Ⅰ.はじめに
日本社会の高齢化は進み続けており,2016 年現在 で 65 才以上の高齢者人口の割合は 3 割に近づいてい る.今後医療の進歩で人口高齢化がさらに進むのは確 実だが,そうなると疾病で大きなウェイトを占めてくると 予想されるのが,がんである.現在日本における死亡原 因疾患では 2015 年時点の統計で悪性新生物,すなわち がんが 28.7%となっている.近年一直線に増加している その割合をみていると日本人のがん死が死亡原因の半分 に達するのも,そう遠い将来でないと考えられる.がん の原因は基本的にヒト細胞の遺伝子の変異と考えられて おり,遺伝子変異の蓄積ががんを引き起こしている.ヒ トが高齢になればなるほど細胞分裂回数が増えるので,
その間に DNAのコピーミスが増えて結果としてがん発生 の頻度が高くなると考えられる.様々な医療の発展で血 管障害や感染による障害はかなり克服されて日本人はま すます長寿になっているが,それが結果としてがん発症,
ひいてはがん死の増加を招いているのは皮肉である.そ のためがんの治療はますます重要性を増しているが,そ の中で抗がん剤による化学療法はがん医療の大事な柱 である.本論文では抗がん剤がどのような発想に基づい
【総説】
抗がん化学療法の最近の進歩
Recent progress of cancer chemotherapy
勝部 憲一 Ken-ichi KATSUBE
東都医療大学ヒューマンケア学部看護学科 E-mail : [email protected]
て開発されてきたかを概観し,将来的な発展について考 察してみる.
Ⅱ.細胞周期と抗がん剤
がん細胞の一番の特徴はその自律的な増殖性にある.
普通の細胞はどんなに分裂能が盛んであっても,必要 な数まで増えたら増殖を抑制する機構がある.しかしが ん細胞の場合,増殖速度の遅い速いの差はあるにして も増殖が止まらない点が共通している.細胞分裂は現在 細胞周期という概念でそのステップが解析されているが,
細胞周期の概念は抗がん剤開発の視点からも重要なの で一度振り返ってみる.
細胞周期は分裂期の M期(有糸分裂の「mitosis」か ら)では核が複数の染色体に分かれてはっきりした形態 変化を認識できるが,それ以外の丸い核を形成する間期 は見かけ上大きな変化はない.しかしこの時期には細胞 分裂に備えて色々な変化が起こっており,M 期から順番 に G1,S,G2 の 3 期に分かれる.名称は G が gap 間 から来ており,S 期を挟んで 2 期に分かれるので G1 と G2 になる.間期の中で一番早くその意味が判ったのが S 期で,これは DNA が複製される時期である.S 期の S は合成の「synthesis」から来ており,DNA 合成を指 している.そして G1 期は主として S 期に備えて DNA 合
要 旨日本社会の高齢化にともない,がんの発症率・死亡率の割合は増加する一方である.抗がん剤を用いた化学療法はがん 治療の基本である.抗がん剤の開発の歴史は細胞周期を阻害する薬剤から始まったが,細胞周期に影響する薬剤は正常細 胞の増殖にも影響する.そのため抗がん剤開発の目標は,がん細胞だけで働く特異的な分子を標的とする分子標的薬に向 かった.その中で注目されているのはモノクローナル抗体を用いた薬剤である.モノクローナル医薬の中には,抗 PD-1 抗体のようながん免疫の活性化による根本的に新しい治療薬の開発もされた.今後は個人のゲノム解析情報に基づき,患 者に適合した精密な抗がん化学療法の開発が模索されるだろう.
キーワード:がん化学療法,抗がん剤,PD-1
成に必要な各種因子を合成する時期,G2 期が M 期に 備えて各種因子を倍増させる時期であることが判ってき た.がんに関係すると考えられる遺伝子はその多くがこ の細胞周期に直接関係するか,あるいは細胞周期に影 響を与えるシグナル因子であることがわかってきた
1).一 般に細胞周期を速めて分裂を活発にする因子が「増殖因 子」と定義される.増殖因子は細胞にとって必要な遺伝 子であるが,それが制御不能な常活性化状態に陥ると,
細胞の自律的な増殖に歯止めがかからなくなり「がん化」
したと考えられる.
