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事成院日壽師とその敎學 (昇格記念)

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事成院日毒師三その殺事

第 章

事戚院白書簡に劃する考究

第一節 書 師 の 遺 品 及 遺 蹟 角岡山妙光寺は害師剛時の業を成ぜし地にして、

E

つ同山三十五世の倖燈たり。同寺に臓する葬師の遺口聞は 一、剛略原本七品位・現行の捌略と何等の相蓮無く、其第一巻表紙裏に三寸に二寸位の日本紙の貼紙あり。共の文に日く 一 月 三 星 心 呆 清 滞 ノ 樺 一 一 付 日 書 云 ク 右様史記天宮書索隠繭雅ナリ、大辰ハ房心尾也冠註授=考要一心ノ三塁一名=大果−中大星矯明堂天子之正位也、前昼 太 子 後 星 庶 子 史 記 本 − 一 一 再 大 星 天 王 前 後 皇 子 属 云 云 房 ニ 四 星 心 ノ 三 星 尾 − 一 九 星 ア リ 一 五 一 五 右 楳 恐 一 フ グ ハ 斯 様 ナ 底 ヨ リ 出叉卓氏藻林家偏起心一ニア夫婦之象−故−一嫁スル者名テ以テ儒レ候一匹云宋唐以下ノ天文志ヲ検セパ而共義徒明ナラ ン東宮蒼龍ハ房心尾ノ惣名ト見ヘタリ。 右貼紙の文何人の註なりや知ら予。筆勢甚だ難解なり。初めの白書一五くの字、﹁日書云々﹂とも見ゆ。書公の筆勢に似 る も 未 だ 詳 な ら 歩 。 一、御本簿一幅、此の外角田山檀越諸家中に十岡本を教ふるも、皆同型左り。即ち中央題目の下に日蓮と大室内し其の 事成院日審師とその教事

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事成院自審師とその致事

下 に 在 御 判 と 書 す 。 一、遠藤左衛門尉御書版本 版 裏 に 刻 し て 云 く 。 古版字壷損接軽多於是謹奉腸寝之者也 寛政八年同辰秀夏中旬良旦 角 岡 山 品 川 五 世 事 成 院 日 露 越後闘蒲原郡五ケ潰遠藤氏臓版行年五十六 百 拝 謹 書 同 一.角岡山年中行事録一部、妙光寺の年中行事の諸制度を草書を以て録す。鋒末に、 寧和二年壬成十一月十五日 白書之詑 とあり。書公選統の前年末段れば、或は既に退統を期して、後住の露に録せる験。 一、檀越と扶別の七絶二首紙本軸一封 享和三年実亥首夏篇別檀越 と 書 し 有 り 。 是 に よ り 害 公 角 岡 山 道 統 は 享 和 三 年 ・ な ら ん 。 一、書公使用の行燈 害師此の行燈に酒を掛けそれを飲みつ L 勉 曲 学 せ ら れ し と 偉 ふ 。 角田五ク潰の遠藤家は、宗門の名家にして、亦角田山と最も縁有り。其の曲概する’鹿の書公の遺品及公の偉記に闘す る撒賠の書朕有りと偉ふるも、共の賓灘中の物は迭に家憲に依り見る事を得 4 y o 僅かに左の二黙を検せしのみ。 一、遠藤家過去帖 此の過去帖は書公の筆にして表紙璽簿の二字及表紙裏め憂茶薙及序文去、更に日附、題目及三十 呑紳と宗門歴代の骨署名等‘正しえ書公の筆訟 h v o 序 文 末 に 、

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寛政六年甲寅十月上旬 臆遠藤氏之常 謹筆頓首 角 出 山 品 川 丘 世 日 誇 ︿ 花 押 ︶ と 著 し 有 り 。 一‘六曲界風一封 書公作の七結十二首を列ぬ。 一臓弁聯の大義寺は、綱要削略に兎角総有り。即ち一妙導公の資日語。蓋ける導師の像を存す。叉捌者の法兄志耕泰 師之が十九代の倖燈たり。今臓する耐の削者の遺品一一賠有り。 て劣家一一訳本語耕.日疋れ毒師の寝本にして書末に記して云︿ 右寛此四年壬子中多寓治市川円山鶴林大室市寝之者也 事成院臼書︵花押︶ 以上の外、寄帥に闘する遺蹟乞上ぐれば.中村檀林は寄師併訟の所であり且つ後に之が序主たり。叉三浦大明寺は語 公的帖詩の地・なるも大明寺の文献には何等の記録注し。︵此の事は治生再調査せんと期す︶。叉京都妙畳寺は捌略の版木を 離す。共の墳墓は角同山妙光寺にあり、山雨時に石脊に涙

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、松韻妙音を奏やるも、訪ふ人稀怒り。石の面に刻して 一式く、中村岸主賞山三十五世事成院日露呈人と。若しその側面た見れば、文化二年四月十七日寂の十字を讃み得。 南 無 。 第こ節 害 官 市 の 生 涯 前節

κ

記せる資料及び角阿山過去帖‘制時等より、書公の生涯吃考ふるに次の如し。 事成院日霧附とその致事

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事成院日議師とその致事

O

四 書公元来北越に縁あり。即ち書公の師賞華院旨出回白義上人は︵制時蹴文二丁ウ︶新潟の産にして父を井筒屋文織と呼 ぴ 、 新 潟 本 属 品 寺 A U 世 u ハ 心 院 日 編 の 費 な り ・ 剛 時 蹴 文 に は 浪 義 一 ・ 蓮 公 及 北 越 書 公 は 日 義 師 の 門 下 と 記 す の み な れ ば 、 と れのみにては書公制度。師が日義上人なりや否やは全く不明友るも、側略日蓮序に先師とるるよりすれば書公或は旨 買日義の資ならん‘而してこの事情より考へるに、書帥或は北越心産たらん敗。日疋れに封する詮は遠藤家に書師角田 t A 山に賞り大いに奔走したる不測時帥︵遠藤家出の入︶の手紙を醸し、それによれば明なりと偉ふるも、還に見る事 を得十勺今暫く不明とす。書公の出生は、捌階第七巻附録の最末及び遠藤左衛門尉御堂同版木︵角田山蔵︶等より見る に、寛保元年︵二四

