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『現代企業の組織デザイン−戦略経営の経済学−』

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(1)

この書評で取り上げる文献は,

John Roberts,

The Modern Firm : Organiza- tional Design for Performance and Growth

, Oxford : Oxford University Press,

2004.

の邦訳書である。原書の英語版は,イギリスの『エコノミスト』誌で

ベスト経営学書に選ばれている。原書出版当時,評者は,たまたまイギリス に滞在していたので,書店でこの本が山積みされていることにまず驚いた。

専門書の類で,このような例はそんなに多くはないだろうと思われたからで ある。原著者のジョン・ロバーツは,評者がかねてより私淑していた企業経 済学者の一人である。タイトルにも惹かれた。すぐ購入し,ひと通り読み終 えて,また驚いた。ケースが多用されているにもかかわらず,理論的な洞察 を優先しているために,新しい分析用具や概念的フレームワークの提示が随 所にみられる。加えて,本文が300頁弱なので,テキストにするのに手頃な サイズなのである。

思えば,かつてポール・ミルグロムと原著者のジョン・ロバーツとの共著,

『組織の経済学』(Economics, Organization and Management, 1992)を大学院 の教材に指定したことのある評者は,ついに学部レベルの教材を発見した気 持ちになった。『組織の経済学』のほうは,本文が600頁弱なので,週1回1

《書 評》

ジョン・ロバーツ著,谷口和弘訳

『現代企業の組織デザイン−戦略経営の経済学−』

( NTT 出版 2005年)

三 浦 隆 之

−391−

( 1 )

(2)

年間のコースだけでは,大学院生に「つまみ食い」をする楽しみの機会は与 えることができたかもしれないが,「完食」の喜びはといえば,コース終了 後の院生自身による自主的な努力に期待するほかはなかった。

ところが,この『現代企業の組織デザイン』であれば,学部の学生でも コース中に「完食」できると確信した。さらに,帰国後すぐに谷口氏による 翻訳も出版されたので,次の新学期以降,学部における評者の担当する専門 科目,『経営組織論』(前期)と『企業行動論』(後期)の教材として使用し ている。経営組織は,かたちとしてあらわれるが,かたちだけで完結するも のではなく,そこで働く人々のやる気を喚起するものでなければならない。

また,企業行動は,そこで働く人々のやる気を反映するものであるが,やる 気の出る仕組みをかたちとして提供するものでなければならない。本書には,

こうした問題意識や実践的な課題に応えるためのヒントやアイデアが随所に ちりばめられている。とはいっても,重要な先行業績に対する解説が必ずし も十分になされているわけではないし,また,あまりにも有名な代表的事例 の紹介はかえって控えられていたりもする,そこで,本稿は,ただ単に書評 であるばかりでなく,本書をテキストとして使用する際の補足的なサブ・テ キストにもなりうるように配慮した。

本書の構成は,次のようになっている。

第1章 戦略と組織

第2章 組織デザインの主要概念 第3章 企業の性質と目的

第4章 現代企業とモチベーション 第5章 業績向上のための組織

第6章 成長とイノベーションのための組織

第7章 現代企業の創造:経営とリーダーシップの課題 以下では各章ごとにコメントをしたいと思う。

−392−

( 2 )

(3)

第1章 戦略と組織

第1章で取り上げられたケースの中でも,ハドソン・ベイ社(Hudson Bay

Company)とノース・ウェスト社(North West Company)の攻防には,とく

に多くのページが割かれている。

1670年にイギリス国王チャールズ2世の勅許状によって設立されたハドソ ン・ベイ社は,広大な(日本の10倍の広さに相当する)ハドソン湾域の貿易

(とくにビーバーの毛皮の交易)に関する排他的権利を与えられていた。18 世紀になると,フランス系カナダ人たちが湾岸部から離れた内陸部で取引を 開始して,これにスコットランド人やイギリス系アメリカ人も加わって,彼 らは次第にハドソン・ベイ社と競合するようになった。このようないわば

「もぐりの」毛皮商人たちの結束が,1779年のノース・ウェスト社設立に結 実する。その5年前から,彼らに対抗すべく,ハドソン・ベイ社も内陸部に 幾多の取引拠点を開設するようになってきていたが,種々の合併を重ねてそ の規模を拡大していくノース・ウェスト社の勢いに押され,1804年から1821 年までの間,5会計年次を除いて,ハドソン・ベイ社は不採算経営に陥った。

ビーバー交易の優位性を獲得したノース・ウェスト社は,ハドソン・ベイ 社の敵対的買収を試みたが,激しい攻防の後,両社間の生き残り競争は,

1821年,表面上の対等合併によって終止符が打たれた。そして,結局,社名 にはハドソン・ベイ社の名前が残り,実際上,ハドソン・ベイ社側が支配権 を握ることになったのである。

訳書では,「パブリック・リレーションズに関連した理由で,合併という 方法で2社の企業を統合するディールが行われることになった」(6頁)と あるが,原書では,

The outcome was a deal uniting the two firms that, for pub- lic relations reasons, was labeled a merger.

(p.6)となっている。結局,両社 を1つに束ねる取引が行われたのであるが,広報上の理由で,合併という名

《書評》ジョン・ロバーツ著,谷口和弘訳

『現代企業の組織デザイン−戦略経営の経済学−』(三浦) −393−

( 3 )

(4)

称がつけられただけで,ノース・ウェスト社がハドソン・ベイ社によって買 収された(absorbed)というのが実態であった。つまり,名目上は合併とい うことになっているが,実質的には買収されたにすぎないのである。

ロバーツは,このケース・スタディを通じて,両社の変転する優位性の根 拠を読者に問う。そして,「組織デザインの要素は,どれも究極的な形態に たどりついたというわけではない。マネジャーは,組織の変化を誘導してい くうえで,改善に向けてたゆまぬ実験を続けていかねばならない(訳書,2 頁;原書,

p

.2)」ことを強調する。企業は,ある特定の時間と空間の中で,

必要に応じて,その企業を構成するさまざまな個別要素が適切に配置されて いる状態を繰り返し再デザインしていかなければならない。ロバーツは,こ うした構成諸要素間のまとまりのいい適合状態を「コヒーレンス(

coher- ence)」や「コヒーレント(coherent)」と表現する。いわば,構成諸要素を

まとめる相性の良さを表象するのである。

ただし,「どの企業の組織も,多面的な構造になっているために,組織変 数の範囲は,気が遠くなるほどの広がりをもっている(訳書,16頁;原書,

p

.16)」ために,ロバーツは,組織の主たる構成要素を,人々(

P : people

),

アーキテクチャー(A: architecture),ルーティン(R: routine),そして文化

C : culture

)に大別する。これら4つの構成要素は集合的に一括して

PARC

と略称される。つまり,組織は,表面的な「かたち」,形態,構造,配置に とどまらず,組織を構成する全体で把握すべきであり,まずは

PARC

間のコ ヒーレント性,そして,さらなる細目的な諸要素間のコヒーレント性が求め られるのである。

しかし,こうしたコヒーレント性の判断は,組織それ自体をカプセル化し てその内側だけで行われるわけではない。業績,環境,戦略,組織のあいだ のコヒーレント性こそが求められるべき究極のコヒーレント性であろう。そ の意味で,ロバーツも,自ら若干関説しているように,「組織は戦略に従う」

