エ リクソ ンにお ける女性性 とジェ ンダー (1)
‑ 「ケア c a r e 」 概念 をめ ぐる議論の予備的考察 として ‑
須川 公央
は じめ に
1975年の 『タイム』誌 (1975年3月17日号 ) に掲載 されたある一編の記事 を紹介す ることか ら始 め た い 。 そ の 名 も 「エ リ ク ソ ン再 考 EriksonRevisited」 と題 された記事 は,1970年 代 当時,アカデ ミズム内部 において徐 々に高 ま りつつあ ったエ リクソンの著作 に対す る批判 を 受 けて,次の ような論評 を寄せている。
「ここ数年 ,エ リクソンは高 ま りつつある批 判の ターゲ ッ トになっている。学生たちは,エ リクソンの語 りの暖昧 さや捉 えどころのなさに 不平 を述べ ている。 フェ ミニス トは,彼が解剖 学 は運命であ り,女性 は女性以外 の者 になるこ とは出来 ない と主張 した1963年の論文 「女性 と 内的空 間」 を公然 と非難 している」。 さらに記 事 は続 けて,エ リクソンを 「現存す る精神分析 家の中でおそ らく最 も影響力のある人物」 と評 しつつ も,彼 は 「まちがいな くフロイ トの伝統 が生 んだ最 も楽天的な思想家である」 と,その 評価 はきわめて手厳 しい [Tm征,1975:48]。
事実,1970年代以降,エ リクソンの理論 は当 時の時代状況 に対 してオプテ ィミステ ィックか つ実証性 に乏 しい議論 として, さまざまな批判 にさらされる ようになっていた。それは,彼 の ライフサ イクル論 は もとよ りサ イコヒス トリー の手法, さらには独 自の用語法 にいたるまで多 岐 にわたっている。 なかで も,1970年代 におけ るエ リクソン批判の最大の論点は,彼 の女性論 に関す る ものであった。エ リクソンは1964年 に
『デ イダラス』誌 上 に
,
「内的空 間 と外 的空 間ⅠnnerandOuterSpace‑ 女性性 についての考 察」 とい う,女性性 について初めて包括 的 に論 じた一本 の論文 を発表 す る (これ は後 に
,
「女 性 と内的空 間WomanhoodandtheInnerSpace」と改題 されて 『アイデ ンテ ィテ ィ ‑ 青年 と 危機』(1968)に収載 される)。本論文 において 彼 は,基本的 にフロイ トの理論 を踏襲 しなが ら ち,男女の性差 に関 して独 自の生物学的決定論 とも受 け取 れ る ような議論 を展 開 してい るが, それが後 に,一部の フェ ミニス トたちに よる仮 借 ない批判 を招 く結果 となったのである。先の
『タイム』誌 に掲載 された記事 は,当時の論争 におけるエ リクソンの議論 を要約 して,以下 の ように説明,批判 している。
エ リクソ ンの1963年 の論 文 1)にお ける説 明 は,全 くもって明快で はない。彼 は,生物学 は 運命であ るといった ようなことを述べ ているか の ように思われる。彼 は思春期 の子供 の遊 びに 関す る臨床観察 を再度取 り上 げて,男 の子が高 い塔 を造 るの に対 して,女の子 は多 くの人間 を 囲 った低 い壁 を築 くとい う事 実 を観 察 してい る。 これは女性が 「内的空間 innerspace」 と養 育 に関す る深 い感覚 を有 している とい うことを 示す ものであ り,部分 的 にそれは解剖学的な身 体構造 に由来す る ものである とされる。少 な く
とも彼 はそ う考 えているのである。
[ibid.48]
神奈川大学心理 ・教育研究論集 第 27号 (2008年3月31日)
記事 同様 ,多 くの フェ ミニス トたちに とって ち,エ リクソンの女性論 は,男女 の性差 を 「解 剖学的宿命」 と見 な したフロイ トのそれ と何 ら 変 わ らない もの と して受容 された ようであ る。
た とえば
,J
・グ リアは,世界 的ベス トセ ラー に もな った著書 『去勢 された女』(1970)にお いて,
「エ リクソンは,女 の肉体構造 の なか に 特定 のスペ ースがあ る ‑ い うなれば,頭 に 空洞が ある 一一 とい うとてつ もない説 を打 ち 立 てて,子供 を育 てねばな らない とい う女の使 命感 はその中で養われるのだ と言 った」 [Greer, 1970=1976:120]と批判す るが,実 にこうした批 判者の多 くは,彼 の理論が フロイ ト同様 ,旧態 依然 と して生物学的な還元主義 にとらわれてお り,現実社会における男女 間の不平等 を容認す る ものだ と して数多 くの辛妹 なコメ ン トを寄せ たのであった。確 か に,エ リクソンの論文 を一読す る限 りで は,彼 が男女の性差 を強調するべ く,女性 の本 質 を身体 の解剖学的な差異か ら基礎づ け ようと
