椙山女学園大学
戦時下における住宅営団の啓蒙活動
著者
影山 穂波
雑誌名
椙山女学園大学研究論集 社会科学篇
号
34
ページ
69-77
発行年
2003
URL
http://id.nii.ac.jp/1454/00001524/
戦時下における住宅営団の啓蒙活動
影 山 穂 波
A Note on Dwelling in Jutaku Eidan
Honami K
AGEYAMA 1.はじめに 日本の都市が資本蓄積のなされる生産空間を中心に成立したのは近代のことである。労 働の再生産がなされる再生産空間は,常に生産空間との関係において位置づけられ,再生 産空間として形作られていった住宅は,産業構造や政治体制の変化に応じて変容していった。 大正期,日本は第一次世界大戦により好況を迎え,重化学工業を中心とした産業構造を 基盤に,独占資本主義体制が形成された。都市人口は急増し,住宅難は深刻な問題となっ ていた。昭和期に入ると,1927年に金融恐慌,1929年には世界恐慌が生じ,日本は深刻な 不況にみまわれた。大正時代に第一次世界大戦の好況をうけて上昇してきていた景気は緊 縮へと変動し,軍が台頭する社会情勢へと変わっていく。そして 1931年の満州事変を契機 に,日本は臨戦体制へと入っていった。住宅政策では,まず 1923年に内務省の外郭団体と して同潤会が発足した。同潤会は,近代都市として形成していく東京を舞台に,単身女性 対象の住宅の建設や共有スペースの検討など様々な試みを行い,新しい生活様式を提案し た(影山,2000)。戦時体制に入った 1939年には,「生産力拡充の一環として住宅政策を 行っていくための総括機関の必要性から」(大本,1991,p. 851)厚生省1)が住宅課を設置 した。1941 年には住宅営団2)が設立され,同潤会は住宅営団に吸収された。その際に,同 潤会の新しい生活様式の提案は,戦時体制のもとで発足した住宅営団には必ずしも継承さ れてはいかなかった。そして多様な広がりを見せ始めた女性たちの動きも戦時体制のもと で国家による制約を受けるようになっていった。国家により強制的に指導され,統制され ていった戦時下の動向は,住宅営団にも色濃く反映されるようになる。 本稿では,大正・昭和初期に多様な展開をみせた住宅に関する思索が消失し,戦時体制 のもとで住宅を供給するために発足した住宅営団が,住まいをいかにとらえていったのか を検討する。1946年には戦争加担組織として GHQ からの命令で解散を余儀なくされ,わ ずか5年余りの組織として機能していた住宅営団が,いかに戦時下において居住者を啓蒙 する役割を果たしたのか,またそこに見られるジェンダー視点を探っていく。具体的には, 『戦時・戦後復興住宅政策資料 住宅営団』の資料から,とくに『住み方指導叢書』に注目 し,検討していく。『住み方指導叢書』は,「住宅規格が七・五坪の戦時規格に切りつめら影 山 穂 波 れてくるなかで,ぎりぎりの住宅でも住み方の工夫をすることで,少しでも生活に役立て ていくための活動として企画」(安藤,2001,p. 134)されたものである。住宅営団は,住 み方指導を行うとともに,住み方調査,居住者との座談会なども実施している。 2.戦時体制と住宅営団 住宅営団は,「労務者その他庶民の住宅の供給を図ること」を目的に発足した。住宅営団 法には,具体的に1住宅の建設及び経営,2住宅の建設及び経営の受託,3一団地の住宅 の建設又は経営の場合における,水道,乗合自動車,市場,食堂,浴場,保育所,授産所, 集会所,其の他の施設の建設及び経営,4住宅の建設のためにする資金の貸付,5住宅の 売買及び賃貸の仲介,6前各号の業務に付帯する事業を行うことが記されている。 住宅営団に先立って発足した同潤会は,関東大震災の罹災者への住宅供給を目的として いたために,東京と横浜にのみ住宅を供給した。住宅営団設立の理由のひとつは,同潤会 が行った,郊外住宅地の提供と,都心における垂直化されたアパートメントという新しい 様式の住宅供給にみられる様々な試みを,全国的に展開することにあった。