コミュニティ再生と犯罪統制(2)
~犯罪不安感を中心に~
山 内 宏太朗 渡 邉 泰 洋
1.はじめに
2.犯罪不安感と体感治安
3.犯罪不安感のコミュニティに対する影響:理論的説明 4.犯罪不安感に関する実態調査
5.犯罪対策とコミュニティ再生 6.おわりに
1.はじめに
わが国の一般刑法犯認知件数は、1973年以降、基本的には漸次増加を続 け、特に1990年代後半には急増した。このような統計上の犯罪増加傾向は、
「失われた10年」といわれるバブル崩壊後の長期不況、1990年代前半のオ ウム真理教事件、1997年に発生した神戸児童連続殺傷事件、さらにはその 後連続して発生した少年重大事件とそれに関連する犯罪報道の増加に伴 い、犯罪不安感を増大させた。特に、犯罪問題に関していえば、上記の認 知件数の急上昇によって、「水と安全はタダ」と言われていたわが国の安 全神話は崩壊し
1、犯罪対策は政府の重要な政策課題の1つになった。
1 もっとも、河合幹雄『安全神話崩壊のパラドックス~治安の法社会学』岩波書店、
(2004年)では、2000年前後における統計上の犯罪激増の主な要因は、警察活動の方針 変更に伴うものとして、社会の実態では犯罪が激増したものではないと分析している。
しかしながら、この説によると近年の急激な減少を説明できないと考えられる。
もっとも、一般刑法犯認知件数の上昇は、2002年を境に反転した後、減 少を続け2015年には戦後最低レベルに到達した。このように、客観的数値 によれば、近年のわが国の治安状況は良好な状態にあるといえる。単純に 考えれば、犯罪認知件数の増加は犯罪不安感の増加につながり、反対に、
犯罪認知件数が減少すれば犯罪不安感も減少する。しかし、後述のように 種々の実態調査によると、犯罪不安感はそれほど減少していないか横ばい、
ある調査では増大しているとされ、いずれにしても、犯罪不安感の改善は みられない。たとえば、2012年に内閣府が実施した「治安に関する特別世 論調査」は、最近の治安に関する認識についての設問に対する回答として は「よくなったと思う」が15.8%、「悪くなったと思う」が81.1%となって おり、2006年調査よりも改善がみられるものの(前者が11.3%、後者が 84.3%)、依然として8割以上の者が治安が悪化していると回答している。
興味深いのは、治安が悪くなったと思う要因の項目である(図1)。最も 高いのは「地域社会の連帯意識が希薄となったから」であり、犯罪の増加 や警察力の低下などの項目が下位に位置している。すなわち、この回答か らは、人々は、治安に対して、犯罪の増加や公的統制の低下よりも、私的 統制、特に地域の犯罪統制力を重視しているように思われる。
そこで、本稿は、犯罪「不安感」概念を整理したうえで、犯罪不安感が
コミュニティに与える影響に関する犯罪学の理論的根拠や研究知見を概観
し、筆者が関わった実証的調査の結果にも依拠しながら、最終的には犯罪
不安感解消に向けた具体的な対策を考察する。 (本項文責山内)
図1 治安が悪くなったと思う原因
出典:内閣府「「治安に関する特別世論調査」の概要」(2012年)3頁
2.犯罪不安感と体感治安
犯罪不安感とは、マクローリン(Eugene McLaughlin)によると「ある 者が犯罪の被害に遭う危機に直面していると考えることで生じる懸念
(alarm)や心配(anxiety)の合理的・非合理的状態」をいう
2。この犯罪不 2 Eugene McLaughlin (2012)Fear of Crime in Eugene McLaughlin and John Muncie,
The SAGE Dictionary of Criminology 3rd edition, Sage, pp.175-177.
