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Akoris遺跡に残る日乾煉瓦建築群にみる、古代ローマ期における都市整備の実態に関する基礎的研究 [ PDF

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Academic year: 2021

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(1)Akoris 遺跡に残る日乾煉瓦建築群にみる、古代ローマ期における都市整備の実態に関する基礎的研究. 新崎 朝規. 1. はじめに. について煉瓦規格・積層方法を観察することで、壁面. 1-1.研究背景・目的. の並びから想定される道路の存在を補強し、その存在. 紀元前 30 年にローマ帝国の支配下となったエジプ 1). 2). 時代を想定する。煉瓦の規格性による時代編年は辻村 4). ト の 都 市 形 成 の 様 は、Alexandoria や Oxyrhyncus. のそれに依拠するものとする。. などの都市址の発掘調査報告にその一端が窺える。こ. 2. 対象地について. れによると、紀元1世紀末をはじめにローマ都市を特. 2-1.Akoris 概要. 徴付ける carudo、decumanus といった主要交差道路. Akoris はカイロから 230km ほどナイル川を遡った東. やギリシア・ローマ様式の神殿や浴場などの公共建築. 岸段丘に位置し、東西 300m、南北 700m ほどの規模. の整備が行われたようすが窺える。. に都市遺構が残る。都市の西方に位置する岩窟墓の出土. 本研究で対象とする中部エジプト・Akoris 都市址は、. 品などから、中王国時代には既に居住形跡が確認され、. ギリシア・ローマ様式の神殿のほか、その都市域の殆. 第3中間期には、防御壁に囲まれた都市が後のローマ時. どを占めていたと考えられる日乾煉瓦建築遺構が多く. 代の Akoris に近い規模で拡がっていたことが確認され. 残存するローマ都市遺跡でありながら、都市全域につ. ており 5)、その後のプトレマイオス朝期の商業活動の盛. いての本格的な調査研究は未だ行われていない。. 況 6)、ローマ期の神殿建造や聖道整備 7) を経て都市が形. そこで本研究では、Akoris 都市域の地表面に露出す. 成されていったと考えられている。都市は石造神殿や敷. る日乾煉瓦壁群について発掘を伴わない実測調査を行. 石など一部の構築物を除いてその殆どが日乾煉瓦建築で. い、都市の道路位置を特定することで、今後の発掘調. 占められており、現在は堆積物に覆われた地表面から部. 査が待たれる Akoris 都市址の道路骨格についての基. 分的にそれらが露出している(写真1)。. 3). 礎情報の報告および道路の性格についての解釈を試み ることを目的とする。. 2-2.Akoris の都市軸 これまでの調査から、都市の最末期 8) における3つの 南北道路の存在が確認されている(図2) 。Road-A は中. 1-2.研究・調査方法 2010 年度の調査において 3D レーザー測量を行う ことで、Akoris 遺跡の地表面に露出する煉瓦壁の位置 情報を取得した。これらの情報を基に広範囲に残る煉 瓦壁について相対的な考察を行う。また、各々の壁面. Road-C. 央神殿の軸線に従い北に 240m 程続いていたと考えら れ、少なくともローマ期以降、都市の本通りであった可 能性が高い 9)。またそれと平行するように、西方神殿の 聖道の延長上にある Road-B、それら2本の通りに挟ま れた地区において南北の方位軸とほぼ一致するように延. Road-A. Road-B. 図1 エジプトにおける AKORIS の位置. 図2 AKORIS 都市址・概略図. 写真1( 上 ) 地表に露出する日乾煉瓦壁 図3 AKORIS 南・発掘地区・平面図. 27-4. 写真2( 下 ) 南・発掘地区.

