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中央アジアの農業問題

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中央アジアの農業問題

石田 進

はじめに

 この小論における中央アジアとはソ連の崩壊で独立した旧ソ連内のイスラー ム諸国、すなわち、ウズベキスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルク メニスタン、カザフスタン、アゼルバイジャンの6力国を意味する(この小 論ではソ連期の共和国名の代りに独立後の国名を用いる)。しかし、旧ソ連 期に用いられた最近の地域区分によれば、中央アジアとはウズベキスタン、

キルギスタン、タジキスタンおよびトルクメニスタンの4力国を意味するの が普通で、農業問題を扱うときはこれら4力国にカザフスタンの南部を含め て論じられることがある。従って、旧ソ連時代の統計数値等はこれら4力国 について、または、それらにカザフスタン南部をつけ加えた範囲で整理され ていることが多いので、この小論においてもそれに従わざるを得ない場合も 多く、結局、この小論における中央アジアとは、もっとも広い場合で旧ソ連 のイスラーム6力国、もっとも狭い場合でこの6力国からカザフスタンとア ゼルバイジャンを除いた4力国、その中間として4力国にカザフスタン南部 をプラスした5力国の、3通りの場合があることになる。特に断わらない場 合はもっとも広い範囲の中央アジアを意味し、その他の場合は必要に応じて

どの範囲の中央アジアについて議論するのかを付記することにする。

(2)

 この小論は、そのような中央アジアの農業について帝政ロシア期からソ連 期にかけての展開やいくつかの特徴について分析することをねらいとしてい る。とりわけ、中央アジア農業の特徴をなす綿花の生産について詳しく論じ、

中央アジア・イスヲーム諸国の独立後、これら諸国の農業とその関連部門で どういう問題があるのかを示唆する試みもしてみたい。

1.気候条件

 中央アジアの気候条件の特徴の1つはその乾燥性にある。半砂漠から砂漠 に被われる中央アジアでは年間平均降雨量が70〜200mmであるところが大 半で1)南部の山麓などにわずかに200mmを超えるところがある。一般に、

降雨量が年間200mm以下のところでは降雨に頼る天水灌概で農耕を行うこ とは出来ず、耕作を行うには河川の水や地下水を利用して人工的な灌概施設 を整備することが必要である。中央アジアでも乏しい水資源を活用して耕地 に人工的な灌概を施す努力がつづけられてきた。しかし、中央アジアでは水 資源に限りがあり、人工的な灌概を施し得るのは可耕地の極く限られた部分 に過ぎない2)。可耕地のかなりの部分では少ない降雨に頼って粗放な穀物栽 培、採草や遊牧が行われることになる。

 中央アジアのもう1つの気候条件の特徴は、旧ソ連の中ではほとんど唯一 といってもよいその温暖性である。アゼルバイジャンの一角には亜熱帯性の 気候風土のところさえある。中央アジアでは霜の降りない日が年間180〜250

日もあり、平均気温20℃以上の日が120〜150日もある3)。従って、中央ア ジア農業で生産される農産物は多様で、穀類、ジャガイモ、タマネギ、キュ ウリなどの野菜類、ブドウやメロンなどの果物類から工芸作物の綿花などが

ある。

 現在の中央アジアにおける農業地帯は図1に示すように、(1)広大な半砂漠・

(3)

砂漠地帯における遊牧地帯、(2)山麓の天水灌概農業と牧畜地帯、(3)山岳の牧 畜地帯、(4)灌概農業地帯およびわずかながら(5)亜熱帯地帯がある。表1は旧

ソ連各共和国における土地の農業的利用状況の最近のデータを示す。中央ア ジア小計で見ると、耕地面積は総土地面積の1・1.0%でソ連合計のそれにほぼ 等しく、ウクライナやベラルーシを含むその他農業用水資源の豊富な諸共和 国に比べ耕地の割合は少ない。中央アジアの各国別に見ても、アゼルバイジャ ンにおける耕地の割合が18.4%と高いのを除けば、その他各国の耕地の割合 は比較的低く、乾燥地域における耕地に限界があることが示唆されている。