している とい う印象 はぬ ぐい きれない。それが 結果 と して,女性 の地位 の現状維持 を是認 し, ひいては現行 の家父長制 を容認す ることにつ な が るとフェ ミニス トたちが危倶す るのは もっ と もなこ とである。 しか しなが ら, こうした批判 の多 くは,エ リクソンの議論 をフロイ トの女性 論 と同列 に しか扱 わない ことによって,彼 が本 来意図 している ところを捉 え損 なっている とい うこともまた事実 なのである。
そ こで本稿では,当時の議論 を振 り返 りつつ, あ らためてエ リクソンの女性論 を再検討 してみ ることに したい。仮 にその理論が生物学的な還 元主義 に彩 られていた として も,そ こには何 か しらフロイ トの洞察 を越 えるものがあるに違い ない。エ リクソンは, フロイ トの何 を超 克 し, そ して継承 したのか。 まず は, この点 を明 らか にす ることによって,エ リクソン理論 の独 自性 を別挟す ること, これが本論文の最初の課題 で ある。続 いて,女性の性 アイデ ンテ ィテ ィを規 定す る とされる二つの要 因 一一 生物学 的要因
と文化 的社会的要因 一一 の対応 関係 を読 み解 くことで,エ リクソンの議論 に見 られる本質主 義的な傾 向 とその理論 的陥舞 を明 らか にす るこ とに したい。その うえで本稿 は, さ しあた り以 上の観点か らエ リクソンの女性論 を概括す るこ とで,近年,教育学 (と りわけ女性 の道徳性発 達の問題 と関連 して)や倫理学 を始 め とす る諸 分 野 におい て盛 ん に議 論 されつ つ あ る 「ケ ア care」 と女性性 をめ ぐる問題 に取 り組 むための 理論 的端緒 を掴 んでお くこ とを目的 とす る もの である。
Ⅰ.エ リクソンにお ける女性性 と内的空間 1.内的空間 JnnerSpaceとタ川勺空間 Outer
Space
以下では まず,エ リクソンの女性論 を概観す る こ と に し よ う。 論 文 「女 性 と内 的 空 間」
(1968)の 冒頭 部分 にお い て,エ リク ソンは, 現実化 しつつある核 の脅威 ,無制限 な科学技術 の進展 , さらには男性 による社会の寡頭支配 な ど,既存の男性 中心 的な社会のあ り方 を根本 か ら問い直すべ く,新 しい時代 とい うものが,女 性 の積極 的 な社会参画 な くしては切 り開けない として,以下の ように述べ る ところか ら議論 を 開始 している。
核時代 の特殊 な危 険のゆえに,男性 の リーダ ーシ ップの適応力 は,明 らかに限界 に来ている。
支配的 な男性 的 アイデ ンテ ィテ ィは
,
「有用性の原理」 に もとづいてお り,それが建設 に役立 つのか破壊 に役立つのか とい うことには無関係 なのである。・‑・・もしも,女性が,発展や歴史 の過程 でいつ も私的 に行 って きた こと (家事 の 現実,養育の責任 ,安寧維持 のための機知,柄 人看護 とい う献 身的行為) を公 的に表現 しよう とい う決意 を しさえすれば,女性 は,おそ らく, 広義 の政治 にたい して倫理 的に抑制的 な力 を付 与 しうるであろ う。 なぜ な ら,そ うい う女性の 行為 は超国家的な ものだか らである。
[Erikson,1968=1973:370]
こうした当時の時代状況 に対す る危機意識か ら,エ リクソンは新 しい時代 のあ り方 を提言す るにあたって, まず は 「新 しい人間像の もとに 男 女 両 性 の ア イデ ンテ ィテ ィを再 定 義 す る」
[ibid.369]必要性 を説 くが,彼が議論 の中核 に 据 えるのは,主 として女性 のアイデ ンテ ィテ ィ に関す る もの で あ る。 エ リク ソ ンに よれ ば,
「今 日において,女性 の位 置 は,男性 イメージ が最高の ものである とす る中にあって,漠然 と ぼか されて」 お り,それゆえ 「女性が人類 の進 化 にユニー クに参加 し得 るためには,世 に貢献 しうる独 自性 を同等 に もち,戦い抜 いて勝 ち と るべ き権利 を行使 す る」必要がある [Erikson, 1964=1971:242
] 。
それは単 に,男性社会 にあって,男性 と同等 の権利主体 として女性 の男性化 を推 し進 める と い うよ りはむ しろ,女性 の独 自性,す なわち従 来 よ り女性 に特有 な資質 と見 な されて きた もの 一一 例 えば,出産 ・育児 ・家事労働 な ど 一一 を男性原理 に匹敵す るほ どにまで高めて,それ を公 的な場 において打 ち出 してい くとい うこと を意味 している。
そ うした観点か ら, ひとたび女性 のアイデ ン テ ィテ ィを論 じるにあたって,エ リクソンは女 性の身体 的特徴 か ら説 き起 こ して,それ を女性 に固有の原理 として打 ち立て ようと試み るので ある。
ここでエ リクソンは,11歳か ら13歳 までの少 年少女 を対象に した遊 びに関す る自身の研究報 告2)について言及す る。エ リクソンの初期 の研 究の一つであるその論文 は,両性の解剖学的な 特徴が,遊 びのなかに どの ように反映 されるの かについて観察,報告 した ものであ るが,そこ で彼 は,被験者 に机上 のお もちゃを使 って物語 の場面 をつ くる とい う課題 を与 えた結果,男女 に お い て は , お も ち ゃ の 空 間 的 な 配 置 configurationに違 いが見 られ る と して,それ を 以下の ように説明 している。