(2) びる Road-C が確認されている。. 設ける。対象遺構においては 19 例の開口部が確認され、. 2-3.第3中間期における街区. それらは幅 12-40cm と小規模である。機能として採光、. 2002 年から継続的に行われている Akoris 南地区にお. 通風が考えられるが、いずれの場合においてもその壁面. ける発掘調査. 10). から、部分的に街区の構成が明らかと. なっている(図3) 。これらの遺構は第3中間期のもの. 建設時に開口部は外部に面していた可能性が高い 20)。. 5. 道路復元. と考えられており、地形に沿う緩やかな曲線で東西に延 びる幅 2.1m の主要道路 11) とそれにほぼ直角に繋がる 幅 1.8m の道路の存在が確認される。これらの道路によっ てつくられる街区には5つの住居址があり、いずれも道 路ではなく、そこに繋がる袋小路や後背斜面地に入り口 をもつ点に特徴がみられる。. 3. 都市行政 3-1.行政区画 エジプトにおけるプトレマイオス朝期の都市行政につ いての史料は未だ十分ではなく、その実態は明らかと. a 24cm type  7th Century. なっていない 12)。そのため、ここではローマ支配下に. a 24 cm type  7th Century a small thick type  3rd end - The first half of the 4th Century. おける都市行政についてのみ言及する。. 壁面の変化ライン. ローマ都市行政には、その主目的のひとつとして税の. a 29 cm type  4th end -The first half of the 5th Century a small thin type  B.C.306 -. 徴収があり 13)、都市を幾つかの amphodon14) に区分す ることによってその体制が整えられた。エジプトの多く. a small thick type  3rd end -The first half of the 4th Century. の都市において、その最初期においては既存の都市骨格 を用いた都市行政が行われてと考えられ、その後の紀元 1世紀から2世紀にかけて carudo や decumanus といっ た東西・南北大通りの整備に伴い、課税体制が成熟を迎 えたと考えられる 15)。. 4. 日乾煉瓦壁 4-1.壁面の踏襲 エジプトに限らず、都市は生活・自然堆積物により層 位が生ずる。とりわけ乾燥地域における自然堆積は古代 から現在まで顕著であり、道路面の堆積に伴い過去の建 築物に重層した建設活動が行われる。その際、継続的に 安定した都市活動が営まれる地区においては、既存の壁 面を踏襲する場合が殆どであり、建物の外郭が変更され ることは少ない。16). 露出部分のみについて実測を行う今回の調査では、堆 積起伏が著しく、下層 17) の壁面が露出する都市北部の 1地区において確認された3例を除いて壁面は踏襲され ている 18)。この3例における変化層を煉瓦規格に照合 すると、いずれの場合も a small thick type を境に壁面 の角度の変化が確認され、変化後の壁面が地区に接する Road-A に直行することから、この地区においてローマ 期に建物の外郭が変更された可能性が指摘できる。. 4-2 開口部 日乾煉瓦組積造において、木材などで枠を設ける場合 を除いて、壁面にアーチ 19) を埋め込むことで開口部を 27-4. 表1( 上一 ) 辻村による煉瓦編年 写真3( 上ニ左 ) 壁面の軸の変化 . 写真4( 上ニ右 ) 踏襲される壁面 図4( 上ニ左 ) 日乾煉瓦壁分布と道路復元図.

(3) 既に確認されている3つの通りは全て都市の南北を繋 ぐ道路である。本章ではこれらを繋ぐ東西道路の復元を 行うとともに、道路幅および道路に面する建物の入り口 についての考察を行う。. 南北道路 道路幅 備考 Road-A 2.9-3.2 m 中央神殿への参道 Road-B . ??. m 西方神殿への参道. Road-C 1.3-1.5 m 直線的でなく路地. 5-1 東西道路 3D レーザーによる実測によって取得した煉瓦壁分布 から、一定の間隔を保ち平行に連なる煉瓦壁が抽出され る(図4) 。これらのなかで東西道路と考えられる3つ の箇所について北から Road-a,b,c とし、各々の復元情報. 東西道路 Road-a 2.2-2.4 m Road-A に直行 Road-b 2.2-2.3 m Road-A に直行 Road-c 2.0-3.2 m 両神殿を繋ぐ道路. を提示する。 a) 中央神殿から Road-A を北方向に 170m の位置に、 西方向に平行に連なる壁が 30m 確認できる。これ らの間幅は 2.2-2.4m であり、道路沿い4つの壁面 について開口部が確認される。煉瓦規格は下層で a small thick type が確認され、少なくとも 4 世紀は じめには道路として機能していたことが分かる。 b) 中央神殿から Road-A を北方向に 65m の位置に、 西方向に平行に連なる壁が 30m 確認できる。これ らの間幅は 2.2-2.3m であり、道路沿い 1 つの建物 について開口部が確認される。煉瓦規格は下層で a large thick type が確認され、少なくともプトレマ イオス朝期には道路として機能していたことが分か る。 c) 西方神殿域北門前の位置に、東方向に平行に連なる 壁が 5m、西方向に段丘斜面に沿って下る壁が 25m およびその東方向延長線上、中央神殿域西面の位 置に 5m 確認できる。これらの間幅は前者で東 方向 2.7m 西方向 2.0-( 不明 )m、後者で 3.2m であ る。煉瓦規格は下層で a large thick type が確認され、 少なくとも4世紀はじめには道路として機能してい たことが分かる。. 5-2 道路幅 東 西 道 路 の 道 路 幅 を 南 北 道 路 の そ れ に 比 す る と、 Road-A,(B),c お よ び Road-a,b、Road-C の 3 つ に 性 格 付 けが可能である(表2) 。. 5-3 道路軸 Road-a,b が Road-A に対して垂直に平行して延びてお り道路幅も類似している一方で Road-c はそれに 1°程 角度をもち延びている 21)。これは Road-c が中央神殿と 西方神殿域北門とを繋ぐ性格をもつため、整備の時期が 異なる両神殿の位置関係から生ずるものだと考えること ができる。. 5-4 建物の入り口 前節で示した東西道路および既知の南北道路に接する 建物においてこれらの道路面に入り口が確認されるもの 27-4. 写真5( 上一左 ) 壁面開口部 表2( 上一右 ) 道路幅. 写真6( 上二 )Road-a 写真7( 上三 )Road-b 写真8( 上四 )Road-c 図5( 下 )Road-A,a 付近の道路詳細図.

