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行為の中の「英会話」

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85 Abstract: The aim of this paper is twofold. First, the paper tries to

develop a heuristic framework for analyses of what is happening in classrooms, incorporating some of the Bakhtinean concepts into the semiotic communication theory derived from linguistic anthropology.

Such concepts as interdiscursivity, genre, and chronotope are called upon to elucidate distinct dimensions of “time space” which constitute the stratified and laminated nature of classroom experience. Secondly, based on this framework, the paper attempts to provide a strong case study on how one particular classroom event circulates across time and space within the same Japanese high school eikaiwa (English conversation) course. The analysis focuses on one female student in order to closely inquire into processes in which different aspects of the original speech event are decontextualized, and recontextualized into other speech events of different genres, namely (1) written task and (2) students’

metapragmatic discourse about the course. In so doing, the paper tries to vividly illustrate how such ways of creating event-to-event connections entail manifold interactional consequences for students to shape multiplex identities and phases of life in classroom (i.e., Bakhtinean chronotopes). One of the important implications elicited from the current study is that each chronotope affords a discrete ground of activity, and any fuller framework for analyzing discourses in classroom has to squarely take the nth order regimentation of performance into consideration.

―― 間ディスコース性が織りなす教室の多重的時空間 ――

Eikaiwa in Performance:

Interdiscursivity and the Multiplicity of Chronotopes in Classroom

榎本剛士

Takeshi ENOMOTO

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1. 序:教室と「声」の混淆

「教室におけるコミュニケーション」を想像するとき、「I-R-EF)構造2」と呼ばれるかた ちに近い、パターン化されたやりとりが真っ先に思い浮かぶ(Cazden, 2001; McHoul, 1978;

Mehan, 1979; Sinclair & Coulthard, 1975)。しかしながら、仮にそのようなパターンが教室 における教師・生徒間の相互行為の雛形であるとしても、教室でのあらゆるコミュニケーション がこの「型」によって支配されているというわけではなく、それが担保する権力関係も、往々 にして崩れることがある(Candela, 1999; Gutierrez, Rymes & Larson, 1995)。また、「I-R-E

F)」の周辺では、さまざまな生徒による、さまざまな立場からの、さまざまな発話が飛び交 っている状態が、教室の現実的な姿であろう(Davies, 2005; 榎本,2012a, 2012b, 2013; 石井,

1997)。

教室における発話の多様性が探究される際、バフチン(Mikhail M. Bakhtin)による概念が しばしば援用される。「声」「対話」「多声性」「間テクスト性3」といった概念は主として、抽象 的な体系としての言語ではなく、常に他者の発話の布置を前提とし、なんらかの具体的な状況 で、なんらかの具体的な立ち位置(イデオロギー的視点)から、特定の宛先に向けてなされる発 話の並置や混淆、内面化のプロセスを焦点化するための概念として用いられる(Kamberelis &

Scott, 1992; Knoeller, 1998; Maybin, 2006; Wertsch, 1991)。当然、これらの概念を通じて浮 かび上がるのは、閉ざされた、一方通行的なコミュニケーション空間としての教室ではない。そ こに居合わせる、あるいは不在の他者やテクストとのつながりがその場でつくり出され、新たな 意味が生まれるかぎりにおいて、「教室」は、さまざまな「声」が共鳴する「対話的」な場所で あると考えられるだろう(Duff, 2004; Lemke, 1992; Maybin, 2004; Short, 1992)。

茂呂(1990, p. 71)は、対話的な多様性に満ちあふれた教室談話空間を「大通り」という比

喩を使って表現し、教室を「出会いのクロノトポス」として見ることを提唱した。「クロノトポ

ス(chronotopes)」とは、「時空間(time space)」を表す概念としてバフチンが文学研究に導

入したものであるが(後述)、残念ながら、茂呂(1990)では、観点の提案が「空間」に特化し たかたちで「メモ書き的」になされているのみである。

「クロノトポス」という概念を用いて教室談話空間を正面から分析した研究としては、Bloome, Beierle, Grigorenko & Goldman (2009)Bloome & Katz (1997)Brown & Renshaw (2006)Hirst (2004)Matusov (2009)Renshaw (2007)があげられる。これらの研究が提 起する問題の射程は、教室における「時間」や「空間」をどのようにとらえるかに関わる「時空 間」イデオロギーから、教室空間の分化、学習効果と学習機会、「一斉授業」(正確には、教師の 独白的な(monologic)授業)と「対話的授業」という場所の性質、そして、教室談話におけ る「今・ここ」と「過去」・「未来」とのつながりに連動したアイデンティティや権力関係の変化 に至るまで、幅広い。しかし、いずれも、あくまで学習内容に関わる生徒・教師間、および生 徒・生徒間の「教室談話」の次元において「クロノトポス」が論じられている点で、限界がある といえる4。意識には上りにくいが、教室にたしかに存在する「クロノトポス」の複数性や多層 性を見据えるためには、「教室談話」に対してメタ・レヴェルに位置するコミュニケーションの 次元を可能なかぎり「教室」の中から特定し、そこから、異なる「時空間」を描き出す必要があ る。