地 域 社 会 の 連 帯 意 識 が 希 薄 と なったから
景 気 が 悪 く な っ た か ら
様々な情報が 氾濫 し, それ が容 易に手に入る よう にな った から
青 少 年 の 教 育 が 不 十 分 だ か ら
国民の規範意 識が 低下 した から
犯 罪 に 対 す る 刑 罰 が 軽 い か ら
来日外国人に よる 犯罪 が増 えた から
交番での警戒 やパ トロ ール をす る制服警察官が少ないから
警 察 の 取 締 り が 不 十 分 だ か ら
暴力団や窃盗 団な どの 犯罪 組織 が増えたから
そ の 他
わ か ら な い
ここ10年間で日本の治安は「どちらかといえば悪くなったと思う」、
「悪くなったと思う」と答えた者に、複数回答
54.9
47.4
44.7
43.8
42.8
29.1
28.2
17.6
17.3
13.5
2.1
0.7
49.0
29.7
43.8
48.1
37.2
39.3
55.1
20.9
18.1
19.3
1.3
0.8
0 10 20 30 40 50 60 (%)
今 回 調 査 (N=1,587人,M.T.=342.2%) 平成18年12月調査(N=1,513人,M.T.=362.5%)
安感は、犯罪学の領域では比較的歴史の浅い概念である。ニューバーン(Tim Newburn)によれば、アメリカでは1960年代、イギリスでは1970年代から ʻfear of crimeʼという用語が政治家や批評家、犯罪学者などの間で頻繁に 使用されるようになってきたという
3。この時期、米英では犯罪が激増し、公 式の犯罪統計が社会的実態を反映していないという、これに対する疑義から、
社会的実態の解明のために犯罪被害調査(いわゆる「暗数調査」)を実施す るようになった
4。そして、これらの犯罪被害調査では具体的な被害経験に加 えて犯罪不安感も質問されたのである。
例えば、1982年のイギリス初の犯罪被害調査(British Crime Survey,
ʻBCSʼ)は、犯罪不安感に関する項目として「日没後この地域で一人歩き するのに、あなたはどれくらい安全だと感じますか(How safe do you feel walking alone in this area after dark?)」という設問を立て、この回 答として‘very safe’, ‘fairly safe’, ‘a bit unsafe’, ‘very unsafe’の4つの選択 肢を設定した
5。もっとも、最初の調査ということもあって不備が多く、こ の質問方法には、第1に、この質問は犯罪について厳密に尋ねていないこ と、第2に、時間たとえば「日没後」とは何時なのか、あるいは場所「こ の地域」とはどこか、などについて特定していないこと、第3に、それら の感情は、特定罪種の被害化に対する現実的リスクとほとんど、あるいは 全く関係がないかもしれないこと、第4に、回答は以前の経験や他の不安 を反映するかもしれないこと、第5に、回答は実際には「不安(fear)」
に関するものではないおそれがあること、などの批判が加えられている
6。 このように、米英では、1960、70年代から犯罪不安感に焦点が当てられ
3 Tim Newburn(2012)Criminology 2nd ed., Routledge, p.365.
4 1972年に全米犯罪調査(National Crime Survey)、1982年にイギリス犯罪調査(British Crime Survey)が開始された。
5 Douglas Wood(1984) British Crime Survey 1982: Technical Report, p.45.
6 T. Newburn, op.cit., p.366.
てきたが、わが国の場合、先進諸国と比較して犯罪認知件数が著しく少な く、日常的な犯罪の話はどちらかというと海外の議論というイメージが強 かったように思われる。ところが、1970年代後半からの一般刑法犯認知件 数の増加と1980年代末の検挙率の低下、これら客観的指標の変化に加え て
7、名古屋アベック殺人事件(1988年)、女子高生コンクリート詰め殺人 事件(1988年)、東京・埼玉幼女連続誘拐殺人事件(1989年)、オウム真理 教事件(1980年代末から1995年)など1980年代末から1990年代にかけて重 大事件が連続し、マスコミの大々的な報道とも相まって、国民の犯罪不安 感が急激に増大したと考えられる。この要因は、たんに犯罪問題に限らず、
バブル崩壊による経済的大混乱や世紀末における漠然とした終末感も心理 的に影響したと考えられ、先の見えない社会に対して人々は犯罪問題にも 不安感を抱くようになったとみることができる。このように、犯罪不安感 は世相にも大きな影響を受けるように思われる。
