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(1)

理論経済準諸樫系の方法論的考察

従来の凡ゆる迎論的思惟

D隠史における穂同は︑何上りも 先づ︑現貸の研究の新らしい方法︒必妥の意識となって現は れるやうに見へる︒ひとは︑それぞれの時代に封廃して︑著

し︿異なるととろの形態と︑従ワでまた草唱し︿兵なるとこる

の内芥を有てる︑一連の沌論的思粧を知ってゐる︒理論的町品

位は︑かくて︑何上りも先づ︑歴史的所夜である︒設に︑思 惟の不授不動性を︑ひと先づ︑素朴にも表見的に︑否定して

さて︑か︑る理論的思惟の韓問は︑本衆如何に調合さるべ

理論経済事詩襖系の方法論的考察

きであるか︒阪にしてピカどは︑哲愚撹系の累積は︑それ向 らは解明するところが甚だ僅少でるる︑正一再ってゐる︒第

十七世組に︑ベエコシの士一周

D4

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G M

E C

C

ZE

SF

G

ことは︑本来如何に迎合さるぺきでるるか

0

牛の如︿︑既得の知識を反匁ずるのみで︑抑制らしき知識への

永久の潟望者としてとピ主ワた巾世軒目壊の不毛性を救はんた

ζ

の支配的な論理皐を︑認識論的方法論的に超克す

ることが必要でるった︒哲陣中は︑この新らしい方法を求めて︑

既に存在を主出獄して︑新らしい方法を適用して庚い分野に驚

異的な業践を挙げつ

L

あったととるの自然科撃に結びづかざ るを得ない︒たピ︑哲阜の課題は︑この方法を捕捉し︑これ

(2)

f,fj 

に抽象的普遍的形態を奥へ︑か︿て個別に用ひられつミあっ たととろのものを科率的方法として定立することにあったの である︒ひとは︑この解明によって︑哲墜と自然科墜との関 聯に就いて︑重要な舎得をしたことにはなるであらう︒近世 の唯物論が︑自然科壌の領域において劃期的な後見が成され るたびに︑如何にその形態を換へなければならなかったかに 就いては︑われわれの光分に知るととろである︒それは︑然

しながら︑この理論的思惟の韓同を︑経済的社合目的関係の拾

象に・おいて解明したものであらう︒われわれは︑ζの問題を 顧みつ込︑近世哲撃の三つの轄肉に就いて絞べなければなら

近代背革は︑我の後見をもって初った︒それは︑有名なのc

⑦吋向︒吉田・といふ命題に要約されてゐる︒紳の存有は疑

HV符ゃう︒我が思惟するところのものは疑ひ得ゃう︒然しな がら︑思惟し疑ふ我そのものが在るといふことは拘に疑ひ得 ないものである︒ルヰサシスの後見した個人は︑近世哲皐に おいて︑思惟すると

