• 検索結果がありません。

文末辞・語已辞としての「者」字(二) : 『萬葉 集』における用法から

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "文末辞・語已辞としての「者」字(二) : 『萬葉 集』における用法から"

Copied!
20
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

文末辞・語已辞としての「者」字(二) : 『萬葉 集』における用法から

著者 廣岡 義隆

雑誌名 三重大学日本語学文学

12

ページ 15‑33

発行年 2001‑06‑24

URL http://hdl.handle.net/10076/6565

(2)

文末辞・語己辞としての「者」字(二)

F高菜集』における用法から1

h「)

上代散文における文末辞及び誇巳辞としての⊇巴字の用法

等に関する研究史や基本的事項については、当稀と同時に成った「文末辞・括巳辞としての「者」字(一)

ヨ風土記』

逸文・憂巻十K左往の用法から⊥

(注l)に配し

たので、ここには記さない。当稀(二)が先に出、(一)稀の

方が後に出ることになるが、併せ見ていただきたい。

当稀は、右の(一)稀で見る‑〜とが出来なかった■裏

中の残りの覇というよりも拳工ハの左注に見られる五例を

除いた他の嚢中の例について、文末辞「声】字の側面

から検討したものである。

憂における文末辞コ有」について、これまで断片的

な指摘はなされていても、その全例について指摘した研究を知らない。全例と武断を以て発音したが、厳密には助詞「ハ」表

記(直木孝次郎がA顎と毒するもの

‑注2)・「バ」表記

(直木氏の旦顆)、文末辞(直木氏のC類)・欝巳辞(直禾氏のD類)としての「者J字や、名詞「ひと」としての「者」字との識別は、蜜柑を極める場合がある。と共に、「声】字における「とりたて」の助字としての用法は中国において古くから存在し(訂別事詞】『或サ金琴己)、その「とりたて」用法は、本来、語巳辞としての「者」における文僻上の派生義であろうと考ろられる。同じことは我が国に

おける国訓においても、⊇巴字を助詞「ハ・バ」と訓むこと

の淵源は、帯己辞として置かれた準又の「者」字に、文脈上国

訓の「ハ・バ」を補ったところに由来するものであろうと推考

できる。

こう考えると、助詞「ハ・バ」表記としての⊇巴字と帯巳辞としての「声】字との境界は在って無きが如くとなり、総体

としての文末辞を考えようとすると、嚢中全例の⊇巴

字を検証しなければならないこととなる。本稿はその予備作業

を経たものである。今は煩墳を避けるために、一般に助詞「ハ」只」表記と考えられる例はここで取り上げない。こうした間

一15‑

(3)

題が介在していることを断っておきたい。

菅田蕃宋】にお山りる用法

文末辞に闘わる嚢中の事例(歌句中の散文的措辞例

を含む事例)について「用例1〜33」とし、また帝己辞の内

紛展開の関わりの上から必要な事例を「用例イ〜ロ」とし、関

連する参考事例について「用例a〜h」の形で示して、検討す

る。

左注は一般に歌群を統括しての注として存在するが、ここでは便草上、左注の前に位置する一首を指標として「l・三九左」

などと表示した。巻五の散文作品にあっては、宝永版本の丁数行数でその所在を示した。また、書簡はその旨を断q割注の

場合は割注と表示した。その挙例について、タイプ別に巷蛮町することを考えたが、

従来、この種の「者」字に関して無考慮に読まれ来たった面があるという経緯を考え、本文検索の便を優先して、敢えて高菜

巻次順・歌書号順に示し、後にタイプ別に考察した。

l・●

●‑‑

I●1‑●

l

a・右一首歌今案不似和歌者(1・一九左)

この「壷巴字は文末辞としてのものと容易に理解闇米るが、

葉音写本にこの「者」字は存在しない。憂

(時雨亭文庫本や量本(注3))に「者」字

が存し、かつ憂盲写本にこの「者」字の箇所が空白に

なっているものが存するので(藁)、ここに参考

としてとりあげたものである。厳密には冨塁董註釈』の文と

いうことになる。よって、通常の例とは区別して「用例a」と

した。

lO急配王伊勤箇菅昏罷勤労塞琴入線級辞甫組鮮学

(l・二四左)

この⊇巴は、助詞「ハ」としての例か文末辞例か、その判

断に苦しむ。藷注釈書が助詞「ハ」と認定している中で、‑私汝にのみが「声」で句点を打つが付訓されていなくて、読点と

しての付点であるのか、曖昧なところがある。ところが、この

左往の文構成を検討すると、このコ有」は文末辞としての用法

であることが明らかになってくる。

右義じ日本粁矧

天皇四年乙亥夏四月戊成朔乙卯

三違王有

罪流干因幡一子流壁旦嶋一子流血鹿嶋也。…第【文

配干伊彗嶋

者∵…………・…・・・…第二文粛後人綾歌辞而誤記乎っ・…・・……・…・・・…・・…#lニ文

巻一左往の施注者は、まずr日本紀』を引いて麻親王の配流

先を示し、それが「萱島」でないことを示し(第一

文)、ついで題詞に「萱声】となっている事実を撮

(4)

起し(第二文)、最後に「若疑」として自己の見解を披露して

いる(第三文)。その題詞には「急伊塾国富護鴨乏

時・・」とあり、第二文と若干の文字の異同があるが、その程度

の遠いは当時にあっては考慮外のことであったのだろう。第三

文の「縁歌辞」とは、二三春歌第二句の「魔王」及び第四句

の璽何四聞」、また二四番歌第四句の「伊良霹】を

さすものと理解できる。.さて、第一文は「日」を受けて「」也」

で結び、第二文は「云」を受けて「者」で結び、第三文は「若疑」を受けて「乎」で結ぶとい・轟然とした記述になっている。よってこの第二文は、「是に云はく伊勢国伊良虞島に配すと

いへり。」と、一旦文を切る文体となってくる。コ署亡は助詞

「ハ」を示しているのではなく、文末辞「碧亡なのである。

20右日本観馴…・中噂…・・四月幸土星甘査妬何月従

駕作歌(1・三九左)

ここは上の「日」を受けて⊇空で結ぶ文体である。山田氏『帯菱など古いものは「トイヘレバ」と下へ続けているが、

【窪釈』が初めて句点を打ち(その訓はない)、続いて蓑

が「といふ。」と訓んで終止した。この流れを汲む⊇話巴及

び『薪全集』が⊇巴で終止している。しかし、最近のもので

も稲岡新二氏の雲や霊などは旧に従って切

らずに下へ続けているものがある。誤りと言わねばならない。 30此云山多豆者是今連木者也(2・九〇割注)