抗がん剤開発で最初に焦点が当たったのは,細胞周 期の抑制である.無論正常な細胞も増殖すれば細胞周 期を回していくが,がん細胞はその状態にある頻度が正 常細胞より高い.そこでそこを狙い撃ちすることを考えた のが古典的な抗がん剤開発である.S 期の DNA 複製 を止めるにはどうしたらいいのか.DNA 複製は幾つか のステップから成るが,中心となるのは DNA 鎖の合成 である.ヌクレオチドと呼ばれる単位要素を積み重ねた 構造が DNA すなわちデオキシリボ核酸である.従って この生合成を阻害してやれば,かなりの確率でがん細胞 に焦点を当てて増殖阻害できるはずである.初期に開発 された抗がん剤は,この DNA 鎖合成阻害をおこなえる ヌクレオチド類似体から出発している.この方向で開発 された代表的な抗がん剤が,5-フルオロウラシルなどで ある.
また DNA 複製をおこなうとき,二重らせん構造になっ ている DNA を一旦 2 つにほぐす必要がある.このほぐ すメカニズムには一連の酵素が作用するが,これ以外に も天然の抗菌剤である抗生物質にも DNA 合成を阻害す ることで,抗がん剤となるものがわかった.代表的な抗 がん抗生物質には,ブレオマイシン,マイトマイシンが挙 げられる.ある種の植物は周囲に生える他種の植物の 生育阻害をする物質を放出して,増殖を抑える.その結 果その植物だけが優先的に増殖できるようになるが,こ のような現象を「アレロパシー」と呼ぶ(allelopathyと は allelo- 対立者への,pathy- 病原性から成る造語).
このアレロパシー物質として,ブレオマイシンなどと同 じように DNA ほぐしを阻害する物質が中国産の樹木
( Camptotheca acuminata)の樹皮から見つかり,カン プトテシンと命名された.この誘導体であるイリノテカン などが同じように用いられる.
これらの抗がん剤の特徴は,DNA 複製を阻害して DNA に損傷を与えることで,細胞分裂を停止させること である.DNA 損傷自体はがん細胞特異的でなく,細胞
周期に入っている正常細胞にも影響がある.そのため抗 がん剤の副作用として知られる脱毛や皮膚の萎縮が起こ る.また正常細胞の DNA に損傷が起こって増殖が停止 あるいは死滅すれば問題ないが,中には不完全な DNA 損傷で細胞が増殖を止めず,がん化することがある.従っ て上記した抗がん剤は投与することで二次的に新たなが んを誘発するリスクが知られている.例えばブレオマイシ ンなどの抗生物質型抗がん剤の作用機序は,細胞に含 まれる鉄イオンを活性中心に据えてフリーラジカルを発生 させ,DNA を障害することである
2).この作用は,アス ベストが鉄イオンと相互作用してフリーラジカルを発生さ せ,DNA に損傷を与えて悪性腫瘍(肺中皮腫など)を 発生させる仕組みとよく似ている.これでわかるように,
この種の抗がん剤は二次的に新たながんを発生させる可 能性がある.
細胞周期を阻害する方法としてもうひとつ着目された のが,分裂期の阻害である.体細胞の分裂は有糸分裂で,
染色体を各娘細胞に分配する時微小管が重要な役目を 持つ.微小管はチューブリンと呼ばれる蛋白ユニットか ら構成されており,このチューブリンが重合すれば微小 管が伸長し,そして解離すれば微小管は退縮する.染 色体の分配はこの微小管の伸長と退縮でおこなわれる.
従ってこの重合・解離を阻害すれば染色体分配が停止し,
分裂も停止するはずである.実際にこの種の薬剤が抗が ん剤として利用されるようになったが,この薬剤はもとも と植物に含まれる毒性物質からヒントを得た.ビンカア ルカロイドはニチニチソウ( Vinca)科の植物が分泌する 典型的なアレロパシー物質である.ビンカアルカロイド は細胞分裂を抑制する作用があるが,この物質から開 発されたビンクリスチンは,現在も白血病や悪性リンパ腫 のような造血系の悪性腫瘍,および各種の非上皮性悪 性腫瘍に頻用される重要な抗がん剤である.別の微小 管形成阻害をおこなう植物アルカロイドとして樹木のイチ イ( Taxus)からタキサンが発見され,その誘導体のパ クリタキセルなど卵巣がんなどで用いられる
3).
