神戸女子大学文学部紀要 48 巻 31-42 2015
はじめに
中国は急速な経済発展の代償として、土壌・水・大気等の汚染という環境問題に直面している。そ の経済発展の象徴的存在が、北京・天津などを含む環渤海経済圏である。この地域は海河流域に属し ているが、海河の本流は主として天津市内1)を流れる全長72㎞、流域面積2,066㎢の河川に過ぎない。2)
しかし、支流を含めた海河流域となると東経112°~ 120°、北緯35°~ 43°の間にあって、東は渤海、
西は雲中・大岳山、北は蒙古高原、南は黄河で画された32.0万㎢の面積となる。3)
この流域の2005年のGDPは全国の14.1%を占め、1人平均のGDPは全国平均の1.38倍となってい る。同年のこの地域の耕地面積は1億5,981万畝(1畝は約6.67㌃で10.65万㎢となる)で、全流域面 積の33%を占めている。4)このことは大量の農業用水を必要とすることにつながるが、これに加えて めざましい工業発展に伴う工業用水需要の高まり、流域住民の生活水準向上に伴う水需要の増加など の要因から用水量の増加が続いてきた。
一方で、気候変動による降水量の減少傾向から水資源の逼迫状況は深刻化しており、地下水の過剰 なまでの使用などによって何とか補ってきた。こうした事態を解決するための鍵として期待されるの が、長江の水を北京・天津などに送る南水北調という巨大プロジェクトである。5)だがはたして、南 水北調は環渤海経済圏の水危機を救う決定的な手段となり得るのか。本稿は、北京・天津をはじめと する海河流域の都市と農村が直面する水資源問題を取り上げて、その実態を明らかにするとともに問 題解決の方向性も検討することとする。
1.海河流域の水資源をめぐる諸問題
海河流域は大きく分けて4つに分類される。最も北に位置するのは灤河および冀東沿海の諸河で、
流域面積は54,530㎢である。海河北系はその南にあって、薊運河・潮白河・北運河・永定河などを含 み、北京が主要水源として頼る河川で、流域面積は83,426㎢である。さらにその南に位置するのは大 清河・子牙河などの海河南系で、流域面積は149,073㎢と最も広い。海河流域の南端に位置するのは
海河流域の水資源と南水北調
小 林 善 文
The Quality of Water in the Hai He Basin and China’s Water Control Project
Yoshifumi K
OBAYASHI徒駭馬頬河系で、流域面積は33,012㎢となっている。6)
海河流域の水資源量に関しては、長期間にわたる平均値と経年変化を見ることが不可欠である。
1956年から2000年の間の海河流域の年間水資源総量は平均して370.4億㎥で、最大は1964年の734億
㎥、最小は1999年の189億㎥であり、7)変化が大きい。この1956 ~ 2000年の間の年平均降水量は535
㎜で、年平均の水面蒸発量が850 ~ 1,300㎜となるなど乾燥化が激しい地域である。8)1956 ~ 2000年 の45年間に海河流域の降水量、河川流量、地下水資源量などはすべて減る傾向にあり、降水量につい ていえば年間平均で2.99㎜減少している。1956 ~ 79年に比べて1980 ~ 2000年の海河流域の地下水資 源量は12.6%減少した。河川流量については1956 ~ 79年より1980 ~ 2000年は32%減少した。9)この ように海河流域の降水量、地下水資源量など水資源量総体の減少傾向は否定できないのである。
海河流域では、長期にわたる年平均供水量の内訳としては、地表水が123.5億㎥、地下水が181.1億
㎥、黄河よりの引水が43.4億㎥、微鹹水・海水利用などの非常規水は12.9億㎥となっている。10)河川 流量の減少は、断流という形で表面化する。海河流域では1960年代には21条の主要河川の中で18条に 断流が生じ、期間は78日、断流の総延長は714㎞であった。1970年代には21条すべてに断流が生じ、
期間は平均して173日、総延長は1,431㎞となり、1980年代も21条すべてに断流が生じ、期間は平均し て234日、断流の総延長は1,922㎞となった。1990年代には21条の主要河川での断流は平均して225日、
