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『星の王子さま』を読む(1) : 「子ども」であることと「おとな」になること

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1.「読む」ということ

フランスの作家・サン=テグジュペリ(Antoine de Saint­Exupéry: 1900­1944 ) の 作 品 で あ る Le Petit Prince は,1943 年にアメリカで(フランスでは 1946 年)出版されて以来,200 以上の国や地域の言語への 翻訳があるといわれるほど,世界中で広く読み継がれ ている。わが国でも,1953 年に岩波書店から『星の 王子さま』のタイトルで,内藤濯の手になる翻訳が出 版されて以来,膨大な読者を獲得してきた。さらに, 日本での著作権が失効した 2005 年以降は新訳の刊行 が相次ぎ,その数はいまでは 30 点前後にのぼる。 Le Petit Prince の 直 訳 と し て は,「小 さ な 王 子」, 「王子さま」,「小さな王子さま」あたりが考えられる。 「星の王子さま」はかなりの意訳といえる。それでも, 新訳もそのほとんどは,内藤訳を踏襲している。この 書名がもつポピュラリティとイメージ喚起力を考えれ ば,この書を共通の話題とするのに,もはや他の書名 ではむずかしい。本稿でも,書名を指す場合には『星 の王子さま』としている。ただし,この物語の主人公 である“le petit prince”については,原意に近い「王 子さま」とした。この語を採用するにあたっては,稲 垣直樹(稲垣 2011: 12)の所見に依拠している。 この物語は,アフリカの砂漠に不時着した飛行士 (語り手である「ぼく je」)と,そこに現れた王子さ まとの交流と,そのなかで王子さまが語ったことの回 想として展開される。この物語の魅力は,その内容も さることながら,『星の王子さま』という内藤濯によ る絶妙な邦訳書名,著者自身の手になる独特の魅力を もった王子さまをはじめとする挿絵,いっけん帽子に 見える絵が「ゾウを呑み込んで消化している大蛇」だ という意表を突いた書き出し,などによるところも大 きいと思われる。そうした「目に見える」装いに魅か

『星の王子さま』を読む(1)

──「子ども」であることと「おとな」になること──

芦 田 徹 郎

Reading Le Petit Prince(1):

Being a Child and Becoming an Adult

ASHIDA Tetsuro

Abstract: Saint­Exupery’s The Little Prince(Le Petit Prince)is a well­known story all over the world.

However, I still have some doubts about how it has been read so far. I want to try to understand the story as faithfully as possible to the text. In this paper, I will deal with the life of the little prince on his own planet, his departure from it, his subsequent visit to the six planets, and the scene where he comes to the earth and is greatly shocked by the rose garden.

Key Words: Saint­Exupéry, child, adult, identity, solitude, tie(s)

要旨:サン=テグジュペリの『星の王子さま』は,世界的によく知られた物語である。しかしながら, 私には,これまでの読まれ方についてはいくつか疑問が残る。私としては,可能な限りテクストに即 して,私なりに正確にその内容を捉えたいと考えている。本稿で取り上げるのは,王子さまの自分の 星での生活から,その旅立ち,その後の 6 つの星めぐり,そして,地球にやってきてバラ園で大きな 衝撃を受ける場面までである。 キーワード:サン=テグジュペリ,子ども,おとな,アイデンティティ,孤独,絆 99

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れ,あるいは,純真な「子ども心」に響く,有名な童 話だということで親や教師に勧められ,幼いころに手 に取ったという人は多い。 他方,子ども向けの本の範疇には収まらない,深い 内容を備えていると捉える論者も少なくない。(フラ ンス)文学者,翻訳家,作家から,心理学や哲学の研 究者,はては宗教家まで,多分野の専門家が研究書, 解説書,啓蒙書などを出版している。こうした研究者 や専門家の議論は,作者の伝記的事実,その時代的背 景,西洋文化・宗教,文学理論・文学史,心理学的知 見など,豊富な知識に裏づけされていて貴重である。 ただ,そのぶんかえって,それぞれの論者の既成の所 見に引き寄せて,テクストの外側から解釈しているの ではないかとの疑問が,浮かばないこともない。 ともかく,この物語については,一般の読者から専 門家まで,一家言をもつ人は少なくない。文芸評論家 の斎藤美奈子は,週刊誌に連載の文芸時評で,わが国 で相次いだ新訳を取り上げたことがあるが,その反響 の大きさと,「『ワタシこそが星の王子の正しい理解 者』といわんばかりの『示唆』や『反論』や『教育的 指導』には,ほとほとウンザリした」というエピソー ドを語っている(斎藤 2008:304)。「人はそれぞれ自 分なりの星をもっている Les gens ont des étoiles qui ne sont pas les mêmes」(26 章)という王子さまの言葉 を借りれば,人はそれぞれ自分なりの『星の王子さ ま』をもっている,ということであろう。 私自身も,そうした百家争鳴の渦中に今さら参入す るのも気が引けるが,多少とも社会学的な知的背景を もつ者の視点から,この物語を読み解いてみたいとい う気持ちがある。ただし,一方的に,社会学的な概念 や枠組みでもって,外部からこの物語の分析や読解を しようとするのではない。むしろ,「文学的想像力が 社会学的想像力を刺激する可能性」への「期待」(井 上 2008: 7)が大きい。いずれにしても,まずは,テ クストを内在的に読む。これがこの物語を「読む」に あたっての,私の基本姿勢である。