         図1.中央アジアの主要農業地帯

麟 半砂漠・砂漠の遊牧地帯 團 天水灌概農業・牧畜地帯 團 山岳牧畜地帯

圏 灌概農業地帯 鰹亜熱帯地帯

出所:Leslie Symons et al., The Soviet〔/nion. A Systematic Geography(Totowa,

  NJ:Bames&Noble,1983),120(James H. Bater, The Soviet S伽θ渦   Geographicαl Perspective, Edward Amold,1989, p.154に引用)

(4)

その代り、遊牧地の割合はソ連内の他の共和国に比べ圧倒的に高いのは遊牧 にしか使えない半砂漠・砂漠が広いことから当然であるとはいえ、中央アジ ア農業の厳しい環境を示している。採草地の割合はソ連内どこでもあまり高

くなく、中央アジアでもその割合は極く小さい。

皿.綿花の重視

 中央アジアはその温暖で日照豊富な気候のおかげで帝政ロシアと旧ソ連の 中では綿花の栽培が可能な地域として注目されてきた。ただし、200mmに 満たない年間平均降雨量のうち綿花の生育期に当たる6、7および8月に降 る雨量はわずか20−−50mmで天水灌溜iで綿花を栽培することは不可能であっ て河川や地下水を利用しての人工的な灌概を施すことが是非とも必要であっ

た。

 帝政ロシアの綿工業にとって中央アジア産の綿花の重要性が認識されたの は米国において南北戦争(1861〜1865年)が勃発し、米国産の原料綿花の 供給が乱れたことからで、それ以降帝政ロシアの綿工業は中央アジア産の綿 花を重視し4)、それへの依存を強めることになった。中央アジアにおける綿 花生産を増大させるため灌概工事を推しすすめ、綿花作付の増大に努力が集 中された。中央アジアの綿花重視の政策は帝政ロシアからソ連に引き継がれ、

いっそう大規模な灌溜i工事が実施され、灌概耕地面積の拡大と綿花栽培の増 大がはかられた。

 ソ連期になってからのこの種の灌概工事の代表的な事例はカラクム運河の 建設である。この運河はアムダリア川から取水し、トルクメニスタンの首都、

アシババード近郊を通り、カスピ海方向へと西流するもので、1954年に着 工され2000年までかかる予定の大運河である。トルクメニスタンにおける 綿花生産の大部分はこの運河の流域で造成された灌概耕地で生産されるもの

(5)

表1.旧ソ連各共和国における土地利用状況(1990年11月1日現在)

      (単位:100万ha,%)

総土地面積耕地採草地遊牧地

ソ連合計   2,227.6  224.4  29.5  297.8

  %       100.0       10.1        1.3       13.4

中央アジア小計   408.1   45.0    5.0   226.9

  %      100.0        11.0         1.2        55.6

ウズベキスタン    44.8     4.5     0.1    21.5

  %      100.0       10.0        0.0       48.0

キルギスタン    19.8    1.4    0.2    8.4

  %       

100.0        7.1        1.0       42.4

タジキスタン    14.3    0.8    0.0    3.3

  %        100.0        5.6        0.0       23.1

トルクメニスタン    48.8      1.2      0.0     34.3

  %       100.0         2.5         0.0        70.1

カザフスタン   271.7   35.5    4.6   157.2

  %      100.0       13.1        1.7       57.9

アゼルバイジャン    8.7     1.6     0.1     2.1

  %      100.0       18.4        1.1        24.1

ロシァ  1,707.5  131.8  20.0  60.1

  %       100.0        7.7        1.2        3.5

その他  

112.0  47.0  4.5  10.8

  %       100.0       42.5        4.0        9.6

出所:rocKoMoTaT GGGP, HapoAHoe Xo3∬ncTBo GGCP B 1990r.