当例に関わる九〇春歌は「允恭配』所載の配歌諦八八を記し

たものであり、同割注は『古事記』の割注そのものの転配であ

るQ

「云山多豆者」のコ君亡は助詞「ハ」の表記であるが、文

末の「者也」は詔巴に多い文末帝である。このことは、直木

孝次郎氏・山崎孝雄氏・石塚時速氏・瀬間正之氏・山口佳紀氏

などによって、『古事討巴においては殆どの例が「者也」の形

を取ると指摘されている(注4)。刀蕾監(土屋文明氏現ヨ

が「造木といふ者なり一】(【私法』も同訓)と訓んだのは文末辞「者(也)」の理解がないことによる。

『金子評釈』は⊇巴と訓む。理解としては「者」も「也」

も文末辞としての置字であり、「トイフ」「トイヘリ」などは冒頭の「日・一至の頬と呼応する補統であること、山崎孝雄氏

の指摘するところである(注5)。当条の「云」は一見「云……者也」の呼応であると見誤りやすいが、当例のコ至は「此

に山多豆と云ふは」(或いは、「此に云ふ山多豆は」)と掛

かって行く「云」である。よってここは「今の遣木そ。」など

と訓み、「者也」は不読とするのがよい。

4嵐・…串噂…・・仇移太娘皇女於伊敵劃(2・九〇左)

この箇所は「日…・・きの文型であり、憂が「コ署亡

は「トイヘリ」とよむ」と注するのがよい。】部に接続助詞と

して訓んでいる本がないことはないが、文末辞としての解は安

‑17‑

(5)

定していると言ってよい。

50未事此小弁者也(3・三〇五左)

当例は、上に「云」「日」などがない。ここは、上に「右歌

戎本日小耕作也」とあり、それを受けて当該文がある。この箇

所について常注の全てが「小人牙といふ者」と訓んでおり、前記

山崎孝雄氏も「ひと」と訓むところとする(注6)。しかし右

の「用例3」で見たように、「一声」は「也」と複合した「者也」

においてより強力な文末辞として存在する。「用例3」の粂に

おいて、⊇巴や「者也」に「トイフ」等の訓が付くのではな

く、⊇巴や「者也」は置字であり、上の「日」などとの呼応

から「トイフ」等の訓が捕われるとした通り、ヨ芦】は引用辞ではないのであるQ当例は上に照応する「日」字の塀がなく

引用の文ではないから、憂】を結ぶ辞として衰」

はあり、ここは不読でよい。即ち、声事こ此小弁‑者喝」と返点が付き、「此の小弁を審jず。」と訓むのがよい。

60欲誇∬讐暑(4・五六七左)

「遺言を誇らまく欲りすといへれば、」

(辺m仰釦巴

(石井庄

司氏担当))などと訓まれ、以後この訓が多い。「用例3・5」

で言及したようにコ声】字に「トイフ」の訓があるわけではな

く、当例も⊇巴の文末辞で切るのがよい。⊇巴の箇所で句

点を初めて付したのは「用例2」と同様に『注釈』であり(馴

はない)、続いて套が「原文の文末の「者」字は、終末

の助字としての用法」と注を付した(霊ではこの注が

ない)。しかしながら、最近の雲は「遺言を詰らむ

と欲する者を」とし「望み請ひしとき」と続けた。失解である。

歪も「遺言を誇らむとおもふと言へれば、」と旧を踏

襲し誤っているQ

70若疑神仙者乎(5・八五三序)

「若し疑ふらくは神仙といふ者乎」

(匪

(森本治士民

担当))「若疑神仙者乎」(【金子評釈』)等と訓まれてき

たが、歪では「着発神仙ならむかといふ」とした(【全

集』も同訓)Q「といふ」と訓んだのは、上に存する「僕間日】

の「日」に応じた読みである。「者」を文末辞と認定し、「も

の・ひと」とは訓んでおらず、評価できる。「用例3・5」と同様にコ菅平」で文末管‑認めてよいものである。「ならむか」

としたのは副詞「けだし」に呼応しての補読であり、「〕声」を

「ならむ」、「乎」を「か」と読んでいるのではないQところ

が『注釈』の此の箇所は、「といふ者」とい・ヱ出い訓により、

最近の歪も「…神仙の者…」としてしまっている。盲

態の良い訓みと認めてよいのは『新選の「けだし神仙に

あらむかといふ」の訓である。

(6)

80謂……中略・・・・・・以此為業者也

(5・沈痛百哀文、32ウ1、割注)

文末砕か否かは、文意と文構成から決定できる。「沈雪長

文」においては、対句や句の字数待という文構成の面から判断

できる場合が少なくない。この箇所は、

常執弓箭不遜六粛

所償貪

不帝大小串及不寧

並皆敦食

以此為業萄

と四字句が基本となり、冒頭の「謂」を文末の「者也」が受け

る構文となっており、「者也」は文末辞として置かれている。

ところがこの箇所について、常注の全てが「…する者を謂ふ也」などといった類の訓にしている。私自考この箇所の訓読を担

当した際に、「為る者を謂ふ」とした(注7)。この割注に対

応する本文箇所には「朝夕萎己とあり、その「者」は

「ひと」や「もの」の意で使用されている。その注記としてあ

る割注であり、「…者を謂ふ」としてしまうのである。ところ

が右で見たように、四字句の配列から見てもコ首相亡は文末辞としての畳字であり、「ものなhエという訓を示すものではな

い。このことは、次に示す「用例9」からも証明される。

90謂……中略……潜採深渾之底者也

(5・沈翼、32ウ3、割注)

前項の「用例8」と同じ文型であるが、句の字数が異なって

いる。即ち、

漁夫港女各有所動

男者手把竹竿能釣波浪之上

女者腰帯塾寵「潜採深澤之底

者喝

と四字句と六字句による整った字数句で綴られている。「男者」

からのA部の十二文字とコ塾戸】からのB部の十二文字とは対

句になっており、これを「者也」が受けて終止している。この

箇所も語注の全てが「…者を謂ふ」としているQ先に示した私

自身の訓読を含めて、これらが失考であることは明らかである。

b・矧百病結構沈書在軋矧

(5・沈痛日夏文、33ウ4、割注)

