NII-Electronic Library Service
1
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ew,
E'tw
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Karl
Poppers
Methologie-der
Wirtschaftslehte
Masaki
Hachino
'
.
tt
tt
Zusammenfassung
g
1.Karl
Popper
sagt,daB
die
Welt
dreierlei
geteilt
werde.Die
drei
Welten
werden)
t
von
ihm"the
world1",
"the world2",
und "the word3"
gehieSen.
"The wordr"
ist
die
Welt
des
Objektes,
mitder
sichdie
Ontologie
beschaftigt.
"The world2"
ist
die
Welt
d6s
Subje'ktes,
mitdef
sichdie
Epistemologie
beschuftigt,.
"Theworld
3"
ist
die
'Welt
des
subjektiertenObjektes,
rnitder
sichdie
Wertologie
beschgftigt.
Nach
meinertt
t
Meinug
bezieht
sichdie
Wissensphilosophie
Ppppers'
hauptstitzlich
auf "theviorld
3'I.
'i
'
Deshalb
willich
seinePhilosophie
die
Wertologie
nennen:'
'
'
'
'
'
'
'
'
52.
Sein6
Philosophie
besteht
ausdreierlei
Kritiken.
Erstens
spricht sie "demtialismus"
wider, weildieser
die
"materiale"Erkenntnis
des
Objektes
behauptet.
Popper
tadelt
ihn
deswegen,
weilder
Essentialismus
"dasAbgrenzungsproblem",
umdas
die
Grenze
der
v6rntiftigehErkenntnis
vonKant
befragt
wird, auBer acht!assen
will.Zweitens
spricht sieauch "demPositivismus"
wider, weil
dieser
die
"formale"Erkefintnis
des
Objectes
verneint.Popper
willdagegen
die
M6glichkeiten
der
gesetzmgBigen'
'
Erkenntnis
bejahen.
Drittenskritisiert
sieheftig
"denHistoriziSmus"・,
weildieser
das
ubernaturlicheGesetz
der
Historie
undden
ubermenschlich6nGesamtp}an
der
t
t
Gesellschaft
beh'auptet.
Popper
willdpgege4
die
unUberwindlicheGrenze
der
menschlichenErkenntnis
behaupten,
die
Hume
als "lnduktionsproblem" undKant
'als
problem"
erkenntnistheoretischbefragen.
'
S3.
Pqppersche
Wertologie
handelt
hauptsttchlich
mitder
Geltung
der
Erke'nntnis.
Deshalb'
'
'
sprich't sie
die'Wisnyenschaf
an,daB
diese
nachM6glichkeiten
im
Gebiete
deny
"Welt3"
bleibe.
Sie
sprichtdie
Wissenschaf
auch an,daB
diese
sichin
i`derWelt
2"
mitder
Beschaffung
der
Hypothese
befriedige.
Sie
sprichtdie
Wissenschaft
weiter an,daB
diese
in
"dieWelt
1"
nichttiefer
alsdie
empirischeFalsifizierung
esbeanspreche
NII-Electronic
2 鉢 野 正 樹
eintrete
.
Nach
meinerMeinung
liegen
die
Nachteile
der
Popperschen
Methodologie
darin,
daB
sieden
historischen
und sozielogischenWissenschaften
die
realistischeErkenntnis
verbaut.
一
、問 題 提 起 、
一
「理 論」 は 厂現 実」へ の窓か壁か ?一
私 が
,
はじ.
めて経 済 学に触 れたの は,
大 学に入 り,
経 済学
の講 義を聞いた時で あっ た。 以来,
二十 有余年の歳
月が 流 れ た。私
の齢
も,
四十
代の半
ば を数
え る に至っ た。 こ の頃
に なっ て,
やっ と,
私には,
経 済学が分か りは じ め る ようになっ た よ う な気がする。 経 済学
lc
おける、
「理論」 や 「歴史
」 が分か る よ うになっ て来た よ う な気がす る。 と同時に,
経 済 学にお ける 「理論
」や.
「歴史
」に,
その 系 統の 如 何を問わず,
異 常な 興味を覚える よう に なっ た。 これ か らは,
経 済 の問題 につ い て,
それ が現 在の もめ
で あ れ,
過去の もの であ れ,
深い興味
と 関 心 を もっ て,
追 求してゆけそ うな気がする。.
し か し,
こうな る まで,
私
の道1
ま長 かっ た。 こ,こ に 至 る までは,
経 済学
とい う学
問 がよ く分 か らな かっtc
し,
興味
も もてな かっ た。私
は,
以 下で,
こ の間の事 情 を 若 干籾
語ろ う と 思 うρ それは.
