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市民のための生態学入門 日本生態学会編 エコロジー講座 シリーズ 好評既刊 エコロジー講座① エコロジー講座② 森の不思議を 解き明かす 責任編集 矢原徹一 B5 判 88 ページ 本体 1,800 円 生きものの 数の不思議を 解き明かす 責任編集 定価 本体1,800円 税 島田卓哉 齊藤隆 B

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Academic year: 2021

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(1)

日本生態学会 編

鎌田磨人・白川勝信・中越信和 責任編集

日本生態学会

  

鎌田磨人・白川勝信・中越信和

責任編集

エコロジー講座 7

里山の

これまでと

これから

講座

里山

(2)

市 民 の た め の 生 態 学 入 門

日本生態学会編『エコロジー講座』シリーズ

好評既刊

定価(本体1,800円+税) 文一総合出版 文一総合出版 エコロジー講座6 エコロジー講座6 世界遺産の自然の恵み

世界遺産の

自然の恵み

日本生態学会   編   増澤武弘・澤田 均・小南陽亮   責任編集 日本生態学会   編   増澤武弘・澤田 均・小南陽亮   責任編集 定価(本体 1,800 円+税) エコロジー講座 6 世界遺産の自然の恵み 日本生態学会 編 増澤武弘・澤田 均・小南陽亮 責任編集 文一総合出版 エコロジー講座① エコロジー講座③ エコロジー講座⑤ エコロジー講座② エコロジー講座④ エコロジー講座⑥

森の不思議を

解き明かす

責任編集

矢原徹一

B5判 88ページ 本体1,800円

なぜ地球の

生きものを

守るのか

責任編集宮下直 矢原徹一 B5判 80ページ 本体1,600円

生きものの

つながりを

見つめよう

責任編集陀安一郎 B5判 72ページ 本体1,800円

生きものの

数の不思議を

解き明かす

責任編集

島田卓哉

齊藤隆 B5判 72ページ 本体1,800円

地球環境問題に

挑む生態学

責任編集

仲岡雅裕

B5判 80ページ 本体1,600円

世界遺産の

自然の恵み

責任編集

増澤武弘

澤田均 小南陽亮 B5判 72ページ 本体1,800円 木はどうして高く伸びるの? 際限なく高くなら ないのはどうして? 基本的なことでも、わかっ ていないことはまだまだたくさん。とてもたくさ んの生きものがすんで、複雑な関係を織り上げて いる、不思議に満ちた森について、最近になって わかってきた新しい成果を紹介します。 水や空気をはじめ、私たちが生活する「地球環境」 は、生物多様性の上に成り立っています。その生 物多様性を守るために、私たちにできることって あるの? そんな問いに対し、今起きている問題 点を整理し、「まず自然を好きになることからはじ めよう」と提案する 1 冊。 生きものはつながりあって生きています。網の目 のように広がって地球をおおう生きものどうしの 関係は、生物多様性のみなもとであり、それ自体 が変化をして行きもします。変わりゆく地球環境 の中でかれらとその関係をどう守っていくのかを、 さまざまな側面から考えます。 生きものの性質をさぐるうえで、「数」は大きな手 がかりになります。生きものはどうやって、どの ように、増えたり減ったりしているのでしょう? 食卓にのぼる野生動物・食用魚の数の変化から素 数ゼミのなぞまで、「数」をテーマに生きものを見 るおもしろさを紹介します。 人間の活動が生態系及ぼす影響を知るには、大き く長いスケールで観測を続ける必要があります。 それに気づいた先人たちの連携と後継者の努力か ら、今多くの成果があがりはじめています。何が わかったのか、それをどう生かしていくのかを解 説します。 日本の世界自然遺産,知床,白神山地,小笠原, 屋久島。これらの地域に「人類が共有すべき普遍 的価値」をもたらした「自然の恵み」とは? 文 化遺産登録された富士山を加え,その自然の特徴 と見どころを,長年通い詰めた生態学者が語りま す。世界遺産を知的に楽しむポイントが満載。

(3)

里山の

これまでと

これから

日本生態学会 編

鎌田磨人・白川勝信・中越信和 責任編集

日本生態学会

エコロジー講座 7

(4)

目次

6

里山の今とこれから



鎌田

磨人

18

コラム



鎌田

磨人

22

里山の文化多様性を守るために



深町

加津枝

32

林の再生能力を活かす



伊藤

42

チョウたちと守る里山



石井

56

コラム

絶滅危惧植物から見た里山



白川

勝信

58

「草の里山」と生きる



高橋

佳孝

資料…

68

 

執筆者紹介…

69

 

参考文献…

70

 

日本生態学会とは?

72

(5)

3

目次

6

里山の今とこれから



鎌田

磨人

18

コラム



鎌田

磨人

22

里山の文化多様性を守るために



深町

加津枝

32

林の再生能力を活かす



伊藤

42

チョウたちと守る里山



石井

56

コラム

絶滅危惧植物から見た里山



白川

勝信

58

「草の里山」と生きる



高橋

佳孝

資料…

68

 

執筆者紹介…

69

 

参考文献…

70

 

日本生態学会とは?

72

(6)

はじめに

広島大学大学院国際協力研究科教授  

中越

信和

  私 が 学 生 だ っ た 当 時 、 生 態 学 で は 、 様 々 な 植 物 群 落 ・ 群 集 の 構 造 を 明 ら か に し な が ら 、 遷 移 の 過 程 や そ の 機 構 を 見 出 し て き て い ま し た 。 ま た 、 日 本 全 土 の 植 生 図 が 作 成 さ れ 、 国 土 の 多 く が 二 次 植 生 で 覆 わ れ て い る と い う 事 実 が 明 ら か に さ れ て き て い ま し た 。 そ の 二 次 植 生 が 分 布 す る と こ ろ が 、 本 書 で と り あ げ る 「 里 山 」 地 域 で す 。 け れ ど も 、 日 本 経 済 が 発 展 し 、 開 発 が 推 し 進 め ら れ て い た そ の 時 代 、 残 存 す る 自 然 植 生 の 重 要 性 と そ の 保 護 の 必 要 性 が 強 調 さ れ る 一 方 、「 里 山 の 価 値 」 や 「 里 山 景 観 が 持 つ 意 味 」 が 語 ら れ る こ と は ほ と ん ど あ り ま せ ん で し た 。 進 行 す る 里 山 の 変 化 に 対 し て 社 会 が 無 頓 着 で あ っ た ば か り で な く 、研 究 者 か ら も 「 人 の 利 用 」 が 介 在 す る 里 山 は 、 生 態 学 的 な 原 理 を 見 出 す の に 不 適 切 な 場 だ と 思 わ れ て い た の で す 。   1 9 9 0 年 頃 か ら 刊 行 さ れ 始 め た レ ッ ド デ ー タ ブ ッ ク ( R D B ) は 、 そ う し た 状 況 を 一 変 さ せ ま し た 。 と て も 身 近 で あ っ た は ず の 里 山 の 多 く の 生 物 が 、R D B に 次 々 と 掲 載 さ れ た か ら で す 。 こ の 事 実 に 衝 撃 を 受 け た 人 々 は 、 里 山 の 生 物 の 消 失 が 語 っ て い る こ と の 意 味 を 問 い 、 里 山 か ら 様 々 な 恵 み を 得 て い た こ と に 気 づ き ま し た 。 研 究 者 は 、 里 山 景 観 の 構 造 の 変 化 が 生 物 多 様 性 の 維 持 過 程 や 生 態 系 の 機 能 に ど の よ う な 影 響 を 及 ぼ す の か を 考 え 、 検 証 を 始 め ま し た 。 そ の 成 果 は 、『 エ コ ロ ジ ー 講 座 3 な ぜ 地 球 の 生 き も の を 守 る の か 』 の 中 で も 解 説 さ れ て い ま す 。   里 山 保 全 に 関 す る 国 の 政 策 も 大 き く 変 化 し ま し た 。 ま ず 、 1 9 9 2 年 に 締 約 さ れ た 生 物 多 様 性 条 約 に 基 づ き 、 生 物 多 様 国 家 戦 略 が 打 ち 立 て ら れ ま し た 。 国 家 戦 略 で は 里 山 の 保 全 と 再 生 を 行 っ て い く こ と が 明 示 さ れ 、 そ の た め に 協 働 し て い く こ と の 必 要 性 が う た わ れ ま し た 。 そ し て 、 2 0 1 0 年 に 名 古 屋 で 開 催 さ れ た 第 10回 生 物 多 様 性 条 約 締 約 国 会 議 で は 、 日 本 で 築 か れ て き た 里 山 で の 暮 ら し の あ り 方 は 、 人 と 自 然 の 共 存 の あ り 方 を 世 界 に 示 し 得 る も の だ と し て 「 里 山 イ ニ シ ア テ ィ ブ 」 が 提 案 さ れ 、 採 択 さ れ ま し た 。 同 年 に は 、 文 化 財 保 護 法 が 改 定 さ れ 、 文 化 的 景 観 が 文 化 財 と し て 指 定 さ れ る こ と に も な り ま し た 。 原 生 植 生 で 構 成 さ れ る 自 然 景 観 だ け で な く 、 里 山 な ど 人 の 暮 ら し の 中 で 創 ら れ 維 持 さ れ て き た 景 観 が 、 日 本 人 が 将 来 に 引 き 継 い で ゆ く べ き 価 値 あ る も の と し て 認 め ら

