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復興団地への移住と組織化に関する文化人類学的研究

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復興団地への移住と組織化に関する文化人類学的研

著者

小西 賢

雑誌名

教育思想

47

ページ

149-161

発行年

2020-03-31

URL

http://hdl.handle.net/10097/00127910

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復興団地への移住と組織化に関する文化人類学的研究

小西 賢(東北大学大学院・院生) 1、研究目的 2、先行研究と本研究の視座 3、調査概要 4、復興団地への移住と団地形成 5、考察

1、研究目的

本研究の目的は、2011 年 3 月 11 日に発生した東日本大震災の被災地であ る宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区において、現地再建された閖上団地に 移住した人たちがどのように社会組織を再編するかを記述・分析することで ある。本研究で着目するのは、復興団地として整備され、住民たちが移住し、 そこで形成されることとなった3つの町内会である。災害人類学の先行研究 において①復興過程における住まいの移転が住民の組織化(あるいは分裂) のひとつの契機となりうること②復興プロセスを理解するためには地域の内 外の人たちが形成する様々な「集まり」に着眼することが重要であること、 の2 点が指摘されている。その理由は、復興に伴う移住には、移転前の社会 関係から切り離された新しい近隣関係の形成が伴うためである。 そこで本研究では、住まいの移転と住民の組織化という観点から、復興団 地というフェーズにおける住民の組織化に焦点をあてる。そこで着目した組 織が町内会である。これは筆者が調査を行った時期(2018 年〜2019 年)が復 興団地への移住の期間とおおむね重なり、それにより地域の組織作りとして の町内会の形成に関する動きが多くみられたことと関連している。本研究で はそこから得られた町内会形成に関する記述・分析を行うこととする。 災害からの復興は災害公営住宅や復興団地等で住まいを再建することで一 区切りを迎えるが、被災と人たちの生活は震災前から今日に至るまで連続し たものであり、震災がその後の社会生活にどのような影響を与えてきたのか を知るためには、中長期間にわたる調査が有効である。東北の沿岸地域数百 キロにわたる被災地では、現地再建、内陸移転、高台移転など地域によって 復興のあり方が異なっているが、本研究では、東日本大震災の被災地の中で も数少ない大規模な現地再建によって復興を進める名取市閖上をケースに閖

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上への移住者を通じて被災地を理解することを目指している。また現地再建 という方法ゆえの諸課題をみつけることを念頭に、内陸移転や高台移転とい った他の方法によって復興をすすめる地域との比較を遠望して研究を進める。 復興団地における調査では、現在の復興団地での生活について知ることだ けでなく、被災直後からこれまでの様々な経験が遡及的に語られるため、災 害によってもたらされたものをインフォーマントより聞き取ることができる。 そこで、本研究においては、復興が長期的なプロセスであることをふまえた うえで、復興団地というフェーズにおける団地への移住と住民の組織化につ いて研究を行う。

2、先行研究と本研究の視座

災害エスノグラフィー(Disaster Ethnography)は、災害が発生した後、そ の社会が一体どのような経験を経て、どのように立ち直るかを明らかにする ために災害過程についての科学的記述の集積を行うことである。災害発生後 の人々の対応や社会の動向についての記述とも言うことができる。エスノグ ラフィーは通常「民族誌」と訳され、異なる文化をもつ人々をできる限り客 観的に理解しようとする研究手法であるが、災害エスノグラフィーは災害に おいてそれを遂行するものである。 林勲男は災害エスノグラフィーを「社会現象としての災害実態をより詳細 かつ総体的に把握し、記述する方法」と説明しその特徴として、体験者から 見る災害の状況、本人や周囲の人びとのとった判断や行動、個人・集団・組 織の対応状況、これらの相互関係を調査し、災害発生以前の社会・文化状況 と照らし合わせて災害の総体的理解を得ようとするものであると述べた。林 春男によって災害エスノグラフィーの目的は7点に示されたが、筆者がその 要点を整理すると災害エスノグラフィーの目的は次の3 点となる。 ①災者・災害対応者の視点からみた災害像を描き、それを系統的に整理し災 害についての理解を深めること ②被害者、災害対応者が災害に対してもつ知識体系(文化)明らかにし、そ の場に居合わせなかった人たちに理解可能な知識体系に翻訳すること ③災害現場にあった暗黙の原則やルールを明らかにすることで、今後の災害 対応をより効率的にすること ここまで、災害エスノグラフィーについて整理したが、それに基づく災害 に関する先行研究を概観する。自然災害と社会を研究対象とした人文社会学