以上の問題意識から、本稿では、教室を複数の「クロノトポス」が併存する場としてとらえて 分析するための枠組みを事例とともに提示し、教室という場所の多層性を解明するために必要な

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足場(scaffold)の構築に寄与することを目指す。

2. 分析概念

上述のとおり、本稿では、教室における「クロノトポス」の複数性・多層性を炙り出すことに 焦点を当てるが、先行研究でも研究されてきた「教室談話」の「クロノトポス」に並置される、

位相の異なる「クロノトポス」を同定するためには、「教室談話」についてのコミュニケーショ ン、すなわち、メタ・コミュニケーション(Bateson, 2000 [1972])の次元を正確に特定する 必要があると思われる。そこで、本稿では、語用(コミュニケーション)とメタ語用(メタ・コ ミュニケーション)との結びつきを精緻な理論化の対象としてきた学問分野である社会記号論系 言語人類学(小山,2008; Silverstein, 1993)の枠内でバフチンの概念の援用を可能にする「間 ディスコース性」という概念を核に据えて、分析のための枠組みを敷くことにする。

1)「間ディスコース性」

ま ず、 本 稿 で は、「 間 テ ク ス ト 性(intertextuality)」 を 含 み こ ん だ、「 間 デ ィ ス コ ー ス 性

interdiscursivity)」 と い う 概 念 を 援 用 す る(Bauman, 2005; Silverstein, 2005)。 コ ミ ュ ニケーションにおける「間ディスコース性」とは、特定の出来事の参与者の視点から投射さ れる、出来事

4 4 4

と出来事

4 4 4

のあいだの指標関係をいい、他方、「間テクスト性」は、ある出来事 と他の出来事とのあいだにまたがって観察される、特定のテクストの一定性・不変性をさす

Silverstein, 2005, pp. 6-7)。

「間ディスコース性」には、「タイプ」を指向する場合と、「トークン」を指向する場合の2 種類がある。たとえば、授業中に「“Evaluate” の品詞と意味は何ですか?」と尋ねた教師に対 し、生徒が「動詞で、評価する」と答え、「はい、そうですね」と教師が返したとする(出来事 E)。このとき、出来事Eは、「I-R-EF)構造4 4」(註2参照)という抽象的な「型(タイプ)」をさ し示す一回的・具体的な「現れ(トークン)」であるといえる。出来事Eと「I-R-EF)構造」と のあいだに成立しているこのような「間ディスコース性」が、「タイプ」指向の「間ディスコー ス性」である。つぎに、上記のやりとりの数分後、同じ授業で、同じ教師が、同じ生徒に向かっ

て「“Initiation” の品詞と意味は何ですか?」と尋ね、「名詞で、開始とか創始」と答えた生徒に、

「はい、OK。当てすぎかな?」と教師が応じたとする(出来事F)。ここでも、出来事Eと同様、

出来事Fと「I-R-EF)構造」とのあいだには、「タイプ」指向の「間ディスコース性」が成立し

ているが、出来事Eと出来事Fとのあいだには、両者ともが(「I-R-EF)構造」の)「トークン」

であることから、「タイプ」ではなく、「トークン」指向の「間ディスコース性」も立ち上がって いることになる(Silverstein, 2005, pp. 6-7)。

2)「ジャンル」

つぎに、「間ディスコース性」という概念を有効に駆使するために、「ジャンル」という概念を 導入する。バフチン自身は、「ジャンル」を以下のように定義している(Bakhtin, 1986, p. 60)。

Each separate utterance is individual, of course, but each sphere in which language is used develops its own relatively stable types of these utterances. These we may call speech

genres.(強調露文(原文)英訳ママ)

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バフチンは、社会のさまざまな活動の分野における具体的な発話4 4 4 4 4 4によって実現されるものとし て、まず「言語」をとらえる5。これらの発話は、(語彙や表現、文法的資源の選択といった)意 味的・言語的スタイルを通じてのみならず、(発話の)配置の構造(compositional structure を通じて、各分野における特殊な状況や活動の目的を映し出す。これらの要素は発話全体に係る ものであり、コミュニケーションが起こる特定の領域の性質・性格によって決定される。したが って、それぞれのコミュニケーションの領域は、特有の「比較的安定した発話の(類)型」を発 達させるのだが、この「(類)型」を、バフチンは「ジャンル」と呼んだ6。「ジャンル」は、(イ デオロギーを前提とした)さまざまな社会的領域と結びつくことで、言語(使用)を階層化・

序列化するように作用する。バフチンは、雄弁術、広告(プロパガンダ)、新聞・報道、大衆文 学、エリート文学という階層に加えて、弁護士、医師、実業家、政治家、教師といった職業的階 層もあげているが、これらのさまざまな領域における視点、態度、思考方法などは、「ジャンル 化」された言語の使用を通じて紡ぎ出されると考えられる(Bakhtin, 1981b, pp. 288-289; cf.

