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ゆ らぎ,危険 ,そ して不確実性

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(1)

ゆ らぎ,危険 ,そ して不確実性

‑ 「 不確実性論」周辺整理ノー ト

(1)

西 垣 鳴 人

1 は じめ中

2 "合理的個人"を批判す る3つの方法 3 不確実性をいかに規定す るか 4 期待形成 と不確実性 5 おわ りか

1

は じ め に

経済理論における不確実性は非常に扱いに くい問題である。なぜなら,そ れを全 く無視 して しまって も,反対にそれを強調 しす ぎて しまっても,現実 の経済か らは遠 ざか って しま う結果になるか らである。 また経済は様 々な局 面の間を時間 と伴に変動 しっづけてお り,ある局面ではほ とん ど無視 して差 し支えなか った不確実性が,異なる局面においてほ無視 し得ない要素にな っ て現れ ることがあ り,動学的な観点か らもそれは十分な注意が必要なファク メ‑である。

一般に不確実性 とは計算可能な リス クと異な り,過去か ら現在に至 る価格 な どの経済データに よってはその確率分布が予測不可能な将来の経済事象に 対 して使われ る概念 とされ る。 しか しこの ような定義が元来つかみ どころの ない不確実性概念をます ます唆味な ものに してきた ことは事実で あ る(I)。現

‑1631

(2)

代の新古典派 もケイ ンズ派 も,そ してそれ以外の反主流派経済学 も,その認 識の仕様 ,それを強調す る程度の違いこそあれ , リスクと区別 された不確実 性を全 く考慮 しないものは珍 しい と言 って よいo ところが不確実性に関す る 諸学派の重な り合 った面はほ とん ど問題にされ ることがないO例 えば合理的 期待の経済学 とポス ト・ケインジアンが ,実は不確実性に関 して部分的にで はあるが同 じ問題意識を持 っているな ど,誰でも想像す ることが難 しいに違 いない。 しか し,もし不確実性の定義を明確に したな らば,その ような こと が常識になる可能性 もある。

われわれは諸学派の対立す る局面があることを否定す るものではない。た だ無意味な対立は可能な限 り解消 した方が ,他の重要な争点を際立たせ ると い う意味で,実際的に も学問的に も建設的であるとわれわれは考えるOそ し て不確実性 とい うコンセプ トについて,それはかな り見込みのあることだ と 思われ るのである。

本稿の 目的は,以上に述べた問題意識の下に,「不確実性」の再定義を含む い くつかの概念整理を行い,同時に不確実性を軸 とした諸学派の位置関係を 明らかにす ることに よって,不確実性を明示的に導入 した動学モデル構築の ための基礎を築 くことである。 まず第2節では,現代新古典派に異議を唱え る三人の各派代表,R.H.Thalerのアノマ リー経済学 ,塩沢由典の複雑系経済 学 ,そ してP.Davidsonのポス ト・ケイ ンズ派に関 して,各主張の要点をま とめ,それ と同時に各学派における不確実性の扱いについて も若干の議論を 行いたい。次の第三節では,不確実性についてわれわれ としての再定義 が行 われ ることになる。 ここでは,本稿のタイ トルにある 「ゆ らぎ」 と 「危険」

が,実体 としてほほぼ同 じ概念 として位置づけ られ,「危 険」 と区別 された

「不確実性」は 「ゆ らぎ」 のカテ ゴリーを超 えた ものとして規定 され ること になる。つづ く第4節は,期待形成 との関係か ら,最初に第3節で規定 され た不確実性の特徴をい くつか述べたあと,さらに合理的期待仮説に とっての 不確実性 ,アノマ リ一経済学や複雑系経済学が前提 とす る定常過程に とって

‑164一

(3)

の不確実性について,これ まで十分に議論 されてきた とは言えない側面につ いて明らかに してゆ きたい。そ して第5節では,本稿の結論 と今後の課題が 述べ られ る。

2

"合理的個人"を批判す る

3

つの方法

新古典派経済学あるいは合理的期待仮説に対す る批判は,必ず しも不確実 性の観点か らばか り為 されて きたわけではな く, リスクと区別 された不確実 性の強調は,い くつかある新古典派批判の中の‑つの方法 として考えること が妥当である。例えば,塩沢 (1990)はそれ らの批判を

(1)人間のもつ非合理性 (2)知識 の容量におけ る限界

(3)人間の合理性 (計算能力) の限界 (4)不確実性の存在

の 4つに類型化 している(2)。ただ し,この うち(2)と(3)に関 してはいずれ も人 間の持つ能力の限界 とい う点で共通 している (どちらも塩沢が特に強調す る 点でも共通 している)ので,われわれはこれを 「人間能力の限界」 とひ とま

とめ し,合計3つの批判方法をまずは一通 り整理 してみることに しよう。

(1) 人間の非合理性 (アノマ リー問題)

人間 の非合理性 の問題 につ いて広範 囲にわ た る研究 を行 って きた の は Thaler(1992)で ある。彼 は 「合理 的思考 に整 合 しない事実 また は考 え 方」(3)をアノマ リ‑と呼び,‑巻の書物の中で13の事例を引 いて各 々分析 を 行 っているC アノマ リーとは,もともと例外ない しは逸脱 した異常 ・変則的 な事象のことを意味す るが,13とい う数の多 さはそれが決 して 「例外」では ないことを示唆す るのに役立 っている(4)oただ ここに列挙 されたアノマ .)‑

の事例 も,い くつかのパ ターンに分類す ることができるのであ り,その中に

‑165‑

(4)

はわれわれが別の項で考察することになる 「人間能力の限界」 と捉えること が可能なもの,あるいは 「不確実性の存在」か ら派生 してきた といえる問題 も含まれている。そ して純粋なアノマ 1)‑問題は一部に過 ぎないことに気付 かされるのである。

まず ,純粋なアノマ リー問題 と考えられる例を引 こう。その‑つは 「協調 行動」である.有名な 「囚人のジレンマ ・ゲーム」において,共犯者に とっ て不利な証言をすることが自己の利益に適 うことが明らかな時には 「人々は 賢明にも,自白して‑他のプ レーヤーが どうなろ うと,一切気に しないと想 定 されている」(5)。ところが実験室の内外における調査に よれば,その想定に 反す る結果が高い割合で得 られるとい う。ひ とび とは一見 自分の利益になら ない ような (寄付や二度 と来ないような レス トランにおけるチ ップな ど)他 人 との協調行動を取 ることが多いとい うのであるoひ とつの解釈は 「協調的 な行為そのもの,あるいは協調的な人物だ とい う評判があれば,相手からも 協調をもって過 され る可能性が高 く,これは協調者の最終的利益 にな る」(6)