まず,観察 された少女の典型的な遊 びの場面
エ リクソンにおける女性性 とジェンダー (1)
は,主 に家屋 の室 内であ り,壁 の ない ものか, あ って もーつの積み木でで きた低 い ものであ っ た。 これ ら家屋 の室 内 は,「壁 で仕切 られてい ようとい まい と,たいていはことさらに平和的」
であ り,多 くの場合
,
「動物 や危 険 な男性 が室 内に侵入」 しようとしていた。反対 に,少年が つ くった典型 的 な場面 は,「精巧 な壁 で仕切 ら れた家屋 か, もしくは,突起 したハザー ドのつ いてい る家屋」 であ り,
「人 間や動物 は垣根 や 建 物 の外 部」 にい る こ とが 多 か っ た。 また,「精巧 な 自動車事故 もあ り,警官 に よる交通整 理」 も見 られた。 これ らの観察 を総合す るに,
「男性 的空 間は,高 さや瓦解 ,急速 な動 きや交 通整理 とい うもの によって支配 されてお り,女 性 的空 間は,開いた ままもしくは簡単 な垣根 を つけただけの,平和 的で,す ぐにで も侵入 され やすいつ くりの静態的 な室内によって支配 され ていた」 と言 うのであ る [Erikson,1968=1973:
382
] 。
こ う した観察結果 を受 けて,エ リクソ ンは, 男女の遊 びにみ られる空 間構成の違 い を,男女 両性の身体構造 (機能)の現れである と結論づ ける。 「少女 は内的空 間innerspaceを強調 し, 少年 は外的空間Outerspaceを強調」す るが,そ れは直接 に 「肉体構造 における男性原理 と女性 原理 に対応」 しているのだ [ibid.381f.]。
あそびの空間 を組織化す る際 に見 られる男女 の性差 は,生殖 的分化の形態学その もの と平行 しているように思 われ る。す なわち,男性 にお いては,本質的に勃起的で侵入的な外部器官が, 流動 的な精液細胞 の水路づけ を行 う。女性 にお いては,玄関の通路 の ような内部器官が,静的 に (妊娠 を)待 ち望 んでいる卵子 を生み出すの である。
[ibid.383]
この ように,エ リクソンは男女の遊 びの場面 に見 られ る空 間様 態spatialmodalitiesの違 い を,それぞれ外 的空 間 と内的空 間 として概念化
神奈川大学心理 ・教育研 究論集 第27号 (2008年3月31日)
し,それ をアナロジカルに男性器 と女性器の機 能的 ・構造 的な違 い ‑ エ リクソンは これ を 器官様式organ modesと呼ぶ ‑ と結 びつけ て説 明す るが,彼 によれば,男女の心理的な特 徴 もまた,性器の構造 的な機能性 とい う観点か ら演緯 される。女性の心理 に限 って言 えば,そ れは子宮が男性 の精子 を受容 して子 どもを産み 育 む ように
,
「積極 的 に包容 し,受容 し,保有 し,かつ死守 し,抑制す る能力」 を有す る と言 うのである [ibid.402f.] 。エ リクソンの 「心理性的段 階論psychosexual stages」 は, まさにそ うした身体 の器官様式 と 心理的発達の ダイナ ミズム を描 き出 した もので あるけれ ども,それが フロイ トの リビ ドー発達 論 に多 くを負 っている とい うことは,論 を待 た ないであろ う。そこで以下では,男女両性の定 義 に関す る フロイ ト理論 との異 同 を見 る こ と で,エ リクソンの議論 の独 自性 を明 らか に して い くことに しよう。
2.女性の生物学的本質への着眼 とその称揚
‑ フロイ トを超 えて
男女両性 の定義 をめ ぐるエ リクソンとフロイ トの違いは, フロイ トが主 として性器期 の子 ど もを対象 と していたの に対 し,エ リクソンは, それ以降の子 どもをも直接観察の対象 に してい た とい う点 に発 しているが,実 はその点 こそ, 両者の女性性 に関す る見解 を分かつ分水嶺 とも なっている。
フロイ トが女性 の心理的特徴 を,男根 の欠如 とい う観点か ら基礎づ けたことは よ く知 られて いる。 フロイ トによれば,男児 は,欲望 の象徴 である男根 を母親 に向けることで近親相姦的願 望 を達成 しようと試み るが,それは直 ちに父親 か らの去勢 の脅 か しに よって断念 させ られ る。
エデ ィプス ・コンプ レックス と呼 ばれるこの一 連の心理的プロセスは,男児が父親か らの去勢 威嚇 を超 自我 として内在化す ることで一旦 の収 束 を迎 えることになる。
翻 って,男根 を所有 しない女児 は,そ もそ も
の始めか ら,すで に去勢 された存在 として誕生 して くる。 したが って,父親か らの去勢の脅か しを受 けることがないため,エデ ィプス ・コン プ レックスの継承者である 「超 自我 も,われわ れが男性 に要求す るほ どには決 して峻厳 な もの で も,非個性 的な もので もな く,その情動的起 源 か ら独立 した もので はない」 [Freud,1925=