同潤会の住宅 は,核家族化が進展し,世帯が賃金労働の単位となっていった動向を受けた空間構成であ り,再生産空間が生産空間から分離され,住宅が再生産に特化する空間とされていったこ とを意味していた。また同潤会は多くの調査・研究を重ねており,その実績も住宅営団の 運営の中で生かすことが目指された。一般庶民の住宅供給を目的とした住宅営団の供給す る住宅,すなわち国が直接住宅供給に携わることになる「国民住宅」に対して,国民は期 待をよせた。しかし戦時下の住宅は,軍需工場で働く労働者への供給が優先され,それが 住宅営団の業務の中心となっていった。 戦争により大量の男性が出征し,「銃後」を護った女性たちは,挙国一致政策のもとで多 様な職場で働き,家を守ることに努めた。大正期には,産業構造の変化に伴う女性たちの 社会進出により,彼女たちは社会の中で女性としてのアイデンティティや役割を考えるよ うになっていた。当時,大正デモクラシーの高揚,女性解放運動の萌芽がそれを押し進め, 女性の啓蒙を目的に掲げて創刊された(坂本,2000)多くの女性向雑誌は,女性たちに多 様な考えを普及させる役割を果たしていた。また女性教育機関としての高等女学校も増設 され,さらに参政権運動が高まりを見せた。女性たちによる活動は,女性の解放や独立と ともに,女性がその役割として担っていた家庭の問題にも目を向けさせたのである。しか し大正期に芽生えた,女性が生き方を選択しようとする動向は,戦時体制において制約さ れていった。女性の社会参加は,生産労働への進出という点では進展を見たが,実際には 男性労働力を一時的に埋め合わせるための代替要員としてのものに過ぎなかった。そして 日常生活では軍主導の大日本国防婦人会率いる体制の中に組み込まれていった。 加納(1982,p. 93)は「中国大陸の『前線』に対して,日本国内の全域が『銃後』とさ れ」,日中戦争開始以後は「『銃後の務め』『銃後の護り』は女たちのものであった」と指摘 する。外交,経済から思想に至るまで,国民を統制した日中戦争は,「肉体も精神も含めた 民衆の総動員を必要とする総力戦」であり,女たちも「家の中に閉じ込めておくわけには いかない」(加納,1982,p. 95)存在となった。そのため「一五年戦争開始以来,〈女の美 徳〉は,これまでの〈良妻賢母〉の上に,さらに一人の国民として『御国の為』に尽くす
べきだという一項が加えられ,『銃後の務め』『銃後の護り』が女たちに対して要求」(鈴 木,1982,p. 95)されるようになったのである。この体制を具現化した組織の一つである 大日本国防婦人会(1932 設立)は,「国防に対する家庭婦人の責任自覚を喚起させ」「家庭 防衛の完璧を期すること」,「台所をつかさどる女性による経済国難の打破」,「婦人の力に よる思想国難の打破」,「婦人銃後の力」(鈴木,1989,p. 181)という4本の柱を使命とし ていた。ここでは女性の役割が規定されており,それが義務となっていったのである。「前 線」に兵士として送られる男性とは異なる形態で,家庭から町内,そして就業地にいたる まで,「銃後」で女性たちにも「内地」を護る役割が課せられ,戦争に組み込まれていった のである。ただし『主婦之友』の分析から中嶌(1991,p. 84)が指摘したように,「国民 生活に女の役割は重要としながらも」「生活そのものに対する評価は低い」ものであった。 当時,国民食,国民服が提唱されており,「生活水準の切り下げは可能であるという安易な 考え方」のもとで,「生活水準をさらに切り下げること」が「積極的にすすめ」(中嶌,1991, p. 85)られていったのである。国民の「『生活は国家』のものとされ,生活に必要なもの は『与えられるもの』となり,『生活自体が戦争の一部』とされ」(岩井,1991,p. 73),総 力戦の体制が確立していったのである。 