ポーランドにおける学制改革と教員養成
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(2) . ポーランドにおける学制改革と教員養成. 二. 目. 沢. 正. 博. 次. 1. 1 97 0年代のソ連・東欧諸国における教育的統合 2. ポーランドにおける学制改革の歩み 3, 教員養成制度の改革 4. 大学における教員養成の実現 5, 展望--現職教育の組織化. 1, 1 970年代のソ連・東欧諸国における教育的統合 -- ポーラン ド教育研究の意義-- ソ連・東欧諸国 は, 共通の理想的人間像として 「全面的に発達した人間」 を掲げている いくつ . かの国家が, 概念内容を同じくす る殆んど同じ表現によっ て, 教育の国家目標を定めているという. こと自体, 注目に値する. さらに, ソ連の1 9 36年憲法 の 「教育権」 規定の文言が, 今日のすべての 東欧諸国の憲法教育条項の冒頭を飾っ ていることも見逃せない (注1)すなわちソ連・東欧諸国は . , 少なくとも教育理念の次元において全く共通の最終ゴールを共有しているのである しかしながら, , 教育理念の共有は, 教育現実の同一性を意味しはしない. むしろ反対に, これら諸国は自然, 民族,. 言語, 歴史, 経済などにおいて, それぞれ独自性を保っ てきており, そのことは, 今次大戦終了時, これらの諸国が人民民主主義 への 第一歩を記した時 でも同様であっ た. 戦前から資本主義的工業化 の比較的進んでいた東独やチェ コスロ ヴァ キア では, 学校制度も整い, 国民の就学率もほ ぼ1 00%に. 達 していたが, たとえばポーラン ドや ブルガリア では国民の約4分の1, ルーマニア では約3分の 1が文盲 であっ た. 義務教育は, ハンガリー では1 868年から6 年, ブ ル ガリ ア では 1921 年 か ら 7 年, チェ コでは1 86 9年から, プロシア では1 872年か らそれぞれ8年と施行さ れてはいたが, 事実 上の就学率は極めて低く, 中等高等教育についていえ ,ば, それは民衆の子 どもたちにとっ て無縁の. 存在 であっ た. そのうえ, これら東欧 諸国は, 今次大戦中, 国土が文字通り戦火にさらされ, 教育 施設の過半数は破壊され, 教員の多く が戦場や強制収容所で殺されたの であっ た これら諸国にお .. ける戦後の新教育建設は, その多様性と共に経済的な破綻のなかから始め られたのである . 自然, 民族, 言語, 経済などにおける多様性と, 国土の荒廃を出発点 としながら, 共通の教育理. 念を掲げて歩ん できた戦後30余年の東欧諸国の教育史は,ようやく世界の注目するところとなりつ つある. なぜなら, そこには, 社会主義教育体制(注2)と呼ぶにふさわしい共通の教育現実が作り 出されつつあるからである.戦後30余年の東欧諸国の包括的な教育史に関する研究も近年ようやく.
(3) . 三. 樫. 正. 博. 活発になりつつあるが, それらに依拠しながら, とくに共通 基礎教育の発展に焦点をあてて, その 歩み(注3)を素描してみる. 1 940年代は, 戦後の復興期 であり, 教育改革にあっ ては, いわば一般民主主義的改革の時期とし. て特徴づけられる であろう. すなわち, それは反ファッシ ズム, 反封建主義, 反帝国主義的民主教 育の実現 であり, 教育的特権の廃止, 複線型学校制度の清算, 学校の公共化, 教育と宗教の分離, 、 学校の世俗化, 労働者農民の子弟にたいする教育的配慮などの理念に導かれながら改革 が進められ 945年から1 950年の間に, 各国の憲法や教育法に定式化されていっ た, た.これらの改革の指 針は,1 しかし, この時期における最大の教育問題は, 学校と諸設備の復興建設, ファッショ 教員の追放と 新しい人材による補充など物的人的な回復 であっ た. そして何よりもまず, 戦前からもたらされた 文盲の清算 であっ た. 実際, 東独やチェ コを除く他の国々にあっ ては, 文盲率はいぜんとして高く,. 加えて戦中の学校教育の荒廃によっ て初等普通学校の整備は焦眉の問題 だっ たの である. 1 9 50年代は,社会主義の基礎の建設期あるいは過渡期と性 格づけられている.各国において,いっ. せいに経済発展計画がスタートし, この時期に, 工業生産, 内外貿易, 金融の分野における社会主 義セクターが支配的となる, すなわち, 社会主義の経済的 土台が築かれていっ たのである. 教育に 関しても,40年代とは異なる原則が提起さ れる. すなわち, 40年代には 一般民主主義的な教育原則. 0年代には明らかに 社会主義的な教育原則, あるいは近代教育の原則が掲げられていたとすれば, 5 すなわち, 科学的世界観を身につけた社会主義建設者の育成, 教授と生産的労働の結合, 学校の総 56年 9 合技術化などが登場する. 教育政策の社会主義化は, 手続上からも看取し得る. すなわち, 1 会主義的改革の基本方針を決 会が 学校の社 各国の労働者党乃至共産党の大 1年ま から6 での間に, ,. 議し, つい で立法化がはかられていっ たの である. 事実, 社会主義経済の土台の建設は, その工業化によっ て, 相応する労働力構造を要請し, 国民 教育制度の改革ひいては教育内容と方法の 改善を迫っ たの である.40年代にあっ ては, 文盲はまだ 深刻 な社 会問題 であっ たが, 50年代を通 じて, 文盲率はいちじるしく 低下し続け, ユー ゴスラヴィ アとアル バニアを除き, 基本的に解決された. 文盲の清算に 続く次の議題は, 前期中等教育の義務 化であっ た, この時期における共通義務教育の延長は, 次のように要約 できる. ア ルバニア ルー マ ニ ア ブ ル ガリ ア. 1952 年 ま で4 年, そ れ 以 後 7 年 と な る. 1956 年 ま で4 年, そ れ 以 後 7 年 と な る. 50 年 代 を 通 じ て. ポー ラ ン ド 1948 年 か ら. 7 年.. 7 年. 1952 年 ま で 7 年. そ れ 以 後 8 年 と な る. 50 年 代 を 通 じて 8 年,. ユ ー ゴ ス ラ ヴィ ア ハ ン ガリ ー. 東 ドイツ. 50年代を通じて. チ ェ コ ス ロ ヴァ キ ア. 8年,. 1953 年 ま で9 年, そ れ 以 後 8 年 と な る.. 以上のように, 50年代の初めには, 各国の義務教育年限の間に大きな差 がみられたの であるが, この時期の末にはいずれも7年乃至8年と, 前期中等教、育の段階が義務化され, 各国間の格差は少 なくなっ た, 5 0年代, すなわち, 社会主義の土台の建設期における東欧諸国共通の教育的 成果は,. 次のように要約 できる であろう. 1. 学校教育の目標として, 社会主義建設者の育成が明確化され たこと, 2. 文 化的後進性, 文盲を清算し, 前期中等教育の義務化を実現したこと, 3. 社会主義 的統一学校制度を実現し, 都市と農村の教育の格差を解消し始めたこと, 4. 中等高等教育を民主 化し, 労働者農民の青年の入学の道を拡大したこと. なおしかし, 残された問題として, ドイツ民 主共和国やチェ コスロ ヴァ キアのような先進国とその他諸国との間の 教育上 の格 差 の存在 があっ.