Mertz, 2007)。

上に示した「間ディスコース性」において、「ジャンル」はきわめて重要な位置にある。ある 出来事と別の出来事とのあいだの「間ディスコース性」は、両者がなんらかの類の「セット」と してみなされたときに成立する。このような「セット」は、両者がなんらかのかたちで「似てい る」(あるいは、「対照的である」)と理解されたとき7に浮かび上がる「ユニット」である8。で は、いかなる側面において、それらの出来事は「似ている」と判断されうるのか。この社会文化 的に認識可能な出来事間の「類似性」や「対照性」を担保する枠組みとなるのが、「ジャンル」

である(Silverstein, 2005, p. 7)。

さらに、「タイプ指向」と「トークン指向」の「間ディスコース性」との関連で考えると、た とえば、特定の出来事の様子が法廷で「証言」されるときや、「I-R-E」的な発話の配置が「友人 とのおしゃべり」の中で起こるときなどは、とくに注目に値する。前者の場合、「証言」という

「ジャンル」によって「証人」という役割が配分されたかつての「通りすがりの(そこに居合わ せた)人」は、「冗談」の応酬に「口論」や「喧嘩」というかたちを(遡及的に)与える語りを 行うかもしれない。また、内容が虚偽でないにもかかわらず、「証言」としての体裁(一貫性)

をなしていなければ、その発言は信憑性を欠いたものとして理解されるかもしれない(cf. 吉田,

2011)。後者の場合、「トークン」指向の「間ディスコース性」が特定のジャンルを強く喚起し、

「友人とのおしゃべり」が一瞬、「授業」に変容するかもしれない。そこでは、「友人」たちによ って「先生」と「生徒」が演じられることになると考えられるが、当然、実際の学校での「先生

/生徒」関係とは異なる関係がそこでは前提とされているため、学校とは異なる相互行為の意味 が生み出されていくことだろう。このように、「出来事」と「ジャンル」は密接に関連しており、

「ジャンル」の指し示し・変容(再ジャンル化)は、コミュニケーションの機能や参加の枠組み、

解釈の仕方の統制・変容・多層性を帰結として導く9Bauman & Briggs, 1990, pp. 63-64, 72- 76; Briggs & Bauman, 1995 [1992]; Matoesian, 2001)。

3)「クロノトポス」

ここでようやく、「クロノトポス」に辿り着く。「クロノトポス」を字義どおりにとると、「時

空間(time space)」といった意味になる。本稿でこの概念を援用するにあたり、ここで、もう

一歩踏み込んで、「クロノトポス」の性格を理解しておきたい10

まず、バフチンが示すところによれば、「クロノトポス」とは、「文学において芸術的に示され

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89 る、時間的・空間的関係の本来的なつながり」の謂11である(Bakhtin, 1981a, p. 84)。とくに

注意すべき点は、「クロノトポス」が、「ジャンル」および「ジャンル」間の区別を定義するとと もに、形式的な構成的カテゴリーとして(登場)人物のイメージをかなりの程度、決定すると されていることである(ibid., pp. 84-85)。加えて、Todorov1984, p. 83)が指摘するとおり、

バフチンは「クロノトポス」という概念を必ずしも狭義の「時空間」に矮小化しておらず、「時 空間」を含んだ世界の構成として、拡張的にとらえている12

こ の よ う に 了 解 さ れ る「 ク ロ ノ ト ポ ス 」 の 性 質 に つ い て、 以 下、Morson & Emerson

1990, pp. 367-369)に依拠して、さらに整理しておく。

1. 「クロノトポス」において、「時間」と「空間」を分析的に分けることはできるが、両 者は本来的につながっており、融合した(fused)「全体(whole)」としての「時空間」

を形成している。

2. 世界は、多様な「時間」や「空間」の解釈を許容する。特定の「クロノトポス」は、絶 対的なものではなく、多くの可能性のなかの一つにすぎない。

3. 宇宙の異なる側面や秩序は、同一の「クロノトポス」において作用することはできない。

(たとえば、生物体は、天体とは異なるリズムの内にあり、両者の「クロノトポス」は 共約不可能である。)

4. 複数の「クロノトポス」が存在するということは、「クロノトポス」が可変的で、歴史 性を秘めていることを示している。よって、それぞれの「クロノトポス」は「共約不可 能」ではあるが、互いに競合(compete)し、「対話的」な関係にある。

5. 「クロノトポス」は、行為・実践において、目に見えて「そこにある」というよりも、

行為・実践のための「土台(ground)」を提供するものであり、「出来事」の表象可能 性(representability)の基盤でもある13

以上、本稿で援用する分析概念を三つ、提示した。記述から明らかなとおり、これらの分析概 念は相互に関係しており、本稿の議論はまさに、分析概念間の相互関連を基盤としている。ここ で、以下、フィールドとデータに関する記述に続いて展開する議論の流れを明示しておくと、本 稿では、①「間ディスコース性」という概念を通じて、「教室談話」とは位相を異にし、上位の位 相にあるコミュニケーションの次元を教室の中で特定する。そして、②それらメタ・コミュニケ ーションを異なる「ジャンル」に結びつけることで、③複数の「クロノトポス」が併存する場と しての「教室」を描き出す。これが、本稿の「方略」である。

