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市場適応的経営戦略のための組織の統合と革新 : アサヒビールの研究(その2)

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長野大学紀要 第17巻第 3号 1-31貢 (227-257頁)1995

市場適応的経営戦略のための組織の統合 と革新

(

2

)

Organizational Integration and lnnovation for Market-Adjusting

Management Strategies

A C a s e S t u d y o n A S A H I B R E W E R I E S , L T D . ( N o . 2 )

Hisamitsu lhara

Abstract

MypreviouspaperinthisBULLETIN Vo1.

17,No.2 illustrated four features of the ``market・adjusting management strategies'': (1)market-oriented corporate philosophies

,

(2)marketing activities organized to 丘tthe market,(3)integratedcorporateactivities,(4) strategicmarket・oriented organi2;ation.This paperdiscusses(3)and (4)ofthesefeatures inlightofthecaseofAsahiBreweries,Ltd. In the discussion of "integrated corpovate activities,

"

theconceptsofHthreetotal・mar -keting"and"verticl aa ndhorizontalmarketing integration''arepresentedandrollsoftopand m

i ddlemanagementarediscussed separately. Ⅰntheexaminationof"strategicmarket・oril entedorganization,

"

the conceptand inpor・

tanceof"semi・formalorganization''arepre・

sentedanddiscussed.

前回の拙稿で整理 した 「市場適応的経営戦略」 の4つの特徴、①市場志向の企業理念の確立、② 市場に直結 した企業活動の統合、③全社的統合活 動、④市場志向的組織、の内、本稿では、③ と④ についてアサ ヒビールの事例を通 じて論 じた。(卦 については、 3つの統合概念 と、 3つの統合を実 現す る 「垂直的統合」・と 「水平的統合」の概念を 提示, トップと ミドルの役割が異なることを指摘 したO④については、「準公式組織」の概 念 を 提 示 し、その重要性を指摘 した。

目 次

は じめに 1. 3つの トータル ・マーケティング (理論の整 理) (1) トータル ・マーケティングの定義 と歴史的 考察 (2) 3つの統合概念 2. トータル ・マーケティングの実際 (事例の整 理) (1)「情報力-コミュニケーシ ョン ・ミックス」 と広報の連携 (2) 「営業力-デ ィス トリビューション ・ ミ ッ クス」 と生産の連携 〃)1987年における生産 との連携 (ロ)1988-1989年における生産 との連携 (,l) 経理財務 と生産 ・販売の統合 (3) 「商品力-プロダク ト・ミックス」 と研 究 開発の連携 3. 統合的マーケテ ィング組織 (理論の整理) (1) マーケティング関連の組織 (2)組織変遷に関す る大きな流れ 4. マーケテ ィング関連組織の実際(事例の整理) (1) トップ指導のマーケティング組織 (開発委 員会議 の役割) (2)マーケテ ィング部門の拡充 (商品開発部の 発展) (3) シーズとニーズを結ぶ組織 (生産 プロジェ ク ト部の役割)

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-228 長野大学紀要 第17巻第 3号 1995 5

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新 しい統合 と組織の理論を求めて (1) 垂直的統合 と水平的統合 (1)垂直的マーケテ ィング ・イ ンテ グレーシ ョンと トップの役割 (。) 水平的マ-ケテ ィ1/グ ・イ ンテグレーシ ョンと ミドルの役割 (2)準公式組織の重要性

は じめに

前回の拙稿 「市場適応的経営戦略 の理論 と適応 事例」1)(以下 「前回」 と省略)において、現代の マーケテ ィングの流れを整理 し、それが単なる大 量消費のためのテ クニ ックではな く、市場 の要請 (顧客 ニーズや社会 ・環境の要請) に適応す るた めに企業全体 で行な う 「市場適応的経営戦略」で あることを改めて確認 した。 そ して、そ の 体 系 を、① マーケテ ィング ・コソセプ トの確立、② マ ーケテ ィング ・ミックスの実践、(卦トータル ・マ ーケテ ィング、④戦略的組織の構築 とい う4点か ら整理 した。 さらに、その① と② の実際を、 アサ ヒビール株式会社 (以下 「アサ ヒ」) のア サ ヒス ーパー ドライ (以下、 スーパー ドライ) の事例を 通 じて検討 した。 しか し、① と② (つ ま り、 マーケテ ィング ・コ ンセプ トの確立やマ-ケテ ィソグ ・ミックスの実 践)は、③ と④ (すなわ ち、マーケティング志向 に向か う全社的な統合の概念や市場適応的な鼠織 の構築) な くしては実現 しない。前者の2つの概 念が,顧客や社会に対す る基本的姿勢 (マーケテ ィング ・コンセ プ ト) と主要なアプローチ ・手段 (マーケティング ・ミックス) とい う点で 「市場 適応的経営戦略」の外的側面 とすれば、本稿で扱 ラ(9統合 と④組織 とい う2つの概念は、前者を支 える内的な側面 とも言え よ う。 そ こで、今回は、③ と④ に関 して主要な理論を 筆者な りに整理 し、 アサ ヒの事例を参考に若干の 意見を加えて論 じていきたい。

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.

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つ の トー タ ル ・マ ー ケ テ ィ ン グ (理 論 の整 理 ) (1) トータル ・マーケテ ィングの定義 と歴史的考 察 トータル ・マーケティング(TotalMarketing) とい う用語は、統合的マーケテ ィング(Integrated Marketing) とも言われ るが、 一般的に 「マーケ テ ィング諸機能を統合化 し、他の経営諸機能 との 相互作用 と調整を強調す るもの」2)と定義 され る。 しか し、 この定義は厳密には2つの トータル ・マ ーケテ ィングの意味を内包 してお り 「マーケテ ィ ング諸機能を統合化す る」 とい う前半に力点を置 いて解釈す ると 「マーケテ ィング ・ミックスの統 合的な遂行」 とい う意味になるO実際に この よう な解釈で使われ る例 も多 く、「前回」紹介 した 泉 谷論文3)も 「トータルマーケテ ィングの要素 とは -商品力、情報力、営業力の3要素である」 とい う表現でマ-ケテ ィソグ ・ミックスの統合的な遂 行について トータル ・マーケティングとい う用語 をあててい る。 しか し、村 田 (1970、1981)が言 うように ト-タル ・マ-ケテ ィソグとい う用語は 「マーケテ ィ ング企業の傘 であ り、企業のあ らゆ る部門の活動 と密接に連動 し、かつそれ らを調整 ・統合す るも の」4)や 「問題解決、意思決定、計画策定、実施、 統制 とい う、生産一販売一消費の全 プ pセ ス を 企業の立場か らみなおす総合的な マ ー ケ テ ィ ン グ」5)な どの ように、 マーケティング ・ミ ッ ク ス を超 えて使われ る場合 も多い。 そ こで、本稿 では、 これ ら2つの統合形態を明 確 にす るために、前者の統合、すなわ ち、マーケ テ ィング ・ミックスを中心 とした統合を 「第1の トータル ・マーケテ ィング」 と呼び、 後 者 の 統 合、つ ま り、マーケティング以外の経営機能を含 妙た計画的 ・総合的活動の ことを 「第2の トーク ?レ・マーケティング」 としたい。 では、何故 トータル ・マーケティングに この よ うな2つの統合形態が生 じたのであろ うか。それ を理解す るためには、歴史的な考察が必要 である。 そ もそ も、統合 の概念は、マーケテ ィングの発 生時点か らあったoマーケティング学説史を体系 的にまとめたバーテル ズ (R.Bartels)は、 そ の エ ッセ ンスを 「諸要素の結合」 と述べて い る6)。 "Marketing"とい う用語は、 "Market''(市場 で 取引す る) とい う動詞が動名詞化 して名詞に転 じ た もの とされ るが、それが、流通実務研究の分野 で使われ るようになったのは