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的研究のなかで、文化人類学による研究動向には、被災した当該社会に中長 期的に関わり、その社会における復興の問題点や災害による社会変化を捉え ようとし、災害とは何かを問い直そうとする見方がある。こうした研究は日 本国内に限られず、例えば清水展による1991 年フィリピンのピナトゥボ噴火 後の地元先住民族の意識の変化を捉えた研究や、東日本大震災に関しては竹 沢尚一郎による岩手県大槌町,吉里吉里の複数の避難所において住民の組織 化や避難所の運営に関する研究が挙げられ、自然災害と社会・文化に関する 蓄積がなされている。しかし、東日本大震災に関しては災害エスノグラフィ ーの研究は十分ではないといえる。以上のような背景と、現地再建という手 法によって復興を進める数少ない事例との理由から、本研究では東日本大震 災の被災地である宮城県名取市閖上の復興過程に着目する。 また、本研究に関連する日本の災害復興の特徴について先行研究では次の ことが指摘されている。清水展(2015)は一般にそれぞれの国の災害復興は 各々の地域の歴史文化、政治経済の体制によって制約を受けるが、特に日本 においては震災復興の方向性が公的な制度枠組みによって規定されること、 現在の仕組みは過去の創意工夫を反映したものであること。それは復興が国 や県が策定するプランによって進められることであるが、被災者の個別の事 情や、制度の枠からはみ出すような事態には柔軟に対応しにくいといった問 題もあることも指摘している。本研究においても公的に復興の方向性が定め られるという日本の災害復興の特徴をふまえ、それぞれの被災者と公的な仕 組みとの関連という面に着目して研究を行う。

3、調査概要

〈調査地〉 名取市閖上は東日本大震災前には、およそ2000 世帯 5600 人が暮らしてい た地域である。このうち津波で754 人が亡くなり、42 人が行方不明となって いる。津波到達時刻は15 時 52 人(地震発生の1時間 6 分後)と推定されて おり、津波の高さは周辺の木に残る跡から8.4 メートル以上と推定されてい る。 震災は金曜日だったため、仕事などで閖上を離れている人も多く震災時に はおよそ全住民の7割近い4000 人が閖上内にいたと推測され、その多くは子 どもと高齢者であった。このうち1000 人は地震直後に内陸へと避難し、残り の3000 人前後が公民館や小学校、中学校、自宅といった閖上地域内にとどま っていたとみられている。閖上では被災で亡くなった方の多くが高齢者と子 どもであった。名取市の人的被害の約8割が閖上に集中している背景として、