(6)

である。

 カラクム運河の他にもアムダリア川、シルダリア川などから何本もの灌概 運河が建設され、多くの灌溜i耕地が造成されて5)、この両河川の流域を中心

に中央アジア(カザフスタンは南部のみ、アゼルバイジャンを含まず)にお ける灌概耕地面積は表2で示すように増大した。中央アジア合計の灌概耕地 面積は1988年では1950年の70%増となっている。増加率のもっとも高いの はトルクメニスタンで1950年から1988年にかけて灌概耕地面積はほぼ2.7倍 になっている。これもカラクム運河による効果であろう。次いで増加率が高

表2.中央アジアにおける灌瀧耕地面積の増加

       (単位:1,000ha,指数)

1950    1960    1970    1980    1985    1988 ウズベキスタン 2,276  2,571  2,696  3,476  3,930  4,149  (才旨数)      100     113     118     153     173     182

キルギスタン  934   929   883   955  1,009  1,037

 (才旨数)      100      99      95     102     108     111

タジキスタン  361   427   518   617   653   686

 (才旨数)      100     118     143     171     181     190 トルクメニスタン   454    496    643    927   1,107   1,258  (才旨数)      100     109     142     204     244     277 南カザフスタン 1,130  1,191  1,187  1 ,478  1,568  1,630  (才旨数)      100     105     105     131     134     144 中央アジア合計  5,155  5,614  5,927  7,453  8,267  8,760  (才旨数)      100     109     115     144     160     170

出所:Robert A. Lewis(ed.), Geogrαphic Perspectives on Soviet Centrαl A sia,

  London and New York, Routledge,1992, p.136, Table 6.1.

(7)

いのはタジキスタンやウズベキスタンで1950年から1988年の間に灌概耕地 面積は2倍近くに増大している。特に、ウズベキスタンの灌溜i耕地面積はい つも中央アジア合計のほぼ半分を占めるほど大きく、ここで灌概耕地面積が この間に2倍近くに増えたことが大きな意味を持っている。

 綿花の作付は灌概耕地でなければならないので灌1既耕地面積の増加は綿花 作付面積の増加をもたらす。表3はその増加の状況を示している。中央アジ ア合計で見るよう に、1950年に比べ1988年の綿花作付面積は2倍以上となっ ている。この間、灌概耕地面積は、表2で見たように、70%しか増加して いないので、綿花作付面積は灌概耕地面積の増加以上の高率で増加している

表3.中央アジアにおける綿花作付面積の増加

       (単位:1,000ha,指数)

1950    1960    1970    1980    1985    1988 ウズベキスタン 1,098  1,387  1,709  1,878  1,990  2,017  (才旨数)      100     126     156     171     181     184

キルギスタン   65   71   75   76   28   32  (指数)   100  109  115  117   43   49 タジキスタン  126   172   254   309   311   320

 (}旨数)      100     137     202     245     246     254 トルクメニスタン   153    222    397    508    561    636

 (指数)   100  145  259  332  367  416

南カザフスタン   97   106   118   127   131   128

 (非旨数)      100     109     122     131     135     132 中央アジア合計  1,539  1,958  2,553  2,898  3,021  3,133  (才旨数)      100     127     166     188     196     204

出所:表2に同じ。p.144, Table 6.6.

(8)

ことになる。特に、トルクメニスタンにおける綿花作付面積の増加は著しく、

1950年から1988年にかけて灌概耕地面積が2.7倍になったのに対し、綿花作 付面積は実に4倍以上を記録している。タジキスタンでも、トルクメニスタ ンにおけるほどではないにしても、灌概耕地面積の増加率以上に綿花作付面 積が増加している。ウズベキスタンと南カザフスタンでは、この間、綿花作 付面積は灌概耕地面積の増加とほぼ同率で増加し、キルギスタンでは1950 年から1980年まで綿花作付面積は順調に、灌概耕地面積の増加率よりやや 高い率で増加してきたものの、その後綿花作付面積は急減している。

 綿花の作付はほとんど例外なく灌概耕地になされるので、表4は灌概耕地 と綿花作付との関係、灌概耕地に対する綿花の作付率を示す。綿花の作付率 は中央アジアでも国により大きな差がある。キルギスタンと南カザフスタン においては灌概耕地の10%未満にのみ綿花が作付されているのに対し、ウ ズベキスタン、タジキスタンやトルクメニスタンでは灌概耕地の30%以上、