決レ
て,
経締
学に志 しな炉
ら,
あま
り成 功 し な かっ た一
学 究の回 顧 談を し よ う と言うの では ない。
これ が , 同 時に,私
が,
何 故,
経 済 哲 学 あるい は経 済 学 方 法 論を,
今 回の 研 究でとりあげたの か,
そ して,
どの よ う な問 題 提 起 を しよ う と している のか を,
明 らかに で き る と信 ずるか らである。私
が,
二十
数 年の長
きに わ たって経済学
とい う学問領域
に跼 蹐しな が ら,
つ い最
近に至るま で,
経 済 学あ
何であ る か を 理解 し な かっ た と告 白 すること は,
己 れの恥を外に さ らす 他の何 も ので もない。、
しか し,
私 が,
』
こ の告 白 を 敢 えてな すのは,
こ の ことの責 任 は,
全て が 私に帰せ ら れ るべ きで は な く,
わ が国に お け る経 済学
の研究
や教
育に も責任
の幾分
か は帰せ られる よう に思 えてな ら ない か らで あ る。 私は,
以下で,
その 理 由 を 述N
た い と思 うが,
それは,
わが身 の弁 護のた あで は な くこれ か ら経 済 学を 志す
若い 学究
の た めで もあ る。
私は,
もと より,
有 能な学 徒で は な か っ た が,
そ れで も,
大 学 時 代に はサ ミS
エ ル ソンの 「経 済 学 」,
ボー
ル ディ ン グの 「経 済 分 析 」,
大 学院
時 代に はハ ン セ ンの 「景 気循
環と国 民 所 得 」 な ど を,
多 少の興 味を もち な が ら教わっ た。 勿論 ,
諸 先 生 方の講
義 を も聴 講 した。 理 解の困難
な ことが多
かっ た が,多少苦労す
れば理解
で きること も少
な か らず あっ た よ うに思 う。一
例を示せ ば,
サ ミュ エ ル ソ ンがあ げて い る,
水は使 用 価 値は高い が交換
価値
は低 く, 逆に,
ダ イ ヤモ ン ド は交 換 価値
は高
いが使
用 価値
は低k)
とい う 「価値
のパ ラ ド7
クス」の問 題 な ど も.
もの の価 値は,
その最 初の効 用によ っ て では な く,
.
その最 後の効 用によっ て決 ま るとい うよう に,
限 界効 用の理論を使え ばきれい に解 けるの だ とい うこ と は,
は じめは分か りに くか っ た が,
徐々 に分 かる ようになっ た。し
PS
L
,
私に は,
経済
学の 「理論」一
般
につ いて,
ど う して も釈 然 と しない一
つ の問 題 が あっ た。 こ の問 題は,
何かの 「理論
」を私
が 理解し た後で,
きまっ て私
を襲
っ て来
た よ うに思わ れ』
る。 そ れ L は,
「理論
」の中味
を多少苦労
を した後で私が 理解 した とすると,
その次に必 ず,
こ の ようなこ と が 分 かっ た か ら とて何にな るのか ? と思っ て しま うことで・
あっ た。 先の例で言 えNII-Electronic Library Service ヵ
一
ル・
ポパー
の経済 学方法 論3
ば,
「価 値のパ ラ ドッ クス 」 を 解 く 「理 論 」が分かっ た か ら とて,
それが何に な るのか ?とす ぐ思っ て し ま うことで あっ た。 数学 とい う よ う な学閙 で あ れば,
あ る問題 が あっ て,
その解 法が
分かれば,
それで全てが終っ.
て しま うのか も しれ ない。 しか し,
経 済 学 という学 問では,
あ る 「理論」 があっ て,
こ の 「理 論」の 中 味 が 分か っ て しまえば,
そ れ で 全て が終
りとい う よう な もの で あ る か ? こ こ の とこ ろが,
私に は,
疑 問で あっ・
た。 その当 時,
ある経 済 学 者が,
日、
本には 経 済学
はない,
あるの は経 済 学 学 だ けで あると発 言 さ れたこ とがあるが,
この 意 見には 私 も強 くひ か れ るもの を 感 じた。 そ・
れは,
私に,
・
以上の 疑 問が あっ た か らで あ る。
私が大 学 院に 入 り
,
故 酒枝
義旗教
授の指 導の下に,
ワル ター ・
オ イ ケン の経 済 学を研 究 しは じめた時,
オ イ ケン経 済 学の中で 最 も魅 力 的で あっ たのは,
以 下の ことで あっ た。 それ は,
オ イケ ンが,
ブラン スの歴史
学 者イ ポ リー
ト・
テー
ヌ を引用 し,
現 代人 は,
現 実に対 する 「直 観 」 (AnschaUUng
)と 「問い 」(Frage
)へ の能 力を失な っ て い る と断 言 し,
こ の両 者 を,
経 済 学 研 究の方法 論的 出発 点 と して い る こ とで あっ た。
オ イ.
ケ ン の比愉に よれ ばt 現 代 人の学問 研.