国際的に孤立していった日本は,物資不足が深刻化し,居住環境も悪化の一途をたどり, しかもそれを改善するすべももたない状況に追い込まれていった。そして住宅営団の供給 する住宅は,軍事最優先と資材不足から,軍関係の工場労働者向けに限定されていった。 国家体制のもとにおかれた住宅供給政策は,空間を差別化して編成していくものだったの である。 当時西山は,「国民住宅」が国民服や国民食とは異なり,「一瞬に次から次へと消費され る」ものではなく,長期にわたり消費されるものであり,建築界で「国民住宅」に関して 「軽軽しく紙上に解決する事自体が出発点から誤っていた」(西山,1941,p. 782)と批判 している。ここで西山は国民の住むべき住宅がいかに求められているのかを整理し,「国民 の住宅が個人の夫としてではなく,国民全体の住居状況として考へねばならなくなって」 おり,「個々人の住居状況が国家を繁栄せしめて行く国民の生活のための重要な現実的基礎 として今や国民全体の運命につながってゐる国家的問題として考へねばならない」(西山, 1941,p. 782)と指摘する。居住権の保護を訴えるこの指摘は,同時に住宅という物的空 間が国家体制に組み込まれていく当時の状況を投影している。 住宅営団において住宅をいかにとらえていくのかを検討した部局は,研究部調査課およ び規格課であった。ここに1942年当時所属していた西山は,「研究部が住宅に関するいわ ゆる問題の調査・研究をなす自由をもってゐることを知り得るが同時にその反面に於て, 軽重精粗を同列に平然と列べ立てたところに,住宅営団の持つ遠大な国家的・国策的役割 に真に対応し又国民住居施設の供給といふ国家的重大事業に対する我国唯一の専門的研究 機関たるに相応しいところの活動をなすべきものの任務規定として些か心細さを感ずる」 (西山,1942,p. 790)と述べている。西山は,研究部が解体するにあたり,その実績を紹 介すると同時に,「唯一の専門的総合的研究機関であったものがその存在を抹消されたと感 ずることも亦誤りではない」(西山,1942,p. 790)として,その解体を惜しんでいる。研 究部の行った基礎的調査研究が受け継がれた経営局調査課において進められた啓蒙がいか なるものであったのか,『住み方指導叢書』を検討していく。
影 山 穂 波 3.住み方指導 住宅営団は,居住者に対して,住宅をどのように住みこなすのかを指導している。これ は,住宅営団にとっての住宅に対する考え方を投影したものであると言える。1943年に発 刊された『住み方指導叢書』では,経営局調査課長が,刊行の辞として,以下のように述 べている。 我々の生活は過去の伝統と習俗の上に,その時代の経済事情,外国文化の摂取ならびに流行 の交雑物が混在してそこに複雑な相貌を呈しておる。この事は衣食住の生活面に就て見て心理 等によつて各種も明なことであつて,今日多様な生活様式が統一もなく雑然と営まれておる感 がある。 然るに大東亜戦争後我々は英米を敵として勝ち抜くためには,生活のあらゆる面を決戦体制 に建て直して以て国家総力戦を完遂せねばならないのである。是が為にはどうしても生活を全 面的に検討反省して,日本的性格に即した簡素なる生活を営むとともに無駄を省き出来るだけ 合理的に是を処理するよう工夫しなくてはならない。そしてこのことが同時に新しき生活文化 の創造に一歩でも前進するものであつて欲しいと念願するものである。(石原,1943,p. 7) ここでは当時の生活が外国からの影響を受けていたことが指摘され,大正期から昭和初 期にかけての住宅に関わる様々な試みは,「雑然と営まれるもの」としてとらえられてい る。西洋の生活を取り入れ,文化を指向した文化運動をはじめとする多様な思想,住宅に 反映された実践も,戦時体制のもとで影をひそめていった。代わって台頭したのは,「国家 総力戦」完遂のための国民の統制であった。多様な視点を切り替えて,「日本的性格に即し た簡素なる生活」の「指導」が行なわれた。住宅に対する「指導」のひとつが『住み方指 導叢書』に見られる。