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0

世紀初頭 の ことで ある7)。 この用語 の最初の使用者の一人で あ るパ

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井原久光 市場適応的経営戦略のための組織の統合と革新 トラ- (RalpIIStarrButler)は、「セール スマ ンや広告を実際に用 い る前に、 なさねばな らない●●●●●●●●● すべ てに関す る研究 -・に適当な名称を見 出す こと に苦労 して "マーケテ ィ ン グ諸 法''(marketing methods)とい う語句に決定 した (傍点筆者)」と 述べ てい る8)0 無論、それ以前にマーケテ ィング活動が展開 さ れ ていた ことも事実 であ る。19世紀後半か らシン ガー ・ミシン、ス ウィフ ト プ ロクタ一 ・ア ン ド・ ギ ャンブル、 コカ ・コー ラ、 アメ 1)カ ソ ・タバ コ な どに よって広告 ・商標 ・包装 ・セール スマ ンシ ップ (セール スマ ンの人的販売技術) の重要性が 認識 され ていた し、百貨店 (ボソ ・マル シェ、 メ ー シーズ、ワナ メーカー)、通信販売 (シアーズ ・ p-バ ック、 モ ソ トゴメ リー ・ウ ォー ド) の発生 に よって流通面 の工夫が販売に大 きな影響を与 え ることも分か っていた9)0 しか し、 それ ら様 々な非価格的要素が全体 とし て一つ の概念で捉 え られ ていた訳 ではなか ったの で、20世紀初頭 にな ってアメ リカの大学 の研究者 が これ らの方法を 「マーケテ ィング諸法」 と命名 した訳 であ るO この経緯 に関 して、バ ーテ ル ズ は、 ト レ ン チ (R.C.Trench)の論文10)を引用 して、実態を説 明す るために作 られた言葉が実態を変 えてい く点 を強調 してい る。実務があ ってマーケテ ィングと い う言葉が使われた とい う 「実務-用語」 とい う 側面 はあ るが、 マーケテ ィングとい う用語が使わ れた ことに よって新たな思考が付加 され て概念 と してのマーケテ ィングが成立 した とい う 「 用語-概 念」 の過程があ って、新 たな用語-概念が実務に影響 を与 え る 「概 念-実務」 とい う結果が見 られ るの であ る。 この よ うに、 マーケテ ィングは、19世紀か らビ ジネス界で考案 された様 々な市場 に対す るアプ ロ ーチを まとめ る 「総称」 であ ったために、用語そ の ものに統合 の意味づけがな され ていた訳だが、 一旦 出来上が った後 は 「個別 の活動を統合す る思 想 と機能」を もつ もの として位置づけ られ、販売 (selling)、商取引 (trade)や流通 (distribution) な どの既成諸概念 と区別 され るよ うにな ったので あ る。 しか し、それが 「統合の思想」 として明確 にな 229 った のは、1960年代に発展 した マネジ リアル ・マ ーケテ ィングにおいてであ り、その中で もと りわ けマーケテ ィング ・コンセ プ トに関す る理論 の確 立 に よってであ った。マーケテ ィング ・コ./セ プ トはマネジ リアル ・マーケテ ィングの中心概念 の 一つで、 コ トラ- (P.Kotler)は、 マーケテ ィン グ ・コンセ プ トの3●●●●つの要素 として①顧客志 向② 利益志 向 と共 に③統合努 力をあげてい る11)が、 そ れ はマ ッカー シー(E.J.McCarthy)に も見 られ る12)

o

これは、 プロダ ク ト・ア ウ トか らマーケ ッ ト・ イ ソへ の発想転換が組織に もた らす必然 的な結果 とも言 え る。技術者 の作 った ものを売 れ ば 良 い (プ ロダ ク ト・ア ウ リ 時には開発/生産/販売 を別 々に行 なえ るが、市場 のニーズに合わせ て製 品を新たに創 りだす (マーケ ッ ト・イ ン) ために は、個別 の企業活動を統合す る必要が生 じるか ら であ る。 こ うして、 マーケテ ィングは、経営 の重要 なテ ーマにな ったが、多 くの研究者に とって、統合 と は 「マーケテ ィング固有 の手段 の統合」を意味 し ていた.た とえば、 - ワー ド(JohnA.Howard) は、 マーケテ ィングにおけ る意思決定過程 の基本 的側面 と し て 「制 御 し う る要 素 (controllable element)」と 「制御 しえない要素(uncontrollable element)」に分け、その制御 しえない要素へ適応 す るために制御 し うる手段を使 うことが マーケテ ィングの実践 であるとしてい る18)。図表1に示す よ うに、 - ワー ドにあ って も、 マ ッカー シーにあ●●●●■●●● って も、その理論体系は、統制可能か ど うかに よ って二分す ることを前提 に、統制可能要 田 として、 製品 ・価格 ・広告 ・流通 な どが挙げ られ てい る。 す なわ ち、 - ワー ドらに とっての統合 とい う概 念は、「統制可能 な要素 としてのマーケテ ィ ン グ 諸手段 の統合

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)

」 に過 ぎず、職能 レベルの管理者 であるマーケテ ィング ・マネージ ャーや マーケテ ィング ・スタ ッフの管理技法 (「前回」定 義 した 「マーケテ ィング ・マネ ジメン ト」)を説 明す るた めの ものであ った と言 え よ う。す なわ ち、 ここに 第1の トータル ・マーケテ ィングの理論 が完成す る訳 である。 しか し、1970年代以降、石油危機や為替変動 な ど (個別 の製品市場 の動向ではない) ドラステ ィ 3

(4)

-230 長野大学紀要 第17巻第3号 1995 図表1 ハワー ドとマt.Jカーシーの理論体系図 I.A.ハワードのマーケテイング・マネジメント体系 非マ

ケテイングコスト EJ.マッカーシ-のマーケテイング・マネジメント体系 外枠の 「統制不可能要素」に対 して内枠に 「統制可能」なマーケテ ィング ・ミックスが図式化されている。 原典リ.A.Howard,``MarketingManagement:AnalysisandDecision,"RichardD.Irwin,1957,p.5

E.J.MaCarthy,"BasicMarketing:A ManagerialApproach,"RichardD.Irwin,1960,pA9

ックな環境変化 が企 業経営 に大 きな影響 を与 え る よ うにな り、 それ まで 「統制 不可能」 として理 論 の外 に置 いていた政 治 ・経済的要素が市場 で最 も 重要 な フ ァクターにな ったO また、企 業規模 の拡 大 に伴 い製 品群 の全体的管理 が必要 とな った り、 急 激 な環境変化 に対応す るため多角化や事業転 換 を ほか るケースが増 え、個別市場 で顧 客 ニーズに 対 応す る ことに主 眼を置 いていた マ -ケテ ィソグ 理 論 は見直 しを迫 られた のであ る。 この よ うな中 で、 フ ァイナ ンス理 論 を中心 に発 展 した ポー トフ ォ リオの考 え方 を導入 した PPM (product portfolio management)や PIMS (thepro点timpactofmarketstrategy)な ど の理 論が発達 した。 また、 ポ ーター (M.Portor)

の鹿争戦略理 論 の よ うに事業全体 や SBU (srta・ tegicbusinessunit)レベル の戦略的 マー ケテ ィ

ングが注 目され る よ うにな った。 ここに至 って、 マ ーケテ ィングは経営戦略 の レ ベル で捉 え られ る よ うにな り、 ス タ ソ トン(W J. Stanton)が 「企 業 内におけ るすべ てのマ ー ケ テ ィング活動が組織的 に統合 され調整 され なけれ ば な らない15)」 とい う トー タル ・マー ケテ ィングが 全社 的 レベル で必要 とされ る よ うにな った訳 であ るO (2)

3

つの統 合概念 この よ うな歴史的過程 が あ っ て、 2つ の トー タル ・マーケテ ィングが成立 し た 訳 だ が、村 松 (1990)は、 キ ャデ ィ - バ ゼ ル (F.∫.Cady

&

R.D.Buzzell)の説 を引用 しなが ら、 「伝統的 マ ー ケテ ィング ・マネ ジメ ン ト」 と 「戦略的 マーケ テ ィング ・マネ ジ メソ H とい う類型 の下 に、 2 つ の トータル ・マ ーケテ ィン グの違 いを図表2の よ うに整理 してい る。 この区分 に従 えば、伝統的 なマーケテ ィング ・ マネ ジメ ン トでは① 個 々の製 品を対象 とした② 一 定 の範 囲を もつ市場 で③ 「マー ケテ ィング ・ミッ クスに よる顧客満足」 を追求す るこ とが競 争へ の ア プ ローチにな る。 したが って、④ マ-ケテ ィ./ グほ生産、 開発、人事 な どと並列的 に経営機能 の 一 つ と捉 え られ てお り、⑤ 統合 の範 囲は、 マ -ケ テ ィソグ ・マネ ージ ャーや マー ケテ ィング ・スタ ッフが統制可能 な領域 に限 られ る。 これ に対 して、戦時 的マー ケテ ィング ・マネ ジ メ ン トでは① 製 品 ライ ンや SBU (戦略的 事 業 単 檀) の レベル で② 広範 囲な市場 を選択 しなが ら③

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井原久光 市場適応的経営戦略のための組織の統合と革新 図表2 伝統的マーケテイング ・マネジメン トと