−394−

( 4 )

(5)

というチャンドラーの命題,さらには業績・環境・組織のあいだのコヒーレ ント性に注目した「コンティンジェンシー理論」(ロレンス=ローシュの先 駆的業績を嚆矢とする理論)を継承しているといえる。かくして,日本の経 営風土の中で,ロバーツのアプローチを適用すれば,人々,文化,業績など と特定の組織とのあいだのコヒーレント性について,さまざまな独自性が認 識されやすくなるであろう。

このことは,たとえば日米間の事業部制成立の制度的な差異についても該 当するように思われる。日米に共通している事業部制のメリットは,1つの 企業内部に複数の利益計算単位(プロフィット・センター)を確立できると いうことであるが,わが国では各事業部単位の「独立採算制」(たとえば,

松下電器の事業部制においては,「こっちの事業部で儲かったからといって,

この利益を他の事業部に持って行くということは絶対にしない。事業部自体 で利益を上げなくてはならない」のであった。)が,事業部制とほぼ同義と されるほど,事業部制を採用する企業に深く浸透したのに対して,アメリカ では事業部制を採用した企業の本社機構に徹底したミニチュア資本市場とし ての社内資金の集配分機能を与えてきたということである。つまり,分権に 対する文化的な意味が日米で全く異なっているということである。わが国に おける分権は,主として資金的な依存関係をできるだけ断ちたい分権であっ て,一言でいえば「あんさんやってみなはれ」と甘えを断ち切ることであり,

「任された」と張り切ることなのであるが,各事業部の稼いだ資金の多くは その事業部に留まる一方で,短期の業績が直ちに担当者の年俸や地位に反映 されることはそれほどない。これに対して,アメリカにおける分権は,財務 上の分権ではなく,あくまでも業務上の分権であり,今期の事業部の業績は 担当者の次期の年俸や地位にすぐ反映されるが,各事業部への全体資金の集 配分機構は本社機構にしっかり握られているのである。ちなみに,人事面に 関する本社機構の役割も,両国間でかなり異なっていて,採用や配置転換等

《書評》ジョン・ロバーツ著,谷口和弘訳

『現代企業の組織デザイン−戦略経営の経済学−』(三浦) −395−

( 5 )

(6)

に関して本社機構が人事面で果たす役割は,わが国のほうがはるかに大きい ようである。拙稿(1983年)も参照されたい。

わが国おける事業部制は,今も動いていて,その採用・廃止の動きは多様 に見られるし,社内カンパニー制への転換・回帰,分社制,持株会社制への 統廃合もある。こうした制度的な変化に際して,それぞれの制度を支える構 成諸要素間のコヒーレント性をわれわれは常に問う必要がある。

また,第1章では,ロバーツ自身の企業目的観も示されている。ロバーツ によれば,企業は「人間のニーズに貢献するために創造された制度」なので,

「企業がどれくらい適切に人間のニーズに貢献できたかを示したもの」がそ の業績となる。では,誰のニーズに貢献すべきであろうか?ロバーツは,株 主,構成メンバー(経営者や従業員),顧客,コミュニティ,環境への貢献 がそれぞれに重要なことを指摘したうえで,「にもかかわらず,理にかなっ た完全さを備えていて,うまく機能する市場や契約を所与とすれば,企業の 所有者が,その長期的な富の最大化にかなう企業経営を望むという仮定は,

記述的な観点からすれば,(少なくとも第1次近似として)適切だとみなさ れるだろう。さらに,市場価格に反映されない問題を処理する適切なメカニ ズムがきちんと存在しているのであれば,価値最大化は,社会的な観点から みて不適切な目的だとはいえない。(訳書,19−20頁,ただし訳の一部を変 更;原書,pp.20‐22.)」と述べている。まさしく,財産権論者的な所見であ る。しかも,「長期にわたって企業価値最大化を追求する誠実なマネジャー は,株主にとって最大可能な価値を創造するように行動する傾向がある(訳 書,21頁;原書,p.22.)」とまで指摘している。つまり,ここで,財産権論 者的な所見にエージェンシー論者的な所見が加えられているのである。

評者は,自著『近代経営の基礎(第2版)』において,企業家,従業員,

顧客といった企業の組織構成員たちの満足や利害が,規模の経済を実現する ことによってのみ循環し,両立しうることを実証的かつ理論的に明らかにし

−396−

( 6 )

(7)

た。しかし,所有と経営の分離が進んだ状況下においては,企業家は所有者 と経営者とに二極分化しており,その上で,財産権理論やエージェンシー理 論に依拠することは,専門経営者に対する一般株主のコントロール力を回 復・保持させるどころか,かえって一部の巨大無機能資本家の横暴や一部の 専門経営者への過度の報酬などを生んできていることも指摘したのである。

特定の資本財を長期に運用して稼がざるをえない機能資本家たる経営者は,

いつでも投資先を変更できる無機能資本家によって過度にコントロールされ るべき存在なのであろうか?さらにまた,伝統的な株主主権に固執し,株主 価値最大化を標榜し,実質的に無機能資本家となった株主を保護しようとす るあまり,逆に,一部の投資ファンドや専門経営者の暴走行為に歯止めがか からなくなってしまったことも忘れてはならない。

財産権理論は,所有と経営の分離した状況下において,エージェンシー理 論に転換されやすい特質をもつ。エージェンシー・アプローチが今日の企業 理論において主流の位置を占めるゆえんであろう。しかし,また,所有と経 営が分離していればこそ,ストック・オプションなどにみられるように,財 産権のもたらす利益は一般株主よりも専門経営者のほうがかえって利用しや すくなっているし,今日の上場企業における株主と経営者との関係を依頼人

(委託者)と代理人(受託者)あるいは主人と執事の関係でとらえることに 抵抗を感じる人は少なくないのではないだろうか。この点に関して,マーク・

ローの『強い経営者・弱い所有者』(1994年)を参照されたい。

ただし,後の章でロバーツが,

MBO

や事業のスピン・オフなどの動向に ついて触れていることは,株式の非上場化や新しい従業員持株制度なども含 めて,今後の企業経営の在り方を考える上で,きわめて意義深い。

また,会計的な利益の大きさではなくて,経済的なレントの大きさ(「経 済活動によって創造される価値は,人々が積極的に支払おうとする最大値か ら,そうした経済活動の機会費用をさしひいた差分である(訳書,19頁

《書評》ジョン・ロバーツ著,谷口和弘訳

『現代企業の組織デザイン−戦略経営の経済学−』(三浦) −397−

( 7 )

(8)

書,

p

.20)」)によって企業業績を量るというロバーツの姿勢は,与えられた 状況下においてひたすら無限大の努力をすることより以上に,経済効率の最 大化を達成しうる組織的な諸変数を選択することのほうがよほど大切なのだ ということを強く訴えている。この点は,同感である。『近代経営の基礎