究は一
特 に,
社 会 科 学は一
「大地 」(歴 史 的 社 会 的 現 実 )を研 究せ ず,
「地 図 」 (理 論,
歴 史,
統 計 )を研 究 して い るという批 判で あっ た。 当 時,
「理 論 」 をい く らやっ て も,
それ だ け で はすこ しも 「現 実」が 分かっ たこと に は な ら ない の では ない か ? とい う疑 問に苦し んで いI た私にとっ ては
,
こ の疑 問 を 解 決 して くれる ものが,
オイ ケン経 済 学にあるので は ない か と 思 わ れ た。 今,
あの頃を ふ りか えっ て見る と,
私が,
経 済 学の 「理論
」に暗 黙の うちに求 めて い た もの は,
「現 実 」 を 生 き生 き と見 邇 すことので ぎる 「窓」 のよう な もので は な か っ た か と 思 う。 ところが,
その 当 時の 私にとっ て , そ れ は勿
論、
私の あ らゆる面で の未熟 さに よ る もの で あっ たの だが,
「理 論 」は全 くその導
で,
「現 実 」、
の見
通 しを 遮 断す
る 「壁」の ような もの であっ た。
私が,
「理論」 に 近 づけ ば近 づくほど,
t
「現 実」へ の 目は開かれ
る どころか,
逆に,
閉じられる一
方の ようで あっ た。 オ イ ケン の比 愉によれ ば,
私 が 「地 図 」 を 学べ ば 学ぶぽど,
「大 地」へ の視 界は 開 か れ る どころ か , 閉 ざさ れ る一
方の よ うであ っ た。
私
は,今 ,
どうして こ の ような陥
穽に陥っ たのか,
その理
由が少 し は分か る ような気 が する。 根本
的には,
私が,
「理論」 という ものが全 く分か っ て いな か っ たことに よ るが,
そ の責 任の・
幾 分 か は, や は り,
わが国にお け る経 済 学の研 究 と教 育 とによ るもの と思 わ れる。
まず,
私 が,
わ が 国の経済学の 研究と教 育の 欠 点 として指摘 し たい こと は,
以 下の こ とであ る。
そ れ は,
わ が国の経 済 学の研 究と教 育に は,
「理 論 」と 「現 実 」との間に,
充 分な対応
関 係が配 慮 さ れて {1) いないように思 わ れることである。例
えば,
ス ミス の経済学
であ れ ば,
これ は,分業
と交換
と が発 達 し ようと して い る時 代の 「現 実 」 を 背 景に,
こ の 「現 実 」を説 明 するた めの 「理論 」で’
あっ たはず
で ある。 マ ル クス の経 済 学であれ ば,
産 業の発 達に と もなっ て富め る者 と貧 しき者 とに社
会が分 裂して行 く時 代の 「現実1
を背
景に して,
この 「現実
」 を説
明せん とす
る 「理論
」 で あっ た はずで ある。 ケ イン ズの経 済 学であ れば,
資 本 も労 働 も遊 休 状 態にあ りな が ら,経済
的 活 動 が再 開 しない不 況 時 代の 「現 実」を背 景lC
した 「理論」であっ た はず
で ある。
こ の よ う に、
「
理論 」は元 来,
そ れ 自体 (an sich)と して存 在 する もの で も,
ま た研 究されるべ き もの で もな く,
必 ず,
これが固 く結 びつ けられて い る 「現 実 」と,
向 自 (f
賈 sich ) して存 在 し,
ま た 研 究さ れ るべ きものと 思 わ れ る。
ところ が,
わ が国の文化
一
般
と同様,
経 済 学も ま た,
ヨー
ロ ッ パ か らの 輸 入 品であ る わ が国に おい ては,
経 済 学に おい て も,
「現 実 」か ら切 り離 された 「理 論 」の移 入 が 計 られて きた よ うに思 う。 こ の結 果,未
熟な私
の よ う な学 徒におい て , 「理 論」19
N工 工一
Eleotronio Library4
鉢’
野 正 樹 の 研究が 「現 実」へ の展 望 を開 くど ころか,却
っ て,
これを閉 ざすようになっ たの だ と思 う。
こ の こ と に関連 して,
わ が国の文 化 移 入一
般に、
こ のよ うな現 象 が 生じ た 理 由に,
近代ヨー
ロ ッ パ で主 流を 形成 してい る 「理論」 は 「理論」,
「現 実 」は 「現 実 」という固 有の思 惟が影 響 を及 ぼ して い る と思 うがf こ の点は詳
述 しない ことにす
る。私 が
,
「理 論 」の正し.
い理 解に失 敗 したのは,
「理論」 と 「現実」の 対応 関係を視 野の 中に 収め られなかっ たと
いう 理由の他
に , もう一
つ の理 由が あっ た ように思 う。 こ の点に気 付い たの は,
大 学 院 を 卒 業 して か ら数 年 も経っ た後の ことであっ た。 私は,
あ る同僚
の討
論者
と {2} して.