(4) . ポーラン ドにおける学制改革と教員養成. た. たとえば, ドイツ民主共和国 では, 1 95 0年に1 0年制義務教育が提起され, 1 95 9年には 同世代 パ の4 0 ーセント以上の青年が10年制学校に進学していたの である . 50年代末には, 進展する工業化 と学校教育との間の矛盾がいっ そう拡大することになっ た こう . して6 0年代は, 社会主義 の土台の建設の時期から, 発展した社会主義 への移行期として特徴づけ ら れる. 5 0年代から6 0年代にかけて, 各国において学校改革法が制定された すなわち 59年 ド , , ,. イ ツ 民 主 共 和 国 と ブ ル ガリ ア, 60年, ルー マ ニ ア と チ ェ コ スロ ヴ ァ キ ア 61 年 ポー ラ ン ド ハ ン , , ,. ガリー, アル バニア, 5 8年, ユー ゴスラヴィ ア で, それぞれ新教育法が採択され 共通義務教育年 , 限が延長され, 義務教育以後の中等教育の分化の問題が各国共通 の課題となる また 教授と生産 , . 的労働との結合, 学校の総合技術化の課題に沿っ て, カリキュラム改訂が進み 労働準備教育が重 , 視され, 中等職業技術学校 が発展する また, 教科として 共産主義的世界観育成に関わるもの , , , ならびに労働総合 技術教育に関わるものが導入された これら一連の改革によっ て 義務教育年限 . , は, ア ル バ ニ ア, ブ ル ガリ ア, ポー ラ ン ド, ル ー マ ニ ア ユ ー ゴス ラ ヴィ ア では 共 通 に 8年となり , ,. チ ェ コ ス ロ ヴ ァ キ ア では 9 年 と な っ た ,. 1 970年代は, ソ連・東欧諸国 の教育にとっ て注目すべき時期となる この時期は 発展した社会 , . 主義の時期と名 づけられているが, 教育政策と 学制改革におけるいわば社会主義的統合の現象 が顕. 著となる. 既に6 0年代後半から, そして70年代前半にかけて, 各国において再び学制改革が進行 した. す な わ ち, 65 年, ドイ ツ 民 主 共 和 国 68 年 ルー マ ニ ア 69 年 ブ ル ガ リ ア 70年 ユ ー , , , , , , ゴ スラ ヴィ ア, 72 年 ハ ン ガリ ー 73年 チ ェ コ と ポー ラ ン ドと 続 く こ の 改革 の 特 徴 は こ れ ら , , , . ,. 東欧諸国 が独自の発展に基づきながら, なお相互に 共通 の目標を掲げているという点にある すな , わち, 完成年度はそれぞれ異なるが, いずれも, 義務教育年限を7年乃 至8年か ら1 0年に延長する. ことを目指していること, 就学始期年令に現存する若干の差 (ブルガリアとポーラン ドでは7才 で 入学, 他は6才) を解消し, 足並みを揃えること 小学校低学年の年数 (全科担任制 の年数) を従 , 来の4年から3年に縮減す ること, 義務教育後の中等教育を整備すること などである , , 戦後3 0余年の間これら東欧諸国とソ連との教育交流と協力には浅からぬものがあることはいう ま でもないが, これら諸国の教育協力あるいは教育的統合 が組織的に行なわれるようになるのは , まさに7 0年代に属する事柄なのである. ソ連は15の共和国からなる連邦国家であるが 全連邦を , カ バーするソ連邦文部省が創設されるのは, ようやく1 966年のことであり, 続 いてソ連邦教育科学 アカデミーが, 1 968年に研究活動を開 始した. この研究活動の重要 な柱のひとつが 社会主義諸国 , との教育研究協力 であり, それに基づくいわば社会主義的教育統合なの である ソビエト教育科 学 . アカ デミーは, 1 96 8年, ドイツ民主共和国教育科学アカ デミー との間に教育研究に関する二国間協 定を結んだが, その後, モン ゴル (1 968年) 97 0年) 70年) の中央 , ブルガリア (1 , ハンガリー (19 教育研究施設との間にも同様の協 定を結んでいる これらの実績のう えに7 0年代前半には, いわゆ . るコメコン諸国全体をカバー する多国間教育研究協力組織が大規模にスタートした この事実は , , 社会主義教育の歴史における新しい時代の到来といっ ても過言 ではない . すなわち, 今日以後においては, ソ連・東欧諸国 の教育の考察は これら諸国の共通性一般性を , 無視しては不可能となりつつある. 事実, 本稿の主題 である教員養成制度改革の問題に関しても , 1 977年6月, ワルシャワ で開催された第3 回社会主義圏教育研究大会が その大会テーマとして取 , り上げており,「発展した社会主義社会の青年の人格形成に果たす教師の役割」 と題して 研究討議 , が交わさ れている. ポーラン ドの教員養成制度改革の問題を論ずるにあたっ て 以上 今日におけ , , るソ連・東欧諸国の教育的統合の動向を冒頭に述べた所以 である ..
(5) . 三 揮 正 博. リ ア ブルガ ポーランド. --一. l a i i H a 』 H 3 h o u = I T a Hc E K ” xc e c a o l l P K O n ae , P . H b l e O B e Me H el lc a B H T I 1 3 P e H 0 eP c e B 0 H n o み K M J I b細川a 3 ( 痔 e o A eMb l Ap . n = . . . y p . ,n の叙述にもとづいて作図した. 1 945. 1 950. 19 55. 1960. 1965. 19 70. 19 75. 0 198. 図1 東欧諸国における義務教育年限延長推移 (法制定年による). 2. ポーラン ドにおける学制改革の歩み(注4) --中等教育をすべての者に-- 教員養成制度は, 学校制 度全般, なか でも共通 基礎教育の量的質的発展, すなわち義務教育年限 の 延長や学校数・学校規模の拡大ならびに教育内容の 充実とレ ベ ルア ッ プに深くかかわっ ている. 戦後ポーラン ドにおける教員養成制 度考察の前提として, まず学制全般の歩みをたどっ ておく. 44年7月, ポー 新しい ポーラン ドのための学校建設の努力は, 既に戦時下に 始められている. 19 発展のための宣言を布告した これは ラン ド国民解放委員会は, この国の国民教育 , 人民ポーラン .. ドの最初の教育宣言 であっ たといえよう. この宣言は, 既に解放された地域に学校を復興し, 普通 945 義務無償教育の早急な実施と,新しいポーラン ドにふさわしい教育内容の編成をうたっ ている.1 年5月, ポーラン ド労働者党中央委員 会のイニシァ ティ ブ で, 全ポーラン ド教員(党員)会議が開か れ, ここ で審議された草案が, 翌月ウッ ジ で開催された全 ポーラン ド教員大会に提案された. 提案 は, 1, 制度内容ともすべての段階の学校が単 線型梯子型 であること, 2, すべての子どもに普通 義務教育を与えること, 3, 私立学校を廃止すること, 4, 教育の無償性を実現することなどをう たっ ていた. 提案はカリキュ ラムについても言及し, 人文教科の非科学的内容を除き, 自然科学教 科を重視するよう勧告している. 大会決議は次のような新しい学校の基本原則を定めた. 1, すべ ての段階 で共通無償公立の単線型教育制度. 2, 3才から6才までの義務的な就学前教育施設を国 家 公共機関が設置し維持する. 3, 制度上内容上単線型の8年制 義務教育学校を都市および農村に. 建設する, 4, 中等普通学校の教育年限は後日定める. 5, 職業学校は, 8年制基礎学校の上にお 8才ま での職業義務教育を設ける. かれる. 6, 基礎学校卒業後, 学習を継 続 しない者のために, 1 --基本原則は以上のよ に定めら 金の財源を確保する 7, 成人教育制度を設ける, 8, 奨学資 .. れはしたが, 戦後ポーラン ドの社会生活の現実は極めて厳しいもの であっ た. 戦争と約6年間にわ.