年によっては50〜60%にも達している。しかも、綿花の作付率には明かに1 表4.中央アジアにおける灌瀧耕地に対する綿花の作付率

       (単位:%)

1950    1960    1970    1980    1985    1988 ウズベキスタン  48.2   53.9   63.4   54.0   50.6   48.6 キルギスタン   7.0   7.6   8.5   8.0   2.8   3.1 タジキスタン  34.9   40.3   49.0   50.1   47.6   46.6 トルクメニスタン   33!7    44.8    61.7    54.8    50.7    50.6 南カザフスタン   8.6   8.9   9.9   8.6   8.4   7.9 中央アジア合計  29.8   34.9   43.1   38.9   36.5   35.8

出所:表2および表3より計算。

(9)

つの傾向が見られる。すなわち、1970年まで(タジキスタンでのみ1980年 まで)いずれの国でも灌概耕地に対する綿花の作付率が高まり、それ以降減 少に転じていることがそれである。

皿.綿花の生産

 中央アジア農業において綿花栽培が重視され、綿花の作付面積を拡大する ために灌概耕地の造成がつづけられ、綿花の作付面積は1950年代から1980 年代にかけ一貫して増大してきたことは以上に見た通りである。この間、綿 花の品種や肥培管理の改良なども行われて綿花の生産量は戦時の混乱期など を除き比較的順調に増加してきた。中央アジアの綿花栽培の急激な拡大努力 に内在していたいくつかの問題点が顕在化して、綿花生産に危機的な状況が 現れ始めたのは1980年代の初めからであった6)。

 その危機は、それ以前と変らぬ多大の努力が綿花栽培のために投入されて いたにもかかわらず、綿花生産量の停滞、減少として現れた。中央アジア

(アゼルバイジャンを含まず、カザフスタンは南部のみを含む)における綿 花の生産量は1950年代までの200万トン程度から1970年代までには700万ト ンを達成し、表5に示すように1980年に830万トン余を記録した後明かに停 滞、減少傾向を示しているのである。灌概耕地面積と綿花作付面積の増加が 顕著なトルクメニスタンのみは綿花の生産量を着実に伸ばしているほかは、

中央アジアのどの綿花生産国も綿花生産量を漸減させている。米国と同量の 綿花生産量を誇り7)、中央アジアの全綿花生産量の3分の2をいつも生産し ている8)ウズベキスタンの綿花生産量が一貫して減少しているのが特徴的 である。これは単に偶発的な天候不順などによるものではなく、表3で示し たように綿花の作付面積が匡常的に増加していた状況の中で起こった減産で あって、根の深い原因による現象である。

(10)

表5.中央アジアにおける綿花生産量の推移

      (単位:1,000トン)

1980     1985     1988     1989     1990

ウズベキスタン  5,579  5,382  5,365  5,292  5,058 キルギスタン     206     58     79     74     81

タジキスタン   1,011   935   964   921   842

トルクメニスタン  1,192   1,287   1,341   1,382   1,457

南カザフスタン*  358   305   325   315   324 中央アジア合計  8,346  7,967  8,074  7,984  7,762 注:*原資料の統計書ではカザフスタン全土の綿花生産量として表示されてい   るもののカザフスタンでの綿花生産はほぼその南部に限られるので南カザ   フスタンとした。

出所:表1に同じ。

表6.中央アジアにおける綿花の単位収量の推移        (単位:トン1ha)

1980     1985     1988 ウズベキスタン  2.97   2.70   2.66 キルギスタン   2.71   2.07   2.47 タジキスタン   3.27   3.01   3.01 トルクメニスタン   2.35   2.29   2.11

南カザフスタン  2.82  2.33  2.54 中央アジア合計  2.88   2.64   2.58

出所:表3および表5より計算。

(11)

