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V プライマリ ヘルスケアと健康教育 V プライマリ ヘルスケアと健康教育 十数年前から, 地域保健あるいは地域医療という言葉が使われるようになり, これらがようやく定着してきたと思われるころ,WHO がプライマリ ヘルスケアを提唱し始めた. そして, 最近の WHO の主な仕事は, まるでプライマ

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Academic year: 2021

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保健学講座

健康教育論

健康教育論

健康教育論

健康教育論

編著/宮坂忠夫・川田智恵子・吉田 編著/宮坂忠夫・川田智恵子・吉田 編著/宮坂忠夫・川田智恵子・吉田 編著/宮坂忠夫・川田智恵子・吉田 亨亨亨亨

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プライマリ・ヘルスケアと健康教育

十数年前から,地域保健あるいは地域医療という言葉が使われるよう になり,これらがようやく定着してきたと思われるころ,WHO がプライマ リ・ヘルスケアを提唱し始めた.そして,最近の WHO の主な仕事は,まるで プライマリ・ヘルスケアー辺倒のように思われる.そこで,プライマリ・ ヘルスケアと健康教育との関係について取り上げる必要があるわけだが, その前におよそプライマリ・ヘルスケアとは何かについて述べておこう. ただし,これは本来この講座の他の巻のテーマであるので,要点だけにし たい.

プライマリ・ヘルスケアとは

1948 年に,世界中の人々の健康を司る国際的公的機関として誕生した WHO は,この 30 年間,たとえば,疾病分類,保健情報,薬剤等の国際基準,医 学研究情報,保健要員の教育・訓練,予防接種などの面でいろいろ仕事を してきたが,人の健康に直接かかわるものとして目立つのは,コレラ,痘 瘡,マラリアなどの感染症の予防であった.これらの感染症は,発展途上 国において流行することが多かったので,いわば発展途上国における感 染症対策に大きな力が注がれてきたといえる.関係発展途上国と WHO の努 力が結実して,たとえば 3 年前に,地球上から痘瘡がなくなったという“痘 瘡終結宣言”が行われたように,これらの感染症も下火になってきたわけ である. ちょうどそのような兆しがみえ始めた,今から 12~13 年前から,WHO と しては,感染症といった特定の疾患対策ではなく,発展途上国における保 健・医療一般の対策,それも地域におけるもののあり方の検討を開始し た.WHO は当初これを発展途上国における basic health service(基礎的 な保健サービス)のあり方の研究と呼んでいた. このような検討・研究が始められたきっかけの一つとして,国際機関や 先進諸国から発展途上国に対して行われてきた医療援助のあり方の問題 があった.最も多かったタイプは,援助される国も援助する国も,その国 の医療水準のレベル・アップといったことを主な目的として,首都などに 立派な病院を作ることを考え,それが実施に移されたものである.国に立 派な病院が 1 つあり,かなり高い水準の医療が受けられることは,目に見 えるシンボルとしてはよかったかもしれないが,その結果,国全体として はたいへんおかしなことが起きた.つまり,そのような病院を利用できる 人たちは,その国の人口からみればごく限られた一部の人たちであるの

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に,国の保健・医療費の 9 割以上が病院に費やされ,国民大多数の保健・ 医療はわずか数%でまかなわれるといった事態が生じたのである. ほぼ 10 年にわたる WHO の検討が実を結び,1978 年にソ連のアルマ・ア タ(Alma-Ata)で WHO と UNICEF(ユニセフ)の共催で行われた国際会議にお いて,WHO の提案が承認され,“プライマリ・ヘルスケアに関するアルマ・ アタ宣言”が行われたわけである.

アルマ・アタ宣言は 10 項目からなり,プライマリ・ヘルスケアの基本 を示しているものであって,“西暦 2000 年までに地球上のすべての人び とに健康を”(Health for AlI by the Year 2000)ということを大目標と している13~15).