ζ

して定立された︒とは一五へ︑近世哲事の我は︑それ自らまた

思惟された︑抽象に上って媒介された︑それ故に疑はれ得る︑

本質に湿度︑ないのである︒すなはち︑近世哲準の出後貼とな

った命題はとうである︑我はひとつの抽象的な︑ひとワの寧

に思惟するのがな本質であワて︑肉憶は我の本質に属しない︒ 一八六

この抽象的な本質を去れとフオイ且ルバッハは一瓦ふ︒我

︑︑︑︑︑

はひとつの現質的な︑感性的な本質である︑及び︑肉検は我 の本質には麗しない︑まことにその線慢性における肉樫

ζ

我の本質そのものである︑主云ふ命題が︑新たなる哲患のた

めに︑訟に措定されなければならない︒然しながら︑一丹たび︑

とは一五へである︒設に感性は︑賃践的な︑人間的感性的な︑

行僑として捕捉されてゐない︒感性の洗躍を享けた人間的本

質は︑隠史の流れから市四時附した︑抽象的孤立的な人間飼人と

して願はれてゐる︒さうではない︒それは︑間⑦ω

H E r m

w 同 己 目

o r

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﹄ ﹇ ⑦ ロ 由 ︒

rr

アシサムフル 酔として定立されたければならない︒人間的本質のi

象的孤立的な人間個人は︑一定の一枇合関係に属しなければな

らない︒しかも︑悉ゆる社合的生活は︑本質的に賞践的であ

る︒これらの一定の社合関係はまた︑人間によって生産せられ

たものである︒祉令関係なるものは︑生産力と密接に結びつ

いてゐる︒人間は︑新たなる生産力を獲得すると共に︑その生

産開係を挺化し︑生産関係を慶化すると共に︑その世命日開係を

輔鈍化する︒枇合関係を鍵化すると共に︑一部は直接に生産関係

により︑一部は粧品官関係によって規定せられた枇合的人間の

心理︑この心理の性質を反映するところの諸種の精紳的文化

を鑓化するのである︒

われわれは︑問題の圧しい出後鮎を奥へられたのであるつ定

(3)

に︑ペエロyとデカルトとの濁した経済的批曾的関係は如何

なるものであったか︒

それは︑近代のプルジヨアジイの撞頭しつ

Lあった時代で

ある︒ブルジョアジイは︑その工業的生産の愛展のために︑自

然物の性質及び自然力の作用の仕方を研究する科墜︑ずなは ち自然科撃をもっとも必要とした︒自然科翠は︑プルジヨア

ジイの生産的貿践に上って︑力強︿推し進められたのである︒

十字軍以後︑ヨーロッパの生産ぼ脊践的に生長した︒一六

九七年にダ=エル三アフ才ーが冒と︒♀古川判﹄唱と一疋ひ︑時人

28S

HS

吋と一去ったのは︑自然科患の悉ゆる分野に

亘るカ騒い勃興に先行して︑生産の領域において素朴な溌明 家の絢澗な時代が過き去ってゐるといふ考隠のもとに︑廷に 多︿を諮るところの時代の徴表である︒バロック時代の典型

F1

£V

的な階段明家と見られてゐるペツヒヤ1

1

= ス 賦においては風貌も職業もない︑岡王と良氏︑事者と無事 者︑呉教徒主基督教徒︑信仰者と不信仰者はひとし︿こり

才能を古川まれてゐるのである︑と云ったが︑とれはその鐙十七世犯の前後において食現されてゐる︒われわれは墜者間官師

の領域において︑一言語患者古川シ・ρy

Zの 骨

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理論粧油開墜諸般系の方法論的考祭

民︑縛翠生

pIの編物機︑間宮師エイリ−一スのアスファルト︑

Y

y・フランクリシの避雷針等を︑信侶の領域におい

て︑ヂヱスイツト信ポナミのエナメル︑説教師カIトライト の機械機線︑主任司祭ヲシリュエの生総紡法の完成品目f

工業者︑努働者の領域において︑理髪師アークライトの紡

績機.大工ジヨシ・ハリソyのタロノメ

1 9

1

ールの最初の無失態坑法令を︑有ってゐるo

は︑時代の業績の片鱗に過ぎなかった︒バロック時代の似去 をなすところの︑かの多角的後明家は︑次の人々においてそ

の頂角を極めたのである︒

y γ

Olセット八一六

O

年﹀の制動装置︑水時

計︑起重機︑移動橋梁︑拳銃︑震問時砲︑安全錠︑計算機︑等︒

1

ミ ュ

1

71

一七六七年︶の八十度仲間式本1

唆計︑織︑附磁器︑染色舎の領域における献の改草︒ド一一・パ

パγ︵一六四七i一七一四年U

の祭気ポンプ︑殴盤︑遠心力

ポシプ︑高焼却問汽機関︒ョアヒム・ベツヒヤ

1 2

l

一六八二年Uの靴下編機︑紡拙肺機︑検温珠山守︒これらの根

h引いては未だ極験的有機的な方法に怒った諮の技術は︑

然しながら︑この時代に非常な完成を経験して︑所訪霊が質

への韓化を添げ︑賃際上庄屋にひとつの根本的な改輩を務し

3r

た︒機械の領域において︑それの最も代表的た例は︑水力工刷物

と︑力の俸動装置の設展とである︒他方において︑これらの

(4)

