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医療概念の狭さと医療人類学的研究の今日的・基礎 的問題

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

医療概念の狭さと医療人類学的研究の今日的・基礎 的問題

山口, 勇人

九州大学人間環境学府

https://doi.org/10.15017/2341035

出版情報:九州人類学会報. 34, pp.37-47, 2007-07-21. 九州人類学研究会 バージョン:

権利関係:

(2)

医療概念の捩さと医療人類学的餅究の今

H

的・基礎的蘭題 (fl.I

医療概念の狭さと医療人類学的研究の今日的・基礎的問題

本論の目的:

波平恵美子による「医療人類学的研究」

の説明から出発して、その学間領域にお ける研究者の今日的・基礎的な問題を提 示する。

問題意識:

筆者は医療と宗教という関心領域を持 って、病が治るとはどういうことか考察 を続けている。具体的には、民間療法イ トオテルミー(以下、テルミー) 1)の療術 師として医療実践に身をおきつつ、その 臨床から現れる身体、自己、近代、治療 といった問題群と向き合い、病が治る地 平について言語化し再考する作業をして いる。その言語化作業の道具だて・共通 の研究作法の源泉として、医療人類学と 称される学問領域を前提としてきたが、

その先達のひとりである波平恵美子によ れば、日本には「医療人類学」としての 統一した学問領域の条件が揃って無いと いう。本論では波平が言う「日本語の医 療の意味の狭さ」を自覚しつつ、医療人 類学研究者の今日的・基礎的な問題は何 かを考察し、自らの医療観を相対化する さいの障壁や倫理への関心について触れ たし。

キ ー ワ ー ド : 医 療 人 類 学 近 代 医 療

I  . 

波平恵美子の「医療人類学的研究」

発言と、日本語の「医療」概念の狭 さについて

2006

6

30

日、早稲田大学におい て行われた現代医療研究会

I I

2)の会合で、

波平恵美子は「医療人類学的研究 およ びそれが抱える問題」と題する発表を行 った。日本で医療人類学と称される学間

山口 勇 人 ( 九 州 大 学 人 間 環 境 学 府 )

領域について、波平は随想のように語り だす形式をとって、その歴史や方法的な 課題を下記のように述べた。

①日本には「医療人類学」として統一し た学問領域の条件が揃って無いため、あ えて「医療人類学的」と表記して説明し たし。

②医療人類学というネーミングは、学問 領域としてのインパクトが強い。日本で は、名称としてはすでに

20

年前からの長 い道のりがある。とくに祖父江孝男の賛 成によってこのネーミングが文化人類学 の領域に入れられた。 3)

③文化人類学の応用として、理論や方法 をいかに援用するかが、医療人類学的研 究のクオリティのカギである。核となる 用語(例えば

s i c k n e s s ,d i s e a s e ,   i l l n e s s  

の区分)を持ちつつ、方法の援用をいか に行うか。

④データの収集とデータ整理および第

1

次分析については、理論的に決着を見て いない。どこに出向き、どれくらいのデ ータを収集するのが妥当と言えるのか。

⑤さまざまな制約のためにカスのような データで論文を創らねばならないことが 多く、研究テーマと問題点の把握を明確 にするプロセスにおいては、文学に似た 思考の営み、すなわち書く力を試される。

⑥質的研究と医療人類学的研究との関係 について。文化人類学は証明や量的検証 を目的とした学問ではなく、研究は解釈 して見せること、すなわち新しいものの 見方を提示することに導かれる。医療人 類学的研究も、量的研究が拠っている仮 説の要素や、要素どうしの組み合わせに 対して、新しい提示を行う。

上記の説明は、内容によって3つに分 類できる。①、②は、医療人類学の名称

(3)

医療概念の挟さと医療人類学的餅究の今曰的・基礎的闊題(凶口)

とそれへの波平の基本的な姿勢、および その名称が日本の文化人類学会にどのよ

うに取り入れられたか。③、④は、医療 人類学的研究(波平)が成立する方法論 と、その妥当性の問題。⑤、⑥は研究者 の営みと、学問領域・方法の関係につい て。本論では①、③、⑤、⑥に着目して、

医療人類学という学問領域と研究者の態 度決定に関わる今日的・基礎的な間題を 示す。日本における医療人類学史を語る うえで、②の名称の由来は重要だが、本 論は研究者の態度決定に関わる今日的・

基礎的な問題により集中したい。

まずは①の「医療人類学的」という波 平の表記について。波平が「統一した学 問領域の条件が揃って無い」と言うとき、

念頭においているのは、日本には医療人 類学会という名称の団体が存在しないと いう状況があるだろう。医療人類学を名 称の一部に用いたり、医療を文化現象の ひとつとして考察対象とする研究会は、

日本にも多くある。しかし米国の状況と 比較して日本を見ると、文化人類学会の 下部といった位置づけを自らに与える団 体としての「医療人類学会」が無い。日 本保健医療行動科学会や日本ホリスティ ック医学協会は、実践的な医療従事者に よって構成され、自らが生きている医療 実践を相対化する論考が多く出されてい るが、文化人類学会との関連を前面に打 ち出してはいない。

波平が「医療人類学的」とあえて表記 する主な理由については、学会の名称が 決定される一つ前の段階こそが考察され るべきだろう。つまり「統一した学問領 域の条件」への研究者たちの不一致、あ るいは独立した学問領域を支える蓄積と 合意の不在である。これらの状況が現代 の医療研究全体にとって好ましいのかど うかは、医療の範疇をめぐって評価の難 しいところである。