ところで,プライマリ・ヘルスケア(primary health care)という言葉 の意味について多少,解説を加えよう.まず,プライマリに関しては,とき に“初歩的”とか“初級の”と訳されたり解釈されたりすることがある が,これは間違いである.すでに述べたように,WHO では当初“basic”とい っていたのが“primary”に変わったのであって,“基本的な”とか“基 礎的に重要な”あるいは“第一義的に重要な”といった意味である.この 辺をしっかり理解する必要がある. 次に,ヘルスケアは,前に述べた保健・医療の 5 段階すべてを含み,保 健・医療の専門家が提供するサービス(professional care あるいは service)のほかに,セルフ・ケアも含めたものである.当初の“health service”を“health care”に変えたのは,service だと提供するもの, あるいは受けるものという感じが強くなり,セルフ・ケアが抜けるおそれ があると思われたからである. さて,アルマ・アタ宣言は,主に発展途上国向けに行われたものであっ たが,これらの国とは異なった種々の保健・医療上の問題を抱えている先 進諸国にも,その基本的な考え方はあてはまるということで,先進諸国に おいても,その線に沿った検討や改善が試みられるようになった. たとえば,WHO のヨーロッパ地域事務局では早くからプライマリ・ヘル スケアを取り上げ,アルマ・アタ宣言のうち以下の 4 点を重視している. ①ヘルスケアは,対象人口のニード(needs)に結びついていなければな らない. ②消費者(住民)は,ヘルスケアの企画と実施に,個人としてまた集団と して,参加しなければならない. ③利用しうる資源を十分に利用する. ④プライマリ・ヘルスケアは,それ自体単独のアプローチであるのでは なく,総合的なヘルス・システムの最もローカル(末端)の部分である16). このような状況は,日本の場合も同様であって,数年前からプライマ リ・ケア学会が行われているし,プライマリ・ヘルスケアは新しい地域保

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健のあり方を示すものとして重視されつつある17).

プライマリ・ヘルスケアと健康教育

次に,プライマリ・ヘルスケアと健康教育との関連について考えてみる ことにしよう.具体的には,アルマ・アタ宣言 10 項目(ただし第Ⅶ項目は さらに 7 つに分かれている)について,健康教育との関連をみる,あるいは 健康教育の観点から検討してみることになるわけであるが,その場合,当 然,健康教育をどのようにとらえるかによって,見方が違ってくる. 実は筆者としては,アルマ・アタ宣言のなかでの健康教育のとらえ方に ついて,いささか不満がある.すでに述べたように(p.5 参照),WHO として は健康教育をたいへん広義に解釈するのが普通であるのに,この宣言の なかでは,狭義に解釈している(たとえば,事業として行われる健康教育 だけ)ように思われてならないのである.ちなみに,教育(education)とか 健康教育(health education)あるいは教育的(educational)という言葉が 大変少ない.もっとも,教育という言葉を使わないで,教育を表している と考えられないこともない. いずれにせよ,ここでは,健康教育を広義に考えて,プライマリ・ヘルス ケアにおける健康教育についてみてみることにする.

1. 第Ⅶ-3 項目について

第Ⅶ項目はプライマリ・ヘルスケアの内容についてかなり具体的に説 明しているが,その 3 つ目の項目に,“プライマリ・ヘルスケアは,地域に ある健康上の問題とその予防方法に関する教育を含む”といっている.こ れは,プライマリ・ヘルスケアの具体的な事業のトップにあげられている ので,健康教育が重視されていると解釈する人たちもいる. しかし,筆者としては,そのあとに栄養,基礎的環境衛生,家族計画を含 む母子保健,予防接種,地域的な流行病の予防,普通に起こりがちな病 気・外傷の適切な治療,日常的に必要な薬剤の整備があげられていて,こ れらの事業に伴って行われなければならない教育について触れられてい ないことは,不十分ではないかと考えている.いわゆる教育的側面のこと であり,これも当然必要である.

2. 第 I 項目に関連して

第 I 項目は,WHO の定義にうたわれている健康が,基本的人権の一つで あることを再確認しているが,これは健康教育の基本としても重要であ る.

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3. 第Ⅵ項目に関連して

これは,プライマリ・ヘルスケアの定義のようなものを表現してい るといわれているが,そのなかに“自助(self-reliance)と自己決定 (self-determination)の精神に則って”“コミュニティのなかの個々人と 家族の十全の参加によって”という語句がある.これも健康教育として, 大変重要な点と思われる.

