高等学校「地理B」
地域の調査 の指導方法
社会科教育研究室 中 川 浩 一
昭和48年度から実施期に入った現行学習指導要領では,「地理B」が装いを新にして登場した。 馳 理B」とよばれる学科目は,昭和34年公示の高等学校学習指導要領でも存在するが,内容的には全く異
なったものである。
ところで,現行の「地理B」は,俗にく世界地誌〉とよばれている。内容は,(1)人間と地球,(2)世 界の諸地域,(3)世界の結合に大別されるが,主たるものは,第2項であり,視点としては, 世界をい
くつかの地域に区分し,それぞれの地域で取り扱う内容については,以下の諸項目を考慮して適切に構成 すること と指定したうえで,位置・領域と歴史的背景,自然環境の特色,住民と人口,産業・経済の現 状と動向,日本との関係に対する考察が要求されてきた。また,内容の取り扱いに関連して, 日本につ いては,下記のオの㈲の趣旨に留意して,内容を構成すること と言及したうえで, 最初から世界を細 分した取り扱いは避けるとともに,主要な地域や国については,それを含む広域圏の一環もしくは中核と
して取り扱うこと と指示している。
このような記述にてらして考えれば,地理Bが,その対象地域のひとつとして日本を取り上げた場合に も,中学校地理的分野においてなされたような地方別学習とはなりえないことになる。また,一般に,世 界地誌という用語は,日本地誌に対置する用語と解されている。それゆえ,場合によっては,世界地誌の 内容からは,日本の事象に対する地理的な考察は取り除くという考え方もでてくることになろう。
さて,これだけの前提を設けた後に,高等学校学習指導要領に再度目を向けてみよう。内容の(1)人間 と地球の中には,地域の調査の実施が盛りこまれている。だが,このことについては,これまで多くの疑 問が孝されてきた。実施の方法が非常にむずかしいと考えられるからである。
地理学習が,教師を主体とした教科書の内容解説に終始してはならぬということは,早くから指摘され てきた。教師による知識の教えこみと生徒の側でのやみくもな暗記とが,本来は科学的な内容であるべき 地理学習を,非科学的なそれへと転化させる主要な原因となってきたと指摘されている。
暗記の地理学習から脱脚するためには,教室の内にあっては,資料学習の強化が要望されたし・教室の 外に澄いては,野外観察や野外調査の必要性が叫ばれてきた。そのことと関連して・現行の「地理A」(
系統地理)では,内容の中に,野外調査の実施が義務づけられるほか, 野外調査・見学などの際に直接 触れる具体的な事象に対する考察力を育成して,地理的事象を科学的,総合的に探究していこうとする態 度とそれに必要な能力を養う 必要が述べられてきたのである。
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1. 「地理B」における地域の調査の意義と効用
高等学校に於ける地理学習に齢いて,野外調査の実施が義務づけられたのは・昭和34年公示の「地理 A」「地理B」以後のことである。そうして公示から実施にかけての時点では,どのような内容の指導が 妥当であるかが,大いに論じられてきた。バスを仕立てて実施する見学を企画する学校もあったし・いや それでは野外観察にすぎず,中学校地理的分野で実施するものと質的にみて異なるところがなく,高等学 校では妥当性を欠いているとする反論がなされたりもした。
だが,実施内容が調査である力観察であるのかは二の次にしても,対象地域として日本国内でのいずれ かの地域を選ぶことができる場合には,まだよいというべきだろう。対象地域が世界となり,日本を取り
上げる場合にも,巨視的な観点が要求される地理Bにおいて,学校教育の内容として,野外調査の実施が 要求されたとしたら,教師はどのような指導を試みたらよいのであろうか。対象地域を日本以外の土地に
とることなど全く不可能であるとする考え方が,拾頭することにもなるわけである。
確かに現状では, 「地理B」(世界地誌)に齢いて,外国を対象とする野外調査を実施することは不可 能といえる。また,学習指導要領においても・地域の調査の実施が要望されているのであって・野外調査
ではないのである。
このように書いてくると,地域の調査と野外調査の間には,どのような相違点が存在するのかという疑 問が生じることになろう。