日本の状況に対して、医療を文化現象 として相対化し、新たな解釈を提示する ような学問を学会の形でリードしてきた

のは、米国の研究者たちであった。米国 の医療人類学

( M e d i c a lA n t h r o p o l o g y )  

を標榜する諸学会に、統一された学問領 域の定義があるわけではないが 4)、少な くとも先達の名を冠する賞が複数設けら れ 5)、また文化人類学会の下部組織とし て

40年間活動を続けてきた中核的な団

体も存在する 6)。こうして「医療人類学」

と称される共約可能な領域が、研究の蓄 積とともに米国では形作られてきたし、

そこから発信される英語の諸論文を日本 の研究者たちが翻訳し、一方的に参照し てきたのも事実である 7)。とりわけ医療 人類学という領域について一般化して語 り出すには、今日の圧倒的に膨大な医療 研究をめぐる情報を前にしたとき、フォ スターとアンダーソンによる医療人類学 のルーツの四類型

[ F o s t e r &  Anderson  1 9 7 8 :  4 ・ 8 ]  

8)がいまも説得力をもった古 典として参照され、医療人類学の来し方、

道しるべとされる 9)

日本の医療人類学をリードしてきた波 平が、以上の学問的状況をふまえた上で あえて「医療人類学」に「的」をつけて 表記する背景には、以下の医療という語 彙の狭さ・不自由さや、学会の形成につ きまとう研究パラダイムの固定化の問題 がある。英語のメディスンと比較した場 合、日本語の医療という語彙は、解剖や 量的計測を基礎にした近代の生体医療に 強く傾斜していて、民俗的な印象をまと った薬草の使用や鍼灸・ 漢方・呼吸法な どは「民間療法」という範疇を設けて語 られる。歴史的には、明治期に急速にド イツから近代医学が日本に取り入れられ、

これを正規医療と呼び、従来の医療を民 間の非正規医療と位置づけるようになっ た。日本語の医療という語彙からは、末 病10)や診断名が確定しない心身の状態が 排除され続け、現在は医療人類学を志向 する研究者にさえ近代・生体医療を前提 とする不自由さがまとわりつく。症状が 観察・計測されない状態は対象外とされ、

確定診断のついた症状への対処が大前提

(4)

医療概念の狼さと医療人類学的餅究の今

H

的・基礎的閥題(凶口)

となり、研究者の視線はおのずと症状を めぐる医師と患者の権力関係や、処方を めぐる患者の身体のあり方といったテー マに向けられがちになる。これに対し英 語のメディスンは、症状が観察されない 状態や薬草による療法の概念も含む。よ く知られた例ではイギリスの公的な医療 保険の対象にはホメオパシー11)が含まれ ている。 12)つまり

MedicalAnthropology 

と医療人類学の間には、研究の対象・領 域に大きな違いがある。波平は医療人類 学という名称をめぐり、日本語の医療の 狭さについて

1994

年に下記のように記

した。

「日本語の医療は近代医学による治療 を意味し、英語の

medicine

よりはるかに 狭い意味しか持たないため、かなり不適 当な用語ではあるが、次第に定着しつつ ある。」[波平

1994: 6 9 ]  

波平は「かなり不適当」という不満を 明らかにしている。この記述から

1 3

年後 の今日でもこの不適当さは波平にとって 未解決であり、「医療人類学的」という表 記にはこの狭さが含まれたままというこ とになる。筆者は臨床実践の調査などか ら、今が日本語の医療概念の変革期だと 見て研究に取り組む者であり、日本語の 医療が「はるかに狭い意味しか持たない」

という時代は終わりを迎えつつあると考 えている。これについては1Iで心身医学 会の動向を紹介しておきたい。本論では 医療という語彙の範疇をめぐる錯綜を避 けるため、波平の言う「狭さ」に準じて、

用語を以下のように区別しておこう。

近代医学・生体医学といった、生体の 観察・解剖や量的・統計的研究に基づく

医学、およびそれを前提とした医療制度 を「生体医療」と呼び、これに民間療法 と名指される療法を含めた行為や制度を

「医療全般」と呼ぶ。現行の医師法では、

前者の生体医療の教育を一定水準まで修 了し国家資格試験に合格した者を「医師」

と呼ぶ。本論もこれに準じ、治療行為を する者すべてを「治療者」と呼び、とく

に国家資格としての医師免許を持つ治療 者を「医師」と呼ぶ。医療全般の中で、

治療の対象になる人は「病者」と呼び、

中でも医師による治療の対象を「患者」

と呼んでおく。

医療概念の狭さ・不自由さを端緒とし て、医療という語彙で切り出される対象 は研究者の立ち位置によって大きく異な り、医療とは何かという合意形成のため の議論はしばしば不毛な信念対立の場に なりがちである。これがまた、医療全般 の研究パラダイムがお互いに閉じる傾向 に拍車をかけている。一例をあげると、

ホリスティック医学 13)における「身体」

は、生体医療の対象とされることを避け、

治療者独特の宇宙論や、物理学・考古学・

宗教学といった領域の語彙を取り入れて 語られることが多い。例えば「第3チャ クラはみぞおちにあり、認識の中核、創 造性に働きかける」といった身体と宇宙 についての解説がある。治療者たちはそ れなりの臨床経験をフィードバックして 科学的検証をしているし、ガン患者がこ うした医療の実践によって自らを「治っ た」とする報告例も数多く実在する。し かし第 3チャクラうんぬんという説明に 解剖学的な観察事実との鄭顧があったり、