(6) . ポーラン ドにおける学制改革と教員養成. たるヒトラーの占領は, 莫大な損失をポーラン ドに与えた 多数 の専門的人材--熟練 労働者 技 . , 師, 教師, 医師が失われた. 子どもたちは5年半もの間, 学習の機会を奪われていた 加えて 戦 , , 地からの復員, 住民の大規模な移住, 農村人口の都市流入など 校地 教員 教科書などの絶対的 , , , 不足と相まっ て, 基礎学校網の建設そのものが容易ならざる事業となっ たの である . 1 56年, 政府は 「義務教育令」 を施行し, 基礎 学校7年の就学義務を定め 14才ま でに何らかの 9 , 理由 で修了 できなかっ た者 にたいしては1 6才迄の就 学を義務づけた.5 0年代は, 格別, 基礎学校の 完全な建設と労働力供給のための職業学校の拡充が計られた時期 であっ た しかし やがて60年代 . , 後半か らの工業化のいっ そう急速な発展, 科学技術革新 農業生産の発展 社会生活の民主化 国 , , , 民の政治参加, 文化の向上などは, さらに新らたな要求を教育と学校に提起することとなっ た こ . うして1 957年から6 1年の間に, 学校制度改革の問題 が, さま ざまな機関 で審議されることになる . すなわち,57年5月, 全ポーラン ド教員大会,58年9月, ポーラン ド統一労働者党中央委員会第1 2 回総会, 59年3月同第3回大会な どで, 学制改革問題が討議された こうして 19 6 1年6月 学校 . , , 改革の最終決定が, 党中央委員会第7回総会 で採択され, 総会は国 民教育制度の土台として 8年 , 制義務教育学校の導入を定めたのである 総会の決定には 教育内容改善に関する具体的勧告も含 . , まれている. すなわち, 1, 初等中等普通 学校 で理数系科目を充実し 現代生産技術に関する知識 , をこれらの教料に加 えること, 2, 基礎 学校カリキュ ラムに実践的作業を導入し 中等普通学校カ , リキュ ラムに実践的技術作業ならびに社会的有用労働を導入すること 3 人文系科目のカリキュ , , ラムを再検討すること, とくに歴史, ポーラン ド語およびポーラン ド文学の教科に新しい内容を加 えること, などの勧告が行なわれた. この勧告には, 明らかに 社会主義的工業化 を背景とする社 , 会主義的教育原則に基づく学校改革の指針が読みとれる , 1 961年7月, 右のような第7回総会決定の指針に 基づいて「教育制 度発展に関する法律」(Us t awa. ia151 ipcal961r.orozwoJu systemu ogwi zdn ia atyi wychowan )が制 定 さ れた. . こ れ は, ポー ラ ン. ド人民共和国における最初の学校法 であり, ここに人民ポーラン ドの学校制度 が法的に整備さ れる ことになっ た. その前文はいう.「ポーラン ド人民共和国の市民は, 教育を受け る権利を有する 教・ , 育は, ポーラン ド人民共和国 の社会主義的発展の原動力の一つ である 教育は 国民経済と文化の , . 働き手, 社会主義の有能な建設者の育成 を目的とする 教育制度は すべての国民に 基礎 学校教 , , , 育を保障し, かつ能力と興味に応じてあらゆる段階と分野の教育を受けることを保障する」(注5)降. と. 法律は, その第二部 で, 学校制度の構造を次のように定めている 1 3才からの子どものた . , めの就学前教育施設, 2, 7才か らの子どものための8年制基礎 学校 3 基礎 学校修了者のため , , の2年乃 至3年の下級職業学校, 4, 基礎 学校修了者のための4年乃至5年の中等学校 すなわち , 4年制の普通中 学校 (普通りツェ ウム) あるいは4年乃至5年のテフニクムおよ び職業中学校 (職 業リツェ ウム) , 5, 高等教育施設. なお, これら諸学校の基本的任務を, 法律第1条は次のように うたっ ている. すなわち,「学校その他の教育施設は, 生徒の全面的発達およびかれらをポーラン ド 人民共和国の有能 で創造的な市民に教育することを目的とする この教育は 生徒に 自然と社会 , . , の法則, およ び国民と人類の歴史と文化についての知識を保障し かつ科学的世界観を育て 職業 , , 労働のための能力を与えることを目標とする, 学校その他の教育施設は 社会共同の精神 祖国愛 , , , 平和・ 自由・社会正義およ び万国の労働者との友好精神を育くみ 労働にたいする愛情と尊敬 国 , , 民的財産の尊重を教え, 国の経済・文化の発展に積極的に参加するよう準備する」(注6)と 要す . るに, この法律によっ て, ポーラ ン ドにおける社会主義的教育原則と学校制度が確立したと いえる であろう. 1 961年法による学校制度は, 次の図のようなものである . 1 9 70年代に入るや, 再び新らたな学制改革への動きが始まる. 先に述べたように 1 70年代には , 9 5.
(7) . 三. 鴇 断. 漂 正. 博. 学年. 大 … 学 院1. 23 22 1 2 2 0 博 れ 2 0 博. 職業 学校. 18 普通 子 ÷ 占 ↑ メ 酔 リツ ェ ウム. 1 6 熔 短. 丘 ロ回. 茸 テク. (中学校). テ クニ クム. 職業および 芸術リツェウム. 鱒 ス. 職業基礎学校および 農業訓練学校. ロロ ロロ. 14 13. 圃ー 鱈回 厘. 12 n. 学 学. m. 校校 , “. △入学試験 ○卒業試験 19 ,s t r TADEUSZJ .46 . W1LOCH.SYSTBM SZKOLNY W・, 77. 図2 1961年法による学校制 度. ソ連・東欧諸国の間に, 社会主義的教育統合の動き が顕著となるが, ポーラン ドにおいても, 他の 9 71年に学制改革への動きが始まる. それはまず, 同年開催され 諸国と足並みを揃えるかの如く, 1 た ポーラン ド統一 労働者党第6回大 会において, 全般的中等教育の漸次的導入が提起されたことに よっ て始まる.60年代には前期中等教育の 義務化が目標 であっ たとすれば,70年代以降は後期中等 教育, いわゆる 完全中等教育をすべての者に与えるための 包括的な学制改革が目標となる. ポーラ. ン ド統一労働者党中央委員会書記局の勧告によっ て組織された学制 改革のための専門家委員会は, 1 2年1月, 国の教育およ び学校制 度 の現状に関 する報告書の作成を委任されることになっ た. こ 97 の教育状況白書作成専門家委員会の仕事は, まず 現行の教育制 度の分析と評価, 改善への提案, そ. 5年から2 000年までの ポーラン ドにおける教育の将来計画草案を作成することであっ た, 97 して1 むろん, この計画は, 国の経済発展を見通し, 学校教育ばかり でなく, 校外教育, 国民の生涯教育.