3. フィールドとデータについて

1)「英会話」と二つの授業について

本稿における分析の対象は、埼玉県のある単位制公立高校(男女共学)で2009年度に開講 された、「英会話」という週3時間の選択講座での出来事である。この講座は、日本人女性英語 教諭の高頭先生(仮名)とイギリス・ウェールズ出身のALTassistant language teacher

略)のCathy先生(仮名)によって担当された(二人によるチーム・ティーチングは2時間

で、残りの1時間は高頭先生が担当)。高頭先生は、3年生のあるクラスの担任でもある。また、

Cathy先生は以前からこの学校に勤務しており、生徒は彼女のことをよく知っている。小柄でお

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っとりとした雰囲気の彼女は、生徒から「かわいい」と評され、慕われていたように見受けられ た。本講座の履修者は、さまざまなクラスから集まった3年生女子14名、3年生男子3名の計 17名である。彼/女らの大半は、英検準2級から2級を目指す英語力で、リスニング・スピー キングの得手・不得手に差はあるものの、英語に対するモチベーションは全体的に高いと思われ 14

次章、12節で扱う事例は、4月、新年度が始まって最初の授業での出来事である。この時 期に偶然、Cathy先生の弟、Ryan(仮名:当時21歳の大学生)が来日していたのだが、日本 滞在の最終日、彼は「ゲスト」としてこの講座を訪れることになった。つぎに、3節で扱う事 例は、夏休み後の9月、2学期最初の授業での出来事である。JETプログラムで来日していた

Cathy先生は7月に帰国し、9月から新たなALTが着任することになった。新たに着任した

Mr. Loper(仮名:白人男性、年齢30歳前後、米国カリフォルニア州出身、元消防士)は、長

身(自称2m)で筋骨隆々の身体に整髪料で固めた短髪、低く響きわたる声など、まさにCathy 先生とは対照的な属性の持ち主であった。

本稿でこれらの授業を扱う理由は、両方の授業において「まず自分(たち)で質問内容を考え て、つぎに口頭で直接質問する」という類似したアクティヴィティが行われたためである。出来 事の「循環(circulation)」を前章で示した概念で分析し、そこから何らかの「発見的」枠組み を措定するための事例としては、きわめて適切であると判断する。

2)データについて

本稿は、当該年度に上記の学校で筆者が行ったフィールドワークにおいて収集したデータに依 拠している。基本的に週1回(原則火曜日)、計26回、学校を訪問し、加えて、9月の学期開始 前に開催された文化祭にも足を運んだ。訪問の際は、「英会話」1時間(2限)、「リーディング」

2時間(34限)、そして「ライティング」2時間(56限)のスケジュールで、高頭先生が担 当する3年生の授業を観察し、データの収集は、とくに「英会話」について重点的に行った。

音声・映像データについて、4月と9月とでは収集の方法が異なる。4月の最初の授業では、

ICレコーダー1台のみを教室後方の座席に座っていた筆者の手元に置いたが、そのあと徐々に 台数を増やし、置く場所も、生徒の机上に変更していった。6月下旬以降は、合計5台のIC コーダーを生徒の机上に置き、小さな声の呟きも可能な限り収集できるように工夫した。ビデオ 撮影は、9月から始まった2学期第2回の授業から開始している(定点1台、教室の前もしくは 後ろの端に設置)。

授業の音声・映像、および筆者がつけたフィールドノートに加えて収集したデータは、差支え ない範囲で譲っていただいた『学校要覧』・『履修の手引き』・テキスト・授業プリント・生徒の 提出物のコピー、授業前後に適宜行ったインフォーマルな聞き取りの記録、昼休みに食堂で生徒 に対して行った半構造化インタヴューの録音(24人グループ/回、計7回)、高頭先生に対 して行ったライフ・ストーリー・インタヴューの録音(8月に1回)、Cathy先生に行ったイン タヴューの録音(6月に1回)、そして、高頭先生と交わしたEメールと数回の交換日記である。

4. 「出来事」の循環(circulation)にみる教室の異なる時空間

では、いよいよここから、事例の分析に入りたい。論点をより鮮明に浮かび上がらせるために、

本稿では、とくに一人の女子生徒Hの力を借りて、出来事の記述・分析を進めていく。

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1)「教室談話」の時空間

新年度が始まって最初の「英会話」の開始を告げるチャイムを待つ教室は騒然としていた。名 札(折って机上に置くタイプ)を配る高頭先生をよそに、選択講座で特定の生徒と一緒になった ことへの驚き、互いの座席の位置へのリアクション、見慣れない「ゲスト」への興味、この講座 への期待や不安、さまざまな感情が交錯した生徒たちの声が飛び交う。

開始のチャイムが鳴ると、Cathy先生が一人一人、名前を呼び始めた。生徒は思い思いに

Yes」と「返事」をし、時折、クラスに笑い声が広がった。出席の確認が終わると、「姉」によ ってRyanの名が紹介され、高頭先生が “Welcome, Ryan!” ということばとともに彼を「正式」