当例は参考として「用例b」として掲げたものであり、文末

辞とは関わらない例であるQただ、誇注と言ってよいほとんど

の曹が「…内に在る者有れば」などの訓にしており、発言して

おく必要を覚え「用例b」としたものである。次の「用例C」

においては、清注の多くがコ声】を「ぱ」と訓みながら、ここ

は「者亡を「ひと(もの)」としているからである(かつての

拙解も同じ)。この「用例b」は上の「若し」と照応して「有

l身と訓む文脈であり、次の「用例C」と文構成は何ち変わ

るところがない。先行の蹟きに従って同じ轍を踏み、誤った書

がほとんどであるという意味では文末辞と同じ問題を背負って

いる。こうした中において、蛋は「・・・内に在ることあら

むときには」と訓じ、【注釈』は「…内に在るものあらむに」

19

(7)

とした。さすがの訓みと言ってよい。最近の雲巴の訓は、

「…内に在るもの有れば」となっており、「者」字の訓が「も

の」なのか「ば」なのか、判然としない(どちらかがその訓と

なり、他方が補読となる)。¢・劃垂道悪速笥

(5・沈習表文、33ウ6)

前項で示したように、諸法が⊇巴を助詞「ぱ」と認定して

いる。唯一の例外と言ってよいのが霊であり、「宥し

聖医神薬の者に逢へば」と「ひと」で理解している。前項「用

例b」と同様に、条件辞と理解すべき箇所である。

川○矧首景公疾憂而撥葡可謂為鬼所敦也

(5・沈痢自責又、33ウ8、割注)

拍巣氏『全釈』が読点で下へ続け、『全註釈』の「晋の貴公

疾めり。秦の医緩視て遣りしは、鬼に殺さるといふべし。」の

訓みや、『私注』の「晋ノ景公疾ム、秦ノ医緩視テ遺レルハ鬼

ノ為こ殺サルト謂フベキヲ謂フ」の訓みなどが代表的なもので、

多くの青が下に続けて訓んできた。ヨ葦監の「晋の景公疾め

るときに、秦の医緩視て遣るは、鬼に殺さゆといふべしといふ

ことをいふぞ」は和化を徹底させた訓みであるが、同じ文脈で

ある。コ者亡を文末辞としてそこで終止したものに、森本治土日

氏分担の忘肌替巴があり、「晋の景公疾めり。秦の医綬視て遺

りしを謂ふ。鬼の殺すところとなると謂ふべし。」としている。

『注釈』とコエ注』(井村哲夫氏分担)とがこの訓みに近く

「要己で終止している。霊は「晋の景公疾みて、秦の

医緩の視れども選りしを謂ふ。鬼の為に殺さると謂ふペ重な

り。」としている。ここは、上にある「贈巴を受けての文末辞「居であり、次のよ当に訓むのがよい。み

かへ

帝はぐ、晋の景公疾み、秦の医なる緩、視て遣れりといへ

り。鬼に殺さるるを滑ふペし。

「裾て遣れhヱが意味するところは、『新大系』の「視れど

も選りし」という内容である。

‖執…・中噂…・・顔色壮年為病壊乱割判

(5・沈痢白芸文、34オ2)

これも文末辞としてのコ菅平⊥の例である。この箇所の文構

成は、融副生録未半為鬼柾敦

顔色壮年為病壇困尋

となり、四字句の東尾に文末辞コ有年」を置き、上の「何況」

と呼応する形となっている。例えば鴻巣氏『全釈』は「孝】

を「ヲヤ」とし、歪ほ「はや」と読んでいる。これらは

その訓というよりも補読と見るのがよいが、穏当な読みである。

ところが、蓑は「病に横に囲めらるる者はや」と誤り、

これ以後の注釈書は注7の拙稿を除いてその全ての書が誤って

いるとい・ユ有様である(当穣執筆時の最新の書は、霊

である)。

(8)

柑○不能百治者乎

(5・沈痛自一莫、35オ2、割注)

これも「用例u」同様の文末辞「者乎」である。

以此而観

乃知

我病羞斯飲食所招

不能目治

という文構成になる。『総釈』

『全註釈』以降霊に至

るまでのほとんどの音の「…ものか」や、惑巳の「・・・モノ

ナルヲ」の読みは、「憂を訓んだものであろうか、ならば

誤訓と言えよう。因みに私は、注7の拙稿で「自ら治むるや能

ふと」と訓んだ。「者平」は不読字である。

柑a酎別百人方士自負丹繹入於名山而合英之劃

(5・沈痛眉哀文、36オ1)この箇所について、惑巴はコ君こ(「ひと」の意ととれる)とし、『仝註釈』は助詞「は」とし、爾後の誓はこのど

ちらかの読みに分かれている。しかし、ここのヨ芦」は、漬文

体としては文末辞と認定できる。「ひと」であると、「道人方

士の内で…する者は」という限定的な意味となり、おかしなこ

ととなる。道人や方士は、本来「自負丹経入墓】と

いうことをすることになっている。またこれを助詞「は」とす

ると、その上の「之」の存在が疑問になってくる。この箇所は

以下のように四字句を基本とする文体である。

前訓 通人方士自負丹経入於名山而合薬之

兼性情神

以葦

即ち、この箇所の訓みについて、その上の箇所を括弧で持って

補って読むと、

(若し夫れ、群生晶堰、皆尽くる身を以ちて並に窮り無

き命を求めぬは美し。)所以に、道人・方士の、自ら丹経

を負ひ、名山に入り、薬を合はせり。性を養ひ神を憎びし

め、以ちて長き生を求むとなり。

となる。

川○鳳矧り・・…中噂…・・何慮存亡之大乱倒

(5・難留詩序ヽ那7オ7)

ここの文構成は、

況乎

発始終之恒赦

慮存亡之大期

と理解すべき箇所である。文全体にかかる「況乎」の副詞句と、

最初の六字句にかかる「縦」の副詞句があり、ついで次の六字

句にかかる「何」の副詞句とがあり、文末辞「者也」はこれら

の副詞句と呼応している文体である。その内のニケ所の副詞句

(「縦・・・・・・」と「何……」)が対応しており、

況乎

(縦A

何B)者唱)

という文構成になっていると分析できる。産が「況んや

縦ひ始終の恒警覚ると屯何ぞ存亡の大期を慮らむ」と訓む

ように、渚注のこの箇所の訓みは問題がない。『金子評釈』が

「者也」と読んでいるのは、補読と解釈出来る。

‑21‑

(9)

用亀・…・中噂・…・但天皇々后御歌各有一首者l

(6・一〇〇九左)