これは 1943年から発刊されており,第1輯から第7輯までと第 10輯 が復刻されている。具体的には,①住宅の掃除方法,②家庭菜園の造り方,③家具の選び 方と使い方,④住宅衛生の心得,⑤部屋の使い方,⑥住宅の造り方,⑦家庭塵芥の処理,⑩ 住宅の破損個所の応急手当である。第2輯で「大東亜戦争下我等すべでの生活は戦争遂行 の方向に全面的に協力をし,御陵威の下,第一線将兵の善謀勇戦の大戦果に答へなければ ならない」と始まるように,戦時下にあって生活そのものが戦争に飲み込まれていく状況 で,いかに住まうのかの指針を与えていくことにこの一連の指導の目的がある。すなわち 戦時体制下での,食料調達を各自で行うために家庭菜園を励行し,塵芥をいかに無駄なく 処理するかといった個人生活に対する徹底した指導を行っていくのである。例えば,第1 輯のまえがきでは以下のように述べられている。 掃除を営む心は,ものの生命を尊び,清浄を悦び,秩序を愛する心である。 明るく,浄く,直くと希ふ日本人古来の民族性は掃除の上にも見出し得る。 又掃除の行きとどいた家は,勤労を悦ぶ家庭である。勤労を除いて生活はない。一日の勤め を終へ,我が家へ急ぐ人々を迎へる清められた住ひ,かく迎へる暖い,床しい真情は家族をう るほし,やがて堅実な家風を育むのである。 かくして,国を挙げての聖戦に勝ち抜くのである。(木下,1943,p. 13) 木下(1943)はこの輯のまえがきで,戦時下における生産拡充を優先する結果,生活物
資が制限を受けていることから,掃除の重要性を認識し,生活用具の能力・価値を高める ように指導する。また戦時体制下で国民一人ひとりが勤労を全うし,堅実に国に勤めるた めに掃除をこなすことが戦意高揚につながると指摘する。「銃後の護り」を担っていた女性 たちが基盤とするべき家を守る。それは一家の衣食をまかなうというだけでなく,物理的 な意味で,住宅や家具をもしっかりと守ることが課せられていたととらえることができよう。 この第1輯では,掃除用具の整備から掃除の仕方までが詳細に述べられている。部屋ご とにポイントとすべき点が解説されているが,とくに「便所の掃除は,その家に住む主婦 の人柄を示すと古来から云はれ」(木下,1943,p. 49)ていると強調する。疫病などの防 止のために便所を清潔に保つ必要があったことが,便所への注目を喚起する1つの理由と なっていたのであろう。廃品に関しては,再生する重要性を指摘している。「決戦下に於て 我が家も亦戦場である。一度不要とされたものをも再生し,重要物資を総力戦の第一線に 動員せねばならぬ。ここで快適な整理掃除をなし,その結果出た廃品並びに塵芥の合理的 処理が必要」(木下,1943,p. 68)となり,「塵芥を出すにしても心して国家のために無駄 のないやう心掛けねばならぬ」(木下,1943,p. 71)という「指導」は,当時の物資不足 を投影すると同時に,日常生活そのものが,国家への貢献となっていることを強調し,「銃 後」を護る女性たちの存在意義にまで言及する記述となっているのである。 第2輯は家庭菜園の作り方を指導している。家庭菜園を作るに際して,「従来の様な只趣 味的な流行的な考へ方から始めるのでは無く」「例へまづくなりとも確実に収穫を上げる様 細心の注意と努力とを続け無駄のない様」(市川,1943,p. 90)にするべきだとまず心が けを説く。そして家庭菜園を行うことで,「無駄な暇も有効に利用する事が出来,一つは吾 等の保健の為,一つは,収穫される新鮮野菜は,吾等都会人に必要なるビタミンの供給源 となるため」「時局下重要な役割」(市川,1943,p. 90)を果たすことが出来るという。た だし「種苗の節約はもとより重要肥料はなるべく,より良き増産をなし得る為に専門家た る農家に使って頂」き,家庭菜園では「処分に困る家庭の台所の残滓とか塵芥,人糞尿其 他の廃物」(市川,1943,p. 90)を活用することで,節約を図っている。