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≪近代≫の理念 : 戦後思想史論への序章(二)( 戦後思想史論の試み 2)

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(1)

≪近代≫の理念 : 戦後思想史論への序章(二)(

戦後思想史論の試み 2)

著者 佐々木 健

雑誌名 星薬科大学一般教育論集

5

ページ 45‑56

発行年 1987

URL http://id.nii.ac.jp/1240/00000163/

(2)

近 代︾の理念  戦後思想史論への序章 ︵二︶

︵戦 後思想史論の試み 2︶

佐々木 健

1 自己否定の精神と歴史への視点

  ﹁日本に是非とも必要なのは︑近隣の諸国民との心からの和解であると思われる︒﹂ーこれは︑ドイツ連邦共和国のヘ

 ルムート・シュ︑ミット前首相が︑みずからがその編集発行者のひとりである週刊新聞﹃ツァイト﹄紙上に掲載した論評

  ﹁友人を持たない日本﹂︵一九八六年七月一一日︑原題は﹁成果をあげながら孤立して﹂㌔日国江9σq富oばo詳..︒邦訳は

  ﹃世界﹄一九八六年一一月号︶のなかの言葉である︒シュミット前首相はその手堅い手腕でドイツ国民の厚い信頼をかち

   えた現実政治家であったが︑同時にまた︑﹁理念﹂に奉ずる人でもあり︑ドイッ連邦共和国の﹁道義的︑精神的な再建﹂

 に誇りを感じうると語る人でもある︒戦後ドイツのその﹁道義的︑精神的な再建﹂を実現可能にした決定的に重要な契機

 はドイツ人自身の﹁自己検証﹂の努力である︑と前首相はいう︒その﹁自己検証﹂を徹底的に行ったか否か︑をあぐる戦

  後のドイッと日本との相違にふれた次の言葉は︑重みをもって迫ってくるものがある︒

4 ﹁ドイツ人は︑その最近の過去と︑また未来について︑厳しく分析する必要があると痛感した︒つっこんだ自己検証を

(3)

6 行い︑その結果︑自己の非をきちんと認めるに至った︒ヒトラーの支配に苦しめられた近隣諸国にも︑そのことをだんだ4とわかってもらえた︒しかし︑日本がこうした自己検証をしたとか︑それ故︑今日の平和日本を深く信頼して受け入れ

  るとか︑東南アジアではそんな話はまるできかない︒﹂

後﹁四〇年﹂の節目を機会に︑シュ︑ミット前首相のいう﹁自己検証﹂を再び試み︑﹁和解﹂・﹁宥和﹂の意味を再確

認したのが︑同じ西ドイッのリヒアルト・フォソ・ヴァイッゼッカー大統領の演説である︒ドイッの降伏の﹁四〇﹂周年

日にあたる一九八五年五月八日に︑連邦議会で行われたこの演説︵邦訳﹃荒れ野の40年﹄︑岩波書店︶は︑思想・信条

違いをこえて世界各地に深い感動をまき起こした︒

思 想・信条の違いのみならず︑洋の東西をとわず︑世代の差をこえて訴える真実性︵<<①げ﹃げ餌Sけ一σq丙O一古︶を︑この演説

る︒特に︑﹁若い人たち﹂︑﹁新しい世代﹂に語りかけた末尾に近い部分は︑敗戦後の極東の島国に生を享けた

者をも感動させずにはおかない︒この箇所で大統領は︑旧き世代は︑より長く生きており︑戦争を体験したがゆえに︑た       ヘ  ヘ  へ けの理由で︑そのまま若い世代に対して優位にたつ︑という自然的優位の立場を斥け︑﹁人間は何をしかね

ないかーこれをわれわれは自らの歴史から学びます︒でありますから︑われわれは今や別種の︑よりよい人間になった

などと思い上がってはなりません︒/道徳に究極の完成はありえませんーいかなる人間にとっても︑また︑いかなる土

もそうであります︒﹂︵三五頁  以下︑引用にあたっては筆者の責任で訳しかえたところがある︶として︑ア

ビヴァレントな不完全かつ可謬的な人間という同一地平に新旧両世代をおき︑さらに︑いかなる者も歴史に対して︑

oo合oに対して︽没交渉︾︵oq宮ざ庁ひq巨江ぬ︶の態度︵<o吾巴8ロ︶をとることはできず︑新旧両世代とも歴史の﹁現在﹂

       ヘ  ヘ      ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ  

過 去﹂の歴史的累積を背負っているという旨のことを述べ︑最後に︑﹁われわれの内なる正義の規範に従おう﹂

と結んでいる︒

(4)