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一︶棲町天皇の代なり。而して共の中村遊撃の年代を考ふるに.天明四年頃ならん。即ち一妙 導公中村に撃を講ぜし事前後二固有り‘初めは妙玄院第二百十一世占して正東岸に玄義を講ぜし事一夏、後は天明四 年八月六日正東庫第百丘十三世の文能となり.講をとる事一夏なり。而して導公の我浮土庵を建てしは共の前年天明 三年なり。今捌略の日蓮序を見るに‘ 隼 者 主 = 於 一 山 ↓ 乗 ι 梯 之 日 余 小 子 在 = 第 二 班 − 詩 = 之 営 ⋮ 概 入 剛 一 一 一 ヲ ﹀ ヘ 斡 釦 ・ 弘 一 総 け ι 酬 明 ⋮ 殺 炉 端

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パ ︶ 余 不 宵 嘗 親 日 − 8 一 室 毒 事 二 ︵ 剛 一 一 J ヲ ﹀ とあり。乙の二文より見るに正

κ

確然たり。若し夫れ薄師中村に講を乗る日を考ふれば、前出の序文に﹁在第二班﹂ とあり。之れ大部文句部二ノ側たり。市して之れに新古の二種あり各々百日勤席して始めて中座に昇級す。とれより 以後は上位の空席により瓦老或は四老に昇入する事を得。而して五老より二老起は各 h 一夏の勤務にして‘名目、四 教儀、集解、観心各部の駒講なり。又一老は二夏の勤務に

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、との後初めて玄能とたる。との上座部の期聞は、中称秋 二固に各 K 一夏あるよりすれば約三年間なり。今此れ等の事を考ふるに書公の上座を了へしは天明七、八年頃か。而

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して文化元年五月十二日第百八十八世の能化として講を乗られたのである。之書公示寂の前年也。 共に角田入山につき検すれば、正しく需帥に依って警かれた遠藤家過去帖に依るに、先づ先住品川阿世嬰木院日地上 人の示寂の年を見るに、廿九日の所に書公の筆を以って、 要本院日地上人寛政五年突丑七月 と筈しあり。且つ角田山の国家中に識する十四幅の書公の御本隼の授興年月を見るに、寛政六年より享和二年の聞な り、市して遠藤家過去帖の書されしも叉寛政六年たり。即ち之に依って考へるに、寛政五年七月以後か寛政六年中と たるも、恐らくは寛政六年ならん。別に確たる理由の下に寛政五年の設を捨つるには非ざるも、営時の交通の快態等 より見るに先住寂後の五ヶ月聞に入山したとは考へられや。互つ角田入山を左右するに最も勢力を有せる遠藤家主り 営時僧侶出て居り︵遠藤家出の借は多くは角田の儒燈たり﹀その聞の事情を考へ、叉入山の需に奔走せる環姉︵遠藤 出の人︶の手紙等の事情を併せ考へる時、寛政六年が正ならんと考ふるのみ。 固に角同山過去帖に依れば先佳品川四世日地帥の化は天明七年とあり。而して同八年までの記帳字前後と呉り、八年 よりは甚だ名筆を以って書かれ且つ書公の字に似たる賠あり。若し之に依れば天明八年頃の入山となるも、之れ遠藤 家過去帖及び大衆寺賊する鹿の書公の寝本より見るに非なり。即ち寛政同年には未だ京にあり、叉書公圧しく日地師 の化を寛政五年と記す故たり。角岡山過去帖は或は年弐の誤書左らんか。 弐に書師角田退統の日を検すれば、角田山擁する檀越との扶別の詩により、享和三年の夏と見るべきならん。最後 に 書 公 一 不 寂 の 年 月 を 検 す る に 二 説 あ り 。 一は角田山過去帖に依るもの、他は遠藤家過去帖によるものたり。角同山過 去帖に依れば、文化二年四月三目、三浦大明寺にて化、六十五歳とあれ

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‘遠藤家過去帖を見るに‘文化二年四月十 事成院日書師とその数皐

O 五

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事成院日尊師とその致事

O 六 七 H .一ニ浦大明寺にて化、六十五議とあり。而るに角岡山過去帖は甚だ信を置くあたわ守 O R O 某碑面に、正しく四 月十七日とあるより見れば、四月十七日化が正たらん。時に年六十五歳たり。謹化の底たる三浦大明寺には何等の記 録なしと云ふも、更に之を調査せんのみ。因に書公の退統の理由は‘京都妙畳寺の瑞世たらんとして退統されしと惇 ふ。叉大明寺に至りしは、妙費寺へ入らんとして、 一時此慮に寄られしと偉ふ。 第三節 害 師 の 塁裏 系 寄帥の皐系を研究せんとせば‘先づ−妙導公と、責華日義師との閣申系を見訟ければならぬ。即ち害師は金︿導・義 ご師の敬撃を糟承せりと云ふも、決して過言ではないのである。 一妙導公の剃度の師は未詳たるも、共の皐師は、洛 北鷹峯岸九十五世の化主観事日開たり。ハ剛一序八ウ日春序 w 導公蹄師に師事し、開師の高岡本松寺に縛やるや︿十六 世︶之に従ひ、後中村の講鐘に畠・んだ。営時の中村の講席を見るに、前に寛永七年、中村槽林の化主たりし日樹は. 日賢、日充、日莞等の諸師と、徳川秀忠の納経諏諦の供養ありしを詩施悲りと唱へて隆に不受論を高唱せしより、各 師流刑に慮せられし事あり。震に漸く稜展の緒に就きたる正東庫、此の災危に影響せられて皐徒共第に離散し‘惇序 の亡減太た泣きに在り。時に日袋、日産の二師、第八世の講席に就きたる通心日境師を助けて問林の復興に需庫す。 而るに不受不施論者の組師日奥は其の寺法中に 皐聞の入眼は別にして御書に在り先づ宗義を極めて後助縁には台家を聞くペし︵務報十五﹀ と掲示し、或は叉 吾寺中に於ては三大部を講標すべから守ハ皐報十五﹀