一般的にいって,地理事象と目されることがらの中には,文献を調べることによって,事態の究明が可 能な事例が少なくない。とくに歴更的なことがらについては,過去にさかのぼって実地に確かめてみると いう作業がきわめて困難であるだけに,文献による調査にたよる方法が一般化されてきた。
これに対して,現在の事象については,できる限り野外調査を実施する必要が説かれているのは・文献 の信頼度とらう問題が存在するほかに,文献が全ての事例についてカパーしているかどうかという問題が 介在するからである。一般的事例については,文献による調査が可能であっても・特殊な事例についてま で言及しているとは限らないし,事象について究明する視点が全ての調査者について同一であるという保 証はどこにもないことにも,注意しなければならない。
だが,このように考えてきた場合に,そのことが,「地理B」(世界地誌)に論ける地域の調査の内容 を,関連的に規定するとも考えられよう。
確かに「地理B」に澄いては,野外調査の実施は不可能というほかない。しかし,野外調査のための前 提条件となる文献にもとつく地域の調査を実施することは可能である。また・「地理A」における野外調 査に齢いても,問題の所在を発見するたあには,文献を利用する予備調査が必要となってくるであろう。
それゆえ,「地理B」における野外調査のための予備調査としての地域の調査を,作業学習の形式をと って実施する方法が考えられるわけである。
以下の実践事例は,筆者が東京教育大学附属中・高等学校に在職した当時の学習指導にもとつく報告で
ある。
2・ホンコンを対象とした 地域の調査 の実践
地域の調査の対象地域として,イギリス領直轄植民地としてのホンコン(香港)を選んだことには・当 然のことながら一いくつかの理由が存在する。
学習活動としての地域の調査のために,生徒がホンコンに出向くことはもとより無理な話である。しか
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し指導者としての教師の場合には,対象地域についてある程度の実地見学の体験があることが望まれる。
そう考えた場合に,対象地域としてホンコンを選んだならば,学習指導に当たる教師が,それまでに5回 ド
の旅行経験をもつ事実がここでは役立ち得たのである。これが第一の理由といえるだろう。〆
第二の理由としては・ホンコンの場合には,相当たくさんの文献を用意できることが予想されていた。
筆者自身も・ホンコンに関する内外の文献を集めるように前から心がけてきたし,学校図書館の蔵書の中 にも,ホンコンについて記述した書物がかなりあるように見受けられたのである。
第三の理由としては,亦ンコンが日本にとって有力な貿易市場となっている事実に加えて・シヨッピン グ,ギャンブリングなどを目的とした日本人観光客が著しく増加した結果,日本を有利な外貨獲得地に見 たてて・ホンコンの各種機関が・在日事務所を設置し,活発な活動を実施するようになった事情があげら れる。それらの中で,帝国ホテル(東京都千代田区)内に事務所を設けた香港観光協会は,日本語で書か れた公式ガイドブ・クを毎月刊行し,無料で配布してきた。このルートを使えぱ,ホンコンに関する各種 の資料がさしたる苦労もなく集められるという予想がたてられもした。事実,香港観光協会を訪問した生 徒の中には,在日香港商工会議所の東京事務所あてに紹介状を書いてもらい,工業化に関する詳細な資料
(英文)を手に入れてきたものがいたほどである。
第四には,将来,外国旅行をしてみようという気持になった場合,ホンコンは最も手近かな外国のひと つであり,旅行実現の可能性が高いという事情も考えてみた。
さらに加えて第五として,イギリス領植民地としてのホンコンは,ヨーロッパ的な内容とアジア的な内 容が混在するほか,貧富の格差がきわだち,実態究明への興味が喚起されやすいからである。
このように,地域の調査の対象地としてホンコンを選んだのは,指導する教師の側の立場であった。そ れゆえ,学習に参加した生徒は,受身の形で地域に対したことになる。とはいっても,全く受動的な受け
とめ方をしたとはいいきれない。
ところで,ホンコンを対象地とした 地域の調査 に参加したのは,附属中学校の第2学年の生徒であ る。また,この学習活動は必修教科の内容として実施されたものではなく,選択必修の形式をとった「特 別学習」の一環であった。いまここで「特別学習」の詳細について記すことはできないが,本来的な狙い からいえば,大学における演習ないしは特講に相当するといえるだろう。学習活動としては,教師による 一方的な講義を狙ったものではなく,生徒が自分なりに資料を集めて事象を究明していぐことが要求され