に授業へ招き入れるや、温かい拍手が沸き起こった。授業の詳細に関する説明は次回に持ち越さ れ、代わりに、“Try and speak mainly English” という本講座の「メイン・ルール」が確認され ると、幼少のころや海外旅行時の写真とともになされる高頭先生の自己紹介を皮切りに、実質 的な「授業」内容が展開していく。他の英語の授業では(おそらく)見ることのない高頭先生の 顔に、生徒たちの反応は上々である。そして、Ryanと二人で映っている幼少のころの写真を見 せながらのCathy先生の自己紹介が終わると、いよいよRyanの自己紹介である。生徒は、「ネ イティヴ・スピーカー」が話すスピードに圧倒されたのか、ややことばを失いながらも、「原宿」

が気に入ったことや、「ジブリ美術館」に行ったことなど、Ryanの日本滞在の様子が判明すると、

「へえ」や「おお」と感嘆の声を上げた。

高頭先生、Cathy先生、そしてRyanの自己紹介のつぎは、いよいよ生徒たちの番である。プ リントの以下の空欄を埋め、Ryanへの「質問」を一つ考えるようCathy先生から指示が出され たあと、個人で作業する時間が設けられた。

My name is:

I am: years old.

My birthday is on:

I belong to club.

My favorite place in Japan is .

My question for Ryan is:

. His answer is:

.

5分後、高頭先生が “Okay, everyone, everyone” と作業終了・アクティヴィティ移行の合図を 出した。プリントの裏には、“Write what you found about Ryan!” という欄(引用1参照)が あり、“After the interview, you have to, you will have to write what you found about Ryan.

So listen carefully, and, while listening, take notes.” という説明が口頭で付け加えられた。こ れで、メイン・アクティヴィティのための準備完了である。

メイン・アクティヴィティの手順は、続いて与えられた “first introduce yourself to Ryan, of course in English, then ask one question” という指示のとおりである。生徒はまず、記入済み のプリントに則して自己紹介を行い、それが、「質問─答え」というRyanとの直接のやりとり

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に辿り着くための、いわば「通行手形」となる。“Interview time” と高頭先生がその場で名づけ た活動は、「自己紹介(生徒)」「質問(生徒)─答え(Ryan)」「(“Good question” などの)評 価・フィードバック(教師)」というパターンを示しつつ、儀礼のように詩的な構造を刻印しな がら進んでいった(cf. Silverstein, 2004)。このような中、Hの「番」では、以下のような相互 行為が展開したのである。

1 T: H, please.

2 (周りの女子生徒:きたー。)

3 H: My name is H. My birthday is on August 27th. I belong to dance club.

4 Do you have a girlfriend?

5 Ryan: No, I donʼt, actually. Iʼm [聞取不能]

6 H: ノー?

7 (周りの女子生徒:(Hに向かって)No, No, No 8 H: Iʼm free!

9 (クラス中が大きな笑いに包まれる(約18秒間))

10 T: Okay, so you donʼt have boyfriends now. Okay.(笑)Okay.(笑)Okay.

11 (笑)All right. Next please.

12 Cathy: Any volunteer?

13 T: Raise your hand.

書き起こし 1

本稿の射程外であるため15、上記のやりとりの立ち入った分析は行わない。ただ一点、H

Iʼm free!” が引き起こしたクラスの大きな笑いが文字どおりの「大爆笑」であったことを、そ

こにいた観察者である筆者の記憶に基づいて、強調しておきたい。

2)「課題・試験と成績」の時空間

前節の内容を前提とし、ここから、本稿が着目する「メタ・コミュニケーション」の分析に 移る。すべての生徒がRyanとの「質問─答え」を終えたのち、Ryanからクラスに対して出さ れた質問に関するやりとりが行われた。「ネイティヴ・スピーカー」の英語は生徒にとってや や難しかったと判断した高頭先生とCathy先生はその場で相談し、続くライティング・アクテ ィヴィティの方針を「Ryanの印象」を含めてもよいかたちで微修正した(Cathy先生: Write about Ryan, write your impression. So do you think he is handsome or cool?” )。そして、H が提出したものが、引用1である。

はじめに、このライティング活動は、直前になされた “interview time” を前提としていること を再確認しておきたい。すなわち、この活動は、何らかの側面において “interview time” と「似 ている」何かを生み出すことを生徒に要請している。このことを踏まえ、まず着目したいのが、

ここに埋め込まれている「I-R-E構造」である。タイトルとなっている “Write what you found

about Ryan” というI、「生徒のライティング」というR、そして、「教師による評価」(E)が

ここでは観察されるが、通常の「授業」における「I-R-E」とここにみられるそれとのあいだに は、大きな相違があると思われる。それは、Eの部分が「素点」になっていることである(右 下)。すなわち、この「I-R-E」は、註2に示したような授業中のやりとりというよりも、「『次の

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英語を読み(聞き)、以下の問いに答えよ』→解答→素点→成績(合否)」にも似た、「試験」の