il'fj 

技術が融市した新事食は︑諮大な観察材料を提供したのみなら

ず︑またこれら白からが巳に従来とは完た︿異った賃験道具 となったうへに︑また新たな道具の組立をも可能ならしめ

た︒本来の組織的な貸験料昌子は︑いまや始めて可能となった

のであるO

とれらの生産主自然科阜の愛炭に参したものは︑最早俸統

の文明を誇ったイ

nT Pアのみではな︿︑そこにはいまや西歌

及びポオラシドを合む中欧の全勝があった︒自然科壌はまた︑

完︿替利の︑従って結局は生産の︑目的で行はれた地理上の 諸の後見によって︑著し︿促された︒それは︑動物事︑植物

H抽象事及び生理準に閲する︑これまで谷田却に得られなか

った主とるの無数の材料を明かにした︒印刷機が現はれたの

も︑との時代である︒掬にそれは︑秋界がそれまでに経験し

た最も偉大な革命であった︒

70イは︑か︿て︑生産カの後展ム﹂共に︑中世和的封建組 織のうちに闘ひ主った公認的地位をもってしでも︑最早この

組織と雨立しがたきもの主なって行った︒まことに時間時は︑

I

T

Y

H

ツタ数舎が︑封建制度の閥際的大中心とな

り︑封建化された西ヨーロッパ会慢を︑その悉ゆる内部的闘争

にもか誌はらず︑一大政治僅に結びつけ︑最後にはカトリy

タ全土のコ一分の一の土地を所有するととにおいて︑悉ゆる封

建君主のうち最大のもの主なってゐた︒それはまた︑薮念の世 一凡八

界において︑アクヰノの翠トマ

yが患なる紳患に歪めたとこ

ろのアpzトテレ

Z Zを支配哲撃の座にのぼした︒かくてピ

ウス第九世は肩を鋒かせて︑﹁凡ての人間は︑何らかの意味に

おいて︑カトP7ク欽舎に所属する﹂と豪語し得たの明︑ある︒

ブルジョアジイは︑世俗の封建制度を︑それぞれの凶におい

て︑徐すととるな︿解消し得るために︑また白然科事が︑教い

舎の従順な羊たる乙とをやめて︑自らの籾立完一吉を有つため

に︑何よりも先づ︑との宗教的組織を解消しなければならな かづた︒それには光づ︑えたいの知れない数義がでワちるげ た支配論理事を超克するととが必要となる︒ペエコシとデ方

ルトとの方法論は︑ζのプルジヨアジイの閥的すの前哨職であ

われわれはいまや︑か

LるものEとしての︑この偉大な二人t

の名を負ふ︑理論的思惟の特殊性を問題とする場合にあ

る︒それはまた︑前惑の事情から論迎的に蹄結し得るととろで

もあるoFシヤにおいて︑自然はなほ入旦償として直視されー るに主ピまり︑諸の自然現象の全般的関聯は︑個々の鮎にお

い℃誘拐されるにいたらなかった︒所謂鉢霞法的思惟は︑い

まだ自然成長的な車純性を有って現はれたのである︒か︑る

(5)

註観的世界観は︑油川繭押する現象の線形胸部を全面的性質におい

て一京ずに足りるが︑総形像の偶キの構成分を説明するに足り

ないのはもとよりのととである︒自然科撃は︑この構成分を 迎解せんとして︑しばらく事物をその料支の流れからの分離 において︑制別にその性情︑その特粧の原因結果等に就いて 考察せざるを得なかった

oまことに自然科壌は︑尺取誌の艇除

のうちだけでも頭に二八八本の︑担に一六四七本の︑明日と腸

とに一一一八六本の筋肉を解剖皐的に示し得たのである︒代り

に︑自然は歴史的に融政反するといふ概念が後方に退き︑個別

の迎解から会穫の浬解への途は塞がれてしまった︒それはま た︑ベエコシの理論的思惟に忠貨に反映して︑常代の担論的

思惟となったのである︒

一定の理論経湾皐の方法論は︑何よbも先づ下にゐい℃︑その時代の経済的批曾的存在によ

1 W

Y N

vd

の意味を掠よと乙ろの理論的思惟によっても制

約芯れる︒近代の枇曾主義理論はその著しい例

である︒それは︑その内界よbすれば︑何よb

liff 

理論経済準諸帥盟系の方法論的考察 も先づ︑一方において近代世舎内に存在し℃ゐる所有者及び非所有者︑賃銀勢働者及びプYヨアの階放出立︑他方にるいて生産を支配しJわる無政府航態の認識から生成したものであるその盟論的の形式よbすれば︑然しながら︑最初は︑十八世紀の偉大なフランスの啓蒙論者によって確立された根本原理の︑一層徹底した︑