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6 れ る よ う に な っ た の で す 。   本 書 は 、 里 山 を 保 全 ・ 再 生 し て い く た め に 必 要 な 知 識 を 、 多 く の 方 々 と 共 有 し て お き た い と の 思 い か ら 作 成 さ れ ま し た 。「 里 山 の 今 と こ れ か ら 」 で は 、 里 山 景 観 が ど の よ う に 維 持 さ れ て き た の か 、 ま た 、 ど の よ う に 変 容 し て き て い る の か を 整 理 し て い ま す 。 そ し て 、 里 山 を 再 生 し て い く た め に 各 地 で 始 ま っ て い る 協 働 の 取 り 組 み に つ い て 紹 介 し ま す 。「 里 山 の 文 化 多 様 性 を 守 る た め に 」 で は 、 里 山 の 資 源 を 利 用 す る た め に 、 そ れ ぞ れ の 地 域 で 醸 成 さ れ て き た 知 恵 や 文 化 の 多 様 性 に つ い て 解 説 し ま す 。 里 山 を 保 全 ・ 再 生 す る と い う こ と は 、 地 域 の 文 化 を 将 来 に つ な い で い く こ と で も あ る の で す 。 続 い て 、 里 山 を 再 生 し て い く 上 で の 目 標 設 定 の あ り 方 に つ い て 、 生 態 学 的 な 側 面 か ら 解 説 し ま す 。「 林 の 再 生 能 力 を 活 か す 」 で は 、 里 山 の 主 要 構 成 要 素 の 一 つ で あ る 萌 ぼ う が 芽 林 を と り あ げ 、 森 林 の 状 態 を 診 断 し な が ら 再 生 の 方 法 を 考 え て い く た め の 基 礎 的 な 知 識 を 提 供 し ま す 。「 チ ョ ウ た ち と 守 る 里 山 」 で は 、 里 山 に 生 息 す る チ ョ ウ 類 を と り あ げ 、 そ れ ら を 指 標 と し て 植 生 管 理 の あ り 方 を 検 討 し て い く た め の 道 筋 に つ い て 解 説 し ま す 。「 『 草 の 里 山 』 と 生 き る 」 で は 、 阿 蘇 の 草 原 を 守 る た め に 展 開 さ れ て い る 協 働 の 取 り 組 み に つ い て 詳 し く 見 て み ま す 。 里 山 に 関 わ る 人 も 価 値 観 も 多 様 化 し て い る 今 、 人 と 人 と の 間 、 そ し て 里 山 と 社 会 と の 間 で 、 新 た な 関 係 を 築 い て い く こ と が 必 要 で す 。 阿 蘇 で の 事 例 は 、 新 し い 関 係 の 築 き 方 に つ い て 大 き な 示 唆 を 与 え て く れ る こ と で し ょ う 。   本 書 を と お し て 、 里 山 再 生 に 向 け た 生 態 学 的 な 道 筋 、 里 山 を 活 用 し て い く た め の 知 恵 、 人 の つ な が り の 重 要 性 を 理 解 し て い た だ け れ ば と 思 い ま す 。 そ し て 、 一 人 で も 多 く の 人 が 、 一 つ で も 多 く の 団 体 が 、 身 近 な 里 山 の 保 全 ・ 再 生 に 取 り 組 ん で い こ う と す る 気 持 ち を 持 っ て く だ さ る こ と を 願 っ て い ま す 。   な お 本 書 は 、 日 本 生 態 学 会 主 催 の 第 17回 公 開 講 演 会 「 里 山 の こ れ ま で と こ れ か ら 」( 2 0 1 4 年 3月 16日 開 催 ) の 講 演 内 容 を ま と め た も の で す 。 作 成 に 当 た っ て は 、 平 成 25年 度 文 部 科 学 省 科 学 研 究 費 補 助 金 ( 研 究 成 果 公 開 促 進 費 )「 研 究 成 果 公 表 発 表 ( B ) 課 題 番 号 2 5 5 5 0 0 5 」 の 助 成 を 受 け ま し た 。 厚 く 御 礼 申 し 上 げ ま す 。 ( 第 61回 日 本 生 態 学 会 大 会 ( 広 島 ) 大 会 会 長 )

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暮らしの総体としての里山

里 山 と い う 言 葉 を 聞 い て 思 い 描 くのは、水田をはじめとする耕作地 と、その背後に広がる山林からなる 景 観 で は な い で し ょ う か。 場 所 は 違っても、似た趣を持つ景観は、日 本のどこに行っても見つけることが できます。このような、里と山が結 びついて構成される景観は、農耕が 始まった頃から人の手によって形成 され始めたと思われ、そしてつい最 近まで、人手を加え続けることで維 持 さ れ て き ま し た。 そ れ は、 「 里 山 景観をつくること」を意図して行わ れてきたのではなく、自らの生活を 支えるための日常的な営みとして行 われてきたものです。 家づくりの材料 そ れ ぞ れ の 地 域 で、 人 々 は 周 辺 の森林から樹木を伐り出し、家を建 てました。古民家の建築材に使われ ていた樹木の種類を調べた研究によ ると、ほぼすべての地域でアカマツ やスギが使われていたこと、 そして、 長 野 県 の 栄 さかえ 村 や 飯 いい 山 やま 市 で は そ れ ら に加えブナが、岩手県 紫 し 波 わ 町、福井 県 敦 つる 賀 が 市、大阪府 能 の 勢 せ 町ではクリが 多く使われていたことがわかりまし た。これらの地域では、ミズナラや コナラ等のナラ類、トチノキ、カツ ラ、ハリギリ、ホオノキ、シナノキ といった落葉広葉樹も使われていま した。一方、宮崎県 椎 しい 葉 ば 村や奈良県 十 と 津 つ 川 かわ 町ではカシ類が利用されてい

里山の今とこれから

鎌田 磨人

石 川 県 輪 島 市 の 古 民 家。 建 築 材 に は 周 辺 の 森 林 に 育 つ 樹 木 が、 茅 葺 き 屋 根 の 素 材 も草地に生えるススキなどが使われる 京都市内「宝ヶ池公園」の里山から市街地を見る