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過去の津波の経験から“閖上には津波はこない”という安全神話が住民に浸 透していたことが影響していると言われている。その根拠とされるのが1960 年と 2010 年のチリ地震の時に貞山運河の水位が上昇しただけで水害がなか ったこと、1933 年の昭和三陸津波のときも閖上には津波が来なかったという 石碑の記録が残っていることが挙げられる。 名取市では、仮設住宅は最大で市内の8 箇所に設けられ(みなし仮設住宅 を除く)、復興団地は閖上団地、高柳団地、美田園北団地の3箇所に作られた。 美田園北団地は主に、閖上と並んで被害の大きかった北釜地区からの移住者 が多く、市街地にも近い。高柳団地は閖上に近いが、閖上団地に比べ内陸に 位置しており、沿岸部に戻らない人たちの意向をもとに造成された。 名取市閖上では復興の方向性を関して、町の現地再建への合意形成に時間 を要し、土地のかさ上げと区画整理工事は震災後3年半後の2014 年 10 月に 始まった。その後、災害公営住宅は2018 年 12 月までに完了し、現在はおよ そ1200 名が暮らしを再建している。現地再建は、町をもともとあった場所に 再建するので、港町であった閖上においては、再建される団地もまた海に近 い場所に位置する。海に近い一帯(2丁目の一部と3丁目から7丁目)は災 害危険区域に指定され住むことはできないが(ただし水産加工業など商業的 利用は可能である)、復興団地は海から1キロほどの距離にある。そこで閖上 団地では、土地全体をかさ上げすることと、団地内の集合住宅や学校といっ た高い建物を地震時の緊急避難場所とすることで万が一の津波を回避できる 設計とされ、8棟ある集合住宅と小中学校には屋上への非常階段が設けられ ている。その閖上団地は、団地内の道路や居住の形態によって3 つの団地に 分かれており、詳しくは第4章において述べる。また、昭和60 年に行政区が 閖上1丁目から7丁目までに改編される以前の地区の名称は次の通りであっ た。 かつての行政区分 現在の範囲 上町 庚申塚、昭和、新町頭、新鶴塚、閖上1丁目・2丁目一部 仲下 閖上2丁目一部 新町 閖上2丁目一部、閖上7丁目 中嶋町 閖上3丁目、閖上4丁目 日和山 閖上5丁目、閖上6丁目 (昭和 60 年以前の行政区分と以降の区分の対応。聞き取り調査をもとに著者作成。)

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(震災前の閖上、国土地理院の空中写真を加工して筆者作成、撮影は 2006 年)

(国土地理院の空中写真を加工して筆者作成、撮影は 2019 年、2丁目の一部と3丁目 〜7丁目までは災害危険区域に指定され居住することができない。)

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〈調査方法〉 調査は、2018 年から 2019 年にわたり名取市閖上の復興団地、および名取 市内の美田園復興団地、当時残っていた愛島東部仮設住宅団地でのフィール ドワーク約30 回と資料収集によって進めた。 調査初期は、閖上地区内においてNPO と有志の地域住民によって運営され ている震災学習施設「閖上の記憶」のスタッフへの聞き取り調査により被災 当時の状況と移住が始まって間もない団地の状況を聞きとり、震災後の閖上 の状況について把握するように努めた。また震災前の町内会の構成について も聞き取り、それが後に述べるように一部の内陸に近い場所では、震災後も なんとか存続し続けてきた町内会があり、復興団地において、全く新しく組 織化するところと、残存している町内会が存在するところで町内会形成の進 み方に違いがあったことが明らかとなった。 次に、閖上地区内の居住者の方々への聞き取り調査や、住民の方々による 祭りや町内会に関する様々な集会、行政が主催する会議等に出向き、調査を 継続した。 現在は復興団地が造成されて約2年目を迎えているところだが、復興団地 ではさまざまな連絡、催しのための町内会形成が図られてきた。そのため筆 者は集会や住民どうしの話し合いに出席し調査を行った。

4、復興団地への移住と組織形成

復興団地は、被災後にある期間を他の場所で生活してきた方々が恒久的な 住まいとして落ち着く場所といえる。被災後にどこで、どれくらいの期間生 活するかは千差万別であるが、主に災害直後に開設される自治体の避難所を 経て、仮設住宅で住むケースや、民間や公的な住宅を借りる“みなし仮設” に移るケース、親戚や友人を通じて他所で避難生活を送るケースがある。 避難生活にあいだに次の恒久的な住まいをどうするかについて判断にかか わる様々な情報とその時に置かれている状況によって、次の住まいについて 判断するというのが一般的な順序であろうが、その判断の仕方は多様である。 そのような移住に関する意思決定に関しては十分なデータを得られていない が、住まいの決定に際して、よりスーパーや病院、駅といった利便性の高い ところを希望することや、そのための抽選に参加したという経緯を複数のイ ンフォーマントから聞いたことがある。 本稿では、こうした多様な経緯のうえで、現地再建された復興団地に住む (閖上にもどる)という選択をされた人たちへの聞き取り調査から明らかと なったことを述べる。

