: 4歳ころにみられる変化を中心に
著者 木下 孝司
雑誌名 静岡大学教育学部研究報告. 人文・社会科学篇
巻 43
ページ 193‑212
発行年 1993‑03‑25
出版者 静岡大学教育学部
URL http://doi.org/10.14945/00008485
静岡大学教育学部研究報告(人文 0社会科学篇)第43号
(1993.3)193〜
212193
期の らいの理論」 に関す る論争をめ ぐって
(Ⅱ
)一
‑4歳ころにみ られる変化を中心に 二―
On the Debate abOut You五
g children's Tloory Of Mind"(I)
一一― hues of
The Age 4 TransitiOn"一――
木 下 孝 司
Takashi KINOSⅢ TA
(平
成 4年
10月 12日受理 )
1。
は じめ に 一問題 の所在 一著者 は、幼児期の 陽いの理論」 に関するこの間の研究を概観 した上で、次のような研究上の 論点があるとした
(木
下、1992)。
①l歳半 ころか らのふ りの出現などの大 きな変化を 日心の理論」の発生 との関係でどう位置 づけるのか。
②いくつかの代表的な課題で
4歳
ころに大きな変化があるが、 この変化をどのような 陽いの 理論」 として特徴づけることができるのか。論点①については、上記論文で検討 したので、本論文では主 に論点②に関 して、特に そも そも人が持つ信念などの表象を理解することは、
4歳
ころより可能になるのかeerneへ 1991)、3歳
ころですでに可能であるのか(Wellman、
1990)"、 そして それぞれの年齢での心の理 解はどのような特徴をもっているか"と
いうことを中心に検討することが目的の一つである。この論争点は、単に 疇心の理論」の出現時期での違いだけのようにみえるが、実はその背景 には、「理論」や「表象」などといった概念の基本的な理解における研究者間での違いがある ように思われる。本論文では、 この点に注意 しながら、陽らの理論」の代表的な研究者である Wellmanと
Pernerの
理論を検討する。また、結論的に言 うと、
4歳
ころ、Lい
の理論」にある大きな変化が起 こることは動か しが たい事実であるが、 この4歳
ころというのは、他の領域での研究においてもいくつかの興味深 い現象がみられている。 こうした知見を、L心
の理論」研究の中か ら明らかにされてきたこと と合わせて検討することで、今後の研究課題を提起するのが二つめの目的である。2.「
信念 ―欲求心理学」 と「 心の表象理論」(1)Wollmanの
立場彼は、「理論」 とは、その知識に=貫性があり、存在論的区別を基礎にしてお り、 そ して因 果的説明の枠組みをもつものであるとする。そして、
Lい
の理論」における因果的説明の枠組 みとは、「信念一欲求推論シェマ(belief―desire reasoning schema)」
であり、 われわれは行 為者の意図や心理状態を推論するために、信念一欲求心理学を持っていると考える。らいの理論」の初期段階の特徴をみると、
2歳
児 はまず「単純な欲求心理学(Simple desire psychology)」
を持つ段階である。 あることについての知識や確信、意見 といった信念 は、 そ れを持つ人に内的表象 として付与 されることがその理解には必要である。 ところが、ある外的 な対象に対する欲求 とは、その対象 に対 して、それを「欲 している」 という心的態度を付与す るればよ く、表象的な性質を持つ ものとして理解する必要 はない。つまり、2歳
児では信念を 理解することはで きないが、 こうした単純な欲求を理解す るこ.とはできると いうのである。子 どもの自発的な言語において、欲求を指示す る語がよ り早 く使われ始めること(Wellman、
1991)や、 他者 の持つ欲求 か らその人 の行動 を予想す ることが
2歳
児 で も可能 で あ る こと(Wellman&wooley,1990)な
どが彼の説明を支持するものとしてあげ られている。ところが、 この単純欲求心理学だけでは現実で起 こる人の行動を説明 したり、予想 したりで きない状況が多 くある。例えば、同 じように リンゴが欲 しいと思 っている人が二人いるとしよ う。な らばこの二人が同 じような行動をとるか というとそうではない。 リンゴがどこにあるの か というまさにそれぞれの人の信念 によって、 自ず と次 に行 う行動 には違いが生 じる。 このよ うな単純欲求心理学だけでは解決できない場面に出会 う中で、
3歳
児 は信念 一欲求心理学を持 つようになるのである。そ して、3歳
児 は次のようなことが可能になる。`①行為者め信念や欲 求に関する情報を もとにその行動を予想す ること
(Wellman&BaFtSCh,1988)t②
あ る行動 はその行為者の持つ信念や欲求 によるものであることをあげて説明すること (Bartsch&wellman,1989)、
③行為者の欲求や信念 とその行動の結果が一致するか しないか とい うことに基 づいて、そこで生起する情動反応の性質を理解する (望んでいたことが起 これば うれ しい"、思 って もみてないことが起 こると 驚 く"など―
Wё
llman&Banerjee,1991)。これ らの実験結果を もとに、
3歳
ころに心的表象の概念の理解がみ られるとするのが彼の基 本的立場である。 しか し、 この時期の表象の理解 にはある限界があるともいう。 ごの ことを検 討す るためにも、彼の「表象」概念の捉え方をみてみよう。彼は、表象理解 は以下の点を理解することが前提 になっているとす る。
(a)心
的実体 と外的物理的実体を区別すること(表
象的な ものと非表象的な ものの区別)。
'(b)表
象 は、あるものを表示 し、指示 した り表す ものであることの理解。この
(a)は
、Wellman&Eates(1986)に
おいて3歳