I-R-E」を彷彿とさせる(喚起する)ものである。(もちろん、Cathy先生の「スマイル・マー

ク」(引用1※印)は、この課題が「試験」ほど形式的なものではないことを示している。)ま た、生徒全員4 4が、Hのように、文を羅列する「箇条書き」に近い配置方法を採用していたこと も重要な事実であると思われる。“Cathyʼs younger brother, Ryan came to the first English

Conversation class. He …” という「開始」が示されているが、この続きを構成するにあたり、

ナラティヴ的な展開ではなく、Ryanの「答え」の内容を羅列する配置の構造が全員によって選 引用1Hが提出したライティング

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択されたことは、「必要最低限の答えを書けばよい(十分である)」という規範が生徒によって共 有されているという事実を措定するに十分なパターンであると考えられる。

このような「ジャンル化」のなか、前節では発話出来事内の「聞き手」をさす “you” を通じて 言及されていたRyanは、発話出来事で前提可能な発話出来事外の対象をさす3人称代名詞 “he で言及される存在となった(Wortham, 1996)。つまりここは、教室内におけるRyanの空間的 並存をよそに、a. 命令する者、b. 命令を受諾して特定の活動を行う者、c. 採点する者のあいだ の閉ざされた空間である(当然、a = c である)。さらに重要なことに、ここで “he” と結びつい ているのは、“interview time” において「言われたこと」である。引用1を見ると、Hはクラス の「大爆笑」を誘った張本人であり、Ryanの「答え」に対してさらにもう一言を返した唯一の 生徒でもあるのだが、“he” に結びつけられているのは、“No, I donʼt (have a girlfriend)” とい Ryanが発した「言及指示的テクスト」の断片のみである。このことは、続く三つの文や、上 に書かれているメモにおいても同様である。

このように、「言われたこと」を前景化させる枠内で、Hは、“He said that …” という命題 内容の真偽、そして、言及指示的テクストの文法的正しさという基準で「採点」される対象へ と変容する。つまり、この「ジャンル化」されたアクティヴィティの「今・ここ」において、

interview time” は「言及指示中心の出来事」として指標的に結びつけられ、このような「タイ

プ」「トークン」指向の「間ディスコース性」の(正確な)同時達成の度合いが、「試験」のミニ チュアとでもいえる「課題」の「素点」の大小となり、その積み重ねが、「成績」という特殊な アイデンティティのかたちにつながっていく。

ここで、「教室談話」の「クロノトポス」と並存する、「課題・試験と成績のクロノトポス」と でも名づけることができる「クロノトポス」をまず提示したい。この「課題・試験と成績のクロ ノトポス」は、典型的に、「課題、中間試験、課題、期末試験」を学期ごとに反復するとともに、

「学期成績」を経て「学年成績」へ向かう「時空間」であると考えられる。各課題・試験を時間 とともに通過する生徒は、「素点」という、「教室談話」の「クロノトポス」とはまったく位相を 異にするアイデンティティの断片(の集積)として存在し、「教室」から遊離した「成績表」と いう「記録」の上で、可視化されるのである16

3)「学校生活」の時空間

前節では、「教室談話」の「クロノトポス」と並存する「課題・試験と成績のクロノトポス」

を提示した。本節では、再び「教室談話」に対する「メタ・コミュニケーション」を手がかりに、

もう一つの「クロノトポス」を示してみたい。

本節で扱うのは、Cathy先生帰国後の2学期はじめに、新たに着任したMr. Loperを交えて 行われたアクティヴィティでの出来事である。この授業でも、上述の “interview time” と同様 の目的を志向した活動が行われた。生徒は34名のグループにまず分かれ、黒板に提示された

Life in JapanLanguageHome country” などのトピックから一つを選ぶ。そして、選んだ テーマに関連した質問を一人一個、グループ内で考え(余裕があれば、ボーナス・クエスチョン を自由に考えてもよい)、その後の全体アクティヴィティで、一人一人、Mr. Loperに口頭で質 問する、という流れである。Hは、席が近い3名の女子生徒とグループを組み(この4名は以前、

同じクラスだったことがある)、早速、「質問を考える」という仕事に従事するが、その中で、以 下のような「メタ・コミュニケーション」が展開した。

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21 H: これ(= Do you have a girlfriend?”)でいい?これでいい?

22 M: それ、ボーナス。

23 Hacchi: あ、いいね。

24 H: これでいい?これでいい?

25 Hacchi: で、“No” っつったら “Iʼm free! 26 H: Iʼm free. んふふ。はははは。

27 Hacchi: そうそう。あの、キャシーの、キャシーの弟の時みたく。(笑)

28 M: そういえばさぁ、キャシーの弟はさぁ、ノリよかったけどさぁ、なんか

29 お堅くねぇ?

