 性や
﹁人 間の 慰安
﹂﹁ 休息
﹂を 描い たも のと して 捉え られ てい たが
︑﹁ 紫大 納言
﹂の
﹃今 昔物 語集
﹄を 利用 した 笑い は︑ 大納 言が 孤独 と絶 望の 淵へ 追い やら れ︑ 水に なる とい う結 末を 導く 手段 とし て用 いら れて いる
︒こ こに は﹁ 茶番 に寄 せて
﹂︵
﹃文 体﹄ 第 二巻 第四 号︑ 昭和 一四 年四 月︶ で述 べて いる よう な﹁ 合理 精神 の休 息﹂
︑す なわ ち﹁ 不合 理や 矛盾 の肯 定﹂ を笑 いの 中に 見出 そう とす る安 吾の 姿勢 が見 てと れる
︒
「紫 大納 言﹂ 試論
一〇
〇
蜂須 賀笛 子﹁ 解説
﹂に よる と︑
﹃松 浦宮 物語
﹄の 成立 は鎌 倉初 期 であ り﹁ 王朝 の趣 味偏 重時 代の なご りと も見 られ るや うな
︑多 情的 な物 語﹂ であ りな がら
﹁半 ば軍 記物 の様 体を 持﹂ つと 評さ れて いる
︒ 確か に﹃ 松浦 宮物 語﹄ は古 き良 き時 代の 名残 を惜 しん だ王 朝文 学風 の物 語を 展開 して いる が︑ 途中 唐王 朝の 戦乱 の話 が挿 入さ れて おり
︑ 当時 の武 家社 会を 反映 した 軍記 物と して の展 開を も見 せて いる
︒し かし
︑﹁ 想ひ 出の 町々
﹂﹁ かげ ろふ 談義
﹂で は﹃ 松浦 宮物 語﹄ の戦 乱 の話 に全 く触 れら れて おら ず︑
﹁紫 大納 言﹂ から も﹃ 松浦 宮物 語﹄ の軍 記物 的側 面か らの 影響 を見 出す こと はで きな い︒ その 代わ りに 安吾 は︑
﹃今 昔物 語集
﹄か ら笑 いの 要素 を取 り入 れる こと によ って
︑ 物語 の雅 な雰 囲気 を変 化さ せて いる
︒ 大納 言を 死に 追い やる だけ であ れば
︑﹃ 松浦 宮物 語﹄ の戦 乱の 話 にも 繋が るよ うな
︑袴 垂れ の徒 党の 武力 や暴 力の みを 用い れば よい ので あろ う︒ しか し︑ 大納 言が 孤独 と絶 望の 淵に 転落 し︑ 水に なる とい う結 末を 描く ため に︑ 安吾 は笑 いを 用い た︒ 安吾 は﹁ 茶番 に寄 せて
﹂で
﹁道 化の 本来 は合 理精 神の 休息 だ﹂ と述 べる が︑
﹁紫 大納 言﹂ は童 子登 場の 場面 で発 せら れた 笑い を契 機と して
︑大 納言 の恋 は実 らず
︑笛 のあ りか も分 から ず︑ 天女 のそ の後 も分 から ない まま
︑
大納 言が 水に 消え ると いう 結末 へと 収束 する
︒笑 いが この
﹁不 合 理﹂ な結 末を 導く とい う点 で︑
﹁紫 大納 言﹂ は道 化の 物語 であ ると 考え るこ とが でき る︒ さら に安 吾は
﹁道 化の 作者 は誰 に贔 負も 同情 もし ない
﹂と 述べ てい る︒ 道化 の物 語で ある
﹁紫 大納 言﹂ にお いて 語り 手は
︑確 かに すべ ての 登場 人物 に﹁ 贔負 も同 情も し﹂ てい ない
︒ 語り 手が 主人 公で ある 大納 言に 対し ても
︑終 始一 定の 距離 を取 り続 けて いる から こそ
︑﹁ 紫大 納言
﹂は 人々 と繋 がり を持 って いる かに 見え た大 納言 の孤 独と 絶望 への 転落 を冷 静に 描き 出し
︑水 にな るこ とで 大納 言が 消失 する と共 に物 語が 収束 する とい う結 末を 導い てい る︒ また
﹁か げろ ふ談 義﹂ で安 吾は
︑﹁ 紫大 納言
﹂に 影響 を与 えた
﹃松 浦宮 物語
﹄の 最古 写本 が︑ 後光 厳院 の宸 翰に よる もの であ るこ とに 言及 し︑ 次の よう に述 べて いる
︒ 殺伐 な時 代の
︑決 して 御満 足で あら せら れた とは 思は れな い 日々