これらの細胞周期を阻害する抗がん剤の開発で,が んの化学療法は発展してきた.抗がん化学療法では複 数の抗がん剤を組み合わせて使うことが多い.細胞周 期を阻害する薬剤でも異なる作用点の抗がん剤を用いれ ば,相乗的な効果が期待できるからである.典型的な のは白血病,悪性リンパ腫のような造血系の悪性腫瘍で,
用量や投与典型的は TS-1 の商標名で用いられる抗がん 剤で,これは 5-フルオロウラシルに修飾を加えたものに,
同じく核酸塩基のピリミジンの類似体ギメラシル,そして
ウラシル代謝阻害剤のオテラシルカリウムを合剤としたも のである.胃がんなど主として消化器系のがんに用いら れるが,著効を示す例も多く知られる.
細胞分裂の阻害をおこなう抗がん剤開発で最近注目 を集めているのは,細胞周期の監視機構を利用した抗 がん剤である.前述の細胞周期は特に間期の G1 から G2 期にかけて各時期の境目にチェックポイントと言われ る時期がある.この時期はそこまでの過程で必要な因子 が正しくかつ必要な数だけ合成されているかを確認する メカニズムがある.具体的にはサイクリンと呼ばれるタン パク質,そしてそれと関連する各種タンパク質因子に異 常がないか確認を図っている.このチェックポイントでど こかに不具合があると,細胞は細胞周期を止めるだけ でなく自死にいたる.単に細胞周期を止める経路として は G1 から G0 という経路があるが,この経路に行かせ る因子は細胞分化因子で機能を持つ成熟細胞になる過 程である.この経路は可逆性があり,何らかの条件で細 胞数が不足すると G0 から G1 に戻り再び分裂していくこ とができる.しかしチェックポイントで停止する経路は,
ただ単に細胞周期が止まるだけでなくその後自らを壊し て死を迎える.従ってこのメカニズムに関わる因子は単な る増殖抑制因子ではない.この経路に関係する一連の 機構をプログラム細胞死,別名アポトーシス(apoptosis,
アポプトーシスともいう)と呼び,真核生物が基本的に もつメカニズムである.アポトーシスに関連する因子は アポトーシスのシグナル活性化には幾つかの要因がある が,その中で遺伝子変異が起こって分裂状態が常態化 すること,あるいは不整な細胞分裂で染色体分配に異 常が起こることは重要な引き金である.細胞周期のチェッ クポイントで何らかの異常が発見されると,上記のタン パク質群が最終的に p53,Rb,BRCA1 のようなタンパ ク質にシグナル伝達して細胞死を起こすが,いずれも異 常な細胞状態すなわち前がん状態になった細胞で活性 化される.従ってこれらの因子は「がん抑制遺伝子」と 定義されている.これらの因子の活性を高める薬剤が開 発できれば,正常細胞には影響せずがん細胞あるいは がん化する恐れがある異常な遺伝子変異を持つ細胞を 特異的に死滅させることが可能になる.現在この系統の 薬剤で臨床で使用されているものは残念ながらまだない が,様々な候補薬が試験されている
4).細胞周期を阻害 する薬剤に比べて,がん抑制遺伝子活性化薬は正常細 胞への悪影響は少ないと考えられ,将来的に非常に重 要な抗がん剤開発の分野である.
Ⅲ.細胞の増殖シグナルと関わる因子に関係するもの
正常な細胞の場合増殖は必ず外部からの刺激に応じ ておこなう.このような外的な増殖刺激をおこなう因子 を「増殖因子」と呼ぶが,多数の種類がある.分化した 細胞には固有の増殖因子があり,その刺激があって初め て分裂機構が始動する.この増殖因子は周囲環境を構 成する他の細胞から分泌されるが,その分泌に抑制が かからなくなったり,増殖因子を受けとる下流シグナル因 子が自律的に常時活性化されたりすれば,細胞増殖が 止まらなくなる.そのような異常活性化の多くが,この 増殖因子あるいはその下流シグナル因子の遺伝子変異を 基礎としている.そのためこれらの増殖因子の遺伝子は 当初「がんの元遺伝子」という意味で proto-oncogene と定義されたが,今は oncogene すなわち「がん遺伝 子」という扱いになった(註 ここの名称変遷の理由は はっきりしないが,oncogene という名称が当初がんウイ ルス(oncovirus)が持つ発がん遺伝子のみに与えられ,
proto-oncogene はそれに類似した細胞ゲノム内遺伝子 と定義されたことで一般の理解が混乱したためと思われ る).がん細胞は一般にその元になった細胞の性質(分 化傾向など)をある程度受け継いでいることが多い.例 えば皮膚や粘膜の上皮細胞でよく見られる増殖因子の受 容体として,上皮増殖因子受容体(EGFR,epidermal growth factor receptor)がある.この受容体はリガン ドの上皮増殖因子(EGF,epidermal growth factor)
と結合すると二量体形成をおこない,活性化する.通 常その刺激は膜内ドメインの酵素活性を活性化する.