とい うことであろ う。だがそれだけでは説明のつかない 「純粋な利他主義」

や 「グループ帰属意識」 といった ものの存在を否定す ることは難 しい(7)。 こ れ らを一体 どうや って解釈するかである。

上の疑問に答える前に,もう一つ純粋 アノマ 1)‑の例を引いておこう.そ れは 「産業間賃金格差」の問題である。 これは同 じ職種 ,同‑ の労働者 で あっても,全般的に高賃金で知 られるA産業に勤務 している時には,全般的 に低賃金で知 られるB産業で勤務 している時 よりも高給が支払われるとい う 不可解な現象であるoThaierの解釈は 「均等性に配慮す る」 とい うもので あって,高賃金産業に属する企業がある職種 (多 くの産業 に共通 に存在す る,例えば事務職な ど)に対す る賃金を低賃金産業の賃金水準まで仮に引き 下げたとする。あるいはその職種だけ低賃金産業 と同 じ賃金水準に始めか ら あった とする。 もしそ うであるならば,その職に従事す る労働者か ら経営者 が望むべ き協力が得 られな くなる (と経営者が判断す る)ため経営者は低質

‑166‑

(5)

金を支払わない,とい うわけである(8)0

さて,われわれは上の解釈を もっともな ことだ と納得す るであろ う。なぜ な らわれわれはその 「経営者の判断」に一種 の合理性を認めているか らであ る。

人間の非合理性 とは言 うけれ ども

,

「協調行動」と 「産業間賃金格差」の ど ちらの場合 も,そ こにはオーソ ドックスな経済学 とは違 った意味での合理性 が発見 され る。協調行動 には ,一般的な経済原理 とは異なった効用体系が存 在 し,その体系 内においてはやは り最大化原理が働いていると考 えることも 可能である。賃金格差 の場合には より明確な経営者 の判断 として,労働者の 協力を獲得す るとい う合 目的精神が存在 していた。

これ までの経済学では合理性 とい うとやや狭い範囲にその言葉の意味が限 定 されてきたのである。そ して ここで問題に した純粋 アノマ リーとは,それ

とは違 った,別体系の 「合理性」の存在を示唆す るものである。

今述べた純粋なケース以外に Thalerに よって採 り上げ られている 「ア ノ マ l)‑問題」は,お よそ二つのグループに分け ることが可能であるo

一つめのグループは 「認知上の錯覚」(9)とい う概念で括 ることができる。例 えば 「勝者の呪い」は,セ リ値 とセ リの対象 となる商品の価値 との認知上の ずれに よって生 じる。あるいは 「選択の逆転現象」は,3商品の備付け順位 と実際の選好順位が一致 しない ことであるが,これ も認知上の錯覚が招 く代 表的現象であろ う。個人が予想や判断をす るにあた って最近のデータを重視 しす ぎる傾 向が金融市場におけ る証券価格変動 を増 幅す る とい う現象 もま た,認知上の誤 りの よい例 である(10)O

だが この 「認知上の錯覚」とは,一種 の人間の合理性の限界であ り

,

「人間 能力の限界」 のひ とつ と考 えることがで きる。すなわち,合理的であろ うと す る人間が ,しか し情報獲得 ・処理の能力において十分な水準に達 していな いがために生 じる,結果 としての非合理性である。 これは後述す る塩沢 ら複 雑系経済学の主張 と共通 している。

‑167‑

(6)

もうひ とつのグループは,Thaler等アノマ リー経済学にとっての 「不確実 性」問題 と言 うべ き諸事例である。例えば 「現状維持バイアス」 とい うもの がある。 これは 「人はそれぞれ現状のままでいたいとい う強い願望を持 って お り,それは現状を変 える ことの不利益 の方 が利益 よ りも大 きい と思 え る」(ll)特異な心理を反映 した諸現象である。なぜそ うなのか。そ こには新 し い状態に対する リスク ・プ レミアムが要求されているか らであると考えられ る。 この 「リスク」 とは合理的計算が可能な性質のものではな く,考えられ る利益 (期待効用)に対す る確率を知ることが出来ない 「不確実性」のこと であって,この 「不確実性」に よって現状を変えることの諸利益が割 り引か れて しま うよ うな現象 ,それが 「現状維持 バイアス」だ と考 え られ る。

Thaler(1992)がアノマ リーとして列挙するもののなかで,この ような 「不 確実性」 と関連 した現象には他に 「割引率の損得勘定J,「株式市場のカ レン ダー効果」や 「ノイズ ・トレーダー問題」な どが考えられる(12)o

以上見てきた ように,Thaler(1992)によって人間の非合理性 もしくは ア ノマ リー問題 として認識 されているものには,純粋なアノマ リー問題の他に

「人間能力の限界」 と関わるもの,「不確実性」と関わるものとがある。また 純粋なアノマ 1)‑と認められる諸現象は,しか しなが らより広い意味におけ る 「合理性」を前提 とす るものだ とい うこと,その 「合理性」とは,(道徳感 情や "正 しさ''‑のこだわ りのように)必ず しも 「経済合理性」ばか りを意 味す るものではないか もしれないが,いずれに しても単なる 「衝動買い」の レベルを超えた意識が働いていることは確かであろ う。彼 らは十分理性的な のである。その理性に したがって彼 らは独 自の経済計画を行 っているのであ る。

(2)人間能力の限界

次にわれわれが考察す るのは,「人間能力の限界」である0人間能力の限界 は,この節の最初で述べた ように,知識の容量における限界 と計算能力の限

‑168

(7)

界 とにBrJけて考 えることが出来 るO前者はそれほ ど説 明を要 しないO現実の 経済におけ る効用最大化において,その効用関数 と確率分布を知 らなければ な らない財 ・サービスの数は百万千万単位の膨大な数であって,われわれが それ ら全てを知 ることは不可能だ とい うことである(13)0

計算能力の限界 (塩沢 (1990)(1997)の言葉に よれば 「合理性の限界」) は,やや説明を要す る。簡単に述べ るならば,それは仮にわれわれが効用最 大化のための所要の条件をすべて知 り得た としても,最適解を導 く実際の計 算はその手間が想像以上にたい‑んであるとい うことである。 これは手計算 に よる場合だけを意味 しない。計算機に も手におえない問題が存在す るとい うことなのである。

例えば,最新の計算機を使用すれば20財程度 の魁み合わせにおける最適解 は 1秒以内に導 くことが出来 る。 ところが ,阻 み合 わ され る財 の数 が30, 40,50と増加 して行 くと計算に要す る時間はそれに連れて17分,12日,35年 と桁違 いに増えて行 く。そ して100財のケースでは,宇宙開聞 (ビッグバ ン) 以来の時間をかけて も解けない ことになって しま うとい う。 また ,計算機の 計算能力の改善に期待 した としても,計算能力が千倍に増大 した として 「妥 当な範囲内で解け る問題のサイズは,十増えるにす ぎない」(14)。す なわ ち , われわれが消費すべ き財 ・サー ビスの雀類が100(これは現実 的 な億 よ り非 常に少ないことは疑 えない)を超 えた場合の最適解は,人間の能力以前の問 題 として原理的に計算不可能であるとい うことになるO

「全知全能 の神」 とい う言い方をす るが,全知 とは知識容量が無限である ことを意味 し,全能 とは上記の意味で用 いればいかなる多数財 (万であろ う が億であろ うが)におけ る効用最大化のための計算 も常識的時間の範囲内で 可能であることを意味す る。つ ま り神な らぬ人間には最適解を導 くことが不 可能だ とい うのが 「人間能力限界」説に よる批判の骨子である。 しか しなが ら,この説は単に新古典派が想定す る 「合理的」個人の批判に とどまるので はな く,最大化原理に代わ るオル タナテ ィブな人間行動 の原理について言及