児で も可能であることが示 されている。写 真を表象の一つの例 として考えてみる。 ここに一つの箱 と、それを写 した写真があるとす る。この写真 は、その箱 自体 とは性質のまった く異なった実体であることは確かであり、写真を見 る際、 このことの理解 は前提 になっている。 しか しまたヽその一方で、写真 は、その箱を表示 し、 あるいはその箱を指示 したり表 しているものと考え られる。そのように理解 される理由と して、
Wellmanは
、表象 とその表象 されているものの間 に重要 な対応関係があるか らだ と述 べている。また、
3歳
ころより、「現実志向的表象 (reality―oriented representation)」
と「 虚構的表 象(fictional representation)」
との区別 も生 じる。前者 は、先 に例示 した写真t知覚t信
念 が、後者 には想像、夢などが含まれる。 この区別 は、現前 に表象すべ き対象が存在するかどう かでの区別であるが、例えば 空を飛ぶ犬"は存在 しないが考えることはできるというように、この2つの表象の区別を前提 にそれぞれの性質上の独 自性 については、やはり
3歳
児で理解が 可育ヒになっている (Wellman&Eates,1986)。ところで、現実志向的表象には、その実在対象を誤表象する次のよ・うな可能性がある。
幼児期の「心の理論」に関する論争をめぐって
(Ⅱ )
(c)ヒ ットまたは ミス表象 (hit―
or̲miss representation)。
これ も写真の場合で説明するとわか りやすい。ある対象 にカメラを向けない (ミ ス)で写真を 撮れば、 それはその対象の表象ではな く誤表象である。 また、その対象 に非常 に接近 して写真 を撮れば、それはそのほんの一部だけを写す ことになり、何の写真なのかわか らず不完全な表 象 とな って しまう。
(d)解
釈的誤表象(interpret市e misrepresentation)。
カメラが適切な対象に向けられていて も
(ヒ
ッ ト)、
フィルターによつて実際 は緑色 の ものが 青色になって表示 されることもあるが、 この場合の写真 も対象を誤表象 しているといえる。さて、 ここで先に述べた
3歳
児の表象理解の限界がみ られ る。Wellmanは
、3歳
児 で はこ の現実志向的表象の ヒットまたは ミスによる"誤表象を理解することはできるが、表象の も つ解釈的側面 については理解で きないという。そ して、表象のもつ解釈的側面の理解 は4歳
こ ろにな らなければ可能にな らないとして、3歳
児の表象理解を「 直接 コピー理論」 と呼び、 こ の時期の 日いの理論」をDさ =外
界の情報を受動的に受 けいる容器のような もの」 として特徴 づ けている。 この直接 コピー理論では、表象は外界をそのままコピーしたものであり、外的対 象 に ヒッ トすれば (それに関す る情報を受容すれば)、
その表象を持つ ことがで きるが、 そ う でなければその表象を持つ ことはないことは理解できる。 ところが、単一の外的現実に対 して、同様 に ヒッ トしているようにみえて も、その形成 される表象 には人 によって異なる可能性があ ることは理解できないのである。
そのような表象の解釈上の多様性を理解することは、
4歳
を待たなければならない。そして、その表象の解釈的な理解が可能になることでミ子 どもは心を「能動的で構成的なもの」である とみ る 日いの理論」を持つにいたる。 これは、現実状況 とそれ に対す る表象内容が異 なる、
「 みえ と現実 の区別」
(Flavell et al.1983)や
「誤 った信念の理解」(Wimmer&Perner,1983
など)が4歳
ころより可能になるという研究結果 とも対応す るものである。例えば、 この他者 の誤 った信念 とは、現実 はYに
なっているのにある人 はXで
あると信 じている場合であるが、直接 コピー理論段階では、表象である信念 は現実をコピーしたもの一この場合、Yという表象一 と理解 され、 これを基本的に理解することは困難になるのである。
以上のように、
3歳
ころに心 について理解する基本的な枠組み(信
念 ―欲求 酎撃つ ができ、さらに
4歳
ころにその枠組みを発展 させる理論変化が起 こることをWellmanは
ま とめている。そ して、 さらに実証的研究 はこれか らの課題 としつつ も、
6歳
以降の変化について言及 してい る。 この時期では、心の理論の枠組みその ものというよりも、その枠組み内で、 自己理論"
や 知能の理論
"と
いった「特殊理論」 とで も呼びうる個別領域での理論が分化・ 形成 され、精緻化 されてい くのである。 また、心 と脳の役割の区別がより明確 になる一方、心そのものも、
能動的、個別的で自律的なものとしての理解がさらに有力になり、心を擬人化 して捉えること もみ られ、「無意識 (mindless)」 を説明することも可能になるのである。
(2)Pornerの立場
Perner(1991)は
、個別の概念 は単独で存在するのではな く、相互 に内的に関連 し合 って「理 論」をな していると主張 している。そ して、理論の変化 という質的変化 は、その理論を構成す る基本概念 における変化が もた らす とする。Lい
の理論」 におけるその基本概念 とは、 表象概 念であ り、 またそもそも人の持つ表象そのものには質的な レベルの違いがあって、その表象 レ ベルの変化に応 じてその表象の理解のされ方、つまり表象概念は変化すると彼は考えている。n
フ
簡単 にその変化の概要をおってみるも まず、生後1年目は、 一次表象
(primary represen―
tation)の レベルである。 これは現前の現実状況を表象するもので、現実状況の変化に伴い次々 に更新 されてい く単一の心的モデル しか形成することはできない。従 って、現実の状況 に縛 ら れた状態 といえ、表象を理解する以前の段階である。
生後
2年
目か らは、二次表象(secOndary representation)の
レベルである。 この2次
表象 は生後1年目のかなり早い時期か ら存在するが、その適切な利用を習得するシステムが機能す るのは、2年