ている。
毎週2時間の割合で設けられた「特別学習」に論いては,10テーマ前後が教師団によって提示され,
その中のひとつを生徒が選択する中で,学習活動が展開してきた。1テーマについての参加生徒は平均す ると20名である。
①予備的な学習活動一基礎的文献の探索
ある特定の地域に対する概括的な知識を得るためには,百科事典をひいてみるのが,最も手ごろな方法 である。いやそれよりも,専門事典のひとつである地名事典について検索したほうが,よりよい結果を得
ることができるのではないかという考え方もあるだろう。しかし実際には,和文の地名事典である「世界 地名大事典」(1973年)の記述は,同じく和文の大百科事典としての「世界大百科事典」(1972年改 訂)の記述に比べると簡略である。範囲を英文にまで拡大するならば・The Encyclopaedia
,
?盾秩@the Businessman of the Wor1d と銘うつThe Statesman s Year一
1300k が,より詳しい情報を提供してくれるのだが,これの完全な読解を中学校2年生に要求すること
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は・もとよりむりな相談となる。
このように考えてくると,ホンコンを主題とした 地域の調査 が・大百科事典に代表される参考図書 の閲覧から始ったのは・当然の結果ということになる。
この場合,集団学習の形式をとる「特別学習」としては・学校図書館の書物を有効に活用する方法が積 極的に考えられよう。もっとも・学習に参加する生徒の数に比して・学校図書館が所蔵する参考図書の種 類が少なすぎるというなやみはあるのだが,そのあたりは1冊の書物を数人で輪読するという方法で・便
宜的に解決することにした。
さて,百科事典を主体にする基礎的な文献が読了され,各人がホンコンに対してある程度まで具体的な イメージをえがいた段階で,教師による講義を行なった。その方法は・スライドを用いて・ホンコンの種 々相を視覚的に明ら噛 ゥにした後に,ホンコンに関係するやや専門的な文献の紹介を行なうものである。こ れらの過程で,最も手ごろな,しかも今日でも入手が容易な書物として,姫宮栄一「香港」(1964年 中公新書)を紹介したが,この書物は,ほとんどの生徒によって購入されていた。また,その中から各人 の研究テーマを見出した事例が多いように思われた。
教師による講義の第三の段階は,いくつかの文書資料を使用したホンコンの歴史に対する解説であった。
ホンコンが,アヘン戦争の結果として,清朝からイギリスに割譲された土地であることは,よく知られて いる。もっとも正確にいえば,アヘン戦争が契機となってイギリスの直轄植民地となったのは・ホンコン 島とその付属島喚であり,ビクトリア港をはさんで対岸に位置するカオルン(九竜)半島は,北京条約
(1860年)によってイギリス領となり,さらにその後背地を形成するニュー・テリトリーズ(新界)は,
1898年以来,99年の期限をかぎってイギリスが租借した地域である。
このような事情を始めとして,人口の変遷,人口構成の特色とその歴史的な経過・産業・貿易の特色な どについて,9 サのアウトラインを示すことが,講義の目的であった。
講義は,先に実施した基礎的な文献の閲読とあわせて・生徒が各個にホンコンを対象地域とする研究テ 一マを発見するためのガイダンスとなることを期待していた。それゆえ・講義に際しては・次に実施する 年表つくりの作業にあわせて,専門的な文献を見出すことができるようにするため・閲読可能な文献につ
いて,その一部分をコピーして全員に配布した。念のために付け加えて詮くと,閲読可能という意味は,
学校図書館(教師用図書を含めて)が所蔵するか,指導に当たる教師の蔵書として必要に応じて生徒に提 示しうるものをさしている。
文書資料として生徒に配布したプリントは,次にかかげる書物の一部分である。
暑内田正雄「輿地誌略」巻二(1870年)大学南校 苦香港日報社「香港案内」(1924年)香港日報社 曽新光社編「世界地理風俗大系」3(1928年)新光社 芸小椋広勝「香港」(1942年)岩波書店
甚The Statesman s Year Book 1932;Macmillan,London.
