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「くれの廿八日」考(一) : 本文の解読を中心に

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全文

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本文の解読み﹄中心に

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じ 注 1 注 2 ﹁くれの廿八日﹂は明治虫年 3 月、﹁新著月刊﹂に発表された内 注 3 回魯庵の代表作である 。 ﹃ 内田魯庵全集 ﹄ が 刊行される以前に於 て 注 4 注 5 も数多くの文学金集類に収められ、岩波文庫の一冊にもなづて、恐 らく魯庵の著作の中で最も広く紹介されて来た作品であろう。 しかしながら、﹁くれの廿八日﹂が代表作としての地位を得てい る の は 、 純粋にその作品内容のみを評価してのことではない。そ乙 には﹁社会小説 ﹂ の先駆的作品であるという、文 学史的な評価が多 分に付加されているように思われる。 ﹁くれの廿八日﹂を﹁社会小説﹂とする捉え万は、木村毅氏によ 注 6 って提唱された。木村氏は、同時代 評が﹁宗教 小 説﹂或い は ﹁ 家 庭

注 7 小 説 ﹂ とのみ捉えている点に関して﹁枇曾的償値について一向盲目 ﹂ だと批判し、﹁祉曾小説﹂としての﹁ 資 格を具備﹂した名篇にと位 置 づ け た の で あ る 。 注 S 注 9 注 叩 注 H それ以後 、 本間久雄 、 小田切秀雄、瀬沼茂樹、猪野謙 二 、 玉井敬 注 ロ 注 日 注 H 注 凶 注 凶 注 何 之 、 古川出精て稲煩達郎 、 三好行雄 、 飛鳥井雅道 、中村 完 、 中 山 注 目 注 目 注 別 注 引 栄暁 、 山田博光、片岡哲、堀井哲夫といった諸氏によって、 ﹁ く れ の廿八日﹂を﹁社会小説 ﹂ とみる立場は 、 継承されている 。 理想と現実、或いは事業熱と家庭との相魁を描いた点に﹁社会小 説﹂とする根拠を求める説(本閥、吉田 、 三 好 、 飛鳥井 、 中 村 、 瀬 沼氏等)、純之助の理想に﹁ユートピア思想﹂を見出す説(瀬沼、猪 野、三好氏等) 、 キ リスト教の問題、男女対等思想等を含めて題材 の社会的広がり 、 社会的視野の広さを根拠とする説(小田切、瀬沼、

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猪 野 、 稲垣 、 片岡氏等 ) と い っ た よ う に 、 その根拠とする と こ ろ は 一 定 で は ない。中には時代的要請に答えた作品と捉えながら﹁功名 心と愛﹂の問題を﹁知識人純之助の苦悩﹂として捉える 玉井説ゃ 、 純之助の行動性の幅が ﹁ 社会小説としての実質を保証﹂しているとす る中村説 、 又 、 結末部分で純之助が家庭の和合を重んじようとする 姿勢に 、 魯庵自身の願望を重ねる稲垣、堀井説も見出せるのである。 抑も﹁園民之友﹂ ( 明 治 却 年 日 月)の﹁枇曾小説出版予告﹂に 端を発した ﹁ 社会小説﹂論議は 、 様々に論じられながら決定的な定 義づけがな い まま消滅したため 、 一概に﹁社会小説﹂と言ってもそ の観点や根拠が一様でない乙 と は領げる 。 が 、 全般的に、当時の社 会情勢を背景として成立した﹁社会小説﹂であるとい う把握に於て 、 乙れらの論は木村氏の説の延張線上に位 置 づ け ら れ よ う 。 乙れに対して少数ではあるが 、 ﹁くれの廿八日﹂ぞ﹁社会小 説 ﹂ 注 m と見倣さない捉え方も提出さ れ ている。野村喬氏は、魯庵が ﹁ 社 会 小 説﹂を附道したとする従来の説を否定し 、 ﹁ く れ の 廿 八 日 ﹂ が ﹁ 浮 雲﹂﹁舞姫﹂等の系列に位置する﹁知識人の 個 我を挨った作 品 ﹂ 注 幻 だ と 主張している し 、 田中栄一氏は 、 行動的 ・ 進歩的知識人と捉え ら れ て来た純之助像に疑問を呈し 、 静江によって諮られるヒュ!? 注れ ニ ズムに作品の 主題 を見ている。小泉浩一郎氏は﹃文率一斑 ﹄の中 の﹁悲歎劇﹂の理論を踏まえた作品だとし 、 その主題を﹁人の 運 命 ﹂ 注 お への味到にあると言う。高橋修氏 は、小 泉氏の指摘する﹁ドラマ﹂ との関連は否定しながら 、 純之助の自己本位の理想の挫折を ﹁ 運 命 ﹂ と 捉 え 、 ﹁ 社 会小説﹂と見ない根拠としているのである。又、木 谷喜 注 加 美枝氏は 、 ﹁︿行動﹀しない知識人の問題﹂として﹁浮雲﹂を継承 し 、 ﹁知識人の冷静さ﹀﹂の点で﹁﹃半日﹄に承けつがれてゆく位置 を﹂持っている、と指摘しているのである。 とのように二つの捉え方を許す﹁くれの廿八日﹂とは一体どのよ ヨ e う な作 品なのであ ろうか 。木村毅氏が指摘干 る よ うに﹁不知庵の傑 作のみならず、明治文与としても 屈指の 名篇﹂と 呼 べ る も のなのか 、 或いは 、 猪野謙 二 氏の把握どおり 、 二 葉 亭から自然 主義に至る日本 近代文 学の主流 と、政治小説から社 会主義 小説に至る傍流の ﹁ 結 節 点﹂といえるだけの内容を持っているのか 、 まずは 、 ﹁ 社 会 小 説 ﹂ という呪縛から解き放って、一小 説 として本文を解説 、 分析すると 乙ろから始めよ う と 思 う 。 とはいえ 、 明治出年に発表された作口聞を今日の文学評価の物差し で計るわけにはいくまい。そ ζ で、文芸批評家不知庵の評価基準を 用いて 、 小 説家魯庵の処女 作の出来映えを論じる乙とにしたい 。 -

76-一

人物描

さて、魯庵の評価基準を用いて分析するには、まずその基準につ いて述べなければならない。が 、 魯庵の場合 、乙れは 至って明 快 で 注 幻 あ る 。 ﹁ 山 田 美 妙大人の小説﹂で文直に登場して以来 、 ﹁ く れ の 廿 八 日﹂を 発表する ま で 、 文芸批評や評論に示された魯庵の評価基準、 或 いは文 学観 は 、 時として頑固に思えるほど終始 一 貫 し て い 税 まず、魯熔が何よりも小説に求めたのは 、 人物の活 写 、心理の掘

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り下げというととであった。作品評価の分かれ目は殆どこ の一点 にあるとも言えた。﹁小訟を編には恥ヨシ川乙そ肝心戸 ﹂ ﹁ 小 設に重んずべきは、自然よりは却て創品寓する ら ど 、 ﹁ 刈 樗描寓するに力量さずして能く細微に及ぶはま敬服せまら ん や﹂(注│傍線は筆者による)と言葉は変化しているが、魯庵が 常 に人物描写を重視していた ζ と は 、 ζ うした評語の中にも窺える。 では、﹁くれの廿八日﹂の人物はいかに描かれているだろ う か 。 い 炉 色 。 a かつて魯庵は紅葉の﹁南無阿菊陀悌﹂を評価じりや 、 その長所の一つ に﹁人 物 を穎する僅少なりし ζ と﹂を挙げていたが 、 乙 の作品の登 場人物も極めて少数である。主人公の有川純之助、その妾のお吉 、 純之助の亡友の妹中篠静江 、 媒 灼人の高橋善兵衛 、 本 家 の 朔 一 老 人 、 有 川 家の奉公人の銀 、 演、久助、そして純之助の友人たちで あ る 。 乙の中で重 要な役割を果たすのは前三者で 、 乙 の三人の関わりを 描くことで小説が展開していくといってもいい。乙の中で段も 矛盾 なく性格描写が為されているのはお吉であろう。お吉は七草から成 る ζ の作品の第 二 章 で初めて登 場 す る 。 其 一 でも純之助 の 口から 奉 公人に当たっているお吉の様子は諮られているが、其二の 冒頭に は、﹁片手を帯に挿んで意地悪るさうに横目でジロリと﹂お銀を腕 んでいる様子が掛かれている。語り手はお 吉の容貌をも 色の浅黒い、門悼のツンとした、限尻の釣上った唇の薄い、眉 毛 の濃い、細面の権のある容貌で、 と紹介しているのである。 が、こ うした語 り手による描 写以上にお吉の人物を端的に示して いるのは 、 お銀との会話の部分であろう。例えば 、 ﹃ 銀 、 お前知 らない の か い 、 自 家 の 日 一 那 様 は 養 子 だ よ 。 ( 中 路 ) 怨した門構へを張 っ て医内で指折に数込まれるのは悉皆 妾の 光 輝 だ ア ネ 。 ( 以 下 略 ) ﹄ ( 1