今日の生体医療の語彙にあてはめられな いため、医療研究と呼ばれる範疇には入 れられないことになる。自らが生きる医 療実践をいったん相対化して、あえて臨 床に還元する点では、医療人類学と近い 研究態度ではあるのだが、医療人類学側 の研究者がこうしたホリスティック医学 的な語彙と対峙したときには、受容や拒 否といった態度決定よりも先に、戸惑い が現れて閉じてしまう。同じ医療や身体 という語彙を用いているのだが、病や身 体の意味づけ方• 関与の仕方という点で 断絶があるために、はじめから遠い研究 対象として、ホリスティック医学の身体 をめぐる言説をメタレベルに立って囲い 込んでしまうのである。あるいは「心霊

(5)

医療概念の決さと医療人類学的餅究の今

H

的・基礎的閥題(凶口)

治療」といった範疇を作ってあらかじめ 囲い込んでから、研究者自身は臨床の世 界に立ち入らない。医療全般を文化人類 学の手法を用いて研究対象とする以上、

ホリスティック医学的な「治った」とい う実感をどう記述するかという態度が初 めにあるべきなのだが、今日の医療概念 の狭さと観察事実への傾斜のために、病 者が治ったかどうかという臨床の事実が あらかじめ相対化され、「第3チャクラう んぬん」といった言説に巻き込まれるこ とへの戸惑いを引き起こし、医療制度や 医療経済や権力関係の解説に還元したも のいいへと閉じていきがちである。それ では医療制度の歴史人類学的研究であっ て、医療の研究ではない。これに今日の 身体・病・自己・医療制度をめぐる言説 の錯綜した状況や、研究する側の専門 化・細分化が重なり、この戸惑いの傾向 に拍車をかけている。波平が「統一した 学問領域の条件が揃って無い」と言うと き、これらの語彙の狭さや研究者の戸惑 い、学会名称と研究パラダイムの閉じあ いといったことがらが前提されている。

II.  医療概念の変化 一日本心身医学会 の事例から一

では医療人類学的研究が袋小路に入り 込んでいるかというと、決してそうでは ない。問題なのは、病者の身体から発想 せずに、単なるオクシデント批判やモダ ニティ批判の文脈で医療概念を研究対象 として切り出すやり方である。またその さいに近代医療・ 生体医療の拘束から病 者の身体を解放するかのような研究者像 を自らに課する態度であろう。現実の医 療全般は、個々の病者の身体や生活世界 にそって変化し、それに伴って医療概念 は大きく変化しつつある。人が病んだり 治ったりする現場では、上記の生体医療

と民間療法の言葉が同居しているのであ り、それに研究者の側が適切な聞き取り や言語化作業をしきれてない場合が多い。

以下では心身医学会での事例から、医師 たちがどのように医療概念の変化と関わ ろうとしているのか、その背景は何かと いったことを概観する。その後

I I I

では波 平発言の⑤、⑥に戻ることで、医療人類 学的研究における研究者側の今日的・基 礎的な問題に関心を集中したい。すなわ ち自らが研究対象とするはずの医療全般 の空間に身を置くことで、常に自らの医 療観に変革を迫られ、なおも高い共通理 解を得られるよう論文を作成する研究者 の間題である。自らの医療観を相対化す るさいの障壁は、医療概念の狭さを自覚 した後で、こんどは「生体医療の制度的 な拘束」という知識からいかに自分を引 き離すかであろう。

2007

5

2 4 , 2 5日に、福岡国際会議

場において、日本心身医学会総会ならび に学術講演会が開催された。テーマは「心 身医学の温故知新 一医療制度変革期に おける心身医学の役割」であった。同学 会は

1959年に設立された日本精神身体

医学会を前身とし、九州大学の池見酉次 郎医師たちが始めた心療内科を中心に発 展し、研究領域を「各科領域における心 身医学の研究」としている。会員のおよ そ8割は医師(診療内科医師が多数)で あり 14)、独自の基準で医療心理土という 資格を認定している。会誌「心身医学」

の論文のほぼ全てにおいて、医療という 語彙は医師の医業を指し、民間療法は医 業に取り入れられる行為として位置づけ られる。また医学研究は個々の患者の生 活から切り離され、量的検証と再現性の 有無を前提とする。具体例として、スト レスの測定基準に血中ノルアドレナリン 濃度や唾液の分泌量を設定し、実験室中 での被験者への刺激と反応を平準化する といった志向である。また鍼灸の効果に ついては、ラットヘの通電刺激と反応の 測定結果から類推したり、人体への週

1

回に限定した治療行為と、定式化された 質問紙への回答から導き出す。総会で掲

(6)

医療概念の茨さと医療人類学的餅究の今臼的・墓礎的閤題(凶口)

げられた標語の「医療制度の変革期」と は、現行の医師法や病院設置基準といっ た医業の根幹を対象にはせず、むしろそ の枠内での医療経済的な諸問題を指して いる。つまり診療報酬体系の見直しや、

地方の医師不足に対応するための病院の 連携・配置といった制度である。ここで は「医師とは何か、医療とは何か」とい った問いは、現行の法体系や病院化した 医師と患者の身体を前提にして行われる もので、医療概念の変革とは捉えないと いうことだ。 15)