戦時的マーケテイング ・マネジメン ト

出典 :松江宏編 『現代マーケテイングと消費者行動』p.64

原典は、J.F.Cady& R.D.Buzzell,``StrategicMarketing,"Little,

Brown &Company,1986,p.16

「サ ー ビシンダ、在庫政策、研究、製品開発お よ び企業 のその他 の機能を統合 した企業 力」が競争 手段 にな る. ここでは、④ マ-ケテ ィ./グは他 の 経営横能を包括す る形 で他 の機能 の上位に位置づ け られ てお り、⑤統合 の範囲は全社的 な領域に拡 大 され てい る。 す なわ ち、 ここでは、 (1) 伝統的 マーケテ ィング ・マネ ジメン ト-マ ーケテ ィング ・ミックスの統合 -第1の トー タル ・マーケテ ィング (p) 戦略的 マーケテ ィング-全社的統合 -第2 の トータル ・マーケテ ィング とい う2分法が見 られ る。 しか し、統合 の概念を この よ うに別 の もの とし て捉 えるのは、理論的な整理 の意義は あ る も の の、現実 の問題 としてほ、戦略的な整 合 性 を 失 う危険性がある。む しろ、第1の 「マーケテ ィン グ ・ミックスの統合的 な遂行」 と第2の 「他の経 営機能を含めた計画的 ・総合的活動」 はパ ラバ ラ の概念ではな く、相互 に密接 に繋が ってい るはず であ り、 2つの トータル ・マーケティングを繋 ぐ 第3の トータル ・マーケテ ィング概念が必要なの ではないだろ うか。 この第3の概念を、「前回」 も取 り上げ た レ ー ザ ーのマーケテ ィン グ ・ミ ッ ク ス を 「商 品 ・情 報 ・営業」 として、簡略化 して図式的に示 してみ よ う。 231 まず、第1の トータル ・マ-ケティ,ソグは、商 品力 (プロダク ト・ミックス)・情 報 力 (コ ミュ ニケー シ ョン ・ミックス)・営業 力 (デ ィ ス ト リ ビューシ ョソ .ミックス) を結ぶ もの として上部 の三角形 として示 され る。 この統合は、 マ-ケテ ィソグ ・マネージ ャーが統制可能 な範 囲であ り、 商品 ・情報 ・営業関連 の部署 (た とえば販売部門 の商 品企画課 ・宣伝部 ・販売促進部) の調整 に よ って可能 とな る。 次 に、第2の トータル ・マーケテ ィングは、 図 では、広報部門 と研究開発部門 さ らに生産部門 の 協力を想定 して、下部 の三角形 として示 したO も 図表

3

葦者の考える

「3

つの トータル ・ マーケテイング」 第1の トータルマーケテ ィング 第3の トータルマーケテ ィング

_ 第 2の トータルマーケテ ィング (井原作図) 5

(6)

-232 長野大学紀要 第17巻第3号 1995 ちろん、本来は、全社的な統合活動であるか ら、 経理 ・人事など他の部門 も関連 してお り、相互の 関連 も複雑に結びついているはずであるが、 ここ では、矢印に よって関係を明確に示 し た い た め に、あえて広報 ・研究開発 ・生産部門を選んでみ た。(経理については後述の事例の中で取 り上 げ る) しかし、 これ ら広報 ・開発 ・生産の関連部署の 連携 (第2)は、マーケティング ・ミックスの統 合的遂行 (第 1) がなければ結びつかないはずで あ り、 これ らを繋 ぐ第3の トータル ・マーケティ ングが暗然の前提 となっている。何故な らば、一 般的には、商品力は研究開発部門の協力なしには 達成 されないし、情報の提供には広報部門の援助 が必要だか らである。 また、営業活動を支える供 給体制は需要に見合 った生産活動にあると考え ら れ る。無論、現実にはさらに複雑な相互関連が必 要であるが、図では このような第1と第 2の連係 を簡略化 して第3の トータル ・マヤケティングと 仮定 した。 現在のマーケティング理論は、統合 の 概 念 を 「分離 して」捉える慣向にあるが、そ の た め に 「分析 と計画の世界」に閉 じ篭 ってしまっている ように思える。第1の トータル ・マーケティング に特化 した研究者は、個別のマーケティング手法 の測定 と分析に精力を費や し、第2の トータル ・ マーケティングに特化 した研究者は全社的な戦略 性の精撒 きを追及す るが、それは計画の中での華 驚 きを競 っているに過 ぎない場合が多 く見 られ る。 このように、基本的には第3の統合についての 説明が十分でない とい うのが筆者の問題意識であ るが、 この第3の統合概念に こだわ らずに、広い 意味での統合 (あるいは統制-管理) の方法を考 えてみると、以下のような類型が従来の研究の中 に見 られ るように思えるO ① マーケティング ・コンセプ トの確立 と徹底 に よって統合を達成す るとい う理念先行型 ② トップがマーケティング ・デ ィレクターと なって明確な意思決定 と指示をす るとい う意 思決定型 ③ 同様にマーケティング ・デ ィレクターとし て強い指導力を発揮す るとい うリーダーシッ プ型 ④ マーケティング戦略の立案 と計画 ・予測機 能を拡充 させ る戦略計画先行型 ⑤ マーケティング志向の組織行動や行動基準 を細か く指示す るマニュアル型 ⑥ マーケティング志向の組織構造を構築す る 組織構造型 ⑦ 上記の理念 ・計画 ・マニュアルなどを教育 などで徹底す る教育訓練型 ⑧ TQCやCI、CS(カスタマー ・サティスフ ァクション)などの手法を運動 として展開す る社内運動型 ⑨ マーケティング志向の組織文化を創造す る 組織文化先行型 な どである。 そ して、概ね、 これ らの方法は、 トップあるい は トップに近いスタッフがその大部分を立案 した り企画 した りして、それを社内に展開す るとい う 「トップダウン」の形を とるのが通常のように思 われる。 では、その実際は どのようであろ うか。具体的 事例に基づいて考察 してみたい。

2

.

トー タル ・マー ケテ ィングの実際 (事例の整理) そ こで、① アサ ヒにおいて トータル ・マーケテ イングが、マ-ケテ ィソグ ・ミックスを越 えて実 現 した過程を振 り返 り、②上記で説明した、情報 力-広報機能、営業力-生産機能、商品力-研究 開発機能の連携について個別に見てみたい。 (1) 「情報力-コ ミュニケーシ ョン ・ミックス

と広報の連携 すでに 「前回」整理 したように、 スーパす ドラ イ発売時の コミュニケーション ・ミックスの特徴 は、(丑商品特性訴求型の広告戦略が展開された こ と、②商品特性を知 らせる試飲キャンペ「ソが展 開された こと、 と共に、③話題提供型の広報戦略 が とられた ことが挙げ られ る。 その具体的な例 として

、1

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年 初 頭 の 「ラ ベ ル ・ネー ミングを巡 る問題」がある。 これがある 程度意図された広報戦略だ った ことは、他の 3社 が対抗す る ドライタイプの商品を発売す る以前に

(7)

井原久光 市場適応的経営戦略のための組織の統合と革新 「アサ ヒスーパー ドライに酷似 した商品が出てき た ら、抗議 しよう」 とい うトップの意思があった と16)されていることか らもうかがえる。 それは,過去の苦い経験に対す る反省でもあっ た.アサ ヒは、 スチール缶 ビール

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年)、オ ールアル ミ缶 ビール

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71年)、小 型 生

得 (

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7

午)な どで業界に先行 したものの、他社が追従 し て、最後には上位 メーカーにシェアを奪われてい る。特に、小型生得 (ミニ樽 7)は、新 しい飲用 の場の開発 (ビアホールの生の味わいを家庭用市 場に持ち込む) とい う初期のコンセ プ トに 反 し て、容器の形状だけを競 う 「面白容器戦争」に発 展 して、結果的にはシェアダウンに繋がった。 こ うした過去の経験に対 して、スーパー ドライ発売 時の樋 口社長は 「総合力がなかったため

1

7

)

」 と述 べているが、先行開発の事実を消費者に認知 させ る努力 (広報力)に欠けていた ことも一因であっ たろ う。 この点、 スーパ- ドライの場合は広報的なサポ ー トが大 きな役割を果た している。それは、第1 に時代の風潮に敏感だった ことである。アサ ヒ自 身が 「スーパー ドライの成功は、天 の 声、 人 の 和、地 の利がそろった結果」 と述べている18)が、 そ こには 「天の声」を利用す るしたたかな広報戦 略があった ように思える。 スーパー ドライの発売 された

