臨津江の水は大社湾に通じるか : 出雲市板津発見 石器の評価をめぐって
著者 松藤 和人
雑誌名 文化學年報
号 63
ページ 1‑21
発行年 2014‑03‑15
権利 同志社大学文化学会
URL http://doi.org/10.14988/00027762
臨津江の水は大社湾に通じるか : 出雲市板津発見 石器の評価をめぐって
著者 松藤,和人
雑誌名 文化學年報
号 63
ページ 1‑21
発行年 2014‑03‑15
権利 同志社大学文化学会
URL http://doi.org/10.14988/00027762
臨 津 江 の 水 は 大 社 湾 に 通 じ る か
│
│ 出 雲市 板 津 発見 石 器 の評 価 を めぐ っ て
││
松 藤 和 人
は じ め に 出雲
市砂 原遺 跡は
︑出 雲大 社の 眼前 に横 たわ る日 本海 の大 社湾 に面 する
︒二
〇〇 九年
︑こ の遺 跡の 調査 は︑ 日本 列 島 の人 類史 の始 まり を十 二万 年前 に遡 らせ た︒ その 年代 は段 丘地 形編 年︑ グロ ーバ ルな 海洋 酸素 同位 体比 ステ ージ に 同 期し た古 土壌 編年
︑三 瓶火 山起 源テ フラ の詳 細な 火山 灰層 序学 を総 合し て導 き出 され たも ので ある
︒ 調査 は伝 統的 な考 古学 調査 法の 枠組 みを 超え
︑遺 跡が 残さ れた 当時 の堆 積環 境の 解明 に重 点が 置か れ︑ 当時 の地 表 面 を示 す乾 裂面
︑高 師小 僧︑ 地中 動物 の這 い痕
︑炭 化物 の検 出︑ さら には 出土 石器
・礫 の産 状計 測な どの 総合 的な 分 析 を経 て︑ 遺跡 の形 成過 程を 明ら かに した
︵松 藤・ 上峯 編 二〇 一三
︶︒ 筆者 らは
︑砂 原遺 跡の 調査 後も 出雲 地域 での フィ ール ド調 査を 重ね る中 で︑ 出雲 市湖 陵町 板津 で砂 原遺 跡よ りも さ ら に年 代が 遡る 旧石 器一 点を 発見
・報 告す る にい た っ た︵ 松藤 ほ か 二
〇一 三
︶︒ 砂 原 遺跡 の 調 査か ら わ ずか 三 年 に し て︑
﹁ 日本 最古
﹂を 塗り 替え る重 要発 見で ある
︒本 稿で は
︑報 文 で果 た せ なか っ た 板 津発 見 旧 石器 の 評 価と 若 干 の
― 1 ―
予 察を 試み るこ とに した い︒ 一
板 津 石器 発 見 の経 緯
︵1
︶送 付さ れて きた 石器 二〇 一二 年八 月︑ 砂原 遺跡 周辺 の補 足地 質調 査を おこ なっ て い た菊 池強 一が 出雲 市湖 陵町 の板 津造 成地 の宅 地法 面で 一点 の 石 器を 拾い 上げ た︵ 図1
︶︒ 宅急 便で 研究 室に 送ら れて きた 荷物 の梱 包を 紐解 くと
︑ビ ニ ー ル袋 に入 れら れた 重厚 な石 器が 現わ れた
︒掌 に載 せる とず っ し りと した 重さ があ り︑ 片面 にひ どく 水磨 した 茶褐 色の 礫面 を の こし
︑反 対側 の面 は砂 粒と 灰白 色粘 土物 質で びっ しり 覆わ れ て いた が︑ 砂粒 の下 にざ っく りし た剥 離面 がう っす ら観 察さ れ た
︒し かも 打ち 割ら れた とき に生 じた 縁辺 はい たっ て鋭 く︑ 礫 層 中で 石と 石と がぶ つか って 縁辺 が潰 れた 痕跡 がま った く認 め ら れな かっ た︒ 一見 して
︑茶 褐色 の礫 面と ざっ くり した 剥離 面 に 韓国 の前 期旧 石器 を想 起さ せた
︒ 発見 当時 の写 真を 見る と︑ 宅地 造成 が終 わっ た法 面の 赤色 土
図1 板津発見石器(砂粒付着状態)
臨津江の水は大社湾に通じるか ― 2 ―
の 上 に 横た わ る 一個 の 石 器 が写 っ て い た︒ 出 雲 在 住 の 成 瀬 敏 郎 に そ の 写 真 を 転 送 し
︑法 面の 赤色 土が オリ ジナ ルの 堆積 物か 否か を確 認す るよ う依 頼し た︒ その 一方
︑石 器の 剥離 面上 にび っし り付 着し た砂 粒・ 粘土 物質 と写 真に 写っ てい る 赤色 土を 検討 し︑ 両者 が合 致し ない のに 不審 を抱 いた
︒と いう のは
︑も とも と石 器 が法 面に 見え る赤 色土
︵古 土壌
︶中 に包 含さ れて いた ので あれ ば︑ 器面 のど こか に 古土 壌が 付着 して いる はず なの にそ うし た形 跡が まっ たく 認め られ ない
︒ 本 地 域 の 地 質・ 地 形 調 査 を 進 め て い た 東 洋 大 学 の 渡 辺 満 久 教 授 に 連 絡 す る と︑ 近 々出 雲に 出か ける とい うの で︑ 現地 を調 査し ても らう こと にし た︒ 成瀬
・渡 辺の 現 地調 査の 結果
︑造 成地 の法 面に 見え る赤 色土 は断 定を 避け なが らも 客土 とし て置 か れた 可能 性が 高い とい うも ので あっ た︒
︵2
︶石 器の 石材 板津 で見 つか った 石器 の石 材に つい ては
︑当 初︑ 砂粒 が剥 落し かか った 部位 の観 察 か ら オー ソ コ ーツ ァ イ ト︵ 正 珪岩
︶で は な いか と 推 定さ れ た
︵図 2中
︶︒ オ ーソ コ ーツ ァイ トは
︑か つて は太 平洋 に存 在し た陸 塊に 産す るも のが プレ ート テク トニ ク スに よっ て日 本列 島に 漂着 した もの と考 えら れて いた が︑ 近年 では ユー ラシ ア大 陸 に 由 来す る も のが 水 流 に よっ て 日 本列 島 へ 運 搬 さ れ て き た も の と 考 え ら れ て い る
︒日 本列 島が 大陸 の一 部で あっ た悠 遠な 地質 時代 のこ とで ある
︒長 距離 を運 搬さ
図2 臨津江のオーソコーツァイト(左)、板津石器の剥離面(中)、板津試料
!(右)(柴田将幹撮影)
― 3 ― 臨津江の水は大社湾に通じるか
れ る過 程で 礫は 水磨 され
︑次 第に 小形 化し 角が 取れ て円 礫と なっ た︒ その ため
︑日 本列 島で 産出 する もの は長 径が 二
〜 三セ ンチ 大の もの がほ とん どを 占め る︒ オー ソコ ーツ ァイ トと いえ ば︑ 韓国 とり わ け臨 津 江 流域 の 前 期旧 石 器 に 馴染 み の 深い 岩 石 で ある
︵図 2左
︶︒ 漢 灘 江 に近 い全 谷里 遺跡 の年 代解 明を 目的 とし た日 韓共 同研 究で 現地 を訪 れた とき
︑D МZ
︵非 武装 地帯