EGFR の酵素活性は自身のチロシン残基のリン酸化であ
る.チロシン残基がリン酸化されると EGFR は細胞内
の幾つかの異なる経路のシグナルを活性化し,最終的に
核までそのシグナルが到達する.そして DNA 複製など
を促し,総合的に細胞増殖過程に入っていく.がん細胞
の中にはこの EGFR がリガンドなしでも活性化するよう
な遺伝子変異を起こし,それが停止しない細胞増殖を
促していることがある.よく知られているのは,肺がん
の例である.肺がんの一部では EGFR の遺伝子が変異
を起こした結果,細胞増殖が止まらない.そこで考えら
れたのがこの EGFR のチロシンリン酸化能を止めること
である.この発想の下に開発が進んだのが,ゲフィニティ
ブ(Gefinitib,商品名イレッサ)である.ゲフィニティブ
は分子量が約 446 の低分子有機化合物で,EGFR のチ
ロシンリン酸化能を特異的に抑制する.EGFR 以外にも
膜受容体型のチロシンリン酸化は知られており,ゲフィニ
ティブが特徴的なのは,EGFR 特異的な点である.この ような特定の分子の機能だけを阻害する薬剤を「分子標 的薬」と呼ぶようになり,注目を浴びた.1990 年代から さまざまな薬が開発された.ただこの細胞内シグナル伝 達阻害剤にも欠点があり,異なるシグナル経路で同じ標 的分子が共有されているものがあったり,標的となる分 子によく似た類似体が細胞に複数存在したりすることで ある.そのためがん細胞だけでなく他のあまり関係ない 細胞も障害されてしまい,完全な特異性を発揮できない ことがしばしばあることがわかってきた
5).その結果重 大な副作用が起こることになり,細胞周期を狙った旧来 の抗がん剤と変わらない結果になってしまうこともある.
残念ながら当初期待されたほどの効果を発揮できてない のが,低分子型の分子標的抗がん剤一般の現状である.
Ⅳ.抗体医薬の進歩と抗がん剤
ここまで述べてきた抗がん剤はいずれも低分子で,細 胞を構成する核酸やタンパク質の合成や機能を阻害する ことで働くものである.低分子の物質は一般に細胞内へ の取り込みはよいが,特異性に関しては十分と言えない.
特異性の観点から注目されるようになったのが,抗体医 薬である.抗体とはガンマグロブリンのことで,血漿蛋 白のひとつとして生体防御にあたる.抗体が認識する抗 原にはさまざまなものがあり,人体に侵入するあらゆる 異物に反応できるだけの異なる抗体種があると考えられ る.
抗体医薬が進歩した最大のきっかけは,モノクローナ ル抗体の開発にある.ある抗原に対する抗体のみをつく ることができれば,ピンポイントでその抗原を捕捉する ことができる.抗体の抗原認識の特異性は非常に高く,
分子内の原子間結合角の相違すら識別する能力があり 異性体も見分けられる.そのため低分子化合物の分子 標的薬にはない高い特異性をもって標的物質(抗原)と 反応できる.しかし抗体をつくる B 細胞,およびその成 熟型である形質細胞の分裂能には限界があり,そのまま では抗体を大量に生産・精製できない.そのため考案さ れたのが,多発性骨髄腫細胞との細胞融合である.多 発性骨髄腫は B 細胞の腫瘍で,永続する分裂能を持つ.