目の時期であると彼 は仮定 している。 この二次表象が有効に利用 されるようにな ると、同時的に異なった状況の心的モデルを複数持つ ことが可能になる。これは、子どもにとっ て大 きな飛躍であり、現実状況 とは異なる、過去や仮定的状況 について考えたり、ふ りを行 っ たり (ふりの問題 については木下(1992)を
参照)、
あるいは絵や言語などの象徴的手段 を利用 することが可能になる。 こうした二次表象 レベルの子 どもたちを、彼 は「状況理論家」 と特徴 づけて、 この レベルでは表象その ものを表象 としては理解 していないという。絵の理解を例に してみる。ある部屋に、箱の中で一匹の大が寝ており、その横にはその情景が描かれた一枚の 絵が置いてあるとしよう。状況理論家 にとって、 このような状況 とは、「 箱 の中 に大 が寝て い る」 という状況が、 現実の状況"と
絵の中の状況"と
してそれぞれ別に表象 されているも のなのである。 このような理解 によって、現実 と絵 とは異なった状況 として表象 されているの で、両者を混同することはな く、 また両方の状況が同 じか異なっているかの判断はできる。 し か し、その絵が現実をどのようなものとして表 しているのかという表象関係を明示的に表象す る(つまり、 モデルをモデル化する)こ
とはできていない。そのことか ら、絵をいろいろと解 釈で きる可能性を理解することはできない。では、 このような「状況理論家」 としての表象概念を持つ子 どもたちは、心的現象を理解す るのにどのような理論を持つのか。確かにこの時期の子 どもたちは、心的用語 一これはいわば 心的現象を指 し示す「仮説的構成概念」 といえる一を用いている力ヽ 彼 らは「 心の理論」を持っ ていないと
Pernerは
いう。その理由として、心的用語を用いて人の行動を説明 しているように みえて も、そうした心的状態が実際にどのように働 くかを説明することがで きないことを彼 は あげている。 そして、彼 はその心的状態の働 きの説明で重要 になるのは、その表象的、情報伝 達的メカニズムであると考えている。以上のことをふまえて、状況理論家の心的状態の理解 は、「 行動 の唯心論的理論 (mental―
istic theory of behavior)」
と呼ばれることになる。例えば、人があることを「知 っている」という心的状態の理解で考えてみる。 この心的状態を表象的なものとして理解する場合、その 知識獲得過程においてある情報ヘアクセス したかどうかは重要な指標 となる。 しか し、
3歳
こ ろの子 どもでは、 いくつかの箱の中に物が隠されて、 どこに入れ られたかを見ないまま、たま たま当てず っぽ うで入 っている場所を当てたような場合 も、 ものの在処を「知 っていた」 と答 えるのである(Perner,1991:chap.7)。
これなどは、知識の有無 とい う心的な状態を、「 知 っ ている」 という心的用語 は使いなが らも、結果的にみ られる行動の成功・ 失敗 という外的基準 で説明 している、「行動の唯心論的理論」 の現れといってよいだろう。次のメタ表象 レベルは、
4歳
ころに出現 し、 自ら持つ心的モデルのモデル化が可能 になる段 階である。そ して、すでに述べたようにこの レベルでの表象理解 は、「表象理論家」 と して特 徴づけられ、絵などの外的表象や思考、信念などの内的表象を表象 として理解することができ る。彼 は、表象を「 あるもの(指
示対象)をあるものとして(意
味)表す もの」であるとする。幼児期のらいの理論」に関す る論争をめ ぐって (■ ) 197
その意味で、表象 とは表象する媒体 (メ ディア)であって、表象 されたもの
(表
象内容)と
は 区別 される。そ して、表象を表象 として理解するとは、単 に表象 されたものが物理的実体 と性 質上異なることを理解す ることではな く、「 あるものをあるものとして表す」 プ ロセ スを理解 することであり、そ うした表象関係を明示的に表象できることとなる。そこでは、表象過程で の「 指示対象」 と「意味」の区別、その両者の関係のあり方に応 じて異なる表象の解釈の可能 性が問題 となる。状況理論家 と表象理論家の違 いを明 らかにす るものとして、次のような課題がある eerner,
1991;chap.4)。 これは、基本的には過去の自分の言 ったことを思 い出 して答えるというもので
ある。第1条件では、本当は ミニカーが入 っているチ ョコレー トの箱を子 どもに見せて「何が 入 っているか」をまず尋ねる。 そこで「 チ ョコレー ト」 と答えるのだが、その後、実際に入 っ ているものを見せてか ら、「 さっき箱の中に何が入 っているとあなたは言 ったのか」 を答 え さ せる。すると、
3歳
児の大多数が箱の中にあるのをみた ミニカーを答えるのに対 して、4歳
児 は正確に過去の自らの誤 った陳述を答えた。第2条
件では、多少状況設定が変わる。 この条件 では、最初の時点でその箱の中には ミニカーが入 っていることを知 らせておいてか ら、ちょっ とバカげたことを言 ってみようと誘 って「箱の中にチ ョコレー トが入 っているよ」 と、 ジョー クとして事実 とは反する陳述をさせ る。そ して、その後尋ねると3歳
児で も自分の言 ったこと を答えることができた。両実験の結果か ら、 これは単 に年少児の記憶能力の問題でないことが 分か る。第2条
件では、現実状況 と、それとは異なるふざけてわざと言 った仮説的状況 とをそ れぞれ別の ものとして表象すればよく、状況理論家である3歳
児で も正答できる。 ところが、第1条件の状況 は、 今行 った陳述
=現
実状況 についての もの"、
過去の陳述=現
実状況 と は異なる別の状況 についての もの"と
いう区分では理解できない。つまり、その過去の陳述 は 現実状況(箱
には ミニカーが入 っている)をその指示対象 としつつ も、「 チ ョコレー トが入 っ ている」 という意味(解
釈)をそれに与えたというプロセスをさらに理解 しなくてはならない。このように、表象過程での「 指示対象」 と「意味」が区別 されねばならない状況で、表象理論 家の本領が発揮 される。