︶に 近い 臨津 江 と 漢灘 江の 合流 地点 付近 で河 原を 埋め 尽く す人 頭大 の扁 平な オー ソコ ーツ ァイ トの 円礫 を実 見し たこ とが ある
︒臨 津 江 下流 域に ある 佳月 里︑ 舟月 里両 遺跡 では 両面 を調 整し た見 事な オー ソコ ーツ ァイ ト製 ハン ドア ック スが 発見 され て い る
︒二
〇 一二 年 十 一月
︑同 志 社 大 学で 開 催 され た 国 際シ ン ポ ジ ウム
﹁東 北 ア ジア に お ける 古 環 境 変 動 と 旧 石 器 編 年
﹂の 折︑ 砂原 遺跡 の石 器と とも に板 津発 見の 石器 を展 示し たが
︑実 見し た韓 国の 研究 者た ちは 韓国 の前 期旧 石器 の 石 材と あま りに も類 似し てい るの に驚 きの 声を 隠さ なか った
︒ しか しな がら
︑わ が国 では これ ほど 大き なサ イズ のオ ーソ コー ツァ イト は見 つか って おら ず︑ 板津 で見 つか った 石 器 がオ ーソ コー ツァ イト であ れば
︑大 陸か らも たら され た可 能性 も生 じて くる
︒こ の点
︑板 津周 辺に 産出 する 類似 岩 の 探索 なら びに 顕微 鏡下 の記 載岩 石学 的観 察が 不可 欠と なっ てき た︒
︵3
︶板 津造 成地 の踏 査と 岩石 鑑定 二〇 一二 年十 二月 の板 津の 現地 調査 では
︑石 器が 採集 され た造 成地 法面 を確 認の うえ
︑塊 状を 呈す る赤 色風 化殻 の 混 在︑ 土質
︑礫 の産 状か ら客 土︵ 盛り 土︶ と判 断し た︒ また 造成 地内 の地 形観 察か ら︑ 採集 地点 はも とも と谷 部に あ た り︑ この 谷を 埋め て造 成し た場 所と 判断 され た︒ 成瀬 によ る造 成業 者か らの 聞き 取り によ れば
︑宅 地造 成に 際し て︑ 他所 から 土を 運び 入れ たも ので はな く︑ 旧地 形
臨津江の水は大社湾に通じるか ― 4 ―
を 削平 する とき に生 じた 赤色 土︵ 古土 壌︶ と砂 を分 離し て保 存し 造成 に再 利用 した もの であ るこ とが 判明 した
︒二
〇 一 一年 三月
︑砂 原遺 跡の 周辺 調査 の途 次︑ この 地を 訪れ 造成 中の 現場 を撮 影し た写 真と 比較 し石 器採 集地 点が 造成 前 に は谷 部に あた るこ とが 確認 でき た︒ この とき
︑造 成地 を徹 底し て探 索し た結 果︑ 板津 石器 によ く似 た岩 質の 水磨 礫 を 二点 採集 し持 ち帰 った
︒ 採 集さ れ た 石器 を 破 壊し て 薄 片 を作 成 す るわ け に も いか ず
︑板 津 造成 地 内 で採 集 し た 同 質 の 岩 石 二 点︵ 試 料
!
・
"
︶を あら ため て岩 田修 一︵ 旭地 研︶ に岩 石鑑 定を 依頼 した
︒ま た比 較の ため 韓国 京畿 道臨 津江 河床 で採 取し たオ ー ソ コー ツァ ト二 点︵ 試料
#
・$
︶ も併 せて 供試 した︒岩 田は 薄片 を作 成し 顕微 鏡下 での 比較 検討 をお こな い︑ 臨津 江 河 床 産 の試 料
#
・
$
は 真 正の オ ー ソ コー ツ ァ イト︑板 津 造 成地 で 採 集 した 二 点 の岩 石 試 料 は︑ 珪 化 砂 質 泥 岩︵ 試 料
!
︑ 図 2右︶お よび 泥質 ホル ンフ ェル ス︵ 試料
"
︶ と鑑 定さ れた
︒前 者は 硬質
・緻 密で 表面 が褐 灰色 を呈 し︑ 一見 す る と臨 津江 河床 産の オー ソコ ーツ ァイ トに 似る が︑ 径一 ミリ 前後 に断 片化 した 砂質 泥岩 組織 や径 一・ 二ミ リ大 の流 紋 岩 類の 岩片 が少 量残 存し てい るの が単 ニコ ル顕 微鏡 下で 観察 され
︑極 細粒 砂質 層・ レン ズを 挟む 泥質 層か らな る泥 岩 が 原岩 とさ れた
︵岩 田 二〇 一二
︶︒ 試料
!
・"
な らび に岩 田が 作製 した 薄片 を鑑 定し た島 根大 学名 誉教 授の 山内 靖喜 と地 質コ ンサ ルタ ント の武 島正 幸 は 試料
!
︵ 図2 右︶ を流 紋岩︑同
"
を 流紋 岩質 凝灰 岩と 鑑定 した
︒板 津採 集石 器の 剥離 面に は試 料
!
に見 られ る流 理 構 造を もつ こと から︑石 器の 石材 を流 紋岩 とし た︒ この 岩石 は珪 化作 用と 熱変 成を 受け てい るこ とも 判明 した
︒山 内
・ 武島 は板 津西 南方 約一
〇キ ロメ ート ルに ある 小田 川上 流で 流紋 岩の 産出 地を 確認 した
︒こ の種 の岩 石は 小田 川下 流 で も確 認さ れた
︒
― 5 ― 臨津江の水は大社湾に通じるか
二 石 器 の観 察 板津
で採 集さ れた 石器 は︑ 最大 長一 二・ 七セ ンチ
︑最 大幅 六セ ンチ
︑最 大厚 四・ 九セ ンチ
︑重 量三
〇六 グラ ムを 測 る
︒元 の原 礫の サイ ズを 復原 する と︑ 長さ 一五 セ ンチ を は るか に 超 える 板 状 の 水磨 礫 と 推測 さ れ る︒ 礫 面︵ 自然 面
︶ は 明褐 色〜 褐色 を呈 し︑ 各面 とも よく 水磨 が進 み︑ 角も 取れ 丸く なっ てい る︒ 礫面 が明 褐色
〜褐 色を 呈す るの は︑ 韓 国 臨津 江産 のオ ーソ コー ツァ イト に観 察さ れる のと 同様
︑酸 化鉄 の影 響に よる もの であ ろう
︒ 発見 当初 は︑ 石器 の剥 離面 にび っし りと 砂粒 が付 着し てい たが
︑こ れを 削ぎ 落と した とこ ろ︑ 水磨
・摩 滅を うけ て い ない 鮮や かな 剥離 面が 現わ れた
︒そ の剥 離面 は風 化を 受け
︑時 間の 経過 をも のが たる
︒島 根県 雲南 市原 田遺 跡で 発 掘 され た後 期旧 石器 には この 種の 石材 は使 用さ れて おら ず︑ 灰白 色の 粘土 鉱物 を付 着す る石 器も 見ら れな い︒ これ も ま た板 津石 器の 所属 時代 の古 さを 示唆 する もの であ ろう
︒ 図3 に示 す面 1〜 8な どの 剥離 面は おお むね 灰白 色を 呈す るが
︑黄 褐色 の脈 を層 状に 交え る︒ 全体 によ く珪 化が 進 ん でい るが
︑そ の程 度は 必ず しも 均一 では ない
︒面 2に 較べ て面 3・ 4付 近の ほう が滑 らか で︑ 特に 珪化 が進 んで い る よう に見 うけ られ る︒ 本石 器が 原礫 から 剥が され