(第2版)』第1章の註(8)と第4章の註(134)を参照されたい。

第2章 組織デザインの主要概念

最近の一般的な傾向として,組織デザイン問題は,きわめて複雑なので,

本質的にロジックや規則性をもたないという立場をとる研究者が増えてきて いることにロバーツは注目する。たとえば,グラフ的に表現して単純な最適 点への収斂を指摘しにくいような例が出てきていることを主張する立場も存 在する。

訳書で,「急勾配のランドスケープにかんする文献」(29頁)と紹介されて いる立場などがこれに該当する。原書では,the “rugged landscapes” literature

(p.32)となっていて,ここでは,急勾配ではなく,凹凸の多い(デコボコ した),あるいは,まるで起!!!!!!!!を眺めているかのように,関数 的な最適点を単純に1点に絞り難く,その方向づけも与えにくいという関数 的内容を極めて風景画風に表現しているだけなのである。

たとえば,組織の特定要素の選択水準を横軸に,業績水準を縦軸にとれば,

その関数は,原点,あるいは横軸,もしくは縦軸に対して単純な凹型や凸型 の形状で描出できないことが多く,複数の大小の山や谷ができやすいという ことである。すなわち,関数の非凸性や非凹性が存在することの普遍性であ る。

しかし,ロバーツは,こうした現象の存在を認めながらも,そうした現象 を理論的に整合させることができると考える。つまり,彼は,一見デコボコ したかに見える状況であっても,時間的な推移を整理し,空間的な限定をお

−398−

( 8 )

(9)

こなえば,特定のコヒーレントなパターンを発見できるという立場をとるの である。

組織を構成する諸要素間のコヒーレントな結びつきは,時間的・空間的な 状況が異なれば,非連続的に変化しうるということである。たとえば,20世 紀初頭のフォード・モデル

T

の時代は,製造される製品の多様性は著しく 低く,製造工程のフレキシビリティも著しく低かった。モデル

A

への製品 変更が行われる際,新たな工場を建設する必要さえあった。多様性は低く,

フレキシビリティも低かったが,この2つの要因は,相互にそれぞれの効果 を高めあうように機能した。ロバーツは,このような要因間の関係を「補完 性がある」と表現する。

つまり,ここで補完性(

complementarity

)というのは,通常の日本語の ニュアンスである「不足を補って完全にすること(関係)」を意味している のではなく,英語のニュアンスである「互いに支援し合って一層効果的なも のになること(関係)」を意味しているのである。

時代が下って,1980年代の

GM

は,ロバーツによれば,トヨタと日産の 合計投資額以上の投資をフレキシブル・オートメーションのために振り向け たにもかかわらず,製品開発プロセスのスピードアップ,プロダクト・ミッ クスの洗い直しなど,生産のフレキシビリティと補完性のある企業行動をと ることはなかった。「GMの設備を用いれば,1本のラインであっても複数 車種の生産は可能であった。にもかかわらず,実際,その組立ラインでは,

ほとんど単一車種の生産しか行われていなかった」(訳書,37頁原書,

p.

40)のである。その生産システムと製品アイテムは,補完的ではなかった のである。

1990年代のトヨタの上郷工場では,エンジン,トランスミッション,そし て燃料供給システムのコンビネーションについて,1本の生産ライン上で1 日に350種類以上が1個流しの方式で生産されていた。製品アイテムはとて

《書評》ジョン・ロバーツ著,谷口和弘訳

『現代企業の組織デザイン−戦略経営の経済学−』(三浦) −399−

( 9 )

(10)

つもなく広がり,工場はきわめて高いフレキシビリティをもつようになって いた。自動車の生産方式は,フォードのモデル

T

の時代とはまったく別の

「補完性」をもつ要因の組み合わせを達成したのである。

こうした組織を構成する諸要素間の補完性こそが,諸要素間のコヒーレン ト性をもたらすのである。そして,こうした補完性やコヒーレント性は,そ れぞれの特定時間・特定空間の中で成立するために,時空を超えて鳥瞰すれ ば,組織デザイン間の非連続性や断絶性が際立って見えるかもしれない。実 践的には,特定時間・特定空間の中で,補完性やコヒーレント性をもった組 織構成諸要素を常に洗い直しながら,組織デザインを再構築していかねばな らないということである。別言すれば,組織の特定要素2つの関係を2次元 で表現するだけではなく,業績水準を加えて3次元で表現し直したり,組織 の特定要素の選択水準と業績水準の2次元表現に時間軸表現を加えて,最適 点の変化を鳥瞰することができるということである。

補完性を示すケースとして,ロバーツが最も注目するのは,リンカーン・

エレクトリック社(Lincoln Electric Company)が採用してきた一連の独特の 経営方式である。なぜなら,リンカーン社は,現代では労働者に対する報酬 支払いの標準的な手法ではなくなっている出来高給を採用し続けて,しかも 好業績をあげてきていたからである。現代の生産現場において,なぜ出来高 給が適用できたのか?そして,その出来高給を補完する諸要素にはどのよう なものがあったのであろうか?

リンカーン社の主力製品は,アーク溶接機なので,労働者が個人責任で組 み立てる適度な製品の大きさであり,部品数であったと思われる。評者は,

この製品特性がリンカーン社の出来高給制を支える第1の補完的要素になっ たと考えるが,ロバーツは,以下のような数多くの補完的諸要素を指摘して いる。まとめれば,第2に,労働者が生産量を自由に増やせるように,リン カーン社は仕掛品在庫を大量に抱え込んでいる。第3に,品質や協力関係を

−400−

( 10 )

(11)

ベースに監督者にとって算定された個人ボーナスが支給される。このボーナ スの支給額は,通常,従業員が出来高給としてえる基本給の2倍の大きさに なっている。ついでながら,もし重大な品質上の欠陥がある場合には最大10

%のボーナス削減が実施される。第4に,品質に対する責任を個人に適宜割 り当てられるように,それぞれの従業員の名前が生産物である溶接機に刻ま れる。ついでながら,もし品質上の問題が生じた場合,自分の労働時間を 使って修理をしなければならない。その間,彼は出来高給につながる個人業 績を全くあげることができないのである。数量と品質のトータル・バランス が志向されるようになっているのである。

さらに,出来高給の有効性を高めるため,第5に,製品や作業方法を変更 しない限り,賃金率の調整をおこなうことはしない。そうした約束の信憑性 を保障することになるが,第6に,リンカーン社は,従業員によって所有さ れている。正確には,長い間,従業員,経営者,そして創業者であるリン カーン家が,この企業の大部分の株式を所有してきた。もっと精密にいえば,

労働者が会社株式のほぼ半分を所有し,残りの半分をリンカーン一族が所有 している。1990年代中頃に市場で新株発行をおこなった際,無議決権株式だ けを発行したので,近視眼的な投資家が賃金率の切り下げを要求してくるこ ともない。第7に,創業当初から労働者と経営者とのあいだの双方向的な オープン・コミュニケーションを促すような一連の手段が講じられてきた。

第8に,リンカーン社は,1965年まで創業者とその弟によって運営されてい たが,その後は従業員のキャリア組によって運営されてきている。第9に,

経営者と労働者のポジションは,絶対的なものではなく,相対的なものなの で,役員専用の駐車スペースとか役員専用の社内食堂とかはなく,この姿勢 は,低い経営者報酬や質素な役員室といったものにも反映されている。それ は,経営者にたいする従業員の信頼を高めている。