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年は、 日産 自 動車の 「シーマ」や花王の 「アタ ック」な ど大型 の ヒッ ト商品が相次いで発売 されてお り、 ミノル タの自動 フォーカスカメラ「α-7000」な ど下 位 メーカーが業界の勢力地図を変えた ヒッ ト商品に もマスコミの注 目が集 ま って い た。 また、当時 は、IBM と富士通の問題のように工業所 有権 に 関す る紛争問題19)もあって、 ラベルや容器のデザ イ ンも含めた知的所有権の保護に対 して世論の関 心が高 まっていた20)。そのような取材環境に広報 部門が機敏に対応 した と言えよう。 第2に、 口コミに乗 る話題づ くりがなされてい た ことである。「前回」 も述べた ように、情 報 化 社会においては、「ここだけの話」の よ うな 「一 般に知 られていないこと」が情報 として魅力があ る訳で、それが、 口コミに乗 り易い (つまり話題 性が高い)情報にな りがちである。 ラベル問題に 関 しては、キ リンやサ ッポロが 「(デザイ ンや 商 233 標に関す る)係争は水面下で処理す るのが この業 界の慣習」 と反発 した とされ る21)が、業界の常識 を破 って内輪の話 (葉情報)をあえて公表 した こ とが逆に注 目を集めた と言えよう

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年の年初 に経済紙が この問題を リークした後に、マスコミ が挙 って 「ドライ戦争」 として取 り上げたが、そ の際に、社長名に よる内容証明付 きの抗議文書を 送付す るとい うスタイルやその一部を公開す ると い う話題づ くりがなされた ことも見逃せない。 第3に、世論を味方につける説得の材料を数多 くもっていた ことが挙げ られ る。 クレームをつけ られた側は、「商標権を侵害 したわけではないし、 工業所有権にも抵触 して い な い (サ ッポ ロ)」や 「弁護士 と相談 した うえで、商品のネー ミング、 デザイ ンを決定 しているので問題ない (キ リン)」 のように防戦一方の法律論議だけを持 ち 出 し た が、 アサ ヒは、業界初のマーケ ッ ト・イ ソ型 開 発22)、辛 口コンセプ ト、5,000人対象の市場調査、 など先行開発の努力を強調す る広報材料を数多 く もっていた。 また、マスコミに取 り上げ られ易いキーワー ド があった ことも見逃せない。記号論でも言われ る ごとく、耳新 しい用語は、言葉だけで 意 味 が あ る。「ドライ戦争」 とい う言葉は最初に ラベ ル 問 題を リークした 日本経済新聞が作 った と さ れ る が、そのペースには 「スーパー ドライ」 とい うネ ー ミングが新鮮だった とい うことが あ る。「フレ ッシュ ・p-チ-シ ョソ」 とい う言葉 も業界の外 の者には新鮮だったが、そのために 「損切 り」 と い う樋 口語録が注 目された乞8)と考え られ る。 顧客に とって 「一番手」の意味は、作 り手の思 い入れほど強 くない。「業界初、 日本初、世界初」 といった製品が、技術者の自己満足や企業内部だ けの評価に終わって しまった り、販売力や宣伝力 のある企業には 「二番手商法」を得意 としている 企業 もあるが、それは、厭客に とって 「一番手の 意味」があま り重要でないか らである。その後の ラベル問題Wが個別企業の レベルに留 ま っ た の も、消費者か らすれば 「どっちもどっち」の泥仕 合に見えてしまい 「業界 レベルの話」になって し まったか らである。 アサ ヒの事例を見てみると、 ラベル問題は単な るきっかけであ り、その後をフォローす る話題づ -

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7-234 長野大学紀要 第17巻第3号 1995 くりが充実 していた ことが分か る。それは (話題 を生む商品力に拠 るところも大 きいが)広報機能 が、「情報力 (コミュニケーシ ョン ・ミ ッ クス-広告宣伝機能)」 と密接に結びついていた か らで ある。 その第1は、話題提供型の広報姿勢 と商品特性 訴求型の広告宣伝 との間に共通す る手法があった ことであるO既述の通 り、 口コミに乗 りやすい話 題 として業界の裏情報をオープンにす る や り方 は、「コク ・キ レ」 とい った コンセプ トワー ド、 「318酵母」のような酵母番号、5,000人対象の市 場調査、それ らを踏 まえた開発ス トー リーを積極 的に知 らせなが ら商品性を訴える広告宣伝の手法 と通 じる。いわば社内事情や開発の舞台裏の話を オ-プンにす る方法である. 第2は、広報すべ き社内の重要な意思決定を広 告宣伝に横極的に活用 した とい う点である。後述 す るように、アサ ヒは増産体制を組む過程で、 ラ ガービールの生産を中止 しているが、そのことを 積極的に広告25)しているO同様に ライセンス生産 していた 「クアーズ

「クアーズ ・ライ ト」に つ いても直接米国 クアーズ社か ら空輸す る方針を立 てたが、それ も積極的に広告 している。 また、従 業員に対 して 「スーパー ドライを消費者に授供す るために社員は飲むな」 とい う禁酒令を出した こ となども 「スーパー ドライ好調」を裏付ける材料 にしているし、社長名の 「品 不 足 の お 詫 び」や 「年頭の挨拶」など、新聞の一面を使 った広告 も 行なっている。つ ま り、広報的な企業広告を商品 広告の手法に取 り入れている訳だが、 これは、CI (コーポ レー ト・アイデ ンティティ)導入以来の アサ ヒの広告宣伝のスタイルで、企業変身 と商品 力向上を結び付けた説得型の広告手法 と言 え よ う。 このように、当時の広報姿勢は、 「商 品 力 (プ ロダク ト・ミックス)」や 「営業力 (デ ィス トリ ビューション ・ミックス)」 も含めて、マ ー ケ テ ィング ・ミックス上の総合力 とも結びついていた 訳である。広報は 「企業の告知」で あ り、「商 品 の告知」である広告宣伝 とは異なると分けてしま う企業 もあるが、広報は第三者であるマスコミを 介 して流 される情報だけに広告宣伝 より説得性が 高いケースが多いO実際には、 ジャーナ リスティ ックに 「ドライ戦争」が取 り上げ られて 「飲み比 べてみ よう」 とい う顧客自身に よる自発的試飲が 進み、それ までキ リンやサ ッポ ロと決めていた消 費者のブラン ドスイ ッチが起 こった と さ れ て い る26)

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尚、本稿での議論を一般的なマスコ ミの受容理 論 と結びつけて展開 した ものに拙稿 「広告展開 と パラダイム」 (日経広告研究所報164号、1995年12 月)がある。 (2) 「営業力-デ ィス トリビューシ ョン ・ミック ス」と生産の連携 アサ ヒの事例で見逃せないのは、営業力 (ディ ス TJ)ビューシ ョソ ・ミックス) と生産磯能の連 携である。「前回」述べた ように、 レーザ ー の マ ーケティング ・ミックスにおけるデ ィス トリビュ ーション ・ミックスは、物流 と流通チ ャネルを包 括 した概念である。商流 としての販売活動 とは別 に、実際に商品を提供 してい く活動がこれに含ま れ る。すなわち、本稿 で言 う 「営業力」 とは、販 売活動の能力のことだけを示すのではな く、生産 供給能力に支 え られた物流能力も含めた概念であ る。そ こで、生産機能 との連携が重要なポイン ト になるが、その実際を年代を分けて見てみたい。 (1)1987年における生産 との連携 1987年3月発売時のスーパー ドライ 販 売 目標 は、首都圏限定で年間100万 ケースであった。地 域限定で100万 ケースとい うのはそれな りの数字 ではあるが、それが首都圏 とい う大市場をターゲ ッ トにしている上にあ くまで目標であったことを 考えれば、 ドライ ビールの市場はそれほど大 きく ない と考えていた ようである。 ところが、 この新 製品の売れ行 きが好調 と見 るや、販売地域を拡大 す るとともに、 5月に400万 ケース、 6月に600万 ケース、 7月に800万 ケース、 9月に1,000万 ケー ス、11月には1,300万 ケースと目標を上方 修 正 し ている27)。実に、1987年の9か月で13倍の目標修 正である。 こうした大幅な販売 目標の修正は、 どのように して可能だったのであろ うか。 ビールの生産能力 は、貯酒能力 と呼ばれ る貯蔵 タンクの容量によっ て決定するが、有価証券報告書に掲載 されている 製造能力は、季節変動を加味 した数字なので、満

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井原久光 市場適応的経営戦略のための組織の統合と革節 国表4 10年間の平均月別出荷(1977-1987年)とスーパー ドライの月別出荷(1987年) 20 15 2R 10501 . . l l l -+ 平均ドライ 出典 :季節変動は--バー ド・ビジネススクール ・ケース 「アサヒビール株式会社」(日本語版)p.29 ス-パー ドライ月別出荷はアサヒ広報部からのヒ7リングを基にいずれも筆者がグラフ化 杯 の貯酒能力を指す訳ではない。 したが って、夏 場 のフル操業を常時行なえば、公表数字以上の生 産能力が可能 である。 しか し、 ビールの生産は仕 込みか ら製品になるまで約2か月か ら2か月半か か ると言われてい るの で 仕 込 み の量 (回数)が 2 ・3か月 タク トの上限の生産能力を左右す る。 なお、生産は相当程度 オー トメーシ ョン化 されて い るので、 自動車産業な どの労働集約的産業に比 べて人員体制に よる制約は少ない とされ る28)。 アサ ヒの場合、製造計画は向 こう3か月の需要 予測を基準 として3か月単位で受給計画を作成 し ている。た とえば