さて︑このヴァイッゼッカー演説は︑五月八日を﹁記念する﹂︵Ooσq9§︶するー﹁祝賀﹂ではない  にあたって︑

トラー治下のナチス・ドイツの犠牲になった内外のほとんどすべての種類の人々に周到に目を配り︑自国がかつて犯

した罪を一つ一つ挙げながら︑これらの犠牲者と︑不幸な事態を惹起した歴史の出来事とを正面に見据えて︑これら人々

出来事に﹁思いを馳せ﹂︵ひqΦユoロ民o⇒︶︑一つ一つの重大な歴史の局面におけるドイッ人自身の行為︵不作為をも含めて︶

       ヘ  ヘ  ヘ      ヘ  へと犠牲者たちの﹁苦悩﹂︵やΦ庄︶とを﹁想起﹂し心の内面にしっかりと刻む︵o庄ロロo日︶ことの意味を再確認し︑これら

との心からの﹁和解﹂︵<o臣Oけ昌已ロ険︶が﹁人間として﹂の立場においていかに重要であるかを力説している︒こ

演説を支える根抵となっており︑かつこの演説を織りなす経糸と緯糸となっているのは︑︽他者︾への視点と︑歴史と

向皇︒おうとする精神である︒︵.﹂の演説の背後にある﹁罪憂口白﹂のキリスト教的伝統や︑演説における個々の

論点にはふれないことにする︒︶

 まず︑︽他者︾への視点は︑﹁彼らの苛酷な運命を理解するだけの想像力と開かれた心﹂︵二四頁︶︑﹁他の人々の重荷に

目を開き︑この重荷をたえず共に担う﹂︵二三頁︶といった言葉となって現れている︒多数の犠牲者に﹁思いを馳せ﹂︑こ

らの人々の苦悩を心の内面に刻むことは︑︽他者︾を︽他者︾として承認し尊重し︑︽自己︾がこれと正確に向き合う姿

  勢においてはじめて可能になる︒﹁心の内面に刻むことなしに和解はありえない︒﹂︵一八頁︶このように宣明されるとき︑

の・被害者が加害者の・それぞれの﹁苦悩﹂を﹁芝担う﹂ことー︽共苦︾︵受苦を共にする・とY

 ︽ζ︸けムo置oロ︾ーのできる地平にたつことによってはじめて︑両者の﹁和解﹂が成立しうるということ︑︽自己︾と︽他

者︾とが同時に︽自己否定︾することなくしては︑両者の﹁相互承認﹂の地点にたつことはできないということが︑言表      ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

  されている︒︽自己︾が︽自己︾でなくなることによって︽自己︾であること︑自分を超えて生きることをつうじて︑︽具

4 体的普遍︾の担い手へと自己揚棄しようとする精神の︑一つの現存在の形態を︑ここに看取することができる︒

(5)

8  つぎに︑歴史と向き合う態度についてみれぽ︑﹁罪のあるなしにかかわらず︑老若を問わず︑われわれは全員が過去を4 引き受けなけれぽなりません︒われわれは全員が過去からの帰結に関わりあっており︑過去に対して責任を負わされてい

るのであります﹂︵一六頁︶という言葉に︑歴史と関わる基本態度が表明されている︒それは︑何人も過去の歴史的累積

らのがれることはできず︑その点で︑いかなる者も歴史に対して︽没交渉︾の態度をとることも︑自分を﹁例外﹂の地

点におくこともできない︑ということに帰着する︒﹁充分な意識をもって時代を体験してきた人々﹂は一人びとり︑時代

とどう関わりあってきたのかを自問していただきたい︑との問いかけ︵同上︶は︑そのような地盤から発している︒

  

警 告の意味をこめて︑﹁過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になる﹂︵同上︶︑と明言する︒この命

