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東ヨーロッパ家族法の諸相

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東ヨーロッパ家族法の諸相

著者 大橋 憲広

雑誌名 東京家政大学研究紀要 1 人文社会科学

巻 44

ページ 15‑22

発行年 2004

出版者 東京家政大学

URL http://id.nii.ac.jp/1653/00009131/

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東ヨーロッパ家族法の諸相

   大橋 憲広

(平成15年10月2日受理)

Familienrecht in Osteuropa

OHAsHI, Norihiro

(Am 2. Oktober 2003)

キーワード:家族法,東ヨーロッパ,婚姻,親子関係

Schlagworte:Familienrecht, Osteuropa, Ehe, Kindschaft

はじめに

 小論は,東ヨーロッパにおける家族法の歴史・現在と その特質を括出し比較法的に探るものである.10年程 前の社会主義の劇的崩壊とその前後においては,この地 域は遠い日本においても報道をはじめとしてジャーナリ スティックな関心も高まったが,最近の日本においては,

積極的関心の対象ではない.しかし,民主化後の一時の 混乱を経て,経済の復活も軌道に乗り始め,以前におい てはおよそ予想もできなかったこれらの国々のEU加盟

も現実のものとなっているこの時期に,東ヨーロッパの 国々の家族法に焦点を当てることは,日本の家族法を考 える際にもあながち意味のないこととはいえないであろ

う.

 ここで東ヨーロッパとは,ハンガリー,ポーランド,

ブルガリア,アルバニア,ルーマニア,チェコ,スロヴァ キア,そして旧ユーゴスラビアを構成したセルビアとモ ンテネグロ(ツルナ・ゴーラ),クロアチア,ボスニア=

ヘルツェゴビナ,マケドニア,スロヴェニアを指す.地 理的にいえば,バルト三国なども入れることが可能かも しれないが,これらは除かれる.さらにドイツ連邦共和 国に吸収され,消滅したかってのドイッ民主共和国も除 かれる.

 東ヨーロッパの国々の地理的,民族的,宗教的状況を 少しく見てみよう.これらの地域の中央部は,モラビア 高地とカルパチア山脈に囲まれたドナウ盆地を中心とし

たハプスブルク帝国の中心地域である.民族的にも西ス

教養部 法学研究室

ラブ人に属するチェコ人,スロヴァキア人,ウラル系に 属するといわれるハンガリー人,南スラブ人に属するス ロヴェニア人が居住民族である.宗教的にはこの地域は 宗教改革によってプロテスタントが多くなったが,後に は反宗教改革の影響によりカトリックが優勢になってい る.北部は旧東ドイッを除くとポーランドであり,「地 の海」と称するのがふさわしい平原が広がる.カトリッ クが社会主義時代においても影響力をもった.南部はド ナウ河からバルカン半島を望む地域である.旧ユーゴス ラビア構成諸国は,その名のとおり南スラブ人の国家で ある.旧ユーゴスラビア,アルバニアにはイスラム教徒 が多い.ルーマニアは,Romaniaでありローマ人の国

を意味し,東ヨーロッパにおいて唯一一一一一ラテン系民族の国 家で言語的にもイタリア語に近い.インド系といわれる ロマ・シンティ(ジプシー)もこの地域を本拠とする.

さらにルーマニアには,プラショフ(ドイツ名;クロー ンシュタット)のようにドイッ人が建設した都市もある.

当地のドイッ人は東西統一後ドイッに帰国するものも多 い.このように東ヨーロッパは地理的,民族的,宗教的に 多様性と複雑さをもち,これが法文化にも影響を与えて

いる。

 地理的,民族的,宗教的要素に加えて,第二次世界大戦 後の社会主義が,国家と家族関係法を大きく変貌させた。

この地域では,戦前すでにドイツ,フランス,ロシアな ど周辺大国の影響を受けた家族法が存在していたが,ソ ヴェトによる「解放」で人民民主主義体制が創設され,

社会主義イデオロギーによる家族法が制定された.ハン

ガリーを例に取れば,19世紀までは,家族関係はカノン

法によっていたが1894年には西欧を志向した近代的な

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大橋 憲広

家族法が成立し,離婚が法認されている.さらに第2次 大戦後には,社会主義イデオロギーによる家族法が制定 された.ここでは「家族は国家の礎石である」という位 置づけが与えられることになる。本家族法は,1970年代 にいくっかの改正を経て婚姻の際の熟慮期間や,女性の 婚姻年齢に改正が加えられている.第二次大戦後の立法 過程できわめて異例のことが行われたのは,ポーランド

とチェコスロヴァキアの立法協力である.両国は「司法 協力条約」を締結し共同で家族法草案を起草した.草案 は,それぞれ修正されてチェコスロヴァキアの1949年 家族法および1950年のポーランド家族法となった.家 族法における立法協力は,きわめて異例であるが,これ

も社会主義インターナショナリズムに基づく.その後こ のような立法協力による法律制定は行われていない.