では診療内科の各医師が、生体医療や 現行の制度に自らを埋没させているかと いうと、必ずしもそういうわけではない。

彼らの臨床は、生体医療一辺倒ではどう にもならない領域にあり、患者の治りた いという要求や介護者・親族のうめきと

日々対峙している。日本医学会全体と比 べれば、臨床の試行錯誤の過程でむしろ 積極的に民間療法を取り入れ、医療全般 の中で病者と向き合おうとしている治療 者たちだと言ってよいだろう。その試み を現行の医療制度と矛盾しない形で行う ために、ストレスや鍼灸の効果を生体医 療の言葉で表現せざるを得ないのである。

この状況を先鋭的に指摘したのは、招 聘講演者のひとり、天外伺朗(てんげし ろう)氏である。天外はソニーの技術開 発者としてロボットの設計・開発に長年 関わり、今回の招聘講演も医療ロボット の未来や現代の医療観について語られる はずであった。しかし天外は医療ロボッ トの未来を技術者の視点から否定し、む しろ主題としたのは、病院に替わるホロ トロピックセンター16)という新しい生老 病死の場の提言であった。これは明治以 来の正規医療の概念を、病者や未病の観 点から根本的に考え直す提案である。心 身医学会の創始者のひとり池見酉次郎は、

心身相関を医学の中核に据え、癌の自然 退縮には患者の意識の実存的変容が必要 だと述べたが、天外が提唱したのもまさ にこの意識の成長と進化である。この講

演の中で天外は、「今日は多くの講演や学 術発表を聞かせてもらったが、西洋医学 の士俵で説明するだけではおかしい」、

「未病の段階で発見することが医師の仕 事だ」と発言した。つまり医学の体系を 患者の生体と症状の観察・測定に還元し ても、心身医療の求める医療観には行き 着かないということである。

生体医療は技術的にめざましい進化を とげ、その成果を現代人は享受し、超高 齢化社会が実現した。長寿命をもたらし た医療技術は保持されるべきだが、長寿 命の帰結としての介護の需要や高齢者の 幸せという自己に関わる課題は、臓器移 植や介護ロボットといった高度化した医 療技術だけでは解決できない。むしろ生 命維持装置のように高度化した医療技術 を乱用する悪弊は、日本全体の医療費の 高騰を招き、現在の医療制度の経済的な 破綻を帰結するだろう。重要なのは、生 体医療の延長で医師がこれらを論じるの ではなく、病者や高齢者がいかに生きて 死んでいくか、自分の言葉で意識化して いくよう、治療者がサポートすることで ある。この病者と治療者の関係のあり方 は、池見の言う「患者の意識の実存的変 容」と結びついている。このことに日本 心身医学会の多くの医師たちは直面し、

気づき、天外のような思想を持つ者を招 聘し、学ぼうとしている。天外はたんな る自然回帰や意識変容だけをぶちあげる のではなく、今日の生体医療を支える技 術に深く関わった技術者であり、その招 聘講演だけに聴衆の医師の反応も実践的 なものであった。天外のほかにもアンド ルー・ワイル17)などの招聘講演者が、今 日の日本の医療のあり方に同様の提言を 行っていた。

心身医学会全体の傾向からすれば、天 外らの医療観はすぐに受容できるもので はないだろう。しかし重要な点は、今日 の医療制度が経済的問題に直面し、医師

とは何か、医療とは何かという問いがす でに、生体医療の中で生きてきた医師た

(7)

医療概念の択さと医療人類学的餅究の今

H

的・基礎的闊題(凶口)

ちにおいてさえ自己言及の形で始まって いることである。彼らの臨床では、患者 の痛いという言葉に対し、どのように一 般化・数値化するかという要請とともに、

どのようにしたら治せるのかという人間 的な問いがある。医療を文化人類学の研 究対象として関わる場合、前者の「痛い」

という言葉への関わり方は量的な資料と して現れやすく、そこに医師と患者の権 力関係を見出すことは比較的容易である ことに注意したい。このような研究は、

すでに多くの蓄積がなされた。後者の問 い、すなわち「痛い」という言葉への関 わり方において医師自身を巻き込んだ問 いは、生体医療ではない語彙で語られた り、病院という施設を離れたところで生 じることが多いので、どこに自分が立つ かという態度によって聞き取れることも あれば聞き逃すこともある。医療人類学 を志向する研究者は、医師や患者の実践 の地平にいったん参与しつつ、一歩離れ たところで彼らの医療観を描き出す作業 を行うわけだが、この参与する研究者が 波平の言う「狭い」医療観を生きている と、医師がもらす「どのようにしたら治 せるのか」という言葉を聞き取ることは できない。

m .  