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7 里山の今とこれから ることが特徴です。ブナやクリを始 めとする落葉広葉樹は冷涼な気候帯 の森林を構成する樹木、カシ類は温 暖な気候帯の森林を構成する常緑広 葉樹です。このように、それぞれの 地 域 で 建 築 材 に 利 用 さ れ た 樹 木 は、 それぞれの気候帯の森林で生育する 樹種とよく対応していまし た。 家 屋 の 屋 根 は、 茅 かや 葺 ぶ き でした。茅は、屋根を葺く た め に 使 わ れ る 高 茎 草 本 ( 茎 が 長 く ま っ す ぐ に 伸 び る 草 本 植 物 ) の 総 称 で す。 多くの地域ではススキが使 われてきましたが、例えば 合掌造りで有名な 五 ご 箇 か 山 やま で はカリヤス、丹後地域では サ サ( チ マ キ ザ サ )、 琵 び 琶 わ 湖 こ 畔ではヨシといったよう に、それぞれの地域の人々は、その 地域の気候や土地条件の中で集落周 辺に生育する植物を利用してきまし た。 生活の糧のみなもと 耕 作 地 に 投 入 す る 肥 料 も、 農 耕 地の周辺にしたてられた草地や畦で 刈り取った草や、家畜として飼育さ れていた牛馬の糞を草に敷きこんで 作 っ た 厩 きゅうひ 肥 が 利 用 さ れ て き ま し た。 牛馬の餌もまた、草地から得ていま した。米をはじめとする作物を栽培 するために、 溜 ため 池 いけ が作られ、水路が 張り巡らされました。収穫のために 刈り取られた稲は、周辺に仕立てた 竹林から取ってきた 竹 たけ 竿 ざお にかけて乾 燥 さ せ ま し た。 炊 事 を し た り 暖 を とったりするための燃料もまた、周 辺 の 森 林 か ら 採 取 さ れ た 柴 木 や 薪 まき 、 あるいは薪から作った炭でした。 こ の よ う に、 そ れ ぞ れ の 地 域 に 住 ま う 人 々 は 周 辺 の 自 然 に 働 き か け、 生 物 資 源 を 利 用 し て き ま し た。 その結果として、水田をはじめとす る農耕地、 溜 ため 池 いけ や水路、山林、草地 等のモザイクで構成される里山景観 がつくり出され、維持されてきまし た。里山は、暮らしの総体をあらわ している空間だと言えます。 国 くに 木 き 田 だ 独 どっ 歩 ぽ は そ の 作 品「 武 蔵 野 」 の中で、 1 8 9 0 年頃の東京西郊に 広 が っ て い た 里 山 景 観 を、 「 こ の 谷 の 底 は た い が い 水 田である。畑はおもに高台 にある、高台は林と畑とで さまざまの 区 く 劃 かく をなしてい る。 畑 は す な わ ち 野 で あ る。されば林とても数里に わたるものなく 否 いな 、おそら く一里にわたるものもある まい、畑とても 一 いち 眸 ぼう 数里に 続くものはなく一座の林の 周囲は畑、 一 いっ 傾 けい の畑の三方 は林、 というような具合で、 農家がその間に散在してさらにこれ を分割している。すなわち野やら林 やら、ただ乱雑に入組んでいて、た ちまち林に入るかと思えば、たちま ち 野 に 出 る と い う よ う な 風 で あ る。 それがまたじつに武蔵野に一種の特 色 を 与 え て い て、 こ こ に 自 然 あ り、 ここに生活あり、北海道のような自 然 そ の ま ま の 大 原 野 大 森 林 と は 異 里山の風景(千葉県印西市) 燃料も周辺の森林から得られる

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里山には水を有効に持続的に利用で きるようにしたり、 自然災害を防御 ・ 低減したり、実りをもたらしたりす る機能が内在しています。これは 調 整サービス と呼ばれています。 さ ら に 里 山 は、 人 々 に 楽 し み や 憩 いこ い、 癒 いや しももたらします。いまで も、昆虫採集やきのこ狩りは、楽し みの一つでしょう。集落をあげて行 う草地での火入れや茅採取のための 共同作業は、人々の結びつきを強め ました。草原はピクニックやデート の場ともなります。里山を題材にし た 絵 画 や 文 学 も 生 み 出 さ れ て い ま す。国木田独歩の「武蔵野」は、雑 木林、畑、水田、草地等からなる里 山 の 風 景 が 醸 し 出 す 趣 と、 そ れ に よって湧き上がる感情が著されたも のです。 宮 みやざきはやお 﨑駿 氏が「となりのトト ロ」で描き出したのも、里山の風景 で す。 「 ポ ケ ッ ト モ ン ス タ ー」 は、 昆虫少年だった作者が里山の木々や 葉 陰 に 隠 れ て い る 昆 虫 を 探 し て 歩 き、また、昆虫が変態する様子を観 察した経験、その時のワクワク感が もとになって創り出されたといいま す。これらが、里山の 文化的サービ です。 上 記 3つ の サ ー ビ ス は、 里 山 を な っ て い て、 そ の 趣 も 特 異 で あ る 」 と描写しています。

里山の恵み

生態系サービス

人 々 が 生 態 系 か ら 得 て い る 恵 み は「 生態系サービス 」と呼ばれ、大 きくは供給サービス、 調整サービス、 文化的サービス、基盤サービスの 4 つに区分されます。建築材、茅、肥 料や飼料としての草、燃料としての 柴 木 や 薪 を 得 る こ と、 筍 たけのこ や 竹 材 を 得ること、農地の作物を育てるため に溜池・用水から水を得ること、そ して農地からの作物の収穫は、里山 からの 供給サービス の利用と言い換 えることができます。今は高価なも のとなって、なかなか口にすること ができなくなったマツタケも、里山 のアカマツ林からの供給サービスで す。 ソ バ の 実 や、 イ チ ゴ、 リ ン ゴ、 ナシなどの果実等の実りは、花粉を 媒介するハナバチによってもたらさ れ ま す。 里 山 の 森 林、 ま た 溜 池 や 棚 たな 田 だ は雨水をたくわえ、水が一気に 流れ出るのを防いでいます。森林の 木々の根は土壌を抱え込み、土砂の 流 亡 を 防 い で い ま す。 こ の よ う に、 構成する多様な生物の営みによって も た ら さ れ ま す。 そ れ だ け で な く、 光 合 成 に よ る 有 機 物 や 酸 素 の 生 産、 栄養塩の循環といった生態的プロセ スは、人も含めた生物の生存を支え ます。これを 基盤サービス といいま す。 こ れ ら 生 態 系 サ ー ビ ス が ど れ く らい、どのようにもたらされるのか は、里山を構成する森林や農地の種 類と質、面積、配置によって決定づ けられます。そのため、里山景観の 変化はそれぞれの生態系サービスの 質や量に影響を与えることになりま す。供給サービスや文化的サービス は、人がそれらを必要とし、里山に 働きかけることによって産み出され るサービスです。人が里山と向かい 合うことがなくなれば、それらサー ビスが生み出されることもなくなり ます。

里山はどのように

維持されてきたか

里 山 景 観 が ど の よ う に 維 持 さ れ てきたのか、その主な構成要素であ るアカマツ林、シイ・カシ林、ナラ 林、 草地について見ておきましょう。 里山の風景(徳島県徳島市)

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9 里山の今とこれから アカマツ林の場合 瀬 戸 内、 近 畿 地 方 西 部、 徳 島 県 吉野川沿い等の、降水量が少なく花 崗岩が卓越する地域の里山では、ア カマツ林が主要な森林です。アカマ ツ は、 土 壌 が 薄 く て 養 分 に 乏 し く、 また乾燥しやすい土地でも生育可能 なのです。 ア カ マ ツ は、 羽 根 を 持 つ 種 子 を 遠くまで風で飛ばし、伐採や山火事 でできた新しい裸地にいち早く進入 し、陽光を一身に受けながら成長し ます。 成長過程のアカマツ林内では、 ナラ類やカシ類が徐々に成長してい きます。そのまま自然のプロセスに まかせておくと、やがてアカマツは 衰退してナラ林やカシ林へと変化し ていきます。こうした森林の時間的 な変化を、 せん といいます。アカマ ツ林が里山の主要な構成要素の一つ であったのは、人が伐採を繰り返し ながら植物体を利用し続けてきたか らです。 広 島 県 の 山 間 部 の 里 山 の ア カ マ ツ林では、林内で成長しているナラ 類 や カ シ 類 等 の 広 葉 樹 を 刈 り 取 り、 薪として使っていました。また、林 床の落葉・落枝も集められ、 焚 た き付 けに用いられました。そうした利用 が続けられるアカマツ林内は明るい 状態に保たれ、林床にはススキが繁 茂するようになります。そのススキ もまた刈り取られ、肥料や牛馬の餌 として利用されました。そして、成 長したアカマツは、建築材( 梁 はり )や アカマツ林の推移と植物の利用(Kamada et al., 1991 に基づく) 人手が加わらない場合、アカマツ林はAaC,カシ・ナラ林はDaFのよ うに変化する。里山では、人による利用の頻度や強度に応じて、B1、 C1、C2のような多様な森林からなる景観がつくられる A: B1、C1、C2のようなアカマツ林を伐採してできた裸地で、アカマツ や広葉樹の幼木が育ち始める B: 成長途中のアカマツ林 薪にするために広葉樹の幼木を伐採aB1 自然の遷移に任せるaC B 1: アカマツ林内の広葉樹を継続的に利用すると、林内に広葉樹が少な くなり、ススキ等が繁茂する 林床のススキ等を継続的に刈り取って肥料・飼料に利用aB1aC2 薪にするために広葉樹の幼木を伐採aC2 自然の遷移に任せるaC1aC C : アカマツの下で多くの広葉樹が育ち、一部は林冠に達する。林床には 落ち葉などがたまり、土壌が肥えていく すべて伐採するとアカマツは定着できず、カシ・ナラ林へと移行するaD アカマツ林内で育っている広葉樹を薪や炭にするために伐採aC1 自然の遷移に任せるとアカマツは広葉樹に負けて衰退し、広葉樹林 に置き換わるaF C1: アカマツ林の下で広葉樹が再生・成長する 薪として利用するために広葉樹の若木を継続的に伐採aC2`aC1 薪にするために広葉樹の若木を伐採aC2 自然の遷移に任せるaCaF C2: 広葉樹が少なくなった林床にススキ等が繁茂する 林床のススキ等を継続的に刈り取って肥料・飼料に利用aC2 自然の遷移に任せるaC1aCaF 里山の風景(石川県羽咋市)