上の「芸」を受けて「声】で結んでおり、匪

(新村出

氏毎は丁各一首ありといへり。」と訓読している。これ

がよい。ここは、

此歌一首太上天皇御歌但天皇々皇御歌各有一首萄

其歌過落未得探求

慧「

という文構成となっている。『全註釈』は「…各一首ありといへれば、その歌……得雪」と訓んでいる。これは「者」字を「ぱ」と訓んだものである。と共に苫註釈』は、その上の箇所を「或るは云ふ、この歌一首は太上天皇の御歌なち」と一旦終止している。「といへり」と訓み得るのは、⊇巴の訓で

はな7\上の「云」から来る読みであり、その上の箇所で文を終止すれば⊇巴の箇所で「といヘヤ】と読む根拠を失うこと (編集時のコメント)となる。こうした文脈を押さえているのは【注釈』であり「…御歌「…】首者1」と訓む。その後'全集』

霊など、こうした文脈で理解しているものも少

なくない。しかし、雪ごはこの箇所を次のように誤って

いる。或いは云はく「この歌…・・・御歌なり。但し、……各一首

になり、読み得ない。

ナ.狗へ

或は芸ふ、此の歌一首は太上天皇の萄但天皇々后の御

歌は各】首有りといへり。其の歌は遺せ落ちて探り求むる

こと撃

と読むのがよい。即ち「或云」は「者」までかかり、天皇と皇后の御歌が各一首あqこの一〇〇九春歌はその天皇の御歌で

あると伝えているとの内容となり(以上、伝承蔓、続く一

文は、もう一首の皇后歌は探しても見出だせないという内容 有り。その歌・…・・求むること得ず」といふ。これは「或云…・・・者」の照応と、「者」の文末辞ということを把達していないことを示している。

柑○右酒看官禁制偶・…・串噂…・・但親々一二飲薬聴許矧

(8・一六五七左)

「用例15」の文構成に近い。「傭」字は「群」字と塀同し、コ昌・述・説」の恵を示す文字であり、『続日太絶』の天平四

年七月五日条(注8)や天平九年五月十九日集等の「招日」に

該当する。

ここは、コ聾官禁制嘩京中間里不筆但耕々一

二飲羞許葛藤此和人作此亀」という二文からなq

前半を閉じるのが⊇巴の文末辞となる。その宙宇部の文構成

は、

右酒看

官禁制儒一壷

不得集宴

親々〓一飲義許萄

となり、四字を主とする句からなっている。その訓みは、「右

(10)

の酒は、官禁制して偶はく、……、但、・‥…とのりたまふQ」

ということになる。常住の多くが「聴許すといへり。」と訓ん

でおり、待遇価値の間葛を除けばこの訓みでよく、「官禁制偶

…撃は「官禁制して傭はく、…聴許すとのりたまふ。」

とよむのがよい。

この左往は、倭歌の第一二句「官垂に対応してお

り、「聴許すとのりたまふ。」は歌の第二句「縦鷲」に即

応している。このことに関する注記が左往後半の、

縁此和人作此顎句

矧‑

となる。「和人」とは「和ふる歌」即ち一六五七春歌を作った

某人をさしており、「発句」とは歌の第〓一旬を言う。

HO謂大墓笠郡之大野山頂号日大城者也

(10・二一九七割注)

この文末辞「者也」は、すぐ上の「号日」を受ける辞か、そ

れとも文頭の「謂」を受ける辞かの二葉が考えられるが、文末

辞の常からして、文頭の「謂」を受けると見るのが良かろ・【ち

渚注も「謂」からの一文としている。

柑○但此短歌者成育云…・・・中略……之時作歌者也

(13・三二四】左)

相集氏『会釈』は「歌の下の者は街か」とする。これは恐ら

く藁の「西、朱こテ消セリ」に拠った発言に速い

ない。西本願寺本はコ有」字を朱で見七洞チにしている。「者」

字の存在しない他本は詔茸裏芸透による限り存在せず、こ

れは異本校合ではなくて、西本願寺本における朱の点者の文末

辞「者也」に思慮が及ば甘かったことに起因する錯誤であることを意味している。しかし西本願寺本を底本とする清注もその

本文を「者也」としている。『釈辻ヒは「者也」に校異を示すと共に積極的に⊇巴字を採用し、「「者也」は「也」よりも

指定の度が強い」と言及している。この認識が正しい。ここは、

上の「一至を受けて結ぶ「者也」である。

1gO槍青草啓・・・・串噂・・・・乏噂所作謝劇

(13・三二六三左)この「者也」は上の「日」を受けた文末辞である。「槍古事

記日」とあるが、コ白事記』からの転記引用ではなノ\文章は

嘉者の手になるものである。即ち、憂のこの箇所

には「槍古事記目件歌著大梨之軽太子自死之壁亀」

とあり、『允恭記』には「如此歌「即共舜】と簡単に出るだ

けであって、「日・・・…者也」の照応はもちろんのこと、この箇

所の文章そのものも曇施注者によるものであることが理解で

20嘗

(16・三八〇三左)210干時・…・・申噂…・此歌腰遣清談於女之父母劃

23

(11)

(16・三八一五左)

220於時・…・・中略……ホ乃衆渚誘奥麻呂日・…・・中略・・…・但

作臥劃(16・三八二四左)

230干時……中噂……邑甘素量而作歌劃

(16・三八三七左)

240於是土師宿祢水通噂嘆者(16・三八四五左)当瑞冒頭に注1として記した通り、巻士ハの五例「用例20〜

24」については、姉妹稿「文末辞・誇巳辞としての「者」字(こ」において、(用例10)〜(用例14)として、巻土ハ左

注意話の面から考究した。参照されたい。

250相聞釆封其辞云々者l(18・四〓二二「要来贈鮒巴書革このコ暴辞云々者」の箇所は太文に擦れがあり、まずその確

定を行ろ句巻十八はその一部に平安時代の補修箇所のあること

で知られるが、この部分はその補修五群以外の箇所であり(注9)、後代の手は一往考慮外としてよい。西本願寺本を初めと

する新点嘉本には「其辞云著暑己とある。次点本系の古本

ヨ冗暦董には「美辞墟碧己とあり、『校本言葉集』

が注記する『和歌廣字序』(この書の解題としては、佐佐木信

綱氏の葦典聾が参考になる)にも→其辞云々者」

とあり、萱には「其辞云芦】とある。以上を綜

合して考え、原姿を二甘歪町云々者」と確定する。よって、『注釈』より以前の本で、その本文を「薯声】とする書は以下の検 討外となる。

この箇所は、

相関来封其辞云々

者。

とあるところで、「其辞云々」とは大伴家持が大伴地主に送っ

た書簡の内容(18・四〓ニー左往に言う「返報歌」の書簡)を

さし、受け取・つた家持にしてみれば「云々」で即座に理解でき

るものとなる。ここはそうした「梢開釆封其辞云々」を結ぶ

文末辞として「蜜己字が存在する。

『注釈』は「其の辞に云々といへり。」とし、ここで文を終

止する。この読みがよい。しかし套は、「その辞云々と

あれば、」と⊇巴を助詞「バ」と理解し、『全集』系譜太も

これによっている。またウ全訳注』は「その辞云々とあるは、

としている。‑注釈Lの文末辞に留意した読みは捨て去られ、

誤認の読みが横行している現状である。

260太上天皇勅侍嫡等日為通水主内親王賦雪作歌奉献者

(20・四四三九左)