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とるる如く.副書詩本主義を鼓吹したる事質あり。即ち共の流れを掬む柏制等を中村より出せる事情を考察するに、 営 時 台 尊 宮 出 ザ の 宗 風 一 ・ の 潮 流 中 に あ っ て も ‘ 中 村 田 林 は 比 較 的 宗 乗 本 位 の 特 調 を 帯 び 居 た る も の L 如し。即ち導師以前 にあって中村の出せる

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匠、啓蒙日講は 大抵毎日の所作営家主根底とし、台家を枝葉とし向飴撃を駒となす︵曲申報十五︶ の箆乞定めたる事貨に見るも明でるる。若し不受論者の災危の直後を受けて復興の任に営りし通心境師、其の復興に 替 K たりとは云へ矢挺この正統抵的な色彩を拙憎がれたものと忠はる、今導師の由宇系 b L 見るに、藤田文哲上人の講要録 を 目 見 る に 、 聖 人 救 儲 ハ ム ハ 四 四 v 云 天 明 三 年 十 二 月 玉 津 川 回 世 境 智 白 日 淳 痕 宮 − 一 千 文 藻 一 深 = 子 宗 畢 二 妙 導 師 執 = 弟 子 躍 一 ︵ 己 上 ︺ 近 若 返 津 日 遺 侍 ︵ 十 一 一 ︶ 一 五 品 川 四 岨 境 管 院 日 淳 十 二 蔵 投 = 廿 丘 世 境 妙 庵 主 日 宗 上 一 至 一 妙 導 師 執 = 師 時 一 云 一 五 と二書を引いて淳師を以って導師敬慕の師とたす。叉前交の下に 淳師並通師倶に境妙宗帥之資時則導師宗準大系粗見 ι ニ 知 之 − と記す。而して宗師は通心境師の資なる時は文哲上人の﹁口えし窺=知之

L

の文亦首肯し得るのである。但し淳師は宗師 の資叡智蹄師の資なり。綱妥序を作れる一呑削は貰に淳師の費な心である。次に黄華日義は導師の盟友にして、供に中 村に皐ぷ。導師と盟約 b L結びし時、最も若冠貨に廿一歳であった‘年少能くこの盟約をなせる師の非凡なりし知るべ きのみ。萄尭集序に云く、 集 三 十 巻 あ り ︵ 知 日 朗 日 賢 序 三 丁 ぜ と。帥寂する時三十七。しかも能く三十各の大著あり。即ち務尭集序に一足へるが如く一時の英也であった。資華日義 事成院日欝師とその致事

O 七

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事成院日導師とその数与

O 八 の師を只心院日偏となす。偏公は修定宥公の資にして、中村檀林玄謡及び求法恒林文講を勤めたり。 以上記越の尊師及び義公の敢闘撃を腿げるもの正しく事成院日書とたず。即ち今之を闘示せば次の如し。ハ藤田文哲制 講要録導師事系固を参照とす﹀ 通 1[) 境 fir[i 中 村 i¥ 境 妙 日 中 村 丹十

境 叡 持 智 日 日 通 時 中 村 iL

-JL ﹁ 境 智 日 淳 ︵ 中 村 百 廿 ︶ リ 汁 l 境 法 日 春 ︵ 中 村 百 五

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﹀ 一 一

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長 友 也 一 1 i 泰 道 日 連 ︵ 刷 時 の 詩 に 奔 走 す ︶ 観 遊 日 開 ︵ 鷹 峯 九 五 ︶

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智謀日実中村百五三︶

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丁 漢 順 日 逗 ︵ 導 公 の 像 を 霊 く ︶ 一一|不染日売戸側略践作者︶ 弱 者 盟 一 a l i

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修定宥削

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一 一 一 一 一 | ぽ 清 茂 清 司 | 八 十 八 ﹀ 一 一 ﹁ 中 村 玄 講 J 一 \ 中

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中色 J 一 一 | 妙 用 日 蓮 へ 側 略 序 作 ︶ 一

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只心日偏︵求法文講﹂|員長︵弱音作者︶||一 , 、 , 、 γ ー | 者 長 友 也 i 不 測 日 ︿ 遠 藤 家 出 務 尭 集 蹴 作 者 ゾ 第 二 章 剛略上の需師教皐の大観