(12)

下駄の材料として切りだされ、枝や 落葉とともに持ちだされました。ア カマツが切りだされた後にできた裸 地には、再びアカマツが侵入してア カマツ林を形成していきました。 林 内 の ナ ラ・ カ シ 類 や 林 床 の 落 葉を利用しないままのアカマツ林で は、それらが林内に蓄積されていま す。 そ の よ う な 林 分 を 伐 採 す る と、 地面を覆う落葉がアカマツの種子の 定着を阻みます。そして、ナラ類や カシ類の切り株から出る 萌 ぼう 芽 が が成長 し、 ナラ林やカシ林へと移行します。 シイ・カシ、ナラ林の場合 シ イ・ カ シ 林 や ナ ラ 林 も 里 山 を 構成する主要な森林です。シイ・カ シ林は、九州や四国の沿岸地域、紀 伊半島南部、房総半島、島根県沿岸 部 な ど の 里 山 で の 主 要 な 森 林 で す。 コナラ林は東北地方太平洋側、関東 地方北部 ・ 西部、 房総半島、 伊豆半島、 岐阜県美濃地方、石川県、中国地方 日本海側等の里山で見られます。ミ ズナラ林は、東北地方日本海側の里 山に広く分布しています。カシ類や シ イ、 ナ ラ 類 は、 萌 芽 能 力 が 高 く、 ま た、 薪 炭 材 と し て 優 れ て い ま す。 薪や炭を生産するために、 15〜 25年 の 周 期 で 定 期 的 に 伐 採 し、 そ の 後、 切り株から出る萌芽によって森林を 再生させることが、各地で行われて きました。 優 良 な 炭 と し て 知 ら れ る 備 長 炭 はウバメガシを原木として作られま す。和歌山、高知、宮崎等が主産地 で、それらの海岸部にはウバメガシ の萌芽林が分布しています。 能 の 勢 せ 地 域(大阪府と兵庫県の境付近を流れ る 猪 い 名 な 川 がわ 北部)では、クヌギを原木 とした「 菊 きく 炭 ずみ 」が生産されてきまし た。菊炭は、その断面が菊の花のよ うな美しい模様となるので、茶の湯 炭として流通しています。大阪府池 田 市 が そ の 集 積 地 と な っ て い た の で、 「 池 田 炭 」 と し て も 知 ら れ て い ま す。 能 勢 地 域 の 里 山 に は、 「 台 場 クヌギ」と呼ばれる独特の姿を持つ クヌギがあります。 1〜 2メートル 程度の高さで幹を伐採して、そこか ら出る細い萌芽を炭の材料として採 取してきたのです。 草地の場合 茅 かや 場 ば と し て 維 持 さ れ て き た 草 地 も、里山景観を形作る主要な要素の 一つでした。 屋根を葺くための茅や、 牛馬の餌を得るために、広い面積の 草地が必要だったのです。草原は何 もしないでおいておくと低木が繁茂 し、やがて森林へと変化します。毎 年 の よ う に 茅 を 刈 り 取 り 続 け る こ と、 牛や馬に草を与え続けることが、 草地を維持することにつながってい ました。火入れによって燃やすこと で草地を維持することも、各地で行 われてきました。 徳 島 県 祖 い 谷 や 地 方 で は、 肥 料 や 飼 料として使用する草は個々の世帯が 所 有 す る 土 地 に あ り、 そ れ ぞ れ が 刈 り 取 っ て 利 用 し て い ま し た。 一 方、屋根材料としての茅は高所の寒 冷な場にあるススキが優れていると シイ・カシ類、ナラ類の 萌芽能力を活かした森林 の利用 萌芽については、本書32 ページ「林の再生能力を 活かす」も参照してくだ さい ク ヌ ギ の 萌 芽 を 材 料 に つ く ら れ る。 写 真 は石井実氏提供

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11 里山の今とこれから され、標高 1000 メートル付近の 尾根の、集落で共有するススキ草原 から採っていました。そして、その 草原を維持するために、毎年、火入 れが行われてきました。私が調査を 行った集落は 30世帯ほどで構成され ていて、毎年、集落の人々が互いに 手 伝 い 合 い な が ら ス ス キ を 刈 り 取 り、 1軒ずつ屋根を葺き替えてきて いました。このような社会システム によって、それぞれの家屋の屋根は 30年に 1回程度の頻度で葺き替える ことができました。 広 島 県 の 深 しんにゅうさん 入 山 や 雲 うん 月 げつ 山 さん 、 岡 山 県の 蒜 ひる 山 ぜん 高原、山口県の秋吉台、長 野県の霧ヶ峰高原等で見ることがで きるように、草地を維持するための 火入れは日本各地で行われていまし た。 阿 あ 蘇 そ ・ 久 くじゅう 住 や島根県 三 さん 瓶 べ 山 さん のよ うに、毎年の火入れによって広大な 草原を維持しながら牛を放牧してき た地域もあります。 植生のモザイク 里 山 に は、 様 々 な 遷 移 段 階 の 植 生がモザイク状に分布していたと言 えます。水田や畑は一年草や越年草 が生育する場として見ることができ ます。草地 (茅場) は多年生草本が、 そ し て、 ア カ マ ツ 林、 ナ ラ 林、 シ イ・カシ林はいろいろな成長段階に ある木本が生育する場です。どこを どのように使うかは、水はけや土壌 の良し悪しといった土地の状態、ま た、居住地からの距離や傾斜といっ た土地の利用しやすさ等によって決 められてきました。そして、個々の 植生資源をうまく使っていくための 方法や、助け合って使っていくため の約束事、資源を枯渇させないよう 持続的に利用していくための規制と いった社会システムが、それぞれの 地域で築かれてきました。そのよう な個々の地域が持つ自然と人との関 わりの歴史を背景として、利用目的 に応じた頻度・タイミングで刈り取 りや伐採を行い、また、再生させる ことで、植生モザイクとしての里山 景観がダイナミックに維持されてき たのです。  

里山の危機

1 9 4 5 年 に 太 平 洋 戦 争 の 終 戦 を迎えた後、日本は荒廃した国土を め ざ ま し い 勢 い で 復 興 し、 そ し て 1 9 5 5 年から高度経済成長期に突 入 し ま し た。 鉄 鋼・ 造 船・ 自 動 車・ 電気機械・化学・石油化学・合成繊 維 な ど の 産 業 部 門 が 急 速 に 発 展 し、 1 9 7 5 年までの間、年平均経済成 長率は 10%を超えていました。その ような産業の発展を支えたのは、農 村から都市圏へと移り住んだ人々で し た。 1 9 6 0 〜 1 9 7 5 年 の 15 年間に、東京・大阪・名古屋の三大 都市圏に 1533 万人が流入しまし た。そして、都市圏に移り住む人た ちのために、都市周辺の里山が造成 されて団地(ニュータウン)が造ら れました。 こ う し た 復 興・ 経 済 発 展 に よ っ て増加する木材需要に応えていくた め、 拡大造林も推し進められました。 広葉樹の森林は、スギやヒノキの人 工林へと転換されていきました。そ の一方で、中山間地域の農村では人 口 が 激 減 し、 過 疎 化 が 進 行 し ま し た。 1 9 5 0 年に 300 万戸あった 専業農家は 1 9 7 0 年には 85万戸に 激減しました。減少した労働力を補 い、また、農作業の重労働から解放 したのはトラクターやコンバインで あり、化学肥料でした。また、日本 中のほとんどの家庭の燃料は、ガス や石油、あるいは電気にとってかわ りました。この間、貿易の自由化に よって、木材も海外から日本に流れ 火入れによって草原を維持する(広島県深入山)