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﹃ 養 子 の く せ に、人が験ってりやア好い気になツて、 妻の財産 を喰潰し て ゐ ながら女狂ひも能く出来た(以下略 ) ﹄ ( pmM) というよ う に、自分が家附娘であることが常に意 識にあ る の で あ る 。 其 一 の﹁家附の奥様は正英の寵榊さまで 、 乃公は先ア天井の鼠同様 かナよという純之助の言葉を裏づけている。 しかし 、 お吉の震の原因は純之助が養子であ りながら ﹁ 世 長 に主人風を吹か ﹂す た めではない。原因の殆 どは、頻 繁に純之助を 訪れる静江にある。その厭い方たるや 、 静江の来訪を告げられただ けで﹁菰 摘は忽ちぴく /¥ツと動い て限尻 が釣上﹂る程のも の で あ る。お吉はまず ﹁ 久しく来ないと思ツたら:::那様な衣裳をして エ た い 、 金時計を下げてたらうり ・﹂ とお銀に静江の様子を尋ねている。 それは 静江が身に つけている﹁ 金 時 計 ﹂ や﹁賓石入り の指環だの緩 珍の稽だの﹂が皆純之助の買い与えたものであるためである。お吉 にとっては 静江の 何もかもが 気に入らな い 。 ﹁ 人 の 家 イ来たら、女 は女同志で先 づ主婦に挨拶 する﹂べきも の で あ る と か 、 ﹁ 人 の 家 イ 来てまで先生を 鼻の頭 へぶら下げ て ﹂ い る と か 罵言 し、しまいには 静江がクリ ス チ ャンである ζ と すら﹁耶蘇 を 奉 る 人 に 一 人 だツてお 前 、 礁な人は無いよ。﹂と批判するのである。しかし、﹁お援﹂であ

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る 、 ﹁高慢ちき﹂である 、 ﹁智恵の廻る摺れ辛し﹂であると﹁悪口雑 言﹂するその哀には﹁遊繋の外は大嫌ひ﹂で無学なお吉のコンプレ ックスがある事を記憶すべきであろう。それはお吉が﹁いくら皐聞 が出来る同志だからツて﹂と二人の乙とを述懐し 、 自分を卑下して ﹁どうせ馬鹿だと断念てるからネ﹂とくり返すと乙ろによくあらわ れている。又 、 お士口が頻りに﹁二十回ばかしの教師さん﹂と静江の 乙とを冷笑するのも、お吉には親が残した財産以外に何も誇れるも のがないからである。 お吉と静江の対立はその価値観のあり方にも現われている。静江 が断った縁談についても 、 お 土 口 は 、 ﹃好事に十分支度料を出して貰はふツてンだからネ。妾が静江 さんなら 、 氏なくて 玉の輿だもの 、 二 ツ返事で直く諾と 云 ふ ワ ( 以 下 略 ) ﹄ ( P お) ﹃掘調さんは才子で男振も好くツて 、 加之に洋行して菟吠まで 取 っ て来た万だし 、 第一日本で何人と指を折られる素封家の相 績者ぢやアないか。(中略)縦令一んば自分で身ぢんまくが出来る 技何が有るにしろ 、 二 十回の教師さんでゐるより一蹴摘さんの夫 人になって祭耀の仕飽を矯た方が若干好いか知れやしない(以 下 略 ) ﹄ ( P 幻 ) と語るのである。乙の価値観の隔絶は純之助のメキシコ 目 渡航に対し て も 一 不 さ れ る 。 ﹃ 何 も お 前 、 財産で築に遊んで行かれるものが弁ンな庭へ出掛 けなくたツて 、 好事にも程度があらアネ。﹄ と 、 お士口にとっては純之助の﹁生命たる大計笛﹂も﹁好 事﹂と し か 受けとられていないのである。 こうしてみてくるとお吉は 、 ﹁家附娘の権威﹂を振りまわし 、 奉公 人に当たりちらすヒステリックな女性である。また必要以上に嫉妬 深く 、 純之助や静江と対等に話ができない無教委な 、 世間一般の価 値観しか持ちあわせぬ女性でもある 。 つ まり純之助やお八 重の新思 想に対して、封建的旧思想の持ち 主として設 定されているとい っ て も い し 。 が 、 お 士 口 の 府 綴や嫉妬心は 、 そ れなりの必然性を持って生じ て い る の で あ る 。 例 え ば 、 純之助が自身の衣食は勿論 、 奉公人の給金から﹁自 分の道築で飼って置く犬や家禽の餌﹂代まで﹁有川家の資産で﹂賄い ながら自分の収入を静江に注ぎ込む ζ と、﹁香粛に閉館って﹂﹁お吉 の封手になツ て 呉 れ ﹂な いにも関わらず 、 静江が訪れるとお 吉に は ﹁何だか解らぬ話を洋諸交りに面白さうに﹂する ζ と等 、 お吉を慣 らせ、疎外感を抱かせる要 素 は充分にあるのである。その上に静江 に来た縁談を純之助が ﹁ 唯の義理一遍の取次ぎ﹂をしただけで熱心 に勧めず 、 静江も静江で﹁妾は生涯嫁づきません﹂と断ってしまっ た一件があって、二人の関係に対するお吉の疑惑はますます膨らん でいく。そ ζ へ突然純之助からメキ シコ渡 航を告げられたの で あ る 。 媒酌人から何も聞かされていなかったお吉の﹁今までの積 重 な ツ た 不卒不愉快が 一 時に爆設し、洪河の決潰する勢を以て暗 雲に純 之助 に喰って掛った ﹂ としても、無理ならぬものがあるのではなかろう - 7

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8-、 由 こ ζ で注意すべきは、純之 助のメキシコ渡航に対するお古の無理 解が、﹁積重なツた不卒不愉快 ﹂ 、 一 言 い 換 え れば嫉妬心や 疎外感の上 に生じているという点である。無教養なお吉にとって、純之 助の理 想が﹁難かしい 事 ﹂ ﹁ 好事﹂な事でしかないのは勿論であるが 、 ﹃ 今にネ財を 欺産騎さ れツちま う と お 侠さん が乗込むンだから ( 以 下 略 ) ﹄

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﹃迎も静江さんの様な撃校で採まれた摩れツからしに協う筈が ないサ。(中略)結局は妾が負けになツて見棄てら れるのかと思 ふと情なくなるワ。 ﹄

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という 言葉に表わ れ て い る と おり 、 お 古 口 の 不 安 の 根 底 に は 二人の関 係への疑問がある 。 メキシコ渡航につい て も 、クリスマス 準備等で 久しく静江が訪れなかった乙とから、 二 人 で ﹁ 踏に歎契 ﹂した計阿 ではないかと疑い、﹁仏廃したツて財産を 奪 って妥を 棄てる口質だ としきやア思はれない﹂ので ある。又 、純之助がお 古 との冷 却期間 をおこうとして言い出した﹁全閣漫遊の計醤﹂についても、お 吉は ﹁静江さんでも仲れてくんぢ ゃ ないか﹂と心配しているのである。 乙れらは 皆 、 ﹁ 妾 ツ て名ば かりで顧 問いても﹂もら えない﹁ 女 の 身 ﹂ の哀しさを示すもので はなかろ うか。確かにお吉 は無教 養でヒステ リックな、純之助の理惣の妨害者ではある。が、その一方、 家庭や 注 M 妻を顧みない純之助の犠牲者という一面を持っているのである。そ して、それはお 吉 が意地を張って反抗しながらも、純之助に﹁ 猶 だ /¥未練﹂を残し、口論の末飛び出した純之助を迎えに大磯ま で 出 かける愛情を持っている乙とで 一 一 層 強調さ れてい る 。 更にお吉には 、 自分の精神状態を﹁腹が立ってムシヤクシヤする かと思ふと 、 急 に 悲アしくなツたり、 嬉 し い 様な気がすると直復く た嫌アな心持にな ツたり、( 中略 ) 矢張 病気かも知れない﹂と説明 し 、 ﹁ 沈 着 い て了う と、今 肝 出 舶 を 起 し た 事 が 気 の 毒 で 、 気の毒で 、 なんぼ 奉公人だか らツて異質に 済まな いと思ふよ﹂と 詫びる冷静さ もあり、其四では普兵衛から純之助が ﹁ 家 内を和合させや う﹂と し ていたいきさつを説いて聞かせられる と 、自らを省みる 素直さ も あ る の で あ る 。 このように 、 お吉は 、 単に無理解 、 無教養な妨害者ではなく、女 の哀しさ 、 素直さ を内に持つ人物とし て設定されて い る 。 ζ の設定 の仕方が 、 其五に 於ける静江の純之助批判をより正 当 な 、 真実味 の あるものにし て い る乙とをおさえ て お く べ 、 き で あ ろ う 。 いずれにせよ 、 お 吉 の 性 格 は 、 其二に 於けるお銀との 会話を 中心 に 、 ありありと 浮 かび上がっており 、 人物描写という点から評価す る べ き 例 で あ ろ う 。 乙れに対して、主人公である純之助の人物像 には矛盾があるよう に思える。純之助は其一において、 今の 政治家 、 事業家を批判し 、 ﹁一園を翠げて利奔名走に労らされ﹂て いる状況を 嘆息して 、 我々はヒユ!?ニチイを 宣停し 、能ふべくんば世界の 軍備 を撤 回するを庶幾するが故に歴史上必然遊くべからざる人 種の衝突 を救はんが矯め(中略)卒和の踊 音 を侍へんとするので、 ( 中略) 此 獄慾的競宇の古向調に乗じて無人の築郷に新ユト l ピヤを創開