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事成院日需の敢闘学は、如上其の畢系乞暗記せる如く、導師と同轍なるは一言を待たざる事宜なるも‘掌中分註を以て 綱妥を批評し白設を吐露したる鈷よりすれば、更に殻展したる救撃たりと思惟せらる L も . 未 # 礼 金 く 営 家 宗 撃 の 完 備 せるものには非十。即ち中古天台の亜流に流札、往 K 翻心づりとなりしは‘組書骨岡本主義の漸く勃興したる時代たれ ぽ.共の完壁は至難なる不可能事と首肯し得。然りと雑も剛時凡例を見るに、 或 託 = 縦 遁 於 宗 旨 ↓ 空 倖 = 汚 名 於 一 門 一 乃 不 十 一 信 桜 レ 同 勿 − 一 安 宣 博 一 云 一 式 等、暗に昔時の世相の親心づりなりし幣 b L 、誠しめたる貼より見るに‘導公よりは更に一歩進んだ、信の宗殺であっ た践に忠はれる。即ち削略末尾に附銭せる諸諭を見るにハ更に日蓮的なりしは明なり。或は高祖論を載せ叉は四筒格 一言論を設ける等、未だ宗岨の闘家観を説か子、立正安図の大義を宣揚せざりしとは一五へ、墜的宗救︵台家傾向の一一蹴﹀ と、貰践的宗説︵不受論者等 V との混沌たる中に在り、且ヲ、幕府の塵迫の下に在りしを思へば、無理及らざる事で あ り 、 父 今 凶 の ︵ 一 京 風 一 ・ へ の 一 過 程 た り し 乞 知 り 得 る の で あ る 。 今 別 し て 少 し く 是 を 排 ぜ ん 。 第一節 五 大 即 本 俳 論 削 制時一ノ七以降及附録初己下に説く所にして、害帥の訟に従へば‘ 本 帥 棒 傘 者 共 体 只 是 地 水 火 風 昼 也 乃 . 全 日 = 妙 法 蓮 華 経 ↓ ︵ 刷 七 附 ﹀ とある如く‘五大を以って直ちに妙法五字と云ひ、本備となす o 同して五大融通義を以って生悌同体を設き、成悌の 可能を論じてゐる。今私に記して是を蹄やれば、 ζ の需仰の設恐ら︿山一京租の意に非歩、能所を混濫せる謬見なり。本 より本隼紗の 事成院日番制とその致事

O 九

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事成院日寺側とその殺皐

制 昨 年 ノ 国 行 川 市 総 ノ 二 怯 ハ 妙 法 蓮 華 魁 ノ 五 宇 = 共 日 比 ス 、 我 ザ れ す 此 五 字 ヲ 受 持 ス レ パ 自 然 − 一 一 位 ノ 閃 果 ノ 功 徳 ヲ 譲 リ 興 ヘ タ モウハ九三八﹀ と説きたまへる如く、此康大無謹の妙用具 H A の仰と一足ふ事乞信解し亡己後は、五大を以って説くも或びは可たらんも 直ちに単に五大に約して詑かぽ、非なり。即ち陣帥之を破して一司く、 地水火風空五大円記共船体妙法蓮華経五字是共徳義徳義本 H 疋 理 而 非 ニ 形 色 一 而 以 = 形 色 一 嗣 藷 = 五 字 各 色 一 表 護 者 也 然 撰 主 制 者 混 = 濫 能 召 所 召 之 原 一 葦 由 レ 不 b 三 体 有 = 二 超 一 也 一 五 云 ︵ 充 沿 国 全 集 三 之 二 三 九 頁 ︶ と。即ち需師の誌は、中古天台の誕械に走り、輝仰の一疋へるが如く‘名体不二に執するの弊に堕ったものである、五 大融通は唯之物質的原議論耳 υ 故に瓦大を以て高法山総休とするは可なるも、何ぞ是をもって本化の極談と箆し得ん ゃ。夫れ宗教の目的とは成仰にあり。成怖とは共れが如何様危話生使用するとも、要するに真理を把握︵それを意識 しようとし玄いとに闘らヂ︶して安心に位する事である。かるが故に宗敢に於ける封象、即ち容体は常に吾々を成悌 せしめ得るとなすものでなければならぬ。共の客体が、 いかに体験叉表象せうれるにせよ、即ち一例の石片であるに せよ、五口々を成伸せしめ侍ると、意識的又は無意識的に信じたる場合に宗敬は成立する一︾既に宗救の成立したる時、 それ白本質的特質として、容体白貰在位を無制約的に肯定する。何故−ならば成悌せしめ得ると言ふ力をそれが持っと してゐるからである。例へば最も原始的な一仰の石片を封象とする宗敢に於ても、それに崇むるにたる宗教的客休を 見出した時‘叉は昼観に執着して、 一切の差別艶化を超越せる、純一なる存在そのものとの合一に依って宗敬的渇望 が癒されたる時、或ひは叉最も進歩せる、宗救の極致とも一五ふペき、我が組の本傘紗による即身成悌の場合に於ても 即ち妙法五乎に仰の因制球の二徳を具し‘我等至心にとの題目を唱へ、この題日の本隼に師命せば、自ら能所合一感臆道

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交してそとに法爾として異理を把握し、安心を得て、人間も悌陀の霊格と艶やる事を得?と説く時に於ても、自我は現 質世界を超へて謹かに高き賓在との闘係に入る黙には、何等の相違も見出し得ない。唯その異る賠は吾々の宗敬的渇 望が同型化、進歩せるにょうて客体の原始的なると進歩せると、主口 K がそれによって安心を得んとする方法の維と易と の異りである。今原始宗敬は宜く置き、最も進歩せる宗敬たる悌敢につき見る院、其の容体に二つの属性を要求して ゐ る 。 一一は客体の時間的永遠性と宰間的普遍性、こはそれの救憤力である。 困に中僚是明先生は此の二つの属性を永遠性と普遍性のことし永遠性とは堅に悌の使命の永遠性、普遍性とは横に 救済力の無限性と危さる L も、今の愚見は後の文に劃する便宜上併は永遠にそして如何たる庭にでもあり、と一冨ふ 一面とその救済力は時間的昼間的に無限たり、と云ふ所よりかく分類したるものなり。躍密に一耳へば第一の既にあ りと云ふ時、それは救済力のあるを意味するものたるも、今はその宇宙の根本原理たる理体とその活動たる救情カ とに分類せるたり。 此の二つの属性は全く密接不離の関係にあり。而して ζ れの完全たるとたらぎるとに依って客体は完全叉は不完全な も の と ・ な る 。 但 し 、 宗 教 そ の も の L 完不完は.とれのみにては決せや。即ち修業方法の難臼却を加へて決するのである 故に若し完全なる宗教とは、完全友る客体を有