Y

一 一 暦

A口目的な接展とし℃現はれたのである︒悉ゆる新らしい皐説と同じく︑近代の枇曾

主義聞論も︑その根底が如何に深く経済的存在のうちに存してゐゃうとも︑先づ在来の皐同思想に結びつか︑きるを特なかった︒だからケY

IY

ならぬ稗.度にあいて︑その他の諸科事︑特に自

ける認識の進歩は従よものであるし︑また従来

経験的方法︑目的論的及び因果的方法︑蹄納的

(6)

F

及び演耀的方法を︑専らとれら方法の純理経蹄

堕に卦する意義に闘瀦させてのみ語るとB

へ主も︑本来肢に之れらの概念の趨周にむい

て︑論理及び認識論並びに諸の哲皐的基礎科皐の一定の知識技態を前提せゴるを梓ない︑と一石

3︑それは幾分の混乱と表見性のうちにも主任その正し誌を有つ℃ゐる︒L

λ

島?の方法論を︑その接展の委にあいτ批剣しゃう左する︒方法論的批剣の意味につい℃は︑そ

れは︑勿論︑批剣の総てではないが︑方法乙そ

畳間前臨系の佃ム吋の部分を統一に脅すものであ

る乙とを叙べτ

をして乙れに赴かしめるものには︑何らか積極

的な理由︒かなければならない︒そして私はそれ

を有つのである︒

いまや枇曾科串の悉ゆる領域は込い℃︑ひと

つの新党本方法が趨用される乙とによっτ︑驚

O

くべき業績が示苫れつLある︒われわれは︑暴の偉誌によっても︑乙れが鰹蹄的批合目的関係の

麗革過程の重大な段階の理論的表切である乙とを理脅し℃ゐる︒乙の過程は︑経済的枇合同的蹴

係のその本質にあける世界的同一位乃至支配性

の故に︑また世界的性質を有つ℃ゐる︒ひと

は︑正営にも︑自らの特殊性の具象にあい℃︑

他にゐいて寛現せられた︑また貫現せられつ︑

ある朕態を質調しゃうとする︒それは︑意識せ

られた珂論が賞段主導きっ︑ある時代である︒

ひとは︑現代の研究方向の特殊性主規定し℃

ルネサンスヂス・テオι?テイヅシヱシ・インデレクセス

﹁理論的闘心の

Y

ネサンス﹂といふと

B

無意識のうちに乙の枇曾的欺勢を反映詰せてゐ

便

bも先づ︑方法論の麓

革として額はれる︒一般に︑近代の枇曾科皐は︑

方法論的な課題な携ふ之とに浴いτ︑一層原始

的な時代におけ忍科皐様式は封し℃︑ひとつの

差異を示すべき理由を有つ℃ゐる︒認識の殺展

(7)

の歴史的過程は二層原始的な時代にるい℃は︑

一般的に人間にとっτ︑或るものを遺る乙とは

そのものを造る方法主知る乙とよbも重要であb︑且つ︑前者の事貨は︑常に︑後者は閲する

明瞭な意識に先んじた乙とを示し℃むる︒たとへば古典皐振を見ゃう︒m厳正な方法に従ったかに見へるスミスとqノカ〆ドは︑殆んどそれを直接的に表明しなかった︒セイ︑カレヰ︑マY

τ︑ジョン・スチユアI

Yの﹁論

F開皐鰹系﹂に至って︑始めて古典堕一蹴及び金精神科皐の方法論が盟系的に展開昌れたのである

而して︑理論経済皐にあい℃︑方法論が異撃な論議の劃象となっカのは歴史皐波以後の乙とで

ある︒それ故︑シユムペエターが︑方法論は岡

氏経済皐閥系の絡りに生ずべ

3もので︑その首

3性質のものではないと云ふと3

それは右の意味に解したときにのみその正し誌

を有つのである︒現代の麓革の理論は︑然しな

li)f 

理論経済単諸般系の方法論的考察 がら先づ︑従来の乙れら凡℃の方法論に艶立する新たなる方法論となって顕はれるのである︒寒にわれわれは︑流轄し℃止まない超済的枇曾的生活の矩火に照しつ﹂︑諸の方法論は如何なる姑にゐい℃破綻しなければなら在かったか︑また現在破綻し−なければならないかを分明にし℃︑乙の過程において正しい方法論を認識する乙とを措いては二歩前進と離も不可能である︒