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こむようになりました。経済発展に 伴う人件費の高騰、人口流出による 中山間地域での働き手が少なくなっ たこともあいまって、安価な外材の 輸入量が飛躍的に増加したのです。 高 度 経 済 成 長 期 に 産 み 出 さ れ た グローバル化、少子高齢化、都市域 の拡大と農村の過疎化といった社会 の変化、その傾向は今でも続いてい ます。そして、里山景観を大きく変 貌させています。 里山の消失 都 市 域 周 辺 で の 開 発 は、 里 山 そ のものを消失させてきています。ま た、 里山から得てきた木材、 茅、 薪 ・ 炭等は利用されなくなりました。建 築材には輸入材が使われるようにな り、 1 9 5 5 年には 95%であった木 材の自給率は、 2000 年には 18% まで落ち込みました。その後、自給 率が上昇してきていますが、それで も 2013 年の自給率は 28%にとど まっています。このように、今、ほ と ん ど の 里 山 が 放 置 さ れ た ま ま に なっています。多くの草地は遷移に よって 藪 やぶ や森林になってしまいまし た。今、日本にはごくわずかの草地 しか残っていません。アカマツ林や カシ・ナラ林も林内に樹木が繁茂す るようになり、暗い森林へと変化し ています。 マツ枯れ・ナラ枯れ 1 9 7 0 年 代 か ら 日 本 各 地 で ま ん延したマツ材線虫病はマツを枯ら し、マツ林をナラ林に変化させまし た。マツ枯れは、マツノマダラカミ キリによって運ばれるマツノザイセ 竹林が広がる可能性の高い地域 (染谷ら,2010 に基づく) 竹の生育可能地域の予測。赤い部分ほど、竹林が拡 大する危険性が高い。かつて、筍を採るだけでなく、 竹竿にしたりかごなどをつくったりなどと有用に活 用されていた竹だが、最近は生活形態の変化や安価 な輸入筍の増加に押され、竹林は管理されなくなっ ている。そうなると繁殖力の強い竹は地下茎で広が り、森林をおおいつくしてしまう。写真は枚方市穂 谷の竹林の様子 里 山 を 開 発 し て 拡 大 す る 都 市( 枚 方 市 穂 谷周辺) (環境省;http://www.biodic.go.jp/biodiversity/activity/policy/map/map13/index.html)

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13 里山の今とこれから ンチュウが仮導管の中で繁殖し、水 が通らなくなることで生じるもので す。これに加えて、 1 9 8 0 年代末 からはナラ枯れがまん延し、多くの 地域でコナラやミズナラをはじめと するナラ類が枯れてきています。ナ ラ枯れは、ナラ類の材内に穴を掘っ て繁殖するカシノナガキクイムシが 糸状菌(かび)を運び、その糸状菌 が材内で増殖することでひきおこさ れます。マツ枯れもナラ枯れも、利 用されなくなって放置された里山の 森林で発生しています。 竹のまん延、シカの食害 竹 竿 は ス テ ン レ ス や グ ラ ス フ ァ イバーの竿に代わり、筍は中国から 輸入されています。そのため、竹林 も ま た 利 用 さ れ な く な っ て い ま す。 管理が放棄された竹林は、地下茎に よる旺盛な繁殖力で拡大して周辺の 森林をのみこみ、里山景観を変容さ せています。 近 年、 個 体 数 が 急 激 に 増 し て き たシカもまた、里山にとって脅威と なっています。人が利用しなくなっ た里山の森林にはシカが侵入し、林 床の草本やササ、また低木が食べら れています。そのため、林床が裸地 状態になってしまっている森林も少 なくありません。 開 発 に よ る 里 山 そ の も の の 消 失、 利用されなくなることによる遷移進 行、また、マツ枯れ、ナラ枯れ、シ カ食害等の生物の爆発的増加によっ て引き起こされている劣化等、里山 は様々な危機に直面しています。

里山再生に向けた取り組み

これからの里山

高 度 経 済 成 長 期 を 境 に、 大 き く 変 貌 し て き た 里 山 の 景 観。 そ れ は、 人の暮らしが里山から離れてしまっ た 結 果 の 現 れ で す。 そ の よ う な 中、 里山とのかかわりの中で得てきた恵 み(生態系サービス)の大切さに気 づ い た 人 た ち に よ っ て、 失 い つ つ あった人と里山の関係をとりもどそ うとする活動が各地で始められてい ます。いくつかの例を、紹介してお きましょう。 都市の中の里山 ─ ─ 京都市松ケ崎(宝ヶ池) 京 都 市 の 市 街 地 北 部 に 位 置 す る 松 ヶ 崎 地 区 は、 か つ て は 田 畑 や 草 地、 湿 地 が 広 が る 里 山 地 域 で し た。 1 9 3 1 年 に 京 都 市 に 編 入 さ れ て 以 来 徐 々 に 住 宅 地 が 拡 が り 人 口 が ニホンジカの分布と拡大予測 さまざまな要因により、全国でニホンジ カの個体数が爆発的に増加している。繁 殖力が高いシカは、森林そのものの脅威 にもなっている。写真は京都市松ヶ崎の 里山のようす。2009年(上)には林床に ササが一面に茂っていたが,わずか3年 で食い尽くされ、同じ場所とは思えない 状態(下)。写真は野田奏栄氏提供 (環境省;http://www.biodic.go.jp/biodiversity/activity/policy/map/map14/index.html)

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増 え 続 け、 1 9 9 0 年 に は 1平 方 キ ロ メ ー ト ル 当 た り 2 9 2 9 人 で あった人口密度が、 2010 年には 3404 人に達しています。この地 域の中で里山として利用されてきた 森林の大部分は、 今、 都市公園(宝ヶ 池公園)に指定され、近くに住まう 人々が散歩・散策をする場としての 日 常 的 な 利 用 空 間 と な っ て い ま す。 また、森林を活かした体験活動等も 行われています。 宝 ヶ 池 公 園 内 の「 こ ど も の 楽 園 」 には「宝ヶ池プレイパーク」があり ま す。 「 自 由 な 発 想 で 自 由 な 遊 び を つくる、自分で創造・工夫し、自主 性、責任感、行動力、やり遂げる力 を身につけていく」ことを基本方針 として運営されているプレイパーク は、様々な規制・制約がある都市公 園の中に自分たちの責任で自由に遊 ぶことができる空間をとの市民の要 望に京都市が応え、 2008 年に設 置されました。私が訪れた日には多 くの親子が訪れ、プレイパークに接 する森林の倒木やフジのつるを使っ て思い思いに遊んでいました。行政 支援による、里山の 文化的サービス の活用 例です。 こ の よ う な 場 の 運 営 体 制、 マ ネ ジ メ ン ト の 仕 組 み は と て も 重 要 で す。プレイパークは様々な自然学習 プログラム(自然あそび教室)を提 供していますが、そのマネジメント は、プレイパーク・スタッフの 2人 が核となって構築してきた、大学や 研究機関の研究者、大学生、中学校 や高校の生徒、市民団体メンバー等 からなる運営ボランティアグループ によって担われています。授業の一 環としてプレイパークでボランティ ア体験をした大学生の中から、その 後も運営ボランティアとしてかかわ り続ける者が生まれています。小学 生の時に利用者だった子どもが、中 学生になって運営ボランティアとし て 参 加 し た り し て も い ま す。 ま た、 この森林で研究を行っている大学研 究 者 ら の 研 究 成 果 を プ レ イ パ ー ク・ スタッフや公園利用者と共有する機 会をつくっています。こうした様々 な仕組みを用いて、協働による運営 体制が作られてきたのです。 都 市 の 中 に 残 る こ の 森 林 は、 も とはアカマツ林でしたが、今はコナ ラ林を主体とする森林となっていま す。近年、この森林にもシカが入り 込み、林内の草本、ササ、低木が食 べつくされつつあります。ところに 宝ヶ池公園 園内の「宝ヶ池プレイパーク」に隣接する里山は、自然観察会なども開催される市民の憩いの場。林内の倒木やつるを使っ て遊びを作り出す子どもの姿も見られる。しかし近年は、遷移の進行やシカ食害,ナラ枯れの広がりなどで森林は劣化し つつある。その対策のため,地域の人々の協働が始まっている

