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マルサス封リカアドオの慣値論雫
國︑序暫 大野純一
英國正続派経濟學の二大峰︒マルサスとリカアドオとは學問上に於ては共にアダム・スミスより稜する許り
ではなく︑私的生活に於ても亦互に永年親交を績けたにも拘らタ︑その學風・學読に於て大いに趣を異にした
のである︒リカアドオは抽象を好み純理を重んじ概念的な推論を行つたのに封して︑マルサスは経験を重んじ
の事實を蒐集し以て實設的研究の途を常に辿つたのである︒從つて叉當時世論を沸騰せしめたところの貨幣︑恐
慌︑關税等の諸問題に關して互に爾者は意見を異にし之等について数多くの論争を圃つたのであつた︒
今私が鼓に問題とするのはそれらの中経濟債値に關する爾雄聞の論争である︒この慣値論雫のテーマは二つ
﹂あつた︑即ちその一は債値の本質︑原因に就て野あり︑二は既に存在する債値の尺度に關するものである︒尤
も︑リカアドオの所論の主眼は前者であリマルサスの所論の多くの部分は後者を取扱つてゐるが爲め︑學者の
マルサス野リカアドオの債値論争二五三
r)yカ ア ド ナ 自 身s8rSSI{io月7口 附 の ㌣ ル サ ス 宛 書 翰 の 中 で 次 の や う に 言 っ て ゐ るo
IfIamt◎othcoretica1(whidhIreallybdie▽e量5thecase),yeuIthinkaretco praCtlca1.ThereatesomanアcombinationsandsomanyoperatingUtses ilPbliticalEconomythatthere]』9路atdangeri戯apPeaユh㎎toelcperience
二五四
申にはこの二つを分ち且つ爾読を封立せしめることに異議をなす者もあるが︑マルサス自身男ユ琴乾2︒臨娼︒7
建︒巴国8ぎ昌矯第二版の中で﹁一貨物に投ぜられたる勢働は其債値の主なる原因であるが其尺度ではない︒一
貨物が支配する勢働は其債値の原因たらぬけれども共尺度である︑﹂(八十三頁)と言つており︑又リカアドオ
がマルサスへの手紙の申で精確な債値尺度を否定しつ義も︑街投下勢働を以て比較的委當なる債値尺度なりと
主張するに徴すれば︑問題を二つに分けて各々について所論を樹立せしめることは決して誤りではないであ
らうo
彼等の師・アダム・スミスは︑諸財貨の交換比率を決定するものは初期未開の肚會に於ては財貨の獲得に費
されたる勢働量であつたが︑資本の蓄積︑土地の占有が行はれる肚會に於ては賃銀︑利潤及び地代が}︒件訂8
鼠σqぎ巴︒︒︒5︒$9⁝・:層=突︒ぎ農・轟ご︒であると読き︑購買せられ若しくは支配せられる勢働量を以て交換
債値測定の尺度なりと主張したのである︒即ち︑彼は債値の原因に關しては投下勢働読と生産費設の二元の債
値法則を建て︑その尺度については支配榮働読を稽へたのである︒然るに︑リカアドオは投下勢働を以て凡ゆ
る就會を通じての便値要因なりと主張する許りではなく︑それは又比較的安當な債値尺度でもあると解したの
である︒之に封してマルサスは所謂需要供給読によつて債値の本質を設き︑便値の尺度に就ては當初は穀物と
勢働との中項を︑後には支配勢働読を持ち來つて︑リカアドオの投下勢働読に突撃したのである︒
債値に關するこれら二つの論孚の中債値の尺度に關するそれは︑多くの人々がマルサス射リカアドオの債値
}nfavourofaparticulardocto了ine,unlesswea了esurethatallthecausesof variationareseenandtheireffectsdulyestimated。(LettersofD.Ricaτdo toT.R.Malthus.Ed・byJamesBonar・1887・P・96・)
T)ムSmlth.AnInquiryintotheNatureandCausesoftheWealthofNat‑