ヌユジオクラI−プンと古典経済皐の方法論を問題とするまへ民︑先づ︑われわれは義氏叙ベ

Yジヨアジイの輝やかしい礎展の袈明期を表象に有つ℃ゐゃう︒それらは︑この階級の乙の段階に浴ける理論的表明以外の何ものでもな

われわれは︑歴史に遡る乙と遠ければ遠い程︑伺人は︑また生産する個人は︑非嫡立的なもの

L

(8)

主して︑一一層大いなる金躍に盆冷従属して羽はれる乙とを知ら当れる︒野讃時代にむいては︑

個人の傷害的行筋を︑彼の属する枇曾閤すなは

ち杢家族又は種族が虞罰せらるべき罪科在者慨

す傾向があった︒個人と総躍との融合は︑個人の行矯が巌密攻意味にるいて個人的なものでは

なく︑各人相互のある連帯から生起してゐるも

のであると云はれ得る程に事賃上緊密であっ党し︑剣決する者も︑罪科を犯した個人を︑彼が乏

の罪科以外の一切の闘係にるい℃結合してゐる

と乙ろの群から区別することが能3なかったの

である︒であるからな的復讐にるいて︑個人が個人を傷害した乙とから屡冷全家族と金家族との一戦以が醸され︑しかも乙の戟以は敷世代に及よ

ものがあったといよ︒か﹂る習停は後年種冷在

る遺制となって現はれてゐる︒例へば︑グMY

人にるいτ出生の差異が同時に擢利の差別の基

礎となったのは︑恐らく︑守るにも攻めるにも金

家族︑が個人の背後に存在し℃ゐた絶卦的家族連

帯の時代の影響であらう︒また例へばザクセンにゐいて︑殺人者が被害者の遺族に支持ふベ3賠償金は︑貴族に劃する場合は平氏に封するそ

れの七倍であったととは︑大なる力強い家族はその一家族員の殺害に封して普通の家族よb這か代怖ろしい復讐をなし得たしまたなした︑

と一瓦ふ事賓が法律的に確定されたものと見られやう︒種族の封立と融八日とから生じた種々の共

同躍に移っても︑それは本質的な差異をみなか

った︒例へば︑ドイヅ法にるいては︑訟の原則は共同盟に封しても個人に針しτも同一であった︒それは個人と共同盟と︑が緊密に結合してぬ

たので︑ローマの園家概念の杢盛のと3のやう

Yネサンス時代に至って始めて︑一方

に浴いて︑完全な個性を畿遺志せ︑他方にるい

℃︑狭い枇合同的還抵の限界を進かに超越する意

(9)

向と散化とを者連3

せた︒乙れは︑例へは︑﹁自

分はフィレンヅェを熱愛し℃はゐるが︑魚にと

っては大洋がさラであるやうに︑自分並びに自

分のやう在者だちにとっては世界が粗園であ

る︒﹂と一去ったダンアの言葉に趨切に表現当れ℃ゐる︒︷是に︑中世後宇期のイタヲア人は︑近

代的の楼見民族であb︑世界は意外に小3

し出

58

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yネサンスは︑プY

ろのものである︒それは︑十八世紀において長

足の進歩を遼げた︒乙の自由競争の社命日までくると︑個人は︑過去の廃史時期に彼が制限せら

れたニ足の人聞の集固に従属せしめられたと乙ろの自然の束縛から完全に解放されたものとし

て現はれてくる︒以前は︑ひとびとは︑共同行

魚への共同意志によって結合されτゐた︒いま

やひとびとは︑相互に分離しτ︑在的個人とし

て相野立し︑猫自の意志によって︑濁自の危険

理論経済事諸機系の方法論的考察 にあい℃行動するのである︒事貨は︑一方に.るい℃︑封建的枇曾形態の所濯であb︑他方に沿

いて︑十六世組以来新たに護連せる生産力の所産であるところみ歴史的佃人は︑自然的個人とτ︑奥へられたと乙ろのものとしτ

︿

L

せるものとして立はなく︑自然によって置かれ

たものとし℃の︑ロビンソン的単調孤立の伺人

が岬究の出接結となったのは︑右のやラな歴

史的段階に卦臆するのである︒礎つ℃個人主義

的方法論は︑また同時に非歴史的方法論であ

る︒す在はち︑ヌュジオクラI

ω古典経済皐において︑資本家的制度は︑歴史的生成物

とし℃立はなく︑祉曾的生産が歴史的に通過す

ると乙ゐの後遺段階とし℃立はなく︑自然によ

っ℃るかれたものとして︑自明なものと

ι τ

過去の諸々の礎連段階は乙の段階を準備した

L

(10)

