アダム・スミスの輸入政策論
著者 榎並 洋介
雑誌名 星薬科大学一般教育論集
号 16
ページ 39‑72
発行年 1998
URL http://id.nii.ac.jp/1240/00000203/
ア ダム・スミスの輸入政策論
榎並 洋介
目 次
︵一︶ はじめに
︵ 二︶ 輸入制限政策の逆なる効果
︵ 三︶ 等価関税と産業の自然的均衡
︵ 四︶ 貿易差額説批判
︵一︶ はじめに
39 航海条例及びその後の諸条例に基づいたイングランドの貿易政策は︑オランダやフランスやスペインさらにはアメリカ植民地などに対して︑自国の優位を確保することを目的にしたものであった︒とくにアメリカ植民地に対するイングランド本国の政策は寛大なものであった︒すなわち︑母国による自国の植民地に対する輸入奨励金と他国への高率関税政策は︑
アメリカ植民地における特定部門の生産を奨励することになり︑当該部門の興隆に大きく貢献した︒われわれは本国によ
40 る規制が植民地の産業発展のテコになった事例を既にみてきたのであっね︒また︑スミスはこのような航海条例は国防上
必 要であり︑本国の国内産業を振興するためにも重要な政策であると肯定するのであった︒
ところで︑﹃国富論﹄を編集したエドウィン・キャナンは欄外に当該箇所の要点を記して編者としての責任を果たそうと
している︒いま︑この小論の主題に関わる箇所を摘出するならば︑次のとおりである︒﹁とはいえ︑国内産業を奨励するた
めに︑外国産業に若干の負担を課すことが一般に有利なばあいがふたつあるように思われる﹂というスミスの記述に対し
て︑編者であるキャナンは﹁ただし︑例外が二つある﹂と特に記しているのである︒﹁とはいえ﹂という接続詞は︑スミス
がこの箇所より前のパラグラフまでに展開していた国内でも生産できる財貨を外国から輸入することに対する制限を批判
した後で使用した言葉である︒つまり︑スミスは︑﹁そうはいっても︑国内産業を奨励するために輸入制限政策が適切に作
用する場合が︑二つある﹂と考えているわけである︒すなわち︑その一つは︑海運業のような防衛上必要な特定の産業に
対しては航海条例に基づいて独占権を与えることであり︑二つ目には︑外国産業に税を課すことである︒この二つが国内
産 業を奨励するために一般的に有利な場合である︑とスミスは言っているのである︒しかしながら︑キャナンは欄外要約
でスミス自身が使用していない﹁例外﹂という言葉を使っているのであるが︑この意味における﹁例外﹂は二つだけに限
定できず︑むしろかなりのものをスミスが肯定的に評価しているのである︒したがって︑この小論では主としてこのよう ②な問題について︑スミスの言説に即して追跡し︑彼のこの主題に関する主張を考察しようとするものである︒また︑この
ことは自由貿易を追及するスミスが同時に独占を擁護するための保護政策を評価する姿と映り︑二重の意味におけるスミ ③
ス評価 を生むことになった︒すなわち︑自由貿易論者スミスと保護貿易論者スミスとである︒しかしながら︑スミスは︑ ω現 実の政策を批判しながら︑あくまでも自由な個人の競争を想定し︑経済社会の理論を構築しようとしていたのである︒
︵注︶
ω 拙稿﹁アダム・スミスの北アメリカ植民地発展論﹂﹃星薬科大学一般教育論集﹄第一四輯︑一九九六年︑とくに四八〜六〇頁参照︒
② ︾5日ρ已蔓日8日oo巴己器碧全8已゜︒o⑮・o﹃日o≦o巴け冒o﹇o巴一〇5σ望﹀合∋乙力日一9°団O=o鼻き日餌づ日言○住ξ江o戸コo↓①c︒°
日曽σq日巴゜・己∋日①蔓きO昌o巳碧σq9日口o×巨国O忌ロO①ロ冨見呂﹀↑↑Oも﹁o⌒o°︒°︒o﹁oh8一=︷o巴880日望日90ご邑くo﹃・・︷蔓
Oひ↑OロOOP窪亘N<O言↑OロOO見一Φ切O﹈もP昏ト⊃べ1昏︾⊃⑩゜大内兵衛・松川七郎訳﹃諸国民の富﹄1 六八九頁︑岩波書店︑昭和四十
四年︒
③ スミスの重商主義貿易政策に対する解釈については︑否定面と肯定面の二面性を把握する見解と肯定面だけを評価する見解とがあ
る︒前者の見解には次のものがある︒スミスは所論のなかで﹁国際分業は︑一方では︑交易当事者国民に⁝⁝等しく有利・有益であ
るとされながら︑他方では︑国際分業が国際競争であるから︑⁝⁝各国製造業者の他国製造業者に対する競争心︑ねたみ︑恐怖心が
各 国の国民的敵意と怨恨をあおりたてるという事実を経験的に指摘しつつ︑航海条例が激賞され︑﹃国防は富裕より重要﹄という重商
主義的命題が踏襲されている︒前者からは自由貿易政策の提案がなされたが︑後者からは国防は国家第一の役割とする第V編の規定
が導きだされた︒⁝⁝国際分業の把握においても︑スミスの見解には︑意図的に楽観的な見方と経験的に現実的な見方との両面があ
り︑両者はそのまま符号しないのであるが︑スミスにはこの両側面を統一しようとする方法意識が欠けているのである﹂︵和田重司
﹁アダム・スミスの政治経済学﹄ミネルヴァ書房︑一九七八年︑一五八頁︶︒
これに対して後者の見解には次のものがある︒重商主義の保護政策において︑﹁国産品に課税される場合には︑それと同種の外国品論 に対しては同額の輸入関税を課すのが妥当だというスミスの所論が︑国内産業のために国内市場の独占を確保しようとする重商主義嚥 的輸入制限肇・対する支持論なのではなくて・国内課税によ・て引き起・される国内産業三自然的均衡﹄の破損の修復をはかる
醐 方策に対する嚢論にほかならず︑したがって彼自身の畠貿易論の立場・抵触するものではけっしてなかったと・う・︑とを明ら
の か﹂である︵羽鳥卓也﹁A・スミスにおける相殺関税と戻税﹂﹃熊本学園大学経済論集﹄第一巻第∵二号︑一九九四年︑一二頁︶︒