4. 第Ⅶ-5 項目について

この項目は,次のようにいっている.“プライマリ・ヘルスケアは,地 方・国その他の利用可能な資源を十分に利用してコミュニティと個々人 が最大限の自助努力をし,かつ,プライマリ・ヘルスケアの企画,組織化, 実施,管理に参加することを要請し,促進するものである.そして,この目 的のために,適切な教育を通じて,コミュニティが参加することができる よう能力を開発するものである”. すなわち,プライマリ・ヘルスケアのための企画・実施等は,いわゆる 社会資源を活用しつつ行うものであるが,住民個人個人とコミュニティ 全体としての自助努力と参加(参画)が不可欠であることと,そのために 適切な教育が必要であることとをうたっているのである. 簡単にいえば,自助努力のためと参画のために教育が必要であると述 べていると解釈できるが,この場合健康教育として重要な点は,健康教育 がすべて済んでから自助努力や参画ができるようになると考えるのでは なく,自助努力や参画そのものが同時に健康教育であるとみることだと 思う(これについては「住民参加」の項で,後述する).

5. 第Ⅳ項目について

以上 3.ならびに 4.において説明したように,プライマリ・ヘルスケア の基本的な理念の一つとして,自助(自助努力)や参加もしくは参画とい うことが強調されているが,それが最も端的に表現されているのが,この 第Ⅳ項目であると思われる(もっとも,順序としては 3.や 4.の前にあるわ けである). そこには,次のように述べられている.すなわち“人々は,自らのヘルス ケアの企画と実施に,個人としてまた集団として,参加する権利と義務を 有する”というのである.ここでいうヘルスケアとは,前述のように保 健・医療の 5 段階すべてを意味し,セルフ・ケアを含むものである.した がって,これは注意してよく読んでみると,大変厳しいことが述べられて いることがわかる18). まず,自分のヘルスケアの企画と実施(あるいは実践)に,個人として参

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加する権利と義務があるということは,自分の健康増進・病気の予防・病 気の早期発見や早期治療・完全な治療・リハビリテーションについて,医 師その他の専門家のいいなりになるのではなく,それぞれの場合にどう するかに関し,しっかりした考えをもって参画し,責任をもって実行しな ければならないという意味である.これは,換言すればセルフ・ケアのこ とであり,日本語としてはよくいわれる“自分の健康は自分で守る(また は,つくる)”ことといえる.そのようにする権利と義務があるといってい るのであるから,専門家側としては個々人がそのようにすることができ るための援助-つまり健康教育-をしなければならないことになる.こ れは,簡単にいえば,対象者の自主性あるいは主体性を最大限に重んずる 健康教育である. 次に,自らのヘルスケアの企画と実施に,集団として参加する権利と義 務があるということは,たとえば,ある地域でどのようなヘルス・サービ スが行われるべきであるかについて,その企画に地域住民として参加し, 計画が決められてサービスが行われるなら,それに参加する権利と義務 があるという意味である.これは,仮に地域を市町村と考えれば,市町村 保健行政への住民参加のことになるし,地域を地区と考えれば,地区(衛 生)組織活動の意味になる.現に WHO も,“集団としての参加”は,コミュ ニティ参加あるいはコミュニティ・パーティシペーション(community participation)という言葉に言い換えて論じている. この“集団として参加”あるいは住民参加は,大きなテーマであるので 章を改めて(後述)取り扱うが,“個人としての参加(参画)”にせよ“集団 として”にせよ,人間の主体性,人間行動の自由に焦点を合わせた健康教 育が強調されるわけである19).

6. その他

以上のほか,宣言の第Ⅶ-4 項目では,プライマリ・ヘルスケアは,保健分 野のほか,地域開発にかかわるすべての分野,たとえば農業,畜産,食糧, 工業,教育,住宅,公共事業,通信などに関連があり,これら諸分野との協 調が必要であると述べているが,この点は健康教育としてもまったくそ のとおりである. また,第Ⅷ項目では,各国政府はその総合的な保健・医療システムの一 環として,プライマリ・ヘルスケアの実践に関する,国の政策や対策,行動 計画を確立しなければならないといっているが,これには当然健康教育 が含まれなければならないわけである.

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