総延長は1,925㎞で、80年代とほぼ同様の水準で推移した。しかし、2000年代に入ると21条の主要河 川の断流は平均して268日で、総延長は2,189㎞に達している。11)
海河流域の水需要の増加と地表流水量減少を補う手段は、黄河の水量が減少傾向にある以上、地下 水利用が最も有力な手段である。地下水利用は当初から浅層地下水が中心となっているが、1980年の 浅層地下水利用量は175億㎥で、それが2005年には213億㎥に増加している。長期にわたる浅層地下水 の確保を可能とする利用量は184億㎥とされるから、12)過剰な汲み上げが続いていることになる。13)
浅層地下水の利用量は、基本的に増加の傾向が続き、その開発利用率は 110.4%に達している。過剰 な地下水利用は、結果として河川流量も減少させているのである。14)
海河流域は、小麦・トウモロコシなどの産地として知られ、生産は主として地下水による灌漑によっ て維持されており、多くの地域では地下水利用量は安定供給が可能な量の150%を超えている。15)海 河流域では21世紀初頭の5年間の農業用水量は年平均263億㎥で、総用水量の69.3%を占めて水需要 の中心となってきたが、都市・工業用水の増加が著しいため、むしろ農業用水量の比率は減少傾向に ある。16)流域の農業用水は、地下水総用水量の4分の3以上を占めてきたが、これに対する水資源費 の徴収はなく、用水価格をテコに節水を促す手段は採れなかった。17)
2007年には浅層地下水と深層地下水の利用比率はそれぞれ80.8%と19.2%となっており、浅層地下 水の利用が圧倒的に多い状況が続いている。18)地下水の過剰汲み上げが続いている地域の面積は9万
㎢に近く、累計過剰用水量は1,000億㎥に達している。19)地下水位の低下は当然のことで、唐山など沿 岸部では塩水の浸透が見られ、20)浅層地下水の礦化度が2㌘/㍑より大きくなっている面積は3.58万
㎢に及んでおり、21)塩分を含んだ地下水の用途には当然制約が生まれることになる。さらに地下水 の枯渇という事態も懸念されており、2010年には天津・滄州・邢台・廊坊の地下水位は120m以下に
下降し、現在汲み上げている層は10 ~ 15年で枯渇してしまうと予想されている。22)海河流域全体では、
今後80年足らずで浅層地下水が枯渇し、深層地下水は10 ~ 15年の間に枯渇するとの予測もある。23)
海河流域に存在する動力井戸は、深さ120mを分岐点として浅層と深層に分かれるが、浅層地下水 を対象とするものが122万本、深層地下水を対象とするものが14万本、計136万本に及んでいる。24)年 間の供水能力が285億㎥に達する多数の井戸が稼働している中では、当然のことながら地盤沈下とい う事態が生まれる。各都市の地盤沈下によって、鉄道・道路・橋梁などの基礎が沈下して割れ目が生じ、
上下水道の断裂、地下水位低下に伴う動力井戸の廃棄、河道の排泄能力の低下などが生じている。白 洋淀という大規模貯水池の千里堤や滹沱河の北大堤の割れ目も地盤沈下がもたらしたものである。25)
海河流域の地表水と地下水が直面する汚染問題も深刻である。2006年時点での評価によれば、海河 流域全体の河長19,645.41㎞の中で断流部分を除く水質評価では、Ⅰ類の河長は1.74%、Ⅱ類の河長は 13.78%、Ⅲ類の河長は12.62%、Ⅳ類の河長は7.30%、Ⅴ類の河長は5.7%、劣Ⅴ類の河長は49.69%
となっている。26)断流部分を除いて見ると、使用に適したⅠ~Ⅲ類の河長は28.14%に過ぎず、基準 値を超えて使用に適さない河長は71.86%となる。水質に関する評価は省区や都市によって差があり、
北京はⅢ類を上回る河長が80.6%、河北省がⅢ類を上回る河長が55.8%と比較的良好であるのに対し て、河南省と山西省は劣Ⅴ類の河長が50%を超え、天津の劣Ⅴ類の河長は87.4%で、山東省はすべて 劣Ⅴ類となっている。27)こうした傾向は、下流部分が上流での点源・面源汚染を受け続けている状況 を反映しているためといえよう。