加藤晴久は,Le Petit Prince の複数の邦訳書を詳細 に検討したうえで,いくつかの翻訳に厳しい論評を加 えている。その批判の基底にあるのは,繰り返し指摘 される「すべてはテクストのうちにある」という見識 である(加藤 2007: 43, 45, 190, 217)。加藤によれば, 「Le Petit Prince は最初から最後まで,一語一語,作

者が推敲に推敲を重ねて書き上げた作品であるから, すべての語があるべき場に置かれているし,すべての 語がお互いに呼応し合っている」(同上:67)。したが って,「テクストの個々の文をその前後の文との関連 性において理解することの重要性は言うまでもない が,同時に作品全体の構造を意識しつつ,また,テク スト総体内部での呼応関係を繊細に感じ取りつつ読解 しなければならない」(同上:80)。これは,「翻訳作 法」についての指摘と苦言であるが,およそ「読む」 という行為についても心すべきことであろう。 このフランス文学研究の泰斗が要求する「作法」と 「読解」が私に可能とは,とても思えない。それでも, 私なりに,言説相互の「関連性」と「呼応関係」に留 意しつつ,テクストを丹念に読み,それを内在的に理 解したいとは思う。「ぼくは,この本を,軽々しく読 んでもらいたくない je n’aime pas qu’on lise mon livre à la légère.」(4 章)という語り手「ぼく」の要望は, ただの言葉のあやだとは思えないからである。 今回主として取り上げるのは,王子さまの自分の星 での生活から,その旅立ち,その後の 6 つの星巡り, そして,地球にやってきてバラ園で大きな衝撃を受け る場面までである(語られた順ではない)。

2.孤独と憂愁

もともと王子さまは,「一軒の家より少し大きいだ けの à peine plus grande qu’une maison」小さな星で, たった一人で過ごしている。その星には膝の丈ほどの 3 つの火山(そのうちの 1 つは休火山)と「質素な 花々 fleurs très simples」があるだけである。王子さま は,毎日「念入りにその星の手入れをする faire soi­ gneusement la toilette de la planète」。手入れを怠ると, 火山が爆発したり,「バオバブ baobab」という,巨木 化して星を破壊しかねない「悪い草 mauvaises her­ bes」1)が生えてくる恐れがあるので気をつけないとい けないが,仕事自体は,「かったるい très ennuyeux」 けれど,「チョロい très facile」ものである(5 章)。 王子さまは,あまり張り合いもなければ代り映えも しない,そうした一人暮らしが「とても悲しく telle­ ment triste」なるときがある。そんなときの唯一の 「気 晴 ら し distraction」は,「夕 陽 couchers de soleil」

を見ることである。王子さまは,その夕陽を一日に 44 回も見たことがある。王子さまの星はとても小さ いので,星の自転に合わせて腰かけた椅子を少し動か ─────────────────────────────────────────── 1)「バオバブ」は,アフリカ地方に実際に生育する大樹であるが,現地ではさまざまに活用され,親しまれている。 甲南女子大学研究紀要Ⅰ 第 57 号(2021 年 3 月) 100

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すだけでそれが可能なのだが,それほどに悲しい日も あったということなのだ(6 章)。

「夕陽」の慰めしか知らなかった王子さまであるが, ある日,どこからともなく飛んできた「一粒の種 une graine」が成長し,「朝日と同時に justement à l’heure du lever du soleil」美しい花を咲かせたことで,「感嘆 admiration」という,おそらく初めての経験をする。 その「花」は,「王子さまをいい香りと明るい光で包 んでくれ Elle m’embaumait et m’éclairait」(8 章),そ れ ま で の「憂 鬱 な 小 さ な 暮 ら し petite vie mélan­ colique」(6 章)は一変する。王子さまは,「花を愛す る強い気持ち bonne volonté de son amour」(8 章)に かられ,あれこれ身のまわりの世話をする。