 1980年代末から1990年代初めにかけての東ヨーロッ パ民主化の過程では,多くの国では当初これに対応する 本格的憲法は制定されず,暫定的性格の強い憲法的法律 が制定されている.憲法的法律の「市民の基本的権利義 務」に関する条項には,家族に関連する規定が見られる.

これらは,1.民事婚 2.婚姻と家族の国家による保護 3.子の養育に対する親と国家の保護 4.婚内子と婚外 子の平等の地位 5.子の出生の前後における親(母)に 対する特別の保護と援助などが規定されている.諸規定 は社会主義時代の原則を引き継ぐものである.

 東ヨーロッパ諸国の法体系は,大陸法系に属しパンデ クテン方式をとるが,家族関係法,すなわち家族法,婚 姻法,親子法は,民法典の一部を構成するのではなく,

単行法として民法とは別個の法律である.このような纂 別方法には,家族法を財産法とは異なった原理に基づく 法領域と捉える観念が強く働いている.わが国において も,財産法を合理的打算的な選択的意思に基礎をおく法 とするのに対し,家族法は非合理的,性情的意思に基づ くという解釈論的立場がある.この点にっいては,民主 化後のチェコにおいて,家族法は民法典中の一部として 再構成されるべきではないかという議論が起こっている 点は興味深い.

1.婚姻

 ・民事婚と宗教婚

 東ヨーロッパにおいては,宗教と婚姻の関係は無視し 得ない.人口の約75パーセントがイスラム教徒であっ たアルバニアでは1928年に王政国家が成立し,自由主

義憲法が制定された.地理的に対岸にあるイタリア及び フランスの法律を模範とする民法典がっくられ,義務的 民事婚の導入,一夫多妻制度の禁止などイスラム婚姻法 の否定が行われたが,旧来の慣習を尊重する勢力の存在 のより,その実現は困難であった.すなわち,イスラム 法聖職者の学説に基づくシャリア法による婚姻と家族関 係の規律が依然として行われていた.シャリア法では,

婚姻は社会を代表するものとしてのイスラム法聖職者が 行い,夫から妻へと婚資が送られ,一夫多妻も許される.

 アルバニアにおいては,1952年刑法で民事婚の実質 化をはかるために売買婚や略奪婚の禁止規定を置かざる を得なかった.1960年代まではシャリア法による一夫 多妻は行われていたといわれる.ここで示された民事婚 と宗教婚の関係は法社会学的に言えば,「国家法」と

「生ける法」との関係として捉えられる.すなわち,国 家法が外部から輸入され,近代化されても人々の日常生 活を規律する団体的秩序である「生ける法」は,そのま ま存続するのである.この問題はすでに川島武宜が『日 本人の法意識』のなかで近代化論の文脈で明らかにした ところである.離婚は,イスラム法では禁止されている わけではないが「好ましくないこと」とされ,夫からの 妻への離婚の宣言として行われる.宣言は2度目までは 修復可能であるが,3度目は許されないとされる.これ は夫から妻への宣言が原則であって,妻から夫への宣言 も可能である.興味深いのは離婚の際には,夫側と妻側 の親族が調停を試みることである.日本民法が,調停前・

置主義をとり,協議離婚を別にして裁判離婚の前に家庭 裁判所の手続として調停と審判を置いていることと類似 的である.

 これに対して「生ける法」たる宗教婚と「国家法」で

ある民事婚の関係のもう一つのあり方を示しているポー

ランドの例を取り上げよう.第1次大戦前のポーランド

では,ロシアの占領分割地域では,婚姻は宗教的儀式で

行われ宗教代表者が実質的に民事登録機関の役割を担っ

ていた.ポーランド中央地域では,民事登録の前に宗教

的儀式が行われ,また,キリスト教徒と非キリスト教徒

との間の婚姻は禁止されていた.婚姻関係裁判もキリス

ト教徒はカノン法による裁判,非キリスト教徒は通常の

裁判権に服していた.南部地域では公認キリスト教徒間

の婚姻は宗教婚であり,これ以外の宗教信者と無宗教者

の間の婚姻は,民事婚であった.このように宗教婚と民

事婚が混在していた.1929年の家族法では,原則は民

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事婚であるが,宗教婚をも認める選択的民事婚であった.