当例は「日」を受けて⊇空で緒ぷ単純な事例と言えよろち

左注全体は以下のようになるQ

干時

水主内親王寝膳不安累日不参因以此日

天皇 勅侍嫡等団為速水主内親王賦雪作歌奉献萄

於長

詩命婦等不堪作歌而此石川命婦鞠作此歌奏之。当例について、山崎孝雄氏は命令形を受ける文末辞「塵己の

(12)

例としている(注10)。なるほど結果的にそういうことになっ

ている。諸注の中で『全註釈』(及び同書に従う『窪田評釈』)

は「のり給ひしかば」と⊇巴轟と解していて残念である。

打○敬啓蓑芙丞大原真人今城先日地史狂乱励

(20・四四五九左)

これは上の「一至を受けて「者也」で結ぶ単純な形式であり、

格別にコメントすることはない。

以上の⊇里香圧‑における散文例以外に、倭歌の歌句中に次

のような散文的措辞例がある。

280言不問木尚妹異見有言乎直面子女有之罫

(6・一〇〇七)

銅○秋芽之落乃乱ホ呼立而鳴奈流鹿之音温劃

(8・一五五〇)38()衣手常陸画二並筑波乃山乎……中噂・…・打靡春見麻之

従者夏草之茂者雅在今日之発着(9・】七五三)引○高松之此峯迫ホ笠立而盈盛有秋香乃壬嵐剛

(10・二二三三)320安之比奇髄八峯能等丁借髄・…・・中呼…・・恵良々々水仕事

乎見之昂〟シサ

(19・四二仙弼注11)

これらは一般に「害者」(6・一〇〇七)、コ嘩署亡(8・ ー五五〇)、「彗己(9・一七五三)、⊇呈巴(l・0・二二

三三)、「き

(19・四二六六)等と訓んでいる。一見「者」

が「サ」の仮名のように見られないこともないが、これについて、早くに安藤正次氏が歌末例の「也・焉」と同様の用法であ

ることを鷲

「声】は「サ」の音仮名ではなく歌末に据え

られたものであり、「サ」が読み添えられたものであることを論証し(注望、皇口盛事氏もこの安藤諭を追認している窪

13)。

これは、右に見て来た散文における文末辞の転用と見ること

が出来よう。倭歌を漢文並に扱っているのである。そこには、

倭歌ではあるがその歌末を「苦・遥了楽・書・貴」(くるし●はるけし・たのし・よし・たふとし)といった形容詞で結ぶこ

とは落ち着かないという文章心理(即ち、倭歌としては形容詞語幹に形式名詞「サ」を添える形になるが、文字表記上は「膏

・遥・楽・書・貴」という形容誇のままで文(=睾を結ぶ

ことになるという文字表記心苦から、文末辞「者」を補わな

いと何とも様にならないと感じる知識人の手による表記と首え

よ・つ。

「用例空は市原王、「用例2は湯原王、「用例型は高

「用例卵」は大伴家持の歌であり、「用例31」は作

者未詳歌ながら巻十の歌々は天平知識人の手になるものと一般

に推定されている。「用例30」については小島憲之氏がこの漢

籍的な用字「者」は裔虫麻昌白身による表記と推測している

ー25‑

(13)

(注14)。「用例30」は「薯集」という】群申の

歌であり、小島意之氏が指摘する通りであろうて他例については件者の手であるのか、編者の手になるものか明らかにし難い

が、市原王・湯原王・大伴家持のいずれもが一流の知識人であ

り、そういった人の手になる表記といってもおかしくない情況にはある8それぞれ巻数が異なるところから考えると、原資料

の用字である可能性があろ・笑

dO中々劃黙毛書奪丁何為跡香箱見始業不速ホ

(4・六一二)

00喜妹鬼之形見乃服下葦m直相左重点臆六方

(4・七四七)

f〇二為而結之紐乎一為而五蓑不見直相及者

(12・二九一九)

鶴久氏は、「用例d」のコサ々者」(なかなかに)と「用例

e・!」の「直相左右者・直相及者」(ただにあふまでに)に

ついて、コ有」は不読の韓巳辞とする。「用例e・f」につい

て嚢中の用例の検討から「ただにあふまでに」の訓と

したのは鶴氏の功である(注15)。和久氏はこれらの用例につ

いて⊇己は不読の語巳辞とする。「用例d」については「煮」

の誤字説が根強くあるが、日吉盛幸氏は和久氏の結論を肯って

いる(注16)。しかしこれらの例については、誤字でも韓巳辞

としてでもなく「煮」の省文としての「者」を考えるのがよい と私は恩ろちここでの「声は万葉仮名「垂字の省文であり、「者」は仮名「こ」であると見るものである。万葉仮名「煮」

は「鹿轟二毛」

(4・六二八)などの例がある。こうした

省文の曇仮名例に、「麿巴

(扁巴の省文)、「牒】

の省文)、「丘・皇」(「低・但」の省文)などがある。

今の場合「中々」(なかなか)や「直相左右・直相及」

だにあふまで)はいずれも別学表記に基づく用例であり、漢文

的な括巳辞⊇己(「に」の訓み添え)と見るよれrも省文仮名

「者」と見るのがよい。よってこれらの例を「用例d・e・f」

と除外して扱った。上代においては、「細岡閑散巴の例を持ち出すまでもなくこうした省文例が少なくない(注17)。

g・hO操子之君子蚊見渡…串噂・・打席者l隊而織布・・・中略

・・・借嵐之寸丹取為支…下略ト(16・三七九こ

この「打彗己

(旦・コ信巾裳成者」(h)の用例につい

ては、私もその訓読を担当したことがあるが(注18)、難訓中

の難訓であり、即断はしかねる問題であって、その判断を留保

したい。

330打星暑専管(1〇二八三二)