ibns.E乱byE・Ca巴man,1go4・P・54
論争として直ちに想起するところのものであり︑又それは事實彼等が主力を注いで孚つた問題でもあ
る︒併し乍ら︑この問題はか玉るものとして凋立に観察するならば學問的興味の極く少ないものであつ
て︑それは今一つの問題︑本質又は原因論に關聯せしめられて始めて學問的重要さを有するのである︒
從つて英國維濟學に於てこの問題がそれ自身重要問題として論議せられたのは一八三六年に出版され
たるマルサスの中写︒乾8第二版を最後とするのである︒然るに︑債値の本質乃至原因に關する論争に
於けるマルサスの所論は英國維濟學上に於ける勢働便値設排除の最初の企としての大なる意義を有する
許りではなく︑それはまたH●ω・]≦崖︑O臥旨$︑竃碧昌巴等に影響し需要供給法則の嚢展に貢献すると
りころが大であつたのである︒故に︑私は主として償値の本質に關する彼等の論争を紹介︑批判し︑所謂
便値尺度に關する論争は最後に輕るく鯛れることにしやう︒
二︑リカアドオの便値論と之に封するマルサスの批判
リカァドオはスミスに徹つて債値を使用債値と交換便値とに分つたのであるが︑前者についてはた罫
それが後者の前提なりと読くのみで是以上突込んで研究をしはしなかつた︒從つて︑彼の債値論は交換
わ便値を申心とするのである︒
然らば︑リカァドオは一盟債値論に如何なる任務を與へたであらうか︒彼はそれによつて直接市場債
マルサス劉リカアドナの仮値論孚二五五
1)A.C.Whitaker.HistoryandCriticismoftheLaborTheoryofValuein Engli・hP・liticatE。 ・n・my・ ・go4・P・80・
2)小 泉 信 三 謁 綴 濟 學 及 課 税 之 原 理(岩 波 丈 庫)七 頁 謬 照 D.Ricardo,PrinciplesofPoliticalEconomyandTaxation.Isted。18i7.
2nded.181g.3rded.1821.
以 下 の 引 用 は 主 と し て 小 泉 信 三 鐸 脛 濟 學 及 課 税 之 原 理(岩 波 丈 庫)に 擦 り 、
第 一 第 二 版 の 比 較 の 必 要 あ ろ揚 合 に に 同 氏 課 、 リ カ ア ド オ 経 濟 及 租 税 原 論
(経 濟 學 古 典 叢 書)な 謬 照 す る こ とNす るo
二五六
格の法則を嚢見せんとしたのではなく自然債格の法則を見出さんとしたのである︒彼によれば︑市場債格は市
場に於ける時麦の偶然的な原因によつて定まるものであつて︑之に封しては一般的法則を樹立することは出來
ない︑併し乍ら︑市場債格なるものは自由競争の存する限り自然債格に落着かんとする傾向を有するものであ
るから︑債値論によつて自然便格の構成法則が稜見されるならば経濟學の中心問題たる便格論は解決せられる
わと考へたのである︒而して︑彼にあつてはかの交換債値が所謂自然便格に相當ずるのである︒
扱て︑然らば︑彼は交換債値の源泉即ち原因を何盧に求めたであらうか︒彼によれば︑既に利用あるものとす
れば︑それはニツの源泉から生ナるのである︑即ち稀少性と投下勢働量とがそれである︒彼は貨物を任意不可
増のものと任意可増のものとに分ち︑前者の贋値は投下勢働量には關係なく獲得者の資力と嗜慾とにょつて決
定せられ︑後者の便値はその生産に費されたる勢働量に依存すると解したのである︒併し乍ら︑市場の貨物の
大部分は任意可増財なるが故に︑﹃貨物を論じ︑其交換便値及び其相封債格を支配する諸法則を論ずるに當つ
では︑吾人は常に人間の努力によつて其激量を増し得ぺく︑且つその生産上に競事の制限なく作用するが如き
貨物のみを意味するものである︑﹄從つて︑﹃肚會襲達の初期に於ては︑是等諸貨物の交換便値︑即ち交換上一ノ
貨物の幾許が他の貨物に封して與へらる可きかを決定する規則は︑殆ど專らその各個に費されたる比較的榮働
わ量に由て定まるものである,﹄と主張して差支たいといふのである︒但し︑彼に於ける費用︑即ち投下勢働量は