副岡

と乙ろのものとして現はれた︒それ故︑古典経

済事に現はれる経済的範曜は︑社合同的歴史的範

障ではなくして常代︑不遜なる自然的範時であ

AY︑その法則は常氏︑永遠に妥営する自然法則

とし℃定立されてゐる︒乙の方法論の故に︑古

典経済皐は現賓の粧舎的動態の前にその無能を

露呈し在ければならなかったが︑しかしそれ芦

からと云つτ︑之の方法論の故に︑古典経済皐

を誹誘するのは見営ちがひである︒それは︑乏

の駒の首めに展開したと乙ろの歴史的段階に封

騒するものであb

いてのみ意味があったのである︒それは︑後代

意識的に乙の方法論どとb入れ℃興亡する諾の

理論韓系と同一に論ぜらるべ3

たと代ばフュジオグラI

φg

LESEE

との二つの秩序をみとめる︒ひ

とは︑前者によって封建制度を︑後者によっ℃

資本家的生産関係を理曾した︒それは︑之の生

産関係のもとにおいては︑富の生産及び生産力

の楼展が自然法則に従つ℃行はれてゐる乙とを意味しゃうとしたのである︒従つτ

L

係自らは︑時代の影響と無関係な自然法別である︑それは︑恒比一枇曾を支配すベさ永久的法別であるといよ乙とになる︒だが︑われわれは後

に︑乙の非歴史的方法論が︑悉ゆるニユクアシ

スと悉ゆる粉飾とを有って︑諸々の担論腫系に

洗潜し℃わるのを見るであらう︒私ど以て見れ

Y

理論躍系の中核をなすと乙ろの根本理論の方法論にゐいて︑或はその議展開前の方法論に浴い

て︑乙の方法論を超克し得なかったし︑また現在

超克し得ないが故に︑現買の枇命日的動態のまへ

に破綻しなければならなかったし︑また現在破

綻しなければならないやうに思はれる︒われわ

れは︑乙の故に︑古典経済皐の中核にたちいたつ

(11)

て︑即ちその債値論を分析しつL

何ぞや﹂であった︒すなはち︑富の本質氏関する問題であった︒宮は︑然しながら︑一定量の

使用慣値であb︑使用債値は︑人間封自然の作用の所産にほかならない︒即ち︑誌に問題とな

ってゐるのは富の自然的側面である︒富の枇曾的側面︑人間艶人間の作用の所産とし℃の富︑す

なはち富の形態に閲する問題を︑それらは金く

提起すると乙んがなかった︒乙れは︑その思惟の

無意識的前提となった資本家的枇舎が︑自然的なもの︑﹁永遠の相のも左に﹂あると之ろのもの王者倣3れた場合の必然的君臨結である︒設民

私の朋謂非歴史的方法論の脹芽がある︒この店

韓系︑が生長する過程を忍は見ゃうとするのであ

る︒之の問題を最初に︑理論的に考察したもの

理論腔隣息子諸傍系の方法論的考察 は︑言ふまでもなくモネタ

I

Y・グユスアーム

7

1

uy

・ジユスアームとである︒そ

れらは︑然しながら︑乙の問題を︑表見的な流

通過程にbい℃解決しゃうとした︒前者は︑富

をなほ封象的に︑貨幣に現はれ℃ゐる有形物に

るいて解揮した︑後者にあいて︑官は草に相卦的なものとし℃現はれる︒一人の獲ると乙ろのものは︑他人の吏ふとさh

りのものである︒それ

故に︑以とつの園内にゐい℃は︑資本金盟としτ看れば︑富は形成3れない︒それは︑他の諸の岡氏に封する一副民の闘係にあい℃のみ起b得る乙とである︒ひとつの図民が他の諾の園民