(8) . ポーラン ドにおける学制改革と教員養成. の問題をも網羅していなけ ればならないとされた つまり これは21世紀に向けての壮大な国民教 . , 育計画の作成 であっ たといえよう. 報告書 は, 72年末に提出さ れ 広く討議に附された (注7) , . 1973 年 10月 13 日, ポーラン ド人民共和国国会は教育制度の新しいモ デルの採用に関する決定を 行なっ た. (注8)それによると, 1, 都市 と農村に就学前教育施設を漸次整備すること その際 , , 小学校入学前少なく とも1年間, 各種の形態の施設において就学前教育を施すこと 2 中等教育 , , をすべての者に保障するために, 初等中等教育一 貫のカリキュ ラムによ る中学校を設けること こ , の中学校の修学年限は1 0年間とすること, などが定められている なお 10年制普通中 学校は二段 , . 階に区分され, 1~3学年 を初等段階, 4~1 0学年を系統的段階とする. さらに, 系統的段階は , 必修科目 のほか生徒の能力・適性・進路に応じて選択科目が導入されることとな た この1 0年制 っ . 普通中学校 を土台として, 専攻によっ て半年から2年半までの職業学校が設けられ 他方 高等教 , , 育施設への進学のためには, 2年制の いわゆる特別 学校が設けられる . この改革は, 二つの段階を経て行なわれる すなわち 1 . , 976 , 77年の準備段階と, 1978年からの 本段階 である. こう して, 1 97 9年現在, 初等第1学年生徒が, 新しいカリキュ ラムと教科書によっ. 高等教育施設. 16 馬. … 9. 14 13 12 11 10 9. 6. .. 幼. 稚. 園. PEDAGOGIKA,Podr i k akademi i ec zn j ck edakc a ,Podr Mi l l i cha a God t ewsk ego r ,い ,1975 .677 ,s. 図3 1 9 7 3年法による学校制度案.
(9) . 三 揮 正 博. 990年ま て学習を始めている. 今後, 連年学年を追っ て全学校制 度の改革 が進行する予定であり, 1 でに, すべての青年が完全中等教育を身につけることが予 定されているのである. 3年法による学校制度案と, 普通教育学校のカリキュ ラム案を示す. 次に, 197 草 教. 科. 案 X. 1. ポーラン ド語. 3 4. 楽 音 社会と自然の環境. 6 8 9 1 0. 歴 史 党と国家の政策基礎 マルクス主義哲学基礎 現代の家庭. 11 12 13 14 15 16 17 18 19. 学 数 報 情 理 物 文 天 化 学 生 物 衛 生 人間の自然環境 生命の生理学的基礎. 2 図画 (美術教育) 5 現代文化. 21 製 22 職. 図 業. 23 体. 育. 2 4 国防(軍事教育) 25 ロシア語 26 西欧語. 任指導時間. 0 9 3 0 3 0 3 0 3 9 2 0 3 4 2 4 2 4 2 1 8 2. 教科外活動 必. 修. 実習 (企業および施設にて、. 薯踏奏餅 における社会的 スポーツ活動. 2. 週 時 間 選 択. 2. 3. 3. 補習, 集団体育及び遊戯. クラブ (問題あるいは教科) 芸術クラブ (器楽, 合唱, 図画, 演劇など). 圏国回 統合科目 l lde i rneuen i s Mode Mak l s z ek a an Mac symi , De 1 i 1 i dung t 1 h 1 s l 1 i S nha zehn t t r e sB Chu e undi e S く s s a gen Mi i 1 i 1 76/1 1 i 1 1 く 1 1 i r e chende padagog くPo en r vo く S r epub n de g ,19 ,Ve. 図4 10年制 中学校のカ リキュ ラム. 8. 3. 4. 4.
(10) . ポーラン ドにおける学制改革と教員養成. 3, 教員養成制度の改革 前述のように,1 9 73年1 0月, ポーラン ド人民共和国国会は, 新教育制 度の採用に関する法案 を通 過させた, この新教育制度は, 19 78年9月新学期から実施に移され始めたが, 教員養成制度の改革 は, この学制全般の改革に先立っ て行なわれた. 戦後ポーラン ドの教員養成制 度は, 1 972年 の 「教 b i t k 員の権利と義務に関する憲章」 ar a prawio owaz 6w nauczyciela)の制 定 を も っ て, 前 後 に 大 き. く区分することができる. しかし, 実際の改革は, この年をはさんで前後数年に亘っ て段階的に行 なわれた. したがっ て, 本稿 では, 制度改革 の提案がなされる以前と改革過渡期と改革後の現状と の三段階に分けて考察を進め ることにする, 改革以前の教員養成制度 (1 944~1 96 6 ). ポーラン ドでは, 第二次世 界大戦中に約1 6 0人の教員 (総数の約30%) が死亡した上, 戦後 , 00 も教職を離れる者が続出した. 他方, 戦後の出生率の向上と学校の復興発展によっ て生徒数は激増 した, こうして慢性的な教員不足が, 戦後ポーラン ド教育の最大の問題の一つになっ たの である . 教員を確保するため, 多種多様な速成的養成を行なわざるを得なかっ た. すなわち たとえば 基 , , 礎学校教員を確保するために, 普通中 学校の第3, 第4学年に師範科を特設したり または 中卒 , , 者にたいして, 6週間乃 至6ヵ月の講習を行なっ たりして急場をしのいだ これが 戦後長 い間に , . 亘る不統一な養成制度の原因となっ たの である. 無資格教員の割合をあらわす次表は この事実を ,. 裏書きしている. 無資格教員の割合 1946 -- 24,4 1948 -- 26,O 1949 -- 24,5 1950 -- 24,9 1951 -- 26,2 1952一‐ 24,5 1953 -- 21,3 1954 一‐ 16,3 1955 -- 10,7 1956 -- 8,O 1957 -- 5,O 1960 -- 3 7. T ” 月 日 B H O C K - - B匿Me H Ho ec o cT a l in 升田 el e c n e K ↑ HB b lp a 3 I I I I B T 月C H C T eMb r lno o T O B K H p A . Ma ’ CO nB nHP 貧 n H e 』 e T 3K H n eMb -c ou - - a崩す - K yq cT I - e c O e a r o r - - K I 1 A . AnH CCCP, nPda ,1 , M. , 1973 T p ,419 ,c. こ の 状 況 は,ほ ぼ 1950 年 代 ま で続 い た が, .1961 年 7 月 15日制定の「教育制度発展に関する法律」 d U i 1 51 i ( stawaz na i iu systemu oSwi atyi wychowan )は, そ の 第 32 条 で「教員 pcal961r,orozwo a. L i 養成は, 師範学校( i ceum pedagoglczne) ceum pedagog cznedl a wychow& , 幼 稚 園 教員 養 成 所(Li. l i ) wczyn p r zedszko ,. 高等師範学校 (Studium nauczycielski .SN と略 記 す る こ と があ る) ,. お よ び高. ko l Sz 2 等教育施設( s z awy a)において行なわれる」(注9)と規定した, これによっ て, 教員養成制度 の骨格ができあがっ たといえる, 教員養成は学校種別による段階的なものであっ たが, その養成は, 内容においても必ずしも統一 的なもの ではなかっ た, たとえば, 中等教員の養成は, 高等教育施設が担当したが 総合大学にお , け る そ れ と, 教 育 大 学 に お け る そ れ と の 間 に は, 格 差 が あ っ た こ の 点 に つ い て ペ ン チ エ ル ス キ ー . ,. は興味深い考察を紹介している,(注1 )彼によると, 教育大学側 では, 教員養成は独自 の教育的環 0 境のなかで行なわれるべきだと考えており, 教授能力は多数 の科学の統合的内容の習得によっ て身 につくと考えている. したがっ て, 諸科学そのものの他に, 教育学的教養を重視する傾向がある . 9.