︑二 次加 工が 施さ れる まで の一 連の プロ セス を復 原す ると
︑以 下の よう にな る︒ 面1 は原 礫が 打ち 割ら れた 際に 生じ たポ ジテ ィブ 面で
︑面 2と の境 界付 近に 打瘤 をと どめ る︒ 面1 の末 端は フェ ザ ー エン ド︵ 羽毛 状縁 端︶ とな って おり
︑薄 く鋭 いエ ッジ を見 せる
︒b 面下 半部 の湾 曲す る礫 面を 打面 とし て︑ ノジ ュ ー ル︵ 石塊
︶状 の原 礫を 半割 する よう に 大き く 打 ち割 ら れ たこ と が う かが え
︵図 3│ 1︶
︑打 面 と なっ た 礫 面 と面 1
臨津江の水は大社湾に通じるか ― 6 ―
図3 板津発見石器実測図(松藤・成瀬ほか 2013)
― 7 ― 臨津江の水は大社湾に通じるか
か ら復 原計 測す ると
︑板 状礫 を半 割し たと きの 復原 剥離 角は 約一
〇四 度を 測る
︒ 二次 加工 と判 断さ れる 剥離 痕は
︑両 側縁 およ び上 端部 に観 察さ れる
︒面 2は 面1 のバ ルブ
︵打 瘤︶ を除 去す るよ う に 施さ れ︑ 面1 とそ の打 面が 形成 した 稜線 に導 かれ て剥 離が 延伸 した とみ られ る︒ 復原 計測 によ れば
︑剥 離角 は一 一 六 度で ある
︒続 く面 3・ 4も 同様 に︑ c面 の自 然面 を打 面と する
︒剥 離角 がそ れぞ れ一 一五 度・ 一〇 八度 とな る鈍 角 剥 離で
︑剥 離痕 末端 には 顕著 なス テッ プ︵ 階段 状剥 離︶ が生 じて いる
︒面 dの 打点 は不 明瞭 であ るが
︑面 cに つい て は 剥離 にと もな う細 いク ラッ ク︵ 亀裂
︶が 打面 に相 当す る礫 面上 にの こさ れて いる
︒ a面 から は面 5の 剥離 が施 され
︑主 要剥 離面 1の バル ブの 一部 を除 去し てい る︒ a面 の礫 面上 にク ラッ クを のこ し て いる
︒面 6の 打点 と推 定さ れる 礫面 上に は︑ 打撃 痕と みら れる 半円 状の クラ ック が明 瞭に 観察 され る︒ こう した 剥 離 痕と あわ せ︑ 左側 縁に は最 大長 一ミ リ程 度の 微細
!
離 痕が 連接 して 認め られ る︒ 主要 剥離 面︵ 1︶ 末端 部の 上面 観は 直線 状 を呈 し︵同 d面
︶︑ 裏 面の 礫 面 との な す 角 度が 六
〇 度を 測 る 鋭い 刃 部 を 備 え︑ この 部位 が本 石器 の機 能部 と判 断さ れる
︒上 端部 には 大き さが 異な る二 次的 な剥 離痕
︵7
︶が 主要 剥離 面側 に 限 って 観察 でき る︒ これ らの 剥離 痕は 主要 剥離 面末 端と 裏面
︵礫 面︶ が構 成す る刃 角を 保持 する よう に浅 い角 度で 剥 離 され てお り︑ 鋭利 な薄 い刃 部を 再生 もし くは 補強 する 意図 が看 取さ れる
︒ 本石 器を 前期 旧石 器の タイ ポロ ジー
︵型 式学
︶に 照ら すと
︑分 厚い 剥片 を素 材と し︑ 第一 次剥 離で 生じ た鋭 利な 縁 辺 を刃 部と する 点で はク リー ヴァ ー︵ 握斧
︶に 分類 され るが
︑ア フリ カや イン ドな どで 見つ かる U字 形ク リー ヴァ ー と 較べ ると 典形 的な 例と はい えな い︒ 本石 器に 観察 され る剥 離痕 は︑ 鋭利 な刃 縁部 をつ くり だす とい う製 作者 の意 図に 沿っ て系 統的 に剥 離が くわ えら れ た もの であ り︑ 剥離 面︵ 痕︶ の形 成過 程の 観察 から それ を明 瞭か つ合 理的 に説 明で きる 資料 とい える
︒一 連の 剥離 過
臨津江の水は大社湾に通じるか ― 8 ―
程 は機 能部 であ る上 端の 鋭利 な刃 縁の 形成 と使 用に 収斂 され てお り︑ そこ にヒ トの 手が 関与 した 意図 を看 取す るこ と が でき る︒
三 石 器 包含 層 の 特定 石器
表面 に付 着し た砂 粒と 粘土 物質 の実 態を 把握 すべ く︑ 二〇 一二 年十 一月
︑岐 阜の
︵株
︶パ レオ
・ラ ボに 付着 粘 土 物質 の蛍 光X 線分 析な らび に付 着砂 粒の 鉱物 鑑定 を依 頼し た︒ その 結果
︑微 粒の 灰白 色粘 土物 質は 長石 から なる 粘 土 鉱物 で︑ 付着 砂粒 の圧 倒的 多数 が石 英︵ 約八 二%
︶︑ そ れに 長石 が次 ぎ︵ 約一 二%
︶︑ 残余 は不 明鉱 物で ある こと が 判 明し た︵ 藤根
・竹 原 二〇 一二
︶︒ 板津 発見 石器 が本 来の 包含 層を 遊離 して いた こと から
︑こ の石 器の 所属 時期 を決 める 途が 閉ざ され たか に思 われ た が
︑事 態は 意外 な展 開を 見せ るこ とに なっ た︒ 成瀬 は︑ 造成 中の 現場 にた びた び脚 を運 び︑ 地質
・地 形調 査を 重ね る中 で後 日の 証拠 とし て︑ 板津 造成 地露 頭か ら 各 層準 の土 壌試 料を 採取 し保 存し てい たの であ る︒ 石器 に付 着し た砂 粒と 粘土 鉱物 を分 析し
︑成 瀬が 採取 した 土壌 試 料 とを 比較 する こと によ って
︑本 来の 石器 包含 層準 を決 めら れる かも しれ ない から であ る︒ それ から 半年 も経 たな いう ちに
︑待 ちわ びた 結果 がも たら され た︒ 成瀬 の地 形学
・環 境変 遷史 の視 点を 交え た鉱 物 分 析は
︑板 津発 見石 器の 本来 の包 含層 準を 確定 する うえ で決 定的 な役 割を 果た すこ とと なっ た︵ 松藤
・成 瀬ほ か 二
〇 一三
︶︒ 成瀬 によ れば
︑板 津の 地層 の鉱 物組 成は 図4 に示 すと おり であ る︒ 海洋 酸素 同位 体比 ステ ージ
︵M IS
︶7 の赤 色
― 9 ― 臨津江の水は大社湾に通じるか
土 には 球状 鉄鉱 物が 多量 に含 まれ る︒ 中国 や韓 国の 古土 壌に 自 生の 酸化 鉄と 同様
︑間 氷期 の高 温多 雨気 候下 で形 成さ れた も ので あろ う︒ 大山 松江 火山 灰︵ DM P︶ から 赤褐 色土
︵ス テ ージ 5e
︶ま での 地層 には
︑自 形の 重鉱 物│ カミ ング トン 閃 石︑ 角閃 石︑ 黒雲 母が 共通 して 含ま れる
︒三 瓶木 次火 山灰
︵S K︶ より も 上 層に は 三 瓶火 山 起 源 の角 閃 石 や黒 雲 母 な ど が 多量 に含 まれ るが