さて、表象そのものを理解す るレバルにいたって、 はじめて子 どもは 陽いの理論」を一特に
P6merは
臓いの表象理論 (representaitonal theory of mind)と 呼ぶが 一持つ とい うことが で きる。 ところで、以上みてきた、表象概念の状況理論か ら表象理論へ という理論変化ならび にそれにともなう行動の唯心論的理論か ら心の表象理論へ という変化は、新 しい理論が古いも のに置 き代 わ るので はな く、古 い ものに新 しい理論が加わ って拡張す るものであることをPernerは
指摘 している。われわれ大人 も、人の心的状態を考えたり説明するのに、いわばその常識心理学 として、状況理論を用いてお り、上記の例のような誤表象のケースなど必要なとき に表象理論家になりえるというのである。「 ある人がアメ リカに行 きたいと思 って いる」 こと を報告する場面で、われわれは例えばその人が自分の家にいるという現実状況 と、その人がア メ リカにいるという仮想状況 とをそれぞれ表象 している。 しか し、その際、その状況をその人 が表象 しているところを報告者の側 は表象す る(つまリメタ表象化する
)こ
とはない。 このよ うに、人の欲求状態を示す際にその欲求主体 に表象を帰す るのは、(常
識心理学 に対 して)科
学的心理学を目指す認知心理学者の行 う仕事である。 また、通常の人間関係 は、 自一他 ともに 同 じ状況に対面 しているのであれば、お互いに自分 と同様の心的状態を持 っているという状況 理論家 としての信念に支え られて、成 り立 っているといえる。ただ、誤表象が生 じた時やより
相手 を深 く理解 しよ うとす るとき、 われわれは表象理論家 になれ るのである。 この点 に関わ っ て、L心 の理論」研究で は、 あ くまで もわれわれの持つ常識心理学 を問題 と して い るが、 そ も そ も人 の心 を表象 と してみな し得 るか は、科学的心理学 において は未解決 の重要 な問題で はあ る
1)。Tablo l Wellmanと Pernerの 研究概要 年
齢
4
Wellman Perner
行為の主体性 (agency)の理解
欲求心理学
(表
象である信念 は理解できないが、欲求 によって行動を予想・ 説明)
一次表象
(単
一の更新 されるモデル)二次表象
(複
数の状況を同時的に表象)状況理論家 としての表象理解
行動の唯心論的理論
0い
的用語を用いるが、心的メカニズ ムを理解 していない)信 念
心 一 の 一 て 一 し 一
論 と 一
・理 和
一 ず 略 一
学
←酵 ゎ 一 醐 知 情 一
¨欲求
の い て と し
者 解 理 理 処 的 報 釈 情 解
← な の 的 象 動 表 能
︱
(理
論変化 に加えて、理論内での 熟達化が進行 している)司
特殊理
][:言論など
メタ表象
(表
象関係を表象)表象理論家 としての表象理解
心の表象理論
(誤
表象の理解)(信
念を表象 として理解)(理
論変化 は置換で はな く拡 張)幼児期のD心の理論」に関する論争をめぐって
(■ ) 199
以上が両者の基本的な立場であるが (そのまとめはTable lを 参照 の こと
)、
次 に彼 らの間 での論争点をみていきたい。(O Pernerと welimanと の論争
①
3歳
児は信念を理解するのか7両者 ともに信念 は表象であり、信念を理解するにはその表象的特性を理解をす ることが必要 だとする。 しか し、すでにみたようにその表象理解 の捉 え方 の違 いか ら、
Wellmanは 3歳
児 で も信念を理解す ることは可能だとするが、Pernerは
そのことに反対 している。この点 に関す る具体的な論争 はヽ
Wellman&Bartsch(1988)に
対す るPerner(1989)の
反 論、およびそれへの再反論(Wellman&Bartsch,1989)や
、両者のその後の著作で もみ るこ とはできる。Wellmanら が信念理解を検証するために用いた課題 は、Table 2に
示 してあるが、Explicit False Belief課
題"を除いたどの課題で も3歳
児 は正答することが明 らかにされて お り、 これを根拠 にWellmanは
上述の主張を している。Pernerは
、 これ らの課題 に対 して ま ず は実験 コントロールの問題を指摘 し、信念を理解 していな くて も独 自の方略を用いて正答で きる可能性を主張す る。 この可能性 は、Wellmanら の反論 に もみ られ るよ うに、Perner自
身 の誤解があったり、Pernerが
想定 している2つの方略を、子 どもが課題 に応 じてどのように選 択的に用いるのか という点での説明の弱 さがあるのは否めない。それ以上に、
Perner自
身の理論 との関係で、本質的であると思われる批判があることに注意 したい。Pernerは
、 think"と いう心的状態を示す ことばにはさまざまな使用方法があると す る。(A)心的活動(彼
は考えている。 一単 に「 考える」 という態度を示す場合)、 (B)あ
る観 念を持つ こと(彼
は、 トナカイか ら降 りるサ ンタの ことを思 っている)、
(C)可能性 の言及(そ
れは岩だと思 う)、
(D)好みの言及(彼
は中華を食べるようと思 っている)、
(E)現実 につ い ての誤表象の報告 (それは岩だと思 っていた)。
彼 は、 このうちその心的活動 を表象 と して解 釈す る必要があるのは、最後の(E)だ けであると考えている。それ以外 は、仮説的 あるいは可 能性がある一つの状況を言及するもので、状況理論家で もその意味するところは十分に理解で きる。 また、 このことを次のような think―of"文
と think―that"文
の意味的な違 い と して も説明 している。a)You think of me having a big ball。
b)You think that l have a big ball.