社会主義時代を経て,民主化後のポーランドでは,1993 年のバチカンとの間のコンコルダートによって一定の 要件を満たせば民事婚前の宗教婚を認めることとなった.

すなわち,婚姻しようとするものは,婚姻がポーランド 法によること,および婚姻の意思を信教団体の聖職者に 表示し,民事登録機関の長がこれを認証することによっ ても婚姻を行えるとしたのである.ポーランドの例は,

国家法が宗教による婚姻をその内部化しようとするもの と捉えることができる.つまり,宗教的儀式のみでは法 的効果のある婚姻は成立しないのである.実質的に同様 の内容をもっ規定はブルガリア法でも見ることができる.

なお,宗教婚といってもあらゆる宗教団体に対してこれ が認められているわけではない.国家公認宗教のみであ る.アルバニアにおいても1948年法では民事婚の後の 宗教的儀式婚を認めている.以上は「国家法」が宗教婚 をみずからの内に包摂する関係といえる.

 なお,婚姻と同様の非婚姻の生活共同体的パートナー 関係(事実婚)および一方が予約完結権を有しない一種 の予約としての「婚約」に対する法規定は見当たらない.

当然に,正当な事由のない婚約不履行に対しては損害賠 償請求ができると解せられる.

 ・婚姻の要件と効果

 婚姻の要件として「性を異にするもの」を挙げるのは,

セルビアとモンテネグロ,クロアチア,ボスニア=ヘル ッェゴビナなどである.これら以外の国では,日本法と 同様に婚姻は性を異にするものの間で行われることが,

当然のことと予定されている.同性婚や多様化した家族 のあり方への対応は,例えば,アメリカ合衆国バーモン

ト州や一部の西ヨーロッパ諸国では,年金や税金を異性 間の夫婦と同じに扱う法律が施行されていることなどを 見ると事実としての婚姻関係は異性間によるとは必ずし

も当然のこととはいえなくなってきている.婚姻年齢は,

男女ともに成人年齢の18歳であるが,アルバニアでは,

女性16歳,男性18歳である.なお,18歳を婚姻年齢と する国であっても正当な事由のある場合には,それ未満

(通常は16歳以上)でも裁判所の許可で婚姻することが 可能である。かかる場合にあっては両親もしくは後見人 の公正証書による同意が必要となる.実務では女性が妊 娠している場合に許可が行われるという.

 婚姻の手続として注目されるのは,婚姻の前に予約準

備手続があることである.例えば,ブルガリアにおいて は,婚姻の30日前に予約的届出を行わなければならな い.離婚率の高いハンガリーにおいては,婚姻に関して 両当事者に婚姻前の「助言」が行われる.これらの措置 は,安易な離婚を防止させることを目的としている,婚 姻の具体的手続としては,身分証明書,出生証明書,必 要な場合には婚姻の無効または解消の証明書,婚姻障害 のないことを示す証明書を民事登録官に提示し,登録官 は婚姻の意味と婚姻姓(家族名)と子の名にっいて述べ,

婚姻の意思を確認する.宗教婚の場合には,聖職者は,

宗教法によって婚姻が行われたことを示し,聖職者,当 事者,証人の署名した証明書を民事登録官に送達する.

 婚姻姓(家族名)で一般的であるのは,次の3っの選 択肢である.1.婚姻前のどちらかの姓を称する 2.両 者の姓を付加して使う複合姓(二重姓)3.別姓.複合 姓であっても3っ以上の部分から構成されるものは,例 えばポーランドでは行うことはできない.アルバニアの 1928年法では夫の姓が婚姻姓となるとされたが,1948年 法では複合姓が可能となり,1965年法では,夫または 妻の姓が婚姻姓となることが可能となり,現行法では別 姓も選択できる.子の姓は両親が,共通の姓を称してい

るときにはこれを称し,共通でないときには合意で定め,

合意のないときには父の姓を称することになっている.