研究者の巻き込まれ方、態度決定に 関わる今日的・基礎的な問題 波平は、「カスのようなデータで論文を 創らねばならない」と発言した。これは インフォーマントの匿名性が第一にあり、

さらに匿名性を確実にするためには、イ ンフォーマントを推測で特定できるよう な状況報告でさえも許可されないという 問題のことであり、実際に波平が調査後 の論文作成で突き当たったことである。

医療研究に匿名性のしばりが強いことは 説明するまでもないだろう。書いてもい いことがらだけを、自分というフィルタ ーによってデータ化しても、その多くは しばしば「カス」である。ここで重要に

なってくるのは、それでも研究者は自ら が発見した新しい見方を提示しなければ、

研究者ではなくなってしまうというジレ ンマである。「文学に似た思考の営み」と 波平は表現したが、私見では、これは単 に文学的な自己表現としての論文を書く ということではない。むしろここで問わ れているのは、「医療とは何か、病が治る とはどういうことか」という議論を開始 する身体になる、そのような研究者自身 の巻き込まれ方のことである。ここには、

波平の言う医療人類学的研究すなわち医 療について書くことの基礎的な問題が集

中的に現れている。

この巻き込まれ方について考察するた めに、一例として兵頭晶子氏の憑き物研 究18)を取り上げ、その研究者としての立 ち位置を批判的に考察してみたい。兵頭 は、精神病、近代化、憑き物を関心領域 とする医学史・思想史研究者であり、歴 史学に足場をおいてきた。

2007

3

月の 現代医療研究会

I I

で、「憑依が再定義され る過程、〈状態〉の病から〈存在〉の病へ」

と題する発表を行い、明治から昭和初期 に狐憑きが精神病という診断名に囲われ、

私宅監置される対象へと変わっていった ことを、史料に基づいて明らかにした。

論証や史料の吟味という点で非常に優れ た研究で、筆者は多くのことを学んだが、

彼女の研究発表には違和感を覚えた。よ り正確に言えば、彼女の憑き物研究・医 学史研究に通奏する、分析的な立ち位置 への違和感である。兵頭は私宅監置とい う近代的な制度と病者の身体の扱いを批 判的に捉え、以下のように述べた。

「憑依の再定義の先にある病者と周囲の 人々の生々しい現実にとって、それはい かなる歴史的経験であったのかこそが、

最も問われるべきことだと考える。(中 略)病者にとって日本近代が何であった かを問い直すことが、本稿の課題である。

私宅監置が決して病者治癒のための制度 ではなく、(中略)病者や家族は病気を治 すための方向性を見失い、(中略)病者や

(8)

医療概念の狼さと医療人類学的餅究の今

E

的・墓礎的闊題(囚口)

家族を支える共同性を保ち続けた民俗治 療の場の対極にある様相に他ならない。」

[兵頭

2 0 0 7 ]

(下線は筆者による)

憑き物とその医学史研究は、どうして もインフォーマントの匿名性のしばりが 強く、二次資料や二世代以上経過した歴 史資料に基づく分析が中心になる。とく に匿名性のゆえに波平の言う「カスのよ うなデータ」だけが残ることになり、こ れと歴史資料の解析に基づいて、自らが 発見した新しい見方を提示する作業が中 心になる。兵頭が課題としたのは、「病者 と周囲の人々の生々しい現実」を再構成 し、病者にとって日本近代が何であった かを問い直すことなのだが、果たして上 記の結語「(私宅監置は)病者や家族を支 える共同性を保ち続けた民俗治療の場の 対極にある」という表現は、それを達成 しているだろうか。すなわち兵頭の身体 が、自らの医療観をいったん相対化して、

史料から再構成された「生々しい現実」

に巻き込まれ、なおも高い共通理解を得 られるよう論文を作成する研究者の身体 になっているだろうか。

ここで筆者が言いたいのは、兵頭の歴 史資料への巻き込まれ方の問題であって、

もしかすると医療史学と医療人類学との 間に、方法以前の甑甑が横たわっている のかもしれない。歴史学の範疇にあって、

兵頭が「病者や家族を支える共同性を保 ち続けた民俗治療の場」を発見した、あ るいは「病者と周囲の人々の生々しい現 実」の再構成に成功したという評価を得 たならば、それは正当であろう。彼女の 史料の扱い方や論証過程には学ぶところ が大きい。筆者が気になるのは、医療史 研究という範疇にあって、兵頭が提示し た病者像の立て方、すなわち近世から近 代の入り口における「病者」像や「共同 性」像の立て方である。言い換えれば、

病者が打ち捨てられ、家族の一部が切断 され、そうして「病が治る」という地平 について、兵頭がなぜいっさい間うてな

いのか。より具体的に言えば、狐に憑か れた者が村落から追放され、機多・非人・

乞食として生きていくことで「病が治る」

という意味での、民俗治療の場である。

ここには「病者や家族を支える共同性」

は無いが、病は落ち着くべきところに落 としこまれている。

兵頭が史料に基づき明解に説明したの は、近代化の中で憑依が精神病と名づけ られ、私宅監置が法制化されたこと、ま た病者の家族の生活や周囲との関わりが 破壊されたことである。しかしその関わ りの破壊以前に、理想的な「病者や家族 を支える共同性」が史料中の村落にあっ たと言える根拠はどこにも無い。共同性 という語の定義によるのだが、狐憑きの 者と家族とを支えずに離れ離れにし、そ れを家族の欠損とは認識しない生き方に 落とし込む「共同性」だった可能性は決 して否定できない。筆者は民間療法の療 術師として病者や家族・親族と関わるこ

とがあるが、今日でも重病者を入院させ たまま見離すことで平衡を保っている家 族・親族は多い。これもひとつの病の解 決、支えない共同性である。切り離され た者が疎外され続けるのか、それともア ノニマスグループのような居場所に落ち 着くのか、それは個々の病者によって異 なるのであって、「家族形態を支えないと 病者が疎外される」という論法は、研究 者の医療像・家族像の投影だとも言いう