169‑

(8)

を行 っている。それが次に述べ る 「満足原理」である。

「満足原理」 とは 「ある行動は (他の可能な選択肢 と関係な く) あらか じ め決め られた希求水準 (aspirationlevel)を超えていれば選択 され る(15)とい

う考え方 のことである。

いかに効用最大化が経済主体に とって原理的に不可能な ものであった とし ても,われわれの行動が全 く無秩序に行われているとい うことは経験的に考 えられない。最大化は理想であるが ,現実にそれが不可能である時 ,それに 代わ りうるいわば次善の合理性に よって主体の行動が規制 されていると考え ることは,至極当然な ことの ように思われ る。塩沢 (1990)

,

「可能な範 囲 でかれが より大 きな満足を得 ようとす ることは疑いえないO もし一品一品の 財の効用が他 と独立 に数値化で きるとすれば,それを価格 と比較 してみるこ とはもっとも簡単な方法である。価格当た りの効用がある水準を超 えていれ ば予算のある限 り買 うとい う方針は,月末に予算が足 らな くなる危険性があ るが,実行可能な計画法である(16)と,満足原理の一例を述べている。

さて,アノマ リー問題で も指摘 したことであるが,満足原理において もや は り効用最大化 もしくは利潤最大化 といった狭義の合理性に対す るよ り広い 意味での 「合理性」が想定 されているとい うこと,この ことを指摘 しなけれ ばな らない。そ してアノマ リーの場合 も,満足原理の場合 も,いずれにおい てもその 「合理性」 の前提条件が存在す るOその前提条件 とは 「定常性」 と 呼ばれている概念である。

経済が定常的であればこそ ,主体は過去か ら現在に至 る経済データを もと に して計画的な資源配分を行 うことが可能になる。定常性 とは,例えば価格 体系の安定性である。価格体系の安定性 が全 ての経済主体 に とって 「合理 的」な期待形成のための前提条件であるとい うことは一般に認め られている ことである。 さらに対象を生産者や供給者 と想定すれば 「各商品の月 々ある いは年 々の需要量 も安定 していなければな らない」(17)。つ ま り,価格 と数量 の双方におけ る定常性が保たれていることが ,広 い意味 で の 「合理性」 に

‑170

(9)

とって不可欠な要素になっているのである。

しか しなが ら,経済の定常性が常に保証 され てい る とは限 らない とす る と,現在利用可能な経済データが ,将来の (狭い意味で も広 い意味でも)令 理的な期待形成 の役に立たな くなる可能性が生 じるCそ こで問題になるのが

「不確実性」 なのであるo

ところが ,塩沢 (1997)は次の ような立場を表 明す る。「過去の経験 の有用 性に潜 んでいるものは,定常性についての暗黙の仮定である。 もし世界が不 意に根本的に変化 したな ら,過去の知識は有用ではな くなる。 したが って, 不確実性の程度は過大に評価 されてはな らない。われわれの関心にある不確 実性は,・‑基本的に定常性の枠魁みの中にある不確実性である. さまざまな ルーテ ィンや慣習に よってわれわれが対処できるものは,この種 の不確実性 なのである。われわれは明 日何が起 きるか ,正確には知 ることがで きない。

しか し,われわれは明 日が今 日とは非常に異な ってはいないだろ うと信 じる 資格がある」(18)。われわれにその ような 「資格」があることに対 して異論 は ない。そ して経済の正常な局面において問題になるのは,彼が述べ る 「定常 性の枠阻みの中にある不確実性 (すなわ ち リス ク)」 (括弧 内は筆 者) で あ る。だが ,経済 シ ョックとい う 「世界が根本的に変化」す るような現象は実 在す る。それに対す る 「不確実性」にわれわれが影響 され ることが無い とい えるか どうかは疑 問である。ただ し,塩沢 (1997) の主張は不確実性を強調 しす ぎる者に対す るひ とつの警句 として,あるいは受取 ることも可能なので 注 目しておきたい。

(3)不確実性の存在

合理的個人を批判す る三番 目の方法は,前項 までに多少の議論を加えて き た ところの 「不確実性J,その存在を強調す ることである。不確実性の存在を もっとも明示的な形で主張 してきたのは ポス ト ・ケイ ンズ派 の経済学 であ り,ここでは特に P.Davidsonを採 り上げることに したい。

171‑

(10)

P.Davidsonが選ばれ るのは次の理由に よる。すなわち,ポス ト・ケインジ アンにあって も,これ まで リスクと区別 された不確実性のはっき りした定義 を必ず しも行 ってきたわけではなか った。 だが ,彼 に至 って 「エル ゴー ド 性」 と 「非キル ゴー ド性」 とい う統計学上の概念 を使 ってあるを度 「不確実 性」の定義に成功 した とい うことなのである。

エル ゴー ド性 とい うのは,きわめて抽象的な概念であるが ,それは一般的 な意味におけ る定常性 とは異なる概念であるOつ ま りある経済事象に関す る 確率分布が,た とえ時間を通 じて絶えず変化 していた として も,その変化 自 体に一定のパターンあるいは法則性が存在す る場合には,その確率過程 はエ ル ゴー ド性を保持 していると見なされ るのである。具体的な例は第3節にお いて示すが,それに対す る非エル ゴ‑ ド的な確率過程 とは,過去か ら現在に 至 るどの よ うな経済データに よっても,その確率分布 の変化にいかなる法則 性 も発見 されない場合のことを言 う。Davidson(1982)(1994)は,その よう な経済過程は 日常的であ り,そ こにおいては計算可能な リスクは存在せず , 経済主体は不確実性に直面せざるをえないと主張す る(19)0

Davidsonの真骨頂は,その ように定義 された不確実性 に基 づ いて独 自の 貨幣経済論を展開す るところにあるのだが ,それについてはまた別 な機会に 議論 したい。 ともか くわれわれの不確実性論の出発点になるものを彼は提供 して くれている,そのことが今は より重要である。 これまで単に リスクと比 較 して将来確率が計算不可能な ものとして しか認識 されて こなか った不確実 性を彼は厳密な概念に よって定義付けたのである。それに よってもはや 「不 完全情報」や 「情報 の非対称性」が不確実性 と混同され る必然性はな くなっ た。それ らの概念が "特別 な場合"の計 算可能 リス クで あ る ことは ,エイ ジェソシー ・セオ 1)‑自体 ,エル ゴー ド性無 しには意味を成 さない ことか ら も明らかである。 さらに,エル ゴー ド性の厳密な意味を適用することに よっ て,唆味にな りやすか った リスクと不確実性の境界線が,少な くとも観念上 ははっき りした点 も彼 の功績であるといって よかろ う。 ここで言 う厳密 さと

172‑

(11)

は,定常状態 と非定常状態の中間にある唆味な領域を払拭 した とい う意味で もある(20)o この ことに関 しては次節で述べたいO

しか しなが ら,不確実性を強調す るポス ト・ケイ ンジアンにはある著 しい 問題点がある。そ してDavidsonもまたその難か ら逃れ出てはいないのであ る。逆説的だが ,それは彼 らがあま りにも不確実性を強調 しす ぎるとい う点 である(21)Q