これは歌未ではなく句末例である。歌としては、「打靡春去

来劃」で一旦切れる(二句切)と見るペきであり、その用字も

「去来」といi漢語熟字例であり、ここは文末辞ヨ声】で結ん

(14)

だコ玉来者」であると見る舶氏の解(注19)を肯いたい。

イ○天ホ座月潰壮子幣者将為今夜象昔官憲許増

(6・九八五)□○君之家乃善業呈勃落四具礼乃雨ホ所姑良之母

(l川∵二二〓七)

右の例は一般に、「章」

(用例イ)

「早着」

(用例ロ、訓

みに多少滞れがある)と訓んでいる。「用例イ」の冒室戸】は

「用例28〜32」と同様に、一見コ貫こ字を「サ」と読む仮名の

ように見られる例であるが、これも安藤氏の所説にあるように

語己辞としての豆宴己の例である。「用例ロ」の「早着」は

一般に「ハヤサ」とは訓まず「ハヤク」と訓むために、「一声」

と「サ」との関わりを検討した安藤諭には出てこないが、この

「早着」の「虚空も不読の括己辞であり、「垂と同様の例

である。この「早者」については、和久氏が早くに指摘してい

る(注20)。小島意之氏は、この「早着」について、助字では

ない

(同氏論者八六〇貢)としながらも言霊聾巴の誤り(同

氏論者八七〇真の注4)とする(注21)。確かに助字としては

「早落者」の文末辞の方が落ち着くが董によって

もこの箇所に文字の異同はなく、文字を上下に動かすのには慎

重でありたい。

「皇室巴は「垂と共に和臭の誇巳辞用法の一例と見るの

が良い。こうした用字は、先に検討した「用例28〜32」の形容 詞語幹例と同様の用字嘉の下に形成されたものであろ・ち先の「用例28〜32」はシンタックスとしての文末辞の例であり、今の場合は単帯レベルの誇己辞の例であり、その違いから「用例イ・ロ」と扱ったものである。

なお、大野遷氏はコ品葉僧名の研芦】で、「者」字の仮名肯

定論を述べ、【績萬葉償名の研究』では「用例鋼〜30」及び「用例イ」の「声】字四例について「サ」の昔仮名と認めてい

る(なぜか用例31はない)(注22)。しかし、右に見たように、

青供名ではなく、文末辞・帯巳辞の例と藷付けるのがよい。

また和久氏は、「はる」の「春者」(10・一八一四)、「き

み」の「公者」(10・二〇六八)の例を指摘し(注23)、山崎

孝雄氏は「いま」の「今者」(3・三〓一)の例を指摘してい

る(注24)。これらも誇巳辞の例であり、「いにしへ・むかし」

の「蔓、「このころ・ころ」の「比者・廼者・頃者」の帯

巳辞の例と同レベルにある事例である。

この「春者・公者・今者」が「倭盲+者」の例であるのに対し、「用例イ・ロ」は「慮常における形容詞語幹+者」という

違いが存しよろち

用法のまとめ

以上見て来た中で、「用例1〜33」の文末辞の例についてそ

27

(15)

の用法を姦し、まとめると以下のようになろろち

下に記した数字は用例ナンバーである。

Ⅰ‑a塾●…・…・・・・…妾T16・21・24・25/28・29・30・31・

32●33

Ⅰ‑alα型

・所以……・・・者113

Ilb塾・……・・…・者也

3・5

Ⅰ‑C塾

・・…・……・者乎

12

Ⅱ‑a塾

・云……・・・…者

1・15・20・23

・日・・…・…・・・者

2・4・22・26

・姻甲……・・・・亨10

・偶…・・・…・・・者116

Ⅱ‑b塾

・云・……・・者也118・27

・日…・・…竃

19

・謂………者也18・9・17

皿‑b塾・況乎・・…・者也

14

Ⅱ‑C型・若疑・・・…者乎

7

・何況……者乎‡11

̲・

■・I

●‑

●・

以下、タイプ別に言及する。

Ⅰ‑a型

・…・・…・…・・・者

6・21・24・25/銅・29・30・31・

32●33

単純に「者】字で結ぶ基本的な文型である。スラッシュ

で画した以下の用例は倭歌の歌句中における散文的措辞例での

文末辞としての例である。

60欲語遺言矧(4・五六七左)

引○干時…・・・中噂・・・・・此歌贈遣滑眺於女之父罫

(16・三八一五左)

240於是土師宿祢水道噂咲者(16・三八四五左)250相関来封其辞云々劃(18・四;三「吏来膳歌」昔腺)

右の例が素朴かつ基本的な文型であるからこそ」以下のよう

な倭歌の歌末例(句末例)にも使用されたと考えられる。280言不問木尚妹輿見有青草直満子ホ有之丑暑l剛

(6・一〇〇七)

加○秋芽之落乃乱ホ呼立而鳴奈流鹿之音温劃

(16)

(8・一五五〇)

300衣手常陸囲二並筑波乃山乎・…・・中略…・・・打府春見聯之

従者夏草之茂者離在今日之果者(9・一七五三)引○高給之此峯迫ホ笠立而盈盛有秋香乃害劃

(10・二二三三)

320安之比奇能八霊・・…・申噂…‥恵良々々ホ仕事

乎見之首都(19・四二六六)

330豊相雪者零管(10・一八三二)

Ⅰ‑a‑α塾

・所以・・…・・・・者

13

柑G矧捌甘退人方士自負丹経奮

(5・沈癖旦受36オl)

これは〔Ⅰ‑a型〕に「所以」が加わったものであり、〔I

Ja型〕の一変容形である。

Ⅰ‑b型

・………・・・者也

3・5この「者也」で結ぶ型は、言草記』において一般的な型で

あった。即ち、【古事記』太文(序文を除いた本吉において

はここで〔Ⅰ‑a型〕とする「者」で結ぶ事例が一例のみであるのに対し(石塚氏は「看」を二壷巴の誤字として、二例とする)、この裏巴で結ぶ〔Ⅰ‑b塾・Ⅱ‑b塾〕は三十例に

及ぶ(宣署壇」の二例を含むー注顎。ところが憂

においては、〔Ⅱ‑b型〕の六例と〔¶T‑b型〕の一例を含め

ても、三十三例中九例に過ぎない。

当面の憂における〔Ilb型〕二例の内、「用例3」

はコ豊富巴から転記された文であった。

30此云山愛妻

50未蕃此小弁者也 (2・九〇割注)

(3・三〇五左)

Ⅰ‑C型

」・・…・・…・苧12

柑○不能百治者乎

(5・沈雪男35オ2、割注)