、N

月には

N

月か ら

N+2

月 ま での受給計画が策定 されて、それが、N+1月に はN+3月 までに修正 されてい くことにな る。 こ の受給計画は、毎月1回、営業部 ・生産部 ・資材 部 ・物流部か らな る 「全国受給会議」(事務局は営 業部) で決定 され る基本計画であるが、 この 「全 国受給会議」の他に、受給担 当者に よる 「下打ち 合わせ会」や 「週間打ち合わせ」が設け られてお り、 この3か月単位の基本計画は 適 宜 修 正 され る。 したが って、現実 の需要を見 なが ら1週間に 1度は計画の修正がはか られてい ることにな る。 この計画修正は、仕込み量を上限 とす る生産能 力の限度内での修正だが、貯酒 タンク内の ビール は外気に触れない限 りある程度の保存が可能なの で過剰生産にな らない よ うにす るために も、 この 修正過程が重要である。但 し、頻繁 に仕込みを繰 り返す と過剰生産にな るのは避け られず、週間単 位 の絞 り込みでは対応 できな くなるO また、一皮 235 パ ッケ-ジ化 (ぴん詰め、缶詰め) された ど-ル は (鮮度が重要な商品であるだけに)過剰な在庫 になって しま う恐れがある。 このよ うに3か月先の需要予測が大 切 に な る が、その際、 ビ-ルは夏場 の商品 と言われている ように季節変動が重要な予測基準にな る。図表

4

は、1977年か ら1987年 までの10年間の月別平均出 荷数をパーセ ンテージで表示 した棒 グラフに1987 年 のスーパー ドライの出荷数の月別構成比を折れ 線 グラフで表示 した ものである。 この図にあるよ うに、 ビールの需要は、平年な らば9月には ピー ク時 である7月の 6割 に 減 少 し、冬場 の1月には ピークの26.7%ま で 激 減 す る。 この ような経験則に立 てば、1987年 も同様 の 生産パターンがあって しか るべ きとこ ろ で あ っ た。事実、同年7月には、 9月以降の仕込み量を 減 らす ことが検討 されたが、 トップの指示でフル 生産が継続 された。実際には、折れ線 グラフで示 す通 り,需要は冬場にかけてさらに増 加 し た 訳 で、仕込みの継続が効を奏 した結果になった訳 で あ る乞9)

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この間、競合他社は、 ビールは季節商品 とい う 通念に縛 られてス-パー ドライの ヒッ トは冬期 ま で続かない と見ていた ようである80)。 アサ ヒ以外 の3社は、 スーパー ドライが発売 されて約1年間 ドライタイ プの ビールの発売を見送 り、1988年 2 月のほぼ同時期 に一斉に発売に踏み切 ってい る。 つ ま り、 (他社が季節商品 としての通念に こだ わ っていた際に) アサ ヒが経験則に反 して増産 した - 9

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-236 長野大学紀要 第17巻第3号 1995 とい うことが、1987年秋か ら冬期にかけてのアサ ヒの独走を許 し、翌年初頭のラベル問題 (上記の 広報戦略) と結びついて、スーパー ドライのブラ ン ド確立に寄与 した と考え られ る。生産棟能がマ ーケ ッ ト志向のスタンスを最初か らとっていた訳 である。 (。)1988-1989年(=おける生産 との連携 1988年か ら1989年におけ る生産 との関係は、事 情を多少異にす る。その間の増産は、仕込み量に よって左右 され るレベルの問題ではないか らであ る。 もちろん、 この年 も、① クアーズのライセン ス生産を米国か ら空輸に切 り換えた り31)、②明治 25年 (1892年)以来約百年間生産 していた熱処理 ラガービールの製造を中止 してスーパー ドライP 増産に充てた82)が、 このような緊急対策では対応 できない需要の急増があった。1988年のスーパー ドライの販売は、 7,460万 ケース、 1989年のそれ は1億500万 ケースであるか ら、1987年の1,350万 ケースと比べ ようもない。つまり、既存設備の稼 働率によって確保できる生産量ではな か っ た 訳 で、 この時期の生産増大は,主に貯酒 タンクの増 設な ど設備面の増強がポイ ン トになった と言えよ う。 この辺の事情を明 らかにす るために、1985年か ら1989年 までの主な設備投資の概要を有価証券報 告書か ら抜 き出 して添付の参考資料1を作成 して みた。 この資料か らも、スーパー ドライが発売 された 1987年を機に、 ① 投資内容が 「晶質改善 合 理 化」中心 か ら 「設備能力増強 (増産)」中心 となった こと。 ② 投資額が10庶単位か ら100億単位に急増 し ていること。 がはっき り分か る。 この間、アサ ヒは①生産能力を1990年 ま で に 1986年 (スーパー ドライ発売前)の水準の約 3倍 に引き上げることを 目標に、全工場 で増設 と改造 を行な う一方、②国内最大級の生産能力 (18万キ T21)ッ トル)をもつ茨城工場を新設 し、③ ビール 工場に併設 されていた飲料生産設備を新設の明石 工場に移転 し、吹田工場内に併設 してあった製ぴ ん設備を姫路の新工場に移転 してい る。 ビール生産には製造免許が必要なので、 ビール 工場を新設す るには手続 きが 必 要 で あ るOそ こ で、工場内に併設 していて (免許の必要のない) 飲料生産設備や製ぴん設備を移転 して、残 った敷 地に ビール製造設備を増設 した訳であるO このようにして、「既存の製造 ラインを 一 瞬 も 休め ることな く、新 しい装置への転換をはか る

とい う 「生産現場でも、は じめて直面 す る 大 作 業」を行なった ことになる88)。因みに、添付資料 (参考資料 1)の中で、「設備更新増能力」 とい う 摘要の説明があるのは、既存設備の更新の中で生 産能力の増強が行なわれた ことを示 している。 (^) 経理財務と生産 ・販売の統合 この設備投資のための資金需要を支えたのは、 主に資本市場か らの資金調達 (ェ クイティ ・ファ イナンス)である。図表

5

ほ、当時のアサ ヒの主 な社債の発行状況を示す ものであるO この図表か らも、 (9 1986年を境に、資本市場で積極的な資本調 達を開始 した こと。 ② その内容が、外国市場での調達や転換社債 などが中JLhになった ことO が良 く分か る。 この間、1987年に行なった2,000万株の時価発 行増資 も含めて、資本金は、1986年か ら僅か3年 で1,000億円以上急増 した。 これは、言 うまでも な く、当時の経済状況を巧みに利用 した財務戦略 である。 アサ ヒはそれ まで、設備投資の大半を金 融機関か らの借入金に頼っていたが、資本市場の 拡大や利益の指針が営業利益か ら経営利益に重点 が移 ってきたことなど、財務環境の変化に即応 し て、 「経常利益の増加-株価上昇-資本市場か ら の調達による運用資金の増大-経常利益の増加-資本市場か らの調達」 とい う、好都合な循環を利 用 して自己資本を拡充 していった訳である。 さらに注 目すべ きことは、 このような資本調達 が、設備投資だけではな く、広告宣伝費や販売促 進費に積極的に使われた ことである

「前回」 も 述べた ように、 スーパー ドライの成功の要因の一 つに 「情報提供 と商品提供が同時に行なわれた こ と」が挙げ られ る。 これは 「積極的な広告宣伝 と 販売促進が、生産活動 とマ ッチしていた こと」 と も言える.当時のマーケティング部責任者だった 松井が 「第1のヤマ場だった」 と語 る84)0 1988年 - 1