ここでは前項で引用 した塩沢 (1997) の言葉 を思 い出 さなけれ ばな らな い。確かにわれわれの経済には非エル ゴ‑ ド的な経済過程が時 として現実化 す る局面がある。予期せざる経済 シ ョックがそれである。ゆえにわれわれは 不確実性 の存在を無視す ることはできない。ただ時系列データの範囲を無限 に とるな ら別 として,経済計画に とって妥当な有限な範 囲でそれを求めるな らば,われわれの経済はむ しろエル ゴー ド性を保持 している場合の方が多 く 存在す るのではないか。われわれには 「明 日と今 日とは非常に異なってはい ないだろ うと信 じる資格」が確かに存在す るのである0

本稿は不確実性概念 の認識において,P.Davidsonの定式化に多 くを負 っ てはいるが ,しか し彼や他 のポス トケインジアソの ような経済認識 は持たな い ことに したい。そ こで次節においてはわれわれ 自身の不確実性規定を行 う ことに しよう。

3 「不確実性」 をいかに規定す るか

(り 定常状態の考え方 (i)‑ゆ らぎがあるかないか‑

第2節第3項において,われわれはすでにエル ゴー ド性に対応す るものが リスクであ り,非エル ゴー ド性に対応す るものが不確実性であるとい うこと を,P.Davidsonの議論 の中で述べ終わ っているが ,これだけでは相当に抽象 的である。そ こでわれわれは本節を 「定常状態」 あるいは 「定常性」の概念 規定か ら始めることに したい。まず第一段階 として,「定常状態」が確率過程

173‑

(12)

を扱 うものか どうかについての議論をしたいO

塩沢 (1990)が指摘 しているように(22),はた して新古典派経済学が複雑系 経済学 と違 って定常経済のことを 「ゆらぎ」の無い均衡点 とばか り認識 して きたか どうか,後に指摘するように,現代の新古典派経済学 もしくは合理的 期待の経済学は確かに明示的にはゆらぎゃ不確実性を扱 うことを避けている ように見えるが,実際において,彼 らの中にはゆ らぎゃ不確実性に対する問 題意識が存在す るものと思われる。

それはともか くとして,一般的な経済学の辞典 で 「定常状態 (stationary state)」の項を引けば,

「長期的時間の経過にもかかわ らず同一種類 ・同一規模の生産 と消費が反復 される状態。均衡成長経路の一種で,産出量 ・資本 ・労働力 ・技術水準は一 定‑」

と説明されている。だが,同 じ辞典において 「定常性 (stationarity)」を引け ば,

「確率系列

Y

tにおいて,平均 ・分散 ・自己共分散が時間tと独立の時 ,これ を弱定常性 (共分散定常性) といい,分布が時間に無関係であれば強定常性 が満たされているとい う。時系列分析では一般に弱定常性を満たす系列を対 象 とす る」(23)

とい う説明になっている。 ここか ら分かるように 「伝統的」な経済学は同 じ

「定常」 とい う言葉を使用 していても,統計学におけるそれに比べてかな り 狭い意味で使用 していたことが分かる。 これについては塩沢 (1990)に指摘

されているとお りである。

しか し,経済学において期待が重視され るようになった1970年代以降にお いては

,

予測誤差」や 「ノイズ」といった概念に よって,経済理論において も統計学的意味における定常性が次第に浸透 してきているように見受汁 られ る。現代の経済理論において,主体によるひとつの意思決定か ら将来予想 さ れる経済事象 (生産物の価格 ,需要量な ど)が,一個の確定値を とると考え

1 7 4

(13)

る者は少ない。われわれの多 くが,将来 の事象は確率過程 に従 うものと認識 しているoその意味において,新古典派 も含めて現代の理論家の大部分は経 済が 「ゆ らぎを持つ定常過程」であることを既に前提 としているのである。

この ことを確認 した上で ,尚残 る問題を指摘 したい。それは 「ゆ らぎ」の 捉え方である。われわれの中に認識上の差異があるとすれば,それは経済が ゆ らぎを持つか否かではな く,経済が 「いかにゆ らいでいるか」についての 意見の違 いなのではないか。それに関す る考え方の相違は,すなわち定常状 態に関す る考え方の違 いに もなる。た とえ確率分布の平均が時間を通 じて変 化 していて も (平均 自体がゆ らいでいても),その変化 (ゆ らぎ方)に一定の 法則性があるならば,その確率過程はエル ゴー ド性に したが っていることに なる。 さて この場合 もわれわれはそれを 「定常状態」 と呼ぶのか どうか ,吹 に この点に的を絞 った議論を してみたい。

(2)定常状態の考え方 (ii)‑いかにゆ らぐか一

複雑系経済学にい う 「ゆ らぎを持 った定常過程 としての経済」 とは どの よ うな ものなのか。そのもっとも基本 となる捉 え方は,起 こ りうる事象を正規 分布 として捉えることである (図 1,2)。 ここで言 う 「ゆ らぎ」とは,われ われが通常 「危険 (リスク)」として理論上統計上分析 の対象 としているもの の "時間的な認識"のことになるo

さて,複雑系理論の興味深い ところは,分析対象 となる分野を越 えて普遍 的な諸現象が観察 され るところにある。 フ ラクタル現象 はそ の一例 であ る が,われわれはひ とつの可能性 として,自然科学 とのアナ ロジーにおいて, この 「定常状態」を捉 えてみ ることが何か論点整理上 ,有益なのではないか と考 える(24)a

(図 2)は,温度が T度 の時の分子のエネルギー分布であ り,価格がPで ある時の需要量分布を示 した (図 1) と意図的にな らべて示 してある。 これ はェネルギーに対す る温度 の関係 と,需要量に対す る価格 の関係 のアナ 7

175‑

(14)

(図 1)

0

Ⅹ(P) 需要量 (Ⅹ) 0

(図2)

u(T) ェネルギー(u)

ジーを明示す るためである。

では議論を複雑に してゆ くが,価格 (温度)が単位時間 ごとに一定の割合 で緩やかに上昇 している場合に も,直ちにエル ゴー ド性が失われ ると考える 必要はない。その場合 も将来の一時点におけ る需要量 (ェネルギー)はやは りひ とつの正規分布 として描 くことができる (図3)。また ,価格 (温度)が (季節変動の ように)周期的に循環 している場合にも,一定期間後におけ る 需要量 (エネルギー)は,前の場合 と同様 にひ とつの正規分布に よって与え られるであろ う (図4)。さらに,これ らふたつのケースを合成 した場合に も 同様の ことが言え よう。これ ら全てのケースは

,

「ゆ らぎ」についての考 え方 を少 し広げてはいるが ,依然エル ゴー ド性 の範囲内に とどまっているケース ばか りである。

以上をまとめると,まず 「ゆ らぎ」 とは2段階か らなる概念だ とい うこと である。 ここで 「ゆ らぎ」に関す る第1段階の認識 とは,正規分布それ 自休 がゆ らぎを表現 した ものであるとい うこと,た とえ正規分布に したが った確 率過程であっても,実際のエネルギー (需要量)は,平均値を中心 とした可

‑176‑

(15)

需要量 (Ⅹ)0

能な値を取 るとい うことしか分か っていない。実現値はまさに平均値を中心 に して時間 と伴に "ゆ らいでい る''のである。

次に 「ゆ らぎ」に関す る第2段階の認識 とは,いわば ̀̀平均値 のゆ らぎ"