「時局下,吾等も 増産の熱意に燃えて確実なる収穫を上げる様努力」することこそ「家庭の重要な使命」(市 川,1943,p. 91)であるという指摘に見られるように,種を節約し,肥料にも残飯を用い ることで,家庭菜園を作り育てていくことが薦められる。このことは,戦時下の食糧難を 各自の責任で乗り切ることがもとめられた結果ともいえよう。 第3輯では「例へ粗末な戦時小住宅でも,家具との巧みな強調によって,合理化された 住ひ方が生まれるならば,それは反って高く評価される」(剣,1943,p. 157)ため,家具 の使い方を指導することが主張されている。戦時下であることを強調する中で,戦争に対 しては,「戦争は,すべての誤てる姿を正しく考へさせる。家具も亦然り。戦争による物資 の消費規制は何よりの教訓である。」(剣,1943,p. 159)として,戦争にともなう物資の 不足を合理化し,精神的な面だけを高揚し,強調しているのである。 住宅衛生の心得を説く第4輯では,住宅を「労働力再生産の基地」,「人的資源育成の苗 圃」(佐藤,1943,p. 232)として,清潔に保つ工夫を指導する。当時,衛生状態により伝 染病が蔓延することは珍しいことではなく,その原因となりうる便所にとくに重点をおい て指導する。住宅を清潔に保つことで,労働力となる国民の健康を維持するためである。 第5輯では心構え五則を掲げて部屋の使い方を指導している。これは①部屋の用途,②
影 山 穂 波 部屋の寸法を具体的に知る尺度,③家具や器物の配置をする整頓,④人の動きを見る動 線,⑤整頓をするための整理という五則である。蔵田(1944)は部屋ごとにその特徴を説 明しているのだが,その中で特に玄関は広さよりも清楚に保つことを強調する。住宅面積 が狭くなる当時の状況で,小住宅の玄関は「面積を倹約するからなるべく小さく」(蔵田, 1944,p. 308)とることが提唱される。ただし玄関は「一家の表情を示す目」(蔵田,1944, p. 307)であり,「その家の主婦の人格がわかる」(蔵田,1944,p. 309)場所であると述べ る。また玄関で「その家の家風も見すかされる」(蔵田,1944,p. 309)ことになるという。 台所については,「主婦の大切な仕事場としての厨房を自ら工夫すること」(蔵田,1944, p. 322)を指導する。たとえば,「まづ自分の身長や各動作の時の寸法を測り,常に使ふも のは寸法適度範囲に置くとか,厨房と食卓との連絡銅線を直接に短くするとか,厨房と外 との出入,廃物の処理,下駄箱の脱ぎ場とか段の高さとか」(蔵田,1944,p. 321)を考え るべきだという。そして住文化の水準を上げるために,「主婦がもつと自覚して,せめて厨 房内だけでも自分の最も使ひよいやうに工夫し,また斯くあつてほしいといふやうな意見 も出るやうでなくてはいけない」(蔵田,1944,p. 320)と指摘する。この輯は「種々な考 へ方,住み方を工夫検討されるがよいと思ふ」(蔵田,1944,p. 333)とまとめられている ものの,各部屋の使い方は規定されている。そして主婦の自覚を強調しながら,主婦の役 割を固定化する記述を見ることができる。 第6輯でも戦時下において住宅をいかにとらえるべきか記載されている。すなわち,「住 宅は兵器や他の重要物資の様に直接戦争目的のために使用されて居らず,又之等重要産業 の生産施設でもないのに拘はらず聖戦完遂の為の貴重な資材と労力が住宅建設の為に費や されて居るのは」「重要産業に従事する産業戦士の生活と直接の結び付きを持つて其の精神 や肉体に影響する」ことが大きく,「産業戦士をして充分な休養を得しめ,明日への能率を より高める使命を持つ為に,住宅は重要産業施設と同様の重要性の下に建設されて居る」 (十代田,1944,p. 343)のである。また「単に物資の生産のみならず将来に備へる人的資 源の育成所」(十代田,1944,p. 343)でもあるという。