主要な汚染源には、工場廃水・農業排水・生活排水がある。広義の農業排水を河北省を例としてみ ると、畜産・養殖関係の排泄汚染物が最大となっており、化学肥料の流失が次いでいる。28)畑地や 水田からの排水を管理することは事実上不可能で、化学肥料や農薬の適正使用を促すしか規制の方法 はないが、中国の化学肥料や農薬の過剰使用は国際水準から見て否定しがたい状況である。下流域で は結局、汚水灌漑とならざるを得ず、21世紀初頭で71.73万㌶に11.27億㎥の汚水が使用されていると いう。29)水土流失も山区を中心に目立っており、1980年代にはすでに流失面積は山区面積の60%近く を占めていたが、30)流失土壌と汚染物質が形成する汚泥の処理も課題となっている。
環渤海経済圏は中国屈指の工業地帯でもあり、多数の工場から排出される工場排水は汚染源の中 心となっている。21世紀初頭段階で、流域の製紙業は廃水が25.6%、COD(化学的酸素要求量)は 37.8%、化学工業は廃水が16.3%、CODは15.7%、食品工業は廃水が2.3%、CODが7.5%とそれぞれ 計算されている。31)工業用水の重複利用率の向上は、工場廃水削減に直結することになるが、海河流 域全体での工業用水重複利用率は81%に達していて、先進国水準にある。ただ流域の各省市での差は 大きく、北京市では91%、天津市では85%、河北省では75%などとなっている。32)工業用水の重複利 用率をさらに向上させ、再生水の利用を一段と進めるべきであるが、工場廃水の処理を確実におこな うことがそれ以上に重要である。
2005年の環境統計では、海河流域のすべての廃水の排出量は54.3億㌧で、CODの排出量は144.2万
㌧、アンモニア窒素の排出量は20.0万㌧となっている。そのうち工場廃水の排出量は27.40億㌧で、
COD 排出量は79.28万㌧、アンモニア窒素排出量は9.01万㌧となっており、33)それぞれ全体の50%前
後を占めている。別の統計では、2007年の工業と建築業の廃汚水排出量が55.4%で、都市住民の生活 汚水排出量と第三次産業の汚水排出量がそれぞれ28.2%、16.4%となっており、34)これらの比率から 全体的傾向が窺える。
海河流域の廃汚水処理率に関しては、2005年には流域全体で92 ヵ所の汚水処理廠があって、汚水 処理率は52.1%、再生水処理率は5.1%となっている。2年後の2007年には汚水処理廠が172 ヵ所に増 え、汚水処理率は69.94%、再生水処理率は11.06%と改善している。この再生水利用量が汚水処理量 の20 ~ 40%に達すれば、利用可能な再生水が6.87億㎥から12.74億㎥となり、用水量確保のための潜 在力としては小さくない。35)ただし一方で、各地に設置された汚水処理廠がその能力をフルに発揮し ても依然として100%の処理ができていないことを、上記の数値は示している。
中国では淮河流域に典型的に見られるように、企業経営者が利益最優先で廃汚水の処理をおこなわ ないケースが目立ち、36)そのことは各地の汚水処理廠でも見られることである。少し遡って2000年 の統計となるが、海河流域の集中汚水処理廠はすべて建制市に設置されており、その汚水処理量は日 量331万㌧で年間12.1億㌧となっているにもかかわらず、実際の処理量は9.05億㌧とされていること にも、汚水処理廠がその処理能力を全面的に発揮していないことが窺える。37)また同時期の海河流域 への総窒素の流入量17.79万㌧のうち非点源が66%を占め、総リンの流入量4.45万㌧のうち非点源が 86.8%を占めているのは、38)窒素やリンを含む農業用水に関する公害規制の困難さを示しているとい えよう。汚染は当然地下水にも及んでおり、地下水が汚染されている面積は21世紀初頭の段階で5.92 万㎢に達している。39)
「有河皆干、有水皆汚(河があっても皆干上がり、水があっても皆汚れている)」というのが海河 流域の現実となっており、40)水資源の有効利用と水質保全が喫緊の課題となっている。例えば、海 河南系に属する漳河・衛河・南運河などの流域では依然として大水漫灌と呼ばれる遅れた灌漑方式が 残存し、灌漑係数が0.5 ~ 0.55の水準に止まっている。41)上述したように流域全体では3分の2以上 を占めてきた農業用水量の節減は、用水計画全体に影響するのである。42)
地表流水量の減少は、ダム機能の低下に直結する。海河流域では、季節によって変動することが多 い水資源を補う手段としてダム建設が続けられてきた。大型ダムの代表的なものとしては、密雲ダム