学 会での発
表に参
加 したこ と が あっ た。 報 告 者の発 表は,
ミル トン・
フ リー
ドマ ンの経 済学方法
論に関す
る もの で あっ た。 私は,
報 告 者が とり あ げたフ リー
ドマ ン の論文
を 何度
か読■
’
み か えす う ちに,
「理 論」 に占φ
る仮 定の 重 要さとい うこ とに 目 が 開 か れ た。
フ リー
ドマ ンはガリレオの
加
速度
の原理 を例
に ひい て,
ガ リレ オが加 速 度 をr 定 と仮 定 し たこと が一
とい うの は,
落 体の速 度は,
速 くなっ た り遅 くなっ た りするの では な く,
「 定の速度の増 分で加 速 ・れ
・ ・ ・一
・−
t
…
と・・加 速 度 方 程式
・嗣
・と・で
決 定 樋 要で あ・ ・説 … あっ た。 こ の フ リー
ドマ ン の 説 明lc
よっ て,私
は1
.
は じ めて,
「理論
」 とい うもの の,
カ ン ト 的 表 現 を用いれ ば,
超越的transzendental
な性 格を 理解し た。私
は,
これ まで,
「理論
」 とい う ものが,
よ く分 か らな かっ た♂ 今に して思 え ば,
私 が,
「理 論 」に馴 じめな かっ たのは,
私 が要
する に,
「理論」 とい うものが どの よ う に して発見 ない し,
構 成され
るのか,
その過 程 をの
.
知 らな か っ た か らであ る
。
私は,
「理論」 が構
成さ れ るカラク
リを,
フ リー
ドマ ン の加 速 度原 理の説 明によっ て,
ようや く理解 し た♂私は,
それ まで,
経 済 学に おい て,
「理 論 」 をや る た め に は,
数 学が 分 か ら な け れば 駄目だと思い こん でいた。 数 学がで きない限 り,
「理論 」は や れ ない と諦めて い た。
か と言っ て , 「理論」 を完全 に放 棄 する こ と もで き な かっ た。
「理 論 」 は分か らないな が らも,
「理論 」の経 済 学における 重要 性を
否 定す
る、
勇 気 もな か っ た。私
は,
いわ ば,
苦 悩 しつ つ 時 を 過 して き た。 この 間,
私の周 辺で,
経 済 学に志
を もちな がら・
,
私と同 じよ う に,
こ の 「理論」の障
害 を超え られず ,
あるい は経 済 史の研 究に移 り,
あるいは,
新 聞,
雑 誌,
統 計の情 報 整理 によっ て経 済 評 論 を行 う方 向に活 路を求めて行っ た同 僚も居たので は な いか と思
われる。私の 場 合には
,
いずれに方
向転 換 する勇.
気 も な く 時 を 過 ご してい る間に,今
は,
私な りに,
「理論」の何であるか を 理解 する よ うにな っ た と 患っ て い る。 「理論」 とい うの は,難披
田春の
ロ
夫 教 授の た くみな 比 喩によれ ば,
眼 鏡の ような もの で,
これをか けると,
もの (「現 実 」 )が よく見え る,
『
という意味
が,
そ の通 りに 理解でき る よ うになっ た。 こ の こ とは,
私の場 合に,
そ れ だ けで終
ら な かっ た よ う に 思 う。 何故
な らば,私
は,
もし,
「理論」が
認識
主体
に よ っ て ■コ
「現 実 」 を 理 解 す る ために措 定 す る 眼 鏡のよう な もの で あ る な らば
,私
に も,
「理 論 」の作成
が可 能な はずだ と 思 う ように なっ た か らであ る。 何 も,外
国の既 成の 「理論
」 を苦心 し て研 究ロ
ロ
■
する だけで,
いわ ば経 済 学 学 をや っ て一
生 を 終 える必 要 はない。 私に も,
自由に,私
の欲 する 「現実
」の 理解の ため に,私
なりの 「理論」の構
成が可能
な はず
だと,私
は思 うようになっ た。 私は,
先に,
こ の頃になっ てようや く,
経 済 学という学 問が どのよう
な もの であ り,
「理論」 や 「歴 史j
が 分か る ようになっ て来たと 述べ て来た。 こ の よ う な転
機 二 私に とっ て は,
長い 学 問的苦悩
か らの脱却
の一
は,
お お よ そこ のような経 緯で訪 れ た と 思っ て いる。か くして
,
私は,
今は,
「理論」”
を 「窓」 と して,
「現実
」 のよ り明るい見通 し を え る術 をNII-Electronic Library Service カ
ー
ル・
ポパー
の経済学 方法 論 5 知る よ うになっ た。 かっ て の ように,
「理論」 が 「現実
」へ の見 通 し を妨 げる 「壁 」では な く なっ た。
こ の結
果,
既成の 「理論」 に とらわ れる こと な く一
tt
「現 実」をよ りよ く・
見 通 せ る’
「理 論」 を,
自か ら も作 成 する し,
既 成のもの も利用す れ ばよ い と思 う よ う に なっ た。 同じ 「理論 」 と書っ て も,
函 数 論 的理論
も毒
れば,
形態論 的理論もある というように,
理論の区 別 もつ け れ る よ うに なっ た。 今は,
どの ような 理 論にも,
私のこ のよ う な視
点
か ら,
その内容の理 解が困 難 な もの につ いても,
整理を しなが ら・
、
’
内
容の理解
をづけれ ば よ い と思 うよ うにな
っ た。 かっ て の理論 恐 怖 症から解 放 さ れた よ うに思っ てい
る。私は
,
か く して,
「理論」 を媒介
に’
した 「現 実 」の 理解とい う経 済 学 方 法 論 を 完 全に理解 し え た.