妻の姓の選択肢は広がってきているが十分とはいえない.

婚姻における夫と妻の同権という原則からすれば両親が 合意しない場合の子の姓にっき母の姓を称することも考 慮されるべきであろう.

 民族的起源はアジア系ともいわれるハンガリー人の姓 名は,日本と同じく「姓一名」の順で表記する.ハンガ リーにおいては,妻の姓名には次4っの選択肢がある.

男;甲(姓)乙(名)と女;丙(姓)丁(名)が婚姻する と,1.甲乙neとなる.意味としては,甲乙夫人であ る.2.甲=丙丁であり,複合姓である.3.甲丁,4.

丙丁(別姓).1.のような形の姓名の形を認めるのは他 の東ヨーロッパにはないものである。

 姓名には次のような機能がある.1.血統に基づく所 有権的性格,2.国家が個人を識別する機能,3.家族 の秩序維持の機能,4.個人の人格権的機能.東ヨーロッ パにおける多様な婚姻姓(名)のあり方を見るとき,や

はり日本における「夫婦同氏原則」は1,と3.に偏って

おり硬直的に過ぎる.日本では,明治期まで姓を持っも

のは数パーセントであり,しかも夫婦別姓であった.徴

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大橋 憲広

兵令の必要からすべての国民が姓を持っことになったと いわれる.選択別姓を提案する1996年の法制審議会の 婚姻法改正要綱すら未だに実現に到っていないのは,多 様化した家族の実態とは齪酷を見せている.

 夫婦の財産関係は,法定財産制では,特有財産(ハン ガリー・ポーランド),個人財産(ブルガリアなど)と共 同財産である.特有財産(個人財産)とは,1。婚姻前 に夫または妻が所有していた財産,2.婚姻中に相続ま たは遺贈によって得た財産,3.夫または妻が通常の個 人的に使用するもの,3.個人の職業的使用に供するも の,4,個人にかかる請求権,知的財産権である.共同 財産は,婚姻中に夫婦の共同の貢献によって得た財産で ある。夫婦財産契約による法定財産制の排除も可能であ るが,この場合でもすべての財産を共同財産としないと いう内容の契約は行えず(ハンガリー),また,1,一身 専属的権利,2,個人的権利侵害の補償,3,労働対価,

にっき法定財産制と異なる内容を契約することはできな い(ポーランド).制度はあるもののわが国ではほとん ど行われず,フランスにおいても20パーセント程度とい われる夫婦財産契約が東ヨーロッパにおいてどの程度利 用されているのかは,資料からは不明である.

 夫婦財産関係は,死亡,離婚,婚姻の無効確認など婚姻 の解消によって当然に終了するが,ハンガリー法とポー ランド法では取り扱いが異なる.すなわちハンガリーで は,「婚姻共同体が一時的に行われなくなったときにお いても夫婦財産関係は終了しない」とされている.具体 的には,別居中でも夫婦財産関係は継続する.他方,ポー ランドにおいては,一方配偶者の請求で「重大な事由」

により婚姻共同体が継続している間でも,裁判所は夫婦 財産関係を終了させることができるとしている.夫婦財 産関係の両国での異なる取り扱いは,離婚に対する姿勢 の相違に基づくように思われる.ハンガリーにおいては,

早婚の傾向があり1960年代から女性の約40パーセント が20歳前半で婚姻し,25歳までには約80パーセントが 婚姻し,しかも離婚は早婚のものに多いという傾向があっ た,これに対しては,前述した婚姻の前の「助言」によっ て対応してきたが,安易な離婚を防止するために別居を 直ちに離婚に至らないように,別居と夫婦財産関係の解 消を結びっけないという方策としてこのような規定となっ たと考えられる.ポーランドでは,カトリックが離婚に 対して抑制的に働いており,あえてハンガリーにおける

ような規定を置く必要はなかった.

 一般に夫婦の財産関係をどのように捉えるべきかにっ いては,それぞれの個人としての性格を重視する個人主 義的家族観と夫婦を一種の団体(組合)と捉える団体論 的家族観が対立する.社会主義イデオロギーにおいて,

労働して自らの所得で自立することが妻(女性)のあり 方であるとすれば,東ヨーロッパ家族法における財産規 定は個人主義的家族観に親和性がある。日本民法では,

第762条1項が「夫婦の一方が婚姻前から有する財産及 び婚姻中自己の名で得た財産は,その特有財産とする」

と述べるにとどまるのに対し,東ヨーロッパ法では,前 述のように特有財産にっき具体的例示を挙げ,その範囲 を明示しているのはこれを示している.民主化後,経済 的自由化,資本主義が進行するときこの規定はどうなる であろうか.ちなみに,ハンガリーにおいては,1980 年代より私的セクターの増加により家族内の財産関係は 私的契約により規制されるほうが望ましいという考え方 が広まっているという.