a)の
文では、「私」が大 きなボールを持 っている状況を単 に思い浮かべて い ることを意味 し てお り、本当に「私」がそのようなボールを持 っているのかどうか ということとは関わ りな く 成 り立つ ものである。a)の
ようなタイプの文 は、そうした単 なる観念や、 関心、 好 みを表現 す るものといえる。それに対 して、b)の
文 はまさに現実 に対す る信念 を表 明 してお り、a)と
は異なってその真偽が問題になりうる。それ故、2)の
文だけが、 think"を believe"と 置 換 して もその意味内容を残す ことがで きるの。状況理論家である3歳
児 も、 think"とい う心 的状態を理解す ることはできるであろうが、それは後者のような信念 としての意味ではな く、現実 とは別の一つの想定 された状況 に対する心的態度 として理解 しているのに過 ぎないという のがPemerの立場のである。 これに従 うと、Wellmanら の課題状況で は、 think―
that'と
し ての内容を問題 に しているようで、実 は think¨of"と
して理解すれば正答できるものとなる。そのことをふまえて、
Pernerは
本当の意味での信念理解を示す指標 は、誤表象を含んだ誤 った 信念課題だけであるというのである。この批半
1に
対 して、Wellmanも反論を行 っている。彼は、 think―that"文
を think―of"
に解釈す ることは、(Wellmannらの信念課題での)選択肢の一つ に対 しての「 関心 や好 み さ え も意味 している」
(Perner,1989,p.318)こ
とになると考 えている。 それで、 Jane thinksher dog is in the garage"
という文 は、She thinks we1l of the garage" とい う意味で 解釈 されることになるという。そこで、彼 は Relevant Belief課 題
(RB課
題)"と IrrelevantBelief課
題 (IRB課題)"を
新たに実施 している(Table 2参
照)。
彼は、 この think―of"解釈説が正 しいな ら、IRB課題のように「 お もちゃ箱が茶色だと思 う」のような行為遂行 と はまった く関係のない信念文であって も、その文の対象 となった「 おもちゃ箱」に主人公は関 心を もっていると解釈 され、
RB課
題同様の回答パ タンになるだろうと予想する。結果的には、3歳
児 は、RB課
題でその78%が
主人公が探す場所を特定で きたのに対 して、IRB課題では 関連 した信念が述べ られていないために偶然の範囲で しかその場所を特定できず、 think―OP解釈説 は支持 されず、
3歳
児 もやはり信念をその ものとして理解 していると結論づけている。しか し、 この説明 には問題がある。それは、前提 としての think¨
of"解
釈説の捉 え方 の問 題である。Wellmanは、 Jane thinks her dog is in the garage"と い う文 をShe thittks
we1l of the garage"と 解釈するのが この説の特徴 としたが、Pernerの
説明ではShe thinks
of her dOg in the garage"の ように、「 ガレージにいる大のこと」 という命題的内容を持 ち 続 けている。単に「 ガレージのことを思 っている(あ
るいはガ レージに関心 を持 っている)」
のではな く、「犬がガレージにいる」状況を「思 っている」のである
(も
ちろん、 それ は指示 対象のない、単なる観念 とで も呼べるものではあるが)。
それ故、IRB課題 のよ うに関係 の ない信念内容が語 られて も、それを単純 に手がか りに して課題に応 じることはないのである。この点 について、
Pernerの
説 明に対す るWellmanの
誤 解 が あ るよ うで あ るが、 確 か にPernerの
側にもそ うした誤解を招 くだけの曖昧 さがあるように思われる。彼 は、状況理論家は それぞれ異なる状況を同時に表象できるという。そ して、その表象 されている各状況 と、それ を持 っている人 とを「思 う」、「 ふ りをす る」 などの命題的態度で連合することで、その心的状 態を理解 していると説明 している。 このように人 とある状況を連合するとは、 どういう心的な 働 きなのか。 また、そうした関係を命題的態度 というラベルで特定できること自体に、多少なりとも表象的理解の片鱗をみることはできないのか
6さ
らに検討を要する点であろう。② 「 直接 コピー理論」 に対 して
Wellmanは、
3歳
児の(現
実志向的)表象理解を「 直接 コピー理論」 と して特徴づ けた こ とはすでに述べた。 このことは、3歳
児が 誤 った信念課題"で他者の信念内容を現実の もの と混同 していることを示すのにはよいか もしれない。3歳
児が箱の中を見たことがないのに、たまたま当て推量で正答 した時にも「知 っている」 という心的状態を付与することはすでに紹
介 した (Perner,1991)。 子どもが内的表象 は外界か らの直接的なコピーであるというよ うな理
解を しているな らば、 こうした場面では、その外的事実に接 していない (ヒ ットしていない)
わけでその表象そのものはないことになる。 ところが、実際は反対の結果を支持するものであっ た。 この事実を全面にたてて、
Pernerは
、3歳
児 はこのようなコピー理論 としてさえ、表象を 理解 していないという立場をとっている。これは
Pernerの
立場に従 っての主張であるが、 か りにWellmanら の研究 に依拠 した として も、 この「直接 コピー理論」 という特徴づけは問題を残す。例えば、Wellmanら の信念課題 のひとつにDiscrepant Belief課
題"がある(Table 2)。
これ は、 主人公 の求 め るものが幼児期のらいの理論」に関す る論争をめぐって (I)
Tablo 2
信念推測課題の例話サムは自分の子犬を見つけたいと思 っている。その子犬はガレージ か玄関のどちらかにいるはず。サムは、子犬 は玄関にいると思 って いる。サムはどこに探 しに行 くだろか
?
サムは自分の子犬を見つけたいと思 っている。その子犬 はガレージ か玄関のどち らかにいるはず。サムは、子犬は玄関にはいないと思 っ ている。サムはどこに探 しに行 くだろか?