と表現すべ きものであって,正規分布が一定 の規則に従 って変動 している場 合 も,われわれはエル ゴー ド性が保持 されているものと考 えて よいだろ うC さらに "平均値のゆ らぎ"それ 自体に も平均値があ り,その 「平均値」 もま たゆ らいでいるとす る場合 ,そのゆ らぎに も一定の法則性があれば,やは り それ も一種 のエル ゴー ド性 と認めることができるO この ように平均値 の意味 す る次元を高めてゆけば,い くらで も 「ゆ らぎ」 のカテ ゴリーを拡大 してゆ くことは可能なのである。 ここで重要な ことは,それ ら平均値の 「ゆ らぎ」

が何 らかの法則性を持 っていることである。 このゆ らぎに関す る法則性が存 在す ることが,すなわちエル ゴー ド性保持の大前提であ り,将来起 こ り得 る 事態に関す る予想可能性が保証 され る必要 (最低)条件なのである。

この 「ゆ らぎ」に関す る第2段階の認識を現代の新古典派が どれだけ有 し ているかは定かでない。おそ らくこれは経済の 「複雑 さ」や 「複雑系」を意

177‑

(16)

識す るか しないかに よって,第 1段階で とどまるか第2段階にまで進むかの 違いが生 まれて くるものと考 えられ る。 これが現代の経済学におけ る本当の 認識上の差異の部分であろ う。 ここで最初の問題に戻 るな ら,ゆ らぎの第2 段階が定常状態なのか どうかは意見の分れ るところであるが,われわれは敢 えて定常性の概念を用いず とも,エル ゴー ド性 の概念に よって,予測可能な 領域 と予測不可能な領域 とを明確に区別す ることができるのである。

しか しなが ら,「複雑系」であるとか 「複雑 さ」といった ものは本来 ,以上 に示 した (第1段階 も第2段階 も含めた)ゆ らぎの範噂に収 まるものではな い。予測が第2段階 (あるいは第3段階以降)でも可能であったのは,そ こ に科学的分析が可能な法則性があったか らに他な らない。 この法則性が崩れ る時 こそ ,われわれが問題 とす るところの非エル ゴ‑ ドな世界 ,不確実性が 問題になって くる時である。

(3) 「シ ョック」 と不確実性

ェル ゴー ド性が失われ るのは予期せざるシ ョックが ,内生的に も外生的に も体系に深刻な影響を及ぼす場合である。 ここでシ ョックとは科学的なデー タか らは予測す ることができない体系の断絶であると定義 しよう。 シ ョック が予測不可能であ り,不確実性を伴 った ものであるためには,それがいかな る意味において もノン ・エル ゴ‑ ドな経済過程であることが要求 され る。 し たがって何 らかの法則性を持 った体系の断絶な どとい うものは,われわれの 定義におけるシ ョックにはならないのであるO

次にわれわれはシ ョックの程度 とい うことも考慮に入れ る必要があるだろ う。 とい うのは,シ ョックはそれが大 きな変化であるほ どに変化後 の分散を 変えて しま う可能性が高 く,また後に述べ るところの主体心理 としての不確 実性に与える影響 も大 き くなると予測 され るためである。 (図5) に示 した ようにシ ョックに よる体系の断絶は,平均 ・分散のいずれに も生 じる (さら には今後 の経済が運行 してゆ く経路 さえも変 えて しま う可能性 もあ る)。熟

‑178‑

(17)

力学の例で言 うと,大 き く温度が変化 して物質の相が変わ って しま うと,分 散はそれまで と違 って急激 に変動す る。普通であれば1度程度の温度の上昇 に よって分散 (ゆ らぎ)が大 き く変わ って しま うとい うことはない。 ところ が急激な温度上昇に よって融点や沸点を超 えて しま うと,水であれば氷が液 体の水にな り,さらに気体 であるところの水蒸気になって しま う。 この よう に物質の相が変化す ると各分子が内に持 っているエネルギーの分散は飛躍約 に上昇す る。そ うなるともはや平均値はゆ らぎの性格をあらわす上で大 きな 意味を持たな くな って しま う。同 じことは経 済 におけ る急激 なイ ンフ レー シ ョンにも該当す る。それは緩やかなイ ンフ レでは考えられなか った価格分 散 の急上昇を招 くのである。 ここでも平均値は意味をなさな くなる。分散だ けでは少な くとも合理的期待は不可能になろ うし,シ ョックの発生に よって 増大す る将来の不確実性 とい うもの も十分考慮す る必要がある。

ここで注意 しておきたい ことは,不確実性 とシ ョックとが全 く別な概念で あるとい うことである。 シ ョックそれ 自身は体系内における急激な変化では あるが,経済主体 もしくは観察者に とっての不確実性を意味∴しない。既に起 こって しまった シ ョックは,その変動の中身が既知 であることか らもはや不 確実性の対象にはな らないoそ こにあるのは新 しい確率分布の平均値 と新た に増大あるいは減少 した分散 とい う名の危険 (リスク)があるに過 ぎない。

ならば,将来起 こるか もしれないシ ョックが不確実性か といえば,それ もま た否定 されなければな らない。不確実性 とは,将来においてシ ョックが存在 す るか しないか ,す るとすれば どの程度 ・どの方 向なのか もまた定かではな い状態 (図5参照)におけ る経済主体の 「心理状態」を意味す る言葉なので あって,物理的 ・経済的現象を意味す るシ ョックとは質的に も異なった概念 と考 えておかなければな らないのである。

不確実性が一種の心理状態 と述べたが,誤解を招かないために主観的確率 との相違を付記 しておきたい。主観的確率は曲が りな りにも頭の中に明確な 正規分布が措け る,すなわち判断材料は十分存在す る場合の事柄である。不

一179‑

(18)

(図5)「シ ョック」についての概念図

確実性がその ような判断材料を欠いてお り主体は何 らかの別な対応を近 られ ている,その ような場合の心理状態であるの とは大 き く隔た っている0

本節でわれわれは 「不確実性」 の概念規定を行 ってきた。次節においては 以上の 「不確実性」定義を踏 まえて,それが経済分野においていかなる働 き を しているのかを考察 して行 くことに したい。

4

期待形成 と不確実性

(1) 経済過程における不確実性

不確実性はエル ゴー ド性 のカテ ゴリーにある危険 と異な り,何 らかの予期 せざるシ ョックと深 く関係 していることは前節で述べた とお りであるo経済 分野におけるシ ョックは,需要 シ ョックと供給 シ ョック,あるいはポジテ ィ ブ ・シ ョックにネガテ ィブ ・シ ョックとい う具合にい くつかの分類が可能な ようである(25)。だが,不確実性の本質的な点 に関 しては , どの よ うな経 済 シ ョックであって も同 じ様な心理的影響が もた らされ ることが予想 され る。

‑180

(19)

それは定常過程に したが ってきた経済が予期せざるシ ョックに見舞われた場 令 ,各主体の心理に近 い将来において同様 のシ ョックもしくは (新 しい)定 常過程 の断絶が生 じるのではないか とい う疑念が生 じるとい うことである。