しかし,その「花」は,もともとその星に生えてい た花々のように「質素」でもなければ(pas trop mod­ este),それまでの星の手入れのように「チョロい」 こともなかった(bien compliquée)。「花」は,その美 貌を鼻にかけ,なにかと王子さまを困らせる。そうし た「花」のわがままと高慢さに嫌気がさした王子さま は,ひとり旅に出るのである(8 章)。 ただし,それは,単に「花」との付き合いに疲れて の逃避行でもなければ,心の傷を癒す感傷旅行でもな い。王子さまは,後になって,「花とうまくいかなく って J’ai des difficultés avec une fleur」と告白している し(17 章),「花 か ら 逃 げ だ す べ き で な か っ た Je n’aurais jamais dû m’enfuir!」と悔いており(8 章), 「花」との行き違いが大きな,そして直接のきっかけ になったことは間違いない。しかしそれ以前に,ある いはそれ以上に,王子さまは,その星での生活そのも のに不全感をもっている。 王子さまの旅立ちが,「花」とのトラブルだけでな く,それ以前の苦悩に起因すると考える論者は少なく ない。フランス文学者の三野博司は,「王子さまの憂 愁や悲しみ」を,「バラ〔「花」〕とのいさかい」より も,「人間の絶対的孤独」とでもいうべき「もっと根 元的なもの」に由来すると解している(三野 2005: 59)。サン=テグジュペリ研究の第一人者である山崎庸 一郎も,「バラとのいざこざ」が旅立ちの直接の「引 き金」になったとしても,その「底流」には,「王子 さまの憂愁」があったとみている。山崎は,それを, 「成長期にある少年や少女」の「問題」と関連づけて いるが(山崎 1994: 21­23),その「問題」を具体的に は示していない。他の論者たちも,「花」との出会い 以前の王子さまの「孤独」や「憂愁」についての捉え 方は,押しなべて抽象的である。しかし,テクストを よく読めば,もっと具体的に理解可能である。 注意を払われることが少ないようであるが,王子さ まが旅に出て,最初に 6 つの星を続けざまに訪れる 際,「仕事を探したり chercher une occupation,さまざ まなことを学ぶ s’instruire」ためにと,その目的は明 言されている(10 章)。すなわち,王子さまは,「探 究 chercher」と「学び s’instruire」の旅に出 て い る の である。とりわけ,論者たちの多くがわざと無視して いるのではないかと思われるのが,「仕事を探す」と いう旅のひとつの目的である。 多くの邦訳書が“occupation”を「仕事」と訳して いるなかで,石井洋二郎は「やるべきこと」,池澤夏 樹は「すべきこと」と訳している。おそらくこの「仕 事」は狭い意味での職業というよりは,人生(生活) において「なすべきこと」といった意味合いであろ う。王子さまは,それがわかっていない。あるいは確 信がもてていないのである。王子さまは,「なすべき こと」を見つけたいと思っている。 「仕事を探す」とは,それまでの自分の仕事(なす べきこと)とは別の仕事を探すこととも,仕事(をす ること)の意味を探求することともとれるが,いずれ にしても,それまでの星での「仕事」に強い不充足感 があったということであろう。それゆえ,これから 「なすべきこと」を見つけるために,そして「学ぶ」 ために,さまざまな地位や職業の「おとな」を訪ねる ことになる。「おとな」には,王子さまのロールモデ ルや人生の師表となることが期待されている。 どうもこの物語の宇宙世界では,「地球」は別にし て,一つの星に一つの社会的属性(地位・職業)が割 り当てられているようであり,「星の手入れ」を日課 としている王子さまは,おそらく「庭師 jardinier」で ある。飛行家でもあった作者のサン=テグジュペリ は,「自分は中継基地をめざす農夫 paysan だと思って い る」(『人 間 の 大 地』:159)と 書 い て い る。ま た, 「わたしは庭師であるようにつくられていたのだ」 (『戦時の記録 3』:146)とも記している。この作家に とって,時間をかけて土を耕し植物を育てる農夫や庭 師は,職業人のひとつの理想像である。 もっとも,王子さまが庭師だという指摘自体は珍し いものではない。問題はどのような庭師かということ である。そこにこそ,王子さまの「憂い」や「悲し み」を理解する鍵がある。しかし,先行の議論では, この考察は十分でないと思われる。王子さまは,庭師 ではあるが,まだ修業途中の半人前である。王子さま が王族の一員という意味や,お城に住む貴公子という 芦田 徹郎:『星の王子さま』を読む(1) 101