に劃して宜現する過剰額は︑貨幣︵貿易差額︶に現はれる︑何となれば︑ま誌に貨幣は︑交換

債植の直接にしてまた︑濁立的な形態であるか

ら︒設には宅ネグ

I

Y・ジユステT

明かに以とつの準歩が行はれてゐる︒富の源泉

は︑封象から︑主櫨の一定の勢働即ち商業持働

(12)

乙の勢働自らは︑然しながら︑貸幣を粛すもの

とし℃の限定性にゐい℃解揮され℃ゐる︒彼等

は︑結制的富の形成主否定しτ︑費却から生ず

る宮を認めたのである︒

フ ュ

Iテンは︑然じながら︑ま3

乙の絶卦的富︵剃飴債億︶に彼らの問題を見た

のである︒訓判徐債値は︑流逼過程か告は生じな

い︒ひとは︑商品の買却にあいτ︑その商品に

含まれると同じ債値を草に貨幣にるい℃符るは

過ぎない︒苫れば︑この飴刑判偵値は︑即ち費本

は何庭から生ずるのであらうか︑乙れが彼らの

課瞳であつだ︒彼らは初めて︑乙の問題の考察

を流通過程から生産過程に移したのである︒そ

して之の功結が︑彼らに﹁近代経済事の党﹂

といム楽曲替を携はしめてゐる︑何となれば︑之

の串仮はそれによっτ︑初め℃資本家的生産の

本質を剣一飴債値の生産に置いたのであるから 0

3 τ

︑費本家的生産の楼展の基礎は︑勢働者民

所属する商品としての勢働力と︑それと猫立に

存在する商品とし℃の諸勢働保件との艶立であ

る︒商品とし℃重要なことは︑勢働力の債値の

決定である︒乙の債値は︑帥労働力の再生産に必

要な生活資料をつく9出すは要する勢働時間︑

又は勢働者とし℃の勢働者の生存は必要な生活

資料債格に等しい︒乙の基礎の上にのみ︑勢働

力の債値と利用の差具︑他の如何なる.商品にも

存在し攻い之の差異が現はれるのである︒モ乙

I

接展段階によってではなく全く自然に決定せら

れると乙ろの︑不援の大いきとし℃の最低勢賃︑

E

P O S E

H

らの性質について未︑戸認識すると乙ろがなかっ

たが︑之の勢働力の債植は必要生活資料の債格

(13)

︑氏︑従って一定の使用債値量に現はれる主いム

理由のもとに︑乙の決定をなし得たのである︒

乙の弊賃論の前提のもとに︑剰飴債値をつくb

出す努働は生産的勢働である︑といム根本命題が定立される︒即ち乙の勢働生産物はるいては︑

その生産物の生産過程にゐいて費消された債値

額を超へお債値が合まれτゐる︒債値は物質よbなるといふ表見的な見解のもとにゐいて︑乙れに針臆する唯一の表見的在剃飴債値生産部門

は農業である︒之の原始生J

者の年々消費する生活資料の額は︑彼が生産す

る生活費料の額よbも僅少である︒即ち剰飴債

植は誌に最も表見的に現はれる︒そこで︑アュ

I−プンはむいて︑農業勢働は唯一の生

産的勢働で︑それのみが彼らの所謂官︒含宮

b

b︑地代は唯一

の剰鈴憤値形態となったのである︒彼らにおい

て工業利潤と貨幣利子とは︑地代が分配昌れ一

!ilf 

 ,JC. 

理論経済事諸般系の方法論的考察 定額にbい℃地主の手から他の階級の手に渡る

闘係を一不す名目の外の何ものでもない︒そ乙で

τ

︑こ

れ以上を生産し︑乙の剰飴は地代となb︑之の

剰除債値は勢働の根本僚件即ち自然︑土地の厨有擢者にょっ℃占取される︒だから弦では乙う

いふ之とになる︑彼が生産の聞に費消する使用債植量は彼がつくb

使

である︒乙れは︑土地の生産力は︑具へられた bも僅少

ものとして前提苫れてゐるその盟労働日に浴い

て︑彼が生存するために必要とする消費量以上に生産する可能性を彼氏輿へる乙とを前提し℃

ゐる︑随って︑剰飴使用債値量は自然の賜物とし

℃視はれる︒他方にあい℃然し−ながら︑地主は

勢働者に劃して資本家とし℃封立するといふ乙

と︑即ち地主は︑勢働者が彼に商品とし℃提供

した勢働力主購なふかはbに︑等債物のみなら

ず勢働力の利用が粛す剰飴物をも占有するとい

(14)