(11) . 三 漫 正 博. これにたいし, 総合大学側 では, 中等教員養成において決定的なのは, 諸科学の完全習得, 諸科学 に固有の方法論を身につ けること, 科学的思考訓練を行なうことだと考えており, 要するに良い数 学者は即 良い数学教師だという, 彼はこのように両者を紹介して, 教育大学側の仮説を支持してい るように思われる. すなわち, 彼によると, 総合大学側の考えによると学校の主要な機能は教授と いうことになるが, 現代学校の役割りは変化 しつつあり, とくにその訓育的診断的役割は増大しつ つある, 教師は教授する とともに訓育し, 子 どもの個別学習を指導しなけ ,ればならない. 総合大学. 0~1 65時間, 実 20時間, 教科教授法に6 0~1 では, 教育学的教養は傍系扱いであり, 一般教職に6 「 習は4週~6週と少ない. しかも, これらの教養は, 最後のゼメスターに つ けたし」 のようにお かれている, という. このような傾向は, 体育・美術などの教員養成にあたる単科専門大学では, い っ そ う 強 い と, 彼 は つ け 加 え て い る.. ) 972 96 7~1 改革期の教員養成制度 (1. 68には8年 1 961年の 「教育制度発展に関する法律」 によっ て, 義務教育1年延長が定められ, 19 な 1 た 9 養成制度に大きな改革を迫ることに 基礎 完成したが 制 学校が っ . 67年, ポー ,このことは教員. ラン ド科学アカデミー教育学・心理学委員 会によっ て, 養成制度改革への第一 歩が踏み出された. l l i i a zaszko sk ud um nauczycie そ れは, 2年制の高等師範学校(St .SN) を 3 年 制 の 教員 大 学 (WyZs. i l nauczyc e ska .WSN と略記)に昇格させ, 8年制基礎学校教員の養成を行なわせることであっ た. 1 968年, 最初の3校 が開校した. 教員 大学は, 組織上は, 独立校のほかに, 総合大学の分校, 同併 置校, 教育大学の併置校などとしても存在した. 教員大学3年を卒業後, さらに進学し, 修士の学. 位を取得し中学校の教員として就職を希 望する者は, 教育大学あるいは総合大学(いずれも5年制) 9 70年~71年の の第二段階(第4年目) に編入学することができた. 師範学校と高等師範学校は, 1 間に廃校となっ た. こう して, 初等, 中等教員とも, いずれも高等教育施設で養 成される段階への 第一歩が踏みだされたのである. 次に, 初等中等教員養成の主な施設となっ た教員大学(WSN) , 総合大学の教育 , 教育大学(WSP). 内容を比較してみる. 教員大学は, 正副二教科担当の教員を養成すべくカリキュ ラムが編成されて いた, たとえば, 言語と歴史, 物理と化学, 数学と物理, 地理と理科, 化学と生物, 製図と技術な ) どのように. 教育内容の割合を時間数 で示す. (注11 総時間数2535時間 教育学関係5 70時間 97時間 社会・政治・哲学・経済関係2 440時間 専門科目 (教授法, 5~8年2教科)1 外国語 (露, 英, 俳, 独)94時間 94時間. 体育. 0時間 文化と芸術, 都市農村社会学4 総計1 6週課せられ, 第7ゼメスターには毎週一日軍事教練が 教育実習と生産実習が このほか, , 必修となる. 教育実習は, 毎学年次のように 課せられる. 第1回目. 2週間. 第3ゼメ スター. 第2回目. 2週間. 第5ゼメスター (第1~ 4学年生対象). 第3回目. 4週間. 第6ゼメスター (第5~8学年生対象). 夏季実習. 4週間. 第2ゼメ スター終了 後. 10.
(12) . ポーラン ドにおける学制改革と教員養成. 教育大学は, 前述のように5年制 で, 前段3年, 後段2年と区分さ れ, 前段 で初等教員の養成 , 後段で中等教員の養成を行なう. 前段は, 教員大学のそれと相応する 5年間の時間数は 次のと . , お り で ある,. 総時間数34 30時間. 教育学関係550時間 社会・政治, 哲学・経済関係3 45時間 専門科目1 99 5時間 文学芸術5 40時間 教育実習は, ゼメスター実習, 夏季実習およ び継続実習の三種 であり, ゼメスター実習は大学附属 の実習校 で1ゼメスターあたり45時間必市参 , 夏季実習はキャン プなどの指導援助 で4週間, 継続実 習 は, 3 年 コ ー ス の 学 生 は 第 2, 3学年 で 5 年 コ ー ス の 学 生 は 第 4 5学年に 一般の学校 でも , , , 行う こ と に な っ て い る.. 総合大学でも教員 養成が行われるが, 教職関係科目の時間数は, 専攻によっ てまちまちである , 以上のように, 1967年以後教員大学が設立され, 師範学校 が廃止されたことによっ て ポーラ ン , ドの教員養成は一応すべて高等教育施設で行なわ れる方向がうち出されたの であっ たが なお いま , だ, 教員大学と教育大学と総合大学とにおける養成には統 一 がみられず 形態内容とも大きな格差 , が残さ れ て い た の であ る.. 改革後の教員養成制度. 1 971年, 全般的中等教 育の漸次的導入が提起され,73年の法律によっ て大規模な学制 改革が予定. されたことについては既に触れたが,これと平行して教員養成制度の最終的改革 が行なわれた 1971 . 年1 2月, ポーラン ド統一労働者党第6回大会は, 全般的中等教育導入に相応する教員養成制度の新. しいモデルの作成を勧告し, 7 2年1月教育状況白書作成専門家委員会が任命された 作 成された白 . 「 書によると, 現行の多様な階層化 された教員養成制 度は, 大学レベ ルの施設において統 一的カリ キュラムによっ て行なわれるよう改革さ れ, 新しい制度は, 二つの要素, すなわち 1 幼稚園か , ,. ら高等教育施設に至るま でのすべての教員養成を大学で行ない, 2, 卒後教育制度 すなわち現行 , の多様な現職教育施設と職能向上訓 練を統一 し合理化する」(注1 3)とある, すなわち, 養成制度の みならず, 現職教育制 度をも含めて, 統一的な教師教育制度を勧告したの である このような前提 , のうえに,1 97 2年4月 27 日「教員の権利と義務に関する憲章」 が定められる ことになっ たが 同憲 , 章は教員の資格につ いて 「1,,教育系の高等教育施設を卒業した者 2, その他の高等教育施設を , 卒業した者 で, 在学中あ るいは講習会において教職教養 を習得した者」(注1 4 )と明言している. こ れによっ て, 以後, すべての段階の 学校教員の養成が, 高等教育施設で行なわれることが宣言され たのであるが, この憲章と同時に教員給与に関する閣議決定もなされ, 教員の経済的社会的地位 が 確立することとなっ た. ついで教育省は, 「1 9 72~75年間の実施細則」 を出し, 「すべての高等教育 施設において教員養成制度の分析と改善にとりかかること 高等教育施設の任務は 教授することの . , みではなく, 未来の教師の養成にも関わるものであること. 教員養成のカリキュ ラムは 思想 科 , , 学, 訓育的側面に特に留意すること, このため高等教育施設内 での養成の改善とともに 新しい教 , 育大学を創設すること」(注1 5 )を指示している.197 3年1月, 統一的制度と高等教育施設における 統一的カリキュ ラムを策定するため, クラコフにお いて, 教育省と科学・高等教育・技術・省との. 合同会議がもたれた, この結果, 1 967年に高等師範学校から教員大学に昇格し, 初等教員養成 の中 核をなしていたそれが, 1 973年, さらに教育大学に改組昇格となっ た, こうして, 高等教育施設 で の教員養成は, 1 97 3~7 4学年度か ら, 統一的な4年課程のカリキュ ラムによっ て行なわれることと 11.