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イメージで,「王子 prince」なのかどうかは判然とし ないが(おそらく違う),もしそうであるなら,庭師 一族の王を目指す王子であろう。 王子さまは,星を破滅させないための最低限の課業 は,「規律の問題 question de discipline」として怠るこ とがない。しかし,それ以上に意欲的に何かを作った り育てたりするわけではなく,その仕事ぶりに誇りや 喜びや抱負のようなものは感じとれない。すなわち, 王子さまの庭師としての「アイデンティティ」は,ま だ確立されていないのである。このように,もともと 不確かな王子さまのアイデンティティは,「花」の世 話の挫折でさらに大きく動揺している。 こ の 物 語 の 語 り 手「ぼ く」は,自 分 の「子 ど も petit garçon」時代の古い家やクリスマスの楽しい思い 出,それに理解されることのなかった「帽子の絵」の 苦い体験などを語っている(24・25・1 章)。それに 対し,王子さまの幼いころの身の上が明かされること はない。それでも,「ぼく」と同じように,父,母, その他の親しい人たちはいる(いた)はずである。し かし,おそらく,その在所は,王子さまが一人で暮ら している星とは別の星である。 王子さまは,もはや,周りから惜しみない愛情を注 がれて,無邪気でいられた「子ども」ではない。すで にそうした家郷と子ども時代の人間的つながりを離れ ている。エーリッヒ・フロムのいうところの,「第一 次的絆 primary ties」(フロム 1984: 24)は,すでに絶 たれているのである。王子さまの「孤独」と「憂愁」 の根源は,まさにそこにある。王子さまが「夕陽の優 しさ douceur des couchers de soleil」(6 章)にその寂 寥を癒すのは,遠く離れた故郷と過ぎ去った子ども時 代を偲んでのことのように思われる。 王子さまの年齢は定かでない。語り手「ぼく」は 「ぼっちゃん petit bonhomme」と呼びかけているし, 地球で出会うキツネは「男の子 petit garçon」と呼ん でいる。物語の終盤で井戸を探す途中,「ぼく」に抱 きかかえられて眠る王子さまは,いたいけな幼児のよ うである。しかし,王子さまと「花」との別れの場面 は,お互いに心惹かれながらすれ違う,青年男女の恋 愛とその破局のようにも思える。おそらく,すでに幼 児期は過ぎてまだ成人には至らない,年齢の幅をもっ た「少年 garçon」なのであろう。王子さまは,もは や「子ども」ではないが,まだ「子ども」でもある。 王子さまは,生まれながらの絆に結ばれた「子ど も」にはもう戻れない。語り手「ぼく」は,王子さま が「友だちを必要としていた avoir besoin d’un ami」

と語っているが(4 章),それは,失われた「第一次 的絆」に代わる「新 し い 絆 new ties」(フ ロ ム:46) を求めていたということである。この物語で言われて いる「友だち ami」とは,いわゆる友人よりも広く, 親密な心のつながりがある関係を意味している。 フロムのいう「新しい絆」の希求は,破壊的な「バ オバブ」にアジールを求めるという,「自由からの逃 走」の危険をはらむものでもある。語り手「ぼく」が 描いた 3 本の巨大な「バアバブ」の絵が,「ナチズム, ファシズム,日本の帝国主義を表したものだ」(塚 崎:15)という,塚崎幹夫の指摘はよく知られてい る。後に見るように,王子さま自身が,絆を求めるこ とに潜む危険を警告している。 王子さまは,庭師の修業をしていたが,それは面白 くもないものであった。それが,「花」が現れたこと で,はじめて働くことの喜びを感じ始めることにな る。サン=テグジュペリは,「花園に突然変異で新種の ばら rose nouvelle ができると,庭師たちはみんな心 をときめかせる s’émouvoir。そのばらを隔離し,大切 に育て,特別扱いにする On isole la rose, on cultive la rose, on la favorise」(『人間の大地』:194)と書いてい る。「花」は,その「新種のばら」に似ている。

王子さまの星にも,もともと「質素な花々」が「場 所 も 取 ら ず に tenir point de place」「咲 い た り ap­ paraître」「散ったり s’éteindre」してはいた。しかし, それらの花が王子さまの気を引くことはなかったし, 「その手を煩わすこともなかった déranger personne」 (8 章)。「バオバブ」と違って害にもならないので, 「生 え る が ま ま に さ れ て い た on peut la[brindille]

laisser pousser comme elle veut」だけである(5 章)。 ところがある日,思いがけず姿を現した「ときめく ばかりの si émouvante」美しい「新種の花」に心奪わ れ,その花を「特別扱い」にし,風よけの衝立や寒さ 除けの覆いで「隔離」し,大切に世話をすることにな る。その特別扱いと懇切なケアによって,「花」との あいだに「新しい絆」が結ばれかけている。孤独な王 子さまに新しい「友だち」ができ始めていたのであ る。しかし,王子さまは,「あまりに子どもすぎて trop jeune」(8 章)気づいていない。 サ ン=テ グ ジ ュ ペ リ は,「職 業 の 偉 大 さ grandeur d’un métier とは,おそらく,なによりもまず,人間 たちを結び合わせること d’unir des hommes だ」とい う(『人間の大地』:31)。こ れ は 仕 事 の「仲 間 com­ pagnon, camarade」について語った言葉ではあるが, 金銭的な利得や物質的な貯えではなく,人間や事物と

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の「関係 relation」において意義づけるのがサン=テグ ジュペリの基本的な職業(仕事)観であり,ひいては, 人間観および世界観である(『戦う操縦士』:145)。花 の世話をする庭師という仕事も同じである。 王子さまは,子ども時代を過ごした星をすでに後に し,修業の地で「おとな」への道を歩んでいる。語り 手「ぼく」には告げなかったようだが,王子さまの本 当の「故郷の星 planète d’origine」(4 章)は,たぶん 別のところにある。少年が(少女も)「おとな」にな るために「故郷の星」を離れ,「なすべきこと」の修業 に励む小さな星は,ほかにいくつもあるのであろう。 王子さまは,修業を怠って「バオバブ」をはびこら せ,星を破壊させてしまった「怠け者 un paresseux」 のことを紹介している。その「怠け者」も,もともと は,まともな「おとな」を目指した少年だったはずで ある。「一粒の種」の姿で王子さまの星にやってきた 「花」も,「輝くばかりに美しい dans le plein rayonne­ ment de sa beauté」(8 章)「おとなの女性」を夢見て, 「故郷の星」を出た少女なのであろう。