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15 里山の今とこれから よっては裸地化した林床の土壌侵食 が進み、谷ができていたり、大きな 木の根が浮き上がって倒れたりして いるところもあります。さらに、ナ ラ枯れも進み、コナラ等の枯死が進 んでいます。現在は、枯死した樹木 が倒れたり枝が落ちてきたりするの で、子どもたちの立ち入りを制限せ ざるを得なくなっています。こうし た課題に対応し、健全な里山の森林 を取り戻していくためにどのような 協 働 が で き る の か、 プ レ イ パ ー ク・ スタッフ、大学の研究者や学生、市 民団体メンバー、地域の人たちが話 し合いを始めています。 都市近郊の里山 ─ ─ 大阪府枚方市穂谷 枚 ひら 方 かた 市 は、 高 度 経 済 成 長 期 か ら 都 市 化 が 進 ん だ 地 域 で、 里 山 が 開 発 さ れ 団 地 が 造 ら れ て き ま し た。 1 9 5 5 年 に は 1万 3 9 3 1 世 帯 で あ っ た の が、 2012 年 に は 17万 3344 世帯にまで増加してい ます。そうした開発から免れ、拡大 する都市の狭間に残ったのが 穂 ほ 谷 たに 地 区の里山です。 穂 谷 は、 「 モ ニ タ リ ン グ サ イ ト 1000 ( 以 下、 モ ニ 1000 )」 の中で、里地里山のコアサイトの 1 つとなっています。 モニ 1000 は、 生態系の状態を 100 年にわたって 調べ続ける場所を全国に 1000 か 所程度設置し、日本の自然環境の変 化をとらえようという環境省のプロ ジ ェ ク ト で、 里 地 里 山 に つ い て は 200 か所程度が選定されています (そのうちコアサイトは 18か所) 。里 山らしさが残る代表的な場所として 「 に ほ ん の 里 100 選 」 の 一 つ に も 選ばれていて、その里山景観を楽し むために、多くの人たちが訪れてい ます。 け れ ど も 一 方 で、 1 9 7 0 年 に は 79戸だった農家数は 2005 年に は 37戸と半減していて、水田や畑を 維 持 し て い く こ と が 困 難 な 状 況 に なってきています。谷奥の農地は放 棄され、やぶとなっているところも あります。利用されなくなって久し い森林では竹林が拡大していて、荒 廃が懸念されています。このように 劣化してきた里山の状態を良くしよ うと活動を始めたのが、穂谷周辺の 枚方市内に住む人たちです。 枚 方 に 造 ら れ た 団 地 に 住 み、 大 都 市 で 働 い て き た 人 た ち の 中 に は、 育 っ た 地 域 の 里 山 に 思 い 出 を 持 つ 人、また、里山への興味を持つ人が 枚方市穂谷の保全活動 竹やぶの刈り払いや耕作地放棄地の整備などを,近郊都市部の人が協働するボランティアグループが担う

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たくさんいます。そのような人たち が定年で仕事を辞めた後、都市の狭 間に残った里山の価値に気づき、そ れを保全・再生していくための活動 に取り組んでいます。穂谷で活動す る 3つ の ボ ラ ン テ ィ ア グ ル ー プ は、 それぞれに少しずつ目的は違います が、拡がった竹やぶの伐採、竹材の 活用、放棄された耕作地のビオトー プへの改修などを行っています。里 山に入って活動し、汗を流すことか ら 喜 び を 得 る ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 は、 里山の 基盤サービスを整え つつ、 化的サービスや供給サービスを得よ うとする活動 だと言えます。 散 策 を 楽 し む 人 た ち、 モ ニ 1000 の調査員、ボランティアグ ループ等、多くが訪れるようになっ た穂谷ですが、そこには新たな課題 も発生しました。穂谷に住む人たち にとってみれば、生活空間に見知ら ぬ 人 た ち が 入 っ て 来 く る わ け で す し、時には断りなく田畑や 畦 あぜ などに 入り込んで荒らされてしまうことも あったようですから、 迷惑な話です。 また、モニ 1000 の調査員やボラ ンティアグループの人たちが何を目 的に、どのような活動を行っている のかを穂谷の人たちが知る機会も少 なかったために、不審に思う人もい たようです。このような「溝」を埋 め、協力しあいながら穂谷の里山を 保全・再生し、活用していけるよう にするために、穂谷のモニ 1 0 0 0 調査を統括する N A C S ‐ J (日本 自然保護協会)と大阪自然環境保全 協会、 3つのボランティアグループ、 そして地域内の 3つの自治会からな る「穂谷森づくり委員会」 が、 行政 (大 阪府、大阪市)を事務局として立ち あ げ ら れ ま し た。 そ の 委 員 会 で は、 互いに情報を共有したり、外部者が 地域に入って活動する上でのルール づくりを行ったりしています。 中山間地域の里山 ─ ─ 広島県北広島町芸北 広 島 県 北 広 島 町 芸 北 地 域 で は、 最奥の雲月山の山頂周辺に草原、な だらかな斜面上に森林、そして平坦 地 に 水 田 が 広 が っ て い ま す。 の ど か な 景 観 が 広 が っ て い ま す が、 過 疎 が 進 行 し て い る 典 型 的 な 中 山 間 地 域 で、 1 9 5 5 年 に は 7 6 0 2 人 で あ っ た 人 口 は 2013 年 に は 2 4 9 0 人にまで減少しました。 雲 月 山 の 草 原 は、 昭 和 の 中 頃 ま で、牛馬の餌や茅を得るために山焼 き を し な が ら 維 持 さ れ て き ま し た。 「 山 焼 き は 正 月 の よ う な も の 」 と 地 域の人が語るように、それは地域に と っ て と て も 大 事 な 年 中 行 事 で し た。しかしその後、高度経済成長期 に草原は利用されなくなり、山焼き も途絶え、森林へと遷移しつつあり ました。 そ の よ う な 場 所 で 再 び 火 入 れ が 行 わ れ、 草 原 が 再 生 さ れ て い ま す。 火入れの再開を支えたのは、草原景 観 や 山 焼 き と い う 地 域 の ア イ デ ン ティティを守りたいという地域住民 の思いでした。山焼きは、地域住民 がつくる実行委員会によって行われ ています。そして、 地元の消防団や、 N P O 「 西 中 国 山 地 自 然 史 研 究 会 」 の 呼 び か け に よ っ て 集 ま る 1 5 0 〜 200 名 の ボ ラ ン テ ィ ア が 支 援 しています。ここで目指されている のは、 文化的サービスを享受し続け るためのしくみづくり です。 家 や 水 田 と 接 す る 斜 面 の 裾 野 か らは、肥料としての草や薪が採取さ れていました。また、水田が陰にな らないようにと、刈り払われてもい ました。そのため、そこには草地や コナラの疎林が分布し、ササユリが 花を咲かせていたと言います。その ような、いわゆる裏山は、芸北では 再 開 し た 火 入 れ に よ っ て 維 持 さ れ て い る 雲月山山頂付近の草原