1969:169f.]0
か くして,両性 の心理的な発達 を発生論 的 に 跡付 ければ
,
「男性性 は,主体 ,能動性 ,男根 の所有 とい う要因 を総括 した ものであ り,女性 性 は,客体 と受動性 とい う要因を継承す るもの」
[Freud,1923=1984:101] とされ ることになる。
フロイ トによれば,男女の発達 を規定す るのは,
「唯一 の性器 ,す なわち男性性器 だけが役割 を 演 じているのであって,性器優位 ではな く,男 根優位」[ibid.99] なのだ。
こうしたフロイ トの理解 に対 して,エ リクソ ンは 「ここ (青年期 か ら成熟期への移行の段階) において,人生初期 に発達 して きた性 的差異や 性向は,最終的 に分極化す る」 [Erikson,1968=
1973:375] とした うえで,男根 の優位 ではな く, 性器の優位性 を主張す る。
「女性 の精神分析 に関す る独創 的 な結論 の大 半 は, いわゆ る生殖 的心理 的外傷 に,つ ま り, 少女が 自分 は男根 を持 ってい ない し, また持つ
こともない とい うことを突然 さとる とい う事実 に大 きく依存」 [ibid.388] しているが
,
「適応的観点か らすれば,観察や感情移入 とい うものは, 急性 的 も し くは一 時 的 な障害 の時期 を除い て は,そ こに存在 しない もの に対 して排他 的に焦 点 を合 わせ た りは」 しない。 「極端 に都 会的 な 状況 におかれていない限 り,女子 は内的 ・肉体 的空 間 一一 危 険で しか も生産的な潜在 的可能 性 を秘 めた空 間 一一 が,年長 の少女 や婦 人や 雌の動物 のなか には存在 しているのだ とい うこ とに気づ くのである」[ibid.377] 。 ヽヽヽヽ
この ように,エ リクソンは,女性 を男根 の非 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
所有者か ら女性器 の所有者 と して新 たに定義 し なおす ことで,男根 の有無 とい う価値基準 によ
って規定 されていた女性の地位 を改変 しようと 試み る。それによって, 自ず と女性 の本質 を説 明す る際の理論 的な力点 も,以下の ように移行 させ ることが可能である と言 うのである。す な わち,
外部器官の喪失か ら活力的 な内的潜在能力‑
と,母親 にたいする憎悪 に満 ちた軽蔑か ら女性 としての母親や他の女性 との連帯へ と,男性 的 活動 を 「受動 的 に」放棄 す る こ とか ら,卵巣 , 子宮,臆の所有 と調和 した活動 を目的的に追求 す ることへ と,そ して,苦痛 に対す る被虐的喜 びか ら,苦痛 を人間的体験や女性の役割の有意 義 な一側面 と して堪 え忍ぶ (そ して理解す る) 能力へ と。
[ibid.388f.]
女性 の定義 をめ ぐるエ リクソンの こう した理 論転 回は,従来 よ り精神分析学 によって規定 さ れて きた男女の非対称 的な関係性 を大 きく覆す 可能性 を有 している と言 えるだろ う。 フロイ ト によれば,女性 は男根 の有無 とい う男性 中心 的 な尺度 によって規定 される存在であ ったが,そ れは,"男根 を有す る者" ‑ "男性 " を両性 間 の基準 とす るこ とによって,女性 はその基準 と の差異化 によって しか定義 されない とい うこと を意味 している。
か つ て , ボ ー ヴ オ ワ ‑ ル は 『第 二 の 性 』 (1949)の序文 において,「男女両性 の関係 は二 つの電極 や磁極 の ような ものでは全 くない。 と い うのは,男 は陽極 と中性 の両方の表象 だか ら である。それは,人間一般 を指すの にフランス 請では "homme"とい う言葉が よ く使 われる事 実 に示 されている。・・・‑女 は陰極 だけの表象で あ り,それは限定的な基準 に定義づ け られ,互 換性 を持 た ないので あ る」[Beauvoir,1949=
1997:10] と述べ たが,それはその ままフロイ ト の議論 に も当てはめて考 えることがで きよう。
フロイ トに とって,男性 と女性 とい うカテゴリ ーは相互 に入れ替 え可能 な互換 的な関係 にある
エ リクソンにおける女性性 とジェ ンダー (1)
のではない。男根 を有す る男性 は,男性 である と同時 に男女両性 を規定す る尺度その ものなの であって,それゆえ,男女 の関係 は常 に非対称 的なものにな らざるを得 ないのだ。