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まず、閖上は震災前の人口が5700 名で復興団地が完成して 2 年あまり経つ 現在およそ1200 名が暮らすということから、現地再建の閖上に戻る選択は全 体の一部であることが分かる。閖上では現地再建の合意形成に時間を要し、 早い人で2017 年に復興団地への入居が可能となったが、閖上よりも早く完成 し駅や病院へのアクセスがしやすい他の復興団地へ入居するなど、復興団地 完成までの歳月の間に生活再建を果たした人も多い。 以下では、主に現地でのインタビューをもとに、団地の基本的な情報につ いてはインフォーマントからの提供資料による情報を補足しつつ、復興団地 への移住が始まってから閖上において作られた3つの団地の組織化がどのよ うに進んできたかについて述べる。現地再建として整備された閖上には3つ の団地があり、2 年あまりの間にそれぞれに自治組織が形成されるに至った が、それらの編成過程にはそれぞれに特徴がみられた。まず、集合の公営住 宅では管理組合という仕組みがとられ、それが町内会的な役割を果たしたこ と。戸建の住宅では行政と連携して町内会を形成したが、その過程では震災 前の町内会が残ったところではむしろ合意形成に時間がかかったこと、集合 住宅を団地内にもつ町内会では集合住宅の管理組合とどのように連動するか といったことが挙げられる。 団地名 計画戸数 第1団地 集合住宅180 戸 中央団地 戸建住宅220 戸、集合住宅 100 戸 西団地 戸建住宅220 戸 (各団地における住居タイプ インフォーマント提供資料より著者作成) 〈集合の公営住宅団地5棟〉・・・第 1 団地 第1 団地は集合住宅の公営住宅5棟、およそ 180 世帯からなる団地であり、 2017 年 5 月から入居が始まり、現在は、震災と関わらない一般募集による入 居も始まっている。戸建の公営住宅に単身者は住むことができないという規 則によってこの第1団地では約6割が単身者であり、そのため高齢者も多く なった。5棟ある棟の1つの棟の6階には集会所が設けられており、新年会 や外部のボランティア活動の時に利用されるほか、カラオケや卓球といった 自主的な活動の場ともなる。 第1団地の組織化に関しては、「管理組合」が作られた。これは当初、共益 費の収集のために作られた組織であったが、実質的には第1団地で催される 催しの告知・運営といった活動を担っており、町内会的な組織といえる。管

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理組合は、他の団地が町内会形成の準備段階があったこととは異なり、行政 からの依頼で本来の業務としての共益費の収集が行われ、実質的に運営が始 まることとなった。この管理組合は組合長、各棟の棟長といった役員を選出 して運営されており、A 団地においては、単身者が6割に上るということで、 なによりも居住者が孤立しないようにするという意識が居住者自身にあるも のの、催しやサロンにでてくる顔ぶれはおよそ決まっているという課題もあ る。 調査においては、2018 年 8 月に管理組合長の E さんに初めてお会いし、そ こから第1 団地に関するフィールドワークを始めた。E さんは団地内の居住 状況や催しや財政に関して詳しく、E さんの紹介によってカラオケ会等に参 加し、住民の方々と知り合いとなった。第1 団地では芋煮会や花見など様々 に催しを企画しているが、2018 年には一般社団法人の支援をうけて夏祭りを 開催した。その時は盆踊りの舞台や進行は支援者側によって運営された。と ころが2019 年には独自に被災地コミュニティ支援の補助金を得て、イベント 運営会社に設営などを外注したものの、運営を自分たちですることに決めて、 夏祭りに合わせて太鼓を練習するなど自主的な動きも多くみられた。もっと もこの背景には閖上支援に関わってきた社団法人の方でも徐々に支援の仕方 を変化させていくという意図もあったが、2019 年の夏祭りでは発足から 2 年 近く経つ新たな町で自分達にできることをやっていくという方向性が強くみ られた。 〈戸建住宅と集合住宅3棟〉・・・中央団地 中央団地は、戸建て住宅220 戸(一般換地 100 戸、公営住宅 80 戸、集団移 転40 戸)と集合公営住宅3棟 100 戸から構成される。中央団地には災害危険 区域に指定されたエリアからの防災集団移転団地が含まれているほか、公営 住宅も集合タイプと戸建タイプがあることから、3つの団地の中で復興団地 に移住するにあたって利用した仕組み、居住形態がもっとも多様である。 この団地では、2018 年秋頃からおよそ 20 名から成る「住民有志の会」を立 ち上げて町内会設立に向けた準備を進めてきた。計4 回開かれた自治会準備 会では、およそ10 世帯を1つとなる班が 17 班作られ、それぞれの班の中で 班長を選出し、その班長がまず班内の世帯の構成を把握することとなった。 この団地では、名取市内3箇所の仮設住宅団地の自治組織の役員さんが集ま っていたことが、新たな団地での組織確立が比較的スムーズに行われた一因 でもあった。その中央団地では仮設団地の時の役員がいることで仮設期につ くられた全国からのボランティアとのつながりを生かしてのイベント運営が