30 H: お堅い。なんか、なかなかおとせなさそう。ふふ。

31 S: なに?

32 M: お堅いよ。なんか、心開かなそうだよ。

33 Hacchi: お堅い。なんか、ガードは堅いよ、絶対。心のガードが堅い。

34 M: なんか、ガードルっつうか、「お前ら全然話せねえのかよ」っていう

35 雰囲気出たよ、さっき。「なんもわかんねえのかよ」っていう。

書き起こし 2

まず、27行目のHacchiの発話に注目したい。ここでは、前々節で示した4月の出来事が、

「みたく」という類似性に言及する表現とともに、「あの時/今」という直示的な対照ペアを生 み出すかたちで言及されている。つまり、「あの時」教室で起こった出来事と「今」教室で起 こ(ってい)る出来事とのあいだの「トークン指向」の「間ディスコース性」が立ち上がるよ うな状況である。では、「あの時」とは、具体的に、どのような出来事をさすのか。それを示す のが、すぐ前で「直接引用」を通じて再構築されたHRyanのやりとりである。ここでH

Hacchiは、「あの時」起こったことを「今・ここ」で再現しているが、この再現を通じて暗に

再現される重要な要素は、“Iʼm free” に続いた「大爆笑」「盛り上がり」(上述)であることは 明白である。このことを前提化しているのが、そのあとおもにMHHacchi3名によって つくり出される「あの時」と「今」の対照性である。「あの時」は「ノリがよかった」のに対し、

「今」は「お堅い」教室で、自分たちに向けて措定される「2人称代名詞」は「君たち」などで はなく、「お前ら」である(もちろん、これは架空のセリフである)。つまり、ここで問題となっ ているのは、前節で前景化していた発話の「言及指示内容」ではなく、発話の「相互行為的効 果」にほかならない。

では、前節で示した「ライティング」とはまったく対照的に、4月の出来事における相互行為 的側面を焦点化する枠組みはどこからくるのか。この問題に迫るヒントとして、11月、HM S3名を対象に昼休みの食堂で(昼食を食べながら)行ったインタヴューでのHの発言に耳 を傾けてみたい。

世界史とか普通の授業は、なんか、「ガリガリ」じゃん?でも、英会話は「ワー」みたいな、

であってほしい。授業が堅くなったから、なんか、行くのが楽しくなくなった17。もっと くだけた内容だと、ウチらもやりやすいけど、みたいな。

(12)

96

やや迂回経路となるが、ここでのHの発言と「書き起こし 2」とのあいだには、ある程度の

「間ディスコース性」を矛盾なく導き出すことができる。まず、Hの発言から、少なくとも彼女

(および、MS)が前提としている「科目」についての序列化された「オノミー知識(-onomic knowledge)」(Silverstein, 2007)を特定することができる。

1 H(および、MS)が前提とする「科目」に関するオノミー知識 科目

[英会話] [リーディング?] [普通の授業] [世界史?]

「ワー」科目 「ガリガリ」科目

「ワー」は比較的自由でにぎやかに話すことができる(くだけた内容の)授業科目、他方、「ガ リガリ」は席について静かに話を聞くことが要請される(堅い内容の)授業科目であると理解 して問題ないだろう。このような知識を前提とし、「〜じゃん?」「〜、みたいな」「〜(じゃ)

ねぇ?」「ウチら(vs.お前ら)」といった若者世代(の女子)を指標する「常体」のレジスター

cf. Agha, 2007)を通じて彼女たちが行っていることは、①「ワー」と「ガリガリ」を両極と

した「科目」に関する「オノミー知識」のもとで、特定の科目を特定の場所に位置づける、②そ のような「科目」に関する知識を通じて、「英会話」で起こっている出来事を特定の仕方で解釈 し、その解釈に基づいて「英会話」に参加する実践を共有する、少なくとも以上の二つが考えら れる。

もちろん、このような「オノミー知識」は、特定の集団に特有の知識でありえる。註17でも 明示したとおり、9月以降のやや難易度が上がった「英会話」について、「やるべきことが以前 より明確になってよい」(男子生徒)や、「スピーチが好き」(女子生徒)という考えを表明した 生徒もいる。彼/女らは、科目に関する異なる「オノミー知識」のもとで、授業で起こっている 出来事を解釈し、それに基づいて行動しているかもしれない。これを敷衍するならば、生徒のあ いだで前提とされている「科目」に関する知識領域は、複数の(図1のような)「下位オノミー 知識」からなっており(たとえば、「受験に役立つ科目」「考えさせる科目」「先生が面白い科目」

など)、生徒は、それらのうちのどの「下位オノミー知識」に自らを位置づける(align)かとい う「タスク」をこなしながら、学校という特殊な場所における自らの・互いのアイデンティティ

cf. Eckert, 1989)を示すという「ジャンル」の行為に従事していると考えることができる。

ここで提示したいのが、「学校生活のクロノトポス」とでも呼べる時空間である。「授業」に 関して、どのような「オノミー知識」を通じてどのような重みづけを行い、そのことを通じて自 ら・互いのアイデンティティをどのように示すか、という実践は、生徒が時間とともに経験す る(学校)行事(部活動の大会、定期試験、文化祭、体育祭、修学旅行、受験など)や対人関係

(友人関係、先輩・後輩関係、恋愛関係、教師との関係など)、そして成績や希望進路との関連に おいて推移することが大いに考えられる。さらに、学校外での活動も、これに少なからず関連す ることもあるだろう。つまりそこは、「学校」という場所で、「生徒」という社会的役割が含意す るさまざまな実践との関連において「授業」の価値が生成される「クロノトポス」である。