エ リクソンが,女性 の生物学的本質 を称揚す るのは,そ う した男女 の非対称 的な関係性 を対 称かつ対等 な関係性へ と転換 させ るための方法 論的戦略であった と考 えることがで きる。女性 を 「男性 な くしては個人 として 自分がいったい 何 者 で あ るか も定義 づ け る こ とが 出来 ない存 在」[Friedan,1963=1986:292]か ら, 自らの属 性 を深 く洞察す ることによって 自己 自身 を定義 で きる者へ と変 えること。それ によってエ リク ソンは,男女の新 たな関係性の地平 を描 き出そ うとしているのだ と, さ しあた りここでは理解 す ることがで きよう。
Ⅱ.フ ェ ミニ ス トた ちに よ る批 判 とその応
答
1.性 アイデ ンテ ィテ ィの規定因 をめ ぐって 女性 を男性 中心の一元的な価値基準 によって 規定す るのではな く,女性 固有の原理 を新 たに 打 ち立 てることで,それ を男性原理 に対す るア ンチテーゼ として提示す ること。男女の非対称 性 を解 消 す るべ く打 ち出 され た この理論提 起 は,すべか らく女性 の本質 を厳密 に定義 しなけ ればな らない とい う,エ リクソン自身の方法論 的態度 にもつなが っている。
先述 した ように,エ リクソンは女性 の本質 を 生物学的な次元 か ら演緯 して説明す るが,それ は女性 の生物学的特質 とそこか ら必然的に派生 す ることになる性役割 を,本質的 に女性 に固有 な もの としてアプ リケ‑ トす ることに もな りか ねない。エ リクソンの議論 に対 す る批判の多 く は,女性 の本質 を生物学的次元か ら定義す るこ とが,女性 の性役割の固定化 ,ひいては現行 の 家父長制 を正当化す る論拠 として利用 されかね ない とい う事実 にエ リクソンが無 自覚であった とい う点 に集 中 している。
ラデ ィカル フェ ミニズ ムの理論 的旗手である
神奈川大学心理 ・教育研究論集 第27号 (2008年 3月31日)
K・ミレッ トは,大著 『性 の政治学』 (1970)に おいて,性 アイデ ンテ ィテ ィが生物学的要因の み な らず文化的 ・社会的条件 によって も規定 さ れ るとい う事実 をエ リクソンは看過 している と
して,以下の ように批判 している。
各集団の特性 は,文化 的に条件付 け られてお り,それ ら集団の政治的関係 に依存 しているの であって, この ことは現代 の もろ もろの危機 と は無関係 に,歴史全体 を通 じて恒常的に見 られ る ものであることを,エ リクソンは認識 してい ないのである。
[Millet,1970=1973:365]
なかで もミレッ トが批判 の矛先 として挙 げる のは,エ リクソンが 自らの理論 の根拠 として引 き合 いに出 した子 どもの遊 びに関す る研 究であ る。 ミレソ トは,被験者が10代 の思春期 の子 ど もであ ったことか らして,男女の遊 びに見 られ る空間構成 の違 いは,解剖学的な差異の現 れで ある とい うよ りはむ しろ,社会的 ・文化的 に期 待 されている性役割 を被験者 たちが学習 した結 果で はないか と指摘す る。 ミレッ トに よれ ば, エ リクソンは性 アイデ ンテ ィテ ィの形成 を専 ら 生物学的 な 「性sex」 とい う観点 か らしか説明 しないが,それ と等 しく文化的 ・社会的文脈お いて学習 された性役割 もまた,重要 な構成要件 の一つである とい う事実 をエ リクソンは見過 ご してい る。「精神分析 は学習 された行動 を生物 学 と取 りちが える とい う誤 りを一貫 しておか し つづ けているが,エ リクソンの仝理論 はこの誤
りの上 に構築 されているのだ。」 [ibid.372]。 確 かに, ミレッ トが指摘す るように,遊 びの 空 間様態 に関す る研 究が,純粋 に身体 の解剖学 的構造 を反映 した ものであるか どうかは疑問の 余地が残 る ものの3),エ リクソンが性 アイデ ン テ ィテ ィの構成要件 に文化的 ・社会的要素 を含 めなか った とい うのは,い ささか乱暴 に過 ぎる 批判 と言 わざるを得 ない。エ リクソンはフロイ トの "解剖学 は運命である" とい う言葉 を引 き
つつ, 自ら 「私 は 「解剖学 は運命である」 と主 張 して い るの で あ ろ うか」 [Erikson,1968=
1973:402] と自問 してい る。 そ こで彼 は,個 人 の性 アイデ ンテ ィテ ィが,身体 の解剖学のみ な らず,歴史 を通 じて一般化 された性 に関す る社 会的,文化 的通念の影響 も受 ける として,以下 の ように述べ ている。
これ まで,わた しは,生理学的な真理 を くり 返 し主張 して きたに過 ぎない。生理学的な真理 は,否定 して もいけなければ, また,排他 的 に 重視 しす ぎて もいけない。‑‑・歴史 とは運命で ある とい うナポ レオ ンの格言 も, また, フロイ トがそれ に対立 させ て主張 した ‑ とわた し は信 じてい るのだが 一一 運命 は解剖組織 にそ の原 因がある とい う格言 も, ともに正当な もの である。‑‑ 換言す るならば,解剖組織,歴史, パー ソナ リテ ィの三者が合体 した ものが,われ われの運命 なのである。
[ibid.403f.]
