本書は戦前期最大の農業者団体である系統農会 に関する研究である。まず、本書の内容を順に紹 介していき、最後に簡単な感想を述べる。 著者は序章 「 近代日本における系統農会の位置」 で以下のように問う。 「戦前期において、人口の過半を農業者家族が占 めており、しかもその多くが家族数名からなる経 営体を構成していたことについて歴史学はリアル に受け止めてきたであろうか。 」(四頁) 本書では、 戦前期の農村における 「経営」 と 「生活」 を切り口に、 この現実と向き合っていた 系統農会がどのように構想され、そしてそこで働 いていた農業技術者たちが何を考え、何を目指し ていたかが新史料「岡田温農政関係資料」を使い ながら明らかにされる。 第一章「系統農会の設立」では、系統農会がな ぜ、この時期に法制化されねばならなかったのか が述べられる。系統農会の前史となる各地の農談 会は全国に広範に存在する 熱狂 的な農業知識 欲の結果として生まれる。これと同時に進んでい たのが明治期の農業技術体系の革新、 「明治農法」 の確立である。この革新的な技術体系を 熱狂 とどのように結びつけ、食糧増産につなげるか。 この課題に対する答えが、農業技術・情報を一元 的に管理でき、中央と個別の農家を結ぶパイプと して系統的に存在させる系統農会の整備であった。 このような経緯だからこそ系統農会は直接生産者 をターゲットとする性格をおびる事になる。 第二章「一九二二年農会法改正と郡制廃止」で は地方制度改革である郡制廃止が見込まれる中、 系統農会・農商務省・政友会が農会をどのように 再設計 (新農会法) するかが明らかにされる。 農 会に会費の強制徴収権を与える新農会法構想は、 農会の公的性格を強くすることが求められた。そ れゆえ、新農会法下でも農政運動を行うことは認 められなかった。平行して議論されていた郡制廃 止問題は新農会法にも強く影響を与え、農商務省 は郡農会を郡単位での農業奨励事業の実行団体と することで、新農会法を構想した。 第三章「 石黒農政 と農家経営改善指導事業」 ではこの新農会法下での石黒農政が再検討される。 従来石黒農政であまり 注 目されてこなかった農家 経営改善事業の 重要 性を著者は見いだし、郡制廃 止を 機 に系統農会に整備された農業技術者が「生 産」でなく「経営」を指導する体制が 出 来 上 がっ たことが 示 される。地方の農業指導は系統農会の もとに一元化されたのである。 第四章「政 党 内 閣 期における農政運動再 編 」・ 第 五 章「新農会法の在地的受容」ではこれらの中 央の動きと地方での運動がどのように 連 係してい たかが 分析 される。第四章では新農会法で政治活 動を 禁じ られたため、各地に設立された農政 倶楽 部 での政治活動を、 富山県 を 例 にして 分析 する。 一九二 〇 年代の農政運動の活 発 化は、農家の経営 問題に向き合っていた農業技術者が 担 ったものだ った。第 五 章では「村内一 致 」を最 高原 理とする 「 模 範村」 秩 序が 崩 れつつある 源 村 ( 千葉 県 ) で、 新農会法下での系統農会が新しい公正さを 担 保 す るものと み なされ、 注 目される過 程 が 描 かれた。 第 六 章「 農業経営改善事業 推 進 派 の成立」 では 小作 問題に対して立 場 が 違 った 那須 皓 と岡田 ― 148― 2012年 10月 10日発行 勁草書房 A5判 384頁 定価 5500円(本体) 学 苑 第 八八 一 号 一四 八~ 一 五 三(二 〇 一四 三)
鈴木智
行
『
系統農会と近代日本
一九
〇〇
~
一九四三年
』
松
田
忍
著
新
刊
紹介