ス また︑スミスが国内産業を奨励するために輸入制限政策を特記した中にスミスの一貫した方法意識を探ろうとした論文に︑渡辺恵
ミヘ
ス 一﹁﹃国富論﹄後半体系をめぐる諸問題1いわゆる重商主義の﹃例外﹄規定を中心にして!﹂︵経済学雑誌︹大阪市立大学︺第八一巻
如 第六号︑一九八一年︶がある︒
ダ ω 田中秀夫﹁先行パラダイムとスミスの経済学ー経済的自由主義の形成過程ー﹂は次のようにいう︒﹁スミスは経済社会の機構を考察
ア して︑自由な個人主義の競争を想定した経済理論を構築し︑それを基準に現実と政策を評価し︑批判した︒スミスの政策批判は相当
1 にラディカルであって︑自然的自由の体制が望ましいとはいえ︑⁝⁝それを容易に実現できるとは考えなかった﹂︵田中真晴編著﹃自4 由主義経済思想の比較研究﹄名古屋大学出版会︑一九九七年︑所収︑一二四頁︶︒
42︵ 二︶ 輸入制限政策の逆なる効果
弱冠二十四歳でグレート・ブリテンの首相に任命されたウィリアム・ピットが大蔵大臣であった時︑ピットを始めとす
る名士の会合で︑スミスが最後にある部屋に入ると全員が立ち上がって迎え︑そのまま立ったままだったので︑スミスが着
席 を促したところ︑ピットが﹁いや︑先生がお座りなるまで私共は立っております︒私共はみな先生の門弟ですから﹂と
いったという伝説がある︒ピットは十七年間の長きにわたる首相在任期間において︑アイルランドに貿易自由化政策を取
り入れ︑フランスとの間に通商条約を締結し︑混沌とした関税や内国消費税を整理し︑歳入の徴収と管理を簡素化する法
律 を通し︑自由貿易主義を拡大した︒これはピットがスミスの学説に心酔し︑その理論を取り入れた証左であるといえる︒
スミスは﹃国富論﹄第W編第二章において﹁国内でも生産できる財貨を外国から輸入することに対する制限について﹂
論 じている︒彼は国民全体の観点から関税や輸入禁止措置を議論し︑それらが有利な政策かどうかに疑問をなげかける︒
すなわち︑﹁重税か絶対的禁止のいずれかによって︑国内でも生産できる財貨を外国から輸入することを制限すれば︑これ
らの財貨の生産にたずさわっている国内産業には︑多かれ少なかれ︑国内市場の独占が確保される︒こうして︑畜牛およ
び塩漬肉のいずれをも輸入禁止したことは︑大ブリテンの牧畜業者に︑食肉についての国内市場独占を保障したのである︒
また︑穀物輸入に課せられる高い税は︑穀物が国内にかなり潤沢なときには輸入禁止も同然なことになるのだが︑この税
も︑その栽培業者に右と同じような利益を与える︒外国産毛織物の輸入禁止も︑同様に︑毛織物生産者にとって有利であ
②る﹂︒食肉業者︑穀物の栽培業者︑毛織物業者︑その他多くの製造業者はそれぞれの商品に対する輸入禁止措置や高率の関
税によって国内市場の独占を保障されている︒
しかしながら︑このような特定産業を奨励することによって社会全体の資本と労働を当該産業に集中させることが可能
だとしても︑そのことが社会全体の生産的活動を増大させる方向性を与えるのか否かは疑わしい︑とスミスは次のように
いうのである︒﹁この国内市場の独占は︑しばしば︑それを享受する特定の産業をおおいに奨励し︑社会の労働と資本を︑
独 占がない場合に比べて︑はるかに大量に当該産業に向けさせることが多い︑ということは疑いない︒しかし︑それが社
会の勤労活動全般を増大させる傾向があるのか︑あるいは勤労活動全般にもっとも有利な方向を与える傾向があるのか は︑明らかではない﹂︒輸入禁止措置や高率の関税といった人為的措置が産業の自然的進歩からいえば問題を含むものであ
ると暗示する︒むしろ︑それは資本投下の自然的順序の観点からすれば問題の多いところである︒
ところで︑スミスは﹃国富論﹄第二編第五章の﹁資本のさまざまな用途について﹂において︑自然的な投資順序論を展
開していた︒その考え方は同額の資本を使用した場合︑生産的労働量や労働生産物の付加価値総額は農業︑製造業そして
商業という順位になるというもので︑これは投資効率の大きさを基準にしたものであるといえる︒﹁どんな国でも︑同一の
論 資本が活動させる生産的労働の量と︑それがその国の土地と労働の年々の生産物に付加する価値とは︑この同一の資本が策 助
政 農業︑製造業︑卸売業に用いられるさまざまな割合にしたがって︑大きかったり︑小さかったりするだろ引﹂︒スミスによ入嚇れ ば︑卸売業は卸売として再販売するためのすべての瞳貝は三つの異な・た種類に区別できる︒国内商業︑消費のための
▽ 外国貿易︑仲継貿易がそれである︒﹁国内商業は︑その国の勤労の生産物を︑同じ国のある地方で買って他の地方で売るも
ス
・ のである︒それは内陸商業と沿岸貿易の両方をふくんでいる︒消費物の外国貿易は︑国内消費のために外国の財貨を買う
ム 旬ダ ものである︒仲継貿易は︑諸外国相手の商業を取り扱う︑すなわち︑ある国の余剰生産物を他の国に輸送するものである﹂︒
ア
とくに外国貿易は資本の回収が遅く︑また︑その回転も遅い︒﹁消費物の外国貿易の資本回転が国内商業のそれと同じくら
43 い急速であっても︑消費物の外国貿易に用いられる資本は︑その国の勤労︑すなわち生産的労働にたいして︑国内商業の
44 ⑥半分の刺激しか与えないであろう﹂︒したがって︑同額の資本を投下する場合には利潤率の高い︑同じことであるが投資効
率の高い投資先を選ぶのが自然のことであるという︒
スミスは︑個人は安全で有利な投資先を選択することによって利益を追及しようとするという︒すなわち﹁各個人は︑
自分の自由にできる資本があれば︑その多少を問わず︑それをもっとも有利に使おうといつも努力するものである︒かれ