もとよ りエ リクソンは,遊 びの空間構成 にお いて も,社会 的要因が影響 している可能性 を否 定 してはいなか った。「社会的な解釈 によれば, 少年 は屋外が好 きで少女 は屋 内が好 きなだけで あ り, もしくはせいぜ いの ところ,少女 は,衣 屋 とい う屋 内で,家族や子 どもに静かな女性 的 な愛情 を捧 げ る こ とが 自分 の役 割 で あ る と認 め,少年 は,冒険 とい う大 い なる屋外 で男性 的 な大望 を抱 くことが 自分の役割である と認めて いるに過 ぎないのだ とい う」が,いずれにせ よ
「解剖 学 的 な解釈 も社会 的 な解釈 も,両方 の可 能性が否定 され ない限 り, ともに正 しい」 ので ある [ibid.384f.]。
この ようにエ リクソンは,歴史的社会的要因 が性 アイデ ンテ ィテ ィの形成 になにか しらの影 響 を与 える とい う可能性 を否定 しないが, ここ で一つ問題 として生 じて くるのは,性 アイデ ン テ ィテ ィの構成要件 に歴史的社会的要因 を含め ることが,女性 のアイデ ンテ ィテ ィの定立 とい
う当初 の企 図,それ 自体 の理論 的前提 を崩 しか ねない とい う事実である。
先述 した ように,エ リクソンは,女性 固有 の 原理 を打 ち立 てるべ く,解剖学 にその根拠 を求 め る ことで男女 の差異 を基礎 づ け ようと試み る が,性 アイデ ンテ ィテ ィが,歴史的 ・社会的要 因 に よって も決定 され る とい う以上 ,解剖 学 は 男女 の差異 を基礎 づ ける唯一の根拠 とはな り得 ない。 したが って,解剖 学的特徴 か ら説 き起 こ して新 た に女性 固有 の原理 を打 ち立 て る とい う 目論見 は, ここにおいて脆 くも崩 れ きって しま いかねないこ とになる。
で は実 際 に,エ リクソ ンの議論 は破綻 してい る と考 えるべ きなのだろ うか。以下,エ リクソ ンが定義す る歴史的 ・社会的要因 と生物学的要 因の錯綜 した対応 関係 を読 み解 くことで, この 疑問 を解 き明か してい くことに しよう。
2.エ リクソン理論 にお ける本質主義的傾 向 と その陥巽
論 文 「女性 と内的空 間」 (1968)に対 す る フ ェ ミニス トた ちか らの批判 に応 えるべ くして発 表 された 「内的空 間 を再論す るOncemorethe InnerSpace」 (1975)とい うエ ッセ イにおいて, エ リクソ ンは, フェ ミニス トたちによる批判 の 論 点 を整理 しつつ, 自らある架空 の質問 を立 て て,次 の ように自問 自答 している。
あ なた (エ リク ソ ン) は
,
「女性 の コ ミ ッ ト メ ン トや参加行動 の基本様式 は,当然 の こ とで はあ るが,女性 の肉体 の基本計画 もまた反映 し てい るのであ って,それゆえ,解剖 学 と歴 史 と パ ー ソナ リテ ィの三者が合体 した ものが運命 な のである」 と述べ てい るが, フェ ミニス トたち は,解剖 学が文化 的条件 を決定す る とい う限 り, 解剖 学のみが運命 とい うことになるので はない か と批判 してい る。 ケ イ ト ・ミレッ トは 「精神 分析 は学習 された行動 を生物学 と取 りちが える とい う誤 りを一貫 してお か しつづ けてい るが ,エ リクソンにおける女性性 とジェ ンダー (1)
エ リクソンの全理論 は この誤 りの上 に構 築 され ているのだ十 と批判 してい るが,あなたは この 批判 に対 して どう答 えるのか ?
[Erikson,1975:228]
ここでエ リクソンは,上記 の ミレッ トの批判 に対 しては,性 アイデ ンテ ィテ ィが解剖 学,磨 史,パ ー ソナ リテ ィの3つの要 因 に よって重層 的 に決定 され る とい う従 来の主張 を繰 り返 し述 べ るだけで,それ以上 ,立 ち入 った回答 は して はいない。 しか しなが らここで重要 なの は, フ ェ ミニ ス トた ちの批 判 と して挙 げ られ て い る ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
「ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ解 剖 学 が文 化 的条件 を決 定 す る とい う限 り, 解剖学のみが運命 であるAnatomyisonlydestiny insofaras itdeterminesculturalconditioning.」 とい う一文である。これに対 してエ リクソンは,ヽヽ ヽヽ
「解剖 学 はあ る程 度 ,文 化 的条件 を決定 す るの だ」 [ibid.228] と反論 す るが,そ もそ も, この
「解剖 学 が文化 的条件 を決定 す る」 とはい った い何 を意味す るのだろ うか。
まず ,エ リク ソ ンに よれ ば
,
「肉体構造 にお ける男性原理 と女性原理 は,文化 的 な時 間 ・空 間におけ る性役割 の画定 とい うこ とに生涯 関連 してい るの だ」 [Erikson,1968=1973:386] とあ る ように,その時 々の歴史や文化 にお ける性 に 関す る社 会 的 な通念 ‑一 例 えば,男女 の 「性 役割genderrole」 に関す る社会的通念 な ど‑は,身体 の解剖学 的 な属性が持 つ意味 を少 なか らず反映 してい る とされ る。
一般 に,社会的 ・文化 的 な意味形成物 であ る とされ る性別役割分業 や通文化 的 に見 られ る女 性 ら しさや男性 ら しさの観 念 とい った もの は, お よそ身体 の生物学 的基盤 と無 関係 に成立 して い るわけで はない。それ らは,解剖学 とい う生 物学的 な与件 を土台 に して構築 され る と言 うの であ る。先 の 「解剖 学 はあ る程度 ,文化 的条件 を決定す るのだ」 とい う主張 は, さ しあた り以 上の ように理解 して良い。