温が、ともに農会は小作問題を扱うのにふさわし くないと考えるに至る過程が述べられる。那須は 小作問題の処理後にも残りうる、農業経営者の貧 困解決策として系統農会の経営改善事業を想定し た。岡田は農業経営者の「福利増進」こそが農会 の役目であると考え、階級問題と農会を切り離し た方が良いと考えた。両者は共に農業経営改善と いう新しい政策にむかって結集することとなる。 第七章「帝国農会への販売斡旋事業統合」では、 第二章・第三章で成立した系統農会の新農会法下 での一元化された農業指導体制が、第六章でみた 岡田温らの「農家経営改善事業推進派」によって どのように活用されたかが明らかにされる。岡田 らは道府県農会によって担われていた販売斡旋事 業の統合に目を向けた。生産の現場である農家経 営の安定を目指す岡田らは、農産物市場に人為的 な介入を行い、農産物価格を安定させることを目 指した。ここで系統農会のもつ農業経営者全員を 組織する強制力を活用したのである。この構想は、 農業恐慌後の蚕糸業組合法制定という別の統制原 理の成立を受けて郡農会を重視する系統農会組織 をより強化する農会革新案につながっていく。 第八章「二・二六事件と農政運動の組織化」で は一九三六年に行われた帝国農会部制改革の意味 を考える。三〇年代初頭の農業恐慌を契機として 関西府県農会を中心に新しい農政運動のスタイル が模索される。岡田温らの農家経営の合理化こそ が農村を救う力になるとする考えを「微温的」と みなす関西府県農会は大日本農道会を結成し、農 民の直接的な政治化を背景としながら農業利益を めざし軍部と結合していった。二・二六事件後の 第六九議会では大日本農道会の影響もあり、農政 運動を帝国農会の統制の下で行う形態が実現、こ の体験が経済と農政を二本柱とする帝国農会の部 制改革へとつながる。 第九章「戦時への対応・農業団体統合」では戦 時期の農会の再編が描かれる。一九四〇年の農会 法改正は行政官庁の農会への統制を強化するもの だったが、実際には各府県農会の判断にゆだねら れる部分が大きく、この段階では農家経営に基盤 を置く従来の系統農会の路線が維持されていたと みる。だが、食糧需給の 逼迫 はこの路線の基盤を 失 わせ、 最終 的には一九四三年に実現する農業団 体統合により帝国農会は解 散 される。 本 書 の意 義 は、 まず 、新農会法の下での系統農 会の意味を明らかにしたことにあ ろ う。郡制 廃止 という 地 方制 度 改革を意 識 したこの改正は 地 方の 農業指導を系統農会のもとに一元化する。それに 合わせて農業 技術 者た ち が各 地 の農会に 配 置され た。この体制が岡田温らの活動の基 礎 となる。そ して岡田ら中 央 の「農家経営改善事業推進派」の 存在 を明らかにしたこと ( さらに 言 え ば地 方の関西 府県農会 連 合をもう一つの政治 主 体としたこと ) も重 要 な指 摘 である。経営の改善のみが農村の問題を 救うと考える中 央 の農業 技術 者た ち 、そしてそれ ではあきたら ず 中 央 を 巻 き 込ん で政治的活動に進 ん でいく府県農会の両方が 常 に向き合っていたの が、 終 章 「系統農会と 近 代日本」 で 述べられる 「現実に 存在 する ( 耕 作 地主 、 自 作農、 自 小作農、 小作農をすべて 包含 するとこ ろ の ) 小 規 模な直接 生産農民」 ( 三四七 頁 ) であったのだ ろ う。 本 書 は中 央 の対 極 としての 地 方 ( 生活の場 ) 設 計 の 歴史 でもある。 著 者は 山 県 有朋や 原 敬 らと対 比 させて本 書 の 主 人 公 の岡田温らに日本の 土台 と は「経営と生活の現場」 ( 三 五 一 頁 ) だと 語 らせる。 綿密 な実 証 により解明された制 度 設計 整備 を背 景に、 著 者は農業 技術 者の視 点 を 通じ 、一九二〇 年代 以降 の日本を、各経営体の安定した生活を目 指さね ば ならない時代だと描き、それこそがこの 時代を 象徴 するものだとした。 それゆえ本 書 は農政 史 を 研究 している人だけに とど ま ら ず 、日本 近 代 史 に 興 味のある人にも 広 く 読 ま れるべき 著 作であ ろ う。 ( す ず き ともゆき 東京 大 学 大 学院 人 文社 会系 研究 科 日本 文 化 研究 専 攻 日本 史 学専 門 分 野修士課 程二年生 ) ― 149―