の眼中にあるものは︑もちろん自分自身の利益であって︑その社会の利益ではない︒けれども︑かれ自身の利益を追及し
ていくと︑かれは︑おのずから︑というよりもむしろ必然的に︑その社会にとって︑もっとも有利な資本の使い方を選ぶ m結果になるものなのである﹂︒
したがって︑資本の使用方法までも指図するような独占は有害な規制であり︑そのような規制は産業活動全体にとって
は無 用の規制である︒スミスはいう︒﹁どんな種類の技術ないし製造業についても︑国産品に国内市場の独占を許すこと
は︑どういうふうに資本を用いるべきかを︑ある程度まで私人に指図することであって︑ほとんどあらゆる場合に無用な︑ ⑧あるいは有害な規制である﹂と︒かくして︑彼は輸入制限政策について次のようにいう︒﹁もっとも︑こうした規制がある
ために︑ある特定の製造業が︑その規制がない場合よりも早く確立されることもあろうし︑一定の時がたてば︑国内でも︑
外国と同じか︑あるいは︑もっと安く製造できるかもしれない︒けれども︑このようにしてその社会の勤労活動が︑自由
に放任 される場合よりも早く︑ある特定の分野にうまく導かれるとしても︑この種の規制によって︑その社会の勤労活動
の総量 が︑あるいは所得の総量が増加することは︑かならずしもならないであろう︒⁝⁝すべてこのような規制の直接の
効果 は︑その社会の所得を減少させてしまう︒そうだとすれば︑社会の所得を減少させてしまうような規制を加えると︑
資本や勤労をばその自然の用途を見い出すよう自由に放任した場合に資本が自力で増殖する速度と比べて︑いっそう速く のそれが増殖できるなどということは︑まずありえない︒﹂︒国内の特定産業に輸入制限や高率の関税を課すことによって当
該産 業部門に独占権を与える政策は︑国策として当該産業を育成するという観点からみれば︑一時的には繁栄もし︑それ
なりの効果があるかもしれない︒しかし︑時間の経過とともにこの規制が邪魔になり︑資本や労働の自由が規制され︑国
内産業全般の生産物や所得は増加しなくなる︒むしろ社会全体の所得を減少させる効果しかない︒こうして資本や労働の
用途を自由にした場合と比較して︑重商主義の諸規制は資本の増殖や蓄積を阻害するので︑むしろ有害である︒
それで は何故そのようにいえるのであろうか︒個人は利益を追及していく時︑最も有利な資本の使い方を選ぶのである
が︑スミスは二つの場合を想定する︒一つは内外産業間の利潤率を均等にした場合であり︑二つには︑生産物の価値を高
めることを目的にした場合である︒
第一の条件についてスミスは次のようにいう︒﹁だれでも︑自分の資本をできるだけ手近な場所で︑したがって︑できる
だけ自国内の勤労活動の維持に︑使おうとするものである︒ただし︑この場合︑それによって資本の普通の利潤ないしそ
れに近い利潤が得られることが条件である︒だがら︑利潤が同等か︑ほとんど等しいなら︑あらゆる卸売商は当然に︑国 oo論 内消費向けの外国貿易よりも国内商業を選ぶし︑仲継貿易よりは国内貿易向けの外国貿易を選ぶ﹂︒スミスがここで利潤と策撤 いう場A口には使用誓本に対する利潤量を意味する︒したがって︑︽スの言ロう利潤とは厳密いえば利潤率の・﹂とである︒
囎 そこで︑内外の利潤率が同一かほぼ同一に等しい場合には︑商人はリスクを考慮し︑遠方での資本の使用を避11自国内
活 で資本を活用したほうが有利になるという︒スミスはこれを自国内で資本が循環する中心になるもので︑外国貿易はその
ス・ 周辺に位置するものであると考えている︒スミスがいうように輸出にともなうリスクや煩雑さを計算すると︑外国貿易に
ムガ 投下する資本を自国内の商業に使用すれば︑より多くの資本が使用されて多くの自国民に所得と仕事を与える・︑とになる
のであろう︒だから彼はつぎのようにいうのである︒﹁そこで︑利潤が等しいか︑あるいはほぼ等しいなら︑だれしも︑自
45 然に国内の勤労活動に最大の支持を与え︑自国民の最大多数に所得と仕事を与えるような方法で︑自分の資本を用いよう
46 とするわけである﹂︒
第二の生産物の価値を高めることを目的にする条件について︑スミスは︑﹁国内の勤労の維持に自分の資本を用いる人は
02
みな︑その生産物ができるだけ大きな価値をもつような方向にもってゆこうと︑おのずから努力する﹂ものであるという︒
労働生産物における付加価値の大きさは利潤率と比例関係にあるので︑資本はできるだけ付加価値が大きくなることを目
的に使用される︒付加価値を大きくすると労働生産物の交換価値が大きくなり︑したがって社会の年間収入も大きくなる
か らである︒現代用語でいえば︑国内総生産額の大きさが国民所得にほぼ等しいという近代の考え方の基本がここには潜
んでいる︒スミスによれば︑個人が資本を使用するのは︑安全性を第一に考えて運用し︑労働生産物の付加価値を最大に
することを目的に産業は運営するものであるという︒その結果として社会全体の利益が増大するのだと考える︒リスクの
多い外国貿易よりも国内産業に資本を使用すべきであるというのは︑投資の安全性を基準にしたからである︒しかも個人
の利益追及のための投資が︑結果として社会全体の利益を促進するという︒﹁生産物が最大の価値をもつように産業を運営
するのは︑自分自身の利得のためなのである︒だが︑こうすることによって︑かれは︑他の多くの場合と同じく︑この場
合にも︑見えざる手︵昌日≦°・一巨︒庁§O︶に導かれて︑自分では意図してもいなかった一目的を促進することになる︒⁝⁝
社 会の利益を増進しようと思い込んでいる場合よりも︑自分自身の利益を追及するほうが︑はるかに有効に社会の利益を 03増