しか しなが らここで注意 してお きたいの は, こう した生物学 的基盤が,いか なる厳密 な意味
神奈川大学心理 ・教育研究論集 第27号 (2008年3月31日)
において も,文化的 ・社会的な性 のあ り様 ‑ いわゆるジェンダー 1‑ を 「決定」す るわけ ではない とい うことである。批判者の一人であ るE・ジェイ ンウェイは,エ リクソンの女性論 を許 して,生物学的決定論 である と断 じている が [Janeway,1971=1976], もし仮 に,生物学 的 な基盤が,文化 的 ・社会的諸条件 を 「決定
」
す る と言 うのであれば,エ リクソンが掲 げる女 性 の地位 向上や女性 による社会変革 は とうてい 為 し得 ない ことになる。 とい うの も,文化的 ・ 社会的諸条件が生物学 によって予 め決定 される
とい うことは,生物学 は運命である と主張 して いるような ものであって,そこには女性 の主体 的 な活動 や変革 の余 地 は残 され ないか らであ る。
先 に,エ リクソンが 「解剖組織,歴史,パ ー ソナ リテ ィの三者 が合 体 した ものが運命 で あ る」 と言 い
,
「解剖 学が文化 的条件 を決定す る とい う限 り,解剖学のみが運命 である」 とい うヽヽヽヽ 批判 に対 して,
「解剖 学 はあ る程度 ,文化 的条 件 を決定す る」 と述べ たのは, 自ら生物学的決 定論 の立場 を回避す ることで,女性 の主体性が 発揮 されるための理論 的根拠 を担保す るためで あった と考 えることで きる。では,解剖学的特徴 か ら説 き起 こ して新 たに 女性 固有 の原理 を打 ち立 てるとい う主張 は, ど
う理解すればよいのだろうか。
エ リクソンに よれば,「人 間の身体 の基本計 画groundplanの体験 とい う点では,男女両性 の間 には巨大 な差異が存在す る」 と しつつ も, それは 「男女 ともある固有 の (解剖学的な)空 間様 態 に運命づ け られてい るな どとい うこ と
」
を意味す るわけで はない。 「模倣 的 も しくは競 争的ではない文脈 においては,これ らの様態 は, ある 自然 な理 由 ‑ これ こそ我 々の関心 の的 だが ‑‑ に基づ いて 「もっ と自然 にや って く る
」
」と言 うのである[Erikson,1968=1973:386]。性 アイデ ンテ ィテ ィは,身体 の基本計画の影 響 を受 けはす る ものの,それ を始め とす る様 々 な条件 によって決定 されるがゆえに,解剖学 は
性 アイデ ンテ ィテ ィのあ り棟 を運命づ けている わけではない。エ リクソンはこの命題 を逆手 に 取 って,社会的 ・文化的要因 とい った条件が関 与 しない,あるいはそれ ら条件が解 除 される限 りにおいて,個 人は真 の意味で 自らの生物学的 属性 を発揮 す るこ とがで きる と言 うのであ る。
それは次の一文か らも明 らかであろ う。
わた しの主要 な論点 は, さまざまな制限が解 かれた とき,女性 は,生物学的 ・解剖学的 に所 与の ものの意味 をは ぐくむことがで きるのだ と い うことである。
[ibid.413]
今 日の社会 における女性 の役割葛藤や男女 間 の社会的不平等 といった事態 は,男性 中心主義 に基づ く偏 った社会のあ り方や制度 に起 因 して いる。エ リクソンによれば,そ う した社会や制 度のあ り方 こそが,女性 の生物学的属性の発現 を真の意味で妨 げ,制限 してい る と考 えるので ある。 したが って,女性が 自らの生物学的属性 を真 に発揮す るためには,男性 中心 の社会や制 度のあ り方 こそが まず問われねばな らない。
エ リクソンが唱 える女性 固有 の原理 とは,そ うした男性 中心主義 的なバ イアス を是正 し,捕 完す るための対抗原理 なのであ って,それ をよ り強 固 な理論 的背 景 に よって基礎 づ け るため に,女性の解剖学的属性 をいわば本質化す るこ とで,その間題 を克服 しようとしたのだ と考 え ることが出来 よう。その限 りで,女性 固有 の原 理 とは,言 うなれば,その時 々の社会 や文化 , 歴史 に拘束 されない一種 の純粋 な理念型 とで も 言 うべ きものであるが,我 々はエ リクソンの理 論 を以上の ように理解 した途端 に, また新 たな 問題 に直面 して しまうことになる。
これ まで繰 り返 し述べ て きた ように,エ リク ソンは,性 アイデ ンテ ィテ ィが,身体 の解剖組 級,歴史,パ ー ソナ リテ ィの3つの要因によっ て重層 的に決定 される と述べ,そ うした事実 を 前提 とした うえで,女性のアイデ ンテ ィテ ィを
厳 密 に定義 す るため に,唯一 ,解剖 学 にその論 拠 を求め ていた。
そ こで,解剖 学 に由来 す る女性 固有 の原 理 が 意味 す る もの とは,歴 史 的要 因 を始 め とす る文 化 的 ・社 会 的 な条件 の影響 を排 した一種 の理念 とされ るわけだが, 問題 は,エ リクソ ンが女性 固有 の属性 と して具体 的 に示 した当の もの ‑ 例 えば
,
「家 事 の現 実 ,養 育 の責任 ,安 寧 維 持の た め の 機 知 , 病 人 介 護 とい う献 身 的 行 為 」 [ibid.370] な ど ‑ が, はた して,純粋 に女性 の解剖 学 的属 性 か ら導 き出 され た もの なのか , あ るい は男性 中心主義 的 なイデ オロギ ー に基 づ
く文化 的 ・社 会 的所 産 なのか とい うこ とが 明 ら か に され てい ない点 にあ る。