L

,最も易すき修業方法によって即時に成併せしめ得るを一再ふ。とれ ぞ即ち我が組の宗敬である。即ち我が組の見たる、共の客体たる本悌は‘時間的には無始久還の生命を有し、昼間的 回は一切に周編せる贋大無謹の無作の三身であり、三身即一の絶待備である。且つそれは、撃なる賓在、草・なる理的 存在ではなく、慈悲救済の人格俳である。即ち三徳有縁の悌である。市して樺氏浮飯の子として生れたる現賓の樺隼 事成院日講師とその敬隼

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事成院日馨怖とその致事 を以って本備と注し給ふた。即ちとの本僻樟隼は一切敬法乃至皐聞を続躍する真理であり、世界人事の願業を蝿脅し 人類本然の智徳道行 b L開賭すべき慈悲救済の妙用主共足してゐるのである,是を南無妙法蓮華経と一民ふ.而して共の 修行方法は受持の一行にして‘我等至心に此の妙法五字を信受念持すれば自然卒爾に樺傘と同体の抽仰とも品るのである 我が租の宗敬以外白歌々を見れば、共の最も進歩せる天台の敬皐に於てすら、その容体は完全なるものでは左い。即 ち未だ無始久遠の生命は設かれてゐたい。即ち第一一属性が充分に説明せられざるが故に‘結待的なるものに非やして 相封的な仰である。日本中古天台に於ては、日疋を更に絶待的に稜展せしめんとして、永遠性を詑きたるものの、怖の 超越的常住性に憧れた結果、越に備の宗敬的救簡の方面を旋却し去った、翠・なる理怖となしたのである。それは既に 副 牢 的 に 堕 落 し た る も の 左 り と 一 宮 ふ べ き 左 ら ん 。 担て今の講師の設を檎せば‘正に中古天台のそれの如き弊害に堕ち入った賠がある。即ち害帥の如く単に五大に約 して、備の質在の永遠、普遍は或は設き得る・ならんも、何ぞそれを以って直に本僻・なりと云ふを得んや。五大融通は 車に本僻の理の一面を顧すのみ。何ぞ本僻の慈悲救済力を頴すを得んや。更に成悌の可能性に就き之を排ぜん。宗教 を若し、容体と主体との闘係より分類する時は、大別して共のこと錯す事が出来る。 一は堅の宗教にして、こは横の 宗教なりえ但し此の語私案たれば再考を要す︶ 一に堅の宗敬とは‘其の客体と主体とが全然別個たものにして‘南者 の関係は共の聞に昼間を持つものを云ふ。即ちとの場合の成僻は主体は客体によって引き上げられて客体の側に坐す るを得るも‘還に共の雨者は同なり得ざるを一再ふ。換言せば、備は超越的集土に住し衆生は者多き世界に生活してゐ る。衆生の成僻とは唯苦無き怖の世界に生活するを云ふ。市るに悌界は堅に高き鹿に在るが故に‘衆生如何に歩を蓮 ぷとも還に昼間を歩み得歩。即ち草に備の手をもって引き上げらる L を待つのみ。故に怖の恵みによって悌界に引き

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上げられ、苦・なき生活を錯すと雌も、唯それは衆生が伸間外に生活するのみにて、還に悌たり得ざるなり。 こは慌の宗敬とは‘其の主体と容体とが同一平面上にあるものにして、雨者聞には平面的距離あるのみとなす。即 ち主体は自ら歩む事によって還に容体に建すと・なす。との場合の客体は車に一一地黙のみ。即ち成備とは、衆生が自ら の迷苦を自らの修業によって之を離脱し完全に離脆し得たる時‘怖となると云ふ。即ち一の宗教は外的の離脱、二の 宗敬は内的の離肱を成品仰とす。即ち初めは他力主義であり、失は自力主義である。而してとの第二の宗敬が費艮する 時、共鹿に生働同体の思想が生れて来る。即ち自らの内に悌性はあるも、煩悩によってつ L み隠されあるを衆生なり とたし、との衆生に僻性ある謹より生悌同体を一民ふのである。 掠てとのこつの宗敬が‘個々に分類されてゐる聞は未だ完全なる宗教ではない。何故左らば、 一 の 宗 設 に 於 て は 、 或は信仰によって安心は得らる L も、未だ生悌の同体を設き得ぎれば、還に成備とはたし得ゃ。二の宗敢に於ては、 即ち生悌白同体を設き得る−ならんも、それによって安心を得るは備の地賭に建し得たる時のみ。その聞の修業の煩悩 離脱の黙にあるを見れば、殆んど不可能事なるを知る事が出来るのである。市してとのこ宗教を統合し接民せしめた るは我が租一人のみ。浮土の一門は堅の宗教に流れて越に第二を合し得十 ω 一家天台は横に走りて生悌同体に執し遂 に止観の観法今日まで成就せし者一人もなし。全く理に偏したる宗設と云ふ可し。然らぽ我が組による解耀や如何に 要略して之を記せば、即ち、生備の異りは営分一往作用の上の異りのみ、再往本体の上は無二無別なり。市して我等 が一念の己心即ち本来法爾三世常恒無作三身の一大活仰にして‘ 一切の諸悌皆悉く我等が己心本怖の顕現にあらざる 事なし。︵第二宗散の進展と見るべき黙﹀。町して之が成悌の方法は、苦修練行には非やして、外的に本悌の妙体を翻境 として、との無上の客休を欽慕してとれを信じ、之を念占 y る時、自身己心の活伸、法爾として顕現し、自然に本怖に 事成院日議師とその教皐