 綿花の作付面積が増加しているにもかかわらず収穫量が停滞または減少す る直接の原因は単位収量の低下である。前掲の表の数値を用いて中央アジア の綿花の単位収量が計算出来る1980年代の3力年についての数値を示すの が表6である。中央アジアの中でも比較的小さな綿花生産国であるキルギス タンと南カザフスタンでは綿花の単位収量は1980年に比べ1985年に一旦低 下したのち1988年には再び向上しているものの、綿花の大生産国であるウ ズベキスタン、タジキスタンおよびトルクメニスタンにおける綿花の単位収 量はいずれもかなりの低下を示している。その結果、中央アジア合計の数値

も一貫して低下している。

 綿花の単位収量の低下をもたらす要因についてはいくつものことが指摘さ れている。その1つは塩害の蔓延である。中央アジアではこれまで灌概の拡 大にのみ注目して、排水を軽視してきたため地下水位が上昇し、毛管現象に

よって塩分を含む地下水が地表に昇り、水分が蒸発したあとに塩分だけが析 出して残り、堆積するのである。これによって耕地の肥沃度は著しく低下し、

綿花の作柄を悪くする。綿花は塩害に敏感な作物で、耕地にわずかに塩分が 含まれていても単位収量は20%も減退し、塩害がひどければ50%も削減さ

れるという評価もある9)。

 また、中央アジアではアムダリア川やシルダリア川などの限られた水資源 を過度に灌溜i用水として使い、灌概用水そのものが不足し、上流部分からの 塩分濃度の高い排水をそのまま灌溜iに再利用せざるを得ないのも一因である。

そればかりでなく、アムダリア川とシルダリア川から灌溜i用水路に水をとり すぎるためアラル海に流入する水が払底し、アラル海が干上がって深刻な環 境問題を引き起こしている1°)。中央アジアにおける深刻な水不足を緩和する 決め手としてシベリアから長大な運河を引き、シベリアの河川の水を中央ア ジアに転流させようという計画が真剣に検討された11)。この構想は結局否決 されたものの12)。中央アジアにおける水不足はそれほど深刻なものであった。

 もう1つは、これも綿花生産の拡大を急ぐあまり、綿花一アルファルファ

(12)

の組み合わせを基本とする輪作が十分に行われず、綿花が連作されて耕地の 地味が低下していることが指摘されている。アルファルファは土壌に窒素分 を補給する飼料作物で、かつこれで飼養される家畜の糞尿で耕地に有機質肥 料が還元されるので耕地の地味を維持し、綿花の単位収量を高い水準に維持 することが可能となる。それなのに、中央アジアで最大の綿花生産国である ウズベキスタンでは同じ耕地に50年間も綿花を連作しているところが少な

くないことが指摘されている13)。これでは土壌の栄養分は枯渇し、化学肥料 と農薬を多投せざるを得ず、その結果綿花は病虫害に弱くなり、単位収量は 低下することを免れない。

 これらはいずれも中央集権的な計画経済に特有な、現地の諸条件を無視し て、司令やノルマでことを進めようとする体制に起因するもので、綿花を増 産するようにという中央からの執拗な圧力に耐えかねて綿花の作付面積や収 穫量を水増しして報告する「綿花スキャンダル」が1984年にウズベキスタ

ンで起こったほどである14)。無理に推進されてきた中央アジアの綿花栽培拡 大政策は根本的に問い直されなければならないときが来たのである。

IV.食料生産の軽視

 綿花と麦類や米などの食料作物とは生育時期が同じため栽培が競合する。

綿花の作付が重視されればされるほど穀物類の作付が相対的に軽視されるこ とになった。しかし、造成された灌概耕地の全てに毎年綿花が作付けされる わけではないので、19世紀の末では綿花の栽培の拡大と並行して穀類の栽 培も増えて、中でも米の生産が増大して農民にとって米は綿花に次いで有利

な作物といわれたほどであった15)。

 しかし、中央アジアにおける人口増加率は大きく、最良の灌概耕地がまず 綿花の作付に充てられ、穀類は主として粗放な天水灌概で栽培される状況下

(13)

で、中央アジアは1917年の革命までの時点ですでに主食の自給が出来なく なり、ロシアなどからの穀物供給に強く依存する状態となっていた 6)。綿花 重視の政策は革命後のソ連時代でも強められこそすれ弱まることはなく、人