これと特異的な抗体を産生する B 細胞を融合し,永続 的な分裂能を持ちかつ特異的な抗体を産生する細胞株 を作り出した.この結果ある特定の抗原とだけ反応する 1 種類の抗体を大量に産生・精製することに成功し,そ れをモノクローナル抗体と呼んだ.現在はこの細胞融合
法によるのではなく,抗体遺伝子を切り取ってきて永続 した増殖能をもつ細胞に導入することで,安全かつ安価 にモノクローナル抗体をつくれるようになった.モノクロー ナル抗体は最初研究や診断用として用いられた.細胞や 組織中の特異的な抗原(あるいはそれをもつ細胞や病原 体)を染色して同定したり,分子生物学的に電気泳動し て分離したタンパク質から特異的な抗原タンパク質を識 別したりするのに非常に役立った.
このように当初は検査薬として発展してきたモノクロー ナル抗体だが,抗体本来の性質として抗原そして抗原 を保持する細胞を,体内の生体防御機構を通じて破壊 することができる.細胞膜上には特定の分化を遂げた 細胞にしか発現しない膜タンパク質がある.これを抗原 としてモノクローナル抗体を作成して体内に注入すれば,
その細胞を免疫反応を利用して死滅させることが可能に なる.このような発想の下に幾つかの抗体の分子標的薬 が開発された.疾病からみると大きく分けて 2 つの方向 の開発と臨床適用が進んでおり,ひとつが関節リウマチ,
もうひとつががんである.
がん作用で汎用されている抗体医薬のひとつが,
HER2 と呼ばれる細胞膜タンパク質に対するモノクロー ナル抗体である.これは主に乳がんの化学療法で用い られる.乳がんは一般に乳腺の腺管部からできるタイプ が一番多く,この型で多く見られる遺伝子変異でがんと 関係すると考えられるのが HER2 である.HER2 は上 に述べた上皮増殖因子の受容体(EGFR)とよく似た細 胞膜タンパク質である.しかしそれ自身は EGFと結合 しないので EGF 受容体ではなく,またそれ以外の特異 的なリガンドも知られていない不思議な存在である.現 時点ではおそらく EGFR と相互作用することで,主と して細胞の増殖を促していると考えられている.乳がん や卵巣がんではこの HER2 が過剰発現しているものが 知られており,このタイプのがんでは HER2 を抑制する と,その増殖性が抑えられる.そのため HER2 に対す るモノクローナル抗体が作成され,予想通りHER2 を過 剰発現する乳がんで抑制効果を示した.これが商品名 Herceptinで出されているモノクローナル抗体医薬である
(一般名 tesuzumab).
がんに対する抗体医薬で現在特に汎用されているの
は,血管内皮増殖因子(vascular endothelial growth
factor,VEGF)に対するモノクローナル抗体である.ア
バスチン(Avastin)の商品名で売られている(一般名
bevacizumab).VEGF は血管新生時に内皮細胞を増
殖させる重要な因子で,低酸素環境下で色々な細胞から
誘導される.VEGF は発がんそのものに関係するのでな く,がんが VEGF を発現することで血管新生を周囲に おこなって増殖度を上げたり,新生した血管内に入って 血行性に遠隔転移したりすると考えられる.VEGF に対 する抗体でがん自体は抑制できないが,がんの増殖・転 移を抑制する効果を期待できる.VEGF を発現するがん に発生由来の特異性はあまりなく,一般に悪性度が高い がんほど VEGF 発現が多く見られる.また VEGF の発 現は成人の正常組織では非常に低い.従って VEGF に 対するモノクローナル抗体は悪性度の高い色々ながんに 適用できて有用である
6).
がんに対するモノクローナル抗体医薬はこれ以外にも 色々開発が進められているが,基本的に人体に備わる他 の免疫物質(補体など)や免疫細胞との共同作業で効 果発揮を期待している.しかしそのような生来の生体防 御力は,患者の置かれたさまざまな状況で変化するので,
同じ効果を得られないことも考えられる.そこで人工的 に抗体を加工してそれ自体で抗原を攻撃する力を持たせ ようと考えたのが,人工抗体医薬の始まりである.具体 的には生物学的に毒となる物質をある特定の抗原を認 識するモノクローナル抗体と結合させ,体内に送り込む.
そうすれば人によって異なる身体の自然な生体防御機構 力に頼らなくても,人工抗体医薬のみでかなりの抗がん 作用を発揮できるはずである.この発想で開発されたも のに放射性同位元素結合モノクローナル抗体がある.代 表的なものとして CD20 という抗原に対するモノクローナ ル抗体に,放射性同位元素の I131 を結合させたものが ある.CD20 は一般に B 細胞に分化したリンパ球が発 現する膜タンパク質で,それ以外の細胞には発現しない.