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可能となっていた点も特徴的であった。 合わせて中央団地では、2018 年 12 月に3棟およそ 50 世帯分の集合の公営 住宅が完成し、移住が進んでいる。中央団地ではこの集合公営住宅も包摂し た町内会となった。そこには単身者の多い集合住宅3 棟では補助金の申請や 組織の運営が難しいだろうという中央団地の意図が反映されている。同時に 集合住宅の方では町内会として独立すれば独自に補助金も申請できるという 考えもあった。町内会の範囲はイベントの開催や備品購入の費用ともなる補 助金の受給にも関わるため、どこまでをひとつの町内会とするかは重要な点 となるが、中央団地では、その後の運営が可能かどうかを現実的に判断した 上で集合住宅も包摂する形となった。 第1 回自治会設立準備会 2019 年 2 月 14 日 於:中央団地集会所(以下同) ・班長さんを決める ・班長が班内の世帯構成を把握すること 第2 回自治会設立準備会 2019 年 2 月 21 日 ・団地マップ上に班長が班内の世帯名を書き加える ・集合公営住宅のF,G,H棟との合流に関する話し合 い 第3 回自治会設立準備会 (筆者は欠席) 第4 回自治会設立準備会 2019 年 2 月 28 日 ・神戸から講師を招いてのまちづくり研修会 2019 年 3 月 7 日 ・町内会設立総会に向けた話し合い ・予算と補助金の申請に関する話し合い 閖上中央町内会設立総会 2019 年 3 月 9 日 ・中央町内会の設立式 また、中央団地には公民館のように独立した集会所があり、会議や催しは その集会所で行われるが、そのような場所が及ぼす影響も大きいように思わ れる。中央団地では中央に設けられた集会所へのアクセスがしやすく、さま ざまなイベントも“開かれている”印象がつよい。A 団地と C 団地に挟まれ た中央に位置していることも両隣の団地から人の往来がしやすいことも一因 と思われる。一方で、中央団地は今後閖上に越してくる人を想定した土地を もうけているため、空き地が点在していることも事実であるが、そうした土 地も徐々に家が建てられ始めている。