と 思っ て い る。 しか し,
こ こ に至るまで ,私
は,す
で に論 及 し た よ うに.
,
「理 論」 か ら 「現 実 」の 突 破とい う 「理 論 」の 有 効 利用の方 法に,一
度は完全に失
敗 し た。 こ の結 果,
私は,
無 意 識の う ちに,
「理論」 か ら 「現実」 とい う方
向を とらない 経 済 学を模 索 して来たよ うに思 う。 私の , こ のような要 求を,
オィケン経 済 学は幾
分 かは満た・して くれ た よ う に 思 う。 同じ よ,
うに,
難 波 田 経済
学 も,私
の要求
を満
たじ
て くれるもので あっ た。 更に,
私は,
酒 枝 義 旗 教 授 がラ イ フ・
ワー
ク と さ れ た ゴッ.
トル 経 済 学にも,
同 じ要掌
を もっ て研 究して来たよ
う に 思?て い る。私
は,
こ のよ うな研 究の過程
を経て,
経 済学
の 研 究 方 法には,
根 本 的に対 立 する二っ の i 方 法 論があるの ではない か と思う よ うになっ た。
この 対立 と は,
一 つ の方 法 論が ,
「現実
」のぴ
■
の
−
ロ
ロ
間 接的
な 認識 し か認め ない の に対 して,
も う一
っ の方 法 論は,
「現 実 」の 直 接 的な把 握を求
め て いる点にある と思っ ている。 私は,
こ の よ うな視 点 から,
経 済 学を方 法論の上 か ら,
大きく二 分し,
更に’
、
そ の中 間の形 態 を置い て,
小さく三 分 する経済学
方法 論の関 連 表を作 成 してみ た。 C3} こ の関 連 表は,
経 済 社 会学
会年報
に発 表 して あ るので,
その詳 論は省 略 するが,私
が,
今 回の 「カー
ル・
ポパー
の経 済学
方 法論
」 と題する研 究におい てや りたい こ とは,
ポパー
の方 法論
に照 ら して 1 私の 関 連 表が,
どの 程 度,
・
検証 に耐え れ るもの か を検 討 する こ とで あ る。 ポ パー
の 「批 判的
合理 主義 」 (kritischer
Ratiopalismus
)とい う方 法 論は,私
あ
関 連表では,
「形 態 論 的 経 済 学 」・
に近いと思 うが,.
この点 を、
以下の 論 述で 明 ら かに してみ たい。 合わ せて,
ポパー
は ,私
の関連
表に
あ る 「実
在 論 的 経 済 学 」は,
完 全に排 除 しよう とする
が,
その理
由 を 明 らかにしてみたい 。 最 後に,
、
私は,
ポパー
の排 除 す る,
「実 在 論 的 経 済学」の学
問と して の 可 能 性 を信ず
る一
人 で あ る故 に,
その 理 由 を も明らか に し て み たい。
c4] 経 済 学 方 法 論の関 連 表 二 分 法 三 分 法 代 表 的 学 者 認 識 論 函数 論・
的 経 済 学 ベー
ム・・,
バ ウ ェ ル ク 形 態 論 的 経 済 学 マ ッ ク ス・
ウ ェー
バー
存 在 論 実 在 論 的 経 済 学 オ ッ トリ リエ ンフェ ル ト・
ゴ ッ トル二
\
ポパー
の科 学
哲
学
一
Essentialismus
の批 判一
私の主 たる関 心
事
は,
ポパー
の経
済学方
法 論である が,
これ を 明ら か にす
る前に,私
は,
ポ パー
哲
学の形成
過 程の順eelC
従っ て,
ま ず,
ポパー
の科 学 哲 学 を,
次に,
ポパー
の科 学 方 法 論21
N工 工一
Eleotronio Library6
鉢 野 正 樹を
,
終 りに,
ポパー
の経済
学 方 法 論を論 ずる こと にする。 更に,
私は,
ポパー
の科
学哲
学は「本
質
論」(Essentialismus
)の批 判を,
ポパー
の 科 学 方 法 論は 「実証 主義
」 (Positivismus
)の 批 判 を
,
ポパー
の経
済 学 方 法 論は 「歴 史主義
」(Historizis
皿us )の批 判を含 意 して い る と思 うの で
,
この点
を も合 わ せて明 らかに して みたい。ポパ
ー
は,
混 迷 す る一
哲 学 固 有の 問題 と方
法 を探
りあ ぐ ね て い る一
現 代 哲 学の 現 状1』
一
’
冂
1’
{5[を分 析し
,
現 代の哲 学を,
「実 証 主 義 哲 学 」〈der
modernePositivismus
)と,
「
世 界 観 哲 学 」 [6 }(
die
mode・
rneWeltanschauungsphilosophie
)とに 二分 する。
前者
の 代表 者にはt
’
ラッ セ ル,
ウィ トゲン シ ュ タ イン
,
カル ナッ プ を あげ,
後 者の代 表 者に は,
シェー
ラー 、
ハ イ デ ッ ガー
,
.