︑赤 褐色 土以 上の 地層 には カミ ング トン 閃 石が 含ま れな い︒ 一方
︑旧 石器 に付 着す る砂 粒に は球 状鉄 鉱 物を はじ めカ ミン グト ン閃 石︑ 角閃 石︑ 黒雲 母を 全く 含ま な いと いう 特徴 をも つ︒ 旧石 器に 付着 する 砂粒 の鉱 物組 成に 最 も近 似す るの はス テー ジ6 のレ ス層 であ る︵ 図5
︶︒ また 旧石 器表 面に 付着 して いる 灰白 粘土 はア ルミ ニウ ムを 多 く 含 む灰 白 粘 土で あ る︒ こ の 粘土 は 長 石の 風 化 物で あ り︑ 長 石を 多く 含む レス が風 化し てで きた もの であ る可 能性 が高 い
︒灰 白粘 土は 高位 段丘 礫層 とそ の被 覆層 に含 まれ る礫 に付 着 し︑ 古砂 丘層
︵ス テー ジ5 e︶ 以上 の堆 積物 には 観察 され な い
︵図 4︶
︒重 鉱 物 組成 と 灰 白粘 土 の 分 析 か ら
︑板 津 発 見 石 器は ステ ージ 6の レス 層と 特定 され た︒
図4 板津各層準の鉱物組成と石器付着鉱物(松藤・成瀬ほか 2013)
臨津江の水は大社湾に通じるか ― 10 ―
この 地域 の古 環境 変遷 をま とめ ると
︑以 下の よ う にな る︵ 図5
︶︒ 約二 四万 年前 のス テー ジ7 eに 温暖 で海 面が 高 く な り
︑板 津 海 岸 に は 高 位 海 成 砂 礫 層 が 堆 積 し た
︒そ の後
︑や や冷 涼な ステ ージ 7d に段 丘化 し た
︒そ して ステ ージ 7a
〜c の温 暖期 に段 丘砂 礫 層 上に 厚い 赤色 土が 生成 する よう にな った
︒ 約一 八・ 六万 年前 から 一二
・八 万年 前に かけ て の 氷期 ステ ージ 6に は︑ アジ ア大 陸か ら多 量の 風 成 塵が 飛来 する よう にな り︑ レス が堆 積す るよ う に なっ た︒ そし て約 一三 万年 前に 大山 起源 の大 山 松 江火 山灰
︵D MP
︶が 降下 した
︒ 最終 間氷 期ス テー ジ5 eに なる と海 面が 高く な り
︑当 時 の 海岸 に は 古砂 丘 が 形 成さ れ
︑さ ら にこ の 時 期の 温 暖 な 気候 下 で ステ ー ジ5 eの 赤 褐 色 古 土 壌 が 生 成 さ れ た
︒約 一一 万年 前以 降
︑三 瓶 山起 源 の 三瓶 木 次 火 山灰
︵S K︶
︑ 三瓶 雲 南 火山 灰
︵S Un
︶︑ 三 瓶砂 原 火 山 灰︵ SS
︶ が 堆積 した
︒そ して 大陸 から 多量 の風 成塵
︵レ ス︶ が飛 来堆 積し
︑古 土壌 の母 材と なっ た︒ 旧石 器に 付着 する 灰白 粘土 と砂 粒鉱 物の 特徴 から
︑旧 石器 はス テー ジ6 に堆 積し たレ ス層
︵一 八・ 六〜 一二
・八 万 年 前︶ 包含 され てい たも のと 判断 した
︒な お板 津造 成地 周辺 には 高位 段丘 構成 層が 削平 され ずに 残っ てい ると ころ も
図5 板津の層序とMISステージ対比(松藤・成瀬ほか 2013)
― 11 ― 臨津江の水は大社湾に通じるか
あ り︑ 将来 の検 証が 可能 であ る︒ 四
板 津 石器 発 見 の意 義 板津
発見 の石 器は
︑砂 原遺 跡よ りも 海洋 酸素 同位 体比 ステ ージ で一 段階 遡り
︑日 本列 島の 人類 史の 上限 を更 新す る も ので ある
︒ 砂原 遺跡 が残 され た最 終間 氷期
︵M IS 5e
︶の 高海 水面 期に 海を 渡っ て人 類が 日本 列島 へ渡 来す るの は困 難で あ っ たと 考え られ る︒ それ ほど 古い 時期 に人 類が 海上 渡航 した 確か な証 拠が 世界 中で 知ら れて いな いの がそ の理 由で あ る
︒人 類が 海洋 を渡 った 間接 的な 証拠 は︑ かつ てイ ンド ネシ アの 島々 と陸 続き とな った 形跡 がな いオ ース トラ リア 大 陸 にお ける 人類 遺跡 の存 在で ある
︒そ の最 古の 年代 は五 万年 前頃 とい うの が多 くの 研究 者が 認め ると ころ であ る︒ そ の ころ まで には 人類 はな んら かの 海洋 渡航 技術 を開 発し オー スト ラリ ア大 陸に 進出 して いた と考 えら れる
︒ 更新 世の 日本 列島 へ人 類が 渡来 した 時期 は︑ 氷河 性海 水面 変動 によ って 海水 面が 降下 し大 陸と 地続 きに なっ た氷 期 で あっ たと 考え るの が自 然で ある
︒日 本列 島各 地 で化 石 と して 発 見 され る ト ウ ヨウ ゾ ウ︑ ナ ウマ ン ゾ ウ︑ シ フゾ ウ
︑ オ オツ ノジ カな どの 絶滅 した 大型 哺乳 動物 は︑ もと はと いえ ば︑ 氷期 に形 成さ れた 朝鮮
│対 馬陸 橋あ るい は東 シナ 海 の 干上 がっ た大 陸棚 を経 て渡 来し たと 考え るの が古 生物 学上 の常 識と なっ てい る︒ 哺乳 動物 が渡 来し たの に人 類だ け が そう しな かっ たと 考え るほ うが むし ろ不 自然 であ る︒ ここ 二〇 年間 の朝 鮮半 島に おけ る考 古学 調査 は︑ ゆう に一
〇〇 ヵ所 以上 の旧 石器 遺跡 を確 認し
︑最 近の 日韓 共同 研 究 によ って 五〇 万年 前ま でに は人 類が 韓国 忠清 北道 萬水 里遺 跡に 到達 して いた こと が明 らか にな った
︵松 藤 二〇
〇
臨津江の水は大社湾に通じるか ― 12 ―
八
︶︒ 対 馬海 峡の 対岸 まで 進出 した ホモ
・エ レク ト ウ ス︵ 原人
︶は
︑狭 く な った か 干 上 がっ た 対 馬海 峡 を 目の あ た り に した にち がい ない
︒ 更新 世気 候変 動の 世界 標準 とな って いる 海洋 酸素 同位 体比 編年 によ れば
︑約 一三
〇メ ート ルも 降下 した 最終 氷期 最 寒 冷期
︵約 二万 年前 にピ ーク
︶と 同じ くら いか それ 以上 海水 面が 降下 した 氷期 が中 期更 新世
︵七 八万 年前
︶以 降に 限 っ て も 七回 存 在 した こ と が うか が え る︒ 最近 の 古 生物 学 の 研 究成 果 は︑ ト ウヨ ウ ゾ ウの 渡 来 時 期の 上 限 が 六 三 万 年 前
︑ナ ウマ ンゾ ウの それ が四 三万 年前 と推 定さ れて いる
︵河 村 二〇 一一
︶︒ また 中川 和哉
・李 隆助
︵二