  題は︑﹁現在に目を閉ざす者は過去にも盲目になる﹂ということを予想しているのであって︑大統領のいわんとするとこ

は︑﹁現在﹂が﹁過去﹂の歴史的累積の総和として﹁現在﹂であるとすれぽ︑このことへの無自覚は︑﹁現在﹂を﹁現在﹂

らしめている﹁過去﹂の歴史的累積への認識の途を遮断することになり︑﹁過去﹂の歴史的累積への関心︵﹂暮Φ下oω︒︒o︶

断つことは︑歴史的累積によって﹁現在﹂たらしめられている﹁現在﹂は歴史のいかなる局面として﹁現在﹂であるの

能にする︑ということにある︒

ところで︑このヴァイッゼッカー演説が日本で発表されたとき︑ドイッと日本とのあいだの為政者の資質の相違の次元

さえるというのが大方の受止め方であった︒しかし︑敗戦後の日本に生を享け﹁戦争体験﹂も﹁八・一五体験﹂もも

ない一個人の立場から︑この演説の提起する問題を自分自身の問題として捉えかえすことも可能であろうし︑またそう

す ることは戦後日本において哲学・思想をまなぶ一学徒の立場にとって意義のある︽思考実験︾の通路となるであろう︑

  と筆者は考える︒︵演説を概括してきたのはそうした立場からである︒︶

この観点から︑さらに筆者をして言わしめれぽ︑為政者の資質における彼我の落差は明白であるとしても︑それは為政

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  る問題ではあるまい︒哲学・思想の営為にたずさわる者の立場からすれぽ︑その落差はことによると︑

代 ドイッにおいて哲学・思想の研究に従事する者と︑現代日本において哲学・思想の研究に従事する者との︑﹁精神﹂

 のあり方の相違︑︽知︾︵司后ωΦ昌︶および︽学︾︵≦硫ωo昌ωo庁①詳︶のあり方の違いであるのかもしれないではないか︑とい

   う地点まで想いをいたす必要があろう︒フランクフルト学派を例にとれば︑この学派が構築してきたものにみあう論理が

   日本において構築されているのか︒G・ルカーチ︑K・コルシュ︑M・ホルクハイマー︑T・アドルノ︑W・ベソヤ

 ミソ︑H・マルクーゼ︑E・フロム︑J・ハーバァマス︑A・シュミット︑さらにA・ホネットと︑一九二〇年代以来︑

今日にいたるまでに築かれてきたこの学派の論理は︑直接的には二〇世紀のドイツおよびヨーロッパの︑根本的には西欧

       ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ の︑どこまでも自己批判の論理であるとすれぽ︑それにみあう形で︑戦後日本の問題をそのグローバルな次元におい

 てのみならず︑特殊の相においても照らし出し解明しうる論理を戦後日本の思想は産み出しているのか︒この学派の営為

  と問題提起に学ぶ必要は充分に強調されなければならないが︑重要な点は︑﹁批判理論﹂や﹁否定的弁証法﹂といった︑

産み出した論理を既成の成果として受け取り︑方法として現代日本の問題に﹁適用﹂したところで︑そのグロ

ーバルな局面に光を当てることはできても︑その特殊日本的な位相において問題を解析することにはならないであろう︑ ということである︒筆者は︑拙著﹃三木清の世界﹄︵第三文明社︶のなかで︑哲学老としての出立の局面における三木の

は・発足の原初点におけるフ一フン・・ル・学派の問題意識・論理的な接・⁝をもつものが萱・た三奢学は・

紀前半におけるグローバルな規模での思想的世界連関網に照準した課題と連繋しながら︑一九三〇年代における日

実から索出された問題に論理の光をあて︑その解決を目指す方向で構築されたという点を解明したが︑例えぽ︑三       ヘ  ヘ  ヘ  へ した問題を発展的に継承する方向で︑現代日本の問題を解明し︑特殊日本的なものの普遍的なものへの自己否定

    へ4 的な自己揚棄の途を追究しうる論理が構築されること︑そしてそれがーこれまた︑例えばーフランクフルト学派の論

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50 理 と接点をもち︑その場面において両者の原理的な︽対質︾︵︾已ωo日き△o諺o訂已ロ゜q︶が行われ︑これを介して両者が豊