ヤス パー
ス をあ
げて いる。 こ の上で,
ポパ ご 自か らe
さ
,
今日 の より一
般 的 な用 語で言 え ば,
実 証主義にも
実存
主義にも属さ ない,第
三の立 場 を主 張している よ うに思われ る。 ポパー
の現代哲学 .
に占め る位 置づけにつ い て は
,様
々の議 論 が あ り う る と思 うが,
ポパー
がラ ッセ ル,
サル トル、
ヤ
ろ
パー
ス,
ハ イ デッ ガー
.
ア ド 〜レノー,
プロ ッ ホなξ
と並 んで,
.
わ が国の哲 学 研 究に おいて も, 最 も注 目を集めてい る哲 学 者の一
人であること は,
間 違いない こ と と思われる。 この点は、
ポパー
の著書が,
数
多くわが国で も翻 訳さ れ出版さ れて い・
る事
実か らも充 分に察
せ られることである 。とこ ろで
,
わ が国で翻訳さ れて い る ポパー
の著書
の中に は,
’
私
の 知る限り,
まだ
翻訳 さ れていない重 要 な 著 書が
一
つ あるg 「認
識 論の二つ の根 本 問 題 」 (Die
beiden
Grundproble
皿 eder
Erkenntnistheorie
,
1979
)
と題す
る著書
が こ れ で あ る が,私
は,
この著書
に触
れ るこ と か ら,
以 下の論 述を は じ め ることに し たい 。 ま ず,
こ の著 書につ い て,
ポパー
が自か ら記 して い る小文 を 紹
介
して みよ う。 「わた しは,
『認識
論の 二 つ の根
本 問 題』 と題 する大 冊の原 稿 を た ずさえて チ ロ
’
ル に赴い た。’
そ れは今なお 公 刊 さ れてい ない け れ ども,英
訳がい つ か は出る かもしれない。 そ の
一部
は,非常
に 短縮
さ れ た形で,
の ちにわ た く しの 『探求
の論理 』に収 録さ れ た。
り
り
りサ
コ ロ のコ
, コ ロ t 二つ の 問 題 と は帰 納 問 題 と境 界 設 定一
科 学 と形而 上 学 と を 分か つ 境 界 を設 けるこ と一
【7} の間 題であっ た。
」以 上の文 中で
,
ポパ’
ca
こ の著裔
騰
論の 二 つ の根 本 黼 」 に鮒 る1
,P
の黼 とlit
・
「帰
納
問 題」(Induktiousproblem
)
と,
「境界
問題」(
Abgrenzungsproblem
)
であると述べ て い る。 前 者を,
ヒュー
ムが提 起し た問 題とい う意 味で,
ヒ ュー
ム問 題,
.
後 者を,
カ ン トが提 起したという意
味
で,
カ ン ト問題 と も呼ん で い る。 私は,
ポパー
の哲学 体 系を,
「
一
応,
「科 学 哲 学 」と 「科 学方
法
論」 と 「経済学 方 法 論」 とに分
けて おい た が,
ポパー
の あげ た 「認識
論の 二つ の根 本
問
題 」との関 係で言 うと,
「科 学 哲 学 」の中心 テー
マ は,
「境
界 問 題 」で あり,
「科
学方
法・
論
」あ中
心テニ マ は,
「帰納問題
」で あ ると言
え る 。従
っ て、
私は,
以下
の論 述において,
ポパー
の科 学 哲 学を説 明する と同 時 甑 ポパ
ー
の提 示した 「境 界問 題 」の解決
方 法を も説
明 し よ うと思う。 私は
,
ま ず,・
私なりにポパー
の科 学 哲 学の位 置づけをすること か らはじ め, 次に , 「境界
問題」をめ ぐる カ ン トとポパ
ー
の相 違 点 を 指 摘 し,終
りに,
ポパー
の当 該 問題に対 する解 決方法
を 論 じて お きたい 。 ポパー
の 科 学 哲 学の位 置づ け か ら は じめ る と,
私は,
ポパー
の 科 学 哲 学は,
麟以 下に示 す 哲 学の 「三分 法
j
’
(Tric加
7tomiの
の 中}ζ位 置づ けるの が よい と思 っ て い る。「存 在
論
」 (Ontologie
)私
は,哲
学が,
存在
の可能 性 (存
在の有無)を問 題にす
る時,
これを 「存在論
」 と名
づ け るのが適 当であ る と 思っ ている。 ポパ
ー
は ,哲学
の この方
向 を,
「本 質 論 」 (Essentialismus
) とNII-Electronic Library Service カ
ー
ル。
ポパー
の経 済 学方法 論7
称 して 排除する。
こ の方向
の 哲 学は,
ポパー
の 表 現に従え ば 「実
在」(reality )と 「現 象 」 (apb−
earance )の関 係を問 題にする。「認
謙
論 」 (Epis
実
emologie )私は
,
哲 学 が,
謬
識の可 能 性 (存 在の如 何 ) を 問 題にする時,
これ を 「認識論
」 と名
づける のが適当
で あ ると思 っ てい る。’
この方向
の哲
学は,
これ もポパー
の表 現に従 え ば,
「経 験 」 (experience ) と 「理 幽 (reason ).