王子さまは,「怠け者」の話をした際,語り手「ぼ く」に,この危険な「バオバブ」の絵をしっかり描い ておくよう勧めている。それは,「地球の子どもたち enfants de chez moi2)にも,いつか旅に出る日がやって

くる ils voyagent un jour」からこそであり,そのとき に「バオバブ」のことが念頭にあれば,「怠け者」の ように「破局 catastrophe」を迎えずに済むと考えたか らである(5 章)。

王子さまの勧めにしたがって絵を描いた「ぼく」 も,「子 ど も た ち,バ オ バ ブ に 気 を つ け て Enfants! Faites attention aux baobabs!」と呼びかけている。そ れは,旅に出た子どもたちが「小惑星で道に迷う s’é­ garer dans un astéroïde」と,ふ り か か る「危 険 ris­ ques」が「あまりにも大きい si considérables」からだ という。王子さまが住むような小さな星で,文字どお りに「道に迷う」ことなどないはずだから,これは, 「おとなへの道を誤る」と,「バオバブ」を育ててしま う危険があると,「警告するため pour avertir」(5 章) であろう。

3.「子ども」と「おとな」のあいだ

王子さまは,「花」との出会いで庭師としての仕事 の喜びと張り合いを感じ始めていた。一人前の職業人 として自立(自律)し,新たな絆を結んで,「おとな」 に成長してゆく道が開かれようとしていた。それにも かかわらず,「花」の「些細な言葉 mots sans impor­ tance」で「その花のことを疑い douter d’elle」,「とて も不幸な気持ちになっていく devenir très malheureux」 (8 章)。まさしく疑心が暗鬼(心の「バオバブ」)を 生み,「小惑星で道に迷う」という,「あまりにも大き い危険」が訪れようとしていたのである。幸い,王子 さまは自分の未熟さを自覚するだけの廉直さはもって おり,「仕事(なすべきこと)を探したり,さまざま なことを学ぶ」ために,「おとな」の住む星々を訪ね ようと思い立ったものと思われる。 このややコミカルな 6 つ の 星 巡 り の エ ピ ソ ー ド (10­15 章)については,あたかも物語の本筋からは ずれた,息抜きの幕間劇のような扱いを受けることが 往々にしてある。しかし,分量的にも相当の紙幅を占 めるこの部分は,王子さま自身のあり得べき運命を暗 示するものであり,その後の物語の展開を理解するう えでも,決してないがしろにはできない。 王子さまは,「王さま le roi」,「うぬぼれ屋 le van­ iteux」,「酒飲み le buveur」,「点灯夫 l’allumeur」,「実 業家 le businessman」,「地理学者 le géographe」がそれ ぞれ一人だけで住む星を次々と訪ねるが,その誰も が,それぞれ独特の価値観や規範意識をもっていて, 自分にとって都合のいい来訪者を待っているか,自分 でもよく訳が分からない仕事や嗜好に没入しているば かりである。これらの人物たちは,それぞれ,権力自 慢の為政者,人気頼みの芸(能)人,無為徒食の無職 者,身過ぎ世過ぎの労働者,私利私欲の経済人,虚学 衒学の知識人を,お人好し風に戯画化しているようで ある(もちろん,それぞれの性格は,誰もが多少とも 備えている)。それらはいずれも必要とされる地位や 職業であろうし,あるいは,やむをえない境遇という ものもある。王子さまは,点灯夫や地理学者には, 「すてきな仕事 occupation très jolie」(14 章)や「本物 の仕事 véritable métier」(15 章)だという,高い評価を している。無職の酒飲みにしても,挿絵などともあわ せ考えると,左うちわの金満家というより不本意な失 業者のようであるが,汲むべき事情もあれば,同情の 余地もあるはずである。 王子さまがそうした「おとなの ひ と た ち grandes personnes」に共感できないのは,それぞれの地位や職 業にあって,「なすべきこと」にふさわしい振る舞い ─────────────────────────────────────────── 2)moi は語り手「ぼく」のこと。 芦田 徹郎:『星の王子さま』を読む(1) 103