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17 里山の今とこれから や、商品との引き換えに商店に集め られる「せどやま券」と交換するた めに用いられます。 この取り組みは、 供給サービスを活用 しつつ、里山の 基盤サービスを回復 しようとする試 みと見ることができます。 新しい形の利用を目指す 以 上 の 例 で 見 ら れ る よ う に、 都 市内では都市公園が核となって、大 学、 N P O 、地域の人たちを結びつ け、里山の保全・再生活動へと発展 させようとしています。拡大する都 市の狭間に残る里山では、開発され た 土 地 に 移 り 住 ん で き た 人 た ち が、 里山の守り人として活動を始めてい ます。新しくできた団地に住む人と 以前から里山に住んできた人たちと が交流・情報交換を行いながら、都 市のパワーを活かした取り組みが進 められているのです。中山間地域で は、地域の人たち自身が里山の 文化 的サービス供給サービスを活用 し ようとしています。それは、地域の アイデンティティを維持しようとす る取り組みと言い換えることができ る で し ょ う。 そ う し た 取 り 組 み を N P O が支援し、地域の人とボラン ティアや消費者とを結びつけること 「 せ ど や ま 」 と 呼 ば れ る そ う で す。 肥料や燃料の変化や人手不足によっ て、 「せどやま」 も利用されなくなり、 遷移が進みコナラ等が大きく育った 暗い森林となっています。ササユリ も消えてしまいました。 今、 主 に コ ナ ラ な ど の 落 葉 樹 の 利用を促進することで、使われなく なった「せどやま」の管理を促進し て地域の景観保全や生物多様性の保 全を実現すること、同時に芸北の経 済 の 活 性 化 を 図 る こ と を 目 的 と す る、 「 せ ど や ま 再 生 事 業 」 が 始 ま っ ています。この事業を推進している のは、 N P O 、林家、森林組合、商 店等からなる「芸北せどやま再生会 議」です。それぞれの林家は、自ら で切り出した2メートル足らずの短 材を N P O が管理する「せどやま市 場」に持ち込み、その対価を「せど やま券」と呼ばれる芸北内だけで通 用する地域通貨で受け取ります。そ して、この活動に賛同して協力する 商店で買い物ができます。せどやま 市場では、 N P O の人たちが薪を生 産します。生産された薪は、消費者 が 日 本 円 で N P O か ら 買 い 取 り ま す。 N P O が得た日本円は、薪生産 を行った N P O メンバーへの支払い 「 せ ど や ま 再 生 事 業 」 に よ っ て 切 り 出 さ れ 集 積 さ れ る 木 材。 中 央 上 段 の 写 真 は 白 川 勝信氏提供 で、活動を持続的なものにしていこ うとしています。 日 本 の 里 山 を 変 容 さ せ て い る 最 も大きな要因は、それが利用されな くなっているということです。その 再生のためには、私たちが里山との 関わりを取り戻し、生態系サービス を積極的に利用していくことが必要 です。けれども、文化的サービスを 得ることを主目的としたボランティ ア活動だけでは、保全・再生される 里山は点的なものにしかならないで しょう。より広い範囲の里山を再生 していくためには、芸北で挑戦が始 まっているように、 里山に蓄積され ている資源を取り出し、市場経済の 仕組みの中に取り込んでいく ことが 必要だと思われます。また、そうし た活動によってどのような里山を再 生させようとしているのか、あるい はどのような里山を再生することが 可能なのか、 明確な再生目標を持っ ておく ことも大事です。そのために は、里山を構成する植物や昆虫の生 態学的な特性を知り、それらを指標 として使っていけるようにしておく ことも必要です。

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生態系のつながり   本書で解説されているように、里 山は、山地の森林、平地の森林、河 畔 林、 河 川、 湿 原、 草 地、 耕 作 地、 宅地のような異なった生態系が複合 的に存在している空間です。森林の 面積や配置は、草地、耕作地、宅地 の 面 積 や 配 置 に よ っ て 決 ま り ま す。 宅地が拡大すれば、森林、草地、耕 作地の面積は減少します。山地の森 林の状態によって、河川に流れ込む

コラム

 

写真:飛行機から見た房総半島の里山景観。森 林をマトリックスとして、耕作地、宅地などの パッチ、河畔林、河川などのコリドーが複合的 に分布している(千葉県御宿町周辺)

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水や土砂の量が変わり、それによっ て河川の状態や、最終的には海岸の 状態までが変化します。ソバの結実 量は、花粉を媒介するハナバチの個 体 数 に よ っ て 決 定 づ け ら れ ま す が、 ハナバチの個体数はソバ畑周辺の森 林の面積と質で決定されます。ある 空間内の生態系は互いに影響を及ぼ し 合 い な が ら 存 在 し て い る の で す。 生態学では、ある空間に異なった生 態系が複合的に存在し、そしてそれ らが相互依存的なシステムを形成し ている状態を「景観(ランドスケー プ) 」と呼んでいます。 景観を見るスケール   グーグルアース等を使って見てみ れば、高度が変わると景観の見え方 も変化することがわかります。宇宙 から地球全体を見渡すと、森林、砂 漠等の非森林地、大湖、海洋に区分 して見ることができます。高度を下 げると、森林、草地、大河川、大都 市等が見えてきます。ロシアやカナ ダの北方林地帯や、アフリカや南米 の熱帯林地帯では、広大な森林の中 に小さな集落や草地が点在する景観 を、ヨーロッパやアメリカでは広大 な草地や耕作地の中に、孤立状の森 19

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林や集落が点在している景観を見る ことができます。さらに地表面に近 づ く と、 小 河 川、 公 園 緑 地、 並 木、 家屋まで見分けることができるよう になります。このように、私たちが 把握・認識する景観は、空間範囲を どのようなスケールで 捉 と ら えるかに依 存しています。それぞれのスケール で均質だと認識できる最小の空間単 位で、面として把握されるもの(例 えば、森林や草地)はパッチ、線と して把握されるもの(例えば、河川 や並木)はコリドーと呼ばれていま す。パッチやコリドーを浮かび上が らせる背景となる空間(例えば、広 大な森林や草原・耕作地)はマトリ ックスと呼ばれます。   上記のことを踏まえて「景観」を 定 義 す る と、 「 任 意 の 空 間 ス ケ ー ル において認識されるパッチ、コリド ー、マトリックスが、相互に関係し あう生態的システムを形成している 状態」となります。 景観生態学とは   景観の構造は、取り出された空間 内にある個々のパッチやコリドーの 面積や形状、それらの個数によって 把握することができます。景観が発 地上で見ると、飛行機からでは見分けられ なかった個々の屋敷や屋敷林からなるパッ チや、畦などの細いコリドーが見えるよう になる。そして、この空間範囲では、水田 がマトリックスとなる(石川県羽咋市) 耕作地周辺に維持されている草地

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揮する機能は、パッチ間での、ある い は コ リ ド ー を 通 し た 物 質、 生 物、 エネルギー等の移動量によって測定 することができます。そして、構造 が変化すると機能も変化します。景 観 生 態 学 は、 「 景 観 の 構 造 と 機 能、 それらの時間的変化を明らかにする ことをとおして、生態的により良い 土地利用のあり方を考える」ことを 目的として発展してきている、学際 的な学問分野です。 人間の活動と景観   景観の構造や機能、およびその変 化には、人間活動のあり方が大きな 影響を及ぼします。人が利用しなく な っ た こ と に よ る 里 山 景 観 の 変 化 は、その一例です。一方で、景観の 構造 ・ 機能、およびそれらの変化が、 人の土地利用に関する意思決定にも 影響を及ぼします。 遷 せん 移 が進み草原 が消失しつつあった 雲 うん 月 げつ 山 ざん で、草原 再生の取り組みが行われるようにな ったのは、その草原が地域の人々が 住む空間のアイデンティティを象徴 する、かけがえのないものであった からです(本書「里山のいまとこれ か ら 」 参 照 )。 人 は 景 観 を 造 り 出 し 管理するだけではなく、その景観を 見て、知り、感じたことを基にして 意思決定を行っているのです。 里山の景観を考える視座   里山のような場の景観について理 解を深めようとするときには、次の ような視座も持ちあわせておく必要 があります。すなわち、①人による 景 観 の 知 覚、 認 識、 そ し て 価 値 は、 景観に直接的に影響を及ぼすととも に、それら自体、景観によって影響 を受ける、②文化的な慣行は景観構 造に影響を及ぼす、③文化として把 握される「自然」は、自然科学とし ての生態学で把握される「自然」と は異なる、④景観は文化的な価値も 表出している、というものです。  (鎌田磨人) 地域の観光協会を核として実施されている草原 を維持するための火入れ。地域の消防団の協力 を得ながら、協働による活動が継続されている。 火入れは観光資源となっていて、毎年、多くの 観光客が訪れる(広島県安芸太田町深入山) 下写真:保津川(京都府)支流。天然記念物ア ユモドキなどが生息する。周辺の水田とのつな がりにより水環境の多様性が維持され、全国で も有数の淡水魚の生育地となっている 写真提供/深町加津枝氏 21

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日本の里山は、 主に集落、 耕作地、 森林の組み合わせによって構成され ており、河川、 湧 ゆう 水 すい などの水辺はそ の重要な要素です。 そうした環境で、 気候や地形などがもたらす地域の自 然と人々の生活、生業、信仰、年中 行事などが結びついてきました。こ こでは、京都府丹後半島山間部( 宮 みや 津 づ 市 世 せ 屋 や 周 辺 )、 滋 賀 県 琵 び 琶 わ 湖 西 岸 ( 大 おお 津 つ 市 八 はち 屋 や 戸 ど 周辺) 、京都府 亀 かめ 岡 おか 盆 地を流れる 保 ほ 津 づ 川沿い(亀岡市保津 周辺) の土地利用の事例を見ながら、 それぞれの里山に特徴的な自然と文 化とのかかわりについて考えていき ます。 丹 後 半 島 山 間 部 で は、 最 高 標 高 700 メートルほどとなる広大な森 林と海とが河川によってつながりま す。琵琶湖西岸では、標高 1 0 0 0 メートルほどの 比 ひ 良 ら 山系が琵琶湖湖 岸(標高 80メートル)から一気に立 ち上がる構造となって、大小の河川 が琵琶湖に注いでいます。亀岡盆地 では中央を流れる保津川が丹波高原 の山々(最高標高 800 メートルほ ど)と京都を結びつけるネットワー クとして機能しています。このよう な森(森林) ー里(集落、耕作地) ー 水 辺( 海、 湖、 川 ) の つ な が り は、 里山のランドスケープとしての構造 を理解するうえで不可欠です。そし て、森ー里ー水辺の組み合わせやつ ながりを考慮しながら資源利用や土 地利用の特徴を把握することで、そ れぞれの里山において特徴的な文化 の 実 像 が 見 え て く る と い え ま し ょ う。