進 することがしばしばある﹂︒﹁見えざる手﹂§日己゜︒﹇亘一⑦ゴ§口の考え方は︑スミスが個人の利益追及という本能を社会
の利益を実現するために橋渡しする媒介項として登場させた概念である︒したがって︑このような考え方を規制する輸入
制限や高率関税は国内産業の発展にとって逆なる効果として作用するのである︒
︵ 注︶
ω ﹈09幻①o°↑︷⌒oo時︾合日oり日︷日﹇一︒︒Φm﹈司一日きヨ障oO9け一8..○巳Oo8﹂o汀閃器.︒︒eSoo︷﹀合日゜り邑日︑︑9冨8ぴく日05
﹀°ζ゜×o=︒ぺ﹈q⊃ベベも゜︽09大内兵衛・大内節子訳﹃アダム・スミス伝﹄岩波書店︑昭和四十七年︑五〇八頁︒レイは次のようにいっ
ている︒﹁この話はエヂィンバラの伝説によっているらしい︒それが公刊されたのは私の知る限りではケイの﹃人物素描﹄の一八三八
年版で︑⁝⁝この本にはいっている伝記の大部分はジェームズ・パターソンによって書かれたものであるが︑早い時代の人の伝記は
そうでなく︑スミスのもそうではない︒それらは皆︑一八三二年に死んだケイ自身が長い間に収集した材料によって書かれたもので
あり︑⁝⁝出版の時までに聞き出した材料によって書かれたものである︒全体は有名な学識高き古事研究家ジェームズ・メードメン
トが編集した﹂︒
② ︾△①日oり日︷﹇亡﹀ロ甘ρ三q︷耳o日02①ε﹃o昌qO巨oo切○﹃日o≦8一日o︷之③匡8°・°日9器Φ<o一已ヨΦc・二冨日↓古o匹三〇戸↑oロ匹o巨
買日合C⌒o﹁﹀°c︒言昌①員③昌OらO且o=三〇日︒乙力斤oロ鼻ζOOOい××邑×°口﹈P杏一◎︒°頁数に関しては特に断らない限りキャナン版の頁
を表記する︒以下︑≦雷一夢oSZ①︷δ昌゜・と略す︒大河内一男監訳﹃国富論﹄一九七六年︑中央公論社版1〜皿巻本を使用する︒n︑
=五頁︒
③ きミ゜もP桧Φよo︒O訳H︑一一六頁︒
㈲ きミ゜も゜ωミ゜訳1︑五七五頁︒
⑤ 合ミ゜もPω心〒ω昏︒︒°訳H︑五七五頁︒
⑥
§⇔°も゜ωふo︒°訳n︑五七五頁︒﹁資本投下の自然的順序にかんする﹃国富論﹄の立言は︑その理論的根拠の証明にあたっては︑ほと
んど全面的に破産しているというべきであろう︒われわれはそこではわずかに︑各種の卸売商業の内部にそれぞれの運転させる国内
⁝
請㍊竃聾顯訂瓢醗鷲ぶが.酵鐸竃聾形成と.豆蓼.承認し.るにすぎな..であ噺馴 聾㌔聾三計賀=⊥︑頁
ス ⑨ 導ミ゜も⑰心︾︒︾︒1杏Nω.訳n︑一二四頁︒
ミヘ
ス
60 芯ミ゜も﹂一ρ訳皿︑=七頁︒
加 ooへ忠S戸±ρ訳1︑一一九頁︒
ダ ー2 軌忠堅
ア 03 §罫⑰☆一゜訳H︑一二〇頁︒﹁見えざる手﹂という言葉は﹃国富論﹄の出版に先立つ十数年前に出版された﹁道徳感情論﹄︵一七
7 五九年︶の中で初あて使われたものであるが︑これはサー・ジェイムズ・スチュアートが彼の﹃政治経済学原理﹄において使用した4 ﹁為政者゜︒訂言ψ・日昌﹂に抗する装置概念として位置づけることができるのではないかということに関しては︑菊地壮蔵﹁﹃国富論﹄第
四篇における﹁商業の体系﹂についてージェイムズ・スチュアート批判の隠喩として読むー﹂︵﹃商学論集﹄︹福島大学︺第六〇巻第三 4 号︑﹁九九二年︶がある︒しかしながら︑もともとスミスは重商主義理論の体系書であるスチュアートの﹃政治経済学原理﹄︵一七六
七年︶を論破することを意識して﹃国富論﹄︵一七七六年︶を書いたのであった︒スミスは一七七二年九月三日のボウルトニー宛の手
紙で︑﹁サー・ジェイムズ・スチュアートの本については︑私は貴方と同じ意見を抱いております︒一度もその本に言及はしませんで
したが︑同書の誤った理論はどれも︑私の本の中で明白かつ的確な論破に遭っているものと自負しています﹂︵↓ゴ︒Oo隅oψ・8且︒昌8
0︵>O餌日o◎ヨ﹂葺oO津o臼●ぺ国゜ρζo胡・盾コo﹃①昌ムピo力゜ヵo︒力oり゜○×甘﹁9一Φべや゜℃二〇︒N°︶と書いているからである︒
︵ 三︶ 等価関税と産業の自然的均衡 ところが︑スミスは国内産業を奨励するために輸入制限政策が有利に機能する場合があるという︒それは︑第一には国
土 防衛上︑ある特定の産業が必要な場合であり︑第二には︑いわゆる等価関税である︒
第一の国防の問題については既に論じたところである︒これは一六五一年にクロムウエルが発布した条例と︑一六六〇
年にチャールズニ世のもとで一六五一年の条例を補訂した﹁海運および航海振興条例﹂を指すもので︑いわゆる航海条例
といわれる重商主義政策の支柱ともいうべきものである︒航海条例についてのスミスの評価には両面がある︒経済的にみ
れ ば︑航海条例によって外国の業者を排除した商人や海運業者のような国内業者が︑国内市場を独占することになり︑国
内市場における商品価格を騰貴させ︑独占利潤を獲得することになった︒このことは資本の使用方法の観点からすれば︑
不 利な分野に投資を誘導することになる故に厳しく批判されるべきものである︑と考える︒﹁航海条例は︑外国貿易にとっ
て も︑また︑それから生じうる富裕にとっても︑好ましいものではない︒一国民の諸外国民にたいする商業上の利害は︑
一 商人が自分の取引相手にたいする商業上の利害と同じく︑できるかぎり安く買い高く売ることにかかっている︒もっと
も完全な自由貿易によって︑一国民が外国民すべてを励まし︑自国が買う必要のある財貨をもってくるようにさせれば︑
そうした財貨を安く買えるだろうし︑また同じ理由から︑こうして︑その国の市場に最大多数の買手がやってくれば︑た カ ぶん高く売れるようになるだろ引﹂︒完全な自由貿易を基準にして考えれば︑航海条例によって外国を締め出すのは投資の