第10に,リンカーン社は,生産量と需要量のマッチングを図るために,労

《書評》ジョン・ロバーツ著,谷口和弘訳

『現代企業の組織デザイン−戦略経営の経済学−』(三浦) −401−

( 11 )

(12)

働者がその持ち場にいるべき労働時間を厳密に設定する一方で,必要に応じ て残業義務を課している。第11に,リンカーン社は,生産性上昇によって雇 用が脅かされるのではないかという労働者の不安を払拭するために,レイオ フを回避する。そのため,深刻な不況の時代においてすらも,この政策を忠 実に守り,労働者をレイオフする代わりに,彼らに工場の塗装などをさせて いた。

リンカーン社の出来高給制の成功を支えた補完的諸要素をざっと挙げただ けでも,11項目になった。しかし,リンカーン社といえども,最初から相互 に補完的な諸要素をすべて準備できたわけではなかった。リンカーン社のシ ステムは,事実上,長い年月をかけて発展してきたものであって,逐次的に 新しい要素を追加しながら,これまで機能してきた秩序を補完してきたので ある。出来高給が制度化されたのは,リンカーン社が19世紀末に創業した時 のことであったが,ボーナス制度は1934年から実施され,雇用維持政策

(no-layoff policy)が制度化されたのは,1958年になってからのことであった。

ところで,ロバーツは,日本的な工場慣行の中からその一部だけをアメリ カに導入しようとして失敗した例もあげている。問題が生じた時はいつでも 労働者がコードを引っ張るだけで生産ラインを止めることができる日本の ジャスト・イン・タイム方式や生産時間外の

QC

サークル活動の部分的移入 の試みは,労働者にたいするエンパワーメント,品質に対するコミットメン ト,そして雇用保障といった補完的な要素をともに導入しなければ,成功す るはずがないのである。部分的なものまねは,いうなれば適合しない血液を 誤って緊急輸血するようなものである。

さらに,ロバーツは,試論的ではあるが,組織構成諸要素の組み合わせ方 の強度にも注目する。たとえば,標準的な組み立て生産ラインでは,ある労 働者の作業速度が下がれば,作業停止スウィッチを押すたびに,他の労働者 の作業にも影響を及ぼしてしまう。こうした生産現場における組織構成諸要

−402−

( 12 )

(13)

素は,タイト・カップリング(密結合)されている。これに対して,リン カーン社の組織デザインは,大量の仕掛品在庫を軸にして,ルース・カップ リング(疎結合)されている。

ロバーツにとって,日本は,1980年代までは,国家政策のレベルから企業 経営のレベルに至るまで緊密かつ豊かな補完性のネットワークが張り巡らさ れていた。日本企業の長期的な成長志向は,日本経済の成長率と貯蓄率の高 さ,終身雇用制,積極的な人的資本投資,メインバンクによる融資,社内取 締役による支配,勤勉さ(ハード・ワーク精神),所属企業にたいする忠誠 心,そしてサプライヤーとの長期的な取引関係への依存といった特徴と適合 していた。さらに,日本企業のガバナンス・システムの下で,株主はほとん どパワーをもっていなかった。こうした日本型システムを構成するすべての 要素は,相互の微調整をつうじてうまく連結されることによって,環境との あいだに絶妙な適合を生み出していた。そして,数十年間に及ぶ際立った経 済的パフォーマンスを実現してきたのである。

しかしながら,1990年代のいわゆる「失われた10年」あたりから,状況は 一変した。つまり,ロバーツによれば,日本型システムは,1980年代末の資 産価格をめぐるバブルの生成と1990年代初めのバブル崩壊を1つの大きな契 機として機能不全を起こすようになったとされる。ロバーツはいう。「会社 や国家の利益のために働くことをいとわない,という従来の社会的な姿勢は 弱まっていった。…成長志向型戦略,終身雇用,主に従業員の利害を反映し た企業経営,そして経営の規律づけを担うべき株式市場や社外取締役の役割 をこれまで代行してきたメインバンクによるモニタリングなどには,もはや 適合が成り立っていない。…いまだに日本では,新しい道を模索する苦悩が 続けられている。(訳書,65−66頁,ただし訳の一部を変更原書,p.70)」

つまり,日本における最近の変化への適応力は,組織デザインのカップリ ングがあまりにタイトであったためにかえって弱まった(あるいは遅れがち

《書評》ジョン・ロバーツ著,谷口和弘訳

『現代企業の組織デザイン−戦略経営の経済学−』(三浦) −403−

( 13 )

(14)

になっている)のではないかとロバーツは考えているようである。

要は,組織デザイン問題にかんして時空を超えた普遍的な1つの解が存在 することはありえないということであり,政策や特性にかんする個別的な選 択ではなく,コヒーレントな全体的な選択が行われるべきだということであ る。そして,新たな全体的選択が必要とされるときに,旧来の選択のタイト カップリングが変化を阻むネックになりうるということなのである。

第3章 企業の性質と目的

企業はなぜ存在するのかという本源的な問題は,実務的にも非常に重要な 意味をもっている。もし市場の調整機能が普遍的に作用するのであれば,わ れわれには,個々ばらばらの経済人(市場における売り手と買い手)だけが 必要であって,特定の市場を内部に取り込んで組織化した企業をわざわざ必 要とする根拠はないのである。

費用低減,外部効果,公共財,不確実性などによって市場機構が資源の最 適配分に失敗することが広く「市場の失敗」として認識されてきたが,この 失敗を補足するものとして主として期待されてきたのは政府の役割であった し,実際に政府はそれなりの効果を上げてはきている。しかし,こうした政 府の役割に加えて,「市場の失敗」の特定局面に対する解決策として経済人 自身が主体的に形成してきたものこそが企業だとする考え方がある。たとえ ば,ガルブレイスは,その著『新しい産業国家』(1967年)の中で,市場の 不確実性を回避する最良の方法は市場を内部化して企業を形成することであ ると主張した。しかし,そうした考え方の先駆的な業績は,ロナルド・コー スの論文『企業の本質』(1937年)であったし,オリバー・ウィリアムソン による20世紀第4四半期の一連の業績,『市場と企業組織』(1975年),『資本 主義の経済制度』(1985年),『ガバナンスのメカニズム』(1996年)は,こう した立場を代表する業績である。

−404−

( 14 )

(15)

ロバーツは,こうした立場,すなわち取引費用アプローチから第3章の議 論をスタートしている。この立場は,市場も企業も,どちらも人々の経済活 動をコーディネート(調整)するための手段であることに着目する。その意 味で,市場と企業とは経済活動の代替的なコーディネーション手段なのであ る。といっても,すべての市場が企業との代替性をもつわけではない。つま り,企業との代替的なコーディネーション手段になりうる市場は,きわめて 広い意味での生産要素市場,すなわち中間生産物市場,耐久生産財市場,労 働市場,そして資本市場なのであって,最終段階の生産物市場は,企業活動 の究極的な目的に貢献する市場ではあるが,本質的に企業とのあいだに代替 しうるようなものをもってはいないのである。より正確に表現すれば,最終 生産物を取引する流通段階における売り手と買い手の連鎖は,企業との代替 的なコーディネーション手段になりうる市場なのであるが,究極的な買い手 である最終消費者は,企業による心理的な内部化の対象ではあっても,企業 による組織構造的な内部化の対象ではないということなのである。取引費用 アプローチが分析対象にしている市場は,最広義の生産要素市場という極め て限定的な市場であることをわれわれはあらかじめまず認識しておかねばば ならないのである。