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かんとするのである。 ( P U ) とその抱負を語る人物である。其四では﹁鉄宕猫介敢て人に下らず、 堅く自ら信ずる主義を奉じて世間を倣脱する癖物 ﹂ ﹁冠易に陵く富貴 に 冷 か な 男 ﹂ 、 或いは ﹁ 粉 々 た る 世間の功名利録以外に超然 と し て 蓋世の経倫を行はん と す る 大 志 あ る 者 ﹂ 、 ﹁物堅い謹直な剛毅した気 象﹂と高い﹁樫識﹂を持つ人物と形容されている。そんな﹁経世の 大 士 山 あ る ﹂ 人 物 が 、 ﹁無事で夜分瞬で其日々々の賛湾に腐 っ て 化 粧 三昧物見遊 山をする外は理想もなく信仰もなく意地もなく緊粛もな く 、 其上に邪推強く頑くな﹂金満家の相続者であるお吉 と何 故結婚 したのか。純之助に関する人物造型の矛盾の殆どは 、 ζ の不自然な 設定から生じている堵いえる。 例えば 、二人の 生活が全く噛み合っていない様子は 、 純之助の服 装に関する記述にもあらわれている。其一には、 莫 大 小 の 被 衣 を 一 一 一 二 枚 着 た 上 に フ ラ ネ ル の 皐 衣 と 黒 ツ ぽ い 銘 仙 の綿入とを重ね薩摩の蚊紛の綿入羽織を引掛け、鼠色に化けた 白縮緬の帯を縄の様にしといて締めた風采は 、 何 魔やら品格が あ っ ても一級所得税を納める雇内の金満家らしくは見えないで、 ( 以 下 略 ) ( P 9 ) とあるが、乙こに描かれた 純 之助 の服装は書 生 の そ れ で ある。これ は 其二における お吉が純之助の衣裳持物を心配して晴の小袖から金時計其他、 紳士の鉢面を飾るべき一式を揃へたのを純之助は嬉しいとも思 はずに﹃乃公には之が相態だ﹄と 書生時代の服 装を更めずに唯 の一度もお吉が心室 し を 着て呉 れ な か ツ た 。 と い う記述と対応している。純之助のこうした態度は服装に関して のみ現れ たも のではなかった。﹁大抵二階の脅粛に閉館って頻 り に 考へたり勉強したり﹂ 、 ﹁ 頼りない孤濁の身﹂である静江に時計や指 環などを買い与えて ﹁ 従来﹂と同様に﹁態分の世話﹂を続けたりし て、お吉の乙とは全く気にかけず 、 頑固に寄生時代の生活のぺ l ス を崩さなかったのである。それが有川 家 に とっていかに違和感のあ る 行 為 で あ っ た か は 、 其 一 日 比 描 か れ た 書斉の様子にも象徴されて い ヲ Q

二 室 と も 書粛 らしく奇麗に整理っ て 、法隆 寺模僚の段通を一杯 に敷詰め、(中略)先代が好事家だけに何れも由緒ある有川家 自 慢 の 逸 口 聞 を 床 、 違柵に飾立てた中に 、 表紙の手摺れた洋書 、 報告書めいた俵綴物 、 ( 中 略 ) 古新聞で包んだ段産物 、 薦縄揚 げ の標本を盛挨 と 一 絡に将もなく散弘ぃ。折角好事家が恭けなさ に涙覆して勿駄ながる名物を可借見努もなくがらくたの中に埋 め て ゐ た 。

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お 吉 が 、 ﹁ 自 家 の 日 一 那 様 は 書 生 さ ん だ よ ﹂ と 皮肉っぽ く 言 うのも無 理のない乙とであった。 こ の よ う に 、価値観の相反する 者 同 士 山 を結婚させるとい う設定 に 無理がある乙とは 、 作者である魯庵も気づいていたに違いない。と いうのは、﹁何故二人が結婚したのか ﹂ という設問は作中において 繰り返し提示されているからである。例えば 、( 其四)では 、 久摩した拍子か固轄滑腕の才子 肌 ならでは及第すまじき養子に ハ U

。 。

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見 立 遼 ひ + 守 さ れ て 、 (中略)苦もなく読落されて廓慢放縦なる 世間知らず と 借老の契を結んだが 、 ( 以下略

)

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日)( 傍線筆 者 ) と 記 さ れている 。 が 、 ζ ζ でも結 婚の動機は暖昧のままである。其 五では、﹁初めからお士口を愛しなかツたのだ﹂という純之助の 言葉 に対して、﹁愛しない方と何故結婚往すったり・よもや功名の矯めで も有りますまいネ? ﹂ と 静江に関わせて い る 。 ζ れに対し て も 純 之 助は﹁ 歎然 として了﹂うほかないのである 。魯庵 は 静江 に 続けて ζ う言わせてい る 。 ﹃正可に功名心の矯めと初手から意識なすツたわけぢやアなく て、能くいふ副淵剖

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阿川割引っ。勿論愛しないのに結婚する のは世間一統の風ですから 、 先ア理由屈はないものとしませうが ( 以 下 略 ) ﹄

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臼 ) ( 傍 線筆者) 乙れとて漠然とした解明しか与えていない。 乙の純之助 の結婚 は 又 、 其六において ﹃ 布 く も 海 外 移 住 の 士 山 が あ る な ら 養 子 に 行 っ て好んで繋累を求 める事はなかろう。既に資産家へ養子に行く ツ て の が 元気温喪 した十分 の 暗 証 明 だ 。 ﹄

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と非難されるだけ の不自然 さ を 含んで いるのである 。 こ れ に 対して 、 其四で は﹁ 有 川 の資産を目的に したでない﹂、其五では﹁有川 家 へ 養子に 行ったのは 無論部劣 な心でなかツた﹂と純之助に弁明 させて い る 。 が 、 お吉の反対によってメキシコ渡航を中止せぎるを得なくなっ た後 の純之助の描写に は、やはり無 意識にし ろ有川 家の資産をあて にしていたと思わせる も のがある。抑もメキシコへの﹁渡航費用一 高園を有川家の資産から支出して貰﹂うこ と を 結婚の条件として申 入 れ ることからしてそうであるが、お吉 と の離婚を考えた時 、 まず 純之助の念頭に浮かんだのは﹁有 川 家の資産 を自由に動かし 得 な か ツた不 卒だと誤解する世間の陰口﹂であり 、 ﹁有くも経世の大志あ るものが直 々 た る 百億れ金に舷んだ様な気がして駈かしく思 ﹂ わず にはいられないのである。又、本家の老人の﹁離別さツしゃい﹂ ﹁ 一 高 や 二高の端多銭は足下が事業の践別に私が献じるワ﹂ という 言葉に﹁利刃を以て弱黙を努かれた様な気﹂がして 、 ﹁ 離 別 附 を 云 ひそ﹀くれた上に、全閣漫遊の計笛をすら撤回して﹂ 、 逆に﹁一家 の和熟﹂を計る約束をしているのである。純之助が離婚を思いとど 注 幻 まった のは、田中栄一氏が指摘している よ うに﹁ 仲 人 へ の同情 ﹂ ﹁本家の老人への人情﹂によってであろう。が、それ以上に、老人 の 言 葉 に 、 自分の ﹁ 弱鮎﹂を認めまるを得な い ものがあったためで は な か ろ う か 。 最終章の其七においては 、 左にも右にも初め赤手を以て事を成さうとしたを 、 別訓叫州出 来 心 で 暗 部 て の 素 志 に 背 いて富家の子と養はれたのが 生涯の失策 で あ ツ た 。 ( p m m ) ( 傍線筆者) と 、 有 川 家の資産を頼みにしていたと思わ れ る 述懐が為されている の で あ る 。 注 甜 更に、純之助の経済能力の問題がある。これはこの作品中、殆ど 描かれていない。職業についても、僅かにお吉の 一 言 葉 を通して ﹁ 新 - 81

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聞や雑誌に書いたり祉の翻誇をしたり﹂する﹁事者﹂である ζ と が 膝気に示されているにすぎない。が、もし新聞雑誌の稿料や翻訳料 が唯一の収入源だったとしたら、その額は多くはなかっただろう。 乙れについては評論や翻訳を業としていた魯庵が﹁喰ふ矯め﹂に稿 料 の 高 い ﹁ 小 説 長 室

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-酷からも想像できる。野村 喬氏によると、当時の魯庵が文筆で得る収入は一か月平均二十円だ 注 闘 ったという。因に明治但年

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月に改正された首相の年棒は﹁九千六 百円﹂(﹁官報﹂明治幻年日月