との関係 を問 題にする。「価 値 論」(
Wertologie
)私は
,
真理の可 能 性 (認識
の当否
)を問
題にす
る時,
これ を 「価 値 論 」 と名づけるの が適 当で あると思っ てい る。更
に,
私は,
ポパー
の科 学 哲 学 は,
こ の 「価 値論
」の中に位 置づ けるのが適 当である と思っ て いる。 何 故なら,
ポパー
の科学哲
学は、
何より も,
知 識な り,
認識な り,
理論.
■
コ
コ.
のコ
ロ な りの,
妥当性 ,真
理性,信頼性
一
あ ま り,
「
日常 牲のない用 語で言 え ば 真 理 価一
を 問 題 にしているか らである。 「認識
論 」 は,
もっ ぱ ら,
認 識の可 能 性一
般 を 問 題にする。 認 識は,
理 論を先 験 的に1a
priori に措定す
るこ と に よっ て 可能かどう かを 問 題にする。・
しか し、
,
f
価 値 論」l は, これに対 して
,
認 識の可 能 性では な く,
真 理の可能
性を問 題にする。 それが,
いか な る過 程■
■
ロ
を 経て 構成 さ れた か は問 題に せ ず
,一
旦,
構 成さ れ た 理論の,
妥当性,
真理 性,
信 頼 性を 問 題にす
る。 こ の た め,
こ の方 向
の哲学
で は,
理論
の検
証一
経
験に照 ら して の一
が 最 も重 視 さ れ る。
ポパー
が提 唱 して い るよ うに,
この 方 向の哲 学では,
「仮 設 」 (Hypothesierung
) と 反 証 」(Falsifizierung
)の関
係が問 題とされる。 ポ・)°
一
は,
こ の科学
方 法 論を,
「試 行」(trial
)と 「錯 誤 」 (error )
,
「推 測 」 (conjucture )と 「反駁
」(
refutation )な どと様々な表 現で説
明 して い る。 い ず れにせ よ
,
ポパー
の 科 学 哲 学は,
以 上の 理由に よ っ て;
’
厂価 値 論」に分 類され
る の が最 も適 当で ある と思わ
れ る。以 上
,
私は,
哲学
の 「三分 法 」に よっ て,
ポパー
の 科 学 哲 学が,
ど う して 「価値
論」に 分 類 される か,
その理由 を概
略 明ら か に し え たと思う。
ところ で,私
が,
こ こに あげ
た哲
学の 「三分
法」 は,
後 年, ポ パー
が行なっ た世 界の 「三分 法1
に酷 似 する ところがある 。 私は、
その点 にも若 干 触 れてみたい。 こ の点に触 れ れ ば,
「境 界 問 題 」 をめ ぐる カ ン トとポパー
の論 点の 相 違 も明ら か に な ると思 う。 そ れだけ で な く,
私あ年来
の問題で あ る 「存在論
」の問
題一
ポ パー
の言 う 「本 質 論 」の 問 題一
につ い て,
カ ン トと ポパー
が共 通 して排 斥 する 「存
在 論 」 とはど ういう
こと かの 概要
を も示せ る と思う。ポパ
ー
の 言う世界
の 「三分 法」 とは何かを,
ポパー
自
か らの言葉
によ6
て紹介
してみ よ う。
t
リ
ロ
の
「「事 物 』一
物 的 対 象一
の世 界 を1
−
i,
1
第一
の世界
と 呼 び,
思 考 過 程の よ う な 主 観 的 経■
ロ
の
ロ
のロ
■
験の世 界 を第
二 の重
界と呼ぶ とすれ
ば,
言 明そ れ自
体の世
界は第三の世 界と呼べ よう。 (私は 今で はこれ ら三つ の世 界 を むし
ろr
世 界1
』,
「世 界2
』,
r
世 界3
』 と呼んだ 方 がい い と思っ て Uti い る。)」ポパ
ー
は,
「世 界lj
(worldl
),
「世 界2
」 (World2
),
「世界
3
」 (World3
)の区
別 を,
次
の よう な 比 喩 によっ て説
明してい るの で,
これ も合せて紹 介して お こ う。 例えば,
我々 が,
ある
熟
知する絵 画 を想起 する時 ,
我々が次の ような 三 つ の世 界を通 過 する と言 う。 まず,
「現実の絵 画 」 (the real
picture
)の世 界,
次に,
「想 起の過 程 」 (the
process
ofimagining
)の23
N工 工一
Eleotronio Library8
鉢 野 正 樹 晦 世 界,
そ して,
「想起さ れ た絵
画」(七he
imagined
picture
)の世 界で あ る と言 う。 以 上三つ の世 界が,
「世 界1
」,
「世 界2
」,
「世 界3
」に相 当 する ことは言
う まで もない。私
の先
に示 した区
分に よれば,
「現 実の 絵 画j
を 問 題にするの は 「存 在 論」,
「想 起の 過程」 を問 題 にするの は 「認識
論」,
「想 起さ れ た絵 画」を 問題にするのは 「価値
論 」 と な る と思 う。 以 上の関 係を,
別 の比
喩で示す
と,
ポパー
の 言 う 「現 実の絵画 」 は 「被 写 体 」,
厂想 起の過 程 」は 「写 真機
」,
「想 起された絵 画 」は 「写 真 」 と言っ て もよ い・
と思う。 今,
これ らの関係 を,
図示 すれば以下のよ うにな る で あ ろ う。1
対 象一
識一
検証の 関 連 表 ポ パー
の 分 類阿
世 界 1 世 界 2 世堺
3 私.