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をしていないと思われたところにある。王さま(為政 者)は無意味な「命令 ordre」を次々と繰り出し,う ぬぼれ屋(芸能人)は退屈な芸で「喝采 acclamer」を 求め続け,点灯夫(労働者)は訳の分からぬ「業務命 令 consigne」に従うしかなく,実業家(経済人)は切 りのない「銭勘定 addition」を止められず,地理学者 (知識人)は又聞きの「物知り connaître」を誇示する だけである。酒飲みは,「なすべきこと」を奪われた あぶれ者であろうが,飲酒で「我と我が身を閉ざす s’enfermer」だけで,現実を直視する気概もない。 多くの解説は,こうした描写が,王子さまの清らか な「童心」とは相容れない,堕落した「おとなの生き ざま」(すなわち近代社会の価値観)のアレゴリーや 風刺であることを強調している。そうした見解は,王 子さま自身が,「おとなのひとたち」に出会うたびに, 「か な り 変 わ っ て る bien étranges」,「そ う と う ヘ ン

bien bizarres」,「とってもとってもヘン très très bizar­ res」,「とてもまともじゃない extraordinaires」,「ばか ばかしい absurde」という感想を繰り返すことを受け てのことであり,必ずしも間違ってはいない。 しかしながら,その王子さま自身も,小さな星にひ とり閉じこもって,面白くもないルーチンワークを 日々繰り返し,ただ夕陽を見ることで,その鬱屈をま ぎらせていたのである。その限りでは,6 つの星の住 人たちとそう変わるところがない。王子さまも,こと と次第によっては,そうした「おとなのひとたち」の 仲間入りをする(した)可能性もある。 逆に,「おとなのひとたち」にしても,もとはと言 えば,王子さまと同じように,「なすべきこと」の 「探求」と「学び」に目を輝かせていたころもあった はずである。「しかし,そのことを覚えているおとな のひとはほとんどいない Mais peu d’entre elles s’en souviennent」(献 辞)。両 者 に 違 い が あ る と す れ ば, 「おとなのひとたち」が小惑星で道に迷ったまま居つ いてしまい(心のなかにその心を破壊する「バオバ ブ」をはびこらせてしまい)その不条理に疑問を持つ ことさえないか,諦めてしまっているのに対し,王子 さまは,その「迷い」から目を逸らさず,そこから抜 け出ようとしたことである。そこに希望がある。 この物語では,成人を示すのに,一般的な“adulte” (おと な)で は な く,子 ど も 言 葉 の“grande(s) per­ sonne(s)”(おとなのひと)が用いられている。これ は,子ども視点のためだと思われるが(加藤 2007: 22­24),世のおとなたちが,実は,道に迷って「おと な」になり切れず,どこか「子ども」じみていること を皮肉っているようでもある。しかし,王子さまに も,まだ「道に迷う」危険は残されている。 王子さまは,6 つの星めぐりの経験をと お し て, 「おとな」になる課題は,地位や職業それ自体にでは なく,それに取り組む人の姿勢にこそあることを「学 んだ」ように思われる。この後も,王子さまの「学 ぶ」旅は続くが,「仕事(なすべきこと)を探す」旅 は,「人間たちを探す chercher les hommes」旅へ,さ らには「友だちを探す chercher des amis」旅へと,焦 点を移していく。 王子さまは,旅のなかでヘンな「おとなのひとた ち」にしか出会うことはないが,どこかにまともな 「おとな」がいるはずだという希望はまだ捨てていな い。王子さまは,そうした「おとな」のことを「人間 homme」と呼んでいる。ただし,「ヘンなおとなのひ と」は,自分こそが「まっとうな人間 homme sérieux」 だと思い違いしているので(7 章,13 章),「人間」と いう言葉づかいには気をつけないといけない。 これまで見てきたように,「成長しない王子さま」 や「おとなを忌避する王子さま」という,よくある解 釈は誤解と言わなければならない。王子さまは,明確 な目的と決意をもって自分の星を後にしており,その 出 立 は,「脱 出 évasion」と 表 現 さ れ て い る(9 章)。 王子さまは,ただ「花」から逃げ出したのではない。 「二度と戻ってくることはあるまい Il croyait ne jamais devoir revenir」との覚悟で,その星(での生活全体) からの「脱出」を図ったのである。それはまた,「子ど も」からの決定的な「脱出」の試みのように思われる。

4.アイデンティティ・クライシス

王子さまは,「おとな」らしからぬ「おとなのひと たち」に困惑しながらも,「探求」と「学び」の志を 捨てたわけではない。6 つの星巡りの最後に地理学者 から「評判がいい bonne réputation」と薦められた地 球を目指して,ひとり旅を続ける。もっとも,この地 理学者のいう地球の評判は,たまたま彼の星に立ち寄 った「探検家 explorateur」(旅人)からの受け売りの はずで,当てにはならない。 たどり着いた地球は,まったく人けのない砂漠であ り,王子さまはあらためて自分の孤独を思い知らされ る。不安になった王子さまは「人間たち hommes」を 探そうとするが,そこで出会ったヘビ,花,こだまか ら受ける地球の「人間たち」のイメージは,それぞ れ,「孤独 seuls」であり,「根がなく manquer de raci­

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nes」,「想像力に欠け manquer d’imagination」ていて, 「評判の良さ」を思わせるようなものは何もない。 それでも,やっと一本の道を見つけて,王子さまが 人里近くにたどり着くと庭園があり,そこには自分の 星にひとり残してきた「花」と同じ花が 5 千も咲き誇 っていて,それがバラの花だと初めて知る。別れたと はいえ,この世にたった一輪の美しい花だと思ってい た自分の星の「花」が,地球にはいくらでもあるバラ の一本にすぎないと知った王子さまは,悲しみのあま り,草の上に泣き崩れてしまうのである(20 章)。 一匹のキツネが声をかけてきたのはそのときであ る。キツネから自己紹介を受けると,王子さまは,す ぐに「おいで,ぼくと遊ぼう Viens jouer avec moi」, 「ぼく,とても悲しいんだ Je suis tellement triste」と提