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日 ) で あ り 、 ζ の作中の一万円とい う金額が、稿料翻訳料を生活の糧とする者にとって大金であったこ とは疑いないのである。更に、純之助のメキシコ渡航が時間的にも 急がねばならぬものであったことは、其一の 人種の膨脹と一枇曾の逼迫とで必要再然した殖民の競宇が漸く激 烈となるは既に数年に差迫った二十世紀で、我々が未来の太卒 洋問題に廃して平和の舗を把持する盟主となるには北緯三十 度以南の太卒洋一州市の地に雄鎖を築くが第一の準備である。 ( P U ) ( 傍線筆者) という述懐からもわかる。その上に、 墨西寄に渡航するに若干の金子が要る。百ヱクタラや二百ヱク タラの土地を借りるに若干の金子が要る。瑚誹悼の苗カ﹄オの苗、 葡萄の苗、玉萄黍や馬鈴薯の栽附をするに若干の金子が要る。 ( 以 下 略 ) ( P M m ) という条件が重なって、純之助に﹁不斗した出来心﹂を起 ζ さ せ た ことは充分に考えられる。換言すれば、純之助の理想を実現するた めには 、 この一万円は必要不可欠なものであった。まして単なる移 民ではなく、そこに﹁ユト l ピヤ﹂を築くための渡航であれば、そ れなりの準備を必要としたのであろう。極言するなら、純之助の理 想は有川家から提供される一万円がなければ実現不可能な机上の空 論でしかなかったのである。 と考えると、愛のない、全く価値観の食い違うお吉との結婚は納 得できる。が 、反面、﹁ヒューマニズムを喧停し﹂﹁新ユト l ピヤを 創閲かんとする﹂大志を抱く人道家純之助の像は大きく揺らぐこと になる。或いは静江が言うように、お吉との結婚は﹁功名心の震と 初手から意識﹂したものではなかったのかもしれない。﹁大事業を 恩立って其慾望が﹂あまりにも﹁蛾んだツた﹂純之助には、理想の 実現以外のことは一斉の価値を持たなかったに違いない。勿論、 ﹁富貴﹂や﹁功名﹂などというものもその例外ではない。が、所詮 純之助の﹁生命たる﹂理想は、そうした自己中心的な没頭によって 築き上げられた﹁冒険事業﹂であって、﹁純無掘の情﹂から生じた 、 大地に根をおろすべき経倫ではなかった。ヒューマニズムを説きな がら、自分の行為がお吉や静江、そして最終的には自身をも傷つけ る乙とを洞察できぬ﹁少年の客気﹂でしかなかったのである。つま り、乙こで描かれているのは、お吉と離婚し老人の志を受けてでも メキシコへ行こうとする程のがむしゃらな行動力も持てず 、 か と い って、お吉を愛することは勿論メキシコへの夢を捨てる乙ともでき ずに悩む中途半端なヒューマニズムの持ち主である。これは其四で ﹁鉄宕狽介敢て人に下らず 、 堅く自ら信ずる主義を奉じて世間を倣 - 82ー

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脱する癖物﹂と形容された純之助像では決してないのである。 その他 、 同様の矛盾は多々見出せる o 例えば、メキシコまで出か けようという人物が 、 お吉の﹁何時までも稗然たら﹂ぬ態度に為す すべもなくただ嘆息して、一か月経って漸く﹁暫らくお吉から 遠 ざ かるのが良策だと﹂﹁全園漫遊の計箇﹂を持ち出すというのは、 あ まりにも優柔不断で行動力が不足しているのではないか。純之助は ﹁ 夜 分 践 で 、 執劫で 、 放縦で 、 邪推深﹂いとお吉を蔑み 、 遠ぎける ばかりで自ら積極的に物事を解決してい乙うという姿勢に欠けてい る。それはメキシコ渡航を中止し 家庭の平和 を重んじるという判断 に於ても見られることで、本 家の老人に﹁弱黙を努かれ﹂ 、 静 江 に 功名のために 家庭 を犠牲にしていると批判されて、漸く決心するに 至るのである。又、田中氏の指摘どおり、メキシコ渡航の大士山を抱 く人物が﹁同情﹂﹁人情﹂によって離婚を断念するのも領けないし 、 それほど人の気持ちを汲める人物であるなら、お吉の静江に対する 嫉妬心に気づかぬはずはあるまい。まして、お吉は﹁時とすると、 純之助の目の前で夫れと云はずに悪口雑 言 した事さへある﹂のであ る。なのに純之助は其 三 で 、 静江と伴にお吉のもとにいき、﹁静江 さんと大量力で調いて来た﹂菓子を持ち、﹁三人でトランプでもや らう﹂と 言う。更にお吉の 枕 一 万で静江と 二 人でカカオの 話 に 興じ 、 夫婦問の撲め事を﹁静江さんに是/¥の紛伝があツたンだと此問中 の顛末を委しく話し﹂て﹁相談したンだ ﹂ と語り 、 ついには﹁ 三 人 で近豚旅行しよ う ﹂ と 誘 う の で あ る 。 ζ れではお吉の気持ちを逆撫 でするばかりである。乙の無神経さ、鈍感さは、其五では静江に福 弥との結婚を勧めると ζ ろや、静江から﹁愛は銃う失くなツて了ツ て よ ﹂と言わ れて初めて静江の愛に気づき、しいては自身の静江に 対する愛にも気がつく と い う と こ ろにもあ らわれている 。演末な矛 盾もつけ加えるなら、寝込んでいるお 吉 に対して﹁例のへステリ l ﹂ だ、﹁僕を恐嚇する示威運動かも知れんよ﹂と冷淡であったはずの 純之助が、お吉を大磯に誘う場面で、 ﹁ う む 、 先日新調た 賓石鮫入 釦銀の腐いた吾妻コ i ト 、 あいつの着初をしなさい。﹂と服装まで指 定している点をあげたい。お 吉の嫉妬 心にも気づかない無関心な人 物が果して妻の新調の コ ー トの特長まで知っているものであろうか。 こ う した些細な指摘は 、 魯庵本来の批評方法からはずれるので私 も乙の辺で筆を留めるが、純之助の造型に関してはこのような矛盾 注 油 点が多く見出せる。魯庵が常に批判した﹁性情の一致を犯﹂してい る と 言え るだろ う 。 次に静江について考えてみたい。 静江 は純之助の亡 友の妹で 、 純 之助とは兄妹同然の間柄にあり、純之助が自分の﹁経 倫を話 し て 聞 かせ﹂られる教 養 のある女性として描かれている 。純之 助にと っ て は同志を除けば 数 少ない理 解者の一人で もあるわけで ある。純之助 が静江の 訪来 を心から歓迎している 様子 は其一における描 写から も わ か る 。 静江の顔 を見るなり﹁純之助の淋しい 顔 は俄 に春め﹂き 、 十字架を見せられて﹁無 言で微笑 し﹂、夢の話を聞いては ﹁ 阿 然 と 笑﹂うのである。 しかし、静江は理解者であると同時に批判者でもある。それが端 的に示されるのは其五であるが、其 一 に お い て 既 に 、 -83

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﹃夢は心の反映だから歎一示録みた様に解稗の仕方で大捷面白く なるワ。昨夜も天使と悪魔の面を前後に有ってるスフヒンクス みた様な動物が蛇や断腸に攻められながら底の無い坑に落ち てく夢を見たの、其動物の胸に嬰西寄と書いて有ってよ、(以 下 略 ) ﹄

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日 ) と冗談の中に語っている。乙の﹁天使と悪魔の面を前後に有ってる スフヒンクス﹂は言うまでもなく純之助を指し、彼のメキシコ渡航 が、一方では人道を説、き、一方では﹁功名心に酔って﹂家庭を犠牲 にするというこ面性をあわせ持っている ζ とを暗示しており、乙れ はそのまま其五で展開される純之助批判の伏線となるものである。 其五における静江の批判は的確で、﹁人道を説く人が現在の妻を 功名心の犠牲にし﹂している、﹁柔しい言葉で親切をなすツたツて、 智恵の仕業で情が少とも働かないから夫人の絢に徹しないのは首然 で﹂あると、純之助の痛いところを突くのである。更に静江は、 花々しいヒロイカルな人を驚かす様な、雄大とか壮大とか云ふ 事業の好きな方

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斯ういふ方は非常な場合の道徳だけを重んじ て日常家庭の道徳は軽蔑してゐらツしゃる。ですから道徳の理 想ツても、すばらしい立汲な天閣や献身的の大事業ばかりで、 家庭の幸福なんかは頭から賎んじてますネ。(以下略

)

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臼) と述べ、純之助を﹁家庭の罪人﹂、そして愛せない理由に妻の﹁蔵 蓮﹂をあげる﹁道徳の罪人﹂だと非難するのである。 ここで留意すべきは、静江の設定の仕方が其五における純之助批 判を説得力あるものにしているということである。まず純之助と静 江を兄妹同然の親しい間柄に設定していることが、年下の女性であ りながら、面と向かって純之助を批判できる第一の前提を作っている。 次に、静江を教養ある女性として設定しているのは、お吉との対称 を際立たせるためだけではない。純之助は同等の教護を持つ﹁静江 が宮本る度に此経給を話して聞かせるのを何よりの快事﹂としており、 静江は純之助の理想を熟知した人物として設定されているとも言え る。だからこそ、純之助の理想の弱点を衝く ζ と も 出 来 た の で あ る 。 第三に、静江は生涯を神に委ねようと考える敬度なクリスチャンと して設定されている。乙れは、純之助のヒロイカルなヒューマニズ ム││家庭の犠牲の上に立つ人道とも呼べる│!と神の愛から生じ る静江のヒューマニズムとを対比させ、前者の非を認めさせるため には不可欠な設定であった。更に静江はかつて純之助を思慕してい た女性であり、今は純之助夫婦の幸福を願う中立の立場から真撃に 彼を批判するよう設定されている。 ζ うした設定のあり方が、純之 助の理想の弱点を衝くに充分な説得力を生んでいるといえるだろう。 が、魯庵はこの静江を強靭な批判者としてのみ登場させているわ け で は な い 。 ﹁ 愛 は 既う失くなツて了ツて よ ﹂ ﹁愛がないのに結婚す る 道理がない﹂と言いきるその裏には、﹁誰一人製肘する者の無い自 由の身で﹂ありながら純之助と結ばれず、今は神に仕えて純之助と お吉の幸せを祈ろうという犠牲愛的な決心があるのである。﹁大事 業を恩立って其慾望が蛾んだツた﹂純之助には静江の愛が見えなか った。そういう意味で、お吉同様静江も一人の犠牲者なのである。 しかし、お吉から見ればとの静江も又、家庭の幸福を破る加 害者 -84一