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〈戸建のみ〉・・・西団地 西団地では、自力再建と戸建ての公営住宅およそ220 世帯から構成されて いるが、特徴的であるのは西団地では自宅は被災したものの、修繕などによ って元の自宅を取り壊さずにいた世帯がおよそ30 世帯あることである。つま り、震災前の閖上において比較的内陸に近かった場所においては、津波の被 害はあったものの家屋の全壊を免れて被災後も閖上と避難先を行ったり来た りなどしながら過ごしてきた世帯がある。(同時に、同じような被災状況にお いて家を解体した人たちがいる。) 彼らは修繕した自宅を閖上に残しながら被災後を過ごしてきたが、一度自 宅を流失・解体した人とどのように被災後の経験に差があったのかについて はまだ調査ができていない。少なくとも、あるインフォーマントによれば、 修繕して残した自宅から復興団地への引っ越しは1 回で済んだと聞いている。 なぜなら西団地における工事は、全ての土地を一斉に更地に戻してから着工 するのではなく、既存の家を残しつつ、新しい家を作るように進められたと いうことであった。 その西団地では、先ほどの30 世帯が中心となって元の町内会を維持してき た。そこに新たに移住する住民が融合するかたちで町内会形成が進められて いるが、元の町内会を母体として町内会を形成することは必ずしもスムーズ に進まなかった。震災前に他の町内会に属していた人たちにとって、維持さ れてきた町内会が“関係のないもの”という認識をもつようになってしまっ たことと関係しているという。 西団地においての組織化は 2019 年の夏に行政の後押しをうけて始まった ばかりである。筆者が西団地で行われた会議に同席した内容は次のようなも のであった。

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第1 回閖上西地区もりあ げ隊打ち合わせ 019 年 8 月 22 日 於:閖上小中学校(以下同) (※ただし、第1 回の打ち合わせ以前に西地区交流会協力 者の集いが2 回開催され、そこにおいて地区の住民 18 名に よって「もりあげ隊」を結成することとなっている。) ・8 月 31 日の納涼祭りについて話し合い 第2 回閖上西地区もりあ げ隊打ち合わせ 2019 年 9 月 12 日 ・納涼祭りの反省会 ・芋煮会の計画 第3 回閖上西地区もりあ げ隊打ち合わせ 2019 年 9 月 26 日 ・10 月 12 日の芋煮会に向けての話し合い ・煮会のコンセプトは「顔の分かる(見える)関係づくり」 これらの集会の「もりあげ隊」という名称は市役所が考案したものである が、そこには、この集会を足掛かりとして町内会を形作っていきたいという 住民と行政の意図が感じられる。移住して2 年近くなるにもかかわらず、な んら組織だった動きがみられないことに対しては、西地区の内外で不安視す る声が聞かれていたが、この「もりあげ隊」の活動は、そうした膠着状態を 徐々に変化させようという住民と行政、両者の協同の結果であったと思われ る。 以上のように、閖上内における3つの団地形成には、それぞれに特徴がみ られた。第1団地においては単身者が集合住宅型の公営住宅に多いことであ り、中央団地と西団地は戸建ての公営住宅、自力再建といった点では同じで あるが、震災前の町内会が残るという点は西団地に特異な点であった。中央 団地は先に述べた要素などから閖上がメディアで外向けに発信されるときは 掲揚されることが多い点も特徴と言える。ここまで、閖上につくられた3つ の団地の形成について述べてきた。そこには、公的な枠組みの影響をうける 面がありながらも、そのなかで町を住みやすい場所にするために様々な試行 錯誤が図られてきた様子をみることができる。

5、考察

本研究では、災害後の社会における社会組織の再編成を記述・分析するこ とを目的として、名取市閖上地区に現地再建された復興団地をフィールドに 調査を行った。この調査から明らかとなったことを3点にまとめる。 ①単身者が入居する集合の公営住宅においては、管理組合という共益費の 収集を目的とした実質的な組織が形成されるが、本来の目的以上の役割が付