・離婚

 東ヨーロッパにおける離婚法は,有責主義ではなく破 綻主義を採ることが共通である.すなわち婚姻が破綻し ているときに離婚が認められる.文言では,「婚姻の完 全かっ継続的破綻」(ポーランド),「重大かつ回復不可 能な婚姻の破綻」(ブルガリア),「重大かっ継続的に婚 姻が破綻し,婚姻の目的を実現し得なくなったとき」

(セルビァとモンテネグロ),「重大かっ深刻に破綻して いるとき」(ボスニア=ヘルツェゴビナ),などである.

具体的な破綻の例示としては,アルバニア法では,1.

継続的な争い(不仲),2.虐待,3.重大な侮辱,4.誠 実義務違反(不貞行為),5.回復の見込みのない精神疾 患,6.国家に対する反逆罪など刑法上の重大な犯罪に

より有罪の判決を受けること,7.その他の事由,となっ ている.「その他の事由」で,具体的には悪意の遺棄,

親としての義務違反,性格の不一致が実務上認められて いる.一方,ポーランド法では離婚原因は具体的には規 定されていない.学説では「愛情,信頼関係及び婚姻共 同体を形成する感情の欠如」などとされるが,判例では,

暴行,不貞行為などとしている.そのなかで,「配偶者

間のイデオロギーの相違」が離婚原因となっているのは

興味深いところである.もっとも破綻主義をとる東ヨー

ロッパ家族法においても一定の歯止めをおいている.す

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なわち,1。未成年の子の福祉に反するとき(ポーラン ド),2.妻が妊娠しているか子が1歳未満のとき(セル ビアとモンテネグロ)3.子が12歳未満のときで,妻の 同意がないとき(ブルガリア),には夫から離婚の訴を 提起することができない.東ヨーロッパにおいては,離 婚請求者の有責性よりも,子の利益を考慮した離婚制限 が行われている.なお,ポーランドとブルガリアでは,

有責配偶者からの離婚請求は相手方が同意しない限り認 められない(消極的破綻主義).

 ちなみに日本民法第770条1項では,一般的破綻主義 をとっていると解されるが,裁判所は長らく有責配偶者 からの離婚請求を認めてこなかった(いわゆる「踏んだ り蹴ったり判決」).すなわち,妻以外の女性と生活して いる夫からの「追い出し離婚」が多く,離婚後の妻あ生 活のための財産分与や慰謝料支払いが十分に行われない ことを配慮している.1987年9月2日,最高裁は判例変 更を行い,有責配偶者からの離婚請求であっても認めら れる場合があると判示した(最大判昭和62年9月2日).

本件は,1.別居が相当の期間(36年)にわたっていた こと,2.未成熟児がいないこと,3,離婚によって過酷 な状況におかれるなど著しく社会正義に反することがな いことが理由として挙げられた.積極的破綻主義への道 を開いたといわれる判決である.

離婚手続には裁判所が関与する.わが国における協議 離婚のような制度は東ヨーロッパにはない.大別すると 2種類の手続が存在する.1っは,離婚後の財産分与,子 の養育,面接交渉にっいて当事者で合意して裁判所がこ れを許可するものである.他は,当事者が裁判所に対し て訴を提起して行うものである.前者の型としては,チェ コの「協議離婚(届出のみで行われるわが国における協 議離婚とは同義ではない)」がある.ここでは,1.婚姻 が1年以上継続していること,2.別居が6ヶ月以上継 続すること,が要件となる,ブルガリアでも同様の制度 があるが実際にはあまり利用されていないという.後者 の裁判による離婚においては,裁判所は,証拠に基づい て重大で,深刻あるいは回復可能な婚姻の破綻を確認し なければならない.要件が満たされると離婚判決が出さ れる.実務では有責配偶者からの離婚請求に対して消極 的であったり,過酷条項を取り入れる場合もある.