(北京市東北、総貯水量43.75億㎥)、官庁ダム(河北省懐来県、総貯水量41.6億㎥)、潘家口ダム(河 北省唐山市・承徳市、総貯水量26.3億㎥)、于橋ダム(天津市、総貯水量15.59億㎥)、岳城ダム(河 北省と河南省の省境、総貯水量13億㎥)、崗南ダム(河北省平山県、総貯水量15.71億㎥)、黄壁庄ダ ム(河北省鹿泉市、総貯水量12.1億㎥)、王快ダム(河北省保定市、総貯水量11.89億㎥)、西大洋ダ ム(河北省唐県、総貯水量11.37億㎥)などがあげられる。
2000年末の段階で、上記のダムを含めて大型ダムが34 ヵ所建設されており、総貯水量は259億㎥
となる。その他に中型ダムが114 ヵ所、小型ダムが1,711 ヵ所建設されていて、これらの総貯水量は 48.5億㎥となる。43)大小のダムに加えて小規模な貯水施設が多数設けられ、流域を超えた調水システ ムによって水資源の融通を図るなど運用面での配慮はなされている。ただし、各ダムは満水になるこ とはほとんどなく、湖水の水質悪化にも悩まされている。永定河流域にあって北京の水ガメとなって
いる官庁ダムは、1950年代の年間の実測径流量が19.4億㎥であったものが、1990年代には年間4億㎥
に激減しており、44)そのダム機能を失いつつあるだけでなく、水銀・フッ素化合物・窒素・リンの 含有量が水質基準を超えるまでに増加している。45)
大清河の水源にもなっている白洋淀の上流域には、1950年代以降次々に建設された総貯水量36億㎥
のダム群があるため入湖水量が減少し、1964 ~ 81年には堤防建設と埋立によって90%も湖水面積が 縮小した。46)入湖水量は1950年代は年間平均18.27億㎥であったが、2000年には年間0.24億㎥にまで減 少した。2006年には白洋淀流域の動力井戸は18万ヵ所で、総用水量に占める地下水の割合は87.5%に 達している。47)時に干上がることもある白洋淀は水質悪化にも直面しており、2000年の13 ヵ所での 検査では、9ヵ所がⅤ類か劣Ⅴ類で、主要汚染物質はリンとアンモニア窒素となっている。48)
このように水資源の絶対的ともいえる欠乏と水量減少が拍車をかける汚染という深刻な事態に、海 河流域の地方政府や住民はどのように対処し、水資源問題解決への努力をしているのか。北京や天津 などの具体的取り組みも含めて考察を進める。
2.水資源問題への対応と南水北調
海河流域の水環境に関わる数多くの課題の解決のために1980年に海河水利委員会が発足した。海河 水利委員会は、水法規の制定と宣伝、流域計画の編成と監督、水資源の管理と保護、流域水工程の建 設などで多くの活動をおこない、流域水資源の合理的な開発を促進し、水関係の紛争が発生しやすい 地域の社会的安定を守り、流域水資源の持続的利用を促進してきたと評価されている。49)この海河水 利委員会が環境保護部などと協力した結果が『研究成果与応用』である。同書の中で海河流域管理の 問題点を以下のようにあげている。
① 取水・水消費・排水管理で有機的な結合が欠け、下流の水質保証が難しく、汚染源管理と水体保護 に有効なつながりが乏しい。
②水資源と水環境観測ネットワークの全体的な計画がなく、観測方法と適用標準が一致していない。
③流域管理の弱さが流域管理と行政区域管理の面での重複や矛盾、空白を生んでいる。
④行政面・社会面での監督管理・責任追求の政策に的確性や操作性が乏しい。
おおむねこのような現状認識の上に関連する問題点を指摘しているのである。50)
法規関係でも、関係する法規相互間の連携の欠如や実態に対応できない規定の存在などが指摘され ている。このように様々な欠陥や課題を抱えた中で、海河流域の水環境改善の重責を担っているのが、
海河流域水資源保護局である。しかし、海河流域水資源保護局は、流域の河川やダムの水質観測、水 質公報の発布、水資源保護計画などの責任を負っているだけで、流域水資源保護に関わる執法権や監 督権をもっていないのである。51)海河流域は水資源の逼迫を受けて、流域間の用水融通の必要性が高 く、実際に運用されてもいるが、水行政主管部門による一元的管理がないし、省を跨ぐ河流では地方 政府間の水事トラブルが絶えず、これらの多角的な調整は難航している。52)
取水許可証の発行は、水事トラブルを防止する手段となり得るが、それは水資源の統一管理を担 う機関や部門が発行してこそ存在価値がある。2011年末段階で、海河水利委員会は取水許可証148通
