私は,数学に携わる身として「わかる」という言 葉を安易に使うことに抵抗があります.数学で「わ かる」のは大変なことです.命題の証明を言語化し て描写できるのは当然として,命題の隅々をより高 い境地から眺めて,そこから派生する現象が手に取 るように見えるところまで来ないと,おいそれと「わ かった」とは言い辛いという気持ちです.しかし,
数学で飯を食っていく為にはそのような感覚で「わ かる」のでないと自分で論文は書けませんし,ま た,我々はそのようにして「わかった」時の喜びを 食って生きていると言っても過言ではありません.
その意味で,若輩の私はいつも空腹に喘いでおりま すが...
最近,私も「若者」から脱しつつある年齢と立場 になってきて,講義だけではなく大学院生を受け持 ってセミナー指導する立場にもなりました.こうな ってひしひしと感じるのは,学生に「わかる」こと をどのように教えるかが,如何に悩ましい問題かと いうことです.
話は少し変わりますが,私は大阪大学の相撲部で 顧問をしています.学生時代から相撲部で,今でも 実際に学生に胸をだしています(ちなみに弐段です).
相撲においても「わかる」ということは大変です.
スポーツで「わかる」ということも数学で「わかる」
ことと次元は同じです.つまり,技や動作の意味を
言葉で説明できるのは当然として(天才にはこの辺 が省略されるようです),より高い境地で理解する こと(スポーツの場合,これは「体得」と言うんで しょう)が出来なければ技は自分の物にはなりませ ん.いわゆる,体が反応するという状態で,技を繰 り出すタイミングから手順・変化まで手に取るよう にわかるという状態にまで持ってこなければ,本当 にその技が「わかった」とは言えません.
たとえば,相撲を 1 年くらい経験してそれなりに 形ができてきた学生に「まわしを切る」という動作 を教えます.まず何も言わずに,相撲の最中に突然
「まわしを切れ!」と言うと,学生達はまず間違い なく,まわしを取られている側の腰を後ろに引く動 作で切ろうとします.確かに直感として,相手から 離れるほうが切れるように思えるでしょうから自然 な行動と言えます.しかし実際には,まわしに食い 込む指に逆らう方向に腰を動かすことになるので容 易には切れません(握力が弱い相手だと切れること もありますが,それは事故のようなもので本質的に 切ったとは言えません).本当に切るためには,自 分の腰を相手にぶつけるように近づけて,引っ掛か っている相手の指を抜くようにするのです.このよ うに,本質はしばしば 直感 に反します.
しかし,これは最初にもった 直感 が貧弱なの であって,よくよく考えるとこれは理にかなってい ます.つまり,相手は引きつけようとしてまわしを 握っているので,相手の力に逆らわず,相手の力を 流すように瞬間的に自分のまわしを相手側に移動さ せれば,指が抜けてまわしは切れるのです.一度こ の本質を体感してしまうと,今度は後者の方が直感 にあうように思えてきて,どうにもそれ以外ではま わしは切れないのではないかと感じるようになって きます.すると,体は自然と直感的な行動をとるよ うになり,晴れて「まわし切り」を体得することに
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生 産 と 技 術 第66巻 第2号(2014)
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Yasutaka SHIMIZU 1976年9月生
東京大学大学院数理科学研究科(2005年)
現在、大阪大学大学院基礎工学研究科 准教授 博士(数理科学) 数理統計学 TEL:06-6850-6466
FAX:06-6850-6466
E-mail:[email protected]
「わかる」ということ
Realizing
Key Words:Learning, understanding, realizing, teaching
清 水 泰 隆 * 若 者
図1.セミナー風景
なるのです.しかし,これを初めにいくら言葉で説 明しても,実際に出来るようにはなりません.稽古 を重ねるうち,ある時それが出来た瞬間に「あっ」
と思って,それ以降その感覚が直感として自分に宿 るのです.このように 正しい 直感を身につけて いくと,どんな状態からでも勘を働かせて「まわし を切る」動作へと体の動きをつなげていけるのであ って,これが「わかった」という状態です.