自然的順序を歪める原因になるということである︒
しかしながら︑政治的にみれば︑航海条例は賢明な法律であると評価する︒すなわち︑この時代に海上を制覇していた
商業上最大の強国オランダを駆逐するためには海軍力を強化していくことが国防上必要にして不可欠なことであるという
認識で ある︒このことは︑例えば︑外人だけに課される取引税の二倍を輸入品に課税することが決められていたためにオ
ランダの運送業者を完全に締あ出すには効果のある政策であった︒その結果として航海条例という輸入制限政策がイング ③ ランドの貿易︑海運︑造船産業を有利に導くという理解の仕方である︒完全な自由貿易を目指すスミスにおいてさえ︑国
防は資本の蓄積を促進するための安全保障条件であったのである︒まさに﹁国防は富裕よりも重要であるといったスミス ④
論 の
言 葉は︑国防は富裕のために重要であると︑書き改めなければならない﹂︒
策撤 輸入制限政策が国内産業の奨励と育成に有利に機能する第二の方策として等価関税がある︒︽・は次のようい元固
囎 内産業を奨励するために︑外国産業になんらかの負担を課すことが概して有利な第二の場合は︑国内産業の生産物にたい
江 して︑国内で若干の税がかけられているときである︒この場合は︑外国産業の類似生産物にたいして︑等額の税をかける
ス
・ のが合理的なように思われる︒こうしても︑国内産業に国内市場の独占を許すことにはならないだろうし︑また国の資本
ムダ と労働を︑自由に放任してある場合に比べて︑大量に︑特定の産業に集中させてしまうということもないだろう︒それは
ア ただ︑自然にそこへ向うはずのものが︑税のために不自然な方向に転じるのを阻止し︑内外産業間の競争を︑課税後にも︑
Q︶ ー ほ それ以前とできるだけ同じ条件にしておくことになろう﹂︒ここで︑スミスは租税のもつ調整機能をこの問題解決の説明道
50 具にしている︒すなわち︑一国の資本と労働が完全な自由市場においてどのように運動するかということを判断基準にし
て︑国内産業の生産物に租税が課されている場合には︑外国の類似生産物にも等額の税を課すのが合理的であるとする︒
合理的であるという意味は︑国内産業の生産物に一定額の租税が賦課され︑外国品には課税されていないとすると︑国内
の産業の国際競争力は外国産業と比べて弱くなり︑資本と労働の自然的な配分が歪あられるから︑この関係を均衡にする
ことを意味する︒その場合︑外国品に対する課税は関税という形態で賦課されるが︑その課税額が国内品と同額である故
に︑これを等価関税と呼ぶ︒したがって︑等価関税は国内産業を奨励する輸入制限政策の重要な一翼を担うことになるの
で ある︒この意味において︑スミスは保護貿易主義者であり︑重商主義政策の擁護者なのであろうかという疑問が生じて
くる︒しかしながら︑スミスは等価関税によって国内産業が国内市場を独占することにはならないという︒さらに︑この
政策によって︑一国の資本と労働が特定の産業に大量に集中することもないだろうという︒あくまでも等価関税政策は内
外産業 間の競争を課税後も課税前と同じ条件にするための手段であって︑それは自由競争市場で形成される産業諸部門に
向かうはずの資本と労働の自然的均衡を確保することにあるとする︒
このようにスミスは内外産業間の競争を保持する条件として租税に極めて大きな意義をもたせている︒租税を等価関税
にすべきであるというスミスの考え方は︑実は当時の重商主義論者の行き過ぎた学説に対するものであった︒すなわち︑
スミスは次のようにいっている︒﹁大ブリテンでは︑国内産業の生産物に税をかけるときには︑国内で外国人に安売りされ
るだろうと︑わが国の商人や製造業者たちのやかましい不平をおさえるために︑同時に︑あらゆる外国品の輸入にたいし
て は︑はるかに重い税をかけているのである︒自由貿易にたいするこの第二の制限は︑ある人々によれば︑場合によって
は国内で課税されている国産商品と国内で競争しうるような外国商品に限らず︑もっと拡大すべきだという︒どこの国で
も︑生活必需品が課税されているような場合には︑外国から輸入される類似の生活必需品だけでなくて︑国内産業の生産
物と競合するあらゆる外国品にたいして税をかけるのがよい︑とかれらは主張する︒かれらの言うところによれば︑こう
した生活必需品への課税によって︑生活資料は必然的に高価になり︑そして︑労働の価格は︑つねに︑かならず労働者の
生
活 資料の価格とともに騰貴する︒それゆえ︑国内産業の生産物たるすべての商品は︑それ自身に直接課税されなくとも︑
右のような税の結果︑その商品を生産する労働が高価になるので︑それにつれて︑商品もまた高価になるのである︒だか
ら︑このような税は︑事実上︑国内で生産されるあらゆる商品に直接かけられる税に相当するものなのである︒そこで︑
国内産業を外国産業と同じ条件にするためには︑あらゆる外国商品にたいして︑それと競合する国産商品の価格が以上の ⑥ ような騰貴するのに見合って︑若干の税をかけることが必要になるとかれらは考える﹂︒スミスの等価関税論は︑当時の輸
入 制限政策で外国品に高い税を課す考え方への対抗案であることが判明する︒重商主義時代の商人や製造業者は︑外国の
輸入品にはすべて高率の税を課すべきだという︒その論拠は︑外国から輸入した生活必需品に課税すると︑他の条件が変
わらないとすれば︑生活資料価格は必然的に上昇し︑それが労働者の生活資料の価格に直結しているから︑それを獲得す
論 るために労働の価格の上昇を必要とする︒したがって︑国産品に直接課税しなくても︑国産品を生産する労働の価格が高策撤 価になるので︑その商︒叩価格も上昇する︒だから︑外国.叩への課税は︑事実上︑国内︒加に直接課税される税に相当するも