しかも,中間生産物をどのように組織化するかという問題は,原材料・部 品などの中間生産物ばかりではなく,中間生産物の生産のために,労働や資 本といった典型的な生産要素に加えて,耐久生産財をどのように組織化する かという問題を必然的にともなうという意味で,取引費用アプローチの中心 的かつ総合的なテーマであり続けてきているのである。

しかし,このことは,ロバーツを含むほとんどすべての取引費用アプロー チ論者が強調してこなかったので,一部の誤解を招くこともあったようであ る。したがって,市場か企業かの問題を,生産活動の連結の仕方を市場取引 に依存するか,内部組織に取り込むかという実践的な問題に即して考察する

《書評》ジョン・ロバーツ著,谷口和弘訳

『現代企業の組織デザイン−戦略経営の経済学−』(三浦) −405−

( 15 )

(16)

ほうが一般の理解が得られやすいのではないかと考える。いわゆる内製か外 注か(make or buy)の問題である。ただし,従来の「メイク・オア・バイ」

の問題は,どちらが生産費用を節約できるかを問うものであったのに対し,

新しい「メイク・オア・バイ」の問題は,どちらが取引費用を節約できるか を問うのである。生産費用の節約を問う「メイク・オア・バイ」の優れた分 析には,たとえばスティグラーの論文『分業は市場の広さによって制約され る』(1951年)があった。そして,取引費用の節約を問う「メイク・オア・

バイ」の分析を深化させたのがウィリアムソンなのである。

ウィリアムソンによれば,中間生産物市場では次の2つの状況下において 取引費用は発生する。つまり,人間の「制約された合理性」の存在だけでは 取引費用は発生しない。これと環境の「不確実性」とが組み合わされて取引 費用が発生する。いわば,事前的な(契約締結時の)取引費用の発生である。

契約が不完備契約となることを認識するほど,それを少しでも回避しようと して取引費用はますます上昇する。あるいはまた,人間の「オポチュニズ ム」の存在だけでは取引費用は発生しない。これと環境の「少数性」とが組 み合わされて取引費用が発生する。いわば,事後的な(契約締結後の)取引 費用の発生である。投資が埋没原価となった後では,不利な条件を押しつけ られても,従わざるをえなくなる。現実には,多くの場合,これら2つの状 況,4つの要因が複雑に絡み合って取引費用が発生する。ウィリアムソンは,

このように取引費用の発生要因を分解整理しただけではなかった。彼は,さ らに取引費用の発生要因である「少数性」の重要性に注目し,しだいに「少 数性」そのものが何によってもたらされるのかについての考察を深めていっ た。

ここで「少数性」とは,中間生産物市場において,顕在的あるいは潜在的 に取引成立の可能な取引相手の数が少数化することをさしている。中間生産 物市場においては,ひとたび取引が成立すれば,将来の代替的な取引相手は

−406−

( 16 )

(17)

著しく減少する。まずは,市場取引の頻度が注目される。中間生産物のよう に相対的に取引頻度の高いものもあれば,耐久生産財のように相対的に取引 頻度の低いものもあるからである。繰り返される市場取引の頻度が高まるほ ど,契約の締結と履行に関して,いうなれば一種の「阿吽の呼吸」が整って きて,それは,潜在的な取引相手からすれば,まさしく「先行者利得」

first-mover advantages

)となって機能することになりかねない。

これを解消させうるのが,価格競争のメカニズムのはずなのであるが,取 引頻度の多寡を超えて,価格競争のメカニズムの作用を後退させ,もっと自 然に「少数間取引」の枠組みを形成させてしまう,さらに根源的な原因があ る。ウィリアムソンは,これを以下の4つの「資産の特定性」(asset specific-

ity

)に求めている。

まず,「立地の特定性」がある。つまり売手企業と買手企業がそれぞれの 生産現場を近接化することによって在庫及び輸送の費用を節約するが,その 取引関係にロックインされて一方が他方をホールドアップする可能性が高ま るからである。次に,「物的資産の特定性」がある。たとえば,特定デザイ ンの部品を生産するために要請された特殊な鋳型などにいったん投資すれば,

これを他の取引相手のために使用できないので,この取引関係にロックイン されて一方が他方をホールドアップする可能性が高まるからである。第3に,

「人的資産の特定性」がある。いったん特定の取引関係の中で学習され醸成 されたノウハウは,別の取引関係の中でよりもこれまでの取引関係の中で大 きく生かされるので,自然に潜在的取引相手を減少させやすい傾向があるか らである。第4に,「専用資産」がある。たとえ一般的・全般的な通用性を もった生産能力を上げるための投資ではあっても,それが特定顧客の注文に 応じた相当量の生産・販売をするための投資であったのであれば,この取引 関係にロックインされて一方が他方をホールドアップする可能性が高まるか らである。

《書評》ジョン・ロバーツ著,谷口和弘訳

『現代企業の組織デザイン−戦略経営の経済学−』(三浦) −407−

( 17 )

(18)

ロバーツも,ホールドアップと関係特殊投資をキーワードにして第3章前 半の議論を展開している。中間生産物市場における事業取引の多くはロック インされている。したがって,いったん取引相手の選択が行われて,相互の 関係が成立してしまうと,別の取引相手へのスイッチングが困難になる。こ のような状況下においては,取引主体がたとえ契約の不備や不利に気づいた としても,彼はロックインが生じた後で交渉を行わねばならない。あらゆる 生産資産は,それが特定化し専用化している場合には,つねにホールドアッ プのリスクにさらされているのである。

かくして,中間生産物市場における取引費用の節約を目的にした(あるい は取引費用の節約ができる範囲での)バイからメイクへの組織デザインの転 換が行われるというわけである。その際に,中間生産物市場における取引関 係から発生する「準レント」を売り手と買い手のどちらがどの程度収奪して きたか,あるいは,新たに収奪できるようにするかが組織デザインのカギと なる。ロバーツも,ひとたび関係特殊投資のおこなわれた資産が,他に適切 な用途をもたない場合,もし当該取引から撤退すれば失うことになる「準レ ント」を失うまいとして相手企業からホールドアップされて,幾分かの「準 レント」を相手企業に収奪される可能性について,関説している。

訳書では,「資産にたいする幾分かの収益は,準レントとみなされる。

…あらかじめ条件が名目的に設定されているとしても,買手企業は,取引条 件の再交渉を強要することによって,売手企業が獲得を見込んでいた幾分か の準レントを専有しよう,というインセンティブをもつだろう。…このこと を予測した売手企業は,資源を関係特殊資産に振り向けることにたいして消 極的になってしまう。たとえば,売手企業が買手企業の特定のニーズを学習 することによって,特殊性が生じてしまうのであれば,そうした知識にたい する売手企業の過少投資がもたらされる。…この問題にたいする1つの解は,

買手企業が,あらかじめ投資費用の一部を支払う ―― 本質的に,後で(不適

−408−

( 18 )

(19)

切に)専有されてしまう分を,買手企業が事前に支払う ―― というものであ る。(86−87頁)」となっている。

ひとたび関係特殊投資のおこなわれた資産が稼ぐ収益の一部は,準レント なので,つまり,その関係特殊的取引を維持するのに必要な大きさを超過し た部分なので,売手企業は,買手企業による事後的なホールドアップによっ て,この準レントを収奪されるリスクを負っている,ということである。つ まり,訳書で「専有」とされた

appropriating

appropriated

は,日本 語のニュアンスの中では「収奪」に近い意味をもっているのである(原書,

pp.