∬.親子  ・実子

 実親子関係は,出生の事実に基づき,婚姻中に生まれ た子,婚姻の終了後300日以内に生まれた子は母の夫が 父であると推定され,また,再婚した母にっいても300 日以内に生まれた子は前婚の夫が父と推定される(チェ コ).認知の訴は,出生後6ヶ月以内(ポーランド,チェ コ)であり,認知能力は16歳以上(ポーランド,チェ コ),18歳以上(1965年以前のアルバニア)などとなっ ている.ボスニア=ヘルツェゴビナ,ポーランドでは,

認知は胎児に対しても行うことができ,子が生存して生 まれた場合に効果は遡及する.これには母の同意が必要 である.子が死亡している場合の認知は,子が卑属を残

している場合に可能である.

 日本法に見られない規定として,「医療技術によって 生まれた子」に関する規定(83条一84条)が,クロア チア法に見られる.医療技術とは,人工生殖を意味して いるが,AID,AHDなど特定はされていない.すな わち.医療技術によって生まれた子の母子関および父子 関係は裁判では,取り消しまたは確認できないとされる.

ただし,他の男性の精子を使用することにっき文書によ る同意のないときには,取り消し可能である.

 科学技術を家族(親子)に応用するときには,慎重で あらなければならない.クロアチア法では科学的生殖医 療に全幅の信頼を置き,これを法律の事実とするもので あるが,このことが必ずしも納得のゆく結果を生むとは 限らない.わが国において知られているのは,次のよう な例である.すなわち,DNA鑑定でほぼ100パーセン

ト父子関係が存在しないと確認されたにもかかわらず,

法(裁判所)が父子関係の存在を求めた例である(大分

地判平成9年11月12日).本件でに,婚姻前に婚姻した

夫とは別の男性の子を出生し,子を一度その女性の両親

の子として届出を出し,夫と婚姻し,女性の両親とその

子の親子関係不存在を確認した後に,夫の子として嫡出

子として出生届を出したものである.その後,夫婦は不

貞により不仲となり,協議離婚した.夫は妻とその不貞

の相手方に対して損害賠償の訴訟を行ったが,このなか

で妻は,子は夫の子ではないとの主張を行った.そこで

夫は子に対して親子関係不存在の確認に訴訟を提起して

その過程でDNA鑑定が行われたというものである.結

果は,親子関係が不存在であった.この結果に子は精神

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大橋 憲広

的に大きな衝撃を受けた.判決は親子関係の存在を肯定 した.っまり,生物学的事実,そしてそれを証明する科 学技術よりも,父子としての社会的営みに価値を置いた のである.本判決の根拠づけの評価は分かれるものの,

かかる例から見れば,医療技術によって生まれた子の親 子関係を法律が余地なく一律に断定してしまうことには,

子の利益を重視する立場にたてば疑問の余地があるとい わざるを得ない.

・養子

 養子縁組には,2類型ある。これらは日本法の「普通 養子」と「特別養子」に必ずしもで対応しない.養子の 縁組時点での年齢要件は,18歳未満(ブルガリア,セ ルビアとモンテネグロ,クロアチアにおける「親養子」),

10歳未満(クロアチアにおける「親族養子」),15歳未 満(セルビァとモンテネグロにおける「完全養子」)な

どとなっている.養親となることができるのは,成年で あって養親として養子を保護し,養育できるものである.

親権を剥奪されたり,精神疾患をもっもの,養子の生命 と健康を危うくするようなものは,当然に養親となるこ とができない.クロアチアでは,養親となれるものの年 齢制限は21歳以上35歳以下となっている。ブルガリア では,直系親族間の養子縁組は禁止されるが,孫が婚外 子のとき,もしくは両親が死亡している場合には,曾祖 父母が孫を養子とすることができる.

 日本法が,普通養子にっき年長者養子と尊属養子を禁 止するのみで年齢差を考慮せず,特別養子にっき縁組時点 で養子6歳未満,養親となるものを25歳以上と規定する のに対して東ヨーロッパ養子法においては,養子制度の 趣旨をいわゆる「子のための養子」として徹底させてお り,養親子間の年齢差を規定している.具体的には,18 歳以上(セルビァとモンテネグロ・クロアチア・アルバ ニア),15歳以上(ブルガリア),である.ポーランド の場合は,「適当な年齢差」を規定するのみで具体的な 例示はない.なお,クロアチアでは,例外規定として35 歳以上のもの養親となるときには40歳を超えない年齢 差としている.