「憂で結ぶのは、上に「若疑」とか「何況」などの副詞

句が来る〔Ⅱ‑C塾〕における一般的措辞といってよくここ

も意味的には自問草している文言であり、「自ら治むるや能 ふと」と私は訓んだ。この琴上に副詞句はないが、〔Ⅲ‑

C型〕の変容型と見るのがよい。

Ⅱ‑a塾

・云……・・・・・千1・15・20・23

・日…・・・・…・亨2・4・22・26

・謂…・・…・・・・者

10

・傭・………・・者

16

これは西尾光雄氏が指摘した典型的な「云・・妻」の塾である

29

(17)

(注26)。一般的な「云・・・者」「日・・・者」が各四例となってお

り、「常・・・者」「傭・・・者」が各一例となっている。

lO是云配奮記乎

(l・二四左)

柑○蟄…‥中呼・…・但天皇々后御歌各有一首劃

(6・一〇〇九左)

200右成一富里青谷歌者(16・三八〇三左)

230干時…・・・中噂・…・亀響需塞蚕諒卦

(16・三八三七左)20右目本紀日・・・・・・申噂・・…四月幸書野富者未詳知何月

従駕作歌(l・三九左)

4邑・・・・串噂…・・仇移太娘皇女於伊後者(2・九〇左)

220於時…・・・中略・・…・ホ乃兼帯誘兵藤呂日」・…中略…・・・但

作歌者l

(16・三八二四左)

260太上天皇勅侍媚等日為速水主内親王胱雪作歌奉献者

(20卜四四三九左)

川C矧菅景公疾霊視而溝者

(5・沈痢百芸文、33ウ8、割注)

柑○右酒看官禁制僑・…・・中略・・・・・・但親々一二飲薬脇許者

(8・一六五七左)

Ⅱ‑b塾・云………者也

18・27

・日・・・…・・・者也

19

・謂・……・・者冊T‑‑8・9・17

指定の意が強い「者也」で結んだ「云…」「日…」

「謂…」

の塾であり、〔丑‑a型〕の強調型である。この内、わずかではあるが「謂・・・者也」の例が多いが、コ空

「日】

「謂」の三

字間に本釆大きな語義の差はない。或いはわが国でコ空

の強調用法として「謂」字が存したのであろうか、今後の課題

である。

柑○但此短歌老成蕃云・…・串呼…・・之亀

(13・三二四一左)釘○乳曹舛郡大丞大原異人今城先日他所讃歌割切

(20・四四五九左)

1gO槍古事啓…・・中呼…・乏時所作者也

(13・三二六三左)80甲・・…中略・…・・以此為業者也

(5・沈雪長文、32ウ1、割注)

gO謂・・・…中噂…・轟採深澤之蟄

(5・沈痛自責文、32ウ3、割注)

け○郵天城山里雷碁箭勤番豊郡之大野山頂号邑

(10・二一九七割注)

Ⅱ‑b型

・聾丁…・・者也

14

(18)

上に「冴軍エの副詞句があり、更にその内に「縦」と「何」

の副詞句を包み持った文を結ぶ辞として「者也」があったこと

については既に考察した。文義的には「憂の方がこの文に

合うと患うが、この箇所は「感歎俗道偲合慧

の大足として位置するところに置かれており、全体の結びとし

て「者也」としたものであろうか。川∩鳳皿り…・串摩・・・・・何慮存亡之大乱劃岨

(5・難留詩序、37オ7)

Ⅱ‑C型

・若疑……者乎

7

・何況・・・・・苧u

副詞句「若疑・何況」の感動的な結辞としてコ有平⊥がある。7(=忍野伸品勤剖(5・八五三度

‖○何況……中略……顔色壮年為病横困者乎

(5・沈痛‑日裳文、34オ2)

h‖ノ

垂は巻ごとにその成立事情が異なり、編者もまた同 一人が担当したもので偲ない。このことは、憂左注の

施注においても、急ぎとにその事情は異なっていたとまずは見

て考察を進めるのがよかろう。 私は、文末辞⊇巴及びその萬群に関して、

〔Ⅰ‑a型〕

〔Ⅱ‑a型〕 〔Ⅰ‑a‑α型〕〔Ⅰ‑b型〕〔Ⅰ‑C型〕

〔Ⅱ‑b型〕

〔Ⅲ1b型〕〔Ⅲ‑C型〕

と姦して見てきた。これらの型別の用例分布から見て、その

用法上、巻における偏在は見られなかった。こうしたところから次のような緒論が導き出されよ・ス

上代知識人にあってはこうした文末辞「者」字の用法が広く

認識されていたことが理解出来ると共に、『古事記』における「者也」の偏在はその編者による個性的な用字現象であること

が浮き彫りになってくるのであるQ

この「古事記』の用字現象について、直大草次郎氏は、「者也」を含む文は全部とはいわなくてもその多くは古

事記編修にたずさわつたある一個人又は一グループの手に

なつたことが想像される。(注27)

と早くに指摘しているが、このことは、憂の用例分布

を縦発する中で、改めて確認できることとなった。

一方、その裏返しとして、裏編集作業の複層性がこ

こに確認できることともなるのである。

‑31‑

(19)