しか しこの疑念は何 らかの科学的根拠を持 った ものではない。予測できるよ うな変化は既にエル ゴー ド性の範噂に属す るものであるし,われわれはそれ をシ ョックとは呼べないか らである。

さらに分析上困難な点は,ひ とび との疑念のあ り方が決 して一様にはなら ない ことであ る。確 か に ,ネ ガテ ィブ ・シ ョックの後 にはネ ガテ ィブ ・ シ ョックが続 くと予想す る主体が多いのか もしれないが,反対にそれを打ち 消す ようにポジテ ィブ ・シ ョックがや って くると予測す る主体 もあるC こう した相違は弱気 (ベア) ・強気 (ブル) とい う概念で言い表 されているが, それは元来 ,科学的根拠がないために予測の方 向さえも一定 しないことが原 因で生 じて くる心理現象であるとも言え よう。

また,経済が非常に長期にわた って定常過程に したが っていると,逆に主 体心理における (様 々な)経済 シ ョックの生起可能性に関す る意識 とか心構 えといった ものも衰えてい くことになる。長期定常経済が実現す ると,人 々 は近 い将来において何 らかの経済 シ ョックが発生す る可能性を相対的に低 く 見積 もるようになる。だがその見積 も りに関 して も科学的根拠が何 もないこ

とは,改めて言 う必要はないであろ う。

以上述べた ことの中か ら,不確実性の特徴を3つ挙げておきたい。

1.経済が長期定常状態 (厳密には長期のエル ゴー ド性保持)にある場合 , 主体の予期せざる経済 シ ョックに対す る不確実性は相対的に低下す るO 逆に言えば,現在の定常経済の近い将来におけ る存続可能性は高 く見積

もられ るようになる。

2.予期せざる経済 シ ョックの発生は,近い将来におけ る別 な経済 シ ョック に対す る主体の不確実性意識を高める。同 じことの裏返 しではあるが , 近い将来における定常性 (厳密にはエル ゴー ド性)の存続は相対的に低

‑181‑

(20)

く見標 もられ るようになる。

3.以上におけ る主体の不確実性認識 は ,何 れ も科学 的根拠 がな く, した が って各主体におけ る予測は,彼 らの気質をそれぞれ反映 して一定の方 向を示 さないo

これ らがわれわれの認識すべ き不確実性の基本的な特徴であると考 えられ る。

例えばバブルの生成 と崩壊のプロセスに,われわれの考察対象である不確 実性が深 く関わ っていた可能性は高い。バブル とは一般に 「ファンダメンタ ルズに基づかない資産評価」の ことであると考えられているようであるが , ここで言 うファンダメンタルズ とは科学的根拠 のことであると言い換 えても よかろ う。バブルの生成期には,勿論政策的な誤 りのせいもあったが,株価 や地価 といった資産価格の一方的上昇 とい う一種 の定常過程 が長 期 間にわ た って持続 していた。 この ことが主体の不確実性を低下 させ ,バブル拡大の スパイラル効果を高めた可能性は高い (26)。 しか しそれが科学的根拠を欠 いた ものであった ことは事後的に しか分からなか った。

反対にバブル崩壊の後には,景気の先行 きに対す る見通 しが立たない状態 が長 く続 いているのであるが,これは一度上昇 した不確実性が ,バブル崩壊 後に資産価格が何度 も底値を更新 したこと,急激な超 円高 ・ドル安 ,その反 対の円安 ・ドル高 ,そ して信用不安の発生 といったい くつかの経済 シ ョック が連続 したために,再び低下す る枚会を見失 って しまっていることがひ とつ の原因になっているのではないか。

不確実性の第3の特徴 との関連 で述べれば,しか しなが ら各主体の将来予 測は一定 していない。バブルが再び発生す ることを期待 して不良債権処理の 先送 りを続けた主体 もあれば,早 々と処理 を終 わ らせた主体 まで様 々で あ るo他の例を挙げれば,複数のエ コノ ミス トに よる新年 の経済予測は,一定 の方 向を示 さない場合が多い ように思われ るC これ も対象が科学的根拠の乏 しい不確実要素であるか らだ と言える(27)0

‑182‑

(21)

以上の ように特徴づけ られ る 「不確実性」であるが ,ラデ ィカル ・エ コノ ミクスやポス ト・ケイ ンズ派 とは別にあるひ とつの不確実性発生ケースに限 定 した形で,ことさらに不確実性のもた らす害悪 を強調す る経済学派 が あ る。意外か もしれないが ,それは合理的期待の経済学 グループなのである。

(2)合理的期待 と不確実性

いわゆ る合理的期待仮説におけ る 「合理性」 とは,どち らか とい うと第2 節で述べた狭義の合理性を意味 しているのか もしれない。だが ,第3節で既 述 した ように,特に70年代以降の合理的期待においてはオーソ ドックスな一 般均衡論 とは異な り,将来の状態に関 して 「ゆ らぎ」 の存在を認めている。

もっとも,彼 らは 「アラン分散」すなわち平均値 のゆ らざまで も問題には し ない(28)O さらに,基本的に平均値は安定 してお り (この ことが合理的期待 の 条件にもなるのであるが),満足原理ではな く,はっき りと最 適原理 を表 明 しているのは周知の事実である。 こうした意味 において彼 らの 「合理性」

は,凡そ狭義の合理性に分類 され ると見な して大過はないであろ う。

けれ ども,合理的期待に関 して注意 しなければな らない点は,彼 らがその 狭 い意味での 「合理性」 を経済のあらゆ る局面において保たれ るもの とは実 際には考 えていない点である。ひ とつの例外を認めてお り,さらにその例外 をク リテ ィカルであると考 えているのである。その決定的な例外 とはイ ンフ

レーシ ョンである。

Lucas(1973)の総供給モデルを例に引 こう。その導 出は ここでは省略す るが ,それは次式に よって表わ され る(29)0

yt‑ yt+ βγ (pt‑ p*t) + 入 [yt̲1‑ y。,t

̲

1

]

ここで, ytとは総供給量で,これは全市場に共通な恒常 的要素 (secular component)yntと各市場に固有な循環的要素 (cyclicalcomponent)ytと か ら成 る。上の式 の右辺第2項 と第3項が この循環的要素ytを表わ してお り,Ptはt期 (現在)の一般物価水準,P*tはt期において生産者に利用可

‑183‑

(22)

能な情報に よって予測 され る現在の一般物価水準である。 このなかで γや入 (いずれ も>0)は比例定数であるが,説 明を要す るのは βである。

生産者に利用可能な情報は2種疑 あ り,第 1の情報は ,全市場で共通に知 ることができる過去 (t‑1期以前)の全市場におけ る価格 ・生産量に関す る情報である。 ここか ら供給者は過去の一般物価水準を計算 しその分布につ いて知 ることができるが,その分布の平均がP*tであ り,分散はα2で与え ら れ る。第2の情報は,個別市場の供給者のみが知 るt期 (現在) の各市場の 生産物価格に関す る情報である。 この個別市場 の価格が一般物価水準の平均 か らZ%蔀離す ると仮定 し,この蔀離幅の分散を72とす る。一般物価 水準 との禾離幅に関 して共分散が存在 しない とすれ ば ,総分散 はα2