いずれにせよ、わが国で犯罪不安感が強く意識されるようになるのは、
米英よりもかなり遅れて、1990年代に入ってからである
8。このような事態 に対して、刑事司法機関の中で最も責任ある機関は警察であり、事実最も 深刻に考えたのは警察であると思われる。なぜなら、警察法第2条による と「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧 及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当 ることをもつてその責務とする」と規定されるように、「公共の安全と秩 序の維持」は警察の責務としており、犯罪の削減に加えて犯罪不安感を緩 和し安全で安心な社会の構築を果たすのは警察をおいて他にはないからで ある。しかしながら警察は次第に方針を変更し、犯罪激増状況から、「犯 罪問題は警察だけでは解決できない」とする声明を発表している。
7 刑法犯認知件数や検挙率の低下は実態を正確に反映したものではないとする指摘があ る点に注意を要する(河合・前掲書)。
8 CiNiiの検索結果によれば、1990年代初頭から犯罪不安感をタイトルに含む論文が散
見され、1990年代末から2000年代中葉にかけて論文数が増加する。
もっとも、その警察で使用される用語には、犯罪不安感とは別に、「体 感治安」という用語があり、近年マスコミでも定着した感がある。この体 感治安という表現は、英米にはみられない用語である
9。この体感治安は、
その語感から意味を推察できる部分もあるが、逆に不明瞭な部分もあり、
また、犯罪不安感と共に扱われることがしばしばあることから、その意味 は混同されがちである。そこで、本論では「体感治安」の定義を明確にし ておきたい
10。広辞苑によると、「体感」とは「①体に受ける感じ。②自分 の体の存在に対するやや漠然とした感覚。内部感覚の総合によって形成さ れ、身体的自我の基礎をなす。」、「治安」とは「①国家が安らかに収まる こと。人々が安心・安全に暮らせるように社会の秩序が保たれていること」
を意味する。「体感」の項目の中に「体感温度」がある。体感温度は、「温 度・湿度・風速・日射などによって、人体が感じる暑さ・寒さの度合いを 数量的に表したもの」
11と定義されるところから、 「体感治安」とは「報道・
伝聞・実体験などによって、社会の安寧秩序が保たれているか否かに関す る感覚」と一応の定義を与えることができる。もっと言えば、体感治安は 明らかに犯罪統計が示す治安レベルとは異なることを示す言葉といえよ う。つまり、上述のように体感温度とは単に外気の自然の温度だけで測定 されるものではなく、その他の要素を含めて自分の肉体が感じる総合的な 感覚が基準になっているからである。そこで、体感治安もこれに倣い、地 域の諸要素を総合的に加味した感覚として捉えることが可能である。要す るに、犯罪不安感の場合、自分ないし自分の家族が犯罪の被害に遭うこと
9 筆者の調査では、体感治安の語源となる用語を用いていた国がアジア諸国の中にあ り、それをわが国で体感治安として表現したという指摘もあるが、文献では確認が取れ なかった。
10 「犯罪不安感」と「体感治安」の用語の定義は、筆者が関わった共同研究でも議論され た(守山正、瀬渡章子、小島隆矢、中迫由実、渡邉泰洋『公的犯罪統計と体感治安の乖 離に関する日英比較研究』日工組社会安全財団2013年度研究助成最終報告書(2014年))。
11 新村出(編)『広辞苑』岩波書店(2008年)1674, 1784頁。
についての特定個人の感覚であるのに対して、体感治安は、「日本の治安 は良い」とか「この地域の治安は良い」など一定の地理的範囲における秩 序が維持されているか否かについての集合的、総合的な感覚であるといえ
よう
12。 (本項文責渡邉)
3.犯罪不安感のコミュニティに対する影響:理論的説明
上述のように、犯罪不安感は地域特性などを含むコミュニティ問題と深 く関連していると考えられる。現に、犯罪学上、コミュニティの紐帯が衰 退した地域では、犯罪不安感が強いことはよく知られる。なぜならば、住 民の絆が弱いところでは犯罪や非行に対する社会統制が機能しておらず、
その結果、住民は日常的に犯罪被害を恐れる生活を送らねばならないから である。しかも、そのような状況は悪循環であって、つまり、コミュニティ が崩壊した地域の住民は犯罪を恐れて外出を避けることから人々との接触 が減少し、それがさらに住民間の地域への無関心を醸成し、犯罪不安感に 拍車をかけるという悪循環である。このように、犯罪不安感とコミュニティ の状況は相互依存の関係にある。要するに、良好なコミュニティを維持す るには、日常的な住民間の接触やコミュニケーションが必要であって、こ れを欠くと地域の社会統制力を失い、コミュニティは衰退すると考えられ る。これがまさしく該当するのは、とくにアメリカやイギリスなどにみら れるスラム街であり、このような地域の住民は他の住民あるいはコミュニ ティ自体に基本的に関心がなく、犯罪に対する統制力は当然ながら弱い。