ることーこうした方向に︑現代日本における自立的な思想の構築の営為は響導されなけれぽならないのではない

あろうか︒

2 ︽近代︾の理念と︽具体的普遍︾

尾で︑フランクフルト学派なら︑フラソクフルト学派が産み出した論理を既成の成果として受け取り︑方法と

して現代日本の問題に﹁適用﹂したところで︑特殊日本的な位相において問題を解析することにはならないであろうとい

うこと︑特殊日本的なものの自己否定的な自己揚棄がないかぎり︑現代日本の思想は現代ヨーロッパの思想と原理的に

対質︾しうる地平に立つことはできないであろうということ︑を述べた︒この点は次のことを意味する︒すなわち︑基

線において現代ヨーロッパの思想は︑その担い手たる当事者の意識において︑なによりもまずヨーロッパの自己批判の

うものであり︑西欧﹁近代﹂およびそれが産み出した普遍に対する批判の営みとしてあること︑ヨーロッパの自

ゆえ︑﹁近代﹂が産み出した普遍ーもし﹁ヨーロッパ的普遍﹂という限定を付けることができるとするな

らぽ︑普遍であっても︑いわぽ特殊的普遍ということになるであろうーを否定して︽具体的普遍︾へと揚棄しようとす

る模索の努力であること︑﹁近代﹂に﹁前近代﹂あるいは﹁反近代﹂を対置し︑﹁近代﹂の普遍に特殊日本的なものを外側

ら対時させることによっては︑﹁近代﹂はこれを克服することができないこと︑を意味する︒さらにその際︑西欧﹁近

代﹂は一九世紀の中葉以降︑世界連関網を完成し自己をグローバルな規模へと拡張してゆく過程で非ヨーロッパの﹁抵抗﹂

着したのであり︑その抵抗が契機になって︑またそれの反照としてヨーロッパの自己批判があるということ︑特殊日

(8)

   

ものは自己実体化的な自己肯定の方向においては﹁近代﹂に対抗できないのであり︵そのことは﹁八・一五﹂がこ

明している︶︑実体化を挽無する︽自己否定︾の方向においてはじめて﹁近代﹂に対抗しうるということ︵敗戦後

日本人が引きうけなければならなかったはずの︽自己否定︾の理念的な意味については︑別の機会に論及したこ

  とがあるので︑ここではこの点にはふれない︶︑この二点が看過されてはならない︒

  ここで︑一論者が提出している論点を︑如上の問題連関において︑確認しておく必要があるであろう︒ヨーロッパの自

る決定的に重要な契機は東洋の抵抗であるという︑竹内好が提示している論点である︒アジアでただひ

  とりヨーロッパに抵抗しなっか日本の﹁近代﹂と︑民族的次元での抵抗︵固体存在の次元では︑魯迅における﹁絶望﹂と

う形で表出されるそれ︶を媒介とした中国の﹁近代﹂との構造的な差異を︑両国の文化のあり方と精神構造との違いか

ら解明しようとした竹内の﹁近代とは何か︵日本と中国の場合︶﹂︵一九四八年四月︑﹃現代中国論﹄所収︶の問題提起を︑ まここでの問題の脈絡において必要なかぎり︑概観しておくことにする︒竹内をして︑その問題提起を語らしめよう︒

 東洋の近代は﹁ヨオロッパの強制の結果﹂︑あるいは﹁結果から導き出されたもの﹂であるということは︑一応︑認め

 てかからなけれぽならない︒そうであるとすれぽ︑そもそも﹁近代﹂とは何か︑東洋への侵入という自己拡張を支えたヨ

 ーロッパの精神的原理はいかなるものか︑ヨーロッパの侵入の前に東洋の抵抗はいかなる様相を呈するのか︑また東洋の

萎意藁担うのか・・れが竹内の問題設定である・

 ﹁近代﹂とは︑ヨーロッパが封建的なものから自己を解放する過程で︑﹁その封建的なものから区別された自己を自己と

して︑歴史において眺めた自己意識﹂であって︑そもそもヨーロッパが可能になるのはそのような歴史においてであり︑

ものが可能になるのはそのようなヨーロッパにおいてである︒ヨーロッパはたえず自己を自己たらしめる﹁不断

5 の自己更新の緊張﹂に支えられてヨーロッパたりうるのであり︑自己が自己であるためには︑﹁自己を失う危険﹂をもあ

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52 冒す精神︑﹁たえず自己を超えていこうとする﹂精神の﹁自己運動﹂こそが︑ ヨーロッパをヨーロッパたらしめる精