囎 のなのである︒そこで︑国内産業を外国産業と同じ条件にするためには︑あらゆる外国品に対してそれと競合する国内品
は の価格が騰 貴するのに見合ってそれ以上に若干の課税をするのが必要になるということである︒要するに︑国産品よりも
ス
・ 輸入品の方に高率の関税を課して︑国内産業を競争の面で有利に図ろうという考え方である︒
ムガ しかし︑・﹂の・﹂とについてスミスは次のようにいう︒﹁大ブリテンにおいて︑石鹸︑塩︑なあし皮︑ろうそく︑などに課
している税のような︑生活必需品にたいする税が︑必然的に労働の価格を騰貴させ︑その結果︑他のすべての商品の価格
1 り
をも騰貴させるのかどうかについては︑後ほど租税を論ずるところで考察しよう﹂と言っている︒ただ︑租税論を展開す
52 る前に︑スミスは以上の﹁労働の価格の騰貴によるあらゆる商品の価格の一般的騰貴は︑ある商品に特殊の税が直接かけ
られたのでその商品の価格が騰貴したという場合と次の二点で異なる﹂として︑輸入品への重課税が国内の一般物価を騰
貴させるという考え方に対して以下のように批判する︒﹁第一に︑こうした税によって︑一商品の価格がどれほど高くなる
かは︑つねにきわめて正確にわかるけれども︑労働の価格の一般的騰貴が︑その労働が用いられる︑あるゆる商品の価格
の
一 般的騰貴にどれほど影響するかは︑あまり正確に知ることができまい︒それゆえ︑外国産の各種商品にたいする税を︑
あらゆる国産商品の価格のこの騰貴に︑かなりの正確さをもって比例させることは不可能であろう﹂という︒また︑第二
として︑生活必需品に対する税は国民生活に大きく影響するものであるが︑既に輸入品には過重な税をかけているのだか
ら︑この上さらに新税を課すということは外国業者に対して大部分の商品にも高い負担を強いるということになり︑外国 ⑧を遇する方法としてはあまりにも不合理なやり方であるというのである︒スミスは自由市場における競争条件を同一にす
る目的で︑内外商品の租税を等価にする提案をしているのであるが︑外国産業に重税を課し現在以上に不等価な関係を強
制 するのは不合理であると批判しているのである︒
ところで︑彼は﹃国富論﹄第五編第二章第二節において租税論を展開していた︒既に論じたように︑スミスは租税とい
うものは新たな資本蓄積を阻止するけれども︑現有資本を破壊しないと言っていた︒むしろ︑国家には資本の自由な活動 ⑨を間接的に支える役割があるとさえ言っていた︒問題は等価関税という国家の輸入制限政策が経済的自由主義に基づく自
由市場において国民経済全体にどのような影響を及ぼすのかということである︒国家が自由市場に対して経済介入するこ
とによって︑自由市場の競争原理と同じように資本と労働の配分を誘導することが可能になるのであろうか︒
スミスが﹁国内産業の生産物にたいして︑国内で若干の税がかけられている﹂場合には︑﹁外国産業の類似生産物にたい
して︑等額の税をかけるのが合理的なように思われる﹂と主張するのは︑内国消費税のことを指しているように思われる︒
消費財に課税するのは﹁国家がその臣民の収入に︑直接︑かつそれに比例して課税するすべを知らない場合には︑その支
出に課税することによって間接的に収入に課税しようと努めるわけで︑支出はたいていの場合︑収入にほぼ比例すると考
え られている︒その支出に課税するには︑支出が投じられる︑その消費財に税をかければよい︒消費財とは︑必需品か贅 oo
沢 品かのどちらかである﹂︒このようにスミスは消費財を定義し︑内国消費税について次のようにいう︒﹁内国消費税は︑
お もに国内消費向けの国産品にかけられる︒これは︑もっとも一般的に用いられているわずかの種類の財貨だけかけられ
ている︒これらの税がかかる品目にかんしても︑各種の品目にかかる個々の税にかんしても︑疑問が起こるような余地は
まったくない︒この税は︑ほとんどみな︑私が贅沢品とよんでいるものにかかってくるのであるが︑ただし︑すでに述べ
た四つの税︑すなわち塩︑石鹸︑なめし皮およびろうそくにかかる税は︑つねにその例外をなし︑またおそらくは︑青色 ⑪ ガラスにかかる税も例外となろう﹂︒つまり﹁大ブリテンでは︑生活必需品にかかるおもな税は︑いま述べた四つの商品︑
すなわち︑塩︑なめし皮︑石鹸およびろうそくにかかるものである﹂︒﹁以上四種の商品は︑どれも本当の生活必需品だか
論 ら︑それにこんな重税をかければ︑まじめで勤勉な貧民の支出をなにほどか増加させずにおかないし︑ひいては︑かれら
策 切撤 の賃銀を多少とも引き上げずにはおかないのであ色︒・ミは間接税としての消費税を国産︒叩に課税するのには問題は
嚇 ないとい膓それは具体的には塩︑なめし皮︑石鹸およびろうそくのような生活必需品である︒贅沢品に課税するとその
ジ 商品価格のみが高くなるが︑必需品への課税はすべての製造品価格を高めるという︒なぜならば︑生活必需品の購入を維
ス
・ 持するためには労働賃銀の引き上げを必要とするからである︒贅沢品への課税は必ずしも労働賃銀の引き上げを引き起こ
ム さないので︑その商品価格は課税前の価格に消費税分を上乗せしたものになる︒しかし︑生活必需口叩に対する課税はそれ
より複雑で︑国民経済に対する影響には重大なものがある︒生活必需品課税の影響についてスミスは次のように言う︒﹁こ
53 ういう品目にかかる税は︑かならずや︑その価格を税額よりいくらか高めに引き上げる︒なぜなら︑この税を前払いする
商人は︑通常︑利潤ともどもその分を取り戻さざるをえないからである︒それゆえに︑こうした税は︑この価格の値上が