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加されて運営されるのは祭りや新年会といった場合のみで、日常的にはそれ ほど求心力をもった組織とはなりにくいこと。 ②戸建住宅が並ぶ中央団地では、かつての仮設団地の自治会長や組織を支 える人たちが比較的多く在住していて「住民有志の会」や「自治会設立準備 委員会」をつくり、町内会の立ち上げが順調であったが、同団地に作られた 集合住宅(管理組合)との関係をどうするかについては見通しがなかったこ と。 ③震災前に7つあったとされる町内会のうち、1つが存続してきたことが、 そこを核に組織を形成しようという流れを生んだものの、特に震災前に他の 町内会に属していた人たちにとってはその名称の町内会は無関係なもののよ うに思われたため実際には2 年近く実質的な組織が生まれることがなく、最 終的には行政との共同によって組織化されるに至ったが、そこへの帰属感に は偏りがあること。 これまで述べたように復興団地完成以降の2 年のあいだは、計画上分けら れた団地が、それぞれの文脈において組織を形成してきた期間であった。住 民の交流のために夏祭りや新年会といったイベントもその団地ごとに企画実 施されたが、開催にいたるまでの組織の形成、外部からの支援の受け方には 団地ごとに差がみられ、そうした差異は仮設住宅期からの外部ボランティア との人的ネットワークの保ち方や団地形成にあたっての便宜上の区分によっ てもたらされていた。ひとつの地域であっても、団地形成初期ともいえる1− 2 年間は、地域全体としての動きよりもそれぞれの団地が機能していくため の組織化が図られてきたようにみられるが、夏祭りや盆踊りなどが道を1本 隔てた隣の団地でたてつづけに行われる様子をみる人のなかには、閖上全体 として催し物をしたらどうかという意見も聞かれ、団地の区分が生活世界の 境界にもなっている様子がうかがえる。同時に、団地の境を超えて催しに顔 を出す人たちもいて、お互いを行き来する様子も目にすることがあった。 ま た、閖上の復興が現地再建によるものである以上、ここでみられるあらゆる 事柄は現地再建と無関係ではないが、特に現地再建ゆえの事柄といえるのは、 被災後においても閖上に住み続けることができた人たちの存在である。それ は西団地において、閖上に住み続けられた人たちと、被災後に数年にわたっ て閖上を離れてから戻ってきた人たちとのあいだにみられる融合の動きのこ とである。第1団地や中央団地のように住民全員が一度閖上を離れてからも どってきて生活再建をスタートさせるケースに比べ、西団地のように住み続 けられた住民と閖上に再帰した住民の融合が図られるケースにおいて組織作 りに時間を要したことは意外であった。その背景には、家を修繕して残すこ

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とにした人たちが(まちづくり協議会を母体として)復興について震災以降 今日に至るまで議論を重ねてきた状態と、そこへ数年間は閖上から離れ、復 興団地の完成後に再び新たに入ってきた人たちとの状態のバランスがとれる ようになるまで時間がかかるということだと思われた。 今後の研究においては、団地を境界としてパノラマ的に被災地を見るだけ でなく、インフォーマントを研究に織り込みながら被災地における人づきあ いについて、特に災害に伴う移住経緯との関係において研究を進めていきた い。また、閖上と関わりが深い漁業という面においては、現在のところは直 接、漁業者との接点をもっていないが、震災前の閖上とも密接な関係にある 漁業についても個人レベルから産業としての漁業にわたって調査をすること が課題である。 〈謝辞〉 最後に、本稿執筆にあたり閖上の皆さまに大変お世話になりました。また 生涯教育科学コースの諸先生方や李研究室の皆さまからは研究に関する貴重 なアドバイスをいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。 本稿は、文部科学省科学研究費 研究課題:大規模災害からの生活再建―被 災者の移住と社会的紐帯に関する文化人類学的研究(代表:李仁子、研究種 目:基盤研究 B、研究課題:18H00777)、及び韓国学中央研究院・海外韓国 学萌芽型育成事業助成金によって支援を受けた調査、研究成果の一部である。

【参考文献】

木村周平2005「災害の人類学的研究に向けて」『民族學研究』 70(3), 399-409 木村周平 2013「津波災害復興における社会秩序の再編 -ある高所移転を事例に-」 『文化人類学』2013/6 清水展、木村周平編2015『新しい人間、新しい社会−復興の物語を再創造する』京都大 学学術出版会 竹沢尚一郎2013「津波の破壊に対抗する被災コミュニティー 大槌町の避難所に見る地 域原理と他者の関係性」『国立民族学博物館研究報告』37(2): 127-197 林春男、重川希志依1997「災害エスノグラフィーから災害エスノロジーへ」 地域安全学会論文報告集, No.7, pp.376-379, 1997 林勲男 2008「災害エスノグラフィーとインタビュー」日本自然災害学会 2008 年 pp236-241

参照

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