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0-井原久光 市場適応的経営戦略のための組織の統合と革新 237 図表5 アサヒの主な社債発行と資本金 ・経常利益の推移 (1980-1989年) (金額はすべて百万円) 発行可 内 容 l 発 行 額 年 l資 本 金 l経常利益 1980 普通社債 】 2,500 ・980 1 11,065 F 3,229 1981 普通社債 l 2,500 ・981 ー 11,065】 3,413 ・983 J普通社債 1 3,500 ・982ー 11,079【 2,111 1986 スイス .フラン建普通社債 】 も540(5千万スイス .フラン) ・983i 11,171 【 2,436 1988 ドル建 ワラント債 F38,165(3億米 ドル) ・9851 11,1 7 1 f 3,270 転換社債 l30,000 ・9861 11,171 1 5,321 転換社債 (20,000 ・987 E 34,315I 9,388 ・989 巨 ル建 ウラント債 巨42,813(10億米 ドル) ・988 E 61,528F 14,962 出典 :アサヒビール株式会社有価証券報告書の 「社債明細表」より筆者が抜秤 5月の連休 明けに、 キ リンは商品の提供が間に合 わず 「モノ不足が最 も深刻だ った」 と さ れ て い る85)oその時期 に広告宣伝 の ピークがあった こと を考えると、情報提供 と商品提供にギ ャップがあ った訳である。 この時期 だけでな く、 アサ ヒは、1988-1989年 の時期に広告宣伝費や販売促進費を急増 させてい る

(

「前回」pp.27-29)が、 この急増が生産設備へ の大幅な投資 と同時に行なわれた ところに、 トー タル ・マーケテ ィングが全社 レベルで実現 された 一面が端的に表 されているOつ ま り、 ここにおい ては、財務戦略が情報提供 (広告宣伝横能) と商 品提供 (生産棟能)を結ぶ役 目を果た した訳 であ る。 (3) 「商品力-プ ロダク ト・ミックス」と 研 究 開 発の連携 商品力 と研究開発部門の連携については、既に 「前回」詳説 したが、その経緯について添付の参 考資料2の よ うに、年表形式で再度 ま と め て み た。 これは公表資料を通 じて知 り得 るスーパー ド ライの開発過程であるが、 この よ うな開発の過程 を通 じて、商品力 (プロダク ト・ミックス)が研 究開発部門 と密接に結びついていたば か り で な く、全社的な 「味の見直 し」の動 きを含めて、 ま さに トータル ・マ-ケティソグが展開 された こと が分か る。 この点について も 「前回」述べたが、商品開発 の過程が全社的な統合活動に広が っていった過程 を再度振 り返 ってみたい。 ① 「べ き諭」 の明文化 (方向性の明示) 1982-1983年の初期 の段階は、村井社長就任-経営理念 ・長期経営計画の策定 とい う流 れ の 中 で、 トップか ら 「顧客志向に基づいた商品づ くり をすべ き」 とい う 「べ き論」が言葉 の上で示 され ている。 ここで、注 目すべ きことは、 こ れ ら の 「べ き論」を策定 したのが部長会の メンバ ーだ っ た86)とい うことである. この時点では、 どち らか とい うと、 トップダウンに近い形 で、 しか も顧客 志向 とい う理念をベ ースに新たな統合の基盤が作 られた と言え よ う。 ② 危機意識 の高揚 (ゆ らぎと気づ きの過程) 次 の段階は、CIとTQCが本格的に始動 し、社 内に広が っていった1983-1985年の時 期 で あ る が、 この段階でも、初期は理念先行型 であった。 TQCで も 「マーケ ッ ト・イ ソの心で、謙 虚 に 相 手の身になって行動す る顧客志向」 とい う活動方 針が掲げている87)し、CI(コーポ レー ト・アイデ ンティテ ィ) の導入にあた って も、「マーケ ッ ト・ イ ンの精神」が強調 されている。 - l

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l-238 長野大学紀要 第17巻第3号 1995 CIは、「マイン ド、 ど-イビア、 ビジュアルの 3要素の相互相乗作用による企業文化の具体的革 新」 として展開された88)が、マイン ド (心)の部 分は経営理念を 凝 縮 し て "LIVE ASAHIfor LIVE PEOPLE"とい う標語が選ばれた。 これ は、「生 き生 きと暮 らしたい と考える人 々に、そ の生活にふさわ しい、 自然で本物の商品 とサービ スを、提案 し提供す る」 とい う意味で89)、労使協 調 ・共存共栄な ど6項 目を含む経営理念の中か ら 「顧客志向」の経営理念に近い標語が作 られた と 言える。 ど-イビア (行動) の部分でも、「消費 者 ニ ー ズに沿 った商品づ くりに徹す る」 と 「V、とび との 倍額をかち とる行動に徹す る」の2つが "商品 と 行動の指針''として確立 された40)。 ここでも 「消 費者 ニーズに沿 った」 とい う表現で顧客志向が強 調 されていたのである。 ところが、興味あることは、 この展開の中で、 「これまでの商品 (味)は顧客に受け入れ られて いなか ったのではないか」 とい う深刻な疑問が提 示 され、危機意識が全社的に広が り、組織に 「ゆ らぎ」が生 じ、組織のメンバーが組 織 と環 境 と のギャップに気づいていった と見 られ ることであ る。尚、 このCIとTQCの導入に あ たっては課 長 クラスが中心になっている41)ことか ら、 ミドル 主導型の展開があった ことも注 目され る。 ③ 開発の仕組みの変化 (組織的改革-試行錯 誤1) 1984年 8月にマーケティング部 と生産 プロジェ ク ト部が発足 して以来、組織的な 「味の見直 し」 作業が本格化 している。上記の① と②が プロダク ト・アウ ト的な商品開発か ら脱却す るための土壌 づ くりだ った とすれば、 この組織改革以降、マー ケティング部主導型の商品開発の試みが具体的に 始 まった と言えよう。 それ まで、 ビールの開発は、商品開発部 と中央 研究所で行なわれていたが、実際には、商品開発 部が容器など外観に関す る商品作 りを担当 し、味 については中央研究所が中心になるとい う 「棲み 分け」がなされていた42)。実質的には、中央研究 所が製品開発の主導的役割を果た していた訳で、 「商品をつ くるのは製造部隊

「つ くった商品を売 るのは営業部隊」 とい う画然 とした色分けが伝統 としてあった4●●●●8)ことになる。 こうした製販分離の 状態を組織的に統合 したのがマーケティング部の 新設だった訳である。 また、 コンセプ トワー ドを技術用語に翻訳す る 部門 として生産 プロジェク ト部が設立 され、 これ 以降、商品開発は、マーケティング部 ・生産 プロ ジェク ト部 ・中央研究所の3部署が一体 となって 実施され るようになった と言われ て い る44)0 (詳 細は後述 「ニーズとシーズを結ぶ組織」) しか し、 ここで重要なことは、「マーケ テ ィ ン グ部を作ったか ら商品開発が成功 した」 といった 単純な図式でない、 とい うことである。味の変更 は、CI委員会での論議が重要なタ-ニソグ ・ポイ ン トになった訳であるし、生産 ・営業 ・研究所の 各部門か ら集 まった プロジェク t.チームや勉強会 な ど公式 ・非公式な グループ ・ワークが開発を支 えた と言える。公式組織 としてのマ-ケティソグ 部に しても生産 プロジェク ト部に しても名称の変 更を含めて何度 も改組 されている。つ ま り、マー ケ ッ ト・イン型の商品開発 とい う新たな手探 りの 作業のために組織的にも試行錯誤が繰 り返 された と言えよう。(詳細は後述「準公式組織の重要性」) ④ 新 しい仮説 と検証 (創造性 と説得性一試行 錯誤2) この仮説 と検証の過程は、おそ らく1984-1986 年頃のことと考え られ るが、「前回」かな り詳 し く述べたので本稿では省略 したい。簡単に伝え ら れている範囲で主要な仮説を列記す ると以下のよ うになる。 (a) 消費者は味が分か るとい う仮説 (b) 生理的快感仮説 -ビールの 〟うまさ''ほ飲 み ごたえがあ り飲み飽 きない生理的快感を伴 うとい う仮説。 (C) 世代交代の仮説 -戦後世代のビールに関す る味覚はそれ までの ビール通の味 覚 と異 な るとい う仮説。 このような仮説 と

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人対象の味覚調査、社 内の試飲調査、試飲キ ャンペーンの反応などを参 考に、仮説 と検証が繰 り返 された と考え られる. 重要な点は、研究所主導の商品開発な らばテク ニカル ・シーズの発見や味見の専門家の養成に重 点が置かれ るはずで、 このような仮説 と検証を繰 り返す必要がない、 とい うことであるC