45 個
りに比例した賃銀の値上がりをひき起さずにはいないのである﹂︒雇い主は労働者の賃銀率の引き上げ分を前払いせざる
を得ないから︑この引き上げ分とそれに対する利潤とを製品価格にかぶせる︒これに課税分を上乗せして︑最終の製品価
格にする︒これを消費者が支払うことになるのである︒つまり︑生活必需品の課税後の価格は︑課税前の製品価格に賃銀
分 と利潤分をかぶせて︑それに消費税分を上乗せすることになるので︑課税前に比べて製品価格は賃銀上昇分と新たな利 ゆ 潤分と消費税分だけ高くなる︒したがって︑次のようにいえる︒﹁どんな税であろうと︑相当長期にわたって︑ある特定の
事業の利潤率を引き下げておくということはできないのであって︑というのも︑この事業は︑その近くにある他の事業と
いつで も同じ︹利潤率︺水準を保たねばならぬからである︒麦芽︑ビールおよびエールにかかる現行の税は︑これらの商
品を売る商人の利潤に影響を及ぼしていないのであって︑かれらはみな︑自分たちの財貨の価格を高めて︑税の分にたい
09
する追加利潤ともども︑この税金分を回収するのである﹂︒ここには︑特定の事業部門は課税によって長期間にわたり利潤
率 を低下させてはならないことが書かれている︒それは︑この部門からの資本の流出を意味するので︑それを防ぐために
は︑異なる事業部門との間の利潤率を相当長期にわたって同じ水準に保たねばならぬことを主張していることなのであ
る︒そうであるならば︑租税は国内産業部門間の利潤率を同一するための手段として重要な役割を担っていることになる︒
課税は商品価格を騰貴させるだけであるが︑商人は課税分に対する利潤を追加して︑前払いした税金分を回収するという
行動をとるというのである︒だから︑課税によっても商人の利潤率は低下しないのである︒これが︑課税によって国内の
産 業諸部門間の利潤率は均等に維持できるといえるゆえんである︒
この考え方に基づけば︑国産品の課税は利潤率を均等化する役割をもつことになり︑外国品と対等に競争させるために
は︑外国品を課税国産品と等価にする関税を課す方策が必要になってくる︒スミスはこの価格構成を基準にして外国品へ
の課 税︑すなわち関税を考察し︑自由市場での同等な競争条件を想定する︒しかしながら︑重商主義者たちは国際市場で
優位な立場を確保するために︑外国品に対して等価以上の高率の関税を課すことを主張する︑とスミスはいう︒﹁大ブリテ
ンで は︑国内産業の生産物に税をかけるときには︑国内で外国人に安売りされるだろうという︑わが国の商人や製造業者
たちのやかましい不平をおさえるために︑同時に︑同種のあらゆる外国品の輸入にたいしては︑はるかに重い税をかけて お いるのである﹂︒スミスによれば︑関税収入の源泉の大部分は次のような諸品目である︒大ブリテンで広く消費されている
外国品というのは﹁外国産の葡萄酒とブランデイであり︑また砂糖︑ラム酒︑煙草︑ココヤシの実などのようなアメリカ
および西インドのいくつかの物産︑茶︑コーヒー︑陶器︑各種の香辛料︑数種の織物などのような東インドのいくつかの
物産がおもなものである︒﹂︒そして︑次のようにいう︒﹁現在にいたるまで︑外国の製造品にかけられている税は︑いま数
えあげたなかにふくまれている︑わずかの品目にかかる税を別にすると︑その大部分は︑収入ではなしに独占を目的にし ⑰ て︑つまりわが国の商人に国内市場での有利な地位を与えようとして︑課せられてきたものである﹂︒﹁外国商人の儲けは︑
論 イングランド商人の儲けよりも冷たい眼で見られた︒そこで︑前者の儲けのほうが︑後者のそれより重い税をかけられた策順 の も当然であった︒外国人にかける税と︑イ・Zフンド商人にかける税との・﹂の差別は︑無知から始まったものではあっ
嚇 たが︑独占の精神ゆえに︑つまり︑わが国の商人を︑国内市場と外国市場との両方で︑有利な立場に立たせるために︑引
は きつづき行われてきたのであっ㎞﹂︒自国の競争力を他国と比較して独占的に優位にするために他国の商品に高率の関税
ス
・ をかけることは︑スミスによれば︑無知から始まったことであった︒主権者の収入は地祖や印紙税及び消費税や関税から
ムげ 成っているが︑とくに内国消費税と関税収入に主権者の収入が大きく依存している現実は︑外国からの幾種類もの財貨の
輸入 を禁止する方策をとるわけにはいかなくなる︒独占を確保することだけを主眼において︑それらの輸入を完全に禁止
55
すると関税収入は全部ふいになってしまうからである︒したがって︑重商主義者の独占を確保し︑同時に主権者の収入を
56 も確保するたあに外国品に高率の関税を課す政策をとらざるを得なくしている︒外国品にたいする高率の課税はその商品
価 格を騰貴させる効果がある︒だから︑スミスの評価は︑それらの政策を基本にした﹁種々さまざまな外国品の輸入にか ⑲けた高い税は︑大ブリテンでそれらが消費されるのを抑えようとするものであった﹂ということになるのである︒もちろ
ん︑このような消費抑制論は有効需要の拡大を基本とするスミスの受け入れざるところであった︒
スミスは輸入制限には二種類あるという︒﹁第一に︑どの国から輸入されるかを問わず︑自国で生産できるような国内消
費用の外国品の輸入にたいする制限︒第二に︑貿易差額が不利になると思われる特定の諸国からの︑ほとんどあらゆる種
類の財貨の輸入にたいする制随﹂である︒自国産の商品と競合する外国品には︑どんな国のものでも輸入を制限し︑また︑
逆なる貿易差額が発生する取引の場合には︑当該国からのすべての輸入を制限する︑というものである︒スミスは︑これ