l

拙稿「文末辞・詩巳辞としての「者」字(一) ‑‑『風土紀』逸文

・r笥葉集』巻十六左往の用法から

(菅野雅雄先生盲請記念一昔

事紀日太さ紀論究』(仮題)おうふう、二〇〇二年二月、刊行予定)。

2

直木孝次郎氏「古事記用字法に関する一試論

者という字につい

‑」

(大阪市立大学r人文研究』第白金勇九号、一九五三年九月。

同氏F日本古代の氏族と天皇』塙書房、所収)。

3

小川靖彦氏「国文学研究資料館蔵『萬葉集鮭釈】紹介と巻第一翻刻

仙覚『萬薫集註釈Lの本文研究に向けて

(『国文学研究資料

館紀要』第二一号、一九九五年三月)。

4

直木孝次郎氏の注2の他、以下のように指摘されている。

山崎孝雄氏「古事記における「者」と「也」について」(「画筆院雑

誌h第五六巻第五号、一九五六年二見)。

石塚晴道民「古事記の文末辞法」(F国語と喀文学し昭和四十九年四

月号、一九七四年四月)。

瀬間正之氏「上代に於ける「者」字の用法

助辞用法から助詞表

記へ

(『国清文字史の研究二』和泉書院、一九九四年lO且)。

山口僅紀氏「F古事記』における「者」字の用法と解釈」(山口明穂

教授還暦記念『国詩学論集】明治書院、一九九六年六月)。

5

山崎孝雄氏「上代の「者」の訓法」(盛岡大学『日本文学会誌』第大

暑、】九九四年三月)。

6

山崎孝雄氏、注5に同じ。

7

拙稿「ロ訳付山上憶良全歌集」(中西進氏編F山上憶良人と作品』

桜楓社、一九九一年六月)。真下厚氏と共著の廣岡担当箇所。

8

上森鉄也氏「坂上郎女の梅花の歌と禁酒令

巻八・〓ハ五六番歌

の作歌時期について

(九州女子大学r語学と文学}第二〇号、一 九九〇年三月。r国文学年次別論文集・上代2』所収)。

9

大野晋氏「上代帝の訓姑と上代特殊億名達」(『高菜集大成』3訓話

篇上、平凡社、一九玉田年八月。同氏『仮名過と上代繹』岩波書店、所

収)。

10

山崎孝雄氏、注5に同じ。

11

この例を指摘したのは、山崎孝雄氏の注5の論である。

12 安藤正次氏「萬葉人の用字意識から見たr者」字の一研究」(r奈良

文化し第二二号、一九三二年四月。安藤正次著作集4『妃・紀・高菜集

論考』雄山南、所収)。

13

日書盛事氏「万葉集に於ける漢字の用字法的研究(1)

‑歌句漢

字の不読文字「者」

(『大東文化大学紀要』(人文科学)第三六

号、一九九八年三月)。

14

小島憲之氏『上代日本文撃と中武文寧山中巻第五篇「寓葉集の表現」

第八草「博貌の表現」臼「博税歌の表現」〓一一貫(塙育窄一九六

四年三月)。

15

鶴久氏「常葉集における「者」字の用法(二)」(『熊本女子大学学

術紀要」第一〇巻第一号、一九五八年三月。同氏コ畳葉集訓法の研究」

おうふう、改稿所収)。

16

日膏盛事氏、注13に同じ。

17

拙稿「風字故

「ほのか」と「はろか」及びその周縁‑‑」

宮一民氏編『上代語と表記」おうふう、二〇〇〇年一〇月、所収)。当

稿は省文からアプローチした考察である。この中で「省文」について言

及しておいた。

18

拙稿、注7に同じ。

19

和久氏「萬葉集巻十の文字用法の「面

濃文の助字「之」

の訓をめぐって

(福岡女子大学F香椎潟』第一六号、】九七〇年

九月。同氏「萬糞集訓法の研究』おうふう、改稿所収)。

(20)

20

鶴久氏「萬葉集における「者」字の用法

「中中者」の訓をめ

ぐって

(【高菜』第二一号、一九五六年一〇月。同氏コ塁葉集訓

法の研究』おうふう、改稿所収)。この中で袖久氏は「正倉院文書」に

見られる唯一例と言ってよい「者」字の「サ」音仮名例を指摘している。

恐らくこの「者」の「サ」音仮名例は、請巳辞「者」に多く「サ」が浦

表されるところからの一種の転用例であろう。これが頻用されると「仮

名」として定着することになるが、こうした確例は朝氏が指推する一例

にとどまるものであり、これは仮名用法に近い蕗時杓な例として扱うの

がよく、仮名としての走者を見なかったと緒論付けるのがよい。

21

小島‡之氏『上代日本文撃と中国文革」中巻第五篇「寓業集の裏表」

第四章「萬兼集の文字表現」臼「助字の表現」(塙書房、一九六四年三

月)。

22

大野逮氏『萬葉僧名の研究』(明治書院、一九六二年九月。序輪五

貢)。同氏F績萬葉偲名の研究』(高山本店、一九七七年三月。「萬

薫集」粂四〇二貢)。

注20、参照。

23

鶴久氏、注柑に同じ。

24

山崎孝雄氏、注5に同じ。

25

注2の直木孝次郎氏や注4の石塚晴道民を初め、多くの人が指摸して

いる。直木孝次郎氏は「物語描写の部分」にあっては「語気を強める場

合」に「者也」を用い、「脱明の部分」にあっては「現在的関心の憩い

場合」に「者也」が用いられたとする。また石塚晴通氏は「古事記の本

文が注釈的性格をも持つことを示してゐる」としている。

26 西尾光姓氏F日本文幸史の研究上首肯」(塙書房、一九六七年三

月)。

27

直木孝次郎氏、注2に同じ。 【参照文献】青木

孝氏「変体漢文の一用字法

「者」(ティレバ)を巡って

(『蘭語草J第一七障、一九五四年八月)

栓下貞三氏「「者」の名詞的用法について」(土橋東先生古称記念森文集

F日本舌代論集」笠間書院、一九八〇年九且)

三迫初男氏「者字考」(【.広島大学教養部紀要人文・社会科学』第三集、

一九七〇年三月)

山崎孝雄氏「上代の会話文の末尾表記について」(盛岡大学r日本文学会誌』

第四号、一九九こ年三月)

山崎孝雄氏「各国風土記文末の助字「者」「也」について」(盛岡大学『日

本文学会誌』第八号、一九九六年三見)

*r萬兼集」の本文は鶴久氏・森山隆氏絹『萬薫集】(おうふう)によりつ

つ、適宜改めた箇所がある。*青葉集』の検索は、正宗敦夫氏縞『萬糞集線索引』(平凡社)、及び日

吉盛事氏編『万兼集漢文漢字総索引】(笠間書院)によった。

(二〇〇】年五月二八日稿)

【ひろおかよしたか本学教且]

33

参照

関連したドキュメント

︵逸信︶ 第十七巻  第十一號  三五九 第八十二號 ︐二七.. へ通 信︶ 第︸十・七巻  第㎝十一號   一二山ハ○

︵人 事︶ ﹁第二十一巻 第十號  三四九 第百二十九號 一九.. ︵會 皆︶ ︵震 告︶

 一六 三四〇 一九三 七五一九八一六九 六三

七圭四㍗四四七・犬 八・三 ︒        O        O        O 八〇七〇凸八四 九六︒︒﹇二六〇〇δ80叫〇六〇〇

一一 Z吾 垂五 七七〇 舞〇 七七〇 八OO 六八O 八六血

チ   モ   一   ル 三並 三六・七% 一〇丹ゑヅ蹄合殉一︑=一九一︑三二四入五・二%三五 パ ラ ジ ト 一  〃

臨脈講義︐

〔追記〕  校正の段階で、山﨑俊恵「刑事訴訟法判例研究」