+

丁2で あ る。上式のなかの βは総分散に対す る個別市場の分散72の割合 を意味 して お り,

β

72/ (α2+72)

に よって示 され る。 この βが総供給 曲線の傾 きを左右す ることになる。

さて

,

βの構造か ら明らかな ように,一般物価水準の分散α2に対す る相 対 (個別市場)価格 の分散72が大 きくなるほ ど,供給量の弾性値 は高 くな る。反対に,一般物価水準が相対価格に対 して大 き く変動 している時には, 生産者はPtの予測値 と実現値 との蔀離に対 して供給量を大 き くは変化 させ ないO総供給 グラフの横軸を雇用量Nt(失業率を取 るな ら傾 きが逆になるだ けである) と読み替 えてやれば,期待インフ レ率が高 まった場合に考えられ る垂直のフィリップス曲線 (あるいは自然失業率仮説)を これに よって説明 することが可能になるわけである。

以上がLucas(1973)に よる総供給モデルの要点であるが ,実際の ところ

「不確実性」の観点か らでない と説明 し切れない面のあることに気付か され る。

彼のモデルでは,各市場の生産者はt期において同期 の一般物価水準 (の 実現値)

P

tを知 ることができない ことにな っている。したが って,理屈か ら

‑184‑

(23)

すれば,t期における予測値 と実現値の諦離幅が生産量の変化に影響を及ぼ すのは (t

+

1)期であ り, y什1に対 してでなければならないはずである。

ところが決定 されているのはt期の供給量ytなのである。果た して,これは 単なる矛盾 ,彼の誤 りなのであろ うかO

ひとつの解釈は,実現 されるはずのPlもまた生産者に よって予想 された ものであると見なす ことである。ではP*tとの違いは何なのか。それは後者 が利用可能な過去の情報に よる 「合理的期待」に基づ くものであるのに対 し て,前者は生産者の主観に基づ く,いわゆる主観的確率による計算であると い う点である。そのような予測を可能にするモデル内の唯一の変数は個別生 産者のみが知 る 七期の相対価格であるQ生産者は相対価格だけを頼 りに実際 の今期における一般物価水準を探ろ うとす る。

しか し,相対価格 と一般物価水準の2変数 の間には 「不確実性」 が横た わっている。確かに一般物価水準が相対的に安定 している時には,相対価格 の上昇はすなわち純粋な需要増大,景気の拡大 と解釈できる。その場合には

7 2がひとつの有効な指標 として役立つ。 したがって,Ptの不確実性はほと んど無視できる。 ところが一般物価水準の変動が極端に大 きい場合には相対 価格の情報機能は低下 し,Ptの不確実性が増大するoあるいはイ ンフ レー

シ ョンのひ とつの困難 さとして,市場 ごとに価格騰貴率が大 きく異なるよう になることが一般に よく知 られている。熱力学の分野における物質相の変化 に相当する現象が,経済分野においても発生す る一例である。そ うなると, もはや生産者は相対価格における何 らかの変化が生 じた として も,それに よって自らが主観的に行 う今期の一般物価水準予測の 「修正値」を信用する ことが出来な くなって しま うのである。

したがって,Lucas(1973)モデルの説明す るように,一般物価水準の分散

α2が相対価格の分散72に対 し相対的に大 きい場合は,生産者は合理的期待 と主観的期待の蔀離が生 じた としても,それに よって供給量を変化 させるこ とをためらうようになるのである。あるいは前項で示 した不確実性の特徴か

‑185‑

(24)

ら,次の ようにも言えるだろ う。すなわち,予期せざる急激なイ ンフ レはひ とつのシ ョックであ り, ♂2もゆ らぎの範噂を越 えて しまってい る。 そ うで あれば,生産者は将来におけ るα2の定常性に対す る不確実性 を高 め る こと にな り,総供給式の Cを次の ように変化 させ るであろ う0

0‑T2/ (T2

+

o・2+ ♂)

ここにおける ∂とは,一般物価水準の変動♂2(これ 自身は過去のデータか ら しか求 め られ ない) に対す る不確実性 を示す心理 パ ラ メ ー タ ー で あ る。

シ ョックに よってこの ∂が無視できないほ どたか まれは ,総供給 曲線の傾 き はさらにゆるやかにな って (一般物価水準の変化率を縦軸に取れば 「さらに 垂直に近づいて」),生産量の変化は よ り小 さな ものにな って しま うのであ

る。

以上は合理的期待仮説の中において不確実性がイ ソプ リシ ッ トに機能 して いる一例を示 したものである。 もっと顕著な例で言えば ,(彼 らがそ の有効 性を否定す る)政府の裁量政策に よって高 ま り,政策ル ールの採用に よって 低下す るのは,合理的期待を無効な らしめる不確実性なのであって,決 して 計算可能な危険 (リスク)ではない。不確実性の弊害を主張す るのな らば, 不確実性が何 らかの形でモデル内に示 されていると考えるのが真 っ当な判断

とい うものである。

しか し,われわれは さらに詳 しい学説史的研究を必要 としてお り,今述べ た ことについての厳密な吟味は,本稿 の続編において行われ るであろ う。

(3)広義の 「合理性」 と不確実性

前項においては合理的期待佼説が,不確実性に よって主体の科学的根拠を 持 った期待形成が阻害 され ることを,明示的にではないが実質的に認めてい る点を指摘 した。そ して合理的期待 モデルに,明示的に不確実性を導入す る ことに よって (心理パ ラメーター ∂の導入),現実の経済 に近 づ くひ とつ の 道を提示 してみた。

‑186‑

(25)

勿論 ,彼 らが想定す る 「合理性」はゆ らぎの存在を認めつつ も主体が利用 可能な情報をすべて利用す るとい う仮定や ,確率分布の平均値がゆ らぐこと を基本的に想定 しない事 ,さらに狭義の経済合理性に固執す るな どの点にお いて,満足原理や アノマ リー経済学におけ る 「合理性」 と比べて相当限定 さ れた (狭義の)合理性ではある。ならば,よ り広 い意味での合理性は不確実 性か らフ リーであるのかを,次に問わなければな らない。

まず アノマ リー型の合理性か ら検討 しよう。第2節で述べた ようにアノマ リーには,純粋 アノマ リーの他に 「認知上の錯覚」 と 「不確実性」か ら派生 してきたアノマ リー問題 もあ り,ここで検討の対象にす るのは 「純粋」の場 合に限定 され る。純粋 アノマ リーとは,本来な らば競合相手であるはずの主 体 と協調行為に及んだ り,あるいは産業間賃金格差の存在な どの ように,一 般的な経済学が想定す る合理性か らす るならば非合理 としか思われない行動 であって も,行為の主体か らすれば十分合理的な行動である諸 ケースを指 し ているO

さて,重要であるのはアノマ リー行動における合理性 もまた一種の効用最 大化 (別に ここで満足原理を適用 しても結果が同 じになることは容易に想像 され る)を 目的に しているのであって,要す るにその効用体系が,一般的な 最大化原理 の想定す るもの とはズ レているだけだ とい うことである。それが 本人の主体性に基づ く限 りにおいて ,た とえ外面的には彼が不利益を被 った り自己犠牲を受け入れているように観察 されても,それは本人がそれに よっ て満足を得ているか らなのであ り,少な くともそれ以外の可能な選択肢に比 べて高い効用を獲得す ることがで きるために過 ぎないQ