(4) はない 22)。建物の露出・残存状態の良好な Road-A,a の 接点付近7つの建物について道路に面する壁面全ての露. 的である。 10)筑波大学教授、川西宏幸らにより 2002 年から継続的な発掘調査が行われている。 11)この通りを西に進むと岩盤を切り出した階段状の様相を呈し、都市の位置する段. 出が確認されるが、これらには全て入り口が確認されな. 丘上からナイル川へと下ることができる。. い。今回の調査でこれらの建物の入り口を特定するには. 13)ローマ帝国属州における税は人頭税や家屋税などがある。人頭税は 14 歳以上の. 至らなかったが、隣接する建物間3つの位置について幅 1m 前後の路地が確認されることから、この位置に入り 口が設けられている可能性が指摘できる(図5)。これ は 2-3 で指摘した第3中間期の住居における入り口の構. 12)参考文献 3) 男子について課せられ、エジプトにおいては紀元前 12 世紀をはじめとし、7 年 周期で人口調査が行われた。また都市や街区、時代によって額は異なるが、家屋 税について紀元 2 世紀 Hermopolis Magna における 60drachm/house などがある。 Akoris における税制度を裏付ける明確な史料は出土していない 14)通りによる区画分けとそれによる都市行政区分。Alexandoria における紀元前 14 年の史料(BGU IV 1125 BL V,15;IV 1179)によりその最初期の都市行政が確認. 成の類例と考えることができ、その構成が古代ローマ期. される。その実態に関する史料は、主に Oxyrhynchs,Ptolemais Euergetis などの. においても存続していた可能性を加えて指摘しておく。. 料は見つかっていない。. 大都市に集中しており、Akoris のような小規模の都市についてその実態を示す史 15)Alston によると、紀元1世紀から2世紀にかけて課税制度が定着をむかえ、こ . 6. 結 本稿では既に確認されている南北道路を繋ぐ東西 道路について3つの位置での復元を試みた。なかでも. の時期にエジプトローマ都市において、浴場や神殿の建設など大規模な都市改 造が行われる。その際、carudo や decumanus といった道路の整備とともに概 ね同規模の街区が形成され、システマティックな都市行政が形成される。また、 amphodon 行政と同時に、既存の地域単位(tribes、centuries、curiae、vici など). Road-c は両神殿を繋ぐ性格から都市における重要な道. を残すことで、円滑な統治を行うという方法も採られた。. 路であった可能性が指摘でき、ローマ期の Akoris の都. そのため、安定した都市においてその変更が行われることは少ない。隣家に面す. 16)道路に面する壁が道路自体の輪郭となるため、その変更は街区の変更を意味する。. 市活動を理解するうえで重要な位置を占めると考えるこ. る壁については土地所有と密接に関わっており、血縁関係が固まって住む場合な. とが出来る。また本稿における道路軸の基は Road-A が. 17)地表から上端まで最大で 7.8m の壁面が確認され、4 つの煉瓦規格が積層されて. 従う中央神殿を基準に行ったが、一方でその建設年代か ら考えると、西方神殿域が先に整備されたという事実も. ど、その輪郭が変更されることもある。参考文献 3) いる。そのなかで最下層のものは a large thin type であり、プトレマイオス朝期 以前のものであると考えられる。 18)3例以外にも踏襲していないと考えられる事例があるが、残存状況から煉瓦規格. ある。これについて、西方神殿が既に存在した中王朝時. および変化点が特定できないため今回は考察対象としないこととする。 . 代の岩窟墓を再利用したことから固定的な位置を有する. 20)設けられた開口および風化や破壊による開口の判定について、開口を切り取る側. 19)疑似アーチである迫り出しアーチも含む。