神的原理である︒このようなものとして︑ ヨーロッパの﹁自己保存‖自己拡張﹂なのであり︑﹁無限の前進の﹂ヨーロヅ

て︑真理そのものが発展的であり︑発展的なもののみが真理である︒東洋もヨーロッパにおいて可能になる︒

 ﹁東洋を理解し︑東洋を実現したのは︑ヨオロッパにおいてあるヨオロッパ的なものであった︒東洋が可能になるのは︑

ある︒ヨオロッパがヨオロッパにおいて可能になるだけでなく︑東洋もヨオロッパにおいて可能に

なる︒もしヨオロッパを理性という概念で代表させれぽ︑理性がヨオロッパのものであるぼかりでなく︑反理性︵自然︶

もヨォロッパのものである︒すべてがヨォロッパのものである︒﹂﹁無限の一歩前進のヨオロッパにおいては︑歴史外の点

あったものが自己拡張によって歴史に呑まれ︑歴史内の点になってゆく︒かれは歴史を変えることによって︑抽象に内

容をあたえてゆく︒﹂︵筑摩書房刊﹃竹内好全集﹄第四巻ニニ六ー七頁︒  竹内は︑このように﹁すべてを取り出しう

る﹂という﹁合理主義﹂の信念︑その信念を成り立たせている合理主義の背後にある﹁非合理的な意志の圧力﹂がおそろ

しいのであり︑これこそヨーロッパ的なものではないか︑と書いている︒︶

ーロッパの自己拡張的な傾動は東洋への侵入という運動となって現れたが︑これに対する東洋の抵抗は持続し︑抵抗

じて東洋は自己を﹁近代化﹂した︒﹁抵抗をへない近代化の道はなかった︒﹂このことは︑ヨーロッパにとっては︑東

洋を﹁世界史に包括﹂し︑その過程で自己の﹁勝利﹂を認めること︑東洋にとっては︑自己の﹁敗北﹂を認めることを意

味した︒ヨーロッパの一歩前進は東洋の一歩後退にほかならず︑この前進と後退は︑ヨーロッパにとっては︑﹁世界史の

進歩﹂︑﹁理性の勝利﹂と観念され︑東洋にとっては︑持続する抵抗のもとでの敗北の持続を意味し︑敗北感のなかで︑敗

北 として自覚された︒

ところで︑敗北の自覚は︑敗北に対する抵抗と敗北を忘却することへの抵抗と︑また理性に対する抵抗と理性の勝利を

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ないことへの抵抗という二重の抵抗となって︑抵抗そのものをさらに持続させる︒もしこうした抵抗を措いてヨーロ

度の一歩前進がありえないとすれぽ︑東洋の抵抗をはなれてはヨーロッパはヨーロッパとして自己を実現す

ることができなくなる︒竹内はこの地点から東洋の抵抗の意味を捉えかえし︑次のようにそれを総括する︒

 ﹁東洋における抵抗は︑ヨオロッパがヨオロッパになる歴史の契機である︒東洋の抵抗においてでなけれぽヨォロッパ

       ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ      ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ 自己を実現しえない︒⁝⁝ヨーロッパの東洋への侵入は︑一方的には起りえない︒相手を変革し︑同時に自己が変革さ

ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へるのが運動である︒運動は⁝⁝流れのように連続ではない︒運動は抵抗に媒介される︒あるいは抵抗において運動が知

     ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ     ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  シ覚される︒抵抗は運動を成り立たせ︑したがって歴史を充実させる契機である︒﹂︵同上︑一四三頁︒傍点は引用者︶