︑手 写す るほ ども この やう な物 語を 愛さ れた 高貴 な人 の手 を思 ひ︑ 人の いの ちに 宿る 物語 のな ぜか 遥か な悲 しさ に︑ しば らく 感慨 を禁 じ得 ませ んで した
︒ 安吾 は﹃ 松浦 宮物 語﹄ につ いて
﹁激 しい 恋物 語を 述べ なが ら︑ 恋愛 を仇 心と み︑ 頻り に道 徳的 な批 難を 怖れ て言 ひ訳 を述 べて ゐた りし て︑ 文学 とし ては 調子 の低 いも の﹂
﹁む やみ やた らに 泣き すぎ て却
「紫 大納 言﹂ 試論
一〇 一
つて がさ つで すら ある
﹂と も述 べる
︒安 吾は
﹁想 ひ出 の町 々﹂ では
﹃松 浦宮 物語
﹄を
﹁王 朝の 夢﹂ と表 現し なが ら︑
﹁か げろ ふ談 義﹂ で はそ の﹁ 文学 とし ての 調子 の低 さ﹂ に注 目し てい るの であ る︒
﹁殺 伐な 時代
﹂に おい て︑ ただ 美し くも 激し い恋 物語 を愛 する ので はな く︑ かえ って
﹁文 学と して は調 子の 低い もの
﹂を 愛し た﹁ 人の いの ちに 宿る 物語 のな ぜか 遥か な悲 しさ
﹂に 安吾 は感 銘を 受け てい るの だ︒ 安吾 は﹃ 松浦 宮物 語﹄ の軍 記物 的な 側面 でな く︑ 王朝 風な 物語 の 中に
﹁人 のい のち に宿 る物 語の なぜ か遥 かな 悲し さ﹂ を見 出し
︑大 納言 が孤 独と 絶望 の淵 へ転 落し
︑水 にな ると いう 結末 を導 く上 で
﹃今 昔物 語集
﹄か ら﹁ 力﹂ では なく
﹁笑 い﹂ の要 素を 取り 入れ た︒ 安吾 は﹁ かげ ろふ 談義
﹂で
﹁人 々の
﹁い のち
﹂と なる やう な物 語を
︑ 僕は 書き 残し てお きた い﹂ と述 べ︑
﹃炉 辺夜 話集
﹄﹁ 後記
﹂で は﹁ こ れを 読ん だ人 々の 生活 のな かに 残つ てく れれ ば幸 福だ と考 へて ゐま す﹂ と語 る︒
﹁私 のや うな 未熟 者が
︑ま だ︑ その やう にす ぐれ た仕 事を 残し うる 道理 がな い﹂
︵﹁ 後記
﹂︶ とも 安吾 は述 べて いる が︑
﹃炉 辺夜 話集
﹄の 中の 一話 であ る﹁ 紫大 納言
﹂が 右記 のよ うな 心持 ちで 書か れた こと は確 かで あろ う︒ 安吾 は戦 時下 とい う﹁ 殺伐 な時 代﹂ に︑ 鎌倉 初期 とい う不 安定 な時 代に 成立 し﹁ 殺伐 な時 代﹂ にも 手写 され た﹃ 松浦 宮物 語﹄ を取 り上 げた
︒ま た︑ 国粋 主義 の中 で当 時あ
まり 注目 され てい なか った
﹃今 昔物 語集
﹄の 笑い の要 素に 焦点 を当 て︑ 作品 に取 り入 れた ので ある
︒つ まり この 二作 を下 地に
︑﹁ 人々 の﹁ いの ち﹂ とな るや うな
﹂物 語と して
﹁紫 大納 言﹂ を書 き残 そう とし たの だ︒ 注
① 関井 光男
﹁伝 記的 年譜
﹂︵
﹃定 本坂 口安 吾全 集﹄ 第一 三巻
︑昭 和四 六年 一二 月二 五日
︑冬 樹社
︶に は以 下の よう にあ る︒
「閑 山﹂ を三 好達 治主 宰の
﹃文 体﹄
︵ス タイ ル社
︶に 発表
︒こ の作 品 を契 機に 日本 の古 典的 世界 に興 味を 寄せ
︑﹃ 松浦 宮物 語﹄
﹃竹 取物 語﹄
﹃伊 勢物 語﹄ など を耽 読︒ 次第 に説 話の 世界 に目 を向 ける よう にな った
︒
② 浅子 逸男
﹁﹁ 紫大 納言
﹂論 坂
︱
口安 吾の 世界
﹂
︱
︵﹃ 都大 論究
﹄第 二一 巻︑ 昭和 五九 年三 月︶
︑和 田博 文﹁ 坂口 安吾
﹃紫 大納 言﹄ と説 話文 学﹂
︵﹃ 国文 学論 集﹄ 鈴木 弘道 教授 退任 記念 号︑ 昭和 六〇 年三 月︶
③ 関井 光男
﹁坂 口安 吾﹃ 紫大 納言
﹄
︱