案する。王子さまには,このキツネが「なかなか可愛 い bien joli」と映ったようだが,それだけで「遊ぼ う」と誘ったのなら,いささか軽率である。案の定, キツネからは,「きみとは遊べない Je ne puis pas jouer avec toi」と断られることになる(21 章)。

王子さまは,語り手「ぼく」に出会って 4 日目の 朝,「ぼく,夕陽が大好きなの。夕陽を見にこうよ J’aime bien les couchers de soleil. Allons voir un coucher de soleil」と誘っている。王子さまは「とても悲しい tellement triste」ときには「夕陽を見たくなる on aime les couchers de soleil」のだという。「ぼく」は,この 誘いをきっかけに,王子さまの唯一の「気晴らし」が 夕陽を見ることだ(った)ということと,一日に 44 回も夕陽を見たことがあったことを知る(6 章)。 そうであれば,5 千ものバラを見て「とても悲しく tellement triste」なった王子さまなら,キツネに対し ても,「いっしょに夕陽を見に行こう」と誘うか,「ど うすれば夕陽を見ることができるか」と尋ねても,よ か っ た は ず で あ る。「全 宇 宙 に 君 臨 す る régner sur tout」と豪語する王さまの星で,自分の星を思い出し て「少し悲しく un peu triste」なった際には,「太陽に 沈 め と 命 令 し て ほ し い Ordonnez au soleil de se coucher」とねだっている(10 章)。しかし,キツネの 前では,「いっしょに遊ぼう」ともちかけるのである。 かつて自分を慰めてくれた「夕陽の優しさ」のこと は,頭の隅をよぎった気配さえない。 一日に 44 回も夕陽を見なければならなかった王子 さまの悲しみは深い。しかし,「夕陽の優しさ」とい う唯一の慰安さえ忘却させてしまうほどの,この悲嘆 の大きさは尋常でない。そうであればこそ,かえっ て,初見のキツネと「遊ぶ」という,いささか軽薄と もいうべき気晴らしを,とっさに思いついたものと思 われる。そして,それとは裏腹に,「学ぶ」という初 志は忘れられている。探しているはずの「人間たち」 のことを尋ねる気力も,もはや失われている。 王子さまの悲しみは,その大きさもさることなが ら,ここで見過ごせないのはむしろその質である。王 子さまがキツネに向かって「とても悲しい」と言って いるのは,ただ「ひとりぼっち je suis seul」(19 章) だからではない。気位の高い「花」が地球ではありふ れたバラの花だと知り,「花」のことが哀れに思えて, その身になって悲しんでいるわけでもない。 王子さまは,「花」がこれらのバラを見たら,「ずい ぶん気分を害するだろうな Elle serait bien vexée」と 気にしている。これを,こころ優しい王子さまの, 「花」への同情や憐憫の気持ちのあらわれと捉える論

者もいる。しかし実は,「笑いものにされないよう, すごく咳をして,死にそうなふりをするだろうな elle tousserait énormément et ferait semblant de mourir pour échapper au ridicule」と,都合が悪いと咳をしては王 子さまのせいにされた苦い過去(8 章)を思い出して いるのである。王子さまの気がかりは,もしこの場に 「花」が居合わせていたら,「いたわる振りをしなくて はならない je serais bien obligé de faire semblant de la soigner」ことの億劫さと,そうしないと「自分への当 てつけに pour m’humilier moi aussi」,「本当に死なれ て し ま う か も 知 れ な い elle se laisserait vraiment mourir」ことへの恐れにある(20 章)。 かいがいしく面倒を見ていた「花」のわがままと高 慢さに嫌気がさしたことが一因で,旅に出た王子さま ではある。それでも,出発前の最後の世話は「とても 愛しい extrêmement doux」ものに思え,また「泣きた い気持ち l’envie de pleurer」にもなったものである。 旅の途次,地理学者から,花というものは「はかない éphémère」ものだと教えられた際には,「すまない気 持ち mouvement de regret」にもなりかけていた。ま た,地球にやってきて,こだまが声を返すだけの,高 い岩の山なみにいたときには,「その花は,いつも自 分から話しかけてくれていたのに elle parlait toujours la première」と懐かしんでもいた(9・15・19 章)。 ところが,5 千ものバラの群生を見たとたんにわき 出たのは,そうした「花」への愛惜の念ではない。面 倒なことになっていたかも知れないという冷や汗をか く思いである。王子さまのこの自己中心的な困惑は, ひるがえって,自虐的な落胆へとつながってゆく。 もともと王子さまは,一軒の家ほどしかない小さな 芦田 徹郎:『星の王子さま』を読む(1) 105