を発行し、許可された年間取水量は76.48億㎥となっており、その中の水力発電関係は14通で年間の 取水許可量は45.03億㎥である。しかし、海河水利委員会だけでなく流域の各級水行政主管部門がそ れぞれ取水許可証を発行し、大小合わせて93,300余通に達している。その許可水量は水力発電関係の 70.2億㎥を含めて地表水が162.1億㎥、地下水が155億㎥で、合計317.1億㎥となっている。53)こうした 結果から 流域水資源の管理に有効と思われる取水許可という手段が、有効に機能しているとは考え られないのである。
恒常的な水資源欠乏状態にある海河流域では、北京や天津など政治的、経済的に重要な大都市から 農村に至るまで、様々な節水対策や水資源の有効活用のための対策が講じられている。北京市の海淀 区では1万元のGDPを生み出すための取水量は2007年の15.07㎥から2010年には10.68㎥に減少した。
汚水処理率は95%に達し、農業面では節水灌漑が全農地に普及し、市民の生活用水使用量は1日80.4
㍑と抑えられ、節水器具普及率は100%、水道管からの漏水率は10%にまで下がり、各方面で改善が 進んでいることが報告されている。54)
北京市全体でも節水型蛇口の各家庭への無料支給や公園での設置、便器の改造、雨水や中水の利用 等きめ細かな施策と並行して用水価格の引き上げなどを通して節水の徹底を図っている。55)北京市は 16,801㎢の面積を持ち、農耕地も相当広いし、節水灌漑面積は1980年の52万畝から2010年には428万 畝に拡大していることもあって、水資源を有効活用する必要から農業用水の全用水に対する比率を 65%から32%に減少させており、滴灌・微灌などの先進技術の採用が進んでいる。56)工業用水でも節 水と汚染防止の対策を進める必要があって、コークス製造工場、プリント工場など消費水量が多くて 高汚染型の企業は閉鎖や流域からの移転を迫られた。2005年から2010年までに北京の工業用水量は6.8 億㎥から5.2億㎥に減少し、工業用水重複利用率は93%に達している。57)
天津市は北京に次ぐ大都市であるが、海河最下流域にあるため欠水と汚染の影響を最も強く受けて いる。面積11,760㎢の天津市は、1人平均の水資源量が全国平均の15分の1に止まり、最も水資源の 乏しい都市といわれている。2004年の天津市の総供水量は22.06億㎥で、その中の地表水は14.89億㎥、
地下水は7.07億㎥となっている。地下水を含めた過剰な用水量は河川の断流を生み、1980 ~ 2000年 の間に天津市を流れる主要河川の断流は年間320日に及んだ。湿地面積は約65万畝で、1920年代より 80%以上減少している。
天津市内の19条の一級河川の水質は汚染が進んで、ほとんどが水資源としては使用できないⅤ類か 劣Ⅴ類である。加えて入海水量の減少と地下水位の低下が続いている。58)汚染水の処理能力に関して は、2004年段階で日量84万㎥に過ぎず、対象区域の人口は全体の33.1%に止まっている。市内六区以 外でも処理量は日量18.3万㎥に過ぎず、汚染水の再生利用率は2%前後に止まっている。59)
天津市当局はこうした水資源の欠乏と汚染という現実に対処するための取り組みを既に始めてい る。海に隣接する立地条件を生かす取り組みであり、天津城廠によって1時間に2,500㌧の海水によ る循環冷却ができる装置が建設され、大港電廠は年間14億㌧以上の海水を循環冷却に使う装置を建 設するとともに、海水の淡水化を電廠の熱エネルギーなどを利用する形で進め、日産3,000㌧の淡水 化をおこなっている。60)さらに地下の浅層部分に浸透している若干塩分を含んだ微鹹水を使用するた
め、微鹹水集中処理站を建設して水質を改善し、灌漑等に活用する方法も採用しょうとしている。61)