(13) . 三. 揮. 正. 博. なっ た. (注16 ). 4, 大学における教員養成の実現 教育大学, 工科大学, 農科大学および経済 7 )に属 し, 他の諸学は政府各省庁に分属している. たとえ 大学は, 科学・高等教育・技術・省(注1 美術大学 演劇大学は している等. さて, 初等中等段階の教員 音楽大学 文化・芸術省に属 ば, , , , ポーラン ドにおける高等教育施設のうち, 総合大学. k i )によっ て行なわれ 養成は, これらの高等教育 施設に, 教員養成課程がおかれて, この課程( e r unek 技術科教員養成課程 たとえば ている. 設置されている課定の種類と数は, 大学によっ て異なる, , は, 総合大学1 0校のうち, カトヴィ ツェ, ル ブリ ン, ビァ ウィ ストクの3校に, また教育大学12校 の う ち, ク ラ ク フ, オ ポレ, オ ル シ テ ィ ン, シ チ ェ チ ン, ヴィ ド ゴ シ チ お よ びジ ェ ロ グー ラ の 6 校. に置かれている等 である. 重要なことは, かつてはその間に 差 異のあっ た総合大学と教育大学にお ける教員養成が, 単一のカリキュ ラムによっ て一本化されたことである. そして, 初等教員養成課 程と幼稚園教員 養成課程とが, 共に大学レ ベ ルに引き上げられたことも, 再度強調 しておく 必要が あ る.. 教員養成課程は, 4学年8ゼメスターと定められており, 昼間制の場合, 初等中等12年修了後の 入学であるから, わが国とほぼ同年令の青年 が就学していることになる. 養成課程のカリキュ ラム. は, 省令として国定されており, 学年制 で, 授業時間の配当も厳格に定められている. この課程を i 2校あるが, このうちワルシャ t )の学位が与えられる. 教育大学は全国に1 修了すると修士(mag s e r 特殊教育大学で ワにあるそれは, 特殊学校教員を専門に養成する課程のみを置く , かつての国立特 殊教育研究所が移行したものである. 教育大学における教員養成課程の具体像を考察するため, ここにジェロナ グーラ教育大学を事例. l two Zi iew6dz e ona Gora)は,ポー ラ ン ドの 49 と して と り 上 げ る こ と に す る. ジ ェ ロ ナ グー ラ 県(Wo. 県の一つ で, ドイツ民主共和国との国 境に接し,オー デル河とナイセ河に挟まれた位置にある. 県人 口は約58万, 県都ジェロナ グーラ市は, 人口約10万人の地方小都市 である. 前章 で述 べたような 一連の教員養 成制度改革の一環として,1 971年7月 30 日附政令によっ て, 3年制のジェロナ グー ラ 教員大学が創設された. 同年8月 24 日附の高等教育省令によっ て, この大学に人文学部, 数理学部 および教育学部の三 学部を置くことが定められた, そして人文学部に, ポーラン ド語科, ロシア語. 科, 数理学部に, 物理・数学科, 物理・技術科, 教育学部に, 数学・初等教育科, 技術・初等教育 科, 音楽・初等教育科が設けられた. しかし, 2年の後, 1973年9月 29 日 附 政 令 に よ っ て, こ の 3 3年1 0 年制の教員大学は4年制の教育大学に昇格し, 卒業生に修士 の学位を授けることになっ た.7 月1日新学期から新入生を迎え, 活動を開始した. 教育大学発足初年度には次のような学科, すな. わち, ポーラン ド語, ロシア語, 歴史, 数学, 物理, 技術教育, 音楽教育, 学校教育学が置かれた. 1 974学年度には,文化・教育活動に関する学科が新設され,75学年度には図書館学科力切口わるなど, 連年充実されて今日に至っ ている. 大学の学内組織に関しては, 先ず2名 の副学長が置かれ, 1名はカリキュ ラムなどいわゆる授業 関係の指揮分担とすれば, 他1名は訓育, すなわち学生の徳育全般を指導している点が注目される.. 教員養成が単に講義演習のみでなく, 学生の思想や生活全般の指導を重視して行なわれるべきだと の基本方針(1 971年ポーラン ド統一 労働者党第6回大会決定) の具 現化ということができる であろ う, 学 部 共 通 の 領 域 と し て, 教 育 実 習 セ ン タ ー, L・ L・ セ ン ター, 教 育 工 学 セ ン タ ー, ス ポー ツ 12.