る。

病者が隔離病棟で虐待されずに人間と して生きていくことは、当然の前提・倫 理といえるだろう。だから共同性とは、

家族や村落が欠損を起こさない仕組みで はなく、病者や家族の個々人が不満なが らもそれなりの解決を見出し、だれもが 虐待などを受けないで生きる仕組みだと、

筆者はとらえている。近世では狐に憑か れた者が村落から追放される場合に、こ の支えない共同性があったのだと言える し、現代の家族の文脈では特別養護老人 ホームの入居金支払いによって緩和され

(9)

医療概念の狼さと医療人類学的窃究の今臼的・基礎的闊題(凶口)

た形で遂行されていると言える。つまり 家族の形態を支えずに、共同で病者と家 族の個々人が解決を見出している。もし 兵頭の理想化する「病者や家族を支える 共同性」に根拠があるとしたら、それは 彼女の「支える共同性」という前提その ものかもしれない。兵頭のフィールドが 狐憑きと私宅監置であることから、病者 虐待への倫理的な反発がモチベーション にあり、病者は支えられるべきだったと いう意見表明が論文の形で出てきたのだ ろうか。そうだとするとこの倫理のモチ ベーションは、病者との関わりという点 で筆者も備えておきたいと感じている。

あるいは「支える共同性」という前提は、

兵頭が生きる第二次世界大戦後の都市の 核家族像が底にあり、その理想化された 家族に回収されるべき病者像、そのよう な家族を支える(維持する)医療像が兵 頭に「支える共同性」を書かせたのか。

だとすると今度は別の間題が生じてくる。

すなわち無理に核家族の形態を維持する ことで悲劇を生んでいる今日の倫理問題 との絡みや、研究者自身の家族観・医療 観を相対化する問題である。ここでも一 例をあげれば、重度の多動症と診断をつ けられた児童を家族だけで支えるのは不 可能であり、専門の病棟で育つことが望 ましく、家族形態などは支えない方が賢 明である。無理に支えることで、児童も 親も虐待や抑うつといった次の問題に巻 き込まれ続けるから。この家族形態の切 断に悲劇性を見出すとしたら、それは近 代の家族観が背景にあるからに他ならな

病が治ると筆者が言うとき、その基準 にあるのは、家や村落の形態ではなく、

個々人の落ち着きどころである。この視 点では、近代の私宅監置制度によって破 壊されたのは、現代の医療観で理想化さ れた「村落の支える共同性」ではなく、

病者・家族など個々人を落ち着きどころ へと導いていく曖昧さであると言える。

病者がいつのまにか追放され、自分の居

場所に流れていくとき、病者の身体の在 り方を形成していくのは一回的な周囲と の関わりという曖昧さである。この曖昧 さの中心にあるのは、苦しいが仕方ない といった、あくまでも個人の身体であろ う。近代の私宅監置制度の浸透とは、病 者の身体の在り方に常に公権力が介入す る空間が成立したことであって、この空 間布置の中では個人の身体の在り方をめ

ぐる曖昧さは後景に退く。

史料の扱いや論証以前の問題として、

インフォーマント(この事例の場合は史 料)に聞くために、自らの医療観と生き

る地平をも相対化しておかねばならない のは当然である。今日の問題は、この研 究者の地平の相対化を阻害する「医療」

概念の狭さや、その帰結としての研究パ ラダイムの閉じる傾向である。非常に困 難だが、今日の医療研究の錯綜した状況 では、この相対化なくしては、波平が言 う意味での「研究は解釈して見せること、

すなわち新しいものの見方を提示するこ と」という地点に研究は開かれない。医 療史研究という学問領域であっても、こ

の書くことの基礎的問題から逃れること はできないだろう。

最後に要点を整理しておきたい。医療 人類学的研究において、研究者の態度決 定に関わる今日的・基礎的な問題には、

二つの留意点があると言える。一つは、

波平が「統一した学間領域の条件が揃っ て無い」と言うときに前面に出ている、

医療という語彙の狭さと、それにともな う研究パラダイムの固定化や信念対立の 問題。例示されたのは、ホリスティック 医学が扱う「身体」概念と医療人類学と の接触である。研究者が医療概念の不自 由さにからめとられて生きることで、自 分から遠い医療言説に接したとき、態度 決定よりも先に戸惑いが現れて、自己が 閉じてしまう危険がある。ここを自覚せ ずにいくら医療人類学の学説史を網羅し ても、自己が巻き込まれないままでは、

そもそも文化人類学の下位領域として説

(10)

医療概念の挟さと医療人類学的餅究の今fJ的・基礎的閥題(凶口)

得力のある研究は成立しない。二つめの 留意点は、「病が治るとはどういうこと か」という議論を開始する身体になる、

そのような研究者自身の巻き込まれ方で ある。

I l l n e s s

s i c k n e s s

を区別する研究 作法を身につけて、病の説明は上手にで きても、いざインフォーマントや史料に 出会うとき、もういちどその作法を相対 化できるのか。ここで重要なのは、日本 語の医療概念が狭いという定式に対し、

医師たちの格闘や学びの試み、病院の外 で起きている病者の生き方などから、医 療概念を自分なりに見つめなおすことだ ろう。治るという現象は機械の修理とは 異なっていて、研究者がインフォーマン トの言語世界に生きてみると、一見ネガ ティブな解決なのに当事者は落ち着きど ころに居るという発見があるなどして、