そして戦時下の住宅は「国策の線 に沿ひ,高度国防国家の一翼として其の目的遂行に協力」をしなくてはならないため「住 生活は他のすべての生活と同様に一切の虚飾が取り去られ」「住む為の目的に究極された簡 素な形と,国防上の必然的な形とをとる」(十代田,1944,p. 343)ものであるという。物 資不足の状況で「貴重な資材と労力」(十代田,1944,p. 344)を用いる住宅建設に無駄な 面があってはならない。限られた資材でいかに効率的に「戦時生活の確保という重大使命」 (十代田,1944,p. 344)を担うかが,住宅営団に課せられた課題の一つであったのである。 第7輯では,塵芥処理の指導がなされている。「一枚の紙と雖も一旦役に立つたからと云 つて,直ぐさま之を捨てると云ふ様なことが」,「国の力を弱める事」であり,「二三度使つ て最早紙なら紙として使へない時に至つて,これを燃料にすると云ふ工合にして,おしま ゐ迄役立てる心掛が肝心」であり,「如何やうにも工夫して,最後まで役に立てると云ふ事 が,即ち消費節約」(岩橋,1944,pp. 442–443)であると述べている。こうした記載には, 当時の物資不足の状況が投影されている。具体的にいかに「最後まで」活用するのかが検 討されるが,中には,新聞紙を水につけてほぐし,握り固めて器具類を作ったり,風呂の 炊きつけの燃料にしたりすることが推奨されている。また家庭で活用のできにくいものは 町会で集めて商売人に渡すように指導する。徹底的に使いこなすことで,「国の力を弱める
事」がないよう努力を重ね,戦争に協力することが求められている。 住宅の処置の仕方を述べた第10輯では,住宅を子供に例えて説明する。「建設に対して は熱意と関心があっても,保守に付ては無関心の人が多い。建設したものには保守があっ て,之は不可分の事である。生産と維持とも同様である。子供を産んで自分で育成せずに, 他人に委ねて,これを幸福なりと考へる親はないであらう。」資材がないといっても,仮に 「子供が疫痢かなんかに罹った場合,ヒマシ油や薬が手に入らないからと云って,放任にし 見殺しにして置かれるものであらうか。出来得る限りの手当をするのが親心であらう。住 宅に就いてもそれと同様のことが云へるのである。」(岡谷,不明,pp. 480–481)という記 述は,居住者の意識の低さを指摘すると同時に,当時の住宅状況を反映しているといえよう。 『住み方指導叢書』は,日中戦争が激化する時代に,居住者の一人ひとりが責任をもって 住宅を管理し,それが国家貢献につながるという戦意高揚の道具として機能していた。必 要な物資は「前線」が優先されるため,「銃後」では自らの工夫のもとに自給自足でまか なっていくことが当然とされるようになる。「衣服類の更正,野菜の自給自足,と同様にし て,住宅の応急手当も自給自足,廃材の更正で行きたい」(岡谷,不明,p. 482)という記 載からは,営団側として,限られた人材の中で,住宅の補修を居住者自身に担わせようと する意向が見えてくる。倹約を遂行するために家事労働者としての女性に課せられた役割 は,自給自足で自分たちの生活を守ることであり,これは衣食に限らず,住にいたるまで 求められていたのである。その啓蒙的な役割を果たす住宅営団のひとつの施行策がこの『住 み方指導叢書』に示されているのである。 4.住宅営団に見るジェンダーの視点 大正・昭和初期にみられた多様な試みのなされた住宅は,戦時体制という特別な状況下 で,住宅営団により一元化されていった。「公領域と私領域の分離こそ,近代がもたらした もの」(上野,1994,p. 75)であるが,この分離された領域の関係を,国家により私領域 である住宅を管理するものとして浸透させる役割を住宅営団は果たしたのである。戦時体 制における公私関係は,平時とは異なり,「前線」と「銃後」という特別な形態で空間を位 置づけていた。これがジェンダー関係と関連付けられ,「銃後」を護ることが女性の肩にか かっていた。女性たちには,戦場に出征した男性たちが担ってきた労働を担うことと,家 庭を守ることの二つの役割が課せられたが,住宅営団の住み方指導は家庭を築く入れ物と しての住宅をいかに維持していくのか,その意義はなんであるのかを強調するものであっ た。