ある いは 古典 文学 の転 義
︱
﹂
︵﹃ 国文 学 解釈 と鑑 賞﹄ 第五 七巻 第一
〇号
︑平 成四 年一
〇月
︶
④ 三品 理絵
﹁﹁ 紫大 納言
﹂
︱
悪戦 苦闘 とし ての 文学
﹂
︱
︵﹃ 国文 学 解釈 と鑑 賞﹄ 第七 一巻 第一 一号
︑平 成一 八年 一一 月︶
⑤ 関敬 吾﹃ 民俗 民芸 双書
昔話 と笑 話﹄
︵昭 和四 一年 八月 三一 日︑ 岩崎 美術 社︶
⑥ この こと から
︑﹃ 松浦 宮物 語﹄ の引 用は 岩波 文庫 版に よる
︒
⑦
﹁そ こは かと なく にほ ひつ るか ほり の︑ なつ かし う身 にし むこ と﹂
﹁よ にた くひ なき 御そ のに ほひ
﹂﹁ いつ れの ちん たむ とも わか れぬ 御に ほひ
﹂
「紫 大納 言﹂ 試論
一〇 二
など
︒
⑧ 三品
︵前 掲︶ は︑
﹃松 浦宮 物語
﹄の 登場 人物 の﹁ むや みや たら に泣 き すぎ て却 つて がさ つで すら ある
﹂様 子が
︑改 稿前 の大 納言 の人 物造 型と 重な るこ とを 指摘 して いる が︑ 本稿 では 改稿 後に も重 なり うる と考 える
︒
⑨ 花田 俊典
﹁﹁ ふる さと
﹂へ の回 帰
︱
坂口 安吾
﹁紫 大納 言﹂ の世 界
﹂
︱
︵﹃ 近代 文学 論集
﹄第 三巻
︑昭 和五 二年 一月
︶
⑩ 和田
︵前 掲︶ は︑ 童子 登場 の場 面に おい て﹁ 安吾 は︑ 中古 中世 説話 文 学に しば しば 登場 する 童子
︵天 童︶ を踏 まえ
︑そ れを 裏返 して
︑場 面の 骨格 を形 成し てい る﹂ と指 摘す る︒
⑪
﹃坂 口安 吾全 集03
﹄﹁ 解題
﹂に よる と︑ 初収
﹃道 鏡﹄
︵昭 和二 二年 一〇 月二 五日
︑八 雲書 店︶ の本 文末 尾に は︑ 執筆 年が
﹁昭 和二
〇年
﹂と 記さ れて いる
︒
⑫ 僧が 葬儀 料目 当て に平 茸を 食べ て中 毒で 死の うと する が失 敗す る﹁ 左 大臣 御読 経所 僧酔 茸死 語第 十七
﹂︑ 次席 の僧 が主 席の 僧に 毒蕈 を食 べさ せて 殺害 を謀 るが 失敗 する
﹁金 峰山 別当 食毒 茸不 酔語 第十 八﹂
︑毒 蕈の 中毒 に苦 しむ 僧に 導師 がし ゃれ のき いた 読経 をし て皆 を笑 わせ る﹁ 比叡 山横 川僧 酔茸 誦経 語第 十九
﹂︑ 舞茸 を食 べた 尼と 木こ りが
︑山 中を 踊り 舞い 狂う
﹁尼 共入 山食 茸舞 語第 二十 八﹂ が残 りの 四話 であ る︒
⑬ 三品
︵前 掲︶ は改 稿に つい て﹁ 大納 言は 饒舌 かつ 多弁 で︑ 大仰 な人 物 とし て描 かれ て﹂ いる と述 べ︑ また 大き な口 は﹁ B版 の童 子に のみ 強調 され る特 徴﹂ であ ると 指摘 する
︒
⑭ 童子
︵蕈
︶と 男根 の関 係に つい ては
︑加 瀬健 治﹁
﹁絶 対の 孤独
﹂と 説 話体 坂
︱
口安 吾﹁ 紫大 納言
﹂論
﹂︵
﹃武 蔵大 学人 文学 会雑 誌﹄ 第二 六巻 第四 号︑ 平成 七年 四月
︶︑ 菅本 康之
﹁歴 史と アレ ゴリ ー
︱
﹁紫 大納 言﹂ の政 治的 読解
﹂
︱
︵﹃ 坂口 安吾 論集
﹄第 一巻
︑平 成一 四年 九月
︶に 詳し く指 摘さ れる
︒
⑮ 奥野 健男
﹁文 学に おけ る無 頼と は何 か
︱
無頼 派を 中心 に
︱
﹂︵
﹃国 文学
解釈 と教 材の 研究
﹄第 一五 巻第 一号
︑昭 和四 五年 一月
︶
*坂 口安 吾の 作品 の引 用は
﹃坂 口安 吾全 集﹄ 全一 七巻
・別 巻︵ 平成 一一 年 五月 二〇 日~ 同二 四年 一二 月一
〇日
︑筑 摩書 房︶ に拠 る︒ 引用 に際 して
︑ 旧字 は全 て新 字に 改め
︑振 り仮 名は 適宜 省略 した
︒
「紫 大納 言﹂ 試論
一〇 三