新しいものの見方に導かれることがある。

例示されたのは、日本心身医学会の医師 たちの試みや、兵頭の「支える共同性」

への批判的検討から出てきた「支えない 共同性」である。

この基礎的問題としての研究者の巻き 込まれ方と向き合ってはじめて、医療に ついて「書くこと」が可能になると、筆 者は見ている。波平の発言⑥にあった「質 的研究」は、たんなる技術としての方法 論議ではなく、このような研究者の態度 決定にその本質がある。 19)すなわち「新 しいものの見方を提示すること」が可能 になるような、研究者の身体の更新とい

う事態である。

参 照 文 献

池田光穂

1997 

「医療人類学とその領 域 ー 新 し い 学 間 は ど の よ う にして専門分化したか」 『文 学部論叢(地域科学編)』第

56

号、

p p . 3 1 ‑ 5 1

、熊本大学文

た ム;z::;;:o

石川俊男

2007

「心身医学の未来へ向け

て 一診療面ー」 『心身医 学』

v o l . 4 7No.6

、日本心身医

呂 ム子 ち

祖父江孝男

1977

「文化人類学とは」

祖父江孝男ほか編『文化人 類学事典』 ぎょうせい。

波平恵美子

1994 

「医療人類学」 石 川 栄 吉 ほ か 編 『 縮 刷 版 文 化人類学事典』 弘文堂。

波平恵美子・道信良子

2005 

『質的研 究

S t e pby S t e p  

す ぐ れ た論文作成をめざして』、

医学書院。

兵頭晶子

2007 

「憑依が再定義される 過程、〈状態〉の病から〈存在〉

の病へ」、

2007

3

月現代医 療研究会発表レジュメ。

FOSTER,  George  M.  and Anderson,  Barbara  G .   1978  Medical  Anthropology  John Wiley  &  Sons 

1)イトオテルミーは、 1929年に伊藤金逸(き んいつ)博士によって発明された温熱刺激 療法。冷温器と呼ばれる真鍮製の円筒2 に、線香のような熱源を入れ、体表から熱 刺激を与える。任意団体のイトオテルミー 親友会を基盤とし、初代金逸博士から3 目の伊藤元明氏を会長として、日本全国に 支部230、会員数約100,000人を数える。観 音信仰や太陽熱循環を基礎にした体系を持 つが、現在は観音信仰を分離した民間療法 の団体である。公には末病や、自然治癒力 への働きかけ、相補医療といった語句を用 いた説明を中心にし、自らを民間療法、代 替医療のひとつに位置づけている。

なお筆者は、テルミー臨床の調査研究な どに基づいて、研究面では医療概念の再考 をし、実践面では正規医療と代替医療(民 間療法)の区分へ優劣を持ち込む医療観に 対し異議を提示する作業を進めている。

2)現代医療研究会II 2006年末現在、およ

1 0 0

名が参加する研究会で、浮ヶ谷幸代

(医療人類学、文化人類学)や中島理暁(生 命倫理学・現代医学医療史)らが中心的な 役割を果たしている。同研究会のウェブサ

(11)

医療概念の茨さと医療人類学的餅究の今

H

的・基礎的闊題(凶口)

イトによれば、「精神医学、社会学、医療人 類学、文化人類学、宗教学、看護学、栄養 学、心理学などの諸領域に属し、また看護 士や保健士、海外での医療協力などに従事 する方々が参加しています。 2ヶ月に 1 のペースで開いている研究会では、幅広く 情報交換と課題提起を行い、医療の現在を 問いなおし、これからの医療の可能性を多 領域から模索し続けています。」とある。現 在の活動拠点は早稲田大学や千葉大学。

http://www.egroups.co.jp/group/med‑tod  ay2/ 

3)波平の念頭にあったのは、文化人類学事典 の初版 (1977年)の冒頭、祖父江孝男の解 説にある 1行の紹介文「アメリカではとく に医療人類学 (medicalanthropology) 注目されている」である。[祖父江 1977: 

5] 

4)学会を立ち上げるさいに、しばしば学問領 域の定義づけが論議の決着を見ないまま、

見切り発車で団体が成立することがある。

有力な研究者の学説や、研究者の名を冠し た賞の選考傾向によって、研究のパラダイ ムが固定化し、また年月を経てそれらが批 判的に更新されたりする。この意味で、日 本には医療人類学の団体がいまだ成立して いず、米国では成熟しつつあると言える。

5)歴史がある賞としてWilliamHalse Rivers  Prizeがあり、また2005年からGeorge Foster Practicing Medical Anthropology  Awardが開始された。

6)Society for Medical Anthropology American Anthropological Association 下部組織であり、団体としての最初の会合 19674月であった。初期の歴史につい ては、下記のサイトを参照。

http://www.medanthro.net/history/index  . html 

7)このことは文化人類学における英語論文の 圧倒的な流通という現状を見れば、その下 位領域としての医療人類学においても当然

と言える。 AnthroSource (American  Anthropological Associationの論文データ ベース)は、今日の文化人類学・医療人類 学研究者の情報源かつ先行研究の参照元と

して機能している。

8)四類型とは、自然人類学、民族医療、文化 とパーソナリティ研究群、国際公衆衛生を

指す。フォスター[1913‑2006]の文化人類学 会における業績と医療人類学への多大な貢 献については、UCBerkleyのサイトに業績

と人物伝がある。

9) 日本における医療研究では、中川米造によ ってFoster& Anderson [1978]の翻訳がな され、その類型は彼が主導した日本保健医 療行動科学会や、多くの医療研究者に参照 されている。池田光穂は、医療人類学とい う学問領域についての考察のはじめに同書 をあげ、古典的四分類と呼んでいる。[池田 1997] 