らの輸入制限手段がその国の産業の年々の生産物の価値を増加させるのか︑それとも減少させる傾向にあるのかという視
点に立って︑具体的に次のように考察する︒
まず︑最初に︑外国産穀物の輸入について︒﹁わが農村の大地主が︑外国産穀物の輸入にたいして︑平年作の年には輸入
禁止にも等しい高率の税をかけ︑また奨励金を設けているのは︑製造業者の行動をまねしたのだと思う︒かれらは︑輸入
税の制度によって国内市場の独占を確保し︑奨励金の制度によって︑国内市場がかれらの商品で在荷過剰になるのを防止 ⑳しようと努力した﹂︒だが︑この制度によって穀物の名目上の価格を引き上げても︑穀物の真の価値を高めたことにはなら
ない︒一般的にいえば︑穀物の真の価値は︑この穀物が養うことのできる労働の量に等しいからなのである︒穀物は他の
すべての商品の真の価値を究極的に測定し決定する規制的商品なのである︒他のあらゆる商品の真の価値は︑その平均の ⑳貨 幣価格が穀物の平均貨幣価格にたいして保つ比率によって︑究極的に決定されるからである︒
第二に︑わが国産の毛織物または亜麻布について︒輸出奨励金または独占価格によってこれらの商品の名目上の価格は
騰貴し︑自然に放任しておく場合と比較すると︑この財貨はより多量の労働および生活資料と等価にし︑これらの製造業
者の利潤︑富︑所得を名目的にも実質的にも増大させる︒﹁これは要するに︑この製造業を実際に人為的に振興しようとす
ることにほかならず︑自然に放任しておく場合に比べて︑この国の勤労をより多量にこの製造業に向かわしめるわけであ
る﹂︒こうして︑資本の自由な活動によってもたらされる国内産業の自然的均衡は確保できなくなるのである︒
第三に︑原料の輸入について︒輸出を優遇し︑輸入を抑えたので︑﹁主としていくつかの製造業の原料にかかわる︑ごく
わずかの例外が認められていただけであった︒これらの原料をわが国の商人や製造業は︑できるだけ安く自分たちの手に
入 れ︑他の国の自分たちの商売敵や競争相手には︑できるだけ高く入手させようとするのである︒また︑この理由から︑
外国産原料でも︑時としては無税で輸入することが許されることもある﹂︒これに該当するものは︑例えば︑スペインの羊
毛︑亜麻や原料亜麻糸などである︒また︑国内産の原料や植民地の特産物の原料輸出は禁止か︑または特別に高率の税が ㈱
課 された︒さらに︑イングランド産羊毛の輸出は禁止された︒
論 第四に︑大ブリテンの植民地からの製造業用原料輸入には奨励金︵生産奨励金︶が与えられたが︑同じ品物を外国から策
政
輸入する場合には重税が課せられた︒これは重商主義政策の誤った考えである︒具体的には︑船舶用資材の輸入︑例えば
入鰯 マスト用材︑ヤード︑バウ.スプリ・ト︑タール︑ピ・チ︑テ・ピ・などが含まれていた︒さりに︑藍︑大麻及び粗製の
は 亜 麻︑木材︑生糸︑葡萄酒用樽︑大樽︑樽板及び樽底板などであ㎞︒さらに無税の輸入について︑スミスは賃銀・物価直
ス・ 結論を基礎にして次のように考える︒生活必需品を自由輸入すれば︑国内市場における生活必需品の価格が下がり︑労働
ムダ 賃銀も下がるけれども︑貨幣の購買力は下がらず実質賃銀は不変であるから︑国内製造品の価格を引き下げることが国内
ア 市場や海外市場における競争力を強化するため自由な輸入は自国にとって有利であるという︒すなわち﹁労働の貨幣価格
57 が下がれ ば︑かならず︑それにともなって︑あらゆる国内の製造品の貨幣価格が比例して下がるから︑このために︑国内
58 の製造品はすべての外国市場でいくらか有利になるだろう︒とくに︑いくつかの製造品の価格は︑原料の自由な輸入のお
か げで︑もっと大きな割合で下がるであろう﹂︒﹁もし︑生糸がシナやインドから無税で輸入できるようになれば︑イング
ランドの絹織物製造業者は︑フランスとイタリーどちらの製造業者よりもずっと安く売りに出せるようになろう︒そうな
れば︑外国製の絹織物やビロードの輸入を禁止する必要など少しもなくなってしまうであろう︒わが国の職人のつくる品
物が安いということは︑かれらが国内市場を確保するだけでなく︑外国市場を広範に支配することをも保証するであろ
㈱う﹂︒
第五 に︑国内消費向けに輸入される外国産の贅沢品について︒例えば︑外国産葡萄酒︑コーヒー︑チョコレート︑茶︑
砂糖など比較的高級品など国内消費向けに輸入される外国産の贅沢品にかかる税は︑中流階級以上の人々が負担するが︑
場 合によっては下層階級の負担になることもある︒しかし︑下層階級の必要支出にこのような消費税をかければ︑労働の ㈱賃
銀 を引き上げる効果があるので課税すべきではない︒
そして最後に︑スミスは報復関税について以下のように論ずる︒国内産業を振興するためには︑外国産業に若干の租税
を課すことによって国内の軍事産業の振興を図ることと︑国内産業に若干の税がかけられている場合に外国産業の類似生
産 物にたいして等額の税を課す場合の二つを︑スミスは挙げていた︒しかし同時に︑輸入制限政策をとる場合には二つの
ことに留意すべきであるという︒すなわち﹁その一つは︑特定の外国品の自由輸入をどこまで続けるのが適当かという場
合であり︑もう一つは︑外国品の自由輸入が一時中断されていた後に︑その輸入をどの程度まで︑またはどういう方法で︑
再 開すればよいかという場合である﹂︒輸入制限政策をとる場合︑第一に留意しなければならないことについて︑何故慎重
に考慮しなければならないかをスミスは次のようにいう︒﹁ある外国品の自由輸入をどこまで継続するのが適当か︑という
ことが熟慮を要する問題になるのは︑ある外国が︑高率関税もしくは禁止の処置によって︑わが国の製造品のうち︑ある