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事成院日番附とその数単 一 一 間 如同して、自身即是の無上の悌果を得るのである。︵第一、第一一の宗教の統合進展﹀共の行は但信唱題、而して能︿民 理を把握して安心に位する事が出来るのである、換言せば、生俳本より同休なり。而して怖の救情力によって之に一 如すると一広ふのである。若し初め無くんぽ、我等如何に信力強盛たりとも、還に永劫に成仰を得ゃ。若し働力銀くん ぽ凡夫の浅智何ぞ苦修に堪へて宇宙の民理を把握し得んや。大要日疋の如し。 今是によって誇師の五大の設を見れば.悌と衆生ととれを形成する原素は叫に五大にして向ならんも、しかもその 形成の過程は全く別なり。例へぽ二種の原素より成る二種の全然別個の物休の如く・叉その形成の過程、即ち化合の 欣態が異るが如きものである。故に若し衆生がそれを形成する五大が質化融通して仰となる場合に於ても、怖そのも のには何等の関係がたいのである。しかるに物体を形成する原去は、それが一つの物体主形成した以上は互に均衡し たる欺態に在り、とれを他の異った物体に現化せしめる震には、全く外的の作用を待つよりは無いのである、即ちそ の物体内の原素互に均衡して自ら質化は起し得ないのである。 今害師は五大即本備、五大即衆生、故に衆生即本備とのみ云へば、衆生共のものが何等の作用を受くる事な︿本伸 となる事になる。害師は融通の語を使用して設明はするものの、しからばその融通は何により起るか。木併によると 一去ふ。しかもその本悌は即五大である以上、それ自身も互に均衡の欣態にあって、とれが衆生に働きかける需には、 更に何等かのカによって、生悌雨者が作用し得る朕態に置かれたけれぽならぬ。その何等かのカとは何ぞ。逢に五大 によって読き得たいのである。即ち若し害師の設により五大即本怖と云へば‘越に成悌の可能は読き得・ないのである 即ち再度破して之を許せば、此の設は名体不二に執して、怖の妙用の徳を淡却したる謬見たりと一試ふべし。 ・弐に宗祖の御遺文に依って之を検せば、五大融通義を明し給へるは綿勘文紗にして、祖霊同要続中たる五大部中には

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何等説示して居られぬのである。しかるに組勘文砂は 今 法 華 超 = 八 敬 一 圏 一 地 疾 頓 成 心 僻 衆 生 此 三 雄 = 我 一 念 心 中 一 無 = 心 外 − 観 下 根 行 者 向 一 生 中 入 = 妙 鹿 児 位 − 云 一 天 一 九

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三 ﹀ の文に見るも明友る如く翻解に約した成伸論であって、日本巾古天台の観念義に依られたるものである。殊に恵心の 白行略記の ﹁ 若 翻 = 己 心 不

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異 = 僻 心 一 法 詮 ニ 如 来 持 妙 法 身 一 ﹂ ﹁ 観 二 念 心 体 性

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﹁ 観 念 周 遍 無 碍 ﹂ ﹁ 組 令 一 一 一 諸 法 趣 = 我 了 念

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﹁ 唯 在 日 ﹃ 一 念 − 池 田 観 = 諸 法

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︵ 全 集 三 ノ 四 一 七 ︶ 等敷所に示せるが如ぎ翻念成併の思想と、血児超の自記略記註等を引用して解躍し給へる、第二義的御堂同友り。五大融 過 は 決 し て 本 化 の 極 談 に 非 ざ る ・ な り − u 本より線勘文妙に・ 五 行 者 地 水 火 風 空 す 五 大 種 ト モ 五 濫 ト モ 五 戒 ト モ 五 常 ト モ 五 方 ト モ 五 智 ト モ 五 時 ト モ 耳 ヲ 只 一 物 三 T 経 経 ノ 同 時 設 す 内 典 外 典 ノ 名 目 ノ 異 名 す 今 経 = 開 レ 之 設 計 , 一 切 衆 生 ノ 心 中 ノ 五 仰 性 五 智 ノ 如 来 ノ 種 子 ↓ 是 則 妙 法 蓮 華 経 ノ 五 字 也 ︵ 一 九

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四 ︶ と、設き給へるは経意 b L指して体と・なし‘一憾に約して直に一疋ひ給ひしものにして、行者をして色心全く妙法五字の休 たるを知らしめんと欲し給へるもの左り。害師の如く五宇を直に五大と云ふ左同じからざるたり。故に輝師云く、 若 夫 高 岨 直 指 レ 各 局 レ 休 叫 引 所 詞 指 ニ 経 意 一 筋 ι 者 即 五 重 玄 第 二 体 玄 義 是 也 経 亦 名 = . 貧 相 義 ↓ 亦 名 = 秘 殿 等 一 日 疋 一 部 所 詮 之 義 制 而 山 県 一 一 直 描 = 語 法 営 体 之 形 色 ↓ 不 レ 同 故 一 疋 = 体 也 意 也 所 詮 也 一 部 品 忌 持 等 ↓ 一 五 云 ︵ 充 沿 困 全 集 三 ノ 二 三 九 日 ﹀ 宗幽の正意は十界五共事一念三千を以って妙法任字を期すにあり。即ち妙法は但日疋十界十如機貨の法。蓮華一ほ十界の 樺質凶旧京の法を警ふるなり。五大十回作体に別無きに似たりと雌も、五大は是れ能成‘十界は臼疋れ所成伝り。而して今 挫の正意は十界本有依正常位、体用共足三千呆成 bL 明すにあれば何ぞ五大を以って顕すを特んや。即ち知る、雄第悶 市計成院日議師とその数撃 一 一 五