結論 か ら言 えば,エ リクソ ンは文化 的 ・社 会 的条件 の影響 を免 れ た理念 と しての女性原理 を 提 唱す るにあ た り, それ を文化 的 ・社 会 的条件 の影響 を少 なか らず受 けてい るはず で あ ろ う現 実 の女性 の社 会 的属性 か ら説 明す る とい う誤 謬 を犯 して しまっている。
無論 , こ う した批判 に対 しては,エ リクソ ン は 「文化 的条件が,解剖 学 に よってあ る程 度 決 定 され る」 と言 ってい るのだか ら,そ う した女 性 の社 会 的属性 は,すで に解剖 学 的属 性 が持 つ 意味 を反 映 してい る以上 ,論 理 的 に言 って問題 は ないの で は ないか, とい う反論 も成 り立 つ か も しれ ない。
しか し,仮 にそ う した反論 を考慮 に入 れ た と して も,我 々 は, い まだ払拭 されず に残 され て い る問題 点 を,以下 の よ うに指摘 す る こ とは可 能であ ろ う。
す なわ ち,エ リク ソ ンの言 う女性 原 理が , こ れ まで通 り,家事 や育児 とい った社 会 的役 割 を 女 性 固有 の属 性 と して称 揚 す る もの だ とす れ ば, そ れ は女 性 の性役 割 を固定化 す る こ とで , 逆 説 的 に も,従 来 の家 父長制 とい う社 会 シス テ
ムその もの を正当化 して しま うこ とにな りか ね ない とい うこ とであ る。
実 際 こ う した問題 は,エ リクソ ンのみ な らず 本 質主義 的 な性差観一般 に見 られ る もので あ る
エ リクソンにおける女性性 とジェンダー (1)
が ,次稿 で は, こ う した本 質主義 的 な傾 向の う ちに潜 む理論 的諸 問題 をよ り広 い文脈 に位 置 づ けて吟味 す るべ く,エ リクソ ン理論 の批判 的継 承者 であ る
C
・ギ リガ ンの議論 と併 せ て考 察す る こ とで,女性 の道徳性発達 と 「ケアの倫 理ethic ofcare」 をめ ぐる本 質主義 的 な問題 とその超 克 の可能性 について検討 す るこ とに したい。(つづ く)
【註】
1)実際に,「内的空 間 と外 的空 間」論文が発表 されたのは1964年のことである。 ここで1963 年 とされているのは,前年 に開催 されたアメ
リカ芸術科学 アカデ ミー主催 の シンポジウム における発表原稿 を指 しているか誤植 かの ど ち らかであ る と思 われる。 なお,本論 では,
「内的空 間 と外 的空 間」論文 の引用 に関 して は
,
Fア イデ ンテ ィテ ィ ーー 青 年 と危機』(1968)所収の改訂論文 「女性 と内的空間」 を 用いることにする。
2) この研 究報告 の詳細 に関 して は,Erikson (1951)を参照 されたい。
3)因み に, このエ リクソンの遊 びの空 間構成 における実験結果 は,その後,行 われた幾つ かの追試実験 によって反駁 されている とい う こ とを付 記 してお きたい [cf.Caplan,P.J.
(1979)お よびBudd,ち.E.(etal.) (1985)]。
【参照文献】
Beauvoir,S.D.(1949).S・D・ボ ー ヴ オ ワ‑ ル (井 上 たか子 ほか監訳) 『第二の性 (Ⅰ) :事実 と 神話』新潮社,1997年。
Budd,B.E.(etal.)(1985).'spatialConfigurations:
EriksonReexamined'sexRo由S,12(5). Caplan,P.J.(1979).̀Erikson‑s ConceptofInner
Space:A Data・BasedReevaluation.'Ammlcan JournalofOrthopsyc/ulatry,49,January.
Erikson,E.H.(1951).'sexDifferencesinthePlay Configurations ofPreadolescents.'American JournalofOrt/wpsyc/妬aゎッ,21,October.
‑ (1964).E ・H・エ リクソン (鐘幹八郎訳)
『洞察 と責任 :精神分析 の臨床 と倫理』 誠 信 書房,1971年。
‑ (1968).E ・H.エ リクソン (岩瀬庸理訳)
「女性 と内的空間
」
『アイデ ンテ ィテ ィ :青年 と危機』金沢文庫,1973年。神奈川大学心理 ・教育研究論集 第27号 (2008年3月31日)
‑ (1975).̀onceMoretheInnerSpace.'Llfe Hl'story and theHIpSforicalMoment.New York :W ・W・Norton&Company.Inc.
Freud,S.(1923).S・フ ロ イ ト (吾 郷 晋 浩 訳 )
「幼 児 期 の性 器 体 制
」
『フ ロ イ ト著作 集 第11 巻』 人文書 院,1984年 。‑‑ (1925).S・フ ロ イ ト (懸 田克窮 ほ か訳 )
「解 剖 学 的 な性 の差 別 の心 的帰 結 の2, 3に つ いて
」
『フロイ ト著作 集 第5巻』人文書 院,1969年。
Friedan,B.(1963).B・フ リー ダ ン (三 浦冨美子 訳 ) 『新 しい女性 の創造 (増補版)』大和 書房 ,
1986年。
Greer,G.(1970),G.グ リア (日向 あ き子 ほか訳 )
『去勢 され た女 (上)』 ダイヤモ ン ド現代 選書 ,
1976年。
Janeway,E.(1971).E・ジ ェイ ンウェイ (内野久 美子 ほか訳 ) 『男 世界 と女 の神 話 』 三一書房 ,
1976年。
Millet,K.(1970).K・ミレ ッ ト (藤 枝清子 ほか訳 )
『性 の政治学』 ドメス出版,1985年。
TIME.(1975).'Erikson Revisited'TIME,
March17,Asia.ed.