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たり得るのである 。それがた とえお吉 の邪推にすぎなくても、であ る。そのため、純之助から﹁だが静江さん、少とは同情して貰ひた い 。(中略)今度の葛藤も墨西寄一篠に初まツたんだが、其遠因は 全く貴嬢に由来してゐるンだ﹂と言われれば、﹁さツと顔を紅め﹂ ﹁霊頭いて了﹂うしかないのであある。 お吉の項で述べたように、二人の関係が潔白であろうと、お吉の 恥併 b n u 邪推を誘うだけの要因は静江の中にも見出せ引例えば其一では、 ﹁銀が薦めた座蒲闘に遠慮もなく座って、(中略)火鉢に摺寄って 賢石入と槌自の指環を穿めた真白き手を惜気もなく火に務した﹂と 描写されているが、もし ζ れが純之助に買ってもらった指環である なら、お吉の嫉妬心を買う ζ とは疑いない。又 、 純之助から相談を うけたにせよ 、 お吉の気持ちに全く気づかず、夫婦の和合を計る旅 行に﹁ね、夫人、行らツしゃいましナ、妾もお伴侶が致したうムい ます﹂と述べる厚かましきなど垣間見えて、其五でお士口の身を思い、 純之助を批判する態度と矛盾するものが感じられるのである。が、 ζ れは純之助像に見られたような深刻な矛唐ではないと言えよう。 以上、主な登場人物について、その人物描 写 を見て来たが、お吉、 静江はともかく 、 純之助はやはりその人物造型に矛盾が多いと言わ ねばなるまい。しかしながら、そのために一つの構図が成立してい る。それは ζ の三者が各々│言葉はよくないが│加害者、被 害者の 両方の側面を持っているということである。お士口は純之助の理惣の 妨害者であるが、又一面、夫に顧みられない家庭の犠牲者でもある。 純之助もお吉や静江の愛に答えることが出来ない点において一種の 加害者であり、又理想を断念せざるを得ない点で誰よりも被 害者で ある。﹁生涯嫁づきません﹂と断言する静江もある意味では被害者 であり、お吉から見れば夫を奪 う加害者なの である。価値 観や立場 の違いが ζ うした 三 者の関係を作り上げていること、そして、従来 純之助の新思想に対する封建的思惣の象徴のように捉えられて来た お吉ゃ、クリスチャンのヒュ ー マニズムで純之助のエゴを批判する 役割ばかりが強調されて来た静江の中にも 、 二面性が見出せる ζ と に 留 意 す べ き で あ ろ う 。 乙乙で、紙面の関係上詳しくは取り上げられないが、 ζ の 三人 以 外の人物描写についてもみてみようと思う。 まず最も活写されているのは高橋善兵衛であろう。有川家の先代 に資本を卸して貰 っ て今では梶 輩 出 回 と いう御屈を切り回す 善兵衛は 、 お吉の見初めた純之助との縁談をまとめる ζ とで﹁先代への恩返し が出来たと歌 ﹂ぶ義理堅 い男である 。その職 人出身の正直 一 遍 の 商 人気質は其四に特によく示されている。 ζ れについては後述の文 章 表現の項で取り上げるので具体例は挙げないが、その話しぶり、話 題の選ぴ方 、 ユーモアの効いた比磁の用い方などにありありと描か れている。が、最も善兵衛の価値観を示しているのは、純之助のメ キ シコ渡航をお吉に伝えなかった一件であろう。それは﹁悪義から で な く 、 ﹂ 純 之 助 が ﹁ 卒 生口にする冒険 事業 は 畢 完 少 年 の 客 気 で 、 ﹂ ﹁家庭の味を試めたら直ぐ消滅して了う﹂か 、もし﹁消 滅しないに しろ﹂夫婦問で ﹁ 園滑く相談が成殺る 事 だと自分定めにし﹂たた めであったが、ここにも﹁折角纏り掛った﹂ものを﹁破談するでも - 85ー

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ない﹂という﹁家内安全一服徳無量を祈る﹂気質がよく現われている。 注 叫 人物描 写 の点から言えば、お吉と並んで評価すべきであろ う 。 そ の 他 、 登 場回数次少ないが、本家の老人も、﹁頭から封手にな らず、若い者が犬も胞はない御馳走は老人殊に僻易すると阿然と笑 って茶にして了った﹂、或いは、 ﹁ 煩さき無盆の繰言は云はで﹂﹁離 別さツしゃい﹂と 一五退け、﹁足下が事業の践別に ﹂ ﹁ 一 高 や 二 高の端 多議 ﹂ は﹁私が献じるワ ﹂ と打出すあたり、﹁澗達な気象 ﹂ がよく 示されているし、純之助の同志たちの各々の個性ゃ、有川家の 奉 公 人たち││特にベテランのお銀と年のいかないお浜の違いなども描 き分けられており、まずは無難と言うべきであろう。

二、作品構成

魯庵は﹁小説の 主 眼は情致なれどもチトの波測も照態もなく、又 注 幻 少しの脚色だになければ小説とは云ひがたし﹂﹁勿論脚色は小説の 末技には相違なけれど﹂﹁陳套の脚色﹂は許すべきではない、或いは ﹁よし趣向は小説の末技なりとするも小説と名くる以上は多少の 立案を要すべく、其巧拙精疎に依て多少の評をなすも無盆にあらぎ 注 A M るべし﹂とその作品評の中で述べている。 ζ 乙で魯庵の言う﹁脚色﹂ ﹁趣向﹂は、作品の組立て││所謂プロットを意味している。﹁小 説の主眼﹂とは言えないとしながらも、﹁脚色﹂の一貫性、斬新さ を批評基準の一つにしているのである。 では﹁くれの廿八日﹂のプロット││つまり作品構成の方法を見 て い こ 弓 ノ 。 抑も、乙の作品は ﹁ 歳暮の 二 十八日だといふに﹂﹁ 来 陽の准備が 猶だ出来ずにゐる﹂、その原因となった夫 婦 喧嘩の 真 相と、一応の 解決をみるまでの顛末を、 二 十八日一日の出来事を通して描いたも の で 、 七 且 早 か ら 成 っ て い る 。 まず、プロローグにあたる其一では、早速夫婦喧嘩の原因となっ た純之助のメキシコ渡航の 夢 が語られ、遠 因 である静江も 登 場 し て いる。其こでは、お 士 口 が 奉 公人銀に語る体 裁 を採りながら静江への 嫉妬心、純之助への不満、そしてメキシコ 一 僚の事情がお吉の立場 から説明されている。其三ではお吉の心を解さない純之助と静江が お吉の元を尋ね、機嫌を直そうとしながら逆に怒りを買ってレまう 様子が描かれている。構成の上から言えば、乙の 其 三 が、いたたま れなくなった純之助と静江を外出させるきっかけを作っていること に留意すべきであろう。というのは、其五の上野での静江の純之助 注 叫 批判、そしてお互いへの愛の告白めいたもの、続く其六での同士山た ちの罵言は、有川家内部においては為されにくいものであるからで ある。更に外出させることによって、一般庶民の暮の慌しさ、雑踏 に象徴される世間が描き出され、それと全く対照的な世界に純之助 や静江、又同志たちが住んでいることをより明らかにしているので ある。例えば、其五では、﹁迫がた人の出盛る上野公園も押迫って からは寂実として、のんきにステッキを揮屈し紙各賞の煙を顔中に 騨かして漫歩く気楽さうな 太卒 の民﹂は一人も見掛けないし、 其 六 で も 、 同 士 山 た ち の 集 っ て い る 下 等 料理屋めいた西洋館は、﹁ 歳暮 の 賓 -

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86-物で卒日よりも賑やか﹂な市中とは遠い 、 純之助に﹁宛から人生の 悲歎が掌返す聞に獲るを貴地に見る﹂ように﹁寂実り物淋し ﹂ い と こ ろ にあるのである。少々横道にそれたが、其三はそういう点で 、 純之助とお吉の対立の深さを示しているだけでなく、作口聞に描かれ る空間を外部へと移行させる役割をも果しているのである。其四で はお吉の元を訪れた 善兵衛に よって、お 吉は諭され 、其 五では静江 によって、﹁夫人を功名心の犠牲にしている﹂と純之助が批判され、 家庭の幸 福に生きようと決心するに 至るのである。つま り 、 其三で 決裂してしまった夫婦の綻が 、 善兵衛の実直な説諭によって 、 或 い はクリスチャン静江のヒューマニズムによって繋ぎとめられている、 そういう意味で其四、其五は一対の構図をもっているのである。 そ して其 三をきっか けに外出した純 之助は静江と別れた後、思いが けず同志と出 会 い 、 書生たちの集う席でメキシコ渡航中止を告げね ばならぬことになる。それが其六である。其五で静江によって批 判された純之助を、更に同士山の中に置く乙とで、その 挫 折 感 は 一 一 層 高 め られているのである 。 エ ピ ロ ー グ の其七では人道的社会事業だ 注 叫 と 信じて来た純之助の理想は否定され 、 ﹁滑稽劇﹂としか言いよう のない自分の境遇を認めた彼は、﹁家庭に身を殉ずる決心の隣を堅 く﹂するのである。﹁焚々たる輔副書燈の園圏に照らされたプレスコ ットの征路史は俄に色槌せて慢める様に見えた﹂という記述はその 純之助の心境を 象徴して いるかのよ うである。そして元