 先述の2っの類型をみることする。ブルガリアにおけ る「不完全養子」では養方と実方の権利義務が存続し,

実親の親権と相続権が消滅するもので協議による離縁が 可能である,これに対して「完全養子」は,主として両 親のない子を養子とするもので,養子と養方親族との間に

出生による親族関係を創設するものである.モンテネグ ロにおける「完全養子」は,養親となる夫婦の年齢30歳 から60歳と規定する.養子縁組の手続としては,裁判 所が関与し,監護委託契約による試験養育期間が考慮さ れる。養子となるものが一定以上の年齢であるときには,

本人の意見が聴取される.

 東ヨーロッパにおける養子制度は,強い効果をもっ類 型と弱い効果のある類型が存在するが,いずれも子の福 祉を目的として制度設計されており,わが国における普 通養子縁組が,先述のように年齢要件として,きわめて 緩やかなものとしているのとは対照的である.普通養子 縁組が,かつて,相続税の免税基準をクリアするたあ方 策として祖父母が孫を養子にしたり,越境入学の方便と

して養子縁組を使うこととは無縁である.

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オルガ・ッヴェイイッチ・ヤンチッチ

「ユーゴスラビア家族法の法源と小史」

(札幌学院法学 14−2)

伊藤知義「ハンガリー民法史覚書」

(札幌学院法学 12−2)

川島武宜『日本人の法意識』(岩波書店 1964年)

25.

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27.

28.

大橋 憲広「東欧家族法立法協力」

『事典 家族』(弘文堂 1996年)

大橋 憲広他『レクチャー 法社会学』

(法律文化社 2001年)

大橋 憲広「スロヴェニア共和国の家族法」

(『歴史と民族における婚姻と家族』 第一書房 2000年)

大橋 憲広『東欧の家族法』(敬文堂 2003年)

(9)

大橋 憲広

Zusammenfassung

Die Geschichte des Familienrechts in Osteuropa kam grob in vier Perioden unterteilt werden. Die erste Periode ist die Zeit der Staatsgriindungen nach dem Ersten Weltkrieg. In dieser Periode wurde die Familiengesetzgebung, die in ein und demselben Staat ofしverschiedene und komplizierte Auspragungen hatte, vereinheitlicht. Es wurde ein modemes Familienrecht erlassen,

das sich an Westeuropa orientie貢e, aber wenn auch vor Gericht nun die obligatorische Zivilehe galt, so beeinnussten in Wirklichkeit Si枕en, Gebrauche und Religion die Institutionen Ehe und Familie. In Albanien皿m Beispiel, einem Land mit einer grossen muslimischen Bev61kerung,

wurde weiterhin auch die Vielehe praktiziert.

Die zweite Periode ist die Zeit, in der das Familienrecht durch die sozialistische Ideologie im System der Volksdemokratie gepragt war. Ehe und Familie wurden als Eckpfeiler der Nation eingestuft und sowohl die Gleichberechtigung von Mam und Frau sowie von ehelichen und nicht ehelichen Kindern als auch der Schutz der Frau vor und nach der Geburt wurden als Grundsatze fbstgelegt.

Die dritte Periode erstreckt sich uber die 60er und 70er Jahre, in denen ein zweites Familienrecht erlassen wurde, weil der Ubergang vom System der Volksdemokratie zum Sozialismus vollzogen sei. Allerdings wurde das Familienrecht aus dem Zeitalter der Volksdemokratie ohne substanzielle Revisionen Ubemommen.

Die vierte Periode ist die Zeit nach der Demokratisierung. Hier wird debattiert, ob das

Familienrecht ein Teil des BUrgerlichen Gesetzbuches werden oder wie bisher ein Sondergesetz

bleiben solle. Den Hintergnlnd dieser Debatte bilden Uberlegungen, die wegen der Belebung der

wirtschaftlichen Aktivitaten und der daraus entstandenen Folgen einem engen Zusamme血ang von

Familienrecht mit Gebieten des Eigentumsrechts Bedeutung beimessen. Zur Verbindung des

Familienrechts mit Religion sei erwahnt, dass in Polen durch das Konkordat mit dem Vatikan bei

ErfUllung der vereinbarten Voraussetzungen die fhiher praktizierte kirchliche Eheschliessung die

gleiche RechtsgUltigkeit wie die Zivilehe erhalten hat。

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