92‐93を参照)。「収奪可能な準レント」(appropriable quasi rents)の概念 については,クライン=クロフォード=アルチアンの論文『垂直的統合,収 奪可能なレント,競争的な契約プロセス』(1978年)において詳細に分析さ れている。

わかりやすい民事の事例をあげてみよう。離婚した男が,慰謝料としての 一時金とは別に,子供が満20歳になるまで子供の養育費として毎月7万円を 別れた元妻に支払うことを公正証書によって約束していたとする。数年経過 した後,男は養育費を少し引き下げてくれないかとの調停を申し出てきた。

男は,再婚して自分にも子供ができて生活が苦しいとのことである。結局,

毎月5万円を支払うように再契約したとすれば,元妻は,7万円の準レント の内2万円を元夫に収奪されたことになる。まだ貰えるだけでも0よりはマ シだと思っている元妻には,将来,準レントをさらに収奪される可能性が 残っている。

さて,ロバーツ自身は関説していないが,20世紀第1四半期に生じた

GM

とフィッシャーボディとのあいだの有名な攻防は,ホールドアップ問題を例 証するのに格好のケースとされてきた感がある。ミシガン州最大の馬車メー カーを所有し経営してきたフィッシャー家が,自動車車体の製造に乗り出し たのは1908年のことであった。そして,アメリカ最大の車体メーカーとなっ

《書評》ジョン・ロバーツ著,谷口和弘訳

『現代企業の組織デザイン−戦略経営の経済学−』(三浦) −409−

( 19 )

(20)

たフィッシャーボディの株式の5分の3を

GM

が買収したのが1919年のこ とであった。この年,GMによる所有権の過半数支配にもかかわらず,実質 的な経営権はフィッシャー家に残したまま,フィッシャーボディの全製品を 10年間

GM

が一手に買い取る契約を締結した。しかし,その後,フィッ

シャーボディは,GM以外の顧客との取引も可能な契約に更改し直した上で,

しかも,その引き渡し価格は,買収前の原価加算(原価+17.6%)方式がそ のまま維持された。おまけにフィッシャー家には,経営者報酬以外に,フィッ シャーボディの純利益の5%が今後5年間にわたり毎年支払われることまで 取り決められていたのである。

1924年,GMは,フィッシャーボディの全株式の取得に乗り出した。この 時期の

GM

の全生産車種に占めるクローズド・ボディの割合は,いっきに 40%から75%に急増し,その翌年には80%にも上っていたのである。そして,

1926年,ついに完全買収取得が成就して,フィッシャーボディは

GM

の一 事業部となったのである。

そこで,このバイからメイクに至る経緯について,次のような1つの解釈 が成立するかに思える。その間,フィッシャーボディは,

GM

との関係特殊 的な投資をほとんど行うことがなかった。フィッシャーボディは,効率的な 資本投資を行わず,非効率的な労働集約型の生産のままにとどまった。関係 特殊的な投資を行う経済的な理由がなかった。労働コストに17.6%のアップ チャージをかけるだけでよかったからである。また,GMの組立工場の近く にフィッシャーボディの部品工場を建設しようとする経済的理由もなかった。

運搬コストに17.6%のアップチャージをかけるだけでよかったからである。

フィッシャーボディは,自動車車体の生産においてきわめて高い収益性を享 受し,GMは,自動車車体の購入においてきわめて高いコストを被ったので ある。このように見てくると,GMは,フィッシャーボディを買収すること によって生産費用だけを節約したかのようであるが,難航したフィッシャー

−410−

( 20 )

(21)

ボディとのあいだの取引条件の改善を果たすことによって,取引費用もいっ きに節約したのである。ただし,買収前にホールドアップされていたのは,

売手企業(フィッシャーボディ)ではなくて,買手企業(GM)だったので ある。この点が,取引費用アプローチ論者たちの先験的な想定とは逆になっ ていることに注意しなければならない。

しかしながら,最近になって,コースの論文『

GM

によるフィッシャーボ ディの買収』(2002年)とカサデサス=スパルバーの論文『フィッシャーボ ディの寓話』(2002年)において,完全買収以前の段階でフィッシャーボディ の工場が

GM

の組立工場の近くで数多く建設された事実を検証する試みも なされてきている。彼らの研究によれば,こうした車体工場の建設コストは,

GM

によって賄われていた。しかも,その多くは,

GM

の敷地内で建設され て,フィッシャーボディにリースされていた。ただし,フィッシャーボディ はデトロイト工場の集中拡大に当初執着したのに対して,

GM

はフリント工 場などへの広域化あるいは分散拡大を図ろうとしたのであった。

しかも,1920年代にクローズド・ボディが急激に普及するようになっても,

ボディそのものがウッドからメタルに全面的に切り替わっていくのは1930年 代のことで,ボディのメタル・プレス技術が発達したのも1930年代後半期 だったので,フィッシャーボディは,1920年代にメタル・プレスのための生 産設備上の関係特殊投資を行うことはなかったし,その生産技術も極めて労 働集約的なものにとどまっていた。1905年あたりから1930年代中葉までのほ とんどの車のボディ形状は,ウッドのフレームの上に薄いシート・メタル・

スキンを被せたものだったのである。こうしたメタル・シートをプレスする ための非常に初歩的な機械は採用されていたが,本格的なプレス機が登場し たのは,フィッシャーボディが

GM

の一事業部になった後のことであった。

木製ボディで有名になったフィッシャーボディは,メタル・ボディ技術に切 り替えるのがむしろ一番遅れた大手車体メーカーだったのである。

《書評》ジョン・ロバーツ著,谷口和弘訳

『現代企業の組織デザイン−戦略経営の経済学−』(三浦) −411−

( 21 )

(22)

一方,もともと

GM

は,1908年におけるその設立の当初から,20社を超 える自動車メーカーと部品メーカーの水平的かつ垂直的な統合にもとづく大 併合によって成立した企業である。これに,1926年フィッシャーボディが加 わって,GMの合社戦略はひとまず完成したのである。