(14) . ポーラン ドにおける学制改革と教員養成. センター, などが設置されているのも, 各国に共通する教員養成の現代化と思われて興味ぶかい, ただ同種のものとして国防教育センターが置かれ, 学生 の軍事教育を行なっ ている点も, 別の意味 で注目 し た い.. 高等師範学校から教員大学へ,教員大学から教育大学へと,数年の間に二段跳 びの飛躍をしたポー ラン ドの教育大学は, わが国の新制教育大学と相似た運命を担っ ているわけ であるが, この飛躍に. おいて最大の問題は, 大学としての研究にある. 研究上の組織としては, 学部と研究室のほかに, i t tu t 研究所( )が設け. られ, 各教官はこれに依拠しつつ, 組織的な研究に従事することになっ てい ns y る. すなわち, 研究所は毎年度, いくつかの研究課題を設定し, 共同研究を推進し, 業績の公刊に. あたっ ている. 研究と教育の統一 は, 学生による卒業論文の作成とその指導, 修士号の授与にも具 体化されている,. 研究の重視は, しかし, 教員養成というこの大学の目的を軽視することにはなっ ていない. その ことは, 学生の教育が, いわば課程制によっ て行なわれていることに具 現されている, 既に述べた ように, カリキュ ラムは国定 であり, 授業時間の学年割り振りま で基本的に定められている. ジェ. 3の専攻課程がおかれ,それぞれのカリキュ ラムによっ て教育が行なわれ ロナ グーラ教育大学には 1 ている. 授業科目は, 一般教育科目 (すべての高等教育施設にほぼ共通) , 一般教職科目 (教員養成 プ 課程に共通) , 専攻科目およ びその他となっ ている. さらに, 各授業科目 ごとに, ロ グラム (シラ バス) が作られており, 授業はこの項目に沿っ て行なわれる, プロ グラムは, 5~20頁程度の パン フ レ ッ ト で, 1, 序 言, 2, プ ロ グラ ム 内 容, 3, 実施にあたっ ての諸注意, 4, 参考文献の部分. から構成されている. 次に, 学習形態のうえ で注目しなければならないのは, カリキュラム全体を i ごwi ) ‐ z 通 じて, 実践的学習 が重視さ れて いる点 である. 授業は, 講義, 練習 ( c en e , 演習 (kon. i wer sat or a) , 実 習, ゼ ミナ ー ル の 形 態 で行 な われ る が, そ れ ぞ れ時 間 数 が指 定 さ れて い る. ゼ ミナ ー. ルとは, 卒業論文に結びつく研究についていわれるもので, 練習とはテキストを用いて教官が指導 するもの, 演習とは, 学生の研究発表や討議の形態をとるものを指す. 実習には, 個々の授業のな か で, 授業の進行と併行して, 実習室その他で行なわれるものと, いわゆる ブロ ック実習 がある. カリキュ ラム表の注にそれをみることができるが, 殆ん ど毎学年に実習が組まれており, 夏季ピオ ネールキャン プなどのいわゆる訓育領域での実習は特徴的である. 軍事教練も無論必修 であるが, 女子学生には相応の作業実習が課せられる.. 5, 展望 --現職教育の組織化 -- 前述 のように, ポーラン ドでは6 0年代から70年代にかけて, 統一的カリキュ ラムによる 「大学 での教員養成」 の実現をめ ざして養成制度の改革が断行されたの であるが, 新カリキュ ラムによる 養成が始められたのは,73学年度から で, したがっ てその最初の卒業生が現場に送り込まれたのは , 77年からということになる. その現場 では, まだ大学卒の教員の割合は決して高く はなかっ た, な るほど, 普通中学校の教員は, 従来とも大学卒が大部分を占めていたが, 基礎 学校教員の大部分は, 高等師範学校あるいは中等学校卒の学歴であっ た,今次改革の主眼は,すべての教員を,大学卒(ポー. ラン ドでは修士 の学位 が与えられる) としようとするものであるか ら, 最大の問題は, 旧制度のも とで,養成された基礎学校教員の資格向上訓練の問題ということになるのは,当然の成り行き であっ た.. 従来, 現職教員の研修を担当して いたのは, 方法学セ・ ン夕一 (OS r odek metodyczny) , ポー ラ ン 13.
(15) . 三 漫 正 博 科. 教. 40. 20. 30. 学歴. 生. 物 学 化 理 物 地 理 歴 史 ポーラン ド語 ロ シ ア 語 数 学 体 育 公 民 技 術 楽 図 画 ~ 4 学年. 1. ふ 中. ョ. 10. 0. にコ 大学卒. 農. 0. 10. 20. 30. 40. 村. 50. 60 千人. 豚麹 高等師範卒 〔コ 中等学校卒. Mi 1 i nsk r i 。 S aw szma ko l j t r n z ac asy s emus z nego , Mode i 78 na ws t r ,19 .121 ,s. 図5 基礎学校教員学歴別教科別構成 (1 9 7 5 ) 普通中学校教員学歴別構成 常務教員数 1962 1963 1964 1971. 14,200 15,484 16,456 19,736. 大 実. 学. 卒. 数. %. 13,043 13,459 14,196 16,743. 91,9 86.9 96.3 84.9. 高 等師 範卒 実. 数 834. 1,494 1,737. 2,673. %. 師 実. 範. 卒. 数. %. 275. 5.9 9.6. 450. 13.5. 276. 472. 10.6. そ. 実. の. 他. 数. %. 48. 1.9 2.9. 81. 2.8 1.4. 51 44. 0.3 0.6. 0,3 0.2. i 1 i Wo i i t t r j e e czby c ech.Wan。wsk a a .34 ,nauczyC ,1 ,1973 ,s ,。gwi. 基礎学校教員学歴別構成 常務教員数 1962 1963 1964 1971. 159,157. 163,033 169,906 220,030. 大 実. 学 数. 7,478 8,346. 7,067 13,030. 卒 % 4.7 5.I 4.7 5,9. 高 等師 範卒 実. 数. %. 33,492 21.O 38,546 23.6. 54,500 32.I 156,499 70.5. 師 実. 範. 卒. 数. %. 114,690 62,I i12,669 69.2 104,605 61.5 52,276 23.5. そ. 実. の. 数 3,497 3,472. 2,844 275. 他. % 2.2 2.I 1,7 0.l. i l i d,oswi i l t Wo t r e e czby i a a c echlwanows .31 ,l ,1973 ,s ,nauczyc. ド教員組合, それに党組織な どであっ た. 方法学センターには, 中央と, 県単位のものと町村単位 のものとがあっ たが, いずれも機構上は, 教育行政機関と結びついていた. これらは, 主として, 教科教育の分野 での研修を担当し, 組合や党組織は, 社会科学教養の研修を担当していた. これら. の研修機関は, いずれも中広い広報出版活動も行なっ ていた.. lnyos 1972 年 6月, 従 来 の中 央 方 法 学 セ ン タ ー (Cent ra rodek metodyczny) に 代 っ て, ワ ルシ ャ. i工 l KNと略記される) ty tu tksztalcenia nauczyciel ワに独立の研究機関として, 教員養成研究所( ns が設立され, 教職員の研修と同時に教員養成に関する調整研究を開始した. この研究所の指導下に, 14.