の分
.
類 存 在 論 認 識 論 価 値 論 撮 影 に よ る 分 類 被 写 体 写 真 機1
写 真とこ ろで
,
こ の世 界の 「三分 法」
を 利 用 する と,
ポパー
の 科 学 哲 学の何であるか は,
極めて 簡 単に説 明がつ く。 そ れを 総括的.
に表現す
れば,
ポパー
の科 学哲
学は,
、「世 界1
」t,
私の言 う、
「存 在 論 」,
カ ン ト の言 う 「物それ 自 体 」 (Dinge
an sich )の世
界につ い て は,
必要最少 限
度に しか論及 し ない。 これには,
ほぼ,木可
知 論 的 立 場 をとる。 「世 界2
」,
私の言 う 「認 識論
」,
カ ン トの言う
「純粋
理性」 (reineVernunft
)の世界
につ いて も,仮
設な りT 推 測な り,
前 提な りを 構 成 する程 度におい て のみ重 視 するic
す ぎ ない。 そ して,
「世 界3
」,
私の言 う 「価 値 論」の世 界につ い て の み,
これが仮 設,
推 測,
前 提,
理論,
法 則,
予 言な ど を,
』
経験,
事
実,
実 験,観
測,
測定 .
証言
な どによっ て反証 し,
検証 し,
立 証 する世 界 と して,
同 時にt 妥 当 性のある,
真 理 性のあ る,
信 頼 性のあ る知 識の形成
の世
界と して,
最 も重視 するもの で あ る。こう見る と
.
「境 界 問 題 」を め ぐる カン トと,
ポパー
の論 点が,
カ ン トの 「世界 2
」の重 視 に対しセ ,
ポパー
の 「世
界3
」の 重 視の 相違 によっ て起っ て く るこ と がよくわ か ると思 う。 し か し,
こ こで特に注 意 さ れ・るべ きこ とは,
カ ン トもポパー
も共 通し て,
「世 界1
」の問題に真 向 か ら取
り組
もうとして いない こ とで あ る。
両者
と もに,・
カ ン ト慧,
「世 界1
」は理 性の限 界を超 えるとし,
ポパー
は,
反 証の限界を超え る と して,
この 「世界
1」の 問題 を 遠 ざけ てい る。 こ の ような 「世 界1
」 を敬
遠す
る立場
を枇
判す
るのが,
現 代 哲 学にお ける 「生の哲 学 」 (Lebens −
philosophie ),
f
実 存 哲 学 」 (Existentialismus
),
「現
蓼
学 派」(Phiinomenologie
)の流 れであること は言 う まで も ない。
私
は,
この問題
には,
これ 以 上 立 入る必要
は ない と思 う。 ただ,
これによっ て,
私の言 う 「存 在 論 」と 「認 識 論 」’
の対立の構 図を若 干 明ら か に し え た と 思 う。以下
,
「境 界 問題 」 につ い て,
もうすこ し,
説 明 して お きたい。 「境 界 問 題」 とい うのは,
これ を最 初に発 見 したのは カ ン トで ある,
と ポパー
は言っ て い る。従
っ て,
この 問 題 をポパー
はt カ ン ト問 題とも名づ けて い る。 と’
ころで,
ポパー
は,
カン トも自分
も同 じ く,
「経験科学
」(empirische
Wissenschaft
)と 「形
而 上学
」(Metaphysik
)の 間にある 「境 界 」 (Abgrenzung
) を 問 題にしてい ると言っ て い る が,
私 は,
こ のよ うに言っ たの では,
問 題の所在
が見え に く くな るの で は ないか と 思 う。 「
経
験科
学」 と 「形 而 上 学 」 との間の境 界 を 問 題にする というのは,
NII-Electronic Library Service カ