〇一 三︶ の研 究に よれ ば︑ 韓国 の後 期旧 石器 時代 以前 の石 器群 の圧 倒的 多数 が温 暖期 に 形 成さ れた 古土 壌層 中か ら出 土し
︑寒 冷期 に堆 積し たレ ス層 中か らの 出土 が極 端に 少な いと いう
︒注 目す べき 事実 で あ る︒ 韓国 の氷 期の 堆積 物中 には 低地 であ って もイ ンボ リュ ーシ ョン
︵周 氷河 現象 のひ とつ
︶が 観察 され るこ とも 珍 し くな く︑ 気温 がか なり 低下 した こと を窺 わせ る︒ 氷期 に遺 跡数 が激 減す る事 実に 関し て︑ 氷期 に朝 鮮半 島の 旧石 器 人 が温 暖な 地に 移動 した こと も考 えら れ︑ その 移動 先と して 日本 列島 も候 補地 の一 つに あげ られ よう
︒ 板津 で発 見さ れた 石器 は︑ 成瀬 の分 析に よれ ばス テー ジ6 のレ ス層 に対 比さ れ︑ 中期 更新 世末 の氷 期に 人類 が日 本 列 島に 存在 して いた 有力 な証 拠と なる
︒と りわ け︑ その 石材 が朝 鮮半 島で 前期 旧石 器に 使わ れた 石材 と見 た目 が類 似 し てい る点 は興 味深 い︒ とい うの は︑ 移住 先で 石器 をつ くる とき
︑故 地で 使い なれ た石 材に こよ なく 類似 した 岩石 を 探 しも とめ るの が道 理だ から であ る︒ 日本 列島 では
︑大 形石 器の 材料 とな るよ うな サイ ズの オー ソコ ーツ ァイ トは 産 出 しな いの で︑ 見た 目に ほと んど 区別 し難 い流 紋岩 を使 った とし ても なん ら不 思議 では ない
︒板 津石 器の 石材 はオ ー ソ コー ツァ イト と同 じ石 に映 った にち がい ない
︒ 板津 の石 器を 最初 に目 にし たと き︑ ざっ くり し加 工痕 と 石材 に 韓 国臨 津 江 流域 の 石 器 を髣 髴 さ せる も の が あっ た
︒
― 13 ― 臨津江の水は大社湾に通じるか
板 津の 石器 は︑ 原位 置を 遊離 した 単独 発見 資料 であ るが
︑周 辺大 陸そ れも 日本 列島 と指 呼の 間に ある 朝鮮 半島 の前 期 旧 石器 との 接点 を提 供す る貴 重な 資料 とい える
︒本 資料 の発 見は
︑同 時期 の遺 跡が 出雲 平野 周辺 の高 位段 丘堆 積物 の 中 に埋 もれ てい るこ とを 強く 示唆 する
︒ 五
議
論 砂原
遺跡 の発 掘調 査は
︑従 前の 調査 法に 大き な転 換を 迫る もの であ った
︒す なわ ち︑ 往時 の地 表面 すな わち 生活 面 の 検出
︑出 土し た石 器や 礫の 産状 計測 とい う新 たな 視点 と方 法を 導入 する こと によ って
︑遺 物が 残さ れた 当時 の堆 積 環 境と 絡め て遺 跡形 成過 程を 実証 的に 議論 する こと を可 能と した
︒こ うし た堆 積学 的デ ータ の収 集と その 解析 の延 長 上 に︑ 資料 の人 為か 自然 為か を判 断す るう えで の科 学的 な基 準を 付加 する こと がで きる よう にな った
︒旧 石器 考古 学 を 堆積 学と 連結 した この 方法 は︑ 伝統 的な 研究 法と は明 瞭な 一線 を画 する
︒ また 近年 の日 韓・ 日中 共同 研究 は朝 鮮半 島・ 中国 の前 期旧 石器 遺跡 の年 代と 実態 を解 明す るう えで 方法 論上 の大 き な 進展 を見 た︵ 松藤
二
〇〇 八・ 二〇 一 三︶
︒い わ ば 砂原 遺 跡 の調 査
・研 究 は︑ こ うし た 周 辺大 陸 に おけ る 地 質・ 考 古 調査 の延 長に 位置 づけ られ るも ので ある
︒ 砂原 およ び板 津の 調査 研究 は︑ 岩手 県金 取遺 跡︵ 八〜 六万 年前
︶の 調査 成果 を確 認す る意 義が あり
︑日 本列 島の 人 類 史 の 始源 を 金 取よ り も 四 万年 以 上 も遡 ら せ るこ と と な った
︒砂 原 遺 跡は 最 終 間氷 期 最 盛 期
︵一 一
〜一 二 万 年 前
︶︑ 板 津の 石器 はそ れよ りも 一段 階古 い氷 期︵ 海洋 酸素 同位 体比 ステ ージ 6︑ 一八
・六
〜一 二・ 八万 年前
︶に 日本 列島 に 人 類が 生存 して いた 間接 的証 拠を 提供 する こと とな った
︒
臨津江の水は大社湾に通じるか ― 14 ―
それ では
︑出 雲地 方に おけ る前 期旧 石器 の発 見は
︑日 本列 島の 旧石 器文 化の 展開 の中 でど のよ うな 意義 をも つの で あ ろう か︒ 現在
︑多 くの 研究 者が 後期 旧石 器時 代の 最古 の段 階に 位置 づけ る台 形石 器群 は︑ これ まで 全国 で五
〇〇 ヵ所 ほど の 遺 跡が 知ら れて いる
︒こ の数 字は
︑十 指に も満 たな い前 期旧 石器 時代 の遺 跡数 に較 べて
︑実 に膨 大な 遺跡 数と いわ ね ば なら ない
︒そ の存 続期 間も 考慮 しな けれ ばな らな いが
︑こ れほ ど多 数の 遺跡 が残 され た背 景に は︑ それ に先 行す る 文 化が 存在 した と考 える のが 自然 であ る︒ 台形 石器 群は 小形 の台 形石 器と 刃部 磨製 石斧 によ って 特徴 づけ られ るが
︑こ れに 類す る石 器群 は日 本列 島を とり ま く 周辺 大陸 すな わち シベ リア
︑中 国︑ 朝鮮 半島 では これ まで 発見 され てお らず
︑日 本列 島に 固有 の石 器群 とし ての 性 格 を見 せる
︒と なれ ば︑ これ らの 石器 は日 本列 島で 独自 に考 案さ れた とい う考 えに 帰結 せざ るを 得な い︒ 台形 石器 群は
︑多 くの 研究 者に よっ て後 期旧 石器 時代 初頭 に位 置づ けら れて いる が︑ それ は放 射性 炭素 年代 測定 に よ り三 万年 前を やや 超え る年 代観 と︑ ヨー ロッ パに おけ る後 期旧 石器 時代 の開 始年 代を 勘案 して 仮定 され たも のに す ぎ ない
︒し かし
︑広 大な ユー ラシ ア大 陸の 東西 両端 で生 起し た歴 史事 象を 両地 域の 生態 学的 背景 や人 類進 化プ ロセ ス の 相異 を無 視し て論 じる よう なも ので
︑比 較そ のも のが 無意 味で ある
︒そ れは また
︑第 二次 世界 大戦 後に 中国
︑韓 国 で 蓄積 され てき た旧 石器 考古 学の 成果 を無 視し た議 論で ある
︵松 藤 二〇 一〇