以上の ように考えるな らば,不確実性の与える影響は狭義の合理的個人の 場合 と変わ らないのではないか。すなわち,彼 らもやは り自分が属す る経済 社会の定常性を前提 とした期待形成 ・意思決定を行 ってお り,何 らかの予期 せざる突然のシ ョックに よってその定常性が失われた場合 ,彼 らは将来に対 す る不確実性 とい う心理的な圧迫を受けるようになるのではないか。 この点

‑187‑

(26)

において,行為主体の合理性のあ り方に関す る相違は全 く問題にな らないと 考 えられ る(30)0

次に,人間能力の限界を受け入れた時に適用 され る 「満足原理」‑の不確 実性 の影響について考えたい。

満足原理を想定す る塩沢 (1990)(1997)の複雑系経済学は 「ゆ らぎを持つ 定常過程」を前提にす る。われわれは既に前節において定常過程におけ るゆ らぎは計算可能な危険 (リスク) とほぼ同義であることを認めた。そ して不 確実性を もた らす ところの経済 シ ョックはゆ らぎゃ定常過程 (よ り厳密に言 うならばエル ゴー ド性)の範噂を超えて しま う,換言すればそれ らを破壊す る要素であるとい うことを認識 した。だ とす るならば不確実性やそれを もた らす経済 ショックは,満足原理を採用 した場合の経済 モデルに対 して もやは り決定的な打撃を与えるものであって,その前提 となるものを崩壊 させ る要 因になると考えることができる。

塩沢 (1990)は定常経済のゆ らぎに対 して3種類 のバ ッフ ァー (緩衝装 置)を提示 している(31)。そのひ とつは在庫である。生産者は将来需要におけ るゆ らぎに対 して在庫を持つ ことに よって多少の需要増に対 して も生産量を 変更す ることな くそれに対応す ることを可能にす る.次に貨幣であるOひ と び とは貨幣を予備的動機に基づいて保有す ることに よって 日々の消費財購入 量 の変動 (ゆ らぎ) に対応 しようとす る。そ して信用。それが存在す るおか げで各経済主体は資金需要 の変動 (ゆ らぎ)をそれほ ど心配す ることな く生 産や消費を行 うことができるのであるO しか しなが ら,これ ら3種 のバ ッ ファーが有効に機能す るに もそれが定常経済であることが前提になっている はずである。予期せぬ需要 シ ョックに よって在庫 が無 くな って しまった り (ポジテ ィブ ・シ ョック),反対に在庫が急激に増大 した りす る場 合 (ネガ テ ィブ ・シ ョック)には,バ ッファーとしての在庫は機能 していないのであ る。その時は生産量調整が必要になって くる。 また,急激なイ ンフ レーシ ョ ンが貨幣に対す る信頼を失わせ ることに説明は要 らないであろ う。信用 も金

一188‑

(27)

融 システムが正常に機能 している (その前提 もやは り定常過程である) こと を必要条件 としている。 この ように様 々な経済 シ ョックは定常過程 であった な らば意味のある働 きをす るであろ う種 々の緩衝 装置 を ダ ウンさえて しま う。そ して経済 シ ョックに よって高 まったひ とび との不確実性が害悪である のは,これ ら在庫 としてある諸商品,貨幣 ,信用 システムの現在か ら将来に 至 る信頼性を低下 させて しま うことにある。人間の負の心理要因 としての不 確実性の高ま りは,通常は経済的な価値が認め られているところの在庫商品 や貨幣 ,各種有価証券等 の価値を著 しく低下 させ る。なぜな らそれ らはいず れ も将来 と深 く関わ って価値が決定 され る ものばか りだか らで あ る。経 済 シ ョックは一回限 りであった として も,その悪影響を長引かせ るものは不確 実性に他な らないo

塩沢 (1990)(1997)もまた,定常過程を逸脱 した急激な変化がお よぼすマ イナスの影響について相当な注意を払 っている(32)。ただ不確実性に対す る彼 の基本的な態度は第2節に紹介 した とお りであって,経済のあらゆる局面に おいて不確実性が主体の期待形成に対 して決定的な影響を及ぼす と考えるポ ス ト ケイ ンジアンと好対照を成 しているように見える。 そ してわれわれ は その中間に真実を探 ろ うとしているのである。

5

お わ り に

本稿 は,われわれが今後 の研究をす る上での土台作 りとして,ゆ らぎ,危 険 (リスク),定常性 (もしくは定常状態),そ して経済 シ ョックといった錯 綜 した諸概念 の相互関係を,エル ゴー ド性概念を使用 した 「不確実性」定義 を通 じて明らかに し,それ と同時に主流派経済学 と反主流諸派の相対的位置 関係について も整理 してみ ようとい うことで執筆がな された。 この整理作業 は本編だけで終わるものではないが ,と りあえずは本稿において結論 として 得た諸点をまとめておきたい。

‑189‑

(28)

第一に,アノマ リーもしくは人間感情を重視す る立場 と満足原理を出発点 とす る複雑系経済学における 「合理性」は,合理的期待における 「合理性」

に比べて合理性 の定義を も う少 し広 く (より現実的に) とっている,その よ うな違 いがある一方でいずれ も定常性 (よ り厳密にはエル ゴー ド性)を前提 としている点において全ての立場に相違はない。

第二に,なお存在す る 「定常性」 の定義 の違 いは彼 らが想定す る 「ゆ ら ぎ」 の性質の相違に端を発 しているのであ るが ,そ うした違 いは 「不確実 性」か ら受ける悪影響 の前では全 く重要ではな くなって しま う。なぜなら, 予期せざる経済 シ ョックはいかなる定義における定常過程を も中断 し,そ こ で高 まる不確実性は科学的根拠に基づ いた合理 的期待 を不可能 に して しま う,あるいは 「ゆ らぎを持 った定常経済」 におけ る様 々な緩衝装置 (バ ッ ファー)を無価値 なものに して しま うか らである。

第三に,けれ ども忘れてな らない ことは,不確実性 とはあ くまでも各主体 の心理的な現象なのだ とい うことである。心理現象 とは極めてナイーブな も のではあるが,その一見掴み所 のないものが経済に対 して時 として深刻な影 響を与えるとい うこと,これが不確実性論の要諦なのである。そ して この事 に関 して,決 して明示的でもな くまた限定的なかたちではあるが,ポス ト・

ケインジアンと同等かそれ以上に強い意識を持 っているのが (意外か どうか は分か らないが)現代の新古典派 ,合理 的期待 の経 済学 だ とい うことで あ る。 しか しこの方面におけ るさらに詳細な考究は別稿に譲 らなければな らな

い。

われわれに とっての最終的課題は,今 回行 った定義 と特徴 づけ に基 づ い て,不確実性を明示的に導入 した経済モデルを構築 して行 くことであるDそ の場合に十分注意が必要であるのは,本稿 の最初で述べた ように,不確実性 を無視す ることは確かにできないが,そ うか といってそれをあま りに強調 し す ぎて も現実の経済を正 しくとらえることにはな らない とい う点である。不 確実性は複雑な経済現象を説明す るためのい くつかある諸要因のなかの一つ

‑190‑

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