内の論点を整理すれぽ︑.﹂うである︒ヨー・︒パの自己実現とはヨーロ︒パの世界化である︒ヨ︑.ッパは世

界となりきること︑すなわち自分ではなくなることによって・ヨーロッパであり続けることができる︵ヨーロッパの自己

11自己還帰︶︒東洋にとって︑ヨーロッパの世界化は東洋が東洋でなくなる事態︵東洋の否定︶を意味する︒東洋

 が東洋でなくなることによって依然として自己であり続けるとすれば︑それは東洋自身の自己変革︵自己揚棄︶を意味す

るのであって︑東洋の﹁近代化﹂とはそうした運動の過程にほかならない︒ヨーロッパの自己拡張なくして︑東洋の抵抗

ありえないとすれぽ・そのかぎりにおいて・東洋を可能にするのはヨーロッパである︵東洋の自己意識は侵略するヨー

・・て量・れる︶が・・かしまた同時に・東洋の抵抗なくしては:・パは自己を実現とない・いう意味

は・東洋の自己変革をはなれてはヨーロッパの世界化もありえない︒こうした連関において・東洋の抵抗←自己

革の営みを抜きにしては︑ヨーロッパと東洋とを構造契機として含む︽具体的普遍︾としての﹁世界史﹂の実現もあり

えない︑ということなのである︒

5  竹内の論点を確認したうえで︑最後に︑特殊日本的なものの自己否定的な自己揚棄なくしてはーそのことは同時に︑

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4 近代の精神的原理の自己変革的な徹底なくしては︑ということでもある  歴史的﹁近代﹂の後に来たるべき︽近代︾︑5  ︽近代︾としての︽近代︾︵これについては︑前掲拙著−参看︶︑および︽具体的普遍︾の実現への途はありえない︑とい

  う点を二つの案件に即してみておこう︒

自然と人間との共生という問題がある︒自然をその﹁破壊﹂された状態から﹁回復﹂し︑自然と人間との﹁人間的関

  係﹂を確立することは今日︑焦眉の課題となっている︒なるほど︑自然破壊をもたらしたのは高度な科学技術や生産様式

 であり︑その意味では︑﹁近代﹂的なものから生じた害悪にほかならず︑これは克服されなけれぽならない︒しかし︑そ

 の﹁近代﹂的なものに﹁自然への回帰﹂︑﹁原始への回帰﹂を対峙させるだけでは︑問題は解決不可能である︒自然と人間

    ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

   との関係性そのもののドラスティックな転換の方向においてでなければ︑両者の共生関係の確立はありえない︒そうであ

       ヘ  ヘ  ヘ  ヘ       ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

   るとすれぽ︑そのドラスティックな転換とは︑第一に︑人間が自然へととけこみ︑それに抱擁されて﹁救われ﹂るという

 ﹁自然観﹂の地盤となっている︑自然と人間との不二的﹁物心一如﹂の冥合・共感を特質とするアニミスティックな心情

変革されなけれぽならないこと︑第二に︑自然と人間との間には社会関係が介在するのであって︑社会的関係性の︑

   これまたドラスティックな転換なくしては︑自然の回復はありえないのであり︑そうである以上︑自然の回復は︑社会的

      ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ 関係性の作りかえという︑﹁近代﹂的な意味での主体的作為の能動性をまたなけれぽならないこと︑を意味する︒

    つぎに︑近代自然法思想が弁証した﹁抵抗権﹂の問題を一般化してみてみよう︒抵抗は正義の躁躍︑良心の侵害に対す

  る︑さらに人間の品位が外部強制により脅かされることに対する抵抗であり︑自己が自己たらんとするその自己性を基盤

として予想する︒そうであるとすれば︑抵抗権が自然権として承認され︑あるいは今日︑基本的権利として実定法上保証

されているとしても︑それが権利として実効的でもあるためには︑正義が普遍的な観念として︑良心が不可侵の内面的良

として︑品位が人間的たることにふさわしい内面的品位として︑それぞれ自立的に確立されていなければならない︒た

(12)