数学でもこれとおなじプロセスを踏まねばならな いと思うのです.つまり「わかる」のは人に説明し てもらってわかるのではなく,独力で実感し, 正 しい 直感を身につけ,問題の本質を見抜いていく しかないように思います.そのために数学ではセミ ナーというのをやります.他人の書いた本や論文を 選び,自分で「わかった」と言えるまで考え,自分 の持った印象と感覚を噛み砕いて言葉で語らせるわ けです.論文では,プロの数学者からみて直感的に 明らかなことはたいてい省略されています.しかし,
それは体得された正しい直感の下で明らかなだけで あって,多くの初学者の貧弱な 直感 では全く明 らかではないのです.それをこちらから学生に説明 してしまったら「わかったような」感覚だけ残って 実際には何もわかりません.しかし,独力で考え抜 き,「あ,そうか!」という感覚と共に 正しい 直感を蓄積していくと,省略されている箇所は「如 何にも省略して当然」と思えるようになります.
ところが,最近の学生は結果だけを早く知りたが り,自分で「わかろう」とはまるでしません.答え が正しいかどうかにしか興味を示さないのです.ひ どい場合には,セミナー中,自分で黒板に書いてい ることが合っているのかどうかすら,自分では知ら ずにやっていることもあります(つまり,本や論文 に書いてあるから正しいというわけです).だから と言って,こちらが教えてしまっては「わかる」境 地には行けない...一体,教えずしてどのように「わ かる」ところへ誘導すればよいのでしょうか.
私が修士の頃でしたが,指導教官と 1 対 1 でセミ ナーをしていたある時,先生は私にこう尋ねられま した.
「その一行に命賭けられますか?」
御存知の通り,数学では,最初に書いた式を等号 ( = ) や不等号 ( ≦ ) などで繋いでいって結果がでる わけですが,たとえば,そこに書いた=が間違って
いたら命を取られてもよいか,と先生はおっしゃる のです.私は当然(?)「命までは賭けれません」
と答えましたが,「それじゃあ,先には進めませんね」
と言ったきり黙ってしまわれました.また別のセミ ナーの時の話ですが,「本にこのように書いてあっ たのですが,何故でしょうか」と質問(やってはい けない事です)したところ,「具体例で計算してみ てはどうですか?」と言われました.私は,当然前 日まで一生懸命考えた上でわからないと言っている のですから「今更だ」と思っているのですが,先生 は黙して何も語ろうとしません.仕方なく試行錯誤 やってみましたが,先生の前で緊張しているのと半 ばあきらめているのとで,どうにも問題の核心がわ かりません.しばらくして先生から「今日は調子悪 いね」と一言あっただけで,その後 3 時間ほどただ の一言も発せず,私は黒板の前に一人立たされ問題 と格闘することになりました.このままでは帰れな いので,私は言われた通り簡単な例をいくつも検証 し始めました.やがて問題の全体像がより鮮明に把 握できるようになってきたのを覚えています.最終 的に解決に至り「やっとわかりました」と告げると,
「では進めてください」と先生.私はだいぶ「わか って」いたらしく,そこから先の議論はさしてつま づかずスムーズだったような気がします.その日,
午後 1 時から始めたセミナーが終わったのは,午後 9 時を過ぎた頃でした.セミナーの後,先生が「君 は今まで,喉に刃物を突き付けられたような経験を してこなかったようですね」とおっしゃったのがと ても印象に残っています.
セミナー直後の私は,終わってただただほっとし
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ただけでしたが,今ではあの時のことをとても感謝 しています.先生はあの時「わかる」とはどういう ことか,語らずもしっかりと教えてくれたような気 がします.論理と計算だけの「わかり方」しか持た なかった私は,その途中計算が正しいか正しくない かを批判できるだけの能力しかなく,直感やイメー ジのかけらもない「わかり方」をしていたことに後 で気づきました.まさに維摩一黙.やはり,真理を 伝えるには黙するのが最良なのでしょうか.
この経験は現在の私の教員生活にも活きており,
時に自分の学生にも「命賭けれますか?」とやると きがあります.しかし,普段から 慕われる先生 を目指して学生との距離を近づけようと努めている 私の場合,いつも一笑に付されてしまいます.黙っ
ていると「先生なんとか言ってくださいよ」とやる 学生もおります.良く言えばアットホームな研究室 になっているようですが,つまり私には威厳という ものがまるで無いようです.かといって,あの時の 先生のように,黙して語らず 8 時間ものゼミをやっ たならば,アカハラ,体罰,などと言われかねない 昨今.このような職人的な教授法が効かなくなった 今,どうやって「わかる」ことを教えるか,という 問題は昔より一層難しくなっていると思います.
ということで,結局なんの解決策も見いだせぬま ま紙数の制限に到達してしまいました.折角寄稿の 機会を与えてくださった大阪大学大学院基礎工学研 究科の糸崎秀夫教授にはお詫びの言葉もございませ んが,ただただ感謝のみ申し上げます.
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