丹後半島山間部での

森の利用

ま ず 丹 後 半 島 山 間 部 の 明 治 後 期 〜昭和初期の里山利用を見ていきま す。 世 屋 川 流 域 上 流 部 に 位 置 す る こ の地域は、積雪の多い日本海型気候 で、 急 きゅうしゅん 峻 な 山 地 内 に 形 成 さ れ た 地 じ 滑 すべ り 地 形 を 利 用 し た 集 落 が あ り ま す。地滑り地形による肥沃な土壌と 周囲の山腹斜面からの豊富な谷水や 湧 水 を 利 用 し た 稲 作 が 中 心 と な り、 畑ではソバや野菜などの作物が栽培 されました。山すそを利用した焼畑 も行われました。森林面積が全体の 9割以上を占め、その大半が落葉広 葉樹林でした。高標高域にはブナ林 が分布し、集落や農地周辺にアカマ ツ や コ ナ ラ が 優 占 す る 森 林 が 広 が り、小規模なスギ・ヒノキ植林地や

里山の文化多様性を

守るために

深町 加津枝

丹後半島山間部,世屋川上流の棚田

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23 里山の文化多様性を守るために 竹林も点在しました。このような森 林を源流とする世屋川は、水源とし て地域住民の生活を支えるだけでな く、海まで土砂を運び、日本三景の 1つである 天 あまのはしだて 橋立 の 砂 さ 嘴 し の形成に深 くかかわってきました。 耕 作 地 と 森 林 と の 境 界 付 近 に は、 採草地、 陰 かげ 伐 ぎり 地 ち 、 茅 かや 場などが位置し、 集落での住民の生活や耕作地での生 産を支えてきました。茅場は、長く てまっすぐなチマキザサが密生した 場所です。チマキザサは身近に豊富 にある資源であるとともに、積雪前 の短期間の農閑期に収穫でき、屋根 に積もった雪を滑らせやすい形をし ていて、屋根材として使用されまし た。森林の樹木も、民家の部材とし て利用されました。 アカマツやクリ、 ケヤキ、 スギ、 マダケのほか、 ブナ、 コシアブラ、ヤマザクラなど多種多 様な落葉広葉樹が用いられました。 ブナ林を利用する文化 薪 しん 炭 たん 林 は 利 用 の 頻 度 や 管 理 の 仕 方により 7つに区分できました。 1つ め は、 ほ と ん ど 人 手 が 加 わ らずに残されたブナ林です。集落か ら遠距離で到達しにくい急傾斜地な どにあり、樹齢 300 年ほどのブナ も生育していました。 2つ め は、 民 家 の 梁 はり な ど と し て 利 用 さ れ た 太 い ブ ナ 材 の 供 給 地 と なった 用 よう 心 じん 山 やま です。 100 年生以上 の ブ ナ を 用 材 と し て 育 成 す る た め、 周囲にある木本やササ類を伐採する など、部分的な林床管理が行われま した。 3つ め は、 低 頻 度 で 炭 焼 き に 利 用された共有林を中心とする森林で す。集落全体が火災で消失した際な どの非常時に現金収入を得るのに使 わ れ ま し た。 伐 採 は 60〜 100 年 に一度ほどの低頻度、数十アールほ どの小面積皆伐でしたが、ブナの大 木などは次世代の種子をつける母樹 として残しました。 4つめは、 薪採取用の 「あがりこ」 状のブナを中心とする森林です。 「あ がりこ」とは、地上 2〜 3メートル くらいの高さで幹を伐採して 萌 ぼう 芽 が を 発生させ、それを採取するという利 用を繰り返してできる樹形です。こ のような森林は、尾根部に小面積で 世屋川 宮津湾 世屋川上流部の集落 急峻な山間地にできた,比較的傾斜の弱い地滑り地形に集落(●)が 分布する。冬期は積雪が多い 「あがりこ」状のブナ 繰り返し萌芽を発生させるという、薪炭 採取のための利用によりできる樹形(丹 後半島山間部) 屋根材として利用されるチマキザサ(丹 後半島山間部) 1 km

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帯の天然林の優占種ですが、薪炭利 用される他の広葉樹に比べると萌芽 力が弱く、萌芽更新が可能なのは多 雪地帯が中心となります。また種子 生産は 40〜 50年生からと遅く、年ご と の 豊 凶 の 差 が 大 き い の が 特 徴 で す。ブナの生態的な特性に見合った も、他の木より早く芽を出して、大 きくなったんです。そのブナの木を 残そう残そうとしました。なんでブ ナの木を残したかと言うと用心山で す。 用 心 に。 」 と 証 言 し て い ま す。 このようなブナ林は、 「里山ブナ林」 と呼ぶことができます。ブナは冷温 まとまってありました。 伐採周期は、 ブナの萌芽生理から見ても合理的な 20〜 40年でした。 ブ ナ 林 は こ の 地 域 の 暮 ら し と 密 接なかかわりがあり、 地元の古老は、 「 ブ ナ 木 が よ う け あ る の は、 ブ ナ の 木は芽を出しますわな。雪があって 用心山の太いブナ 用心山では、樹齢100年以上のブナを残し、太い用材が必要な場合などに単発的に利用す る。ササを刈るなど、森林の手入れも行われた(丹後半島山間部)

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25 里山の文化多様性を守るために 現代の森林利用 か つ て は 以 上 の よ う に 利 用 さ れ ていた森林は、現代はどうなってい るでしょうか。平成期に入ってから の植生調査(世屋周辺)の結果に基 づき、森林の利用、管理と植物群落 の生態的な特性との関係を見ていき ます。 全 体 で 出 現 し た 植 物 は 合 計 1 4 9 種類でした。すべての区分に 共通して出現した植物はアカシデな どの落葉高木が中心で、合計 35種類 でした。地表高 2メートル未満の植 物の種数は 324 種であり、そのう ち草本種がおおよそ 60%を占めまし た。優占する植物種の構成はほぼ同 様でしたが、出現頻度の低い種の種 組成や種全体の量的な分布は異なっ ていました。 里 山 ブ ナ 林 で は、 ブ ナ が 高 い 優 占度を示し、他の区分に比べて種数 は少なくなる傾向がありますが、ラ ンの仲間など天然林に特有の植物が 多く確認されました。陰伐地や薪採 取林など頻繁に伐採される森林では つる植物、先駆 種 を含む多くの種が 確認されました。また、ササの種類 や被度も異なり、頻繁に伐採する森 土地利用がとられたことで、里山に おいてもブナ林が維持されてきたと いえます。 ブナ林以外の落葉広葉樹林 日 常 的 な 薪 炭 利 用 が 繰 り 返 さ れ た大部分の森林では、イヌシデ、コ ナラなど落葉広葉樹が優占していま した。 5つめの区分は、現金収入の ために個人単位で日常的に炭焼きが 行われた森林で、集落から比較的遠 距離にある私有林が中心でした。炭 焼きは年間を通して行われる場合が 多く、数年かけて徐々に伐採面積を 広げて移動しながら行われ、 40〜 60 年に 1回ほどの頻度で繰り返し伐採 しました。 6つ め は 20〜 40年 の 周 期 で 日 常 の薪採取用に伐採されてきた森林で す。炭焼林に比べ集落から近い緩傾 斜地など、比較的利用しやすい立地 にある私有林や共有林が利用されま した。 7つ め は 水 田 に 隣 接 す る 幅 10 メートル程の斜面で、水田が日陰に なるのを防ぐために 10年未満の周期 で伐採されてきた陰伐地です。伐採 された枝などは緑肥や 柴 しば ( 粗 そ 朶 だ )と して利用されました。 棚田、チマキザサが生える草地、森林が連続している(丹後半島山間部) *先駆種:伐採などで植生がなくなった跡地にいち早く入り込む植物種

参照

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