︶︒ ユー ラシ ア大 陸の 西半 部で は︑ 後期 旧石 器時 代は 解剖 学上 の現 代人
︵ホ モ・ サピ エン ス︶ の出 現︑ 石刃 技法 を基 調 と した 高度 な石 器製 作技 術の 拡散
︑長 距離 の石 器・ 石材 移動
︑シ ンボ リッ クな 美術
・装 身具 の出 現︑ 特殊 化し た狩 猟 戦 略の 出現 など によ って 特徴 づけ られ る︒ 東ア ジア にお ける ホモ
・サ ピエ ンス の出 現と 密接 な関 係を もつ 石刃 技法 なら びに 石刃 石器 群を もっ て後 期旧 石器 時
― 15 ― 臨津江の水は大社湾に通じるか
代 の開 始を 措定 する 立場 のわ たし は︑ 台形 石器 群を 先行 する 石器 製作 技術 の伝 統を 引い たも のと みな し︑ 後期 旧石 器 文 化か ら切 り離 すの が妥 当と 考え てい る︒ その 一方 で︑ 技術 の内 在的 な発 展つ まり 日本 列島 内で 石刃 技法 が独 自に 生 ま れた と主 張す る研 究者 もい る︒ 安斎 正人 はそ の代 表な 論客 であ る︒ しか し︑ 安斎 の立 論根 拠は 出土 層位 が不 明瞭 な 石 核や 発覚 以前 の藤 村捏 造資 料を 根拠 にし たも ので
︑立 論基 盤を 失っ てし まっ た︒ わた しが 石刃 技法
・石 刃石 器群 の出 現を もっ て後 期旧 石器 時代 の開 始を 規定 する のは
︑台 形石 器群 と石 刃石 器群 と の 間に は石 器組 成︑ 剥片 剥離 技術
︑石 器群 構造 の点 で大 きな 隔た りが 認め られ るの が根 拠と なっ てい る︒ 日本 列島 の 前 期旧 石器 時代 から 後期 旧石 器時 代へ の移 行プ ロセ スは
︑石 器製 作技 術の 面か らみ れば
︑台 形石 器群 こそ 存在 しな い が
︑中 国や 韓国 の前 期か ら後 期旧 石器 時代 への 移行 プロ セス と類 似し
︑前 期旧 石器 時代 の技 術伝 統に 外来 の石 刃技 法 が 嵌入 する 様相 を見 せる
︒移 行期 の石 器群 には 新旧 二つ の要 素が 混在 する こと もあ れば
︑新 しい 文化 要素 がほ ぼ純 粋 な かた ちで 存在 する 場合 もあ り︑ 受容 に際 して の複 雑な 様相 を見 せる
︒こ うし た状 況は 南関 東の 立川 ロー ム基 底部 か ら 出土 する 石器 群に も看 取さ れる
︒ か つて 芹 沢 が注 目 し 中期 旧 石 器 時代 の 指 標と さ れ た ルヴ ァ ロ ワ技 法 は︑ シ ベリ ア や モ ンゴ ル 高 原ま で は 伝 播 し た が
︑中 国・ 朝鮮 半島
・日 本列 島に は波 及し てい ない 事実 が明 らか とな った
︒ヨ ーロ ッパ でネ アン デル ター ル人 が活 動 し てい た時 期の 東ア ジア では
︑北 京原 人が 残し た石 器と ほと んど 変わ り映 えの しな い小 形石 器を 長期 間に わた って つ く りつ づけ た︒ これ らは
︑従 来﹁ 小形 剥片 石器 文化
﹂︑
﹁ 小形 削器
・尖 頭器 石器 群﹂ など とよ ばれ てい たも ので ある
︒ 最近
︑竹 花和 晴ら
︵二
〇一 三a
・b
︶は 日韓
・日 中共 同研 究の 一環 とし て︑ ヨー ロッ パの 中期 旧石 器時 代に 並行 す る 時期 の韓 国忠 清北 道萬 水里 遺跡
︑中 国河 北省 侯家 窰遺 跡出 土の 石器 群を 対象 にフ ラン ス先 史学 が創 出し た石 器型 式 学 にも とづ いて 厳密 な分 類・ 統計 処理 をお こな い︑ とき に大 形石 器を とも ない なが らも 小形 の鋸 歯縁 石器
︑嘴 状石 器
臨津江の水は大社湾に通じるか ― 16 ―
︵ベ ック
︶が 主要 な道 具と なっ てい る事 実を 明ら かに した
︒こ れ は ヨー ロ ッ パと 同 じ 分 類基 準 で 東ア ジ ア の石 器 群 を 分 析し た画 期的 な研 究と いえ る︒ これ らの 石器 群は
︑奇 しく も西 欧の 鋸歯 縁石 器ム ステ リア ンに 類似 する もの であ っ た
︒ま た麻 柄一 志ら
︵二
〇一 三︶ は︑ 中国 各地 の資 料を 広く 渉猟
・再 検討 し︑ こう した 石器 群を
﹁侯 家窰 型鋸 歯縁 石 器 群﹂ とよ ぶこ とを 提唱 した
︒そ の萌 芽は 前期 更新 世初 頭の 馬圏 溝遺 跡ま でさ かの ぼっ て確 認で きる とい う︒ 生態 学 的 背景 や使 用石 材の 違い を超 えて
︑韓 国・ 中国 北部 の文 化的 様相 が類 似す る点 は注 目さ れる
︒ 近年 の研 究に よれ ば︑ 武蔵 野台 地立 川ロ ーム
%
層・相 模野 台地 立川 ロー ムB 5層 は三
・五
〜四 万年 前に 年代 づけ ら れ てい る︵ 町田
二
〇〇 三︶
︒ また 工藤 雄一 郎︵ 二〇 一
〇︶ は 中部 地 方〜 関 東地 方 に お ける 放 射 性炭 素 年 代測 定 例 か ら
︑較 正年 代で 三・ 七〜 三・ 八万 年前 頃ま で遡 る可 能性 を指 摘す る︒ これ らの 年代 観に よれ ば︑ 立川 ロー ム基 底部 は 海 洋酸 素同 位体 比ス テー ジ3 の温 暖期 にあ たり
︑立 川礫 層は ステ ージ 4の 寒冷 期に 形成 され たこ とに なろ うか
︒ 武蔵 野台 地の 中山 谷遺 跡
%
層︵ 小田・キ ダー
一 九七 五︶
︑ 西之 台B 地点
%
層︵小 田ほ か 一九 八〇
︶︑ 鈴木 遺跡 御 幸 地点 第
$
文化 層︵ 戸田一 九 八 二︶
︑相 模 野 台地 の 吉 岡 遺跡 群 D区 B5 層︵ 白石
一 九 九 九︶ など 立 川 ロー ム 基 底 部 から 出土 する 石器 群の なか には
︑チ ャー トを 用い た嘴 状石 器︵ 錐状 石器
︶な どの 小形 剥片 石器 を主 体に わず かに 礫 器 をと もな う石 器群 が知 られ てい る︵ 諏 訪間
二
〇
〇 三︑ 松藤
二
〇
〇 四︶
︒石 刃 技 法 やナ イ フ 形石 器 は まだ 出 現 し て いな い︒ これ らは 台形 石器
・刃 部磨 製石 斧が 本格 的に 普及 する 直前 の状 況を 反映 した もの とみ なさ れる
︒ これ らの 石器 群よ り古 く年 代づ けら れる 石器 群に
︑出 土地 層の 年代 が確 実に 判明 する もの とし て野 尻湖 立が 鼻遺 跡 の 野 尻 湖 文 化
︵渡 辺 二
〇
〇 六︶
︑金 取
#
・
$
文 化︵菊 池 編 一 九 八 六︶
︑砂 原
!