サムは自分の子犬を見つけたいと思 っている。その子犬はガレージ か玄関のどちらかにいるはず。
(被
験児に)あなたはどちらにその 大はいると思 うか?(玄関と答えたら)サ
ムはガレージにいると思っ ている。さて、サムはどこに探 しに行 くだろ?
サムは自分の子犬を見つけたいと思 っている。その子犬はガレージ か玄関のどちらかにいるはず。サ■は玄関にいると思つている。サ ムはどこに探 しに行 くだろか?しか し、その大を見つける前に、サ ムのママが出てきて、子犬がガレージにいるのを見たと言った。そ れでサムは子犬はガレージにいると思 っている。サムはどこに探 し にいくだろうか。
ジェニ ンは自分の子猫を見つけたいと思 っている。その猫は本当は 遊び場 にいる。 ジェーンは猫 は台所 にいると思 っている。 ジェー ン はどこに探 しにいくだろうか ?そ の子猫 は本当はどこにいるのだろ うか?
カップボー ドと冷蔵庫の両方 にバナナがある。 ジェー ンはバナナが 欲 しいと思 っている。 ジユーンは、バナナはカ ップボー ドにだけあ ると思 ちている。冷蔵庫 にもあるとは思 っていない。 ジ上― ンはど こに探 しにい くだろうか?(も う一方)にもバナナはあるのか
? Discrepant belief課題 と同 じ。次 のIrrelevent belief課 題 と比 較 す
るために設定。
本が棚の上 とお もちゃ箱の中両方 にある。 アー ミィはお もちゃ箱 は 茶色であると思 っている。 アー ミィは本が欲 しいと思 っている。アー ミィはどこに探 しにい くだろうか
?(も
う■ガ にも本はあるのか?201
話
題 例課
Standard belief
Not belief
Not-own belief
Cha■ged belief
Explicit false―belief
Discrepant belief
Relevant belief
Irrelevent belief
注)Welhnan(1990。 p.65‑67)よ リー部省略 して引用。
2つ の場所にあるが、その本人 はその一方 にあるとだけ思 っているという状況である。仮に現 実のコピーを表象 として持つのであるな ら、その 2つ の場所を主人公 は探す (あるいは一方を 探す として も2つの場所を同程度 に答える
)と
いう反応が出て もよいのだが、実際は主人公が 思 っているとされた方だけを答えたものがかなり多かった。以上の事実を、 どのように解釈す るかは、そもそもの表象概念の捉え方・ 定義 にも関わるこ とであるので、結論づけは難 しいが、少な くとも「 直接 コピー理論」 という規定ではこの時期 の特徴づけとしては妥当ではないことは確かである。
に
)両
者の相違の背景こうした議論の内容 は、かなり実験方法上のテクニカルなもの も含めて、かなり込み入 った ものに終始 しがちであるが、今一度彼 らの説の根本的な違いをまとめておきたい。
① 表象の概念規定
Wellmanは、次のように表象を規定 している
(以
下の引用 は、 写真表象 を説 明す る文脈 で の ものであるが、表象一般 にも当てはまる)。 (写
真が)表象 として理解 されたと言 ってよいの は、「表象 と指示対象の間で、ある関係が確立 され ることを基礎 に しつつ、 写真が他 の実体 を 記述 した り表す、独立 した表象的―実体である」(Wellman,1990,p.246)こ とが理解 された場 合である。そ して、表象が他の別の実体を表象す るとされるのは、その両者 に重要な「対応」(同上)があるか らだとするところに特徴がある。 もちろん、すでに述べたよ うに、 その対応 が正確になされないことがあり、それが ヒットー ミス表象、解釈的誤表象を生み出す可能性 も ある。 しか し、その ヒットー ミス表象 までを理解 しておれば、表象 は基本的に理解 されたといっ てよいと述べている。 、
一方の
Pernerは
、表象関係 にそ うした対応があるのは確かであるが、外的世界における対象同士の対応 とは異な って、それは非対称的な ものであることを強調す る。 ある景色を ビデオで 撮影 した場合、その景色 は表象 され るものであリビデオ映像 は表象である。その表象 されてい る景色が変われば表象であるビデオ映像 も変化するが、その逆の関係 はありえないのである。
この非対称性を説明する試みとして、両者の因果性を用いて説明するもの もある。火→煙 とい う因果性のもとに、煙 は火を表象 していると理解 されるというのがそれだが、 これでは火のな い煙 (例えば ドライアイス)が火を誤表象す るケースが説明で きないとする。そ こで、重要 に なるのは、表象 は表象 されるものの 代わ りをなす (stand in for)"働 きを持つ とい うこと である。「 代わ りをなす」 とは、 あるもののあり様を示す、意味を与える働 きと言 って よいだ ろう。 このことが、「表象 とはあるもの
(指
示対象)をあるものとして(意
味)表
す ものであ る」 ということの含意である。このように、
Pernerは
Wellmanに比べ、表象 というものをよ り限定的 にきび しい基準 で捉 えようとしていることがわかる。それは、日いの理論」の「理論」をどのよ うに規定す るのか という点 とも大 きく関連 している。② 「理論」 と呼び得るものは何か
幼児段階における心 につ いての知識 や理解 を「 理論」 と呼ぶ ことに対 して は批判 もある
(JohonsOn,1988)。
科学的な理論のように、高次 に構造化 された ものを念頭におけばその批判 は納得のい くものである。 しか し、 ここで問題 にされている理論 は、 日常的にわれわれが社会 的な場 において人の心を推測 した り、説明 した りするのに用 いているものであり、それは歴史 的社会的に形成 されてきた経験則的な もの(素
本卜い理学、常識心理学 と呼ばれている)で
ある。幼児期のらいの理論」に関す る論争をめ ぐって (■
)Wellmanは
、「理論」の特徴を、(a)あ