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井原久光 市場適応的経営戦略のための組織の統合と革新 ⑤ ビジュアルな革新、イベ ン ト、武勇伝、な ど (具体的変化の体験) 最後に、商品開発 と発売の過程を通 じて特徴的 なことは、 目に見えるヴィジュアルな改革、参加 して体験す るイベ ン ト、伝え聞 く武勇伝や成功物 語が非常に多い と言 うことである。 スーパ- ドライの事例は、CIを抜 きに語 る こ とが出来ない。CIがなければ味 の変 更 (コク ・ キ レビール)は生 まれなか ったであろ うし、 スー パー ドライも発売 されなか った と言える。既述の ようにアサ ヒのCIは、マイン ド (心)・ど-イ ビ ア (行動)・ビジュアル (視覚)の3要素 か ら成 るが、従業員の立場に立てば、百年間馴染んだ商 標 (ラベル) と主力商品の一新 とい うビジュアル な革新を通 じて、その理念 と行動が具体的に確認 された ことになる。 ●●●● ● ● ● TQC活動 も企業改革の過程を具体的に体 験 す ● るとい う意味で同様の効果を生んだ と考 え られ る。製造部門では以前か ら 「サ ンサークル」 とい う名の小集団活動、「サ ンサー クル大 会」 と呼ば れ る発表の場があったが、 これは現場の提案制度 の域を越えていなかった。 それが、 AQC(新 た に展開されたTQC)では、「部課長研修会」など 管理職や開発部門 も巻 き込んだ全社的な広が りを みせてお り、企業革新の共有体験の場になってい る。 コク ・キ レビールの発売に際 しては 「百万人試 飲キ ャンペーン」が展開されるが、 これ も全国の 支店を巻 き込んだ形で展開されてお り、多 くの従 業員に企業革新を体験す る機会を与えた と思われ るO ビール業界では店頭やスーパー内の試飲会は 珍 しくないが、 メーカーは企画 と資金を提供す る だけで、実際の作業はアルバイ トを雇 った り、イ ペ ソ ト会社にまかせるケースが多い45)。 しか し、 アサ ヒの 「百万人試飲キ ャンペ-

.

/

」は④特別に 改造 されたイペ ソ トカーに乗ったキ ャラバ ン隊が 全国を縦断 した ことや、⑥商品特性を明記 した特 別製の試飲用 (135ミリリッ トル)容器を大 量 に 製造 した ことな ど、 ビール業界においてほユニー クな試飲キ ャンペーンだった48)Oそのため駅前商 店街やデ′く- トとの折衝、保険所の許可、駐車 ス ペースの確保など実行段階で多 くの困難に遭遇 し た ようである。 しか し、そのような困難な体験が 239 小さな武勇伝を作るといって良いだろ う。 自宅 と 職場を往復す るだけの従業員が、慣れない手つき や下手な話術で顧客 と接 した体験が重要なのであ るO アサ ヒの事例は武勇伝に事欠かない。村井 ・樋 口両社長や松井マーケティソグ部長な どヒーロー 的存在があ り、『アサ ヒビールの挑戦

『奇跡への 挑戦』な ど小説的な企業革新の物語 もある。特に 樋 口社長は帯棲的にマスコ ミの取材に応 じて、独 特の語 り口で樋 口語録を多 く残 した。設備増強に あたって発酵 タンクを発注 した三菱重工に厳 しい 納期を配慮 して ど-ルの 〟お中元"を贈 った り、 発祥の地に 「先人の碑」を建立す るな ど 「美談」 も残 されている47)。当時のアサ ヒに関する刊行物 は、新聞 ・雑誌の特集記事か ら--バー ドのケー ススタディ48)まで膨大な量にお よんでいるが、そ れ らが従業員に とっても企業革新の過程をサ クセ ス ・ス トー リーとして再体験す る機会を与えた と 考え られ る。 このように、 アサ ヒの事例では、 スーパー ドラ イの開発 と成功の過程が、部署 と部署のコ ミュニ ケーションの問題以上に ドラマチ ックな展開を見 せた訳で、 まさに全社的な トータル ・マーケティ ングが実践 された と言 って良いだろ う。

3

.

統 合 的 マー ケテ ィング組 織 (理 論 の

整理)

次に、主なマーケティング関連の組織理論につ いて整理 し、若干の コメン トを加えてみたい。 (1)マーケテ ィング関連の組織 初期 の研究では、機能的組織を前提にマーケテ ィング閑適の機能統合が考え られた。マ ッカーシ ーは、マーケティング ・コンセプ トを実行す るに あた って 「マグネ ッ トの力は、すべての鉄のヤス リ屑を共通地点へ向かわせる」仕組みが必要 とし て、マーケティング関連の活動が マ ー ケ テ ィ ン グ ・マネージャーの指揮におかれ る組 織 を 考 え た49)。それは、図表6の掬か ら㈲に移行す るよう な組織で、掬 の生産部門や技術部門にある製品開 発機能、販売部門にある広告宣伝機能やサー ビス 機能、 さらに財務部門や経理部門に置かれがちな 価格設定 ・販売予算などを(B)のマーケティング管 - 13

(14)

-240 長野大学紀要 第17巻第3号 1995 国表

6

マp/カーシーのマーケテイング組織周

一般的職能組織 全般管理者 雲散 置 き スタッフ ・サービス 販売管理 スタッフ ・サービス 生 産 予 算 (統制と予測) L 受注管理 人事管理 実地販売 技 術 製品計画 l 暮 研究開発 製品サービス (B)マ-ケティソグ機能を統合した組織 全般管理者

財務と

(

価格

設定

)

1 会社予算と統制 人事管理 マ-ケティソグ管理 技術と研究 生 産 マ-ケティング サービス管理

マーケティング・ プpモーション 1)サーチ 販売管理 実地販売 販売所管理

警讐雲

等売訓琶 製 品 (市場計画 と価格認定) 出典 :マッカーシー訳本 『ベーシック・マーケテイング』p.26 理部門に集中 して統合 した ものであ る。 しか し、 図表 で示す よ うに、 この よ うな組織 の 組 み替 えは、他 の経営磯能か ら当面 マーケテ ィン●●●●●●■●●● グ活動に直接必要 な部署 をつ まみ食 い的に抜 き出●● して一つに まとめただけであ り、本稿 の整理 に従 えば、販売部門の機能を拡張 して、第1の トータ ル ・マーケテ ィング(マーケテ ィング ・ミックス) を実行 し易 くした組織 と言え よ う。 無論、第2の トータル ・マーケテ ィングである 全社的な統合を志 向す る組織 も概念的には考 え ら れ てい る。 コ トラーは、 図表

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の よ うにマーケテ ィングの役割を図式化 して、(a)諸椀能 と同 じ重要 性 だ った マーケテ ィングが、(ら)他の機能 よ り重要 性 を増大 し、(C)マーケテ ィングを主機能 とす る段 階に至 るが、(d)他部門の反発 でマーケテ ィング磯 能 に代わ って 「顧客」を中心に置 く組 織 が で き る。 そ して、(e)顧客 の ニーズを正 し く解釈 ・伝達 す るために改めてマーケテ ィングが中心的役割を 果たす よ うにな る。 と説 明 してい る50)0 しか し、 マーケテ ィング組織 の概 念化に関 して は、「従来のマーケテ ィングの文献 は組織 の あ り 方 についていかな るパ ラダイム も生みだ して こな か った51)」 とい う指摘 もあ るよ うに、現実には、 従来 の組織論 の範噂 で、様 々な組織形態が議論 さ れ てきたに留 ま り, マーケテ ィング機能を真に組 織 中枢 に置いた組織 は概念的に も構造的に も提示 されなか った。 具体的に検討 された組織形態 では、① (マ ッカ ーシーが想定 した)上 図の よ うなマーケテ ィング 本部 を中心 とす る 「機能別組織」を始 め、②販売

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井原久光 市場適応的経営戦略のための組織の統合と革新 国表7 マーケテイング機能の変遷 (コ トラー) (A)マーケテイングは他の桟 能と同じ重要性を有する。 (C)マーケテイングが (D)顧客が各機能全体 主要機能である。 をコントロールす る機能である。 出典 :コトラ-訳本 『マーケテイング ・マネジメント』pp.6-7 地 区を主体 とす る 「地域別組織」、 (参製 品 ライ ン ごとの 「プロダク ト・マネジメン ト組 織」、④産 業需要者や公的検閲を顧客 とす る 「マーケ ッ ト・ マネ ジメン ト組織」、⑤ 製品別 と市場別組 織 を 組 み合わせた 「マ トリックス組織」 の例 な どが検討 され てい る52). これ以外に、 マーケテ ィングの分野 で特有の組 織形態 として、 プ ロダク ト・マネージ ャー(PM) 制が挙げ られ る。PM制 は、一つ の製品 (秤) の 企 画-開発-発売-販売促進か ら、市場反応 の フ ィー ドバ ック-製品改良 ・販売施策-次期製品の 企画な どを一貫 して担 当 し、その製品 (秤) を育 成 ・管理す る製品別担当組織 であ る。 この組織が上記③ の プ ロダク ト・マネジメン ト (製品別管理)組織 と異な る点 はその動的な役割 にあ る. プ ロダク ト・マネジメン ト組織 は単純 に 製品別に区分 した静的な分担制で あ る の に 対 し (B)マーケテイングは他の機 能より重要な機能である。 (E)顧客が全体をコントロールす る機能で、マーケテイングは それらを統合する機能である。 241 て、PM制 は、製品(秤)の プ ロダク ト・ライ フ ・ サイ クルに応 じて役割が変化す る動的な組織形態 であ り、組織図的には図表8- 1よ うに示 され る が、概念的 には図表8- 2のよ うに製品の成長 と 共 に機能が変化す る。 (尚、 プ ロダク ト・マネジ メン ト組織 とPM制 の第2の相違点については後 逮) このPM制 は、ブラソ ド別に製品を管理す る場 合 ブラン ド・マネージ ャー (BM)制 とも呼 ば れ るが、実際 にはBM制 の方 がPM制 よ り早 く、 そ の起源 は1928年に米国 プロクタ一 ・アン ド・ギ ャンブル (P&G)社が石鹸で 「アイボ リー」に加 えて 「キ ャメイ」を発売 した時 に導入 されたBM 制 だ とされ る53)。 同社 では、石鹸 とい う同 じカテ ゴ 1)-で競合品 を出す ことが カニバ リゼ -シ ョン (共食 い) に繋 が り易い と危倶 した が、 (一人 の担 当者が一つの - 15