挙国一致政策のもとで,国家権力により,「前線」と「銃後」という公領域と私領域, さらに「生産領域」と「再生産領域」という公領域と私領域がそれぞれに序列化されていっ たのである。 当時の女性の社会的地位は,「家」中心の家族制度の法的根拠となってきた明治民法(1898 年に施行)によって決定づけられていた。ここでは強大な戸主権・親権・父権が強調され, 妻は法的に無能力であり,女性の隷属的条件が規定されていた。良妻賢母が美徳とされた 女性の地位はそのままに,ナショナリズムの台頭のもと,女性たちは「銃後の護り」を担 う存在として意義付けられていった。さらに女性たちは,「戦争に駆り出される男性たちの 精神的基盤となるような,イデオロギー的役割を担うことを国家から期待され」,「その期
影 山 穂 波 待に立派に応え」(大越,1997,p. 164)るべく「指導」され,「国民」として戦争に加担 していったのである。ここでの「指導」は,再生産労働とみなされてきた家事労働の生産 面を前面に押し出し,生産労働としての女性の役割をも強調したものであった。 『住み方指導叢書』は,「家」を守るべき存在とされた女性たちに対し,掃除やゴミ処理 まで含めた住宅の管理を日々行うことが「銃後の護り」となることを説き,戦争に加担す る存在として,女性たちの意気を高揚する啓蒙的な役割を果たしていった。住宅という生 活の入れ物をめぐり,私生活を統制していった住宅営団は,居住者に任せられるべき空間 にまつわる想像力をそぎ,国を挙げての戦争という名のもとに,居住を規定し,管理して いったのである。 本研究は,平成 12・13年度科学研究費・基盤研究C1「女性の居住地選択から見た都市空間の ジェンダー化」(研究代表者:由井義通,課題番号 12680076)による補助金の一部を使用した。 注 1)1938年,厚生省設置法によって設置された。厚生省は,社会福祉・社会保障および公衆衛生 の向上・増進に関する行政を担当している。 2)住宅営団は,1941年に住宅営団法が通過した後,厚生大臣の認可を受けて,特殊法人として 発足した。 参考文献 安藤元夫(2001):住宅営団調査課による住み方の調査・啓蒙活動.西山夘三記念すまい・まちづ くり文庫住宅営団研究会編『幻の住宅営団 戦時・戦後復興期住宅政策資料 目録・解題集』 日本経済評論社,pp. 134–145. 石原憲治(1943):住み方指導叢書刊行の辞.西山夘三記念すまい・まちづくり文庫住宅営団研究 会編(2001):『戦時・戦後復興期住宅政策資料 住宅営団 第4巻調査・研究4』日本経済評 論社,p. 7. 市川政司(1943):家庭菜園の造り方.西山夘三記念すまい・まちづくり文庫住宅営団研究会編 (2001):『戦時・戦後復興期住宅政策資料 住宅営団 第4巻調査・研究4』日本経済評論社, pp. 75–150. 岩井サチコ(1991):『週報』と戦時下「国民生活の安定」.東京歴史科学研究会婦人運動史部会 『女と戦争 戦争は女の生活をどう変えたか』昭和出版,pp. 59–73. 岩橋元亮(1944):家庭塵芥の処理.西山夘三記念すまい・まちづくり文庫住宅営団研究会編 (2001):『戦時・戦後復興期住宅政策資料 住宅営団 第4巻調査・研究4』日本経済評論社, pp. 427–476. 上野千鶴子(1994):『近代家族の成立と終焉』岩波書店.346p. 大越愛子(1997):『近代日本のジェンダー』三一書房.203p. 大本圭野(1991):『「証言」日本の住宅政策』日本評論社.907p. 岡谷正三(不明):住宅の破損箇所の応急手当.西山夘三記念すまい・まちづくり文庫住宅営団研 究会編(2001):『戦時・戦後復興期住宅政策資料 住宅営団 第4巻調査・研究4』日本経済 評論社,pp. 477–573.
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