る領域での知識が一貫性をもっている、(b)理 論 の構 成要素が存在論的に区別 される、(c)因
果的説明の枠組みを与えるものであるとい う三点 か ら まとめている。Pernerも
この大枠 は認めつつ も、 この条件だけでは十分でないとする。特に、3点
目に関わって、単 に事象の因果系列を記述するだけでは十分ではな く、そ うした記述を法 則的な ものにするためにもその事象間の因果連鎖をより深 く説明できることが必要であること に力点を置いている。 これは、Wellmanの
いう「因果的説明の枠組み」 をより強力 に した主 張 と言える。それは、ち ょうど近代科学のひとつである医学の発展 にもみれ らる。例えば、結 核の病因 としての「結核菌」が発見 される前の時代を考えると、咳や熱が出る、脈拍が多いな どの症状か ら結核 という病気が推測することは可能であった。 また、結核患者 に何 らかの形で 接触す ることの結果、結核にかか るという因果連鎖 も知 られていたところであるが、必ず しも そうした接触 は結核 にかかる必要十分条件ではない。つまり、表層的な因果連鎖の記述 はして いるようだが、その背後 にある本質的な原因を説明はしていない。 ところが、「結核菌」 の発 見で、その説明力、予測力 は大 きく変化 したのであった。これ と類似 した理論の変化が、状況理論家 と表象理論家の間で起 こる。結核の場合の本質的 な概念が「結核菌」であったように、心の理解で鍵を握 るのが表象概念であることはすでに述 べた。 また、「理論」を持つ ことの特徴を
Pernerは
次のようにま とめた。 (a)促 進的 または間 接的な原因を本質的原因か ら区別す ること、(b)診
断的基準以上に必要条件を重視すること、③ 理論 にとらわれて しまうこと。 この観点か ら、人が知識を持つ とはどういうことか という理解 の変化をみてみる。(a)状
況理論家である3歳
児 は、ある人が ものごとを知 っているか どうか を判断す るとき、その人の年齢要因をまず考える。 これ ももちろん大切な要因であるが、あく まで も間接的なもので、それ以上 にある情報 にアクセスしたかどうかという点が本質的なもの であり、 この理解 は表象理論家である4歳
児 より可能 になる。(b)3歳
児 はその人 の行為が成 功か失敗か という点で判断を している(そ
の結果起 こるのが、当て推量での正答で も「知 って いる」 とみなすエラー)が、4歳
児 は上記の情報 アクセスという必要条件で判断。(c)犬
の絵 のカー ドを4歳
の子 どもに見せて足が何本かと聞 く。 これは当然正答するが、それを見せない で犬の足の数を聞かれた他者 は、「 カー ドを見ていないか ら、知 らない」 と答 え るだろ うと予 想す るの。 これは情報 アクセスが重要 とみなす理論 にとらわれている証拠である。以上みてきたように、両者の「 理論」観の相違 と「表象」の概念規定での相違 は、相互に連 関 し合いなが ら、 この二人の幼児期の 日心の理論」 に関する見解に重要な対立を生 じさせ るこ とになっているのである。
(D 4歳での変化
以上のように両者には、基本的概念 レベルでの大 きな違 いはあるが、 ともに子 どもの心的状 態の理解を理論的な ものとしてみることにはかわ りない。彼 らやその他の 日いの理論」研究者 で事実の問題 として一致するのは、
4歳
での変化である。Pernerは
、 メタ表象の発生、つまり 表象を表象 として理解することが、Wellmanは
表象の多様 な解釈可能性 の理解 が可能 になる 時期 として規定 した。 ともに、表象の持つ性質の新たな理解が生 じることに注 目している。そ れに対 して、 この変化を表象 とそれが表象 している外的事実 との因果関係の理解の問題 として 規定す る研究 もある(Leslie,1988;Wimmer et al。
,1988)。 この論者たちの一つの特徴 は、 い ままで検討 してきた表象の性質の理解 は、 より早期にふ りの出現などのなかにみることがで き るとしていることであるが、 この点 については木下 (1992)においてすでに批半Jし
たとお りである。 また、そこで主に取 り上げ られている課題 は、 他者の誤 った信念"の理解であるが、
同様 に
4歳
ころか ら可能になるとされる みえと現実の区別"、
自己の表象変化"の理解などの結果を統合 した説明をする上で困難があることが示 されているD。
さて、 こうした重要な変化が起 こる
4歳
ころとはどのような時期であるのか。 さらに、検討 していきたい。3.4歳 での変化 の特徴 と「 ゆれ る」4歳児 の反 応
(1)「 4歳
での変化」にみられるものHuman Development"誌
上 において、「4歳
での変化(the age 4 transition)」
に関す る特集が組 まれ、各論者がそれぞれの立場か らその変化の特徴づけを紹介 している(Campbell, 1992;Davidson,1992;Nelson,1992;Perner,1992)。
Nelsonは 、 自伝的記憶 (autObiographical memory)が
4歳
ころか ら発達 し、 これ は言語 が外的表象 と同時に内的表象の媒体 となり、 自―他の表象の比較や過去 と現在の経験の表象を 区別す ることが可能になったことを反映 した、ある種のメタ表象的変化 によるものと考えてい る。Campbellは 、知覚的な見えに支配 されないで、見えない特徴 を分類学的 に推論 して理解 される「 自然種カテゴリー(natural― kind category)」
に関する研究を紹介 し、このカテゴリー を単 に利用することか らそれをまさに自然種 カテゴリーとして理解するようになるのが4歳
こ ろか らであることを明 らかに した。 この理解の レベルは、認識 システム (knOwing system) が外界 と相互作用する中で階層構造ができ、 さらにその認識 システムその ものが認識の対象 と なる段階 として特徴づけられている。Davidsonの 場合、