わが国では地域別の不安感調査は少なく、また明瞭なスラム街と呼べる地
12 体感治安に関する別の見解として、 「「実際に肌で感じる治安」つまり「体験上の治安」
ということでは、居住地域の治安はそれなりに妥当とは思われるが、日本の治安に関
しては、おそらくはマスコミを通して形成された治安意識であり、非体験性の治安と
思われるので「体感治安」という表現は馴染まない」などがある(社会安全研究財団『犯
罪に対する不安感等に関する調査研究:第4回調査報告書』(2011年)45頁)。
域は少ないものの、前述のように、内閣府の調査でも回答者が治安悪化と 感じる原因として、地域社会の連帯意識の希薄化が指摘されていることは、
この事情を説明するものと思われるが、海外に比べるとその衰退レベルに は大きな違いがある。
このような犯罪や犯罪不安感とコミュニティの関係を実証的に調査し、理 論的研究を行ったのが、次のようなアメリカやイギリスの研究者であった。
(1)社会解体理論
犯罪がコミュニティに及ぼす影響を論じた初期の犯罪学者は、シカゴ学 派のショウとマッケイ(Clifford R. Shaw and Henry D. McKay)であ る
13。20世紀初頭、アメリカのイリノイ州シカゴ市は、移民の大量流入、
大恐慌による失業者の増加、禁酒法によるマフィアの台頭と警察機構の腐 敗などの要因から犯罪が激増し、治安が悪化した。そのような社会的背景 のもと、シカゴ大学の社会学部に所属する研究者らを中心に「場所と犯罪」
に関する研究が盛んに行われるようになった。なかでもショウとマッケイ は、警察や裁判所の協力を得て入手した非行少年の住所を地図上にプロッ トすることで非行少年が集中的に居住するコミュニティの特性を明らかに した。そして、同大学の社会生態学者バージェス(Ernest W. Burgess)
が提唱した同心円地帯モデル(concentric zone model)を援用して、なぜ 特定のコミュニティに非行少年が集中するのかの説明を試みたのである。
同心円地帯モデルとは、都市の地理的発達を説明するためのモデルであ る(図2)。バージェスは、都市を同心円上にゾーン1からゾーン5まで の5つの領域に分けた
14。ゾーン1は都市の中心に位置する地域で、都心
13 Clifford R. Shaw and Henry D. McKay (1972) Juvenile Delinquency and Urban Areas, Chicago: University of Chicago Press, pp.170‒189. G.B.ヴォルド、T.J. バーナー ド(編著)、平野龍一、岩井弘融(監訳)『犯罪学:理論的考察(第3版)』東京大学出 版会(1990年)。
14 Ernest W. Burgess (1925) The Growth of the City in Robert E. Park, Ernest W.
Burgess and Roderick D. McKenzie, The City, Chicago: The University of Chicago
Press, pp.47-62.
商業地区(central business district)である。ゾーン2は繁華街地域(down town area)であり、商工業者からの浸食を受ける漸移地帯(transition)
である。ゾーン3は居住環境が悪化したゾーン2から移住してきた労働者 の居住地域、ゾーン4は中流階級の居住地域である。ゾーン5は、通勤者 ゾーン(commuters’ zone)と呼ばれ、上流階級が居住し都心に通勤する 郊外や衛星都市がこれに該当する。このモデルは、都市の発達と共に、こ れらの同心円がその辺縁を拡大させていくと仮定する。そこで、ゾーン1 がその辺縁を拡大させるとき、ゾーン2の領域を浸食することになる。つ まり、ゾーン1と2の境界線付近は、都市の発達における初期段階に建物 が建築されていることから、長い年月を経て老朽化が進み家賃も低く、低 所得者層や移民が居住する地域となった。この地域が上記の漸移地帯であ り、都市の拡大とともに、老朽化した建物の建て替えの際には、住宅とし てではなく商業用の建築物に置き換わりつつある地域である。
図2 バージェスの同心円地帯モデル
出典:Earnest W. Burgess, The Growth of the City, 1925.
ショウとマッケイは、ゾーン1ないしゾーン2に多くの非行少年が居住 することを発見した。そして、この地域の人口統計学的な特徴を調査し、
ループⅠ
Ⅱ
Ⅲ
Ⅳ
Ⅴ 繁華街地帯
遷 移 地 帯 労働者居住地帯
住宅地帯 通勤者地帯