10)末病という語彙は、後漢の時代に書かれた とされる医学書「黄帝内経」に見られ、大 辞林の定義では

「病気ではないが、健康でもない状態。自 覚症状はないが検査結果に異常がある場合

と、自覚症状はあるが検査結果に異常がな い場合に大別される。骨粗髭症、肥満など」

とある。この状態を医療概念の中核にすえ た学会として、日本未病システム学会があ

11)ホメオパシーは同種療法と和訳される。鉱 物や昆虫、植物、甲殻類などを特殊な方法 で加工・希釈したものをレメディーと呼び、

体質や気質に応じて専門家が処方する。観 察されない個人の気質の問題を、生活の関 わりの中から見出し、適合するレメディー を処方するのである。日本では原則として 健康保険診療の対象外であり、医師が処方 箋を書いても、レメディーは自由診療によ る患者全額負担である。

12)英語でも、一般的にはalternative medicine (代替医療)という範疇を設けて 薬草での治療を区別することが多い。本論 では研究者と語彙との関係に集中している ので、メディスンが前提とする療法と日本 語の「医療」が前提とするものとの比較を 述べている。

13)ホリスティック医学という日本語は、英語 holisticmedicineを契機として造られた もので、日本ホリスティック医学協会がそ の包括的な定義を示している。要点を抜き 書きすると、

「人間を『体・心・気・霊性』等の有機 的統合体ととらえ、社会・自然•宇宙との 調和にもとづく包括的、全体的な健康観に 立脚する。治療者はあくまでも援助者であ

(12)

医療概念の狼さと医療人類学的餅究の今

H

的・基礎的蘭題(凶口)

る。病気や障害、老い、死といったものを 単に否定的にとらえるのでなく、むしろそ の深い意味に気づき、生と死のプロセスの 中で、より深い充足感のある自己実現をた えずめざしていく。」

http://www.holistic‑medicine.ar. jp/int  ro.htm 

13)ホリスティック医学という日本語は、英語 holisticmedicineを契機として造られた もので、日本ホリスティック医学協会がそ の包括的な定義を示している。要点を抜き 書きすると、

「人間を『体・ 心・気・霊性』等の有機 的統合体ととらえ、社会・自然・宇宙との 調和にもとづく包括的、全体的な健康観に 立脚する。治療者はあくまでも援助者であ る。病気や障害、老い、死といったものを 単に否定的にとらえるのでなく、むしろそ の深い意味に気づき、生と死のプロセスの 中で、より深い充足感のある自己実現をた えずめざしていく。」

http://www.holistic‑medicine.or.jp/int  ro.htm 

14)厚生労働省の通達では、日本医学会に属す る団体として、会員総数の8 0 %以上は医 師であることとされ、日本心身医学会はこ の問題に直面している。医師の学会として の要件を満たさねばならないからである。

心療内科という範疇が日本の医学の中では 周辺的であることから、今回の総会ではこ の議題が取り上げられ、会員資格のあり方 を変えてこの要件を満たす案が検討されて いる。

15) 日本心身医学会は、日本医学会の下部組織 にあたり、現行の医療制度そのものを問う 姿勢を前面に出すことは政治的にも無理で あることを考慮したい。歴史的には診療内 科が医業として確立するまでに幾多の困難 があり、生体医療の言葉で心身医学を語ら ねば、医師の枠から排除されてしまうとい う制限を伴ってきた。この歴史について、

国立精神・神経センターの石川俊男は以下 のように述べた。

故池見先生は30年以上前に「診療内科は いばらの道」と言われたが、今まさに「い ばらの道」を突き進んでいる感がある。

(中略)われわれはこの30年間に「大学 診療科の開設設置数箇所、日本医学会加

盟、標榜科の獲得、心身医学療法の設置

(中略)」などさまざまに活躍の場を広げ てきているが、いまなおいばらの道は険

しく眼前にある。

[心身医学 vol.47 No.6, 2007  p.67  本心身医学会]

16)ホロトロピックとは、スタニスラフ・グロ フ氏が提唱した呼吸法を表す造語であり、

holostrepeinをあわせたもので、全体性 に向かうという意味がある。天外はこの語 彙を医療改革を含む社会的ムーブメントの 呼び名に用いて、意識の成長と進化をサポ ートする場としてホロトロピック・センタ ー構想を提唱した。すでに佐賀・東京・北 海道に開設されている。

17) Andrew T. Weilアリゾナ大学教授。同大 で統合医療プログラムを主催。今回の招聘 講演では、補完代替医療(complementary and alternative medicine)という概念より

も統合医療(Integrativemedicine)の方が病 者の自然治癒力や生活全体と深く関わると

して、世界の統合医療の現状を日本に紹介 した。前者は生体医療を正規とし、それを 補完する民間療法を医師が取り入れる考え 方だが、後者は病者の生き方からどのよう に治療者が関わっていくかを考える点でま ったく異なる。

18)兵頭の説明用語では「憑依」と一貫して表 記される。

19)波平と道信良子は、質的研究のエッセンス として、ウヴェ・フリックの説明に多くを 依拠しつつ、以下の見出しをつけて質的研 究の特徴を説明している。以下は道信によ る見出し。

多様な研究方法の総体としての質的研究 研究対象が方法論を決定する

研究対象の人々の視点に立つ 文脈を重視する

[波平・道信 2005 : 2‑3] 

参照

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