Piaget理
論 をこの4歳
での変化の説明で積極的 に位置づ けよ うと してい る。 この間、Piagetは
幼児の もつ コンピテ ンスを過小評価 しているという批半Jがなされてきて いるが、60‑70年
代以降の晩年の研究 にはこの4歳
での変化を説明す るのに も有効 な理論構成 上の大 きな変化がみれ らるとする。 1歳半 ころか ら7歳
までを前操作期 とす る中で、特に4歳
以降を直観的思考段階 と区分 したことは有名である。それは、様々な形態の推論 は出来始める が、その推論を正当化できなか ったりその必然性の理解 にかける段階 といえる。 また、Piaget
は段階移行を構成的 プロセスととらえて、 そのプロセスを均衡化 とい う概念 で説明す る。Piaget(1981/1987a,1983/1987b)で
は、 それをさらに発展 させ、特 に新 たな思考 の要素が 発生す ることを「可能性の開放 (opening of possibilities)」 という点で説明す る試 みがなさ れている。思考ないしは知識の発達 は、以前 に形成 された観念の中 ら新 しい可能な ものを生み 出す ことの結果であるという。A地点か らB地
点の間にある可能な道をすべて描かせた り、綿 の中に半分隠れたものを見せてその見えないところにはどんな ものがあるのか、どんな可能性 があるのかを答えさせる課題を多 く実施 している。例えば、 この 2つ の地点を結ばせ る課題で は、年少児では単一の直接的なルー トをひとつ描いて終わ りというものが多い。現実 は、唯一 の可能性であリー定の必然性を もつ ものとされている。ただ し、4歳
児 にも知覚的にかなりし ば られた ものではあるが、異なった可能なルー トを描 くもの もいる(Piaget,1981/1987a)。
Davidsonは 、 この事実を積極的に
4歳
児の変化の本質的な要素 として位置づ けよ うとす る。また、 このように現実か ら新 しい可能性を開放するには、その現実に対する自らの活動や表象 か らそれ らが付与 している「意味」を抽象する必要がある。そ して、 この抽象 された意味は、
ある心的文脈か ら別の文脈 に動かす ことができ、そのことで新たなものを生み出す ことができ
幼児期の 「 心の理論」に関す る論争をめ ぐって (■ )
るようになる。 このような晩年の
Piagetの
議論 を手がか りとして、 Davidsonは 、 そのほかの 研究で も取 り上げ られるある種の反省的能力を検討するのに、 この「意味の抽象」作用が重要 なものとなるとまとめている。以上のように、それぞれ研究領域 は異なるが、
4歳
での変化に注 目し、 また用いる概念 も違 うが この変化を幼児期の反省的能力(思
考)のあ らわれとして理解する点では、それぞれのも のが類似 している。Pernerの
メタ表象 という概念 は、「 いの理論」 という一つの領域 の中での ものであるが、表象それ自体、認識発達一般で関わ りの深 い概念であり、反省的意識あるいは この間の研究でいえばメタ認知の発生 という観点か ら、多 くの研究 との統合的理解が求め られ ているといえよう。
(a「ゆれる」
4歳
児の反応このように重大な変化をむかえる時期である
4歳
ころであるが、 もちろんそれで変化が完了 するわけではない。 といって、4歳
ころはある完態にむけた過渡的段階であると主張するつ も りもない。む しろ、 それぞれの段階において、それはそれとして一定の完結 した心理的構造が あ り、 しか しそれは外界 との相互交渉の中で生 じる矛盾や「構造のゆ らぎ」を内包するもので あると考える。そのように理解す ることで、発達 という変化を説明できるのではないだろうか。現段階では、その説明にまでは到達することはできないが、
4歳
での変化を考える上で非常 に興味深いい くつかの現象が明 らかにされている。 ここでは、その中で も4歳
以降の発達的変 化を考える上で重要だと思われるものを紹介 したい。高木 (1983)は、意図的統制発生のメカニズムを検討する中で、
3歳
児 よりも4〜5歳
の方 が後退 した り停滞 しているようにみえる現象 に注 目している (いわば「U字型発達曲線」 とよ べ るもの、Strauss,1982)。 例えば、太 さと高 さの2次
元か らな る10本
の円柱 を分類す る課題 を、分類の準拠モデルの有無、分類の基準が大 きさか高さという2要
因による4条
件 と単純な 分類 を加えて実施 している。その結果、4歳
児 は準拠モデルがあれば、高 さに基づ く分類 はで きるが、 ことばだけを手がか りに した分類では3歳
児 よりも極端に成績が悪か った。 また、 自 己統制の研究において、マシュマロを実験者が許可するまで食べないでいればより多 くのマシュ マロをもらえるという場面で、そのマシュマロをその待ち時間にどうしておいて欲 しいか選択 させているものがある (Mischel&Mischel,1983)。 その結果、驚 くことに、4歳
前半 の子 ど もたちはマシュマロを見えるところに置いてお くということを選ぶ ものが3歳
児 よりも多か っ たのである。高木 は他 にも
4歳
児でのデータの異常を示す研究を紹介 したうえで、3歳
よりも4歳
児の方 がパーフォマ ンスが低下するようにみえるのは、そのころより対象世界の分節化が始 まるか ら だ と説明 している。 しか し、その分節化を行 うための(自
らが抽出 した)特定の手がか りに固 執 したり、手がか り自体が具体的で明示的でないと利用で きないために、 こうした特異な反応 の起 こるのである。一方、3歳
児 はそのような対象世界の分節化 は行わず、全体的、文脈依存 的に反応するために一見すると4歳
児 よりも成績がよくみえている。 さらに、意図的統制の完 成にむけて、そのように分節化 した各事象の順序を、記憶 して再構成する継時的情報処理能力の発達が重要であることも述べているの。
田中・ 田中