かくして,20世紀第4四半期に至るまで,GMの内製比率は高く,概略

「メイク7:バイ3」の特徴をもつのに対し,トヨタの内製比率は低く,概 略「メイク3:バイ7」の特徴をもつとされてきた。しかし,ここで注意す べきは,バイ3の

GM

の外注先企業が数千社に上るのに対して,バイ7の トヨタの外注先企業が数百社にとどまるということである。そして,アメリ カにおけるバイがより流動性の高いバイであり,各外注先企業への発注量は 相対的に少量となっているのに対して,日本におけるバイがより系列化され たバイであって,取引関係がより長期に継続されやすいばかりでなく,特定 部品を「複社発注」するにしても,各系列企業に対する発注量は相対的に大 量となっている。このような違いは,自動車産業における中間生産物市場の 内部化をめぐる関連諸変数の日米間のコヒーレント性の違いを反映している と思われる。

ほぼ同時期に,世界の自動車産業を担ってきた

GM

とトヨタが,中間生 産物市場の内部化について対照的なコヒーレント性を示してきたことは興味 深い。株式会社豊田自動織機製作所(現在の株式会社豊田自動織機)が自動 車製造のため自動車部を設置したのは昭和8年(1933年)のことであり,こ の自動車部を分離独立させて,トヨタ自動車工業株式会社(現在のトヨタ自 動車株式会社)が設立されたのは昭和12年(1937年)のことであった。そし て,トヨタ車体がトヨタ自工から分離独立したのが昭和20年(1945年)で あった。昭和54年(1979年)当時におけるトヨタ車体の売上高に占めるトヨ タ自工向け比率は100%,トヨタ車体の資本金に占めるトヨタ自工の出資比 率は38.8%であった。その30年後の平成21年(2009年)時点におけるトヨタ

−412−

( 22 )

(23)

車体の売上高に占めるトヨタ自動車向け比率は94.6%,トヨタ車体の資本金 に占めるトヨタ自動車の出資比率は56.48%であった。トヨタ自動車は,ト ヨタ車体の筆頭株主であり,過半数支配を確保しながら,その出資比率を大 きく上回るほぼ100%の取引面での協力関係を維持してきているのである。

かつて

GM

では合社戦略が必要とされ,トヨタでは分社戦略が功を奏し たわけであるが,このトヨタの分社戦略にたいしてコヒーレント性をもつ少 なくとも4つの要因があったと思われる。第1に,ひとたび決定された納入 価格は,外生的な環境変化などよほどの不可避的な事情が発生しないかぎり,

次のモデルチェンジの時期まで保持されるということである。したがって,

契約期間中の部品納入企業によるコスト節減努力の成果はすべて当該部品企 業の利益となる。そして,次のモデルチェンジ時点において,このコスト節 減分を反映した新しい納入価格が改めて設定されることになり,ここではじ めて部品企業のコスト節減の成果が発注企業に移転されるわけである。

第2に,需要・供給条件の変化を反映する生産調整は,もっぱら市場機構 に固有の価格調整ではなく,企業内部機構に固有の数量調整が主軸となる。

向こう3カ月間の生産予定表が作成されて,毎月のように見直され,加えて,

毎月末までに翌1カ月分について日割りの納入日程表が納入業者毎に提示さ れる。トヨタは,部品納入業者などの協力企業群を系列化することによって,

市場取引の体裁をとりつつ,実質的な内部組織化を達成しているのである。

第3に,部品納入業者による関係特殊投資を納入価格で回収できるように 配慮する。プレス加工に用いられる金型の法定耐用年数は2年となっている が,2年たってどうせ作り替えるのであれば,いっそ新しいデザインにして 需要を喚起したいというのがマイナー・モデルチェンジのサイクルが2年と なった主たる理由であったのかもしれない。もっとも,生産数量の多い車種 の場合,アルミ型,鋳型だと2年ももたないようであるが。浅沼萬里の論文

『自動車産業における部品取引の構造』(1984年)によれば,たとえば完成

《書評》ジョン・ロバーツ著,谷口和弘訳

『現代企業の組織デザイン−戦略経営の経済学−』(三浦) −413−

( 23 )

(24)

車メーカーが向こう2年間にわたり月産2万台を提示し,その部品が車1台 に1個ずつ使われるのであれば,予定生産個数は48万個となる。かくして,

金型調達代金を48万個で割った金額が型費として納入価格に加算される。も し売れ行きが悪く,2年後のモデルチェンジ時点で,生産累計個数が38万個 にしかならなかった場合,10万個分の未償還分を完成車メーカーが部品メー カーにまとめて補填する。逆に,売れ行きが良く,1年半経ったところで48 万個になれば,その後の部品単価は,型費分だけ引き下げられる。

第4に,アメリカの産業別労働組合運動とわが国における企業別労働組合 運動という労働組合運動の主軸のおき方の違いが,わが国の同一産業内部に おける企業間賃金格差の存在を相対的に容認されやすいものにしてきたので はないかということである。これに,社外工,期間工,季節工などの賃金格 差も加わって,総体としての人件費の圧縮,ひいては結果的に生産費の節減 が達成されてきたことになるわけである。

かくして,わが国の中間生産物市場における企業集団化あるいは企業系列 化という準統合戦略を支えるために,たんに取引費用の節約だけではなく,

生産費用の節約にも結びつくコヒーレントな組織的諸変数の組み合わせが形 成・保持されてきたといえるであろう。

しかしながら,わが国中間生産物市場における独自性は,それだけにとど まらない。さらには,企業集団や系列などの準統合を志向するというよりも,

独立企業間の垂直的な取引関係を長期的に継続しようとする試みや,川上企 業と川下企業とが特定部品の生産のために共同出資会社を設立しようとする 試みが,ハイブリッド車や電気自動車の基幹部品である電池(ニッケル水素 電池やリチウムイオン電池)の生産などにおいてみられる。このように垂直 提携はしても垂直統合はしないといった例は,わが国では自動車産業以外の 業界にも数多くみられる。たとえば,液晶テレビメーカーのシャープは,カ ラーフィルム(液晶パネルの主要部材)メーカーとの垂直的な協力関係を自

−414−

( 24 )

(25)

社工場の敷地内で達成している。つまり,第1亀山工場内には大日本印刷が 張りつき,第2亀山工場内には凸版印刷が張りついている。少数者間取引が,

オポチュニズムを喚起するよりも,かえって,むしろ運命共同体としての信 頼関係や協力意識を高めさえするのが日本の文化なのかもしれない。いずれ にしても,中間生産物市場においては,さまざまな時間と空間の中で,きわ めて多様なコヒーレント性が存在してきたことは間違いない。

こうしたことに比較すれば,労働市場の内部化はもっと普遍的に浸透して いる。熟練というものが,特定の企業を超えて通用する一般的な熟練だけで はなく,特定の企業内部において通用する特殊的熟練によって支えられてい る限り,そして,後者の役割が高いと認識される度合いが高くなればなるほ ど,労働者は,むやみに転職によるキャリア・アップを狙うよりも,少なく とも一定期間以上にわたって特定の企業内にとどまって職務訓練を積み上げ ていったほうが各人の生産力をより一層向上させることができると考えるか らである。労働者たちがそれぞれの企業に固有な熟練を特定の職務遂行をつ うじて獲得するようなところでは,そのような労働者を「外部労働市場」か ら簡単に調達することは困難である。そこで,経営者と労働者は,彼らのあ いだに継続的かつ協力的な関係を確保すべく,義務的かつ包括的かつ黙諾的 な労働協約にもとづく統治構造を案出することに関心をもつことになる。こ こに,いわゆる「内部労働市場」(ドーリンジャー=ピオレの業績を参照)