(8)

星に,膝の高さしかない 3 つの火山(そのうちの 1 つ は休火山)を「所有してい る posseder」(9 章)だ け であった。その星に(この種類としては)「世界に一 つだけの花 seule de son espèce dans l’univers」と自画 自賛する,「とてもコケティッシュ très coquette」な花 が咲き,王子さまは,その「所有」だけで「金持ち気 分になった Je me croyais riche」ものである。ところ が,その「一点ものの花 une fleur unique」も,いま となっては「十把一からげのバラの一本 une rose or­ dinaire」にすぎない(20 章)。 地球は大きいし,高い山々もある。それに,王子さ まはまだ知らないが,111 人の王さま,7 千人の地理 学者,90 万人の実業家,750 万人の酒飲み,3 億 1100 万人のうぬぼれ屋,その他全部あわせて 20 億人ほど もの「おとなのひとたち」が住んでいる(ことになっ ている)(16 章)。それほどの星だから,一つの庭に 5 千ものバラを所有する,王子さまとは桁違いにすごい 庭師だっている。だからこそ,「こんなことじゃあ立 派なプリンスになれないよ ça ne fait pas de moi un bien grand prince…!」,すなわち,「こんなことじゃあ 一人前 の 庭 師 の 棟 梁(庭 師 一 族 の 王)に な れ な い よ!」という,慨嘆の意味が理解できるのである。

「おとなのひとたちは数字が好きだ Les grandes per­ sonnes aiment les chiffres」(4 章)と,語り手「ぼく」 は,何かにつけ数字を論拠にしたがる「おとな」たち を揶揄する。しかし,ここで王子さまを動転させたの も,「1 本だけのバラ」と「5 千ものバラ」という,圧 倒的な「数字」の格差である。王子さまが悲しいの は,自分の「花」のことを思いやってではない。その 「花」のことも含め,自分の境遇(所有物)の貧弱さ を思い知らされてのことである。王子さまのこの悲し みは,長い あ い だ 大 切 に し て き た「ぼ ろ 布 の 人 形 poupée de chiffons」を取りあげられて泣く「子ども」 の悲しみ(22 章)からも,「夕陽の優しさ」の慰めか らも,もはや遠いところにある。 王子さまは,そのアイデンティティに動揺をきた し,一念発起で狭い家(小惑星)を飛び出したもの の,世間(地球)の広さの予感に打ちひしがれ,最大 の危機(アイデンティティ・クライシス)に見舞われ ている。王子さまは,「立派なプリンス」(まともな 「おとな」)への道を歩むことができるのか,それと も,旅の途中で出会った「おとなのひとたち」のよう に「道に迷ってしまう」ことになるのか,大きな岐路 に差しかかっていたのである。 文 献

【Le Petit Prince およびその他のサン=テグジュペリの著作のフランス語テキスト】 Saint­Exupéry: Œuvres complètes, 1­2, Gallimard(Bibliothèque de la Pléiade),1994­1999 【参照した Le Petit Prince の邦訳書】 池澤夏樹訳 2005『星の王子さま』集英社文庫 内藤濯訳 1953『星の王子さま』岩波少年文庫 石井洋二郎 2005『星の王子さま』ちくま文庫 野崎 歓訳 2006『小さな王子』光文社文庫 稲垣直樹訳 2006『星の王子さま』平凡社 藤田尊潮訳 2005『小さな王子 新訳『星の王子さま』』八坂書房 倉橋由美子訳 2005『新訳 星の王子さま』宝島社 三田誠広訳 2008『星の王子さま』講談社青い鳥文庫 河野万里子訳 2006『星の王子さま』新潮文庫 三野博司訳 2005『星の王子さま』論創社 小島俊明訳 2006『星の王子さま』中公文庫 山崎庸一郎訳 2005『小さな王子さま』みすず書房 管啓次郎訳 2011『星の王子さま』角川文庫 【その他の参考文献】 サン=テグジュペリ(山崎庸一郎訳)2000『人間の大地』(コレクション 3)みすず書房 サン=テグジュペリ(山崎庸一郎訳)2000『戦う操縦士』(コレクション 4)みすず書房 サン=テグジュペリ(山崎庸一郎訳)2001『戦時の記録 3』(コレクション 7)みすず書房 稲垣直樹 2011『「星の王子さま」物語』平凡社新書 井上俊 2008「社会学と文学」,社会学評論(59­1) 加藤晴久 2007『憂い顔の『星の王子さま』−続出誤訳のケーススタディと翻訳者のメチエ』書肆心水 斎藤美奈子 2008『文芸誤報』朝日新聞出版 塚崎幹夫 1982『星の王子さまの世界−読み方くらべへの招待』中公新書 フロム,エーリッヒ(日高六郎訳)1984『自由からの逃走 新版』東京創元社 三野博司 2005『『星の王子さま』の謎』論創社 山崎庸一郎 1994『星の王子さまの秘密』彌生書房 甲南女子大学研究紀要Ⅰ 第 57 号(2021 年 3 月) 106

参照

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