これらはいずれも,ホンコンの歴史を調べる場合に基礎的なデーターを与えてくれる書物である。とく に「輿地誌略」は,日本人の手になる世界地誌としては,最初に刊行された大冊であろう・明治初年のホ
ンコンのアウトラインを示すものとして貴重であるレ 「日本教科書大系」地理篇に収載という形式をと って,復刻作業が行なわれている点にも注意すべきだろう。内容的には簡単な記述であるから・次にその 全文を引用しておこう。
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香港ハ広東ノ河ロニ在ル所ノ小島ニシテ長サ四里余幅三里二満タズ全島岩石多シ北岸二傍テ港アリ港内 広深ニシテ地勢亜細亜第一ノ碇泊場トス府ヲ維多利亜ト名ク人口十二万五千大略支那人ナリ其四分ノーハ 舩居ス此地鴉片戦争ノ和議ノ後永ク英領二帰シ英国ヨリ鎮台ヲ置テ之レヲ管轄ス常二多数ノ軍艦ヲ繋ギ支 那海警衛ノ要地トナス長崎ヨリ海路大凡五百里余(同書十五丁)
②ホンコンの年表をつくる
地域の現状を調べるためには,歴更的な背景を知る必要がある。それでなければ,事象は静態的な把握 におわってしまう。
このように考えてみると,・・ホンコンを調べる ための具体的な作業は,ホンコン史の年表をつくるこ とから始めることが望しい。もっとも,目的それ自体は,ホンコン史の研究ではないのだから,現状を把 握するために必要と思われる範囲で,歴史的な事実を拾いだしてゆけばよいことになる。
ホンコンの年表作成作業は,生徒をいくつかのグループに編成し,その構成員が資料を収集する過程を 通して実施された。
まず最初に規範を示すために,教師がごく概略的な年表を作成し,その余白部分を生徒が資料を探索し ながらうめていくように指示している(第1表参照)。その際には,個々の歴史的な事実を,どのような 資料によって確認したかを明記させることにした。このような措置は,文献利用にあたっての基本的な配 慮を体得させる目的のほかに,完成した年表を手がかりとして,より専門的な調査を行なうための手がか
りを得ることを狙ったからである。
第1表 ホンコセ歴史年表(教師作製)
1810
1816−7 イギリス大使がペキン訪問の途中,ホンコンにたちよる①
1820
1830
1834−8 中国に滞在中のイギリス官吏がホンコン占領を外務大臣に申しでる①
1840 1841 U幣謄灘親3献に弓1き隙とを承認①(南京条約)
1845 マカオから4人の日本人漂流者が移住②
1850
1860 ・86・ T撫繍鰯灘罐劉灘①(北京条約)
、865 香韻廟渠会社H。ng−K。ngW㎞P。aD。,kCα設立① 1870
1880
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、
1887 Green Island Cement Cα設立①
、88g Queen・、 C。11。g。(後の香港大学)創設①
1890
1900
① P898 カオルン半島の99か年租借が決定,実施は1899−4となる
1910
1920
1930
1940 1941_12日本軍がホンコンを占領⑱
1950
1960
1970
1980
P990
2000
①小椋広勝「香港」(1942)岩波新書 ② 「香港案内」(1924)
③姫宮栄一「香港」(1964)中公新書 ④芳賀徹「大君の使節」(1968)中公新書
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第2表 香港の歴史年表(生徒作成)
西 暦 政治・経済・社会 文 化 人 口 世 界
10世紀 新界に初めて村落ができる。②
11世紀 海賊のかくれ家として漁村が使わ
②れる。
1278 蒙古の侵攻を受けて宋の皇帝が香 港に避難。②
1557 ②ポルトガル,マカオを開く。
1783 長州島に此帝寺建立。②
1816 7月英大使が北京訪問の途中,香 港にたちよそb⑦
1839 一42第_次阿職争(川鼻納曾 第欽阿片戦争。④
1841
④ 最初の郵便局が英に占領される。