山西省は、桑幹河などを通して北京市の水源となり、滹沱河などを通して天津市の水源ともなって いる。石炭産地として知られる山西省では、経済発展に伴う水需要は絶えず増加している。小雨乾燥 の山西省では、新たな水資源確保は節水対策の強化以外にはほとんど考えられない。その中心は農業 用水の有効活用が中心となるが、2010年末段階で山西省内の節水灌漑面積は1,227.27万畝で、全省有 効灌漑面積の65.0%となっており、用水路の漏水防止や蒸発を防ぐための管灌、さらに噴灌、微灌を 軸に進められている。その結果、1畝当たりの灌漑用水定額は1984年の267㎥から2008年の227㎥へと 減少し、農田灌漑と林牧業の取水量は1984年の40.5億㎥から2010年の39.2億㎥にわずかながら減少し つつも、穀物の増産に成功している。62)しかし、めざましい工鉱業の発展の結果、工業用水量は1985 年の10.56億㎥から2010年の13.13億㎥に増加し、重複利用率が55%から81.8%に向上したにもかかわ らず、用水量増加の趨勢をくい止めることはできていないのである。63)
環渤海経済圏への黄河からの引水は、1999年まで続いた断流の再現を防ぐために最小限度に止めな ければならない。黄河に面した河南省の2010年末の節水灌漑面積は2,304.96万畝で全省有効灌漑面積 の29.7%に当たるが、64)この比率を高めて農業用水量増加を抑制することが、下流の山東省への配慮 に加えて黄河下流域の安定的な流量確保のためにも重要である。
海河流域では、水不足が顕在化してきた1980年代より節水への取り組みを開始し、2005年にはこ の地域の1人平均用水量は286㎥、GDP 1万元当たりの用水量は149㎥で、全国平均のそれぞれ63%
と48%となった。都市での節水器具普及率は45%、工業用水重複利用率は81%、農業節水灌漑率は 49%、灌漑水利用係数は0.64で、中国の10の大河流域を比較するとトップの水準にある。65)
海河流域では、水資源の絶対的不足を補うべく地下水の過剰使用が続き、広範囲の地盤沈下をもた らしていることは上述した。欠乏する水資源の汚染も深刻で、重汚染型企業を移転させる取り組みも おこなわれているが、依然として抜本的な解決を見ていない。ただ工業用水や生活用水の価格引き上 げは、節水のインセンティブになる可能性がある。例えば、生活用水価格に関してみると、天津市で は1996年から2012年3月までに生活用水価格は1㎥当たり0.68元から4.90元と7.2倍引き上げられ、工 業用水等産業関係の水価格は1㎥当たり0.95元から7.85元に引き上げられている。
2012年段階で海河流域の26都市の総合用水価格は1㎥当たり3元を超え、北京市は1㎥当たり5.04 元となっているが、農業用水は1㎥当たり0.1元で提供されている。66)こうした用水価格の引き上げ による節水効果は、それ相応に機能しているものと考えられるが、一方で大きくなってきた経済格差 を考えると、富裕層にとって用水価格引き上げが節水への取り組みにつながるのかどうか判断が難し い。2005年に海河流域は、各種の廃水47.0億㌧を排出しているが、その中で生活排水(廃水)は25.7 億㌧で、全体の54.7%を占めていることから、67)生活用水価格の引き上げにもかかわらず水の浪費が 続き、十分な処理をしないまま流域河川に排出していることが判明するからである。
構造的な水資源不足解消の切り札とされるのが、長江とその支流の漢水から海河流域に通水する南 水北調である。この巨大プロジェクトは、長江下流域の水をかつての大運河に沿うルートを使って天 津や山東半島に通水する東線工程と長江の支流である漢水中流域の丹江口ダムから北京とその周辺地
域に通水する中線工程が基本である。そのうち東線工程については、すでに筆者は、高さ65mまで北 調水を汲み上げるために13 ヵ所のポンプステーションを建設し大量の電力を必要とすること、経由 する淮河流域は中国でも有数の水質汚染地域であり、北調水が汚染されている可能性が大きいことを 指摘した。さらに最近減少傾向が目立つ長江の水を北調することによって生じる海水の遡上が、上海 での水資源確保に影響することも指摘した。68)
南水北調の中線工程は、漢水中流の丹江口ダムから総幹線だけで1,267㎞の大規模な用水路によっ て通水するが、総貯水量290.5億㎥の丹江口ダムへの流入量が年々減少しつつあることが判明してい る。1990 ~ 1999年の年間流入量は平均して272.9億㎥で、1956 ~ 1990年の年間流入量の平均が386.3 億㎥であり、29.4%減少しているからである。69)清朝の雍正年間に上流域の長楽県では「山が深く林 が密」であったが、同治年間には「山林尽く開かれ」という状況になった。70)さらに20世紀に入って 中華人民共和国成立後から約半世紀の間に安康地区の森林覆蓋率は36.5%から27%前後に減少し、商 洛地区では森林植被面積が641万畝から30年間で398万畝に減少した。71)こうした上流の森林面積減少 に加えて工場廃水や生活排水がほとんど処理されることなく漢水に流入するために水質悪化が目立っ ている。72)中線工程の北方への調水能力は年間130億㎥と計画されており、フルに運用されれば最近 の丹江口ダムへの年間平均流入量272.9億㎥の47.6%を占めることになる。これでは漢水下流域の襄 陽などの都市や農村部の水需要をどうしてまかなえるのか。ひいては長江下流域の流水量にも影響す るのである。