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-242 長野大学紀要 17巻第3号 1995 図表

8-

1 P&G社 (=おける BAt制

事業部

社長

コ ン トロー ラー 販 売 マ ネジ ャー

広告

マ ネジ

ャー

造 マ ネジ ャ ー 製 品 開発 マ ネジ ャー ∫ TVコマ ー シ ャル 販売促 進 開発 製作 出典 :野中郁次郎 ・陸正 『マーケテイング組織』p.72 国表8- 2 概念的に示した

P

Al制 製品のライフ・サイクル 企画-開発一発亮一販売促進-・製品改良-次期型企画 pM部門が 手の臆の関連部門とコンタク トす る ・

・・・Y同=旧=園

・・自-▼同u問u円田-・Y同日個円円田

(井原作図) 製品に一貫 して責任をもつ) ワンマン ・ワンブラ ン ドによって製品の差異化が明確に実現 され、 さ らにブラン ド間の企業内競争に よ って相 互 の シ ェア拡大に繋が ることを発見 した と言 わ れ て い る54)

尚、 日本でも、 プロダク ト・ライフ ・サイクル の全 プロセスではな くとも,開発や販売の一定期 間一つの製品の育成 ・管理を担当す る主管制や主 担制など、多品種 ・多 ブラン ドをもつ業界で広 く エ ー ジ ェ ンシー の専 門家

PM制やBM制が導入されている。 また、マーケティング独 自の組織ではないが、 製品 ・地域 ・顧客などの市場別に独立採算的な分 権組織を作 る事業部制組織 も市場志向的な組織形 態 と言える。周知の通 り、事業部制阻織は、ゼネ ラル ・モーターズ (GM)社、ゼネラル ・エ レク ト リック (GE)社、デ ュポン社などで考案された組 織である。 日本では松下電器が早 くか ら導入 して いたが、戦後になって ドラッカー(P.F.Druker) の啓蒙善 55)などに刺激を受 け な が ら、電 機、機 械、造船、化学、食品など幅広い 日本企業で取 り 入れ られた。 但 し、 日本企業の場合、その導入形態は必ず し も ``理想型''ではない56)。理想型 としての事業部 制組織は、各事業部が販売部門、製造部門、管理 部門や研究開発部門を合わせ持つ も の で、販 売 (売上) と製造その他 (費用)の両者か らなるプ ロフィッ ト・センターとして機能す るが、日本的 な事業部制組織は①販売部門について製品別の事 業部制を とりなが ら、②製造や研究開発について

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井原久光 市場適応的経営戦略のための組織の統合と革新 ほ同 じ組織や設備を共有す る場合が多い。 また、 ③相互生産な どに於け る社 内の トランスフ ァー ・ プライス (移転価格) も海外の ように シビアでな い とされ る。 これは、 日本企業が事業部を独立採 算的な事業単位 として捉えるより、市場動向に対 して機動的に行動す るマーケティング志向の組織 として捉 えているため と考 え られ る。 さらに

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年代後半になると、戦略的事業単 位 (stratigicbusinessunit:SBU)が注 目され るようになったが、 これ もPPMな どポー トフォ 1 )オ理論に基づ くマーケテ ィング型の組織形態 と 言え よう。一般に、SBU は、事業部制組織におけ る事業部 と同様、(∋明確 な事業使命、(塾独 白の競 争相手、(勤一人前の競争力,④ 自己完結的管理、 (9計画内での自由裁量 な どを もつ とされ る57)が、 SBU がそれ までの事業部制 と異な る の は、分権 化の弊害が 目立 った事業部制組織に総合的管理 の 仕組みを加えてもってい ることである。 旧来の事業部制では(a)事業部同士で無用なセク シ ョナ リズムが生 じた り、(b)経営資源を二重三重 に所有 しなければな らなか った り、(C)全体の戦略 的整合性が欠如 して しま う傾向にあ り、(d)過度の 細分化が生 じて も撤退の決断が出来ない、な どの 虚所 を もっていた. ところが、SBU では、 どの事業に どの程 度 の 経営資源を投入す るかが、全体 の事業 (製品) ポ ー トフ ォリオ戦略図の中で、一定の基準 (た とえ ば成長率 と市場 占有率) で決定 され るため、収益 をあげ る事 業 (金の成 る木-CashCow)と集中 的に経営資源を投下す る事業 (花形製品〒Star)、 将来のために育成 す る事 業 (問 題 児=Problem Ctlild)な どを明確にす ることができる。 ま た、 同時に、撤退すべ き事業 (負け犬-Dog)も示 さ れ るので過度の事業拡散や不要な投資が削減でき るとされている。 また、 このSBU は、(PM ・BM制 のよ うな) 個別製品 ・ブラン ド単位の管理組織や (事業部制 組織 のよ うな)事業単位別 の組織に比べて、全社 的統合管理 を志向 してお り、 よ り上位の戦略的意 思決定を可能にす る組織 と考え られ る。 しか し、 ボス トン ・コンサルティング ・グルー プやマ ッキ ンゼ一社 のポー トフォリオ分析図の よ うに事業を決定す る基準が一面的であるため①事 243 業単位を決定す ることの困難 さ、②新規事業機会 の喪失、(卦事業間の シナジー効果の無視な どの問 題点があ り、④戦略策定のガイ ドライ ンであった ものが制度化 され ると本来の 目的を忘れて空欄を 埋め ることに精力を費やす 「分析 マ ヒ症候群」を 示す とも言われている58)。 (2) 組織変遷 に関する大きな流れ 理論的なマーケテ ィング組織に関す る発展は、 特に 「トータル ・マーケテ ィングの実現 と組織」 とい う点か ら整理す ると、大 き く以下 の2つの傾 向が見 られ る。 第1は、 マ∼ケティソグ関連組織の昇格 (格上 げ) と分割の傾向である. トータル ・マーケティ ングの実現 のためには当然 マーケテ ィング部門の 権限強化が考え られ るため、組織変更 の初期 の段 階では、生産や購買な どの他の部門 と同格だ った マーケティング部門が、「マーケテ ィン グ本 部」 な どの名称で他の部門を統括す る トップ直轄の部 門に昇格す ることが多い。 ところが、 マーケテ ィング本部は (概念的には 全社を包括す る最上位 の組織にな ることも可能で あるが)現実には範囲を限定す る形 で、製品別 ・ 地域別 ・顧客別 のよ うに分割 され る傾向にあ る。 事業部制組織 もそ うであるし、事業 単 位 のSBU もその一つ と言え よ う。 この よ うに、 マーケテ ィング機能の強化 と個別 市場への特化 とい う2つの命題 に対 応 して、「組 織 の昇格 と分割」の傾 向が見 られ る6 トータル ・マーケテ ィングの過程 で見 られ る第 2の組織的憤向は、 マーケテ ィング部門の 「スタ ッフ化」懐向である。 マーケテ ィング機能は、 ト ータル ・マーケテ ィングの範囲が 広 が る に 伴 っ て、 ライ ン部門か ら分離 してスタ ッフ部門に移行 しがちである。 そ もそ もマ ッカーシー的なマーケテ ィング機能 組織 (図表6)が考え られ る以前のマーケテ ィン グ組織は、販売部門 とい うライ ン組織 の管理機構 としてマーケテ ィング部署が位置づけ られていた 訳 である。それが、商品企画 ・市場調査 ・販売予 算管理 な どのスタ ッフ棟能が独立 して、研究開発 や生産部門などとの社 内調整業務 とい うスタ ッフ 機能が付加 され、 スタ ッフ的なマーケテ ィング組 - 17

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