E

。華やか な春の描 写で乙の 小 説は締め括 られるのである 。 以上が﹁くれの廿八日﹂の各 章の 内 容 と構成である 。夫婦の不和 が解消される過程││乙れは向時に純之助の理想の鐙折の過 程 で も あるがーーを 、 暮の二十八日の早朝から夜ふけまでに起こった出来 事として 、 矛盾なく まと め上げている 、といえる 。 又 、 各章のつなぎ方にも工夫が見られる。例えば其一を ﹃銀ゃ。﹄とお吉の甲走った撃が全家を努くばかりに聞えた。 ﹁ 銀 ゃ 、 銀 や 、 銀 や ﹄ という一文で終え、続く其二を ﹃ 聞 え な い ツ て 、 聞 え ない事があるもんか﹄ というお 吉の言葉で始めている と乙ろなど、そ の好例であろう。其 二 、 其 三 に 於 て も 、 ζ ちらへやって来る純之助と静江の姿にお 吉 が 気づくところで其二の筆をおき 、 其 三 の三人の様子へとつながせて いる。場面の 変 化に自然な流れを持たせているといえるだろ う 。 では、乙の構成のあり方を、魯庵の 評 価基準に照らしあわせでみ るとどうであろ うか。魯庵 が最も 重要 とした一貫性も認められるし、 各章も決して同一趣向によるものではなく、起伏に富んでいる。登 場人物が少ないにも係わらず、場面の展開によって単調にならない 工夫が施されているようである。構成方法に関して言えば 、 まずは 評価してよい出来であろう。

文学表現

では最後に﹁くれの廿八日﹂の表現について論じてみたい。小説 において﹁文字﹂は最重要な・ものでないと漬末な文章表現に囚われ

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すぎる乙とを批判し、人物描写を助ける﹁異動事な文字﹂を求めた魯 庵 で あ っ た が 、 ζ の理論は実作にも生かされているだろうか。 まず評価すべきは会話の部分である。口語を巧みに文字化してリ 注 品 アリティを持たせている。その好例はお吉であり善兵衛であろう。 例えば 、 お 吉 の 場 合 、 ﹃人ウ馬鹿にするものも好い加減におし。元来なら寝てヱるン だ も の ( 以 下 略 ) ﹄ ( P 四) ﹃人の家イ来てまで先生を鼻の頭にぶら下げなくても可き﹄う な も ん だ ネ ・ : 澄 ア し た も ん だ ( 以 下 略 ) ﹄

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﹃悉皆静江さんに入上げツちまうンだよ。(中略)金時計だツ て 中 々 廉 か ア な い や ネ ( 以 下 略 ) ﹄ ( P 幻) というようにである。﹁人﹂にわぎわざ﹁シト﹂とルピをつけてい る と ζ ろにも関東方言を生かそうとする工夫が見られる。善兵衛に 関 し て も 、 ﹃解ツた、銀どんの心持は能うく解ツた。最も聞かねヱでも解 ツた、何でもナア、丸るく/¥││ 善兵衛生得いて大嫌ヱは松 魚 の 盤 辛 と 女 の 憤 れ た 面 : ・ ﹄ ( P C ) ﹃ あ ツ し は ネ 、

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那の肩を持つンぢやねヱが 、 此 家 の

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那は石 橋を鼓いて渡る慮ぢやがアせん、ダイマンに白金を被せた繍ぢ や 溶けねヱツて堅固人で(以下略)﹄ ( P O ) ﹃高橋善兵衛譜夜しでも亀の甲より年の功 、 五十何度大晦日に 責めら れたお庇に 袋物と人間の鑑識は滅多に敗を取らねヱ積り で が す 。 ﹄ ( P M 叩 ) というような話しぶりに、善兵衛の性格や商人気質がよく出ている。 その他其六における演説にも書生たちの口調が生かされていて 、 会 話によって人物描写が深められているのである。乙の会 話 部分が作 品全体を活性化させる乙とにも役立っているのではなかろうか。 次に留意すべきは、心理描写に比除(若しくは象徴法というべき か)を多用している点であろう。其 一 で、純之助が積年の夢であっ たメキシコ渡航を中止し、﹁家庭の和熟﹂に身を呈する決心をした 、 その心境は、純之助が吟じる﹁日月能中の鳥、乾坤水上の葎﹂とい う古詩、或いは﹁和順調川家之本、循理保家之本﹂と宅を揮い﹁告朔 餓羊坊﹂と落歎した紙が ﹁ 部屋の中で何よりも一番目に着いた﹂と いうあたりに象徴されている。又 、 前述したとおり﹁天使と悪魔の 面を前後に有っているスフヒンクスみた様な動物﹂は比除の好例で あろう。その他、本家から静江に縁談を申し込んで来た際のお吉の 気持ちは﹁恰度重閣に陥ちた城兵が味方の援軍を望んだ様﹂だった と表現しているし、妻を犠牲にして理想を実現しようとする純之助 の態度を 、 静江は﹁精神的に夫人を殺して墨西寄に肉鰻頭を献じて い る﹂と喰えているのである。その他、其七では﹁キサンチップ﹂、 純之助の見る﹁イリユ l ジョン﹂、色槌せた﹁プレスコットの征略 史﹂等、皆純之助の心境を象徴しているのである。それが成功して いるかどうかは一概には言えないが、その工夫は評価すべきものが あ る で あ ろ う 。 注 刊 しかし、長所ばかりではない。魯庵は﹁五月蝿迄にクドキ 言 葉 ﹂ 注 訂 注 叫 ﹁虚備の文字﹂﹁似た様な文句﹂が多すぎでは作品を損ねると度々 回

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批判しているが、自らもこの幣に陥っている。例えば、其一の、善 兵衛と出かけて夜更に帰って来た際の純之助の描写には、﹁不思議﹂ が五回繰り返されているし、翌朝の描写には﹁珍らしく﹂が七回用 いられている。又其 こ で は 、お吉の心配の理由を説明するのに﹁面 白からぬは﹂を四回、静江が縁談を断った際の描写には﹁加之も﹂ が三回続けて使用されている。この繰り返しが強調法として効果を 上げているかどうかは極めて 疑 問 で あ る 。 右は同じ言葉の繰り返しであるが、類似の表現による描写も多々 見出せる。例えば、其一の純之助の苦悩は、﹁苦い顔をして、深い 溜息を吐いて ( P 8 ) ﹂﹁久磨やら面白からぬ顔をして ( P 9 ) ﹂ ﹁ 桐 然として歎息した ( P 9 ) ﹂﹁純之助の苦り切った顔を ( P 河 川 ) ﹂ 、 其 二におけるお吉の痢績の様子は、﹁後れ毛の煩さ﹂うにパラ/¥下 がるを前歯でギリ/¥と噛んで ( P M ) ﹂﹁焦れて前歯でギリ/¥噛 ん だ

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﹂﹁前額に背筋を出して

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﹂﹁頑額は忽ちびく/¥ と動いて

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﹂、其五の二人の態度の違いは、﹁女は一向 卒気に澄 し込んで ( P 印 ) ﹂ ﹁ 女 は 卒 気 に 澄 し 込 ん で ( P 臼 ) ﹂ ﹁ 女 は 少 と も 萎 まずに然も思切って小気味よく ( P 印 ) ﹂ ﹁ 女 は 言 葉 鋭 く 凍 然 と ( P 臼 ) ﹂ ﹁ 女 は 次 第に舌鋒鋭どくな ツ て ( P 臼 ) ﹂ ﹁ 女 は 一 向 怯 げ な い で 舌鋒盆鋭どく ( P 山 田 ) ﹂ ﹁ 女 は 絡 に 漂 乎 と ( P 臼 ) ﹂ ﹁ 男 は 樗 然 と し て 歎って了った ( P 印)﹂﹁男は樗然として女を顧謄いた ( P 臼 ) ﹂ ﹁ 男 は歎然として了った

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臼)﹂というように、極めてよく似た表現 で示されているのである。 ζ れらが﹁うるさくも全じ言葉

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線 画 村 ﹂ という批判に当てはまらないであろうか。 魯庵は又その批評に於て、読者に理解できないような一人よがり の﹁比聖墨色、難解な用語を退け、平易な文盤以平俗の込ぴ、 読者に﹁同感の意﹂を起 こさせる﹁異 動 車 ﹂ な 苅 引 を 評 価 し て い た 。 が、﹁くれの廿八日﹂は、必ずしも﹁卒易な文字﹂や﹁同感の意﹂を 起こさせるに足る文字に よって 書 か れてはいないようである。文体 ζ そ違うが、其一で純之助が語るメキシコの歴史や社会批判、抱負 ( P U J P ロ)は魯庵の評論の叙述ときして変わら

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し 、 ﹁ 告 朔 録 羊坊

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)

﹂の意味を即座に理解できる読者は多くはないだろう 。 一 方 、純之助、静江の洋 諸まじりの会話は 、当時の知 識人の風を伝 え、お吉との対称、違和を強める上で重要な役割を果しており、漢 ト 令 ﹄ 。 “ 字に洋語のルピを付す方法で語の意味を伝える工夫が為されてい円引 といえる。唯、其七の﹁イリユ l ツヨン﹂中にはスペイン語が原語 のままで挿入されている。イメージを伝えるためのねらいであった かもしれないが、﹁難解な文字﹂は避けるべきだとする魯庵の主張 には反しているように思われるのである。 このように、﹁くれの廿八日﹂は会話部分や比験、象徴法の駆使 等に表現上の工夫も認められるが、魯庵が常に求めていた読者に ﹁同情﹂を抱かせるほどの﹁辛動車﹂な﹁文字﹂であるとも言い難い のである。勝本清一郎氏の﹁本職が書いた小説﹂とは認められない、 注 臼 という批判も乙の表現上の稚拙さに拠るのかもしれない。