・
"
文 化︵ 松 藤・ 上 峯 編 二
〇 一 三
︶が ある
︒野 尻湖 文化
︑砂 原
!
・
"
文化 は小 形剥 片石 器文 化と して の性 格が 濃厚 であ る︒ 一方
︑金 取
#
文化 は小 形 剥 片石 器に 大形 のハ ンド アッ クス 状石 器や 円盤 形石 核を とも なっ てお り︑ ハン ドア ック ス状 石器 を刃 部磨 製石 斧の 祖― 17 ― 臨津江の水は大社湾に通じるか
型 とす れば
︑刃 部磨 製石 斧を とも なう 台形 石器 群の 系譜 は金 取
#
文化 のス テー ジ4 まで 辿る 可能 性が ある︵須 藤 二
〇
〇六
︶︒ こ れら は海 洋酸 素同 位体 比ス テー ジ5 eか ら ス テー ジ 4に か けて 残 さ れ たも の で︑ 一 部に 大 形 石器 を 伴 出 す るも のの 小形 剥片 石器 が主 体的 な道 具と なっ てい る︒ こう した 様相 は︑ 韓国
・中 国で ステ ージ 5〜 4の 基準 資料 と な る萬 水里
︑侯 家窰 両遺 跡の 石器 群の 性格 に通 じる 面が ある
︒ ステ ージ 4の 氷期 は︑ 七・ 一万 年前 から 五・ 七万 年前 と見 積も られ
︑北 上山 地で 周氷 河現 象の イン ボル ーシ ョン が 発 達し た時 期で もあ る︒ 金取 第
#
文化 層が この 時期 にあ たる︒海 洋酸 素同 位体 比編 年で は︑ 最終 氷期 最寒 冷期 に近 い 寒 冷化 も推 定さ れる が︑ 朝鮮 半島 との 間に 陸橋 が形 成さ れた のか につ いて は︑ この 時期 に中 国・ 朝鮮 半島 方面 から 渡 来 した 動物 種が 確認 され てお らず
︑陸 橋の 存在 を示 す古 生物 学的 な証 拠を 欠く
︒ 朝鮮 半島 の遺 跡で 普遍 的に 認め られ る石 球あ るい は球 状石 器な どの 特徴 的な 大形 石器 が日 本列 島の ステ ージ 5段 階 の 石器 群に 欠如 する のは
︑ス テー ジ5 eの 高海 水面 期に 大陸 との 接続 が絶 たれ
︑石 器製 作の 面で 日本 列島 の自 然環 境 へ の適 応が 進ん だこ とを 示唆 する のか もし れな い︒ 金取
#
文 化に はハ ンド アッ クス とみ られ る石 器を とも なう が︑ 他 の 遺跡 では 見つ かっ てい ない︒砂 原︑ 野尻 湖立 が鼻
︑金 取遺 跡な どで ロー カル な石 材が 多用 され るの も自 然環 境へ の 文 化的 適応 の一 環か とも 考え られ る︒ 六
結
語 砂原
!
・"
文 化よ りも 一段 階古 い板 津発 見の 石器 は︑ 単独 発見 のた め石 器群 全体 の様 相を 詳ら かに でき ない が︑ 使 用 石材
︑ダ イナ ミッ クな 加工
︑大 形で 粗雑 な石 器形 態は 朝鮮 半島 の前 期旧 石器 の系 譜を 引く もの とみ なさ れる
︒板 津
臨津江の水は大社湾に通じるか ― 18 ―
の 石器 がも とも と包 含さ れて いた ステ ージ 6の 氷期 に日 本列 島と 朝鮮 半島 が陸 続き にな って いた ので あれ ば︑ その 理 由 も説 明が 可能 であ る︒ ステ ージ 5以 降︑ 朝鮮 半島 との 地理 的接 続を 断っ た日 本列 島で は︑ 地域 的な 小変 異を 見せ なが ら石 器文 化は 独自 な 進 化を 遂げ た︒ その 内在 的進 化の 到達 点が ステ ージ 3後 半の 刃部 磨製 石斧 をと もな う台 形石 器群 であ った
︒そ れと ほ ぼ 同時 か遅 れて 朝鮮 半島 を経 て高 度な 石器 製作 シス テム とし ての 石刃 技法 が突 如と して 日本 列島 に伝 播し た︒ その 新 来 の技 術革 新を もた らし たの は現 代型 新人 すな わち ホモ
・サ ピエ ンス であ った にち がい ない
︒ これ はわ たし が現 在い だく 前期 旧石 器時 代か ら後 期旧 石器 時代 への 移行 の大 胆な 作業 仮説 であ る︒ 資料 不足 の感 は 否 めな いが
︑日 本の 前期 旧石 器研 究は 発掘 捏造 事件 を乗 りこ え一 つの 転換 点を 迎え よう とし てい る︒ 固定 観念 にと ら わ れず 学問 とし ての 科学 性を 担保 しつ つ︑ 周辺 大陸 の研 究動 向を 踏ま えな がら 前期 旧石 器の 実証 的な 研究 がさ らに 進 展 する こと を切 望す るも ので ある
︒ 引
用 文 献 岩 田 修 一 二
〇 一 二
﹃ 板 津
︒ 採 集 石 器 類 似 岩 石 及 び 臨 津 江 採 集 オ ー ソ コ ー ツ ァ イ ト の 岩 石 鑑 定
﹄ 旭 地 研
︑ 一
│ 一 六 頁
︒ 小 田 静 夫 編 一 九 八
〇
﹁ 小 金 井 市 西 之 台 遺 跡 B 地 点
﹂﹃ 東 京 都 埋 蔵 文 化 財 調 査 報 告 書 七
﹄ 東 京 都 教 育 委 員 会
︒ 河 村 善 也 二
〇 一 一
﹁ 更 新 世 の 日 本 へ の 哺 乳 類 の 渡 来
│ 陸 橋
・ 氷 橋 の 形 成 と 渡 来
︑ そ し て 絶 滅
│
﹂﹃ 旧 石 器 考 古 学
﹄ 七 五
︑ 三
│ 九 頁
︒ 菊 池 強 一 編 一 九 八 六
﹃ 金 取 遺 跡
﹄ 宮 守 村 教 育 委 員 会
︒ 工 藤 雄 一 郎 二
〇 一
〇
﹁ 旧 石 器 時 代 研 究 に お け る 年 代
・ 古 環 境 論
﹂﹃ 講 座 日 本 の 考 古 学 1 旧 石 器 時 代
﹄ 下
︑ 青 木 書 店
︑ 一 二 四
│ 一 五 五 頁
︒ 白 石 浩 之 一 九 九 九
﹁ 相 模 野 最 古 の 石 器 文 化