実際の事例においては.... のに対し、中央神殿の建設にあたり現在の位置を選定し. 面の煉瓦の納まり、および上面に舗装材として用いられる枝材の痕跡を根拠とし. た要因が未だ憶測の域を出ないことからも、今後この東. 21)中央神殿の中心および道路の中心を端点とした場合。1°の角度は 100m 先で . て特定を行った。 およそ 1.75m 位置の相違が起こる。中央神殿から北に 240m の位置において . 西道路について詳細に調査を行うことが期待される。. 20cm 程度の相違しかみられない Road-A との関係を考察するため、200cm ほど. 脚注. の相違がみられる Road-c の 1°を取り上げた。 . 1)地中海沿岸に位置し、エジプトのローマ都市のなかで最も有名なもののひとつ。. 22)1つの建物の道路に面する壁について考察可能な事例を対象とするものである。. 劇場や浴場など多くの石造建造物が残る。 2)中エジプトのローマ都市。多くの石造建築のほか、パピルス史料が多く出土して. 参考文献. おり、ローマ期の社会状況を示す多くの文字史料を提供している。. 1)H.Kawanishi,Akoris:report of the excavations at Akoris in Middle Egypt,1981-1992. 3)ローマ都市を特徴付ける主要道路。カルド・マクシムス(南北道路)、デクマヌス・. 2)H.Kawanishi,Preliminary Report Akoris,2001-2009. マクシムス(東西道路)が都市の中央部で交差し、交差部においてフォルムなど. 2)R.Alston,The City in Roman and Byzantine Egypt,2002. がおかれた。これら2本の直行道路を軸に街区が構成する都市がローマ都市の特. 3)J.Rich,The City in Late Antiquity,1996. 徴のひとつといえる。. 4)周藤芳幸 , 古代ギリシア 地中海への展開 ,2006. 4)国士舘大学教授 5)スーダンのナパタにて発見された第 25 王朝の創始者ピー王の碑文から、その軍 の北上に際し、北方デルタの守兵のいる Akoris の防御壁を壊し都市に侵入したこ とが記されている。また川西宏幸らによる発掘調査により、防御壁と推定される 日乾煉瓦壁の一部も確認されている。 6)周藤芳幸による、アコリスからの出土資料とりわけアンフォラに刻まれた「紀年銘」 の数量分布からその繁栄が窺える。文字史料によると、前4世紀から前2世紀に かけて、ロドスの商人がエジプトの穀物を東地中海に供給することで利をあげて いたとされ、アコリスから出土するアンフォラにロドス産のものが多く見られる ことからも、この交易状況が想定される。 7)ローマ期の都市整備は、2世紀に中王国時代に建造された岩窟神殿前面にギリシ ア・ローマ様式の中庭や多柱室が設けられたとされ、新たな神殿域 ( 西方神殿域 ) が形成される。またやや遅れて市域の中央に石造神殿 ( 中央神殿 ) も営まれ、両 神殿から北に敷石を配した聖堂を設けている。 8)エジプトのローマ・ビザンツ期は紀元 639 年にイスラム帝国に征服を受けるまで の時代をいう。Akoris では7世紀末まで都市活動の形跡が確認されている。 9)Road-A と都市の北端を東西にはしる wadi との接点付近において、都市門の部材 と考えられる石材や橋の存在をほのめかす石材が見つかっており、この道路の都 市の入り口として機能を裏付ける。また 370 年代に中エジプトの当時の主要都市 である Oxyrhynchus を訪れた Rufinus の手紙によると「都市の入り口付近におい て訪問者に施しを与え、宗教人口を拡大しようとする人々」が描かれており、都 市の入り口とコプト教会の関係性が伺える。この点で現在の tehne-el Gabal のコ プト教会が Road-A の北端に位置することも、通りの性格を解釈するうえで示唆. 27-4.

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