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事成院日霧削とその敬皐 一 一 六 巣の二徳は但日正十凶作互具事一念三千を以って顕すを得るのみ。故に輝師云く. 五大融通一相無醗木 ι レ 顕 − − 於 樺 貰 正 軌 − 況 蓮 華 六 義 種 々 法 相 似 依 = 於 十 界 一 一 疋 云 ︵ 充 拾 園 全 集 三 ノ 三 二 二 百 ︶ と。河合同辰師亦探霊に於て書師の謬見を斥け北尾日大帥更に破して云く、 興へて之を見れば中古日本天台。亜流に過ぎ守、奪って之を云へば小乗外道の見たるのみ、何ぞ本化の極談ならん ゃ 。 ︿ 畢 報 七 四 銃 三

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頁 ︶ と 。 第二節 店五 組 論 削崎七之容附録四五に明せる所にして、害削自身が一区ヘるが如く、宗組の顕働未来記︵九七六︶及び諌暁八幡紗︵二

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﹀等に日月の出設を以って僻法の流停を一不し給へる文に依って、働法必十日本闘に縁るる所以を説き、日の服 践の二用と、宗組り如日断の二倍とを同一なりと慣値付けて、本地護控の詮を以って、我が組の出現を論じてゐる。 本地黍挫の設は日本伸哉の一特色であるヮそれの起りし所以 O ものは‘勿論我が間体のしからしむる所たのである 書師が此の誌を以ハ J て高組を前守る事亦大いに可たり、今患が卑見を以って之れを耕やる事.但その隼巌を胃さん事 を憧れて止むも‘少しく私に記して越ぶれば、弐の如し。 宗敢に於ける最も重要なる問題は、それ自身の慣値の問題である。即ち宗教がそれの持つ慣値の大小に依り、そ O 高下を決する事が出来る、故に自身を更に高く債値付ける事に依って、其の宗敬は更に高まるのである。例せば、原 始時代に於ける一個の石片を崇拝する宗敢に於て、その石片が今迄崇拝せられたる素質以外に、更にそれを崇拝する 人 K が偉なりと信守る或物に酷似せる場合・而してそれが前の素質に附加せられたる時即ちその石片が更に慣値付け

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られたる時とれに封ずる隼崇の念は更に高まるのである o 悌救東漸

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思想が、或ひは地形に、叉は賞時の交通の朕態 に、共他如何なる事に原因して興りたりとしても、換言せば‘それの事貰の原因が何曲胞にありとも、日と月と、最も 高きそれに憤値づける時.それの慣値が更に高まる事は言 b L 待たぬ。又‘宗凪 O 上 行 の 白 血 買 を 、 皐 に 自 民 閣 に 止 む る 事 なく誕に ζ れを憤値づける時.更にふ﹄れが宗救的になるは事質である。書師が今、慎値づけられたる東漸の思想と、 本地垂越の設とをはって、高温の出現を論ぜしは、宗敬の質践的方面を債値づけ、更に強調せるものならん。 第三節 四 箇 格 言 論 削略七之各附鋒五以後に論・?る所にして、初めに問答を設けて破折強言の理由を翠ぐ。即ち四ケ僚に分けて云︿、 ハ 趣 意 ︶ 一、破折強言に非ざれば数々の雨字讃み得 4 y o 滋言を以つての故に質裁交々来って、金口虚しから宇。即ち如来の 使なる事、信 4 7 可きに足ると。私に記して一宮く。此の設少しく巧設に過ぎたり。法師口聞に日く 而此経者如来現在猫多怨嫉況誠度後 と。即ち知る、必ヂしも強言・なら・?とも‘此経を受持せば散 K の南山手を讃み得るを。破折強言せられしは、末法の弘 通方軌によるたり。 二、盛語佐川ひざれば他宗 b L 破り難し。邪正を分たざれば賢布たし@ 三、諸宗 b L破るに依って、強毒の法潤一時に摘衡す。 四、問箇格言粗々一彼此の邪正を分つに由って、来り聞はざるも自ら法理を察し、潜に化風を扇く。 事成院日曜時師とその致事 一 一 七

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事成院日誇附・とその教皐 一一八 と 。 弐 で 四 箇 立 一 士 一 口 の 旨 乞 談 A T 。抑々四箇格言は我凪の鎌倉時代に於ける代表的四宗に封する評破にして、四宗それ白 身各々宗教としての生命を有するならんも、更に進歩せる完全なる宗救たるん一不凪の立場より見る時は、他宗に於ける 成併は論じ得ざる事たり。市るに世人乙の本化の艇設を知らざるが故に.他宗によって得られざる成怖を、しかも得 たりと且へるを思念し給ふて、 一位宗的樺質判を以一うて諸︷一不を破し‘再往本化の極設を知らしめんが筋の敬判が.と