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以上、魯庵の評価基準を用いて﹁くれの廿八日﹂の本文を解読し て来た。文章表現の欠陥を取り立てて作品全体を論じることは 、 ﹁ 小 注 M 訟は文章を第一の目的となすにあらず﹂とした魯庵の文学観に背く ことになろうから繰り 返さ な い と し て も 、 主人公純 之助の人物造型 上の矛盾が作品全体の弱点ともなっている ζ とは大いに批判すべき ことである。﹁キャラクタ ー 乙そ肝心﹂で あ る とする 魯庵の評価基 準からしでも 、 主人公の性格破綻は、乙の一点をもって作品 全体を 否定でき るほどのウエイトを持っているといえるのではないか。と すれば、木村毅氏の ﹁ 明治文事としても屈指の名篇﹂とする評価は 過大評価であると言わねばなるまい。 では何故 、 繰り返し﹁小説に重んずべきは﹂人物描写であると唱 えた魯庵が乙のような誤りを犯したのであろうか。前述したよ う に 、 純之助 の人物造型 上 の 矛盾 は お 吉 との不自 然な結婚に生 じている 。 乙 の小説は 、 言わば価値観の相反する女性との結婚によって、純之 助の理想を発展しようのない状態に設定したところから始まってい るのである。とすれば、 魯 庵がお吉との結婚を設定したのは、純之 助の理想を挫折させるためであったと考えられるのではなかろうか 。 そ し て 、 あえて不自然な設定をした 、 と こ に 乙 そ 、 ζ の小説で魯庵 が描乙うとした主題があるのではないかと思われるのである。では 、 そうまでして否定されなければいけない純之助の理想の 実体 とは何 だったのであろうか。 其一で純之助の理想は﹁ヒ ユ ! ? ニ チ イ﹂による ﹁ 新ユト l ピ ヤ ﹂ の建設だとして 語 られる。が、これは旧思想、或いは家の具現で あるお吉によって、まず物質的に挫折させられる。しかし、 ζ の 段 階では純之助の理想自身は少しも傷ついてはいない。お吉の反対に よって一時中止はしたが 、 純之助の内部では依然、人道的 社 会的事 業 として認 識さ れているからである。純之助の批判が精神的に挫折 させられるのは││言い換えれば、その根底から否定されるのは

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静江の批 判によってである 。 前述したように、静江は純之助の 理想を熟知する人物であり、又、 信仰に よる││つまり﹁純無垢の 情 ﹂からの ヒューマニズムを抱く人物である。そのように設定され ている静江によって ζ そ初めて、純之助の理想が家庭の犠牲の上に 築かれている ζ と 、 そして純之助の説く人道が﹁少年の客錆﹂から 生じるものであることが明らかにされたといえよう。 と考えると、魯庵が主題としたものは、 家 の 問題でもなければ 、 単なる 知 識人の苦悩でも ない。もし 、 理想と現実の相加を描く乙と に目的があったのなら、純之助の理想そのものを否定する必要はな かったはずである。が魯庵はみごとに否定してい 注 ぉ 。 そ し て 、 ヒ ロ イ カ ル な ヒ ュ ー マニズムは結局、﹁架空の夢想﹂にしか行きっかない ζ とを描いているのである。 ζ のヒロイカルなヒュ ー マニズムの否 定 が 、 真 の ヒューマニズムとは何か、という問いかけを内包してい る ζ とは言うまでもない。 ζ 乙に小説家魯庵の描乙うとしたものが あったのではなかろうか。﹁得ゃうと恩へば得られた愛を棄て﹄今 - 90ー

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日の不卒不愉快を求めて買ったのは全く自分の罪過だ﹂と﹁其運命 に歎従し﹂、﹁お士ロの幸福に殉じ﹂るという純之助にとっては残酷と しか思えない結末を与えたと ζ ろにも、純之助のヒロイカルなヒュ ーマニズムを批判する意図の強さが窺えるよ う に思われるのである 。 乙の論の冒頭で、﹁くれの廿八日﹂を﹁社会小説﹂とみるか否か、 現在における諸論を紹介したが、右に述べたとおり、私はこの小 説 を﹁社会小説﹂だとは考えていない。勿論其一の純之助の理想ゃ、 其六の書生たちの演説、或いはお土口と奉公人の関係に﹁社会小説﹂と しての素材は含まれているかもしれない。又、静江を通して 信 仰 の 注 問 問題が提示されているかもしれない。が、 ζ れらは皆 素 材 で あ っ て 、 魯庵が描乙うと主限をおいたものではない。例えば、純之助の﹁生 E 7 命たる﹂メキシコ風船すら、抽象論をくり返すばかりで何の具体性 も示されていないのである。 ζ のことは、この小説が﹁くれの廿八日 ﹂ という、年末の慌しき の中に設定されながら一斉世間から隔絶した世界の中で展開されて いる乙とにも象徴されている。僅かに其四でお吉を尋ねて来た善兵 衛が﹁こいつア失策った、十二時だワイ﹂﹁歳暮でがす、爾うしち ゃゐられねヱ﹂と浮世を感じきせているだけで、経済的に何の心配 もないお吉は勿論、前述したとおり純之助も静江も同志たちも皆、 世間の風に染まらない﹁太卒の民﹂ばかりである。純之助の理想や 同志たちの話の中に社会は垣間見えても、作品の舞台は全く世間か ら切り敵されている。乙の小説が有川家の暮の描写に始まり、そし て又有川家の新春を写して終えられていると ζ ろにも、魯庵の主題 が社会ではなく、内的なものにあった ζ とが窺えるのである。 が、其七の結びの部分、華やかな新春の描写の中に、純之助の名 だけが出て来ない ζ と、又、﹁之からが中々難かしかんベヱ﹂とい う久助の言葉で筆を置いている ζ となど、純之助が果して智恵から ではなく情からお吉を労り、家庭に身を殉ずることが出来るかどう か、新たな展開の糸口を暗示しているように思える。﹁社会小説﹂ として描乙うとするなら当然書き継がれるべきであったろう。が魯 庵は﹁本 筋 は腹案なる 長篇 の設端とも見えるべきものなれば:﹂と 自ら記しながら続篇を書きはしなかった。乙 ζ からも、メキシコ渡 航をはじめとする所謂﹁社会小説﹂的要素が、魯庵にとってそれ以 上の発表を要さない素材であった乙とが推察できるのである。 本稿では、本文の読解を中心に﹁社会小説﹂と見倣さない理由を 述べた。次稿では更に、評論との関係においてその理由を述べるつ もりである。﹁くれの廿八日﹂を日本近代文学史の主流と傍流の ﹁結節点﹂だとする猪野氏の捉え方が妥当であるかどうかについて も次稿に諮りたいと思う。 注 記

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見易きを考慮し、年月は算用数字で表記した。

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﹁新著月刊﹂第 2 年 4 巻、表紙目次には﹁内因不知庵﹂、本文題 号の下には﹁魚日庵魯生﹂と記されている。 同現在ゆまに書房から野村喬氏の編で刊行中。全比巻の予定である。

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﹃ 現 代 日 本 文 撃 全 集 ﹄ HU ( 昭 5・7 改造社) ﹃現代日本文撃全集﹄臼(昭

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- m

筑摩書房) ﹃ 日 本 現 代 文 筆 全 集 ﹄ 8 ( 昭 必 ・ 日 諮 談社 ) ﹃日本近代文学大系﹄印(昭必 ・ 4角川書脂) ﹃明治文皐全集﹄鈍(昭臼 ・ 3筑摩 書房 )等に収められている。 同 ﹃ く れ の 廿 八 日 他 一 篇 ﹄ ( 昭

ω

・ ロ ) 附﹃明治文皐展望﹄(昭 3 ・ 6改造社) 川 ﹁ 帝 圏 文 皐 ﹂ ( 明 泊 ・

4

-m )

﹁ 雑 報 ﹂ 欄の﹁其基督教の炎々たる 信仰を活現するに於て 、 和気続々たる家庭の描出を蹄結と矯すに 於て、余輩は十分に宗教小説と家庭小説との蔚芽を看取し得た﹂ るという評、或いは、﹁園民新聞﹂(明引で3 -m ) ﹁ 一 話 一 言 ﹂ 欄の﹁着想と結構、恰も所謂光明的小説の歓迎さらる h 折柄 、 熟 達せる筆路に寓し出せる理想的小説﹂という評等がその好例であ ろ う 。 川 ﹃ 明 治 文 曲 学 史 ﹄ 下 巻 ( 昭

M

- m

東堂堂) 制 ﹃ 日 本 近 代 文 聞 宇 研 究 ﹄ ( 昭 お ・ 4東大出版) 帥 ﹃ 近 代 日 本 文 皐 講 座 ﹄

E

(

泊 ・ 河出書房) ﹃ 日 本 現 代 文 事 全 集 ﹄ 8 解 説 注

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参照

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﹃ 近 代 日 本 文 学 史 研 究 ﹄ ( 昭

m

・ 1 未来社)

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﹁内田魯庵論﹂(﹁日本文学﹂415昭

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・ 5 ) 帥﹃自然主義研究﹄上巻(昭

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・ 日 東京堂)