I131 から出る放射線はベータ線とガンマ線だが,いずれ も飛距離が短い.そのため抗体が結合したがん細胞お よびその周囲のごく限局した範囲にのみ作用するという 利点がある.そうするとこのモノクローナル抗体はほぼ 特定の抗原をもつ細胞だけに反応して,相手を死滅させ ることができる.B 細胞に由来する悪性リンパ腫細胞は 身体のあちこちに転移する.I131標識抗 CD20 モノクロー ナル抗体(tositumomab)は,B 細胞由来の悪性リンパ 腫治療で良好な治療成績を得ている.
抗体医薬で標的となる抗原の性質として重要なのは,
細胞膜あるいは細胞表面に限局することである
7).たと えがん特異的な抗原であっても細胞内では抗体は基本 的に細胞内にはとりこまれないので認識されないし,ま た分泌型の抗原ではがん細胞と関係ない組織が流れ着 いてしまい関係ない組織に障害を受ける可能性が出てく
る.その観点からみると抗体医薬の標的になりうる分子 はかなり限定されてしまうのは否めない事実である.
ちなみにモノクローナル抗体製剤一般名の多くに「マ ブ」と語尾につけられているが,これは mab のことでモ ノクローナル抗体(monoclonal antibody)の略称である.
Ⅴ.がん免疫を活性化する抗体医薬の開発
前章で述べた抗がん抗体医薬は,あくまでも抗体の がん細胞に対する特異性とその攻撃性に依存している.
しかし全く異なる発想でモノクローナル抗体を活用して,
がん細胞を叩く方法が最近考案された
8).
我々の身体では 1日に数個のがん細胞が常時誕生して いると言われている.ではなぜ我々の多くがそう頻繁に がんを発症しないかといえば,それは身体に備わる自然 のがん免疫があるからと考えられている.主として白血 球ががん免疫を担うが,その中心に存在するのがリンパ 球である.キラーT 細胞と NK 細胞は,ウイルスに感染 したりがん化したりして正常でなくなった細胞を見いだし て攻撃して抹殺する.このがん細胞など正常でない細胞 を識別する上で重要になるのが,MHC(ヒトでは HLA)
という細胞膜タンパク質である.MHCII は一種の「自
己」タグの役割も持っており,特に MHCII が発現して
いると, 「自己」と認識されてリンパ球の攻撃を免れるこ
とができる.ウイルス感染細胞やがん細胞では通常この
MHC 発現が低下してくるが,そうなるとキラーT 細胞や
NK 細胞のようなリンパ球はそれらを「非自己」と認識し
て攻撃を開始する.ところが MHC 低下だけで攻撃する
と,発現が多くない正常細胞も攻撃を受ける可能性が高
くなる.このリスクを防ぐためキラーT 細胞や NK 細胞
には抑制シグナルを受ける受容体も備わっており,それ
は PD-1(programmed death-1)と呼ばれる.PD-1 は
相手側の細胞にリガンドの PD-L が発現していると刺激
され,攻撃能が抑制される.この PD-L は通常樹状細
胞に発現しており,リンパ球への抗原提示をおこなうこ
の細胞が過剰刺激を抑制する目的で発現していると考え
られる.ところががん細胞も悪性のものほどこの PD-L1
が発現している.MHC が低下しても PD-L1 が発現して
いれば,がん細胞はリンパ球からの攻撃を受けにくくな
る.この PD-1 のシグナル機構を利用してがん免疫から
逃れているがん細胞こそが,「発症してくる」がんになる
と考えられる.そうなるとこの PD-1 シグナルを抑制して
やれば,がん免疫を復活させてがん細胞を退治すること
ができることになる.こうして PD-1 を特異的に認識して
結合し,その機能を阻止するモノクローナル抗体の開発 が浮上してきた
9).これが現在話題となっているニボル マブ(Nivolumab,商品名:オプジーボ)と呼ばれるモ ノクローナル抗体医薬である.日本では転移能が特に高 い悪性黒色腫(メラノーマ)の治療で,この抗体使用が 認可されている.さらに肺がんへの認可も検討されてい るが,この PD-1 を抑制する抗体は,本質的にがんの種 類如何にかかわらず広く働く可能性が高い.これが「究 極の抗がん剤」と言われる由縁である.ただ問題も残っ ている.PD-1 の元々の機能は,正常でありながら MHC の発現の弱い細胞への攻撃を弱めるものである.従っ て PD-1 の機能を抑制すると,自己免疫疾患が誘発され る可能性がある.実際この抗体医薬の使用で,特発性 間質性肺炎のような自己免疫疾患の発症が報告されてお り,注意すべき副作用となっている.またある種のがん では PD-1 に対する抗体医薬が効きにくいことも最近報 告されてきており,すべてのがんで有効でない理由は今 後探求すべき課題である.