の輩に直接その財の生産に投ぜられた勢働量を指すのではなく︑生産手段の生産に投ぜられた榮働量をも含み︑
1) 2) 3)
前掲鐸 、六 九一 七三頁 前掲謬 、入一 九頁 前掲即 、一九一一 二五頁
わ而かも最も不利なる事情の下に生産された同種の財の投下勢働量を意味するのである︒
樹︑彼は︑後にマルクスが﹃肚會的に必要な勢働時間﹄を持ち來ることによつて解決せんとしたところのか
の種々なる晶質の勢働量の比較の困難を意識しなかつた課ではないが︑彼は次の二つの理由からこの問題を以
て重要ならざるものと考へたのである︒即ち︑その一は異なる勢働の等級は市場の競合に由て大饅の用を辮ナ
る程度には充分正確に定められるといふことであり︑他は貨物の交換便値︑相封債値の攣動を測定するには異
種の勢働を直接相互に比較する必要はない︑た讐或場合に於ける或種の勢働と別の場合に於ける同種の勢働と
を比較すればそれによつて債値璽動の原因を探り得るといふのがそれである︒
以上はリカアドオ便値論の根本である︑而して︑こエまでの論述はス︑・・スの思想と差したる相違を有しては
ゐない︒併し乍ら︑既述の如く︑スミスは投下勢働読を以て﹃資本の蓄積並に土地の私有に先き立つ初期末開
わの肚會歌態﹄にのみ安當するものとし︑丈明枇會に封しては投下勢働読を去つて生産費読をとつたのであつた︒
然ゐに︑リカアドオはか玉る肚會に於ても賃銀︑利潤並に地代が債値を決定するのではなく︑反封に投下勢働量
によつて生じた便値が分割せられて賃銀︑利潤並に地代となるのであると考へるのである︒されば曰く﹃彼の
便格を支配する品質の土地を耕す農業家や︑諸商品を製造する製造家﹄やの﹃貨物の全便値は翠に二部分に分
め割されるのみである︒一は資本の利潤をなし︑一は榮働の賃銀を成すのである︑﹄と︒又地代が債値に封して無
關係なることに關して曰く﹃穀物の債値は︑彼の地代を支彿はぬ土地に於て︑若しくは地代を支佛はぬ資本部
マルサス劉リカアドナの僧帆値論孚二五七
1) 2) 3)
蘭掲諦 、五 三頁
竹 内謙 二鐸 、國富論 上巻(改 造 丈庫)一 七九頁
小泉信三膵 、経 濟學及課税之原 理(岩 波丈庫)九 一頁
二五八
分を以て生産を行ふ場合の︑其生産に投ぜらる玉勢働量に由て左右せらる曳ものである︒穀物は地代が支佛は
めれるから高債なのではなくて︑穀物が高便だから地代が支彿はれるのである︑﹄と︒斯くて彼は経濟嚢展の爾段
階を通じて一貫的に投下勢働設を以て償値現象を設明ぜんとしたのである︒が︑彼のこの企はどこまでも實現
せられたであらうか︒否︑彼はその所論の進むに從つて大なる難關に逢着しなければならなかつたのである︒
然らば︑彼がこ玉に直面した難關は如何なるものであつたか︒文明枇會の實歌を見れば︑例へば異なる産業
に使用せられる固定資本と流動資本との結合の割合が同一でないにも拘らす︑尚そこには平均利潤率が支配し
同額の資本には同額の利潤が生れて來るのである︒この動かす可からざる事實は彼の今迄述べ來つた純粋の勢
働債値読にとつては解き難い謎の如くに見えるのである︑今﹃假りに二人の人があつて︑二つの機械を建造す
る爲め︑各々一百人を一年聞雇傭し︑更に別の一入があつて︑同数の人を穀物耕作に使用するものとすれば︑
各々同一量の勢働に依て生産せらるムものであるから︑年の絡りに於て︑各個の機械は穀物と其便値を同じう
するであらう︒一方の機械の所有者は︑それを次年に於て︑百人の助力を以て羅紗製造に使用し︑他の一方の
機械の所有者も︑亦た︑それを同じく百人の助力を以て綿製品の製造に使用し︑一方農業家は.引績き蕾の如
く︑百人を穀物の耕作に使用するものと假定せよ︒第二年聞に於て︑彼等は皆な何れも同一量の勢働を使用し
たであらう︒併し︑毛織物業者及び綿織物業者の生産物と機械との合計は⁝⁝一百人の榮働を二年間使用した
結果であるのに︑穀物は一年間一百人の勢働に依て生産せられたものである︑從つて若しも穀物の債値が五〇
1)前 掲 謬 、 五 五 頁