(16) . ポーラン ドにおける学制改革と教員養成. 全国 19 都 市に 教 員 研修 ・ 教 育 研 究 所 (lns l i tytut Ks i l i i Badan ogwi ta z cen a Nauczyc e at owych. 工KN iB0 と略記される 本稿 では以下 県教員研修所と訳す) 並 びに1 0都市に教員 研修センター , , , l i i l (Cent ra Doskona en a Nauczyc e a C D Nと略記さ れる) が設立された. 県教員研修所は 旧地方 , 行政区分による県毎に, 従来の県方法学センターに代っ て設立されたの であるが 地方行政区分の , 変更後もその数は増 やされず, 従来のまま, 地方の教員の研修指導にあたることになっ た この研 , 修所は, 基礎 学校の教科に関す る専門領域をすべてカ バーする範囲 で 各種の講習を行なっ ている , . 他方, 教員研修センターの方は, 地域区分によらず, 全ポーラン ドの教員を対象と し 主に中等 , 学校以上の一定の教科に関する研修を担当して いる. また, カリシとスレユ ヴェ クにある教員研修 センターは, 校長研修を担当している. これらの教員研修機関の地域配置 は図にみるとおり である ,. ◎ I N 1 くOSZAL. SLUPSK GDANSK. O ELBLAG. I LA P. BYDGOSZCZ ◎ TORUN. ◎. I ELONA Z G6RA ◎. LOMZA ◎ I ALYSTOK B. LOCLA. POZNAN. C I ECHANOW O PLOCK. I N 1 くoN I KAL SZ. 象0. ARSZAWA 醗 ◎◎ 金. RADOM. ◎ K I ELCE CE KATOWI. ㈱----- 県. 方. 界 界. 圏. 教員養成研究所. ◎. 県教員研修所. 象. 教員研修センター. O B IALA. I N LUBL ◎. OPOLE ◎. 地. I EDLCE S 0. ◎. WROCLAW ◎. 鰹 圏 圏. I 10 SUWAL く. OLSZTYN ◎. IN SZCZEC. A◎. TARNOBRZEG o. KRA 0W、 意 TARN6w ぬ0. 蟹 豊0. 金6. NOWY SACZ. o ′′ ZAMOSC. z6w RzEs ◎. KふN。. ′. ZEMYSL PR. &。. i ON DES ENSEIGNANTS, Varsov e INSTITUT DE FORMATI ,1978. SES コMANBNT EXPERIENCES POLONAI ENSEIGNANT‐ETUDIANT PER Par S i l t aw Krawcewicz p an s ,65. 図6 15.
(17) . 三 遷 正 博 i l iny l i Uniwersytet Rad i ewi owo ‐Te zy e sk さ ら に, 1974 年 か ら は, 教 員 研 修 放 送 大 学 (Nauczyc. 97 6年度には, ラジオ で78回, テレビで114回の講義が放 NURT と略記される)がスタートした.1 送され, 教育学, 心理学, 教科教育の分野 での最新の情報が提供された.. 0年といっ 970年代は, まさしく教師教育 改革の1 以上にみたように, ポーラン ド教育における1 てもよい画期的な時期 であっ た. それは, 今世紀末までに, 全般的中等教育を実現しようとする野 心的な教育改革の一 環 であり, 前提 であっ たのである.. )王 注I. 1bCTBO 43亘ATEJ lb l I ィqECKHX rOCyAAPCTB EBPO1 IMCT (Hb IX COI 1 4“ 3APy6EX I囚AJ KOHCTレ ITyl l ,1 《 1 lporpECC》 , MOCKBA,1973. 注2 社会主義教育体制という語が熟した術語として定着しているとはいえないが, 次のような用例は増加しつつ. あ る. , =o a宛 ”e B H HT e通 bH t ー I K a a r o r - a A 6p B a K O H I悦“BK a 3 o B aH o Ho r 00 EA c↑ eMaH ap A , M. , I qe c K a只 d 1 ou - - a凧 l c T 1 . M. A. CO , Cp H Ha Rc 1978 p , ,40 ,cT. o 』 e B 0 e H H 0e c h l a 6凪e ”n c K ”XC TP aHcou離洲3 B n e封 ”- - - KH O 』 ae e a r o r A I X ) c T - - T IH CCCP K - - - H c c e B aT e 』bc ,n Hol l 』 yTo AO 注3 AI yq ,旧K ,Ha - - Ka》 o A a r r 6 a 』酬b l 八 lcO e ^ l e HH b l enPo I I T H el Bp a3 B ,1976 , 《ne . M, 月, Ky3品川H , M, P ,no. この書は, 東欧諸国の戦後教育史を総括した優れた業績であるが, 明確な時代区分はなされていない. 注2 4 9 9 1 44~1 949年)の国民教育制度民主化の段階」と「第2段階(1 9 の M. A. CO 』o B a の書には,「第i段階( KO 一 こ 発展の段階 貫性がない 」 との区分がみられるが 社会主義諸国経済の社会主義的世界体制の ~19 ) 60 , . i l ぐ 1977年 第 4号に転 載されたM rg彪i chende p日dagog れ に た い し て, ドイ ツ 民 主 共 和 国 雑 誌 ”Ve . ,n Ky 3 b h l -- の上掲書の抄には次のような見い出しがついている. 「人民民主主義制度における学校制度の民主 0年代および新しい段階への接近, 発展した社 化の段階, 社会主義への移行およびその基礎の建設の段階,6 i i i IKusmin,Diehistor zmgenundd e chen Vo r aus s et s 会主義社会の建設と学校発展の新しい規模」{Mi cha. i l i i )本稿 では, lwesenders t igen Entwi l i opas Haupt oz a s schenLandem Eur t r ck ungim Schu she e appenderb. 0年代, 50年代等の区分を用いた, 以上の請書の内容を参照しながら, 一応, 4 1年改革までの推移は, 主として前掲M,n - - I Hの書にしたがった. 注4 この章の前半1 96 3い .Ky l 1 1 l i t i kd l ia P d 6 ia wychowan r c e w icznychk r z n a edagog o e c p 注5, 6 Wyb6rtekst6w,Histor .294 .1 . ,1962 ,s , tVe l dung l l kommnung de i ‐ i k“ 1973/ 4 s Bi l i rvo uc cht ungen und Ve zynsk 注7 1 rg e chende Padagog ,Jan K1 , Ri i i t l ik Po l l ks t r enkommi ss l on s senderBxpe se rgebn en r epub swes ensinderVo . ,Zuden Arbe k l973 r t i i d i 1 3 d l i L d 2 emu R h l S p l k i t iz awi e sys U j e r n a j zeczpo na imu os e 注8 spo e u owe pa z c waa e , w spr. inar i j edukac odowe . l i t ikd ia h t 6w,podr r Hi i l cznych rt ce6w pedagog t eks eczn al n s or a wr c o w a yb6 .302 y ,s ,1962 , W′ I iona ion s ince l972 ft he ducat i h l i h i h nt ernat l C t t e a c r e o n o s s s em a n e s e aw Pecher sk 注 1O Mieczys y g p ,l , i i f 及iucat i i Rev t tut t on eo on ew ofEduca .411一412 ,p ,1975-4 ,Unescolns t rl t ik“ i l ik Po l i l ks l dunginder Vo io l chende Padagog t r en epub ge erb em derLehr 注 1I Teodor Mus , Ve ,Zum Sys 1972/1 S 8 5-8 7 ,. 注9. io l 注 12 Teodo r Mus .S.88 l i 注 13 Mi sk czys aw Pecher .413一414 ,p. t r 注 14 Wincenty okon,S1ownikpedagogiczny,1975 .119 ,s i l 注 15 Mi sk eczys aw Pecher .414 ,p. 6枚の幼稚園教員養 75年現在まだ3 注1 6 今次の改革で, 幼稚園教員養成も大学で行なわれることになったが, 19 成所が活動している, ただし, 充分な資料はまだ入手できない, swi t i t two o a n s e r s y i 注1 7 ソ連邦におけるのと同様, ポーラン ドにあっても, 幼小中普通学校は教育省 Mi i two t r i n s e s aの 所管であるのにないし, 高等教育施設の多くは, 科学・高等教育・技術・省 Mi wychowan ik iに 属 して い る, l ic i twa wy2 s z egoit echn nauk n ,szko. 16. (本 学教 授・ 札幌 分校).
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