﹃ 吉 岡 遺 跡 群! 考 察 編: 自 然 科 学 分 析 編
﹄﹂ か な が わ 考 古 学 財 団
︑ 一
│ 六 頁
︒
― 19 ― 臨津江の水は大社湾に通じるか
須 藤 隆 司 二
〇
〇 六
﹁ 石 斧 の 歴 史 的 見 方
﹂﹃ 第 一 八 回 長 野 県 旧 石 器 文 化 研 究 交 流 会 シ ン ポ ジ ウ ム
﹁ 後 期 旧 石 器 時 代 以 前 の 遺 跡
・ 石 器 群 を め ぐ る 諸 問 題
﹂﹄
︑ 三 八
│ 四 一 頁
︒ 諏 訪 間 順 二
〇
〇 三
﹁ 南 関 東 に お け る 立 川 ロ ー ム 層 基 底 部 の 石 器 群
﹂﹃ 後 期 旧 石 器 時 代 の は じ ま り を 探 る
﹄ 日 本 旧 石 器 学 会 第 一 回 シ ン ポ ジ ウ ム 予 稿 集
︑ 四 二
│ 五 二 頁
︒ 竹 花 和 晴
・ 謝 飛
・ 松 藤 和 人
・ 劉 連 強
・ 王 法 崗 二
〇 一 三 a
﹁ 中 国 に お け る 侯 家 窰
・ 西 白 馬 営 遺 跡 石 器 群 の 技 術
・ 類 型 学 的 観 察
﹂
﹃ 東 北 ア ジ ア に お け る 古 環 境 変 動 と 旧 石 器 編 年 に 関 す る 基 礎 的 研 究
﹄ 平 成 二 一
〜 二 四 年 度 科 研 費 補 助 金 基 盤 研 究
︵ A
︶ 研 究 成 果 報 告 書
︑ 一
〇 一
│ 一 一 三 頁
︒ 竹 花 和 晴
・ 禹 鐘 允
・ 李 承 源
・ 面 将 道 二
〇 一 三 b
﹁韓 国 萬 水 里 遺 跡 に お け る 石 器 群 の 技 術
・ 類 型 学 的 考 察
﹂﹃ 東 北 ア ジ ア に お け る 古 環 境 変 動 と 旧 石 器 編 年 に 関 す る 基 礎 的 研 究
﹄ 平 成 二 一
〜 二 四 年 度 科 研 費 補 助 金 基 盤 研 究
︵ A
︶ 研 究 成 果 報 告 書
︑ 一 六 七
│ 一 七 八
︒ 中 川 和 哉
・ 李 隆 助 二
〇 一 三
﹁ 萬 水 里 遺 跡 出 土 石 器 群 の 位 置 付 け と そ の 評 価
﹂﹃ 東 北 ア ジ ア に お け る 古 環 境 変 動 と 旧 石 器 編 年 に 関 す る 基 礎 的 研 究
﹄ 平 成 二 一
〜 二 四 年 度 科 研 費 補 助 金 基 盤 研 究
︵ A
︶ 研 究 成 果 報 告 書
︑ 一 七 九
│ 一 八 九 頁
︒ 藤 根 久
・ 竹 原 弘 展 二
〇 一 二
﹃ 石 器 付 着 物 の 分 析 報 告 書
﹄ 株 式 会 社 パ レ オ
・ ラ ボ
︑ 一
│ 三 頁
︒ 麻 柄 一 志
・ 謝 飛
・ 劉 連 強
・ 久 保 弘 幸
・ 長 井 謙 治
・ 長 屋 幸 二
・ 上 峯 篤 史
・ 面 将 道 二
〇 一 三
﹁ 中 国 に お け る 侯 家 窰 遺 跡 出 土 石 器 群 の 評 価 に つ い て
﹂﹃ 東 北 ア ジ ア に お け る 古 環 境 変 動 と 旧 石 器 編 年 に 関 す る 基 礎 的 研 究
﹄ 平 成 二 一
〜 二 四 年 度 科 研 費 補 助 金 基 盤 研 究
︵ A
︶ 研 究 成 果 報 告 書
︑ 一 一 五
│ 一 三 二 頁
︒ 町 田 洋 二
〇
〇 三
﹁ 後 期 旧 石 器 編 年 問 題 に 関 し て 武 蔵 野
・ 立 川 ロ ー ム 層 を み な お す
﹂﹃ 後 期 旧 石 器 時 代 の は じ ま り を さ ぐ る
﹄ 日 本 旧 石 器 学 会 第 一 回 シ ン ポ ジ ウ ム 予 稿 集
︑ 四
〇
│ 四 一 頁
︒ 松 藤 和 人 二
〇
〇 四
﹃ 日 本 列 島 に お け る 後 期 旧 石 器 文 化 の 始 源 に 関 す る 基 礎 的 研 究
﹄ 平 成 十 二
〜 十 五 年 度 科 研 費 基 盤 研 究
︵ C
︶ 研 究 成 果 報 告 書
︒ 松 藤 和 人 二
〇
〇 八
﹃ 東 北 ア ジ ア に お け る 旧 石 器 編 年
・ 古 環 境 変 遷 に 関 す る 基 礎 的 研 究
﹄ 平 成 十 六
〜 十 九 年 度 科 研 費 補 助 金 基 盤 研 究
︵ A
︶ 研 究 成 果 報 告 書
︒ 松 藤 和 人 二
〇 一
〇
﹃ 日 本 と 東 ア ジ ア の 旧 石 器 考 古 学
﹄ 雄 山 閣
︒ 松 藤 和 人 二
〇 一 三
﹃ 東 北 ア ジ ア に お け る 古 環 境 変 動 と 旧 石 器 編 年 に 関 す る 基 礎 的 研 究
﹄ 平 成 二 一
〜 二 四 年 度 科 研 費 補 助 金 基
臨津江の水は大社湾に通じるか ― 20 ―
盤 研 究
︵ A
︶ 研 究 成 果 報 告 書
︒ 松 藤 和 人
・ 上 峯 篤 史 編 二
〇 一 三
﹃ 砂 原 旧 石 器 遺 跡 の 研 究
﹄ 砂 原 遺 跡 学 術 発 掘 調 査 団
︒ 松 藤 和 人
・ 成 瀬 敏 郎
・ 菊 池 強 一
・ 渡 辺 満 久
・ 菊 池 強 一
・ 上 峯 篤 史
・ 山 内 靖 喜
・ 武 島 正 幸
・ 面 将 道 二
〇 一 三
﹁ 島 根 県 出 雲 市 板 津 発 見 の 前 期 旧 石 器
﹂﹃ 旧 石 器 考 古 学
﹄ 七 八
︑ 一
│ 一 二 頁
︒ 渡 辺 哲 也 二
〇
〇 六
﹁ 野 尻 湖 立 が 鼻 遺 跡 の 調 査 と 遺 物
﹂﹃ 第 一 八 回 長 野 県 旧 石 器 文 化 研 究 交 流 会 シ ン ポ ジ ウ ム
﹁ 後 期 旧 石 器 時 代 以 前 の 遺 跡
・ 石 器 群 を め ぐ る 諸 問 題
﹂﹄
︑ 一
│ 七 頁
︒
― 21 ― 臨津江の水は大社湾に通じるか