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﹃くれの廿八日他一篤﹄解説注附参照 叩﹃日本文撃史﹄ロ(昭お ・9 岩波書庖) 帥 ﹁ 社会小説の発展 │ 明 治 三

0

年 代 社 会 小 説 ( 一 一 ) │ ﹂ ( ﹁ 文 学 ﹂ 幻 ー 9 昭 M

9 ) 間 ﹁ 内 田 魯 庵 ﹂ ( ﹁ 解 釈 と 鑑 賞 ﹂ お

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u

昭 お ・

ω )

帥 ﹁ 内 田 魯 庵 ﹂ ( ﹁ 日 本 文 学 ﹂

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・ 日 ) 帥﹁社会小説論ーその源流と展開│﹂( ﹁ 日本近代文 学 ﹂ 7 昭 必 ・ 孔 )

ω

﹁内田魯庵における小説観﹂( ﹁ 青 山 語文 ) 6 昭 日 ・ 3 ) 、 ﹁ 内 田 魯 庵 の 社 会 小 説 ﹂ ( ﹁ 青 山 語 文 ﹂ 8 昭 臼 ・ 3 ) 制﹃民友社の文 学 ﹄ ( 昭 印 ・ 5 一三番房) 倒 ﹁ 時代精神と社会小説の論﹂( ﹁ 国 文 学 ﹂ 7 1 1 昭 幻 ・1 ) 、 ﹁近代文学史認識の留意点﹂( ﹁ 文学﹂辺 1 8 J 9 、昭却 ・ 8 J 9 )

﹁ ﹃ く れ の 廿 八 日 ﹄ の 性 格 考 ﹂ ( ﹃ 日 本 の 近 代 文 学 │ 作 家 と 作 品 ﹄ 昭 臼 ・ 江 ・ 角 川 害 届 ) 、 ﹃ 内 田 魯 庵 全 集 ﹄ 9 解説(昭印 ・ 2ゆまに書房) 回 ﹁ ﹃ く れ の 二 十八日﹄論ーその文 学 史上の位置をめぐって│ ﹂ ( ﹁ 新 潟 大 学 教 育 学 部 長 岡 分 校 研 究 紀 要 ﹂ 日 昭 円 相 ・ 2 )

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﹁ ﹃ く れ の 廿 八 日 ﹄と﹃文学一斑﹄﹂( ﹁ 国 語 と 国 文 学 ﹂

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1

9

昭 U

9 ) 帥 ﹁ ﹃ く れ の 廿 八 日 ﹄ 論

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﹁書生﹂から﹁大人﹂へ│ ﹂ (﹁上智近代文学研究﹂2昭日 ・ 8 )

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﹁ 魯 庵 と 社 会 小 説 ﹂ ( ﹃ 近 代 文 学 ﹄ 2 昭 臼 ・ 9 有斐閣双 書 ) 的﹁女事雑誌 ﹂ 山 ・ 川 明 幻 -m J U 署名不知稽主人 -

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92-四乙れについては拙稿﹁内田魯庵文芸批評の研究付 J 伺 ﹂ ( ﹁ 樟 蔭 国 文 学 ﹂ 口 J m 昭 弘 -m J 日 ・ 2 ) で 取 り 上 げ て い る 。

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﹁ 紅葉 山 人の色儀悔 ﹄ ( ﹁ 女 撃 雑 誌 ﹂ 川 ・ 川 明

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・ 4 ) 署名藤の屋

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﹁醐蝶﹂(﹁いらつめ﹂初明

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・ 2 ) 署名不知庵主人 削﹁隻村先生の﹃嘗世商人気質﹄﹂(﹁女皐雑誌﹂川明 m -U ) 署名其 川 子 回﹁紅葉山人の﹃南無阿鵡陀悌﹄﹂(﹁女皐雑誌﹂川明

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・ 7 ) 署名南仙子 関参考までに引用文には﹃内田魯庵全集 ﹄ 9 に於ける掲載頁を付し た 。 凶小泉氏は、従来の論に﹁お吉の側の人間的苦悩を見過す傾きがあ った﹂と指摘し 、 お吉の﹁正当な言分﹂を認めている。が、お吉 を﹁作中唯一の無力な存在﹂ともしており、その点が私見とは食 違っている。注側参照 闘乙の矛盾は既に浩々歌客が﹁園民之友﹂(明白 ・ 4 ) で指摘して おり、田中氏(注帥参照)により追究されている。 聞この﹁経済生活の不可解さ﹂は高橋氏によっても指摘されている。 注回参照 的 ﹁ ﹃ 暮 の 二 十 八 日 ﹄ 其 他 ﹂ ( ﹁ 早 稲 田 文 撃 ﹂ 川大山 ・-) 署 名 魯 庵 生 帥 ﹃ 内 田 魯 庵 全 集 ﹄ 9 解 説 注 回 参 照 関﹁もしや草紙に就て﹂ ( ﹁ 女 撃 雑 誌 ﹂ 川 ・ 川 署名不知庵主人 帥静江の其一と其五に於ける人物像の食違いは、浩々歌客(注闘参 照)や出門一笑生(﹁園民新聞﹂明白 ・ 3 -m ) によって指摘さ れ て い る 。 制 お 吉 、 善兵衛 に人物描 写の卓逸 を認める指摘は﹁早稲田文事﹂ ( 明 但 ・ 5 ) に も 見 え る 。 同 ﹁ 忍 月 居 士 の ﹃ お 八 重 ﹄ ﹂ ( ﹁ 女 事 雑 誌 ﹂ 川

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・ 5 ) 署名藤の屋主人 同高橋氏は其五に於てのみ﹁純之助と静江を単に﹃男﹄﹃女﹄と呼﹂ んでいる点を指摘しているが 、 互いの胸中にあった想いを確認す る場面に、乙の呼称を用いた作者の工夫が窺える。注

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参照 制魯庵は﹁かくれんぼ﹂評(﹁園民之友﹂川明 M ・ 7 署名 同 吋 ・ 門 U ・ ・ ) の 中 で 調利の観点から 、どんな偉業も功徳も﹁惣て人 事(中略)客観的に見れば共にコメディ ー ならぎるはなし﹂と述 べ て い る 。同様に其七の純 之助の﹁滑稽劇﹂だという蔭きには、 その理想に対する作者の調利が乙められているのではなかろうか。 岡高橋氏は﹁細微に渡る発話の再現﹂と魯庵が評価していた京伝 ・ 三 馬 との関連についても指摘している。注

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参照 山 側 ﹁ 真 美 人 を 許 す ﹂ ( ﹁ 女 間 学 雑 誌 ﹂ 川 明 2 ・ U ) 署名不知庵主人 間﹁詩文の粉飾﹂(﹁園民之友﹂日明

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-m )

署名不知庵主人 後 ﹃ 文 繋 小 口 巴 所 収 。 同﹁漣 山 人の﹃初紅葉 ﹄ ( ﹁ 女 皐 雑 誌

m

明 担 ・ 5 ) 署 名 ふ 、 ち 、 制 ﹁ 文 売 上 人 勧 進 帳 を 讃 む ﹂ ( ﹁ 女 皐 雑 誌 ﹂ m J M 明 幻 -U ) 署名不知庵主人 一 口 H H d n , U ﹄ 口 " し 司 4 4 寸 ﹂

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帥﹁柳浪子の﹃残菊﹄﹂(﹁女翠雑誌﹂則明 n -U ) 署名其川子 削﹁ブラジルの文豪シルギォ、ディナルデ﹂(﹁太陽﹂﹂ 5 1 4 明 白 ・ 2J3 署名不知庵主人)中の﹁インノ l センシヤの事跡﹂を述べ た部分等は特に類似している。治々歌客(注側参照)が、﹁情を 描くに切なる詩歌的﹂筆致ではなく、﹁なほ批評的﹂である点を 指摘したものも無理ではない。 回文章表現に関して﹁めきまし草﹂(巻却明白・ 7 ) の ﹁ 雲 中 語 ﹂ 欄では、﹁いつもの生硬なる漢語ちらほら見ゆれど、大分譲み好 くなりたり。洋語は作者に素養ありて用ゐ錯らまるゆゑ、多けれ ども耳に障らず。﹂と評価している。逆に﹁新小説﹂ ( 明 白 ・ 4 ) の﹁評苑﹂欄では、忍月によって﹁徐りに洋名洋語の多きには小 臓の讃者に取りでは迷惑なり﹂と批判されている。 同﹃座談会明治文学史﹄(昭お・ 6 岩波書庖) 同﹁紅葉山人の﹃轡山賎﹄﹂(﹁女皐雑誌﹂川明

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・ 日 ) 署名不知庵主人 岡高橋氏は作中の﹁冷笑的調子﹂の中に﹁純之助の理想を、語り手 また作中人物の言から戯画化し、シニカルに批判する方向﹂を見 出し、﹁純之助の書生的な﹃理想﹄の質そのものが関われている﹂ と指摘している。注闘参照 帥作品の中にキリスト教やメキシコ移民の問題を魯庵が盛りこんだ のは、故意に時代の要請に答えたためというより、偶々身近に取 材するところがあったためではなかろうか。魯庵の婚約者敬子は クリスチャンであったし、魯庵自身もフルベッキ氏との交流を通 してキリスト教には詳しかったはずである。メキシコ移民につい ても民友社員菊池長風から取材すると ζ ろがあったと野村喬氏が 指摘している。注

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参照 - 94ー

参照

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