口増加傾向もつづいたので、中央アジアにおける穀物・食料生産不足状況は 悪化した。例えば、ウズベキスタンでは全作付地面積のうち食料作物(家畜 飼料を含む)の作付割合は1950年では61%であったものが1970年以降47〜

50%に低下した17)。前にも述べたように綿花重視の結果、綿花一アルファ ルファの組み合わせの輪作がすたれ、それは家畜の飼料となるアルファルファ の減少、家畜の減少をもたらした。中央アジアは1987年までに、主食だけ でなく野菜と果物を除く大部分の食料品の純輸入国になっていた18/。食料の 需給が逼迫した結果、中央アジアの人々の食料摂取にも悪影響が現れた。中 央アジアの住民の1人当たりカロリー摂取量は漸減し、1975年で中央アジ ァ4力国(カザフスタンとアゼルバイジャンを含まない)では平均の1人当 たりカロリー摂取量は全ソ連の平均値の81 一一・86%に過ぎなかった19)。動物 性蛋白質の摂取量の格差はもっと大きくなっていた。例えば、1987年の1 人当たり食肉消費量は全ソ連平均は64.1kgであったのに対しウズベキスタン ではその45%の29kgにすぎなかったし、酪農製品のそれは341kgに対し56%

の190kgであった2°)。

 中央アジア諸国は独立する以前から食料の増産を真剣に検討し始めていた。

ウズベキスタンでは2000年までにミルクの自給達成を含む食料品生産2倍 増計画を立案し、トルクメニスタンでは全耕地の50%以上に作付されてい

る綿花の作付率を35〜40%に引き下げ、綿花の生産量を90〜100万トン削減 することによって、食肉とミルクを増産してそれらの1人当たり消費量を 15〜30%増加させる計画を検討した21>。自国民の食料需要を地元産の食料 作物だけで満たそうとすれば、綿花栽培を全廃しなければならないと中央ア

ジア諸国の当局者は言っている22>。

(14)

V.綿工業のたちおくれ

 ほとんど綿花モノカルチャーといってもいいぼどに綿花栽培に特化してい る中央アジア産の綿花は、その大部分がロシアやウクライナなど旧ソ連内の 綿工業先進地域に搬出され、加工用として地元に残されるのは極くわずかで あった23>。旧ソ連当局は中央アジアで生産された綿花を海外に輸出しており、

外貨を必要とする旧ソ連にとって綿花輸出は貴重な外貨獲得源の1つであっ

た24)。

 表7は旧ソ連における綿花関連の工業生産がどこで行われていたかを、主 な製品の1990年における生産高の配分で示めそうとするものである。綿花 繊維は全て中央アジアで生産されているということは、綿花の種から綿花の 繊維を分離する綿繰り作業は綿花の生産現地である中央アジア(ここでは中 央アジア6力国)でのみ行われているということである。綿花の梱包や輸送 のためには綿花の殻付きのままより繊維にした方がはるかに便利であるから、

これは当然である。

 綿工業の中核である綿織物では中央アジアで生産される割合は12.3%であ 表7.綿花関連工業製品生産高の旧ソ連各共和国間への配分(1990年)

      (単位:%)

中央アジア*ロシアウクライナその他 合計

綿花繊維 100.0  −  一  一 100.0

綿織物12.3 71.7 7.2 8.8100.0

ニット製品  16.4  39.8  18.2  25.6 100.0

植物油25.9 35.5 32.8 5.8100.0

注:*中央アジア6力国。

出所:表1に同じ。

(15)

るのに対し、ロシアでは実に70%以上も生産されていることが判る。更に、

ニット製品では中央アジアが16.4%を生産するだけで、その他はロシア、ウ クライナその他で生産されている。中央アジアは旧ソ連の綿花の供給基地で ありながら綿工業ではマイナーな役割しか果たしていない25)と言われるの は、その通りなのである。植物油とは菜種油、ヒマワリ油や綿実油などであ り、中央アジアでは綿繰り作業後の綿の種から油を絞る搾油業が定着してい ることで植物油の生産で25.9%の実績を上げているわけである。