しかに︑正義︑良心︑内面的品位とい⇔たこれらの価値は︑ヨーロッ.ハ出自のものであり︑宗教改革以後︑ブルジョワ市

革 命にいたる過程において形成された﹁近代﹂的な価値であり︑西欧﹁近代﹂が産み出した歴史的所産である︒しかし︑

として実定法上保障されている抵抗権を所与のものから所有へと転換すること︑それを実効的たらしめるもの

  として右の価値を内面の権威へととりこむことは︑西欧﹁近代﹂への屈伏を意味するものではけっしてない︒なるほど︑

 一方では︑特殊日本的な心情基盤は否定に逢わなければならない︒擬似超越的な﹁価値実体﹂を一切の価値がそこから流

出し︑そこへと帰一していく精神的﹁権威﹂としてあおぎ︑それとの心情的な一体感の方向で﹁共同性﹂のアイデンティ

ィを確信しょうとする心性構造︑異質分子を﹁蔓除﹂し排斥せずにはおかない︑同質的な共同性への﹁同調﹂の観念体

系︑あるいは個と個との異化を通路とする対質をうけつけない︑同化一本やりの共同感情の轟が自己否定される.﹂とな

くしては︑右の転換もとりこみもありえない︒しかし他方︑同時に︑そうした心情基盤が自己否定的に転換されて︑正義︑

良心︑人間的品位といった価値と正確に内面的に向き合うことのできる開かれた地平に立つことが可能になるとすれば︑

ことは︑ヨーロッパ自身による正義の躁躍︑良心の侵害︑人間的品位の侵犯がある場合にも︑これを断罪しうるもの  へとそれらの価値を具体化し普遍化することのできる場面を切り拓く意味を有するのであり︑抵抗権の観念をそれを産み

出した近代西欧という制約から解きはなち︑ヨーロッパと非ヨーロッパとが共有することのできる︑両者を等しく律する

㌻具体的普遍︾へ・たかめ・途轟爪する・とξながる・とが・なのであ・・

以上要するに︑近代の論理︑近代の精神的原理はとことんまで徹底さぜられなければならないこと︑そして同時に︑特

殊 日本的なもの︵﹁和魂﹂の名でよばれ︑竹内好が﹁ドレイ根性﹂と規定し︑他の論者が︑﹁多元論的な自然主義に浸透され

  た︑非超越的な感性リアリズム﹂というカテゴリーのもとに総括し︑あるいは︑日本人の歴史意識を制約的に規定する

5 ﹁古層﹂として別扶したものの内実︶は否定的に揚棄されなければならないこと1同じことがらの両面をなすこれらの

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6 ことを介することなくしては︑戦後史の﹁現在﹂に生きるわれわれは︑歴史的﹁近代﹂の後に来たるべき︽近代︾︑︽近代︾5 しての︽近代︾を実現し︑ヨーロッパ的な特殊的普遍をも特殊日本的なものをも超えた︽具体的普遍︾と向き合う局面へ

と出ていくことはできないのである︒そして歴史の現時点において︑われわれが歴史的﹁近代﹂をあらためて問うことが

きるとすれば︑それは以上のような地平においてであり︑また︑そのような連関において﹁近代﹂が問題とされなけれ

      ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ ならないのである︒かつて中江兆民は︑社会ダーウィン主義という一九世紀の時間的に最新の﹁科学﹂︵﹁実理﹂︶の名

もとに一八世紀の近代自然法思想に淵源をもつ﹁天賜人権説﹂を﹁妄想﹂として斥けようとする﹁超進歩的﹂な反動勢

   力からの攻撃に対抗して︑天賜人権説は﹁是れ理論としては陳腐なるも︑実行としては新鮮なり﹂と述べた︵﹃一年有半﹄︒

   ﹃明治文学全集13・中江兆民集﹄筑摩書房︑一九七頁︶が︑以上のようなパースペクティヴにおくとき︑近代自然法思想

      へ あらたに賦活されて﹁理論﹂においても﹁新鮮﹂なものとなるであろう︒宗教改革からブルジョワ市民革命へといたる

なかで︑ルター︑デカルト︑等をはじめ︑ロックからへーゲルにいたる近代西欧の哲学・思想をそれ自身に

して把握しぬく作業があらためて要請されるのは︑︽近代︾としての︽近代︾および︽具体的普遍︾への通路を切り拓

く営みとしてなのである︒しかもこのことは︑特殊日本的なものの徹底的な解析の作業と原理的に相即することがらなの

ある︒特殊日本的なものを開かれたものへと転換することは可能なのか︑その自己否定的な自己揚棄はありうるのか      ヘ  へ このことがどこまでも究明されなければならない︒以上のような問題の論理的地平を開示したところに︑戦後思想が

    ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ      ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ       ヘ  へ としてもちえた理念的な意味があるのであり︑また逆に︑歴史的所産としての戦後思想はそのようなパースペク

  ティヴから歴史内在酌に考察されなければならないのである︒

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