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四 筒 格 言 で あ る 。 即 ち 今 害 師 凶 箇 裕 一 言 の 立 国 日 を 明 す に 、 ︷ 一 不 凪 の 意 を 顕 す 事 . 明 K − た り 、 赫 k たり。即ち帥の側略附 録諸論中の白眉たり。害帥の四伸 e M L 越ぶれば弐の如し。 組じでは他宗皆堕最の敢なるを破し、本化。柴誌を一不さる縁語にして、別して初めに念伸無間と破するは、彼の時 土の一門は、此土有縁の轄迦如米を無嗣しし℃他方無縁の鋪陀 J L 本 怖 と 立 て 、 徒 ら に 崎 市 土 DL 説きて他力易行の念備を 以て成仰を説くo然るに浮土そも何協にありや。無縁の繭陀何ぞ此土を潤さん。日疋れ樫敢にして末代劣機の震の良薬 に非 4 y c 今法華は極山替の経、受持唱嗣良く婆‘婆即寂光と成仰せしむ O H E れ末法時機相躍の敢にして他経不設の庇友り 極集は即ち寂尤に過ぎたるは英し。何ぞ法華以外に桜柴を詑き特んや。然るに彼是を知ら歩、法華を誘って難行道と す口共の罪正に堕獄に営れり o 即ち経に日く・ 若 人 不 レ 信 段 = 諒 此 経 ↓ 乃 至 其 人 命 総 入 = 阿 鼻 獄 一 ︵ 法 華 経 害 時 品 ﹀ と。宗祖即ち彼が主厳に反せる言乞刷ひて、念帥無聞と破し給へり。と。私に記して云く‘浮土一門の不成怖に就き ては前節に詮けり。故に今是れを略す。書師更に次の句を轄して、蹄家は自ら救外別倖不立文字の主義を骨張し、品脚 設に依ら十して飾意に建せんと計る、即ち可説不可設の雨門を全く誤るなり。

E

つ叉、謂己均備の上慢に陥って、未 だ詮せざるを設せりと息へり。即ち合口に日く、

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不 L 随 = 働 話 一 者 悉 是 魔 品 守 層 ハ 浬 繋 経 邪 正 品 ︶ 叉 日 く 増 上 慢 比 丘 持 墜 = 於 大 抗 − ハ 法 華 経 方 便 口 問 ﹀ ム ﹂ 0 宗祖即ち之に依って、伎が自負する所に敵劃して法華経の無作三身に依ってとそ即悌の理は現るなり、即ち開天 躍と破し給へり。と。私に記して一式く、締家既に真理を詮せ歩且つ共の客体たるや何等の力なし。次に需師、良一言破 の一句を躍して、国民言の大日は単に之れ法身、何ぞ我が家の三身具足三徳具備の本備に比すペけんや。犬日は耀迦に 勝るの詑最も持なり。謂んや顕斡二敬の分別を誤り、法華を下して第三に置き、己れ是れ王法なりと自負するは非中 の 非 な り o 而るに法華は我が祖の安圏の結勤に顕然たる如く異に護閣の法たり。即ちこ L に於て宗祖は毘言亡閣と破 し給へるなり 3 と 。 私 に 記 し て 一 足 く 、 容 体 の 不 完 全 な る 宗 教 を 以 っ て 何 ぞ 完 全 な る 宗 殺 と な し 得 ん や 。 員 一 一 = 口 の 一 門 は 智 的 に 流 し が 故 に 遂に理悌となしたのである。而るにそれが巧設なるが故に、宗祖最も力を用ひて破されたのである。 最後に書師、律閣賊の一何を轄して、律ん一却は即ち小乗の戒律を以って主義とす。而るに真正の戒は、大乗一一貨の正 法を受持するを以って根本となす。彼が二百五十戒は翠に是れ枝末のみ。而るに彼等自負して阿賀となす。若し夫れ 二百五十戒に汲々せんか、即ち国事に勤しみ得んや。正に知る閑賓却て関賊なるを。且つ、大乗吃誘ってじか主的制 の大戒を倫むは、全く是れ法賊なり。即ち宗組乙 a A K 於て、法華の是名持戒とそ閑費なり。とし、彼等が自負に反し て闘賊と破し給へるたり。と。 如上略記せるが如く、四筒立言の旨を明して顕然たり。勿論四筒立一言を三秘を以って轄し得るも、害師は之を、成 事成院日害時師とその致事 一 一 九

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事成院回議師とその数皐

悌、本伸、安園、行法を以って樺せるなり D 以上を以って削略上の害師救撃の大観を畢るも、是れは唯、附録を中心として見たるのみ。締じでは既に初めに一 官せる如く、導師の皐設を糟承せるものにして、未だ完全なる宗撃に非・?と雌も、即ち是れ今日の宗墜への一過程な り。我が組が既に五綱判を以って敬一示し給へるが如く、宗敬は時代と共にそれに眠障して進展すべきである。故にと の貼より見れば、需師の宗風一段既に過去のものなりと云び得るも、民理は常に一−なるを見る時、それは皐に表現が過 去なるのみである。勿論思想の慶化によりそれに順臆するペく、その宗散が質化するとも、それは唯、更に皐問的に 慣値付けらる L べく、表現の方法が異るのみである。北尾日大師が大崎製報︵七十・四蹴﹀に於て、﹁現代の要求に臆 4 1 ペきものに非ざるが如し﹂と云へるも叉可ならんも、然らぽ果して現代の宗撃と稿すべきもの有りや否や。 建土柳津の一回思子にして猫との憾あり。願くば本化の諸匠、思が需に読一不あらん事を。 筆了らんとして温かに角田山上書公霊墳を思ふて合掌す。 南無事成院日書

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人増固妙遺依憐大畳 月は園理の灯をか L げ、霧不断の香 bL 焚き・松縞常住の天禦 bL 奏 せ よ o 併 せ て 一 肺 る 、 回 収 ’ が 筆 罪 を 赦 し 給 へ 。 ム ﹂ 0

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