°

よ乙とが自明的に前提3τゐるのである︒乙

最初︑商品交換の基礎にもとづく他人勢働の占 ︑乙の開系の内部に矛盾が展開する︒τ

有に工って刺能債値を説明し党乙の睡系にあい

て︑事貫は然しながら︑債値一般は枇曾的勢働

r m

r

p

︑官官f

r r r h u

r r r w

方において持賃を超へる剃飴債値に還元詰れな

r r w r r v

r r r p v パ り

はなく︑自然から︑祉人目的関係からではなく土

地に封する閲係から抽出3れてゐる︑といよことが設に露呈するのである︒乙れが非歴史的方

といよ特定の現賞勢働のみが剰飴債値を9

とみ宍迷蒙はしばらく措くも︑資本家的生産形

態を枇曾の生四皐的形態即ち生産それ自らの自

然必然性かち出脅しτ

b濁立し

な形態とじて即ち物質的法則とし℃把握したと

とは︑それの偉大な功績であったのであるが︑ν

それは︑人間祉曾の︑歴史的に規定せられた︑

↓定の段階におい℃のみ作用する法則とし℃立

はなく︑自然的な︑悉ゆる枇台形態ど同一に支

配するところの法則として把握3れた︒乙の盟

系の誤謬はま乙とに設に基いτゐる︒乙の躍系

の内部にあける封建的世舎と資本家的一枇曾との

右のやうな矛盾はまた︑営時の枇合目的存在の反

映に過ぎない︑ひとは︑乙の盟系が︑農業が優

位を占め弁フランス封建一枇舎の殻を苛さに破ら

えとしてゐたプYジヨア吐舎に卦臆す

40

アダム@スミスは︑商業・?ヌアアグチユア・

農業の如う羽寅勢働の特殊形態が︑順次に︑富

のま乙との源泉であると看徴されて主先後十一承

τ︑勢働一般をもって︑それが如何なる使用

(15)

債値に間関はになるかを問はず︑しかも分業とし

てのその吐合的総姿容に浴いて︑素材的富或は

使用債値の異の源泉であると主張する︒スミス

は︑誌においτ︑白然要素を杢く看過しτ

的攻富即ち交換債値の領域︑互の古典経済皐の

迷宮に迷ひ乙む乙とになるのである︒スミスは

商品の交換債値をそれの生産に必要とする勢働

量によって決定するといよ乙とを︑一定量の生

きた勢働を購ぴ得る商品量又は同じ乙とである

が一定量の商品を購以得る生きた勢働量によっ

て決定するといよ之とと絶へず混同してゐる︒

即ちスミスは︑勢働の交換債値︑賞際には勢賃を

ュジオクラ!アンの勢賃ど﹁勢賃の自然債格﹂

といよ委で承けついでゐるが︑それはなほ一定

量の生言︑党勢働を以て購以得る商品量︑叉は一

定量の商品を以て購以得る勢働量に等しいと3

理論経済事諸般系の方法論的考察

7 4  

れてゐるから︒即ち設では︑債値が債値によ

って決定3れ説明3

22

ri

or

z

われわれは︑債植を債値によって説明し得るた

めには︑如何なる傑件︑が前提

3れなければなら

ないかを見ゃう︒それは︑野象化された勢働保

件と草なる州労働力とが商品として濁立に封立してゐないといよ乙と︑即ち勢働者は菅にその生

産物を生産するのみ一ならず︑またそれを自らの計算にあいて買却するといふことを前提として

ゐるのである︒乙の場合にるいてのみ勢働の債値は勢働生産物の債値に等しい︒右の二つの商

家的生産方法に浴いては︑ま3に乙れと反封の乙とが行はれる︒設にあい℃生3た勢働が資本

と交換呂れる場合を見るに︑それは自らが交換3れると乙ろの封象化当れた勢働に較べて一一層

小ヨい債値を有ってゐる︒一定量の生3た勢働

の債値である勢賃は︑之の生きた勢働によ

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