が形成されるわけである。この内部労働市場は,企業内部に構造化された雇 用関係から成り立っており,企業内雇用労働力によって編成されたピラミッ ドの最下端だけに開かれた「入職口」(port of entry)をもち,ここをくぐっ て入ってくるのは,通常,新規学卒者に限定されている。そして,入職後の 労働者は,必要に応じて,特定企業内部での人事異動・配置転換,内部昇 進・昇給などを経験していくことになる。

とはいっても,特定企業内部での長期雇用傾向の存在を前提にした上で,

《書評》ジョン・ロバーツ著,谷口和弘訳

『現代企業の組織デザイン−戦略経営の経済学−』(三浦) −415−

( 25 )

(26)

いざ雇用調整が必要な時には,日米間で異なったコヒーレント性をもつ対照 的な政策がとられてきた。つまり,かつて年功給の比重が高かったわが国で は年配者への「肩たたき」(人的資源のいわば「先入先出法」)がみられたの に対して,熟練工組合の伝統があって職務給の比重が高いアメリカでは長期 雇用者を優遇する先任権をベースにしたバンピング行為(人的資源のいわば

「後入先出法」)がみられたわけである。

ただし,市場取引の内部化とくに労働市場の内部化においては,ほとんど の場合,ヒエラルキー(階層組織)への組み込みをともなうことになる。市 場における売買取引の当事者はつねに対等者間取引の当事者であることを前 提とし,そのように保護されるべき存在なのであるが,彼らがひとたび特定 企業内部にロックインされるやいなや,彼らは,今度は指示・承認のメカニ ズムを内含する権限関係や上下関係の正当化された世界の中にいっきに組み 込まれることになるのである。このことを踏まえるならば,企業間競争関係 の変化や需給動向から導き出されてきた従来の企業の最適「生産規模」規定 に加えて,われわれは,新たに企業の最適「管理規模」規定を導き出す必要 性を認識することになる。かつてウィリアムソンは,統制範囲,階層間賃金 乗数,付加価値現場生産労働分配率,そして内部効率パラメーターといった 4つの内部的な変数が,企業のヒエラルキーとしての最適規模(=現場生産 規模+管理規模)を規定するということを証明した(1967年)。

統制範囲,階層間賃金乗数,付加価値現場生産労働分配率については,

データ上の客観性をえるのにそれほどの問題はないであろう。問題は,内部 効率パラメーターの客観性をいかにして達成するのか(あるいは,内部効率 パラメーターの恣意性をいかにして排除するのか)ということである。つま り,ヒエラルキーにおけるコントロール・ロスや取引費用をどのようにとら えるかという問題である。

ロバーツは,企業内ヒエラルキーにおける取引費用を次のように解説して

−416−

( 26 )

(27)

いる。いわく「企業内で経済活動を組織化する際の取引費用とは,いかなる ものであろうか。これは,いまだに多くの論争をまきおこしている問題であ る。まず,そうした取引費用としては,ヒエラルキーをつうじて,情報を上 下に伝達する費用,本部やトップにおける情報過負荷の費用,そして時宜を 逸した限定的な情報をベースに行われる遅鈍な意思決定にともなう費用が考 えられよう。(訳書,88頁原書,

p

.93)」と。そして,これらの費用に関連 した現象にたいする有効な解になりうるのが,M型組織革新やその発展的 バリエーションに代表される「組織の分権化」であり,「選択的介入」(ウィ リアムソン,1985年,第6章を参照)なのであった。

巨大企業となったにもかかわらず,この「組織の分権化」と「選択的介入」

によって成功した事例として,ロバーツは,

ABB

(アセア・ブラウン・ボ ベリ)に注目している。世界最大級の重電企業である

ABB

は,1883年創業 のスウェーデン企業アセアと1891年創業のスイス企業ブラウン・ボベリが 1988年に合併して誕生した。世界50カ国に20万人以上の従業員を擁する

ABB

は,地域別と事業別を交差させたマトリックス型の1,300社に及ぶ社内 カンパニー,さらにその下には5,000に及ぶプロフィット・センターを有し ている。つまり,ABBは,超巨大企業であるにもかかわらず,各プロフィッ ト・センターは平均35人程度の従業員しか抱えていなくて,この小規模なビ ジネス・ユニットが企業行動の基本的な単位として機能しているのである。

そして,各カンパニーのマネジャーは,該当地域の担当役員と該当製品分野 の担当役員という2人の上司に報告をし,全体的な調整のための重要な一翼 を担っていた。

しかしながら,わが国における社内カンパニー制の動きは多様である。た とえば,ソニーは,1983年に事業本部制を採用,1994年にこれを廃止して社 内カンパニー制を導入,さらに,2005年にこれを廃止して事業本部制に復帰 し,65に上った製造拠点を11まで絞り込むことを決定した。あるいは,日立

《書評》ジョン・ロバーツ著,谷口和弘訳

『現代企業の組織デザイン−戦略経営の経済学−』(三浦) −417−

( 27 )

(28)

は,2009年度中に従来の6事業本部制から,低業績部門となった自動車機器 とデジタル家電を分社化し,残る電力,情報・通信,電機(鉄道車両など),

都市開発システム(エレベーターなど)の4部門に社内カンパニー制を導入 することを決定した。

いずれにしても,企業がコーディネーションのためだけではなく,モチ ベーションのためにも存在しているかぎり,企業内部でいかに「組織の分権 化」と「選択的介入」を図ろうとも,「ユニットが個別に所有されている場 合と同水準のインセンティブ強度を,1社の統合企業の内部で生み出すこと はできない」(訳書,89頁;原書,p.94)のである。つまり,「所有者が獲得 するのと同等のインセンティブを,従業員に与えることは不可能なのであ る」(訳書,91頁;原書,

p

.96)。ここに,「所有権こそが,パワーを意味す るものであり,重要な意味をもつ」(訳書,99頁;原書,p.105)という財産 権アプローチの出番があるかにみえる。たとえば,

MBO

(マネジメント・

バイアウト)の実施などが,こうした論拠を背景にしていることに異論はな いであろう。コーディネーションのために統合化してきた企業が,今度はモ チベーションのために分割されていくのであろうか?

しかし,ここでもロバーツは,「相対的に弱いインセンティブしか提供で きないからといって,このことは,かならずしも企業の無能を表す証左には ならない。むしろ,企業の存在理由の1つは,市場があまりに強いインセン ティブを提供しているようなときにこそ,弱いインセンティブを提供できる という点に求められる」(訳書,100頁,ただし訳の一部を変更;原書,

p.

105)という逆説的な考え方を提示しているのである。

ロバーツは,この逆説的な考え方の論拠を組織のメンバーとして働く個人 のマルチタスク性に求めている。マルチタスクといっても,ロバートが繰り 返し強調するのは,イニシアチブと協力という2つのタスクなのである。つ まり,組織で働く個人には,自己の知力と勤勉さをベースにして,自分の所

−418−

( 28 )

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