Ⅵ.今後の展望
抗がん剤の開発は日進月歩であり,将来もっと効果的 な抗がん剤が開発される可能性もある.また開発された 抗がん剤をうまく組み合わせて,より効果的な化学療法 をおこなうことも可能になるだろう.今注目されているが ん化学療法の考え方として,「precision medicine」があ る
10).precision medicine とは直訳すれば「明確化され た医療」となるが,これは個々の症例に合わせて最も適 した治療を選ぶことを指す.そのこと自体は当たり前の 考え方だが,precision medicine で土台となっているの は,患者のゲノム解析からがんに関連する特有の遺伝的 変異を見つけ,それにもっともフィットした治療をおこな う発想である.細胞がん化は単一の遺伝子変異で起こ るわけでなく,がん遺伝子あるいはがん抑制遺伝子で 複数の遺伝子変異が段階的に起こって最終的にがん化 すると考えられている(多段階発がん説).しかも実際の がん細胞出現ではどの遺伝子変異がどの順番で起こる かすべて個別に異なると考えられるので,患者のがん細 胞のゲノムすべてを検索して,がん関連遺伝子の変異を 同定することが重要である(がん免疫関連因子を含む).
その結果に基づいてもっとも適合した抗がん剤を処方す るのが,この precision medicine の発想である.従来
「テーラーメイド医療(tailor-made medicine)」とも呼ば れた考え方と同じで,それがより精密になったものと考え
て良い.precision medicine の場合,患者がん細胞の ゲノム情報をすべて読みとるとは DNA の全塩基配列を 読むことになる.そしてがん関連遺伝子の変異をくまな く検索するわけだが,ゲノム検査と解析は以前とくらべ て随分安くなったといっても最低 50 万円程度はかかる.
precision medicine が進展すれば,がん患者の治療成 績がもっと良くなり,結果として経済活性化にも好影響 を与えると考えられる.しかしそれは前段となるゲノム検 査・解析費用とのバランスで,どの程度の費用対効果が 見込めるかが焦点になる.また抗体医薬に関しては,そ の開発には現在も莫大な資金が必要である.そのため 抗体医薬の現価格は非常に高い.オプジーボを標準的 な用法で使用すると年に3000万円以上かかる.オプジー ボが最初保険適用されたのは悪性黒色腫だけだったが,
この抗体医薬には作用機序からみてがんの種類による特 異性はない.そのため現在色々ながんで続々と保険適用 が申請されている.保険適用になるとこの 7 割が保険負 担となるわけだが,あまりに高価過ぎてこのままでは現 在の医療財政が根本から崩壊してしまう
11).そのため政 府が急遽方針を改め,2016 年 11 月に「2017 年 2 月から 薬価を半減する」と発表した.しかし依然としてこれら の新しい検査法や治療薬は高額で,将来的な財務不安 は払拭されていない.抗がん化学療法の進歩をいかに 経済的に支え,我々国民が等しくその恩恵に与れるよう にするかは,日本の国家的な戦略としても重要な柱であ る.
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受付日:2017 年 1 月 5 日 受諾日:2017 年 2 月 1 日
Abstract
The prevalence and mortality rate of cancer are rapidly increasing in Japan due to the aging population. The standard treatment for cancer is chemotherapy with anti-cancer drugs, the development of which began with chemicals that arrest cancer cell cycles. However, such chemicals also affect normal cell cycles. The next generation of drugs has shifted to chemicals that can block cancer-specific molecules. Among them, monoclonal antibodies (MAB) have emerged as a focus of interest. The development of MAB drugs such as anti-programmed death protein-1 (anti-PD-1) has engendered a totally new type of anti-cancer therapy. Future precision medicine will comprise chemotherapy based on genome sequence analysis that will allow specific and therefore optimized treatment for individual patients.
Key words:cancer chemotherapy, anti-cancer drugs, PD-1
【Review】