(13)

97

4行為(performance)の中の「英会話」:教室における「学び」と「アイデンティティ」の リアリティをどのように求めるか

ここまで、「教室談話」とは位相が異なる「メタ・コミュニケーション」の次元を特定し、そ れらがどのように「ジャンル化」されているかを分析することで、いわゆる「教室談話」の「ク ロノトポス」とは異なるが、教室における行為・実践の「土台(ground)」として確かに存在す ると思われる「クロノトポス」を導き出してきた。最後に、本稿での議論をまとめるとともに、

教室で起こる「学び」の経験的な研究を遂行するための枠組みを示唆することを目的に、本章で 述べてきたことの図式化を試みたい。

2は、本稿の副題ともなっている、「間ディスコース性が織りなす教室の多重的時空間」の 図である。「間ディスコース性」という原理を核とする「メタ・コミュニケーション」と、それ らの「ジャンル化」を通じて、「教室」という場所における時空間、すなわち、「クロノトポス」

は編成されていると考えられる。

2 「間ディスコース性」が織りなす教室の多重的「クロノトポス」

III:「課題・試験と成績」の時空間 II:「教室談話」の時空間 I:「学校生活」の時空間 学 校 生 活

課題・試験と成績 教 室 談 話

III II

I

「教室」という場所を、このような場としてまずもってとらえた場合、教室での学びの 根 源 に は、「 パ フ ォ ー マ ン ス 」(Bauman, 1984 [1977], 2004; Bauman & Briggs, 1990;

Goffman, 1959)があると考えられる。「パフォーマンス」とは、パフォーマーがオーディエンス

に対して、自らが特定の(社会的)役割に就いていることを相互行為の中で示しながら、行為の 解釈枠組みを立ち上げていくコミュニケーションのモード4 4 4(様式)である(Bauman, 2004, p. 9;

Bauman & Briggs, 1990, p. 73)。この定義はまさに、本稿で見てきたHの行為にぴったりと 当てはまるのではないか。

(14)

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本稿を通じて、特定の「ジャンル化」を被った出来事(本章23節)に参加する特定の視点 から、異なって「ジャンル化」された別の出来事(本章1節)における特定の側面が取り出され、

コミュニケーションの「今・ここ」に(適切に)関連づけられる過程を見てきた。これらの過程 の「土台」を成しているのが「クロノトポス」であるとするならば、生徒は、「素点」や「友人 とのソリダリティ」など、それぞれの「クロノトポス」に固有の、共訳不可能な「評価」にも常 にさらされているといえる(Bauman & Briggs, 1990, p. 73)。これらのどれに「敏感」となる のか、どの評価を自らの「アイデンティティ」であると(イデオロギー的に)理解するのか、ど の評価に「権威」を付与するのか、これらの問題の動態の中にこそ、「学び」はあるのではない か。

つまり、複数の「クロノトポス」のあいだにおける、「メタ・レヴェル」の位置を競うプロセ スとそれが生み出す階層化が「学び」の「クロノトポス」であり、その「時空間」へ入り込むた めの鍵は、「パフォーマンス」の第n層における結晶化を見据えることができる枠組みではない だろうか。

5. 展望:Who regiments learning?

本稿では、社会記号論系言語人類学の枠組みのなかで、「間ディスコース性」「ジャンル」「ク ロノトポス」というバフチン由来の分析概念を援用しながら、ある高校における「英会話」とい う講座で起きた出来事を、一人の生徒に着目して、記述・分析した。本稿の目的は、「授業」や

「教室でのコミュニケーション」に関する一般化された知識を提示するというよりもむしろ、教 室で起こっている「学び」を研究するための「発見的枠組み」を、「コミュニケーション(出来 事)」に関する理論から立ち上げる試論を展開することであった。

本稿で明らかにしえたことは、きわめて部分的・断片的であり、この「英会話」という講座、

生徒たちの(高校)生活、そして高頭先生の授業の全体像などではまったくない。同時に、本研 究で展開した「試論」も、文字どおりの試論であり、筆者自身やさまざまな研究者・実践者をお もな参加者とした、終わりのない「間ディスコース性」の渦に巻き込まれていくのだろう。しか し、そのような「最終決定性の欠如」(Silverstein, 1992)にこそ、可能性が存在するのであり、

その意味においてのみ、我々(近代的)「人間」の学びは「開いている」と言うことができるの ではなかろうか。

1 このタイトルが『イデオロギーとしての英会話』(ラミス, 1976)を前提としていることは言をまたな い。本稿は、先達らの批判的視座を継承しつつ、さらにコンテクスト化された、より「出来事」に根 ざした記述を試みるものである。

2 Iは “initiation”、Rは “reply/response”、EF)は “evaluation (feedback)” の略で、たとえば、以下 のような発話の配置をさす。

教師:“Evaluation” の品詞と意味は何ですか?(I 生徒:名詞で、「評価する」(R1

教師:“-tion” だから…(F 生徒:「評価」(R2

参照

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