 中央アジアが主として原綿の供給基地としての役割を与えられてきたのは、

綿工業は原綿供給地の近くよりも、大消費地の近くに立地すべきであるとい う旧ソ連の計画当局の基本的な哲学によるものである26)。独立後の中央アジ ア諸国にとって綿花は外貨獲得と工業化のための貴重な資源である。綿花生 産と食料作物生産をどのようにバランスさせるのかという問題も含め中央ア ジア諸国の舵取が重要となるであろう。

      注

1)Boris Z. Rumer, Soviet Central A sia  A Tragic Expereiment, Boston, Unwin  Hyman,1989, p.27.

2)Ibid.人工的な灌概が施されているのは可耕地の6〜7%に過ぎない。

3)Ibid.

4)Edward Allworte (ed.),Central Asia:120 Years Of Russiαn Rule, Durham and  London, Duke University Press,1989, p.274.

5)この間の灌概工事について詳しくは石田進編『中央アジア・旧ソ連イスラーム  諸国の読み方』ダイヤモンド社、1994年、12章参照。

6)Boris Z. Rumer, qク. cit., p.64.

7) Ibid., p.62.

8)Michael Rywkin, Moscsw s Muslim Challenge, Armonk, New York, London, M. E,

 Sharpe, Inc.,1990, p.46.

9)Robert A. Lewis (ed.),Geogrαphic Perspectives on S()viet Central、4 siα, London

(16)

  and New York, Routledge,1992, p.140.

10)石田 進編、前掲書、12章参照。

11)シベリアの河川の中央アジアへの転流計画は1870年代から検討されており、1917   年の社会主義革命後も1920年代から40年代にかけ何度も浮上しては消え、その後   もフルシチョフ・プラン(1961年)、ブレジネフ提案(1971年)およびチェルネ

  ンコ提案(1984年)などとして検討されてきた。Boris Z. Rumer, Op. cit., pp.89−

  91.

12)転流計画に対して「農村作家」などといわれるロシアの知識分子が環境保護や経   済性検討の立場から批判したことなどが理由で1986年にこの計画は廃案となった。

  Ibid., P.96.

13)William Fie㎜an(ed.),Soviet Central Asiα:The Failed Transformαtion. Boulder,

  San Francisco, Oxford, Westview Press,1991, p.82.

14)Robert A. Lewis(ed.),op. cit., p.146.

15)Edward Allworth (ed.),ρρ. cit., p.276.

16) Ibid., p。284.

17)Robert A. Lewis (ed.),0ρ. cit., p.147.

18) Ibid., p.148.

19) Ibid., p.147.

20)William Fierman(ed.),Op cit., p.87.

21)Robert A. Lewis(ed.),Qp. cit., p.148.

22)Ibid.

23)中央アジアで生産される綿花のうちわずか4 一一5%が地元での加工用として残さ   れるに過ぎなかったと言われる。William Fierman(ed.),op. cit., p.83.

24)Boris Z. Rumer, op. cit., p.62.

25) Ibid., p.72.

26)William. Fierman(ed.),op. cit., p.84.

キー一一ワード:中央アジア、オアシス農業、農業、綿花、灌概

(17)

Agriculture in Central Asian Countries

by Susumu ISHIDA

    Central Asian countries have just started their independent measures to manage, control and develop their political and economic affairs,

including agricultural issues.

    The most outstanding agricultural feature of the Central Asian countries is that the cotton monoculture has prevailed since the conquest of Central Asia by the Russian Empire, including the 70 years under the USSR. In order to expand cotton cultivation, many irrigation works have been undertaken along the basins of the Amdariya and Sirdariya which have caused serious environmental problems and need to be solved as soon as possible.

    Cotton will remain as one of the most important sources for Central Asian countries to earn foreign exchange, but it is urgently necessary for them to restrict cotton cultivation in order to recover a positive environ−

mental balance.

    Central Asian countries have to come up with their own correct answers without instructive textbooks to many problems at the same time, such as privatization, better ecology, foreign exchange earnings,

restriction of cotton cultivation, self−sufficiency of food and so on.

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