海河流域の2030年の水資源の需給バランスを均衡させる一つの重要な条件としては、南水北調受水 区で長江の水を優先的に使用することと合理的な用水価格を設定することを『水資源評価』は求めて いる。そこでは海河流域の該当する地区での地下水の価格は1㎥当たり1.5 ~3元で、地表水は1㎥
当たり0.15 ~ 0.5元と予測し、長江の水の原価を1㎥当たり0.6 ~ 2.3元と予想する。73)しかし、、工 程の建設と運用に際しての通水コストを価格に適正に反映するとすれば、長江の用水価格がこのレベ ルに止まるという確証を得ることは相当難しいのではないだろうか。
おわりに
海河流域の各省や各都市は、それぞれが直面する水資源の欠乏と汚染問題を解決するための取り組 みを続けている。本稿は、それらの中で主として水源地となっている山西省と二大消費地である北京・
天津両市が直面する各種の問題を取り上げたが、その他の都市や地域においても水資源の確保に関わ る詳細な計画が公表され、取り組みが続けられている。しかし、水資源の欠乏を補う地下水の過剰使 用や深刻な汚染という現状は、依然として克服されていない。さらに海河流域では、1950年代に年間 平均気温が8.9℃、1970年代には平均9.3℃、1990年代は平均9.9℃と、半世紀足らずで平均1℃上昇し ており、上述のように年間降水量も減少している。74)それにも関わらず、各省や各都市の将来計画は 基本的に温暖化が進行せず、降水量が減少しないという想定の下に立案されている。また各省や各都 市の具体的で有効と思われる汚染防止対策は、関係文献を読む限り、ほとんど見えてこないのである。
2010年3月、水利部は海河水利委員会に内蒙古高原内陸河東部流域の取水実施に関わる取水許可権
限を与え、同時にその区域の取水許可総量に対する監督管理を実行させたと特筆しているが、75)こ のような緩慢なペースで海河流域の水資源の統一的管理を早急に達成できるのだろうか。大都市の節 水器具の無償配布などの取り組みも期待された成果を上げることができず、効果を生むには適切な節 水制度の制定が必要という声が起きている。76)河川の断流、地下水の過剰な使用、深刻な汚染、湿地 の萎縮、河口生態の悪化などの問題は、21世紀に入っても本質的に解決を見ていないのである。77)
巨費を投じた南水北調の東線と中線の両工程の運用は、こうした諸々の課題を解決する切り札とし て期待されている。しかし、中線工程の運用は、南流する漢水の中下流域における水環境に深刻な打 撃を与えるであろうし、東線工程の運用は、長江の水を利用する上海の取水に悪影響を及ぼすととも に、淮河流域を越えて高コストで北調された汚染されている可能性の大きい長江の水を、天津がその まま受け入れるとは考えにくい。その一方で天津の海水淡水化プロジェクトも高コストになる可能性 があって、水資源問題の抜本的な解決の有力な手段とはない得ないであろう。有効な節水・汚染防止 対策が不可欠である。
限られた水資源を汚染させず、適正に配分させるには、強力な執法権を持つ機関による海河流域の 統一的管理が欠かせない。内蒙古自治区や山西省など海河上流域での環境保全は、水源確保の点で重 要である。流域の農業も灌漑方式を改良し、肥料・農薬などの適正使用による面源汚染防止対策を浸 透させる努力が必要である。さらに水資源は貴重であり、汚染させないという遵法精神や環境保全の 地道な取り組みが必要であるという点での流域住民の意識改革が求められる。南水北調プロジェクト の活用に過大な期待をするのではなく、海河流域の自前の水資源確保と有効活用を再認識し、南水北 調はあくまでも補助的役割を担うという基本姿勢が求められるのではないだろうか。78)
[註]